オーラル・ヒストリー研究の現状と沖縄研究におけるオーラル - Hi-HO

オーラル・ヒストリー研究の現状と沖縄研究 におけるオーラル・ヒストリー
熊本博之
An Oral History Review and Oral History in Okinawan-studies
Hiroyuki Kumamoto
<要約>
オーラル・ヒストリー研究の学問的現状につ いて、主に政治学、社会学、歴 史学におけ
る現状を紹介することを通して考察していく。 全体的な傾向としては、まず政 治学ではオ
ーラル・ヒストリーを手段としてみる傾向があ る。社会学、歴史学では、実証 主義的な従
来のスタンスに対するアンチテーゼとしてオー ラル・ヒストリーは位置づけら れており、
構築主義の影響を受けながら、語り手と受け手 の相互行為としてオーラル・ヒ ストリーを
捉える視点が主流になりつつある。最後に、沖 縄研究におけるオーラル・ヒス トリーの必
要性について私見を述べている。
<キーワード>
オーラル・ヒストリー、ライフヒストリー、構 築主義
近年、さまざまな学問領域においてオーラル ・ヒストリーを用いた研究が盛 んになって
きている。それに伴い、オーラル・ヒストリー をめぐる研究、すなわち、オー ラル・ヒス
トリーとは何か、オーラル・ヒストリーはどの ような方法でなされているのか 、なぜオー
ラル・ヒストリーを用いる必要があるのか、な どといった議論も、各分野にお いてなされ
て き て い る 。こ う し た 議 論 の 学 際 的・国 際 的 な 交 流 を 目 指 し て 、2003 年 に は 日 本 オ ー ラ ル・
ヒストリー学会が創設されている。
本 稿 で は 、こ の オ ー ラ ル・ヒ ス ト リ ー 研 究 の 学 問 的 現 状 に つ い て 、主 に 政 治 学 、社 会 学 、
歴史学におけるオーラル・ヒストリー研究の位 置づけを紹介していくことを通 して明らか
にしていく。その上で、オーラル・ヒストリー を沖縄研究に用いることの意義 について、
若干の私見を提示したく思う。
1 . 政 治 学 におけるオ ーラル・ヒ ス トリ ー研 究
政 治 学 に お け る オ ー ラ ル・ヒ ス ト リ ー は 、そ の 第 一 人 者 で あ る 御 厨 貴 に よ っ て 、
「公人の、
専 門 家 に よ る 、 万 人 の た め の 口 述 記 録 」 [御 厨 2002: 5]と 定 義 さ れ て い る よ う に 、 主 に 統
治機構としての政治の現場において、なんらか の政治的意思決定をしてきた、 ないしはそ
の過程に関係していた公人(例えば政治家や官 僚)が口述した証言を、広く一 般に資する
ために研究者が 記録し、公 開された ものである とまとめる ことができ る 1 。その目的は、
特定の政治的出来事に関わった当事者から証言 を得ることによって、その過程 や真意を明
らかにすることにあるといえ、政治史研究の方 法論としての意味合いが強い。 そこには、
日記や手紙などといった文書化されている一次 資料を重視している伝統的な政 治史研究に
対する異議申し立てという意図も含まれている 。また、日本における政治関係 資料の保存
体制の脆弱さや、行政資料などの文書管理・情 報公開体制の未整備を厳しく指 摘する意味
合 い も あ る [政 策 研 究 院 政 策 情 報 プ ロ ジ ェ ク ト 1998, 飯 尾 2004: 22]。
このように、政治学においては、オーラル・ ヒストリーは政治学研究のため の素材とし
て捉えられている。そのため、オーラル・ヒス トリーの成果物は、研究の中間 生産物とし
ての性格が強く、研究活動を支える役割を担っ ている。そしてそれは、研究者 によって再
構 成 さ れ た も の と し て 捉 え ら れ て い る 。つ ま り 、政 治 学 に お け る オ ー ラ ル・ヒ ス ト リ ー は 、
語り手の個人史というよりは、語り手と聞き手 である研究者との相互交渉のな かで生みだ
された記録であり、それが時間軸によって展開 されていくことが多いことをさ して「ヒス
ト リ ー 」 と 呼 ん で い る と 考 え る べ き で あ ろ う [ 飯 尾 2004: 23]。
それゆえに政治学においては、語り手である 公人によって語られたオーラル ・ヒストリ
ーの「正しさ」が重要になる。この点について 飯尾潤は、語り手から聞き手が 聞き取ると
いう手順と、それが後から検証可能だという点 に、オーラル・ヒストリーを資 料として見
た場合の積極的な意味があるとする。まず飯尾 は、当事者の回想録とオーラル ・ヒストリ
ーを比較し、回想録が他者に対する語りではな いために恣意性を拭い去ること ができない
ことと比べて、オーラル・ヒストリーの場合は 、不自然な語りに対しては聞き 手による再
質問の可能性があるし、また語り手の心理状態 を読みとること――例えば声が 小さくなっ
た、語尾を濁した、顔が上気してきた――によ って、語りの真偽をある程度は 感じ取るこ
