真イエス教会 一、東京教会設立の経過 東京教会史 1946 年(昭和 21 年) 、村田長老は日本伝道の使命を担って台湾 まえがき より帰国し、長野県坂城町南条に居住。敗戦後の悪条件と戦いなが 真イエス教会は 1926 年 3 月、当時日本領であった台湾に伝えら ら 1947 年 8 月、軽井沢に夏季聖書学校を開設、9 月に土平、南条 れると、あたかも燎原の火のように台湾全土に広まり、各地に教会 を巡回伝道し、東京、姫路、坂出、羽犬塚、植田等に伝道所を設立 が林立するようになった。当然日本人にも伝えられ、1927 年(昭 した。 和 2 年)11 月、台南ホーリネス教会福音史・須田清基と宜蘭教会 1、東京伝道所設立 長老・上田熊喜の入信をかわきりに、台南では佐野・戸沢・豊島・ 1948 年(昭和 23 年)9 月、村田長老は気仙沼市に五十嵐を訪 山口・深谷・土屋・杉野・陶山・長尾・渡瀬・源河・岡野・藤野・ 問し、台湾引揚げ以降の聖工について報告した後、夏季聖書学校 前田・五十嵐・泰地・大矢・清上・村上等が、台北では植原・山田・ に参加するように勧めた。五十嵐はこれに応えて 1948 年と 1949 重野・久保川、新竹では渡辺等が相次いで受洗し、漸次その数を増 年の 8 月に夏季聖書学校に参加し、さらに 1950 年 3 月に東京の 加した。そして須田と戸沢は長老に、佐野綾子と戸沢竹代は執事に 中学校に転勤を命じられて、新宿区に仮寓するようになった。 1951 年(昭和 26 年)9 月 5 日、東京都文京区神田多町 2∼3 それぞれ立職した。 1941 年に日本聖書教会村井監督・上井・川崎・大田・長島牧師 の呉兄弟の家に伝道所が開設され、五十嵐夫妻がそれぞれ長老、 らが台湾に渡り、本会を視察した結果、村井・上井の両牧師が受洗。 執事に按立された。集会は土曜日、担当は五十嵐、村田長老は巡 本会の教義を日本に持ち帰って、新旧の信徒に本会の合法的な洗礼 回伝道者として指導協力ことになった。 を施し、その他の典礼を本会に則って挙行した。1942 年に村井は 2、東京教会設立 本会を離脱して別に「イエス之御霊教会」を設立した。ところがペ 1952 年(昭和 27 年)6 月、郭順命長老が台湾の真イエス教会 ンテコステ教会村田牧師が台湾に渡って受洗し、家族と共に台湾に より派遣された時、東京伝道所で村田、五十嵐、呉との四者で協 居住し、長老に立職して伝道に従事することになった。 議し次の事を決めた。 1945 年 8 月、第二次世界大戦終結に伴い、翌 1946 年、須田と ① 早急に東京教会を設立すること 村田及び同霊併せて 44 名は台湾を引き揚げて故国に帰り、各地に ② 軽井沢の夏季聖書学校と南条の保育園とは当分の間継続 すること 分散し居住することになった。 1 ③ 1953 年に軽井沢で信徒総会を開催すること 来日し、各地教会を巡回伝道して適切な指導助言をされた。日本文 同年 8 月、呉清志(呉夫人)は軽井沢の夏季聖書学校参加中に受 の機関誌月刊「霊の糧」の他に、 「真イエス教会の信仰」 「聖書教理 洗、受霊した。9 月に東京多摩川で呉昭昌、宏昌と大橋、小川少年 問答」「福音叢いのちの言」等の刊行、聖工者の育成、日台教会交 4 名が受洗し、洗足、聖餐式を挙行した。 流の深刻、基本金等は、この時の協議に負うことが多い。 同年 10 月、村田長老の勧めを受けて東京教会を設立した。設立 1963 年 10 月、日本教団を「日本総会」と改め「真イエス教会日 日を 1953 年(昭和 28 年)10 月 1 日、所在地を東京文京区神田多 本総会」と改称。 町 2 丁目 8 番地とし、職務分担を教務、庶務を五十嵐長老、財務 1970 年(昭和 45 年)9 月、臨時大会開催、新教団設立、基本金 を五十嵐執事と呉姉妹とした。