健康医療学部紀要 第一巻 2016

京都学園大学
健康医療学部紀要
第 1 巻 2016 年
【総 説】
コミュニケーション障害の疫学:音声言語・聴覚障害の有病率と障害児者数の推定 ……………… 苅安 誠,他
日本のがん治療におけるハイパーサーミアの現状と今後の展望 ……………………………………… 古倉 聡 ストレスフルイベントにおける成長・発展・自己実現にポジティブ志向が果たす役割 …………… 橋本 京子 … 1
… 13
… 21
【原 著】
大学女子バスケットボール競技におけるゲーム分析
―関西女子学生バスケットボール 2014 年度 1・2 部のリーグ戦を用いて―
………… 佐藤亜紀子 1 分間の高強度激運動による疲労からの運動パフォーマンスおよび生理学的パラメーターの回復 … 高島 直之,他
同一のにおい刺激に対する情報付与内容が運動後の心理的および心臓血管反応に及ぼす影響 …… 満石 寿,他
… 29
… 39
… 47
【報 告】
高齢糖尿病患者の生活行動に影響を及ぼすフットケア行動プロセス ………………………………… 上野千代子,他
経口摂取が困難な一症例に対する摂食・言語指導の経過 ……………………………………………… 弓削 明子,他
… 57
… 65
【資 料】
育児支援に関する文献研究 ―実施した事業の効果に焦点を当てて―
… 73
……………………………… 藤本 美穂,他
Bulletin of the Faculty of Health
and Medical Sciences,
Kyoto Gakuen University
Vol. 1 2016
【Review Article】
Epidemiology of Communication Disorders ‒ Prevalence and Estimates of the Number of Speech-Language-Hearing Disabled
………… Makoto Kariyasu, et al
…1
The Present State of the Hyperthermia in Japan, and by What Kind of Way Should We Progress from Now on? …… Satoshi Kokura … 13
The Role of Positive Orientation on the Growth, Development, and Self-Actualization toward the Stressful Event … Kyoko Hashimoto … 21
【Original Article】
Game Analysis in Women s College Basketball Game
̶Games Played by Division 1 & 2 of the Kansai Women s Collegiate Basketball League 2014̶ …… Akiko Sato … 29
Recovery of Exercise Performance and Physiological Parameters from Fatigue due to 1 min. High Intensity Exercise
………… Naoyuki Takashima, et al … 39
Influence of Description-Manipulation of the Same Odor Stimulus on Psychological and Cardiovascular Reactivity after Exercise
………… Hisashi Mitsuishi, et al … 47
【Report】
The Process of Effect of Foot Care by Elderly Patients with Diabetes to Daily Life Behavior
………… Chiyoko Ueno, et al … 57
A Case Report of the Feeding, Communication and Language Therapy for a Child with Feeding Difficulties ……… Akiko Yuge, et al … 65
【Information】
A Review of Studies on Child-raising Support Program ̶ Focusing on the Evaluation ̶
………… Miho Fujimoto, et al
… 73
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
巻頭言
京都学園大学健康医療学部紀要第 1 号発刊にあたり
京都学園大学健康医療学部の紀要第 1 号発刊の運びとなりました.
京都学園大学健康医療学部は,2015 年 4 月に開設されました.その目的は,医療・福祉・保健分
野における専門的な支援を行える人材を養成するとともに,予防医療の発展と普及に貢献し,地域
社会の健康長寿を実現することにあります.
看護学科では,総合大学としての長所を生かし,社会人としての豊かな知識と人間性を培い多角
的な視点から物事をとらえ,専門的知識・技術を習得し,自律的でかつ柔軟な適応力を培い,対象
の健康回復・増進を図るために主体的に考え行動できる看護職者の育成を目指しています.
言語聴覚学科では,言語聴覚分野における基本的な訓練・指導法を研究し,さらに隣接する幅広
い分野の知見を修得させる専門教育と,総合大学として提供される教養教育を行うことによって,
言語・聴覚や摂食・嚥下の障害を有する患者の状態理解とリハビリテーションに関する問題を自律
的に解決できる言語聴覚士の養成に努めています.健康スポーツ学科では,健康医学・健康科学・
身体運動科学・スポーツ社会学等の幅広い学問分野を融合させ,生涯にわたる人の心身の健康とその
生活支援のあり方を研究し,学際的知識と実践的スキルを重視した教育を行うことによって,健康
長寿社会の実現に貢献する人材の養成を目的としています.
紀要は大学や研究機関の顔であるとよく言われます.この第 1 号に掲載された総説 3 編,原著
3 編,報告 2 編,資料 1 編は,本紀要がまさに京都学園大学健康医療学部の顔であり,その内容は
本学部における研究の多様性とその質の高さを示すものだと自負しています.
ご一読のうえ,健康医療学部所属研究者はもちろんのこと,外部の読者の方々から多様な論評や
助言をいただければ幸いです.
学部開設 1 年でこのような紀要の発刊に至った陰には,関係各位のご苦労があります.ここに
あらためて深謝するとともに,継続して今後もこのように質の高い紀要が発行され続けることを心
より祈念いたしております.
平成 28 年 3 月 20 日
京都学園大学健康医療学部
学部長 久 育 男
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
1
【総 説】
コミュニケーション障害の疫学:
音声言語・聴覚障害の有病率と障害児者数の推定
苅安 誠*1,*2,外山 稔*1,*3,松平 登志正*1
*1
京都学園大学 健康医療学部 言語聴覚学科,*2 鹿児島徳洲会病院 医局(音声言語専門外来)
*3
金沢大学大学院 医薬保健学総合研究科
Epidemiology of Communication Disorders – Prevalence and Estimates
of the Number of Speech-Language-Hearing Disabled
Makoto KARIYASU*1,*2,Minoru TOYAMA*1,*3,Toshimasa MATSUHIRA*1
*1
Department of Speech-Language-Hearing Sciences and Disorders, Faculty of Health Sciences, Kyoto Gakuen University
*2
*3
Medical Corporation, Kagoshima Tokushukai Hospital
Division of Health Sciences, Graduate School of Medical Sciences, Kanazawa University
Abstract
Communication disorders have a variety of etiologies, and the number of persons with defective speech-language and hearing is needed to provide the demand-supply models and quality education for speech and hearing specialists. In this paper, the prevalence and the estimated number
of persons with speech-language and hearing disorders in the world and in Japan are reviewed,
then the estimated number of communication disabled in Japan is reported. The total estimated
number of communication disabled in million is 29.0, composed of 0.7 for stuttering, 1.2 for language
disorders, 7.5 for voice disorders, 18.7 for hearing disorders, and 0.8 for speech-articulation disorders, including “mild” cases.
キーワード:コミュニケーション障害,疫学,有病率,音声言語・聴覚障害,推定障害児者数
Key words: communication disorders, epidemiology, prevalence, speech-language and hearing
disorders, estimated numbers of the disabled
Ⅰ 緒 言
言語は,ヒトが出来事や意思を的確に理解・表現
して,社会生活を営むために進化してきた.現代人
は,機器を用いた通信も含めて,音声言語と文字言
語を用いたコミュニケーションにより,日常生活と
学業・就業を円滑に進めている.言語によるコミュ
ニケーションは,脳・知能と身体の成長と発達に伴
う言語の獲得により,正常に機能する.一方,言語
能力や音声・聴覚機能が低下すると,言語によるコ
ミュニケーションは阻害される.
音声言語障害と聴覚障害は,多様な疾患や状態に
よって起こりうる.そのため,体系的な調査は難し
く,疫学データ(発症率・有病率と患者数)の報告
は限られている.言語聴覚療法の対象となる障害児
者数を知ることは,音声言語・聴覚障害の診療と社
会的取り組みにおいて,次の意義がある:①重点領
域について臨床家(言語聴覚士)のスキルの向上を
2
健康医療学部紀要 第 1 巻
はかることができる,②臨床家の育成にあたり十分
な教育内容を配分することができる,③臨床現場に
必要なセラピストの需要供給と適正配置を考えるこ
とができる.
本稿では,コミュニケーション障害の疫学,特に
音声言語障害と聴覚障害の有病率と障害児者数につ
いて,欧米を中心とした世界と日本の調査報告の文
献資料を整理した上で,音声言語障害や聴覚障害の
原因となる疾患・状態と日本の年代別人口や疾患の
統計を参考に,日本でのコミュニケーション障害児
者数の推計を報告する.
Ⅱ 音声言語・聴覚障害の分類と推定の方法
音声言語障害と聴覚障害は,表 1 のように分類さ
れる.音声言語障害は,発声発語障害と言語障害と
に大別される.発声発語障害には,声の異常を主体
とした音声障害(発声障害),共鳴を含む発音の異
常を主体とした構音障害,流暢性の異常を主体とし
た吃音症,が含まれる.言語障害には,言語の諸側
面の低下である失語症,認知機能低下に伴う言語障
害,発達の遅れに伴う言語発達障害が含まれる.聴
覚障害は,先天性難聴と後天性難聴とに大別できる
1)
.語音障害は,精神医学領域の診断分類( DSM )
が採用している用語で,小児の構音障害を一括する.
語音障害は,近年,音声言語障害領域でも使われる
ようになっているが 2 ),DSM は後天性の障害,言語
障害や聴覚障害に関して,適切に分類されていない
という指摘もある 3 ).
障害とは,一定期間,身体・生活機能が十分に実
現できないことであり,一過性の機能不全(例えば,
脳卒中発症時の発話困難)は除外される.音声言語・
聴覚機能は,身体(発声発語器官・聴覚器官・脳神
経系)の成長と発達によって,獲得・成熟・老化の
2016 年 3 月 31 日
過程を辿る.一般に,障害は,先天性・発達性,後
天性・中途障害,老人性に区分できる 4).ライフ・ス
テージ別の代表的な障害を表 2 に示す.ここでは,
各年代で代表的な原因と障害だけを記しているが,
発達性の場合は新生児・幼児期~学童・青年期だけ
ではなく成人・老年期も含め,音声言語・聴覚障害
が継続するため,障害児者数は加算される.中途障
害では,好発年齢を元に,生命予後を勘案して障害
児者数の推計を行うことになる.
障害児者数は,年代別人口,原因となる疾患や状
態のよく起こる年代や性別,疾患に伴って障害が起
こる(顕在化・慢性化)割合から推定する.脳卒中
(脳血管疾患),癌,神経難病といった疾患は,日本
国内で登録される患者数をベースに,診療データで
の障害の割合を参考に,障害児者数を推定できる.
Ⅲ 世界と日本の疫学調査,先行研究における
障害児者数の推計
1.発声発語障害・聴覚障害の疫学調査
音声言語障害の有病率と障害児者数は,米国国立
衛生研究所(NIH)が次のように記している 5):米国
国民の約 7,500,000 人が,声の問題(発声困難)を抱
えている.語音障害は,幼児の 8 ~ 9%で,うち 5%
の子どもが就学までに周囲が分かるほどの語音障害
を持っている.語音障害の多くは原因不明である.
米国では 30,000 人以上の吃音児者がいる(就学時で
約 1%,成人で 1%未満).米国国民の 6,000,000 ~
8,000,000 人に言語障害がある.失語症は毎年 80,000
人が発症し,合計約 1,000,000 人が生活している.
2012 年の National Center for Health Statistics 6 )
によると,米国の人口の 17%に音声言語・聴覚障害
があり,うち 11%が聴覚障害,6%が音声言語(発
声・構音・吃音・言語)障害と推定されている.聴
表 1.音声言語・聴覚障害の分類
音声言語・聴覚障害領域
精神医学領域
音声(発声発語)障害
言語障害
聴覚障害
音声(発声)障害(器質性・機能性・
心原性,無喉頭)
構音障害(器質性・運動性 dysarthria・
機能性・言語性・感覚性)
音韻障害
発語失行症
言語発達遅滞
特異的言語障害
失語症
認知機能低下に伴う言語障害
読み書き障害
先天性難聴
後天性難聴
語音障害
言語障害
該当なし
小児期発症流暢障害(吃音)
発話症状を伴う転換性障害(機能性神
経症状症)
社会的(語用論的)コミュニケーショ
ン障害
自閉症スペクトラム障害
注意欠陥多動障害
精神発達遅滞
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健康医療学部紀要 第 1 巻
3
表 2.ライフ・ステージ(年代)別のコミュニケーション障害とその理解・表出面
年代
障害
理解面
表出面
新生児
聴覚障害
飲酒薬物中毒
脳損傷
音への反応の無さ・乏しさ
限定的な他者への反応
非典型的な姿勢や身体運動
声立ての遅れ
幼児期前半
自閉症スペクトラム障害
精神発達遅滞
事故による頭部外傷
限定された言語理解
始語の遅れ
限られた発話
幼児期後半
言語発達の遅れ
非流暢発話(吃音)
中耳炎に伴う難聴
園児や他者との交流困難
乏しい語彙・短い発話
非流暢性の増加
音韻・文法の獲得遅れ
学童期
言語学習の問題
多動・注意欠陥障害
事故による頭部外傷
集中・従命困難
言語(音声文字)理解困難
談話・語用スキル未熟
言語理解困難
混乱・認知機能低下
記憶・思考困難
語用スキルの喪失
発声発語障害や発語失行に伴う発話不
明瞭
発声困難
成人若年
事故による頭部外傷
(高次脳機能障害)
脳腫瘍
機能性発声障害
成人中年
聴覚機能低下
悪性腫瘍
神経疾患(発症)
脳卒中
騒音下での言語理解困難
失語症での言語(音声と文字)理解
困難」
認知症に伴う言語理解困難
うつに伴う表出の問題
発声発語障害や発語失行に伴う発話不
明瞭
失語に伴う言語表出困難
成人老年
難聴(老人性)
喉頭がん
神経疾患(進行)
認知症(発症進行)
音声言語の理解困難
疎外感・うつ
発声困難
声質不良や小声
語想起困難
不適切な発話,保続
文献 4 )第 2 章の表 2.2 を一部改変
覚障害は,18 歳までが 1–2%,75 歳以上で 32%と
推 計 さ れ た.2012 年 の National Health Interview
Survey 7 )では,3 ~ 17 歳の子ども(非成人)で過去
12 ヶ月にコミュニケーション障害があったかとい
う質問への電話回答を得た.全体の 7.7%にコミュ
ニケーション障害がみられ,内訳は,話し言葉の問
題 5.0%,言語の問題 3.3%,声の問題 1.4%,嚥下の
問題 0.9%であった.年齢区分別の割合は,3 ~ 10
歳では話し言葉の問題 41%,言語の問題 13%,声
の問題 6%,複数の問題 34%,11 ~ 17 歳では話し
言葉の問題 24%,言語の問題 23%,声の問題 12%,
複数の問題 25%であった.
1968 ~ 1969 年には,National Speech and Hearing
Survey 8 )が行われた.検査機器・道具・防音室と専
門家を乗せたキャラバンでの全国調査を行い,小中
学生 38,802 人(男 19,973 人,女 18,829 人)への言
語・聴覚検査で,構音障害 1.9%,発声障害 3.0%,
吃音 1.6%を発見した.近年の豪州での調査では,小
学生 10,425 人(男 5,106 人,女 5,319 人)に,吃音
34 人( 0.33%),発声障害 13 人( 0.12%),語音障害
111 人( 1.06%)がみられた 9 ).
2.発声発語障害
1)発声障害
喉頭の病変により,発声障害をきたすことがある.
乳幼児期には先天性の奇形(喉頭軟弱症,横隔膜症,
気道狭窄)による気管切開,学童期には声の乱用に
伴う声帯結節(学童嗄声),青年・成人期には変声障
害,学校教師などの声を使う職業人での声帯結節,
ポリープ,胸部外科術後の反回神経損傷,老年期に
は声帯萎縮や声帯溝症など,声質や声の高さの異常
がある.他にも,喉頭ジストニアに起因する痙攣性
発声障害,頸部喉頭の過緊張発声,機能性(心因性)
の失声症もある.
米国のアイオワ州とユタ州の成人への無作為電話
調査では,1,326 人の対象のうち,発声障害を確認
できたのは 6.6%(既往を含めると 29.9%)であっ
た 10 ).米国で音声障害を有していない 40 歳以上の
成人 100 人(平均 61 歳)を対象に喉頭病変の既往を
調べた結果,嗄声 8%,発声障害 6%,声の疲労 3%
であった 11 ).なかでも弓状声帯が多くみられ,胃食
道逆流症の訴えも伴うことから,音声障害の原因が
喉頭以外にもあることが示された.英国の 8 歳児の
4
健康医療学部紀要 第 1 巻
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調査では,7,389 人の対象のうち,専門家の診断によ
の調査(生後 8 ヵ月からの追跡)に合わせて,吃音
る音声障害は 6%,両親の報告によるものは 11%で
の調査が行われた 20 ).3 歳までに 1,619 人中 158 人
あった 12).米国アトランタの高齢者住宅に居住する ( 9.8%)の両親から連絡があり,面接と遊び場面の
65 歳以上の高齢者( 169 人中 120 人)では,声に関
発話(行動)分析によって,137 人( 8.5%)の子ど
する質問紙 V-RQOL の「声に困難があるか?」の項
も(男児 84 人,女児 53 人)に吃音があると判定さ
目に 20%が YES の回答をした.日本での学校教員
れた.
への調査では,高知県の小・中学校教員 468 人のう
3.神経発達症候群に伴う先天性の言語・発声発
ち「声のかすれ」がしばしば・時々あると回答した
語障害
13 )
のが 54%であった .反回神経の損傷については,
1)精神発達遅滞
廣瀬が文献から集計を行った結果では,肺などの悪
精神発達遅滞( MR )は知能水準により重度 MR
性腫瘍によるものが 4,500 人中 785 人( 17.4%)と
と軽度 MR に分けられる.重度例は,言語獲得が難
多く,術後の声帯麻痺は欧州各国の報告をもとに 6.0
しく,運動障害もあるために発語困難が顕著である.
14 )
~ 9.9%と記している .
一方,軽度例は,言語でのコミュニケーションは可
2)構音障害
能だが,短い発話や語彙の乏しさがみられ,語音障
構音障害は,解剖学的異常(奇形・変形・欠損)
害をきたすことが多い.
による器質性,神経系の機能低下(神経筋疾患,脳
調査の総括より,言語障害の有病率は,施設入所
卒中や頭部外傷,脳性麻痺)による運動障害性(dysの MR 者で 57 ~ 72%,家族支援の教室(養護)の
arthria),発達の遅れ,構音運動の誤学習によると考
MR 児で 72 ~ 82%,特別学級に在籍する MR 児で
えられる機能性に分類できる.小児では,口唇口蓋
8 ~ 26%あった 21 ).精神発達遅滞の原因の 1 つとし
裂,脳性麻痺,音韻障害を含めた語音障害が多い.
て知られるダウン症候群では,構音障害が一部にみ
成人では,dysarthria(脳性麻痺を含む),一部の構
られ,吃音は 10 ~ 45%にみられるといわれている
22 )
音障害(例えば,側音化構音)の残存などがある.
.一方,発声障害について一貫した報告は,本邦
米国の National Health Interview Survey 5)では,
では確認できなかった.
3 ~ 17 歳の子ども(非成人)で示された話し言葉の
近年の疫学報告の総括では,学童期の児童での
問題には,語音障害と dysarthria が含まれていると
MR の有病率は平均 0.38%であった 23 ).MR の重症
考えられる.豪州では,0 ~ 14 歳の子供 12,388 人に
度にかかわらず,ほとんどの MR 児で言語の遅れが
面接調査で構音障害と吃音を判定したところ,有病
あり,一部には構音障害あるいは語音障害があり,
15 )
率は 1.7%( n = 209 )であった .発達・知能の遅
その障害は成人でも持続する.
れ(有病率 25%)を除くと,有病率は 1.3%( n =
2)脳性麻痺
9)
155 )であった.前出の調査 では,語音障害が小
脳性麻痺( CP )は,胎生・周生期の不可逆性の脳
学生で 1.06%と報告されている.日本では,診療統
損傷による運動障害で,知的な遅れに伴う言語の遅
計を除き,小児・成人の構音障害の疫学調査はみあ
れや発声発語障害をきたすことが多い.世界の疫学
たらない.
調査の総括では,生存出産 1,000 人中 1.5 ~ 2.5 人で,
3)吃音
20 世紀最後の 10 年間で増加が示された 24 ).米国ア
吃音は,2 ~ 7 歳で発症し,半数以上は自然消失す
トランタの 1975 ~ 1991 年の 1 年生存児の調査では,
るとされている.一生涯で個人が吃音を発症する割
1,000 人中 1.7 ~ 2.0 人の CP 児が確認され,1,500g 未
合(発症率)は,大学生以上で 5%程度との調査結果
満の低体重児に高率であった 25).欧州諸国での合同
が多い.特定の時点で吃音がある割合(有病率)は,
調査では,1,000 人中 1.5 ~ 3.0 人とばらつきがあり
26 )
幼児期から学童前期に高く,学童では 0.3 ~ 2.1%と
,CP の定義・認定基準によるものと考えられた.
16, 17 )
報告されている
.
日本では,滋賀県で 6 歳児を対象とした調査( 3 期
先行研究に示される疫学データをみると,調査の
間:1997 ~ 1981 年,1977 ~ 1981 年,1982 ~ 1986
対象と方法によって結果にかなりの違いがみられ
年)があり,CP は 1,000 人中 1.34 人であった.1977
る.例えば,日本の調査では,発達検査後に追跡で
~ 1981 年と比べて 1982 ~ 1986 年に減少したもの
きた青少年期( 12 ~ 22 歳)の男女 403 人では,吃音
の,1987 ~ 1991 年には再び増加しており,出産時
18 )
ありとの回答が 12 人( 3%)であった .米国での
後のケアの向上と超低体重児の救命生存によるもの
発達障害の面接調査( 3 ~ 17 歳)では,過去 12 ヵ
と考えられた 27 ).
月に吃音を呈した子どもが,全対象のうち 1.6%と
3)自閉症スペクトラム障害
19 )
の回答であった .豪州メルボルンでは,早期言語
自閉症( autism )は,非言語性のコミュニケー
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
5
ション行動の欠落,特定の物や行動への強いこだわ
を踏まえて再計算しところ,先進国での失語症の発
り,過敏あるいは鈍感,常同的・反復的な発話といっ
症率は 0.02 ~ 0.06%,有病率は 0.1 ~ 0.4%と推定さ
た特徴を持ち,一般的には言語の遅れ,高機能自閉
れた 36 ).
症であっても社会的コミュニケーション障害をきた
高次脳機能障害は,失語,認知症等の脳機能の低下
す.
の総称で,頭部外傷や脳疾患によって起こる.言語
自閉スペクトラム障害( ASD )の調査報告 42 件
障害は,失語症だけでなく,認知症に伴う言語低下
の総括(日本の報告も 6 件含む)によると,典型的
もあり,dysarthria を合併することもある.高次脳
な自閉症は 10,000 人あたり 7.1 人,ASD が 20.0 人と
機能障害について全国実態調査報告が,日本で 2006
28 )
示された .英国の調査では,8 ~ 9 歳の 56,946 人
年と 2011 年に行われた 37, 38 ).2006 年には,1,106 施
の選別検査によって,10,000 人あたり小児自閉症が
設 35,891 人のデータを回収し,高次脳機能障害の
38.9 人,その他の ASD が 77.2 人,狭義の自閉症が
内訳は以下の通りであった:失語症 90.8%,記憶障
29 )
24.8 人と推定された .米国の調査( 3 ~ 17 歳,計
害 76.8%,遂行機能障害 67.0%,行動と情緒の障害
78,037 人)では,両親の報告による ASD は 673,000
64.0%,認知症 92.3%.また,2011 年には 1,232 施
人であり,10,000 人あたり 110 人の児童が ASD であ
設 32,251 人分のデータを回収,高次脳機能障害の
ると推定された 30).米国の 14 地点での 2008 年 ASD
内訳は以下の通りであった:失語症 88.6%,記憶障
調査によると,8 歳児 1,000 人あたり 11.3 人( 88 人
害 74.3%,遂行機能障害 63.8%,行動と情緒の障害
に 1 人の割合)であり,前々回 2002 年 6.4 人,前回
59.8%,認知症 94.6%.小児については,A 市の小学
31 )
2006 年 9.0 人に比べて増加傾向であった .英国の
校のデータより,神奈川県で 3,491 人,全国で 49,920
学童の小児自閉症スペクトラム障害の調査では,協
人と,高次脳機能障害を持つ児童が相当数いると推
力を得た特殊教育 96 校のクラスに在籍する学童( 5
計された 39 ).
~ 9 歳)8,824 人中 83 人( 10,000 人あたり 94 人),
5.聴覚障害
診断検査CASTを実施して検出が10,000人あたり99
聴覚障害は,聴力低下(難聴)だけでなく,言語
人,家族への質問紙 3,373 人のうち 41 人(内 37 人
の遅れや発声・構音障害をきたすことがある.難聴
が普通学級)であった.報告のあった割合より,未
の疫学は,成人・高齢者と小児,聴力レベルによる
知の自閉症スペクトラム障害児を加えると,10,000
重症度で,結果が異なる.
32 )
人中 157 人と推定された .韓国の調査では,7 ~
1)聴覚障害の程度別にみた有病率
12 歳の 55,266 人を対象として,質問紙 ASSQ での
軽度難聴を含む有病率(良聴耳の平均聴力レベル
回答が陽性であったもののうち,診断検査 ADOS に
が 25dB 以上,難聴を自覚)は,Ries( 1985 )が 8%
て同定された ASD は普通学級 23,234 人中 104 人と ( US,25 ~ 74 歳,n=6,805 )40 ),Davis( 1989 )が
特殊学級 103 人中 97 人であり,多くの普通学級の児
16.1%( UK,17 ~ 80 歳,n=2,708 )41 ),Borchgre童で診断・治療がされていなかったことが判明した
vink ら( 2005 )が 18.8%( Norway,20 ~ 101 歳,
33 )
.
n=50,723)42),Agrawal ら(2008)が 15.7%(US,20
4.失語症と高次脳機能障害
~ 69 歳,n=5,742 )43 ),Lin ら( 2011 )が 13%( US,
米国で脳卒中に伴い失語症を発症するのは,NIH
30,000,000 人,12 歳 以 上) と 15 %( 37,500,000 人,
によると年間 80,000 人,米国全体での有病率は約
18 歳以上),片側難聴を含めると 20.3%( 41,800,000
5)
1,000,000 人と推定されている .スイスのカントン
人,12 歳以上)44 )などと報告しており,全体的にみ
バーゼル市の住民 188,015 人を対象とした 2002 年~
ると両側性難聴の有病率は 15%前後(我が国では約
2003 年の前向き調査では,初発虚血性脳卒中者 269
19,000,000 人)と考えられる.
人のうち,80 人( 30%)が失語症を有していた.こ
29 カ 国 の 42 の 文 献 に 基 づ い た 世 界 保 健 機 構
れは,カントンバーゼル市の人口 1,000,000 人あた ( WHO )の 2012 年の報告では,世界で 360,000,000
り 43 人であり,欧州の一般的な人口構成(人口ピラ
人(全世界人口の 5.3 %)に難聴 disabling hearing
ミッド)に換算すると人口 1,000,000 人あたり 21 人
loss があり,そのうち 91 %,328,000,000 人(男性
と推定された 34 ).また,米国サウスカロライナ州の
183,000,000 人,女性 145,000,000 人)が成人で 9 %
2004 年の医療費請求から,ICD-9 のコードで失語症
( 32,000,000 人)が小児,65 歳以上の高齢者の 3 分
者数を算出したところ,虚血性脳卒中の患者 3,200 人
の 1 近くが難聴と推定された 45–47 ).なお,disabling
35 )
のうち 398 人( 12%以上)が失語症と報告した .
hearing loss とは,良聴耳でも聴力レベルが 40dB
すでに報告された失語症の有病率のデータをもと ( 15 歳以上)あるいは 30dB( 14 歳以下)を上回る
に,先進国での脳卒中の生存率が増加していること
もので,補聴器を必要とする中等度以上の難聴であ
6
健康医療学部紀要 第 1 巻
2016 年 3 月 31 日
る.残念ながら,この聴力の基準による我が国での
616,000 人,女性 620,000 人),うち入院患者は 172,200
調査結果は見当たらないが,上記の有病率から我が
人であり,特に高齢での発病率が高い 55 ).脳卒中に
国の難聴者数は約 6,700,000 人と推定される.
よる死亡率は減少傾向にあるが,上下肢の麻痺だけ
高度難聴(両側 70 dB 以上)は,わが国では身
でなく,失語症,dysarthria,高次脳機能障害といっ
体障害者にあたり,18 歳以上が 276,000 人,18 歳
た障害を持ちながらも 10 年以上を生活している人
未満が 15,800 人,合計 292,000 万人であり,総人口
たちもいる.
127,830,000 人の 0.23%にあたる 48 ).
2)脳腫瘍
2)年齢別にみた有病率
日本での脳腫瘍(原発性)の 2001 ~ 2004 年の
聴覚障害者の割合は,人口の年齢構成によって
総患者者数は 13,431 人で,年間 4,000 ~ 5,000 人が
も異なる.米国疾患予防管理センターの National
Brain Tumor Registryに登録されている 56).米国で
Health Interviewでは,3~17歳の子どもで,1,000人
は 2007 ~ 2011 年 100,000 人あたり 21.4 人,英国では
に 5 人の割合で,両親の報告により難聴があること
2008 年 100,000 人あたり 24.3 人,フランスでは 2001
49 )
が示された .年齢別にみた難聴の頻度より,1999
~ 2002 年 100,000 人あたり 15.5 人,韓国では 2010 年
年 National Academy on an Aging Society は聴覚障
100,000 人あたり 20.3 人と,おおむね 100,000 人あた
害の 43%は 65 歳以上と指摘した 50 ).内田らは日本
り 20 人であった.脳腫瘍は,失語症,dysarthria,
での横断・縦断調査により,年齢と難聴の関係を示
高次脳機能障害の後遺症をきたすことがある.
51 )
した .横断調査では,2,194 人(男性 1,118 人,女
3)癌(悪性腫瘍・新生物)
性 1,076 人)の年代別( 65 ~ 69 歳,70 ~ 74 歳,75
2010 年の癌罹患者数(全国推計)は,口腔・咽
~ 79 歳,80 歳以上)有病率を求め,それぞれの年
頭 15,560 人(男性 10,771,女性 789 ),喉頭 4,970 人
代で男性の 43.7%,51.1%,71.4%,84.3%,女性の (男性 4,604,女性 366 )であった 57 ).100,000 人あた
27.7%,41.8%,67.3%,73.3%に軽度以上の難聴を
りでは,口腔・咽頭癌が男 17.3 人・女 7.3 人,喉頭
認めた.縦断調査では,10 年後を追跡できた 465 人
癌が男 7.4 人・女 0.6 人であった.口腔咽頭がんでは
(男 212 人,女 253 人)で,高齢者ほど難聴の発症
構音障害,喉頭がんでは発声障害をきたすことが多
率が高くなった( 60 ~ 64 歳→ 70 ~ 74 歳で 32.5%,
い.
52 )
70 ~ 74 歳→ 80 ~ 84 歳で 62.5%) .Cruickshanks
4)口腔顔面の奇形
らは 5 年後の発症率を,48 ~ 59 歳で 11.6%,60 ~
先天性の奇形で最も多いのが,口唇裂・口蓋裂で
69 歳で 23.1%,70 ~ 79 歳で 48.0%,80 ~ 92 歳で
ある.日本では出生 500 人あたり 1 人といわれてい
53 )
95.5%と報告している .
る.1981 ~ 1982 年の調査では,全出産数 384,230
軽度を含む難聴の年代別の有病率は,上記を含
人中 701 人に口唇口蓋裂を認め,発症率は 0.18%で
めて,0 ~ 18 歳で 12 ~ 15%,18 ~ 44 歳で 6.7%, あった 58 ).手術や訓練・指導で学童期後半には,形
45 ~ 64 歳 で 18.9 %,8.6 %,65 ~ 74 歳 で 25.0 %, 成術と機能回復がなされるが,幼児期には構音障害
41.5%,75 歳以上で 45.1%,73.5%と報告されてい
をきたす.
49, 51, 52 )
る
.中等度以上の難聴の有病率は,0 ~ 18 歳
5)神経難病
54 )
で 1.6% ,18 ~ 44 歳で 0.6%,45 ~ 64 歳で 3.9%, 神経難病は,特定疾患医療受給交付件数より,そ
65 ~ 74 歳で 19.5%,75 歳以上で 49.1%,成人全体
の患者数を知ることができる:平成 24 年の集計で
42 )
では 9.0%と報告されている .0 ~ 18 歳で他の年
は,多発性硬化症( MS )が 17,073 人,重症筋無力
齢層に比べて難聴の有病率が軽度以上で高く中等度
症( MG )が 19,670 人,筋萎縮性側索硬化症( ALS )
以上で低くなっているのは,この年代では軽度の滲
が 9,690 人,脊髄小脳変性症( SCD )が 25,447 人,
出性中耳炎の罹患が多いためと考えられる.また, パーキンソン病( PD )関連が 120,406 人,舞踏病
成人の年代別の有病率をわが国の人口構成に当ては ( HD )が 851 人,多系統萎縮症( MSA )が 11,733
めて計算すると,高齢者の割合が高いことを反映し
人であった 59 ).
て,全成人の有病率は 10%に達する.
MS は,日本( 2004 年)では 100,000 人あたり 7.7
人,WHO の報告では世界で 100,000 人あたり 33 人
Ⅳ 日本の疾患・疫学調査に基づく
である 60 ).MG は,日本では 100,000 人あたり 11.8
障害児者数の推定
人 で, 年 齢 の 中 央 値 が 57 歳 で あ る 61 ).MSA は,
1.音声言語障害をきたす疾患の有病率
100,000 人あたり 10 人前後(好発年齢 50 歳代後半)
1)脳卒中
である 62 ).神経難病では,進行すると dysarthria が
2011 年の脳卒中の総患者数は 1,235,000 人(男性
半数以上にみられる.
