ス`イ スにおけるプライベー ト ・バンキングの発展

田中
ス イ ス にお け る プ ラ イベ0ト
・バ ンキ ング の発 展
1
ス イ ス に お け る プ ラ イ ベ ー ト ・バ ンキ ン グ の 発 展
田
中
文
憲*
TheDevelopmentofPrivateBankinginSwitzerland
FuminoriTANAKA
要
旨
最 近 の 超 低 金 利 に よる 日本 国 内 の 資 産 運 用 難 もあ っ て 、 日本 人 富 裕 層 の プ ラ イ ベ ー ト ・バ ン キ ン グ
(個 人 銀 行 業 務)に 対 す る関 心 が 高 ま っ て い る 。 本 稿 で は 、 プ ラ イ ベ ー ト ・バ ン キ ン グの 発 祥 の 地 で あ
り、現 在 も発 展 を続 け るス イス に 的 を絞 り、 な ぜ ス イス で プ ラ イ ベ ー ト ・バ ン キ ング が発 展 した の か の
分 析 ・検 討 を試 み た 。 そ の 結 果 、 傭 兵 制 度 や 亡 命 した ユ グ ノ0の
もた らす 金 を守 り運 用 す る個 人 銀 行 の
果 た す役 割 が 大 きい こ とが 明 ら か に な っ た 。 また 、 銀 行 秘 密 や武 装 中 立 政 策 に支 え られ た 民 主 的 か つ 安
定 した政 治 に よ っ て プ ラ イベ ー ト ・バ ンキ ング が 育 まれ て きた こ と も わか っ た。
こ う した ス イ ス の 成 功 体 験 か ら 日本 の プ ライ ベ ー ト ・バ ンキ ン グ業 界 が 学 ぶ べ きで あ り、 か つ 実 現 可
能 と思 わ れ る点 を選 び 、 ま だ揺 藍 期 に あ る 日本 の 業 界発 展 の た め の 提 言 を試 み た。
は じめ に
近 年 、 我 が 国 にお い て もプ ラ イベ ー ト ・バ ンキ ン グが 注 目 を集 め 、大 手 都 市 銀 行 な ど一 部 の 金
融機 関 で は 真剣 な取 組 み が 始 ま っ て い る 。 プ ライ ベ ー ト ・バ ンキ ング とは 文 字 どお り個 人 銀 行 業
務 の こ とで あ る が 、そ の 中 身 は富 裕 な個 人 の た め の 「
総 合 的 な財 務 の 管 理 運 用 サ ー ビス 」で あ る1)。
我 が 国 で プ ラ イベ ー ト ・バ ン キ ングが 脚 光 を浴 び るの は、1400兆 円 に上 る個 人 の 金 融 資 産 が 超 低
金利 もあ って 、 行 き場 を失 っ て い る か らで あ る 。 また プ ラ イベ ー ト ・バ ンキ ン グの 当 面 の 対 象 で
あ る 富裕 層 も、 十分 存 在 して い るか らで もあ る2)。
本 稿 で は 、 この 分 野 の大 先 輩 で 、250年 の歴 史 と伝 統 を誇 るス イ ス の プ ラ イベ ー ト ・バ ン キ ン
グの発 展 過 程 を分 析 、 検 討 す る こ とに よ り、 まだ 揺 藍 期 に あ る我 が 国 の プ ライ ベ ー ト ・バ ン キ ン
グが 今 後発 展 す るた め に何 が 必 要 か を提 言 してみ た い。
1ス
イ ス の個 人銀 行
δ
1.沿
革
ス イ ス に お け る 金 融 業 の 始 ま り は 中 世 に さ か の ぼ る 。 ス イ ス は 現 在 の イ タ リ ア と ドイ ツ や フ ラ 、
平 成14年9月27日
受 理*教
養部
2
奈
良
大
学
紀
要
第31号
ンス の 中 間 に位 置 す る重 要 な貿 易 の 中継 地 点 で あ っ た 。 なか で も ジ ュ ネ ー ブ 、バ ー ゼ ル 、 チ ュー
リ ッ ヒが そ の 中 心 と な った 。 こ う した都 市 の商 人 た ち は 次 第 に外 国 通 貨 建 て の手 形 の割 引 きや外
貨 と外 貨 の 両 替 に も活 動 分 野 を拡 大 し、 彼 らの 中 か らや が て 金 融 を専 門 とす る業 者 が現 れ た の で
あ る。
こ う した 金 融 業 者 が や が て個 人 銀行(Privatbank)に
な っ て行 くが 、 銀 行 とい っ て も今 日の株
式 会 社 組 織 の 大 きな 銀 行 で は な く、 個 人 商 店 の性 格 を そ の ま ま残 す もの で あ っ た。 そ の特 徴 は、
組 織 上 、所 有 と経 営 が 分 離 して お らず 、 銀 行 の経 営 者 す な わ ち 所 有 者 は債 権 者 お よび顧 客 に対 し
て 無 限 責 任 を負 う形 態 を取 る こ とが 多 か っ た 。 した が っ て 、 個 人 銀 行 は 個 人 銀 行 家(Pribat.
bankier)と
同 じもの と考 え るべ きで あ る 。 ス イス の銀 行 が個 人 銀 行 か ら始 ま っ た 理 由 は 、 まず 、
金 融 とい っ て も貸 し出 しは ほ とん ど無 く、 両 替 や 外 国為 替 、 送 金 、 手 形 の 割 引 な どが 中心 で あ っ
た た め 、大 きな資 金 を必 要 と しなか った こ と、 第 二 に 、 当 時 の風 潮 と して 、 事 業 を始 め る に あ た
っ て 自分 で資 金 を 蓄 え る こ とは 、 銀 行 に限 らず 当 然 で、 他 人 の金 で事 業 を始 め て、 自分 の資 産以
上 の額 を使 う こ とは無 責 任 で あ り、詐 欺 と さえ考 え られ た か らで あ る4)。
ス イ ス の個 人 銀 行 を発 展 させ た 要 因 はい くつ か あ るが 、 まず 第 一 に指摘 で き るの は 、傭 兵 に よ
っ て多 額 の金 が ス イ ス に もた ら され た こ とで あ る。 も と も と貧 しい土 地 で あ り人 口過 剰 に苦 しん
で い たが 、15世 紀 以 降 、牧 畜 業 が発 展 して 耕 地 が 減 る と、 穀 物 不 足 は ます ます 深 刻 に な っ た。 こ
の た め穀 物 輸 入 が 必 要 とな っ た が 、 そ の 対 価 と して 他 国 政 府 に ス イ ス 内 で の傭 兵 の 徴 募 を許 可 し
た こ とが最 初 で 、 結 局 、 フ ラ ンス 革 命 後 、 各 国 に 国民 軍 が 設 置 さ れ る まで 、 約200万 人 の ス イ ス
人 が 傭 兵 と して ヨー ロ ッパ 各 地 で 闘 っ た 。 しか も、 時 に はス イ ス人 傭 兵 同士 が 闘 っ て、 双 方 と も
に全 滅 に近 い 状 態 に な る な どの 悲 劇 が 起 きた5)。
しか し、 こ う した 「血 の輸 出」6)に よ って 傭 兵 を送 り出 した各 州 政府 や有 力 者 は い う にお よ ば
ず 、 帰 還 した 傭 兵 た ち に も多 額 の報 酬 を もた ら した 。 こ う した金 は銀 行 に集 っ た が 、 当 時 の ス イ
ス に は さ して 大 き な産 業 は な く、 あ っ た と して も、 前 述 の ご と く、 事 業 資 金 は事 業 家 自身 か 一 族
の 出 資 金 で まか な う こ とが 多 か っ た た め 、 ス イ ス 国 内 に資 金 需 要 は ほ とん ど な か っ た の で あ る 。
この 結 果 、 ス イス の 銀 行 家 た ち は 、資 金 の 運用 先 を海外 に向 け る よ うに な っ た 。 そ の代 表 的 な例
が 、 ヨー ロ ッパ 各 地 の 王 や 領 主 が 起 こ す戦 争 の た め の 資 金 供 給 で あ る。 後 に ジ ュ ネ ー ブ 最 大 の 個
人 銀 行 に な る ピ クテ(Pictet&Cie)の
(JacquesNecker)は
創 始 者 の 一 人 に な る ネ ッ カ ー 家 の ジ ャ ック ・ネ ッカ ー
ル イ16世 の 大 蔵 大 臣 に まで 登 りつ め 、 フ ラ ンス 政 府 に貸 付 け を行 う まで に
な った7)。 そ の ほ か に も多 数 の 銀行 家 が ジ ュ ネ ー ブ に本 拠 を 置 きな が ら、 資 金 需 要 の多 い フ ラ ン
ス で 活躍 した8)。
個 人銀 行 を発 展 させ た 第 二 の 要 因 は、 フ ラ ンス に お け る カ トリ ッ ク と新 教 の 対 立 で あ る 。16世
紀 は 、 ヨー ロ ッパ 全 土 が 宗教 戦 争 に揺 れ た時 期 で あ る が 、1572年 に フ ラ ンス で 聖 バ ー ソ ロ ミュー
の 大 虐 殺 が 起 き、5∼6千
人 の新 教 徒(ユ
グ ノ ー)が 殺 害 され る と、2300家 族 を超 え るユ グ ノ ー
が 、 ジ ュ ネ ー ブ に避 難 した。 こ う した悲 惨 な戦 争 を終 わ らせ るた め に ア ン リ4世
れ た 「ナ ン トの 勅 令 」(1598)の
に よ って 発 せ ら
お か げ で小 康 状 態 を保 って い た フ ラ ンス も、 や が て ル イ14世 が
「ナ ン トの勅 令 」 を廃 止 し(1685年)、
ブへ 亡 命 せ ざ る を え な くな っ た9>。
再 びユ グ ノ ー を弾 圧 し始 め る や 、 多 数 の 新 教 徒 が ジ ュ ネ ー
田 中:ス イ ス に お け る プ ラ イ ベ ー ト ・バ ンキ ン グの 発 展
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亡 命 したユ グ ノ ー の大 半 は銀 行 家 な どの 富 裕 な実 業 家 や 時計 組 立 て な ど に高 度 の技 術 を持 っ た
中産 階級 で あ っ た。 こ う して フ ラ ンス の 銀 行 業 の ほ と ん どが ス イ ス に移 っ て し ま っ た の で あ る。
こ の 結 果 、 特 に ジ ュ ネ ー ブ に お い て 今 日 ま で 続 く有 力 な 個 人 銀 行 が 次 々 に 誕 生 し た の で あ る 。 こ
れ は ス イ ス 人 に よ っ て 比 較 的 地 味 に行 わ れ て い た 銀 行 業 が 、 ユ グ ノ ー の 持 ち 込 ん だ 金 と ノ ウ ハ ウ
で 一 気 に 活 性 化 し た た め で あ る 。1709年
に は市 の公 証 人役 場 で 銀 行 家 と登 記 す る人 が現 わ れ た が
10)
、 本 格 的 な 銀 行 は18世 紀 後 半 か ら 出 現 す る 。 た と え ば 、Ferrier,Lullin&Cie(1795)、Hentsch
&Cie(1796)、Lombard,Odier&Cie(1798)、Pictet&Cie(1805)、Darier&Cie(1837)、
Mirabaud&Cie(1819)、Bordier&Cie(1844)な
どで あ る。
ジ ュ ネ ー ブ 以 外 で は 、 バ ー ゼ ル のLaRoche&Co.(1787)、Ehinger&Co.(1810)、A.
