絵画鑑賞時の視線の動きから嗜好を読み取る Estimation of Subjective Preference from Eye Movement while Picture Appreciating 高橋 英之,西村 望,大森 隆司 Hideyuki Takahashi, Nozomi Nishimura, Takashi Omori 玉川大学 Tamagawa University [email protected] Abstract In this study, we hypothesized that eye movement while picture appreciating reflects the picture preference and we tried to infer the picture preference throughout eye movement while picture appreciating. From our experimental results, we suggested that there was the quantified relationship between picture preference and eye movement while picture appreciating and we also suggested that we could detect the picture preference immediately throughout the eye movement by using this relationship. Keywords - Picture Appreciating, Eye Movement, Preference Estimation 本研究では,まず絵画鑑賞中の視線の動きと 絵画に対する嗜好性に定量的な関係性があるこ とを示した.そして絵画鑑賞中の視線の動きか ら絵画鑑賞者の嗜好に合った絵画作品を提示す るシステムを作成,心理実験によりその有効性 を評価した. 2. 視線と 視線と嗜好 Fantz は,乳幼児が選好する対象を長く注視す ることを利用して乳幼児の外界に対する認識を 調べる選好注視法という実験手法を考え出した [2].また,下條らは二枚の顔画像に対する選好 を判断する課題において,意識的に選好を判断 1. はじめに する前に選好する対象の注視時間が雪崩的に増 良い芸術との出会いは,金銭や食物などから 大するという現象を見出した[3].これらの研究 は得られない大きな喜びを与えてくれる.しか は,視線の動きが嗜好性を反映することを示唆 し芸術に対する嗜好は個々人で様々であり,す している. べての人の嗜好に合致する芸術作品というもの これまでに絵画鑑賞時の視線の動きを調べた は存在しない.よって我々は自分の嗜好に合う 研究はいくつか存在する(例えば[4]).しかし 作品を自ら探し出す必要がある.しかし,この これらの研究は,絵画鑑賞時に与えた教示や, 世には数多の芸術作品が存在しており,嗜好に 観賞者の経験などが絵画鑑賞時の視線の動きに 合致した芸術作品に出会うことは決して簡単で 影響を与えるといったものが殆どであり,絵画 は無い.従って,嗜好に合った芸術作品との出 鑑賞時の視線の動きと絵画に対する嗜好性の間 会いを絵画観賞者に提供することは意義深い. の関係性について検討した研究は殆ど存在して しかし,どのような嗜好を持っているのかを ない. 適切に言語化することは難しい.またいくつか 我々は予備的な検討として,具象画を好む被 の先行研究で,言語報告は必ずしもその人の心 験者群と抽象画を好む被験者群で絵画鑑賞時の の状態を正しく表現していないことが報告され 視線パターンにそれぞれ特異的な傾向があるこ ている[1].人間の嗜好は,言語よりも視線の動 とを示した[5].これは類似した嗜好を持つ絵画 きなど無意識的な指標に強くあらわれるのでは 観賞者は,絵画鑑賞中の視線の傾向も類似して ないかと思われる. いることを示唆している. そこで本研究では,まず絵画鑑賞者の視線の ここで xk と yk はそれぞれグリット k の横 類似度と嗜好の類似度の間に一定の関係性があ (xk 列目)と縦(yk 行目)の位置を指している. ることを定量的に示す(実験Ⅰ) .そして,その σは正規分布の標準偏差に相当するパラメータ 関係性を利用して,絵画鑑賞者の嗜好を即時的 である.そして influences,g にもとづき,平滑 に推定するシステムを作成,その有効性を心理 化 さ れ た 視 線 が 観 測 さ れ る 頻 度 実験によって評価した(実験Ⅱ). fixed_frequencys を以下の式で求めた. fixed _ frequency s = 3. 視線の 視線の計測と 計測と処理 ∑ influence / ∑∑ influence s, g g s s, g g この式から分かるように,視線が観測される 頻度は絵画ごとの全グリッドの総和の値が 1 に なるように正規化している. 