日本ラカン協会第 15 回大会プログラム

日本ラカン協会第 15 回大会プログラム
日時 : 2015 年 12 月 13 日(日) 9:00∼18:00
場所 : 専修大学神田校舎7号館 731 教室(3F)
(〒101-8425 東京都千代田区神田神保町 3-8)
 水道橋駅(JR)西口より徒歩 7 分
 九段下駅(地下鉄/東西線、都営新宿線、半蔵門線)出口 5 より徒歩 3 分
 神保町駅(地下鉄/都営三田線、都営新宿線、半蔵門線)出口 A2 より徒歩 3 分
大会参加費 : 無料
1. 研究発表 9:00∼12:15
(発表時間 30 分、質疑応答 15 分)
9:00-9:45 日高直保(上智大学大学院総合人間科学研究科心理学専攻)
「ラカンと現象学 ――「転移」をキーワードに」
司会: 福田肇(樹徳中高一貫校)
概要:ラカンはセミネール Ⅷにおいて、 「転移」概念を主題的に扱った。そこではラカンは
転移を「奇数性ー不等性」(disparité)と規定し、転移を「間主観的」(intersubjectif)な現象と据え
る考えを退けた。しかし、そのことは転移にたいする現象学的アプローチをすべて反故にする
ということを意味するのだろうか。私たちは、
「間主観性」を排し「奇数性-不等性」によって
理解されるような転移のラカン的概念を明らかにしたうえで、現象学的方法がなおも転移とい
う現象を記述する余地を残しているかどうかを問いたい。
9:50-10:35
三宅由夏(東京大学大学院人文社会系研究科)
「前エディプス期の政治性——ジャメイカ・キンケイドの初期作品を読む」
司会: 福田大輔(青山学院大学)
概要:ジャメイカ・キンケイド(1949- )は、カリブ海のアンティーガに生まれ、渡米後に執筆活動を
始めたポストコロニアル文学作家として知られている。とりわけ初期の作品には、前エディプス期
が極度に理想化されたかたちで記述されており、
「母娘関係」につよく執心する作家の痕跡がみられ
る。本発表では、散文詩集『川底に』から長編小説『わたしの母の自伝』にいたるまでの初期作品
における、前エディプス期の政治性について明らかにしたい。
10:40-11:25
萩原優騎 (東京海洋大学)
「精神分析家の万能感?――ラカン派の社会分析への疑問」
司会: 平野信(こころの分析室・北小田原病院)
概要:ラカン派の精神分析の観点から現代社会の諸相を論じる研究が、日本でも多く見られ
るようになった。それらの研究は、精神分析の視点によって明らかになる事柄を示し、さらに
問題解決の方途も示しているという点で、一定の意義はある。しかし、倫理学や社会学におけ
る各種の先行研究との関連で見た場合、疑問を抱かざるを得ないものも散見される。そのよう
な疑問が生じる理由と、そこに見られる問題点を検討し、今後の可能性を展望する。
11:30-12:15
久保田泰考 (滋賀大学保健管理センター)
「反復・エントロピー・転移—あるいは、健忘と死の欲動について」
司会: 磯村大(金杉クリニック)
概要: 50 年代のラカンは反復について「転移の経験の歴史へ向かう時間性」” la temporalité
historisante de l'expérience du transfert”と語っている(Ecrits, P.318)
。反復が無意識を基礎づけると
すれば、純粋に反復のみによって構成される転移関係はありえるのか?こうした問いを、ドゥ
ルーズ「差異と反復」第二章《死の本能、対立と物質的反復》を参照しながら、以下のような
SF 的思考実験に接合し、考察を試みる:
「エロスとムネモシュネとの相関関係」la corrélation
d'Eros et de Mnémosyne にとって代わる、
「健忘症に陥った記憶なきナルシシックな自我」un moi
narcissique sans mémoire, grand amnésique としてのサイボーグと、「愛なき脱性化された死の本
能」un instinct de mort sans amour, désexualiséを印付ける精神療法家の関係はどのようなものか。
2. 昼休み
12:15∼13:00
*この時間に理事会が開催されますので、理事の皆さんはご参集ください。
3. 総会
13:00∼14:00
① 議長選出
② 会務報告… 論集刊行に関する報告など
③ 決算(2014/2015 年度)審議
④ 予算(2015/2016 年度)審議
⑤ 次年度活動計画について
※ 役員会選挙開票
役員選挙投票は総会開始時(13:00 時)まで
4. シンポジウム 14:00∼18:00
日本ラカン協会 2015 シンポジウム
「欲望機械」と「欲望の弁証法」─ガタリ、ドゥルーズ、ラカン
司会 : 立木康介(京都大学)
「ガタリ=ドゥルーズ――『アンチ・オイディプス草稿』をめぐって」