とができるため、語り手による恣意的な変更を 抑制するという利点があると指 摘する。ま
たオーラル・ヒストリーの場合、報道関係者が 行う聞き取りや政治学者による 通常の聞き
取りとは異なり、聞き取った結果が、録音資料 やトランスクリプトされたテキ ストなどと
いった記録の形で残されるため、語られたこと を客観化して批判することがで きる。その
ため、語られたことを事実として受け取るか否 かについて、研究の段階で再び 判断するこ
と が 可 能 に な り 、 よ り 慎 重 な 手 順 を 踏 ん だ 検 証 が 可 能 と な る と 主 張 し て い る [i bid: 27]。
さらに飯尾は、文書資料と比べると、オーラ ル・ヒストリーの方が誤解を回 避できる可
能性が高いことを指摘する。完全な理解という ものがありえない以上、意思を 表明する主
体の認識と、その表明された意思を解釈する側 の認識とでは、ズレが不可避的 に生じる。
特に、文書資料の中にあらわれている主体の意 思は、一方向的な情報発信であ るため、受
け手による解釈のズレをコントロールすること ができない。これに比してオー ラル・ヒス
トリーの場合は、聞き取りという相互作用行為 を不可欠とするため、その聞き 取りの場に
お い て 双 方 の 誤 解 が 顕 在 化 さ れ や す く 、そ れ ゆ え に 修 正 も さ れ や す い の で あ る [ibid: 31]。
いずれにせよ、政治学においてオーラル・ヒ ストリーは、政治学上の研究目 的を達成す
る た め に 補 完 的 に 用 い ら れ て い る と い え よ う 。こ の こ と は 、政 治 学 に お い て は 、オ ー ラ ル ・
ヒストリーは目的ではなく、あくまでも手段と して捉えられていることを示し ている。ま
たそれゆえに、語り手のオーラル・ヒストリー から読みとられるのは、その語 り手のトー
タルな人間性というよりは、その語りが示す特 定の政治的な事実である。その 意味で政治
学におけるオーラル・ヒストリーの用いられ方 は、限定的なものであるという ことができ
よう。
2 . 社 会 学 におけるオ ーラル・ヒ ス トリ ー研 究
政治学におけるような限定的なオーラル・ヒ ストリーの利用に比して、社会 学ではより
包括的にオーラル・ヒストリーを活用している 。そのことは、社会学における オーラル・
ヒストリー研究が、ある社会構造内にいる個人 に照準を置き、個人がこれまで 歩んできた
人生全体ないしはその一部を全体的に把握した 上で、その個人の経験を通して 社会を描き
出 そ う と す る 生 活 史( ラ イ フ ヒ ス ト リ ー )研 究 か ら 始 ま っ て い る こ と か ら も 明 ら か だ ろ う 。
そこで焦点を当てられる個人は、多くの場合、 いわゆる「普通の人びと」であ る。かれら
の個人史は、自ら書き残すことも、他者によっ て書き残されることも、ほとん どない。そ
うした人たちの歴史を、かれらによって語られ る「口述の歴史」の聞き取りを 通して書き
残し、そこから社会を描き出していくことで、 個人の主観性をより多く取り込 んだ社会の
描出を目指したのである。
桜井厚は、社会学におけるライフヒストリー 研究を実証主義アプローチ、解 釈的客観主
義 ア プ ロ ー チ 、 対 話 型 構 築 主 義 ア プ ロ ー チ の 3 つ に 分 類 し て い る [桜 井 2002: 13-45]。
実証主義アプローチは、主にシカゴ学派の社 会学者たちがとっていた手法で ある(代表
的 な も の と し て [Shaw 1966])。 ラ イ フ ヒ ス ト リ ー が 科 学 的 で 客 観 的 で な け れ ば な ら な い と
する規範をバックグラウンドにしているため、 このアプローチでは、ライフヒ ストリー法
を 科 学 的 な も の に す る こ と が 求 め ら れ る 。具 体 的 に は 、ま ず 既 存 の 理 論 か ら 仮 説 を 設 定 し 、
調査地と語り手を選択し、仮説に基づいた質問 をし、その回答を検討して語り の内容にお
ける矛盾や不規則性、不連続性などを確定し、 仮説を検証したうえでライフヒ ストリーと
して作り上げ、支持された仮説を提示するとい う、仮説検証型の量的調査法の 手法に類似
した、演繹的な手順がとられる。
このアプローチでは、聞き手である調査者は 、ライフヒストリーは正しい、 真実の、妥
当な、首尾一貫した説明と解釈がなされるもの でなければならないということ を前提とし
て い る た め 、唯 一 に し て「 ほ ん と う の 」ラ イ フ ヒ ス ト リ ー を 描 き 出 そ う と す る 。そ の た め 、
別の個人からの聞き取りや記録文書などの資料 によって情報を補うことを通し て、妥当性
の高いライフヒストリーをつくりあげることが 求められる。
このように実証主義的アプローチでは、仮説 検証型の演繹的な手順がとられ るため、既
存の理論から導き出された仮説に基づいてあら かじめいくつかの質問を用意し ておいた上