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
6)認知症
65 歳以上の高齢者の 4 ~ 6%が認知症であると言
われている 63 ).認知症では,進行すると言語機能低
下が起こり,無言状態になることもある.
7)頭部外傷
交通事故や転落に伴う頭部外傷は,100,000 人あた
り 230 人といわれている 64 ).好発年齢は,15 ~ 24
歳で,高次脳機能障害を有したまま長く生活をして
いく人達が少なくない.
2.難聴をきたす疾患・状態別に推定した難聴の
有病率
1)加齢による難聴
先のⅢ5-2)で述べたように,高齢者では難聴
の有病率は上昇する.2013 年のわが国の人口構成
をもとに,Schiller ら 49 )や内田ら 51 )の年齢別の有病
率をもとに,45 歳以上の難聴の全人口に対する有病
率を求めると 15%前後となる.これから 18 歳から
44 歳の有病率 6.7%を耳疾患や騒音暴露の既往など
加齢以外の原因の寄与として除外すると,この率は
10%をやや下回る値となる.今後,高齢化が進むと
有病率はさらに上昇することが予想される.
2)騒音性難聴(職業性難聴)
NIH の推計では,米国で騒音による高音域の難聴
が,20 ~ 69 歳で 15%( 26,000,000 人)もいると記
されている 5 ).わが国では,労働安全衛生法等によ
る職場の騒音環境の改善により,騒音性難聴は減少
傾向にあると思われるが,有病率についての詳しい
調査データが少ない.耳鼻咽喉科で聴力検査を受け
難聴が認められた患者 6,149 人中 689 人( 11.2%)が
騒音性難聴を合併していると診断されている 69).難
聴の有病率を 15%と見積もっても,総人口に対する
騒音性難聴の有病率は,1.7%と米国と比べ明らかに
低い.
労災や職場検診の実績から見積もると,有病率は
さらに低くなる.わが国における騒音による労災の
認定数( 6 分法平均聴力 30dB 以上)は年間約 500 名
( 1980 年代)である 66 ).騒音性難聴の平均発症が 40
歳として,この時点から平均寿命 80 歳まで 40 年間
難聴であり続けるので,ある時点における労災によ
る有病数はこれを 40 倍して 20,000 人,したがって
全人口に対する有病率は約 0.02%となる.
また,2014 年度における騒音職場の特殊健康診断
での有所見者数は 39,000 人( 28.6 万人中)であった
66 )
.検診のある期間 40 年( 20 ~ 60 歳)に対して,
退職後 20 年は健診はないがその期間も有所見者は
いるので,有所見者数は 1.5 倍の 58,500 人,したがっ
て全人口に対する有病率は 約 0.05%となる.
騒音性難聴は,耳鼻咽喉科の臨床では,加齢によ
7
る難聴に次いで多くみられる難聴であるが,それに
比べて,これらの値は明らかに低い.この理由とし
ては,過去に騒音性難聴の発生が多く,その時に騒
音性難聴になった患者が現在受診している,中小企
業などで,検診や労災の認定が行われていない職場
が多いなどが考えられる.
3)突発性難聴
多くの場合難聴は高度であるが一側性で発症し,
2/3 で難聴が残る.わが国では年間 24,000 人が発症
する 67).これを 1,000,000 人あたりに換算すると 1 年
に 192.4 人の発症となる.したがって,突発性難聴に
よる難聴の有病率は,1,000,000 人あたり 192.4 人×
2/3×30 年(平均発症年齢 50 歳から平均寿命 80 歳
まで)≒4,000 人,すなわち約 0.4%と推定される.
4)メニエール病
メニエール病の難聴は多くは一側性で,難聴によ
る能力障害は軽度であり,難聴の程度も初期には軽
く変動するのが特徴である.渡辺らは,本疾患の罹
患率を 100,000 人あたり約 5 人,有病率を 100,000 人
あたり約 40 人( 0.04%)と報告している 68 ).この
数字は突発性難聴の 10 分の 1 であるが,耳鼻咽喉科
を受診する患者数は突発性難聴の約 2/3 とする報告
もあり 69 ),これより高率である(または突発性難聴
がより低率の)可能性も示唆される.
5)機能性難聴
心因性難聴と詐聴があり,小児では心因性難聴,
成人では詐聴が多い.数の上で多い心因性難聴につ
いて考える.両側性難聴を訴える場合が多い.発症
率は海外では 0.025% 70 ),国内では 0.05% 71 )とする
報告がある.半年以内に回復するものがほとんどな
ので,ある時点での有病率は発症率の 2 分の 1 以下
となる.
6)聴神経腫瘍
多くは一側性で聴力の回復は通常期待できない.
発症率は年間 1,000,000 人に 9.4 人との報告がある 72).
難聴の有病率はこの数字に 30 年(平均発症年齢 50
歳から平均寿命 80 歳まで)を掛けて,1,000,000 人
あたり約 300 人( 0.03%)と推定した.
7)特発性両側性感音難聴
わが国全体で年間 700 名( 1,000,000 人あたり 5.6
人)発症するとされている 67 ).難聴の有病率は,こ
れに 40 年(平均発症年齢 40 歳から平均寿命 80 歳ま
で)を掛けて,1,000,000 人あたり約 200 人( 0.02%)
と推定した.
8)ムンプス難聴
5 ~ 9 歳で罹患し一側性が多く難聴は不可逆性で
ある.わが国全体で年間 400 人( 1,000,000 人あたり
3.2 人)発症するとされているので 67 ),難聴の有病
8
健康医療学部紀要 第 1 巻
率は,これに 70 年(平均発症年齢 10 歳から平均寿
命 80 歳まで)を掛けて,1,000,000 人あたり約 200 人
( 0.02%)と推定した.
9)GJB2 遺伝子変異による難聴
先天性高度難聴の 10 人に 1 人がこれにあたる.劣
性遺伝で,日本人の保因者の確率は約 2%(Ohtsuka
ら,2003)とされているので 73),有病率は 0.02×0.02
×1/4=1/10000( 0.01%,12,000 人)と推定される.
10 )滲出性中耳炎
3,4 歳~小学校低学年( 7,8 歳)に多く,その
後大半は治癒する.6 ~ 8 歳での有病率は 6%前後
( 3 ~ 9%)とされている 74 ).この年代の人口は全人
口の約 5%に相当するので,全人口に対する有病率
は( 0.05 を掛けて)約 0.3%と考えられる.
11 )慢性中耳炎
発症率は年間 10,000 人に 2 人とされている 75).手
術等による聴力の改善は半数として,2 人×40 年(平
均発症年齢 40 歳から平均寿命 80 歳まで)×1/2 よ
り,難聴の有病率は約 0.4%と推定される.
12 )鼓膜外傷
大学病院で年間平均 20 人との報告がある 76 ).全
国 4,000 の耳鼻咽喉科診療所で 1 診療所当たり年間
平均 10 人の鼓膜外傷例が受診すると,全国の年間の
鼓膜外傷例は 40,000 人,すなわち人口 1,000,000 人あ
2016 年 3 月 31 日
たり約 320 人となる.その全例が 1 カ月で治癒する
と,ある時点での難聴の有病率は,人口 1,000,000 人
あたり 320 人×1/12 で約 30 人( 0.003%)となる.
13 )耳硬化症
両側性で,有病率に明らかな人種差がある.白人
では有病率は 100 人に 1 人( 1%)と高く女性に多い
のに対して,日本人では,耳疾患患者の 0.25%(全人
口の約 0.02%),性差は不明確と報告されている 77 ).
14 )先天性外耳道閉鎖
一側または両側性で,男が女より罹患率が高い.
有病率(発症率)は,20,000 人に 1 ~ 5 人( 0.005 ~
0.025%)と報告されている 78 ).
3.日本の年代別人口や疾患の統計からの推定障
害児者数(表 3 )
2014 年 10 月時点での日本人の人口は 127,083,000
人であった.年代別には,65 歳以上の高齢者が増加
傾向で,出生数は過去 10 年間( 2005 ~ 2014 年)で
やや減少傾向,100,000 人台で推移していた 79 ).
こどもの数は,乳幼児 0 ~ 2 歳 3,103,000 人・3 ~
5 歳 3,155,000 人,小学生 6 ~ 8 歳 3,204,000 人・9 ~
11 歳 3,278,000 人,中学生 12 ~ 14 歳 3,494,000 人で
ある 80 ).
1)小児の言語障害(先天性)
言語発達の遅れや異常は,知的障害(ダウン症を
表 3.日本での音声言語・聴覚障害児者数(推定)
障害名
疫学データ
推定患者数
小児の言語障害
精神発達遅滞の有病率 0.38%:476,000 人(含:ダウン症の有病率:0.1%) 1,103,000 人
自閉症スペクトラム障害の有病率 0.3%:376,000 人
脳性麻痺の有病率 0.2%:251,000 人
成人の言語障害
先進国の有病率 0.1 ~ 0.4%:106,000 人( 18 歳以上の 0.1%)
106,000 人
音声障害
成人・小児の有病率 6%:7,526,000 人
7,526,000 人
小児の構音障害
語音障害( 3 ~ 5 歳)の有病率 5%:156,000 人
語音障害( 6 ~ 17 歳)の有病率 1%:134,000 人
唇裂・口蓋裂の有病率 0.25%:0 歳~ 5 歳 15,000 人
脳性麻痺の有病率 0.2%:251,000 人
556,000 人
成人の構音障害
口腔咽頭癌罹患者:16,000 人
脳卒中や頭部外傷に伴う dysarthria(脳卒中患者の 10%):124,000 人
神経難病に伴う dysarthria(神経難病の 50%):102,000 人
脳性麻痺:51,000 人
293,000 人
吃音
3 ~ 5 歳の有病率 1.5%:47,000 人
6 ~ 17 歳の有病率 1%:134,000 人
18 歳~ 100 歳の有病率 0.5%:529,000 人
710,000 人
小児の難聴
軽度難聴を含めた有病率 12 ~ 15%:2,700,000 人
(中等度以上の難聴の有病率 1.6%,高度難聴は 0.08%)
2,700,000 人
(内:中等度以上の難聴は
320,000 人)
成人の難聴
16,000,000 人
軽度難聴を含めた有病率 15%:16,000,000 人
(内:中等度以上の難聴は
(中等度以上の難聴の有病率 10%)
( 45 歳までは軽度難聴を含めると有病率 6.7%,以降加齢とともに有病率 10,000,000 人)
は上昇する.高度難聴は 0.26%)
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
9
含む)は幼児の 0.38%で 476,000 人,自閉症スペクト
障害のリハビリテーションでは,十分な臨床経験と
ラム障害は同 0.3%で 376,000 人,脳性麻痺は同 0.2%
スキルを身につける必要がある.
で 251,000 人と推定できる.
本研究によって,音声言語・聴覚障害を有する障
2)成人・高齢者の言語障害(中途障害)
害児者数が約 29,000,000 人いることが明らかとなっ
失語症は,脳卒中,頭部外傷,脳腫瘍の一部で起
た.ただし,音声障害と聴覚障害には,
“軽度”も多
こり,先進国の有病率の最小で見積もると,18 歳以
く含まれ,患者として来院する人たちは,その中の
上の 0.1%で 106,000 人と推定される.
一部と考えられる.それでも,小児の言語障害と語
3)音声障害
音障害,吃音,小児と成人の聴覚障害は,かなりの
喉頭病変以外にも声の訴えを音声障害と捉える
患者数が存在するので,重点的に評価と訓練にあた
と,小児・成人の 6%で 7,526,000 人と推定できる.
るべき領域ではないだろうか.
4)小児の構音障害
言語・発声発語・聴覚と幅広い臨床領域にまたが
機能性と言語(音韻)性の構音障害を合わせた語
るために,臨床スキルを身に付けるためには,卒前
音障害は,幼児の 5%,学童・青年期の 1%とする
の臨床実習と現場での on-the-job トレーニングだけ
と 290,000 人と推定できる.器質・運動性の構音障
では,経験できる症例が限定され,かつ多様な状態
害の主な原因となる口唇口蓋裂(出産 400 人に 1 人)
を評価して訓練・指導を担うのは難しい.卒後の研
は 0 ~ 5 歳で 15,000 人,脳性麻痺は 251,000 人と推
修と重点的に診ている施設と指導者による実習を今
定できる.
後行うべきであると考える.
5)成人の構音(発声発語)障害
2.臨床家の需要供給
器質性の構音障害は,口腔咽頭癌によるものが
現在,言語聴覚士の有資格者数は 25,549 人( 2015
16,000 人と推定できる.神経系の機能低下に伴う発
年 3 月末時点)である 81 ).脳卒中の急性期や回復
声発語障害 dysarthria は,脳卒中や頭部外傷の亜
期のリハビリテーション分野では,都心部を中心に
急性期・回復期と慢性期の 1 割として見積もると
充足しつつあるが,生活期のリハビリテーションや
124,000 人,神経疾患は難病の経過中の出現を考慮し
へき地医療では先々も需要がある.音声障害や構音
て 50%で見積もると 102,000 人,脳性麻痺が出生数
障害を専門的に診る病院は限られているのが現状で
と平均余命,出現を 20%と見積もり 51,000 人と推定
ある.数多くの小児の言語障害や構音障害を診るに
できる.
は,医療・福祉機関と言語聴覚士が明らかに不足し
6)吃音
ている.例えば,京都府では小児を専門に診る施設
吃音が幼児で始まり,幼児で 1.5%,学童・青年期 (相談室を含む)は京都市内で 9 か所,京都府全体で
で 1%,成人で 0.5%とすると,710,000 人と推定で
も 14 か所にすぎず,平均 2 ~ 3 ヵ月の待機という
きる.
状態である 82 ).特に,京都府の北部地域では小児の
7)小児の聴覚障害
言語障害や構音障害を診る医療・福祉機関がないた
小児で軽度の難聴が多い傾向があるが,軽度を含
め,京都市内まで通院する必要がある.
めると 13.5%で約 2,700,000 人と推定できる.日常会
このことから,言語聴覚士が提供できる訓練と指
話の聞き取りに明確な支障をきたし,補聴器が必要
導の頻度は少なく,適切な対応ができているとはい
となる中等度以上の難聴は 1.6%で約 320,000 人と推
いがたい.中長期的にも,小児への手厚いサービス
定される.
の提供,さらには青年期から成人の音声障害や吃音
8)成人の聴覚障害
に対する専門的な関わりが多くなることが期待され
成人,特に高齢者で難聴は多く,軽度以上の難聴
る.
は約 16,000,000 人と推定できる.中等度以上の難聴
養成した言語聴覚士の受け皿は,主に医療機関で
は 10%で約 10,000,000 人と推定される.
ある.今後も継続する高齢者の増加は,医療機関で
のリハビリテーションを担う人材配備を進ませるこ
Ⅴ 考 察
とが予想される.へき地でのリハビリテーション部
1.臨床領域と臨床スキル向上の必要性
門や小児を診る病院や施設での言語聴覚士へのニー
言語聴覚士( ST )は,音声言語・聴覚を診る専
ズは高まるであろう.
門職ではあるが,昨今は嚥下障害への関わりも求め
3.限界と課題
られる.嚥下障害は,看護師や歯科衛生士,理学療
聴覚障害と比べて音声言語障害の疫学調査は,限
法士,作業療法士なども関わることができるが,他
られている.音声言語・聴覚障害は,自覚的な側面
の専門職が関わることが難しい音声言語障害や聴覚
もあり,疫学データで示されるのは氷山の一角かも
10
健康医療学部紀要 第 1 巻
しれない.今回の文献リビューは,体系的なもので
はなく,世界と日本の調査・研究報告を網羅できて
いない.推定した障害児者数は,年代別の人口,発
症年齢と生存,疾患・状態から障害の起こる割合,
障害の有病率から,大まかに算出したもので,今後
十分な検討が必要である.
本研究では,コミュニケーション障害を狭義で捉
えて,読み書き障害や認知症,社会的コミュニケー
ションの困難は含まれていない.例えば,自閉症ス
ペクトラム障害では,学業や就業,生活の中でのや
りとりに困難がある.読み障害は,読書力検査での
成績低下から判定され,学童以降での言語障害の一
部とみなすこともできる.これらを含めると,医療
だけでなく福祉・教育現場での評価とトレーニング
の需要はかなり大きいと考えられる.
文 献
2016 年 3 月 31 日
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2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
13
【 Review Article 】
The Present State of the Hyperthermia in Japan,
and by What Kind of Way Should We Progress from Now on?
Satoshi KOKURA
Faculty of Health and Medical Sciences, Kyoto Gakuen University
日本のがん治療におけるハイパーサーミアの現状と今後の展望
古倉 聡
京都学園大学 健康医療学部 看護学科
Abstract
Hyperthermia has a long history as a treatment modality for tumors, with the rapid development of heating devices for hyperthermia starting more than a century ago. Ideal heating devices
would enable the targeted area to be heated in accordance with the depth and width of the tumor.
However, hyperthermia alone does not show attractive results for cancer patients, but does appear
to reinforce many therapeutic options, especially against for liver cancer. Hyperthermia is a potent
sensitizer for radiotherapy, chemotherapy, and immune therapy, each of which has significantly
advanced in this decade. A multimodal treatment approach that relies on hyperthermia combined
with state-of-the-art radiation, chemotherapy, and immune therapy can result in great clinical benefits for pancreatic cancer patients. In a prior study, we demonstrated that hyperthermia enhances
the cytotoxicity of gemcitabine, one of the key drugs for pancreatic cancer, by inhibiting gemcitabine -induced activation of nuclear factor kappa B (NF-kB). Considering these results, combining
hyperthermia and chemotherapy could result in better treatment outcomes for pancreatic cancer
patients.
Hyperthermia may reduce the metastatic potential of cancer cells and inhibit tumor metastasis.
However, the underlying mechanisms through which hyperthermia inhibits cancer metastasis have
yet to be fully elucidated. Epithelial-to-mesenchymal transition (EMT) plays a key role in tumor
metastasis; therefore, we investigated and summarized the effects and underlying mechanisms of
EMT in cancer cells. The results suggest that hyperthermia not only inhibits tumor growth, but
also mediates the expression of EMT-related genes—including E-cadherin and vimentin. Elevated
body temperature has been thought to play an important role in the regulation of immune responses, and accumulating evidence in thermal medicine indicates that hyperthermia could be a useful
combination therapy to enhance the efficacy of cancer immunotherapy.
I believe that, in the years to come, a stronger focus on the research and development of these
novel yet safe modals is what is required for a treatment breakthrough to emerge that ultimately
results in longer survival and higher quality of life for many cancer patients.
14
健康医療学部紀要 第 1 巻
2016 年 3 月 31 日
要 旨
放射線療法,化学療法,免疫療法は,近年すばらしい進歩を遂げてきたが,これらの治療にハイ
パーサーミアを併用することは,さらにそれぞれの抗腫瘍効果を高めることが明らかとなってきて
いる.たとえば,我々は,膵臓がんの key drug であるゲムシタビンの殺細胞効果をハイパーサーミ
アが増強することを見いたしている.また,ハイパーサーミアは,がん細胞の転移能を低下させる
が,このメカニズムが長い間不明であった.上皮間葉移行( EMT )という現象が,がんの転移に
重要であるが,この EMT をハイパーサーミアが抑制することが明らかとされた.さらに,近年最
も注目を集めている免疫療法に関しては,体を温めることは,生体の免疫応答に非常に重要な役割
を持っていることがわかっている.その上,ハイパーサーミアを免疫療法に併用することは,免疫
療法をより効果的な治療法にする.本稿では,これらについて,私の研究データを基に概説する.
Key wards: h
yperthermia, chemotherapy, NF-kB, Epithelial-Mesenchymal Transition, immunotherapy,温熱療法,化学療法,NF-kB,上皮間葉移行,免疫療法
I Introduction
Hyperthermia is old and is a novel cancer therapy. The treatment of burning off cancer with heat
was performed around B.C. 2000, and it was the
way near ablation currently performed now. This
hyperthermia became science from the 1960s gradually. In 1970s, this treatment was investigated
against for the cancer using microwaves, the clinical trial of hyperthermia had started completely by
the West and a Japanese. First, the clinical trial of
the concomitant with a radiotherapy preceded and
it became an obvious that the curative effect which
used a Radiotherapy and hyperthermia.
Whatever the contribution of Hypethermia
about cancer treatment may be called, there is no
adverse effect, a repeatedly treatment is made, and
a sickness benefit is an inexpensive in it.
In this review, I would like to explain the basic
and clinical approach about hyperthermia.
part of tumor was caused necrotic change by hyperthermia combined with trans arterial chemoembolization (TACE) (Fig.2) 1). Next case is multiple
metastases from gastric cancer. Metastatic lesions
could not be detected by CT scan after combination therapy using hyperthermia and chemotherapy (Fig.3) 2). Third case is hepatic metastases from
colonic cancer. The metastatic lesions almost disappeared by combination therapy using hyperthermia
and chemotherapy. (Fig.4) 3)
We performed hyperthermia treatment with
114 patients for one week, in Kyoto Prefectural University of Medicine, and Takeda Clinic. However,
clinical effect of hyperthermia alone is not so strong
that in clinical setting hyperthermia is combined
with radiation and/or chemotherapy.
II Effective cases by using hyperthermia
At first, I mention clinical efficacy of hyperthermia in Japan.
The device was used in regional hyperthermia, Thermotron RF8 which is made by Yamamoto VINITA Co. is shown in Fig.1 and this device
is widely used for regional hyperthermia in Japan.
Theses devices are working at about 100 hospitals
in Japan.
This case is Hepatocellular carcinoma. Most
Fig.1 R
adio-Frequency Dielectric Heater made by Yamamoto VINITA (Thermotron RF-8®)
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
15
III Hyperthermia combined with
chemotherapy
Fig.2 The case of Hepatocellular carcinoma
The effects of hyperthermia for chemotherapy
is shown. Anti-cancer agents such as Gemcitabine
(GEM) or CPT-11 are known to activate the transcription factor NF-kB (Fig.5) 4). It was reported that
activation of NF-kB in cancer cells attenuates apoptosis induced by the chemotherapy 4). I found that
heat treatment inhibits NF-κB activation induced
by anti-cancer agents and enhances chemotherapyinduced apoptosis of cancer cells 4).
Inhibition of NF-kB induced by hyperthermia
is one of the mechanisms by which hyperthermia
enhances effects of chemotherapy.
IV Clinical trial
Fig.3 The case is multiple metastases from gastric cancer.
Fig.4 The case is hepatic metastases from colonic cancer.
Gemcitabine (GEM) was widely used as standard regimen of unresectable pancreatic cancer.
However, the overall objective response rate remains low and additional improvement is clearly
needed. We recently found that hyperthermia inhibited GEM-induced activation of NF-κB 5), resulting in the enhancement of the GEM cytotoxicity.
The clinical efficacy of the combination of GEM and
hyperthermia was estimated in untreated patients
with unresectable pancreatic cancer 5). The protocol
of combination therapy is shown in Fig.6.
In this study, median survival times (MST)
were 198 days for GEM group and 327 days for
the combination therapy of GEM and Hyperthermia
(GEM+HT) group (Fig.7) 5). Patients treated with
GEM and HT had significantly better survival than
the GEM alone.
Fig.5 A
ctivation of NF-kB by GEM at pancreatic cancer
cell lines (AsPC-1 and MIA PaCa-2) Activation of
NF-kB was investigated by Electrophoretic Mobility Shift Assay (EMSA) 0, 3, 6, 12, 24 h after GEM
treatment, con. indicates control lane of EMSA
16
健康医療学部紀要 第 1 巻
Fig.6 T
he protocol of combination therapy of GEM and
hyperthermia in untreated patients with unresectable pancreatic cancer
Fig.7 K
aplan-Meier graph for overall survival in patients
with unresectable pancreatic cancer
Based on the promising result of the pilot
study, a phase 2 clinical study was conducted. Stage
IVa means T4 without distant metastasis, and stage
IVb means patient has a distant metastasis. When
the proportional-hazards analyze was conducted
about age, sexuality, Performance Status (PS), and
stage, the significant difference was acquired by
only stage 6). In the group of stage IVa patients,
MST was 17.7 months. On the other hand, MST of
stage IVb patients were 5.2 months 6). This result
about stage IVa is better than the treatment group
of chemo-radiation therapy (CRT) with much report
for MST 8 to 10 months 7, 8). The merit of GEM combined with hyperthermia are at first, an enhanced
effect of GEM, at the second, since not only a primary focus but most livers can be warmed, a liver metastasis nest is also made to a target, at the third,
a heating -- for a wide reason, we can control a
growth of micro-metastases, such as a lymph node
and hepatic micro metastases.
2016 年 3 月 31 日
pancreatic carcinoma, and a peritoneum sowing.
In the invasive transition process of a cancer cell,
epitheliocytes carry out a shape variation at a mesenchyme system, and epitheliocytes lose the property and carry out a behavior like a mesenchyme
system. This phenomenon is called epitheliums
mesenchyme transition (Epithelial-Mesenchymal
Transition, EMT) 9, 10). In general, it is well known
inflammation, oxidative stress, and hypoxia were
EMT inducing factors 11–14). My hypothesis is that
hyperthermia can suppress EMT. Cancer cell expressed E-cadherin. When TGF-b or GEM stimulation was received, cancer cell change to mesenchyme cell, which disappeared E-cadherin, and
expressed vimentin 15, 16). If hyperthermia inhibits
EMT, after stimulation of TGF-b or GEM, cancer
cell is still epithelial cell, namely it has an E-cadherin but dose not have vimentin. In Fig.8 17), red
color shows E-cadherin. When TGF-b, which induces EMT, is added, E-cadherin disappeared. When
the heat treatment was performed, as compared
with the TGF-b group, the reduction of E-cadherin was inhibited 17). How about vimentin, which is
the marker of mesenthymal cell. In Fig.9 17), red
color shows vimentin. TGF-b and GEM stimulation
induce the vimentin. However, heat treatment inhibits vimentin expression.
V My question about a reason with GEM+
hyperthermia effective in Stage IVa
My hypothesis is that hyperthermia prevents
the liver metastasis from the primary focus of a
Fig.8 E
ffect of heat on TGFb- induced E-cadherin disappearance (MIAPaCa-2)
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
17
From the result of basic experiments, it has
been clarified that EMT is inhibited by hyperthermia 17).
In conclusion, hyperthermia combined with
chemotherapy works on the reduction of target tumor and inhibition of metastasis via the suppression
of EMT.
of TGF-β1, IL-10 and VEGF in tumor were all significantly reduced by hyperthermia 26). To visualize
Treg in the tumor site, we performed immunohistochemical staining of Foxp3 expression. The number
of Foxp3 positive lymphocytes (Treg) decreased by
hyperthermia. Western blotting analysis revealed
that expression of Foxp3 protein decreased when
mice were treated with hyperthermia 26). Thus, hyperthermia blocks the accumulation or induction of
regulatory T cells into the tumor site.
As shown above, hyperthermia enhances anti-cancer immune activity by several mechanisms.
Therefore, the mechanism of cancer cell killing of
hyperthermia might have not only the cell death
induced by heat but also an indirect action through
the immune activation.
Moreover, hyperthermia could enhance immunotherapy in cancer treatment because hyperthermia has the potential to overcome the cancer-associated immunosuppression. Namely, hyperthermia
suppresses Treg induction 26). Hyperthermia inhibits the immune suppressive cytokines production
in tumor tissues, and hyperthermia increases the
expression of cancer antigen 26).
VI Effects of hyperthermia on
immune response
VII New immune cell therapy
using naïve T cells.
The mechanisms by which cancer cells could
escape from host immune system are explained below. In general, cancer cells express a low level of
MHC class I and cancer antigens 18, 19). But we and
other groups 20–23) reported that hyperthermia can
increase both MHC class I, cancer antigen expression, and other protein. Cancer cells also produce
immune suppressive cytokines that exert systemic effects on immune cell function 24, 25). Effect of
hyperthermia on immune suppressive cytokines
and regulatory T cell (Treg) is unknown. Therefore, we investigated the effect of hyperthermia on
immune suppressive factors such as IL-10, TGF-β,
and VEGF in the tumor tissue and Treg infiltration.
Colon 26 cells were injected subcutaneously. When
tumor size reached a mean of 5mm in diameter,
mice were treated with hyperthermia, 43 degrees
for 1 hour. Tumors were dissected 24 hours after
hyperthermia, and RT-PCR, ELISA, and immunohistochemistry were assessed for the immune suppressive factors. The mRNA level and protein level
In order to check a synergistic effect of hyperthermia and immune therapy, we examined the
effect of hyperthermia combined with adoptive immunotherapy using naïve T cell in cancer-bearing
mice. A protocol for in vivo experiment are indicated in Fig 10. Mice were injected subcutaneously
Fig.9 E
ffect of heat on TGFb- / GEM- induced vimentin
expression (MIAPaCa-2)
Fig.10 Exmerimental protocol
18
健康医療学部紀要 第 1 巻
with B16 melanoma cells and treated with adoptive
immunotherapy combined with hyperthermia. Mice
were treated with hyperthermia on day 3 and day
4. On day 6 and day 10, mice were treated with
intravenous adoptive transfer of naïve (CD62L+)
or effector (CD62L-) CD8 T cells. At Day 17, mice
were sacrificed and analyzed. Figure 11 27) shows
the change in the tumor volume of each group. The
tumor volume significantly decreased in naïve T
cell (CD62L+) transfer therapy combined with hyperthermia, compared to effector (CD62L-) T cell
transfer therapy combined with hyperthermia or
hyperthermia alone. According to this preclinical
study, we performed phase I study of a naive T cell
transfer therapy about 5 years ago 28), we have tried
the combination therapy with naive T cell transfer
therapy and hyperthermia in clinical.
One case of advanced gastric cancer, who rejected standard chemotherapy, received hyperthermia and naïve T cell transfer therapy. The patient
was 62 years old man. He appealed abdominal discomfort, and went to the neighboring clinic. In that
clinic, he received Gastric fiber (GF) and CT at 23th
June in 2013. By GF, he had the advanced gastric
cancer, which occupied from middle body to antrum, mainly anteriol to lessor curvature including
gastric angle. CT found liver metastasis and ascites.
From a cytological examination of the ascites, he
was diagnosed peritonitis carcinomatosa. The final
diagnosis was advanced gastric cancer with liver
metastasis, and peritonitis carcinomatosa.
About the treatment, at first, he had agreed to
receive “S-1+CDDP” for 1 cycle which was one of
2016 年 3 月 31 日
the standard chemotherapy in Japan 29). He took S-1
for 1 week. However, adverse effects were very severe, he rejected to continue chemotherapy. So, we
selected the hyperthermia +naïve T cell transfer
therapy. He received naive T cell transfer therapy
and hyperthermia from August 3rd, 2013 to the end
of March, 2014, for 8 month. After this treatment, I
rechecked advanced gastric cancer by GF at 23th
April 2013, surprisingly I could not find the gastric
cancer, I found normal gastric mucosa without any
malignant lesion. CT also showed the disappearance
of liver metastasis and ascites. Furthermore, there
were no recurrences of gastric cancer, liver metastasis, or peritonitis carcinomatosa in June 2015. And
his performance status was very good.
VIII Conclusion
Since the combination with hyperthermia
and chemotherapy is useful, we should use them
together as much as possible. Hyperthermia itself
can inhibit EMT, resulting in the prevention of metastasis. Hyperthermia plus immunotherapy are
also expectable because I sometimes experienced
almost recover cases like the presented case of the
advanced gastric cancer. Now I expect the combination therapy of hyperthermia plus immunotherapy extremely.
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2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
21
【総 説】
ストレスフルイベントにおける成長・発展・自己実現に
ポジティブ志向が果たす役割
橋本 京子
京都学園大学 健康医療学部 言語聴覚学科
The Role of Positive Orientation on the Growth, Development,
and Self-Actualization toward the Stressful Event
Kyoko HASHIMOTO
Department of Speech-Language-Hearing Sciences and Disorders,
Faculty of Health Sciences, Kyoto Gakuen University
要 旨
本論文は,ポジティブな認知のあり方のひとつであるポジティブ志向がストレスフルイベントに
おける成長・発展・自己実現に対して果たす役割を考察した.近年,ストレスフルイベントはスト
レス反応を引き起こすというマイナス面だけでなく,人間を成長・発展・自己実現に導きうるとい
うプラスの面も持つことが注目されてきている.また,ポジティブな認知のあり方が心身の健康の
維持に重要であることも明らかになっている.ゆえに,ストレスフルイベントにおける成長・発展・
自己実現にもポジティブな認知のあり方が関係していると考えられる.このうち,現実のポジティ
ブな面を強調するような,必ずしも現実に基礎を置いていない認知のあり方であるポジティブ志向
は,上方志向,平静維持,現状維持,下方比較の 4 因子から構成されている.これらの 4 因子はい
ずれもストレスフルイベントにおける成長に重要な役割を果たすが,その具体的な様相は異なると
いう可能性が示唆された.
キーワード:ストレスフルイベント,ポジティブ志向,成長・発展・自己実現
Key words: stressful life event, positive orientation, growth, development, self-actualization
Ⅰ は じ め に
人間は,生きていく中で様々な出来事を経験する.
そのような出来事の中には,ポジティブな出来事も
あれば,ネガティブな出来事もある.ポジティブな
出来事は人を良い気分にさせ,幸福感の向上へと導
くであろうことは,日常経験から容易に予想されよ
う.また,ネガティブな出来事は,人を落ち込ませ,
抑うつや不安,イライラなどのネガティブな感情を
喚起し,様々な心理的身体的ストレス反応を引き起
こすであろうこともまた予想されることである.
