ベ ルギ ー大会 を振 り返 つて 2名 の ぶ 選手 に 1 家 族 J T B添 電話03(3326)3333 て最 終 の調 整 を す る 人 も あ り 残 る お 名 の選 手 家 族 の大 多 数 は 少 な い滞 在 期 間 を 有 効 活 用 と ば か り美 し い 運 河 の街 ブ セ ルからグ ントを 通 ってブ ルー 乗 員 2名 計 “ 名 に 海 外 在 住 ジ エま で の約 一時 間 は 車 窓 ルージ エを訪閲 列車 でブリ ユツ 9名 に 及ぶ 大 選 手 3名 総 勢 5 集 団 で あ り そ の殆 ど の 団 員 の景 色 は 山 も 谷 のな い平 原 の 記念 ネ クタ イ が 員瀬 当 会 顧 問 よ り ま た青 森 よ り遥 々出席 さ れ た太 日尚 充 参 加 団 顧問 よ り自 著 の ﹃柔道 を 学 び つ つ 壺 己﹄ が贈 られた。 が 嬉 し い メ ダ ルと 楽 し い思 い 農 牧 場ば か り 一 二年 前 の フ ラ 原 を 思 い出 す 。 中 世 のま ま 時 が 止 ま った ﹁天 丼 のな い博 物 ン ス パ リ か ら ト ウ ー ルま で 道 院 ﹁ベ ギ ン会 院 ﹂ 次 い で 名 物 の シ ョ コラ を 試 食 し な が ら T C V で の 一時 間 余 り の大 平 訪 問 す る こと に 向 った のが 聖 母 教 会 。 多 く の 世 界 大 会 に参 し て いる が 、 6 3 日 の出 発 に 月2 先 立 って 行 わ れ 3 日 の結 団 式 た︲ に は 、 そ のご 紹 も 大 使 館 に表 敬 介 を お願 いし て 後 は 街 を 縦 横 に 流 れ る 連 河 嘆 は今 でも 忘 れ ら れ な い。 最 美 し い広 場 に 到 着 し た 時 の驚 界 遺 産 の マルク ト 広 場 ´ ﹂の の ﹁ 聖 母 子像 ﹂ が あ り我 々 の 心 を 引 き つけ て離 さ な い。 世 世 界 遺 産 に 登 録 さ れ て い る修 館 ﹂ と 称 さ れ る ベ ルギ ー 屈 指 の美 し い街 最 初 に 訪 れ た い る赤 門 柔 道 倶 楽部 小川郷太 ク 国大 使 と 駐 郎 前 駐 デ ン マー ア メリ カ合 衆 国 人使を退任され 日 本 プ ロ野 球 コ ヽ ミ ッ シ ョナ ー に れ つ つ少 々歩 き 疲 れ た 体 を 運 臨 席 の栄 を 戴 い あ ま た の世 界 遺 産 に 圧 倒 さ の音 流 れ る 賑 や か さ は な いが て の運 河 巡 り は ベ ニス の楽 に架 か る 橋 を 潜 って船 に 乗 っ 局 長 一族 郎 党 取 り仕 切 って健 在 。 本 年 の参 加 者 は 一三 〇 〇 人 程 と いう。 形 の登録 を 澄 ま し 入 広場確 認す る。 午 後 は 明 日 の形 の試 合 に 河 の風 が 癒 し て く れ た 。 更 に ご 就 任 さ れ たば た。 両大 使 には 備え て スポー ツセ ンター に残 っ か り の加 藤 良 三 氏 の お 二方 にご 嘉納館長より の 昔 は馬 車 街 道 で古 い建 物 が 迫 る軌 道 を 走 る 二両編 成 の レ ト ロと 呼 ば れ る路 面電 車 を 利 用 し て七 つ目 の停 留 所 で降 り キネ テイ ック スポ ー ツ セ ン タ ー ヘ。 相 変 わ ら ず リズ 事 務 建 築 様 式 が 混 在 す る ″ mの教 会 の中 に は ミ ク ラ ンジ エ ロ作 加 す る時 は い つ 4日は形 の登録. 6月 2 出 を胸 に凱旋 しま した。 会 長 野 口宏 水 ﹃生 涯 柔道 を 通 し て草 の根 外 交﹄木年第 Ю回はEU ヨー ロツ パ の新首都ベ ルギー ブ リ ュッ セ ル ベー、 の呼 び 掛 け に応 じ 2名 に及 て参 加 さ れ た のは 4 ‐ヽ 表彰式 の前に全員で Fl∼ 9の 試合) 11、 (M5∼ 大会 2日 日 ‐鬱 》F = 一 ヽ マ≒ ` r'´ ,)‐ ヽ ` ァ 資 宏 早 生 :3讐 │ L_壁墨 http://Ja耐 a hpJnfoseekcojp/ 1 東京都 世 1谷 3301 「 :谷 区沐 マス ターズ 1 ― ― ― ― ― -1 │= 9月 1日 2008年 く 日本 マ ス ター ズ柔道 ● 会報 2008年 9月 1日 」MJA― News 第 7号 日本 マスター ズ 柔 道協 会 T157-0063 駅 ま で の途 中 立 ち 寄 った 酒 場 ′拶 ″ ″″″″ ″´″ ″ 加 え て 又 帰 り の電 車 で混 雑 し て立 ち 続 け を 余 儀 な く さ れ でのベル ギービール もまた忘 れられな い。 ・ 試合 0 9 “級 6 6筵級 3 7 ●級 0 9 ●級 0 6 セ級 ” t級 “ L級 “咤級 Ы ヽ級 η 咤級 男子 硼蛇級 ● ヽ級 mn級 “ k級 m n級 & L級 譴 セ級 割 咤級 mt超 7 5 嗜級 ら セ級 2 M H 太 口尚充 8 o 大 矢 秀 昭 O M l 7 0 高橋勘卜 7 M ︲ 6 M 0 森本唯之 7 ︲ 永 島 健次 郎 η M 9 ︱宏水 η M 9 野︱ 鬼 柳 一字 “ M 8 6 M 8 福 富 勝忠 6 5 M 8 鈴木 治雄 6 佐 藤 満憲 M 8 M6 M6 M7 M8 M8 M9 M 9 M Ю 0M7 高 橋 富 ■男 6 7 M 6 中 村 茂晴 5 女■ 長崎 拮 子 F 7 金 男子 6 安 河内 浩 7 2 杉 原 尚 7 山本 健夫 2 7 勝 呂 イ 6 9 毛 利 修 6 4 清家 春 夫 6 7 L 木 保男 5 久 保雅 昭 田 男子 4 M 9 0 セ級 岡 田庫 二郎 7 6 福 盛 口立 明 ﹁ M 8 mt級 6 M 8 0 “級 相 田盛良 6 6 3 内藤 純 7 6 M 8 7咤級 7 ︲ 大 塚治 城 6 8 M 8 ●級 5 M 8 ︲鼈級 西久 保博 信 6 8 ︲に級 諸 山 和美 O M 7 8 0 M 7 3k級 片桐消司 6 7 山本 健夫 ″ M 9 無 差 別 1 │、 暉 一 6 :夕 で公 ″ 形 ^ 取● 受左︶ 女 〓 済 田千 並希 長 崎桂 子 ス の形 女 子 供 山悦 子 大森 千草 古 式 の形 男 子 清 水 工敬 清家 春 夫 女 子 投 山悦 ■ 大森 千 草 工 の形 女 子 横 山悦 子 大森 千 草 ス の形 ■ の形 男 子 永 島 健 次 郎 銀 人矢秀 昭 場 子 内 藤 純 杉 原 尚 男 子 安 河 内 浩 杉 原 尚 女 子 済 田千 五 希 長 崎社 子 級 長崎社子 銅 女 子 済 口千 五希 開 合 式 に お い て グ ラ ンド マスタ ー チ ャ ンピ オ ン ︵ 金メ グ ル累 積 5個 以L ︶ に 頭 彰 楯 が 贈 ら れ ま した. 