Sarasin&Co.(1841)、DreyfusS6hne&Co.(1823)な
どが 同時 期 に設 立 さ れ て い る 。 また チ
ュ ー リ ッ ヒ で は 、Rahn&Bodmer(1750)、OrelliimThalhof(1759)が
ArmandvonEmst&Co.(1812)、
、 さ らに、 ベ ル ンで は 、
ザ ン ク ト ・ガ レ ン(St.Gallen)で
は 、Wegelin&Co.(1741)
が 設 立 さ れ て い る 。 そ の 後 有 力 な 個 人 銀 行 は し ば ら く現 れ ず 、 チ ュ ー リ ヒ にJuliusBar(1890)
とJ.Vontobel(1924)が
設 立 さ れ 、 ス イ ス の 個 人 銀 行 業 界 は 完 成 を 見 た の で あ る11)。
フ ラ ン ス 革 命 で ギ ロ チ ン を 逃 れ た フ ラ ン ス の 貴 族 が 金 と と も に 亡 命 し て く る な ど 、 ヨ ー ロ ッパ
に混 乱 が 起 き る た び に 、 ス イ ス へ の 金 の 流 入 は 続 い た 。 しか し、 ス イ ス の 個 人 銀 行 を 飛 躍 的 に 発
展 さ せ た の は 、 第 一 次 お よ び 第 二 次 世 界 大 戦 で あ る 。 第 一 次 世 界 大 戦 に よ っ て 、 オ ー ス トリ ア=
ハ ン ガ リ ー 帝 国 が 滅 亡 す る と貴 族 や 地 主 た ち は 新 政 府 に よ る 財 産 没 収 を 怖 れ 、 資 産 を わ れ 先 に と
ス イ ス に 移 そ う と し た し、 そ の 他 の 国 で も 政 府 の 財 産 統 制 、 預 金 封 鎖 、 没 収 的 課 税 、 人 為 的 イ ン
フ レ ー シ ョ ン 、 平 価 切 下 げ な ど か ら 自 ら の 財 産 を 守 ろ う と し て ス イ ス を 逃 避 地 に 選 ん だ12)。 ま た
第 二 次 世 界 大 戦 が 始 ま る と ナ チ ス ・ ドイ ツ の 略 奪 か ら財 産 を 守 ろ う とす る 動 き が 活 発 に な っ た
が 、 特 に ユ ダ ヤ 人 た ち が 多 額 の 財 産 を ス イ ス に 持 ち 込 ん で い る13)。第 二 次 世 界 大 戦 後 も 、 共 産 主
義 の 浸 透 を 怖 れ た り、 イ ン フ レ ー シ ョ ン や 政 府 に よ る 突 然 の 課 税 を 逃 れ る た め に 、 多 額 の 金 が ス
イス に持 ち込 まれ たの で あ る。
2.経
営上 の特 徴
ス イ ス の個 人銀 行 の 業 務 は多 岐 に わ た る が 、 そ の 中心 に な る の が 、資 産 管 理(Verm6gensverwaltung)で
あ る 。前 述 の よ う に 、 ス イ ス に金 を持 ち 込 む人 々 は何 らか の不 安 か ら逃 れ よ う と し
て お り、 彼 らが ス イ ス の銀 行 に望 む こ と は、 まず 金 が安 全 に保 管 され る こ とで あ っ で 、利 回 りは
二 のつ ぎで あ る 。 した が って 管 理 を委 託 さ れ る銀 行 家(銀 行 員 で は ない)に
は そ れ な りの信 用 が
必 要 に な る 。 ス イ ス の個 人 銀 行 家 は長 年 に わ た っ て 商取 引 や 金 融 で 富 を蓄 え た資 産 家 の末 喬 が 多
く、 チ ュ ー リ ッ ヒ な どで は名 門 の 「都 市 貴 族 」(Patrizier)の
出 身者 が ほ と ん どで あ っ た 。 これ
らの銀 行 家 は信 用 を何 よ りも重 視 す る た め 、 ス キ ャ ン ダ ル を嫌 う傾 向 が 強 い 。pictetな ど大 手 の
個 人銀 行 は どれ ほ ど多 額 の金 で も、出 所 の い か が わ しい もの は 一切 受 け つ け な い と され て い る14)。
J.Vontobelで
は50,000ド ル以 上 の金 は 出 所 が 明 らか に され な い 限 り受 け入 れ な い との 内 規 を持 っ
て い る15)。
銀 行 家 は顧 客 の ア ドバ イ ザ ー も し くは執 事 役 に徹 し、 重 要顧 客 とは何代 に もわ た る取 引 を続 け る
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こ とが 一般 的 で あ る。 したが って顧 客 サ ー ビス は徹 底 してお り、 顧 客 の 匿 名 性 を確 保 す る た め に、
通信 に は何 も印刷 され て い な い封 筒 を使 い 、 しか もフ ラ ンスや ドイ ツに入 っ て現 地 で郵 便 物 を投 函
す る こ とな どは以 前 か ら普 通 に行 われ て い る。 ま た重 要顧 客 とは年 一 回 の管 理 ・運用 状 況 の報 告 の
た め に、 ダボ ス や クス ター トの よ う な保 養地 で こ っそ り会 い、 報 告 書 を直 接 手 渡 し、説 明す る こ と
も厭 わ ない 。 な か に は、顧 客 の希 望 で 、報 告 書 を羽根 ペ ンで書 くとい う とこ ろ もあ る16)。
さ ら に、 資 産 の 保 全 に万 全 を期 す た め 、顧 客 との利 害 が 相 反 す る よ う な可 能 性 を極 力 排 除 して
い る 。 た とえ ば 、 自己 勘 定 に よ る証 券 取 引 や為 替 取 引 は真 の リス ク ・ヘ ッジ以 外 に は行 わ な い よ
うに して い る 。 また 資 産 の 運 用 担 当 者 の給 料 も固定 給 部 分 が 大 き く、 ア メ リカ の銀 行 の プ ラ イ ベ
ー ト ・バ ンキ ン グ部 門 な ど と は大 き な違 いが あ る 。 こ れ は 業 績 主 義 にす る と、 ボ ー ナ ス狙 い で無
理 な売 り買 い に走 りや す く、 時 に顧 客 の資 産 に大 きな損 害 を与 えて しま うか らで あ る17)。
主 た る収 益 源 で あ る 管 理 ・運 用 資 産 に対 す る手 数 料 は 、銀 行 に よ つて さ ま ざ ま で あ る し、預 り
資 産 の額 や 一般 勘 定 か 一任 勘 定 か に よ っ て も異 な る。 しか し、 一 般 的 に は保 護預 り(カ ス トデ ィ
ア ン)手 数 料:保 管 資 産額 の0.175%、
運 用(マ
ネ ジ メ ン ト)手 数 料:運 用 資 産 額 の0.3%、 証 券
売 買 手 数 料:取 扱 額 の0.8%、 あ た りが 相 場 の よ うで あ る18)。
顧 客 の獲 得 方 法 に つ い て は慎 重 で 、 基 本 的 に は既 存 の顧 客 の 紹 介 に よ って 行 われ るが 、銀 行 家
(パ ー トナ ー)自 身 が 動 く場 合 もあ る。 そ の ほ か に は、 しか るべ き弁 護 士 事 務 所 や 会 計 士 事 務 所
の紹 介 に よる場 合 もあ る 。顧 客 選択 の 基 準 は まず 資 金 が 「綺 麗 」 で あ る か 、 つ ぎ に 「大 口」 で あ
る か が ポ イ ン トとな る 。 どの 銀 行 で も最 低 取 引 額 を決 め て い るが 、1970年 代 で は100 ,000フ ラ ン
∼200 ,000フ ラ ンが 大 勢 で あ っ た が 、 近 年 で は50万 フ ラ ンが 下 限 で 、 本 格 的 な国 際 分 散 投 資 を望
む場 合 は300万 フ ラ ンが 必 要 だ と され て い る 。 た だ し、 何 事 に も例 外 は あ り、 最 初 の顧 客 面 談 で
パ ー トナ ーが 「将 来 性 」 を察 知 して応 諾 す れ ば 、 小 額 で も口座 は 開設 され る 。 これ は慎 重 な顧 客
は最 初 か ら大 金 を持 ち込 まず 、銀 行 家 の 人 物 を含 め 全 て を じっ く り観 察 し、納 得 した 上 で 本 格 的
に取 引 を始 め る こ とが 、 時 々 あ るか らだ19)。
さ ら に重 要 な こ とは、 人 材 の育 成 で あ る 。 プ ラ イベ ー ト ・バ ン キ ング の本 質 は 、顧 客 へ の 財 務
ア ドバ イス で あ るが 、 実 際 に は そ れ以 上 の もの が 要 求 され る。 税 務 に た け て い る こ とは 当 然 と し
て 、 金 持 ちの 趣 味 に合 わせ て不 動 産 、絵 画 、 楽 器 、競 走 馬 、 ヨ ッ トか ら車 ま で 、 幅広 い 知 識 を身
につ け る必 要 が あ る。 したが っ て、 銀 行 家 は子 弟 を若 くか ら将 来 のBankierに 育 て るべ く鍛 え る。
た と え ば、 海 外 の ビ ジ ネス ス ク ー ル に留 学 させ た り、 同 業 者 に一 定 期 間預 け て個 人銀 行 業務 の 初
歩 か らた た き込 んだ りす る。 一 方 、 運 用 担 当者 な どの専 門 家 た ち も、 原 則 終 身雇 用 制 で 、 人 事 ロ
ー テ ー シ ョン も ほ と ん ど ない
。 こ れ は顧 客 との長 期 的 か つ 緊 密 な関 係 を何 よ り大 切 に す る か らで
あ る20)。
ロ
個 人 銀行 は顧 客 が 人 目 に さ ら さ れ る リス ク に十 分 配慮 し、対 応 す る。 個 人 銀 行 は株 式 会 社 組織
で は な い た め 、財 務 諸 表 を公 表 す る義 務 が な い か わ りに 、預 金 の勧 誘 を公 然 と行 うこ とが で きな
い ・ した が って 日本 の 銀 行 な ど と異 な り、 看 板 も一 切 出 して い な い 。 入 口 に真 鍮 の小 さ な プ レー
トが あ る だ け で あ る 。 入 口 を入 っ て もカ ウ ン タ ー な どは な い 。顧 客 は 階 上 の 個 室 に通 さ れ、 盗 聴
防止 処 置 が され た部 屋 で ゆ っ く り相 談 が 受 け られ る。 また ほ か の顧 客 と顔 を合 わす こ とが な い よ
う、 出 口 を別 に設 け て い る銀 行 が 多 い。
田 中:ス イ ス に お け る プ ライ ベ0ト
皿
1.銀
・バ ン キ ン グの 発 展
5
プ ラ イベ ー ト ・バ ン キ ン グの 発 展 を支 え た もの
行 の 守秘 義務