しかし,ネガティブな出来事は人を落ち込ませる
ようなマイナスの意味しか持たないものなのであろ
うか.そもそも,人が生きる上で,程度の違いこそ
あれ,ネガティブな出来事に遭遇することは避けら
れないものである.また,雑誌や新聞報道で,事故
や災害,病気等の重篤なネガティブな出来事に遭遇
したものの,その出来事に何らかの前向きな意味を
見出している人々が取り上げられることがある.そ
の例として,犯罪被害で身近な人を亡くした遺族が
22
健康医療学部紀要 第 1 巻
被害者支援を訴えるために講演したり,いじめで子
どもを失った遺族がいじめで苦しんでいる子ども達
の相談に応えたりしていることが挙げられる.それ
らの例を踏まえると,ネガティブな出来事は人間に
とってマイナスの意味しか持たないわけではないこ
とが考えられる.
それでは,ネガティブな出来事がマイナスの意味
しか持たない場合と,それにとどまらない場合とを
分けるものは何なのだろうか.人間の中に,ネガ
ティブな出来事をポジティブな方向に向かわせるも
のが存在しているとしたら,それはどこにどのよう
にあるのだろうか.このことを考えるための 1 つの
手がかりとして,ポジティブな認知のあり方が考え
られる.近年盛んになっているポジティブ心理学に
おいては,自己や環境に対するポジティブな認知が
精神的健康を促進するという指摘がなされている
1–3)
.本論文では,このようなポジティブな認知のあ
り方をポジティブ志向として取り上げる.なお,ポ
ジティブ志向の定義については後述する.
本論文は,ネガティブな出来事の中でも特にスト
レスフルイベントに焦点をあて,ストレスフルイベ
ントが人間的な成長・発展・自己実現に結びつくこ
と,および,ストレスフルイベントにおける成長・
発展・自己実現にポジティブ志向が果たす役割につ
いて考察するものである.
以下,本論文の構成を述べる.Ⅱでは,ストレス
に関する先行研究について概観し,本論文で扱うス
トレスフルイベントについて定義する.Ⅲでは,ス
トレスフルイベントのポジティブな面が注目される
きっかけとなったポジティブ心理学について述べ,
ストレスフルイベントからの成長に注目した先行研
究について概観する.Ⅳでは,ポジティブな認知が
心身の健康に及ぼす影響についての先行研究を,ポ
ジティブ幻想理論を中心に概観する.Ⅴでは,ポジ
ティブ幻想理論の問題点を解決するものとして考案
されたポジティブ志向について紹介し,それがスト
レスフルイベントにおいて果たす役割を考察する.
最後にⅥにおいてまとめを述べる.
Ⅱ ストレスに関する先行研究
1.ストレスとは
前節ではポジティブ・ネガティブな出来事と記述
したが,客観的にポジティブ・ネガティブというこ
とと,主観的,つまり本人にとってポジティブ・ネ
ガティブということは異なる.そして,ポジティブ・
ネガティブの意味づけも時間とともに変化するもの
である.ネガティブな出来事を示す語としてまず思
い浮かぶのはストレスフルイベントであるが,スト
2016 年 3 月 31 日
レスという言葉も,厳密に何を指すのかは曖昧なま
ま用いられていることが多い.この点を整理するた
めに,本節ではストレスに関する研究を概観し,本論
文で扱うストレスフルイベントについて定義する.
辞書的定義に従えば,ストレスとは,心身の適応
能力に課せられる要求( demand ),およびその要求
によって引き起こされる心身の緊張状態を包括的に
表す概念である 4 ).すなわち,ストレスとは( 1 )心
身の安全を脅かす環境や刺激,
( 2 )環境や刺激に対
応する心身の諸機能・諸器官の働き,
( 3 )対応した
結果としての心身の状態の 3 側面から構成される 5).
ストレス研究は,Selye 6 )が 1936 年に「外部環境
からの刺激によって起こる歪みに対する非特異的反
応」をストレスと定義したことに始まるとされる.
心理学的ストレス研究として,代表的な 2 つのアプ
ローチがある.
2.心理学的ストレス研究
心理学的ストレス研究の 1 つは,生活出来事型ス
トレス研究である.これは,ストレスを生活上の変
化であると捉え,日常生活上の変化に再適応するた
めに必要な努力が心身の健康状態に影響すると捉え
る立場に立つ.Holmes と Rahe 7 )は,この考え方に
基づき,生活上の変化をもたらす様々な出来事から
構成されるストレス評価尺度を作成している(社会
的再適応評価尺度;The Social Readjustment Rating
Scale; SRRS ).
しかし,このアプローチは,出来事の内容が個人
にとってどのような意味を持っているのかが考慮さ
れていない点,および出来事の生起に伴う変化に対
してどのような対応策をとったかという個人差が無
視されている点で問題のあるものである.
もう 1 つは,Lazarus と Folkman 8 ) が提唱した
心理学的ストレスモデルである.このモデルにおい
ては,ストレスフルイベントにおける認知の重要性
が強調されており,ストレスフルイベントによる健
康への影響力が,両者の間に介在する認知的評価と
コーピングによって左右されると考えられている.
具体的には,心理的ストレスとなりうる外界から
の刺激(潜在的ストレッサー)に直面すると,その刺
激に対して認知的評価が行われる.認知的評価は,
一次的評価と二次的評価の 2 種類に分けられる.一
次的評価では,状況が「無関係」,「無害・肯定的」,
「ストレスフル」のいずれであるか,「ストレスフ
ル」な場合は,それが「有害」,「脅威」,「挑戦」の
いずれであるかという評価が行われる.二次的評価
では,一次的評価で状況が「ストレスフル」と評価
された場合に,その状況に対処するために何ができ
るか,また対処するためにどのような資源を持って
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
いるかについての評価が行われる.
認知的評価に基づいて,コーピング,つまり,ス
トレス反応を低減することを目的として行われる認
知的または行動的努力が実行される.コーピングが
成功し,刺激や情動が適切に処理されれば,健康上
の問題は生起しないが,コーピングが失敗した場合
には,ストレス状態は慢性的に持続し,心身の健康
上の問題が生起する.
つまり,このモデルでは,客観的に見た出来事の
強弱よりも,個人が出来事を主観的にどのように評
価するかによってストレス反応が決定されると考え
るのである.また,このモデルは,自己や状況に対
してポジティブな認知を行うことが,ストレス反応
を緩和し,健康を維持するうえで重要な意味を持つ
ことを示唆していると考えられる.
3.ストレスフルイベントとは
以上より,同じような出来事を経験したとしても,
それが実際にストレス反応を引き起こすものになる
かどうかは異なるといえる.しかし,多少の個人差
はあるとしても,多数の人にとって,多かれ少なかれ
心理的負荷を感じる出来事,つまり心理的ストレス
となりうる出来事というものは存在するであろう.
このような問題意識のもとに,本論文では坂野 9 )
にならい,「個人に新しい適応行動や対処行動を必
要とさせるような出来事であり,それまでの生活様
式に重大な変化をもたらすような出来事」を「スト
レスフルイベント」とする.それらは,予測が困難
である,不確実である,コントロールが難しいなど
の特徴を持ち,抑うつや動機づけの低下を生み出す
と考えられる状況である 8 ).本論文では,出来事を
経験したことそのものがストレス反応を規定すると
いう立場には立たず,出来事が個人にとって持つ意
味,および出来事への対応の個人差を考慮する.
Ⅲ ストレスフルイベントの持つ
ポジティブな面への注目
1.ポジティブ心理学
抑うつや動機づけの低下を生み出すと考えられる
状況であるストレスフルイベントであるが,一方で
ポジティブな意味も持ちうることが,近年になって
注目されてきた.かつては,ストレスフルイベント
はマイナスの意味しか持たないがゆえに避けるべき
ものとして捉えられていた.そして,ストレスフル
イベントで被った病的な“マイナス”の状態を,い
かに“ゼロ”の状態,つまりストレスフルイベント
を経験する前と同じレベルの健康度に戻すかという
ことだけが強調されている傾向にあった.しかし近
年,ストレスフルイベントはポジティブな意味も持
23
ちうるものであり,むしろ人間はストレスフルイベ
ントにポジティブな意味づけをするからこそ,人間
的な成長がなしとげられるという指摘がなされてい
る.
このような面が取り上げられてきたのは,近年提
唱されたポジティブ心理学の隆盛とも関連が深いで
あろう.ポジティブ心理学とは,
「人間のもつ長所や
強みを明らかにし,ポジティブな機能を促進してい
くための科学的・応用的アプローチ」10, 11 ),
「精神病
理や障害に焦点を絞るのではなく,楽観主義やポジ
ティブな人間の機能を強調する心理学の取り組み」
12, 13 )
と定義される.これは,1998 年に,アメリカ心
理学会の会長であった Seligman 14 )が,従来の心理
学が精神的な障害や人間の弱さに過度に重きをおい
てきたことを批判し,心理学は人間の持つ良いもの
を育み養うために力が注がれるべきだと主張したこ
とにはじまるものである.
従来の心理学が精神的な弱さや障害を中心に研究
してきたのに対し,ポジティブ心理学は,これまで
見過ごされがちであった人間の精神機能のポジティ
ブな側面に注目し,それを生かすことを目指してい
る.そのことによって,ポジティブ心理学は,援助
が必要な人々に対する新しい援助の方法を提供する
とともに,援助が必要なほどの問題を持たない「一
般の」人々の精神的健康や幸福感をさらに向上させ,
あらゆる人々の人生をより充実したものにすること
が期待されている 13 ).
2.ストレスフルイベントのポジティブな面に注
目した研究
ポジティブ心理学の中では,ストレスフルイベン
トのポジティブな面に注目した研究がなされてき
た.本項ではそのいくつかを概観する.
Selye 6 )は,良いストレス( eustress )と悪いス
トレス( distress )という概念を挙げ,悪いストレ
スは心身の不調を招くが,良いストレスは,緊張感
の中で活動のエネルギーを高めたり,モチベーショ
ンを高めたりするといった良い影響があることを論
じている.さらに,同じストレス刺激でも,その程
度や強さの差,さらには受け手側の生体条件の差に
よって,良くも悪くもなり,人体にとって適度なス
トレスは有益であると指摘した.
先述した Lazarus と Folkman 8)の心理学的ストレ
スモデルでも,潜在的ストレッサーが一次的評価に
おいて「ストレスフル」であるが「挑戦」と捉えら
れた場合は,自分にとって利益や成長などの良い効
果を及ぼすと認識していると考えられる.
このように,そもそもストレスフルイベントの定
義上はそのポジティブな面も指摘されてはいたのだ
24
健康医療学部紀要 第 1 巻
が,ネガティブな面がより強調される傾向にあった.
しかし,ポジティブ心理学の提唱とともにストレス
フルイベントのもつポジティブな面も注目を集めて
きている.
まず,ストレス関連成長( Stress-Related Growth;
SRG )という概念が挙げられる。これは,危機の結
果として,成長が成し遂げられるという理論である.
その理論の基礎を構築したのはSchaefer & Moos 15)
であり,危機の結果としてもたらされる成長として,
社会的資源の増加,個人的資源の強化,ストレス対処
方略の獲得を挙げている.Park, Cohen, Murch 16 )
は,このモデルに依拠し,実証的研究を行った.そ
の結果,ストレスフルイベントを経験した結果とし
て成長を経験するのは個人の特性であることや,成
長の程度には個人差があることが明らかになってい
る.
また,Tedeschi と Calhoun 17, 18)は心的外傷後成長
( Posttraumatic growth; PTG )という概念を提出し
ている.これは「危機的な出来事や困難な経験との
精神的なもがき・闘いの結果生じる,ポジティブな心
理学的変容の体験」17 )と定義される.つまり,人生
における大きな危機となる状況を経て,心理的にポ
ジティブな変化がもたらされるというものである.
それは,気持ち・感情・情動の変化,認知(世界,
自分自身,人生の捉え方)の変化,行動の変化に分
けられ,この順に変化すると考えられている 19 ).心
的外傷後成長を測定するための尺度(Posttraumatic
growth Inventry; PTGI )も開発されており,成長
の具体的な内容は,
( 1 )他者との関係,
( 2 )新たな
可能性,
( 3 )人間としての強さ,
( 4 )精神性的(ス
ピリチュアル)な変容,( 5 )人生に対する感謝の 5
種類に分類されることが明らかになっている 19).さ
らに,危機となる状況を経験する前と同じ状態に戻
るのではなく,経験前よりも経験後の方がより大き
な成長がみられると指摘されている 20).日本でも宅
21 )
が青年を対象に研究を行っており,成長したとい
う感覚はストレスフルイベントに対する意味を付与
することによってもたらされることや,ストレスフ
ルイベントの後で成長を感じているか否かは個人差
や体験による差があることを明らかにしている.
以上より,ストレスフルイベントのポジティブな
面とは,主に人間的な成長が成し遂げられるという
ことに集約されるといえよう.
Ⅳ ポジティブな認知のあり方と健康
-ポジティブ幻想理論-
1.ポジティブ幻想
前節では,ストレスフルイベントが人間的な成長
2016 年 3 月 31 日
というポジティブな結果をもたらすといういくつか
の知見を紹介した.それでは,ストレスフルイベン
トを通じての成長を可能にする要因は何であろう
か.
ストレスフルイベントを通じての成長が可能にな
るための前提として,ストレスフルイベントを経験
してもストレス反応に屈することなく健康が維持さ
れることが必要であると考えられる.近年,健康の
維持や高揚には,ポジティブな認知のあり方が深く
関わっていることが指摘されている.
その代表的な理論が,Taylor と Brown 1–3 )による
ポジティブ幻想の理論である.Taylor と Brown 2, 3 )
は,非抑うつ者という意味での一般の人が有してい
る自己・環境・未来に対する認知は,自分に都合の良
いようにポジティブな方向に傾いたエラーやバイア
スのような歪んだ認知によって特徴づけられると指
摘し,このようなエラーを含むバイアスのかかった
認知を総称してポジティブ幻想( positive illusions )
と名づけた.ポジティブ幻想は,望ましい結果をた
だ期待するのみにとどまらず,たとえこれから起こ
ることが不確定である場合においても,自分の能力
によって望ましい結果を生み出そうという信念であ
るということが強調されている 1 ).
Taylor と Brown 1–3 )は,先行研究 26, 27 )から抽出
した精神的健康の 4 つの基準とポジティブ幻想が関
連していることをもって,ポジティブ幻想が精神的
健康と結びついていると主張した.その精神的健康
の基準の 1 つとして,
「ストレスフルイベントにおい
て,成長・発展・自己実現を遂げる能力」が確かに
挙げられているのである 1–3 ).
2.ポジティブ幻想の問題点
しかし,このポジティブ幻想という概念には,少
なくとも 2 つの問題点がある.まず,
「ポジティブな
方向にバイアスのかかった認知」といっても,はっ
きりした外的基準がない場合には,対象者の認知が
真に「バイアスがかかっている」と言えるかどうか
を判断することは困難であろう 2, 3 ).
また,ポジティブ幻想とは,信念が既知の事実と
反しているということを必ずしも意味せず 22 ),現実
を可能な限りポジティブな観点から解釈することで
あることが指摘されている 23 ).つまり,なされた認
知が現実と反しているということは,あくまで結果
として論じられることでしかない.むしろ,強調さ
れているのは,ポジティブに自己や環境,未来を捉
えようとする認知のあり方,および自分自身の力で
望ましい結果を生み出そうという信念の方である.
しかし,“幻想”という語が用いられることにより,
Taylor 以降になされたポジティブ幻想に関する研
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
究は,ポジティブな認知と客観的事実とのズレの有
無や程度のみが強調される傾向にある.
25
維持」と「現状維持」である.両者は基準を現在と
同じ状態に置くものであるが,その意味合いは異な
るものである.「平静維持」は現在の状態を平静な状
Ⅴ ポジティブ志向とストレスフルイベント
態のままに保とうとする傾向である(例:「平静な
1.ポジティブ志向の定義
状態を,すぐに取り戻すことができると思う」).他
24 )
前節に述べた問題点を踏まえ,橋本
は,客観
方,「現状維持」は現在の状態にとどまって,それ
的現実からの歪みの有無や程度を問わずにポジティ
以上にポジティブな方向を目指さなくてもよいと考
ブな認知を幅広く捉え,現実をポジティブな方向に
える傾向である(例:「これ以上良い方向を目指さ
歪めた認知(ポジティブ幻想)だけでなく,現実に
なくてもよいと思う」).「現状維持」は「上方志向」
沿った認知をも含めて,「特定の方法で既知の事実
と逆の意味合いを持つものといえる.
を見ようとすること」22 )の結果生じた「現実のポジ
最後に.基準を現在の状態よりも下に置くものが
ティブな面を強調するような,必ずしも現実に基礎 「下方比較」である.これは,よりネガティブな他者
を置いていない」25 )認知のあり方を「ポジティブ志
や状態と比較して,現在を相対的にポジティブに認
向」( positive orientation )と定義した.すなわち, 知する傾向を示す(例:
「もっと悪い状態の人と比較
ポジティブ志向とは,
「現実をポジティブな方向に歪
すると,今の自分の状態はずっと良いと思う」).
めた認知(ポジティブ幻想)」,
「現実に沿っているの
これらのポジティブ志向の構成因子のいくつか
か,ポジティブに歪めているのか曖昧な認知」,およ
は,幸福感と結びついていることが明らかになって
び「現実に沿ったポジティブな認知」の 3 つを含む
いる 24 ).具体的には,上方志向と下方比較は,両者
幅広い概念と位置づけられる.この「ポジティブ志
とも幸福感に影響するが,特に上方志向が幸福感に
向」の概念により,現実をポジティブな方向に歪め
大きな影響を及ぼす.また,現状維持は楽観性が低
た認知(ポジティブ幻想)に限定することなく,ポ
い場合に幸福感を高める効果がある.対して,平静
ジティブに自己や環境,未来を捉えようとする認知
維持は抑うつが高い場合に幸福感を高める効果があ
のあり方を幅広く捉えることが可能になったといえ
る.
る.
3.ストレスフルイベントにおけるポジティブ志
2.ポジティブ志向の構成因子
向の役割
ところで,一口に「現実のポジティブな面を強調
以上より,ポジティブ志向も精神的健康の維持,
するような認知」といっても,その内実は多様であ
高揚と結びついていることが明らかになっていると
ろう.特に,ポジティブな認知がどのような状態を
言える.また,ポジティブ志向はその定義上,ポジ
基準として行われるのかを考慮する必要がある.た
ティブ幻想の概念を含むものであるので,ポジティ
1)
とえば,Taylor は,乳がん患者において,より悪
ブ志向も,ストレスフルイベントにおいて成長・発
い状態の他者と比較することによって現在の自己や
展・自己実現を遂げる能力と関連する可能性は十分
環境をポジティブに捉える傾向(下方比較)が見ら
に考えられる.
れることを示した。しかし,ポジティブな認知は,
それでは,ポジティブ志向の各構成因子は,スト
より悪い状態と比較する場合だけでなく,現在の状
レスフルイベントにおける成長・発展・自己実現に
態を基準としてその状態を維持できればよいと捉え
おいて具体的にどのような役割を果たすのであろう
たり,あるいは現在より良い状態を基準にして行わ
か.以下に考察を述べたい .
れたりすることもあるだろう。
ストレスフルイベントにおける成長・発展・自己
24)
橋本 は,ポジティブ志向を測定する尺度を作成
実現に対して,直接的に最も重要な役割を果たすの
した.その結果,ポジティブ志向は,上方志向,平
は上方志向であると考えられる.前項で述べた通
静維持,現状維持,下方比較の 4 つの因子から構成
り,上方志向は,現在の状態よりさらにポジティブ
されることが明らかになっている.この 4 つの因子
な方向を志向するものである.そのため,ストレス
は,現実をポジティブに認知する際にどこに基準を
フルイベントにおいて,現在の状態をポジティブ・
置くかの違いによって分かれるものである.
ネガティブいずれに捉えていたとしても,さらにポ
まず,基準を現在の状態よりも上に置くものが「上
ジティブな方向を志向すると考えられる.
方志向」である.これは,現在の状態よりも,さら
先行研究では,上方志向がストレスフルイベント
にポジティブな方向を指向する傾向である(例:
「現
において有効な対処方略として働く可能性が指摘さ
状よりもさらに良くすることができると思う」).
れている。たとえば,Segerstrom 28)は,コントロー
次に,基準を現在と同じ状態に置くものが「平静
ル不可能なストレス要因に直面した場合に行われる
26
健康医療学部紀要 第 1 巻
情動焦点型対処方略として「よりポジティブに思え
るよう,異なる角度から見るように努力する」など
の方略を挙げ,このような方略が有効に働くことを
明らかにしている.これらの対処方略は上方志向に
類似しており,上方志向と,コントロール不可能な
ストレス要因に直面した場合の情動焦点型対処方略
とは共通した性質を持つと考えられる.ストレスフ
ルイベントにおいて,このような対処が成功すれば,
さらなる成長・発展・自己実現に活かせる可能性は
あると考えられる.
他の 3 因子,つまり平静維持,現状維持,下方比
較については,直接的には成長に結びつきにくいと
考えられる.しかし,現在の状態のポジティブな認
知につながれば,何らかのかたちでストレスフルイ
ベントからの成長を導くと考えられる.
平静維持は,現在の状態を平静な状態のままに保
とうとするため,ストレスフルイベントにおいて現
在の状態をポジティブに捉えていた場合,イベント
経験前と同じ水準の健康度に戻す役割しか果たさな
いと考えられる.ストレスフルイベントにおける健
康の維持には役立っても,さらなる成長・発展・自己
実現へと導かれる可能性は少ないであろう.ただ,
現在の状態をポジティブと捉えたときに,平静な状
態を保てたという自信が,成長につながる可能性は
あるだろう.
現状維持については,現在の状態以上にポジティ
ブな方向を目指さなくてもよいと考える傾向である
ことから,あるがままの現状の受け容れにつながる
と考えられる.ゆえに,現在の状態をポジティブに
受け容れていれば,人生への感謝というかたちでの
成長を可能にするものと考えられる.
下方比較は,よりネガティブな状態と比較して,
現在を相対的にポジティブに認知する傾向である.
先行研究では,乳がん患者を対象とした研究 22)にお
いて,下方比較によって自己や環境をポジティブに
認知することが精神的健康と関連があることが明ら
かになっている.よって,下方比較も,現在の状態
のポジティブな認知につながればストレスフルイベ
ントからの成長を導くであろうことが考えられる.
Ⅵ お わ り に
本論文は,ストレスフルイベントが人間的な成長・
発展・自己実現に結びつき,ポジティブ志向がスト
レスフルイベントにおける成長・発展・自己実現に
果たす役割について試論を述べた.
近年は,犯罪事件や事故など心の荒む出来事も多
く発生している.このような時代だからこそ,スト
レスフルイベントのようなネガティブな出来事を受
2016 年 3 月 31 日
け容れ,それをポジティブに認知し,成長へとつな
げることが求められよう.そのために今後は,ポジ
ティブ志向を持てない人の心理を明らかにすること
や,ポジティブ志向を持たせて向上させる訓練も必
要であると考えられる.
文 献
1) Taylor, SE: Positive illusions: Creative self-deception
and healthy mind. New York: Basic Books., 1989
2) Taylor, SE, Brown, JD : Illusion and well-being: A
social psychological perspective on mental health. Psychological Bulletin, 103 : 193-210, 1988
3) Taylor, SE, Brown, JD : Positive illusions and
well-being revisited: Separating fact from fiction. Psychological Bulletin, 116: 21-27, 1994
4) 岡安孝弘:ストレス.中島義明・安藤清志・子安増
生・坂野雄二・繁桝算男・立花政夫・箱田雄司(編集).
心理学辞典.有斐閣.1999
5) 小杉正太郎:ストレスとは何か.小杉正太郎(編著)
ストレス心理学 個人差のプロセスとコーピング.川
島書店 2002 pp.1-4.
6) Selye, H : A Syndrome produced by Diverse Nocuous Agents. Nature, 138(3479, July 4): 32, 1936
7) Holmes, TH, Rahe, RH: The social readjustment rating scale. Journal of Psychosomatic Research, 11: 213218, 1967
8) Lazarus, RS, Folkman, S : Stress, appraisal, and coping. New York: Springer Publishing Company., 1984
(本明寛・春木豊・織田正美(監訳)
:ストレスの心理学
-認知的評価と対処の研究-.実務教育出版.1999)
9) 坂野雄二:ストレスの基礎研究の現状-心理学・行動
科学.河野友信・石川俊男(編).ストレス研究の基礎
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ズ 2).至文堂.1999, pp.68-77.
10) Snyder, CR, Lopez, SJ : Positive psychology: The scientific and practical explorations of human strengths.
Thousand Oaks, CA: Sage Publications. 2007
11) 堀毛一也:ポジティブ心理学の展開.現代のエスプ
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12) 島井哲志(編)
:ポジティブ心理学――21 世紀の心理
学の可能性.ナカニシヤ出版 , 2006
13) Gallagher Tuleya, L. (Ed.): Thesaurus of psychological index terms (11th ed.). Washington, DC: American
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14) Seligman, M E P : Building human strength : Psychology’s forgotten mission. APA Monitor, 29, January, 2. :1998
15) Schaefer, J., & Moos, R.: Life crises and personal
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
27
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17) Tedeschi, RG, Calhoun, LG : The posttraumatic
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114-129, 1989
24) 橋本京子:ポジティブ志向と幸福感の心理学 ナカ
ニシヤ出版,2015
growth inventory : measuring the positive legacy of
25) Brown, JD : Coping with stress: The beneficial role
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Blue-Banning (Eds.), Cognitive coping, families and
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Calhoun, LG., Tedeschi, RG. Eds. Handbook of posttraumatic growth: research and practice. London:
Lawrence Erlbaum. : 2006
20) 安藤清志:否定的事象の経験と愛他性 東洋大学社
会学部紀要,47(2) : 35-44, 2010
1993.
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health. New York: Basic Books. 1958
27) Jourard, SM, Landsman, T. (1980). Healthy personality: An approach from the viewpoint of humanistic
psychology (4th ed.). New York: Macmillan.: 1980
28) Segerstrom, SC : Breaking Murphy’s law: How opti-
21) 宅香菜子:外傷後成長に関する研究 風間書房,2010
mists get what they want from life-and pessimists can
22) Taylor, SE : Adjustment to threatening events: A
too. New York : Guilford Press., 2006
(荒井まゆみ
(訳)
・
theory of cognitive adaptation. American Psycholo-
島井哲志(監訳)
:幸せをよぶ法則-楽観性のポジティ
gist, 38: 1161-1173, 1983.
ブ心理学.星和書店,2008)
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
29
【原 著】
大学女子バスケットボール競技におけるゲーム分析
―関西女子学生バスケットボール 2014 年度 1・2 部のリーグ戦を用いて―
佐藤 亜紀子
健康医療学部 健康スポーツ学科
Game Analysis in Women’s College Basketball Game
—Games Played by Division 1 & 2 of the Kansai Women’s Collegiate Basketball League 2014—
Akiko SATO
Department of Health and Sports Sciences, Faculty of Health and Medical Sciences, Kyoto Gakuen University
要 旨
本研究は関西女子学生バスケットボールリーグにおいて,1・2 部間で 2012 年度以降 3 年間入れ替
わりが起きていない要因を明らかにし,今後のリーグ戦に生かすことを目的として,2014 年度リー
グ戦の 1 部リーグと 2 部リーグのゲーム及び入れ替えリーグのゲームを対象にゲーム分析を行った.
その結果,1・2 部間で入れ替わりが起きていない要因は,第一にシュート確率が 1 部チームの方
が高かったことと考えられた.また,攻撃効率の値から,入れ替えリーグに進出した 2 部のチーム
は,2 部リーグでの戦いより入れ替えリーグにおいてオフェンス力,ディフェンス力共に下がり,そ
のことも入れ替わりができなかった要因であったと考えられた.
日本の大学のゲームにおいて攻撃効率の値を用いて戦力を評価する指標は常用されておらず,本
研究で攻撃効率を用いて評価したことは,コーチング現場においてこの指標の有用性が示唆された.
キーワード:シュート確率,攻撃効率,攻撃回数,得点効率,ターンオーバー発生頻度
Key words: field goal percentage, points per possession, number of possessions, points per shot,
turnovers per possession
Ⅰ 諸 言
バスケットボールにおいて勝敗を決する要因には
様々なものがあるが,第一に,競技規則に「競技時
間が終了した時点で得点の多いチームを勝ちとす
る」1)と記されるように,より多くの得点をより効率
良く重ねていかなければ勝利することはできない.
また,「試合の勝敗を決するより多くの得点は,野
投( Field Goal )成功による得点と,自由投( Free
throw )成功による和が,相手より多いということ
である.野投成功数をより多く挙げるためには,そ
の成功率が同じならば,その試投数が多くなければ
ならないし,試投数が同じならば,その成功率が高
くなければならない.すなわち,いかにしたらより
多くのシュートを試みることが出来るか,また,い
かにしたらその成功数を高めることが出来るか,こ
の両面の努力の成果によってゲームの勝敗が決する
ということができるのである.」2)と言われているよ
うに,より多くのシュートをより正確に決めること
が勝利するために大変重要なことである.
また,「バスケットボールの攻撃の終了形態は
シュートかファウルかターンオーバー(シュート局
30
健康医療学部紀要 第 1 巻
面に辿り着くことができずに,相手に攻撃権を与え
てしまうプレイのこと,以下 TO )の 3 つで,TO の
影響として,シュート試投数の差異を生むことを指
摘しており,TO は自チームの得点機会を逸するに
留まらず,相手チームに得点機会を与えてしまうこ
とになる」3 ).よって,いくらシュート確率が高く
ても,TO が相手より多ければゲームに勝つ確率は
下がってしまう.
日本の女子バスケットボールのゲームにおいて勝
敗要因のゲーム分析や戦術分析・戦力分析は近年多
くの研究者たちによって報告されている 4–9 ).中で
も大神 4 ) は「勝敗が決定される分岐要因には枚挙
に遑がない」と述べつつも,「攻撃回数と高確率の
シュート力により決する」としている.これらの先
行研究の多くが,日本代表や大学女子のトップチー
ムによるもので,関西女子学生バスケットボール
リーグを取り上げた先行研究は見当たらない.
関西女子学生バスケットボールリーグは 2014 年
現在 1 部 8 チーム,2 部 12 チーム,3 部 12 チーム,
4 部 12 チーム,5 部 13 チームの 5 部編成で構成さ
れており,2・3 部,3・4 部,4・5 部間においては
各リーグ内で 1 次リーグ(予選リーグ),2 次リーグ
(本選リーグ)を戦った後,上位 2 チームは,一つ
上のリーグの下位 2 チームと,直接対決 1 戦制の入
れ替え戦を行っている.しかし,1・2 部間において
は,他の部の入れ替え戦とは異なり,2 部リーグの
1 次・2 次リーグ終了後,2 部上位 2 チームは 1 部 1
次リーグ下位 4 チームと入れ替えをかけた 2 次リー
グ(総当たり 5 戦)を行うことで入れ替え戦として
いる(以下入れ替えリーグ).この入れ替え制度か
2016 年 3 月 31 日
ら,“一発勝負の入れ替え戦で高確率のシュート力
が発揮された”というものは通用せず,安定的な力
を持たなければ 2 部から 1 部への入れ替わりを実現
することは困難である.この 1・2 部間においては,
2011 年度を最後にここ 3 年は入れ替わりがない(表
1 ).そこで本研究は,関西女子学生リーグ 1・2 部
間においてここ 3 年間入れ替わりが起きていない要
因が,先行研究のようにシュート試投数と成功率に
起因するのか,TO に起因するのか,攻撃回数に起
因するのかを 1 部と 2 部のゲーム分析からその違い
を検証すると共に,入れ替えリーグに進んだ 2 チー
ムの 1 部とのゲーム,2 部でのゲームの結果を比較
し検証し,その要因を明らかにすることで,今後の
リーグ戦に生かすことを目的とした.
Ⅱ 方 法
1.対象
2014 年 8 月 30 日~ 10 月 12 日まで開催された,関
西女子学生バスケットボールリーグ戦 2 部リーグ全
48 試合中 43 試合と 1 部 49 試合を分析対象とした.
2.分析の方法
1 部リーグについては関西女子学連 HP に掲載さ
れている公式記録 Box Score(図 1 )を用いて,2 部
リーグにおいては全48試合中映像入手できた43試合
をバスケットボールゲーム分析ソフト CyberSports
for Basketball( Ver.6 )
(図 2 )でゲーム内容を入力
して得られた Box Score(図 3 )を用いて,平均値,
標準偏差,分散等を算出し,分析を行った.なお,1
部・2 部の分析ソフトの分析方法は同じであること
を確認している.分析項目は表 2 のものとした.
