[25] [25] ノ ノイ イマ マイ イヤ ヤー ー振 振付 付『 『幻 幻想 想 ~ ~「 「白 白鳥 鳥の の湖 湖」 」の のよ よう うに に』 』 《影の男 》 をどう解釈 するか … 《影の 男》 をど う解釈するか … 東京新 聞 夕刊 東京 新聞 夕刊 1994年4月1日 1994 年4月1日 こ の と ころ バ レエ 『 白鳥 の 湖』 の 新解 釈 によ る 新 演 出 の 試み が 盛ん で ある 。 いか に 傑作 だ とは い って も 毎 度お な じで は 飽き て しま う し、 ち ょっ と 手を 加 え る こ と で、 作 品が ぐ っと 新 鮮に な るこ と もあ る 。 も っ とも こ れま で のと こ ろ、 ど の新 演 出も ス ト ー リ ー には 変 更が な かっ た 。白 鳥 に変 え られ た 王女 を 愛 した 王 子が 、 お后 選 びで よ く 似た 黒 鳥を 選 んで し ま う 。 し かし 王 子は 命 に代 え て愛 を 貫き 、 二人 は 天 国 で 結 ばれ る とい う もの 。 甘く て 幼稚 な お話 と 言え ば そ れま で だが 、 チャ イ コフ ス キー の 叙情 的 な音 楽 とプ テ ィ パ/ イ ワノ フ の優 雅 な振 付 が相 乗 的な 効 果 を 発 揮 して 、 この バ レエ に はい つ も極 上 のロ マ ンテ ィシズムの香りが漂っていた。 と ころ が 、い ま 来日 中 のハ ン ブル ク ・バ レ エが 上 演したのは、まったく意表をつく発想のものだった。 ジ ョン ・ノ イマ イ ヤー が演 出・ 振付 した こ の『 幻想 ~「白鳥の湖」のように』は、チャコフスキーの『白 鳥 の湖 』 全曲 を その ま ま使 用 し、 各 所に 古 典バ レ エ * の 見 所 は 残し て いる が 、し か しま っ たく 別 の新 し い * 作品として作られている。 * 『幻 想 』の 表 向き の 主人 公 は、 一 九世 紀 に実 在 し た バ イ エル ン 国王 の ルー ト ヴィ ヒ 二世 で ある 。 築城 と 芸 術に 熱 中し た あげ く 幽閉 さ れて 、 水上 に 謎 の死 を と げた 人 物だ が 、そ の 彼が 錯 乱の な かで 顧 みる 過 去の情景、それが古典の『白鳥の湖』と重なり合う。 幻 想 と は原 題 でイ リ ュー ジ ョン 、 つま り は幻 覚 であ る。 無 音の ま ま幕 が 開く と 、石 の 壁に か こま れ た小 部 -1- [25] [25] ノ ノイ イマ マイ イヤ ヤー ー振 振付 付『 『幻 幻想 想 ~ ~「 「白 白鳥 鳥の の湖 湖」 」の のよ よう うに に』 』 《影の男 》 をどう解釈 するか … 《影の 男》 をど う解釈するか … 東京新 聞 夕刊 東京 新聞 夕刊 1994年4月1日 1994 年4月1日 屋 。 そ こへ 王 が連 れ てこ ら れ、 ひ とり 残 さ れる 。 扉 を 釘 づ けに す る槌 の 音。 そ して 、 あの 哀 切な 序 曲が 始 ま った 。 悲嘆 に くれ る 王の 背 後で 石 の壁 が 左右 に 開き、幻想の場面となる。 第一幕は城の棟上げ式、第二幕は古典『白鳥の湖』 第 二 幕の 御 前上 演 、そ し て第 三 幕は 舞 踏会 と つづ く が 、ど の 場面 も もと の 『白 鳥 の 湖』 を 下敷 き にし な が ら も 異 なる 設 定で 構 成し て ある 。 