銀 行 の守 秘 義 務 は 、 ほ とん どい か な る国 に も何 らか の形 で存 在 す る。 しか し、 ス イ ス の銀 行 秘
密 が た び た び取 り ざた され 、 さ ら に プ ラ イベ ー ト ・バ ンキ ン グの発 展 に寄 与 した とま で言 わ れ る
の は そ れ な りの理 由が 存 在 す る か らで あ る 。
ス イ ス に お け る銀 行 の 守 秘 義 務 の 最 大 の 特 徴 は 、 そ れ を刑 法 上 の 罰 則 まで 定 め て厳 重 に保 護 し
て い る か らで あ る 。先 進 国 で この よ う な制 度 を持 つ 国 は ほ か に ない 。 銀 行 の守 秘 義 務 違 反 に対 す
る罰 則 は二 箇 所 に 明記 され て い る22)。まず 第 一 は、 銀 行 法 第47条 で次 の よ うに 定 め て い る 。
第1項
銀行 な らび にそ の従 業 員 、 受 託 者 、 清 算 人 あ る い は検 査 官 と して 、 また 、銀 行 委 員
会 の構 成 員 あ る い は公 認 会 計 事 務 所 な らび にそ の 従 業 員 と して、 職 務 上 知 り得 た顧
客 秘 密 を漏 洩 した 者 な ら び に漏 洩 を教 唆 した 者 は、 最 高6ケ
月 の 禁 固 ま た は最 高5
万 ス イ ス ・フラ ンの罰 金 に処 す 。
第2項
過 失 の 場 合 は、 最 高3万
ス イ ス ・フ ラ ンの 罰 金 に処 す 。
第3項
職 務 上 知 り得 た顧 客 秘 密 の 漏 洩 は就 業 時 間外 に お い て も これ を対 象 とす る。
第4項
当 局 に対 す る証 言 義 務 と通 知 義 務 を決 議 した連 邦 規 程 な らび に州規 程 は留 保 す る。
さ らに 、刑 法 の 第273条 は次 の よ う に規 定 して い る 。
外 国 政 府 ほ か 、外 国 の 企 業 か 、外 国 の 団体 か 、 あ る い は そ れ らの代 理 者 に知 らせ る た め に、
営 業 上 の秘 密 を探 査 す る者 、 お よ び か か る営 業 上 の 秘 密 を、 外 国 の政 府 か 、 団体 か 、私 企 業
か 、 あ る い は そ れ らの代 理 者 に知 らせ る者 は 、 禁 固 刑 も し くは重 罪 の場 合 は懲 役 刑 を も って
処罰 する。
も と も と、 ス イ ス 人 は私 有 財 産 の 絶 対 性 を信 じて い る国 民 で 、 た とえ政 府 とい え ど も口 をは さ
む こ とは で き ない と考 え て い る ほ どで あ るか ら23)、通 常 で も他 の 国 よ りは厳 重 に銀 行 秘 密 は 守 ら
れ て きた の で あ る。 しか し、1933年 に ドイ ツ で ナ チ ス が 政 権 を握 るや 、 海 外 に資 金 を移 す こ と を
非合 法 化 し、 特 にス イス に対 してゲ シ ュ タポ が ス パ イ を送 り込 み 、 ドイ ツ人 の不 正 預 金 者 を拘 束
し よ う と した の で あ る。 もっ と も彼 らの主 た る 目的 は私 企 業 、 官 庁 、 軍 事 施 設 に接 近 し、 最 終 的
にス イ ス を第 三 帝 国 に併 合 す る こ とで あ っ た 。 こ う した ナ チ ス の動 きを封 じる た め に1935年
パ イ 法 」(Spitzelgesetz)を
「ス
制 定 した が24)、この 規 定 が1942年 に発 効 す る刑 法 の 第273条 に な った
の で あ る。
1934年 、不 正 にス イ ス に預 金 した と して3人
の ドイ ツ 人 が ナ チ ス に 処刑 され た こ とか ら、 ス イ
ス 世 論 は沸 騰 し、 同年 、 当該 銀 行 法 が 制 定 さ れ た の で あ る25)。ス イス 以 外 で ス イ ス の よ う に厳 格
な銀行 の 守 秘 義務 規 定 を持 つ 国 は レバ ノ ンだ けで あ る26)。
ス イ ス の 銀 行 秘 密 を さ らに 強 固 に し た もの に 、 「番 号 口座 」(Numberedaccount)も
し くは
「匿 名 口 座 」 と呼 ば れ る 口座 の存 在 が あ る。 こ れ は 、 資 産 隠 匿 に使 わ れ て い る と して 、 ス イ ス 以
外 の 政 府 や 税 務 当 局 が しば しば槍 玉 に あ げ る が 、 実 際 に は銀 行 秘 密 を法 的 に保 護 す る もの で は な
い 。 番 号 口座 の 最 大 の特 徴 は 、 口座 保 有 者 の 名 前 を銀 行 の ご く一 部 の信 頼 で きる 幹 部 の み が 知 り
う る こ とで あ る。 そ の元 々 の 目的 は 、 一般 行 員 が 顧 客 情 報 を私 欲 の た め に利 用 した り、 外 国 の ス
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パ イ に秘 密 を漏 洩 す る こ と を 防 ぐ こ と に あ っ た27)。結 果 的 に、 「
番 号 口座 」 は銀 行 秘 密 を強 化 し
たが 、 ス イス の 銀 行 は意 図 的 に そ う し よ う と考 え て い た わ け で は な い 。 よ く誤 解 され るが 、 ス イ
ス の銀 行 は だ れ に で も 「番 号 口座 」 を開 設 してい る わ け で は な い 。 口 座 開 設 に は必 ず 身 分 証 明 証
の提 示 を求 め られ る。 こ の本 人確 認 は そ の 後1977年 、 ス イ ス 国立 銀 行 と銀 行 団 の 間で 締 結 され た
「注 意 義 務 協 定 」(conventiondediligence)に
よ っ て よ り明 確 に され た28)。ち な み に、 匿 名 口座
につ い て は、 ス イス よ りむ しろ オ ー ス トリ アの 方 が は る か に容 認 され て い る。 オ ー ス トリ アで は
口座 開 設 に あ た っ て 身分 証 明証 の提 示 は 求 め られ な い。 要 す る に 架 空 名 義 の 口 座 開 設 が 可 能 で あ
る。 しか し、 海 外 の資 産 家 は オ ー ス トリ ア よ り、 ス イス を選 択 す る の が 一 般 的 で あ る。 これ は 口
座 の 匿 名 性 よ り も重 要 な要 素 が 存 在 す る こ とを示 唆 して い る 。
2.武
装 中立 政 策
ス イス に金 を持 ち込 も う とす る 人 々 に安 心 感 を与 え て い る重 要 な 要 因 と して 、 ス イス の 国 家 防
衛 能 力 の 高 さ を指 摘 して お く必 要 が あ る。 そ してそ の 防 衛 力 を支 え て い る 中 心 に、 武 装 中立 の考
え方 が あ る。
ス イス の 武 装 中立 政 策 が 大 きな 関心 を呼 ん だ の は、 あ の小 国 が 、 第 一次 世 界 大 戦 お よ び第 二 次
世 界 大 戦 で 、中 立 を守 り通 し、 しか も他 国 、特 に ナチ ス ・ ドイ ツ の侵 攻 を許 さな か った 点 で あ る。
これ は、 同 じ く中立 政 策 を掲 げ て い た 、 オ ラ ン ダ、 ベ ル ギ ー、 ル ク セ ンブ ル クが 、 瞬 く間 に ドイ
ツの侵 攻 を受 け 、 国 土 を躁踊 され た こ と との 違 いで あ る。
ス イス の原 型 は 、1291年 中央 ス イ ス の3地
ハ プス ブ ル ク家 に対 抗 して8月1日
域 、 ウ ー リ、 シ ュ ヴ ィ ー ツ 、 ニ ー トヴ ァル デ ンが 、
、 「永 久 同 盟 」 を結 び、 「自由 と 自治 」 を維 持 す る ため無 償 の
相 互 援 助 を 誓 約 し合 っ た こ と に始 ま る30)。こ の 同 盟 は軍 事 同 盟 で あ り、 ス イ ス 建 国 の 目的 が 、
「集 団 的 自衛 」 で あ っ た こ とが わ か る。 そ の後 、 原 初3邦
て 「盟 約 者 団 」(Eidgenossenschaft)を
は次 々 に他 の 地 域 と同盟 を結 び 、 や が
結 成 す る。 ス イス は現 在 の 「平 和 の 国」 の イ メ ー ジ と は
逆 に、 数 々 の戦 争 を経 験 しな が ら次 第 に力 を増 し、1499年 に、 「シ ュ ヴ ァー ベ ン戦 争 」 に勝 利 し
て 、神 聖 ロー マ 帝 国 か らの 離 脱 に成 功 、 こ こ に事 実 上 の 独 立 を獲 得 した 。 そ の後 北 イ タ リ アへ 触
手 を伸 した ス イス は、1515年 マ リニ ャー ノ で敗 退 し、 以 後 膨 張 政 策 を あ き らめ 、 中 立 政 策 に転 換
す る。17世 紀 初 め に起 きた30年 戦 争 時 に もス イ ス は も ち ろ ん 中立 を標 榜 した が 、領 土 は しば しば
外 国 の 軍 隊 に よ って 侵 犯 さ れ た。1646年 ス ウ ェー
一デ ン軍 が 進 撃 して きた の を機 に す で に13邦 の 盟
約 者 団 に な って い た ス イ ス は 、 ヴ ィー ル で 国 防 会 議 を開 き 「ヴ ィ ー ル 防衛 軍 事 協 定 」 が締 結 され 、
これ が ス イ ス 武装 中 立 の 出発 点 と な った 。
しか しス イ ス の 中 立 が 保 証 され た の は 、 そ の 「理 想 」 を近 隣i諸国 が褒 め 称 え た か らで は な い。
フ ラ ンス を は じめ 諸 国 に傭 兵 を提 供 す る こ とで よ うや く国 土 の 安 全 を確 保 で きた の で あ る 。 しか
し、1798年 に は ナ ポ レ オ ン の指 揮 す る フラ ンス 軍 の侵 略 を受 け、 そ の後 、 フ ラ ンス の 影 響 下 に入
った 。1805年 、 第 三 次 対 仏 大 同盟 が 結 成 され た 時 、 ス イ ス は武 装 中立 を宣 言 した が 、 ナ ポ レオ ン
は これ を認 め て い る。 しか し、 こ の時 もナ ポ レオ ンが ス イ ス の 中立 理 念 に賛 成 した か らで は 決 し
て な か っ た 。 ナ ポ レオ ンの 真 意 は、 ス イ ス に武 装 中 立 させ る こ とで 、 オ.__.ストリア か らの 攻 撃 の
