拒食症と文化

健康文化 16 号
1996 年 10 月発行
健康文化
拒食症と文化
渡辺
美樹
1983年1月にアメリカのシンガー・ソング・ライター、カレン・カーペ
ンターが32歳で拒食症(anorexia nervosa)のため急逝した。正確には、病的飢
餓による血清中のカリウムの不足のため心不全を起こしたのである。また同じ
年に女優のジェイン・フォンダも大学在学中から既に神経性大食症(anorexia
bulimia)に苦しんでいたことを告白している。1973年にヒルデ・ブラッチが
症例を報告したものの、特に注目を引かなかったこのような摂食障害が、この
時マスコミによって大きく取り上げられることとなった。そのため拒食症は一
般にはエイズのように現代病の一つと受け取られているが、実は拒食症の症状
は意外に古くから知られている。ただし19世紀まではこれが病気とはみなさ
れていなかった。むしろこの一連の症状は巫女が神と交信するときの一種の精
神状態として肯定的に捉えられていた。
ルドルフ・ベルの『聖なる拒食』(Holy Anorexia)には中世イタリアの 261 人
の拒食聖女の記録がある。拒食聖女とは月に一度聖体拝受の際に与えられるパ
ンとワインだけで生命を繋いでいる女性のことで、このような苦行は「奇跡の
拒食」(anorexia mirabilis)と呼ばれ、教会から称えられた。キリストの受難を
我が身に再現したのはほとんどが思春期の女性であった。食を断ち、睡眠を最
小限にとどめ、むち打ち苦行や湯焼きといった中世の聖女たちの苦行は様々な
神秘的幻想を引き起こした。そうした幻想は教会から神のお告げと認められ、
また拒食による身体的症状は聖痕とみなされた。さらに、その遺骨は遺物崇拝
の対象であった。
その後宗教改革を経て、カトリック側の「拒食聖女」も新教側では逆に悪魔
に憑依された魔女と考えられたりしたが、いずれにしても宗教上の問題である
ことに変わりはなかった。この神秘的な捉え方は19世紀まで続いた。
これに対して医学的な捉え方も17世紀末から出始めている。1694年に
ジェイムズ二世の侍医であるリチャード・モートンが現在拒食症と呼ばれてい
る症例を二例初めて病気として記述した。1873年にはヴィクトリア女王の
侍医、ウィリアム・ワイジー・ガル卿が極端な痩身、食欲不振、無月経を主な
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症状とし、なおかつ病気との自覚がないケースを拒食症と命名した。ヒステリ
ー、神経衰弱、多重人格、広場恐怖症、ホジソン病、パーキンソン病、アディ
ソン病等々多くの病気はこの時代に発見された。消化器官の異常を伴わない食
欲不振がこの時期に初めて病気として認識されたのは当然のことであったかも
知れない。
1869年頃から「タットベリーの断食をする女性」、「ウェイルズの断食を
する少女」、「ブルックリンの奇跡」、「フォート・プレインの断食をする少女」
などと呼ばれる拒食症の女性たちが新聞を賑わすようになる。場所に主眼を置
いたこの命名法は中世の拒食聖女の命名法と同じである。この時代は拒食が聖
女の証なのか、まやかしなのか、はたまた病気なのか、医師の間でもまだ意見
がわかれていた。しかし、一般には依然として拒食は教会の言うとおりに聖女
の証として考えられ、聖地巡礼を模倣した「拒食聖女巡礼」が流行する。この
頃から世紀末にかけて英米仏の中産階級の子女たちの間で拒食症は大流行する。
この病気の流行はこの時代の家父長制度によって抑圧され、出口を失った女性
の生のエネルギーが自己破壊に向かったものと言えよう。拒食症は女性たちの
言葉にならない抗議である。従って一面ではこれは文化の病とも言える。その
後、この病気の存在は忘れられ、痩身を理想の女性美と考える現代に至って再
び流行をみるのである。
文化の病としての拒食症の扱いは文学上では早くも18世紀の書簡体小説
『クラリッサ』
(1747ー48)にみられる。サミュエル・リチャードソンの
この小説は迫害された処女の物語である。知性と感受性に恵まれた若い女主人
公クラリッサは、家名という名の抑圧の下に苦しみ悩んでいたところを、名う
ての放蕩者ラヴレイスの手で言葉巧みに連れ出され、強姦される。そのショッ
クでクラリッサは精神錯乱をきたし、救出後にようやく正気を取り戻すが、家
名に執着する父親の命に背いたことで自責の念にかられ、死を願い、望み通り
に死を遂げる。直接的な死因は語られていないが、決して物理的な自殺手段を
採ったのでなはいことははっきりしている。
「手折られた白百合の花」の殉教者
としての、つまり聖女としての死が描かれている。中世の拒食聖女の歴史や弱
者の抗議の印がハンガー・ストライキであること等を考え合わせると、クラリ
ッサの死も拒食による衰弱死である。この抑圧と拒食というテーマは迫害され
る処女を描くゴシック小説を媒介として、19世紀半ばのブロンテ姉妹へと受
け継がれていった。かくして19世紀末の女性と拒食との抜き差しならぬ関係
は18世紀の文学の中に先取りされているのである。
1847年出版のエミリ・ブロンテ作、
『嵐が丘』はキャサリンとヒースクリ
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フの悲恋物語とされている。しかしこれは、キャサリンが子供から大人になろ