提題者 : 佐藤嘉幸(筑波大学)
「『差異と反復』と『アンチ・オイディプス』における欲望の概念」
提題者 : 財津理(法政大学)
「ラカンにおける「欲望」とその「対象」:
「エディプス」的布置とその再編成」
提題者 : 原和之 (東京大学)
各提題 40 分、議論・質疑応答 5 分
※ なお、大会終了後、有志による懇親会を予定しております。
お時間に余裕のある方は、こちらの方にもご参加ください。
日本ラカン協会
第 15 回大会シンポジウム
「欲望機械」と「欲望の弁証法」─ガタリ、ドゥルーズ、ラカン
12 月 13 日(日)14:00-18:00
専修大学神田校舎7号館 731 教室(3F)
司会
立木康介(京都大学)
提題者
佐藤嘉幸(筑波大学)
財津理(法政大学)
原和之(東京大学)
1972 年に出版されたジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著『アンチ・オイディプ
ス』は、フランスの精神分析、とりわけ、当時、事実上それを代表していたラカン派精神分析
に、かつてない衝撃を与えた。ガタリは長年にわたるラカンの「生徒」であり、そこから放た
れた批判は、1950 年代以来ラカンとその実践がつねに晒されてきた、敵対者たちからのあから
さまに政治的な批判とは異なり、ラカン理論のたしかな読解に裏打ちされた文字どおり内在的
な批判だったからだ。いや、フランソワ・ドスが指摘したとおり、
『アンチ・オイディプス』
は
「ラカニスムが抑圧してきたものの暴力的な回帰」だったとすら言えるかもしれない。ラカン
による「フロイトへの回帰」は、
「無意識は言語のごとく構造化されている」という名高いテー
ゼに要約される。それは何よりも、
「欲望」をシニフィアンの構造のなかで、この構造の「法」
に即して、捉え、読みとることを教える。ドゥルーズとガタリのねらいは、ラカンによって欲
望に課されたこの「象徴的決定」の枠組みを、件のテーゼごと吹き飛ばすことだった。こうし
て、
『アンチ・オイディプス』において、欲望はその本性上シニフィアンから解放され、あらゆ
る物質のあいだを自由に運動する「流れ」として捉え直される。同時に、
「無意識」もまた言語
の構造とはほんらい無縁なマシン、法にしたがって何かを意味し「表象」するのではなく、欲
望の流れそのものにほかならない「生産」をひたすら行うマシン、すなわち「欲望機械」とし
て定義し直されるのである。
ドゥルーズとガタリがラカニスムにつきつけたこうしたアンチテーゼに、ラカンとその弟子
たちはどのように答えたのだろうか。残念ながら、
『アンチ・オイディプス』の著者たちと精神
分析家たちのあいだには、対話ではなく、断絶だけが残されたように見える。ラカンはこの著
作にたいして口を閉ざし、
『アンチ・オイディプス』出版以前には大いに賞賛していたドゥルー
ズの名すら二度と口にすることがなかった。ラカン周辺の分析家の多くは、
「欲望機械」や「ス
キゾ分析」をほとんど真面目に受け取らず、反対に、精神分析家としてのガタリの実践を中傷
するキャンペーンをはった。精神分析はこうして『アンチ・オイディプス』にいわば出会い損
なったのである。この状況は、今日でも大きく改善されたとはいいがたい。
本シンポジウムがめざすのは、それゆえ、この空白を僅かでも埋めることにほかならない。
立てられるべき問いは無数にある。1950 年代にラカンが構築した「欲望の弁証法」の理論は、
「欲望機械」の概念とまったく両立不可能なのだろうか。欲望機械の概念的ルーツがフロイト
の「部分対象」とラカンの「対象 a」にあることは明らかだが、ドゥルーズとガタリが『アン
チ・オイディプス』に取り組むのと同じ時期に、ラカンがこの「対象 a」をめぐって進めてい
た新たな理論構築の局面は、
『アンチ・オイディプス』といかなる関係をもつのだろうか。ラカ
ンの最も忠実な「生徒」のひとりだったガタリが、ラカンに明白に離反する著作を世に送り出
すに至ったのは、いかなる理由によるのだろうか。そもそも、
『アンチ・オイディプス』を共同
執筆したふたり、我が国ではしばしば「ドゥルーズ=ガタリ」などと表記されてきたふたりは、
同書に表された思考をすみずみまで共有していたのだろうか。そして、資本主義と家族/エデ
ィプスコンプレクスの関係を内在的に捉える鋭利な視点をもたらした『アンチ・オイディプス』
から、今日の精神分析はいかなる教えを汲みとるべきだろうか。
本シンポジウムでは、これらの問いに一線の研究者とともに臨み、ドゥルーズ、ガタリ、ラ
カンそれぞれの立場が絡み合う対話と議論を試みる。これは、逝去 20 周年を迎えたジル・ド
ゥルーズへの、私たちの協会からのオマージュでもある。
−提題概要−
ガタリ=ドゥルーズ─『アンチ・オイディプス草稿』をめぐって