防壁 とな って くれ る点 に価 値 を見 出 した か らに す ぎな い の で あ る。1815年 、 ナ ポ レオ ン敗 退 後 の
田中
7
ス イ ス に お け る プ ラ イベ ー ト ・バ ン キ ング の発 展
ウ ィー ン会 議 で 、 ス イ ス の 「永 世 中立 」 が 認 め られ た が 、 これ はス イス の 中立 が全 ヨー ロ ッパ の
安 全 保 障 に な る とい うス イス 外 交 が 功 を奏 した結 果 で あ るが 、 諸 国 に とっ て 、 ス イ ス が 防 壁 と し
て役 立 つ た め に は 、 「武 装 中立 」 が 絶 対 条 件 だ っ た の で あ る31)。
しか し、 ス イ ス の 中立 は 現 行 ス イス 憲 法 で は 、 直 接 の規 程 条 文 が な く、173条 の1項
条 の1項
のaと185
で 間 接 的 に言 及 され て い るの み で あ る 。 つ ま り、 ス イ ス の 中立 とい うの は、 実 は 、 「関
係 」 で しか な く、 内在 的 、 内発 的 な意 味 が 稀 薄 な性 格 を持 っ て い る32)。しか し、歴 史 的 に蓄 積 さ
れ た 中 立 政 策 の 内 容 は豊 か で あ る。 そ の最 重 要 の もの が 国 民 皆 兵 制 で あ る 。 これ につ い て は、 ス
イ ス 憲 法 第18条 に規 定 が あ る 。男 子 は19歳 に な る と 自分 で登 録 を し、20歳 に な る と まず 、4ヶ 月
間 基礎 的 訓 練 を受 け る。 そ れ 以 降32歳 まで 毎 年3週
間 の 訓 練 が あ る。33歳 か ら42歳 ま で は 「国土
防 衛・
部 隊 」 に編 入 され 、2週 間 の訓 練 を3回 受 け る。 さ ら に43歳 か ら50歳 まで に 「国 土 監 視 部 隊 」
に編 入 され 、13日 間の 訓 練 を1回 か 、6日 間 の 訓 練 を2回
受 け な けれ ば な らな い。 ま た 、 この ほ
か に全 体 で22日 間 の射 撃 訓 練 が義 務 づ け られ て い る。 さ らに60歳 まで は 「民 間防 衛=」の任 務 に つ
くこ とに な っ て い る33)。ち な み に、 女 性 に は兵 役 義 務 は ない が 、 こ の こ とが 最 大 の 理 由 とな っ て
1971年 まで 国政 へ の女 性 の参 加 は 認 め られ なか っ た。 こ れ は 、 ス イ ス 人 が 自分 た ち の力 を合 わせ
て敵 か ら身 を守 る こ とを伝 統 と して きた た め で 、 武 器 を とっ て 国 を守 る者 だ けが 国 の政 治 に対 し
て発 言 権 を持 つ とい う考 え方 か ら来 て い る34)。
こ う した武 装 中立 政 策 は周 辺 の 国 々 に次 第 に認 知 され て い った が 、1859年 か ら66年 に か け オ ー
ス トリアが フ ラ ン スや イ タ リア と小 競 り合 い を演 じた 時 、ス イ ス は 南 部 と東 部 で 動 員 体 制 を と り、
守 りを 固 め た が 、 プ ロ イ セ ンの 総 参 謀 長 モ ル トケが 中立 を守 るス イス の 民 兵 制 を見 くび って は な
らな い と指 摘 した こ とな どは そ の一 例 で あ ろ う35)。
しか し、何 と言 っ て もス イ ス の 「永 世 中立 」 を世 界 に知 ら しめ た の は、 第 一 次 お よび 第 二 次 世
界 大 戦 時 で あ ろ う。1914年8月
第 一 次 世 界 大 戦 が 始 ま る や 、 ス イ ス は す ぐ動 員令 を発 し、 中立 宣
言 を して い る 。 この 結 果 ス イス は ドイ ツの 攻 撃 を免 れ て い る。1939年 、 第 二 次 世界 大 戦 が 始 ま る
と、 連 邦 議 会 は 非 常 時 の み に任 官 させ る 「将 軍 」 に ヴ ォ ー(Vaud)出
(HenriGuisan)を
身 の ア ン リ ・ギ ザ ン
選 出 し、政 府 は総 動 員 令 を発 して 臨戦 体 制 に入 っ た。 ドイ ツが オ ラ ン ダ、 ベ ル
ギ ー 、 ル クセ ンブ ル グ に攻 め 込 み 、 フ ラ ンス を屈 服 させ る と、 ス イ ス 内 に動 揺 が起 きた が 、 ギ ザ
ン将 軍 は全 部 隊長 をス イス 発 祥 の 地 リ ュ トリ に集 合 させ 、 「レデ ュ イ ・プ ラ ン」 を説 明 し、徹 底
して 戦 う姿 勢 を示 した。 こ れが 功 を奏 して、 ス イス は ドイ ツ軍 の攻 撃 か ら守 られ たの で あ る36)。
も っ と も、近 年 に な っ て 、 戦 時 中の 中立 を守 るス イ ス の 戦 い は 「
神 話」で あって、実際 には、
ス イ ス が ナ チ ス ・ドイ ツ と盛 ん に貿 易 して い た こ とや 、 ドイ ツ の戦 費 調 達 の た め の金(Gold)を
ス イ ス 国 立 銀 行 が 受 け入 れ た り して い た こ とが次 々 に明 る み に 出 され る よ う に な っ て きた37)。し
か し、 こ の こ とはス イス の よ う な小 国 が 「武 装 中立 」 を守 る こ とが い か に困 難 か を物 語 って い る。
「ス イ ス は1週 間の う ち6日 間 を ナ チス ・ ドイ ツ の た め に働 き、 残 り1日 で連 合 国 の勝 利 の た め に
祈 りを捧 げ る」38)と椰 楡 され なが ら も、 とに か く中 立 を守 り、 国 土 を守 っ た こ とが 、 そ の後 ス イ
ス は国 民 が 身体 を張 っ て 国 を守 る安 心 で信 頼 で き る 国 だ とい う見 方 を世 界 中 に広 め る原 動 力 に な
った こ とは 間 違 い な い39)。
8
奈
3.政
良 大
学
紀
要
第31号
治 的安 定 一 半 直接 民 主 主 義 一
ス イ ス は 、 し ば し ば 民 主 主 義 の 発 生 の 地 と 言 わ れ る 。 そ の 根 拠 と し て 指 摘 さ れ る の が 、 「ラ ン
ツ ゲ マ イ ン デ 」(Landsgemeindeも
し く はLandesgemeinde)で
の こ と で あ る が 、 そ の 起 源 は13世 紀 初 め に さ か の ぼ る 。1231年
ある。 これは
「青 空 住 民 集 会 」
に ウ ー リの住 民 は神 聖 ロ ー マ 帝 国
か ら 「自 由 特 許 状 」 を 獲 得 す る こ と で ハ プ ス ブ ル ク 家 の 司 法 権 か ら 除 外 さ れ 、 皇 帝 か ら任 命 さ れ
た 代 官 の 司 会 す る 住 民 た ち の 「裁 判 集 会 」 が 行 わ れ る よ う に な っ た 。 そ の 後 、 代 官 に 代 っ て 住 民
の 選 出 す る代 表 が
「裁 判 集 会 」 を 司 会 し 、 や が て 裁 判 以 外 の 重 要 問 題 も こ の 場 で 処 理 す る よ う に
な っ た と 言 わ れ る 。 最 初 に 立 法 行 為 を し た ラ ン ツ ゲ マ イ ン デ は シ ュ ヴ ィ ー ツ(1294年)で
あ る40)。
ラ ン ツ ゲ マ イ ン デ は ア ン シ ャ ン ・レ ジ ー ム の 時 代 も 、 ウ ー リ 、 シ ュ ヴ ィ ー ツ 、 オ ブ ・ヴ ァ ル デ ン 、
ニ ー ト ・ヴ ァ ル デ ン 、 グ ラ.__.ルス 、 ツ ー ク 、 ア ペ ン ツ ェ ル ・イ ン ナ ー ロ ー デ ン 、 ア ペ ン ツ ェ ル ・
ア ウサ ー ロ ー デ ンの各 邦 で 実 施 され た。 ラ ン ツ ゲ マ イ ンデへ の参 加 資 格 は 軍 事 能 力 の あ る既 婚 の
男 性 の み で あ る41)。 ラ ン ツ ゲ マ イ ン デ は 、 「直 接 民 主 主 義 」 の 原 型 そ の も の で あ る が 、 も う 一 つ
ス イ ス民 主 主 義 の源 流 とな った もの が 存 在 す る。 そ れが
「レ フ ァ レ ン ダ ム 」(Referendum)で
あ
り今 日 の 住 民 投 票 制 や 国 民 投 票 制 に つ な が る も の で 、 グ ラ ウ ビ ュ ン デ ン や ヴ ァ リ ス で 行 わ れ て い
た42)。
と こ ろ で 、 ゲ マ イ ン デ(Gemeinde)と
は 、 日 本 の 市 町 村 に あ た る が 、 日本 人 の 考 え る 市 町 村
と は ま る で 異 な る 。 ス イ ス で は ま ず ゲ マ イ ン デ あ り き で あ る 。ゲ マ イ ン デ は 大 き な 自治 権 を持 ち 、
カ ン ト ン(州)自
体 が デ マ イ ン デ の 集 合 体 の よ う な 形 を と っ て い る と も言 え る 。 し た が っ て 、 外
国 人 が ス イ ス 国 籍 を得 る た め に は 、 ま ず ゲ マ イ ン デ の 受 入 れ が 必 要 と な る の で あ る 。
こ う した ゲ マ イ ンデ 中心 の 考 え方 は、 ス イ ス に長 い 間 、 ス イ ス 国 家 や ス イス 国民 とい っ た概 念
の 希 薄 さ を も た ら し た が 、 現 在 で も こ の 考 え 方 は 根 強 く残 っ て い る43)。
と こ ろ が 、1798年
ナ ポ レ オ ンの 率 い る フ ラ ンス軍 が侵 略 し、 翌 年 フ ラ ンス 流 中央 集 権 体 制 を受
け 入 れ ざ る を え ず 、 「ヘ ル ヴ ェ テ ィ ア 共 和 国 」 が 成 立 す る と 、 各 邦 の 自 治 権 は 大 幅 に 縮 小 さ れ た 。
そ の 後 、 こ れ を不 満 と す る 勢 力 と 共 和 主 義 者 の 問 で 権 力 闘 争 が 起 き た が 、1802年
共和主義者が権
力 を 握 っ た 。 こ の 時 フ ラ ン ス 押 しつ け の ヘ ル ヴ ェ テ ィ ア 憲 法 は 修 正 が 加 え ら れ 、 さ ら に 国 民 投 票
に か け ら れ た 。 こ の 投 票 に つ い て は 、 投 票 に 行 か な か っ た 者 の 票 を賛 成 票 に 加 え る な ど 操 作 が さ
れ た が 、 近 代 ス イ ス の 最 初 の 国 民 投 票 と し て そ の 意 味 は 大 き い と言 え る44)。
