愛着対象である飼主が他犬に触れているとき 犬はどの

Research Paper / 原著論文
愛着対象である飼主が他犬に触れているとき
犬はどのような行動をとるか
加園 沙織、藪田 慎司
帝京科学大学生命環境学部アニマルサイエンス学科/〒 401-0193 山梨県上野原市八ツ沢 2525
■要約
犬は特定の個人(多くはその飼主)に対する愛着を示す。本研究では、愛着対象である飼主の行動が犬に与える影
響を調べるため、3 条件(X, Y, Z)における犬の行動を観察した。これらの実験では観察対象犬個体の入ったケージ
の隣のケージに刺激となる他の犬個体(他犬)や人が入った。条件 X では、隣のケージに他犬が入り、さらにその他
犬の飼主(対象犬の飼主とは別人)が入り他犬をなでた。条件 Y では、他犬と共に対象犬の飼主が入って他犬をなで
た。条件 Z では、隣のケージに対象犬の飼い主だけが入った。条件 Y での対象犬の行動は条件 X や Y と異なってい
た。すなわち、飼主が他犬をなでているのを見ている犬では、有意に飛びつき頻度と歩き回る歩数が増え、逆におと
なしく座っている時間が減少した。このような行動は、飼主の注意を引きつける効果があるだろう。飼主の注意を引
くことは、結果として資源としての飼主を他犬から防衛する機能があるかもしれない。したがってこのような行動は
犬の進化において適応的であった可能性がある。本実験は、一般の飼主が犬の「嫉妬/やきもち」と表現するような
行動を再現したものと考えられる。
[キーワード:愛着、犬−飼主関係、「嫉妬」]
… ………………………………………………………………………… ヒトと動物の関係学会誌,Vol. 31 70 − 74(2012)
Dog behavior when an Owner Touches Another Dog
Saori KASONO, Shinji YABUTA
Department of Animal Science, Teikyo University of Science / 2525 Yatsuzawa, Uenohara, Yamanashi, 401-0193, Japan
■ Summary
A dog forms an attachment to a particular human, usually its owner, displaying specific reactions in relation to its
owner, but not to strangers. The present study investigated the effect on a dog of its owner's behavior: touching another
dog. Subject dogs were alone in a cage. Next to it, another cage, the 'stimulus cage', was prepared. The subject dog
behavior was observed under the following three conditions. In condition X, a stimulus dog and its owner who was not
the owner of the subject dog, entered the stimulus cage. She stroked her dog. In condition Y, the subject dog's owner
entered the stimulus cage with the stimulus dog to touch it. In condition Z, the owner of the subject dog went into the
stimulus cage alone and remained there quietly. The subject dog behavior in condition Y was significantly different from
the behaviors in X and Z. Subject dogs leaped and walked around in the cage more frequently. Such behaviors might
be intended to attract its owner's notice. We discussed the possibility that this behavior may be favored by natural
seslection. The response of dogs in the condition Y is regarded as the type of behavior that ordinary dog-owners often
regard as 'jealousy' of their dogs.
