4.エイズは我々に何をもたらしたか

4.エイズは我々に何をもたらしたか
③エイズにおける差別と人権~スティグマ(偏見)と差別は HIV 予防の最大の障害~
元特定非営利活動法人 HIV と人権・情報センター理事長
五島真理為
(第 2 版)
UNAIDS が 2009 年から 2011 年の優先課題として掲げた 9 つの項目の一つは、
「効果的な
エイズ対策を阻む法、政策、行動、偏見、差別を取り除くことができる」ことである。偏
見や差別が AIDS にどう関わるかについて、2005 年には、「エイズの流行を抑えるには、
社会的な不平等や不公正といった、流行の背景にある要素にも取り組む必要がある。ステ
ィグマや差別、女性差別や、その他の人権侵害など、いまだにアクセスの深刻な障害とな
っているものを克服しなければならない。また、エイズによる孤児や人的・制度的能力の喪
失など、エイズによって新たに生み出された不公正も克服しなければならない。これは並々
ならぬ対応を必要とする、並々ならぬチャレンジである(UNAIDS: AIDS epidemic update,
2005)」と延べ、偏見・差別がアクセスの深刻な障害となっていることを指摘している。
疾病に対する差別は、もともとある差別や偏見を助長する。そして、それがさらに厳し
い差別や著しい人権問題を生み出しており、予防や治療を阻んでいる。UNAIDS は、「偏
見と差別は、HIV/エイズの世界的な流行の抑制努力を妨害し、さらに、より一層の流行に
うってつけの風土を醸成してしまう。これらは相互補完的に、新たな感染の防止、適切な
ケア・支援及び治療の提供、そして HIV/エイズの衝撃の緩和などにとって最も大きな障壁
の一つを形成している。(UNAIDS:AIDS epidemic update, 2003)」として、流行の背景につ
いて述べている。偏見と差別の除去が重要な課題となるゆえんである。
大谷藤郎(1993)は、ハンセン病・精神病・エイズ・難病の艱難について、それを「現
代のスティグマ」である、と断言している。スティグマとは「烙印」を示す言葉で、古代
社会では奴隷や犯罪人に焼きごてで烙印をつけ、地域社会では許されない異分子として、
何かのときにはスケープゴートとして生け贄に供された。今日では、罪の意識も加害者意
識もないまま、エイズや難病の人々をスティグマ化して、社会から排除するような人権侵
害が生じていることに、多くの人々は気づいていない。
本稿では、エイズにかかわる差別と人権問題について、主に UNAIDS 年報にもとづいて
世界の現況および日本の現状について触れ、HIV 予防の最大の障害となっている課題であ
るスティグマと差別について明らかにし、どのように対処すべきかについて考えたい。
●エイズとスティグマのはじまり
~病名の由来~
人間は、その多くが、もともと疾病や死への不安や恐怖をもっているが、原因や治療法
がなく、しかも死に至る疾病に関しては、不可知であるがゆえに不安や恐怖が高じる。ま
た、時には一部の人々にそれが精神的な異常として、疾病恐怖という心気 神経症
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Hypochondriasis をもたらす。癌でもないのに癌と思い込むようなのも、そのひとつである
が、かつては梅毒、今はエイズのように、とりわけ社会的に忌避される疾患がその対象要
因となる場合が多い。性感染症は、それを婚前・婚外性交渉、セックスワーク、男性間のセ
ックス、注射器による薬物使用などの違法であったり、タブー視されている行動と関連付
けることにより、疾病が肉体的な生命だけでなく社会的な生命の危機ともなるがゆえに、
忌避感が増強される。
疾病に対する恐怖は、もともと人々の心の中にある不安、コンプレックスとあいまって、
このような疾病に対して、「かかわりたくない」「自分とは違う」という特別視、排除した
いという気持ちを生む。それが、社会にある既存の差別意識と結びつけば、容易に患者を
「排除する」行動へとつながる等、疾病をとおして人が人を排除するという差別、偏見と
なりやすい。
このように、特定の人々を集団的に排除する差別には、病気と病を患う人とが切り離さ
れることなく同一視されるという非科学的な疾病恐怖が反映しているが、その原因や行為
に対する社会的な制裁が差別や偏見を助長し、さらには、患者自身が自らを差別する自尊
感情の低下をもたらすことにもなる。そのような反応は、心気症に留まらず、マスコミや
医療などの誤った、あるいは過剰な対応により、地域社会全体を巻き込む社会病理ともな
っている。
疾病や、その原因を、自分たちとはかかわりのない外部から来たものとして特別視する
願望は、疾病の名前にも反映され、エイズに対しても当初は、
「ハイチ病」という外国の名
前を生み、また国内でもアウトサイダーであるゲイの人たちの病気という「ゲイ症候群」
という呼び名を生んだ。
アメリカの文芸評論家スーザン・ソンタグは、癌や結核、ハンセン病や梅毒、およびエ
イズなど、歴史上において人々の恐怖の対象となってきた疾病に対する人々の反応につい
て考察する中で、癌が「個人の性格を暴露する病気」とされるのに対して、エイズは「社
会が病気によって裁き」を受ける、あるいは「社会のみだらさに対する報復」にあると指
摘している。そのような人々の病気にたいする見方がエイズに対する社会的な偏見や差別
を助長させているが、最も危険なのは、そのようなスティグマ(烙印)が、
「エイズ撲滅」、
「エイズと闘え」、
「エイズをやっつけろ」というスローガンとともに感染者を社会から排
斥することを合理化させる傾向があるということである、と指摘している。
「私がぜひとも退却してほしいと思うのは