ス イ ス 連 邦 体 制 が 固 ま る の は 、1848年
憲 法 に よ っ て で あ る が 、 そ の 第1条
で
「当 今 の 盟 約 に よ
っ て 結 ば れ た23の 主 権 を 有 す る カ ン ト ン の 諸 国 民 は そ の 全 体 で ス イ ス 盟 約 者 団 を形 成 す る 」 と う
た っ て い る 。 しか し、 こ の 憲 法 は 、 諸 権 限 を カ ン ト ン か ら 連 邦 に か な り移 す も の で あ っ た 。 こ れ
は、 近 代 国 家 の 要 請 す る 中央 集 権 化 とス イ ス の伝 統 的 地 域 主 義 を巧 み に総 合 す る こ とが 求 め られ
た か ら で あ る 。 ち な み に 、 ス イ ス 連 邦 を 構 成 す る 諸 地 域(邦)を
カ ン ト ン(Canton)と
言 うよ
う に な っ た の は 、 フ ラ ン ス の 指 示 に よ る も の で あ る45)。
ス イ ス=連邦 は 、 代 表 権 、 外 交 、 国 防 、 税 関 、 郵 便 、 鉄 道 、 電 話 事 業 な ど を 処 理 し、 カ ン トン は 、
司 法 、 教 育 、 税 務 、 保 健 な ど を 個 別 に 処 理 す る こ と に な っ た 。 ま た ヨ ー ロ ッパ 最 初 の 共 和 国 と し
て 、 議 会 は ア メ リ カ に な ら っ て 二 院 制 が と ら れ た 。 上 院 に あ た る 全 州 議 会 は 各 カ ン トン か ら2名
つ つ 、 半 カ ン トン か ら1名
つ つ 選 出 さ れ 、 下 院 に あ た る 国 民 議 会 は 、200名
で構 成 され 、 各 カ ン
9
田 中:ス イ ス に お け る プ ラ イベ ー ト ・バ ン キ ング の発 展
トンか ら人 口 比例 で 選 出 さ れ た。 さ らに 、 内 閣 は 、 連 邦 合 同議 会 に よ って 個 々 に選 出 され る7名
で構 成 され 、 そ の 内 の1名 が輪 番 で 特 別 の 権 限 の な い 連 邦 大 統 領 に就 任 す る。7名 の 閣僚 は カ ン
トン、 政 党 、言 語 、宗 教 へ の所 属 を勘 案 して 配 分 され る こ と に な っ て い る46)。
ス イ ス の 民 主 主 義 は 中央 集 権 とゲ マ イ ン デ や カ ン トンの 自治 権 の 問 の微 妙 なバ ラ ンス の 上 に成
り立 っ て い る が 、 そ の バ ラ ンス を取 らせ て い る もの が 存 在 す る。
一 つ は 「住 民 投 票」(Referendum)制
度 で あ り、 も う一 つ が 「住 民 発 議 」(Initiative)制 度 で
あ る 。 この 二 つ の 制 度 の 存 在 に よ り、 ス イ ス は半 直接 民 主 主 義 の 国 と言 わ れ る 。 で は 直接 民 主 主,
義 と半 直接 民 主 主 義 の 違 い は何 か。 直 接 民 主 主義 とは 既 に述 べ た 「ラ ンツ ゲ マ イ ンデ」 に よ って
全 て の 重 要 事 項 が 決 定 さ れ る 政 治 プ ロ セ ス の こ とで あ る 。 しか し、 ス イ ス の 田舎 な ら と もか く、
チ ュー リ ッ ヒや ベ ル ンで 青 空 集 会 を 開 くこ とは不 可 能 で あ る。 ま して や連 邦 レベ ル の事 案 につ い
て は全 く不 可 能 で あ る。 こ う した状 況 か ら、 や む な く代 議 制 は受 け入 れ る が 、 い ざ とい う時 に は
住 民 ない し国 民 が 直 接 異 議 申 し立 てが で きる 制 度 が 考 え出 され た の で あ る 。住 民 発 議 は これ を一
歩 進 め て 、住 民 が 議 員 を飛 び越 して、直 接 連 邦 や カ ン トン に提 案 で き る制 度 で あ る。 こ れが 「
半」
直 接 民 主 主 義 とい わ れ る所 以 で あ る。
カ ン トンの レベ ル にお け る半 直 接 民 主 主 義 の 進 展 は まず 、 チ ュ ー リ ッ ヒ州 で見 られ た 。1865年
に カ ン トンの 憲 法 改 正 の発 議 権 を獲 得 した こ と に よ り、 住 民 は イ ニ シ ア テ ィブ(発 議)を
通 じて
法律 を提 案 で き る よ う に な り、 カ ン トン議 会 が 制 定 した法 律 を住 民 投 票 に か け て住 民 の 賛 否 を問
う こ とが で き る よ う に な っ た。 こ の動 きは 瞬 く間 に他 の カ ン トンに広 が り、 や が て 連 邦 レベ ル に
も波 及 した。1874年 の憲 法 改 正 に よっ て 、 部 分 的 にせ よ全 面 的 にせ よ憲 法 改 正 に関 して は全 て国
民 投 票 にか け る こ と とさ れ た 。一 方 、 国民 の発 議 権 は1891年 に認 め られ 、 こ こ に連 邦 レベ ルで も
半 直 接 民 主 主 義 が 達 成 され たの で あ る。
半 直 接 民 主 主 義 は、 そ の後 ス イ ス の 政 治 の あ り方 を次 第 に変 え て い くこ と に な る。 た とえ ば保
守 派 ・分 権 派(反
中央 集 権 主 義 者)は
国 民投 票 を利 用 して、 政 府 ・議 会 の提 案 した 法 案 をつ ぎつ
ぎ に廃 案 に持 ち込 ん で い っ た 。 こ う した状 況 を受 け、 自 由主 義 急 進 派 は保 守 派 ・分 権 派 に歩 み 寄
り、 自発 的 に 閣僚 の席 を保 守 派 に与 え 出 した 。 こ こ に 「
合 意 民 主 主 義」 あ る い は 「妥協 民 主 主 義 」
とい わ れ る シス テ ムが で き上 っ て い くの で あ る。 第 二 次 世 界 大 戦 後 、 この シス テ ム は完 全 に定 着
してお り、 現 在 で も内 閣の 構 成 は、 急 進 民 主 党2名
主 党2名
、 農 工 市 民 党(ス
イス 国 民 党)1名
、 保 守 一 キ リス ト教 社 会 人 民 党2名
、社会民
とな っ て お り40年 以 上 不 動 で あ る。 さ らに連 邦 憲 法
上 の制 限 で あ る 同一 カ ン トンか ら複 数 の 閣 僚 を選 べ な い こ とや 、 地域 的 、 言 語 的 、 宗 教 的 な偏 り
を な くす とい う不 文 律 が あ る こ とか ら、 い わ ゆ る 「魔 法 の公 式 」 が 成 立 して い る。 閣僚 の任 期 は
4年 で 、 しか も議 会 に不 信 任 投 票 で 罷 免 され な い 。 こ う した仕 組 み に支 え られ 、 ス イス は きわ め
て安 定 した政 治 が 行 わ れ る 国 に な っ た の で あ る47)。
皿
プ ラ イベ ー ト ・バ ンキ ン グの 構 造 的 変 化
世 界 中 の金 が 集 ま り、 こ れ を管 理 ・運 用 す る こ とで 順 調 に発 展 して き た ス イ ス の プ ラ イベ ー
ト ・バ ンキ ング に もさ ま ざ ま な構 造 的変 化 が 出 て きて い る。
奈
10
1.競
良
大
学 紀
要
第31号
争 の 激化
い か な る ビ ジ ネ ス で も儲 か る と わ か れ ば 、 新 規 参 入 者 が つ ぎ つ ぎ 現 れ る の は 世 の 常 で あ り 、 プ
ラ イ ベ ー ト ・バ ン キ ン グ も そ の 例 外 で は な い 。 そ の 中 で も と りわ け 影 響 が 大 き か っ た の が
ス3大
銀 行 」 と 呼 ば れ る ク レ デ ィ ス イ ス(SchweizerischeKreditanstalt)、
レ ー シ ョ ン(SchweizerischerBankverein)、
Bankgesellschaft)の
「ス イ
スイスバ ンクコーポ
ス イ ス ユ ニ オ ン 銀 行(Schweizerische
存 在 で あ る 。 こ れ ら の 銀 行 は19世 紀 の 鉄 道 な ど 大 事 業 の 資 金 調 達 を 目 的 に
設 立 さ れ 、 急 速 に 発 展 し た48)。3大 銀 行 は 「事 業 銀 行 」 も し く は 「起 業 銀 行 」(Bangued'Affaires)
で あ り、 も と も と個 人(リ
テ ー ル)業
務 は 行 っ て い な か っ た が 、1960年
代 に大 衆 化 路 線 に転換 し、
そ の 後 個 人 業 務 を 積 極 的 に 展 開 し た 。 そ れ は 何 よ り個 人 業 務 の 収 益 性 が 良 か っ た か ら で あ る が 、
も う一 つ の 理 由 は1980年
代 後 半 、BIS規
め 、 フ ィ ー(手
ジ ネ ス に 重 点 を 置 か ざ る を 得 な く な っ た か ら で あ る 。 さ ら に 、 「信 託 預
数 料)ビ
金 」(fiduciarydeposit)と
制 に よ っ て 貸 出 資 産 を 大 き く伸 ば す の が 困 難 に な っ た た
呼 ば れ る オ フ ・バ ラ ン ス 取 引 が 開 発 さ れ る と 、3大
銀行 は知 名 度 を活
か し て ア ラ ブ の 富 豪 の 資 金 を 大 量 に 取 り込 む こ と に 成 功 し た49)。
ま た 、 外 国 銀 行 も競 争 者 に な っ た 。 特 に ア メ リ カ の 銀 行 は 積 極 で あ っ た が 、 ア ラ ブ 系 、 フ ラ ン
ス 系 、 英 国 系 、 ドイ ツ 系 、 日本 系 そ の 他 と 続 々 ス イ ス に 進 出 し た 。 こ れ ら外 銀 の 強 み は 、 顧 客 と
同 じ言 葉 で 意 志 疎 通 が で き る と い う 点 に あ っ た 。 こ う し た 理 由 で 、 ア ラ ブ や ア ジ ア 諸 国 の 特 に 新
規 の 金 が3大
2.資
銀 行 や外 国銀 行 に吸 収 され 、伝 統 的 な個 人 銀行 に は痛 手 とな っ た の で あ る 。
金調達
第 二次 世 界 大 戦後 の資 産 管 理 ・運 用 面 で の変 化 は グ ロー バ ル化 と機 関投 資化 で あ る。 た とえ ば年
金 基金 や投 資 信 託 な どの巨 大 資金 を うま く国 際分 散 投 資 で きる か どうか が 資金 獲 得 の ポ イ ン トとな
