第10号 - 月田秀子ファド倶楽部

Abril 1996
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「ポルトガルギターが何とも凄いな。リスポンで録音し
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た の ?一人で行って ?J興奮 した面持ちで繰り返すマス
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ターの顔がギタリストの顔と重り、いつのまにか私は、
月田秀子の昨日、今日、明日一
平屋建て ‘自く塗られた壁に小さな丸い窓が並ぶリスボ
ンの録音スタジオにタイムスリップしていた。スタジオ
というより避暑地によくあるコテージ風なたたずまい、
内部は木の壁。顔にあたる部分だけガラスのはまった木
の衝立ての向こう、ギタリストが「その調子その調子 J
開け放 った窓から、日一い沈丁花の花の香りとともに町
と言うように目で合図を送ってくれる。彼はスペインか
の喧騒が飛び込んでくる。夕陽が丘という地名に慈かれ
らのコンサートを終え、半日車を飛ばして帰ってきたと
たこともあって、当地天王寺区に引っ鍾して初めての春
ころだ。そんな彼に支えられて、録音は進んだ。私はい
であるロ以前住んでいたアパートは、高速道路と幹線道
つしか自分が何度もここで、歌ったことのあるようなとい
路である佐屋町筋にはさまれ、:窓を聞ければたちまち道
うより、見えない何者かに導かれているような思いがし
路の真ん中に居るような騒音に苛まれる。春風どころか、
た。たくさんのファド唄いの魂が私を見守っているよう
排気ガスで気分まで煤けてくる始末。隠れてみると 7年
な、そんな気さえしてきた。
1
私は思い出す。日の落ちたサグレスの出1
の断崖。吹き
近くもよく住んでいたものだと思う。
当地は夕陽が丘中学、高校、五条小学校、上宮高佼、
上げる潮風。海に沈む落日を待ち続けたギンショの浜。
審察病院、逓信病院と、まこと静かな文教地区にあたり
飽く事無く繰り返す波。ーっとして同じ崩れ方はない。
・こうして :容を開け、幽かな町の日宣騒 に身を 浸し、夕暮時
その波の塩辛さは、ポルトガルという国を底辺で支えた
など子供の「お母ちゃーん J と呼ぶ声に、幼かった頃を
人達の、そして、奴隷として祖国から連れてこられたアフ
思い出し、妙に胸が熱くなったりする。そんな適度な喧
リカの民の汗と涙…。
リスボン滞在予定は正味 5日問。ましてその間に祭臼
騒が今の私には心地よい。
3月 20日、待ちに待った C Dが出来てきた。一刻も
早く予約をもらっている人達に発送したい。会員の中西
と日曜がある 。正直言って録音は無理だと思った。しか
,
.し
、
10年来のポルトガルでの一番の友人ゴウヴェイア
夫妻、杉本さん、演道さんが急逮駆け付けてくれた。我が
夫人は「秀子、何のためにはるばる日本から来たの?
家は納期におわれた家内制手工業の場と化し、すさまじ
録音のためでしょ。じゃ、そうしようよ. J と言って、
い勢いで作業が進む。 5時間後には段ボール 6個 150
全てをさしおいて、ギタリストとの交渉の後押しをして
通分の封書の山ができあがった。翌日には早速、到着の
くれた。帰国の前々日の深夜 、録音の手筈が譲った。
電話をもらったりで、 一件落着。
東洋の果ての一人の名もない女が寄せるファドへの想い
ご予約下さった皆線、永らくお待たせいたしました。
が起こした二度目の奇跡だった.一度目の奇跡について
お手伝いただいた方々、ありがとう。
は、またいつかの機会に。
翌日、法善寺の「ルル j へ 10t
女持参。 タンノイのス
ピーカーから流れるポルトガルギターの 音が心地良い。
月田秀子
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お申し込み先〉
・東京・渋谷「ディスク ・ジアン・ジアン j
TEL 03-3161-6818
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定価 2、 80 0円
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ルパムです。ぜひ、一度聴いてください。
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『ファド ・メノール J (
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そんなこんなの後々な思いの絡み合った末にできたア
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11し込みください.
