第29号(H24.2月)

(1)
耐久高等学校同窓会報 第29号
講 演 「母校創立者 濱口梧陵翁より学ぶ」
講 師 湯浅町教育長 垣 内 貞 先生(旧中 39 期)
平成 23 年度 同窓会本部・有田耐久会総会
― 2011.10.2(日)―
湯浅町地域福祉センター
編集者:耐久高等学校同窓会 発行責任者:下野 憲英 発行日:平成 24 年 2 月
上 山 章 善 湯 浅 町 長︵ 高
会長 柏 原 政夫美
会長 九 鬼 利 郎
会長 田 辺 善 彦
会長 萩 平 勲
643-0004 有田郡湯浅町湯浅 1985
耐久高等学校・同窓会事務局
Tel 0737-62-4148
160-0022 東京都新宿区新宿 1-3-12-1002
株式会社 オフィス ココ 桜バンケット
Tel 03-3359-9520
640-8144 和歌山四番丁 26 番地の 2
田辺法律事務所
Tel 073-431-2801
540-0012 大阪市中央区谷町 1-3-17-301 号
ビジネス インテグレート㈱
Tel 06-6941-8282
期 ︶、 九 鬼 利 郎 関 東 耐 久 会
関 西 耐 久 会
支部連絡先
同窓会のホームページ URL http://www.taikyu-h.wakayama-c.ed.jp/obroom/obindex.htm
期︶、
29 卒業生クラス代表との懇談会(学校)
会長︵高 期︶、横山享関西耐久会副会長︵高
15 第8回160周年実行委員会(学校)
25 「頑張れ母校先輩が先生」中西照幸氏講演会
同窓会総会開催!
24 四役員会・忘年会
期︶の方々が来
23 160周年記念事業部会(学校)
中田實宏和歌山耐久会幹事長︵高
26 本部・有田耐久会合同会議(学校)
賓として紹介された。
谷 岡 義 則 氏︵ 高 期 ︶ が 議 長 に 選 出 さ れ、 始 め に
本 部 同 窓 会 議 事 が 進 め ら れ 活 動 報 告、 決 算・ 監 査 報
告 と 進 行 し た。 役 員 会 選 で は、 下 野 会 長 は じ め 役 員
全 員 が 留 任 し、 満 場 一 致 で 承 認 さ れ た。 そ の 後 、 活
動 計 画 案、 予 算 案 が 承 認 さ れ、 来 年 度 開 催 さ れ る 創
立百六十周年記念事業の取り組みについて経過報告
16 160周年記念展示部会(学校)
平成二十三年度
、午後一時から湯浅
平 成 二 十 三 年 十 月 二 日︵ 日 ︶
町地域福祉センターにて、耐久高等学校同窓会本部
及び有田耐久会総会が、多数の参加を得て盛大に開
催された。
総会に先立ち、東日本大震災及び台風十二号で亡
くなられた方々や故橋本佳巳前同窓会長のご冥福を
お祈りし黙祷を捧げた。
﹁母校創立者﹃濱口梧陵翁﹄より学ぶ﹂ がなされた。
第一部は、
と題して、湯浅町教育長垣内貞先生︵旧中
期︶の
続いて有田耐久会議事が進められ、活動報告、活
動 計 画、 決 算・ 監 査 報 告、 役 員 改 選、 活 動 計 画 案、
講 演 を 拝 聴 し た。 教 育、 医 学、 福 祉、 政 治 な ど の 面
会計予算案が承認された。
21 本部役員会(学校)……総会資料の審議
10
拶により総会は終了した。
8. 2 会報編集委員会(学校)
同窓会活動報告
2. 1 160周年イベント部会(学校)
11.
17 第7回160周年実行委員会(学校)
26 本部役員会・新年会
10. 2 平成23年度同窓会本部・有田耐久会総会(湯浅町地域福祉センター)
で数々の業績を残された﹃梧陵翁﹄の遺徳に改めて
期︶
、 松 坂 英 樹 県 議 会 議 員︵ 高
31
3 組織強化支援事業 高60期同窓会(鮎茶屋)
9. 4 関西耐久会総会(弁天町 H大阪ベイタワー)……校長・会長・副会長・事務局
5
期 ︶、
総 会 終 了 後、 懇 親 会 が 行 わ れ、 下 野 会 長 や 来 賓 の
方々の挨拶をい
た だ い た。 垣 内
惇 三 氏︵ 旧 中
期︶の乾杯発声
の 後、 各 テ ー ブ
ルで懐かしい思
い出話の華が咲
39
き、 参 加 者 一 同、
1. 2 組織強化支援事業 高32期同窓会(湯浅城)
9 四役員会(学校)
14
楽しく和やかな
2012(H24)年
4 160周年記念展示部会(学校)
29
17
ひとときを過ご
30 会報編集委員会(学校)
25 四役員会(学校)
7
18
した。
12. 14 会報編集委員会(学校)
2011(H23)年
39
敬服した。
議 長 解 任 後、 宮 井 慶 三 副 会 長︵ 高 期 ︶ よ り 、 台
第 二 部 は、 三 校 歌 斉 唱 の あ と、 下 野 憲 英 同 窓 会 風十二号、十五号による災害義援金について参会者
長︵高 期︶
、柏原政夫美有田耐久会会長︵高 期︶、 に呼びかけた。栩野裕明副会長︵高 期︶の閉会挨
19
中嶋康彦学校長が挨拶された。次に、吉井和視県議
会 議 員︵ 高
22
和歌山耐久会
関 東 耐 久 会
有 田 耐 久 会
13
(2)
耐久高等学校同窓会報 第29号
後、 下 野 会 長 よ り 託 さ れ た 義 援 金
中
嶋
康
彦
日、 紀 伊 半 島 南 部 を 襲 っ
を同窓会の意思と共に伝達させて
校
長 号 の 甚 大 な 被 害 は、 明 治
な 中 に 深 謝 の 気 持 ち を 表 さ れ、 長
拝啓
海・ 南 海 大 地 震 の 時 や 大 水 害 等 の 際
に は、 保 管 場 所 も 厳 選 し、 耐 久 高 等
学校同窓会の善意に応えられますよ
う、 大 切 に 活 用 し て い く 所 存 で ご ざ
和歌山県立耐久高等学校同窓会の
皆 様、 私 は 県 校 長 会 第 ブ ロ ッ ク 理
事校を担当させていただいている県
います。
す。
重 ね て 同 窓 会 様、 中 嶋 学 校 長 様 に
感 謝 し つ つ、 御 礼 の ご 挨 拶 と 致 し ま
立新翔高等学校の七瀧高至と申しま
す。
先 日、 貴 校 の 中 嶋 康 彦 校 長 先 生 よ
り、 台 風 号 の 被 災 が 集 中 す る 第
く お 受 け す る こ と と 致 し ま し た。 そ
11
時 間 点 灯 ︶ を 選 び、
月
コ ー ル マ ン のL E D ラ ン プ︵ 単 一
本で
ブロック
理事会において各校に配布する予定
に開催予定の県校長会第
