Million Dollar Baby アカデミー賞受賞記念 見る前に読む 「ミリオンダラー・ベイビー」を 7倍楽しむ方法 メルマガ「シカゴ発 映画の精神医学」発行者 樺沢紫苑 1 (C) 2005 Zion Kabasawa 目 紹介 次 「ミリオンダラー・ベイビー」 ・・・・・・・・・・・・3 第1章 イーストウッド自身の映画 ・・・・・・・・・・・・・・・5 第2章 アイリッシュ・ネームを知ろう ・・・・・・・・・・・・6 第3章 ゲール語 ・・・・・・・・・・・・9 第4章 アイリッシュとカトリック ・・・・・・・・・・・10 第5章 緑色 ・・・・・・・・・・・11 第6章 ハープ ・・・・・・・・・・・12 第7章 アイリッシュとボクシング ・・・・・・・・・・・13 このミニブックは、「ミリオンダラー・ベイビー」をこれから見る人のために書いたものです。 映画の内容についてのネタバレ的な話は書かれていません。 このミニブック著作権は、樺沢紫苑に属します。 個人として楽しむ以外の、無断コピー、複製、再頒布、営利的利用を禁止します。 2 (C) 2005 Zion Kabasawa 紹介 「ミリオンダラー・ベイビー」 第 77 回アカデミー賞で「ミリオンダラー・ベイビー」は、作品賞・監督賞・ 主演女優賞・助演男優賞と主要4部門を総ナメした。多くの人の期待が高まる 「ミリオンダラー」だが、一体どんな作品なのだろうか。私の感想を紹介しよ う。 「ミリオンダラー」は、ほとんど 70 年代の映画である。 画面の雰囲気。全体の雰囲気が。 最近はちっとも流行らないボクシング映画というのも、70 年代である。 ファースト・シーン。年老いたクリント・イーストウッドが選手のセコンド として出て来る。何か、それだけで、目に涙がにじむ。 1970 年代の自分にスリップしたのだ。 当時、中学生だった私は、大の映画好きでテレビの夜9時からの名画劇場は 必ず見ていた。当時のアクション俳優といえば、クリント・イーストウッドと スティーブ・マックイーンである。 「ダーティハリー」(1971 年)で、イーストウッドの人気は頂点だった。 当然、吹き替えは山田康雄さん(「ルパン三世」のルパン)。懐かし~い。 私にとって、「ダーティハリー」という作品は特別な映画ではないと思って いた。しかし、記憶の底に眠っていた。自分にとっての映画の原体験は、テレ ビで見た映画である。その原体験の一コマに、クリント・イーストウッドの姿 が焼きついていたのだ。 クリント・イーストウッドも年をとったなあ。この映画を見るとつくづくそ う思う。でもそれは、自分も年をとったということなのだ。 その 30 年の年輪というか、「映画への想い」みたいなものが、平凡なボクシ ング映画のファースト・シーンを見ていて、こみ上げて来た。 古臭い映画である。カビの生えたような。イーストウッドを知らない人が見 ても、意味のない映画かもしれない。この作品は、70 年代映画への鎮魂歌なの だろう。 年老いたイーストウッドは、とても良い味わいを出している。晩年、俳優と して開花した、いかりや長介さんを思い出した。枯れ具合が良い、といっては 3 (C) 2005 Zion Kabasawa 失礼だが、なんとも言えない良い味わいを出しているという点で、何かイメー ジが重なった。 それと、この映画を見ていると、イーストウッドの今にも枯れそうな生命の 危機を感じてしまった。イーストウッドだいじょうぶか? もう長くないの か? と。まあ、この映画では監督も努めているわけだから、彼の枯れた感じ は、演技であり、演出であると思いたい。実際、そういう役柄だし。 あらすじは、元ボクシング・チャンピオン。今は年老いたボクシング・ジム のオーナーのフランキー(イーストウッド)が、新人の女性ボクサーのマギー (ヒラリー・スワンク)を育てていく物語。 しかし、この映画はボクシング映画ではないのだ。 ボクシングの試合の描写自体は淡白なものである。 ボクシング・シーンのアクションを期待すると、必ず期待はずれになる。 この映画の全てが人間描写である。二人の人間描写こそすべてである。 