表 1.過去 6 年間の 1 部と 2 部リーグの入れ替わり状況
2009 年
2010 年
2011 年
2012 年
2013 年
2014 年
順位
チーム名
順位
チーム名
2部
1位
A
2位
B
1部
8位
A(昇格)
9位
B
2部
1位
B
2位
D
1位
8位
D(昇格)
9位
E(降格)
2部
1位
B
2位
F
1部
8位
B(昇格)
9位
F
2部
1位
C
2位
F
1部
9位
C
10 位
F
2部
1位
C
2位
G
1部
9位
C
10 位
G
2部
1位
C
2位
G
1部
9位
G
10 位
C
順位
チーム名
10 位
C(降格)
10 位
B
10 位
D(降格)
2014 年現在 A. B:1 部,C. D. E. F. G:2 部所属
表中の 2 部は 2 部リーグでの成績,1 部は 1・2 部入れ替えリーグでの成績
入れ替わり状況
1 チーム入れ替わり
1 チーム入れ替わり
1 チーム入れ替わり
入れ替わりなし
入れ替わりなし
入れ替わりなし
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
31
表 2.ゲーム分析項目
略語
語句
PTS
Points
FG%
Field Goal %
FGA
Field Goal Attempt
FGM
Field Goal Made
2P%
2 Point %
日本語解釈
自チームの得点
3 ポイントと 2 ポイントを合わせたシュート(野投)の確率
3 ポイントと 2 ポイントを合わせたシュート試投本数
3 P シュートと 2 P シュートを合わせたシュート成功本数
2 ポイントシュートの確率
2PA
2 Point Attempt
2 ポイントシュートの試投本数
2PM
2 Point Made
2 ポイントシュートの成功本数
3P%
3 Point %
3PA
3 Point Attempt
3 ポイントシュートの試投本数
3 ポイントシュートの成功本数
3 ポイントシュートの確率
3PM
3 Point Made
FT%
Free Throw %
FTA
Free Throw Attempt
フリースローシュートの試投本数
FTM
Free Throw Made
フリースローシュートの成功本数
フリースローシュート(自由投)の確率
OR
Offense Rebound
オフェンスリバウンド獲得本数
DR
Defense Rebound
ディフェンスリバウンド獲得本数
TR
Total Rebound
Poss
Possession
攻撃回数( FGA+FTA×0.43+TO-OR )
ミスの発生回数
TO
Turn Over
TO%
Turn Over %
Pts/Poss
Points/Possession
Pts/Shot
Points/Shot
OppPTS
Opponent Points
OR+DR の合計獲得本数
ミスの発生頻度( TO/攻撃回数×100 )
攻撃効率(攻撃回数の評価)
得点効率( FGA+( FTA/2 ))
失点(敵チームの得点)
図 1.1 部リーグ Box Score
32
健康医療学部紀要 第 1 巻
図 2.CyberSports for Basketball( Ver.6 )作業画面
図 3.2 部リーグ Cyber Sports Game Box Score Sheet
2016 年 3 月 31 日
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
3.算出方法
1)Possession,Points/Possession
Possession(以下 Poss )とは「攻撃回数=ボール
の所有」という事を意味し,1 部リーグのゲームは中
村 10)が提案した概算式(攻撃回数=フィールドゴー
ル試投(以下 FGA )数 + フリースロー試投(以下
FTA )数×0.43+TO-オフェンスリバウンド(以
下 OR ))を用いて Box Score から算出している.
2 部リーグのゲームは,得点(以下 Pts )を Poss
で除することで求めた攻撃効率(以下 Pts/Poss )が
Cyber Sports によって自動算出されるので,その
Pts/Poss から Poss を算出した.
この Poss によって,ゲームのテンポが分かるだけ
でなく,TO 数の関係を見ることにより,攻撃の内容
についての評価が出来る.また,Pts/Poss は,1 回
の攻撃に対して平均何点得点したかというものであ
るが,オフェンスの評価としては 1 回の攻撃につき,
2 点にどれくらい近い得点ができたか,ディフェン
スの評価としては相手チームの 1 回の攻撃につき,
0 点にどれくらい近く抑えたかで評価され,チーム
のオフェンス,ディフェンス能力を代表する指標と
されている 11, 12).本研究においては,Poss だけでな
く,Pts/Poss についても 1・2 部間の比較をした.
2)Points/Shot
Points/Shot(得点効率:以下 Pts/Shot )とは Pts
を Field Goal Attempt(以下 FGA )と Free Throw
Attempt(以下 FTA )で除したものである.但し,
FT は得点が 1 本につき 1 点で,2 ポイントシュート
(以下 2P )の半分の得点であるので 1/2 とした 13 ).
Pts/Shot=Pts/
( FGA+( FTA/2 ))
3)Turn Over%
TO の回数は Poss に影響されるので,TO の回数
比較だけではなく,TO を Poss で除して算出したミ
スの発生頻度(以下 TO% )についても本研究では
検証した.
4.統計処理
統計処理は対応のない t 検定を行ない,有意差水
準は 5%とした.
Ⅲ 結果及び考察
1.1 部リーグと 2 部リーグの比較
1)1 部リーグ全チームと 2 部リーグ全チームの
各項目の比較
表 3 を見て分かるように,FGA においては,2 部
リーグが 80.29±9.91 本と 1 部リーグの 66.68±8.33 本
より平均で約 14 本も有意に多い結果となった.し
かし,Poss も 2 部リーグが 82.97±7.49 回あり,1 部
リーグの 75.90±5.09 回より平均で約 7 回有意に多
33
い結果となり,攻撃回数が多い分シュート本数も多
くなることは当然の結果と言えよう.しかし,その
成功率で見ると,Field Goal %(以下 FG% )は 2 部
リーグの 32.83±7.11%より 1 部リーグの方が 38.22±
8.32%と平均で約 5.4%有意に高く,1 部リーグの方
が少ない攻撃回数で得たシュートチャンスをより確
実に決めていることが伺える.このことはPts/Shot
からもわかり,1 部は 0.88±0.16 と 2 部の 0.76±0.14
より 0.12 有意に高いことからも証明される結果と
なった.TO は 2 部リーグの方が 19.84±5.92 回と 1
部リーグの 17.52±5.16 回より 2.3 回有意に高かった
が,これも Poss の差の影響と考えられる.しかし,
TO% でみると 1 部リーグ,2 部リーグ共に 4 回に 1
回の頻度で TO が発生しており,有意差がないこと
から,その差はないに等しいと言える.
また,OR,Total Rebound(以下 TR )共に 2 部
リーグの方が有意に高くなったのは,2 部リーグの
方が Poss が多く,FGA の回数が増え,加えて FG%
が 2 部の方が低い為,Rebound 回数が必然的に増え
たからだと言える.
表 3.1 部リーグ全ゲームと 2 部リーグ全ゲームの各項目
の比較
1 部( N=98 )
2 部( N=86 )
μ
σ
μ
σ
有意差
PTS
63.94
12.47
66.76
14.33
FG%
38.22
8.32
32.83
7.11
**
FGA
66.68
8.33
80.29
9.91
**
FGM
25.34
5.78
26.37
6.61
2P%
42.49
9.63
35.79
8.54
**
2PA
49.27
8.46
61.16
10.08
**
2PM
20.85
5.60
21.95
6.62
3P%
26.13
10.89
22.90
9.80
3PA
17.42
6.68
19.13
6.99
3PM
4.49
2.32
4.42
2.55
FT%
69.55
15.40
66.16
14.97
FTA
12.45
6.02
14.56
6.42
*
FTM
8.78
4.78
9.63
4.70
OR
13.79
5.34
21.93
5.59
DR
27.22
6.20
28.33
5.66
TR
41.01
7.98
50.26
8.50
**
Poss
75.77
5.09
82.97
7.49
**
TO
17.52
5.16
19.84
5.92
**
TO%
23.04
6.47
23.81
6.42
Pts/Poss
0.84
0.16
0.81
0.16
Pts/Shot
0.88
0.16
0.76
0.14
**:P<0.01% *:P<0.05%
**
**
34
健康医療学部紀要 第 1 巻
2)1 部リーグ下位と 2 部リーグ上位の各項目の
比較
1部8チームと2部12チームではそれぞれ上位と下
位との力の差が大きいことを鑑みて,入れ替えリー
グに直結する 1 部下位 4 チームと 2 部上位 6 チーム
における比較も試みた.その結果,表 4 を見て分か
るように,殆どの項目において,1 部と 2 部全チー
ムの比較で得られた結果と変わらない結果となった
が,FG% においては,1 部リーグが 39.71±7.59%に
対し,2 部リーグが 35.38±6.89%と有意に低く,全
体で見るよりその差は縮まった.Poss においては,
平均で約 3 回,2 部上位チームが有意に多い結果と
なった.表 3 に示すように,全チームでの比較と 1
部下位・2 部上位との比較で見ても 2 部リーグが多い
結果に変わりはないが,その差は縮まり,1 部下位
と 2 部上位チームでは比較的似通ったペースのゲー
ム展開がされていたと考えられる.また,TO にお
いては 1 部下位チームと 2 部上位チームでその差は
ほとんど見られず,TO%にも有意差はなかった(表
4 ).
2016 年 3 月 31 日
2.2 部リーグ 1 位 2 位( C・G )チームの 2 部
リーグ 8 試合と 1 部リーグ 5 試合での各項目の
比較
1 部との入れ替えリーグに進んだ 2 チームの 2 部
リーグでのゲームと入れ替えリーグでのゲーム結果
から得られた表 5,表 6 の比較で注目したいのが,
PTS と Opponent Points(失点:以下 Opp PTS )で
ある.C チームの PTS は 2 部リーグ内では 79.63±
11.46 点とリーグ内 1 位の得点力で優勝したが,入れ
替えリーグでは 53.60±3.20 点と有意に減少し,平均
で26点も下がった.Opp PTSに関しても2部リーグ
内では 56.63±3.46 点とリーグ内 2 番目のディフェン
ス力を発揮していたのが,入れ替えリーグになると
65.80±6.88 点と有意に増加し,平均で 10 点以上も多
く失点する結果となった(表 5 ).また,G チームも
PTS が 2 部リーグでは 74.25±13.81 点のリーグ内 3
表 5.C チームにおける 2 部リーグ 8 試合と 1 部入れ替え
リーグ 5 試合の各要素の比較
6
μ
σ
1部下位(N=48) 2部上位(N=46)
μ
σ
μ
σ
PTS
64.73
11.32
68.93
14.92
FG%
39.71
7.59
35.38
6.89
有意差
μ
σ
有意差
C チーム
2 部ゲーム
( N=8 )
リーグ
内順位
表 4.1 部リーグ下位 4 チームと 2 部リーグ上位 6 チーム
の各項目の比較
チーム
中順位
入れ替えリーグ
( N=5 )
PTS
53.60
3.20
5
79.63 11.46
1
**
FG%
28.15
3.02
5
38.52
6.77
2
*
*
FGA
72.20
7.49
1
82.13
9.28
4
**
FGM
20.20
2.14
5
31.25
4.29
2
**
2P%
31.91
4.55
5
42.01
7.50
2
*
FGA
64.79
7.90
78.83
10.08
FGM
25.56
4.98
27.93
6.67
2P%
44.17
9.07
38.21
8.07
**
2PA
44.60
6.44
5
58.50
9.59
9
*
2PA
47.77
7.90
62.24
9.42
**
2PM
14.00
1.26
6
24.25
4.35
5
**
*
2PM
20.90
4.62
23.76
6.18
3P%
22.21
5.02
6
28.91 11.41
1
3P%
27.00
10.77
24.50
10.79
3PA
27.60
2.24
1
23.63
3.04
3
3PA
17.02
4.73
16.59
5.75
3PM
6.20
1.72
1
7.00
3.24
2
3PM
4.67
2.29
4.17
2.62
FT%
17.80
2.23
5
64.99 10.86
9
FT%
70.56
16.18
68.95
13.38
FTA
11.00
7.04
5
15.88
5.33
4
FTA
12.60
6.01
13.33
4.75
FTM
7.00
4.43
6
10.13
3.52
4
FTM
8.94
4.65
8.98
3.22
OR
18.40
4.63
2
24.38
5.74
2
OR
12.23
5.07
21.57
5.39
**
DR
30.00
2.28
3
28.75
3.07
7
DR
27.21
6.12
29.00
5.41
TR
48.40
6.53
1
53.13
8.22
3
TR
39.44
7.53
50.57
7.55
**
Poss
76.44
4.18
4
81.63
8.23
7
Poss
76.86
5.69
80.05
6.06
*
TO
17.80
2.23
2
18.50
7.48
4
TO
18.88
5.26
18.61
6.13
TO%
23.21
1.87
2
22.31
7.65
4
*
TO%
24.45
6.38
23.21
7.30
Pts/Poss
0.70
0.07
5
0.98
0.16
1
**
Pts/Poss
0.84
0.14
0.86
0.16
Pts/Shot
0.69
0.08
5
0.90
0.16
2
*
Pts/Shot
0.91
0.16
0.81
0.14
Opp PTS 65.80
6.88
5
56.63
3.46
2
*
**:P<0.01% *:P<0.05%
**
**:P<0.01% *:P<0.05%
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
番目の得点力から,入れ替えリーグでは 49.00±7.95
点と有意に減少し(表 6 ),入れ替えリーグ 6 チーム
中最下位の得点力であった(図 4).また,Opp PTS
においては有意差こそは見られなかったものの,入
れ替えリーグにおいて平均で 17 点近くも増加する
結果となった(表 6 ).
FGA を見ると,C チームでは有意差は見られな
かったが,入れ替えリーグになると平均で 10 本近
く減少していた(表 5 ).G チームにおいても 2 部
リーグでは 83.13±9.57 本だったのが,入れ替えリー
グでは67.40±5.12本へ大きく減少し有意差が見られ
た(表 6 ).この減少は Poss の減少が影響している
と思われる.PossはCチームでは有意差は見られな
かったが,2 部リーグの 81.63±8.23 回から入れ替え
リーグでは 76.44±4.18 へ減少した(表 5 ).また,G
チームにおいては 2 部リーグでは 82.48±5.59 回あっ
表 6.G チームにおける 2 部リーグ 8 試合と 1 部入れ替え
リーグ 5 試合の各要素の比較
6
μ
σ
μ
σ
PTS
49.00
7.95
6
74.25 13.81
3
**
FG%
27.98
5.10
6
35.78
4.85
3
*
FGA
67.40
5.12
3
83.13
9.57
2
**
**
FGM
18.80
3.31
6
30.00
6.50
3
2P%
29.90
7.27
6
39.13
6.95
3
2PA
48.20
2.56
4
62.50
8.76
6
**
2PM
14.40
3.50
5
24.63
6.40
2
*
3P%
23.12
1.80
5
25.92
8.94
3
3PA
19.20
2.93
3
20.63
4.87
6
3PM
4.40
0.49
3
5.38
2.06
3
FT%
62.38
4.36
6
71.62 10.62
2
FTA
11.20
2.79
4
12.13
1.96
10
FTM
7.00
1.79
5
8.75
2.33
8
OR
15.80
2.64
3
22.50
5.34
3
DR
22.60
8.31
6
26.38
5.61
10
図 4.入れ替え 5 試合平均得点と 6 チーム平均値
*
TR
38.40
8.24
6
48.88
8.34
8
Poss
75.53
2.00
5
82.48
5.59
5
TO
19.00
1.79
5
18.38
5.54
3
TO%
25.23
2.99
6
22.15
6.19
3
Pts/Poss
0.65
0.11
6
0.90
0.15
3
**
Pts/Shot
0.67
0.10
6
0.83
0.08
3
*
Opp PTS 72.20 14.58
6
55.75 11.91
1
**:P<0.01% **:P<0.05%
たものが,入れ替えリーグでは 75.53±2.00 回と有意
に減少し(表 6 ),Poss の減少により FGA も減少し
たと考えられる.ただ,Poss だけが減少の要因とは
断定し難く,両チームともに,2 PA が有意に減少し
ている要因に,簡単な得点すなわち相手のボールを
奪って速攻等でノーマークシュートが打てるシチュ
エーションが減ったのではないか,と考えることが
できる.しかし,これに関して本研究ではシュート
シチュエーションまでを追跡していない為,筆者の
推測の域を越えない.また,1部下位4チームのPoss
平均が 76.86±5.69 回(表 4 )であることから,入れ
替えリーグにおいては 1 部チームのゲームペースで
展開され,1 部優位にゲームが進められていたと推
察される.
FG% を見てみると,C チームは 2 部リーグでは
38.52±6.77%あったのが,入れ替えリーグでは 28.15
±3.02%へ有意に減少した(表 5 ).G チームも 2 部
リーグでは 35.78±4.85 %から入れ替えリーグでは
29.90±7.27%へと,こちらも有意に減少した(表 6).
共に減少だけでなく,入れ替えリーグ 6 チームの中
でもかなり大きく溝を開けられる 5 位と 6 位であっ
た(図 5 ).特に C チームにおいては,2 Point%(以
有意差
2 部ゲーム
( N=8 )
リーグ
内順位
G チーム
チーム
中順位
入れ替えリーグ
( N=5 )
35
*
図 5.入れ替え 5 試合平均 FG% と 6 チーム平均値
36
健康医療学部紀要 第 1 巻
下 2 P% )が 42.01±7.50%から 31.91±4.55%へ有意
に減少し,2 部リーグで圧倒的な得点力を支えてい
た 2 P% が 1 部のチームに崩される結果となった(表
5 ).このことは Pts/Shot からも言え,C チームは
0.90±0.16 から 0.69±0.08 へ有意に減少し(表 5 ),G
チームも 0.83±0.08 から 0.67±0.10 へと有意に減少
した(表 6 ).この項目に関しても,両チームとも 2
部リーグ内順位は 1~3 位と上位であったものが,1
部下位との入れ替えリーグになると得点と同様に 6
チーム中 5 位と 6 位であった(図 6 ).FG%が 1 部
程高くないのであれば,OR の獲得によりシュート
チャンスを増やすことが必要であるが,OR を見る
と FG% が入れ替えリーグで C・G チーム共に有意
に減少しているにも関わらず,OR も入れ替えリー
グにおいて減少し,G チームでは有意差が見られた
(表 5,6 ).
TO,TO% を見ると,入れ替えリーグの方が Poss
が少ないにも関わらず,TO 回数は C・G チーム共
に 2 部リーグと入れ替えリーグではほとんど同じで
あった.TO% では C チームは平均で 1%弱増加,G
チームは平均で約 3%強の増加が見られたものの有
意差はなかった(表 5,6 ).
そして先行研究 11 )に Pts/Poss でそのオフェンス
力,ディフェンス力を評価できるとあるように,C
チームは 2 部リーグでは 0.98±0.16 あり,2 部リーグ
内で 1 位のオフェンス力を発揮していたが,入れ替
えリーグでは 0.70±0.07 へ有意に減少した(表 5 ).
また,G チームも 2 部リーグでは 0.90±0.15 あり,
リーグ 3 番目のオフェンス力を発揮していたが入れ
替えリーグでは 0.65±0.11 へと有意に減少した(表
6 ).2 チーム共 2 部リーグでのオフェンス力が大き
く低下し,1 部下位 4 チームに大きく引き離される
結果となった(図 7 ).逆に言えば,1 部のチームの
ディフェンス力がそうさせたと言える.
本研究の分析から,1・2 部間で入れ替わりが起き
2016 年 3 月 31 日
図 7.入れ替え 5 試合平均 Pts/Poss と 6 チーム平均値
ていない要因は,FG %と Pts/Shot に差があり,2
部チームの方が低いことである.TO% には差がな
いことから,TO による影響は大きくないと考えら
れる.先行研究 11)に Pts/Poss でそのオフェンス力,
ディフェンス力を評価できるとあるように,この値
から,2 部の 2 チームは,2 部リーグでの戦いより 1
部との入れ替えリーグにおいてオフェンス力もディ
フェンス力も下がっていたことが明らかとなった.
これも入れ替わりが起きていない大きな要因であっ
たと考えられる.2 部のチームが 1 部のチームに勝
利し,入れ替わるためには,当然のことではあるが,
厳しいディフェンスをされても確率の低いシュート
を選択せず,1 部チームにも通用する攻撃スタイル
と得点力を持ち合わせ 1 部チームに勝るオフェンス
力が必要である.また,相手に確率の低い難しい
シュートを選択させ,ミスを誘発して相手のシュー
トチャンスを奪い,失点を減らし,1 部チームに勝
るディフェンス力が要求される.
先行研究 2 )のように,いかに多くのシュートを試
み,いかにその成功数を高めるか,すなわち,単に
FGA 増と Poss 増とすることではなく,如何に Pts/
Poss を高め,攻撃効率を高くするかが勝敗を決する
要因となると言え,コーチングの視点から見て,チー
ム力を評価する為にとても重要な指標と言える.
Ⅳ ま と め
図 6.入れ替え 5 試合平均 Pts/Shot と 6 チーム平均値
本研究は関西女子学生バスケットボールリーグに
おいて,1・2 部間で 2012 年度以降入れ替わりが起き
ていない要因を明らかにし,今後のリーグ戦に生か
すことを目的として,2014 年度リーグ戦の 1 部リー
グと 2 部リーグのゲーム及び入れ替えリーグのゲー
ムを対象としてゲーム分析を行った.その結果,以
下の様な違いがみられた.
1 部リーグと 2 部リーグの比較では,
1. FG%,Pts/Shot 共に 1 部の方が有意に高かった.
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
2. 2 部の方が,Poss が有意に多かったことにより,
FGA,TO も多かったが,TO% には差が見られ
なかった.
入れ替えリーグに進んだ 2 部チームの 2 部での
戦いと入れ替えリーグでの戦い比較では,
3. PTS が 2 チーム共に 20 点以上大幅に減少し,Opp
PTS が増加した.
4. Poss が減少したことにより,FGA も減少した.
5. FG%が 2 チーム共に 10%以上減少し,同時に Pts/
Shot も大きく減少した.
6. Pts/Poss においても 2 チーム共 0.2 以上有意に減
少した.
7. 1・2 部間で入れ替わりが起きていない要因は
FG%と Pts/Shot に差があり,2 部チームが 1 部
チームより低いことであると考えられる.また,
Pts/Possが,2部のチームは1部との入れ替えリー
グにおいて下がったことも影響している.
1 部・2 部の入れ替わりを実現させる為には,これ
らの数値を元にオフェンス力とディフェンス力を高
め勝利することである.
本研究では,シュートシチュエーションについて
追跡しなかったことにより,入れ替えリーグに進出
した 2 部 2 チームの FGA,特に 2 PA の減少におい
て,どんな種類の 2 PA が減少したのかを見ること
ができなかったので,これらについては今後の課題
としたい.本研究において,勝敗を決する要因とし
て先行研究以外に,Pts/Poss が非常に大きな指標で
あることが明らかとなったが,この指標は日本のバ
スケット界において殆ど一般化されておらず,各大
会のデータとしても大学を始め各カテゴリーで使用
されていないのが現状である.コーチングの観点か
らこの指標をもっと広く浸透させ,活用させて行く
ことが重要であると考える.
文 献
1)(財)日本バスケットボール協会:2011 ~バスケット
ボール競技規則.審判・規則部編:9,2011
37
2) 吉井四郎:バスケットボールの勝敗を決するもの,体
育科教育,4(12):62,1956
3) 倉石平:バスケットボールのコーチを始めるために,
日本文化出版,203,2005
4) 大神訓章:全日本女子バスケットボールチームの
ゲームテンポから捉えた戦力分析- 2012 ロンドンオリ
ンピック世界最終予選より:山形大学紀要,16(1),
1-15,2014
5)
村上佳司,小島迪子,衛藤晃平,他:日本の女子バ
スケットボールにおけるゲーム様相に関する比較研究
-大学と実業団のカテゴリー間比較,運動とスポーツ
の科学,19(1),133-142,2013
6) 岡田隆造:大学女子バスケットボールのゲーム分析
から見た基本的攻撃戦術,大阪国際大学紀要,25(3),
161-171,2012
7) 玉置雅彦:バスケットボールのゲーム分析 2 点,3
点シュートから見たチームカラーと勝敗への影響(大
学),東京女子体育大学・東京女子短期大学紀要,42,
41-45,2007
8) 山口良博:バスケットボール競技における集団戦術
行動に関する研究-第 14 回女子バスケットボール選手
権大会のゲーム分析,駒澤大学保健体育研究部紀要,
20,17-23,2004
9) 大神訓章,浅井慶一,浅井武,他:バスケットボー
ルにおけるリアルタイムのスコア管理システムによる
ゲーム分析,スポーツ方法学研究,8(1),109-119,
1995
10) 中村彰久:バスケットボールにおける攻撃力指標の
提案,トレーニング科学,11(3),113-118,2000
11) ディーン・スミス 山本雅之(訳)
: BASKETBALL
MULTIPLE OFFENSE AND DEFFENSE,日本文化
出版株式会社,第 1 刷,13-14,1992
12)
鈴木淳:バスケットボールにおけるゲームレポート
を用いたゲーム分析について,スポーツコーチング研
究,4(1),46-51,2005
13) Ernie Woods:hooptactics Web,Basketball Statistics
(http://hooptactics.com/basketball-statistics)
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
【原 著】
1 分間の高強度激運動による疲労からの
運動パフォーマンスおよび生理学的パラメーターの回復
高島 直之*1,平川 和文*2
*1
*2
ゴールドウィン テクニカル センター
京都学園大学 健康医療学部 健康スポーツ学科
Recovery of Exercise Performance and Physiological Parameters
from Fatigue due to 1 min. High Intensity Exercise
Naoyuki TAKASHIMA*1, Kazufumi HIRAKAWA*2
*1
*2
Goldwin Technical Center
Department of Health and Sports Sciences, Faculty of Health and Medical Sciences, Kyoto Gakuen University
Summary
The purpose of this study was to investigate recovery of exercise performance and physiological parameters from fatigue due to 1 min. high-intensity exercise (HIE). Seven male University
athletes participated in the study. They repeated HIE 2 times (the first HIE (T1) and the second
HIE (T2)) at 3 different intervals (15 min (R15), 30 min (R30), and 60 min (R60)), and power outputs,
EMGs, and blood lactate concentrations during T1 and T2 were measured. At R15, the total power output during T2 was significantly lower than that during T1, but not at R30 and R60. Power
outputs in the initial stages of T2 showed significant decrease with all recovery intervals. Power
outputs in the last stages in T2, on the other hand, showed significant increases after R30 and R60,
but not after R15. He values of integrated EMGs were similar between T1 and T2, but tended to
be lower during T2 than during T1 at R30 and R60. There were no significant differences in blood
lactate concentrations between T1 and T2 and among the recovery conditions. These results suggested that more than 30 min. is needed for the muscle to recover sufficiently from fatigue due to
HIE, and that decreases in power output in the initial stages of T2 are due to insufficient recovery
of anaerobic energy and/or muscular contraction mechanism. Power outputs in the last stages of
T2 are considered to have increased by improvement in the aerobic energy supply system after 30
min. or longer recovery-time.
キーワード:高強度激運動,回復,運動パフォーマンス,筋電図積分値,血中乳酸
Key words: high intensity exercise, recovery, exercise performance, integrated EMG (iEMG),
blood lactate
39
40
健康医療学部紀要 第 1 巻
Ⅰ 緒 言
陸上競技や競泳の大会では,予選,準決勝,決勝
と,1 日に数回レースをしなければならないことが
多い.大会によってはレース間の休息時間は 2 ~ 3
時間程度で,他の種目への参加も含めればさらに短
くなる.陸上競技の 400m 競技は,男子ならば約 50
秒間全力疾走する種目で,陸上競技の中で最も過酷
な種目の一つと言われている.そのため,一度の
レースで疲労困憊に陥り,選手は次のレースまでに
疲労回復を図り,レースに臨まなければならない.
400m 走のような 1 分間程度の高強度激運動(high
intensity exercise; 以後,HIE と示す.)は,身体エ
ネルギー供給系からは,ATP-PCr 系・解糖系から
なる無酸素性エネルギーだけでなく,有酸素性エネ
ルギーも重要とされている.400m 走の無酸素性エ
ネルギー供給の割合は,およそ 57 ~ 72%と報告さ
れており 7, 9, 12, 17 ),言い換えると,30 ~ 40%は有酸
素性エネルギー供給に依存していることになる.特
に,レース終盤ほど有酸素性能力の割合は増加し
7, 17)
,
その能力が高いほど疾走速度の逓減を抑制でき
ると報告されている 14, 15 ).つまり 400m 走は,運動
序盤の疾走速度獲得には無酸素性エネルギー供給能
が,運動終盤は有酸素性エネルギー供給能が疾走速
度に影響を与える.
HIE による疲労の研究の多くは運動終了後の生
理的指標の変動から検討されている.Bogdanis et
al. 3 )は 30 秒の Wingate test を激運動とし,クレチ
ンリン酸やグリコーゲンから無酸素性エネルギー供
給系の回復について,また,Stanford et al. 18)は 450
~ 470 秒程度のトレッドミル走を激運動として用
い,最大酸素摂取量の変動について検討を行ってい
る.しかし,HIE を反復し,その時の運動パフォー
マンスの回復から検討したものは少ない 3, 18 ).競技
成績の視点からは,運動パフォーマンスの回復の視
点は極めて重要である.また前述のように,400m走
2016 年 3 月 31 日
は有酸素性および無酸素性のどちらのエネルギー供
給能力も必要とするため,その疲労特性を明らかに
するには両能力を評価することが必要であるが,そ
のような研究も見受けられない.
本研究は,1 分間の HIE による疲労からの回復を,
運動パフォーマンスおよび生理学的パラメーターか
ら,休息時間との関連で検討し,コンディショニン
グに関する知見を得ることを目的とする.
Ⅱ 研 究 方 法
1.被験者
被験者は,某大学体育会陸上競技部に所属する
400m あるいは 400m ハードル競技を専門とする男
子大学生 7 名である.被験者が所属する陸上競技部
は,関西学生陸上競技連盟の 2 部に所属している.
被験者の年齢は 20.0±1.4 歳,身長は 171.4±2.7
cm,体重は 61.7±2.9 kg,400m のベスト記録は 50.68
±1.49 秒,有酸素能力の指標である PWC170 は 3.57
±0.56 watts/kg,無酸素的能力の指標である最大無
酸素パワーは 14.00±0.98 watts/kg であった.本研
究は神戸大学大学院人間発達環境学研究科のヒトを
対象とする研究倫理委員会の承認を得るとともに、
被験者には,実験の手順と起こりうる危険性を書面
および口頭で説明し,同意書に署名することで参加
の同意を得た.
2.実験プロトコル
実験の流れを図1に示す.本研究のHIEは,POWERMAX-V Ⅲを用いた 1 分間の全力自転車ペダリ
ング運動とした.負荷は体重の 7.5%( Kp )とした
3, 23)
.運動はスタートから最大努力で行い,
ペダリン
グ時は腰を浮かさないことを指示した.このHIEを
15 分,30 分,60 分の 3 種類の休息条件でそれぞれ
2 回実施した.以後,1 回目の HIE を T1,休息後の
2 回目の HIE を T2,また 15 分の休息条件を R15,
30 分を R30,60 分を R60 と示す.
被験者には,実験 2 時間前から食事およびカフェ
図 1.実験のプロトコル
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
イン,アルコールの摂取を控えさせた.実験準備終
了後,10 分間座位安静を保持させた後,ウォーミン
グアップ( W-up )を行わせた.W-up は,60W で
10 分間のペダリング運動を行わせた後,各自のや
り方で 10 分間のストレッチングを行わせ,続いて
POWERMAX-VⅢを用いて 7 秒間の全力ペダリング
運動を 2 分間の休息を挟んで 3 回行わせた.全ての
W-up が終了後,T1 を実施した.T1 が終了後,被
験者は直ちに自転車エルゴメータから降りてマット
上で安静を保持させた.規定の休息時間が終了した
後,T2 を実施した.実験中は,食事摂取は認めな
かったが水分摂取は自由とした.
3.測定項目
T1,T2 時の発揮パワーを 5 秒毎に連続測定し,
最大値のピークパワー( PP ),60 秒間の平均パワー
( MP0–60 ),0 ~ 10 秒間の平均パワー( MP0–10 )0 ~
30 秒間の平均パワー( MP0–30 ),45 ~ 60 秒間の平均
パワー( MP45–60 )を求めた.また,HIE 時の筋電図
を大腿直筋から表面電極法により測定した.電極間
抵抗を 10kΩ以下に処理した後,Ag-AgCl 電極を下
前腸骨棘と膝蓋骨上縁を結ぶ線の近位 1/3 の場所に
筋線維と平行に5cmの間隔で貼付した.筋電図の測
定には,筋電図解析ソフト( Acknowledge 3. 9. 0:
BIOPAC )を用いた.サンプリングレートは 1kHz
で,A/D 変換後パーソナルコンピュータへ取り込ん
だ.データの前処理として Hamming の窓関数を用
いた.得られた 60 秒間の筋電図波形を 5 秒毎に区切
り,区間毎に連続した 3 回分の筋収縮データから筋
電図積分値( iEMG )を求めた.得られた iEMG 値
は,発揮パワーの処理と同様,各区間の平均値を算
出し,PPの値に対する割合を持って各指標とした.
また,血中乳酸濃度( La )を,実験前の安静時と
T1,T2 のそれぞれ 1 分前と 5 分後に測定した.採
血は,指をアルコール消毒した後刺針し,指先から
行った.測定は簡易血中乳酸測定器( Lactate Pro,
京都第一科学社製)を用いた.
4.統計処理
統計処理には,統計解析ソフト( SPSS 11.5 )を用
いた.T1 と T2 の比較には,正規性が認められた項
目は対応のある t 検定を,正規性が認められなかっ
た項目はノンパラメトリック検定を行った.3 つの
休息条件間の比較には反復のある一元配置分散分析
を行い,有意性が認められた項目には Bonferroni の
多重比較検定を行った.全ての有意水準は 5%未満
とした.
41
Ⅲ 結 果
図 2 に,T1 時の発揮パワーおよび iEMG の推移
を示す.発揮パワーは 5 ~ 10 秒でピークとなり,以
後運動終了まで持続的低下を示した.iEMG は序盤
に 20%程度減少し,以後終盤までこの減少が続い
た.iEMG は中盤から終盤にかけては標準偏差が大
きかった.
表 1 に,休息条件毎の T1 時と T2 時の MP0–60 ,
PP,MP0–10 ,MP0–30 ,MP45–60 値を示す.また図 3 に,
発揮パワーについて,T1 時に対する T2 時の低下率
を示す.R15 の T2 時の MP0–60 の回復率は,T1 時
より有意に低く,また R30 のよりも有意に低い値で
あった( p<0.05 ).PP,MP0–10 ,MP0–30 は,すべて
の休息条件において T2 時に有意な低下が認められ
た.一方 MP45–60 では,R30,R60 において,T2 時
が T1 時より有意に高い値を示した.
