トゥールーズ・ブラニャック空港 38 ヵ国 71 都市に国際直行便

トゥールーズ・ブラニャック空港
~空港から見るエアバスのお膝元~
南フランスの中核都市のひとつ Toulouse(トゥールーズ)は、フランスで4番目に人口
の多い都市であり、エアバス本社が立地する航空宇宙産業の拠点都市でもある。この点で、
日本で4番目に人口の多い都市であり、自動車産業の拠点都市でもある名古屋と対比させ
ることができる。エアバス本社工場を内包する Toulouse Blagnac(トゥールーズ・ブラニ
ャック)空港とともに、トゥールーズという地域を概観してみよう。
写真=トゥールーズ・ブラニャック空港の定期便ターミナル・ビル。同空港内には、旅客機発着
ゾーンを取り巻く形で、エアバス本社工場が広がっている
★ 38 ヵ国 71 都市に国際直行便
トゥールーズ・ブラニャック空港からは 2011 年6月現在、国際定期旅客便および国際チ
ャーター旅客便を合わせて 38 カ国 71 都市 72 空港(ロンドンのみ、ヒースローとガトウィ
ックの2空港にフライトがある)に直行便が飛んでいる。内訳は、定期便が 35 都市 36 空
港、チャーター便が 39 都市。定期便とチャーター便の就航先都市は、一部重複している。
定期便はヨーロッパ諸国を中心に、北アフリカ諸国、トルコ、カナダなどに就航しており、
チャーター便はヨーロッパ諸国、中東諸国、大西洋の島国などに飛んでいる。
フランス国内旅客便は、15 都市 16 空港(パリのみ、シャルル・ド・ゴールとオルリーの
2空港にフライトがある)に路線がある。
2010 年の年間旅客数は 641 万人で、このうち国際便旅客数が 257 万人(直行定期便旅客
数 203 万人、チャーター便旅客数 46 万人、トランジット旅客数が8万人)。国際便・国内
便をあわせた年間発着回数は、旅客・貨物などの商業フライトが計 79,848 回、軍用など非
商業フライトが計 12,532 回となっている。
中部国際空港の国際定期旅客便は 2011 年6月現在、12 カ国 28 都市 29 空港(ソウルの
み、仁川と金浦の2空港にフライトがある)に路線がある。国内定期旅客便は、18 都市 18
空港に路線がある。
2010 年度の旅客数は 920 万人で、うち国際線旅客数が 451 万人。旅客・貨物などを合わ
せた国際線・国内線合計発着回数は約8万 2,000 回。
写真=2010 年3月に供用開始された定期便ターミナル「ホール D」。ホール D の稼動により、
トゥールーズ・ブラニャック空港の年間旅客対応能力は 850 万人に拡大した
★ 後背地の人口規模から見る空港需要
路線数や便数、発着量の違いは、フランスと日本の空港事情や航空法の違いなど、さま
ざまな要因が絡んでくるので単純比較はできないが、際立った違いがひとつある。
同じ4番目に人口の多い都市とはいっても、名古屋市の人口 200 万人強に対し、トゥー
ルーズの人口は 44 万 5,000 人。トゥールーズを中核都市とする広域地区ミディ・ピレネー
(名古屋にとっての東海地区のようなもの)全体でも、人口は 286 万人と、愛知県の3分
の1程度しかない。後背地の経済規模がはるかに大きいセントレアを路線数で上回り、発
着量ではほぼ同規模、旅客数は3分の2に達しているということは、居住人口に対する人
の出入りは名古屋経済圏を大きく上回っていることになる。
ミディ・ピレネー地区には、ざっと調べただけでも定期便空港がトゥールーズ・ブラニ
ャック以外に3つ見つかった。そのうちひとつは定期・チャーター合わせて約 50 路線を持
つ国際空港なので、広域地区内の需要がトゥールーズ・ブラニャック空港ひとつに集中し
ているわけではない。それに加え、ビジネスジェット専用国際空港や、民間フライト・ク
ラブなどが立地する非定期便用空港もいくつかの地方都市近郊に見受けられる。トゥール
ーズ自体でも、ビジネスジェット専用の第2国際空港の開設が決まっており、2011 年1月
には空港施設の建設業者が選定されている。
空路以外にも、トゥールーズは世界最速の高速鉄道 TGV でパリやリヨン(フランス第2
都市)、マルセイユ(フランス第3都市)といったフランス主要都市に直結しており、ミデ
ィ・ピレネー内の各都市には、トゥールーズを基点に放射状に伸びた高速道路網や鉄道網
でアクセスできる。
したがってトゥールーズ・ブラニャック空港の需要規模からは、少なくともトゥールー
ズ都市圏における域内外との人的交流の量が、名古屋都市圏を大きく凌駕していることが
読み取れるといって良いだろう。
★ 基本は観光都市
写真=トゥールーズ中心部、旧市街地。色鮮やかなレンガ造りの街並みが、トゥールーズの特色
世界有数の航空宇宙産業拠点都市でありながら、都市圏内を動き回ってみると、トゥー
ルーズはやはり何よりまず観光都市なのだ、と実感する。
TGV 駅からトゥールーズの中心市街地を散策すると、トゥールーズの異名である“バラ
色の街”の由来となった、鮮やかな色のレンガで造られた古風な街並みに囲まれる。パリ