うとする段階で起きた悲劇として解釈すると、自己喪失によって引き起こられ
た拒食症の物語としても読むことができる。
キャサリンはヒースクリフと二人で野生児さながらに自由奔放で無垢な少女
時代を送っていた。
「自分自身よりももっと自分らしい」ヒースクリフはキャサ
リンの分身である。キャサリンは性の目覚めからお屋敷で文化的な生活をして
いるエドガーに魅了されて結婚する。文化的な生活に適応するためには教育さ
れて淑女に変身する必要があった。つまり野性的な分身であるヒースクリフを
抹殺しなければならなかった。キャサリンは妊娠したが、自己分裂してしまっ
た彼女は子供を産むという身体の分裂に耐えきれず、拒食症となり、産褥の床
で死亡する。キャサリンの拒食は自然児キャサリンが女性として成熟すること
に失敗したことを示す。
この作品にはもう一人拒食症の症状を示す女性が登場する。エドガーの妹イ
ザベラは幼いときより「小さな大人」として育てられてきたが、ヒースクリフ
との結婚をきっかけに嵐が丘で拒食症に陥る。動物の死体が転がっている不潔
な台所で不作法な人たちと「生(なま)の食べ物」を取ることができないからであ
る。
「文化的な」イザベラは「自然な」子供時代を体験していない。自己分裂の
危機であることは同じでも、彼女の拒食症はキャサリンとは逆に「子供」にな
れなかったことを示す。自然児キャサリン同様、文化の申し子イザベラも真の
意味で成熟した女性になりきれなかったのである。
ヒースクリフもまた餓死を選ぶ。自分の分身であるキャサリンを文字通り失
ったからである。現実の世界はその喪失を思いださせることしかしない。故に
幻想の世界で喪失した魂を発見しようとする。その幻想の世界を求めるあまり
拒食となるが、失われた魂との再合一は結局果たせなかった。キャサリンはヒ
ースクリフの幻想の中にさえ現れることはなかった。
『嵐が丘』で描き出された
拒食症は自己分裂の表象である。この作品は相反するものの統一の不可能性を
示している。
作家エミリの姉シャーロットは、1849年に『シャーリー』の中で、拒食
症の元凶が家父長制であることを主張している。叔父の下で暮らすキャロライ
ンは従兄ロバートへの報われない愛を抱いたまま、経済的に自立することも許
されずに、
「家庭の中の天使」として家の中に閉じこめられている。生きる目的
を見いだせないキャロラインは拒食症となる。彼女の発病を契機に幼い娘を置
き去りにして出奔していた母親が名乗り出て看病を引き受ける。以来キャロラ
インの鬱積した感情は出口を見いだし、彼女は快方に向かう。しかしやはり家
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父長的なロバートと結婚することになったキャロラインに再発の危険がないと
は言えない。その後の経緯は書かれていないが、叔父の妻メアリのケースは彼
女の母親のケース同様に暗示的である。メアリは結婚と同時にだんだんと衰弱
していき、帰らぬ人となっている。このように結婚は女性を縛りその可能性を
もぎ取るものとして提示されている。
女性と拒食症との関係は様々な作品の中で取り上げられている。例えば、不
思議な国へ行ったアリスは食べ物を口にする度ごとに変身する。食欲の赴くま
まに食べ物を取ることの危険を学ぶ必要があったのである。鏡の国ではさらに
空腹感を我慢することを学ばなければならなかった。アリス物語は子供から大
人になるためには欲望をコントロールする必要があることを示している。拒食
症大流行の根底には一つの文化の下での欲望コントロールの喪失がある。
ベスト・セラーとなった1897年の『吸血鬼』もまた摂食障害の物語とし
て読むことができる。ドラキュラ伯爵に血を吸われたルーシー・ウェステンラ
は極度の貧血を伴った拒食症に陥って死亡する。吸血鬼として蘇ったルーシー
の喉は人間の食べ物を通さない。人血のみが食べ物になってしまう。吸血鬼と
は妊娠中の女性が罹りやすい異食症(pica)、つまり糞便のような食べられない物
を食べたくなる病気に罹患した人間のことであろう。精神医学の権威者ヘルシ
ングがドラキュラ伯爵の好敵手として登場するのは、摂食障害が精神の病、つ
まり文化の病であることを物語っている。
拒食症が昔から精神の病であったことは『源氏物語』に窺い知ることができ
る。正編では、女君たちは六条御息所の怨霊が原因で死の病を得る。ところが、
続編の宇治十帖で夭折する大君には怨霊は憑依していない。零落した宮家の姫
君である大君には経済的な基盤のある身内がいない。父、八の宮は主人公の薫
に二人の姫君の後見を託して死亡する。正編で女三の宮が後見役の源氏の下に
降嫁したことからわかるように、後見人とは姫君の結婚相手である。結婚の意
志のない大君は代わりに妹を薫に娶せようとするが、妹は次の東宮と目される
匂宮と結婚することとなる。正妻になるほどの社会的地位のない妹と匂宮との
結婚生活が苦渋に満ちたものでしかないのを知った大君は、たとえ自分が薫と
結婚したところでいつかは同じことが起こると悟る。身の置き所のなさが原因
となって大君は拒食症に罹って衰弱死するのである。このように拒食症は古く
からそれぞれの文化の刻印を帯びた精神の病であった。
(名古屋大学医療技術短期大学部助教授・英文学)
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