楽聖ベートーヴェン 生涯独身 自立を目指す 複雑な宗教観 危機を

あれこれ情報満載
No.1
2014
4/1
名古屋市民コーラス
作成/ベートーヴェン研究会
楽聖ベートーヴェン
超有名な肖像画。あまりにもベートーヴェンらしいと思われるこの絵。鉛筆を握り眉間
にしわを寄せ、力に満ちた表情。手にしている楽譜は《ミサ・ソレムニス=荘厳ミサ曲》。
ベートーヴェンは死後、芸術家に「神なるもの」を見いだしていく19世紀のヨーロッパで
「楽聖」として崇められていく。
わがまま・・・でも憎めない
感情の起伏が激しい人でした。強情
で当たり散らす一面と、ふさぎ込むよう
な陰鬱な面があったと言われる。気まぐ
れな振る舞いがひんしゅくをかいながら
も、パトロンや友人、弟子たちが援助の
手をさしのべ続けた。
50歳頃の肖像画 スティーラー作 1820 年
生涯独身
貴族社会での交流、多くの
女性との出会いがあった。人妻
になってもあきらめきれないこと
も・・・残された宛名の無い「不
滅の恋人への手紙」いったい本
命は誰だったのか。
仕事だいすき
夜明けとともに起き、きっちり60粒
のコーヒー豆をひき、朝食後すぐに机に
向かう。常にスケッチ帳を持ち歩き思
いついた楽想をなんでも書きとめる。入
念に構想を練って自筆譜に、さらに推
敲を重ねる労力は惜しみなく。
自立を目指す
貴族社会から市民社会へと移
行していく中。ボン時代は宮廷楽
士「雇われ職人」であったが、ウィ
ーンに出てからはフリーの立場で
活動。新しい音楽家のスタイルを
実践!・・・かと思いきや貴族から
様々に援助を受け続けた。
複雑な宗教観
カトリックとして洗礼を受け臨終の際
の儀式も受けた。少年時代には教会
でオルガンを弾いていたこともあり一貫
してキリスト教徒といえよう。しかし、キ
リストを人間とみなし、教会の権威や
聖職位階制に反発していた。
他の宗教にも関心を持ち、宗派を越
えた絶対者の存在を確信。神がとりわ
け自然の中に直接現れ出ているのだ
と考えていたようだ。
チェルニー
10 才から弟子入り。
危機を乗り越えて
27才前頃から耳の具合が悪くなる。しかし彼は
大きな困難に決して屈することはなかった。聴覚障
害を告白した親友ヴェーゲラーへの手紙に「運命の
喉元をしめつけてやる、私を完全に屈服させることな
どできるものか。」と力強く述べている。
先生は、乱暴なふるまいもありますが、情愛
はきわめて深く、女性に対しては非常に想
いやりがあります。
彼の才能には驚いた。これほど強烈な
芸術家に会ったのも初めてだよ。
しかし、不幸な事に、まったく無作法で
手に負えない人物なんだ・・・
まあ、彼は耳がきこえないのですから許
してやらなければいけませんな。
文豪ゲーテ 70 歳 1749~1832
ウィーン会議(1814 年)頃が最も注
目されましたね・・・・
その後、恋人問題、甥の親権をめぐ
る法廷闘争、健康不良・聴覚の衰え
もあって創作ペースが落ちたようだ
が、《荘厳ミサ曲》で復活したね。
一心不乱に仕事に打ち込む彼本来
の姿をみせてくれたよ。
ヴェーゲラー
ベートーヴェンが終生頼りにした
5才年上の親友。