日本 人 では次 の三選 手. 人矢 秀 昭 高 橋 勘 十 ︱ 宏 水 野︱ ) 大会 11日 形の表彰式の後で (後 列 鎧姿は 3種 目の形企てで金の横 山 大森両選手 │ の の 形 │ ● た が 年 寄 り と て席 を 譲 って く れ る ど ころ か 集 団 で 大 人 ま が い の乱 痴 気 騒 ぎ の悪 ガ キ 高 校 生 か ら ︵日本 の高 校 生 は 未 だ コレ ほ ど の悪 は いな いと 妙 のは国重総監督 のみではな い!︶ 内 藤 杉 原 両 ン ル バ ー メダ 見 舞 の電 話 を 戴 き 感 動 し た リ スト に よ る 柔 の形 を 更 に 元 全 日本 の国 重 敏 明 総 監 督 を 剣 舞 を 並 び に清 家 春 夫 副 団 4世 西 久 保 博 信 元 グ ラ イ ラ マー 警 備隊指導 官 によ る ﹁日本 刀﹂ ご 夫 妻 始 め 館 員 長 の皆 様 に は 大 使 公 邸 を 訪 問 し て 大 使 い﹂ は マ スタ ー ズ と て変 り は な い。 翌 7 日 は 剛日 厳 し い暑 き 2 , に外 人若 手 マ の中 水 も 取 ら ず 来 日 片 桐 両 常 務 理 事 と プ ル 国重総 監督 へ ﹁ 林 です ﹂ と 思 いも かけ ず に大 使 閣 下 よ り お へ。 ﹁ 安 部 一郎 先 生 の会 ﹂ カ キ ー 会 長 の友 人 ミ ルズ 館 長 の 久 し振 り に 見 る 日 本 伝 統 の 林 特 命 全 権 大 使 を マス タ ー 6 し ズ 一行 4 ぞ 得 至 芸 に感 動 さ れ て いた。 そ れ れ 獲 た 名 大 使 館 に別 れ を告 げ 次 は メグ ルを 胸 に 公 邸 に表 敬 訪 問 。 ﹁ 精 力 善 用 自 他 共 栄 ﹂道 場 ︵こ の 日夜 一人 病 室 に い た グ ン大 学 中 央 病 院 に 見 舞 う 。 長 夫 人 板 東 峰 二 三 名 取 に よ る マ 午 後 2時 在 ベ ルギ ー 王 国 舞 を そ れ ぞ れ 披 露 し ても ら い 症 に 罹 り救 急 車 で入院 さ れ た スタ ー ズ の寝 技 の挑 戦 に 熱 中 聞 った の は 云 う ま で も な い。 ﹁ 勝 って嬉 し い 負 け て 悔 し 体 の全 て を 出 し 切 り 更 に 条 道 発 祥 の 日本 人 の誇 り を 一杯 に り 。 今 ま で鍛 錬 し て来 た 心 技 形 と 試 合 の結 果 は 別 掲 の通 帰 る のに往 生 した も の であ る。 ク シー で ヒ ルト ンホ テ ルま で 手 前 の 駅 で降 り て し ま い タ に 安 心 ︶ 早 く 逃 げ 出 し た いと 思 つた 故 か 半 数 以 上 が 二 つ 大会 2日 口 M7 100kg級 で 金 の 高橋 富 ■易選 手 (4試 合全て 1本 勝 、抜詳 の技 の冴 えで会場 を唸 らせ た.銀 :ド イ ツ 銅 :ド イ ツ フランスの 各選手) │ の 形 形 金 投 銀 日 銅 柔 9月 1曰 2008年 く 日本 マ ス ター ズ柔道 > 会報 大使館公邸 の庭で (中 央 白の洋 装 の方が林人使令夫人 ) カ シも 効 果 な し。 仕 方 が な い 第 十 回 世 界 マスタ ー ズ 受 i逗ネ七段による演技は堂 々 と し て 大 拍 手 を 受 け る。 老 若 世界 マスターズ 古式 の形 ゴ ー ルド メグ リ スト =取 清 水 人 段 善 用﹂ ﹁ 自 他 共 栄 ﹂ の漢 字 が 書 か れ て張 り つけ てあ る。 れ ぞ れ の華 麗 な 生 涯 に 更 に 記 o 回 ベ ルギ ー か く し て 第 l 大 会 は 参 加 者 一人 一人 そ て シ ンガ リ を務 め た。 り 世 界 大 会 参 加 の感 想 文 を 投 と ころ 、 先 日 野 口会 長 様 よ ら ぬ ま ま 日 々を 過 ご し て いた よ り 帰 国 し て、 興 奮 が 冷 め や 大 会 に参 加 し 、 ベ ルギ ー 王 国 柔道 大 会 に参 加 し て 投 げ た り 投 げ ら れ た り で の交 文 で はあ り ま す が こ のよ う な の で清 水 毛 利 西 久 保 清 歓 稽 古 に マスタ ー ズ 全 員 張 チ ヤ ン ス は 二度 と な いだ ろ う 道 場 は ” 畳 ほ ど の広 さ で 周 囲 の壁 に は こ の道 場 名 ﹁ 精力 り 切 って汗 を 流 す 。 最 高 の 時 。 ブ レゼ ント 交 換 . 残 念 な 稿 す る よ う に御 指 示 頂 き 、 拙 第 十 回 世 界 マ スタ ー ズ 柔 道 ︵ 長崎県︶ 福 富 勝 忠 の は バ ス運 転 手 の労 働 時 間 と 思 い、 恥 も 外 聞 も な く 書 か ズ 柔 道 大 会 ﹂ の実 施 要 項 が 自 宅 へ送 ら れ て来 ま し た 。 訳 が [ 家 野 日の5人 の苦 労 人 が残 っ の規 制 で第 二道 場 で の交 歓 の せ て頂 く こと に致 しま した。 私 は今 迄 、 九州 柔道 高 段者 大会 、 全 国 柔道 高 段者 大 会 に 主 に 出 場 し て いま し た 。 最 近 で は、 日本 マスタ ー ズ 柔道 大 会 の、 第 二 回 埼 玉 大 会 、 第 二 回 岡 山大 会 、 第 四 回兵 庫 大 会 いる 矢 先 そ の時 に 漠 然 と 問 いて いた ﹁ 第 十 回世 界 マスター と年 を追 う ご と に成 績 が 上 昇 し て き た こと が 嬉 し く 思 って ― ― ― │ 1騰議 蟷 スタ ーズ 各 位 の勇 躍 参 加 を お 願 いして筆 を欄きます。 