-
-エイズの出現以来、とくにそう思うのは
軍事的な隠楡である。
(中略)それは病気の人々を排除し、烙印を押すにあたって、過
剰動員をかけ、過剰描写をし、しかも強力に貢献するのである。」とソンタグは述べる。
知識の不足からもスティグマは派生し、特定の人々やグループをスケープゴートにし、
非難し罰したいという衝動から、差別を助長する。そうして、HIV 感染に対してすでによ
り弱い立場にある人々をさらに弱い立場へ追いやってしまう。さらに、一般の人々が、安
全なセックスの実践、HIV 検査、などの可能な予防手段を利用することを阻害させる要因
となっている。
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秘密が漏れることによる差別を怖れることから、HIV 感染者たちには、HIV 予防にとっ
て重要な役割を果たす意欲を失わせ、感染していることをパートナーに打ち明けたり、あ
るいは治療が可能な場合でさえも、その利用を妨げることになる。その対応策としては、
何よりも社会のあらゆる層の人々に対するエイズに関する啓発が重要であるが、知識だけ
ではなく、特にワークショップ等を通じて、自らの死や疾病に対する不安や恐怖などの気
持ちや認識をみつめることや、死生学をも含めた疾病観など、自分の心の中にある偏見や
差別にかかわる教育、普及も欠かせない。
●差別と偏見が予防を妨げる
疾病および患者に対するスティグマと差別は、地域や職場、医療現場、法廷や刑務所な
どあらゆる場所で見られ、感染の拡大を予防するための努力の効果を弱め、流行の拡大を
後押しする環境を醸成している。
差別されることに対する恐れは、人々が、自らが HIV に感染しているかどうかを知るこ
とを恐れさせ、VCT 治療を受けることを躊躇させる。また、HIV 感染を認めたと解釈され
る可能性がある等のために、コンドームを使用する意欲を失わせる等、予防にも悪影響を
与える。
セックスワーカー、MSM、IDUs、囚人など、社会の周辺部分に追いやられた人々は、特
別な感染リスクに曝されており、さらに貧困、女性や子供にたいする不平等が、これらの
人々を HIV 感染のより大きな危機にさらしている。
女性に対する差別
多くの国で最も高いリスクにあるのは、しばしば、収入がほとんどない、あるいはまっ
たくない女性たちであり、政治的、文化的、安全性要因も含めた広範な不平等が、女性や
少女の状況を悪化させている。
サハラ砂漠以南のアフリカ及びアジアからヨーロッパ、ラテンアメリカ、太平洋地域ま
で世界中で、HIV に感染した女性の数はふえつづけている。いくつかのアフリカ南部諸国
では HIV と共に生きている全若者の4分の3以上が女性であり(WHO アフリカ地域事務所,
2003 ; 生と生殖に関する健康リサーチユニット及び医療リサーチユニット, 2004)、サハ
ラ砂漠以南のアフリカ全体では、15~24 歳の若い女性は、若い男性より HIV 陽性である
可能性が少なくとも 3 倍に達する(UNAIDS: AIDS epidemic update, 2004)。ボツワナにおい
ては、15~24 歳までの妊婦の感染率は横這い状態であるのに、25 歳以上の妊婦では陽性率
が一定のペースで上昇し、2003 年には 43%に達していた。
女性の感染の機会は、多くの場合、セックスワーカーを利用した夫やパートナーからの
感染である。さらに、女性や少女に対する性的およびその他の形態の虐待が、彼女たちが
HIV に感染する可能性を高めている。バングラデシュ、ブラジル、エチオピア、ナミビア、
タイなどにおける調査では、1/3 から 1/2 の女性が自らのパートナーにより身体的あるいは
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性的暴行を加えられたと述べている(WHO,2005)。
セックスワーカー
セックスワーカーの感染者も多い。インド、タイ、カンボジア、セネガルなどで、セッ
クスワーカーに対する集中的なプログラムの効果が明らかにされているが、グローバルな
レベルでは、セックスワーカーを予防対策の対象に含める率は低く、UNAIDS のP.ピオ
ットも、2004 年のエイズ国際会議で、これまで国連の予防サービスはセックスワーカーの
16%までしか行き届いていないこと、薬物とセックスの連鎖、などについて指摘している。
薬物とセックスワーカーは軍隊内部のセックス・ネットワークとも通じており、中毒患
者や常習者への注射器交換プログラムや代替薬メサドンの解禁などのハームリダクション
が重要である。とりわけ、「アジアでは、セックスワーカーに対する差別や偏見が著しく、
法律は買春者よりもセックスワーカーにより厳しい罰を科している」ことも指摘されてい
る。
(UNAIDS: AIDS epidemic update, 2009)
MSM
MSM も、感染と差別の二重のスティグマに直面している。HIV に感染した MSM は差別
を恐れ、カミングアウトしてエイズ対策への参加も決して活発ではない。MSM の感染率
が高く、MSM が HIV によりきわめて深刻な被害を被っていながら、多くの国々では彼ら
の予防ニーズが無視されている。特に、ホモフォビア(同性愛嫌悪)の根強い国では MSM
の HIV 感染率が高く、その実例としては、成人一般の HIV 感染率と比較して、グアテマ
ラとパナマでは 10 倍、エルサルバドルでは 22 倍、ニカラグアでは 38 倍である(UNAIDS:
AIDS epidemic update, 2007)。
また、アジアでは、同性間のセックスにたいする広範な偏見や差別があり、時には命に
かかわることもある。近年の差別の実態を反映するものとして、MSM の 17%が HIV 感染