絵画 p におけるグリッド s で観賞者 a の視線 が観測される頻度を fixed_frequencya,p,s とする と観賞者 a1 と観賞者 a2 の視線分布の距離 distancea1,a2 を以下の式のように頻度の差の累 積二乗和によって計算した. 図 1. 絵画上の視線分布の例 distancea1,a 2 = ∑∑ ( fixed_frequency p 本研究では,ディスプレイ一体型のアイトラ a1,p,s − fixed_frequency a 2 ,p,s ) 2 s distancea1,a2 の値が小さければ小さいほど, ッカーTobii1750 上に絵画を 10 秒ずつ提示し, 観賞者間の視線分布の距離が近い,すなわち視 絵画鑑賞中の視線計測を行った.視線は 60Hz 線分布が似ていると言える. のサンプリングレートで計測した.視線データ は Tobii SDK というランタイムライブラリを通 4. 実験Ⅰ 絵画鑑賞中の 実験Ⅰ :絵画鑑賞中 絵画鑑賞中の視線と 視線 と絵画に 絵画に 対する嗜 する 嗜 じて独自に作成した実験刺激提示プログラム上 好の関係性の 関係性の検討 我々は仮説として,絵画鑑賞中の視線の類似 から参照した. 視線データの処理として,ディスプレイを横 度が高いと,絵画に対する嗜好の類似度も高い 17 行,縦 13 列のグリッドに分割し,それぞれ と考えている.そこでこの章では前章で定義し のグリッドで視線が観測される頻度をその絵画 た視線分布の距離を用いて,視線と嗜好の間に を観ている観賞者の視線分布とした.ただし単 ある関係性を検討した. 純に頻度を用いると荒いデータとなるため,視 4.1. 実験の 実験の概要 線データが入ったグリッドの周囲のグリッドに 特別な美術の教育を受けておらず,日常的に も正規分布的な広がりにもとづき視線データを あまり美術を鑑賞しない 15 人の被験者(女性 8 振り分けることで視線分布を平滑化した. 人 平均年齢 22.8 歳)が実験に参加した.実験に 10 秒間の鑑賞中にグリッド s に視線が入った 頻度を frequencys とすると,これがグリッド g に及ぼす影響 influences,g を以下の式で計算し 静物画から満遍なく 40 枚を選択した. 被験者はディスプレイに表示された絵画を 10 秒間,その絵画が好きかどうかを心の中で考え た. influence s , g = 用いる絵画は具象画,抽象画,人物画,風景画, frequency s 2π σ ( ) 2 xs − xg + ys − y g exp − 2σ ながら鑑賞するように教示された.絵画が 10 秒間提示された後,画面が暗くなり画面中央に 注視点が表示された.この場面で被験者がボタ ン押しをすることで, 次の絵画が提示された(た じて 35 ペアずつ,3 グループ(距離-短い,距 だし視線が安定して計測できていない場合は, 離-中,距離-長)にペアを分類し,グループご その旨が画面上に表示され,次の絵画に進めな とに好みの評定の相関係数の平均値を求めたグ かった).絵画の提示順は順不同であり,被験者 ラフを図 3 に提示する. には 40 枚の絵画すべてが提示された. 40 枚すべての絵画に対して被験者の視線を ィスプレイ上に表示された.今度は鑑賞する時 間は無制限であり,被験者は提示された絵画が どれだけ自分の好みに合うか 8 件法で評定した. そして評定が終わった後にボタン押しをするこ とで,次の絵画が画面に提示された. 好みの評定の相関係数(平均) 計測した後に,再び 40 枚の絵画が順不同でデ 0.45 0.4 0.35 0.3 0.25 0.2 4.2. 実験結果 0.15 15 人の被験者の中から 2 人ずつのペアを選 距離-短 距離-中 距離-長 ぶと全部で 105 ペアができる.個々のペアごと 図 3. 視線分布の距離と好みの評定の相関係数 に,40 枚の絵画全てに対して視線分布の距離と の関係(グループ単位,エラーバーは標準誤差) 好みの評定値の相関係数をそれぞれ求め,横軸 に視線分布の距離,縦軸に好みの評定値の相関 図 3 のグラフから分かるようにグループ分け 係数をとってすべてのペアについてプロットを することで,より視線の距離と好みの評定の相 した(図 2). 関係数の間の関係が明確にあらわれた.一要因 の分散分析で検定すると視線の距離のグループ 1 間に主効果があらわれた(p<0.01). 好みの評定の相関係数 0.8 以上の結果から,視線の類似度と嗜好の類似 度の間には関係性があることを定量的に示すこ 0.6 とができた.より具体的に結果を述べると,絵 0.4 画鑑賞時の視線の動きが似ていると,絵画に対 0.2 する好みも似ている傾向があることが今回の実 験によって示された. 