か く の機 会 な の で 頑 張 って み よ う と 思 い、 そ の後 は自 分 な 少 年 柔 道 は盛 ん です が大 人 同 り に真 剣 に柔道 の稽 古 に励 ん 士 が 練 習 す る道 場 は ほ と ん ど で参 りま した。 無 く、 私 も 小学 生 や 中 学 生 を 海 外 の試 合 に参 加 す る の は 相 手 に 練 習 を し て い る だ け で 初 め て で、 成 田空 港 に集 合 し し た 。 し か し 、 こ の大 会 に 参 た 時 から 既 に緊 張 し てお り 加 す る こと が 決 ま って か ら 、 他 の選 手 の皆 様 と お会 いし て、 悔 い の残 ら な いよ う に 、 道 場 頼 も し い先 輩 方 に囲 ま れ、 心 の若 手 に練 習 を 挑 み 、 近 所 の 強 い限り でした。 長 崎 西 高 校 の柔 道 部 に も 毎 日 意 の背 負 投 、 体 落 が 掛 か ら ず 通 い 稽 古 三 味 の 日 々を 過 ご し て来 ま した. 試合前 の二日間は IDカー ド を 作 成 し た り、 試 合 会 場 見 学 を した り、 形 の試 合 を 見 学 し た り し て いま した。 当 然 な 陰 で無 我 夢 中 で戦 う こ と が で 事 が でき ま した。 き 、 そ の結 果 金 メダ ルを 頂 く 場 し た 選 手 や 応 援 の方 々 のお 一緒 に 出 た 高 校 の柔 道 部 長 、 館 道 場 の仲 間 、 練 習 し て く れ 動 揺 し ま し た が 、 長 崎 の修 喩 決 勝 ト ー ナ メ ント で は 、 得 が ら練 習 も 行 い 紹 日先 生 、 来 田先 生 、 片 桐 先 生 方 と 共 に 柔軟 体 操 、 打 込、 投 込等 を 行 い、相当疲 れま した。 試 合 当 日 は、 待 ち 時 間 が 非 常 に長 く 感 じら れ 緊 張 の為 に何 も 食 べる こと が でき ず た だ 持 参 し た水 だ け を 飲 ん で 過 ご し て いる状 態 で した 。 午 後六時 から私が出場す る M8 6 ﹂ が始 ま り、 初 め て の外 国 6 人 と の試 合 に緊 張 と 興奮 で何 を ど う した のか覚 え て いま せ んが 、 何 と か 予 選 リ ーグ を 突 破 し た時 に我 に 返 り 此 所 に 来 る迄 の二 ヶ月間 の猛 特 訓 を 加 さ れ て い る 長 崎 県 の鵜 田先 生 に 電 話 し た と ころ 、 自 分 が 思 い出 し ﹁ 勝 ち た い﹂ と い 推 薦 し た と 言 わ れ驚 き ま した 。 う 気 持 ち が 沸 き 起 こ ってき ま 最 初 は 戸 惑 いま し た が せ っ した。 日本 の最西端にある長崎 は 分 か ら ず 、 そ の大 会 に 毎 年 参 ― 時 間 が 制 限 さ れ た こと . 接 待 担 当 のビ ト ー さ ん のオ ド シ ス 大 リ ン マ 第 マ い え 念 会 ま フ ス 5ス て な て と の し レ タ 回 夕 お 終 な 雲たFき 呆去警本1具 Iの 後 で ZITA KYCTEI道 場 で の 合 同 稽 プ リュ ッセ ル 9月 1日 2008年 く 日本マ ス ター ズ柔道 > 会報 9月 1日 日 本 マスタ ー ズ 柔 道 大 会 並 び に 世 界 マスタ ー ズ 柔 道 大 会 の企 画 立 案 運 営 を 行 わ れ た 役 員 の先 生 方 に 感 謝 の気 持 ち で 一杯 です 。 今 回 私 が 頂 い 8回 7回 6回 の マスター ズ 常 連 組 が ゴ ロゴ ロ、 昨 年 のブ ラ を ベ ルギ ー 大 使 館 表 敬 訪 問時 披露す る ことだ。 ジ ル サ ンパ ク ロの想 い出 話 舞 はと も か く 、 着 付 け の先 に花 を咲 かせ て いた。 生 に頼 る こと な く、 単 独 で羽 5歳 ∼ 9歳 ︶ 一︲ g 織 袴 を 纏 う こと、 演 目が徳 M8 ︵6 6 8k 以 下 の試合 出 場 はす んな り 決 川 光 日作 ﹁日本 刀を詠 ず ﹂ な ま った が ﹁ 形 ﹂ コンテ スト の の で模 擬 刀と は いえ ベ ルギ ー パ ート ナー 選び に は苦 労 した、 に持 ち 込ま な け れば な ら な い。 3 日夜 、 講道 館 地 下 1 何 故 かと いう と 世 界 マスタ ー 6月 1 、 し 一 ズ常 は ジ ュビ ア ど に て、 マス 連 組 試 合 申 込 み と 階 ター ズ の結 団 式 が 挙 行 さ れ た ご 主 人 は ア ル コー ルを 召 し 上 が ら な い の です か 千 葉 か ら , 参 加 の上 木 保 男 夫 妻 だ った ︲ 睫 に出 場 す るた め 未 M 6 ・8 だ 減 量 中 と の こと 、 そ れ は お 気 の毒 に ︰ と 話 し こ ん だ ら 、 私 の恩 師 、 故 松 川 哲 男 先 生 の 教 育 大 ︶だ った の で、 暫 後輩 ︵ く 先 生 の想 い出 話 に花 が 咲 い た。 6 ¨0分 ア ム ステ ル 現地時 間 1 3 ダ ム着 、 バ ス に てブ リ ュツセ ル ベ、 途 中 サ ー ビ ス エリ ヤ で 夕 食 、 ベ ルギ ー 最 初 のビ ー ル 2時 近 くブ を 2種 類 味 わ う 、 2 一向 に 暗 く リ ュ ッセ ル到 着 、 な ら な い、 自 夜 を 久 し ぶ り に 4 体 感 、 ホ テ ル で旅 装 を 解 き 2 時 就 寝 、 長 い長 い 一日 を 終 わ さ んと練 習、 居残 り特 訓中 のヽ ∞歳大矢 秀 昭先 生、 山本健 夫、 永島 健次郎先 輩と合流、 旅慣 れ た 両 先 輩 の案 内 でビ ー ルと 野菜 中心 の昼食 をと る。 5 日 8時 か ら ﹁ 6月 2 形﹂ の コ ンテ スト。 