モーガン・フリーマンが、第三者的にそれを見守る。 最初は、二人の関係はトレーナーと選手である。 しかし、それがやがて深まり、親子の愛情のような関係に変化していく。 そして最後には、二人は親子以上の関係へと・・・。 人間と人間。心の深まり。そして、心に染みるラストシーン。 大変地味ではあるが、しみじみとした、良い映画である。 一つ大切なのは、主人公のフランキーとマギーは、アイリッシュ、すなわち アイルランド系アメリカ人として登場している。そしてその設定は、物語に深 く関わっている。したがって、アイリッシュの文化的な背景をある程度知って いないと、おもしろくないし、あまり感動もしないだろう。 そんなことから、「ミリオンダラー」を皆さんにより楽しんでもらうために、 アイリッシュ文化を紹介するこのミニブックを作ってみた。 これに書かれていることを知っていると、 「ミリオンダラー」のみならず、多 くのハリウッド映画を見る上で、大変役に立つと思う。 4 (C) 2005 Zion Kabasawa 第1章 イースートウッド自身の映画 元ボクシング・チャンピオンのフランキー。今は年老いてその影もないが、 ボクシング・ジムのオーナーとして、チャンピオンを育てることに静かに情熱 を燃やす。 クリント・イーストウッドは、マカロニ・ウエスタン(西部劇)のヒーローで あり、 「ダーティハリー」のハリー・キャラハン警部。すなわち、アクション映 画のヒーローであった。今は、全くその面影はない。若い人たちにとっては、 「マ ディソン郡の橋」の渋いおじさんのイメージかもしれない。 そのイーストウッドは、今は監督業に精を出している。 「許されざる者」「マディソン郡の橋」「ミスティック・リバー」などの名作を 監督した。 「ミリオンダラー」のフランキーは、ボクシングを映画に置き換えれば、そ のまま今のクリント・イーストウッドになるのだ。 2005 年のアカデミー賞では、イーストウッドは監督賞を受賞し、主演男優は とらなかった。それはある種、必然なのかもしれない。 また、ヒラリー・スワンクの主演女優賞を自分のように喜んでいたが、それ は劇中のスワンク演じるマギーが、ボクシングの試合に勝利するのを喜んでい たのに、そのまま重なる。 このように、実際のイーストウッドと、劇中のフランキーをオーバーラップ させることで、映画が特別な輝きを放ってくる。 5 (C) 2005 Zion Kabasawa 第2章 アイリッシュ・ネームを知ろう さて映画を見ていて、主人公がアイリッシュかどうか、どうしてわかるのか? フランキーの場合は、映画の冒頭でカトリック教会に行き、ゲール語の勉強 をしていることから、アイリッシュの文化について多少知っていれば、すぐに わかる。 では、マギーはどうだろうか? 彼女に関しては、アイリッシュ文化を示す ような描写は、はっきりとしない。でも、彼女の名前を聞いた瞬間に、わかっ てしまう。マギー・フィッツジェラルド(Maggie Fitzgerald)。 明らかにアイリッシュ・ネームである。 「ミリオンダラー」に限らず、ほとんどのアメリカ映画を見るさいに、とて も役立つ知識を紹介しよう。それは、登場人物の名前に注意するということ。 名前が人種を示している、あるいは名前によって説明している場合が多いの だ。アメリカ人の観客は、人物の名前を聞いた瞬間に、 「この人はアイリッシュ だな」とか「この人はジューイッシュ(ユダヤ人)だな」とか、すぐに分るので ある。 アイリッシュに典型的な姓(ラストネーム)は、三つ覚えておこう。 マク(Mc, Mac)、オー(O’)、フィッツ(Fitz)である。 とりあえず、「オー、マック・フィッシュはうまい」と覚えよう。なんだか、 「セクシー心理学」みたいだが、こればっかりは覚えておかないといけない。 これらは、接頭語である。これらの接頭語のつく名前の人物が出てきたら、 ほぼアイリッシュと思って良い。 マクの例。 「マクドナルド」「マッケンジー」「マクドウェル」「マッカーシー」など。 アイリッシュ消防士の熱い兄弟愛の物語『バックドラフト』、その兄弟の名は マカフライ(McCaffrey)であった。 