演奏音の音色に対する室内音響の影響 -クラリネット単音の明るさの聴感

1-8-22
演奏音の音色に対する室内音響の影響
-クラリネット単音の明るさの聴感評価-
∗
☆長尾翼 (京大), 加藤浩介, 山中俊夫 (大阪大), 川井敬二 (熊本大), 榊原健一 (北海道医療大)
はじめに
1
験者候補群の中で使用頻度が高く、共通した認識で評
コンサートホールにおいて、聴衆はホールの響き
を通した音を聴き、演奏者はホールの響きに応じて
演奏をしている [1],[2]。つまり、室内音場で知覚され
価されることが比較的容易で、且つ、演奏音の音響パ
ラメータで記述可能な重要な音色の評価尺度の一つ
である、『明るい』を評価項目として選定した。
る演奏音の大きさ、ピッチ、音色等の主観的属性は、
2.2
演奏音源特性と室内音場特性の双方に依存する可能
2.2.1
刺激条件
音源
性がある。しかしながら、従来の室内音響学では、室
既往研究 [9] より、演奏の強さが演奏の明るさ知覚
内音響の主観的効果を、演奏音源特性とは独立に記
に影響を与えることが示されている。そこで、実験に
述することが一般的であり [3],[4],[5],[6]、両者を融合
用いる音源の演奏音として、Meyer[1] の研究で強弱
する視点でのアプローチは乏しい。もし、室内音響学
の幅が比較的大きい楽器として挙げられているクラリ
が演奏音に与える主観的効果が演奏音源特性に依存
ネットの演奏音を選定した。RWC 研究用データベー
するのであれば、演奏音源特性に応じて室内音響の
ス [11] に収録された演奏音より、演奏の強さ 3 種類
主観的効果を記述する必要がある。本報では、室内音
(強, 中, 弱) ×音高 3 種類 (A3,A4,A5) で演奏された
9 種類の単音を用いた。演奏の強さは本報では以下、
場で知覚される演奏音の音色の主観評価実験を行い、
室内音響が演奏音の音色に与える影響が、演奏音源
特性に依存するかどうかを検証する。
Table 1 のように略称を用いて表記する。また、用い
た音源の長さは、Table 2 に示す。
Table 1
実験方法
2
Dynamic level
評価項目
2.1
Produced dynamic levels
Abbreviation
Piano
P
実験を行うに先立ち、実験の被験者候補群 40 名を
Mezzo
M
対象とした音色表現語の使用頻度調査を行った。北
Forte
F
村ら [7] の研究で用いられた形容詞対 40 語 (計 80 語)
に、研究者の経験に基づいて追加した 4 語を含めた計
Table 2
Duration of each semi-anechoic stimulus
Note
dynamic level
Duration[s]
P
2.5
結果、被験者候補群の中で使用頻度が高い音色表現語
M
F
3.1
2.4
は、
『明るい』
『重い』
『汚い』
『こもった』
『芯のある』
P
2.4
A4
M
F
2.8
2.1
P
2.2
A5
M
F
2.6
2.4
84 語を被験者候補群に提示し、個々の音色表現語に
ついて、
「よく使う」
「時々使う」
「どちらともいえな
A3
い」
「使わない」の 4 段階で評価をしてもらった。その
『力強い』
『はっきりとした』
『ひびきのある』
『深みの
ある』
『やわらかい』の 10 語であることがわかった。
また、亀川ら [8] の研究においては、実験の評定者ら
全員のディスカッションにより、評価者らが共通した
認識で評価できる評価語を抽出し、「明るさ」「響き
の均一さ」
「響きの時間方向の分離の良さ」の 3 種類
の評価語を得ている。一方、これらのうち『明るさ』
2.2.2
室内音場インパルス応答
の知覚は、演奏音のスペクトル重心との間に、正の相
実験で用いる室内音場インパルス応答は、研究者 2
関関係があることが Schubert & Wolfe[9]、Marozeau
名による予備実験により選定した。霧島国際音楽ホー
& Cheveigné[10] により示されている。そこで 、 被
ルと津山音楽ホールにおける代表的な 22 席のインパ
ルス応答 [12] を 2.2.1 に示す音源に畳み込み、その音
∗
Effect of room acoustics on musical sound timbre: perceptual evaluation of timbral brightness of clarinet
tones. by NAGAO, Tsubasa(Kyoto University), KATO, Kosuke, YAMANAKA, Toshio(Osaka University), KAWAI, Keiji(Kumamoto University), and SAKAKIBARA, Ken-Ichi(Health Sciences University of
Hokkaido).