表 2 に,iEMG について,回復条件毎に T1 時と
T2 時の iEMG0–60 ,iEMG0–10 ,iEMG0–30 ,iEMG45–60 を
示す.iEMG0–60 は,R60 において T2 時で有意な低下
が認められた.また,iEMG0–10 は,R30 と R60 にお
いて T2 時で有意な低下が認められた.iEMG0–30 は
R60 でのみ有意な低下が認められた.iEMG45–60 はい
ずれの休息条件も有意な違いは認められなかった.
R15 は,いずれも T1 時と T2 時に違いはみられな
かった.
図 2.T1 のパワー,iEMG の推移
42
健康医療学部紀要 第 1 巻
2016 年 3 月 31 日
表 1.各休息条件における T1,T2 のパワー値
Power( w/kg)
R15
R30
T1
T2
T1
MP0–60
  7.93±0.16
  7.46±0.34 **
  7.80±0.25
PP
12.64±0.61
11.96±1.01 *
MP0–10
10.67±0.60
MP0–30
MP45–60
R60
T2
T1
T2
  7.79±0.22
  7.81±0.24
  7.73±0.17 **
12.50±0.88
12.02±0.93 **
12.66±0.65
12.04±0.63 **
10.13±0.73 **
10.47±0.73
10.16±0.82 *
10.71±0.52
10.22±0.47 *
  9.98±0.21
  9.29±0.43 **
  9.90±0.29
  9.64±0.32 **
  9.91±0.24
  9.58±0.23 **
  5.25±0.11
  5.12±0.29
  4.95±0.33
  5.28±0.24 *
  5.02±0.27
  5.32±0.36 :*
MP0–60:0 ~ 60 秒間の平均パワー,MP0–10:0 ~ 10 秒間平均パワー,MP0–30:0 ~ 30 秒間の平均パワー
MP45–60:0 ~ 60 秒間の平均パワー,PP:5 秒間のピークパワー,**:p<0.01,*:p<0.05( T1 vs. T2 )
図 3.パワーの回復率の 3 休息条件の比較
MP0–60(左上段),PP(右上段),MP0–10(左中段),MP0–30(左下段),MP45–60(右中段)
#:p<0.05( R15 vs. R30 )
**:p<0.01,*:p<0.05( T1 vs. T2 )
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
図 4 に血中乳酸濃度の変化を示す.いずれの休息
条件においても,T1 と T2 後の値には,有意な違い
はみられず,16mmol/L 前後の値を示した.T2 前
の 値 は,R15 は 14.7±1.0mmol/L,R30 は 14.37±
1.4mmol/L で両条件に有意な違いは認められなかっ
たが,R60 は 5.7±1.5 mmol/L で他の 2 条件よりも
有意に低い値を示した.
43
には解糖系エネルギー供給が大きく動因していると
ともに,iEMG の低下から速筋線維の疲労が生じて
いることが推察される.
表 1・図 3 から,MP0–60 は,15 分休息条件では T2
時は T1 時より有意に低く,十分な回復が認められ
なかった.しかし,30 分および 60 分休息条件では
T1 時と T2 時に有意な違いはなく,MP0–60 の回復が
認められた.このことから,1 分程度の HIE からの
トータル発揮パワーの回復には,30 分以上の休息を
要することが明らかとなった.
発揮パワーの回復を PP および区間毎の発揮パ
ワーで見ると,PP,MP0–10 ,MP0–30 は,いずれの休息
条件とも T2 時は T1 時よりも有意に低く,60 分の休
息時間でも回復しない結果であった.一方,MP45–60
は,R15 では有意ではなかったが,R30 と R60 では
Ⅳ 考 察
図 2 に示すごとく,HIE 中の発揮パワー,iEMG の
推移は運動序盤から終盤に向けて持続的に低下する
傾向が認められた.これらの変化は,先行研究 10, 19,
20 )
と同様な結果であり,HIE による筋疲労が発揮パ
ワーの低下を招いていることを示す.また,HIE 後
の血中乳酸濃度は 16 mmol 前後に達しており,HIE
表 2.各休息条件における T1,T2 の iEMG 値
iEMG(%)
R15
R30
R60
T1
T2
T1
T2
T1
T2
iEMG0–60
78.17±19.46
79.13±25.56
82.50±17.34
73.41±28.84
78.51±12.43
67.73±  7.68 ***
iEMG0–10
93.90±  9.97
94.07±16.60
95.44±  5.10
77.25±21.24 *
92.58±  7.87
82.05±11.14 *
iEMG0–30
80.05±12.80
83.25±23.47
86.86±  8.00
73.63±24.41
84.40±  9.12
72.42±10.33 **
iEMG45–60
76.60±031.73
78.37±33.66
77.20±30.64
72.49±39.28
73.08±25.11
64.35±16.42
iEMG0–60:0 ~ 60 秒間の平均 iEMG,iEMG0–10:0 ~ 10 秒間平均 iEMG,iEMG0–30:0 ~ 30 秒間の平均 iEMG
iEMG45–60:0 ~ 60 秒間の平均 iEMG,**:p<0.01,*:p<0.05( T1 vs. T2 )
図 4.血中乳酸濃度の推移(赤:R15,緑:R30,紫:R60 )
44
健康医療学部紀要 第 1 巻
T2 時は T1 時より有意に高い値を示した.すなわ
ち,運動終盤の発揮パワーは,30 分以上の休息時間
で増加するという結果であった.このように発揮パ
ワーの変化を運動の序盤と終盤の視点からみると,
R15 で 60 秒間の平均パワーが回復しなかったのは,
運動序盤・終盤の両方でパワーが低下した結果であ
り,一方,R30 と R60 では R15 と同様に運動序盤の
パワーは低下するが,運動終盤では T2 が T1 を上
回ったため,60 秒間の平均パワーは変化しなかった
ことになる.
先行研究よると,HIE 時の PP および MP0–10 は
ATP-PCr 系エネルギー供給能との間に,また MP0–30
は解糖系エネルギー供給能との間に高い正の相関関
係があると報告されている 3, 23 ).したがって,本研
究では,いずれの休息条件においても T2 において
運動序盤の発揮パワーが有意に低下していたことか
ら,HIE 後の無酸素性のパワー発揮は,60 分後まで
回復しないことになる.しかしこの解釈は,高強度
運動後の身体エネルギーの時間的回復に関する先行
研究からは妥当と言い難い.Bogdanis et al. 3 )は,
Wingate test 後の PCr の回復は 6 分間でおよそ 90%
にまで達すること,また Forbes et al. 8)は,激運動に
よって減少した PCr は 15 分の休息によって安静時の
水準まで回復すると報告しており,ATP・PCr の再
合成は比較的短時間で回復するものと考えられる.
それでは,運動序盤のパワーの低下はどのように
解釈すればいいのだろうか.筋疲労の要因は多々あ
り,エネルギー系だけでは当然説明できない.他に
筋収縮機構の疲労や中枢性の疲労も考えられる.本
研究における iEMG の変化は,全体としては R15 で
は T1・T2 間に違いはなく,R30・R60 では T2 が低
い値を示す傾向にあった.最大努力運動時の iEMG
は,本研究と同様,低下するという報告が多い 7, 16, 21,
22 )
.本研究では R30 の iEMG0–10 ,R60 の iEMG0–10 と
iEMG0–30 において,T2 の値が T1 よりも有意に低下
した.iEMG の低下は,中枢神経系の疲労 10, 20 )や動
員される運動単位の減少・疲労 5, 19 )が考えられる.
しかし,R15 ですべての iEMG に有意な低下は認め
られなかった.このことに関しては,本研究では明
らかにできなかったが,休息時間の違いが T2 時の
中枢性興奮水準に影響したのではないかと考える.
HIE 終盤の MP45–60 は,R30,R60 において T2 時に
有意な増加が認められた.HIE 中の MP45–60 は最大
酸素摂取量と高い相関関係 11, 23 )が報告されている.
Bogdanis et al. 4 )は,4 分の回復期をはさんで Wingate test を 2 回繰り返す研究において,2 回目の運
動中の酸素摂取量が増加すること,また Bhambhani
et al. は 2 ),60 秒間の Wingate test 中に達する最高
2016 年 3 月 31 日
酸素摂取量は,漸増負荷テストによる最大酸素摂取
量の結果と同程度であること,さらに Stanford et
al. 19)は,疲労困憊に至る運動反復時の最大酸素摂取
量は 10 分の休息があれば休息前後で同程度となり,
休息時間の長さは最大酸素摂取量に影響を与えない
と,1 分程度の HIE でも運動終盤には酸素摂取能
力,すなわち有酸素的エネルギー供給能がパフォー
マンスに影響することを報告している 2, 4, 18 ).また,
Bangsbo et al. 1 )と Layce et al. 13 )は,運動反復時
には筋中の酸素利用が高められ,ATP の生成効率
が向上する可能性を報告している.本研究において
も,運動反復時には前の運動が筋の酸化的リン酸能
を高め,その効果は 60 分持続することが,T1,T2
の比較から示唆された.しかし,R15 で終盤の発揮
パワーの増加が認められなかったことは,運動終盤
であっても無酸素性能力が発揮パワーに与える影響
は大きい 16)ことから,15 分という休息時間の短さか
ら筋疲労あるいは無酸素性エネルギー供給能低下が
影響し,運動終盤のパワー発揮につながらなかった
ものと推察される.運動終盤 45 ~ 60 秒間の iEMG
からは,3 休息条件全てにおいて,T2 時に低い傾向
にあったものの,有意な違いは認められなかったこ
と,また,運動終盤の iEMG は標準偏差が大きいこ
とから,本研究では生理学的パラメーターから明ら
かにできなかった.
Ⅴ ま と め
男子大学陸上競技選手 7 名に対して,自転車エル
ゴメータによる 60 秒間の高強度激運動を負荷した
場合の疲労からの回復過程を,休息時間条件,およ
び運動パフォーマンス,生理学的パラメーターから
検討した.その結果,以下のことが明らかとなった.
1.60 秒間の発揮パワーは,30・60 分では回復する
ものの,15 分では有意な回復を見られなかった.
2.運動序盤の発揮パワーは,いずれの休息時間条
件においても有意に低下したが,運動終盤の発揮
パワーは 30・60 分休息条件では T2 時は T1 時よ
り有意に向上した.
3.iEMG の変化は,R15 では T1・T2 間には違いは
なかったが,R30,R60 では T2 で低下する傾向が
みられた.
4.高強度激運動における序盤のパワーの低下は,
無酸素的エネルギー供給機構,局所の筋収縮機構,
あるいは中枢機構の疲労からの不十分回復が推察
され,これは回復 60 分続くことが示唆された.
5.高強度激運動における終盤のパフォーマンスは
30 分以上の休息条件で向上がみられ,筋の有酸素
的代謝能力の改善が推察された.
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
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京都学園大学 健康医療学部 健康スポーツ学科,*2 文京学院大学 人間学部 心理学科
Influence of Description-Manipulation of the Same Odor Stimulus on Psychological
and Cardiovascular Reactivity after Exercise
Hisashi MITSUISHI*1, Takefumi KOBAYASHI*2
*1
Department of Health and Sports Sciences, Faculty of Health and Medical Sciences, Kyoto Gakuen University
*2
Psychology Department, Faculty of Human Studies, Bunkyo Gakuin University
要 約
本研究では,12 名の大学生を対象に日本人に馴染みの薄い,におい刺激に対して情報付与を行う
という認知的操作が,一過性運動後の心理的および心臓血管反応に及す影響について検討した.対
象者は,教示内容によってポジティブ教示群( 6 名)と中立教示群( 6 名)に振り分けられ,15 分
間の運動後同じにおい刺激を吸入した.心理的反応では,情報内容は異なるもののポジティブな情
報を提供したことによって,におい刺激に対するネガティブな印象が低減し,馴染み度が高まった.
また,におい刺激に関するポジティブな情報は運動前と比較して運動後の落ち着き感を促進させた.
心臓血管反応では,におい刺激に関するポジティブな情報は,運動後の心臓迷走神経活動の回復に
影響を与えることが示された.以上のことから,におい刺激に対するポジティブな情報付与が運動
後の落ち着き感の増大および心臓迷走神経活動の回復に影響することが示された.
キーワード:一過性運動,におい刺激,高揚感,落ち着き感,心臓血管系反応
Key words: acute exercise, odor stimulus, positive engagement, tranquility, negative affect,
cardiovascular reactivity
Ⅰ 問題と目的
中等度強度の一過性運動は,心理面に恩恵をもた
らすことが知られている.たとえば,ウォーキング
1)
やエアロバイク運動 2 )は,運動後に落ち着き感を
増加させ,否定的感情を減少させる.また,中等度
強度の一過性運動がメンタルヘルスに顕著な効果を
もたらすという報告は,心臓血管反応および自律神
経機能に注目した研究においても見られている.例
えば,Niemela, Kiviniemi, & Hautala 3 )は,エアロ
バイク運動および筋力トレーニングを用いた一過性
運動は心臓血管反応および自律神経機能に影響を与
えることを明らかにしている.具体的には,高強度
の運動を行うことに対して比較的運動強度の軽い運
動実施が,運動終了後の回復期において心臓迷走神
経活動の回復を速やかにすることを示した.このよ
うな軽度または中等度強度の一過性運動が心理的お
よび生理的反応に影響を及ぼすことを示唆する研究
は多く行われている一方で,運動後の心理的および
生理的反応に注目し,におい刺激の効果を検討した
48
健康医療学部紀要 第 1 巻
研究もある.Romine, Bush, & Geist 4)は,運動後に
アロマのにおいを吸引することが,身体的疲労の早
期回復に繋がる可能性を示した.また,運動後にア
ロマオイルをマッサージ等に用いることで,気分の
変化,血液循環の改善や鎮静,消炎効果を得ること
ができ,コンディショニングや競技力向上に繋がる
ことを目的としている報告もある 5 ).これらのアロ
マによる心理的・生理的効果は,嗅覚系が他の感覚
系と異なり,末梢受容器から嗅球,前梨状皮質を経
て扁桃体,海馬などを含む大脳辺縁系に嗅覚情報が
到達するという特異な神経投射経路を有することに
起因する可能性がある.嗅覚系は,他の感覚系に比
して刺激受容から相対的に早い段階で大脳辺縁系へ
の投射経路を持つことから,高次処理に先んじて原
始的な情動・記憶の処理が行われていると推測され
る.
近年,こうした嗅覚刺激を用いて心理的反応を測
定・評価する研究においては,実験参加者にとって
既知の嗅覚刺激を用いるより,未知の,あるいは馴
染みの薄い刺激を用いたものが多い.においに対す
る快不快の反応については,その学習性が指摘され
ており,文化的背景等により快不快度などの変化の
動態が異なることが知られている 6–7 ).綾部・小早
川・斎藤 8 )は,「いいにおい」と一般にみなされる
においでも個人間の反応には大きなばらつきが見ら
れ,後に個々人の生育歴等に依存して嗜好が形成さ
れることを指摘している.この指摘に伴い,馴染み
の薄いにおい刺激に対して何らかの情報を付与し,
これに対する快不快度の変化を検討した研究が行わ
れている.具体的には,馴染みの薄い嗅覚刺激に関
する異なる情報付与(ポジティブ情報・ネガティブ
情報)といった認知的要因が嗅覚刺激の感覚強度 9 )
および快・不快度 10)に影響を及ぼすことが明らかに
なっている.また,嗅覚刺激に対して予め情報付与
によって植えつけられた先入観は,嗅覚刺激に対す
る知覚や認知に影響を与え,その影響は主観的指標
のみならず心臓血管反応にも見られることが報告さ
れている 11 ).
以上のことから,運動後の心理的および身体的疲
労回復ににおい刺激を用いる場合,そのにおい刺激
に対する印象や先入観によって心理的および生理的
反応が変化し,におい刺激から得られる効果にも影
響を与える可能性が示唆される.特に,心臓血管反
応は情動や感情状態の重要な指標である 12 )ことに
加えて,外的刺激が意識下で身体反応を引き起こ
し,それが高次な主観的反応として現れるというソ
マティック・マーカー仮説から考えても,におい刺
激を用いた研究における生理的反応として詳細に検
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討される必要がある.
そこで本研究では,個人差の要因となりうる先入
観の影響を選択的に検討するために,日本人に馴染
みの薄いにおい刺激に対して情報付与を行うといっ
た認知的操作を行い,一過性運動後の心理的および
心臓血管反応に及す影響を検証した.
Ⅱ 方 法
1.実験参加者
実験参加者は,20 代の大学生および大学院生 12
名(男性 6 名,女性 6 名;平均年齢 21.73±1.66 歳)
であった.
2.刺激提示装置
刺激提示装置は,空気とにおい刺激を弁の切り替
えによって行う Kobal 式オルファクトメーターと
原理的に同様のもので,より低コストで構築可能な
装置を新たに作成した.材料は全て主観的に無臭に
近い素材を用いた.Kobal 式オルファクトメーター
と本研究で用いた装置との最も大きな相違点は,空
気とにおい刺激の切り替えに前者が電磁弁を用いる
のに対し,後者が排気チャンバー内のファンを用い
る点である.具体的には,両端の吸気チャンバー内
のファンを常に回転させ,中央の 2 つの排気チャン
バー内のファンを交互に回転させる(一方が回転し
ているとき,もう一方は停止している)ことで,空
気とにおい刺激を切り替えて提示できる構造になっ
ている.空気とにおい刺激提示回数の制御は,独自
のプログラムを構築し,PC 上で制御した.におい
刺激と空気の切り替え,ファン回転数,におい刺激
提示時間,提示回数の制御も,独自のプログラムに
より PC 上で行った(図 1 ).
3.におい刺激と提示条件
におい刺激には,アニスシード・オイル(株式会
社生活の木;日本アロマテラピー協会表示基準適合
認定精油)を使用した.刺激提示は 25 秒(空気 17
秒,におい刺激 8 秒)を 1 試行として全 15 試行行っ
た.この刺激提示時間は,におい刺激提示中に一般
的な呼吸法で 2 回の振幅で呼気・吸気が行われるよ
うに設定したものである.
4.群構成と情報付与内容
情報付与内容は,中立情報またはポジティブ情報
を付与した.付与した中立情報の内容はにおいに関
する情報のみで,「今から嗅いでいただく物質は,
AP-Anethole-C1 という名称の物質です.この物質
は,実験的に認可されており,一般的によく使用さ
れている物質です.今回の実験では,この物質を嗅
ぐことによってどのような生理的・精神的影響があ
るかを調べるものであり,予備調査において,本実
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健康医療学部紀要 第 1 巻
49
図 1.におい刺激提示装置
両端のチャンバー内のファンを常に回転させ,中央の 2 つの排気チャ
ンバー内のファンを交互に回転させる(一方が回転しているとき,も
う一方は停止している)ことで,空気とにおい刺激を切り替えて提
示できるような構造になっている 11 ).
験で用いる刺激の用量が人体に及ぼす悪影響はない
6.心理指標
ことを確認しております.」であった.一方,ポジ
1)感覚強度評定
ティブ情報内容はにおいの説明およびにおいが運動
におい刺激に対する感覚強度評定は,0(無臭)~
に及ぼすポジティブな効果で,「今から嗅いでいた
5(非常に強い)の強度ラベルと数直線を表示した,
だく物質は,2007 年秋に出版された科学誌でアロマ
VAS(Visual Analog Scale)に準じる尺度を用いた.
テラピーの効果が報告されたものです.その研究で
実験参加者には左端の上に 0(無臭),右端の上に 5
は,消化促進や整腸,強壮,抗感染効果が見られる
(非常に強い)の数値ラベルが付された数値線上の任
ことが記載されています.このことから,同物質は
意な位置に斜線を入れるよう教示した.さらに,こ
我々の気分を快適にし,ストレスの解消や気管支系
のような数値尺度の評定に不慣れな参加者にも評定
の不調を沈める効果があります.」であった.
が容易になるように,臭気公害分野で用いられてい
5.運動負荷
る 6 段階臭気強度表示の言語ラベルである「やっと
運動負荷は,エアロバイク(コンビ社製:Cardio
感知できる」,「弱い」,
「楽に感知できる」,「強い」
Exercise Cycle SYSTEM 5RH)
の一定負荷プログラ
をそれぞれ数直線上に付された数値 1,2,3,4 の下
ムを用い,短時間の中等度強度の有酸素運動を行わ
に参考として示した.これらの言語ラベルは,順序
せた.その強度は,アメリカスポーツ医学会の運動
尺度として用いられてきたもので,ラベル間の等間
13 )
処方ガイドライン を参考に,男性 80 ワット,女
隔性は保証されていないが,本尺度では,数直線上
性 60 ワットに設定した.この運動強度が実験参加
にこれらの言語ラベルを等間隔に配置することで,
者に対して中等度強度の有酸素運動であることは, 参加者が暗黙裡にラベル間の等間隔性を認知するよ
予備実験において心拍数が 110 ~ 120 拍/分である
うな示し方に留意した.以上のように,厳密には今
ことから確認できた.運動時間は,短時間の運動中
回用いた尺度が間隔尺度としての要件を十分に満た
における高揚感や運動後における落ち着き感の増加
しているとはいえないが,後の統計的解析では便宜
2)
といった感情の肯定的な効果を明らかにした満石
的に間隔尺度として扱った.
および udolph & Butki 14)の研究を参考にし,9 分間
2)快・不快度評定
に設定して運動を行わせた.
におい刺激に対する快・不快度評定は,従来の嗅
50
健康医療学部紀要 第 1 巻
覚研究において用いられている手法を踏襲し,-100
(非常に不快)~ +100(非常に快)の数値および言
語ラベルを左右両端に付された直線上において任意
の位置に斜線を引くという VAS によって,におい
刺激の快・不快度の回答を求めた.
3)一過性運動時気分尺度
心理指標の評価には,①一過性運動時の独特の刺
激に対する反応,つまり運動固有の感情を測定でき
る,②項目数が少ないため運動中の評価において実
験参加者の負担を軽減することができる,③運動時
の心理学的効果をより明確にするためには,高揚感,
落着き感,否定的感情の 3 因子で評価を行う必要が
ある,④尺度の信頼性および妥当性が高いことから,
一過性運動感情評定尺度 WASEDA(荒井ら,2003)
を用いた.この尺度は,高揚感,落ち着き感,否定
的感情の 3 つの因子(各因子につきそれぞれ 4 項目,
計 12 項目)で構成されている.本研究では,運動
前,運動中,運動直後,回復期( 2 回)に「全く感
じない( 1 )」,「あまり感じない( 2 )」,「どちらで
もない( 3 )」,「少し感じる( 4 )」,「かなり感じる
( 5 )」の 5 件法で,口頭によって回答させた.
設定した運動強度が主観的にも中等度強度の運動
であったかを確認するため,主観的運動強度(Rating
of perceived exertion:RPE )日本語版 RPE 15 )を用
いて運動強度の主観的な評価を行った.RPE は,運
動中の「きつさ」を 6 ~ 20 の 15 段階で評価する尺
度であった.本実験では,運動中の「きつさ」の数
値を口頭で答えるよう求めた.
7.生理指標
有酸素運動は,特に心臓血管系が刺激され,血圧
や心拍数の上昇や交感神経活動の回復に影響を及ぼ
す.このことから,運動の効果を明示するために有
酸素運動に対しては心臓血管系の反応を評価するこ
とが有効である.さらに,心臓血管系の反応は,連続
的な測定が可能である容積補償式指血圧計 Finometer( FMS 製)を用い,心拍( heart rate:HR )
,収
縮期血圧( systolic blood pressure:SBP ),拡張期
血圧( diastolic blood pressure:DBP ),心拍出量
(cardiac output:CO),全末梢抵抗(total peripheral
resistance:TPR)を計測した.また,心臓迷走神経
活動の指標として,測定した血圧波形に基づき圧反
射感度( baroreceptor reflex sensitivity:BRS )を
算出した.一般的に多くの研究で用いられている心
臓迷走神経活動の推定技法は心拍変動( Heart Rate
Variability:HRV )であるが,呼吸という変数を統
制しないと誤差が大きくなる.そこで,呼吸統制が
不可能となる運動中の心臓迷走神経活動をより正確
に推定するために BRS を用いた 16–18 ).BRS は,リ
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ラックスした状態(心臓迷走神経活動が亢進してい
る状態)では,より高い値を示すとされている.
8.手続き
実験に先立って,実験参加者に対して実験参加が
任意であり,参加している間に心身に少しでも違和
感(頭痛,吐き気,めまいなど)を感じた場合には
即座に中止することができることを含めて実験に関
する十分な説明を行い,内容への同意と参加の意志
を口頭および書面で確認した.同意が得られた実験
参加者には,生理指標の計測装置を装着し,椅子に
着座した.教示ではそれぞれの群(ポジティブ情報
付与群/中立情報付与群)の情報付与内容およびイ
メージ画像(アニスシード・オイルの商品の写真)
を A4 用紙にカラー印刷した状態(文字は黒,写真
はカラー)で提示した.口頭で教示するのではなく
用紙に記載して教示する手法を用いたのは,実験者
の口調のセッションごとの差異によって教示の効果
に影響が及ぶことを防ぐためである.
その後,椅子に座った参加者の鼻孔部ににおい刺
激が直接提示されるように刺激提示部の位置を調節
し,参加者の呼吸と血圧が安定してきたところで「こ
れから空気とにおい物質を交互に提示しますので,
リラックスした状態で目を閉じて呼吸を行ってくだ
さい.」と指示した.
安静状態は,3 分間計測して運動を開始した.運
動は,ウォーミングアップが 3 分,一定負荷運動が
4 分,そしてクールダウンを 2 分行った.運動終了
直後から 3 分間においを提示し,その後 12 分間は安
静状態を維持するよう求めた.心理指標は,運動前
および運動終了 15 分後において WASEDA を使用
して感情評価を行い,さらに,ウォーミングアップ
中,本運動中,クールダウン中に RPE のレベルを評
価した.各種生体情報の計測に関しては,実験期間
を通して連続的に記録した.
計測終了後,速やかに生理指標の計測装置をはず
し,におい刺激に対する WASEDA,感覚強度,快・
不快度,印象を質問紙にて報告してもらった.実験
終了後,実験の本来の目的およびにおい刺激のより
詳細な説明(成分や効用など)を開示した.
9.分析方法
心理指標である主観的運動強度は,ウォーミング
アップ中,本運動中,クールダウン中における平均
得点をそれぞれ算出した.
感覚強度,快・不快度,馴染み度をそれぞれの平均
値を算出した.WASEDA はおよび生理指標は,安
静期および運動終了 15 分後の値をそれぞれ算出し
た.なお,WASEDA に関しては,因子(高揚感・落
ち着き感・否定的感情)ごと平均値を算出した.ま
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健康医療学部紀要 第 1 巻
た,生理指標の一つである BRS は Bertinieri グルー
プのシーケンス検索法 19)を基に算出した.具体的に
は,SBP の上昇(または下降)が 3 心拍以上連続し,
SBP と同じ心周期で拍動間隔( interbeat interval:
IBI )が 3 拍以上延長(または短縮)するような特
別のシーケンスをコンピューターで検索した.検索
した各シーケンス内の SBP と IBI の回帰直線の傾き
( ms/mmHg )を計算し BRS の値とした.
算出した全ての指標(感覚強度,快・不快度,馴
染み度,WASEDA の各因子,すべての生理指標)
それぞれの値を従属変数として,情報付与群(ポジ
ティブ情報付与群/中立情報付与群)の間で t 検定
を行った.
Ⅲ 結 果
1.感覚強度,快・不快度,馴染み度
図 2 は,ポジティブ情報付与群および中立情報付
与群の感覚強度( a ),快・不快度( b ),馴染み度
( c )を示している.図 2 より,感覚強度の評価から
ポジティブ情報付与群および中立情報付与群ともに
同程度であること( a ),快・不快度の評価からポジ
ティブ情報付与群が中立情報付与群と比較して不快
度が低いこと( b ),におい刺激に対する馴染み度か
らポジティブ情報付与群が中立情報付与群と比較し
51
て馴染みがあること( c )が見て取れる.
感覚強度,快・不快度,馴染み度をそれぞれの値
を従属変数として,情報付与群(ポジティブ情報付
与群/中立情報付与群)の間でt検定を行った.その
結果,馴染み度のみポジティブ付与群が中立情報付
与群と比較して有意に高かった[t(10)=4.05, p<.01].
2.心理指標の変化
主観的運動強度の平均得点は,ウォーミングアッ
プ中では 9.66±1.67,本運動中では 12.42±2.11,クー
ルダウン中では 9.50±2.58 であった.この数値は,
ウォーミングアップおよびクールダウン中において
は主観的に「かなり楽である」から「ややきつい」
の間に相当する運動強度であった.また,運動中に
おいては主観的に「楽である」から「きつい」の間
に相当する運動強度であった.このことから,本研
究の運動中の運動強度が主観的にも中等度強度に相
当することが確認された.
図 3 は,ポジティブ情報付与群および中立情報付
与群の心理的反応[高揚感( a ),落ち着き感( b ),
否定的感情( c )]における,運動前から運動終了 15
分後の変化量(=運動終了 15 分後-運動前)を示し
ている.これは,値が負の方向であればあるほど運
動前の値がより大きく,正の方向であればあるほど
運動後の値がより大きいことを意味している.図 3
a)感覚強度
5
4
均 2
得平
点
1
。
ポジティブ情報付与群
中立情報付与群
。)馴染み度
b)快・不快度
20
*
8
6
・20
Z
均 - 0
4
得
点
・ 0
6
・ 0
8
得
申立情報付与群
ポジティブ情報付与群
4
点 2
。
中立情報付与群
ポジティブ情報付与群
図 2.各群における感覚強度,快・不快度,馴染み度の平均得点
52
健康医療学部紀要 第 1 巻
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a)高揚感
。
・0.4
唱A
,,‘
平 均 得点
-0.8
-1.6
-2
ポジティブ情報付与群
中立情報付与群
b)落ち着き感
3
c)否定的感情
0.8
*
0.4
2
nu
平 均 得点
咽--
平 均 得点
。
・0.4
・0.8
・1
中立情報付与群
ポジティブ情報付与群
中立情報付与群
ポジティブ情報付与群
図 3.群間における高揚感,落ち着き感,否定的感情の変化量
より,高揚感および否定的感情はポジティブ情報付
与群が中立情報付与群と比較して運動後の値が小さ
いこと( a および c ),落ち着き感ではポジティブ情
報付与群が中立情報付与群と比較して運動後の値が
大きいこと( b )が見て取れる.
高揚感,落ち着き感,否定的感情それぞれの値を
従属変数として,情報付与群(ポジティブ情報付与
群/中立情報付与群)の間で t 検定を行った.その
結果,ポジティブ情報付与群の落ち着き感の値が中
立情報付与群と比較して有意に高かった[t(10)=2.70,
p<.05].すなわち,運動前と比較して運動終了 15 分
後に落ち着き感が有意に増加していることが示され
た.
3.生理指標の変化
図 4 は,ポジティブ情報付与群および中立情報付
与群の心臓血管系反応[ SBP( a ),DBP( b ),HR
( c ),CO( d ),TPR( e ),BRS( f )]における運
動前から運動終了 15 分後の変化量( = 運動終了 15
分後-運動前)を示している.SBP,DBP,HR は,
ポジティブ情報付与群が中立情報付与群と比較して
運動後に増加傾向を示す( a,b,c ),TPR および
BRS は,ポジティブ情報付与群が中立情報付与群と
比較して運動後の変化値が小さいことが見て取れる
( e,f ).
SBP,DBP,HR,CO,TPR,BRS それぞれの値
を従属変数として,情報付与群(ポジティブ情報付与
群/中立情報付与群)の間でt検定を行った.その結
果,ポジティブ情報付与群の BRS の値が中立情報付
与群と比較して回復する傾向が見られた[t(10)=1.78,
p<.10].すなわち,運動前と比較して運動終了 15 分
後に BRS(心臓迷走神経活動)が有意に回復してい
ることが示された.
Ⅳ 考 察
本研究では,同一のにおい刺激に対する情報付与
内容の違いが,一過性運動後における心理的および
心臓血管反応に及ぼす影響について検討した.
心理的反応である感覚強度は,快・不快度が高い
ほど同じ刺激を強く感じることが報告されている.
本研究では,ポジティブ情報付与群の快・不快度が
中立情報付与群と比較して低かったものの,有意差
は見られず,また感覚強度にも有意差が見られな
かった.感覚強度に群間の有意差が見られなかった
結果は,小林他 9 ) の知見とも一致しており,実験
セッション終了後ににおいに対する主観的評定を求
めるという手続きでは認知的操作の有意な影響が検
出されにくいことが確認された.一方,馴染み度の
結果から,本研究で用いたにおい刺激が馴染みの薄
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健康医療学部紀要 第 1 巻
いものであったにも拘らず,ポジティブ情報付与群
は中立情報付与群と比較して馴染み深いと評価して
いることが明らかになった.小林他 9)の研究におい
て,本研究で用いたアニスシード・オイルは,ポジ
ティブな情報を付与することで,におい刺激に対す
るネガティブな印象ではなく,草木のにおいのよう
なポジティブな印象を持たれる傾向が報告されてい
る.本研究では小林他の情報付与内容とは異なるも
のの,ポジティブな情報を提供したことによって,
馴染みの薄いにおい刺激に対する不安感といったネ
ガティブな印象が抑制され,馴染み度が高まったと
53
考えられる.