あるいは、『ダイ・ハード』のブルース・ウィリスはマクレーン刑事。 オーの例 「オハラ」 「オブライアン」 「オコナー」 「オライアン」など、接頭語「O'」の つく名前もまた、アイリッシュ・ネームである。 映画ファンにとって、最も有名なのは『風と共に去りぬ』のビビアン・リー 6 (C) 2005 Zion Kabasawa 演じるヒロイン「スカーレット・オハラ」であろう。 『バットマン』の警察署長もまた、「オハラ」であった。 実在の人物としては、ノーベル文学賞を受賞したジョン・オハラ。アイルラ ンドを舞台にした映画『静かなる男』でジョン・ウェインの相手役を演じたモ ーリン・オハラなどがいる。 「O'」ののつく映画人としては、 『荒野の決闘』 『黄色いリボン』 『わが谷は緑な りき』などで知られる、名匠ジョン・フォード監督。彼はアイリッシュで、本 名はショーン・アロイシャス・オフィーニ(O'Fearna)である。 『アラビアのロレ ンス』に主演のピーター・オトゥール(O'Toole)。ノーベル賞作家のユージン・ オニール(O'Neal)。ライアン・オニールにティタム・オニールなど、全てアイ リッシュである。 フイッツの例 アイリッシュ初の大統領ジョン・F・ケネディのミドルネームの F は、フィッ ツジェラルド(Fitzgerald)である。 『華麗なるギャツビー』(1974 年)の原作「グレート・ギャツビー」の著者で ある F・スコット・フィッツジェラルド。 なお、 「マク」や「オー」は、ゲール語起源である。次賞で述べるが、ゲール 語はスコットランドでも使われていた。すなわち、スコットランドにも、この ような名前はある。例えば、『スター・ウォーズ』新三部作でオビ=ワン・ケノ ビを演じる、ユアン・マクレガー(McGregor)。 『0011 ナポレオンソロ』シリーズ のデヴィッド・マッカラム(McCallum)は、 「マク」の名前を持つスコットランド 人である。 ただし、 「映画の主人公の名前」として見ていくぶんには、 「マク」や「オー」 「フイッツ」の名前は、何の説明もなければアイリッシュと考えて良い。 7 (C) 2005 Zion Kabasawa 主人公マギー・フィッツジェラルド。 「Maggie」というファースト・ネームも、アイリッシュにはポピュラーである。 ゲール語起源のケルト名で「火の子供」という意味がある。 アイルランドの伝統音楽に「Drowsy Maggie」という曲がある。 聞きたい人は、こちら↓↓ http://www.blackflute.com/music/tunes/reels/drmaggie.mid ちなみに、イーストウッドの前妻の名前もマギーである。 映画と関係があるかどうかは、わからないが。 この他に、代表的なアイリッシュ・ネームを上げておこう。 ラスト・ネームでは、ケネディ、マーフィー、サリバン、ライアン、リンチ、 ムーア、ケリー、キャロルなど。 ファースト・ネームでは、アラン、コリン、コネリー、コナー、ジェラルド、 ケビン、リアム、パトリック。ブリジット、ケリー、ノラ、パトリシア、リー ガン、などがある。 このように、アイリッシュ・ネームについて知っていると、映画を見ていて も、「あっ、この人アイリッシュだな」と、すぐに気がつくのだ。 8 (C) 2005 Zion Kabasawa 第3章 ゲール語 ゲール語とは、インド・ヨーロッパ語族ケルト語派に属する言語で、今日で は、アイルランドのゲール語、スコットランドのゲール語、マン島のゲール語 (マン島語)の三つが残っている。 アイルランドの第1公用語はアイルランド語(ゲール語)で、第2公用語は 英語である。しかしながら、イギリスによる植民地化の影響により、英語しか 喋れない人が増え、日常的にゲール語が使用されているのは、ゲルタハトゥ (Gaeltacht)と呼ばれる、西部、南西部のごく一部の地域だけである。 一時はアイルランドの 85%の人たちが英語しか話せなくなったが、19 世紀中 頃からの独立運動とともに、ゲール語を復活させようとする運動が広まり、公 文書では英語とゲール語の併用が義務付けられているほか、学校での必修科目 として教育が義務化されている。 