(C Dを泣いて下さっているお脂)
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・大阪・法務寺「ルル J
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「実らぬ恋 J I 失われたm.~J の淋しさ 、無念さという
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「わび」の感情 に対しての「好き」である 。 やがて 「好
きJは色恋と離れて、音曲の世界、風流の世界と移り、
「好き Jが「数寄」となる。元来「好き」とおもい煩う
神戸市立博物館内にある南蛮美術館に修道会 ゴ
:に図ま
「わびしい」感情とは別の感情で、相対立する感情であ
れた 老茶人を揃いた南蛮扉風がある。狩野派の絵師、狩
って、現実の世界では同時に持つことはできない。雲閣
野内膳の作と伝えられている。右手に十字杖、 左手 にロ
で見え隠れする、中秋の名月は 「わびしい Jが、脳裏に
ザリオを持つ、この絵の老茶人は、千手J
I休ではないか?
美しい満月をイメ ー ジすることによって「わぴ ・数寄」
Iサウダ ーデJの、こうありたいと願う漠たる
千利休キリシタン説 Jは以前からも
と言う事である 。 I
となる。
あった 。言うまでもなく千利休は「わび茶 Jの完成者で
憧れと共通している。
Iわび茶 Jの芸術的様式は、華美壮麗を排した隠
歌の世界では、それがファドであれ、 シャンソンであ
遁的孤独的である。キリスト教祭儀と茶の湯との関連に
れ、ジャズであれ、そして日本の演歌であれ、その詩や
ついては、以前から数多く指策されていることであるが、
メロディは「もの悲しく J I
わびしい」ものが多い。
ある。
茶の湯はポルトガル人滞日の 1
6世紀頃大流行であ った
。
「わび ~ J と「 サウダーデ」とは、その発生、その成立、
その哲学は異なるが、
「わび茶」の成立に「サウダ ーデ J
が、何らか の影響 を与えたのではないかと思うのである 。
「サウダーデ Jの語源は、 ラテン語の s
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「孤独」である。
Iサウダ ーデ Jとは、 「自分が愛情、
「失恋 J•
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J離 J• I
孤独」
・ 「すれちがい」等、た
とえハッピーエンドでも、その過程に「悲哀」もある 。
心の葛藤もある。歌は本来「悲哀」と「喜悦 Jが混じり
合い、同居しており、フ
7
ドの場合、その歌詞の多くは
「ファドやギターラを媒体として、不幸であることの楽
しみ、哀感を表現することの楽しみを、緩めそやしてい
情愛、愛着を抱いていた人、あるいは事物(抽象的なも
るのだ J。人達はその「もの悲しし、」歌を聴き 、歌 うこ
のも含む)が、 自分から遠く離れ、近くにいない、また
とによって、結締楽しんでいるのだ。
はない 時、 あるいは自分がかつて 、愛情、 情愛 、愛着を
抱いていた人、あるいは事物が。永久に失われ完全に過
年をとると、社会からも家肢からも疎外され、また
RIl独への道 Jを歩みつ
「別離 Jもある。年齢はDiil実に I
い、甘い、俵かしい、快い、心楽しいなどの形容詞をは
I
RIl独な老人」に「サウダーデ Jを残し
てゆき、 「孤独な老人 Jもまた人達に「サウダーデ」を
残してゆくものである。現実の孤独は「わびしく Jきび
じめ、これらに類するすべての形容詞によって同時に修
しいが、その現実の孤独から 「サウダ ーデ」や 「わび ・
飾することのできる感情、心の動きを意味する語である 」
数寄 Jの世界に身を置くと、案外、心楽しいものである。
去のものとなっている時、そうした人や事物を心に思い
描いた祈りに心に浮かぶ、切ない、淋しい、苦い、悲し
と解されている 。本来 、淋しい、悲しい 等の感情、そし
つある。人達は
一人ぼっちの部屋で、
「飯 J ・ 「茶」 ・ 「酒」兼用の
てその反対 の快い 、楽しい等 の感情はポルトガル人だけ
粗末な茶碗に、
でなく、世界すべての人達の持っている感情である 。 そ
んで、
して現実の世界では「悲痛 」 と「喜悦」という相反する
を聴きながら欽んでいると、これぞ!