の有無にかかわらず自殺念慮のあったことを訴えており、ヒジュラの 45%はセクシュアリ
ティゆえに差別をうけ、40%が肉体的な嫌がらせ、性的強要を受けている、という報告
(Sheridan ら、2009)がある。(UNAIDS: AIDS epidemic update, 2009)
エイズを男性同性愛者の病気とする情報は、それを誰でもが感染する可能性がある性感
染症であるとはとらえず、同性愛者を偏見や好奇な目でみる意識をつくったが、その一方
で、HIV/エイズが提起した点として、セクシュアリティの多様性に対する社会の関心を大
きくする結果ともなった。
同性愛は異性愛と同じように、一つのセクシュアリティにすぎず、自分の身体や気持ち
としての男性・女性・それらを二つに区別することができない性、また、性の対象として
男性・女性・それらを二つに区別することができない性など、セクシュアリティは多様で
ある。一人ひとりが自分らしく豊かな性を生きていくためには、それぞれが違っていて当
たり前なのである。現実には、性は男性・女性の二つしかないという認識や、異性愛が正
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常でそれ以外のあり方を異常とする考え方が、まだまだ私たちの社会に根強くあるが、エ
イズは、この社会が隠しつづけ、存在を認めてこなかったセクシュアリティを浮きぼりに
した。
セクシュアリティは最も個人的かつ、自由なもので、基本的権利の一つである。この個
人の存在と権利を誰にも侵すことはできない。同性愛者であることを隠し、自分の気持ち
をおさえて生きてきた人たちが、感染予防、HIV/エイズが提起する課題に正面から向きあ
い、感染者との共生の道を広げてきた。また、親しい人に自分の気持ちを素直に伝える人
たちも増え、そのようなセクシュアリティに対して理解する人が増えてきている。
外国人・移住労働者
エイズはいまだに、多くの面で「外部」からもたらされているというイメージがあり、
移住労働者や外国人に対する差別をも助長させている。
移住労働者人口が世界一を占めるアジア・太平洋地域では、政府が「見て見ぬふりをする」
など政治的意思や構想の欠如が指摘され、移住労働者の権利と健康に関する状況は改善さ
れていない。その半分を占める女性は劣悪な労働条件のもとで市民権、国籍、生活を奪わ
れるだけでなく性的暴力の対象ともなり、最も脆弱であり、差別・エイズのイメージと重
なっている。
受刑者
全世界では今日、約 1,000 万人の人々が刑務所に収監されているとされている。多くの
国々で、収監されている人々の HIV 感染レベルは、一般国民よりも高い。ロシア連邦では、
刑務所における HIV 陽性率は、一般の国民の間の陽性率よりも少なくとも 4 倍高いと推定
されており、イランでは、収監が HIV 感染の最も大きなリスク要因とされている。また、
ガーナの刑務所では、男性収容者の 3 人に 1 人が刑務所の内外で男性とセックスしたと答
え、薬物注射、刺青などの要因も加わり、「刑務所内の HIV 陽性者の多くが収容後に HIV
に感染した」ことを明らかにしている。(UNAIDS: AIDS epidemic update, 2006)
●
可能な治療を差別が妨げている
エイズをめぐる国際的な格差
HIV 感染者が必要な社会的ケアや支援を求めた場合にも、偏見と差別からサービスを受
けることを拒まれることもあり、そのような例は、医療において特に著しい。UNAIDS は、
ラテンアメリカの例をあげ、
「スティグマと差別が、HIV 予防・治療・ケア・サポートへの
普遍的アクセス達成への大きな障害となっている」と警告している(UNAIDS: AIDS
epidemic update, 2007)。
日本や欧米をはじめ、医療保障が整備された国々では抗 HIV 薬の服薬により発症を防ぐ
ことができるようになり、一つの慢性疾患として、食事面や生活面の健康管理と併せた療
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養の効果が期待できるようになった。しかし、世界的には製薬企業の特許権等の障碍のた
めに高い価格が維持されており、ジェネリック薬もまだすべての国々にゆきわたったわけ
ではない。製剤の利用が極めて少数の国々に制限されていて、いまだ、HIV 感染者が世界
で年間 200 万人以上も亡くなっている。
医療従事者の差別的な姿勢
ナイジェリアで約 1,000 名の医師、看護師、助産婦を対象にした調査(2002)では、1 割
が HIV 感染者/エイズ患者に刻するケアを拒否したり、病院内に入ることを拒絶したこと
を認めており、2 割が HIV/AIDS と共に生きる人々は、不道徳な行動を取ったのだから、
自業自得であると感じていた。またフィリピンでは、HIV 感染者/エイズ患者のほぼ 50%が、
医療施設で働く人々から差別された経験があると答えており、タイでも、11%が HIV 陽性
であるために医療を拒絶されたことがあり、9%が治療を遅らされたと答えている。インド
では、HIV 感染者/エイズ患者の約 70%が差別を経験したことがあり、差別を受ける場所と
して最も一般的なのは、家族内及び医療施設であると回答している。
また、いつ、誰に対して、どのように、自らが HIV に感染していることを告知するかを
選べない状態もある。インドで 29%、インドネシアで 38%、タイで 40%以上の HIV 感染
者が、同意なしに HIV 感染を他人に明かされたと回答している。検査結果が、伴侶または
家族メンバー以外の人々にも知らされることが多く、タイの調査では 9 人中 1 人が、HIV