三 橋 西 久 保 組 は 五 つの形、護身術 ︵コー ロッパ で の呼称︶に出場 共 にメグ ル に届 かず 、 特 に護 身 術 では 私 の失 敗 もあ った が 、 講道 館 夏 期 講 習 会 第 一部 で顔 な じ み の 方 が審 査 員 であ った り、 カ タ 4日形 の部 登録 手続 き、 チだ け の当 身 、 小 手捻 り に連 6月 2 パ スポ ー ト、 柔道 着 持 参 で大 な る投 げ で はな く 、 小 手捻 り 会 会 場 へ、 日本 国 内 の大 会 運 体 落 と し気 味 の豪 快 な 投 げ 営 と は 比 べも のにな らな い、 腋 固 め の関節 が 決 ま って いる のんびり ゆ っく り、 マイペー こと を強 調 す る か のご と く 受 ワ ー ム﹂ と いう 掛 声 、 高 の ﹁ ス、 私 を含 め 日本 選 手 の半 数 がゼ ツケ ンな し の出場 とな る。 点 を獲得 した チー ム の特徴 に、 照 明 灯 の点 かな い会 場 で 三橋 採 点 基 準 はど う な って いる の かと ち ょ つぴ り 不満 を覚 え た が 、 鎧 を纏 つて の組 討 ち 、 古 式 の形 で清 水 ・清 家 組 、 女 子 の部 横 山 ・大 森 組 が 堂 々 の金 メグ ル、 審 判 を 納 得 さ せ る 形 ス υ. 左 三橋 さん 右 西久保 さん た、 御 指 導 と御 激 励 を これ か ら は 後 輩 達 に 引 き 継 ぎ た いと 思 つて お り ま す 。 本 当 に あ り が と う ご ざ いま し た 。 自 他 共 栄 世 界 マ スタ ー ズ 柔 道 大 会 に初 出 場 形 の部 、 講道 館 護 身 術 用 の道 具 です 。 これ は模 擬 刀 です ﹂ 警察 官 2人 が か り で刃 が つい て いな い こと を 確 認 、 更 に申 0分を 要した. 請書 の記載 に 1 H時 ∞分 K L Mオ ラ ンダ 航 海 外経 験 を 基 に ﹁ 形 ﹂ のパ ー ト ナ ー 届 を 同時 に済 ま せ て い るから。 形 ﹂ を演 じ た相 方 を 過去 ﹁ 一緒 に ベ ルギ ー ヘ行 き ま せ ん か ?と 口説 く よ り ︰ と 、 参 加 ︵ 神奈川県︶ 者 名 簿 を 見 せ て貰 い ﹁ 形﹂ の 講 道 館 発 行 、 月刊 柔道 に掲 エント リ ー を し て いな い横 浜 載 さ れ る世 界 マスタ ーズ 柔 道 市在 住 、 三 橋 英 夫 七 段 の自 宅 大 会 の報 告 記 ^ 野 口宏 水 会 長 ︶ に突然電話を いれた。 は毎 年 楽 し み に読 ま せ て貰 っ ﹁ 三橋 さ ん です か ?世 界 マ てき た が 、 第 Ю 回 目 に当 た る スタ ー ズ 大 会 で ベ ルギ ー に い 今 大 会 への参 加 申 し 込 み に踏 か れ ま す よね 、 私 も 申 込 を済 み 切 つた のは、 全 国高 段 者 柔 ま せた者 で西久 保 と申 します。 空 観 で空 路 、 ア ム ステ ルダ 便 0分 の長旅だ 、 ム ベ所要 n時 間 5 機内 サ ー ビ スの ビー ル、 フイ ンそ れ に セ キ ュリ テ ィチ ェッ ク終 了後 免 税 店 でブ ラ ンデ イ を購 入、 い つ飲 も う かと 周 囲 の様 子を 伺 って気 付 いた 、 隣 のご 夫 婦 ア ル コー ルを 飲 ん で いな い、奥 様 に そ つと聞 いた 、 西久保 博信 道 大 会 終 了後 の日本 マスタ ー 所 でご 相 談 な ん です が 、 折 角 ズ 柔 道 協 会 の懇 親 会 席 上 だ っ ベ ルギ ー ま で行 く ん です か ら ﹁ た。 形﹂をや りませんか ?﹂ そ の顔 ぶ れ に驚 いた ︱全 国 か く し て ﹁講 道 館 護 身 術 ﹂ ﹁ 高 段 者 大 会 で技術 優 秀 賞 を 受 五 つの形 ﹂ のチ ヤ レ ンジ が 賞 した 人 ら も 、 が ず り ︵ 5 人 ︶ 決 ま った。 人 段 の部 一本 勝 ち 常 連 の高 橋 私にはもう 一つの課題があ っ 勘 十先 生 も お ら れ る、 開 け ば た 、 そ れ は 所 属 す る ﹁ 無 双流 野 口会 長 のЮ年連 続 を筆 頭 に、 吟 道 会 ﹂ で修 行 中 の ﹁ 剣舞 ﹂ が、 席 上 予 行 を兼 ね た お披 露 目を無事済 ませた。 3 日 9時 、 成 田国 際 空 6月 2 港 、 お り から ﹁ 洞爺湖 サ ミ ッ ト ﹂特 別警 戒 中 ﹁ そ の細 長 い ケー スの中身 はなん です か?﹂ ﹁ 世 界 マスタ ーズ 柔道 大 会 、 く 日本 マ ス ター ズ柔道 > 2008年 会報 を や ら ねば と 反省 した。 6 日年 齢 別 個 人 試 合 6月 2 4歳 ︶3 峰ヽ m ﹂ヽ M 7 ︵∞∼ 6 7 私 が 出 場 し た M 8 割 峰 の 3 つの カ テ ゴ リ ー は 出 場 者 が 多 か った。 私 は 二回戦 で敗 退 した が 敗 者 復 活 戦 を 勝 ち 上 が り何 と か 銅 メタ ル ︵ 3位 ︶を 獲 得 、 正直 ホ ット す ると 同時 に来 年 の目 標が できた。 7 日午 前 中 ブ リ ュツセ 6月 2 ル市 内 観 光 、 午 後 日本 大 使 館 表 敬 訪 間 、 野 口会 長 の大 会 成 罐 績 報 告 に続 き、 銀 メダ ル獲 得 の杉 原 内藤 組 の柔 の形 が 抜 露 さ れ 次 い で、 私 が 徳 川 光 囲 作 ﹁日本 刀を 詠 ず ﹂ の詩 吟 に 合 わ せ剣 舞 を 清家 春 夫 令 夫 大使館公邸で剣舞を技露す る西久保 さん 9月 1日 2008年 く 日本 マ ス ター ズ柔道 > 会報 記念 撮 影 、 憲 法 広 場 、 アド ル な 顔 で懺 悔 、 大 公 官 の衛 兵 と そろ そろ 日本 食 が恋 しくな っ そ れ が金 ! 鈴木治雄 ︵ 千葉県 常務理事 ︶ 一勝 は し た い ! 人初 枝 さ ん の日本舞 踊、 全 選 手、 応 援 の奥 様 方 の紹介 広 大 な 庭 園 で の記念 撮 影 で行事 を終えた。 フ橋 を経 てオ ラ ンダ の古 都 マー 世界 マスターズ柔道 ベルギー スト リ ヒト ヘ、 古 い城 壁 や 歴 大 会 の案 内 を 受 取 り参 加 を 決 史 的 建 物 、 特 に 大 き な 川 の畔 め た時 は、 時 間 も た っぶ りあ に 面 した ホ テ ルが 気 に 入 った。 