WASEDA に関しては,ポジティブ情報付与群の
運動終了 15 分後の落ち着き感の値が,中立情報付与
群と比較して高かった.すなわち,におい刺激に関
するポジティブな情報が運動前と比較して運動後の
落ち着き感を促進させたと推測される.従来の研究
では,ラベンダーやレモングラスなど一般的に馴染
みのあるにおい刺激が,運動後の疲労回復に効果が
あると報告されている 4).しかし,本研究では,一般
的に馴染みの薄いにおい刺激を用いて実験を行い,
情報付与内容を操作することによってにおい刺激に
図 4.各群における SBP,DBP,HR,CO,TPR,BRS の変化量
54
健康医療学部紀要 第 1 巻
対するポジティブな先入観が運動後の気分の改善に
影響していることを示した.高揚感および否定的感
情は,ポジティブ情報付与群と中立情報付与群に有
意な差は見られなかったものの,中立情報よりもポ
ジティブ情報を付与することで運動後の値が運動前
と比較して低かった.この結果から,情報付与内容
によって高揚感が速やかにベースラインに戻り,否
定的感情が減少した可能性が考えられる.
生理的反応においては,ポジティブ情報付与群の
運動終了 15 分後の BRS の値が,中立情報付与群と
比較して高かった.BRS は,心臓迷走神経活動の
指標とされている.情報内容が心臓迷走神経活動に
影響を及ぼすという点では自律訓練法が代表的であ
り,身体を交感神経機能優位の状態から心臓迷走神
経機能優位の状態に移行させることで心身に改善的
な働きが起きるというものである.本研究のにおい
刺激に対するポジティブな情報もまた,自律訓練法
がもつ自己暗示と類似していると考えられる.以上
より,におい刺激に関するポジティブな情報が運動
後の心臓迷走神経活動の回復を促したことが推測さ
れる.
一方,心臓血管反応はある状況の刺激を取り込む
ことで低下し,またある状況からの刺激を拒絶する
ことで上昇することが示唆されている.つまり,状
況的な負荷にはβアドレナリン作動性交感神経活動
を介した「心臓型」の血圧上昇が生じ,逆に状況の
負荷に対して個人が対処可能と判断する場合(脅威
的評価)にはαアドレナリン作動性交感神経活動を
介した「血管型」血圧上昇が見られる 20 ).統計的に
有意な差はみられなかったものの,本研究における
TPR の変化量ではポジティブ情報付与群が中立情
報付与群と比較して低い値を示し,SBP および DBP
ではポジティブ情報付与群が中立情報付与群と比較
して高い値を示した.これは,運動終了 15 分後の
SBP,DBP および TPR の値は,ポジティブ情報付与
群が中立情報付与群よりも高い値であったことを意
味している.したがって,本研究のポジティブ情報
付与群では血管型の血圧上昇が生じていた可能性が
ある.すなわち,心臓血管反応のみで本研究の現象
をとらえた場合,ポジティブ情報付与群では心臓迷
走神経活動が回復しリラックスしている状態が生じ
ると同時に,血管型血圧上昇に象徴される何らかの
心的負荷が生じていた可能性もある.これらの心臓
血管反応が生じた要因は,本研究の心理的反応から
みても,におい刺激や情報付与内容によるネガティ
ブな影響とは考えにくく,実験環境としてのにおい
刺激の吸入方法や個人の呼吸周期制御による心的負
荷の可能性が考えられる.実験室実験における嗅覚
2016 年 3 月 31 日
系の実験には,こうした呼吸周期制御などの制約が
大きく,弛緩を促す環境の構築は今後の課題である.
本研究では,におい刺激に対するポジティブな情
報付与が運動後の落ち着き感の増大および心臓迷走
神経活動の回復を促すことが示された.同時に,心
臓血管反応の一部の指標の結果より,実験参加者の
負荷を軽減する改善が必要であることも示唆され
た.今後は,実験環境の改善を目指すとことと並行
して,倫理的観点に配慮しつつにおい刺激に対する
ネガティブな情報付与が運動後の心理的反応および
心臓血管反応に及ぼす影響を検討する必要がある.
引用文献
1) 荒井弘和,竹中晃二,岡浩一郎:一過性運動に用い
る感情尺度 ―尺度の開発と運動時における感情の検
討―.健康心理学研究,16: 1-10, 2003
2) 満石寿,長野祐一郎,竹中晃二:一過性運動実施に
伴う感情および心臓血管反応の時系列的変化とその関
係.健康心理学研究,23: 52-60, 2010
3) Niemela HT, Kiviniemi MA, Hautala J A, et al. :
Recovery pattern of baroreflex sensitivity after exercise. Medicine & Science in Sports & Exercised, 40:
864–870, 2008
4) Romine IJ, Bush AM, Geist CR. : Lavender aromatherapy in recovery from exercise. Perceptual and
Motor Skills, 88: 756-758, 1999
5) 池田三紀,松田久子,藤田愛,他:精油を用いたマッ
サージが運動後の身体的疲労の回復と気分の改善に与
える影響.日本アロマセラピー学会誌,6: 35-40, 2007
6) Ayabe-Kanamura S, Schicker I, Laska M, Hudson R,
et al. : Differences in perception of everyday odors: a
Japanese-German cross-cultural study. Chem Senses,
23: 31-38, 1998
7) Distel H, Ayabe-Kanamura S, Martínez-Gómez M, et
al. : Perception of everyday odors--correlation between
intensity, familiarity and strength of hedonic judgement. Chem Senses, 24: 191-199, 1999
8) 綾部早穂,小早川達,斉藤幸子:2 歳児のニオイの
選好-バラの香りとスカトールの匂いのどちらが好
き?-.感情心理学研究,10: 25-33, 2003
9) 小林剛史,小早川達,秋山幸代,他:においの感覚
強度の変化:順応・慣れの過程に及ぼす教示の効果.
AROMA RESEARCH, 8: 12-17, 2007
10) 小林剛史,峯村香菜,小早川達,他:におい刺激の
質の評価に及ぼす情報付与の効果:日常生活臭の類型
に対する一致度.AROMA RESEARCH, 8: 48-55, 2007
11) 秋山優,戸田英樹,小早川達,他:同一のにおい刺
激に対する情報付与内容の操作が心臓血管反応に及ぼ
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
す影響.におい・かおり環境学会誌,40: 177-185, 2009
55
interval. Circulation Research, 38: 582-592, 1971
12) 手塚洋介,敦賀麻理子,村瀬裕子,他:認知的評価
17) 長野祐一郎:鏡映描写時における圧反射感度の変化:
がネガティブ感情体験および心臓血管反応の持続に及
課題難易度の影響.生理心理学と精神生理学,20: 233-
ぼす影響.心理学研究,78: 42-50, 2007
239, 2002
13) 日本体力医学会体力科学編集委員会(2006)運動処
18) 田中豪一,澤田幸展:呼吸の影響からみた呼吸性洞
方の指針-運動負荷試験と運動プログラム-.南江堂.
性不整脈と圧受容体反射感受性の比較.心身医学,34:
14) Rudolph DL, Butki BD. : Self-efficacy and affective
responses to short bouts of exercise. Journal of Applied Sport Psychology, 10: 268-280, 1998
15) 小野寺孝一,宮下充:全身持久性運動における主観
473-479, 1994
19) Bertinieri G, Rienzo M, Cavallazzi A, et al. : A new
approach to analysis of the arterial baroreflex. Journal
of hypertension. Supplement, 3: 79-81, 1985
的強度と客観的強度の対応性- Rating of perceived
20)
Tomaka J, Blascovich J, Kelsey R. et al. : Subjective,
exertion の観点から-.体育学研究,21: 191-202, 1976
physiological, and behavioral effects of threat and
16) Bristow DJ, Brown BE, Cunningham CJ D, et al. :
challenge appraisal. Journal of Personality and Social
Effect of bicycling on the baroreflex regulation of pulse
Psychology, 65: 248-260, 1993
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
57
【報 告】
高齢糖尿病患者の生活行動に影響を及ぼすフットケア行動プロセス
上野 千代子*1,渡部 洋子*2
*1
京都学園大学 健康医療学部 看護学科,*2 常葉大学 健康科学部 看護学科
The Process of Effect of Foot Care by Elderly Patients
with Diabetes to Daily Life Behavior
*1
*1
Chiyoko UENO,
*2
Hiroko WATANABE
Department of Nursing, Faculty of Health and Medical Sciences, Kyoto Gakuen University
*2
Department of Nursing, Faculty of Health Science, Tokoha University
要 旨
目的 糖尿病専門クリニックのフットケア外来を 5 年以上継続している 12 名の高齢糖尿病患者の生
活行動に影響を及ぼすフットケア行動プロセスを明らかにする.
方法 後方視的( Retrospective Study )を選択し,分析方法は,修正版グランデッド・セオリー・
アプローチを用いた.
結果 高齢糖尿病患者なりのセフルケア行動に視座を置き,
〈定期的な受診行動〉により【足部の改
善による生活行動の広がり】コアカテゴリーが抽出された.この生活行動への動機の高まるプ
ロセスには,〈フットケア行動の強化〉〈主体的な予防行動への発展〉が影響していていた.
考察 高齢糖尿病患者の生活行動に影響を及ぼすフットケア行動は,足部の改善から本人が願う生
活行動へ導かれるプロセスが明らかになった.
キーワード:高齢糖尿病患者,フットケア行動プロセス,生活行動,修正版グランデッド・セオ
リー・アプローチ
Key words: elderly patients with diabetes, effect of foot care process, daily life behavior, modified
grounded theory approach
Ⅰ 諸 言
糖尿病足病変の予防と治療に関しては,国際的に
は,2000 年に糖尿病足病変に関する国際ワーキン
ググループ( International Working Group Of The
Diabetic Foot )により,ガイドラインが示されてい
る 1 ).
わが国では,2008 年診療報酬改正に伴い糖尿病
フットケア指導管理料が新設されたことを契機に
フットケアニーズへの対応が求められてきた.平成
26 年( 2014 年)厚生労働省「国民健康・栄養調査」
によると,70 歳以上の男性の 4 人に 1 人( 22.3%),
女性は 6 人に 1 人( 17.0%)が高齢糖尿病患者 2, 3 )と
推察され,医療機関における足潰瘍の誘因となる靴
擦れ等の小さな足病変の予防と早期発見が望まれて
いる 4, 5 ).
高齢糖尿病患者の足の問題は,多岐にわたる病変
が混在し,加齢に伴う身体的機能の低下や認知症な
どの生活機能障害により自覚症状が乏しく,相互に
病変を増悪させ,発見や治療が遅れると足病変の重
症化を招きやすい 6, 7 ).看護におけるフットケアに
関する研究は,糖尿病性足潰瘍・壊疽のハイリスク患
58
健康医療学部紀要 第 1 巻
者のスクリーニング,糖尿病足病変を主とした創傷
予防ケアの介入調査研究 8, 9)中心に,セルフケア行動
尺度( J-SDSCA:the Japanese translated the Summary of Diabetes Self-Care Activities Measure )の
研究があり 10, 11 ),介入 6 ヶ月後のセルフケア行動は
維持をされ,定期的で継続的な個別介入が 1 回の指
導より効果がある 12)という報告がある.しかし,糖
尿病という慢性疾患の特徴を踏まえた数年単位の継
続調査研究はほとんど見られていない現状がある.
また,糖尿病罹患歴の長期化は,重症足病変など
の合併症の進行を背景に 14 ),生活の質に大きく影響
してくるものである.
糖尿病患者のフットケア研究は主に中規模以上の
病院で実施され 13 ),フットケアへの関心やフットケ
ア行動に焦点を当てた研究に留まり,その先にある
生活の質( Quality of Life )に着目した研究は少な
い.このように先行研究では,クリニックにおける
フットケア実践の全体像は見えにくく,フットケア
行動と生活行動との関連性に着目した研究は殆ど見
られない.
また,高齢糖尿病患者の足は,症状を見逃しやす
く重症化する可能性も高く 15 ),地域のクリニックに
その支援体制があることが,高齢者のフットケア行
動とその先にある生活行動を支えるものと考える.
そこで本研究では,地域の糖尿病専門クリニック
のフットケア外来における 5 年間の看護介入に焦点
をあて,高齢糖尿病患者の生活行動に影響を及ぼす
フットケア行動プロセスを明らかにすることを目的
とした.
Ⅱ 用語の定義
1.フットケア
本研究におけるフットケアとは『爪切りを中心に,
局所および全身的な要因に注意しながら,足の健康
を維持することを目的としたケア』を示す.
2.フットケア行動
足部の病態が悪化しないフットケア外来の指導内
容注 1 )を自ら取り組む行動を示す.
3.フットケア外来の介入
フットケア外来の介入とは,足病変リスクの軽減
を目的とし,軽度の皮膚病変を積極的に治療,ケア
する行為とする.その支援の柱は,①足に傷をつく
らない,②足病変の早期発見と適切な対処,③適切
な診療科受診の遂行と多職種チームとの関わりを示
す 16, 17 ).
Ⅲ 研 究 方 法
本研究の焦点は,高齢糖尿病患者と看護師との相
2016 年 3 月 31 日
互作用を,フットケアの介入を通してとらえること
にある.そして,糖尿病足病変の経過という時間的
プロセスの視点を欠かすことはできないことからグ
ラウンデッド・セオリー・アプローチを用いた.
1.研究期間および研究施設
2006 年 4 月から 2011 年 4 月の過去 5 年間,A 市
の糖尿病専門クリニックのフットケア外来で実施し
た.
2.研究対象者
フットケア外来を 5 年以上継続している高齢糖尿
病患者の中から,フットケア行動について言語化で
きる患者を抽出した.
過去に足潰瘍,壊疽等の重症足病変に罹患してい
る場合は,その再発率が高まるため 14 ),本研究では
重症足病変の罹患歴のない患者を選定した.
1)調査項目
( 1 )属性
一般的な属性として,年齢,性別,同居の有無,
要介護度を調査した.
糖尿病に関連する属性としては,糖尿病歴,治療
方法,合併症,足病変の有無,糖尿病足病変に関す
る情報の有無,足部に関する自宅でのフットケア行
動やフットケア外来のケア間隔を電子カルテから後
方視的( Retrospective Study )に抽出した.
( 2 )足部の状態
足の経過は,ケア前後にデジタルカメラで毎回撮
影した写真を保存している.所見の経過は主治医と
外来看護師 2 名の協力を得て悪化・維持・改善の 3
段階での経過所見を抽出した.
( 3 )ケアの介入準備
ケア介入は,筆者が主として実施した.
研究の準備として,フットケア技術を習得するた
めに,国内では日本フットケア学会主催の研修や 2
か所の民間団体でフットケア技術を取得した.国外
ではドイツの Karlsruhe(カールスルーエ市)にあ
る Paracelsus-kliniken(パラケラカスクリニック)で
の研修を受けた.
( 4 )フットケア介入の方法と内容
問診では,今の生活状況の把握しながらフットケ
ア行動への取り組み等を具体的に語ってもらう.
足部の状態は,電子カルテ内に保存してある写真
と今の足部の状態を患者に評価してもらう.
フットケア内容は,主に足浴,角質ケア,爪切り,
外用薬の塗布や保湿ケア等である.
ケア終了後は,患者と一緒に足を触り,ケア前後
の写真も見ながら,その変化を体感してもらった.
最後に自宅でのフットケア行動を確認し,できな
い部分はその理由を患者と共に整理し,一般外来の
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
看護師と情報を共有しながら支援体制を整えていっ
た.
ケア時間は,約 1 時間である.
( 5 )フットケア間隔
フットケア間隔は,足部の経過や本人の語りの中
から,悪化を招く要因があれば,本人の意向や主治
医と相談し調整した.
3.分析方法
修 正 版 グ ラ ウ ン デ ッ ド・ セ オ リ ー・ ア プ ロ ー
チ( Modified Grounded Theory Approach: 以 下
M-GTA と示す)を用いた.
研究方法として M-GTA を選択した理由は,
「限定
された範囲内に関して,人間の行動の何らかの変化
と多様性を説明できる分析方法」であり,
「実践的活
用が可能な分析を特徴とする」からである 18, 19 ).
本研究では,糖尿病専門クリニックに通院する高
齢糖尿病患者という限られた人数の範囲のデータを
用いること,高齢糖尿病患者のフットケア行動のリ
アリティを分析し,その結果から,クリニックにお
けるフットケアの介入が,高齢糖尿病患者の生活行
動に何らかの示唆を与える理論を構築したい.その
プロセスも一定の方向性を見出せる可能性があると
いう観点から,M-GTA の手法で分析するものとし
た.
本研究の分析テーマは,
「高齢糖尿病患者の生活行
動に影響を及ぼすフットケア行動プロセス」と設定
し,分析焦点者は「フットケア外来を 5 年間継続し
た高齢糖尿病患者」とした.以下,具体的な分析手
順は以下の通りである.
1)先ず 1 人の看護記録データを通読し,分析テー
マに関連のありそうな個所に着目し,着目個所を対
象者の行為や認識に照らして解釈,定義をして概念
を命名する.
2)解釈の恣意性を防ぐために類似例と対極例が
豊富であるかを確かめながら概念化するオープン
コーティングをおこなった.
3)概念ができると,概念名・定義・ヴァリエー
ション(具体例 : 問診の患者の語り)からなるワー
クシートを作成する.概念を生成しつつ,同時並行
で概念間の関係を考え,その概念間のまとまりをカ
テゴリー化する.
4)カテゴリー同士の関係を検討しながら,中心
となるカテゴリーを決め(その他はサブカテゴリー
とする)カテゴリー同士のプロパティ(特性:事例
を見る時の視点)とディメンション(次元:プロパ
ティから見たときの位置づけ,範囲)によって関係
を整理する選択的コーティングをおこなった.
5)可能なかぎり理論的サンプリングをおこない,
59
データから新たな概念が生成されなくなった時を理
論的飽和とし分析を終了し,その概要をストーリー
ラインとして文章化し結果図を作成した.
4.研究の妥当性の確保
解釈の妥当性を確保するために,提起したテーマ
と解釈に対応するテキストを繰り返し読み,分析過
程で得られた解釈データに矛盾が生じていないか等
を患者と関わりの深い外来の糖尿病療養指導士にも
確認してもらいながら検討した.なお,全分析過程
において質的研究に精通した複数の研究者にスー
パービジョンを受け,定期的に得られたデータとそ
の解釈に矛盾が生じていないか分析の妥当性を検討
した.
5.研究協力者への倫理的配慮
前所属していた大学の研究倫理委員会の承認を受
けて実施した(中京学院大学看護学部研究倫理審査
会平成 23 年 12 月 12 日承認).研究対象者は主治医
が研究協力への同意能力があると判断し,患者本人
が協力依頼の説明を受けることを承諾した後に口頭
および書面で説明した.研究趣旨,個人情報の保護,
自由意思での参加決定,途中辞退の権利・参加による
不利益は生じないこと,個人データの取り扱いには
十分注意することを書面にて説明し,同意書をもっ
て承諾を得た.
Ⅳ 研 究 結 果
1.対象の概要(表 1 )
対象者の概要を表 1 に示す.性別は,男性 5 名,女
性 7 名,平均年齢は 70.17±.84 歳であった.糖尿病
罹病歴の平均は,16.58±8.94 年と長期化し,HbA1c
の平均推移は,高値を示しながらも極端な悪化は認
められなかった.
糖尿病合併症状況は,網膜症 7 名,腎症 12 名,9
名に神経障害を認められ,糖尿病足病変のリスク
ファクターを多数有するハイリスク患者であった.
足部の状態は,足趾変形 5 名,胼胝・鶏眼 8 名,
爪病変(陥入爪,肥厚爪等)と白癬においては,12
名全員が罹患していた.
介入 3 年目に,軽度認知症と診断を受けた対象者
が 1 名いたが,家族からフットケア行動は,認知症
診断前と変わらずに維持できていたため,データか
らの除外はしなかった.
フットケア間隔は,1 年目は約 1 ヶ月でケアを受
け,2 年目 2.81±2.91 ヶ月,3 年目 2.54±1.01 ヶ月,
4 年目は 2.11±0.46 ヶ月と約 2 ヶ月間隔でケアを受
けていた.
5 年目にはいると平均 3.07±2.89 ヶ月とケア間隔
は延長されていた
60
健康医療学部紀要 第 1 巻
2016 年 3 月 31 日
表1.対象者の概要
症例
No.
年齢
性別
DM 歴
過去5
年間の
HbA1c
平均値
腎症期
網膜症
治療状況
R:
モノフィラ
L:
モノフィラ
要介護度
同居・独居
1
A
71
女性
30
7.55
2期
なし
経口薬
4.31
4.31
自立
同居
2
B
72
男性
10
6.72
2期
なし
経口薬
4.31
4.31
自立
同居
3
C
63
女性
34
6.28
3期
あり
経口薬
3.61
3.61
自立
同居
4
D
70
男性
8
7.09
2期
あり
経口薬
4.31
4.31
自立
同居
5
E
86
男性
7
6.79
1期
なし
経口薬
5.07
5.07
要支援1
同居
6
F
69
男性
6
6.53
4期
あり
経口薬
4.31
5.07
要支援1
同居
7
G
64
女性
13
7.55
2期
あり
経口薬
4.31
4.31
自立
同居
8
H
80
女性
19
7.47
1期
なし
インスリン
4.31
4.31
要支援1
同居
9
I
60
女性
15
7.28
1期
あり
経口薬
4.31
4.31
自立
同居
10
J
71
女性
16
7.19
4期
あり
インスリン
5.07
50.7
自立
同居
11
K
69
男性
24
7.43
4期
あり
インスリン
4.31
5.07
要支援1
同居
12
L
72
女性
17
6.47
4期
なし
経口薬
4.31
4.31
自立
同居
本稿では,コアカテゴリー【 】,カテゴリーを
〈 〉,概念名は「 」で記し,『 』中は定義を示
した.データは斜体で記し,引用後にデータ番号を
( )で示す.
本研究における 1 つの概念の生成過程を例示す
る.
フットケア外来の診察時に自分の足部への思いを
問診した時に,初回の写真を見て,あんなに汚い爪
をしていたんだね.驚いている(症例 C データ番
号 56)と言うゴシック部分より「フットケアの効果
を実感する」という概念を生成し,分析ワークシー
トを作成する(表 2 ).
具体例(バリエーション)には,同じ内容と解釈
できる語りが,他の事例を分析していくごとに追加
されていく.この概念にあてはまらない対極群は,
別の概念として解釈を進めていった.
2.全体像としてのストーリーライン
全体的な関連についての結果図(図 1 )と次に示
すストーリーラインにまとめた.
高齢糖尿病患者のフットケア行動は【足部の改善
による生活行動の広がり】をコア概念として,生活
行動に影響を及ぼすプロセスを獲得していた.
高齢糖尿病患者のフットケア行動は,糖尿病合併
症や加齢に伴う身体的,精神的,社会的な要因が〈セ
フルケア行動の困難要因〉の常態を抱え,余儀なく
〈自分でなんとかするしかない危うさ〉を繰り返して
いた.
その変化の流れを生む〈定期的な受診行動〉は,
足部改善の見通しを立てて,「今まで躊躇してきた
行動を起こす」【足部の改善による生活動の広がり】
の成立へとつながっていく.
この流れは〈フットケア行動の強化〉の基盤をつ
くり〈主体的な予防行動への発展〉に至る.糖尿病
罹患歴の長期化による〈足部の悪化してしまう恐れ〉
を抱えながらプロセスは循環する.
その一方で,一時的に生活行動は広がっても〈フッ
トケア行動の強化〉に〈セフルケア行動の困難要因〉
が影響され〈自分でなんとかしてしまう危うさ〉か
ら〈足部が悪化してしまう恐れ〉も存在した.
3.プロセスを構成する要素
本研究では,19 の概念,7 つのカテゴリー,1 つ
のコアカテゴリーが生成された.
生成されたプロセス(図 1 )に添って,コアカテゴ
リー,カテゴリー,概念を説明する.なお,概念を生
成する根拠となった特徴的なデータの一例も示す.
1)〈自分でなんとかしてしまう危うさ〉
高齢糖尿病患者が自分なりに築いてきたフットケ
ア行動が足部に悪い影響を与えている 3 つの概念の
まとまりである.
「フットケアの方法を知らない」は,自分で胼胝
をハサミで切り怒られた(症例 H データ番号 55 )
という語りから『外来の指導内容の理解が未だ得ら
れていないこと』と定義した.
「悪化を招いてしまう行動」では,切りすぎて血
が出た.痛みはあったが,すぐに治まった(症例 E,
データ番号 85 ).
この語りから,自分一人で無理に爪を短く切り皮
膚を傷つけてしまう『自分のケア行動が足部に悪化
を招いてしまう行動のこと』と定義した.
一方で,家族を頼りながらフットケア行動を安定
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
61
表 2.分析ワークシート記入例
概念
フットケアの効果を実感する
定義
フットケア外来受診前の足部の状態を振り返り,その事実を肯定すること
・ここに通うようになって,踵の皮膚が割れて出血することはなくなった
(症例 C データ番号 186 )
バリエーション
・初回の爪の写真を見て「あんなに汚い爪をしていたんだね」驚いている .
(症例 C データ番号 56 )
・足にクリームを塗らなければと思いながらも寝てしまう.足に何も塗らないときが多かったけど
も,今は顔と同じくらい足は大事.
(症例 H データ番号 173 )
理論的メモ
フットケア外来受診により,自分の足部の状態が認識でき,ケアの導入により足を労わる思いが
言語化できている.これを出発点としながら,自分でもケアに取り組んでいかなければならない必
要性やその思いにつなげている.
図 1.高齢糖尿病患者の生活行動に影響を及ぼすフットケア行動プロセス
させていく「キーパーソンの支えを頼る」概念も抽
出された.
嫁が毎日、風呂上りに薬を塗ってくれるで、あり
がたいわ(症例 E データ番号 15 ).『ケア行動に
寄り添う家族を頼りながら自分なりのペースでケア
の安定を図ること』と定義した.
2)〈セフルケア行動の困難要因〉
糖尿病合併症と加齢に伴う身体,精神,社会的変
化による複数の要因が困難さ招く 3 つの概念のまと
まりである.
糖尿病網膜症により,自分でやすりをかけている
けど,見えないからガタガタかな(症例 C データ
番号 105 ),という語りに代表されるように「糖尿
病合併症によるケア行動の困難さ」や自分で爪を切
ろうとすると背中あたりがつる.自分ではきれない
(症例 B データ番号 259 ) という「加齢に伴うケ
ア行動の困難さ」の概念から『困難さが伴うフット
ケア行動の結果,上手くいかなかったこと』と定義
した.
「ケアに心が追いつかない状態」では,身近な家族
の死や入院等の急激な生活の変化により足を構う余
裕がなくなり『心の休息が取れず,フットケア行動
に心が追い付かないこと』と定義した.
62
健康医療学部紀要 第 1 巻
2016 年 3 月 31 日
3)〈定期的な受診行動〉
5 )〈フットケア行動の強化〉
定期的にフットケア外来で,足部の健康状態を確
生活行動が広がっていくと足部を意識的に守る
認しながら,フットケア行動への認識を高めていく
フットケア行動の強化につながっていく 2 つの概念
3 つカテゴリーである.
のまとまりである.
1 週間前に自分で爪を切った.切ったら怒られる
趾が伸びてきたでしょ!お風呂でしっかり趾を伸
と思ったけど(症例 F データ番号 114).一見,危
ばすようにマッサージしている.クリームもしっか
うさを伴うフットケア行動ではあるが「外来で足部
り塗っています(症例 C データ番号 17 ),という
を確認して得られる安心感」という概念化から『定
語りに代表されるように今までのフットケア行動に
期的な受診行動が,自分のフットケア行動の確認に 「新たなフットケア行動が追加される」概念が抽出さ
なり,安心が得られること』と定義した.
れた.『生活行動が広がると,足部への関心が高まり
また,ここに通うようになって,踵の皮膚が割れ
フットケア行動も追加され,足部の状態も維持でき
て出血することはなくなった(症例 C データ番号
ること』と定義した.
186 ).という語りから「フットケアの効果を実感
靴屋にも行き,12月の始めに最終調整がつきます
する」概念を抽出し,
『フットケアがもたらす良い効 (症例 B データ番号 175).という語りから「足部
果を実感していること』と定義した.
を保護する靴環境を整える」の概念が抽出され『生
「外来を頼りながらケア行動が安定する」概念で
活行動の広がりに伴う足を守る準備が進むこと』と
は,体調が悪くて大変だった.体調が戻るまでケア
定義した.
はこちらで(症例 G データ番号 199 ).この語り
6)〈主体的な予防行動への発展〉
にあるように,健康状態が不安定な時は,外来を頼
フットケア行動が強化されると主体的な予防行動
る存在として認識することでフットケア行動が途切
へと変化していく 3 つの概念のまとまりである.
れることがないように『自分一人で無理をしないで
この前,旅行で 1 日歩いたら,親趾の巻き爪が痛
外来を頼る行動がとれること』と定義した.
くなって,自分でコットン挟んだらすぐによくなっ
4)【足部の改善による生活行動の広がり】
た(症例 C データ番号 247 ).
このコアカテゴリーでは , 足部の改善により,今
この語りから,足部の痛みが出現した時に対処行
まで躊躇してきた生活行動に影響していく 3 つの概
動が認められ「痛みが出現した時の適切な対処行動」
念のまとまりである.
の概念とし,
『足部に異変が起きた時に自分で対処行
温泉にいって山を歩いてきた.爪が縦に割れた
動がとれ,外来にも報告ができること』と定義した.
(症例 C データ番号 238 ).
今朝はウォーキング中に痛みを感じていつも 1 時
新たな生活行動の広がりにより,一時的な足部の
間のところ 30 分で切り上げて帰ってきた.妻にみ
悪化は招いたが,自分で足部を観察しながら行動を
てもらったら膿が出ていると言われ,押し出しても
踏み出すことにつながっている.このことから「今
らった.(症例 K データ番号 115 ),この語りか
まで躊躇していた行動がおこす」と概念化し『足の
ら「足部の異常を放置せずに直ぐに受診する」とい
状態を確認しながら,今までできなかった行動をお
う概念を抽出し,
「足部に異常を感じた時に直ぐに外
こすこと』と定義した.
来に相談できること」と定義した.
足部の改善に伴い,運動をすごくできるようにな
フットケアを肯定的に受け止め,以前の足は本当
りたい(症例 B データ番号 176 ),
にひどかった。ひびがわれて血がでていた。どうに
という語りから,これまでは足部の痛みや違和感に
かしたいと思っていたけど、足を観るなんで意識も
より難しかった「歩く行動への意欲の高まり」とい
なかった(症例 A データ番号 47 ).という意識の
う概念が抽出された.『運動(歩く)について言語化
変化の芽生えから「今までのケア方法を改める」概
できること』と定義した.
念を抽出した.『以前の足に関心が無かった時期を
一旦は,新たな生活行動へと踏み出したものの,
振り返り,フットケア行動を改めること』と定義し
右の親趾の爪が2–3日前から痛い.それまでは調子
た.
良かった.月曜日にゴルフに行った.そのせいかな
7)〈足部の悪化してしまう恐れ〉
(症例 B データ番号 235 ),という語りから「足部
糖尿病罹患歴の長期化により足病変の重症化リス
と相談しながら行動を広げる」と言う概念を抽出し
クが高まる不安を抱く 2 つの概念のまとまりであ
『足部の状態と相談しながら,生活行動が広げていく
る.
こと』と定義した.
白癬爪の薬は毎日朝・晩塗っているけど,爪が良
くならない(症例 I データ番号 98 ),という語り
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
から,白癬菌の外用薬を塗り続けていても「足部が
良くならない不安」の概念を抽出し『なかなか治ら
ない経過を心配すること』と定義した.
左足,五徳を落として怪我をした.知り合いで足
が腐った人がいたから心配したけど,治ってよかっ
た(症例 J データ番号 84 ).という語りから足病
変の重症化を懸念する「脆弱な足への恐れ」という
概念を生成し『足が壊疽するかもしれない恐れを抱
くこと』と定義した.
Ⅴ 考 察
高齢糖尿病患者の生活行動に影響を及ぼすフット
ケア行動プロセスの中で以下の 3 つの視点で考察す
る.
1.【足部の改善による生活行動の広がり】に影響
したフットケア行動
高齢糖尿病患者は,糖尿病罹患歴の長期化に伴い
足病変が重症化するかもしれないリスクを抱えてい
る.
今回の高齢者も,HbA1c 値は高値を示し,糖尿病
足病変のリスクファクターを多数有するハイリスク
患者であった.
5 年後の足部の状態は,重症化することなく今ま
で躊躇していた生活行動や歩くという【足部の改善
による生活行動の広がり】を得ることができた.
このプロセスには,〈フットケア行動の強化〉〈主
体的な予防行動への発展〉の導きから,生活行動へ
の動機の高まりがフットケア行動の強化を進めたと
考えられる.
その一方で,一時的ではあるが〈セフルケア行動
の困難要因〉から足部の悪化を招く危うさも秘めて
いる.
糖尿病患者は,多岐に渡り自己管理行動が要求さ
れ,新たなセフルケア行動の獲得や行動変容は非常
に難しくなると言われている 20)が,今回の調査では,
【足部の改善による生活行動の広がり】やその動機付
けが,主体的なフットケア行動を導き,新たなセフ
ルケア行動が強化される影響が明らかになった.
2.〈主体的な予防行動への発展〉に影響する〈定
期的な受診行動〉
健康高齢者のフットケアの実態調査では,足の手
入れの必要性が自覚できていても,その必要性や自
分にどのような利益があるのかといった自覚に至っ
ていなければ,セフルケア行動を起こすことは難し
いと言われている 21 ).
高齢糖尿病患者は〈セフルケア行動の困難要因〉
や〈自分でなんとかしてしまう危うさ〉を抱えなが
らも,5 年間の〈定期的な受診行動〉が,フットケ
63
ア行動の先にある生活の楽しみや願いを見出し,生
活の質にも影響を及ぼしていた.
高齢者のセフルケア行動は,今までの生活におい
て獲得してきた高齢者の努力を支え,高齢者が自己
と他者への寛容さをもっていけるよう支援していく
重要性が報告されている 22 ).