感情を同 時 に持つことはできない。現在より過去に 戻 っ
び酒」の醍醐味であると、つくづく感じるわけである 。
「わび茶」ならず、
「わぴ酒」をつぎこ
「ファド J
Iファド 」 と 「わ
「サウダ ーデ」の境地に身を置いて、
て、心に思い錨くことによって同 時 に持つこと が可能で
(H ・T生)
ある。そしてその現在の環境は、近くにない、失われた、
人、事物(愛情 、愛着をもっていた)との関連において
「弧独」である 。 であるから「サウダーデ」とは、ポル
トガル人の単なるメンタリティでなく、
「悲痛 Jと「喜
IFadistaJ とい うカクテル。
悦 Jという相反する感情を同時に混じり合って多儀的に
形容した 、 ポルトガル特有の哲学的概念 であると 私 I
;
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.
思
つ。
一方、日本の「わぴ ・数寄」であるが、その語源と美
化したもので、元
意識の成立には文化史的な変遷が名前l
来は不満、 不足 を感じ、心細く思 い煩 う事であって、そ
の感情が生じるのは、RIl独だけではない 。貧乏もある 。
それは、ファド唄い交と名付けられたルビーポートワインをベースにした、
失恋、別離もあって、
ほろ苦くて甘く、冷たくて暖かいカクテル。
「わび」の感情も多儀的である。
「数寄」とは「好き Jであって快い、心楽しい感情であ
る
。
I
好き Jとは児女の色恋から 生 まれ、漢字も「安寺 J
である 。 しかもこの「好き」は単なる色恋好きでもない 。
大阪駅の近〈ガード下の BARrARTEMISJのバーテンダーパ木氏
のオリジナルである。
督5
チ ャ ンス。あり った けの魂を振り絞り 、精一杯歌う秀子
読切迷載
に
、 ギ ターの彼も懸命のサポ ー ト。唄い終え 、上手に唄
秀子 のエピソード 帖
[その 7]
えたかどうか戸惑 う秀子の肩に彼はそっと手を置き、
秀 子 と、或るギタリストの 出会 い
「ヒデコ 、僕は君と共演できた 事 を誇りに思う」 。
ところがこの T V出演が大成功。翌 日の 新聞は『ハイ
内問天馬
ク(俳句)ファド』のタイトルで一面トップで秀子の特
1
9
8
7年夏、本格的にファドと ポルト ガル語の勉強 をす
集。週刊誌などで彼女は時の人になるどころか 、あのフ
べく、秀子は二度目のリスボンに降り立った。ファドと
ァドの女 王 、ポルトガルの国民的歌手アマリア ・ロドリ
9
8
0年、なかば衝動的に日本を
の出会いに巡命を感じた 1
ゲスに「秀子は第 二 のアマリア」と言わしめ 、 ポルトガ
飛び出した時と違い、じっくり 1"
I
oは勉強するつもりだ。
ル大統領を始め大い なる知過を得る 。 ギターの彼はと 言
が、大学には通うものの、肝心のファドの学校などない
えば、そ の後 、精進 が認められ、 1
99
0年、速にアマリア
どころか勉強の方法すらわからない彼女にとって 、童話為
の伴奏者に抜擢され一流奏者の仲間入りを果たす。
に日々が過ぎ去るのは 、
mち込む以外に 為すすべがない 。
さて 、去 る 12月のサンケイホールでのリサイタルを
ところが、彼地にも神はいたのですな。がむしゃらに
ご覧になった方、覚えておられますか?ポルトガ ルギタ
ファドに取り組むその情熱を本物だとポ ルト ガル の神様
ーの第一人者 、 カルロス ・ゴンサルヴェス氏と秀 子 さん
が感じたのか 、年が明けて T V出演の話が舞い込む。ま、
の脇で 、媛 かいまなざしとともに歯切れのいい的確なリ
日本人がファドを歌う事に話題性があったのかな。ただ
ズムを刻む彼の姿を。あれこそ秀子さんとの出会いから
し、伴奏者は自分で用意する事。勿論、ギャラなど払え
8年後のレロ ・ノゲイラその人なのです。リスボンの片
ない彼女 、ってを頼って探した 結果、 「
僕 にさせてくれ」
隅でレロさんも彼女も将来日本で共演するなんて想像も
という男が現れる 。空 き瓶回 収の仕 事を しながら 家族 を
出来なかったんじゃないかな。出会いってほんまに素敵
養い、貧しくもギタ
ですよね 。 ところで皆さん、秀 子 さんには内緒ですが、
の勉強に励んでいた彼は、もちろ
ん無名。秀 子 も無名。ファド歌手など一人とていない 日
レロさんは彼女と同年生まれ。だけど、だけど彼にはも
本 で フ ァドに魅せられてしまった秀子
。 将来 に青写真 な
うお孫さんが ・
・ ・
。
どあろう筈がない。 天命 に打たれた如く 日本 を後にした
彼女にとって、ファドの 本場 での T V出演は千載一遇の
次回の当コラム 、 『食いしん坊秀子の大好物は、意外
や意外 ・・・ 』お楽しみに!