日
た。 同 封 さ せ て 頂 い た 写 真 に あ る
直後よく聞いたことを思い出しまし
校は地域の 灯 ﹂という言葉を震災
ともしび
暖 め て く れ た と の 記 事 を 読 み、﹁ 学
トーブの灯りが何よりも心も身体も
る ラ イ フ ラ イ ン が 切 断 さ れ た 中、 ス
3
いずれ発生が確実と言われる東南
です。
和歌山県立新翔高校
七 瀧 高 至
校 に 貴 校 同 窓 会 様 よ り 義 援 金 を と の 和歌山県高等学校校長会
お 話 が あ り、 そ の 善 意 を あ り が た 第 ブロック理事校
串 本 古 座、 み く ま の 支 援 学 校 ︶ の
ブ ロ ッ ク︵ 新 宮、 近 大 新 宮、 新 翔、 ありがとうございました。
5
台風 号災害義援金について
月
た台風
の と な り ま し た。 か ね て か ら 自 然
くその気持ちを残せるような活用
頂 き ま し た。 七 瀧 校 長 か ら は 恐 縮
災害に関心の高い本校同窓会とし
をしていきたいとのことでした。
年の十津川村大水害を越えるも
て は、 お 見 舞 い と 復 興 支 援 の 思 い
の ご 厚 意 に、 シ ン ボ リ ッ ク で 実 用 性
月
の高いものはないかと思案致しまし
. の 東 北 大 震 災 の 時、 学 校 が
避 難 所 の 中 核 と し て 機 能 し、 あ ら ゆ
会で義援金を募らせていただきま
を 強 く 抱 き、
5
た。
以 下 は、 七 瀧 校 長 よ り の お 礼 の
日の同窓会総
書簡です。
12
し た。 お 陰 を も ち ま し て、 同 窓 会
万円を集めることが出
本部および有田耐久会からの支援
も合わせ
来 ま し た。 趣 旨 に ご 賛 同 を 頂 い た
皆様には改めて御礼申し上げます。
相 談 の 結 果、 贈 呈 先 は、 被 害 が
甚大な地域でかつ同じ高校関係者
へということで、新宮、近大新宮、
校にさせて頂きま
新 翔、 串 本 古 座 の 各 高 校 と み く ま
の支援学校の
し た。 当 地 域 の と り ま と め で あ
ブロック理事の七瀧
中嶋校長(左)と七瀧校長
2
日の県校長会理事会の
30
母校への、ご理解とご支援を!
12 3
る校長会第
月
11
5
9
新 翔 高 校 校 長 に 代 表 を お 願 い し、
去る
5
5
5
12
5
75
10
14
8
22
10
11
耐久高等学校同窓会報 第29号
(3)
が 入 り ま し た。 そ の 時 は 正 直 耳 を
昨 年9 月 日 私 の 携 帯 電 話 に、
橋本さんがご逝去されたとの連絡
配 し て い た と こ ろ で し た。 私 の 野
ず、
﹁ 調 子 が 悪 い の か な あ。﹂ と 心
見舞いに行きましたがお会い出来
と で し た。 そ れ か ら 後 も2 度 程 お
で 力 を 注 が れ ま し た。 創 立 1 5 0
ち前のセンスで退任された後々ま
かでも充実した会報の発刊には持
化 や 会 報 の 発 刊 に 取 り 組 ま れ、 な
に 同 窓 会 長 に 就 任 さ れ、 組 織 の 強
球部創部100 周年の
創立150周年と硬式野
れ、 少 子 化 に 伴 う 教 育 改 革 の 状 況
と創立160 周年を楽しみにさ
堅い絆で結ばれた四期生の皆様
としてますます責任の重大さを感
最近まぎらわしい呼びかけの電話や郵便が多くなった様です。十分ご注意下さい。
故 橋本佳巳 同窓会顧問︵前会長︶
を偲ぶ
疑 い ま し た。 ま も な く 橋 本 さ ん 宅
球部の先輩でもあり前会長として
周年の際は濱口梧陵先生のブロン
人と寄付金を集めることの難しさ
期︶
から亡くなられたとの報せがあり
いつもアドバイスやご指導を頂い
ズ像の建立をはじめ記念行事を大
下
野
憲
英 ︵高
現 実 の も の と な り ま し た。6 月 に
ていたので大きなショックでし
同窓会 会長
腸が悪く御坊市の病院へ入院され
れ ま で の 地 道 な 活 動 と、 い ろ ん な
に つ い て、 そ の 時 だ け で は な く そ
母 校 耐 久 を こ よ な く 愛 し 心 豊 か ・ 関 西・ 和 歌 山 と 三 支 部 が 再 興 さ
場面で知恵を生かし心で訴えるこ
成 功 に 導 き、 ま た、 こ の 機 に 関 東
元 気 で、 お 盆 ま で に 帰 れ る と の こ
れ、 以 後 の 同 窓 会 活 動 に 大 き な 功
であった橋本さん。
と が 大 事 で あ る。﹂ と 語 り 合 い ま
各々の記念試合で橋本さ
の中いつも母校耐久の将来を案じ
した。
んに多大のご支援とご協
られていました。
ことはできません。
平成 年に橋本さんの
熱心なお誘いにより、私
じ、 母 校 と 同 窓 会 の 発 展 に 努 め て
橋 本 さ ん の 遺 志 に 報 い る べ き、
歴史と伝統を誇る我が母校の会長
力を頂いたことは忘れる
野球部のOB会長として
績 を 残 さ れ ま し た。 私 は 当 時 硬 式
た。
18
たと聞きお見舞いに行った時はお
創立 150 周年記念式典
が会長を引き継ぐことに
有田高女同窓会長 伏木 冨紀子(22期)
各期 幹事一同
問い合わせ先 グリーンソサエティー
三ツ村 0737 − 63 − 0401
日 時 平成24年11月3日 午後1時30分
会 場 耐久高校 体育館
場 所 湯浅町重要伝統的建造物群保存地区
(高40期)
(高40期)
耐久高校160周年式典に合わせ
久々に母校に集まりませんか 日 時 4月11日(水)∼15日(日) 18:30∼21:00
有田高女同窓会の皆様へ
第6回 ゆあさ行灯アート展
2005∼2011年
13
参りたいと思います。
17
な り、﹁ ど ん な 活 動 で も
除幕式
振 り 返 り ま す と 平 成9 年
梧陵翁像建立除幕式で挨拶する橋本氏
(4)
耐久高等学校同窓会報 第29号
西
昭 和 二 十 五 年、 夏 の 県 予 選︵ 於
桐蔭高︶で準決勝まで進めた耐久
邑
孝 ︵高4期︶
なっては懐かしい思い出となって
しまった。
※
大西 義弘 (高16期)
宮 井 慶 三(高7期)
下 野 憲 英(高13期)
デジカメよりプリントは
超高画質フジカラー純正で20分仕上げ!