るが 、 そ の成 否 の カ ギ を握 るの は 巨大 か つ 精緻 な コ ン ピ ュー タ ・シス テ ム で あ る。 この シス テ ム構
築 に必 要 な費 用 は年 々増 大 して お り、パ ー トナ ーの 出資 金 だ けで は もは や 限界 に来 て い る ので あ る 。
こ う した事 態 を打 開す るた め 、伝 統 的 な無 限責 任 社 員 に よる合 名 会 社 形 態 か ら株 式 会 社 へ転 換 す る
個 人銀 行 が 続 出 した。JuliusBar,J.Vontobel,DreyfusS6sheな
3.新
どが そ の典 型 で あ る50)。
しい顧 客 層
近 年 、 戦 後 の ベ ビ ー ブ ーマ.__.が
新 しい富 裕 層 を形 成 しつ つ あ るが 、 彼 らは両 親 や祖 父 母 の 世代
の よ う に戦 争 で 二 度 も財 産 を失 う とい っ た経 験 が な い た め 、 ス イス の プ ラ イ ベ ー ト ・バ ンキ ン グ
の 伝 統 で あ る資 産 を確 か に保 全 す る こ と よ りも運 用 に関 心 を示 す こ とが 多 くな っ て きた 。 また 年
金 基 金 な どの 機 関 投 資 家 は安 全 性 は も と よ り、 ス イ ス の 最 大 の 特 長 で あ る秘 密 性 に もほ とん ど関
心 を示 さ ない 。 彼 らの 求 め る もの はパ フ ォー マ ンス(運 用 成 績)で あ る。 こ う した顧 客 に とっ て
は 、 ス イス の個 人 銀 行 の 運 用 方 法 は遅 れ て い る と感 じ られ 、 「単 に 預 か っ て い る だ け な ら手 数 料
を下 げ ろ」 とい う要 求 が 強 くな っ た。 こ う した結 果 、 ス イ ス の プ ラ イベ ー ト ・バ ンキ ング の手 数
料 は徐 々 に下 が り、彼 らの 収益 基 盤 を大 き く揺 が して い るの で あ る51)。
田中
4.人
11
ス イ ス に お け る プ ラ イ ベ ー ト ・バ ンキ ン グの 発 展
材 の確 保 と育 成
プ ラ イベ ー ト ・バ ンカ ー に必 要 な資 質 は 、 常 識 と礼 儀 を もっ て顧 客 と素 直 に意 志 疎 通 が で きる
こ と。 守 秘 義 務 や 忠 実 義 務 な ど を守 れ る こ と。 優 れ た資 産 運 用 能力 を持 って い る こ と。 幅 広 い税
務 や 不 動 産 知 識 を持 ち相 続 法 に詳 しい こ と。 そ して古 文 書 や歴 史 の 知 識 が あ っ て、 ワ イ ン や絵 画
な どに も造 詣 が 深 い こ とな どで あ る が 、 この よ うな 人 材 を確 保 す る こ とは容 易 で は な い 。通 常 、
個 人 銀 行 は 自分 の子 弟 を海 外 留 学 させ て 見 聞 を広 め させ た り、他 の有 力 個 人 銀 行 に修 業 に 出 した
り して鍛 え るが 、 能力 に 問題 が あ れ ば 後 継 者 に は しな い 。 また 、 息 子 にめ ぐまれ な い こ と も十 分
あ り うる 。 ジ ュ ネ ー ブ で最 古 の個 人 銀 行Ferrier,Lullinが1978年3大
銀 行 の一 つ ス イス ・バ ン コ
ク ・コ ー
一ポ レー シ ョン に買 収 さ れ た最 大 の理 由 はLullin氏 に後 継 者 が なか っ たか らで あ る52)。
ま た 、資 産 運 用 の専 門家 に して も、 業 務 お よ び業 界 の拡 大 が 急 で あ った ため そ の確 保 が 大 きな
課 題 に な っ て い る 。 この た め 、 ヘ ッ ド ・ハ ン テ ィ ング が頻 繁 に行 わ れ 、 人 件 費 高 騰 の要 因 とな っ
て い る53)。
5.銀
行秘 密 へ の 攻 撃
ス イ ス の フ.ライ ベ ー ト ・バ ンキ ン グの 発 展 に大 きな貢 献 を した 銀 行 秘 密 が 海 外 の政 府 ・税 務 当
局 な どか ら厳 し く批 判 され て い る。 批 判 の理 由 は 、 ス イ ス の 銀 行 秘 密 が 世 界 各 地 で不 正 に 入 手 さ
れ た金 の 「
洗 浄」(MoneyLaundering)に
利 用 され て い る か ら とい う もの で あ る・
ス イス が銀 行 秘 密 の保 持 に執 着 す る の は、 法 律 が あ る か らだ けで は な い。 その根 底 に は徹 底 した
地 方 自治 の考 え方 が あ り、具 体 的 には 、税 金 とい え ど も 自分 た ちで 決 め るべ きで あ る との考 え を神
聖 な もの と して抱 き続 けて きたか らで あ る。 したが って現 在 で も税 金 を賦 課 で きるの は ゲ マ イ ンデ
とカ ン トン(州)だ
け とす る考 え方 は根 強 く存 在 す る。現 に連 邦税 は 国防 税 ぐらい で ほ とん どな く、
日本 の国 税 庁 や税 務 署 にあ た る もの は存 在 しない 。 外 国 の金 持 ちが ス イ ス に住 む場 合 、税 率 の定 め
は もち ろ んあ る が、 実 際 には州 の税 務 当局 との話 し合 い で税 率 ない し税 額 が決 定 され るのが 普 通 で
あ る。 決 定 的 な こ とは、 ス イ ス人 は脱税 を刑 法 上 の 犯 罪 とは み な さ ない こ とで あ る54)。
こ う した 事 情 を背 景 に海 外 か らい わ くつ きの 金 が ス イス に持 ち込 ま れ た こ とは事 実 で あ る。 た
と えば 、 フ ィ リ ピ ンの マ ル コ ス大 統 領 とイ メ ル ダ夫 人 、 ザ イ ー ル の モ ブ ツ大 統 領 、 ハ イ チ の デ ュ
バ リエ 大 統 領 、 エ チ オ ピ ア の セ ラ シ ェ皇 帝 、 イ ラ ンの パ ー レビ 国王 な どが 民衆 の 金 を私 してス イ
ス に隠 匿 した 疑 い をか け られ た。 ま た マ フ ィ アが 麻 薬 取 引 で得 た金 や 、 ウ ォー ル 街 で 不 正 株 価 操
作 で 得 た 金 な どが ス イス で 洗 浄 され た と言 われ て い る55)。
ス イ ス の銀 行 秘密 に対 す る批 判 は海 外 で 大 き くな り、 そ の 急 先鋒 で あ っ た アメ リカ とは1977年 発
効の 「
司 法 権 相 互援 助 協 定 」 に調 印 し、 犯 罪 に か か わ る金 の 捜査 に協 力 せ ざる を得 な くな った56)。
銀 行 秘 密 を問 題 にす る声 は ス イ ス 国 内 で も高 ま り、1979年13万 人 の 市 民 が 「銀 行 の 秘 密 と銀 行
の権 力 の乱 用 に反 対 す る」 国民 投 票 発 議 を行 っ たが 、1984年 の 国 民投 票 で は 、73%の
反対 でこの
提 案 は斥 け られ た。 こ の よ う に外 圧 の 強 さ に もか か わ らず 、 ス イ ス 国 民 の 銀 行 秘 密 を守 る意 志 は
固 い よ うで あ る57)。そ の 後 もス イ ス 銀 行 協 会 や 司 法 当 局 も批 判 をか わ す た め に 「信 義 則(due
diligence)合 意 」 を各 銀 行 と結 ん だ り、 脱 税 を違 法 とす る 法 改 正 を行 って い るが ・ 海 外 の見 る 目
は ま だ ま だ厳 しい と言 わ ざ る を得 な い58)。
奈
12
良
大
学
紀
要
第31号
プ ラ イベ ー ト ・バ ン キ ング を と り巻 く環境 は 大 き く変 化 したが 、 そ の一 つ の例 を伝 統 的 な個 人
銀 行 の 数 に見 る こ とが で きる。 戦 前 の95行 が1945年 には81行 に、80年 代 終 りに は22行 に 、97年 に
は16行 に減 っ て い る。 しか し、 こ の数 字 は ペ ライ ベ ー ト ・バ ン キ ン グ の衰 退 を意 味 す る もの で は
な い。 い や む しろ業 界 は現 在 も発 展 し続 け て い る の で あ る。 確 か に個 人 銀 行 の 中 に は消 滅 した も
の もあ るが 、 大 部 分 は会 社 の形 態 を変 え た だ け で あ った り、 買 収 さ れ て も、持 っ て い る 強 み を活
か して新 しい 環 境 に適 応 して い る 。生 き残 っ た16行 も手 づ く りの 個 人 的サ ー ビス を求 め る 一定 の
固 定 客 を しっか りつ な ぎ とめ て お り、大 銀 行 や外 国 銀 行 との 激 しい 競 争 の 中 で も しっ か り自分 た
ちの ニ ッチ(Niche)を
見 つ け て い る の で あ る59)。
結び にかえて
ス イス の プ ラ イベ ー ト ・バ ンキ ング は 、 ス イ ス の 歴 史 と伝 統 の 中で 育 ま れ て きた こ とが わ か っ
た が 、 彼 らの 体 験 や 使 っ た手 法 に は 日本 に も移植 可 能 な もの が あ る の で は との思 い を抱 き、 以 下
の 提 言 を試 み る しだ い で あ る。
最 近 の新 聞 報 道 に見 られ る 「欧 州 へ の プ ラ イベ ー トバ ン ク視 察 ツ ア ー」60)の盛 況 ぶ りを知 る に
つ れ 日本 の プ ラ イベ ー ト ・バ ン キ ング の 弱 さ を痛 感 させ られ るが 、 そ の 最 大 の原 因 は 日本 には真
の 個 人 銀 行 も個 人 銀 行 家 も存 在 しな い こ とに あ る 。 しか し、 銀 行 法 の 制 限 が あ り、 日本 で個 人銀
行 を作 る こ と は困 難 で あ る。 そ こ で 、せ め て親 金 融機 関 か ら独 立 した プ ラ イベ ー ト ・バ ンキ ング
専 門 の 銀 行 が 必 要 と考 え る。 資 本 関係 は ス イ ス で も問 題 に な った よ う に資 金 調 達 の こ と を考 え る
と子 会社 で もい た し方 ない が 、 そ の他 の 面 で は完 全 に独 立 してい る こ とが 重 要 で あ る。
まず や る こ と は、 人 材 の 確 保 で 、親 会 社 の 二流 社 員 の 受 け 皿 で あ っ て は な らな い 。 当然 本 人 の
