ユーロ危機の日本への影響

ユーロ危機の日本への影響
嘉治 佐保子
慶應義塾大学 経済学部 教授・PCP Co-ordinator
はじめに
ニア、デンマーク、ラトヴィアおよびリトアニア
ユーロはヨーロッパの通貨で、いつの間にか
は、ユーロに入る前段階の為替レートメカニズム
誕生して毎日のニュースでも「一ユーロは何々
(ERM, Exchange Rate Mechanism)に加盟して
円」と聞くようになったと思っていたら、急に
いる。
危機になった。このような感じがしている日本
ユーロに危機が訪れたのは、2009年末からで
人も多いのではないだろうか。そしてギリシャ
あった。リーマン危機への対応で各国の財政が
やスペインでのデモや暴動の映像を見ながら、
悪化していたところに、ギリシャのパパンドロ
一体なぜこんなことになり、いつになったら収
ウ新政権が2009年12月、前政権の数値を否定し
束し、そもそも日本にどんな影響があるのだろ
て財政赤字/GDP比率が12.7%、政府債務残高/
うかと考えたとしても、不思議はない。
GDP比が113%に達したと発表した。これが引き
ユーロ危機は、実は日本にとって重要な意味
金となってギリシャの債務返済能力が疑われ、
を持っている。この危機の本質は、
「競争力のな
借入コストが上昇し、実際に返済が困難になり
い経済を放っておくとどうなるか」だからであ
危機に発展する。やがて危機は、アイルランド、
る。つまり「賃金に見合った仕事をし、価格に
ポルトガル、スペイン、イタリアにも伝播して
見合った財・サービスを生産しないと危機にな
いった。
る」ということが、ユーロ危機の教訓なのである。
ユーロ危機勃発以降、アジアをはじめ世界各
ユーロという共通通貨を使っていることは、危
地域は通貨同盟に懐疑的になっている。しかし、
機の一つのきっかけにすぎない。日本のように
単一通貨ユーロを手放せば、それだけで経済が
共通通貨を使わず、円という独自の通貨を使っ
安定するわけではない。また単一通貨さえなけ
ている国でも、他のことをきっかけに同じよう
れば、必ず経済が安定していたわけでもない。
な危機が生じ得る。
前述のとおり、危機の本質的原因とその教訓が、
ユーロは、2002年にEU加盟国のうち12か国
で共通の通貨として流通し始めて以来、ユーロ
日本ばかりでなくどこの国にもあてはまるもの
だからである。
安の時期もあったものの国際的信用が徐々に高
本稿では、まずユーロ危機の原因として加盟
まり、近年では世界の外貨準備の30%近くがユー
国間で非対称性が残ってしまったことを確認し、
ロで保有されるまでになっていた。これと比較
財政の不統一だけが問題でないことを確認する。
して米ドルは60%近く、日本円は5%くらいで
次に、非対称性の背後にあるガヴァナンスにつ
ある。また、国際債券発行残高のおよそ25%が
いて欧州が実行しつつある改革を概観する。最
ユーロ建てで発行されている。
後に、日本が学ぶべきことについてふれる。
2008年9月にリーマン・ブラザーズが破綻した
のをきっかけに世界の金融市場が大混乱に陥った
ユーロ危機の原因
ときも、ユーロゾーンは比較的軽症のように見え
まず、ユーロ危機の原因について考える。危
た。2009年1月1日には、スロヴァキアが新たに
機の背後には、ユーロエリア内の、競争力の非
加わってユーロ加盟国数は17か国になり、エスト
対称性(ある国にはあって他の国にはないこと)
’
12.12
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嘉治 佐保子(かじ さほこ)
http://k-ris.keio.ac.jp/Profiles/0030/0005959/profile.html
1982年:慶應義塾大学経済学部卒業
1984年:同大学大学院経済学研究科修士課程修了、経済学部助手
1985年 か ら1988年: ア メ リ カ 合 衆 国 The Johns Hopkins
University 経済学部博士課程に留学
1988年から1989年:Yale University 経済学部訪問大学院生。
1991年:慶應義塾大学経済学部助教授
がある。そしてその背後に、構造改革の進展に
1992年:The Johns Hopkins University より Ph.D.(経済学博士
号)取得
1999年:慶應義塾大学経済学部教授
2007年:慶應義塾大学経済学部 Professional Career Programme
(PCP) Co-ordinator兼務。2012年8月に日本経済新聞出
版社から「ユーロ危機で日本はどうなるのか」を出版。
変数が調整していると解釈することができる。
ついての非対称性がある。ユーロ加盟後、ドイ
ユーロに加盟した国のなかで、なぜドイツ等
ツ等のいわゆる北欧の国では構造改革が進展し
で改革が進み、危機を迎えた国では改革が進ま
た。たとえば労働組合が賃上げ要求額を引き下げ、