貸し出し用校章小旗と名札を用意しています。同期会の集いに、ご利用下さい。(事務局)
久大好き人間﹂を貫いた橋本だっ
母校の更なる飛躍と発展を
た。
近 年、 天 台 宗 酒 井 大 阿 闍 梨 の 著
書﹁ 一 日 一 生 ﹂ が 彼 の 座 右 の 銘 と
な り、 爾 来、 彼 と 私 と の 合 い 言 葉
と な っ た。 こ の 著 書 を 多 く の 知 人
に 贈 っ て い る。 兎 に も 角 に も 惜 し
む べ き 人 物 を 失 っ た。 ま さ か 今、
こ の よ う な 一 文 を、 私 が 書 く こ と
オークワ湯浅店 TEL(0737)63−2170
オークワ吉備店 TEL(0737)52−7808
http://crazy-milk.com/
創立160周年
本年 創立160周年 祝創立160周年
高 校 野 球 部 に は 高 校4 期 の 球 児 達
更なる発展を応援します
に な る と は ⋮⋮。 今 も っ て 信 じ ら
氏がこよなく愛した耐久高校の
陸
マーコ
五百に
中邑
上野山
橋本前会長の熱意で実現した
本会報も第29号を発行
氏の遺志を継いで同窓生の絆と
なれる会報作りを目指します。
会報編集委員
橋本氏のご冥福をお祈りし、
が 六 名 い た。 内 五 名 は 往 年 故 人 と
れない。
※
陸
⋮梅本陸男
マーコ⋮川口昌彦
ず も﹁ 東 雲 な び く 生 石 山
⋮中邑信五
夕 日 に 中邑
映 ゆ る 那 耆 の 海 ⋮⋮﹂ 母 校 校 歌 が 上野山⋮上野山和夫
⋮橋本佳巳
の各氏
悲 し み の 中、 斉 唱 さ れ る サ プ ラ イ 橋竹
⋮五百崎博巳
あ の 日、 彼 の 出 棺 の 折、 は か ら 五百
な り、 殿 と な っ た 主 将 橋 本 佳 巳
主将橋竹
花道を行く
に、 非 情 に も タ ッ チ ア ウ ト の 審 判 こ れ は、 私 が 彼 の 仏 前 に 手 向 け
た愚作である。
が 下 さ れ た。 時 に 平 成 二 十 三 年 九
月十八日早朝のことであった。
私 は 十 数 年 前、 野 球 部 特 別O B
と し て 迎 え ら れ、 故 人 ら と 旅 行 や
会 合 を 共 に し た も の だ っ た。 今 と
ズ が 起 こ っ た。 曾 て 卒 業 生 一 個 人
にかようなことがあっただろう
か。 四 期 生 の 絆 と 故 人 の 徳 が、 そ
うさせたのだろうか。
長 を 八 年 間 つ と め た。 中 で も 創 立
がんばろう耐久
柏 原 政夫美(高19 期)
母校の更なる発展を!
1
〒 643-0032 有田郡有田川町天満 60
TEL(0737)52 − 5235
FAX(0737)52 − 5630
ご出産やお誕生日の
お祝いに最適のオムツケーキ
有田市古江見75−5
TEL
(0737)
82−4466
FAX
(0737)
82−2888
法眼 正和(高13期)
法眼 貞子(高19期)
古川総合設備
湯浅 62 − 2438
関 西 学 院 大 学 を 卒 業 後 は、 母 校
同 窓 会 発 展 の た め 尽 力 し、 同 窓 会
高校4期生の球友 夏の予選ベスト4に
関連事業
電気工事・浄化槽維持管理
各 種 水 道 設 備 工 事
法眼米穀店
百五十周年記念事業には東奔西
走、 ま た 四 期 生 仲 間 も 一 丸 と な り
協 力 し た こ と は、 各 自、 今 で も 誇
り に 思 っ て い る。 現 世 を 去 る 間 際
ま で、 愛 す る 耐 久 の こ と が 頭 を よ
ぎったに違いない。ペンネーム﹁耐
野球部OBらとの旅行(中央が西邑氏)
橋本佳巳君を偲んで
耐久高等学校同窓会報 第29号
(5)
生 徒 感 想 記
︵東京大学医学部大学院教授︶
*記念展示
平成 年 月 日︵金︶
日︵土︶
久し振りに
母校へお越し下さい!
メールアドレス t a i k y u - o @ c r e a m y . n a x . n e . j p
和歌山耐久会だより
﹁ が ん ば れ 母 校! 生も多数参加されました。今回の講 で、少し気が抜けていた自分に気づ
月 日︵ 金 ︶
和歌山耐久会
先輩が先生﹂講演会が開催されまし 演をきっかけに、本校生徒の中から、 きました。でも今回の講演を拝聴し
た。今年は、本校を昭和 年に卒業 将来、研究者として活躍する人物が て、﹁ ま だ ま だ す べ き こ と が あ る ﹂
と痛感しました。夢を叶えるには楽
︵ 高 校 期 ︶ さ れ た 日 本 大 学 生 物 資 現れることを願っています。
な 道 に ば か り 逃 げ る こ と は で き な い 昨 年 月 日、 和 歌 山 耐 久 会 幹 事
源学部獣医学科教授中西照幸先生を
会 を 開 催。 忘 年 会 を 兼 ね ま し て、 今
のだと改めて思い知りました。また
お 迎 え し、
﹁初志貫徹∼研究者とし
年開催予定の和歌山耐久会総会につ
自分には直接関係がなかったとして
て生きる∼﹂をテーマにご講演いた
いての打ち合わせを行いました。
も、違う分野に触れることで新たな
だきました。
発見や違った見方が出来るようにな 尚、 下 野 憲 英 会 長 の 参 加 を 頂 き、
3年
湊
彩
実
中 学 校 時 代 か ら 研 究 者 を 志 望 し、
本年 月または 月頃の和歌山耐久
﹁ 初 志 貫 徹 ﹂。 今 回 の 講 演 の 題 名 るという考え方も、新鮮に感じられ
その夢を実現させる過程や研究生活
会総会の開催が決められました。
の魅力、また現在の高校生に望むこ でもあるこの言葉が、このお話の全 ました。
となども含めた講演内容でした。特 体像を表していたように思います。 この先過ごしていく中で、様々な 今 年 秋 の 創 立1 6 0 周 年 記 念 式 典
の 前 哨 と し て、 盛 り 上 げ て ゆ く 事 を