財政については信徒の自由献金、感 と伝道資金、主管者を代表理事と改名する事などを決議。1971 年 謝献金、特別献金とし、巡回伝道には交通費の実費を負担すること 10 月、総会規約を大幅に改正した。この時点に於ける教会は、東 とし、その他は全面的に台湾教会を模範とすることにした。 京、大阪、住吉、熊本、前橋、南条の六箇所となった。 1981 年 5 月、真イエス教会国際連合総会規約により日本総会と 二、聖工の進展 しての業務を中止し、暫時連合総会の「直属伝道区」の方法により 1、概況 終戦から 8 年が経過し、敗戦の痛手が徐々に回復してきた頃、世 事務処理することとなり、今日に至っている。1984 年 11 月、現在 相は平常の方向に進み、国際情勢も次第に好転の兆候が一般民衆に の教会は東京、大阪、住吉、前橋の四箇所。伝道所は羽曳野、住吉 も感じられるようになってきた。 川、住之江等である。 1953 年(昭和 28 年)8 月、日本教団設立。軽井沢の夏季聖書学 なお、台湾教会で按立されて帰還した長老、執事の村田、須田、 校に於いて信徒総会を開催。日本教団を設立し、村田、須田、戸沢、 戸沢夫妻等は終戦後の多くの困難と戦いながら聖工に尽力したが、 上井の四長老と戸執事を自給伝道に委嘱した。5 年後の 1958 年 1 残念ながら志と違って強勢の興隆をみることなく、相次いで召され 月にこれを改組し、教団規則を制定して「真イエス教会日本教団」 ていった。また国内で立職した上井、豊島、南平、藤田、森嶋長老 と改称し本部を大阪市住吉区南加賀町 178 番地に置いた。当時の と宮内執事等も賜物に応じて福音伝道に挺身しつつ次々と離世し 教会は上平、南条、前橋、筑後、東京、大阪、の 6 箇所、伝道所は た。後に残っている私たちの責任はまことに重大と言うべきである。 坂出、神戸、植田の三箇所であった。 2、東京教会 設立日:1953 年(昭和 28 年)10 月 1 日 1961 年 7 月、楊約翰、林従道両執事が台湾総会から派遣されて 2 所在地:東京都文京区神田多町 2 丁目 8 番地(呉博司方) 68 年、台中の呉衛生が来日の都度安息日礼拝に参加するようにな 1953 年 5 月、台中教会の郭淑卿、神学校留学のため来日、宗教 ってから、台湾やマレーシアの教会の信徒の訪問が次第に増加する 教育を担当する。 ようになった。 1955 年 5 月、上井長老、大阪より東京都世田谷に転居し、巡回 同年 8 月、軽井沢の夏季聖書学校から帰って綿貫とく、元田梢と 伝道に従事する。 和代の三姉妹受洗。 1965 年(昭和 40)10 月、元田剛受洗。オルガン購入(32,000 1956 年 6 月、呉博司、病気離世により教会所所在地を東京都杉 並区下井草 5 丁目 13 番地 21 号(当時の神戸町 51 番地)に移す。 円)。 1968 年 6 月、日本語の「真イエス教会賛美歌」の略符を本符に 1957 年、郭淑卿帰台。集会所を神田より上井長老宅に移す 1958 年 9 月 21 日、日本教団設立。設立総会に呉清志、上井ト 直し、歌詞を増補して「真イエス教会賛美歌」を印刷(20 万円) し、大阪、住吉、前橋、南条、熊本等の教会に贈呈した。 ミ代表として出席。 1961 年 7 月、楊約翰、林従道両執事が台湾総会から派遣されて 1965 年 1 月に台北教会・林敬恩、2 月に台中教会・郭永生が留 来日し、各教会を訪問伝道して終戦後の台湾教会の躍進と現状につ 学生として来日。郭は 71 年、台北教会・黄菊芬と教会で結婚式を いて紹介し、有効適切な指導助言を行った。求道中の元田積枝、藤 挙げる。 田栄治郎(平信徒教会の責任者)、増谷の 3 名が受洗した。これで 同年 8 月、五十嵐夫妻台湾の平地、山地の教会五十余か所を訪問 信徒は 2 桁の 11 名となる。