なかったのだろうか。これは、日本でなぜ改革
失業者が仕事をみつけやすいように職業訓練を
が進まないのかという質問と、基本的に同じ質
充実させ、失業保険を合理化した。これに対し、
問である。同じ質問である理由は、いずれも民
危機を迎えた国では十分な進展がなく、労働コ
主主義国だからだ。民主主義国では、改革等の
ストは下がらず、失業率は高止まりし、失業保
政策は独裁者が統治する場合のように勝手に行
険等の支出が財政の負担になり続けた。
うことができない。改革等の政策を実行するか
このような非対称性は、通常、為替レートの変
どうかは、投票者が決めることになっている。
動を生じる。構造改革が進まなくて生産コスト
大まかに言って、有権者の多数が同意しない改
が高い国の生産物は、品質に見合った価格より
革は、実現しない。ただし、選挙区の決め方、
高い価格になるので、売れない。これに対し改
情報の伝え方、投票率(有権者の当事者意識)
革が進んだ国では生産コストが下がり、品質に
等によっては、選挙で有権者の多数が同意する
見合った価格で売ることができるので、売り上
かどうかを正確に把握できるとは限らない。有
げがのびる。この結果為替レートは、改革が進
権者の意見をどうやって把握するのが最善か、
んだ国の通貨が強くなり、改革が進まない国の
どうやってその最善の状態を実現するのか、こ
通貨が弱くなる形で変化する傾向がある。つまり、
れが国レベルのガヴァナンスの問題である。当
為替レートは非対称性を緩和するような調整変
然のことながら、ガヴァナンスの在り方は政策
数としての機能を果たすことが期待される。
が実行されるかどうかに大きく影響する。ドイ
しかしユーロは共通通貨なので、ユーロ圏内
ツ等のユーロ加盟国で競争力を高めるような改
に為替レートは存在しない。そこで為替レート
革が進んだのは、それを可能にするようなガヴァ
の代わりに、他のものが調整変数として動かざ
ナンスになっていたからである。
るを得ない。改革が進まなかった国では、金利
つまりユーロ圏の非対称性の背後には、ガヴァ
を含む国債発行コストが、返済を難しくするほ
ナンスの非対称性がある。国内で不人気な政策
ど上昇して危機を迎えている。だからこそ今回
を実行できるようなガヴァナンスになっている
の危機は債務危機と呼ばれるのであるが、反対
国では改革が進み、そうなっていない国で改革
にドイツの国債発行コストは非常に低く、短期
が進まないのである。
1
国債金利がマイナスになっているほどである 。
加盟国レベルのガヴァナンスのほかにもう一
このような国債発行コストの激変は、動けない
つ、欧州では、欧州連合という超国家組織と加
為替レートの代わりに、国債発行コストという
盟国の間のガヴァナンスと言う問題がある。今
1 資産を様々な通貨に分散することは望ましいので、危機を迎えたと言ってもユーロ建ての資産を保有する需要は
ある。そこで、「安心」な国ドイツの国債の人気が高まり、特に短期の国債への需要が高まっているのである。
’
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7
回の危機後、日本で報道されるヨーロッパの情
現するのか。これはすべての民主主義国家に共
報は危機一色になりつつあるが、実はその解決
通する、永遠の課題である。この課題に「統合」
策の一つとして、欧州連合のガヴァナンス改革
という形で答えようとしているのが、欧州なの
が着々と進んでいることはほとんど報道されて
である。他のどこの地域も、これを試みたこと
いない。なぜ欧州連合レベルのガヴァナンスが
がない。世界初の試みだから失敗も多く、批判
重要かというと、欧州連合という超国家組織と
するのはたやすい。しかし世界に先駆けて、こ
加盟国の間のガヴァナンスが不適切だったこと
の世界共通の問題に正面から取り組み「統合」
が危機の一因であったことに、欧州の人々が気
という形で答えようとしているのが欧州だとい
付いたからである。
うことを、忘れてはいけない。
欧州連合のガヴァナンスが不適切だったと言
欧州統合の歴史は、統合に加盟する国々の経
う意味は、欧州連合のガヴァナンスがユーロ加
済を活性化し、平和的繁栄をもたらすための数々
盟国の間の非対称性を取り去ることができない
の政策で彩られている。欧州石炭・鉄鋼共同体
ようなガヴァナンスであった、という意味であ
(1951年署名、パリ条約)として独仏間の争いの
る。現在進められているガヴァナンス改革は、
火種となっていた石炭・鉄鋼の共同市場を創設
すべての加盟国を同じくらい競争力が高く財政
する構想から始まり、欧州経済共同体と欧州原
2
状態の良い経済にすることを目指している 。
すべての加盟国(ユーロ加盟17カ国のみでなく、
子力共同体が加わって(1957年署名、ローマ条約)
関税同盟が成立する。しかし関税を撤廃しても、
欧州連合加盟27カ国)を、同じくらい競争力が