C~遺留意8S
-月田さんの日頃の ライブに は、仕事の初合でなかなか
上げて仕銭けや演出に 金かけ て」とうなるのでしょう。
行くことができず心苦しいのですが、
そもそも上手に虚飾をあしらえば 、 もっとファンが増え
「ファド 倶楽部ジ
ャー ナル」 はいつも興味深く拝読しています。
るような 音楽なの でしょうか。
投稿というのは気が臆するのですが 、前号 に掲載され
1
2月のコンサートには、ファド初体験 の友人 を一人誘
対して、心に引っ
た大阪の 0 ・Y之氏のお便りの内容に l
って行きましたが、終了後に、友人は自分が知らないす
掛かるものがあり、氏への反論を含めて少々申し述べた
ばらしい 音楽が あったことと、こんなにも実直で優しい
い気持ちになりました。もっとも私自身さほどファド音
コンサートをする人がいるとうことに痛く感激していま
楽に造詣が或る訳でもありませんし、まして本紙面の場
した。私もあらためて 、僚とした歌と演奏のもつ力を認
を 白 けさせるような発言 になる のは本意で はありません 。
識しました。そうした経験から言わせてもらうと、 O氏
でもたくさんの使りの iいから O氏のあの長文を載せられ
の「初めての客には馴 染み聖堂い」という考え方は、ちょ
たのは 、読者の それなり の反応を予測しての事 ではな い
っと如何なものかと思いますが…。
かと 、勝手に推測して書かせてもらいます。
とにかく月田さんのやり 方や ファドという 音楽 を、 マ
率直に言いますが、 0氏は月田さんのステ ー ジに何や
ら粋な演歌歌手の様なノリを期待されていませんか。
r
rしゃべりがたどたどしい」というご見解もそう
「真荷目 すぎて気が抜けない J 舞台と客席の 一体感が
ない J
イナ ーだからどうだとか 、 メジャーになればどうだとか
言う のは、しょせん傍観者 の独善で しかな いですよ。そ
の点私などもっと下 世話な ところで、裏ファンクラブ的
に、 ある いはレジスタンス風に f
月田秀 子 をと りあ えず
ですが、
ー 「スクリ ー ンに訳 詞 やらポ ルトガルの港町の風
食えるファド歌手として天寿を全うさせる方法を模索す
景 を 映 す Jなどにいたっては 、 もうまるで最近のが1
歌の
るファン の集い 1でも企 てた い思 いがあるのですが 、 こ
カラオケビ デオの世界ですよ。少なくとも私は月田さん
れは これできつく批判されそうだな ・・・ 。
のステ ー ジに 、怠抜きや上手なト ークや 、 それこそ安っ
ぽいビジュアル演出など欲しくありません。
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入場料金
(奈良
K ・yt
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)
-会長の黒田清氏の対談集『元気の出る本 J (定価1.3
0
0円)が芸術生活字土から出版されました。大村昆さん、
島倉千代子さん等人生の大先輩に混じって、月田秀子が登場します。
をもが込
月田秀子のスケジュール
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月田秀子ファド倶楽部が結成されてから、早いもので
もう 2年半が経ちました。当初は月四さんの友人関係や
古くからのファンの方々を 中心 に構成されていたこの倶
4月 15日(月 ) 兵庫/尼崎 『臥麟亭コンサー卜』
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20日(土) 東京/六本木「 ミステリオ J n0
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21日(日) 静岡/沼津「チュチュルリエ Jn0
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22日(月) 大阪/心斎橋「ア ー トクラブJn0
①8 : 00~ 3
回ステージ
26日(金) 京都/四条河原町「巴里野郎Jn0
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6日(月) 大阪/堺「ジャルダン J
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12日(日) 神戸/新開地『アコ ースティック ・エッセイ』
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17日(金) 山口 /i
県政史料館ホール」
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甜)
楽部も、今年 の 3月現在 、大阪 ・京都を中心に、なんと
380名を越えるという大所得となりました。それまで
は社会的な知名度が低かったファドを、 1
0年間にわたり
地道に歌い続けてきた月四さんの努力も 然 ることながら .