佐藤嘉幸(筑波大学)
本発表は、フェリックス・ガタリがジル・ドゥルーズとの共同作業『アンチ・オイディプス』
のために準備した『アンチ・オイディプス草稿』を読解し、ガタリ、そしてドゥルーズ=ガタ
リに固有な「分裂分析[schizo-analyse]
」の試みの意味を考察する。その考察を通じて私たち
は、
「分裂分析」というガタリの理論が、ラカン的な構造主義的精神分析理論へのオルタナティ
ヴとして、
「機械」
、
「横断性」といった概念を導入しつつ、
(1)権力の内面化によって確立さ
れる超越論的主体を廃棄し、それに代わるまったく新たな集団的主体性を生産すること、
(2)
さらにはそうした集団的主体性の生産に基づいて、ヒエラルキー的支配なき横断的社会を実現
すること(
「切断」としての社会革命)
、を探求するものであったことを明らかにする。また、
その過程で私たちは、ガタリがドゥルーズに影響されつつ書いた論考「機械と構造」
、そしてド
ゥルーズがガタリに影響を与えることになる『差異と反復』
、
『意味の論理学』をも分析対象と
し、ガタリとドゥルーズの相互的影響関係を明らかにすることを試みる。
*
『差異と反復』と『アンチ・オイディプス』における欲望の概念
財津 理(法政大学)
『差異と反復』における欲望(désir)の概念を明確化するに際して、いったん、ドゥルーズ
が言及している二つの著作、すなわちラカンの「治療の指導とその能力の諸原則」
(邦訳『エク
リⅢ』所収)における欲望とフロイトの『科学的心理学草稿』における願望(Wunsch)を参
照し、さらに『マゾッホとサド』において「死の欲動」から区別される「死の本能」の意味(超
越論的原理)を考察し、こうして『差異と反復』における部分欲動と部分対象のドゥルーズに
よる解釈を検討しながら、
「無意識は欲望する」という記述における欲望(désir)の概念の特
徴を際立たせる。
『アンチ・オイディプス』における欲望の概念に関しては、ラカンの「存在欠
如(manque à être)
」やプラトンにおける欲望の概念と比較しながら、
「欲望には何も欠如し
ていない」あるいは「欲望する生産」という表現の意味を考える。ところで、アルトーの器官
なき身体は、すでに『意味の論理学』でラカンの寸断された身体との対比で捉えられており、
『アンチ・オイディプス』においては、欲望する生産は、器官なき身体との対比で、生産の生
産、つまり欲望する機械だとされている。ここから、
『アンチ・オイディプス』における欲望の
概念の特徴を明確化し、
『差異と反復』における欲望の概念と、
『アンチ・オイディプス』にお
ける欲望の概念との連続性と差異を考察する。
*
ラカンにおける「欲望」とその「対象」
:
「エディプス」的布置とその再編成
原 和之(東京大学)
欲望についてその「弁証法」を考えるということ、それは欲望を主体と〈他者〉の「言語」
的な関係において考えるということであり、
「知」との関係において考えるということである。
こうした観点からラカンが 1950 年代に前エディプス期とエディプス期を総合した「エディプ
ス(l’Œdipe)
」の再定式化を試みた際、まず問題となった「対象」とは、主体が知ることを欲
望する〈他者〉の欲望の対象、すなわちファルスであり、想像的なファルス(φ)であった。
ファルス(φ)を主体が〈他者〉を介して解決しようとする問題のいわば「未知数=x」とし
て考えるこの構想を出発点として、ラカンは「エディプス」をこのxの探究の過程として捉え
直そうとするわけだが、この「エディプス」との関わりにおいて「対象」には複数の水準が区
別される。まず「エディプス」の出口において「父の名」の効果として成立する、将来的な贈
与の対象としての象徴的なファルス(Φ)の水準。さらに「エディプス」をめぐる議論のなか
で、ラカンは人間の欲望に、身体的な満足の対象に向けられた「欲求」
、
〈他者〉
(の欲望)を対
象とする「要求」
、そしてそのいずれとも異なる狭義の「欲望」の三水準を区別するが、とりわ
けこの狭義の「欲望」との関わりにおいて、
「対象 a」の水準が主題化される。この「対象 a」
はまず、
「エディプス」がその最外延を規定しているような、欲望の言語的=知的な分節化の
「外」に位置するものとして位置づけられたわけだが、のちにラカンがいっそう根源的な地点
から、すなわちそもそも欲望する〈他者〉を介して解決することが目指されていた問題である、
〈身体〉ないし「欲動」の水準から出発しつつその理論を再編しようとするにあたり、その議
論の中心を占めるようになる。本提題では、こうしたラカンにおける「欲望」とその「対象」
の問題の「エディプス」的な布置、および後期ラカンにおけるその再編成について、一定の見
通しを得ることを目指す。