基調講演(PDF941KB)

恵庭まちづくりセミナー
「まち育てのススメ」
日
時 平成 25 年 9 月 11(水)13 時 30 分~16 時 00 分
会
場 恵庭市黄金ふれあいセンター(恵庭市黄金南5丁目11-1)
基調講演 「まち育て」って何?
座談会
弘前大学教育学部 教授
北原 啓司 氏
恵庭の「まち育て」に参加しよう!
平成24年度恵庭市提案型協働事業参加者
恵庭地区まちづくり市民委員会
島松地区まちづくり市民委員会
(コーディネーター) 弘前大学教育学部 教授
北原 啓司 氏
基調講演
皆さんこんにちは。ただ今、御紹介いただきました北原
と申します。弘前から参りました。恵庭に初めて来ました
のは 20 年ちょっと前で、ちょうどガーデニングコンテスト
をされている頃でして、とにかく自分の庭、あるいは庭だ
けでなくて、その(受賞した)家の向かいにあるアパート
の階段に植木鉢が置いてあったところが好きで、このまち
は、とても身の回りの辺りを大事にするまちであると、授
業でも時々使ったりしておりました。2 年前に来させていただいた時には、市長さんとお
会いしまして、その後コンパクトシティの話をしたことを覚えています。
今日は、僕がやっている市民参加型のまちづくり「まち育て」の話をさせていただく
のですが、実際に活動している方が一杯いらっしゃいますが、でもやっぱり少し気をつ
けないといけないということで、まちづくりに参加するとはどういうことかというお話
をしたいと思います。
これからの参加…まちを「たべる」ための参加
かつては、まちを「つくる」ときに、まちづくりの主
人公はやっぱり役所で、それを市民が「たべさせて」も
らう、まちを「たべさせて」もらうという関係で、「つ
くる人」(役所)の方が主人公みたいな見方がありまし
た。だから何か市民の意見を聴きたいときは、アンケー
トをとるという手法があります。あるいは、とりあえず
ご飯を作って、味が美味しいか不味いか聞いてみる。そ
うです、二つしか反応はないのです。美味しいからおかわりを頼むか、美味しくないか
ら突き返すかです。日本の住民参加というのは、
「参加」でなくて最初は「運動」でした。
わかりやすく言うと、昭和 40 年代の川崎とか四日市のような公害の問題、名神高速道路
沿いの騒音の問題のように「嫌だ、何とかしてくれ、美味しくない」と突き返す。どち
らかというと、住民参加というと「反対運動」ということを考えてしまう人が多かった
と思います。今から 30 年くらい前の時代には「住民参加」と言われると、半年で終わる
仕事が一年かかってしまう。8 千万円で終わる仕事が 9 千万円かかってしまうかもしれな
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い。みんな心配で、参加はできれば避けたい。だけど避けてしまうとまずい。それで行
政の皆さんは、みんな迷っていました。
なぜか? こんな参加がなかったからからです。
「いいですねぇ、わたしも一緒にやり
ましょうか」。そういうのはほとんど無くて、どちらかというと「こんな不味いもの食え
るか」と返す方が多かったと思います。
今日お話したいのは、なぜそうなってしまったか? 主体が「つくる」人と考えてし
まうからです。最初に結論を言います。我々は、まちを「たべる」人です。
「たべる」プ
ロです。しかし「つくる」プロではありません。つくる人の代わりに自分たちがやった
方が、良いまちができる。それは無理です。つくるプロに任せるべき仕事もあります。
ただし「たべる」プロがいなければ、
「つくる」プロが作るまちは、良いまちになるかど
うか分かりません。なぜなら「つくる」のは専門家であっても、まちを上手に「たべる」
プロでないからです。ですから、市民参加であっても、
「つくる」人たちがいなければな
りません。
ウチのまちには、こんなモノがある、こんな素材がある、そんな話を「たべる」人の
方から言って初めて、その資源を生かそうと思って「つくる」人、つまり役所の人は、
力を発揮します。
これまでは、「つくる」人は、「たべる」人に聞くまでもなく、霞ヶ関というスーパー
マーケットに行って、レシピと一緒に材料を 2 月や 3 月にもらいに行きました。その次
の年にこんなカレーをつくるのであれば、という条件でそれをもらってくるのです。だ
から、全国で同じようなカレーが生まれてしまいました。ある年には屋内プールが多い、
ある年には陸上競技場ができます。みんな同じような補助金をもらって、つくりたくな
いものさえつくることがあります。本当は違うのを作りたい。うちのまちではこれをや
りたいのに。
これからの「参加」は、
「つくる」人が地域の素材をいつも見ていなければいけません。
発見しなければなりません。
「たべる」人はそれを提供する。提供した以上は、味見させ
てもらう。そんな場所が必要です。そして、その次にやる「たべる」人の仕事は、つく
られた料理をどうやって美味しく食べていくかということです。食器も用意するし、テ
ーブルクロスも用意するし、音楽もかけるし、そういった楽しい食べ方を実際にできる
のは、
「たべる」人しかできません。例えば、恵庭市役所の人が、今日は島松、今日は恵
み野に行って、まち全体の一つ一つの小さな事を全部やっていくのでは体がもちません。
つまり、そっちは当然「たべる」人がやる仕事だと僕は思うわけです。
今日お話したい参加は「たべる」人の参加、代わりに