0 -0.2 5. 実験Ⅱ 絵画鑑賞中の 実験Ⅱ :絵画鑑賞中 絵画鑑賞中の視線にもとづく 視線 にもとづく観賞者 にもとづく観賞者 -0.4 0.3 0.5 0.7 0.9 1.1 1.3 視線分布の距離 の嗜好の 嗜好の即時推定 嗜好と絵画鑑賞中の視線の動きに関係がある のであれば、アイカメラなどを美術館などに設 図 2. 視線分布の距離と好みの評定の相関係数 置し、客の視線の動きを計測することで、より の関係(ペア単位) 嗜好に合った展示に客を誘導することなどが可 能になるかもしれない。 図 2 から分かるように,視線分布の距離と好 そこでこの章では,視線だけで絵画観賞者の みの評定の相関係数の間には弱い負の相関があ 嗜好に合った絵画を即時的に提示するシステム った(相関係数 r=-0.27,p<0.01).より傾向を を作成,真理実験によりその有効性を評価した. 明確にするために,視線分布の距離の長さに応 線が似ている条件) ,そしてコントロール条件と 5.1. システムの システムの概要 視線の分布と好みの評定の データベース 視線が類似したデータベースの 鑑賞者の評定にもとづき嗜好を推定 し,もっとも視線が似ていないデータベース観 賞者が高い評価をした絵画を後半に提示する条 件(視線が似ていない条件)を用意した.どち 視線が近い 好き 6点 らもデータベース観賞者が高い評定をした絵画 を後半に提示していることには変わりが無く, 好き 4点 このような比較を行うことで視線の類似度にも とづく嗜好推定の有効性が明らかになると考え 好き 2点 た. 特別な美術の教育を受けておらず,日常的に 図 4. システムの全体像 あまり美術を鑑賞しない被験者が実験に参加し た.視線が似ている条件に 15 人(女性 8 名 平 システムの全体像を図 4 に示す.このシステ 均年齢 21.6 歳),視線が似ていない条件に 15 ムでは,実験Ⅰに参加した被験者の視線分布と 人(女性 8 名 平均年齢 21.6 歳)の被験者が参 好みの評定をデータベースとして利用した.そ 加した. して絵画鑑賞者の視線とこのデータベースを照 被験者はまずを上記のシステムにもとづいて 合することで,最も視線が類似しているデータ 提示される 20 枚の絵画を鑑賞,視線を計測し ベースの観賞者の好みの評定が高い絵画を鑑賞 た.そしてその後に順不同に提示された 40 枚 者に提示した. の絵画すべてに対して好みの評定を行った.細 具体的には 40 枚の絵画からランダムに 10 枚 かい実験の方法は実験Ⅰと同じである. の絵画を選択,絵画観賞者に提示した.そして その 10 枚の絵画に対して,データベースに含 5.3. 実験の 実験の結果 まれる観賞者それぞれと視線分布の距離を計算, 7 視線が似ている条件 もっとも視線分布が類似しているデータベース 視線が似ていない条件 いない 30 枚の絵画から 10 枚の絵画を観賞者に 提示した. 視線分布の類似度と好みの類似度の間に関係 性があることから,絵画鑑賞者はただ 20 枚の 好みの評定平均 の観賞者が高い評価をつけた順にまだ提示して 6 5 絵画を鑑賞しているだけにもかかわらず前半 10 枚の視線の動きから即時的に観賞者の嗜好 を推定,後半 10 枚に絵画鑑賞者の嗜好に合っ 4 前半10枚 後半10枚 た絵画をこのシステムによって提示出来るので はないかと考えた. 図 5. 前半から後半にかけた好みの評定平均 の変化 5.2. 実験の 実験の概要 (実験条件ごと,エラーバーは標準誤差) 実験では被験者を二つの実験条件に分けた. 一つ目の条件は,5.1 で述べたシステム通りに, 図 5 に実験条件ごとの 10 枚の絵画に対する もっとも視線が似ているデータベース観賞者が 好みの評定平均の前半から後半にかけての変化 高い評価をした絵画を後半に提示する条件(視 を示す.二要因の分散分析をかけたところ,実 験条件と前・後半の間に交互作用があらわれた 6 の結果が示すように,今回の実験の結果だけ (p<0.05).ランダムに絵画を提示した前半 10 枚 からは,このシステムがどれだけ絵画鑑賞者の の好みの評定には条件間に差が無いが,前半の 嗜好の多様性に対応可能かを評価することがで 視線の分布にもとづき提示する絵画を選択した きなかった. 後半には好みの評定に差があらわれている.す なわち今回のシステムを用いることで,視線の 情報だけから観賞者の嗜好に合った絵画を推定 することが示された. 6. 考察とまとめ 考察とまとめ 今回の実験から,絵画鑑賞中の視線の動きと 絵画に対する嗜好の間に関係性があることを定 量的に示すことができた.またこの関係性を用 いることで,視線の動きだけから即時的に絵画 鑑賞者の嗜好を推定,提示する絵画をそれに応 じて変化させるシステムを作成,その有効性を ある程度評価することができた. 図 6. 用いたデータベース観賞者(d1~d15)の 割合(視線が似ている条件) 図 7. 