ると思 って いた のにも う 出発。 時 の経 つのは本 当 に 早 い。 今 ク セ ンブ ルグ 市 内 観 光 、 ノ ー ト ルダ ム 大 聖 堂 内 、 全 員 神 妙 0分遅れ でブリ ュッ 予定時間 3 セ ル市 内 のポ セイ ド ン流 柔道 ク ラブ ヘ、 こ の地 で指 導 経 験 を 持 つ毛 利 修 理事 の進 行 で 双方 責 任 者 の挨 拶 道 場 紹介 6 月 お 口朝 ブ リ ュッセ ルを 発 ち ルク セ ンブ ルグ ヘ、 途 中 人 にも感 動 を 与 え る絵 画 に 巡 博 物 館 では絵 画 に詳 し くな い 応 援 団 揃 って電 車 ︵ メ ト ロ2 号線 ︶ に て試 合 会 場 へ。 私 に と り世 界 マスタ ーズ に参 加 し 電車 で会 場 へ行 く のが 初 め て な のと 、 思 った よ り 乗 客 が多 く 混 ん で いた ので乗 り越 さ な いか少 々心 配 でし た が 会 場 に 無 事 到着 し ホ ッと しま し た。 今 ま で参 加 し た大 会 に 比 べ会 場並 び に稽古場 が 小さ い のと、 稽古 場 の暑 い のに は ビ ツク リ しま した が。 出 場 登録 を 済 ま 5 日 の体 重 測 定 を せ 又 6月 2 済 ま せ いよ いよ 試 合 本 番 の 日 を迎えま した。 認 し他 の選 手 を応 援 しな が ら 出番 を 待 つ。 小生 出 場 の階 級 は M 8 m 峰 マイ ナ ス、 会 場 は第 一試 合 場 、 出 場者 日本 選 0 手 6名 、 外 国 選 手 4名 、 計 1 名 のト ー ナ メ ント試 合 。 各 階 級 の熱 戦 が 続 き 、 予定 時 刻 を 6 日午 前 8時 に ホ テ ル 6月 2 を 出 発. メト ロ2号 線 に て試 合 会 場 べ、 組合 せ 及 び試 合 予 定時刻 ︵ 午 後 4時 予定 ︶等 を 確 間 で した の であ ま り疲 れ も 感 じず 現 地 時 間 午 後 9時 過ぎ 無 事 到 着 。 無 事 到 着 を祝 し先 生 国人選手 には ﹁ 効果﹂な ど の 僅 差 で負 け て いるだ け に、 今 マスタ ー ズ 大会 0勝 、 特 に外 約 1時 間 遅 れ 、 いよ いよ 小生 ︲ 聰級 の出番 と な る。 M 8 8 の第 1試 合 であ る事 、 又世 界 数 名 で軽 く 乾 杯 し、 初 日 は お と な しく 休 み 明 日以降 に備 え ス 一. 4 日午 前 8時 3 0分 ホ テ 6月 2 ル ロビ ー集 合 、 諸 手続 き 及 び 試 合 会 場 の下 見 を 兼 ね 、 選 手 のあ と 、 ク ラブ 側 責 任 者 の金 た の か 、 歩 道 に 接 し た テ ラ ス 年 は毎 回 ﹁ 形 ﹂ でペ アー を 組 でオ イ スタ ー で ワ イ ンを 楽 し み、 一緒 に参 加 し て いた 石 メダ ルを 受賞 し た清 水 ・清 家 組 の古 式 の形 が 見 た いと いう む 人 を 見 て、 7 人 全 員 一致 、 邑 勇 先 生 が 仕 事 で不参 加 と な リ ク エスト も あ り、 先 ず は全 こ のイ タ リ ア ン レ スト ラ ン に り試 合 のみ の参 加 で本 当 に残 員 で形 の見学 か ら スター ト、 入 る、 7人 で 6本 の フ イ ンを 念 でした。 続 いて交 換 稽 古 、 投 げ ら れ た 空 け る大 パ ー テ イー に な って 3 し ま った お 会 計 は 一人 あ た ら きち ん と受 け身 を と る、 す 梅 雨 のまだ 明 けな い 6月 2 な おな 柔道 だ !次 いでプ レゼ り 日本 円 で 1 万 2千 円 位 だ っ 日 ︵ 月 ︶ベ ルギ ー ベいよ いよ 出 ント交 換 で終 了、 ビ ー ル の国 た が 皆 満 足 気 の顔 を し て いた 。 発。 成 田空港 よ り空 路 オ ラ ン ベ ルギーだけに道場併 設 のビ ャ ダ 、 ア ム ステ ルダ ム空 港 へ、 0 日 ︵8 日 日︶朝 9時 出 ホー ル で軽 く 一杯 、 慌 た だ し 6月 3 そ こから ハイ ウ エー を バ スで 発 、 最 後 の宿 泊 地 ア ム ステ ル ベ ル ギ ー 、 プ リ ュ ツセ ル の く 次 の予定 が 有 り と 、 ク ラブ ﹁ヒ ルト ンホ テ ル﹂ へ約 1 1 を 後 に し た の は残 念 で あ った。 ダ ム ヘ。 一旦 ホ テ ルに 荷 物 を 降 ろ し た のち 市 内 観 光 、 国 立 時 間 の旅 でし た。 昨 年 のブ ラ ジ ルに 比 べれば 半 分 以 下 の時 古 戦 場 ワ ー テ ル ロー に ぽ つん た 、 夜 は 買 い物 に 疲 れ た 奥 様 新 宿 区 柔道 会 、 副 理事 長︶ ︵ 会 の団結 を 図 つた。 軒 を 梯 子 日本 マ スタ ー ズ 協 方 を 残 し会 長 以 下 m 数 人 で 2 り合 い、 運河 めぐ り は楽 しか つ と 書 え る ラ イ オ ン の丘 、 お び た だ し い戦 死 者 、 大 砲 そ の他 の兵 器 類 を 呑 み 込 ん だ 巨 大 な 0 盛 り 上 、 0 段 近 く の階 段 を 苦 3 2歳 の太 も な く 登 った 最 高 齢 8 口尚 充 人段 の体 力 に は恐 れ 入 っ た。 6 月 ” 日 ︵7 日 目γ主 削中 ル 先 生 、 大 塚先 生 よ り、 外 国 選 を 掛 け た と こ ろ あ っさ り 1本 6名︱ 大 上 先 生 が 9 l k 8よ り 等 級 に変 更 ︶ な の で ﹁1, 大 会 で何 と か 1勝 を の思 いが い で の参 加 し た のが ま さ か ま 2, 3位 ﹂ は 日 本 選 手 が 独 占 し よ う と の提 案 が あ り 、 小 生 手 4名 、 日本 選 手 5名 ︵ 当日 さ か の決 勝 に。 我 な が ら ビ ッ ク リ ビ ツク リ です 。 勿 論 周 囲 と と も に 一番 ビ ック リ し た の も妻 ではな いでしよう か。 