[Key Word : Attachment, Dog-owner relationship, "jealousy"]
……………………………………………………………………………………………………… Japan. J.Hum. Anim. Relat, Vol. 31 70-74 (2012)
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愛着対象である飼主が他犬に触れているとき犬はどのような行動をとるか
■ 1.序論
の犬個体と競争関係になりうる。安全のために個人の住居
に入ろうとしても、入れる犬の頭数には限りがあるだろう。
Bowlby(1969)は、人を含む多くの動物は特定個体(多
個人が持つ食物に対するアクセスに関する対立はもっと鋭く
くは母親)への近接を求め維持しようとする傾向を持つとし、
なるだろう。このため、犬は利益を確実にするため、特定個
それを愛着(attachment)と呼んだ[1]。これは動物が危険
人との近接を維持しようとするばかりでなく、その個人の注
に対応するために進化の過程で獲得した適応的行動システム
意や関心を積極的に引こうとするかもしれない。そのような
の一つと考えられ、従って、人に限らず多くの動物に存在
行動は、その個人の注意や関心がライバルの他の犬個体に向
すると考えられる。
けられている時、特に強くなるかもしれない。犬の特定個人
犬と飼主の関係を調べるため、人の乳幼児の母親に対す
に対する愛着システムには、このような行動が含まれている
る愛着を調べる実験パラダイム(Strange Situation Test[2])
可能性がある。
が用いられている[3-4]。その結果、犬は飼主に対して、人
前述のテスト(Strange Situation Test)では、飼い主の
間の子供が母親に対してみせるのと類似した愛着行動を示す
存在時と不在時における犬の行動の違いに注目している。一
ことがわかった。すなわち、飼主がいなくなるとそれを探し、
方、飼主の行動の違いが犬の行動に与える影響は考慮され
再開時には、見知らぬ人よりも飼主に対して頻繁に挨拶行
ていない。本研究では、愛着対象である飼主が自分以外の
動を示した[3]。また、飼主が側にいる時は、いない時より
犬個体に触れている時、その行動が犬の行動に影響を与える
も積極的に遊び行動を行った[4]。
かどうかを調べた。犬の飼主に対する愛着システムが、飼主
しかし、このような犬の愛着行動の進化的起源は、人の幼
の注意や関心を引くための適応システムであれば、このよう
児が母親に示す愛着行動と同じではないだろう。というのは、
な飼主の行動は犬の行動に影響を与えると予想される。
オオカミは、たとえ人工保育された個体であっても、犬が示
すような特定個人への愛着行動を示さないからである[5]。
■ 2.方法
このことは、犬の愛着行動が、犬とオオカミが分岐してから
実験は 2010 年 9 月 11 日から 11 月 25 日に行った。対象と
新しく犬において獲得されたことを示唆している。すなわち、
なった犬は 24 頭。全て一般の家庭で飼育されている個体で
犬の愛着行動は人間のそれとは独立に進化したものと考えら
ある。メスが 13 頭(全頭避妊済み)
、オスが 11 頭(全頭去勢
れる[6]。
済み)
、年齢は 11 ヶ月〜 8 歳であった。犬種は雑種を含め 14
犬は、約 1.5 万年前にオオカミとの共通祖先から分岐し
種類と多様であり、実験の対象となった頭数が 2 頭以上だっ
た。この分岐は、犬の祖先が人間の暮らしに入り込んでくる
たのは、
ボーダーコリー(5 頭)
、柴犬(3 頭)
、
ビーグル、パピ
ことから始まり、それゆえ、犬の進化をもたらした自然選択
ヨン、
トイプードル、雑種(それぞれ 2 頭)の 6 種類だけであっ
は人の集落で暮らすのに適した行動をとる個体を好むように
た。
作用したものと考えられる[7]。現在の犬に固有の性質の多
実験は次のように行った。広さ6.3m×6.8m の部屋に二つ
くは、この時期に獲得されたであろう。
のケージ AとBを置き、
ケージ A には対象犬個体が、
ケージ B
人の愛着システムは、霊長類の子供が捕食の危険から身
には刺激となる犬や人が入った。二つのケージは同じもので
を守るために進化した行動システムと考えられている[1]。
あり、底面が 1.2m × 1.2m、高さ 1.2m である。ステンレス
犬の場合も類似の機能があったかもしれない。例えば、特
のワイヤー製の檻状の構造で上は空いている。ケージ間の距
定個人との絆を作ることで、その個人の住処に入りこむこと
離は 1.1m であった。
ができ、それによって集落周辺の捕食動物から身を守ること