中西照幸先生のお話の中で、前後 経験を通し、自分の考えも多様にな
に 研 究 者 の 魅 力 に つ い て、
﹁新しい
念頭に置いての決定でした。
発見は自身の知的好奇心を満たすこ にあったのが、﹁夢を諦めないこと﹂ ると思います。だからこそ、その世
和歌山耐久会幹事長
と﹂
﹁ 世 界 中 に 友 人 が で き、 一 番 を ﹁究めること﹂﹁異分野に挑戦するこ 界 の 中 で 色 ん な 人 と の 縁 を 大 切 に
中田
目指すことで達成感、充実感が得ら と﹂でした。先生は、幼い頃から海 し、あらゆることに挑む意志をもっ
實宏
れること﹂
﹁ 社 会 や 人 々 の 幸 せ に 貢 と親しみ、興味を持った海の生態系 て、﹁ 自 分 の 限 界 点 ﹂ を 自 ら つ く る
献できること﹂など、高校生にとっ のことを一貫して調べていらっしゃ ことのないよう、夢に向かって踏み
耐久高校は今年
て将来を考える上で大変参考となる いました。現在の先生に至るまでの 出してゆこうと思いました。
お話を聞かせていただきました。
過程をお聞きしていると、自分の夢
創立 周年を迎えます
講演会には全校生徒・教職員の他、 と興味、そして周りの人々との関わ
同窓会役員、そして中西先生の同級 り が 基 盤 に な っ て い る よ う で し た。
4
*記念式典
平成 年 月 日︵土︶
午後 時 分から
*アトラクション
合唱﹁稲むらの火∼津波から
村を守った男の話﹂他
*記念講演
講 師
谷口 維紹 先生
5
3
3 2
自分のやりたいことを見つけ、そこ
に達するまでに努力をしていらした
ことが頭に残っています。一浪して
で も そ の 大 学 を 諦 め ず 受 験 し 直 し、
就職も妥協することなく勉学に励ん
でいたからこそ、厳しい倍率を突破
10
30 11
11
できたのだと分かりました。
私も幼少の頃からの経験や環境か
ら、将来自分がしたいこと、学びた
いことをぼんやりとではありますが
描くようになり、少しずつそのため
に 歩 み を 進 め て い ま す。 今、 そ の 一
歩目を踏み出すことができたこと
12
160
1 24
24
「がんばれ母校 ! 先輩が先生」
学校支援活動
(6)
耐久高等学校同窓会報 第29号
11
25
20
43
こ と、 ご 自 身 も お ⋮⋮この歌が耐久にゆかりのある人々
、
平 成 年 月 日︵ 日 ︶
関西耐久会
父 様 の 跡 を 継 ぎ ヤ の耐久を思う心のよすがとして、歌い
関西耐久会総会が今年もホ
マ サ 醤 油 の 発 展 の 継 が れ る こ と を 願 っ て い ま す。﹂ と い ゴルフコンペ開催
テル大阪ベイタワーで行わ
た め ご 尽 力 さ れ た う作詞者の気持ちを汲み、もう一度み
れ ま し た。 前 日 は 台 風 号
こ と を お 話 く だ さ んなで校歌を歌いました。
が も た ら し た 大 雨 で、 紀 伊
関西耐久会第 回のゴル
い ま し た。 朗 々 た 会場からもいろいろお話をいただき フ コ ン ペ を、 平 成 年 月
半島が大きな山崩れを起こ
る 声 と ユ ー モ ア の ました。なかでも、元校長の藪添泰弘
日︵ 金 ︶ に 泉 南 カ ン ト リ
し、 た く さ ん の 方 が 被 害 を
ある話し振りから、 様が生徒たちに話した校歌への思いと ー ク ラ ブ で、 名 の 参 加 で
受 け、 心 を 痛 め な が ら の 開
濱 口 梧 陵 翁 と ヤ マ アメリカ旅行での濱口梧陵翁にまつわ 開催しました。
会 で し た。 し か し、 紀 勢 線
サ 醤 油 を ど れ ほ ど るお話が印象的でした。
が 不 通 の 中1 1 0 名 の 同 窓
当日はセルフプレーでも
愛していることか
あ り、 コ ー ス の 整 備 と 重 な
生が集い、
﹁わが耐久の源流
そうそう、会場からの質問が一つ未
が 一 同 に 伝 わ り ま 解決のまま残っています。弁当を食べ り、 グ リ ー ン の コ ン デ ィ シ
に浸る﹂ことができました。
した。
ま ず、 恒 例 の 校 歌 斉 唱・
る と き、﹁ 女 子 は 教 室、 男 子 は 外 で 立 ョ ン は よ く あ り ま せ ん で し
会 長 挨 拶 に 続 き、 来 賓 代 表
第 番 目 は 皆 様 ち弁﹂これはいつから始まり、いつま た が、 み ん な 元 気 よ く 和 気
よ く ご 存 知 の 垣 内 で続いたのか?ということです。どな あ い あ い の 中、 無 事 開 催 す
として同窓会会長の下野憲
ることが出来ました。
英様、校長の中嶋康彦様からご挨拶を 貞様です。耐久舎創立から耐久高校へ たか答えてください。
い た だ き ま し た。 幹 事 長 報 告 の 後 は、 の発展の歴史を語ってくれました。表
和 や か な う ち に 講 演 会 を 終 え、 懇 親 優 勝 は 期 の 岩 倉 恒 行 氏
いよいよ講演会です。今回は、 人の や写真を載せた資料とともに耐久の歴 会に移りました。新卒業生が来てくれ でした。
方 に 耐 久 に ま つ わ る お 話 を い た だ き、 史 を 詳 し く 説 明 し て く れ ま し た。﹁ こ るかと期待して、ご馳走を沢山用意し
次 回 は 第 回 を、 同 泉 南
その後会場一体となって、ディスカッ ん な す ば ら し い 学 校 だ と 高 校 時 代 に ていたのですが、一人も来てくれませ カ ン ト リ ー ク ラ ブ で 5 月
シ ョ ン や 質 疑 応 答 を 行 い、﹁ 耐 久 の 源 知 っ て い た ら、 も っ と 違 っ た 人 生 に ん で し た。︵ 無 料 招 待 し て い た の に! 日︵金︶に予定しております。
流に浸る﹂という形態をとりました。 な っ て い た の で は ﹂ と コ ー デ ィ ネ ー 残念。来年も新卒業生は無料です。卒 多 数 の 御 参 加 を お 待 ち し て