やリヨンと比べると、建物の外観はどことなく重厚で威圧感があるが、ひとつひとつの商
店は明るく魅力的で、ショーウィンドウ越しに眺めながら歩くだけでも楽しい。商店街も
広場も大勢の人でにぎわっている。
日が暮れてからは、広場に面したレストランが次々と開いて、郷土料理とワインに舌鼓
を打ちながら夜遅くまで家族・友人と談笑する人々の姿が見られる。
フランス諸都市のご多分に漏れず、トゥールーズも料理自慢の町で、カスレ(白インゲ
ンやソーセージを使った煮込み料理)、フォアグラ、ガチョウやカモ肉のコンフィ(肉を、
その脂で包んだ煮込み料理)など、おいしい料理には事欠かない。
特産品としては、湾曲した美しい形状を持つライヨール・ナイフや、トゥールーズ一帯
で採取されるスミレを用いた香水や石鹸などがある。
いずれにせよ、エアバスの工場を離れると、航空宇宙産業の雰囲気はほとんど感じられ
ない。
写真=トゥールーズの夕景。レストランのテラス席がにぎわいを見せ始める。市庁舎前広場
旅行ガイドブック「地球の歩き方」では、トゥールーズをフランス南西部の内陸方面観
光の起点と位置づけているが、鉄道で周辺を走ってみると納得できる。同じフランス南西
部でも、地中海に面した地方に近づくと、街並みの雰囲気が打って変わって、白を基調と
した軽やかなものとなり、異なる文化圏に入ったことが分かる。
スペインと国境を接する辺境一帯を旅する観光客らのベース・キャンプとしての性格が、
トゥールーズ・ブラニャック空港の旅客需要の基盤となっている。
★ 国際交流の中で発展
観光都市トゥールーズは 2000 年以上の歴史の上に成り立っている。紀元前3世紀ごろ、
中央ヨーロッパ発祥と目されるケルト民族の一派 Volques Tectos が、現在のトゥールーズ
に居住地を構えた。紀元前1世紀、ローマ軍がこの地を支配し、“トロザ”と命名する。5
世紀、西ゴート族の一派が支配権を奪い、“トゥールーズ王国”を建国。その後、フランク
王国(現在のフランス・ドイツ・イタリアの母体となった国)の支配下に入った後も、ト
ゥールーズは独立性を強く維持したようで、12 世紀に市議会が自治権を獲得すると、その
支配体制はフランス革命まで約 600 年に渡り継続した。
市議会支配下の 16 世紀ごろ、トゥールーズは藍染料の交易で経済的な繁栄を謳歌した。
藍染料の交易で富を築いた富豪たちの館は、今もトゥールーズ市内に 50 軒ほど残っている。
写真=藍染料で財を成した富豪たちの館のひとつアセザ館。現在は美術館になっている
異なる民族による支配権の交替、強い自治の意識、国際交易都市としての繁栄──こう
した歴史が進取の気性を育んだのか、20 世紀に入るとトゥールーズでは、航空輸送の分野
でもフランスをリードする動きが起きる。
第一次世界大戦終了後、トゥールーズの技師が、フランスで初めての航空郵便会社
Aeropostale を設立。「星の王子様」の作者として有名なサン・テグジュペリもパイロット
として勤務していた同社は、航空会社のパイオニア的存在でもあり、スペイン、モロッコ、
さらには南アメリカとの間で郵便配達に活躍した。このことが航空機関連産業の集積をも
たらし、「のちにトゥールーズでアエロスパシアル、コンコルド、エアバスといった航空機
産業が興るきっかけをつくった」(エアバス、デイヴィッド・ヴェルピライ氏)。
トゥールーズを中核とするミディ・ピレネー地区は 2004 年、東隣の同じくフランス広域
行政体ラングドック・ルシヨン、スペインの自治領であるカタルーニャ地方、アラゴン地
方、バレアレス諸島とともに、主権国家の枠を超えた広域地方行政連合体「ピレネーから
地中海にかけてのユーロ・リージョン」を形成。
ユーロ・リージョンとは、隣り合った地域同士であれば、国は異なっても、遠く離れた
首都よりも利害や問題意識を同じくする度合いが強くなることから、より地域密着の政策
を実行できるよう、地方行政同士で国際的な連携を深めようという EU 加盟諸国の取り組
み。「未来に対して一緒に向き合い、共通の解決策を見出すため、域内 1,300 万人が、これ
まで以上に密に対話を進めていく」
(ミディ・ピレネー公式サイト)との意志は、新たな交
流を生み出していくだろう。
それはトゥールーズの航空宇宙産業にとっても、次の進化の種となるに違いない。
文責:石原達也(ビジネス航空ジャーナリスト)
ビジネス航空推進プロジェクト
http://business-aviation.jimdo.com/
※ エアバス・モックアップ・センターの拡大版記事など追加しました
略歴
元中部経済新聞記者。在職中にビジネス航空と出会い、その産業の重
要性を認識。NBAA(全米ビジネス航空協会)の 07 年および 08 年大
会をはじめ、欧米のビジネスジェット産業の取材を、個人の立場でも
進めてきた。日本にビジネス航空を広める情報発信活動に専念するた
め退職し、08 年 12 月より、フリーのジャーナリストとして活動を開
始。ヨーロッパの MRO クラスターの取材を機に、C-ASTEC とも協
力関係が始まり、現在に至る