明治期『時事新報』にみる漫画表現の分析

明治期『時事新報』にみる漫画表現の分析
The analysis of cartoons from “The Jiji Simpo”
in the Meiji era
公共システムプログラム
05-15170 立元梓 Azusa Tatemoto
指導教員 山室恭子 Adviser Kyoko Yamamuro
1. 背景・目的
本研究は、新聞の漫画表現の分析によって日本近代国家の
国民意識の形成過程を探ろうとするものである。
明治後期は日本が世界の中で存在力を増していく時代であ
った。1894 年には日清戦争が始まり、清から奪い取った領土
の一部は翌年の三国干渉で返還を迫られるものの、1904 年か
ら 1905 年にかけての日露戦争にみられるように、日本は東
アジアにおける勢力を増していく。
同じ時代、姿を変えたメディアに新聞がある。明治初期か
ら中期にかけての新聞には二つの区分けがあり、比較的リテ
ラシーの高い読者に向けて各党派が政治を論じるものは大新
聞、日常の社会事件を一般民衆にわかりやすく伝えるものは
小新聞と呼ばれていた。1890 年代は、それまでの大新聞・小
新聞というくくりがなくなり、
「国民型大衆紙」というメディ
アの原型が生まれた時代と位置付けられる。読者層の拡大の
手段として新聞各社が取った方法の一つが、漫画を掲載する
ことだった。日清・日露戦争の報道も追い風となり、小新聞
のみならず大新聞から出発した各紙の紙面にも時局漫画が掲
載されるようになる。
このような背景において、二度に渡る国を挙げての戦争と、
それに伴う世界情勢がいかに近代日本の国民意識を作り出し
たのか、漫画はその中でどのような働きをしたのか、実際の
分析を通して明らかにするのが本研究の目的である。
2. 先行研究と本研究の位置付け
日清・日露戦争期の新聞漫画についての先行研究としては、
李(2008)が挙げられる。李は当時の新聞 4 紙に掲載された新
聞漫画のうち、
「論評として一つの完結したメッセージを発し
ている絵」を全数調査した。その結果、日清・日露戦争期と
もに相手国に対する日本の優位性という状況を繰り返し描き
出すことで、漫画が社会コントロールとプロパガンダの手段
として働いたという結論を導き出している。
しかし、李の設定した調査期間は日清戦争期の 1892 年~
1895 年(
『時事新報』の一紙のみ 1891 年~1895 年)
、日露
戦争期の 1904 年~1905 年に限定されている。また、読者の
目には娯楽に徹した漫画も含まれていたことを考えると、調
査対象の妥当性には疑問が残らざるを得ない。
そこで、本研究では調査対象を『時事新報』の一紙に絞り、
時間の継続性に着目して、調査期間を 1891 年から 1905 年ま
でに拡大する。また、調査対象とする漫画は風刺性を含むも
のだけでなく、全数調査を行うことで全体の傾向をつかむ。
3. 研究の手法
本研究で対象とする漫画の出典としては、福沢諭吉が 1882
年に創刊した『時事新報』を選定した。大新聞から出発した
ため読者層は比較的洗練されており、高度なリテラシーを要
する時局漫画も掲載できたと思われること、ロンドンのロイ
ター通信社と特約し、国際情報に精通していたことがその理
由である。
漫画の抽出期間は 1891 年~1905 年とし、戦争と漫画家の
交代を機に第 1 期(1891 年~1895 年)
、第 2 期(1896 年~
1901 年)
、第 3 期(1902 年~1905 年)の 3 つに分けた。こ
のうち、第 1 期と第 2 期を担当した漫画家が今泉一瓢、第 3
期を担当した漫画家が北沢楽天である。
分析は『時事新報』複製版に掲載された図版のうち、小説・
文芸欄の挿絵と広告を除く全てを抽出し、目録を作って集計
分析で行う。このうち、娯楽的要素があるものを「漫画」と
定義する。また、ニュース性があるか(その図版が載る前年
の 1 月 1 日から前日までの事実と直接的な関連が見出せるか)
ないかを判断して漫画を 2 つのグループに分けた。
さらに、この漫画群を内容によって「国際・戦争」「政治」
「国内の社会事件」
「世相・風俗」
「
『新発明』
」
「フィクション」
「遊び」の 7 つにカテゴリー分けし、これらに分類できない
ものを「その他」