連 勝 連 敗 の小 生 に いろ いろ アド バ イ スを し てく れ、 高 校 生 と の稽古 の場 を 提 供 し てく れ た 上 木先 生 に、 又、 一緒 に 稽 古 を し 形 に出 場 し、 力 に な つてく れ た 石邑先 生 、 両先 生 に心 よ り感謝 し報 告 を 終 わ ります。 間 の皆 さ ん と 参 加 し て 以 来 二 母と 娘 で ﹁ 投 の形 ﹂ 長 崎桂 子 決勝戦開始、審判 の ﹁ 始め﹂ の声 で両者 中 央 でし っかり と 組 合 う。 毛 利 先 生 左 組 手 、 小 生 右 組 手 のケ ンカ 四 つ、 毛 利 先 生 左 大内 を 掛 る、 それ を 受 ギ ー 行 か な い ?﹂ と 仲 間 の方 思 いが けな い ﹁ 優勝﹂ に 一 番喜 ん でく れ た のは妻 であ る 会 の全 国大 会 で二位 にな った 事くら いです。 私 と 娘 は 二人 で接 骨院 を し て いま す ので出来 る だ け毎 日 昼休 み時 間 に練 習 す る事 に し ま した。 六 月 に 入り 地 元新 聞 社 の方が取材 に見え て ﹁ まづ、 親 子 で出 場さ れ る事 にな った キ ツカケ は ﹂ ﹁ 形 の相 手 が , いな く て困 って いる 母 を み て 親 孝 行 の つも り で相 手 を しよ うと思 いました。 母 の足を引 っ ぱ ら な い様 頑 張 って メダ ルを 目指 し た いです。 ﹂ と真 っ先 に答 え て いる ではあ りま せ ん か。 娘 は パ リ に行 き た いから ついでにち よ こ っと ベ ルギ ー で ﹁ 形 ﹂ の相 手を し てく れ る も のと思 って いま した から 母 母絶 句 . 娘 に は 三歳 く ら い か ら 稽 古 着 だ け は着 せ てお り ま 達 が 一足先 に パリ観 光 に出 発 す る 日は夜 九時 迄 練 習 、 そ の 習 し て来 ま す。 お嫁 に行 き お 姑 さ んや 夫 に 子供 の事 、 仕事 も し て いる、 主 婦 と し て の家 事 も こな す 、 更 に ベ ルギ ー に 向け て人 ヶ月間殆ど毎 日練習、 休 日は午 前 と午 後 の 二回、娘 は 又 々絶 句。 ﹁ や っば リ ヤー メタ﹂ と いと も簡 単 に言 い出 さ な いか ハラ ハラ、 そ れ に し ち や注 意 を す ると素 直 に返事 はす る し出 来 な い所 は 一人練 し た が 彼 女 の成 績 と 言 え ば イ ン タ ー ハイ 出 場 と 柔 整 学 校 協 場外 と な り分 かれ る。 中央 に に 声 を か け て み ま し た が 良 い 座 り再度 組合 い正 面方 向 に動 返事 が 頂 け ま せ ん でした。 そ く、 毛 利先 生 が押 し気 味 に右 の事 を 娘 に話 し て お り ま し た へ動 い た と こ ろ 、 す か さ ず ら 突 然 、 ﹁私 が 行 く ﹂ と 言 い ﹁ 払 い腰 ﹂ ︵ 大 事 ︶を掛 け る。 出 し 、 ﹁エー ッ十 日 間 も パ パ 毛利先 生 の体 が フワリと浮き、 と 子 供 は ど う す る の ?﹂ ﹁二 人 共 連 れ て行 く ︱﹂ 思 わ ず 小生 の 1本 勝 とな り ﹁ 優勝﹂ が決ま りま した。 第 一回 よ り ず っと 出 て お り ま す 。 昨 年 姫 路 大 会 の折 ﹁ベ ル 度 日 で す 。 日本 マスタ ー ズ は 世界 マスターズ は フラ ン ス ト ゥ ー ル大 会 の時 女 子 柔 道 仲 ︵ 石川 県 理事 ︶ け 止 め 両者 組合 ったま ま 正 面 近 く ま でさ が る。 小生 も 足払 いな ど 小技 を 出す 、 毛 利先 生 が 釣 込 に来 た と ころ両者 正 面 来 ま せん で した。 分 が 入 って い る と は想 像 も 出 案 が 本 当 と な り 、 そ の中 に自 手 の メ ンパ ー を 見 た ら 自 分 な ど 論 外 と 思 って いた だ け に 提 も 勿 論 賛 成 し ま し た 。 日本 選 いよ いよ 決 勝 戦 、 対 戦 相 手 事 で し ょう。 の方 も 小 生 が こ こま で来 る こ と な ど 予 想 も し て いな か った 強 い の でかな り緊 張 が あ り ま と な り 勝 を 得 る。 あ ︱ 、 次 は し た。 小生 にと つて の 1回戦 、 決 勝 戦 1 1勝 出 来 れ ば と の思 相 手 選 手 は ド イ ツ の方 ︵ 氏名 不 明︲失 礼 ︶ 過 去 対戦 した 外 国 選 手 同 様腕 力 が 強 く押 さ れ 気 味 で した が、 ﹁ 受 け の試 合 はダ メ 、 先 に攻 め な け れ ば ﹂ と 上 木 石邑 両先 生 から 再 参 云 わ れ て いた の で、 少 し 攻 め に転 じ た 。 そ れ でも 攻 め が 遅 です 。 決 勝 戦 開 始 前 、 敗 者 復 は毛利 先 生 ︵ 七 段 ︶ 、 初 対戦 く 攻 め き れ な いま ま 2分 を 経 過 、 これ っで は いけ な いと 思 大 塚先 生 が 勝 ち 上 が り 両者 3 ベ ルギ ー大 会 への出 発 10 日前 の結 団式 にお い て、 毛 利 した。 1, 2 , 3位 の独 占 と な り ま 位 が 決 定 、 これ で 日本 選 手 の 活戦 が行 わ れ、 西久 保 先 生 、 い切 り ﹁ 大 外 刈 に 行 った と ﹂ ころ、上 手く掛 かり ﹁ 技 アリ﹂ そ のま ま ﹁ 袈 裟 固 め ﹂ に押 え 込 み 一本 勝 ち を 得 る。 世 界 マ スタ ー ズ 初 勝 利 ひ と ま ず 目 標 の 1勝 が 出 来 て ホ ツと し ま し た 。 続 く 2回 戦 は 西 久 保 先 生︵ 七 段 ︶ 、 諸 対 戦 な の で先 生 の ﹁ 技 な ど全 く 不明 でし た ﹂ 0秒 フ ル に戦 つて何 と が 2分 3 か優 勢 勝 を得 、 3回戦 へ進 む。 相 手 の方 は東 欧 の人、身 長 蜘 m余 の長身 の人、 長身 の人 は そ れ程 気 にな ら な い ので ﹁ 背 負 い投げ﹂ でポイ ントをと思 っ て組 み 合 った と ころ 、 た い し た 圧力 も感 じな いの で少 し余 0数 裕 が 持 てた。 