で、聞き取りにあたることになる。これに対し て現在のライフヒストリー研究 では、こう
した演繹的な手法ではなく、聞き取ったデータ を検討してからカテゴリー化す る帰納的な
手法がとられるようになっている。これは、実 証主義アプローチが抱いている 、社会科学
者こそが社会と生活を説明することのできる十 分な知識をもっているのだとい う暗黙の前
提 へ の 批 判 で あ り 、語 り 手 の 主 体 性 を 尊 重 し よ う と い う 立 場 か ら う ま れ て き た 手 法 で あ る 。
こうした姿勢を共有しているのが、解釈的客観 主義アプローチと対話的構築主 義アプロー
チである。
まず解釈的客観主義アプローチからみていこ う。このアプローチは、ある特 定の社会集
団に所属する複数の個人のライフヒストリーを 聞き取り、個々のライフヒスト リーに含ま
れている記憶違いや曖昧な部分、あるいは嘘や ごまかしを選り分けながら、す べてのライ
フヒストリーに通底している事柄を析出し、そ れをその社会集団における社会 的現実とし
て捉えようという立場にたっている。具体的に は、できるだけ既存の概念や理 論枠組みに
とらわれないようにしながら、さまざまな個人 から自由なインタビューによっ てライフヒ
ストリーを聞き取り、それをもとに社会的現実 に関する一般化を帰納的に行う というプロ
セスがとられる。
語り手の選択は、主に、最初の語り手から次 の語り手を紹介してもらったり 、語りから
得られた情報を元に次の語り手に接触したりす ることによって語り手を選んで いく「雪だ
るま式サンプリング」という手法でなされる。 対象者の抽出は、対象となる事 例が理論的
に「飽和」したとき、すなわち、それ以上あた らしい対象者を追加しても新た な属性や関
連性が出現しなくなるまで続けられる。つまり 、インタビューを重ねて数多く のライフヒ
ス ト リ ー を 集 め て 帰 納 的 推 論 を 重 ね て い く こ と に よ っ て 、同 一 の パ タ ー ン が 現 れ る「 飽 和 」
の状態に達するという考えである。この立場に たつ研究としては、グレイザー &ストラウ
スの「グラウンディッド・セオリー」や、フラ ンスの社会学者ダニエル・ベル トーの諸研
究 が あ る [グ レ イ ザ ー & ス ト ラ ウ ス 1996, Bert aux & Bertaux, 1981]。
続いて対話的構築主義アプローチを紹介しよ う。このアプローチは、ライフ ヒストリー
の語りを、語り手があらかじめ持っていたスト ーリーをインタビューの場にそ のまま持っ
てきたものではなく、語り手とインタビュアー の相互行為を通して構築される ものだとい
う立場にたっている。これまでの2つのアプロ ーチでは後景化し、透明化され ていた調査
者の存在を顕在化させ、インタビューの場で語 られる語り手のライフヒストリ ーは、イン
タビュアー(調査者)との対話という共同作業 によって構築されたものである と捉えてい
る点が特徴である。
なお、桜井は、この対話的構築主義アプローチ に基づいて収集されるライフヒ ストリー
を、特にライフストーリーとよんで区別してい る。また、ホルスタイン&グブ リアムによ
るアクティブ・インタビューという手法は、こ の対話的構築主義アプローチに 立ったもの
で あ る [ホ ル ス タ イ ン & グ ブ リ ア ム
2004]。
以上、社会学におけるライフヒストリー研究 の3つのアプローチについて紹 介してきた
が、現在の社会学におけるライフヒストリー研 究の主流となっているのは、解 釈的客観主
義アプローチと対話的構築主義アプローチであ るといってよいだろう。特に、 構築主義の
立場にたち、調査者の存在を顕在化した対話的 構築主義アプローチは、よりラ ディカルな
手法として注目に値する。ここでは、インタビ ューの場において語られるスト ーリーは、
インタビュアーと語り手とによって作り上げら れた構築物であり、客観的な立 場から語り
を解釈するという調査者の特権性は否定される 。
だが、この対話的構築主義アプローチに対して は、構築主義に由来するがゆえ の批判が
ある。つまり、あらゆる語りは構築されたもの にすぎず、フィクションでしか ありえない
という批判である。これに対して桜井は、語り を成立させる2つの位相を、イ ンタビュー
の相互行為から成り立つ語り方の位相としての 「ストーリー領域」と、語られ た物語の位
相 と し て の「 物 語 世 界 」と に 分 け 、
「 ス ト ー リ ー 領 域 」で は 、語 り を 構 築 す る 主 体 は 調 査 者
と 語 り 手 の 相 互 性 に あ る が 、「 物 語 世 界 」 に お い て は 語 り 手 が 語 り の 主 導 権 を 握 っ て お り 、
それゆえに、語り手による語りは、際限のない 相対主義に陥ることなく、語り 手がインタ
ビューの場から一定の自律性を保ちながら、過 去を語ることができるとし、上 述の批判に
こ た え て い る [桜 井 2006a: 5]。イ ン タ ビ ュ ー の 場 に お い て は 、語 り 手 の 主 観 と 聞 き 手 の 主