続いて特別礼拝と洗足、聖餐式を行っ し、その盛況に目を見張る。所惑を機関誌「霊の糧」に発表する。 た。以後安息日礼拝は教会で行うこと、上井長老宅の集会所は存続 1970 年(参考:大阪にて万国博覧会開催)、林従道執事来日を機 すること、伝道費として毎月定額を上井長老に支給すること等を決 として日本総会臨時役員会を開き、施洗者の資格、総会規約につい めた。 て指導を受ける。11 月、福音叢書一「いのちの言」が台湾総会書 報社から発行、福音、教義、証言等を内容とした新書版 76 ページ 同年 9 月に台湾総会は日本各地に散在する信徒の霊修、福音の宣 もの。信者に配布し、文字伝道にも活用した。 伝、真理の高揚を期して、日本文機関誌月刊「霊の糧」を刊行した。 1971 年 8 月、原田紀夫、智子、広典、綿貫昌枝、元武久美真也 この送付を受けて信徒一人びとりに自己研修用と PR 用に 2 部づつ の 6 名受洗。台中教会・呉衛生、淑卿、雲龍、宝彩の 4 名永住の 配布し、教会としては文字伝道を開始した。 1962 年 4 月、嘉義教会の林啓霊、留学のため来日。これより先 ため来日(後日本に帰化)。 3 1972 年、日本語版「聖書教理問答」を台湾総会から送付された。 両国教会親善、第二回各国総会代表大会開催促進について協議した。 24 項目から成り、1項目について5つの問答で教理を解説する形 その後両者は教会訪問と在日韓僑の訪問伝道で来日、約一ヶ月滞在。 式で、ポケット版 28 ページもの。研修のテキスト、文字伝道等に 伝道者の責任を果たすために東京、前橋、大阪等の教会を訪問して 利用した。広島キリスト教会から百部の注文を受ける程であった。 指導助言、家庭訪問された。 また伝道するために必要として信者に配布した。続いて福音叢書二 8 月、第三回霊恩会開催。講道者林献生執事、鄭為真長老、禹約 「いのちの言」が送付されたので叢書一と同じように利用した。 翰執事、受洗・木村ふよ、原田光久、元田美絵、聖餐受領 36 名、 4 月にマレーシヤ、ユタ・キナバル教会の林民銘(台湾籍)が留 献金 53,000 円、記念撮影、愛餐懇談会等。 9 月、台湾総会郭順命長老来日。安息日礼拝の証言で、ご自分の 学生のために来日。 8 月に台湾総会楊約翰執事が教会訪問、指導に来日されたので、 教会協力についての基本方針を述べられる。後日郭長老、林執事を 研修会を開き、牧会、布教の方法、宗教教育、聖書研究、説教法、 囲んで懇談会を私学館で開いた(20 余名参加)、席上郭長老から「霊 教会論等について学んだ。その他霊恩会の開催(これが第一回霊恩 の糧」発行援助金を自弁するとの約束を得た。 1975 年(昭和 50 年)4 月、第二回各国総会代表大会が台湾総会 会)、教会堂建設委員会の結成、家庭訪問等についての指導を受け た。 で開催され、真イエス教会各国連合総会の設立をみた代表として出 1973 年、ユタ・キナバル教会林碧鳳(林銘仁の妹)留学のため 席した五十嵐は蔡牧夫執事の案内によって二回目の台湾東部教会 来日、機関誌「霊の糧」の発行を台湾総会より日本総会に移すこと の諸教会を歴訪した。その際、花連県の磯崎教会が僅か 17 名の信 になり、第 141 号以後の発行に関する業務を本教会が引き受ける 者によって立派な会堂に改築している現場を目の当たりにし、非常 ことになる。 に感動を受けて帰国、会堂建設に着手した。 8 月、第二回霊恩会開催。講道者村田長老、森嶋伝道、受洗者・ 9 月、「霊の糧」第三郵便物認可を得、発行所を東京教会に移し、 山崎利男、郭子謙、南朋子の 3 名、聖餐受領 32 名、感謝献金 47,500 発行人氏名を明記し、定価をつけた。(許可条件による) 10 月、第四回建堂霊恩会開催。講道者村田長老、五十嵐長老、 円、記念撮影、愛餐懇談会等。 1974 年 4 月、休んでいた宗教教育再開。