制度・規格・税制の面で非関税障壁が残って経
高く財政状態の良い経済にするという目標は、
済活動の活発化を妨げていることが明らかに
実は危機後に始まったわけではない。日本でも
なったため、「1992」として知られる単一市場議
EUでも、国民はみな、企業と人が高い競争力を
定書が1986年に署名された。しかし関税・非関
もち、財政状態が健全であることを望ましいと
税障壁を取り去っても、為替レートの乱高下が
考えるだろう。問題は、どうやってそうするのか、
貿易・資本の取引を妨げるということを一つの
である。しかも、民主主義体制のもとで、どう
理由とし、加盟国の一部は通貨統合に進んでいっ
やってそうするのかが問題となる。競争力を高め、
た。いずれも、加盟国民の生活が豊かになり安
財政収支を改善するためには、少なからず既得
定することが平和を維持するために不可欠であ
権益を損なう改革が必要になる。そこで、既得
るという認識が、強く共有されていたからである。
権益を持つ人々が、反対することになる。民主
ユーロ導入とほぼ同時に、日本ではほとんど
主義のもとでは、反対者が51%だったら改革を
知られていない「リスボン戦略」3が打ち上げら
実行する政治家は当選せず、改革は実現しない。
れたのも同じ理由からであった。欧州において、
それでは、民主主義のもとで、どうやって競
関税・非関税障壁ばかりでなく為替レート乱高
争力を高め財政収支を改善するような改革を実
下を取り去る諸政策が進められる一方で、社会
2 本稿では詳述しない「欧州銀行同盟」(European Banking Union)も、広義のガヴァナンス改革に含めることが
できる。
3 The Lisbon Agenda, The Lisbon Strategy = 2000年3月のEUサミットでうちあげられ、目標は10 年間で“to make
the EU the most competitive and dynamic knowledge-based economy inthe world with more and better jobs and
greater social cohesion”ということになっていた。2005年に再出発(re-launch)となったが成功せず、Europe2020
に受け継がれた。
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保障制度が完備されていった。その中で、経済
課題となった「財政赤字GDP比3%」「債務GDP
の安定的繁栄に対する障害となるような硬直性
比60%」という基準値が重くのしかかってくる。
が生まれていたのである。リスボン戦略は、こ
しかも、ユーロを導入すると、ほかの加盟国と
の硬直性を取り去るための構造改革を実現させ
価格やコストを比較するのが簡単になるので、
る戦略であり、2000年にこの戦略を取り上げた
自国の非効率がすぐ目立つ。これらの理由により、
リスボンEUサミットにちなんでその名がある。
ユーロに加盟した国は、不人気でも改革を進め、
10年間で、欧州を世界で一番競争力とテクノロ
労働力市場の硬直性を取り去って生産コストを
ジーの高い地域にすることを目標にしていた。
下げ、競争力を高める以外に選択肢がなくなる
目標達成にむけ各加盟国が毎年、労働力市場参
ことが期待されたのである。
加率や定年の年齢等に関し目標を掲げ欧州委員
一部の加盟国では、この期待が現実のものと
会と欧州理事会に報告した。欧州からのフィー
なった。よく知られているところでドイツだが、
ドバックの制度もつくられた。しかし結局、自
フィンランドも教育をはじめとする改革を実現
らの目標に近づけない国に対してはピア・プレッ
して競争力を高めた5。また、リーマン危機に金
シャー4だけで罰則がなかったため、戦略の目標
融部門が大きく影響される以前のオランダも、
は一部の加盟国でしか達成されなかった。すべ
欧州の優等生となっていた。もしすべての加盟
ての加盟国で達成されていれば、今のようなこ
国で競争力が高まっていれば、ユーロエリア内
とにはなっていない。
の非対称性は減少し、調整変数の変動の必要も
そのような中でユーロに期待されたのは、必
生じず、危機は生じなかったのである。
要な改革を推し進めるいわば「外圧」としての
特にギリシャ、ポルトガル、イタリアでリス
役割である。
「外圧」という言葉になじみのある
ボン戦略が効果を発揮せず、生産性・競争力は
読者も多いかもしれないが、外国との約束だと
上昇しなかった(図1)。これは、各国の経常収
いうことを理由に、国内的に不人気な政策を実
支にも表れている(図2)。そして経常赤字が継
現できるというメカニズムである。とくに1980
続した国は、対外債務残高が増加する。日本の
年代、日本の経常収支黒字を減らす文脈で盛ん
債務残高GDP比率がギリシャ等より高いにもか
に用いられ、実際一部の規制緩和はこのメカニ