観がぶつかりあうことによって語りが構築され ている。この2つの主観が、語 られた歴史
に 、固 有 性 を も た ら し て い る の で あ る 。
「 構 築 主 義 」の 前 に「 対 話 的 」と い う 修 飾 語 が つ け
られていることの意味は、その点にあるのだと いえよう。
ところで、桜井による分類は、インタビュー という「場」において語られて いるオーラ
ル・ヒストリーのみを対象としたものである。 これに対して、オーラル・ヒス トリーが語
られる「場」そのものに着目したアプローチも 、社会学からはなされている。
小林多寿子は、ピエール・ノラの「記憶の場 」という概念を用いて、日系ア メリカ人の
集合的記憶が継承される場において、オーラル ・ヒストリーが重要な役割を果 たしている
こ と を 明 ら か に し て い る [小 林 2006]。 小 林 は 、 ノ ラ を 引 用 し な が ら 、「 記 憶 の 場 」 を 、 人
間の意志もしくは時間の作用によって、なんら かの社会的共同体のメモリアル な遺産を象
徴する要素となったものを指すものと説明し、
「 記 憶 の 場 」は 、集 合 的 記 憶 が 表 象 さ れ る 場
であるとする。その上で小林は、第二次大戦中 にアメリカに住んでいた日系ア メリカ人が
収容されていた施設の1つ、
「 ミ ニ ド カ・リ ロ ケ ー シ ョ ン セ ン タ ー 」の 跡 地 が 、「 記 憶 の 場 」
として機能していること、そして、シアトルの 日系アメリカ人コミュニティが 組織したバ
ス ツ ア ー「 ミ ニ ド カ・ ピ ル グ リ メ ー ジ 2003」 に お い て 、収 容 さ れ て い た 時 代 の 記 憶 を 残 す
二世たちが、ツアーに参加した三世、四世に当 時の記憶を語り聴かせることに よって、日
系アメリカ人の集合的記憶が、その記憶を有し ていない三世、四世へと継承さ れていった
ことを描き出した。
二世の人たちにとって、ミニドカでの記憶は忘 れたい、思い出したくない記憶 であり、
それゆえにその記憶は、文章化されて残される ことも、自発的に語られること もあまりな
かった。そのような記憶であればこそ、このピ ルグリメージ(巡礼)のような 機会を設定
し、その場でオーラル・ヒストリーとして語る ことによって、記憶を表出し、 共有され、
継 承 さ れ な け れ ば な ら な か っ た の で あ る 。こ う し た 、オ ー ラ ル・ヒ ス ト リ ー が 語 ら れ る「 場 」、
記憶が継承される「場」に注目した研究も、社 会学ではなされている。
3 . 歴 史 学 におけるオ ーラル・ヒ ス トリ ー研 究
歴史学に おけるオー ラル・ヒ ストリー研 究は、フ ランスのア ナール学派 の社会史 や構築
主義の影響を受けながら、文献史学や文書史料 を中心としてきた実証史学に異 議を唱える
形で展開されてきたといえる。酒井順子は、イ ギリスの歴史学におけるオーラ ル・ヒスト
リ ー 研 究 の 発 展 に つ い て 、以 下 の 4 つ の 時 期 に 区 分 し て 考 察 し て い る [酒 井 20 06]。こ の 区
分をもとに、歴史学においてオーラル・ヒスト リー研究がどのように位置づけ られ、そし
てどのような貢献をしてきたのかを描き出して いく。
more history の時 期
こ れ は 、 1970 年 代 以 降 、 口 述 史 料 が 新 た な 史 料 と し て 見 直 さ れ 、「 声 を 残 さ な い 人 々 」、
すなわち一般の民衆や労働者、女性など、公的 な発言をする機会がほとんどな く、それゆ
えにその声を残す機会のなかった人々の声を聞 き取った時期である。この時期 には民衆史
や女性史のプロジェクトにおいて、盛んにオー ラル・ヒストリーが用いられて いた。もっ
とも「声を残さない人々」の声を収集する価値 は現在ではなくなってしまった ということ
ではなく、いまでもそうした人たちのオーラル ・ヒストリーを聞き取る研究は 蓄積され続
けている。
特に、運動としてのオーラル・ヒストリーの 起源を見ていく場合、この時期 における女
性 史 と オ ー ラ ル・ヒ ス ト リ ー の 関 係 は 重 要 で あ る 。1970 年 代 に は い っ て 急 速 に 興 隆 し た 女
性 史 に お い て は 、歴 史 に 残 り に く い 女 性 た ち の 声 を 収 集 し 、残 し て い く た め の 方 法 と し て 、
オーラル・ヒストリーが用いられてきた。女性 運動史を描き出すために、女性 運動で活動
していた女性たちのオーラル・ヒストリーが聞 き取られていったのである。な お、イギリ
ス女性史は、その後、次第に運動史から社会史 に関心を移していき、女性たち の日常生活
研究を進めるために、普通の女性たちを対象と したオーラル・ヒストリーの収 集が進めら
れていく。いずれにせよ、これまで音声として も、テキストとしても声を残す ことのなか