日本音響学会講演論文集
- 1067 -
2010年9月
源の音色の明るさに大きな影響を与えると知覚され
+3
たもの 2 つを選定した。その結果選定されたインパル
+2
ス応答は、霧島国際音楽ホール後部座席 (15 列 7 番)
+1
๓⪅ࡢ᪉ࡀ㠀ᖖ࡟᫂ࡿ࠸
のインパルス応答と、津山音楽ホール前部座席 (5 列
࡝ࡕࡽ࡜ࡶ࠸࠼࡞࠸
0
9 番) のインパルス応答であった。刺激の室内音場条
件は、半無響のドライソース、霧島国際音楽ホールの
インパルス応答を畳み込むもの、津山音楽ホールの
-1
-2
ᚋ⪅ࡢ᪉ࡀ㠀ᖖ࡟᫂ࡿ࠸
-3
インパルス応答を畳み込むものの 3 種類であり、本
報では、以下、Table 3 のように略称を用いて表記す
Fig. 1
Scale used for listening experiment
る。ここで、半無響のドライソースとは、 2.2.1 に示
実験は防音室内で行い、被験者には、ヘッドホンを
す音源をそのまま用いた、室内音場の響きを重畳し
介して刺激を呈示した。呈示レベルの調整は、次の
ていないものをさす。
ような手順で研究者が事前に行った。まず、A4・MA
Table 3
Room acoustic conditions
Room acoustic condition
の刺激をラウドスピーカーで再生し、被験者の耳の
Abbreviation
位置で A 特性音圧レベル (LAeq ) が 60dB になるよう
A
に調整した。そして、ラウドスピーカーで再生された
Semi-anechoic
音量と同程度の音量に聴こえるようにヘッドホンの
Kirishima International
Concert Hall
(15th row,seat number7)
Tsuyama Music Hall
(5th row,seat number9)
2.2.3
呈示レベルを設定した。使用した実験機器を Table 4
K
に示す。
Table 4
T
Experimental equipments
音刺激呈示用 PC
VAIO VGN-FJ11/W
D/A 変換器
M-Audio ProFire
Lightbridge 34-in/36-out
刺激の作成
2.2.1 に示す音源に、2.2.2 に示す室内音場のインパ
FireWire Lightpipe Interface
ルス応答を畳み込んだ合成音を作成し、それらを刺
ヘッドホン
激として用いた。また、刺激の発音区間 (残響区間を
Sennheiser HD650
含まない) の A 特性音圧レベル (LAeq ) が、刺激間で
等しくなるように、信号の Root Mean Square 振幅
3
を信号レベルで調整し、ラウドネスの統一を行った。
2.3
被験者
結果と考察
既往研究 [9] より、演奏の強さと明るさ知覚の間に
は強い正の相関関係があることが示されている。そ
同一のオーケストラ団体に所属し、その中での担
こで、本研究では、室内音場条件 A 下での明るさの
当が弦楽器奏者である者 7 名、木管楽器奏者である
間隔尺度値が F < P となっている 1 名の被験者の結
者 4 名、金管楽器奏者である者 4 名、計 15 名のアマ
果は、分析の対象外とした。以下、この被験者を除く
チュア奏者が実験に参加した。
14 名の結果を示し、考察を行う。
2.4
まず、シェッフェの一対比較法 (浦の変法)[13] に従っ
刺激の呈示方法および評価方法
て分散分析を行った。その結果を Table 5 に示す。音
実験は、シェッフェの一対比較法 (浦の変法)[13] を
高 A3 の順序効果を除くすべての効果は統計的に有意
採用し、3 種類の音高それぞれについて行った。評価
であった。また、組み合わせ効果、順序効果、組み合
尺度は Fig.1 のような 7 段階評価尺度とした。ただ
わせ効果×個人の寄与率は、主効果、主効果×個人の
し、評価用紙に評価スコアは記載しなかった。呈示し
寄与率に比べて低い値であった。
た刺激対は、音高の等しい 9 種類の刺激 (室内音場 3
次に、シェッフェの一対比較法 (浦の変法)[13] に従っ
種類×演奏の強さ 3 種類) から構成され、72 対の刺激