ターの萩平勲会長が感想を述べられて 業式のときにプリントを配布します。︶ います。
第1 番 は 千 葉 県 か ら お 越 し く だ さ っ
関西耐久会幹事
た 菖 蒲 谷 浩 平 様 で す。 濱 口 梧 陵 翁 の 生 い ま し た が 、 全 く 同 感 で す と 会 場 の 全
懐 か し い 出 会 い 有 り、 楽 し い 話 が
岡
涯 や ヤ マ サ 員が思ったことでした。
盛 り 上 が り、 紀 州 の 味
伸彦 ︵高 期︶
第 番目は校歌の作詞者
醤油との関
覚 も 登 場 し て、 時 過
係 な ど お 話 清 水 康 夫 様 で す。 あ い に く
ぎまでホテルが耐久色
く だ さ い ま ご 体 調 不 良 の た め、 お 手 紙
いっぱいになりました。
し た。 お 父 で の 参 加 と な り ま し た。 教
来年の再会を約束して
様 が 広 川 え子である幹事長地引民子
お 開 き と な り ま し た。
町 で 生 ま が 代 読 を い た し ま し た。 文
来 年 も 楽 し く、 た め に
れ、 梧 陵 翁 面 か ら﹁ 清 水 先 生 ﹂ の お 人
なる企画を準備します。
に 請 わ れ 銚 柄 や ら、 当 時 の 耐 久 生 の 意
ぜ ひ、 多 く の 耐 久 生 の
子 に 行 き 梧 気 込 み が 感 じ ら れ ま し た。
お越しを待っています。
陵翁ととも ﹁ 校 歌 は そ こ に 集 う 人 々 に
関西耐久会幹事長
に 歩 ま れ た よって共有されるものです。
地引
民子 ︵高 期︶
3
17
耐久高等学校同窓会報 第29号
(7)
関西耐久会
関西耐久会総会「わが耐久の源流に浸る」
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同窓会のホームページ URL http://www.taikyu-h.wakayama-c.ed.jp/obroom/obindex.htm
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19
79
(高37期・S60年卒)
藤並駅裏 西口通り
[email protected]
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㪿㫋㫋㫇㪑㪆㪆㫎㪸㫂㪸㫐㪸㫄㪸㪄㪽㫇㪅㪺㫆㫄
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◆ 地元、有田耐久会にご入会を!(お問い合わせは事務局 0737-62-4148)
28
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14
関東耐久会 秋の行事
に涙が伝わり、約2時間半感動した時間を共
関東耐久会
有田耐久会
有することができました。
そ の 後 場 所 を 移 動 し、 近 く の ホ テ ル の 展 望
第6回有田耐久会ゴルフコンペ開催
レ ス ト ラ ン に て 懇 親 会 と な り ま し た。 東 京 湾
に か か る レ イ ン ボ ー ブ リ ッ ジ、 真 下 に 浜 離 宮
昨年実施した演劇鑑賞会﹃サウンド・オブ・ 公園と墨田川そして反対側には東京タワーと 平 成 年 月 日︵ 水 ︶、 有 田 東 急 ゴ ル フ ク ラ
ミュージック﹄は日頃ミュージカルに接した
ブに於いて、恒例のゴルフコンペを開催いたしま
ことがなかったとして非常に好評を受け、今 素晴らしい景色を見ながら、フランス料理の した。今回は 組 名と、やや少ない参加者数で
コ ー ス と ワ イ ン 等、 優 雅 な 時 間 で し た。 も ち
年も鑑賞会を実施することになりました。
し た が、 和 気 あ い あ い と し た 中 に も 真 剣 な プ レ ー
月 日︵日曜日︶当日の参加者は 名で ろん楽しい会話が一番でした。遠出や一人で で、参加者全員楽しい一日を過ごしました。
した。浜松町の劇団四季劇場前に集合し入場 の観劇会参加はどうも億劫等と心配された方
もきっと一日ゆったりと過ごされたことでし 今回は榎木新治さん︵ 年卒︶がグロス で優
前に記念写真を撮りました。
ょう。旧友や先輩・後輩と一緒に会食や歓談 勝されました。ちなみにベストグロスは、平野栄
今回は、国内で未踏のロングランを記録し をすることで、お互いに刺激をうけ、次の再 樹さん︵ 年卒︶の というすばらしいスコアで
ているミュージカル﹁ライオンキング﹂でし
した。
た。昨年に引き続き楽しみにして下さった方 会を約束されたことでしょう。
次回は、 月 日︵水︶に有田東急ゴルフクラ
もいて、早々に参加人数が把握でき良い席を 今年は3 月の震災・福島原子力発電所事故 と私達は大きなショックを受けました。人と ブでの開催を予定しています。初参加の方も大歓
確保することが出来ました。
のつながり・絆の大切さ、エネルギーの節約、 迎ですので、腕に自信のある方もない方も、皆さ
内容は家族・仲間・先祖の大切さや自然界 事故への備えと過去の教訓を見直し知ること
んふるって御参加下さいますようお願いいたしま
の理念を息子に教えるライオン王の父。ある
日父の死が自分のせいだと思い込み、群れを にもなりました。どうか、今後も大勢の方に す。
離 れ る 子 ラ イ オ ン。 広 い 台 地 で 友 と 出 会 い、 参加してもらえるよう活動してゆきますので
﹁ハクナマタタ︵くよくよするな︶
﹂の歌に励 ご協力お願いします。
﹁稲むらの火祭り﹂へ参加
関東耐久会 会長 九鬼 利郎
まされ成長し、最後には自分の助けを求める
仲間のいる故郷へと戻ってゆく 愛
平成 年 月 日︵土︶に開催された﹁稲むら
" と勇気 "
の物語りでした。特に舞台衣装と役者達の動
の火祭り﹂に参加しました。あいにくの小雨模様