った女性の歴史を描き出すためには、オーラル ・ヒストリーを用いるよりほか なかったの
である2 。
こうしたオーラル・ヒストリーの聞き取りは 、大学の大規模プロジェクトと してもなさ
れ て い た 。 特 に バ ー ミ ン ガ ム 大 学 の 現 代 文 化 学 セ ン タ ー の 「 民 衆 の 記 憶 グ ル ー プ (Popular
Memory Group)」に よ る 民 衆 か ら の オ ー ラ ル・ ヒ ス ト リ ー の 収 集 は 、オ ー ラ ル・ ヒ ス ト リ ー
研究に大きな貢献を残している。かれらは、既 存の歴史学には限界があるとみ なし、歴史
学を民衆的な社会主義やフェミニストの運動に リンクさせていくべきだと考え た。そして
リンクさせるための手法として、オーラル・ヒ ストリーの収集がもっとも適し ていると考
え た の で あ る 。 こ の 点 を 強 調 す れ ば 、「 民 衆 の 記 憶 グ ル ー プ 」 は 、 既 存 の 歴 史 学 を 批 判 し 、
より政治的な目的をもつ歴史学の構築を目指し ていたということができるだろ う。
またかれらは、歴史家が扱う史料は、文書だけ ではなく、社会において構築さ れた過去
の感覚にあるすべてを含まなければならないと 考えていた。この立場にたてば 、アカデミ
ズムにおける歴史家だけでなく、過去の経験を もつすべての人が歴史家になり 得ることに
なる。つまり「民衆の記憶グループ」は、アカ デミズムにおける歴史叙述とは 違う、歴史
実践を求めていたのである。そしてそのための 手段として、かれらはオーラル ・ヒストリ
ーを用いたのである。
こうした、
「 民 衆 の 記 憶 グ ル ー プ 」の 既 存 の 歴 史 学 に 対 す る ラ デ ィ カ ル な 態 度 は 、そ の 後
もオーラル・ヒストリー研究のなかで継承され ていく。従来の歴史学が文献資 料に基づく
実証主義を旨としている以上、オーラル・ヒス トリー研究がそのような位置に ありつづけ
たことは、必然であったといえるだろう。
a nti-history の時 期
70 年 代 の more-history の 時 期 に お い て 、従 来 の 歴 史 学 の 限 界 を 乗 り 越 え る た め の 新 た な
手 法 と し て 用 い ら れ て き た オ ー ラ ル・ ヒ ス ト リ ー は 、70 年 代 の 末 頃 に は 、学 術 的 な 研 究 方
法として認知されるようになった。またこの頃 には、社会学や人類学などとの 、学問の垣
根を越えた学際的研究手法として、オーラル・ ヒストリーを発展させていくこ とが目指さ
れていた。この時期、オーラル・ヒストリー研 究者たちは、オーラル・ヒスト リーは従来
の歴史学とは異なる利点を持っているのか、オ ーラル・ヒストリーによって何 ができるの
か、などといった批判に応えるべく、果敢に従 来の歴史学に挑戦していった。
この時期の代表的なオーラル・ヒストリー研 究者であり、その後のオーラル ・ヒストリ
ー研究においても重要な位置に在り続けている のが、ポール・トンプソンであ る。彼は、
オーラル・ヒストリーのような口述史料を歴史 研究の史料として用いるにあた っての信頼
性 、 代 表 性 を 疑 問 視 す る 従 来 の 歴 史 家 か ら の 批 判 に 応 え る た め に 、 Th e Voice of th e Past
( 邦 訳 『 記 憶 か ら 歴 史 へ − オ ー ラ ル ・ ヒ ス ト リ ー の 世 界 』) の 初 版 を 1978 年 に 出 版 し て い
る 。彼 は 、現 存 す る 文 書 史 料 は 口 述 さ れ た も の を 書 き 記 し た も の で あ る 可 能 性 が あ る こ と 、
そしてさらに、そうではない文書史料であった としてもバイアスからは無縁で はないこと
を指摘し、それなのに口述史料のみが信頼性、 代表性を問われていることを批 判する。そ
のうえでトンプソンはさらに、オーラル・ヒス トリーだからこそ明らかにでき ることがあ
るということを、漁村の生活や老人の生活をオ ーラル・ヒストリーによって記 述すること
を 通 し て 示 し た [Thompson et al. 1983, Thomp son et al. 1990]。 こ の よ う に ト ン プ ソ ン
は、オーラル・ヒストリーを収集するだけに留 まらず、オーラル・ヒストリー がいかに学
問的研究方法として有効であり、有用であるか を、自らの研究成果を通して解 明しようと
してきたのである。
how history の時 期
こ の 時 期 で は 、史 料 の 構 築 過 程 が 強 く 意 識 さ れ 始 め る 。1990 年 代 に は い る と 、オ ー ラ ル ・
ヒストリーの欠点とされていたインタビューの 構築性を積極的に評価するよう な研究が現
れ始めた。また、語りのなかで出てくる思い違 いやファンタジーなど、それま での歴史学