、表現する意図が不明なものを「不明」と分
類して、当時の人々の関心が何にあったかを探る。
同時に、
『時事新報』ではどのように「外国」のイメージを
描いていたのかを知るために、描かれる対象を国籍別にグル
ープ分けした。清、台湾、朝鮮/大韓帝国、イギリス、アメ
リカ、ドイツ、フランス、ロシアの 8 カ国・地域に日本を加
え、これらに当てはまらないものを「その他」
、国籍が不明な
ものを「不明」とした。また、容姿で西洋人であると判断さ
れるが、国籍が不明なものは「西洋」として区別した。
以下では、収集した漫画の特徴を数値化して傾向をつかみ、
どの局面を重点的に見るかを決める 1 次分析ののち、具体的
な史料を見る 2 次分析を行う。
4. 1 次分析
表 1 に収集した全図版と、その中の漫画のサンプルサイズ
を示す。
全図版
漫画
1891 1892 1893 1894 1895 1896 1897 1898
150
74
68
264 326 432 529 486
123
33
39
148 157 120 159 109
1899
560
136
1900
772
69
1901
926
70
1902
747
150
1903
751
146
1904
1176
281
1905
1155
279
合計
8416
2019
「国際・戦争」カテゴリーに分類される漫画に出現する国と
地域の割合を調査したところ、幾つかの明確な特徴が見られ
た。まず、日本の割合は第 1 期から第 3 期までを通して尐し
ずつ増加し、1894 年に 13.8%であったものが、1905 年には
27.5%に達する。それに加えて、第 1 期は日本、清、台湾、
朝鮮といったアジアの割合が高いが、第 2 期では漠然と西洋
人を表していた「西洋」が分化して、イギリス、アメリカと
いった個々の国がほぼ同じ割合で描かれ始める。そして、第
3 期には日露戦争を反映してか、ロシアの出現回数が 50%以
上の割合を占めるのである。
また、第 2 期の「国際・戦争」カテゴリーに分類される漫
画の一点に、主要な 10 カ国・地域のうちどれだけの国と地域
が同時に出現するかをみた。3 つ以上の国・地域が表れる漫
画の割合は、1896 年には 27.8%であったのに対して 1901 年
には 63.1%まで増え、一点の漫画に表れる国や地域の数も増
加の一途をたどった。
このように多くの国を表す漫画には、国際情勢の解説とい
う役割を果たすものが多い。これらの漫画を通して、当時の
読者は対外認識を深めていったのではないだろうか。
5. 2 次分析
1 次分析では、第 1 期には清や台湾、朝鮮といったアジア
の国や地域が、第 3 期にはロシアが描かれることが多く、直
接日本と戦争をした国が多く表れることが明らかになった。
それらの国々が具体的にはどのように描かれ、さらには日本
とはどのような関係を保っているかということを、
「国際・戦
争」カテゴリー以外の漫画も含めて見ていくこととする。
図 1 は、全 153 点の漫画の中に描かれる、173 点の清・台
湾の表象を割合別に示したものである。この図からは、清国・
台湾人一般が全体の 31.8%を占めていたことがわかる。その
他に描かれた人間は軍人・兵士の 23.5%、役人・政治家の
12.4%であり、はっきりと名前が特定できる形で描かれたも
のは政治家の李鴻章が 14 回、軍人のハンネッケンが 4 回、
丁汝昌が 3 回であった。
他には、16 回動物が描かれるうち 6 回を占める豚や、骸骨
などの死に近い存在を描くことで大国の清を貶める傾向も見
られる。だが、それ以上に漫画のステレオタイプ作りに貢献
したのは、当時の清国・台湾人の髪型だった弁髪であった。
清国・台湾人が登場する 126 点のうち、106 点で弁髪が強調
して描かれている。図 2 に、
『時事新報』の紙面に掲載された
漫画の実例を挙げる。
このように第 1 期に清・台湾を描いた漫画は、敵国に対す
る日本の優越を誇示したものであった。それは、
「日清の戦争
は文明と野蛮の戦争である」という『時事新報』の主張を反
映するものであり、かつ当時の日本に広く共有されていた認
識であったと考えられる。
こうした敵国の描き方は、日本がアジアから世界全体へと
視線を向ける第 2 期を経ても受け継がれたものなのだろうか。