私がアイルランドへ行ったときは、道路標識の地名の看板なども英語とゲー メ語が併記されているのが印象的だった。 道路標識 小さく書かれた「GAILLIMN」がゲール語 ゲール語は一言で言えば、アイルランドの失われつつある言語、死にゆく言 語である。フランキーは、高齢でありながら、暇をみてはゲール語を勉強して いる。アメリカにおいては、ゲール語が使われる機会など、ほとんどないにも 関わらず。これは、アイデンティティの問題であり、彼が根っからのアイリッ シュであることを示す。日本文化を理解するために、 「源氏物語」を原文(古文) で読む。そんな雰囲気の描写だ そして、もう一つ。フランキーが、「失われつつある言語」「死にゆく言語」 を大切にしていたという描写が、この映画の核心部分で、重要になってくるの で、注意して見てみよう。 9 (C) 2005 Zion Kabasawa 第4章 アイリッシュとカトリック アイルランドの人口の 95%はカトリック教徒で、アイリッシュ・アメリカン もほとんどがカトリックである。とりわけ熱心な信者が多いと言われる。 アイルランドはカトリック、イギリスはプロテスタントである。その宗教的 な原因によって、イギリスとの間での紛争が耐えなかった。 キリスト教では、自殺が禁止されている。 「汝、殺すなかれ」という教えがあるが、自分自身を殺してはいけない。 そしてカトリックでは、プロテスタントでは容認されている人工妊娠中絶も 禁止されている。カトリックでは、命に対する考え方が厳格で、安楽死、尊厳 死についても認められていない。 「ミリオンダラー」は、主人公フランキーが、カトリック教会に足を運ぶシー ンから始まる。「ミリオンダラー」を見る上で、フランキーと教会のかかわり。 そして、カトリックの教えというものが、テーマと深く関わってくるので、覚 えておこう。 アイルランドのカトリック教会 聖パトリック大聖堂 聖パトリック アイルランドにキリスト教を伝えた とされるアイルランドの守護聖人 10 (C) 2005 Zion Kabasawa 第5章 緑 色 緑色(グリーン)は、アイリッシュのナショナ ルカラーである。アイルランドは緑豊かで、「エ メラルドの島」という別称を持つ。 街の中には、看板や壁の色などいたるところに 緑色が使われ、ポストも緑である。 アイルランドの聖人、セント・パトリックを祝 う「セント・パトリックデイ」はアメリカでも盛 大に祝われるが、その日は緑色のものを身につけ るのがお約束になっている。服や帽子などは当た り前として、髪の毛を緑に染めたり、ビールまで が緑色になる。 緑豊かな国アイルランド アイルランドのサッカー・チームのユニフォー ムも当然緑(右写真)。サポーターも緑一色だ。 シャムロック(クローバー)もまた、アイリッ シュのシンボルです。シャムロックも当然、緑で ある。 サッカー・チーム 左側がアイルランド。 緑色を使った看板や扉 「ミリオンダラー・ベイビー」にも、緑色の衣装が象徴的に出てくる。 それは、アイリッシュという民族的なものを背負って戦っていることを意味し ている。 11 (C) 2005 Zion Kabasawa 第6章 アイルランドの象徴ハープ アイリッシュ・ハープ(ケルティック・ハー プ)は、ケルティック音楽(アイルランドの民俗 音楽)において重要な楽器である。 アイルランドでは、ハープは国の紋章として用い られているほど。大統領や大臣の捺印もハープ で、ユーロのアイルランドのコインにもハープが描 かれている。 すなわち、ハープはアイルランドの象徴とい える。 アイリッシュ・ハープ 「ミリオンダラー」にも、ハープが登場する ので、注意して見てみよう。 ユーロ硬貨 アイリッシュ・ハープの演奏(右写真) 心が透明になるような美しい音色が印象的。 クラシックで使用されるハープより、小さめで ある。 