では「間違った歴史」として削除、修正されて いたものを積極的に評価する研 究も出てき
た。その背後に、構築主義の影響を見ることは 容易であろう。
こ の h ow h istory の 時 期 に は い る き っ か け と な っ た の が 、 ト ン プ ソ ン と ラ フ ァ エ ル ・ サ
ミ ュ エ ル と に よ る 共 著 、 Th e My th s We Liv e By で あ る 。 こ の 本 の 最 大 の 特 徴 は 、 こ れ ま
でオーラル・ヒストリーの欠点とされてきた、 語り手の主観性を積極的に評価 したところ
にある。史料を歴史的事象の証拠として用いよ うとする実証主義的な立場から は、史料に
は客観性が求められるため、オーラル・ヒスト リーのような主観性の強い史料 は、より客
観性の高い文書史料を補完するものという程度 の扱いしかなされてこなかった 。これに対
してトンプソンらは、オーラル・ヒストリーか ら、語られたことの中にある「 事実」を読
みとるというよりも、なぜそのような語られ方 がなされたのか、なぜその語り が選ばれた
のかなどといった、語りの「意味」を読みとる べきであることを主張したので ある 3 。
このような構築主義的な歴史の解釈によって 、オーラル・ヒストリー研究者 は、個々の
オ ー ラ ル・ヒ ス ト リ ー を 生 成 す る 過 程 に お け る 構 築 の 在 り 方 へ と 関 心 を 向 け る よ う に な る 。
つまり、オーラル・ヒストリーは、聞き手と語 り手との相互作用過程を通して 構築された
ものであるということに自覚的になっていった のである。これは、社会学にお ける対話的
構築主義アプローチと同じスタンスであるとい えよう。
なおここで、この時期に位置づけられるべき 1つの重要な著作について紹介 しておきた
い。保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリ ー−オーストラリア先住民アボ リジニの歴
史実践』である。文字をもたないオーストラリ ア先住民アボリジニの歴史観を 問うべく、
アボリジニのオーラル・ヒストリーを聞き取っ た保苅は、かれらの語る歴史が 、いわゆる
「史実」とは異なっている場合があることに気 づく。例えば、自分たちのカン トリーに来
ているはずのないケネディ大統領が、かれらの 歴史のなかでは来たことになっ ている、と
いったようなことにしばしば遭遇したのである 。従来の歴史学であれば、こう したアボリ
ジ ニ の 語 り は 、「 間 違 い 」 だ と し て 、 修 正 さ れ る か 、 あ る い は 無 視 さ れ る 。 し か し 保 苅 は 、
「史実」と異なることをもって、アボリジニの 語る歴史を否定する権利はアカ デミックの
歴史家にはないと主張する。アボリジニが「ケ ネディが来た」といえば、ケネ ディはアボ
リジニの歴史においては「来た」のである。
保 苅 は 、こ の よ う な 立 場 か ら ア ボ リ ジ ニ の 歴 史 観 を 描 き 出 し て い る 。そ れ は 、オ ー ラ ル ・
ヒストリーという手法でしか把握できないもの であったし、語り手であるアボ リジニの主
観性を積極的に評価する、というよりも、全面 的に受け入れることによってで しか描き出
し得なかった歴史なのである 4 。
public history の時 期
イ ギ リ ス の オ ー ラ ル ・ ヒ ス ト リ ー 協 会 が 発 刊 し て い る 研 究 誌 に は 、 1 997 年 か ら パ ブ リ ッ
ク・ヒ ス ト リ ー の セ ク シ ョ ン が 設 け ら れ て い る 。パ ブ リ ッ ク・ヒ ス ト リ ー と は 、狭 義 に は 、
博物館における展示や史料の公開、パフォーマ ンスや映像による歴史の提示を 示す。オー
ラル・ヒストリーも、アーカイブ化などの形を とりながら、パブリック・ヒス トリーとし
て用いられ始めている。例えばイギリスでは、 ブリティッシュライブラリーの ライフスト
ーリー・コレクションや帝国戦争博物館におけ るオーラル・ヒストリー・コレ クションの
ような大規模なものから、各地域の公文書館に おいてもオーラル・ヒストリー ・コレクシ
ョンが設けられている。
この、オーラル・ヒストリーのパブリック・ヒ ストリー化の背景には、歴史を 、専門歴
史家のあいだだけで議論するのではなく、広く 社会に還元していく必要がある という、こ
れまでのオーラル・ヒストリー研究の進展の中 で培われてきた思想があるとい えよう。
4 . オーラル・ヒ ス トリ ー研 究 の全 体 的 な 傾 向
以上、政 治学、社会 学、歴史 学の分野に おけるオ ーラル・ヒ ストリー研 究の歴史 、およ
び現状について考察してきた。ここで、各分野 における傾向をまとめることは しないが、
その代わりに、オーラル・ヒストリー研究の全 体的な傾向についてここで簡単 に触れてお
きたい。
社会学の項で中心的に取り上げた桜井厚は、
『 日 本 オ ー ラ ル ・ヒ ス ト リ ー 研 究 』創 刊 号 の