きは高い評判で、メインキャストがかわって
の中を、下野会長初め、同窓会員十数名で松明を
も一層洗練され新鮮になっていました。
片手に広川町役場から広八幡神社まで元気よく歩
実は私は 度目の鑑賞でした。まず開幕す
き ま し た。 途 中、 九 州 か ら 来 ら れ た と い う 方 に、
ると、夕焼けの中、舞台正面に二頭の大きな
稲わらを燃やしている理由を聞かれ、簡単に説明
演技者が扮するキリンが登場しました。観客
をすると、大変興味を示してくれた様子でした。
席からは次から次と演技者が演じる動物達が
終了後、夕食会を開き、情報交換をしたり、い
登場し、私たちの席の通路からも舞台に上が
ろいろとおしゃべりをして楽しい一時を過ごしま
っていきました。その動きに目が離せません。
した。少人数での参加でしたが、こうした小さな
躍動する音楽が一層物語を盛り上げ、観客と
こ と を 積 み 重 ね て い く こ と が、 同 窓 会 の 発 展 に つ
舞台が一瞬にしてサバンナにいざない呼吸す
ながるのかなあという思いがした一日でした。
る 空 気 ま で が 別 世 界 と し て 感 じ ら れ ま し た。
その世界観に一体となり感動の中、自然に頬
︵高 期︶
有田耐久会会長
柏原
政夫美
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(8)
耐久高等学校同窓会報 第29号
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耐久高等学校同窓会報 第29号
(9)
組織強化支援活動
憚なく接することが
歳を迎えること
できる貴重な存在で
を記念に、去る1月
す。自分の周りや環
2日、国民宿舎﹁湯
境はずいぶん変わり
浅城﹂で、私たち
ま し た が、 良 い よ う
期生の同窓会を開き
な 悪 い よ う な、 自 分
ました。8年ぶり3
そのものはあまり変
度目の学年全体の同
わっていないことを
窓会で、110 名の
実感しました。
参加者でした。容姿
や体調は年月の積み
我が母校が今年
重ねには逆らえず
160 周年を迎えま
様々ですが、気持ち
す。つい先日ですが、
はタイムスリップし
他府県の方から、﹁耐
たかのように高校の頃に戻り、当 久﹂の意味を聞かれたので、﹁耐久﹂
時の思い出や近況など、それぞれ には﹁永久﹂や﹁継続﹂という深
熱く語り合いました。途中、クラ い意味が込められていることやそ
スごとの写真撮影やプレゼントの の歴史をお話すると、その方はず
抽選会を行い、話も尽きることな いぶん感心されていました。また、
く3時間があっという間に過ぎま 今年度から小学校の教科書に﹁稲
し た。 最 後 に、 皆 で 校 歌 を 歌 い、 むらの火﹂が載り、昨年の甚大な
エールを交わすとともに、幹事の 災害もあり、改めて﹁耐久﹂の精
労をねぎらい、次の同窓会を 年 神の大切さと重みを感じました。
後の還暦の年と決めて、なごり惜
昨 年 の﹁ 今 年 の 漢 字 ﹂ は﹁ 絆 ﹂
し く 同 窓 会 は 終 了 し ま し た 。 ま た で し た。 同 窓 会 も 強 く て 大 切 な
その後、2次会も半数以上が参加 ﹁絆﹂です。今回約 年ぶりに会っ
し、更に4時間を楽しく過ごしま た人もいました。それぞれがそれ
し た。 私 た ち は 普 段 色 ん な 人 間 ぞ れ の 道 を し っ か り と 歩 ん で い る
関 係 の 中 ことが嬉しく、励みにもなりまし
で 生 活 を た。次回の同窓会を健康に注意し
し て い る て 楽 し み に 待 ち た い と 思 い ま す。
わ け で す 最後になりますが、私たちの同窓
が、同窓 会の開催に当たり、耐久高校同窓
生 と い う 会事務局から後押しと援助をいた
のは、同 だいたことに深く感謝申し上げま
じ立場で す。
気軽に忌
代表幹事 中山 浩樹
平成二十四年一月三
日、 平 成 二 十 年 卒 業 生
の同窓会が鮎茶屋にて
開催されました。卒業生
百四十四名と先生方が
七名︵種治・戸根・細峪・
三 木 和・ 稲 葉・ 川 口 裕・
西川先生︶参加してくださいま
した。
幹事代表の栗生君の挨拶から
は じ ま り、 お 宝 ガ ー ル ズ 中
(尾
君・ 安 井 君 の
) 漫 才、 お 世 話 に
なった先生方からのビデオレ
ター、そしてビンゴゲームが行
われました。クラスごとに席に
着 き、 そ れ ぞ れ 担 任 ・ 副 担 の 先
生 を 囲 み、 就 職 の 話 や 高 校 時 代
の懐かしい話に花を咲かせてい
ました。卒業して四年が経過し
ても、変わらぬ笑顔で友達や先
生方とふれあい、同窓会を楽し
む光景があちらこちらでみられ
ました。
先生方からのビデオレターで
は、 十 三 名 の 先 生 方
に協力していただき
ました。ビデオレター
から流れる懐かしい
先生方からのメッ
セージに会場は大盛
り 上 が り。 ま た、 ご
出席いただいた先生方からも
メッセージをいただき、まるで
高校時代にタイムスリップした
ような感じがしました。引き続
きビンゴゲームでも液晶テレビ
やゲームが当選するなど、みん
なドキドキしながら楽しくゲー
ムに参加していました。
今でも目を閉じると、先生方
から教わった多くのことや仲間
と共に精一杯取り組んだクラブ
活 動、 ク ラ ス が 団 結 し た 文 化 祭
を は じ め と す る 学 校 行 事 な ど、
懐かしい高校時代の思い出がよ
みがえってきました。
今年の春から私たち高校 期
生のほとんどは社会人になりま
す。 こ の よ う な 素 晴
らしい思い出を大切
に、 ま た か け が え の
ない出会いを大切に、
それぞれの就職先で
しっかりと働きたい
と 思 い ま す。 い つ の
日か今より少し成長
し た 姿 で、 み ん な ま
た会いましょう!