て、明るさの間隔尺度値を求めた。ここで、明るさの
対をそれぞれ被験者に 1 回のみ呈示した。この実験
間隔尺度値とは、各音高内の刺激全体の中での相対
を異なる音高ごとに 3 セット行った。 また、各セッ
的明るさを示し、値が大きいほど明るく知覚された
トの視聴に先駆けて、9 種類の刺激をランダムな順序
ことを表す。各刺激に対する 14 名の被験者の明るさ
ですべて呈示した。刺激対の呈示順序および異なる
の間隔尺度値の平均を Fig.2 に示す。
音高による各セットの順序は被験者ごとにランダム
にした。
日本音響学会講演論文集
まず、すべての刺激について室内音場条件の違いに
よる明るさの間隔尺度値の変化量が有意であるかを
- 1068 -
2010年9月
Table 5
2
ANOVA results(∗∗ :1 % significant level,∗ :5
(a) pitch = A3
1.5
(a) Note = A3
(≈ 220Hz)
Scale Value of Brightness
% significant level)
1
Room
0.5
Source
Sum of
square
Degree of
freedom
η 2 (%)
Main effect
1264.5
8
54.0∗∗
Main effect
× Participant
349.8
104
14.9∗∗
Combinatorial
effect
46.6
28
2.0∗∗
Order effect
0.1
1
0.0
30.3
13
1.3∗∗
2
Residual
650.7
854
27.8
1.5
Total
2342.0
1008
(b) Note = A4
P
(≈ 440Hz)
Source
Sum of
square
Degree of
freedom
η 2 (%)
Main effect
1826.8
8
65.7∗∗
∗∗
Main effect
× Participant
435.1
104
Combinatorial
effect
23.9
28
0.9∗
Order effect
11.4
1
0.4∗∗
16.2
13
0.6∗∗
Residual
465.7
854
16.8
Total
2779.0
1008
Order effect
× Participant
(c) Note = A5
(≈ 880Hz)
Degree of
freedom
η 2 (%)
Main effect
1424.9
8
55.0∗∗
Main effect
× Participant
424.7
104
16.4∗∗
44.6
28
1.7∗
56.2
1
2.2∗∗
30.8
13
1.2∗∗
Residual
610.9
854
23.6
Total
2592.0
1008
Order effect
Order effect
× Participant
日本音響学会講演論文集
F
1
Room
0.5
A
K
T
0
-0.5
-1
-1.5
-2
P
M
Dynamic level
F
2
(c) pitch = A5
Sum of
square
effect
M
Dynamic level
(b) pitch = A4
15.7
Source
Combinatorial
-1
-2
Scale Value of Brightness
× Participant
-0.5
-1.5
1.5
Scale Value of Brightness
Order effect
A
K
T
0
1
Room
0.5
A
K
T
0
-0.5
-1
-1.5
-2
P
M
Dynamic level
F
Fig. 2 Comparison of effect of room acoustic condition on scale value of timbral brightness of clarinet
tones produced at different dynamic levels and different notes. The error bar indicates the 95 % confidence interval.