5 月、呉雲龍・台中教 聖餐受領 24 名、感謝献金 42,880 円。建堂式:経過報告・元田積 会の林霊玉と結婚、教会にて挙式。7 月、日韓総会の役員会を大阪 枝、財務報告・五十嵐執事、講道、建堂五十嵐長老、祝福・村田長 で開会。韓国総会より鄭為真長老、理事長禹約翰執事の両名出席し、 老、献金 1,546,000 円。記念撮影、愛餐会。建築費約 310 万円。 4 1976 年 3 月、林献生執事来日、東京、大阪教会訪問伝道及び家 説、研究その他各般にわたって精力的に指導された。 1979 年 1 月、宗教教育再開。3 月、五十嵐夫妻は渡台の機会に 庭訪問をする。長野から村田長老を招いて特別集会をし、南条教会、 保育園等の現状について説明を聴取し、今後のことについて協議し 台湾各地教会を訪問し、旧交をあたためた。 8 月、原田元子、紀夫初めて台湾教会訪問。元子は全島一周した た。 8 月、賛美歌を増補して改定版を発行する(46 万円)。 時、行く先々の教会で信者はみんな本当の兄弟姉妹のようであった 第五回霊恩会開催。この時、台湾では伝道 50 周年記念の諸事業の と証した。高校一年生の紀夫は山地教会学生霊恩会に参加し、深い 為に多忙を極め、伝道者派遣は不可能な状況であった。台湾総会負 感銘を受けて帰国した。 8 月下旬、第八回霊恩会開催。講道者禹約翰執事、五十嵐長老、 責人林献生執事はあえて私人の立場でこの霊恩会の工作に来日し てくださった。講道者林献生執事、村田長老、森嶋伝道、受洗五十 受洗・河南知佳、呉郁恵、関道子の三名、感謝献金 90,900 円、記 嵐美知恵、郭慧美、呉正恵の3名、聖餐拝領 30 名、感謝献金 52,400 念撮影、愛餐会等。禹執事は大阪において在日韓国人伝道工作中で 円、記念取影、愛餐懇談会等。 あった。 1977 年 3 月、福音叢書三(いのちの言)発行。7 月、林銘仁、 1980 年(昭和 55 年)3 月、伝道者室改築。改築費用 130 万円。 8 月、第九回霊恩会開催。講道者謝忠光執事、受洗・桜田貞江、 碧鳳留学を終えて離日。 8 月、第六回霊恩会開催。講道者林献生執事、謝忠光執事、森嶋伝 聖餐受領 36 名、記念撮影、愛餐会等。他の教会、未信者 13 名。 道、受洗・柳沢千秋、聖餐 36 名、感謝献金 62,800 円、記念取影、 五十嵐執事は聖餐作る前、祈りのうちに白衣の方が現れ、その右脇 愛餐懇談会等。台湾、香港、マレーシア、神戸、大阪、京都等から 腹に真赤な血を見た。聖餐祝謝の時にも同じ姿が空中に現れたのを の参加者があり、小さい会堂ながらも満席の盛況であった。 拝し、涙が止まらなかった、と証した。 11 月、蔡牧夫執事が連合総会から派遣されてナイジェリア伝道 1978 年 9 月、第七回霊恩会開催。講道者林奉来執事、受洗・木 村茂、呉純恵、聖餐受領 32 名、感謝献金 54,800 円、愛餐会、記 へ行った帰路に、特別集会や研修会を開いて指導、励ましをされた。 念取影等。マレーシアの何重生執事の証:楊千代姉妹の通訳。台湾、 1981 年 4 月、陳四有伝道、石天送はイギリスより国際連合総会 に出席し、台湾よりの帰途教会訪問懇談した。 香港、マレーシア、神戸、大阪等からの参加者があった。 10 月、連合総会から派遣された楊約翰執事、林奉来執事はそれぞ 8 月、第十回霊恩会開催。講道者沈正憲伝道、五十嵐長老、聖餐 れ 2 週間ずつ安息日礼拝、特別集会、家庭集会、宗教教育、聖書解 受領 29 名、感謝献金 85,860 円、記念撮影、愛餐会等。台湾総会 5 沈正憲伝道は観光に来日中のところ、突然の要請に応じ、滞日期間 家庭訪問等各方面についての工作をし、信徒の学習、霊修に貢献す を延長して霊恩会を援助された。美和教会・林忠信執事、前田、栄、 ることが極めて多かった。 