対象犬の行動を次の 3 つの条件下(状況)で記録した。条
ができたかもしれない。さらに、いったん人の集落に入り込
件 X:ケージ B に 24 頭の対象犬とは異なる特定の個体
(以下、
んだ犬にとっては、その集落に住む人間による攻撃も潜在的
個体 S と呼ぶ)を入れ、その S の飼い主がケージ B に入り、S
な危険となりえる。特定の個人と絆を作り、その近くにいる
を触る。条件 Y:条件 1 と同様に、ケージ B に S を入れ、対
ことで、他の人間による攻撃を避けることができたかもしれ
象犬の飼い主がケージ B に入り、S を触る。条件 Z:ケージ
ない。一方、危険を避けるだけでなく、食物などの資源への
B を空にし、対象犬の飼い主がケージ B に入り、静かに待機
アクセスの面でも利益がありえただろう。特定個人と絆を作
する。個体Sはラブラドールレトリバーのメス(避妊済み)で、
ることができれば、その個人の持つ食物に対して、ライバルで
実験時の年齢は 6 歳であった。
ある他犬に比べて優先的に接近できたと考えられる。
各対象犬は、それぞれこの 3 条件全ての下で行動を記録さ
特定個人との結びつきから得られる利益を巡って、犬は他
れた。条件の提示順は全部で6 種類ある。対象犬24頭を6グ
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ループ(4、4、4、4、5、3 頭)に分け、それぞれのグループ
の犬に対してこの6 つのうち1つの順序で条件を提示した。各
条件の提示時間は 1 分間、条件提示と次の条件提示の間隔を
2 分間とした。対象犬、犬個体 S、人の行動をビデオ 2 台で
記録した。記録した映像を再生して行動を観察し 1 分間あた
りの、飛びつき回数、歩数、座っている時間、口舐め回数を
測定した。それぞれの定義は以下の通り。
飛びつき回数:両前肢が地面から離れ、どちらか一方もし
くは両方の前肢が柵に触れ、再び両前肢が地面につくま
でを 1 回とする。
歩数:一つの後肢が地面から離れ再び地面に戻るまでを 1
歩とする。
座っている時間:臀部が地面についてから離れるまでの時
間とする。
口舐め回数:鼻先もしくは口のまわりを舌で舐める行動で
あり、舌が口から出て戻るまでを 1 回とする。
対象犬の行動に実験条件の違いが影響を与えているかどう
かを調べるため、上記行動の測定値それぞれを目的変数とし、
個体、条件、順序を要因(説明変数)として、一般線形モデ
ル(GLM)による解析を行った。多重比較検定には Turky 法
を用いた。統計解析ソフト PASWStatistics18.0 を使用し、
有意水準は 0.05 とした。
■ 3.結果
一般線形モデルによる解析結果を表1に示す。条件の効果
は、歩数、飛びつき頻度に対して有意であった。個体の効
果は、歩数、飛びつき頻度、座っている時間に対して有意
であった。順序の効果は、どの行動に対しても有意な効果は
なかった。
飛びつき回数は、条件 Y で他の場合よりも大きかった(図
1)。多重比較の結果、条件 Y における飛びつき回数は、条
件 X よりも有意に大きく(P = 0.025)、条件 Z よりも有意に
大きかった(P = 0.013)。条件 X と Z の間には有意な差は
なかった。歩数も、条件 Y で他の場合よりも大きく(図 2)、
表 1 行動測定値に対する各要因の効果の解析(GLM)
図 1 各条件(状況)における、飛びつき回数、歩数、座っている
時間。箱ひげ図で表す。条件 X では、対象犬の隣のケージで他犬
をその飼主(対象犬の飼主ではない)が触っている。条件 Y では、対
象個体の飼主が他犬を触っている。条件 Z では、対象犬の飼主だけ
が隣のケージにいる。
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愛着対象である飼主が他犬に触れているとき犬はどのような行動をとるか
条件XとYの間(P < 0.001)と、条件YとZの間(P < 0.001)
がある。
に有意な差があった。条件 X と Z の間に有意な差はなかっ
飼主が自分ではなく他の犬を触っている時にだけ、騒がし
た。座っている時間は、条件 Y で他の場合よりも少なく(図
くふるまう犬の行動を見る時、私たちは、犬が「嫉妬」して
3)、条件 Y と Z の間(P = 0.03)に有意な差があったが、条
いると表現したくなるかもしれない。しかし、もちろんこの犬
件 Y と X、条件 X と Z の間には有意な差はなかった。条件
の行動が人間の「嫉妬」と類似したものであるかどうかはわ
Y の時に比較的高い声を出す個体はいたが、唸りや吠えの
からない。ただし、人間の「嫉妬」もまた、愛着を持つ他者
ような攻撃性をうかがわせる行動は見られなかった。