意 志 に反 す る転 勤 な し、 厳 しい ノ ル マ な し も重 要 で あ る 。 前 者 は、 プ ラ イベ ー ト ・バ ンキ ング に
と って何 よ り大 切 な顧 客 との 長 期 に わ た る 関係 を築 く上 で 不 可 欠 だ か らで あ る。 ま た厳 しい ノ ル
マ は利 益 相 反 行 為 を起 しや す い。 た とえ ば手 数 料 収 入 を上 げ るた め 、 不 必 要 に顧 客 の勘 定 で証 券
や 為 替 の 売 買 を繰 り返 した り しや す い。 ま た親 会 社 が 引 受 け た株 式 や 債 券 を値 下 りす る とわ か っ
て い て顧 客 勘 定 には め込 ん だ りす る誘 因 に な る。さ らに従 来 の ゼ ネ ラ リス ト重 視 と決 別 し、財 務 、
法務 、税 務 、 資 産 運 用 の 専 門家 た ち を適 切 に処 遇 し、顧 客 サ.___ビ
ス に必 要 なサ ポ ー ト体 制 を築 く
こ とが不 可 欠 で あ る 。
注
1)町
田 顯(1998):プ
ライ ベ ー トバ ンキ ン グ、 東 洋 経 済 新 報 社 、pp.i-iiお よびp.2
具体 的 に は証 券 投 資 や 保 険 、 不 動 産 な ど資 産 の運 用 お よび ア ドバ イ ス 業務 、 遺 言 信 託 、遺 産 の 管 理 な ど
の信 託 業 務 、 預 金 、 為 替 、 送 金 な ど通 常 の 銀 行 業 務 、 証 券 の 売 買 業 務 、 ク レジ ッ トカ ー ドや ロ ー ン業 務 、
税 務 ア ドバ イ ス 、決 済 や 保 護 預 か り、 配 当金 受 け入 れ な どの カ ス トデ ィア ン業務 な ど多 岐 に わ た る 。
2)町
田 顯:前 掲 書p.iii日 本 に お い て 金 融資 産1億 円 以 上 の 金 持 ち は60万 人 い る。
曽根 一 興(1997):プ
ラ イベ ー ト ・バ ンキ ング の時 代 、近 代 セ ー ル ス社p.151
坂本
日本 全 国 で 、5,100万
有機農 業の普及 に関す る考察
円 以 上 の 貯 蓄 を 有 す る 世 帯 は お よ そ212万
13
世 帯 存 在 す る と推 計 さ れ る。
3)GuntherWoernle(1978):X,X&Cie-DiePrivatbankiersinderSchweiz,Wernliniap.9
古 い ス イ ス の 個 人 銀 行 は 合 名 会 社(Kollektivgesellschaft…
に 相 当)の
ドイ ツ のOffeneHandelsgesellschaft(OHG)
形 態、を 取 る こ と が 多 く、 名 称 も オ ー ナ ー の 名 前 の 後 に&Cie.も
し く は&Co.が
付 くも のが ほ と
ん ど で あ る。
4)LorenzStucki(1981):DasheimlicheImperium,VerlagHuberFrauenfeldp.159
5)NicholasFaith(1982):SafetyinNumbers,HamishHamiltonpp.17-18
T.R.Fehrenbach(1966):TheGnomesofZurich,LeslieFrewinp.26
森 田 安 一(1980):ス
イ ス ー 歴 史 か ら現 代 へ 、 刀 水 書 房p.200
森 田 安 一(2000):物
語 ス イ ス の 歴 史 、 中 央 公 論 新 社pp.88-89
森 田 に よ れ ば 、 ス イ ス 人 傭 兵 は 、1494年
∼8000人
の フ ラ ン ス 王 シ ャ ル ル8世
の イ タ リ ア 侵 略 の 手 先 と な っ て7000
の ス イス 人 が 出撃 した こ と に始 ま る 。傭 兵 契 約 は政 府 対 政 府 で の み 行 い 、私 的 な 契 約 は厳 禁 され
て い た が 、 ス イ ス の 各 邦(Ort)の
有 力 者 は 密 か に 外 国 政 府 と 契 約 し、 私 的 年 金 を 受 け 取 っ た り 、 個 人 で 契
約 を 結 ん で 出 稼 ぎす る 者 も少 な く な か っ た 。
6)ロ
バ ー ト ・キ ン ズ マ ン(佐
藤 隆 夫 訳)(1978):ス
イ ス 銀 行 の す べ て 、 日本 経 済 新 聞 社p.50
7)Gunther.Woernle:op.cit.p.97
ク リ ス トフ ・ ビ ュ ッ ヘ ン バ ッ ハ(織
田 ・倉 田 訳)(1979):ス
イ ス 銀 行 の 秘 密 、 東 洋 経 済 新 報 社pp.19-
20
8)FranzRitzmann:DieSchweizerBanken-Geschichte,Theorie,Statistik.,VerlagPaulHaupt,p.21
パ リ で はJacquesMallet,Girardot,Haller,EtienneDelessertら
PhilippeGaillard,Lullin,Masbou,Odierら
が 、 リ ヨ ン で はBenjaminDelessert,
が 、 ル ー ア ン で はLullinやLemaireな
どが 活 躍 した。
9)T.R.Fehrenbach:op.cit.p.55,p.208
ロ バ ー ト ・キ ン ズ マ ン:前
森 田 安 一(2000):前
1685年
掲 書p.49
掲 書p.134
か ら1700年
ま で に ス イ ス に 亡 命 した ユ グ ノ ー(Huguenot)は14万
ネ ー ブ の 既 存 の 人 口 の ほ ぼ 半 分 に も 達 し た 。 な おHuguenotは
ち)に
人 と もい われ 、 こ の集 団が ジ ュ
ス イ ス の 起 源 で あ るEidgenossen(盟
約者 た
由来 す る よ う で あ る。
U.イ ム ・ホ ー フ(森
10)C.ビ
田 安 一 監 訳)(1997):ス
ュ ッヘ ンバ ッハ:前
最初 に
イ ス の 歴 史 、 刀 水 書 房 、p.94参
照
一
掲 書p.22
「銀 行 家 」 と名 乗 っ た 人 物 は 、 ベ ネ デ ィ ク ト ・ ト ゥ レ テ ィ ニ で あ る 。
11)GuntherWoernle:op.cit.pp.95-115
T.R.Fehrenbach:op.cit.p.202
RayVicker(1973):ThoseSwissMoneyMen,CharlesScriber'sSons.pp.37=43
Wegelin&Co.は
12)T.R.フ
13)ア
ス イ ス に現存 す る 最 古 の 銀 行 で あ る。
ェー
一レ ン バ ッハ(向
ダ ム ・レ ボ ー(鈴
後 英 一 訳)(1979):ス
木 孝 男 訳)(1998):ヒ
トラ0の
イ ス 銀 行 、 早 川 書 房 、'PP.68-72
秘 密 銀 行 、KKベ
ス トセ ラ ー ズ 、p.37
ユ ダ ヤ 人 団 体 の な か に は 、 ス イ ス の 銀 行 に 眠 る ホ ロ コ ー ス ト遺 族 の 預 金 が 数10億
ドル と ま で は い か な く
て も数 億 ドル に達 す る と主 張 す る とこ ろ もあ る。
14)NicholasFaith:op.cit.pp.191-192
ド ミ ニ カ の 独 裁 者 、 ト ル ビ0ヨ
15)T.R.Fehrenbach:op.cit.,p.206
16)ibid,p.214
大 統 領 との取 引 禁 止 を ジ ュ ネ ー ブ の個 人 銀行 は 決議 した 。
奈
14
17)曽
根 一 興:前
18)曽
根:前
掲 書pp.73-74
19)曽
根:前
掲 書pp.71-72
良 大
学 紀
要
第31号
掲 書p.63
T.R.Fehrenbach:op.cit.pp.203-204顧
客 紹 介 は ほ と ん ど 「ロ コ ミ」(Mund-zu-MundPropaganda)
に よる。
筆 者 も 、 営 業 中 のPictetの パ0ト
ナ ー 、IwanPictet氏
に 東 京 で 会 っ た こ とが あ る。
20)T.R.Fehrenbach:op.cit.pp.210-213
曽 根 一 興:前
町 田 顯:前
21)厚
掲 書p.72
掲 書pp.99-102
田 昌 範(1978):こ
22)C.ビ
れ が ス イ ス銀 行 だ
ュ ッ ヘ ンバ ッ ハ:前
読 売 新 聞 社.p.49
掲 書p.47-50
銀 行 法 の 当 初 規 定 で は 罰 金 の 最 高 額 は2万
っ た 。1971年
ス イ ス ・フ ラ ン(過
失 の 場 合 最 高1万
ス イ ス ・フ ラ ン)で
あ
に現 規 定 に改 正 され た 。
23)T.R.Fehrenbach:op.cit.p.63
24)NicholasFaith:op.cit.p.82
25)T.R.フ
26)C.ビ
ェ ー レ ン バ ッ ハ:前
ュ ッ ヘ ン バ ッ ハ:前
掲 書pp.96-97
掲 書pp.83-85レ
バ ノ ン は 、 ス イ ス に な ら っ て1956年
に
「銀 行 秘 密 に 関 す る
法 律 」 を公 布 し 、 一 時 大 い に 繁 栄 し た が 、 内 戦 に よ っ て 機 能 停 止 に 陥 っ た 。
27)C.ビ
ュ ッ ヘ ン バ ッ ハ:前
掲 書pp.56-57
NicholasFaith:op.cit.p.35
28)ClaudeTorracinta(1981):LesBanguesSuissesenquestion,Editionsde1'Aire.,p.11
29)ibid.,p.38
C.ビ ュ ッ ヘ ン バ ッ ハ:前
掲 書pp.80-83
日 本 経 済 新 聞(2000年2月25日)は
、 オ ー ス ト リ ア 政 府 が 、 国 際 的 な 批 判 の 高 ま り を 受 け て 、 金 融 機i関
の 匿 名 口座 制 度 の廃 止 を閣議 決 定 した と伝 えて い る。
30)森
田 安 一(2000):前
この 時 の 誓 約 を
掲 書pp.54-56
「リ ュ ト リ の 誓 い 」 と言 い 、8月1日
国 名 の ス イ ス(Schweiz,Suisse)は3地
斉 藤 泰:帝
域 の1つ
は 現 在 もス イ ス の 建 国 記 念 日 に な っ て い る 。 ま た
シ ュ ヴ ィ0ツ(Schwyz)に
国 国 制 に お け る 原 ス イ ス 永 久 同 盟,p.10(森
田 安 一 編(1999):ス
由来する。
イ ス の 歴 史 と文 化 、 刀 水 書
房 所 収)一
31)森
田 安 一(2000).前
掲 書pp.94-96,p.125.