感染が政府の役人に知らされたと回答している。(UNAIDS: AIDS epidemic update, 2003)
学校・地域における差別
英国のイングランド南西部の小さな村で、生後 8 か月でエイズと診断された里子が地元
の学校にて、誰かが他の子の親に話したことから、他のすべての親に伝わってパニックが
おこり、その地区から引っ越さざるをえなくなった。インドのケララ州では、2 人の孤児が
HIV 陽性だったことから学校から追放され、さらにその他の学校への転入も拒否されてし
まった。州立学校が 2 人の入学を許可するよう命令したが、PTA 会合を経て生徒たちが授
業のボイコットで応酬し、州政府は 2 人に在宅で学校教育を受けるよう命令し、その他の
子供たちとの社会的な接触を事実上禁じてしまった。インドの大統領、保健大臣などによ
る訴えにかかわらず、コミュニティーは断固として、2 人の孤児を拘束し、追い詰めたま
まなのである。
(UNAIDS: AIDS epidemic update, 2003)
。
●日本における人権問題
マスコミが作り出した“エイズパニック”
わが国で HIV/エイズが人々の身近な関心となったのは 1986 年に、
「フィリピンから出稼
ぎにきていた 21 歳の女性が、日本にくる前に受けていた HIV の抗体検査で陽性と出た」
というニュースが、女性の実名とともに報道されてからであった。その 2 日後には、その
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女性が松本市内で働いていたとも伝えられ、マスコミは女性が働いていた店を探そうとし
たり、松本市に住んでいる外国人女性たちが銭湯やスーパー、レストランなどに入ること
を断られたり、女性の客であったとウワサされた人が村八分になったりした。さらに松本
市民だということだけで旅行先で宿泊を断られたり、松本ナンバーの車を見ると逃げ出す
人すら現れる、などのパニックを引き起こした。
ついで翌年の 1 月には、厚生省が「神戸市で初めて日本人女性のエイズ患者が確認され
た」と発表した。それは新聞やテレビのワイドショーで報道され、その女性の葬式にはマ
スコミがおしよせて実名や写真を掲載した。その上、この女性と親しかった男性の「客」
を探すなどの騒ぎをひき起こし、不安になった人たちが保健所の HIV 検査や相談に殺到し
た。
その同じ年、「高知県で HIV に感染した女性が妊娠、まもなく出産」というニュースが
流された。高知では“神戸事件”のように患者の写真や実名、地名を出すことまではなか
ったが、この女性がある血友病の男性との交際を通じて HIV に感染したことや、プライバ
シー情報が詳しく報道された。
これらの報道をもとにしたデマや口コミによる“日本のエイズパニック”と呼ばれる反
応が全国のいたるところで起こりはじめ、HIV/エイズが身近なところまで来ているという
恐怖心をあおり、HIV 感染が性行為によって広がっていくという恐怖がつくられた。とり
わけ、神戸や高知における日本人女性のエイズ発症に関連した興味本位のニュースは
「HIV/エイズは女性から男性にうつる病気である」というイメージをつくりあげた。HIV
感染者の個人や家族の人権を侵しつつ、恐ろしさばかりを強調した報道の繰り返しが、
HIV/エイズに対する社会の恐怖心に裏付けられた偏見をつくりあげていった。
情報操作による「ハイリスク・グループ」排除の社会意識
人々の疾病や患者に対するイメージは、報道のあり方によって作り上げられるが、その
ような側面が利用された例として、厚生省が作り出した「エイズの日本人第1号」報道に
よってエイズは特定の同性愛者の病気であるという、
「第一印象」が意図的につくりだされ
た。
1985 年 3 月 22 日に、厚生省によってアメリカから一時帰国していたゲイの男性がわが
国におけるエイズの「第 1 号患者」と発表された。実は当時、すでに日本人の血友病患者
で HIV 陽性者の存在は研究者が確認していた。そして上記の報道の前日には「日本にも真
性エイズ、輸入血液製剤で感染、2 患者すでに死亡」との新聞報道があった。在米日本人
の男性同性愛者を「エイズの日本人第 1 号」とする国の発表とそれにもとづくマスコミ報
道は、その前日に報道された事例や、薬害により血友病患者の多くが HIV に感染している
事実から人々の関心をそらしただけでなく、同性愛への偏見を増長させて日本における
HIV/エイズを「一部の人、
“特別な人”がかかる病気」という固定したイメージと、それ
による差別をつくりあげることとなった。
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つくりあげられた恐怖感からくる差別
男性同性愛者を「エイズの日本人第 1 号」とする厚生省の発表、そしてその後の「女性
第 1 号」
「日本人女性第 1 号」
「妊婦第 1 号」という報道は、いずれも HIV/エイズを社会の
マイノリティとしてのゲイ、外国人、性風俗従事者、女性の問題としつつ、
「あの夜遊んだ
フィリピン女性がエイズ患者だったら」
「悪魔の伝染病」
「パニックの神戸」
「ニッポン列島
エイズ大噴火」
「エイズ菌がまかれた街」「死のエイズ」「すぐ隣まできた死病の恐怖」「出
産まぢかエイズ妊婦の『男・家庭・子供』」「全身を覆うカポジ肉腫これがエイズの恐怖の
末期症状だ」などの見出しを通じて、恐怖心と差別が作り上げられていった。
これらの情報が創りあげた疾患に対する恐怖は、患者や感染者への恐怖のイメージとし
て、被害者である感染者があたかも社会に対する加害者であるかのようなイメージをつく
りあげ、やがて前時代的な社会防衛を目的とするエイズ予防法へとつながっていった。