幹事代表
岡本 愛美
60
同窓会への問いかけ・ご提言は、何なりとお申し出下さい。(事務局)
高60期
高校60期同窓会を終えて
高 32 期
耐久高校32期生同窓会手記
50
32
10
30
安図 修
に開会、冒
・ 組 同窓会 還暦と卒寿を記念して
再会を 喜 ぶ
高 期 ・ 組同窓会 頭 物 故 者 に
対して黙祷
をささげた
日時 平成 年 月 日
生は、同窓会にはいつも論文
私達、耐久高校十一期卒業生の ようやく猛暑がやわらぎ、
後、来年、創立160 周年を
場所 ﹁サロン・ド・ブレスト﹂和歌山市 を準備され、講義を少しされ
﹁三年一組﹂は、その名を﹁耐久 秋風が吹き始めた 月 日有
迎えるにあたり、事務局を代
高校三年一組会﹂と名付け、卒業 田市宮原﹁橘家﹂において
月で定年退職を迎え、こ ました。今回も例外ではあり
表して大西義弘君から記念 以来二年毎にクラス単独の同窓会 年ぶりの同窓会を開催した。
れを機に皆で集まろうと計画 ませんでした。最近は東洋学
グッズ販売に関し協力要請が
開催日直前には、 月初旬
を開いています。
し、ちょうど卒寿を迎える芝 に関心を持ち、毎日モンゴル
あり、一次会終了後、出席者
に襲来した台風 号の爪あと
田栄一先生に連絡を取ったと 語文献を読み解いているよう
特に会則はありませんが、﹁お
全員が購入した。
互い同志何でも話会えるよき仲間 が県内各地に残る中、引き続
ころ、体調が万全ではないに で、向学心には頭が下がる思
続いて、横浜から出席され
であること﹂をモットーとして継 き 号が襲来、交通機関にも もかかわらず、喜んで参加し いです。
た安田勝也君の音頭で乾杯を
影響が出て開催時間に遅れる
続してまいりました。
てくれました。先生は当時ひ さて、今回集まったのは
したあと食事をしながらの歓
出席者や、出席を予定してい
そかに﹁カント﹂と呼ばれ、 名。年相応の容姿にはなって
今回は十一月五日に会場を大阪
談に移った。宴会の途中では
﹁梅田 知暮里﹂に移し、毎回遠 たところ自宅が床上浸水のた
その授業︵世界史︶は教科書 いるものの、なつかしい顔に
出席者全員から近況報告を行
路アメリカ・シアトル市から参加 め、やむなく欠席せざるを得
から離れ、スワヒリ語や、サ 出会うたび、頭は一挙に高校
い、現在も勤めている方、
される﹁小山克己君﹂を含め二十 なくなった方もあった。それ
ンスクリットなど言語学の専 時代にさかのぼりました。
農業をしている方、事業をし
でも出席者 名の参加を得て
数名が集いました。
門性の高い、まさしく大学の 定年を迎え、家の農業に専
ている方など 歳を過ぎた今
盛大に開催することができた。
講義そのものでした。テスト 念する人、まだまだ家業の商
五十数年前の在学時代のエピ
もまだまだ現役で働いている
予定より 分遅れ、 時
ソードやクラスメートの消息など
時は教科書、ノート、参考書 売で忙しい毎日を送っている
方がほとんどであった。趣味
に華が咲き、二年後には母校に
等 何 で も 持 ち 込 み 可 で し た 人、再び大学で自分の好きな
やスポーツを楽しんでいる方
近い由良町で開催することに決定
が、授業ノートがないと、ほ 分野の勉強をしている人、な
やボランティア活動をしてい
し、より多くの級友の参加を願い
とんどわからないというよう ど様々ですが、一人一人の近
る方など生き甲斐を持って生
ながら名残を惜しみつつ閉会しま
なものでした。学者である先 況スピーチは笑いの渦で、本
活をしているようであった。
当に楽しいひとときを過ごし
した。
時間をすぎても、なお話が
ました。その後、みんなで歩
︽耐久 高 校 三 年 一 組 会 永 遠 な れ ! ︾
尽きない状況であったが、次
いて和歌山城の紅葉渓庭園を
石田
真紀
回の幹事を選出し、お開きと
散策し、﹁紅松庵﹂に入り抹
なった。引き続き、橘家の別
茶をいただきました。まだ紅
室において実地した二次会で
葉は早いものの、季節のよい
は、カラオケで盛り上がり、
ときに久しぶりのお城散策も
時間の過ぎるのも忘れるほど
なかなかよいものでした。西
で、最後はみんなで﹁青春時
の丸と二の丸に架かる﹁御
代﹂を合唱し、気がつけば下
廊下﹂を通り抜け、次回また
弦の月が東の空に昇り始めて
元気で会うことを約束し、流
いた。
れ解散となりました。
三木
明美
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30
( 10 )
耐久高等学校同窓会報 第29号
高 11期
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高 16 期
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「同窓会館建設」夢の実現にご理解とご協力を!
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高 21期
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耐久高等学校同窓会報 第29号
( 11 )
第 期同窓会
をはじめ、多くの景品が用意され、
必死になってカードを見つめる姿も
⋮⋮。また、 円じゃんけんでは、
50
38 33
高校 期同窓会
52
58
の取り方で皆を惹きつけ、
場の雰囲気を盛り上げてい
ただきました。
卒業生にも急遽スピーチをし
柏原先生が最後まで勝ち残り、参加
平成 年 月 日、2000 者全員分の 円を獲得して大喜びさ 年 卒 業 生 に よ る 同 窓 会 が 行 わ れ て い た だ い た り 、 カ ラ オ ケ を 披
れていました。会場が大盛り上がり ま し た 。 本 会 は 年 前 に も 開 催 露 し て い た だ き ま し た 。 ス ピ ー
の中、最後に母校耐久高校の校歌を し て お り 、 短 期 間 で の 開 催 と な チ を す る 表 情 は 凛 と し て お り 、
全員で大合唱し、次回の同窓会は
りましたが、本年度は私たちが かつて私たちが高校生だった頃
歳の歳に開催することを決め、一次 三 十 路 を 迎 え る 年 で も あ り 、 ひ と は 見 違 え る ほ ど で し た 。 そ し
会は閉会となりました。
とつの区切りとして開催を希望 て、懐かしい曲を聞くと 年前
参 加 者 の 半 数 以 上 は1 次 会 の 盛 り し た と こ ろ 、 先 生 名 、 卒 業 生 を 思 い 出 し 、 ま る で つ い 最 近 の
上がりのまま場所を変えての2次会
名︵男子 名、女子 名︶の合計 ことのように思えました。
終盤には、前期生徒会長と後
へとなだれ込み、別れを惜しむかの
名
に
ご
参
加
い
た
だ
き
ま
し
た
。
期生徒会長のコラボレーション
ように昔話は続きました。その後、
先生方には簡単なスピーチを
3次会へ⋮⋮。懐かしさに包まれた お 願 い し 、 近 況 報 告 や 楽 し い お ス ピ ー チ を し て い た だ き ま し
1日は終わりました。
話、将来の夢などを話していた た 。 お 二 方 と も 生 徒 会 長 ら し