フットケア外来では,高齢者個人の生活に視座を
置きながら,その人らしいセフルケア行動を支えて
いく支援の積み重ねが,足部を主体的に守っていく
予防行動につながっていくことが示唆された.
3.クリニックのフットケア外来における看護実
践への示唆
今回,抽出されたプロセスを踏まえ,クリニック
におけるフットケア外来の看護実践をいくつか提言
したい.
1 つは,高齢糖尿病患者のフットケアは,フット
ケア行動の先にある生活の中の楽しみや本人の願い
を見出しながらアプローチしていく必要がある.
2 つめは,高齢者は時間をかけてできていたセフ
ルケア行動も危うくなる危険性を踏まえたフットケ
ア支援が求められる.
フットケア行動をおこす自己決定は,高齢者本人
に委ねられるものの,主体的なフットケア行動を導
くために,高齢者のセフルケア行動の背景にある生
活の困難さを踏まえたアプローチが重要である.
3 つ目は,糖尿病足病変のリスクファクターを多
数有する高齢糖尿病患者には,気軽に相談できる身
近な地域の中にあるフットケア外来の拠り所が必要
である.
今回,5 年間の定期継続的な支援が,高齢糖尿病
患者の足病変を維持し自宅でのフットケア行動を支
える一助になっていた.
在宅医療の普及は,単にケアを提供するのではな
く,高齢糖尿病患者の生活と共に在る視点が常に求
められると考える.
Ⅵ 研究の限界と今後の課題
本研究は,12 名の高齢糖尿病患者のフットケア
外来の受診行動からデータを収集した.5 年間と言
う長期的なデータではあるが,一般化するには限界
がある.今後は更に継続的なサンプリングを重ね,
データの質を深めていく必要がある.
Ⅶ 結 論
5 年間の糖尿病専門クリニックのフットケア外来
の実践に焦点をあて,高齢糖尿病患者の生活行動に
影響を及ぼすフットケア行動プロセスを明らかにし
た.
64
健康医療学部紀要 第 1 巻
コアカテゴリーとして【足部の改善による生活行
動の広がり】が抽出され,足部の改善が生活の楽し
みや本人が願う生活行動に導かれていくことが明ら
かになった.
高齢糖尿病患者のフットケア行動から本人が願う
生活行動へと広がるよう,身近な地域にあるクリ
ニックでのフットケア外来の支援が求められる.
謝 辞
本研究にあたり,ご協力頂きましたクリニックの
患者様,スタッフの皆様,また,論文をまとめるに
あたりご指導頂きました先生方に深く感謝いたしま
す.
引用文献
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2016 年 3 月 31 日
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会誌.18(1): 13-24, 2004
注釈
11) 大徳真珠子,江川隆子,藤原優子,et al: 糖尿病患者
注 1 ):足病変の発症・再発予防は,①毎日,足をよく観
のセフルケア行動に対するフットケア介入の検討.糖
察,②毎日,足を洗い清潔に保つ,③風呂の湯でやけ
尿病,50(2): 163-172. 2007
どをしない,④低温やけどに注意,⑤裸足で歩かない,
12) Rijken PM, Dekker J, Lankhorst GJ, et al.:Podiatric
⑥タコやウオノメは病院で処置する,⑦爪は少ずつ一
care for diabetic patients with foot problems : an ob-
直線に切る,⑧視力障害がある場合の爪切りは家族に,
servational study. Int J Rehabil Res, 22 (3), 181-188,
⑨足に合った靴を履く,⑩足に傷ができたら消毒して,
1999
直ぐに受診すること.
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
65
【報 告】
経口摂取が困難な一症例に対する摂食・言語指導の経過
弓削 明子*1,塚原 三津子*2,中村 惠子*3
*1
*2
京都学園大学 健康医療学部 言語聴覚学科
聖ヨゼフ医療福祉センター リハビリテーション科
*3
聖ヨゼフ医療福祉センター 小児科
A Case Report of the Feeding, Communication and Language Therapy
for a Child with Feeding Difficulties
Akiko YUGE*1, Mitsuko TSUKAHARA*2, Keiko NAKAMURA*3
*1
Department of Speech-Language-Hearing Sciences and Disorders, Faculty of Health Sciences, Kyoto Gakuen University
*2
Department of rehabilitasion, Center of St.Joseph Health and Welfare
*3
Department of pediatrics, Center of St.Joseph Health and Welfare
要 旨
哺乳困難で経管栄養になった児に摂食・言語指導を行い,指導経過を整理し検討した.症例は 3
歳女児.在胎 30 週,760g で出生し修正日齢 10 日に順調に退院したが,まもなく哺乳困難で再入
院.経管栄養による持続注入で体重は増加したが経口摂取が進まず修正 1 歳 1 ヵ月に摂食及び発達
全般の促進を目的に来院.摂食困難の要因には注入により空腹時間がないこと,感覚過敏,社会性
が低いことなどが考えられた.そこで食事指導に先行して注入の調整と脱感作,社会性の促進を目
的とした指導を行ったところ,食べ物の受け入れが改善した.食事指導では同時に言語発達の促進
と,食事が心地よい体験になることを目指し環境設定や母親指導も行った.その結果 3 食経口摂取
が可能になり,社会性・言語発達にも変化がみられた.食事指導に限定せず,社会性・言語発達の
促進を併行したことが本児の発達を促したと考えられた.
キーワード:摂食困難,食事指導,社会性・やりとりの安定,言語発達の促進
Key words: feeding difficulties, feeding therapy, social skill, language encouragement
Ⅰ は じ め に
基礎疾患,摂食嚥下機能の問題など様々な要因に
よって経口摂取が困難となる場合がある.未熟児の
場合,生後すぐは哺乳が難しいことが多く,経管栄
養を使い,その後全身状態を見ながら経口摂取を開
始するが,口腔機能,嚥下機能の問題がないにもか
かわらず経口摂取が困難で経管栄養を中止出来ない
場合もある.摂食困難は養育者(多くは母親)に
とって重大な問題になる.田角 1)は機能的な障害が
ないにもかかわらず経管栄養を必要とする要因とし
て,経管栄養による栄養過剰,感覚過敏,精神・心
理的問題,偏食などを挙げているが,現状では明確
な治療・指導方法は確立されていない.今回,哺乳
困難で経管栄養になった児に食事指導と合わせて社
会性・言語発達の指導を行った.その結果,経口摂
取が可能になり,社会性・言語面も発達したので,
その経過を整理し,摂食困難をもたらした要因と指
導内容について検討し報告する.
66
健康医療学部紀要 第 1 巻
Ⅱ 方 法
症例の情報,訓練経過はカルテの記載を後方視的
に抽出し,検討した.公表にあたっては保護者の同
意を書面にてもらい,個人が特定されないよう記載
には十分配慮した.
Ⅲ 症 例
3 歳 女児 在宅
1.診断名:外胚葉異形成症疑い,両側感音性難
聴,早期産低出生体重児
2.既往歴:在胎 30 週で,胎児心音低下のため
帝王切開にて他院で出生.出生体重 760g,すぐに
NICU 管理となったがアプガースコアは 1 分値 9 点
と仮死はなかった.入院中は酸素投与の必要もなく
経口哺乳が可能で体重増加も良好.生後 2 ヵ月 27 日
(修正日齢 10 日)に退院.退院時の頭部 MRI は異常
なし.
その後,4 ヵ月(修正 1 ヵ月)に哺乳量が減少し,
体重増加不良,臀部潰瘍のため再入院.様々なミル
クで経口哺乳を促したが哺乳不十分で体重が増加せ
ず,徐々に経口哺乳を嫌がるようになった.8 ヵ月
(修正 5 ヵ月)時に経管栄養開始,24 時間の持続注
入で体重が増加した.体重増加を確認後,経口哺乳
を再度試すが困難であり経管栄養のみとなった.
9 ヵ月(修正 7 ヵ月)時に聴性脳幹反応検査(ABR)
で両側 105dB の難聴と診断された.
3.成育歴:運動発達は 10 ヵ月(修正 8 ヵ月)で
定頸,1 歳 2 ヵ月(修正 1 歳)で寝返りができた.
経口摂取は困難なまま 1 歳 3 ヵ月(修正 1 歳 1 ヵ
月)時に当院に摂食と全般的発達の促進を目的に紹
介・受診となった.
4.初診時評価
1)摂食
経管栄養による 24 時間持続注入.一日に何回か
嘔吐あり.母親によると当院受診までの間ミルクや
離乳食も試したが,2 口以上は食べなかった.
2)口腔機能
下顎は後退,下口唇は内転させ常に口唇を閉鎖さ
せている.口腔周辺の筋緊張が高い.笑うとわずか
に開口する.
3)嚥下機能
流涎,唾液のむせはなし.喘鳴もなく,唾液の嚥
下が出来ており,明らかな嚥下障害はない.
4)感覚
顔面・口腔周辺へ手を近づけると顔をそむける,
言語聴覚士(以下 ST )の手が偶然口唇に触れると
安静時よりも下口唇を内転させるなど顔面・口腔周
2016 年 3 月 31 日
辺の触覚過敏が著明であった.
5)姿勢・運動
円背で頭頸部後屈した支座位.寝返りで移動.
6)認知
玩具の持ち替えができ,光る玩具は注視したが,
それ以外は見ることがなく物への興味は低かった.
7)社会性
初めての部屋にも嫌がらずに入室した.ST に笑
いかけてきたり,顔をじっと見つめたりすることは
あるが,ST の働きかけに対するアイコンタクトは
乏しい.ST が抱っこしている時に児が体を反らせ
るのに合わせて ST も体を揺らすと笑顔が見られ,
体を揺らすのをやめるともう一度体を反らせたり足
をバタバタさせたりした.この時は体を動かすだけ
で,ST が児の顔をのぞきこんでも顔をあげるなど
の人への働きかけは見られなかった.
8)言語
嫌な時は体全体で拒否を示す.先述の抱っこ遊び
の時は,揺れが止まると体を反らせたり足を動かし
て要求を示した.発声は観察できなかった.
9)聴力
両側に補聴器装用(初診時前より装用,他院で
調整).補聴器装用時の聴性行動反応聴力検査で
80dBSPL 程度の太鼓の音には反応があった.
10 )その他
便は常に下痢気味で軟便.そのため臀部に発赤あ
り,痒みが強いと思われた.
面接時の行動観察から遠城寺式乳幼児分析的発達
検査表でチェックすると,移動運動・手の運動は 6
~ 7 ヵ月,基本的習慣・対人関係は 2 ヵ月程度,言
語は発語 5 ヵ月、言語理解 1 ヵ月であった.
摂食困難の要因としては,a)持続注入で空腹時間
がないこと,b )時々ある嘔吐が不快な経験になっ
ていること,c )触覚過敏で食物の受け入れが悪い
こと,d )マイペースで社会性が低く,母親からの
食事の誘いに応じにくいことが考えられた.そのほ
か摂食以外の問題として,運動・言語発達の遅れも
問題として考えられた.
5.経過
1)第Ⅰ期指導:1 歳 3 ヵ月(修正 1 歳 1 ヵ月)~
1 歳 8 ヵ月(修正 1 歳 6 ヵ月)
( 1 )指導スケジュール
当院初診後すぐに 5 週間の母子入院を実施した.
入院中は言語療法・理学療法・作業療法とも個別指導
で 4 ~ 5 回/週、保育はグループで 3 回/週行った.
入院中は担当者が連絡を密に取り合い指導内容,児
の様子など情報交換を行った.
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
( 2 )指導方針と内容
方針と役割の分担を以下のように行った.a )の
「持続注入で空腹時間がないこと」と b )の「嘔吐が
不快な経験になっていること」に対しては ST と医
師で注入の調整を,c )の「触覚過敏」は主に ST が
脱感作を,d )の「マイペースで社会性が低いこと」
は,ST と作業療法士(以下 OT )がやりとり遊びを
行った.そのほか,言語発達の促進は ST,運動発
達など全般的な発達の促進は OT,理学療法士(以
下 PT ),保育士が担当した.それぞれの担当者が指
導目的に応じた母親指導も行った.具体的な内容を
以下に示す.
①空腹時間の確保と嘔吐の予防:経腸栄養剤の選択,
注入スケジュールを検討し,空腹時間を作るように
した.また嘔吐を予防するため,注入速度を調整し,
注入時や注入後の姿勢についても児の反応を見なが
ら検討した.
②触覚過敏の軽減:顔面・口腔周辺の脱感作を行っ
た.具体的には,本児の好きな抱っこで体を揺らし
ながらリラックスしている時に,腕・肩・頸部・顔
面・下顎・口腔周辺へと順に進めていった.各部位
とも掌で数秒ずつゆっくりと押さえるように触れ,
嫌がったところでそれ以上は進まないようにした.
これは訓練以外でも日常の機嫌の良い時を見て,一
回数分程度,一日に数回は母親にも行ってもらった.
③社会性・やりとりの促進:食事は他者からの働き
かけに応じるひとつのコミュニケーションであり,
食べ物を受け入れやすくするためにはやりとりの安
定が必要と考えた.本児の好きな抱っこで体を揺ら
したり,光る玩具を一緒に操作して眺めたり児が興
味を持った遊びに ST や OT が合わせて遊びを展開
し,その中で人への興味・関心を育てるようにした.
関わるときは本児の難聴を考慮して,児が見える位
置から働きかけること,見ていることを確認しなが
ら玩具を提示すること,「抱っこ、おいで、ねんね」
などいくつかの簡単な語を音声だけでなくジェス
チャーなども併用して示すこと,などに注意し母親
にも関わり方のモデルを見せて説明し,日常でも同
様の関わりを促した.
④言語発達の促進:難聴があるため,ジェスチャー
やマカトン法によるサイン注 1 )
(以下、マカトン・サ
イン)を用いて有意味語の理解を促した.ジェス
チャーやマカトン・サインを提示するときは,必ず
音声も併用するようにした.
⑤全般的発達の促進:PT はボイタ法注 2 )による運動
の指導,OT では遊びの拡大,保育ではグループで
ボールプールなどダイナミックな遊びや玩具の操作
などを実施した.
67
2)第Ⅰ期指導後再評価
1 歳 8 ヵ月(修正 1 歳 6 ヵ月)
( 1 )摂食
注入は1日5回,嘔吐は一回もない時もあれば注入
ごとに出ることもあった.注入前後の姿勢は,覚醒
時は動いてしまうので統一することは難しかった.
また姿勢によって嘔吐に明らかな差は見られなかっ
た.
お菓子に興味を持ち始めたので母親が与えたとこ
ろ,かっぱえびせんは食べるようになった.しかし,
かっぱえびせんでも食べさせられるのは嫌がり,自
分の手で持って食べる様子が見られた.かっぱえび
せん以外は横を向いて嫌がった.
( 2 )口腔機能
舌の側方運動が見られ,かっぱえびせんを粉砕す
るようになり,口腔運動の問題はそれほど大きくな
いと考えられた.
( 3 )嚥下機能
1 歳 7 ヵ月時、他院で実施された嚥下造影( videofluoroscopic examination of swallowing: VF )検査
で固形・水分とも問題はなかった.
( 4 )感覚
指やオモチャなめが出来るようになった.手が頬
にゆっくりと触れても嫌がることがほとんどなくな
り,過敏が軽減し,食事への準備が整ってきた.口
唇・口腔内に指を入れると嫌がるので口腔ケアは不
十分であった.
( 5 )運動
座位が可能になり,いざるように移動した.
( 6 )認知
太鼓を叩く,球を丸い穴の容器に入れるなど玩具
を操作しようとすることが出てきた.
( 7 )社会性
ST の指さしやジェスチャーに注目するようにな
り,ST が手を出すとものを手渡してくれるように
もなった.「バイバイ」「猫」などのジェスチャーの
動作模倣も可能になった.しかしこれらに全く反応
しないこともあり,反応は不安定であった.
( 8 )言語
人に向けた発声は観察されるようになったが,指
さしやジェスチャーの使用は見られなかった.
遠城寺式乳幼児分析的発達検査表で,移動運動・手
の運動は 7 ~ 8 ヵ月,基本的習慣・対人関係は 9 ヵ月
程度,言語は発語 6 ヵ月,言語理解 3 ヵ月程度の項
目が出来ているが,特に対人関係の項目では出来る
ときと出来ないときがあり反応が不安定であった.
母子入院退院後は外来指導を継続し,言語療法・
理学療法・作業療法の個別指導を 2 回/月,療育グ
68
健康医療学部紀要 第 1 巻
ループ 1 回/月(保育)を実施した.しかし,摂食
面では変化が殆どなく,再度母子入院にて集中指導
を行うこととなった.
3)第Ⅱ期指導 1 歳 9 ヵ月(修正 1 歳 7 ヵ月)~
3 歳(修正 2 歳 9 ヵ月),母子入院は 1 歳 9 ヵ月(修
正 1 歳 7 ヵ月)~ 1 歳 11 ヵ月(修正 1 歳 9 ヵ月)
( 1 )指導の方法
5 週間の母子入院中は第Ⅰ期指導の入院中と同様
に,言語療法・理学療法・作業療法を個別指導で 5
回/週,保育はグループで 3 回/週実施した.
退院後の外来指導は言語療法・理学療法・作業療
法とも個別指導で 2 回/月,療育グループ 1 回/月
(保育)を実施した.また,2 歳 4 ヵ月(修正 2 歳
2 ヵ月)から単独通園(療育)も始まった.
( 2 )指導方針と内容
本児の全般的な問題点として,a)受け入れられる
食物が少ない,b )食事への興味が低い,c )やりと
りの反応が不安定,d )言語発達の遅れ,e )認知発
達の遅れ,が考えられた.これらに対して,PT は
姿勢の安定や歩行を目的としたボイタ法による運動
指導を行った.OT は ST とともに食事指導や遊び
の拡大と,さらに手指機能の促進を行った.保育士
はグループでの遊びの拡大を行った.ST は以下の
①~⑥を目的に指導を行った.
①食物受容の拡大:色々な味覚刺激を体験させ,受
け入れられる味覚を広げるようにした.食品の種類
についても,スナック菓子以外のもの(米飯,野菜
の煮物,魚など)も試していった.
②食事指導:お菓子のほか,食事の時間には母親のお
皿を見せ興味を引くように設定した.本児が興味を
示した場合はその食物を少量でも食べてみるように
促した.食形態は口腔機能の発達を考えると本来な
らペースト食,中期食,後期食と段階を追って食形
態を上げていくが,本児の場合ペースト食は嫌がっ
て食べないため,食形態にこだわらず大人の食事の
中から食べそうなものを選び,本児の口腔機能に合
わせて嫌がらない程度に再調理(つぶす,とろみを
加えるなど)するようにした.食具は、手づかみが
主で手について嫌がるものはスプーン・箸で介助し
た.感覚過敏を考慮して,スプーンはプラスチック
またはシリコン製のものを,お箸はプラスチックを
使用した.スプーンの場合,口唇での取り込みを促
すと嫌がってしまうので,前歯でスプーンを噛みな
がら捕食しても注意はしなかった.
食事環境として,無理強いはしない,一口でも食
べたら褒める,食事の最後は褒めて心地よい体験と
して終われるように設定し,母親にもこれらを説明
し実行してもらった.
2016 年 3 月 31 日
③やりとりの安定:ST からの働きかけに対する反
応が安定して得られ,児の興味が持続し楽しく関わ
れるように,本児の好きなおもちゃや人形,日常生
活用品を使ったやりとり遊びを行った.
④言語発達の促進:Ⅰ期と同様に,積極的にジェス
チャーやマカトン・サインを用いて理解・表出を
促した.やりとり遊びや絵本の読み聞かせの中で
「ちょうだい,開けて,食べる,飲む,車,猫,犬,
コップ」など 1 ~ 2 歳代の単語をジェスチャー・マ
カトンサインで提示するようにした.この時は必ず
対面して音声も同時提示するようにした.音声は騒
音計で大きさを測りながら,児が移動しても反応す
る 80dBSPL 前後になるように調整しながら行った.
これらの様子を母親にも同席して見てもらい,日常
生活でも使用できるようモデルを示した.聴力の
フォロー,補聴器の調整は他院の受診を継続した.
⑤視知覚認知の向上:物の機能的操作が出来る種類
を増やし,さらに形の弁別を促した.具体的には,
輪投げのようにリングをポールに入れる動作,ボタ
ンを押すと動く玩具の操作,日常の生活道具の用途
にあった操作のモデルを示したり一緒に行ったりし
た.また容器の丸い穴にはボールを,四角い穴には
積み木を入れる,などを行い形の弁別を促した.
⑥食事量の増加に伴う経管栄養抜去の準備:1 歳
10 ヵ月(修正 1 歳 8 ヵ月)頃より白い食物を好み米
飯を食べるようになり食事量が増加したので経管栄
養抜去の検討も行った.比較的よく食べたときは,
その直後の注入量を減らすようにした.水分は経口
摂取では嫌がったので,必ず必要量を注入で確保す
るようにした.
4)第Ⅱ期指導結果 3 歳 0 ヵ月(修正 2 歳 9 ヵ月)
( 1 )摂食
Ⅰ期以降,かっぱえびせんなどのお菓子類から米
飯,豆腐など白いものなら食べる時期が続いた.そ
の後少しずつ白いもの以外でも食べられるようにな
り,通い始めた通園施設では完食するようになった.
3 歳 0 ヵ月にはスプーンで自食し,3 食経口摂取可
能だが,通園施設の昼食以外は食べむら・偏食があ
り,また感染性が高く体調を崩すことも多いため食
事量は安定しない.水分はコップを自分で持って飲
むようになった.経管栄養は,最低限の栄養必要量
と脱水にならない水分量が経口摂取できることが確
認できたため,2 歳 7 ヵ月(修正 2 歳 5 ヵ月)に抜
去した.
( 2 )口腔機能
お菓子は舌の側方運動で奥歯に移動させ粉砕する
が,下顎の回旋運動は少なく咀嚼はまだ不十分であ
る.米飯やおかずの場合は舌で押しつぶして食べる
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
ことが多い.水分は時々むせる.嘔吐は体調が良い
時はほとんどない.
( 3 )感覚
歯磨きを嫌がる以外は目立った過敏はなくなっ
た.
( 4 )運動
2 歳 4 ヵ月(修正 2 歳 2 ヵ月)より独歩可能.
( 5 )認知
積木を二つ積む,車を走らせる,なぐり書きをす
る,○△□を弁別して型はめをすることが可能に
なった.
( 6 )社会性
要求は指さし,ジェスチャー・マカトン・サイン,
クレーン現象で示した.褒められると同じ動作を繰
り返し,対面するSTが視線を外すとその視線を追っ
てその方を見る追随注視が出来た.ジェスチャーで
「もう一回」と示すとわかるようになり,嫌になって
ももう一度遊びや食事に取り組めるようになった.
( 7 )言語
約 50cm れたところから少し大きめの声で名前を
呼ぶと,振り返る.日常生活の場面からマカトン・
サインは「車、ボール」などの事物名称,
「寝る、洗
う」などの日常の生活動作語を合わせると約 20 語は
理解できる.マカトン・サインでの表出語彙は「ボー
ル,スプーン,車」など約 10 語で,音声表出は「デ
タ」,「ママ」,「オーダ」(「ちょうだい)の意)がで
ている.
( 8 )発育
身長 85cm,体重 9.2kg.標準身長・体重曲線で見
ると身長は-2SD 以内だが,体重はそれよりもわず
かに下回っている.
以上より,経口摂取は可能になったが,経口摂取
量は本児の食べむらや体調不良で安定せず,今後も
経過観察と継続指導が必要であると考えられた.発
達面は新版 K 式発達検査の項目と照合すると姿勢・
運動は 1 歳 0 ヵ月~ 1 歳 3 ヵ月,認知は 1 歳 3 ヵ月
~ 1 歳 6 ヵ月,社会性・言語発達は 1 歳台と考えら
れ,全体的な発達の遅れはあるもののバランスよく
伸びていると考えられた.
Ⅳ 考 察
1.摂食困難の要因について
4 ヵ月(修正 1 ヵ月)の再入院の頃までは経口摂
取が可能であったが,これは田角 1 )が,基礎疾患は
もつものの,新生児期には一時的に哺乳できている
ケースが多いと示しているように本児も同様であっ
たと考えられた.本児には,嚥下造影検査で嚥下機
能に問題がなく,また指導開始後,比較的早くから
69
舌の側方運動が出来ており,口腔器官の運動にも大
きな問題は見られなかった.田角 1)は摂食嚥下機能
に明らかな問題がないにも関わらず摂食困難になる
要因を検討し,心理・感覚的拒否(口腔・上部消化
管への侵襲など過去の不快体験,感覚偏倚による偏
食),幼児経管依存症,栄養過剰による医原性の経管
栄養症,食事恐怖症を挙げている.田子ら 2 )は経口
摂取の経験不足による未熟性だけでは成因として不
十分で消化器・呼吸器系の基礎疾患や合併症および
その治療過程の口腔・咽頭への侵害刺激の蓄積,嘔
吐やムセなどの食事に対する不快感,発達障害に伴
う感覚過敏が深く関与しているとした.田村ら 3 )は
摂食拒否を有する児の指導経過を検討し,過敏,経
管栄養が影響している可能性が示されたとした.本
児の場合,24 時間持続注入で経管栄養による過剰
な栄養,著明な感覚過敏,チューブの交換による口
腔・咽頭への侵襲や嘔吐による不快体験の蓄積があ
り,これらは先行研究と同様で摂食困難の大きな要
因として考えられた.また 8 ヵ月(修正 5 ヵ月)の
他院での再入院中に経口哺乳を繰り返し促され,そ
の後当院初診までの間にも経口哺乳,経口摂取を促
された経過もあり,このことも過去の不快体験に該
当すると考えられた.仁平ら 4)が摂食の強要を継続
することが逆に拒食行動を習慣化させたと述べたよ
うに,これらの行動が本児の摂食困難を助長した可
能性が考えられた.
2.指導内容について
指導内容に沿って指導効果について検討する(図
1 ).
1)注入の調整
1 日 5 回の注入にしたことで空腹時間が得られた
と考えられた.田角 5)はおいしく食べるためには空
腹が必要であるが,空腹があってもストレスや体調
不良があると食欲は出ず,空腹から食欲につなげる
には体調を整え楽しくおいしく食べられるように環
境を調整する必要性を述べている.本児の場合は分
割注入で空腹時間ができたと考えられるが,それだ
けでは効果は得られず,脱感作や社会性の発達促進,
言語発達の促進,運動指導,食事の環境調整などと
合わせて行ったことが改善につながったと考えられ
た.
2)脱感作
田子ら 2 ),田村ら 3 ) が指摘するように,口腔の
感覚過敏は食物や食具の受け入れに大きく関係して
いると考えられた.脱感作で過敏を軽減させたこと
は,食物や食具の受け入れに効果があったと考えら
れた.
70
健康医療学部紀要 第 1 巻
2016 年 3 月 31 日
図 1.指導効果の検討
3)社会性・やりとりの安定
理解できるようになった.表出面では本児の要求表
田角 5 )は食行動は食べる機能の発達のみならず, 現が多様化し,要求がわかりやすくなった.Sullivan
子どものすべての発達,社会性・コミュニケーショ
とRosenbloom 8)は,子どもが空腹や食物の好みを表
ンの発達にも関与するとし,Chatoor ら 6 )も摂食は
現できないと,養育者にとっては子どもの要求がわ
愛着関係や運動機能・言語の獲得にも関係している
からずお互い葛藤を抱えることになり,そのことが
と述べている.本児の場合,食事場面以外でも対人
摂食困難の一つの要因となることを示している.今
反応が弱くやりとりが困難であった.そこで食事場
回,本児の要求表現,理解を伸ばしたことは親子の
面以外でのやりとりの安定を図り,食事中のやりと
コミュニケーションを円滑にし,食事場面のコミュ
りを促せないかと考えた.初めは本児が興味を持っ
ニケーションに役立ったと考えられた.
たものにSTが合わせるやりとり遊びから始め,徐々
5)食事指導
に ST の働きかけに反応するように促した.ST との
Sullivan と Rosenbloom 8)は,食事は親子とも楽し
相互のやりとりが出来るようになると,他者からの
めるものであると述べ,田角 5 )は経管栄養を必要と
受容が良くなり他者が促した食べ物を受け入れやす
する乳幼児摂食障害に対するステップ治療の中で,
くなったのではないかと考えられた.さらに食べら
(a)
「自分で食べる意欲を育てる」として,楽しく食
れてうれしいという母親の気持ちと,褒められるこ
べる,食べることを強制しない,手づかみ食べを促
とがうれしいという子どもの気持ちとの共感関係が
す,スプーンは嫌がらないときにのみ使用,
(b)
「好
築けるようになり,このことから褒められるからも
きなものを探し楽しく自由に食べさせる」として,
う一口食べる,といった量の増加へつながったので
好きな飲み物や食物を探す(形態は何でもよい,量
はないかと考えられた.
は増やす必要はない)自分で使いやすく持ちやすい
7)
Satter は食事がうまくいくには子どもとの信頼
道具を探す,と述べている.今回の指導でもスプー
関係が必要であることを示した.本児の場合,他院
ンを強要せず手づかみ食べにし,興味を持ったら食
での入院期間が長期にわたり入院中には不快な体験
具を使用させた.食形態にもこだわらず本児が好む
も多く母親との楽しい哺乳時間や遊びの時間が少な
食物を優先させた.また本児が食べたいものを与え
かったことが推察される.親子で個別指導や保育に
るようにし,少量であっても食べたら褒められて楽
取り組むことを通して親子の信頼関係が築かれ,母
しく終われるようにした.これらのことはこれまで
親の本児に対する理解や対応が深まったことも改善
の強要される不快体験とは異なり,本児の食べる意
につながった要因として考えられた.
欲を促し快体験として積み重なったものと考えられ
4)言語発達の促進
た.これらの指導内容は母親にも説明し,十分理解
難聴を考慮してジェスチャー・マカトンサインを
を得て実践できたことも大きな要因であると考えら
用いて理解・表出を促進したことで,母親の指示や食
れた.食べ始めた時期とほぼ同時期に単独通園が開
事の促し,繰り返しのある日常生活の中での促しが
始されたことで摂取量の増加が得られたと考えられ
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
た.仁平ら 4 )は,家庭での経口摂取がうまくいかず
拒食行動を習慣化させているような場合は,今まで
とは異なる集団生活場面からアプローチを行うこと
の重要性を示唆している.さらに,通園では生活リ
ズムが確立し,運動量も増えて空腹になり,また他
児の食べる様子を見て意欲がでるといった効果が得
られたと考えられた.
6)多職種のアプローチ
Keen 10 )は,効果的な治療には感覚・認知・愛着・
感情的な相互作用など多面的なアプローチが必要で
あると述べている.SullivanとRosenbloom 8)も摂食
の問題には様々な訓練アプローチが必要であること
を示している.PT,OT,ST,保育士といった多職
種が連携して行った指導は,この多面的なアプロー
チといえるだろう.摂食困難に対する指導であって
も食事指導のみを行うのではなく,子どもの全般的
な発達の評価,摂食困難の要因を検討し,必要な指
導プログラムを立て,多面的なアプローチをするこ
とが大切であると考えられた.
Ⅴ ま と め
哺乳困難で経口摂取が困難になった一症例に行っ
た指導の経過をまとめた.直接的な食事指導以外
に,感覚過敏に対する脱感作ややりとりの安定,言語
発達の促進,全体的な発達を促す指導を多職種が連
携して行ったことが効果的であったと考えられた.
本 論 文 の 要 旨 は 第 110 回 日 本 小 児 精 神 神 経 学 会
( 2013 年 11 月、名古屋)で発表した.
71
2) 田子歩,佐藤典子,辻真由美他:新生児・乳児期の
長期絶食後における摂食拒否の成因に関する研究.日
摂食嚥下リハ会誌,9(2), 180-185, 2005
3) 田村文誉,町田麗子,菊谷武他:摂食傾向を呈する
小児患者への摂食指導の効果.日摂食嚥下リハ会誌,
13(3), 409, 2009
4) 仁平暢子,加藤光剛,松浦芳子他:摂食機能獲得期に
拒食傾向を示す症例への多角的アプローチ 第 2 報集
団生活場面からのアプローチ.日摂食嚥下リハ会誌,
13(3), 410, 2009
5)
田角勝:子どもの摂食嚥下リハビリテーション,3739, 43-46, 127-132,診断と治療社,2013
6) Chatoor I, Schaefer S, Dickson L. et al : Non-organic
failure to thrive:a developmental perspective. Pediatr.
Ann, 13(11):829-835,1984
7) Satter EM : The feeding relationship. J Am Diet
Assoc, 86(3) : 352-356,1986
8) Sullivan PB, Rosenbloom L: Feeding the Disabled
Child. 23-32, 47-61, Mac Keith Press, London, 1996
9) Keen DV. : Childhood autism, feeding problems and
failure to thrive in early infancy. Seven case studies.
Eur Child Adolese Psychiatry, 17(4): 209-216, 2008
10) 大石敬子編:ことばの障害の評価と指導,176,大修
館,2001
11) 家森百合子,神田豊子,弓削マリ子著:子どもの姿
勢運動発達,171,ミネルヴァ書房,1985
注釈
注 1 ):マカトン法はことばの発達に遅れのある人々のた
めに,英国で開発された補助代替コミュニケーションの
謝辞:本論文の作成にあたり,ご協力頂いたご家族
に深謝致します.またご指導賜りました多摩北部医
療センター石田宏代先生に深謝いたします.
文 献
1) 田角勝,向井美惠:小児の摂食・嚥下リハビリテー
ション,274-277,医歯薬出版,2006
指導法で,手指の動作表現(サイン)がある
10 )
.