■ 4.考察
(親、恋人等)の第三者への行動が原因で生じうること、ある
いは、その「嫉妬」にかられた行動が愛着を持つ対象個体と
の関係性を維持する機能を持つかもしれないこと、等を考え
本実験結果は、飼主が自分ではなく他の犬を触っている
れば、もしかすると、そこには何らかの生物学的類似性があ
時だけ、犬の活動量が増えることを示している。この時、犬
りうるかもしれない。
はケージに飛びつく行動を頻繁に行い、ケージの中を歩き回
今回の実験では、対象犬の行動に、吠える、唸る、歯を
り、逆に、座っている時間は少なくなった。
むく、毛を逆立てるといった、攻撃的な要素は見られなか
この行動変化の原因が「他犬が触られていること」なら、
った。従って、他犬を触っている飼主の隣で活動量を増し
他犬を触っている人が飼主でなくても(すなわち条件 X でも)
た犬達が攻撃的な動機付け状態にあったとは考えにくい。し
活動量は増加したはずである。しかし、実際には、触ってい
かし、攻撃的な動機づけになくても、飼主の関心や注意を
る人が飼主の時にそうでない時よりも犬の活動量が増加し
引きつけることは、結果として、資源としての飼主を他犬か
た。また「飼主が居ること」自体が原因であれば、飼主が何
ら防衛することにつながるはずである。資源を防衛するとい
もしていなくても(すなわち条件 Z でも)活動量が増加した
う機能を持つ行動が、常に攻撃的動機付けによって制御さ
はずである。しかし、実際には飼主がいるだけでは活動量は
れている必要はない。
上がらなかった。このことから、「(他の誰でもない)飼い主
人の幼児の愛着行動の研究では、親との分離後の再会時
が(そこに居るだけではなく)他の犬を触っていること」が犬
の行動に個体差があることが知られており、その違いは、回
の活動量を増加させたと考えられる。飼主だけの状況でも飼
避、安定、アンビヴァレント、無秩序・無方向の 4 つのタイ
主は対象犬に注意を向けないようにしていたから、結果の違
プに類型化されている[2, 8]。また、それらの違いが、親の
いが飼主の注意が自分に向いていなかったことが原因とは考
子供に対する日常的関わり方の違いと関係していることが示
えられない。
唆されている。飼犬においても、飼主との分離と再会の状況
飼主だけがいる状況(条件 Z)では、飼主は静かにしてい
で行動に個体差があり、それらが類型化できる可能性が示唆
たのに対し、飼主と他犬がいる状況(条件 Y)では、飼主は
されている[3]。本実験における犬の行動の違いにも、個体
他犬を撫でるために動いていた。単に飼主が動いていたこと
の効果が有意であった(表 1)。本研究では個体差は分析し
が対象犬を刺激し、その行動に影響を与えた可能性もある。
ていないが、「愛着」行動の現れ方の個体による違いを理解
飼主が動いていることそのものの効果を調べるには、別の実
することは、今後の興味深い研究課題の一つになるだろう。
験が必要である。また、飼主が触る対象が犬でない(例えば、
個体差の分析においては、犬種差、年齢、性別、育てられ
ウサギや人の子供、ぬいぐるみのような非生物等)場合に、
方等の要因がどのように個体差に寄与しているかを検討する
同様の反応が出るかどうかもわからない。将来の研究におい
ことが必要である。
て、これらの効果を調べることは興味深いテーマになるだろ
う。
■ 謝辞
飼主が自分ではなく他の犬を触っている時、犬はケージ
嶋絵梨子氏とその愛犬ベリーの本実験全体を通じた御協
の中を忙しく歩き回り、飛び上がりを繰り返し、騒がしくふ
力に感謝いたします。
るまった。このような行動は、飼主の注意を自分に引きつけ
る効果があるだろう。このような行動はその犬個体と特定の
個人との関係を維持する機能があるかもしれない。犬の進化
において、特定の個人との絆は犬にとって適応的利益があ
■ 引用文献
1. B
owlby J. Attachment and loss. Vol.1: Attachment. Basic
Books; 1969/1982.
ったと考えられる(序論参照)。従って、このような行動は犬
2. A
insworth MDS. Object relations, dependency and
の進化の過程において、自然選択によって好まれた可能性
attachment: A theoretical review of the infant-mother
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relationship. Child Development; 1969: 40: 969-1025.
3. T
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