戸川しをり だ き ま し た 。 長 年 教 師 を さ れ て く 、 毅 然 と し た 面 持 ち で 本 会 を
い る 先 生 方 な の で 、 話 し 方 や 間 締めくくっていただきました。
家庭や仕事の都合等で参加で
きなかった方もいらっしゃいま
したが、懐かしい思い出話から
現在の状況まで、時間の許す限
高 52 期
24
36
2012年1月2日︵月︶有田市
宮原町の橘家で昭和 年度卒業生学
年同窓会が開催されました。卒業後
初めての同窓会ということもあり、
参加者は4 名の先生方︵吉松・立
野・柏原・藤本先生︶を含め175
名の大人数となりました。
石垣君の名司会でスタートし、柏
原先生の御挨拶、物故者への黙とう
に続き、吉松先生の御発声で乾杯と
なり、会場は堰を切ったかのような
大宴会となりました。参加者全員が
自身の高校時代の写真が印刷された
名札を付けていたこともあり、あち
らこちらで当時の写真と実物を見比
べながらの話
に盛り上がり
ました。ま
た、会場のス
クリーンに
は、当時の遠
足や修学旅
行、球技大会
り、多くのことを話すことがで
きました。今となっては日々の
生活に追われ、若かりし頃を振
り返る時間もほとんどありませ
んが、このように集まって昔を
懐かしむことが出来たことを大
変嬉しく思います。
また数年後、より多くの方々
にお集まりいただけることを、
心より願っております。ご参加
くださった皆様、本当にありが
とうございました。
幹事代表
宮 美枝
湯浅町栖原
TEL 0737−63−1612
〒643-0034 有田郡有田川町小島288
TEL 0737−53−2461
FAX 0737−53−2555
www.sunnyside-nn.net
12
中 尾 一 平(高 27 期)
ナ ル ト
株式会社
(高18期)
のスライドが
流され、懐か
しい思い出話
に花が咲きま
した。
ビンゴゲー
ムでは、一等
の液晶テレビ
2
2
5
15
1
18
太 平 丸
‫ܮ‬ȁਗȁ෿ȁ̠ȁ̓ȁͭ
გ‫ظ‬५ಎ‫̷͊ل‬
則 岡 宏 牟
100
100
高36期
郵便振替口座の開設について(口座番号)00900-5-298293(口座名称)和歌山県立耐久高等学校同窓会(加入者払込局)湯浅郵便局
硬式野球部の巻
現 在 の 部 員 数 は、 2 年 生
けですが、この六名を競わせチ
課題です。六名の投手がいるわ
合を重ねることにしました。三
൳ௗ ‫ظ‬
ġġ
౭ġ
齋
藤
春太郞 ︵旧中 期︶
・こけないで転ばないでの合い言葉
年の初めの二人の願い
井
原
禮
子 ︵高 期︶
・暖かき台湾に来て旧正の
古き仕来りに人の温もり
中
西
令
子 ︵高 期︶
・被災地の那智の社に黄上﨟
ホトトギス咲く荒れし土から
下
野
香
代 ︵高 期︶
・籾殻を焼きいる畑に煙立ち
飛鳥の里に秋深まりぬ
16
﹃編集後記﹄
那耆の海は今、早春の明るい光
に輝いています。
昨年は、三月の東日本大震災、
それに伴う福島第一原発の事故、
さらに九月の台風十二号による豪
雨災害と日本列島が大きな自然災
害に見舞われた年でした。それと
ともに、家族や仲間、地域とのつ
ながりなど人と人との﹁絆﹂の大
切さを改めて知らされた年でもあ
りました。
昨年九月、長年母校の発展のた
め献身的にご尽力された橋本佳巳
前同窓会長がご逝去されました。
謹んで哀悼の意を表し、ご冥福を
お祈りします。
昨年十月、同窓会総会を開催、
下野会長はじめ全役員が留任さ
れました。本年開催される創立
一六〇周年記念事業に向け、その
準備が着々と進んでいます。
卒業される生徒の皆さん。皆さ
んの限りない前途を心から祝福
し、﹁三望の精神﹂という言葉を
贈ります。どんな時にも﹁希望﹂
をもち、多くの人からの﹁人望﹂
を得て、未来を﹁展望﹂できる人
生を歩んでください。さらに母校
を忘れず、同期の交友を一層広め
深めてください。
耐久同窓会はいつまでも皆さん
の心のふるさとでありたいと応援
しています。
故郷やどちらを見ても山笑う
子規
本会報の発行に際し、多くの
方々からご支援・ご協力をいただ
き、心からお礼を申し上げます。
▶ご投稿お待ちしています。〒 643-0004 湯浅町湯浅 1985 耐久高等学校・同窓会事務局 TEL(0737)62-4148
にあたっております。
一五名︵女子マネージャー
ーム力をアップさせるため、今
毎年、チームの力を考えなが
ら練習や練習試合をするわけで
本 校 硬 式 野 球 部 は、 今
年 で 一 〇 八 年 を 迎 え ま す。 すが、今年のチームは投手力が
二名含︶
・一年生一二名の
れる選手権大会に向けて、日々
月 か ら 六 月 ま で の 四 か 月 間 で、
年の三月からはとにかく練習試
練習に励んでおります。私も本
四二チーム計六九試合を予定し
計二七名で、今年の七月に行わ
校同窓生であり、硬式野球部の
ております。本校硬式野球部の
40
11
18
20
39
OBでもあります。監督をさせ
24
日程・試合結果などは、携帯電
11
絆
ていただき、早いもので4年が
12
部活OB・OGたちの
経ちました。創部以来果たせて 話 か ら 見 る こ と が で き、﹃ 中 紀
◎
一
月
、
澤
さ れ ま し た。︵ 享 年 八 十 二
穂希選手が国
際サッカー連 盟より、 女 子
歳︶県教育委員として三
いない甲子園出場と、生徒一人 この店ドットコム﹄のなかでご
世 界 最 優 秀 選 手に選 ばれ
期 十 二 年 間、 そ の 間 教 育
ひとりの成長を願いながら指導 覧になれます。是非見ていただ
た。 女子チームの世界最優
委 員 長 と し て も 活 躍 さ れ、
き、グランドの方にも足を運ん
秀監督には日本代表の佐々
県の教育界に多大の功績
でいただければ幸いです。
木則夫監督が選ばれ、東日
を 残 さ れ ま し た。 謹 ん で
以前、本校硬式野球部OBで
本
大
震
災
の
逆
境
で
サ
ッ
カ
ー
ご冥福をお祈りします。
の力を示したとして、日本
◎ 訃報 有田高女及び本
あり元プロ野球選手︵阪神・虎
部 同 窓 会 役 員 と し て、 長
サッカ ー 協 会 がフェアー プ
風荘寮長︶の梅本正之先輩とお
らくご尽力下さった前勢
レー賞を獲得した。
話させていただく機会がありま
カ ネ 様︵ 高 女 期 ︶ が 昨
最 後 まであきらめなかっ
した。その時、私にかけて下さ
年
月 日にご逝去され
た
﹁
な
で
し
こ
ジ
ャ
パ
ン
﹂
の
ま し た。 謹 ん で ご 冥 福 を
快 挙 は、 再 び 私 達に感 動、
った﹃指導者は情熱と我慢や。﹄
お祈りいたします。
元気、 勇気を与えてくれま
それ以来、いつもこの言葉を胸
した。
◆ご献金に感謝
に指導しております。同窓生の
◎ 訃報 こよなく耐久高
︵旧中 期︶
・垣内
貞
様
みなさんが甲子園のスタンドで
校
を
愛
さ
れ
、
創
立
百
五
十
・
橋
本
晴美様
周年記念事業実行委員
応援する姿を夢みながら、今後
︵故 橋本佳巳氏奥様︶
長として活躍された上
・有田高女同窓会様
も奮闘します。
野寛氏︵旧中 期︶が、
・
故
前
勢
カネ氏ご親族様
︵高女 期︶
・匿
去る十二月にご逝去
名
硬式野球部監督
北畑
清誠
41
( 12 )
耐久高等学校同窓会報 第29号