西岡執事等も参加された。 陳克忍長老(前台湾総会負責)夫妻ほか二名は観光のために来日、 11 月、屏東教会・陳建斌、留学のために来日。 安息日礼拝にて証をされ、また指導助言をされた。 台湾その他教会の兄弟姉妹の来訪者は年々増加し、この年は 40 8 月、第十一回霊恩会開催。講道者蔡牧夫執事、何玉玲伝道、聖 餐受領 36 名、感謝献金 名を突破した。 1982 年 3 月、台中教会・林翠玉留学のため、大同教会・邵鍚恩、 116,400 円、記念撮影、愛餐会等。本会以外の方 18 名の参加が 実技研修のために来日。 あった。元留学生林敬恩(在アメリカ、妻子と共に) 、林碧鳳(在 4 月、オルガン購入(30 万)。原田紀夫宗教教育担当。 コロンビア) 、韓国神学生禹城建、吉田とみ(元台湾籍)等の来訪 5 月、台湾彰化県諸教会の信徒 40 余名安息日礼拝に参加、会衆 もあった。 が会堂に満ち溢れた。礼拝後交歓会に移り、感想、懐古談、助言、 9 月、屏東教会・楊慈欣、留学生A陳建斌と結婚したので来日。 激励等多彩な集会となり親善に役立った。主の導きで長野県信濃町 10 月、林翠玉、宗教教育担当。 歯科診療所の中里信雄(埔里教会)が始めて来訪した。 この年の外国からの教会訪問者は 90 名程であった(彰化教会の 40 同月、呉衛生、淑卿、雲龍、霊玉、正恵、純恵、郁恵は日本籍を取 余名を含める)。 1983 年 4 月、林翠玉「霊の糧」編集委員となる。 5 月、国際連合 得、姓は呉(くれ) 、名は衛生、淑卿、霊玉は各々秀四郎、淑英、 れい子と改めた。 総会から派遣されて南洋での工作を終えた林献生長老は帰路の途 7 月、福音叢書四「いのちの言」を発行し信者と各教会に配布。本 中で東京に立ち寄り、疲労もいとわず 2 週間余り工作を続けられ 書は霊の糧の発行が我が国に籍されてから第 240 号でちょうど た。続いて謝忠光執事も帰路前に立ち寄られ、文字伝道「霊の糧」 100 号になるのを記念する意図のもとに刊行を企画したものであ などについて懇談した。 7 月、屏東教会・楊建章、妻蔡純慧同伴にて研修生として来日。 る。 下旬、蔡牧夫執事が国際連合総会より遣わされ、満 2 か月間主と 同月、原田紀夫は国際青年連誼会(東北アジア)第一期神学訓練班 参加(会場台湾大同教会、期間 7 月 24 日∼ 8 月 20 日)。 して東京、大阪の教会で精力的な工作を続けられた。東京教会では 安息日礼拝、霊恩会の外に特別集会、研修会、宗教教育、家庭集会、 6 8 月、五十嵐長老東北アジア宣教センター設立準備会議に出席 8 月、第十三回霊恩会開催。講道者西岡デボラ執事、五十嵐長老、 (会場台湾総会、8 月 17∼18 日)。ついで神学訓練班の実況視察、 聖餐受領 34 名、感謝献金 165,000 円、記念撮影、愛餐会等。 この夏は記録的な猛暑が続いたが、不思議なことに霊恩会の 3 並びに台湾を一周し各地教会を親善訪問した。 8 月下旬、第十二回霊恩会開催。講道者五十嵐長老、受洗・内田 日間は涼しくなり、暑さに煩わされずに真理を学ぶことができた。 宏之、蕭淑芳、関由美子の 3 名聖餐受領 36 名、感謝献金 116,400 また台湾からの留学生、研修生などの若い信徒が例年になく多く在 円、記念撮影、愛餐会等。 日しているので、恵み豊かな台湾教会の雰囲気が強く感じられた。 10 月、黄明仁、留学生として来日。 9 月、青年の動きが活溌になり、教会の奉仕について、台湾の留 中旬、謝順道長老は国際連合総会より派遣されて 16 日より一ヶ 学生、研修生から提案があり、早速実行に移した。即ち賛美歌の指 月間在日。東京、住吉教会、羽曳野、住吉伝道所、大阪教会等を訪 揮、安息日礼拝の一部分担、宗教教育教員の充実、宗教教育の献金 問伝道された。