試合 開始 後 2 秒 、 相 手 が スー ツと 右 に 動 い たと ころを透ず ﹁ 送 り足払 い﹂ 左 か ら毛利 鈴木 西久保 大塚 の 4選 手 9月 1日 2008年 く 日本マ ス ター ズ柔道 > 会報 抱 き パ パ は 沢 山 の荷 物 を 持 っ 後 深 夜 二 時 に 眠 って い る 子 を いる 娘 を 見 た こと が あ り ま せ 私 は今 ま で こ ん な に 頑 張 って て行 って いな い引 け 目もあ り︶ た い気 持 ち ︵ 新 婚 旅 行 に連 れ も あ り 参 加 を さ せ て いた だ き 回決 勝 で敗 れ た 多 少 の悔 し さ ::′ :::1[冒 し た 。 家 内 の ベ ルギ ー ヘ行 き は 心 の片 隅 に も あ り ま せ ん で 界 マスタ ー ズ 柔 道 大 会 の こと 得 す る こと が 出 来 ま し た が 世 ま し た 。 運 良 く 金 メダ ルを 獲 じや いな ア。 ﹂ と ポ ツリ ﹁ て中 部 国際 空 港 に向 け 出 発 し ん で し た 。 娘 に と つて こ の頑 て行きました。数 日後ブ リ ュッ 張 つた 経 験 が 良 い家 庭 づ く り セ ル で合 流 し競 技 が終 わ って に 生 か さ れ て いく よ う な 気 が み る と 大 き な ミ スも 無 く ﹁ し てお り ま す 。 娘 が 金 メ ダ ル 投 の 形 ﹂ 一位 ﹁五 の形 ﹂ 一一 位 を な が め な が ら ﹁も う ﹃投 の ﹁ 柔 の形 ﹂ 三位 にな りま した。 形 ﹄ で お 母 さ ん を な げ た く な ﹁や 皆 様 沢 山 の方 々 の助 け と 応援 に長 い休 み を 下さ つた会 社 の 外 は ま だ 明 る く 時 間 の感 覚 が を降 り ると も う 夜 中 のはず が な り ま し た 。 ホ テ ル前 で バ ス ム ス テ ルダ ム 空 港 に着 陸 し バ スでブ リ ュ ツセ ルま で 移 動 と 間 余 り の順 調 な 空 の旅 の後 ア いざ 、 成 日を 出 発 し 約 H 時 した。 と 周 り の. 参 加 で き る 時 に 参 加 し な いと ” の声 に 後 押 し さ れ 思 い切 って 出 場 を 決 断 し ま だ受 身 痛 いも ん。 ﹂ 母 と 娘 の ﹁ 投 の形 ﹂ は最 高 の結 果 を 残 し無事 終 わ りま した 。 留 守 をあ ず か つて下 さ つた に感 謝 と お礼 を 申 し上 げ る次 お姑 さ ん、 御 近 所 の方 パ パ 第 です 。 狂 った い日 で し た。 ︵ 結 局、 夜 の灯 り を 見 た の は 試 合 が あ っ 次 の 日、 午 前 中 試 合 会 場 に た 日 の︼日だ け で した。 ︶ 行 き 柔道 着 を着 て軽 く身 体 を 動 か しま し た が 時 差 ぼ け もな さ そ う で試 合 に来 た実 感 が 湧 いてき ま した 。 試合 場 は 一回 手 に は内 股 返 し で 一本 2回 戦 の ハンガ リ ー の選 手 に は、 え な く ては と 反 省 した 次 第 で す。 ■時 間 余 り の長 旅 を 苦 に す る こと な く 元気 一杯 の太 日先 Oの 生 を 始 め M 8 M 9 ・M l 先 生 方 の溌 刺 と し た 柔 道 を 拝 いると ころ です。 見す る と ま だ ま だ 老 け 込 む歳 ま した 。 釣 手 を 取 れ な く て先 ず 右 手 で相 手 の右 前 襟 を 掴 み 加 の私 た ち 夫 婦 に 常 に や さ し ど 普 通 で は経 験 出 来 な い貴 重 ま た 、 ベ ルギ ー 大 使 公 邸 表 ます。 よ か つた と 改 め て感 じ て お り る と 共 に 柔 道 を や つてき て 口会 長 は じ め 皆 様 方 に感 謝 す く 、 親 切 に 接 し て いた だ き 野 だ と 分 か ってき ま し た が 初 参 れ ば 知 る ほ ど 凄 い方 々ば か り 今 回、 ツアー に参 加 し、 知 で は な いと 自 分 に 鞭 を 打 って 左 で相 手 の右 横 襟 を 取 ろう と した のです が そ の時 間 が 長 く て片 襟 の指 導 を 取 ら れ て し ま いま し た。 そ の後 一本 背負 敬 訪 間 、 道 場 で の交 歓 稽 古 な 内 般 で 一本 と順 調 に勝 ち 上 が り ま した が、 続 く 準決 勝 でド イ ツ の選 手 と あ た り 今 ま で 組 み合う一未道 しかしてこな か っ た自 分 に は 戸惑 う試 合 と な り い で倒 さ れ て効 果 を 取 ら れ負 け て し ま いま した。 3位 決 定 戦 で 一本 勝 ち を し て銅 メダ ル は貰 いま した が 自 分 の柔道 が ま だ ま だ 未 熟 で力 が 強 く て 巧 く 組 めな い場合 等 いろ いろ な 場 面 に 対応 でき る業道 を考 ﹁燿璃︱︱, 一銀熱 、 な 体 験 を さ せ て いた だ き ま し た 。 柔 道 を 通 じ て の いろ い ろ な 出 会 いを 楽 し み に 生 涯 柔 道 に励 みた いと思 いま す。 ベ ル ギー大rt公 邸 にて 塁覆 攣 膀 一今度 私が取 し よう が ?﹂ 一 一 一 高 ¨ 一 一 一 ﹂ ﹂ 一 初 め て の世 界 マス タ ー ズ で貴 重 な 経 験 諸山和美 ︵ 愛知県︶ 第 1回静 岡県 浜北市 で の日 り小さ く 畳 は滑 りや す そ う な感 じを受けま した。 さ て、 試 合 の結 果 です が 、 ︲ 陥 ク ラ スに は 1 4名 が M7 8 出 場 し、 1回戦 フラ ン ス の選 罐 糧 咽 本 マスターズ 柔道 大会 近く で開催され る ので出場 し てみ よう かと安易な気持ち で参加。 