用いたデータベース観賞者(d1~d15)の 割合(視線が似ていない条件) 図 6 と図 7 はそれぞれの条件で後半に用いた データベース観賞者の割合である.この図から 分かるように視線が似ている条件では大部分の 図 8.データベース観賞者の視線の例 (上:d7 下:d15) 被験者が同一のデータベース観賞者を用いてい る.従って今回の結果からは絵画鑑賞者の間に しかし前章で書いたように,今回の実験結果 あまり嗜好の多様性が存在しなかったというこ からはどれだけ今回のシステムが絵画鑑賞者の とになる. 嗜好の多様性に対応可能かを評価することがで 以上,図 5 の結果だけをみると,視線から絵 きなかった.その理由として,まず実験に参加 画鑑賞者の嗜好を即時的に推定する今回のシス した被験者の絵画に対する嗜好にあまり大きな テムの有効性は高いように思われる.しかし図 差が存在しなかったこと、そしてもう一つの理 由として,データベースの観賞者の視線分布の 全体的な傾向の違いが考えられる. また心理学的観点からも,視線と嗜好の間に 今回のように明確な関係性が存在することは、 図 8 は最も多くの被験者と視線が似ている傾 絵画に対する嗜好という感性的で扱うことが難 向があったデータベース観賞者 d7 と最も多く しい題材に対して一定の示唆を与える興味深い の被験者と視線が似ていない傾向があったデー 知見であると思われる.しかし今回の研究では, タベース観賞者 d15 の視線分布の例である.こ 視線と嗜好の関係性が、どのようなメカニズム の図から分かるように,観賞者 d7 は満遍無く によって成り立っているのかについては考察し 絵画上の様々な場所に視線を向けているのに対 ていない.今後,よりメカニズムに踏み込んだ して,観賞者 d15 は比較的絵画上の一点に視線 実験や解析を行うことで,絵画に対する嗜好と を向けていることが分かる.今回用いた視線の いうものはどのような認知メカニズムによって 距離の計算法の場合,一点を凝視しているデー 成り立っているのかについての考察にもつなが タベース観賞者よりも満遍なく絵画上を鑑賞し るのではないかと期待される. たデータベース観賞者の方が,視線の距離を計 算する場合に視線分布の差の累積が小さくなり 参考文献 やすい傾向があると考えられる.また今回はす [1] P.Johansson, L.Hall, S.Sikstrom, & A.Olsson. べての絵画上のすべてのグリッドを等価に扱っ Failure to Detect Mismatches Between て距離を計算した.しかし個々のグリッドに応 Intention and Outcome in a Simple Decision じて嗜好を推定する上での重要度は大きく異な Task. Science, 310, 116-119, 2005. ると思われる.個々のグリッドの重み付けを適 [2] R.Fantz. Pattern vision in young infants. 切に補正することで、より嗜好推定の精度が高 The Psychological Record, 8, 43-47, 1958. くなる可能性がある。例えば,絵画上の saliency [3] S.Shimojo, C.Simion, E.Shimojo, & C.Scheier. が高い部分(ボトムアップに視覚的に引きつけ Gaze られる部分)は比較的嗜好とは関係なく絵画鑑 preference. Nat Neurosci. 6(12), 1317-1322, 賞者は視線を向ける傾向がある.このような絵 2003. 画上のグリッドは嗜好を推定する上であまり重 要ではない可能性がある。このような点を考慮 して視線の距離の計算法を改良することで,観 bias both reflects York: Plenum Press, 1967. [5] 高橋,西村,大森. 視線による絵画鑑賞者の嗜好 推定 出来る可能性がある. (CD-ROM) 2009 年 9 月. 商品デザインなどでも同じような検討が可能で ある.近年,デジタルサイネージといった電子 広告が普及し始めている.これらの電子広告に ユーザー認識の機能を加えることで,個々のユ ーザーに応じた広告を適宜提示するシステムが できるのではないかと期待されている.視線と 嗜好の間に明確な関係性があるのであれば,今 回の研究の知見は,視線などの情報にもとづい て個々人の嗜好に合ったコンテンツを提示する 電子広告に応用出来る可能性がある. influences [4] A.L.Yarbus. Eye Movements and Vision. New 賞者の多様性により対応可能なシステムが構築 また今回は絵画を題材として実験を行ったが, and 第 11 回日本感性工学会大会発表予稿集
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