差別を助長させた医療現場の対応
HIV 感染者に対する差別は、家庭、職場、地域そして医療現場という、社会のあらゆる
側面で拡大されていった。薬害 HIV 訴訟の闘いを実名で始めた赤瀬さんは、身のまわりの
差別を次のように述べられている。
「世の中の厄介者扱い、いやそれ以下の偏見である。人間扱いされない状況である。死
後も秘密裏に、内輪で葬式が行われるのである。こんなことってありますか!病院で、医
療の現場で忌み嫌うのだから、もう日本は何なのだと言いたい。そして無遠慮なマスコミ
が平気で人の悲しみを踏みにじるのである。医療現場での差別はひどく、設備がないとか、
スタッフがいないとか、およそ医療関係者の発言とは思えない言い訳で責任を回避する。
マスコミはマスコミで、真実を知らせる責任という錦の御旗で個人の人権やプライバシー
を侵す。」
(赤瀬範保『あたりまえに生きたい-あるエイズ感染者の半生』木馬書館)
ここに述べられているように、HIV/エイズに対する差別と偏見は、医療現場における差
別を通して拡大されていったといえる。
1991 年に HIV と人権・情報センターを中心とする AIDS/NGO による 36 時間電話相談に
おいて、803 名からの相談のうち、感染者からの相談は 8 名であったが、そのうち 3 件が
診療拒否に関する内容であった。同じ頃、輸入血液製剤被害者救援グループの調査でも、
200 通の回答の中で 49 例の診療拒否が報告されている。
感染者や患者が最も頼りとすべき医療の現場で、専門家自身が診療拒否や偏見を顕わに
することは、人々に疾病に対する偏見にあたかも科学的な根拠を植え付けることにひとし
いといえる。医療を通じた被害として感染した多くの血友病患者にとっては、医療現場か
ら拒否されて、社会においても増幅された差別を受けるという、二重、三重の被害を受け
てきたわけである。
行政の福祉窓口における差別的な対応
1998 年 4 月から、HIV 感染者が身体障害者に認定され、そのことにより医療費の公費負
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担を受けられるようになった。これにより、高額の医療費の負担が軽減されることが期待
されるようになった。しかし、感染者の多くは福祉窓口や医療現場におけるプライバシー
の漏洩や差別に対する危惧から、今なお身体障害手帳の申請ができない者もいる。
身障手帳の申請ができるようになった 1998 年 4 月から、10 月末までの 7 か月間に、感
染者本人および家族、NGO のメンバーが、実際に申請したり、申請前にあらかじめ電話や
訪問した時の状況をまとめたものがある。その報告には、13 都府県の 53 の福祉事務所、
市・区役所において、56 件の身体障害者手帳の申請時の状況が浮き彫りにされている。申
請の際に制度について「すぐにわかった」という回答は 34%で、
「わからなかった」が 66%
であった。窓口の対応が「よかった」のは 70%弱、
「あまりよくなかった」が 20%であり、
悪い対応の例としては、「『エイズの申請が来た』といって課長を呼びに走り、みんなが見
ていた」
、「初めから『エッ、エイズ?』と驚き慌てた」という事例や、外国人の申請に際
して「窓口担当者が『あっ、エイズや』と叫んで、所長を呼びにいった」などの例が報告
されている。また、担当者がプライバシーを守ることについては、
「よく理解していた」が
36%、
「まあまあ理解していた」は 56%、
「軽視していた」が 4%、
「全く理解していなかっ
た」が 4%であった。プライバシーに関する対応の事例としては、
「他の職員がいるところ
で『HIV』、
『エイズ』と口に出して言った」という例が 33%もあり、説明や申請手続きの
場所としても別室ではなく、
「皆のいる聞こえるところ」が 60%であったという。また、
「住
所、病院などのプライバシーについて聞かれた」という例は 29%に及ぶ。
福祉の窓口だけでなく、警察の窓口で駐車禁止除外指定の申請に際しても、「『若いのに
なぜ身障か』といわれた」とか、「
『歩けるのに必要ない』といわれた」という例が報告さ
れている。その後は、行政の窓口担当者への研修等も行われ、改善への働きかけがなされ
ている。
差別と偏見が感染を潜在化させる
公共の機関における、このような窓口の対応は、感染者の社会保障やサービスの活用を
極端に制限させる結果となるだけでなく、HIV 感染の不安を持つ人々をも社会から孤立さ
せる。今日、全国の保健所において HIV 抗体検査が実施されるようになったが保健所等に
おける抗体検査の延べ実施数は、2008 年度で約 23 万件という現状である。英国において
検査により陽性であることが判明している数が HIV 陽性者の約 7 割と推測されていること
に比べると、わが国の検査の実情から、実数の把握は困難である。
癌健診についても「診断されると怖い」という理由から、リスクの高い人々が受診する
ことを忌避する傾向のあることが知られているが、HIV 抗体検査については、疾病に対す
る恐れだけでなく、プライバシーが知られることによる差別に対する恐れが、人々を抗体
検査から遠ざけていると思われる。
ハンセン病の元患者との共闘
89 年に施行されたエイズ予防法(98 年に廃止)に対する戦いは、隔離思想と社会的差別
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の背景となってきた、らい予防法(96 年に廃止)に対する患者の戦いから多くを学び、ま
たハンセン病患者団体からも支援を受けて進められた。
「こんな不合理なことを押し付けられてハンセン病患者はなぜ怒らないのか」という手紙