かわらず危機が生じないことの理由として債務
ズムを利用して実現したと言える。欧州におけ
の9割以上を国内で保有していることが指摘さ
るユーロは、加盟国にとっては広い意味で「外国」
れるが、危機を迎えた国々は純対外債務のGDP
との約束の一つである。通貨が一つになるから
比が高い(図3)。
金融政策も一つになってしまい、欧州中央銀行
スペイン、アイルランドの問題は、生産性や
が金融政策を司っているから自国で経済状態が
競争力が低いことよりも、むしろ安易な景気拡
悪いからといってすぐ金融緩和に頼ることはで
大によって不動産バブルが生じたことにある(図
きない。財政政策はといえば、
「安定成長協定」
4、図5)。実際、危機前のスペインの財政状況は、
という名前の協定があって、ユーロ加盟時にも
財政収支、債務残高ともにドイツよりも良好で
4 加盟国相互間の圧力
5 ユーロに加盟しなかった国としては、スウェーデンとデンマークが改革に成功して低い失業率と財政黒字を実現
している。ユーロに加盟しなくても改革を実現できる国は、そのぶんだけユーロに加盟する理由が少ない。英国も
自らサッチャー首相、カメロン首相を選出する国民性を持っていて、リーマン危機で深刻な危機に陥るまではユー
ロ加盟国よりも健全な経済状態を維持していた。
’
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あった。
業を興すことを可能にする規制緩和が選択されな
アイルランドとスペインでこのようなバブルの
かったからである。そして特にアイルランド(と
発生を許してしまった根本的な理由は、日本や米
米国)の場合には、金融産業の政治的発言力が構
国でバブルが発生したのと同じである。供給され
造的に強くなり、その分野での規制緩和が進んだ
た貨幣(資金)は、生産性と競争力を高める投資
ことが背景にある。これらはいずれもガヴァナン
にはまわらず、不動産市場、金融市場に向かった。
スの問題である。
その理由は、特にスペイン(と日本)の場合新産
図4 アイルランドの住宅価格、債務所得比率
図 1 Labour Productivity of the total economy
2.4
550
1.15
500
450
1.1
Japan
Unaited Kingdom
France
Spain
Portugal
Italy
United States
Germany
Greece
Ireland
1.05
1
0.95
0.9
400
350
300
1.8
1.6
1.4
1.2
200
1
150
0.8
100
0.6
図 2 経常収支の推移
1993
1996
1999
2002
2005
2008
0.4
図 5 スペインの住宅価格、債務所得比率
10
350
France
Germany
Greece
Ireland
Italy
Portugal
Spain
5
0
-5
-10
300
1.6
Spain
house price
250
house price
(90-95trend)
200
Gross debt to income
ratio of households
150
1.4
1.2
1
0.8
0.6
0.4
-15
1999
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
100
出展:
http://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sa11-02/s2_11_2_1/s2_11_2_1_1.html ,
Eurostat, Gross debt-to-income ratio of households and components
図 3 純対外資産 (% of GDP, 2008-2010 平均)
Luxembourg
Belgium
Germany
Netherlands
Malta
Finland
France
Austria
Italy
Cyprus
Slovenia
Slovakia
Estonia
Greece
Spain
Ireland
Portugal
‐120
‐80
‐40
0
40
0.2
0
50
1990 1992 1994 1996 1998 2000 2002 2004 2006 2008 2010
出展 : International Monetary Fund, World Economic Outlook Database,
September 2011
80
120
出展 :
http://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sa11-02/s2_11_2_1/s2_11_2_1_1.html,
Eurostat Net international investment position in % of GDP, average of 2008-2010