ケルテッィク音楽祭(シカゴ)」にて 著者撮影 アイルランドを代表するギネスビール 会社のマークもハープ ギネスのラガービール ダブリン、ギネス本社前の著者 その名も「HARP」 12 (C) 2005 Zion Kabasawa 第7章 ボクシングとアイリッシュ ボクシングとアイリッシュで、ほとんどの日本人は何の連想もおこさないだ ろう。しかし、ボクシングとアイリッシュは、非常に深い関係がある。 まず、アイリッシュのステレオタイプのイメージとして、 「喧嘩っ早い」とい うのがある。アイリッシュにとって、喧嘩は社交手段のひとつとも言われるほ どだ。 例えば、 『静かなる男』(1952 年)。主人公ショーンは、アメリカでプロボクサ ーだったが、試合中に相手を殺してしまい引退する。そして、祖国であるアイ ルランドに帰郷する。そこで出会った、メアリー(モーリン・オハラ)に思いを 寄せるが、兄は二人の交際を猛烈に反対する。ショーンを全く理解しようとし ない兄と、殴り合いの喧嘩になる。喧嘩の末、二人は理解し合い、兄もようや く妹との交際を認めるのだ。 ボクシングといえば、モハメド・アリやマイ ク・タイソン。黒人のスポーツというイメージ が強いかもしれないが、それは最近の話である。 アメリカ・ボクシング界の初期(1890 年から 1900 年頃)のチャンピオンにはアイリッシュが 最も多かった。そして、その次の時代はユダヤ 人。そして、その次はイタリアン。その後は、 黒人や中南米系と時代によって、ボクシングの 主役となった民族が移り変わっていく。 「殴られる男」(1956 年)の原作者バッド・シ ュールバーグは、 「人種のはしごがボクシングに はある」と述べているほどだ。 ジョン・L・サリバン アイリッシュ初のボクシン グ世界チャンピオン なぜ、そうなるのか。ボクシングにはハングリー精神が必要である。殴り合 って命を張ってまで頂点に登りたいと強く願う人たちは、貧しい階層の人たち である。移民の時代には最下層として人種差別と貧困生活を余儀なくされてい たアイリッシュやユダヤ人。しかし、彼らは現在では豊かになり、ボクシング をやろうと思う人たちは、少なくなった。今は、アメリカのヘビー級などでは、 黒人のチャンピオンばかりだが、それは黒人の貧しさを反映しているのである。 13 (C) 2005 Zion Kabasawa アメリカの移民の歴史とともに、最下層の貧しい人種層が入れ替わり、ボク シングのチャンピオンも移り変わってきた、ということである。 映画の世界でも、主役となる人種は、さまざまである。 ロバート・ワイズ監督の『罠』(1949 年)、ダニエル・デイ・ルイス主演の『ボ クサー』(1997 年)は、アイリッシュ。 『ボディ・アンド・ソウル』(1949 年)は、ユダヤ人。 マーティン・スコセッシ監督の『レイジング・ブル』(1980 年 )、シルベスタ・ スタローン主演の『ロッキー』(1976 年)は、イタリアン。 黒人で初めてヘビー級チャンピオンとなったジャック・ジョンソン(ジェーム ズ・アール・ジョーンズ主演)を描いた『ボクサー』(1970 年)は黒人。 さて、こういった人種的な背景を知ると、イー ストウッド演じるアイリッシュの元ボクシング・ チャンピオン、フランキーという設定は、実にリ アルなものに感じられる。 そして、ボクシングのグローブを買うお金すら ない、ウェートレスをしながらボクシングの練習 を続けるマギー。彼女が持つハングリー精神。こ れは、昔は全てのアイリッシュが持っていたはず であるが、今や忘れられつつあるものである。 そのハングリー精神を武器に、マギーは勝利の 階段を登っていくのだが・・・。 フットボールの名門ノートルダム大学 のフットボールチーム「ファイティン グ・アイリッシュ」のシンボルマーク。 喧嘩、緑、シャムロックと、アイリッ シュ・シンボルのオンパレードである。 結 語 さて、 「ミリオンダラー・ベイビー」に関連のあるアイリッシュ知識を一通り 学んだ。この知識をもとに、 「ミリオンダラー・ベイビー」を存分に堪能いただ きたい。 14 (C) 2005 Zion Kabasawa
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