たと え ば第 二 幕 で は 、 始め の うち 王 は舞 台 の端 で バレ エ を観 て いる の だ が、 や がて 舞 台と 現 実の 区 別が つ かな く なり 、 王子 を 押 しの け て白 鳥 姫と 踊 り始 め るの で ある 。 ク ラ シ ッ ク・ バ レエ の 極致 と もい う べき 愛 のパ ・ ド・ ド ゥ が、 奇 妙な 、 し かし そ れな り に美 し い三 人 のパ ・ ド ・ト ロ ワに な り、 崇 高な 古 典が 、 崇高 な まま 戯 画 に な る とい う 不思 議 な現 象 が展 開 した 。 王の 錯 乱 は 痛 ま しく 、 しか も 滑稽 で ある 。 同様 に 、神 秘 的で あ る はず の 白鳥 た ちが ど こか コ ミッ ク に見 え てし ま うの だ 。 ま た 第 三幕 の 舞踏 会 では 、 白鳥 の 舞姫 し か愛 す る こ と の でき な い王 の 心に 近 づく た めに 、 許嫁 の 王女 が白鳥の姿で現れ、王と黒鳥のパ・ド・ドゥを踊る。 王は 我 を 忘れ て 愛を 誓 うが 、 しか し それ も 錯覚 に す ぎ な い こと が 次の 幕 で示 さ れる 。 第四 幕 の始 め の、 女 が 男に す がり つ き、 く ずお れ 、引 き ずら れ る 踊り は 、 大胆 な 造形 が 現代 的 な心 理 表現 と なっ て いて 、 強 く 印 象 に残 っ た。 こ のバ レ エも ま た一 つ の悲 痛 な 愛 の 物 語、 自 己に と らわ れ てイ メ ージ と して の 相手 * * しか愛せない人間の悲劇である。 * -2- [25] [25] ノ ノイ イマ マイ イヤ ヤー ー振 振付 付『 『幻 幻想 想 ~ ~「 「白 白鳥 鳥の の湖 湖」 」の のよ よう うに に』 』 《影の男 》 をどう解釈 するか … 《影の 男》 をど う解釈するか … 東京新 聞 夕刊 東京 新聞 夕刊 1994年4月1日 1994 年4月1日 幻想を打ち砕くのはいつも、黒衣の「影の男」だ。 第 二 幕 では 悪 魔ロ ッ トバ ル トに 変 じ、 第 三幕 で はピ エ ロ とな っ て興 じ るが 、 幕切 れ ごと に 正体 を 現わ し て 王 を 絶 望に 突 き落 と す。 幕 を重 ね るに つ れて 存 在 感 を 増 して い くこ の 「影 の 男」 を どう 解 釈す る か、 そ れ がこ の 作品 の 鍵だ ろ う。 ル ート ヴ ィヒ 二 世や チ ャ イコ フ スキ ー の実 人 生に 則 し て、 美 の世 界 に耽 溺 し 現 実 を 失っ た 芸術 家 の不 幸 と見 て もい い し、 同 性 愛 を 想 定す る こと も 可能 で ある 。 また 死 病に 苦 しむ 者 な ら死 の 影を 感 じる か もし れ ない 。 芸術 で あれ 性 愛で あ れ 病気 で あれ 、 自分 だ けの 完 結し た 世界 を 持 っ て し まっ た 人間 の 悲哀 が 、こ の バレ エ の主 題 であ り普遍性である。思えば私たちは皆それぞれに、「影 の 男 」と い うも う 一人 の 自分 と とも に 人生 を 歩ん で い る のだ 。 バ レ エ『 幻 想』 は 、古 典 作品 の 深層 の 構造 を 説き 明 か すと 同 時に 、 パロ デ ィ化 に よる 古 典批 判 の試 み で もあ っ たが 、 また 人 間存 在 の根 源 的な 悲 劇を も 垣 間見させてくれた。 -3-
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