※なお、図3、図4、図5は内閣府(2011)を参照して作成したことをお断りしておく。
’
12.12
10
2
出展:
http://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sa11-02/s2_11_2_1/s2_11_2_1_1.html,
Eurostat, Gross debt-to-income ratio of households and components
2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013
Source: OECD http://stats.oecd.org/Index.aspx?Queryld=32453
-20
2.2
house price
(90-95trend)
Gross debt to income
ratio of households
250
50
1990
0.85
Ireland
house price
一部では、ユーロ危機から脱するためには財
で来ているのである。
政を統一するしかないと言われている。連邦国
次に、シックスパックがある。これは五本の
家である米国ではドルという単一通貨を使って
規制と一本の指令のことで、2011年12月13日に
いるが、財政を統一しているから危機になって
発効した。財政に関する安定成長協定の強化の
いないと言う主張である。しかし米国で危機が
みでなく「マクロ経済不均衡手続き」にもとづ
生じていないというのは間違った認識である。
くマクロ経済サーベイランスも含む。マクロ経
同様に、欧州に現存する非対称性をそのままに
済不均衡手続きを構成するのは10個の経済指標
して財政だけ統一しても、単一通貨は安定的に
を並べたスコアボードである。これに基づく加
持続させることはできない。今、欧州では、構
盟国経済全体の評価を行い、
「過剰不均衡手続き」
造改革と財政改革が進まない国の改革を進展さ
が開始される。修正を求める提案に従わないユー
せるため、危機以前には考えられなかったよう
ロゾーン加盟国には、制裁が科せられる。
なガヴァナンス改革が進められている。
欧州で進められているガヴァナンス改革は、
この他に「安定、調整とガヴァナンスに関する
欧州のガヴァナンス改革
以上に述べてきたように、ガヴァナンスの問
条約」の中の「財政コンパクト」、「ユーロプラ
スパクト:競争力と収斂のための経済政策調整
題を解決しなければ、ユーロの有無にかかわら
の強化」
、ツーパックがある。誌面の関係もあり、
ず、欧州の安定的繁栄はない。今進められてい
ここでは列挙することにとどめる。
るガヴァナンス改革の中では財政規律の重要性
は当然認識されているが、今回の危機以降、マ
クロ経済不均衡も重視されてきている。
日本への教訓
欧州のガヴァナンス改革には様々な側面があ
まず特筆すべきなのが、「ヨーロピアンセメス
り、一度に把握しきれないほどである。これは
ター」である。これは、ガヴァナンス強化のた
欧州が緊急事態の中で、試行錯誤しながら進め
めに導入された財政経済協調の年間予定のこと
てきたからに他ならない。いずれもユーロ導入
で あ る。 欧 州 で は2010年 に こ れ が 導 入 さ れ、
前から実行しておかなくてはならなかった改革
2011年前半から実施されるまで、経済政策を春、
であるが、内政干渉とも受け取れる内容を含む
財政政策を秋に、別々に議論していた。ヨーロ
ため、危機が無ければとてもここまで踏み込む
ピアンセメスターではこれを統一し、経済サー
ことは考えられなかった。危機を受けてこそ、
ベイランスと経済政策の決定を同時に行い、サー
急速に推し進められるに至っている。ユーロは
ベイランスを受ける政策分野に、新たにマクロ
非対称性を減らすというその重要な目的を達成
経済不均衡と金融部門の問題を含める。一年の
できず、危機を迎えたという意味では失敗した。
前半のヨーロピアンセメスターにおいて、財政
しかしユーロ危機の結果として必要なガヴァナ
政策、マクロ経済不均衡、金融部門の問題およ
ンス改革と構造改革が実現すれば、ユーロは成
び成長のための構造改革についてEUレベルの議
功だったと言える。
論を行う。加盟国は一年の後半のナショナルセ
ひるがえって日本について考えてみると、財
メスターにおいて、前半のEUレベルの議論を受
政赤字・債務の両面で他国に例を見ない水準ま
けて予算案を作成し、自国の議会に提出する。
で悪化しており、市場が日本の返済能力に疑い
つまり、自国の議会で予算案を議論する前に、
を持ったら最後、危機が起きても何の不思議も
欧州レベルで議論しなければならないところま
ない状態にある。複雑ではあっても着々と進む
’
12.12
11
欧州のガヴァナンス改革を見て、これが財政収
いくし、そもそも誰も買わないかもしれない。
支改善と経済活性化に貢献するとしたら、うら