を、赤瀬さん
はハンセン病の作家に書いた。不意の手紙を受け取った島比呂志さんはそ
の 8 年後、
熊本地裁に 13 人の一人として提訴してハンセン病国家賠償訴訟原告団名誉会長
となった。
これらに共通するものは患者の人権に対する配慮を欠く社会政策と社会のあり方にあ
り、患者や感染者自らによる人権を守るためのたたかいによってしか見直しが進まなかっ
たところに大きな問題がある。このような人権侵害の背景には、それを生み出す法律や社
会制度があり、それに対する為政者や専門家の認識も薄く、人々の意識も低い。薬害や病
気に対する差別が生まれる土壌は、今もなくなっているとはいえない。それに対して、あ
らゆる立場の人々がともに闘うことを通してのみ、共生、共感の意識が育まれ、その結果、
患者の人権や生命も保障されるのではないだろうか。
●
エイズと人権に関する対応策
HIV/エイズに関連する偏見、差別と人権侵害に対しては、さまざまな対処が必要である。
偏見を防ぎ、差別が発生した際にはそれを問題として取り上げ、さらに人権侵害を監視し、
正すための行動を取るために、政治的・社会的リーダーからコミュニティーの構成員、さ
らにはあらゆる人々が役割を演じる必要がある。
治療的手段という医学的な対処の普及による、HIV/エイズに対する人々の認識の変化と、
もう一方での地域や国レベルの積極的な取り組みを利用できることが、エイズに対するよ
り開放的な姿勢につながり、それが、スティグマや偏見を打破する一助ともなっている。
効果的な予防及び治療を利用しやすくすることは、偏見、差別及び人権侵害の悪循環を打
破するために最も重要なことである。治療を利用できる機会が増えることは、個人がより
長期に、生産的な人生を歩むことができるという展望と希望につながり、地域における HIV
との共生の認識、偏見の引きがねとなる不安の緩和にもつながることが指摘されている。
取り組みの成果
偏見、差別、人権侵害を助長させてきた拒絶や無知、恐怖などに正面から取り組み、成
功を収めている例も次第に増えつつある。
南アフリカ共和国のカエリチヤで抗 HIV 療法が導入された後に実施された健康調査で
は、調査対象となったその他の抗 HIV 療法が導入されていない 7 ヵ所の地域よりも高いコ
ンドーム使用率、エイズクラブへの参加姿勢、HIV 抗体検査の受容などが見られた。
ザンビアでは、地区の首長たちが自ら率先して HIV テストを受けることで、コミュニテ
ィーの構成員らも彼らの後に続くよう働き掛けることに成功した。さらに彼らは、感染に対
して弱い立場に追いやる未亡人に不利な相続制度やその他の慣習に対抗する法令を定める
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など、一歩踏み込んだ活動も展開している。
エジプトでは HIV/エイズホットラインの 3 分の 2 が 18 歳~35 歳までの人々から、さら
に 20%が女性からの相談で、エジプト全土、さらにはアラビア語圈の他国からも寄せられ、
正確な情報と匿名でのカウンセリングを提供し、セクシュアリティ及び HIV/エイズを取り
囲む秘密主義や無知を突破する助けとなっている。
南アフリカで放送されているテレビ番組『タルカラニ・セサミ(南ア版セサミストリー
ト)
』では、カミという名前の HIV 陽性のマペット(人形)が登場し、彼女が友だちと HIV/
エイズについて話し合うことにより、主に 3~6 歳までの子供の視聴者に、エイズに関連し
た偏見や差別の問題を知らしめ、人々がそうした問題に挑む、または対処しうる方法を示
している。
(UNAIDS: AIDS epidemic update, 2003)。
また、フィリピンでは NGO が国営 TV を使って性教育番組を行っている。
最近の成果として UNAIDS は以下のような例を紹介している。ハイチでは 1994 年から
2004 年の間に、妊婦の HIV 感染率が 5.9%から 3.1%へと半減し、とりわけ都市部の新規
感染率が低下しており、それは感染を予防する行動変容によると示唆されている。ブラジ
ルでも、ハームリダクション・プログラムや、薬物摂取の方法が吸引にかわったことから、
都市部での IDUs の HIV 感染率低下も指摘されている。ホンジュラスの都市部の調査では、
コンドームの使用率が増え、HIV 感染率の低下傾向が報告されている。ケニア、ハイチで
は 1994 年から 2006 年の間に、HIV に感染するリスクが高い性行動が劇的に減少した。ボ
ツワナ、コートジボアール、ケニア、マラウイ、ジンバブエの5か国では、都市や農村の
若い妊婦の HIV 感染率が劇的に低下し、HIV の影響が深刻な国で予防対策が効果を発揮し
ている。(UNAIDS: AIDS epidemic update, 2007)
職場における対処
雇用前の HlV テストを要求したり、HIV 陽性の労働者に対する医療手当てを減額または
廃止したり、さらには彼らを解雇するなどして HIV/エイズに関連する負担を他人に転嫁す
ることを好む企業も未だに存在するが、その一方で、職場における予防及びケアプログラ
ムを実施する事業所も増えつつある。
ブラジルのフォルクスワーゲン社などの企業は、労働者に抗 HIV 療法及びその他のエイ
ズ関連の治療を提供し、同社のエイズケアプログラムは、予防教育、コンドームの無料配
布、カウンセリング及び支援、さらに抗 HIV 療法及び治験へのアクセスなどを提供し、HIV
に感染している労働者が個人情報を秘匿する権利の保証、強制的な検査及び HIV に感染し
た労働者の解雇禁止などの差別対策も採用し、2~3 年で入院患者数が急減し、治療及びケ