森 田 安 一(1980):前
32)加
太 宏 邦:ス
33)森
田 安 一(1980):前
掲 書p.216,pp.222-223.p226
イ ス が 溶 け る 日 、p.157(森
田 安 一 編(2001)
●岐 路 に立 つ ス イス
、 刀 水 書 房 所 収)
掲 書pp.254-256.pp.292-293
1995年
以 降 、 兵 役 義 務 の 年 限 な ど に 見 直 しの 動 き が あ る 。
1973年
連 邦 議 会 は 、 宗 教 的 、 良 心 的 兵 役 拒 否 者 を 認 め る 憲 法 修 正 案 を 可 決 し た が 、1977年
こ の 修 正 案 は 否 決 。 し か し 、92年
34)宮
下 啓 三(1991):700歳
35)U.イ
ム ・ホ ー フ:前
36)森
田 安 一(1980):前
37)森
田(1980):前
の 国 民 投 票 で 承 認 され た。
の ス イ ス 、 筑 摩 書 房.pp.36-37
掲 書p.176
掲 書pp.237-240reduitは
掲 書pp.243-246
NicholasFaith:op.cit.p.92
「城 中 の 砦 」 の 意 味
の国民投票で、
15
坂本:有 機農 業の普及 に関す る考察
38)ア
ダ ム ・ レ ボ ー:前
掲書
森・
田 安 一(2000):前
39)宮
下 啓 三:前
一 大 戦 中 の 名 言 よ り一
掲 書p.240
掲 書pp.133-135宮
ミ ッ ト教 授 が
下 は 、 少 数 意 見 な が ら ス イ ス 連 邦 工 科 大 学(ETH)の
カ ー ル ・シ ュ
「い ろ い ろ な 幸 運 と偶 然 が か さ な っ て ス イ ス が 実 際 に 攻 撃 さ れ な く て す ん だ と い う 現 実 を 、
さ も ス イ ス 人 が 道 徳 的 な 意 志 の 力 で 独 立 を保 っ た と い う 神 話 に す り替 え て は い け な い 」 と苦 言 を 呈 し て い
る こ と を紹 介 して い る。
40)森
田 安 一(1980):前
掲 書pp.142-143
41)関
根 照 彦(1999):ス
イ ス 直 接 民 主 制 の 歩 み ・尚 学 社.pp.21-26
現 在 で も ラ ン ツ ゲ マ イ ン デ が あ る の は1カ
ン ト ン(グ
ラ ー ル ス)と4つ
の 半 カ ン ト ン(ニ
デ ン 、 オ ブ ・ ヴ ァ ル デ ン 、 ア ペ ン ツ ェ ル ・イ ン ナ ー ロ ー デ ン と ア ウ サ ー ・ ロ ー デ ン)だ
(1980):前
掲 書P.129参
照(も
ー ト ・ヴ ァ ル
けで ある。森 田
っ と も 、 ラ ン ツ ゲ マ イ ン デ で 決 定 で き る の は カ ン ト ン(州)レ
ベ ル の事
項 の み で あ る)
42)関
根:前
43)森
田 安 一(1980):前
掲 書pp.27-34
掲 書p.148.pp.177-180
筆 者 の 経 験 で も 、 滞 在 許 可 証(Aufenthaltsbewilligung)を
取 る の に 、 居 住 予 定 の チ ュ ー リ ッ ヒ市 お よ び
州 とベ ル ン の 連 邦 政 府 の 間 を 書 類 が 往 復 し 、 約 半 年 を 要 し た 。
44)森
田 安 一(2000):前
翌 年(1803年)ス
掲 書pp.156-157
イ ス は 連 邦 制 に な り 、 現 在 も使 わ れ る 名 称
Eidgenossenschaft)も
45)森
同 時 に 定 め ら れ た 。U.イ
田 安 一(1980):前
掲 書p.82な
ム ・ホ ー フ:前
「ス イ ス 盟 約 者 団 」(dieSchweizerische
掲 書pp.156-157参
照
お 、 カ ン ト ン か ら連 邦 へ の 権 限 委 譲 に つ い て は 、 イ ム ・ホ ー フ が
「大
幅 」 な 委 譲 と す る の に対 し て 、 森 田 は 、 主 体 は あ く ま で カ ン ト ン で あ り 、 連 邦 は 二 次 的 形 成 体 で あ る と し、
見 解 に 差 が あ る 。(イ ム ・ホ ー フ 前 掲 書p.180,安
46)U.イ
ム ・ホ ー フ:前
森 田 安 一(1980)前
関 根 照 彦:前
47)森
掲 書p.111)
掲 書pp.111-117
掲 書pp.124-134
田 安 一(1980):前
掲 書p149,p.156.
森 田 安 一(2000):前
U.イ ム ・ホ0フ:前
48)Franz
田(1980)前
掲 書pp.180-181.
掲 書pp.205-206.pp.208-214
掲 書pp.190-191
.Ritzmann:op.cit.p.63
LorenzStucki:op.cit.pp.147-150.pp.159-161
49)NicholasFaith:op.cit.p.279
「信 託 預 金 」 と は 顧 客 か ら預 か っ た 預 金 を 銀 行 各 儀 で 別 の 信 用 力 の あ る 銀 行 に 預 け る 手 法 で 、 顧 客 は 匿
名 性 が 確 保 で き 、 一 方 銀 行 は バ ラ ン ス シ ー トを 膨 ら ま せ る こ と な く 手 数 料 を 得 る こ と が で き る た め 爆 発 的
に普 及 した。
50)GuntherWoernle:op.cit.pp.13-14
51)NicholasFaith:op.cit.p.298
PictetやLombard,Odierの
よ う な 大 手 個 人 銀 行 は 個 人 の 私 的 財 産 の み の 管 理 ・運 用 に 限 界 を 感 じ 、 年 金
の 運用 に乗 り出 して い る 。
52)町
田 顯:前
掲 書p.120
NicholasFaith:op.cit.p.298
ス イ ス の 個 人 銀 行 家 は 伝 統 的 に男 性 の 職 業 とみ な さ れ て い る。
53)町
田 顯:前
掲 書pp.121-123
16
奈
良
大
学
紀
要
第31号
54)NicholasFaith:op.cit.pp.74-75
厚 田 昌 範:前
掲 書pp.62-70
55)JeanZiegler(1990):LaSuisselaveplusBlanc,EditionsduSeuil.,pp.121-140
ClaudeTorracinta:op.cit.p.154
56)ジ
ャ ン ・ジ ー グ レ ル(上
杉 聡 彦 訳)(1979):驚
くべ き ス イ ス 銀 行 、 竹 内 書 店 新 社,P.38,P.79』
57)JeanZiegler:op.cit.p.183
58)町
田 顯:前
曽 根 一 興:前
掲 書pp.116-119
掲 書pp.59-60
,・
日本 経 済 新 聞(2002年9月11日)はEUが
ス イ ス の 厳 格 な 銀 行 秘 密 に対 し て 制 裁 を ほ の め か し て い る と伝
え て い る。
59)ClaudeTorracinta:op.cit.pp.231-232
町 田 顯:前
60)日
掲 書p.51、pp.93-94
本 経 済 新 聞(2002年9月5日)お
よ び(2002年9月12日)
Summary
ItisoftensaidthatthewealthiestpeopleinJapanareincreasinglyinterestedinoverseasinvestments,
especiallySwitzerland'sprivatebanking.
Thisisduetothedifficultiesininvestingmoneyprofitablyinthedomesticmarketcausedbythe
extrimelylowinterestratesandthepoorperformanceofstocks.
ThepresentpaperanalyzeswhyprivatebankinghasdevelopedsosuccessfullyinSwitzerlandand
stillcontinuestogrow.
FromthisanalysisitsuggestspossibleapplicationsforJapan.
TheanalysismakesclearthattheSwissprivatebankers,bornfirstintheworld,keepingandinvestingthemoneydepositedbymercenaries,exiledHuguenots,etc.,playedanimportantroleindeveloping
SwissfinancialresourcesandthatprivatebankinginSwitzerlandwascultivatedandenhancedbybankingsecrecy,anationalpolicyofarmedneutralityandademocraticandstablegovernment
Lastly,afterhavinguncoveredseveralpointsfromthegreatsuccessoftheSwiss
.
,thisarticleconcludeswithsomesuggestionsthatmightserveasareferencetotheJapaneseprivatebankingindustry
whichisstillinitsinfancy.