マーク・トウェインのユーモア ∼日本における『トム・ソーヤの冒険』の受容

マーク・トウェインのユーモア
∼日本における『トム・ソーヤの冒険』の受容を通して∼
一般教育会議:講師
林 幸子
アメリカの作家マーク・トウェイン、という名前をきいてピンとこなくても、
『トム・
ソーヤの冒険』の作者だと言えば、ああ、あの楽しいいたずら坊主の話だな、と多くの方
に思い出していただけるのではないでしょうか。それほどまでにトム・ソーヤの物語はわ
が国に於いても広く親しまれています。ではその魅力は何なのでしょうか。塀のペンキ塗
りを頼まれたトムが、さも楽しそうに仕事をして、まんまと友達にやらせてしまう話や、
自分が死んだと思わせて自分のお葬式に乗り込んでいくシーンなど、子供のころ読んで大
笑いした場面を思い出してください。まさに私たちを笑わせて、楽しませてくれるユーモ
アこそがトウェインの真骨頂です。そこで今回は『トム・ソーヤの冒険』を題材に、トウ
ェインのユーモアが日本でいかに受け入れられてきたか、時代をさかのぼって観てみたい
と思います。
トウェインは、1835 年生まれで、1867 年「飛び蛙の話」というとんでもないほら話
で作家の仲間入りをしました。短編も数多く書き、全集が何種類かあるのですが、どれも
30 巻を数えるほどの多作家です。アメリカで『トム・ソーヤの冒険』が出版されたのは
1876 年です。 日本では明治時代が始まったばかりですが、1899 年にはマーク・トウェ
インという名前が、「米国文壇における巨人」「滑稽の抱負」という言葉で文献に紹介され
ています。その後、短編などの翻訳は徐々に出されますが、1冊のまとまった本としての
『トムソーヤの冒険』の翻訳は、1919 年、佐々木邦の『トム・ソウヤ物語』の登場でよう
やくなされたといえます。
佐々木邦とうい名前も、今ではピンとくる方が少ないだろうと思いますが、大正時代
には少年文学の作家としてかなりな人気を集めていたそうで、全集本も出ています。1950
年代以降になると、村岡花子、大久保康雄等よく知られた翻訳家をはじめ、児童文学の石
井桃子やアメリカ文学の研究者たちも次々に『トム・ソーヤの冒険』の翻訳を出していま
すが、その間 30 年ほどは、佐々木の翻訳が『トム・ソーヤの冒険』の翻訳の中核を占め
ていたようで、様々な出版社から何度も出版されています。つまり当時の日本人の多くが
佐々木の翻訳でトウェインの作品を味わっていたということです。
言葉も古く、限られた紙面ですので訳文は載せませんが、注目すべきは 2 人のユーモ
アについての考え方の一致です。トウェインは「物語の話し方」というエッセイの中で、
「ユーモラスな話をするためには、話の落ちは最後まで隠しておいて、土壇場になったら
素知らぬ顔でそれを言い放つことが肝心だ。
」といっています。一方佐々木も、「私が書く
ものはユーモア小説だから、軽快で人を楽しませる場面を心掛ける。」と述べています。つ
まりユーモアは、明るく楽しく読者を喜ばせるためのもの、いわば娯楽性を重視した考え
方をしていたということです。
当時の佐々木は自他ともに認める日本のマーク・トウェインとして、自分の作品にも
トムのようないたずら小僧の太郎を登場させ、明るいユーモアで子供の世界や家庭生活を
描きました。トムが誘拐ごっこをすれば、太郎は財産差し押さえごっこをし、トムが筏で
家出すれば、太郎は気球で家出をします。といった具合にユーモア溢れるエピソードの類
似点を探せば数限りなく出てきます。
しかしながら、ユーモア観の一致と言いましたが、これは若いころのトウェインにつ
いて言えることで、実はトウェインには笑いに対する全く別の思いがありました。先ほど
取り上げた「物語の話し方」と同じころ、
「ユーモアの源は喜びではなく悲しみだ。天国に
ユーモアはない。」
「人間が持っている唯一の武器は笑いだ。笑いだけが巨大なペテンをひ
と吹きで吹き飛ばすことができる。」とも言っているのです。何と皮肉なユーモアについて
の考え方でしょうか。いわば武器としての笑いということです。
この考え方はトウェインが晩年になればなるほど色濃く表れるのですが、
『トム・ソー
ヤの冒険』においてもその片鱗はうかがえるのです。それは物語の最後のほうで人殺しの
インジャン・ジョーが洞穴の中で飢え死にしている場面です。ジョーは逃げ込んだ洞穴に
閉じ込められ、鍾乳石から垂れ落ちる水滴を 1 日に 1 匙ずつのんで飢えをしのいでいまし
た。トウェインは、ジョーの姿やその死体を発見した町の人々を風刺しているのですが、
佐々木の翻訳からはこの場面のかなりな部分が抜けているのです。つまり佐々木はあえて
風刺色の強い部分を削除したということです。結局佐々木はトウェインの娯楽としてのユ
ーモアのみに焦点を当てたということになるでしょう。もちろん現代の翻訳にはジョーの
エピソードも登場しますが、昔も今も子供が悪戯をする楽しいユーモアのほうが受け入れ
られやすかったのかもしれません。
今回は、佐々木の『トム・ソーヤの冒険』の翻訳を題材に、トウェインのユーモアが
日本でどのように読まれてきたかをみてきました。翻訳者佐々木の、原作者トウェインに
対する思いや考え方が、翻訳を大きく左右していたことがわかります。我々読者は翻訳者
の目を通して作品の内容を知るだけでなく、原作者の考えを受け取っているということに
なります。翻訳とはむずかしいものです。そしてまた面白いものです。
特にトウェインの英語には独特な言い回し、スラング、方言などが多く、われわれが
日頃目にする英語とはだいぶ違っていて、Mark Twain Lexicon というトウェインの作品
を読むための専用の辞書があるほどです。
『トム・ソーヤの冒険』の続編でもある『ハック
ルベリー・フィンの冒険』ではさらにその傾向が顕著になります。中学、高校の教科書に
出てくる『トム・ソーヤの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』は、読みやすい英
語に直されたものがほとんどで、原作の持つ言葉の面白さを味わうためにはやや物足りな
いかもしれません。しかし現代の翻訳者たちは、その言葉のユーモアをも翻訳に生かそう
と様々な表現の工夫をしています。今度図書館へ行かれた時には、是非いろいろな翻訳者
の『トム・ソーヤの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』を比べていただき、わた
しの好きなトム・ソーヤやハック・フィンを見つけてみてはいかがでしょうか。
参考文献
・
『佐々木邦全集』(講談社、昭和 52 年)
・The writings of Mark Twain (author’s National Edition; New York: Harper &
Brothers,1899)