アコストを大きく削減することができたと報告している(UNAIDS: AIDS epidemic update,
2003)。
地域における因習の除去
アジアのイスラム社会では、これまで家父長制の中で「よく見えない人たち」、つまり
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若い女性たちが、無知、偏見、はじらいのもとに、感染との二重の差別を主に受けてきた。
近年では、
「宗教は命をすくうためにあるのか、規則に固執して死を迎えさせるのか」との
問いかけのもと、宗教者への教育とエイズ対策への巻き込みに成功しつつあり、周辺のイ
スラム原理主義諸国の対応への影響の兆しもある。
偏見や差別に法で対抗する
法律は偏見や差別と闘う有力な道具ともなりうることは、フィリピンの「HIV/エイズ防
止及び予防法」が HIV 関連の差別との闘いにおいて有効な手段となっていることが示して
いる。
ベネズエラでは、1980 年代後半から無料の法律相談の提供、訴訟、雇用、医療、社会サ
ービスにおける差別に関する法的訴えを扱って人権侵害と闘ってきた「エイズに対抗する
市民アクション」が、同国の国防省を相手どって起された歴史的にも重要な訴訟において、
4 人の軍人の原告が抗 HIV 療法及びその他の治療、匿名でのケア及び年金を獲得する支援
を行った。この国防省を相手どった訴訟における判決は、すべての軍人の仕事、プライバ
シー、非差別、尊厳と心理的及び経済的配慮”、ヘルスケアなどに関する諸権利の前例とな
るものとなった。1999 年7月、同国最高裁は、同国保健省に対して、すべてのベネズエラ
在住者の HIV 感染者に対する抗 HIV 療法、日和見感染症に対する治療、診断のための検査
を無料で提供するよう命令を下した。(UNAIDS: AIDS epidemic update, 2003)。
●
地域・機関・国内・国際レベルの対応
わが国での対応として、2006 年から施行されているエイズ予防指針では、第一に「普及
啓発及び教育」が掲げられ、次いで「検査・相談体制の充実」
「医療提供体制の再構築」が
挙げられている。
エイズに関する差別や偏見を除去し人権を護るために、われわれが目指すべきなのは、
まず誰でもが感染する可能性のある HIV に対して、感染者を社会で受け入れ、HIV/エイズ
との共生を図ることでなければならない。そのためには、地域や国、職場、医療・教育機
関などにおける対処の改善を図ることが重要である。
人権意識の高揚を図るための方策として、第一に重要なのは人権教育の徹底である。学
校教育における総合教育にも人権教育を導入すること、および、社会教育として企業勤労
者教育・地域住民教育の充実を図ることである。もう一点は、人権教育方法の改善である。
その内容としては、A)感動を伝えたり、ワーク、または体験中心の考える教育、B)人権
教育の評価、つまり効果について評価の判定調査を行うこと、C)人権意識の浸透の度合
いについてのチェックを定期的に行うこと、などが考えられる。
地域レベルは、メディアを基盤とする正しい対策を世論に向けることで、HIV/エイズに
対する人々の理解を向上させることが重要である。職場や病院、教育施設などにおいては、
公正な政策と教育プログラムにより、偏見、差別、人権侵害に効果的に立ち向かうことが
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できる。また、HIV 感染者、エイズ患者の人権を促進し、保護するために、人々が法的権
利及び義務を訴えることも重要である。
人権侵害に対する国レベルの対応
感染症による患者の人権が侵害された場合の被害者の救済のあり方としては、1)法律
の制定、2)法律を実質的にするための機関の創設、3)人権裁判、ならびに、4)国内人権
救済機関の代替機関とその他の社会資源の整備、が必要である。
法律の制定としては、患者の人権を明らかにする法律として、「患者権利法」あるいは
「患者の人権に関する法」のような患者の権利と医療従事者、医療機関の責任と義務を明
らかにする法律を立案し、法的根拠を確立することが重要である。
法律を実質的にするための機関の創設には、①国内人権救済機関、②国内人権委員会、
③国内人権教育機関、などの整備が必要である。国内人権救済機関としては、人権相談の
窓口が置かれ、人権侵害が起こった場合、調査を行い、警告、勧告等をすることで解決へ
の道を示すこと、および、一定の権限を持たせる機関であり、行政に対しても強制力をも
っていること、そして、国内人権機関が人権を守るために実質的に機能を持つ機関である
ことが必要である。国内人権委員会は、それに加えて、政府、行政にたいして人権問題に
関する提言を行う機関である。国内人権教育機関とは、人権のための啓発活動や教育を行
う機関として整備することが必要である。
これらの機関を機能させるため、国内人権機関の人材の確保が重要である。つまり、①
当事者や今までに実績のある NGO から広く人材を募り、国内人権委員会の助言者である
ことが望ましい。また、②人材育成のための教育や研修を十分に行うことが必要である。
人権裁判とは、現在の裁判では弁護士も少なく公開制で、費用もかかり、迅速ではない。
HIV 関連裁判ではプライバシーが守られることが最も重要な点であり、現行のあり方を検
討する必要がある。国内人権救済機関の代替機関とその他の社会資源としては、弁護士会
の人権擁護委員会、AIDS/NGO による相談・救援活動、マスメディアによる人権問題への
社会的影響力が、現在も機能しており、委託等を通じてこれらの機能の活用を図ることで
ある。
また、市民参加という裁判制度の変化に伴って、差別など人権侵害犯罪への裁判がどう