図 3 に第 3 期の 337 点の漫画の中で描かれた、412 点のロシ
アの表象を割合別で示した。
図 3 を図 1 と比較して読み取れるのは、軍人・兵士の割合
が 23.5%から 48.1%へと増加しているのとは対照的に、敵国
人一般の割合は 31.8%から 2.2%へと急激に減尐しているこ
とであろう。
この他に注目できるのは、清国の皇帝がほとんど漫画に表
れなかったのに対し、ロシア皇帝は表象の 9.0%(37 回)を
占めていることである。また、軍人・兵士 198 点と政治家 22
点の詳細を見ると、役職などから名前を特定できるものはそ
れぞれ 87 点、18 点に上る。これらの人物の登場期間は実際
に戦地で活躍していた時期と重なっており、
『時事新報』の新
聞漫画は単なる娯楽やプロパガンダ手段だけではなく、時事
問題の解説を読者に提供するという役割があったとみられる。
これらの敵国に対して、日本はどのように描かれたのであ
ろうか。変動が大きかった敵国のイメージとは対照的に、日
本の象徴は日清・日露戦争ともに 50%以上が軍人・兵士とし
て描かれた。だが、日清戦争時には「清国と異なる日本」を
表す洋装の人物や武士が登場するのと対照的に、日露戦争時
にはロシアと同じように軍艦や政治家といった存在が描かれ
ることが多い。
さらに敵国と日本の関係の描かれ方がどのように変化して
いくかを、漫画を 1 点ごとに「日本を優位に、または敵国を
揶揄的に描く」「敵国を優位に描く」「どちらとも言えない」
の 3 つのタイプに分類して調べた。その結果、日本を優位に、
または敵国を揶揄的に描くことは日清戦争においては 75%を
超えるのに対し、日露戦争では 70%以下に減尐することが明
らかになった。つまり、描き手の中には西洋国家であるロシ
アをアジアの清よりも上位に位置付ける潜在心理があった可
能性があるのである。
このことには、日本が列強の一員としてのロシアを強く意
識していたことが影響しているのではないだろうか。そして、
軍人・兵士や軍艦に代表されるように、日露戦争中にロシア
と日本を同じ表象で表したことは、日本もそのロシアと並び
立つ存在であるという意識の表れだと考えられる。このよう
に、漫画の描き手にとって、日清戦争と日露戦争は大きく違
骸骨
2.4%
小人
1.8%
その他
10.6%
巨人・大男
2.9%
軍人・兵士
23.5%
軍艦
4.1% 動物
7.6%
清国・台湾人
一般
31.8%
病人・怪我人
2.9%
役人・政治家
12.4%
(n = 170)
図 1
清・台湾の象徴として描かれる表象の割合
図 2
国民
1.5%
鉄道
1.5%
今泉一瓢「無題」
巨人 その他
1.0% 5.6%
軍艦
14.3%
動物
11.7%
軍人・兵士
48.1%
皇帝
9.0% ロシア人一般 政治家
5.3%
2.2%
図 3
(n = 412)
ロシアの象徴として描かれる表象の割合
う意味合いを持った戦争だった。
6. 結論と今後の課題
明治後期に相次いだ二つの戦争では、新聞漫画はともに社
会コントロール手段として使われたというのがこれまでの研
究の成果であった。
本研究では、図像分析の結果、日清戦争と日露戦争の異な
る意味合いを導き出すことができた。このような対外戦争に
関しての意識の変化は、我が国の国民が世界をより深く知ろ
うとしたことの表れとも言える。
『時事新報』の読者層が高度
なリテラシー能力を持ち、世論の核を形作る層であったこと
を考えると、これは重要な意味を持つことと言える。
今後の課題としては、日本固有のメディアであり、江戸時
代には新聞漫画と同様の役割を果たしていた錦絵が、日清・
日露戦争を報道する中でどのようなありようを見せたかとい
うことが挙げられる。和から洋へと文化の比重が大きく移っ
た時代、それぞれの端的な表象であるといえる戦争錦絵と新
聞漫画を比較研究することには、大きな意味が見出せよう。
主要参考文献
李其珍(2008)「新聞論評漫画の社会的機能に関する一考察
――日清・日露戦争期における新聞漫画の内容分析から」
『マス・コミュニケーション』第 72 号 日本マス・コミ
ュニケーション学会,117-132
茨木正治(2007)『メディアの中のマンガ 新聞一コママン
ガの世界』臨川書店
慶應義塾出版社,時事新報社・編(1986-)『時事新報 複製
版』龍渓書舎