- 1069 -
2010年9月
検討した。その結果、すべての音高、すべての演奏の
強さ条件下で明るさの間隔尺度値の最大値と最小値
の間に統計的に有意な差 (p < 0.01) が認められ、そ
の差は最大で 0.91 であった。この結果は、室内音場
特性が演奏音の音色の明るさ知覚に影響を与えると
いう仮説を支持するものである。
次に、室内音場特性が演奏音の音色の明るさ知覚
に与える影響が、演奏音の音高に依存するかを検討
するため、演奏の強さ条件がともに F で、音高がそ
れぞれ A3、A5 と異なる刺激について比較を行った。
その結果、音高 A3 では室内音場条件 T 下の刺激の
方が、室内音場条件 K 下の刺激より明るさの間隔尺
度値が 0.76 高いのに対し、音高 A5 では、室内音場
条件 T 下の刺激の方が、室内音場条件 K 下の刺激よ
り明るさの間隔尺度値が 0.13 低かった。つまり、室
内音場特性が演奏音の音色の明るさに与える影響は、
演奏音の音高に依存するという仮説が支持された。
さらに、室内音場特性が演奏音の音色の明るさ知
覚に与える影響が、演奏音の演奏の強さに依存する
かを検討するため、音高がともに A4 で、演奏の強さ
条件がそれぞれ P、F と異なる刺激について比較を
行った。その結果、演奏の強さ条件 P 下では、室内
音場条件 T 下の刺激の方が、室内音場条件 K 下の刺
激より明るさの間隔尺度値が 0.17 低いのに対し、演
奏の強さ条件 F 下では、室内音場条件 T 下の刺激の
参考文献
[1] Meyer,“ Acoustics and the performance of music, ” Springer, 2009.
[2] Ueno et al., Acta Acust. united Ac., 96, 505515, 2010.
[3] Bech, J. Acoust. Soc. Am., 97, 1717-1726, 1995.
[4] Bech, J. Acoust. Soc. Am., 99, 3539-3549, 1996.
[5] クットルフ(藤原・日高訳),“室内音響学,” 市ヶ
谷出版社,2003.
[6] Zahorik, J. Acoust. Soc. Am., 126, 776-791,
2009.
[7] 北村他,日本音響学会聴覚研究会,H-51-11,
1978.
[8] 亀川, 丸井,音講論 (春),3-8-12, 2010.
[9] Schubert, Wolfe, Acta Acust. united Ac., 92,
820-825, 2006.
[10] Marozeau, Cheveigé, J. Acoust. Soc. Am., 121,
383-387, 2007.
[11] 後藤他,情報処理学会論文誌 45(3), 728-738,
2004.
[12] Fujii et al., J. Temporal Des. Arch. Environ.,
4(1), 2004.
[13] 佐藤,
“ 統計的官能検査法,”日科技連出版社,
1985.
[14] 加藤他,音講論 (秋),2-7-3, 2010.
方が、室内音場条件 K 下の刺激より明るさの間隔尺
度値が 0.30 高かった。つまり、室内音場特性が演奏
音の明るさ知覚に与える影響は、演奏音の演奏の強
さに依存するという仮説が支持された。
まとめ
4
本報では、少なくともクラリネット単音の明るさ知
覚に対し、室内音響が統計的に有意な影響を及ぼす
ことを示した。またその影響は、演奏の強さや音高
に依存することが示された (Table.5,Fig.2)。この結果
は、室内音場で知覚される演奏音の音色が、演奏音源
特性に依存するという可能性を示唆するものであり、
室内音響の主観的効果は演奏音源特性に応じて記述
する必要性があると考えられる。続報 [14] において、
演奏音源特性および室内音場特性の音響分析を行い、
室内音場で知覚されるクラリネット単音の明るさと
相関する音響特徴量について考察する。
謝辞
本研究を進めるにあたり、貴重なご意見、ご協
力を賜りました大阪大学の相良和伸教授、甲谷寿史
准教授、桃井良尚助教に深謝の意を表します。
日本音響学会講演論文集
- 1070 -
2010年9月