更に前橋教会訪問や八戸布を訪問して特別集会を開 奨励と献金箱の新設、余暇の利用一一森林公園での遠足とサイクリ く等、席の温まることがなかった。東京教会では安息日礼拝、特別 ング、芋掘り(10 月と 11 月)、接待関係の協力強化等。 集会、山上垂訓の連続講解、家庭集会、留学生研修生の激励等々良 10 月、呉雲龍総務係担当。 き工作をされた。 11 月、マレーシア教会・符桂珠、留学のため来日。マレーシア この年外国からの教会訪問者約 40 名。 教会一婦人より「日本人と結婚し青梅市に在住」の旨電話連絡を受 1984 年 1 月、原田紀夫「霊の糧」編集委員となる。 4 月、台湾板 ける。 この年 11 月末まで外国からの教会訪問者は約 50 名。 橋教会の陳瑞廷、碧霞の来訪により長女美妙が千葉県在住のことを 三、現況 知らされる。 1、所在地:東京都杉並区下井草 5∼13∼21 3 月、台南教会・黄聰銘は留学中の林翠玉と結婚し、黄聰銘も留 学のために 5 月来日。 2、名 5 月、讃美歌第三版改訂版発行(75 万円)。 称:真イエス教会東京教会 電話(03)390-2645 6 月、台中教会・楊美雅、留学生、黄明仁と結婚したので来日。 マレーシア教会・何俊才、留学のため来日。 8 月、楊慈欽、黄明仁を加え、4 名で宗教教育を担当。 7 3、建 物:会堂―椅子席 50 名収容。伝道室―20 ㎡。掲示板。 4、設 備:教卓、黒板、照明、暖房。 5、備 品:オルガン、扇風機、録音機、讃美歌、聖書、書籍、椅 あとがき 本教会は開設以来 33 年間に 34 名にパプテスマを施した。34 名 子、録音テープ、幻燈器、スライド等 。 6、聖職者:長老1、執事2、伝道者0。 から召天 4 名、転居先不明 3 名、アメリカ籍取得 2 名を差し引く 7、会務分掌:教務:五十嵐俊夫、総務:呉雲龍、財務:加藤清志、 と 25 名。これに南条教会で受洗した 3 名を加えた 28 名が本教会 五十嵐千枝子、接待:原田元子、呉れい子。 で受洗した。マレーシア教会で受洗した 3 名。信徒数 52 名から両 8、信徒数:52、内訳東京 19、埼玉 12、千葉 3、神奈川 5、長野 国教会で受洗者の和 31 名を引いた数 21 名が台湾教会で受洗した 5、新潟 2、その他 6。他に外国からの留学生、研修生 13 名(台湾 者である。 10、マレーシア 3 )。 真イエス教会は使徒教会を復興した真の教会である。それなのに 9、安息日礼拝:金曜 7 人∼10 人、土曜午前 15 人前後、午後 15∼ 東京教会の聖工の跡を省みると、その進展振りは使徒教会に比べて 25 人。昼食懇談等。 もなく、牛の歩みを如く遅々たるものである。私たちは心を一つに 10、宗教教育:土曜午後礼拝後。教員 4 名、1 クラス 8 人。 し、思いを同じくして、粉骨砕身をもって負荷の大任を全うしなけ 11、霊恩会:夏 1 回(本年は 13 回目)。参加者 97 名(3 日間累計 ればならないと改めてしみじみと感じる次第です。 未信者を含む)、聖養受領者 35 名、感謝献金 165,000 円。 12、特別集会:連合総合より伝道者派遣の際会催。 以 上 13、文書伝道:機関誌「霊の糧」毎月配布、郵送、福音叢書「いの 1948 年 12 月 10 日 ちの言」随時郵送。 14、外国教会の訪問者:ここ 2、3 年は急増し、40∼50 名にも及 ぶ。中には半月から 3 ヶ月近く滞在し安息日礼拝を欠かさない方も いる。顔なじみができたり、再会を喜ぶ者、旧情をなつかしむ者、 恵みを分け合うもの、励まし合う者等々があって、使徒行伝に言う 「よろこびと、まごころとをもって、食事を共にする」情景の再現 を思わさせることもしばしばである。 8 教務 五十嵐俊夫記
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