注 2 ):ボイタ法の訓練は,特定の出発肢位において誘発
体を刺激し,寝返りや四つ這いの時に使う筋肉のパター
ンを正しく誘導し,体幹を安定させ,結果として目や
口,手足などを安定して使え,呼吸や内臓の働きを改善
しながら,移動に必要な体幹のねじりと四肢交互性を誘
導する 11 ).
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
73
【資 料】
育児支援に関する文献研究
―実施した事業の効果に焦点を当てて―
藤本 美穂,今西 誠子
京都学園大学 健康医療学部 看護学科
A Review of Studies on Child-raising Support Program
— Focusing on the Evaluation —
Miho FUJIMOTO, Tomoko IMANISHI
Department of Nursing, Faculty of Health and Medical Sciences, Kyoto Gakuen University
要 旨
目的 健康な乳幼児の母親を対象とした育児支援事業(以下事業)の文献検討を通して事業の効果
を明らかにすると共に,厚生労働省推進の事業展開と照らし合わせ今後の課題を探る.
方法 医中誌 Web Ver.5ADVANCED を用い,1997 年から 2015 年までの文献を対象に「育児」,
「孤立」,「支援」をキーワードに検索し,「原著論文」にて絞込検索を行った.また「育児支援
事業」
「原著論文」で同様に絞込検索を行い,対象文献の内容を検討した.文献は,健常な乳幼
児の母親を対象とする研究とした.
結果 対象文献は 10 件であった.地域子育て支援拠点事業の 4 つの基本事業で分類すると,6 件は
複数事業を同時展開し残り 4 件は単独事業の実施であることが明らかとなった.
考察 事業実施の効果を評価した文献が少ないこと,支援では地域子育て支援拠点事業の基本事業
を複合することで,事業個々の利点の相乗効果を期待できること,地域連携や情報提供の方法
等で課題があることが示唆された.
キーワード:育児支援,母親,孤立 , 支援の評価
Key words: child-raising support program, mother, isolation, evaluation for support
Ⅰ は じ め に
日本の人口は 2060 年に 8,674 万人まで減少すると
推計されている 1 ).このため,2014 年に内閣官房は
「まち・ひと・しごと創生長期ビジョン」を策定し,
この人口減少問題に関して,今後の目指すべき方向
性を示した.このビジョンは少子化対策を含み,地
域子育て支援拠点事業(公共施設や保育所,児童館
等の地域の身近な場所で,乳幼児を子育て中の親子
の交流や育児相談,情報提供等を実施する)を 2020
年度までに全国で 8,000 か所に増加させることを目
標に挙げている( 2014 年度 6,538 か所)1 ).当事業
に関して,厚生労働省は 2014 年に市町村が実施す
る事業として目的,実施内容,実施方法等を規定し
ている.これにより地域主催の事業が一層活発とな
り,年々,乳幼児を育てる母親対象の事業は増加の傾
向にある 2 ).その一方で,過去に実施された事業の
効果を体系的に整理した先行研究は見当たらなかっ
た.
そこで本研究では,健康な乳幼児をもつ母親を対
74
健康医療学部紀要 第 1 巻
象とする地域の事業を記した文献の検討を通して実
施された事業の効果を明らかにすると共に,厚生労
働省推進の拠点支援事業と照らし合わせて今後の課
題を探ることを目的とした.
Ⅱ 用語の定義
育児支援事業:児童福祉法(昭和 22 年法律第 64 号)
第 6 条の 3 第 6 項に基づき,厚生労働省が 2014 年
に定めた市町村が実施する事業とする.具体的には
「地域子育て支援拠点事業」の 4 つの基本事業(①子
育て親子の交流の場の提供と交流の促進,②子育て
等に関する相談・援助の実施,③地域の子育て関連
情報の提供,④子育て及び子育て支援に関する講習
等の実施)とする.
事業:育児支援事業と同じ意味とする.
Ⅲ 研 究 方 法
1.文献抽出方法
「医中誌 Web Ver.5ADVANCED(以下,医中誌
とする)」を用い,1995 年から 2015 年( 2015 年 10
月 12 日最終)までの期間において「育児」,
「孤立」,
「支援」をキーワードに検索した.検索の結果,選択
された文献について,その動向の概要を記述統計で
示した(表 1 ).「育児」は 28,387 件で「原著論文」
限定となると 8,374 件,「孤立」は 13,033 件で「原
著論文」限定となると 5,974 件,「事業」は 3,138 件
となった.選択された文献のうち,
「原著論文」に
て絞り込んだところ 736 件が該当し,その 736 件に
「育児」,「孤立」,「支援」の条件を掛け合わせた結
果,70 件となり,この 70 件から事業の評価に関す
る文献 8 件を抽出した.また「事業」をキーワード
2016 年 3 月 31 日
に「原著論文」で絞り込みを行い,11 件の文献を追
加した.選択された文献のうち,研究対象者を健常
な乳幼児の母親とした事業とし,論文のテーマが育
児困難や児童虐待を扱った文献,離島に住む母親や
新生児の母親対象の文献を除いた.
これらの文献から同様の条件で掛け合わせ 2 件を
抽出し,最終的に 10 件となった.
Ⅳ 研 究 結 果
1.文献動向の概要
1)年次推移による事業の種類と研究内容
3 年間隔別に論文テーマと文献数を合わせてみる
と,1997 年まで今回の条件に合致する事業に関する
文献はみられず,2000 年代に入ると母親の育児感情
(育児不安・育児ストレス)を研究テーマにした文献
が一桁で推移していた.その後 2004 年度以降には,
虐待や離島・農村における育児,重症心身障害児や
低出生体重児の母親等を対象とした論文テーマの文
献が加わり増加傾向にあった(表 2 ).
表 1.事業文献の件数
全体
原著論文
育児:
28,387
8,374
孤立:
13,033
5,974
育児支援:
3,138
736
該当文献(育児・孤立・支援)
124
70
↓
8( 2 )
*( )内は追加した文献
表 2.年次推移による事業の論文テーマに関する概要
合計
( N=70 )
論文テーマ( N=70 )
育児支援の
評価
虐待
育児感情・
行動
離島・
村の育児
重症心身障害・
慢性疾患児他
その他
~ 2000
1( 1.4%)
0
0
1
0
0
0
2001 ~ 2003
6( 8.6%)
1
0
4
0
1
0
2004 ~ 2006
15( 21.4%)
2
3
7
0
1
2
2007 ~ 2009
12( 17.1%)
0
0
5
2
2
3
2010 ~ 2012
19( 27.2%)
2
2
3
2
6
4
2013 ~ 2015
17( 24.3%)
3
2
9
0
2
1
7( 10.0%)
29( 41.4%)
4( 5.7%)
合計
70( 100.0%) 8( 11.4%)
12( 17.2%) 10( 14.3%)
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
2)事業の研究内容と研究デザイン
事業の論文全体( 70 件)におけるデザインでは
量的研究が 37 件,質的研究が 15 件,事例研究が 10
件,文献検討が 5 件,実践報告が 3 件であった.う
ち,
「事業の効果や評価」を扱った文献は量的研究が
5 件,質的研究は 2 件,実践報告は 1 件であった.
「事業の評価」以外の項目では「虐待」が事例検討
3 件,「育児感情・行動」が量的研究 21 件,「離島・
村の育児」は量的研究と質的研究がそれぞれ 2 件で
最多であった.
「重症心身障害児等を対象とした研究」では量的研
究が 4 件,
「その他」は量的研究と質的研究がそれぞ
れ 3 件であった(表 3 ).
2.文献内容の分析
今回抽出した 10 文献を対象に事業内容と結果,課
題について古い年代順に検討した(表 4,5 ).
1)地域子育て支援拠点事業による実施効果と課題
厚生労働省が 2014 年に定めた 4 つの基本事業の分
類別に対象文献を分類すると,複合した支援活動の
実施が認められた(表 6).それぞれの支援事業の実
施結果と課題について,この分類に沿ってそれぞれ
の事業展開の主要内容に分けて分析した.
(1)地域子育て支援拠点事業①子育て親子の交流
の場の提供と交流の促進に関する事業について
この事業に該当する支援事業を主体としている文
献は以下の 4 件であった.
岡中ら( 2003 )は,保育士と音楽療法指導員に
よる親子ペアや参加者全員で触れ合う自由遊びと
ミュージックケアを組み合わせた「ワクワクミュー
ジック」の実施から,事業の効果として母親同士が
信頼感を高め,相談相手を増やしていたことを明ら
かにした.事業における課題として,企画が画一化
することによる参加の継続が難しくなるリスクを挙
げていた 3 ).
75
増田( 2006 )は,公民館を利用した地域住民の交
流会活動の事業によって,親と子,親と親,子ども
同士の相互交流の親密化と子育て経験者との交流に
よる育児能力向上などの効果を示した.支援におけ
る課題に不参加の親子への呼びかけと参加の工夫,
経費の捻出を挙げていた 4 ).
山口ら( 2011 )は,母親が看護学生に子育て体験
について語るワークショップの開催を通して,他者
との交流の中で自分の子育てを語ることが自己の子
育てを見つめ直す機会となり,親自身の自尊感情の
向上と親の発達につながったとし,子育てサポート
体制の有無が子育ての大変さや困難さを左右すると
報告していた 5 ).子育て支援として母親のリフレク
ションを促す事ができ母親の成長を支える効果を示
していた.課題についての言及はなかった.
森ら( 2012 )は,子育て教室で母親の求めてい
たものは親子自身の社会的孤立の防止と育児不安を
軽減のための他の親子との交流であった.子育て教
室がこのニーズに沿った支援活動であると評価しつ
つ、保健師の活動における介入方法を課題として述
べていた 6 ).
(2)地域子育て支援拠点事業②子育て等に関する
相談,援助の実施について
事業②を主とした該当文献は 2 件で,共に事業①
との複合事業であった.
松野郷ら( 2004 )は,従来の保健サービスで対応
しきれない孤立傾向にある親に対する感情表現の促
進や自尊感情の向上に,母親へのグループケア(子
どもを保育士等他者に預けられる自助グループ活
動)が有効なことを示した.課題については言及が
なかった 7 ).
澤田( 2014 )は,子育て相談とタッチングを融合
した事業が母親たちの自己肯定感を高め,地域で開
催された他の育児サークルへの参加や,不安の軽減
表 3.事業の論文テーマと研究デザインに関する概要
論文テーマ
論文数(%)
量的研究
質的研究
事例研究
文献検討
実践報告
育児支援の評価
8( 11.4%)
5
2
0
0
1
虐待
7( 10.0%)
2
1
3
1
0
育児感情・行動
29( 41.4%)
21
4
2
2
0
離島・村の育児
4( 5.7%)
2
2
0
0
0
重症心身障害・慢性疾患児他
12( 17.2%)
4
3
3
2
0
その他
10( 14.3%)
3
3
2
0
2
合計
N=70
70( 100.0%) 37( 52.9%) 15( 21.4%) 10( 14.3%) 5( 7.1%)
3( 4.3%)
育児不安を抱えた母
松野郷有実子他 親 に 対 す る グ ル ー
/拠点事業②
プ・ケアの試み
( 2004 )
地域の有志
市町村
岡中栄子他
/拠点事業①
増田安代
/拠点事業①
市町村
野村町における幼児
期の子どもを持つ母
親への支援―育児支
援 事 業「わ く わ く
ミュージック」の実
践から―( 2003 )
木村留美子他
/拠点事業④
方法
実施場所
A 地区子育て交流会
支援スタッフ( A 地
区の役員、B 大学の
教員と学生、ボラン
ティア)
地域支援拠点事業の
視点から見た課題
毎月 1 回
毎月第 2 土曜
13 時 30 分~ 15 時
保健分野の専門職に
よる実施施行者への
育児支援知識の教育
や地域連携の徹底
保健分野の専門職に
よる実施施行者への
育児支援知識の教育
や地域連携の徹底
育児に関する知識提
毎月 1 回、全 3 回シ
供だけでなく、母親
リーズ。時間は各 1
同士の交流促進と継
回 3 時間 30 分であっ
続のきっかけづくり
た。
に狙いを定める
開催日数・時間
期間を平成 14 年 11
月~平成 15 年 1 月ま
でとし、おおむね 2
記載なし
週間に一度の割合で
計 5 回連続して実施
(各 1 時間 30 分)
記載なし
「地域の子は地域で育てる」をモッ
トーに茶道をベースにおき、室内活
動、屋外活動を実施している。茶道
は日本の心と礼儀を身につける。高
地域の
齢者から古き良き遊びを学んだり、
公民館
芋掘りを通して命の恵みと自然への
感謝について考える機会も設けてい
る。茶道入門とハトポッポ体操は、
毎回実施している。
病的な範囲ではない育児不安を感じ
ている母親にMCG(子どもの虐待防
止センターが虐待問題を抱えた母親
をケアすることを目的開始した自助
精神科医・保健師・ グループ)によるグループケアを実
保育士
施した。子どもは別室で託児し、母
親同士で設定されたテーマについて
話し合う形式で行った。グループの
ファシリテーターは精神科医で、ス
タッフの介入はできるだけ控えた。
音楽療法指導員 2 ~
4 名、保育士(資格
を有するが所属はな
い)1 名、 保 健 師 1
~2名
自由遊びとミュージックケアを組み
合わせた取り組みを行っている。保
育士の提供する自由遊び・親子遊び
(紙皿や新聞などを用いて、こいのぼ
りやかざぐるま作製等を約 1 時間行
う)、音楽療法指導員の音楽に合わ
せて親子ペアや全員で、バルーンや
鈴、鳴子、シャボン玉を使用して遊
ぶ。
育児中の母親と保育士向けに、子ど
もの特性理解についての勉強会(セ
ミナー)を実施した(託児施設も開
設)。それぞれの回で、講義後に子育
A 大学医学部保健学 てに関する全体討論と母子のタッチ
記載なし
科教員
ングタイムの時間を企画した。
内容:①子どもの発達とアタッチメ
ントについて、②こどものしつけ:
叱り方、誉め方、③離乳食 食生活
習慣病 予防接種 発達の節目
施行者
事業の内容
健康医療学部紀要 第 1 巻
住民主体の子育て
支援活動への検討
( 2006 )
公的機関から支援
を受けた子育て支
援センター
子育て支援セミナー
受講前後における母
親と保育士の子ども
に対する意識の変化
( 2001 )
実施主体
論文名
(発表年度)
筆者
/拠点事業分類
表 4.2001 年~ 2010 年における事業評価に関する文献一覧
76
2016 年 3 月 31 日
A 大学
A 大学
市町村
記載なし
A クリニック
小児科外来
記載なし
大学を拠点とした子育
て支援事業の活動報告
と評価( 2011 )
親の自覚を高める看
山口求他
護学生とのワーク
/拠点事業① ショップによる親支援
( 2011 )
地域主催の子育て支援
事業の分析 地域の子
育て教室からみる行政
保健師の役割( 2012 )
子育て情報に関する母
親のインターネット利
用についての実態調査 市町村子育て支援事業
に参加した乳児の母親
へのアンケート結果よ
り( 2013 )
小児科外来における
タッチカウンセリング
® を用いた子育て支援
の効果( 2014 )
1 歳児の母親のイン
ターネット使用状況が
育児感情におよぼす影
響( 2015 )
大林陽子他
/拠点事業④
森礼子他
/拠点事業①
井田歩美他
/拠点事業③
澤田真美
/拠点事業②
藤岡奈美他
/拠点事業③
実施主体
論文名(発表年度)
筆者
記載なし
メディカルカウンセ
ラーの資格を持つ看
護師、A クリニック
の看護師、(必要時、
臨床心理士、事務)
記載なし
記載なし
記載なし
携帯電話、パソコンなどによる
メールや SNS、インターネット
記載なし
タッチカウンセリング ® とは、ス
キンシップとカウンセリングテク
ニックを取り入れることにより愛
情を伝え、相手のぬくもりを感じ、
絆・信頼関係を深めることを目的
A クリニック
としている。母親から子へのタッ
小児科外来
チング、母親同士のタッチングを
行い、他の母親と交流する時間の
確保、A クリニックのスタッフが
専門性に応じた育児に関するアド
バイスを実施した。
子育てに関する携帯電話、パソコ
ンなどによるメールや SNS、イン
ターネット
「地域に住む親子を地域の中で見
地域の青少年育児市 守り、安心して子育てができる環
民会議や民生児童委 境づくり」を支援の目的にして、
員、日赤奉仕団
A ~ D の 4 地区でそれそれ子育て
支援を展開している。
A 大学看護学
部母性・小児
看護学実習室
看護学科 3 年生が司会・書記と託
児に参加し、2 年生は 3 ~ 4 名で
A 大 学 の 看 護 学 生 親 1 名とグループを形成する。親
( 2・3 年生)
は「子育て体験について」という
テーマで 60 分自由に語ってもら
う。
実施場所
A 大学体育館
方法
大学の体育館を開放し、親子の自
助産師(教員)
・看護 由遊び(子育てひろば)、育児講座
師・保育士・看護学 の開催、子育て自助グループの活
生
動場所の提供や地域自治体の子育
て支援事業への参画を行った。
施行者
事業の内容
表 5.2010 年~ 2015 年における事業評価に関する文献一覧
記載なし
1 クールにつき 4 回、1
日 1 時間程度の体験を
4 クール
記載なし
A 地区では月 2 回開催
2009 年 7 月 11 日
土曜日 10 ~ 12 時
・平成 19 年度:32 回
・平成 20 年度:50 回
・平成 21 年度:21 回
・平成 22 年度:30 回
開催日数・時間
育児情報過多による
弊害やインターネッ
ト依存予防の指導
育児情報過多による
弊害やインターネッ
ト依存予防の指導
保健分野の専門職に
よる実施施行者への
育児支援知識の教育
や地域連携の徹底
育児に関する知識提
供だけでなく、母親
同士の交流促進と継
続のきっかけづくり
に狙いを定める
地域支援拠点事業の
視点から見た課題
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
77
78
健康医療学部紀要 第 1 巻
につながったとしている.これも課題についての言
及はなかった 8 ).
(3)地域子育て支援拠点事業③地域の子育て関連
情報の提供
この事業を主体にした該当文献は 2 件であり,共
にインターネットに関連した母親の育児への影響に
関する文献であった.
井田ら( 2013 )は,母親のインターネット利用に
よる育児情報や意見交換の実施を通して,得られた
情報に対する満足度を報告していた.保健専門職者
による母親のインターネット利用状況の把握が十分
とは言えず,インターネット利用における情報提供
や健康教育のあり方を検討する必要性を課題として
示唆していた 9 ).
藤岡ら( 2015 )は,母親が E メールによる非対
面式コミュニケーションや育児サイトの閲覧等のイ
ンターネット利用により事業情報や育児知識の獲
得,不安軽減していることを明らかにした.課題と
して,インターネットによる正しい情報の提示や対
面的なサポート,インターネット利用中における子
どもの安全に注意する必要性を示唆した 10 ).
(4)地域子育て支援拠点事業④子育て及び子育て
支援に関する講習等の実施について
この事業を主体とした文献も 2 件であった.
木村ら( 2001 )は「子どもの特性理解の勉強会」
で,子どもに好感を抱けない親は周囲のサポートの
欠落が推測された.しかし,本事業の受講により子
どものあるがままの姿を受け止め,他者との交流姿
勢に変化がみられたと述べ,孤立している母親への
継続的支援と父親の育児参加導入の支援の必要性を
示唆した 11 ).
大林ら( 2011 )は大学拠点の育児講座の開催を通
して,気軽に助産師・看護師等の専門家に相談でき
る利点がある一方で,地域住民の個々のニーズに十
分応えきれない実情があることや大学が行う子育て
事業の意味を理解してもらえる工夫の必要性を報告
している 12 ).
2016 年 3 月 31 日
Ⅳ 考 察
1.対象文献に対する検討
1)文献の動向
事業に関する文献は 2004 年頃から 2 桁で推移して
おり,育児不安や育児ストレスなどの育児感情・行
動に関する研究と共に増加の傾向がある.こうした
背景には,1990 年の「 1.57 ショック」を契機に策定
された「エンゼルプラン」
( 1995 ~ 1999 年)以降の
様々な少子化政策の影響が考えられる.また,2000
年に児童虐待数の増加に対して制定された「児童虐
待の防止等に関する法律(以下,児童虐待防止法と
する)」により,医療者の間で少子化対策,児童虐待
防止対策への関心の高まりが,2004 年以降の事業に
関する研究(虐待や離島・農村の育児,育児感情・
行動)を増加させたと推測する.
しかし一方で,事業を評価する文献数はわずかで
あった.保健師による事業に関する研究の文献レ
ビューを行った笠井ら( 2008 )も研究論文としての
報告のなさを指摘している 13).今回のレビューにお
ける研究論文の少なさと笠井らの指摘から,事業の
実践報告のみにとどまらない事業の評価を意識した
研究論文の発表が望まれる.
また保育所による事業を調査した山本(2014)は,
地域連携の重要性が言われているにもかかわらず自
治体間差や専門職間が協働する上での課題が残され
ており,外部機関との連携が明らかにされていない
現状を指摘している 14).支援は各地域で行われてい
るが,現実は実施主体,施行者,支援方法など様々
であり施行者自身が支援の対応に追われ,評価まで
至っていない可能性も考えられる.これらの対応と
して,市町村に連携専門のコーディネーターの配置
と支援団体への巡回相談の強化から,保育園・幼稚
園や小学校など事業を支える地域全体での事例検討
を行う等によって事業評価の実施対策が検討される
必要があろう.大学における事業では看護系,保育
系の教員が常駐するところもあるため,大学が専門
職である教員を中心とした地域貢献や知識提供によ
表 6 地域子育て支援拠点事業による文献の分類
地域子育て支援拠点事業の分類(重複あり)
抽出した文献数
N=10
①
②
③
④
子育て親子の交流の場
の提供と交流の促進
子育て等に関する相談・
援助の実施
地域の子育て関連情
報の提供
子育て及び子育て支援
に関する講習等の実施
10
6
3
2
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
79
る事業の評価を研究論文として報告することが求め
される結果を認めたことを示唆した.澤田( 2014 )
られている.
はタッチセラピーと相談の併用により,母親の自己
2)地域子育て支援拠点事業分類に基づいた事業
肯定感が高まり子どもへの愛情が深まった効果を示
評価
している.加藤ら( 2002 )は,マニュアル育児とい
地域子育て支援拠点事業は,①から④の基本事業
われるような育児書に頼りがちで,わが子の様子が
に分けて地域の市町村だけでなく,NPO など多様な
育児書と少しでも違っていると不安に感じてしまう
主体の参画による地域の支え合いを目指す事業であ
母親の傾向を報告している 17).松野郷らや澤田の事
る.①~④の基本事業に沿って,事業を評価する.
業は,マニュアル育児になりがちな母親の意識を育
(1)
「子育て親子の交流の場の提供と交流の促進」
児相談により不安を軽減できるといえよう.さらに
における支援活動
清水( 2015 )は,生後 1 歳 6 か月の子どもをもつ母
岡中ら( 2003 ),増田( 2006 ),山口ら( 2011 )や
親の育児の自信に,
【子どもから得られる自信】,
【母
森ら(2012)が基本事業①に該当すると考えられる.
親自身の変化の気づきによる自信】,【周囲の人から
岡中ら( 2003 )は,音楽の特性を活かし母子の触
得られる自信】を示している 18 ).この点も加味する
れ合いや母親同士の交流を深める効果を認めた.増
と,子育て相談や援助に関する事業からは,母親の
田( 2006 )は日本文化をベースにおいた支援活動に
自己肯定感の高まりが結果として報告されており,
より,親子と高齢者同士の地縁関係の深まりに寄与
母親自身が今まで気づかなかった子どもの変化やそ
できたと述べている.山口ら( 2011 )は看護学生と
の変化を促し母親の行為を肯定的に周囲の人から示
母親のワークショップを通じて,参加者の親の自覚
されたことで,気持ちに変化が生じたと考える.
と自尊感情の高まりを確認できたとしている.森ら
松野郷ら( 2004 )と澤田( 2014 )の支援では,相
( 2012 )は参加者同士の交流を促進し,地域での孤
談だけでなく他者との肌の触れ合いを含めた交流に
立予防に貢献できたことを示唆している.しかし,
よって母親の孤立感が和らぎ,肯定的な影響を与え
これらの文献では,支援に足が遠のいていたり拒否
た可能性が示される.
的であったりする親子への対応には触れていなかっ
( 3 )「地域の子育て関連情報の提供」における支
た.また,地域住民主体による NPO 法人や民生委
援活動
員主体の支援では,母親が専門的な育児相談を逃す
こ れ ら の 支 援 に は, 井 田 ら( 2013 ) と 藤 岡 ら
危険性等が課題として挙げられる.二重ら( 2014 ) ( 2015 )が該当する.井田ら( 2013 )は,8 割の母
が虐待の早期発見のサインとして,他者との関わり
親がインターネットを利用して育児情報を収集して
に対して拒否的である家庭不和や転居歴の多さなど
おり,その利用も健全であると報告している.藤岡
15)
の保護者の養育態度の重要性を報告している .こ
ら( 2015 )はインターネット依存が負の育児感情と
れらの点から,この課題は児童虐待予防に重要な地
密接な関係があることを示唆した.最近普及してい
域連携として指摘した教育,医療,保健,福祉にお
るインターネットによる育児情報提供について,龍
ける各分野の専門的視点をふまえつつ,各分野を統
野ら( 2012 )は母親がインターネットを使用する理
合した視点や連動したアプローチの重要性を危うく
由として,育児休業中(以下,育休中とする)の母
するものと言える.
親はできるだけ近くに母親仲間が欲しいと思いつつ
さらに 2014 年に定められた地域子育て支援拠点
も叶わない孤立した状況が存在すること,職場復帰
事業には,子育て支援員の研修の修了が望まれてい
後の自身の職場の固有の状況に応じた「両立の手引
16 )
るが,義務化はされていない .問題が起こる可能
き」や「復職後の実体験」を「職場の先輩母親」か
性のある親子こそ地域で見守る必要があり,放置と
ら得たいと考えていること 19)を推測している.つま
無関心が最悪の結果を招きかねない可能性がある. り,母親たちは情緒的サポートや自分や子どもの状
地域住民に子育て支援の充実を推進するには,保健
況に近い生きた育児情報を得ることを目的にしてイ
分野の専門職が専門知識をもたない支援者への知識
ンターネットを利用しているが,実は孤立している
の普及や連絡の重要性を伝えるなど,連携と教育の
状況に変わりない可能性が考えられる.さらに中山
徹底が必要と考える.
ら( 2012 )は,パソコンやインターネットの利用率
( 2 )「子育て等に関する相談,援助の実施」にお
が 7 割と高い一方で市の子育て関連ホームページを
ける支援活動
知らない母親が 7 割に上り,情報公開の方法を検討
松野郷ら( 2004 )と澤田( 2014 )が該当する.松
する必要性があることを指摘した 20).インターネッ
野郷ら( 2004 )は,母親がグループでの話し合いを
トの利用率が高く,母親たちは育児情報をうまく活
重ねることにより自己肯定感が高まり,不安が軽減
用しているように見えるが,実は本当に欲しいと思
80
健康医療学部紀要 第 1 巻
う情報が手に入っていない上に,自分たちに必要な
情報をどのように入手すればよいのか理解できてい
ない恐れがある.そのため,事業者は情報の提供と,
その情報の母親たちへの周知状況や正確な情報の認
識についても関心をもつ必要があると考える.
住吉ら( 2015 )はインターネットを使用する母親
のメディア・リテラシー(情報を吟味して利用でき
る力)の基礎的情報収集能力が低い場合,子育て不
安を増大や誤った知識を獲得する弊害を報告し,保
護者のメディア・リテラシーを向上する事業実施の
必要性を指摘している 21 ).保健専門職は,母親に育
児情報過多による弊害やインターネット依存の可能
性を指導し,母親がインターネットに振り回されて
いないか注意することも必要と考える.
( 4 )「子育て及び子育て支援に関する講習等の実
施」における支援活動
この支援には木村ら( 2001 )と大林ら( 2012 )が
該当する.木村ら(2001)は,セミナーが育児にゆと
りを生み出した効果を述べている.大林ら( 2012 )
は,大学拠点の支援は地域住民の参加満足度の高さ
を大学中心の支援の特徴として明確化している.こ
れらは育児講座などのセミナーを中心とした事業で
あるが,佐藤ら( 2015 )は育児中の母親の不安抑う
つ症状には知識だけでなく夫やパートナー,友人,
育児仲間といった相談相手の重要性を示唆している
22 )
.育児の知識・経験不足は育児の実施にはマイナ
ス要因だが,それらを分かち合え,補いあえる身近
な存在の有無が育児感情に影響を与える可能性を示
唆している.このことから,講習や勉強会は育児知
識の提供のみでなく,母親に他者とのつながりを作
るきっかけの場を提供することも必要であり,その
参加を機に母親同士の交流促進と交流の継続につな
がることを意図した事業の実施が求められていると
言える.
Ⅴ ま と め
今回,事業の実施に関する支援評価を対象に文献
検討を行った結果は以下のようになった.
・事業そのものを扱った文献数は 10 件のみであっ
た.地域子育て支援拠点事業を基に分類すると,そ
のほとんどが複合的な事業展開であり,個々の事業
の相乗効果が期待されていた.
・地域支援拠点事業の視点からみた事業の課題は,
地域連携の徹底,インターネット経由の情報収集の
サポート,育児講習の焦点に母親同士の交流を加え
ることにあると考える.
・大学には,地域に開かれた教育機関として,専門
職である教員を中心とした事業や専門知識を提供す
2016 年 3 月 31 日
る地域貢献が求められる.
本研究の要旨を日本看護研究学会第 29 回近畿・北
陸地方会学術集会で発表した.
引用文献
1) 厚生労働省:平成 27 年版厚生労働白書―人口減少
社会を考える―(本文)
(http://www.mhlw.go.jp/wp/
hakusyo/kousei/15/)2015.12.07.
2) 厚生労働省:平成 26 年度地域子育て支援拠点事業実
施状況(http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/kyoten_
kasho26.pdf)2015.12.05.
3) 岡中栄子,中村慶子:野村町における幼児期の子ども
を持つ母親への支援―育児支援事業「わくわくミュー
ジック」の実践から―.小児保健研究,62(1): 88-95,
2003
4) 増田安代:住民全体の子育て支援活動への検討.日
本看護学会論文集(看護総合),37 : 439-441, 2006
5) 山口求,今村美幸,光盛友美,鍋島和貴:親の自覚を
高める看護学生とのワークショップによる親支援.日
本小児看護学会誌,20(1): 113-119, 2011
6) 森礼子,後閑容子:地域主催の子育て支援事業の分
析 地域の子育て教室からみる行政保健師の役割.保
健師ジャーナル,68(9): 800-807, 2012
7) 松野郷有実子,水井真知子,相田一郎,武井明:育児
不安を抱えた母親に対するグループ・ケアの試み.小
児保健研究,63(4): 453-458, 2004
8) 澤田真美:小児科外来におけるタッチカウンセリン
グ ® を用いた子育て支援の効果.香川県看護学会誌,
5 : 39-42, 2014
9) 井田歩美,合田典子,片岡久美恵:子育て情報に関
する母親のインターネット利用についての実態調査―
市町村子育て支援事業に参加した乳児の母親へのアン
ケート結果より―.母性衛生,53(4): 427-436, 2013
10) 藤岡奈美,糸瀬聡美,大竹李奈,戸敷つぐみ:1 歳児
の母親のインターネット使用状況が育児感情におよぼ
す影響.母性衛生,56(1): 128-136, 2015
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育て支援セミナー受講前後における母親と保育士の子
どもに対する意識の変化.金沢大学医学部保健学科紀
要,24(2): 141-150, 2001
12) 大林陽子,岡田由香,緒方京,神谷摂子他:大学を
拠点とした子育て支援事業の活動報告と評価.愛知県
立大学看護学部紀要,17 : 33-39, 2011
13) 笠井真紀,河原加代子:育児支援に関する研究の文
献レビュー―保健師による育児支援における現状と課
題―.日本地域看護学会誌,10(2): 14-19, 2008
14) 山本佳代子:保育所を中心とした地域連携の現状と
2016 年 3 月 31 日
健康医療学部紀要 第 1 巻
実践的課題―保育ソーシャルワークの観点から―.山
口県立大学学術情報,7 : 105-120, 2014
15) 二重佐知子,久井志保:子どもの虐待発見に関する文
81
児への自信.小児保健研究,74(3): 453-459, 2015
19) 龍野千歳,田口(袴田)理恵,河原智江他:第一子
の育児休業中の母親が人とのつながりの中で求める感
献研究.インターナショナル Nursing Care Research,
情面と情報面のサポート.横浜看護学雑誌,5(1): 63-70,
13(2): 117-126, 2014
2012
16) 厚生労働省:地域子育て支援拠点事業の実施につい
20) 中山和美,山崎由美子,石原昌他:母親たちが望む
て(実 施 要 綱)(平 成 27 年 5 月 21 日)(http://www.
育児支援情報提供のあり方.母性衛生,48(4): 471-478,
mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukint
2008
oujidoukateikyoku/0000103063.pdf)2015.12.10.
17) 加藤匡宏,岡田克俊,藤本弘一郎,山本久夫他:育
21) 住吉智子,脇川恭子,五十嵐真理他:未就学児の保
護者のメディア・リテラシーにおける基礎的情報能力
児状況の世代間比較と育児疲労についての検討―母子
に関する研究.小児保健研究,74(4): 498-505, 2015
保健計画の策定への提言―第 2 報.愛媛医学,21(1): 11-
22)
佐藤ゆき,加藤忠明,顧艶紅:4 歳児の母親の不安抑
19, 2002
18) 清水嘉子:生後 1 歳 6 か月の子どもをもつ母親の育
うつ症状と周囲の育児サポート状況との関連.小児保
健研究,74(4): 506-512, 2015