変化するのか、注目しておく必要がある。
国際的なイニシアティブ
そして、これらすべての面において、国際的な機関の指導的な役割が注目される。2001
年 6 月に開催された国連 HIV/エイズ特別総会において起草された『HIV/エイズに関するコ
ミットメント宣言』第 58 条では、
「2003 年までに適宜、HIV/エイズと共に生きる人々や社
会的弱者集団の構成員に対するあらゆる形態の差別を撤廃し、そのあらゆる人権と基本的
事由の完全な享受を確保すること、時に、そのプライバシーと秘密性を尊重しながら、教
育、相続、雇用、ヘルスケア、社会保障サービス、予防、支援、治療、情報および法的保
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護などに対するこれらの人々のアクセスを確保することを目的とした法規およびその他の
措置を制定、強化あるいは執行するとともに、HIV/エイズに関連する偏見と社会的排除と
闘う戦略を策定すること。」と明記されている。
2001 年に国連は、HIV/エイズに関するコミットメント宣言として「最も被害が大きい国
で、若者の HIV 陽性率を 2005 年までに 25%まで低下させる」という目標を掲げた。しか
し、実態としては、ケニア、ハイチ、ザンビアでは「定期的ではないパートナーとセック
スする若者の割合」が減ったものの、カメルーン、ウガンダ(女性)では上昇がみられる
など、若い人々の行動変容は決して容易ではない。(UNAIDS: AIDS epidemic update, 2006)
UNAIDS(国連エイズ合同計画)の HIV 予防強化政策提言
2005 年 6 月、国連エイズ合同計画の理事会は、HIV 予防、治療、ケアに対するユニバー
サルアクセスを達成するという究極の目的を掲げた政策提言を承認した。この政策提言に
は、予防措置の不足を埋めるために活用することができる効果が証明されたプログラムや
アクションの概要と、ユニバーサルアクセスを保証するために必要となるであろう、以下
に掲げる 12 項目の最も基本的な政策アクションが含まれている。
UNAIDS(国連エイズ合同計画)の HIV 一予防強化政策提言書に示された HIV 予防の
ために不可欠な政策行動
1.
人権が促進、擁護及び尊重され、差別を根絶し、スティグマ(偏見)と闘うため
の方策が取られること。
政府、影響を受けているコミュニティー、非政府組織、信仰に基づく組織、教育
2.
セクター、マスコミ、民間及び労働組合などの社会のあらゆるセクションによるリ
ーダーシップを構築し、維持すること。
予防戦略の計画、実施及び評価に HIV と共に生きる人々に参加してもらい、不可
3.
欠な予防ニーズに対応すること。
文化的な規範や信念に、それらが予防努力の支援に果たす重要な役割及び、それら
4.
が HIV 感染を拡大させる可能性の双方を認識しながら、取り組むこと。
女性及び少女の感染に対する脆弱性を減らすために、男性や少年もその施策の中
5.
に参加させつつ、ジェンダー間の平等性を促進し、ジェンダーに基づく規範に取り
組むこと。
6. HIV がどのように感染するか、感染をどのように防ぐことができるかについての
知識と気付きの普及を促進すること。
7. HIV 予防と性の健康及び生と生殖の健康の結びつきを促進すること。
予防、ケア、治療の連携におけるコミュニティーベースの対応の強化を促進する
8.
こと。
主たる影響を受けている集団及び人々の HIV 予防ニーズに的を絞ったプログラム
9.
を促進すること。
10.
全セクターにおいて、特に保健及び教育部門などにおいて、財政的・人的・組織
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的能力を動員し、強化すること,
11.
効果的で証拠に基づく HIV 予防施策に対する障害を除去し、スティグマや差別と
戦い、HIV と共に生きる人々または、HIV 感染に関して弱い立場にある、あるいは、
そのリスクが高い人々の諸権利を擁護するための法的枠組みを検討・改革すること。
12.
新しい予防テクノロジーの研究開発、そのためのアドボカシー活動に対して充分
な投資が行われるよう保証すること。
この中では、「人権擁護と差別の根絶、スティグマ(偏見)との闘い」が冒頭にあげら
れ、政府や保健、教育機関などの具体的な責任を示したあと、第 11 項では再び、「スティ
グマや差別と戦い、HIV と共に生きる人々または HIV 感染に関して弱い立場にある、ある
いは、そのリスクが高い人々の諸権利を擁護するための法的枠組みの検討・改革」の提示、
最後の第 12 項では「そのためのアドボカシー活動に対して充分な投資の保証」が提示され
ている。
また、本稿の冒頭にも記したように、UNAIDS の 2009-2011 の優先課題としては、次の
9 点が掲げられている(UNAIDS: AIDS epidemic update, 2009)。
1
HIV の性感染は減少させることができる。
2
母親の死亡と乳児の HIV 感染は予防できる。
3
HIV 陽性者が治療を受けることを確信できる。
4
HIV 陽性者が結核による死亡を予防できる。
5
注射器による薬物濫用者の HIV 感染は予防できる。
6
効果的なエイズ対策を阻む法、政策、行動、偏見、差別を取り除くことができる。
7
女性や女子にたいする暴力を止めることができる。
8
若者が HIV から身を守ることができるようにできる。
9
HIV 陽性者の社会保障を充実させることができる。
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