やはり歌を愛する多くの人々の熱意が倶楽部をここまで
大きくしたのだと思います 。
ただここで、組織が大きくなったことを喜んでばかり
はいられない 問題 も出てきたのです 。 それは、倶楽部の
遂営に関する問題なのです。今のファド倶楽部で役職の
有る方は 、黒閉会長さん と会計の井本さんだけで、それ
以外は月図さんと友人の方々によって逮営されてきまし
た。当初jは顔を見知った人々が多数を占めていましたの
で、遂営に関しては然程問題とはならなかったのですが.
ここまで人数 が増えてきますと倶楽部に対してその思惑
も各人それぞれに途ってくるのも当たり前です。月田秀
子の美貌に惚れて入会した人、その歌声の素晴らしさに
ひかれて入会した人、またファドが大好きでこの会に入
18日(土)
山口/徳山
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27日(月) 大阪/心斎橋「ア ー トクラブJf
①8:00 ~ 3
回ステ ー ヅ
31日(金) 京都/四条河原町「巴里野郎」 合 0
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6月 21日(金) 京都/四条河原町「巴里野郎Jf
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24日(月) 大阪/心斎橋「ア ー トクラブJn0
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①8:00 ~3 回ステージ
28日(金) 大阪/堂山町「バナナホ ール」 合 0
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30日(日)
『きまぐれライプ PART<I>J本行湾E
ファド・フォルクローレ・ラテン編
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きまぐれライブ PART<I>
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ファド ・シャンソン ・ポピュラ 一編
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チケット /読書 5
当
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書 5
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-編集後記 6月のバナナホールでのライブコンサートを控えて、
忙しい毎日の月四さん。ファドジャ ーナルを製作している横では、
新しい試みのライブに向けてのリハ ーサルが着々と進んでいる。
2日に分かれたライブスタイルは、私たちが想像する以上に楽しい
ものになるだろう。
った人と動機は綴々だと思いますが、倶楽部の充実と発
展を望まない会員の方はいないと思います。しかし 、月
回さん一人の力だけでは今までの仕事で手一杯で 、これ
から先の倶楽部の運営や様々な企画などを考えている暇
がなかなかありません。また、月固さん自身も新しい歌
の練習や新しいジャンルの関f6
ーなど、いろ いろ忙しくし
ておられます。そこで、 月間 さんにあまり負担をかけず
に、これから先 の倶楽 部の速営をどのようにしていけば
良いのかを考えるために、高野山の中野密杖氏が呼びか
け人となり、登 ・井本 ・提言本 ・西村の 4人が組織作りの
準備の為のお手伝いを仰せ付かりました。
我々はあくまでも新しい役員が決まるまでの中継ぎ役
でしかありません。月凹さんと共々一日も早く倶楽部の
組織作りを行い、新しい執行部 にバトンタッチをしたい
と考えておりますので、ファド倶楽部の会員の皆様方の
ご理解とご協力の程宜しくお願い申し上げます。
西村友孝
号
-月田秀子ファド倶楽部ジャ ーナル第 10
・1
9
9
6年 4月 1日発行(季干l
J
:年 4回発行)
・編集 ・発行 「月間秀子ファド倶楽郎」事務局
・〒 543 大阪市天王寺区小宮町 1-22、 5 -~F
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