そ して昨年姫路市 で開 催され た第 4回 日本 マスターズ 柔道 0歳 にな った のと前 大会 には 6 たか ら I M7 8 1kg級 戦 い終 わ って 9月 1日 2008年 く 日本 マ ス ター ズ柔道 > 会報 トビ ック フ ① 片桐清 司さ ん が 滋 賀 県 武道 会 優 秀賞 に輝 く ! 今年 2月に滋賀 県 武道 会 矢〓長 嘉 口知事︶ から昨 年 の日本 マスターズ 柔道 大会 M7無差 別 で の優 勝を評価 さ れ優 秀賞 を もら わ れ ま した。 ま た ベ ルギ ー 大 会 で の活 躍 が 中 国新 聞 他 一 紙 に載 りました。 ② 久 保 雅 昭 さ ん が プ リ ュツ セ ル で強 盗 に ︱ ︵ 以下は、お手紙から の抜粋︶ 北 駅 の側 で、 強 盗 に襲 わ れ ま す。 私 は、 ﹁ 金 は お前 にや と って 強 盗 は 一つの 文 化 な を起 こした くな か った のです。 ﹁ アリパ パと、 百人 の盗 賊﹂ の よ う に ア ラブ 系 の 人 々 に る。 た だ 、 そ の中 に鍵 が 入 っ て いる。 それ は 返せ ︱!﹂ と 英 語 で言 いま す と、 素 直 に投 き は危 険 です 。 食 後 、 す ぐ 側 経 ち ま し た の で 油 断 があ った のでし ょう。や はり、 ヽ 、 るな ど 怖 い日 に も遭 い し げ 返 し した。 夜 0 5 かも しれ ま せ ん。 。 . . ま ま の く の 1 4 た が 無 事 帰 国 でき ま した。 ら いでし た。 駅 の側な のに お後 が よ ろ し いよう で。 感謝、感謝 です。 照明が暗 か った ですね。 8∼ ”才 く ら い の、 強盗 は、 ︲ 金 龍 大 飯 店 と いう 中 ■ 饉“ ア ラブ 系 の 二人組 で 一人 は 華 屋 で、 一人 で食 事 を 一 ′ヽ ”“”一 手 首 の関節 を 取 る と逃 げ て行 し、 ビ ー ル の小 瓶 を 4 き ま した が 、 あ と の兄さ ん は 本 飲 ん でお り ま した。 ブ リ ュッセ ルに着 いた 当 初 は大 分 用 心 し て い た の です が 、 思 った よ ケ ツト 、 ワイ シ ヤ ツ のポ ケ ツ の ヒ ルト ンホ テ ルか ら 、 タ ク シー で帰 る べき でした。 り治安 も良 く 、 一週 間 ト.. . . そ し て狙 いは金 目 の も の だ け 。 現 金 百 ユー ロ 翌 日は無差 別 の試合 もあり、 中 々根 性 が あ り、 と に か く、 ピラ ニアのように 私 のポケ ツ ト に手 を突 っ込 ん で来 る ので す。その速いこと、速 いこと︱︱ ズ ボ ン のポ ケ ット 、 上着 のポ ︵1 万 6 千 5 百円︶、 カ シ 見 知 ら ぬ 土 地 で の夜 の 一人歩 オ の千 円 く ら ち 、 死 ん で し ま つた ら 過 剰 防 い の腕 時 計 を ま た 相 手 は 刃 物 を 持 って い る 取 ら れ ま し た 。 か も し れ ず 。 . 。 大 外 刈 でぶ ん投 げ て、 相 手 が 後 頭 部 を 打 シ オ の時 計 が 若 いか ら 、 カ 欲 し か った の 何 よ り、 自 分 の息 子 と 同 じ ても。 . . 衛 に な り ま す し、 手 刀 で相 手 の喉 笛 を 打 ち 、 殺 し て し ま っ かも。 不要 の も のは投げ 返 し ま す 。 ハン く ら い の年 頃 が 、 私 の戦 関 意 欲 を な く さ せま した。 無 事 が 第 一。 外 国 で警 察 沙 汰 紋付袴 でブ リュ ッセル を闊歩す る久保 さん (左 :デ リ │の 来口さん) 訃 報 理 事 で会 報 の写 真 に も ご 尽 カ い だ き ま し た 宮 本 斗 成 氏 が た 6月 6 1 口 にご 逝 去 さ れ ま し た . 0 歳 . 謹 ん でビ 冥 福 を お 析 享年 7 りま します . ︻ 編 集 後 記 ︼ マスタ ー ズ 柔道 はご 家 族 の理解 な く し て は続 け ら れま せ ん が 今 回 の ツアー でご 家 族 の方 の参 加 も 今 ま でにな い多 数 にな った の は嬉 し いこと です。 G 字は野口会長 の揮竃 です︶ n︶ に 秋 田 で ︱ ︵k 0月 感 激 しま した 。 で は、 1 を し てく れ て いる のを知 り 第 5回秋 田国際 大 会 の P R 日本 大 会 で常 連 のリ ト ル Z ウ ンド氏 ︵ N︶が世界 マスター ズ 柔道 のホ ー ム ペー ジ で、 てき て いる よ う で、 ご 同慶 の至 り です。 が 掲載 さ れ る ケ ー スも増 え 元 の新 聞 に会 員 の方 の活 躍 な って います 。 ま た 、 地 本市 滴 水 館 と、 輪 が 大 き く 館 、 7月 に清 水 副 会 長 の松 ︵ 2回 日︶、 4月 に内 藤 常 務 理事 の足利 市 武道 館 と 昭 徳 常 務 理 事 の安 房 高 寒 稽 古 会 員 有 志 で関 係者 の道 場 に 訪 れ て親 睦 を 深 め る ケ ー スも 増 え てき ま した。 1月 に中 村 秋 田県柔道連盟 厚生労働省 (財 )企 日本柔道連盟 (財 )講 道館 秋 円県教育委員会 秋 田魁新報社 AKl秋 田テ レビ (社 )秋 田県柔道整復 師会 期日 : 平成 20年 10月 17H(/1・ )∼ 19日 (日 ) 会場 : 秋 田県立武道館 競技種 日 :1日 同 形 (投 ,日 ,極 ,柔 ,護 身,■,古 ) 2日 日 「男女個人戦 年齢別 体重別 J 3日 目 重量無差男1年齢別個 人戦 団体戦 *申 込方法等 詳細 (会 員 には送付済)は ホームペ ー ジで UR[l http://jamja hp infoseek eo jp/ 主管 会 長がいただいた 手紙 か ら ︱かり 敗者彼 江勝 ち ︱ ● ・ よin贅^た〓忠う・ 一 カチなど.但 し、 十 二分 な 間 合 いを 取 り 第 5回 記念 日本 マ ス タ ー ズ柔 道 国 際大 会 開催 要 項 主催 : 日本マスターズ柔道協会 : : 後援 9月 1日 2008年 く 日本 マ ス ター ズ柔道 > 会報
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