特集「今日のオーラル・ヒストリー研究」に向 けた「特集の言葉」において、 オーラル・
ヒストリー研究の歴史には、今日まで引き継が れている2つの大きな変化があ ることを指
摘 し て い る [桜 井 a 2006]。
まず1つ目は、
「 歴 史 の 主 体 」を ど こ に 求 め る か と い う 認 識 の 違 い に 応 じ た 、オ ー ラ ル ・
ヒ ス ト リ ー の 対 象 者 の 変 化 で あ る 。オ ー ラ ル・ヒ ス ト リ ー の 方 法 が 初 め て 確 立 さ れ た の は 、
戦後すぐの頃のコロンビア大学だが、そのとき の主要な語り手は白人男性エリ ートであっ
た 。そ れ が 60 年 代 後 半 、公 民 権 運 動 の 興 隆 な ど に よ っ て 政 治 状 況 が 大 き く 変 化 し た こ と に
より、白人男性中産階級中心の歴史が見直され 、いわゆる「下からの歴史」の 構築が始ま
る 。そ こ で は 、普 通 の 人 た ち の 生 活 や 行 動 が 歴 史 を 構 成 す る 重 要 な 要 素 で あ る と み な さ れ 、
かれらが「歴史の主体」となることが認められ たのである。この、文章化され ていない日
常生活や私的な生活への関心は、文字文化から 排除されてきたアフリカ系アメ リカ人への
関心へとつながり、かれらマイノリティの歴史 が、インタビューを通したオー ラル・ヒス
トリーとして取り上げられるようになっていっ た。このように、オーラル・ヒ ストリーの
対象者は、エリートである要人から、文字を持 たないマイノリティへと移行し ていったの
である。
もう1つの変化は、科学的なものの見方につ いての方法論的な転換に関係し ている。客
観 的 で 実 証 主 義 的 な 見 方 に 対 し て 、言 語 論 的 、物 語 論 的 な 見 方 が 登 場 し て き た こ と に よ り 、
オーラリティ(口述性)の持つ価値の見直しが なされたことである。桜井は、 このことに
よ っ て 、従 来 の オ ー ラ ル・ヒ ス ト リ ー の 方 法 論 に 重 要 な 変 化 と 論 点 が も た ら さ れ た と い う 。
それを列挙すれば、①1つの歴史的真実を探求 するという立場だけでなく、歴 史には複数
の現実やストーリーが存在しうるということが 認められてきたこと、②オーラ ル・ヒスト
リーが聞き手と語り手の相互作用によって構築 される側面があること、③聞き 手である調
査者のポジショナリティが問われるようになっ たこと、④プライバシー保護な どの調査倫
理が厳しく求められるようになったこと、⑤オ ーラル・ヒストリーの公表や保 存(アーカ
イブ化)が課題となってきていること、となる 。
こうしたオーラル・ヒストリーに対するスタ ンスの変化は、オーラル・ヒス トリーを手
法として用いている各領域において、概ね反映 されているようである。オーラ ル・ヒスト
リーそのものへの関心が低い政治学においても 、こうした変化がおこっている のだという
こ と に つ い て は 、 了 解 さ れ て い る [御 厨 2004] 。
5 . 沖 縄 研 究 における オーラル・ヒ ス ト リーの意 味
それでは 最後に、ま とめにか えて、沖縄 研究にお けるオーラ ル・ヒスト リーの意 味につ
いて、若干の私見を述べておきたい。
まず沖縄には、語り継がれるべき記憶がある 。もちろん、沖縄戦の記憶であ る。一般住
民を巻き込んだ日本で唯一の地上戦であり、軍 人だけでなく、多くの民間人の 命が奪われ
た沖縄戦の記憶は、さまざまな形で語り継がれ ている。公的なものとしては、 沖縄県平和
祈念資料館やひめゆり平和祈念資料館などでの 語り部による直接の語りや語り の展示があ
るし、琉球弧を記録する会による「島クトゥバ で語る戦世」のようなドキュメ ンタリー作
品もある。また、日常の生活のなかで、沖縄戦 を体験した方たちが、当時のこ とを語るこ
ともあるだろう。さらに、沖縄戦を経験してい ない人たちによっても沖縄戦の 記憶は語ら
れる。平和教育の授業を通して教師が語ること もあるし、修学旅行生や観光客 に戦跡を案
内する「平和ガイド」によって語られることも あるのである 5 。
だが、これらの沖縄戦の語りを、オーラル・ ヒストリーとして聞き取り、解 釈し、記録
し て い く こ と に は 、問 題 点 も あ る 。ま ず 考 え ら れ な け れ ば な ら な い の は 、
「聞き手−語り手」
関係の複雑さである。本土の人間が沖縄戦体験 者から当時の話をうかがうのと 、沖縄県民
がうかがうのとでは、話の内容も、口調も、大 きく異なってくるであろう。特 に、本土の
人間に対して、日本軍が沖縄県民に対して何を してきたのかを語る場合には、 語り手も聞
き手も、その非 対称な構造 の中に取 り込まれざ るを得ない 6 。こうした ことを考え れば、
オーラル・ヒストリーを解釈する際に、聞き手 である調査者の存在を透明化す ることは、
大きな誤解を生む危険性があるということが、 はっきりとわかる。