第三に、そして一番重要なことは、競争力を
やましくならないだろうか。同時に民主主義の
高めることは、財政危機が起きると起きないと
もとで、既得権益を損なう改革がいかに難しい
にかかわらず重要だと言うことである。危機は
かということを欧州の経験は教えている。
起きなくても、優秀かつ勤勉な日本人が有意義
日本では発行された国債の95%近くを日本人
な仕事を求めて海外に移住する状態になったら、
が保有しているから危機は起きない、よって改
いったい誰が日本国内に残った人の社会保障を
革も必要ないという意見もある。しかしこれは、
負担するのだろうか。こうなったとき、これ以
複数の点で間違っている。
上の「格差」があるだろうか。そして日本国債
第一に、発行額の95%を日本人が購入する状
が一斉に売られる危機が起きたとき日本がまだ
態が今後も続く保証がないのに対し、国債発行
変動相場制を採用していれば円安になるが、円
額は減ることが期待できない。日本のグロスの
安だから安心できるわけではない。円安になっ
個人資産は1450兆円と言われるが、400兆円は住
て有難いのは、輸出競争力をもった日本産業が
宅ローンなどのローンである。国債のグロス発
あるからである。これがなければ、海外に対す
行残高は1000兆円なので6、今後も発行され続け
る支払額が膨らむのみであり、このとき海外か
る国債を購入するためには個人資産が増加しな
ら借りている金額が多ければ多いほど困難は大
ければならない。そのためにも、経済が活性化
きくなる。国からの支払は一切ストップし、テ
するような改革が必要なことがわかる。
レビで見るアテネの暴動や路上生活者とは比較
第二に、実は景気が回復してもしなくても日
本国債は売られるリスクが高い。たとえ仮に今
にならないほどの惨状が、日本各地で散見され
るようになってしまうかもしれない。
後も日本人が大部分を購入し続けたとしても、
こうなったときに日本がそれでも立ち直ると
何等かの理由で日本国債が売られてその価値が
したら、それだけの能力をもった人材が日本に
下がっていけば、自分の資産価値を守るために、
残っていてこそである。その意味でも、労働力
たとえ日本人であっても日本国債を売らざるを
市場の硬直性を取り除き、新産業が生まれやす
得ない状態になる。
「日本国債が売られるような
い環境、既存産業に参入しやすい環境をつくる
「何等かの理由」などない」、「日本人は日本国債
ことが急務なのである。このことは、誰よりも
を買い続けるし、売らない」と言う人もいるか
日本の若い世代が必要としている。若い世代の
もしれないが、景気が回復しなければ赤字と債
声が政策に反映されるような形に、日本のガヴァ
務のGDP比率は下がらないので、日本国の返済
ナンスが変わらなければならないのである。
能力はますます疑われるようになる。逆に景気
以上のように考えれば、欧州で起きているこ
が回復すると投資のリターンが高くなって金利
とが決して他人事でないばかりか、「欧州統合」
も上がり、ほかに魅力的な投資先がでてくるか
という前代未聞の試行錯誤を通じて欧州が日本
ら日本国債を買う理由が減っていく。日本国債
よりも一歩も二歩も先を行っていることがわか
の金利も上がらざるをえず返済は困難になって
るであろう。
6 個人資産残高をネットで考えるなら国の負債もネットの額と比較すべきであるという考えかたもある。しかし国
の負債をネットで考えるということは、いつでも、すぐに、その額で資産を売ることができると想定することになる。
’
12.12
12
参考文献
European Commission(2000)
‘The Lisbon European Council
- An Agenda of Economic and Social Renewal for
Europe, Contribution of the European Commission to
the Special European Council
European Commission(2005)
‘COM(2005)24, 2.2.2005:
Working together for growth and jobs ‒ A new start for
the Lisbon strategy’
http://europa.eu.int/growthandjobs/pdf/COM2005_024_
en.pdf
High Level Group chaired by Wim Kok(2004)
‘Facing the
challenge, The Lisbon strategy for growth and
employment’, http://europa.eu.int/growthandjobs/pdf/
kok_report_en.pdf
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