また、方言の問題もある。沖縄戦の語りに限 ったことではないが、沖縄の言 葉(ウチナ
ーグチ)で語るのと、標準語、あるいは現代の 沖縄弁ともいうべきウチナーヤ マトグチで
語るのとでは、どうしてもニュアンスに大きな 差異が生まれる。その意味で「 島クトゥバ
で語る戦世」の製作は、沖縄の若い世代でさえ 、沖縄の言葉が使えない、聞き 取れないと
いう人が増えているなか、ひじょうに重要な試 みであったといえよう 7 。
なま
口述による語りは、文章による表現と比べる と、手順が1つ少ない分、より 「 生」の感
情が現れやすい。それだけに、沖縄戦の悲劇は 、語りによって伝えられるべき であろう。
語り手の高齢化により沖縄戦の記憶が日々失わ れているいまこそ、オーラル・ ヒストリー
の収集、およびアーカイブ化による記憶の継承 が図られなければならない。
もちろん、沖縄戦以外にも、多くの残してい くべき記憶、記録は、沖縄にた くさん眠っ
ている。米軍統治下における生活の有り様、基 地反対運動の経験、復帰前後の 社会変化、
現在も続く米軍基地問題などなど、枚挙にいと まがない。このことは、それだ け沖縄が、
苦難の歴史を担い続けてきたことの証でもある 。二度とその苦難の歴史を繰り 返さないた
めにも、歴史は、口述による語りを通して、記 録として残し、これからの世代 に受け継が
せなければならない。
また本稿では詳しく触れなかったが、近年、 オーラル・ヒストリーは口述に よる語りの
みならず、踊りやパフォーマンスなど、文字に よらない表現方法による歴史の 語りまでも
含めた、広義の概念へと変わりつつある。その ことに鑑みれば、琉球舞踊や組 踊りなど、
沖縄独自の文化芸能の記録、保存もまた、求め られているといえよう。
このように、沖縄を研究する上で、オーラル ・ヒストリーという手法はひじ ょうに有用
である。それゆえに、語りの構築性や聞き手− 語り手の相互作用ないしは非対 称性などの
問題を意識しながら、調査倫理にのっとったう えで、広く、深く、歴史を掘り 起こし、残
していくことが、沖縄研究者には求められてい るのである。
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政 策 研 究 院 C.O.E.オ ー ラ ル ・ 政 策 研 究 プ ロ ジ ェ ク ト
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上野千鶴子
1998『 ジ ェ ン ダ ー と ナ シ ョ ナ リ ズ ム 』 青 土 社
例 え ば 元 文 部 事 務 次 官 、木 田 元 の オ ー ラ ル・ヒ ス ト リ ー を 記 録 し た [政 策 研 究 院 C.O.E.
オ ー ラ ル ・ 政 策 研 究 プ ロ ジ ェ ク ト 2003]や 、 元 防 衛 施 設 庁 長 官 、 宝 珠 山 昇 の オ ー ラ ル ・ ヒ
ス ト リ ー を 記 録 し た [ 政 策 研 究 院 C.O.E.オ ー ラ ル ・ 政 策 研 究 プ ロ ジ ェ ク ト 2005] な ど 。
2
上 野 [1998]に も 、 女 性 史 を 巡 る 歴 史 が 詳 述 さ れ て い る 。
3
もっとも、すべてのオーラル・ヒストリー研 究者がこうしたラディカルなス タンスに
立 っ て い る わ け で は な い 。例 え ば ロ ー リ ー・マ ー シ エ は 、
「 書 き 手 は 読 者 に 文 脈 や 意 図 、そ
れ に 意 味 を 理 解 し て も ら う た め に 、必 要 上 口 述 資 料 を 書 き 換 え な け れ ば な ら な い 」[マ ー シ
エ 2006: 5]と 述 べ て お り 、語 り 手 の 語 り を 、聞 き 手 で あ る 研 究 者 が 修 正 す る こ と に よ っ て 、
よりわかりやすい形に構成し直す必要性を主張 している。
4
な お 保 苅 氏 は 、 本 書 の 原 稿 を 書 き 終 え て す ぐ の 2004 年 5 月 に 32 歳 で 逝 去 さ れ た 。
5
戦 跡 観 光 や 、平 和 ガ イ ド に よ る 沖 縄 戦 の 語 り に つ い て は 、北 村 [2004]、北 村 [2006]に 詳
しい。
6
井 上 雅 道 は 、 井 上 [2002]に お い て 、 琉 球 大 学 の 三 人 の 教 授 に よ っ て 書 か れ た 、 在 沖 米
軍基地の存在を積極的に評価する「沖縄イニシ アティブ」を巡る論争を考察す るなかで、
「日本である沖縄」と「日本でない沖縄」とが 、基地問題を通してあらわれて こざるを得
ない構造的な状況を描き出すとともに、自らの フィールドワークの場において 、沖縄戦を
体験した人から、日本人である井上の父親たち が沖縄に対して何をしたのか考 えないのか
と問われ、うろたえたまま沈黙してしまった経 験を吐露している。
7
文 章 化 さ れ た も の と し て 、 琉 球 弧 を 記 録 す る 会 編 [2003]が あ る 。
1