厨房に行ってフライパンを握ろうというのではなくて、
そちらはそちらでしっかりやってもらって、でも、こち
ら側でやる参加、「たべる」仕事があるじゃないですか。
そんな話をしたいなと思います。
つまり参加というのは、
「今日まちづくりに参加してく
る」と出かける人はいないわけで、ある種のこだわり、
恵庭の「たべる」人としてのこだわりがないと、僕は参加できないと思います。
「こだわ
る」ということが既に参加です。それはプライドです。まちを「たべる」ための参加の
お話を今日したいなと思います。そのことをやっていらっしゃる方のお話が、後半の座
談会で出るはずです。
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多数決で決まる「積分のまちづくり」
大事なことは、みんなで同じものを食べないといけないのだろうかということです。
この社会は多数決です。しかし、よく考えてみると面白い事をする人の発想は、周りの
考えとちょっと違います。みんなと全く違うことを考えているけど、結構それが良い案
だったり、決してみんなと同じ考えにならなければいけないわけではないはずなのです
が、政治はどちらかというと多数決の論理です。
都市社会学の権威の奥田道大先生は、こんなことを仰っています。現実の市民参加には
ちょっと問題がある。なぜなら中間的な考えを持つ人をあまりにも意識しすぎて、突飛
な考えを持つ人を軽く見てしまう。
例えば、ここに、2 つの軸の中に 30 人ほどがいま
す。てんでバラバラです。これを数学で平均をとろう
と思うと、実は数学って簡単で、どんな場合も、とり
あえずの平均の線が描けます、あの線の辺りが真ん中
です。そうすると、ここで中間的な人々は、この線の
周辺の人々で 7 割います。ここら辺の人々をくすぐれ
ば、政策的には上手くいったり、選挙に勝ちます。
でも、この楕円の中に入らない人たちって、そんな
に変なことを考えている人なのでしょうか。我々はみんな全く同じ考えを持っているわ
けがありません。小さい子からお年寄りまで、みんな様々な経験の違いから、様々な思
考を持っています。その中で一緒にまちを生きていく上で、みんな同じ考えで一緒に動
いていこうとしても長続きしません。多様な人々の面白い意見を使いたいのですけれど
も、やっぱりどこかで議決をとると、70%が賛成しましたという多数決になってしまう。
多数決は当然なのだけれど、こういう平均的ではない人たちの活動が、中間的な人たち
に刺激を与えるような、そんな「まち育て」がないのかなという話をしたいと思います。
今、ここに 3 人います。黄緑が 2 人、白が 1 人です。多数決の論理というのは、ここで
2 対 1、最小の数の多数決です。この白は黄緑になります。積分というのは、囲まれたと
ころの面積を出すことが目的なのです。ここに白がいたことは消えてしまいます。ここ
に白がいたということは、こういうまちづくりが進んでいくときには、忘れ去られます。
本当にそれで良いのか。ここには間違いなく白がいたのです。でも我々のまちづくりは
「さあ、ここに道路を通そう。そこよりはこちらが良い。みんなそう言うんだけど 2 対 1
でこっちにしたから」。反対の人がいたという事実は、1、
2 年は覚えているのですが、後は忘れ去られます。こう
いうまちづくりで本当に良いのだろうか。単純に、多数
決で良いのでしょうか。そんな疑問が、僕が市民参加の
まちづくりの仕事を始めたきっかけです。
数学の学者に聞きましたら、積分というのは、誤差を
できるだけゼロに近づける数学。人と意見が違うことを
できればゼロにしたい。つまり差をなくしたいわけです。
僕は、市民参加というのは、100 人がみんな全く同じ考えで、同じ方向を見ないとできな
いとは思いません。考えの違う人がいる面白さを楽しみながら、前に進んでいくのだと
いう気がするのです。
-3-
公共性って、多数決で決まるの?
それでちょっとお話ししたいのは「公共」という言葉です。皆さんは「公共」という
と何をイメージするでしょうか? 「あそこは公共の土地だ、恵庭市が持っている、北
海道が持っている、国が持っている」。どちらかというと今の人たちは、役所を考えます。
英語で public(パブリック)。もし外国人にパブリックの意味を聞くと、誰一人行政とは
言わないはずです。パブリックって何だ。パブですよ。僕らくらいの年の人なら知って
います。飲み屋、大衆酒場です。つまりパブリックは大衆です。つまりみんなです。役
所ではありません。
日本では、いつの頃からか公共と言うと、
「公」という字は役所を指すようになりまし
た。本当は大衆なのです。何でそんなことになったのでしょうか。溝口雄三さんの『一
語の辞典 公私』
(三省堂)を読みなさいとある人に言われました。積分よりも嫌いな漢
文の文章です。
「公は平分なり、ハムに従う。ハは猶背くなり。韓非曰わく、ムに背くを
公と為す」。よくわかりません。しかし、これを人生の大先輩である尊敬する市民参加の
先生(林泰義さん)が訳してくれました。「北原君は、『公』という漢字と『私』という
漢字が、同じ旁(つくり)でできている漢字だと言うことを意識したことがあるかい?」。
「公」という漢字を習ったのは、たぶん小学校で「公園」です。あるいは「小公子」と
か「小公女」という小説がありました。
「私」という漢字は、本当に私(わたし)で習い
ます。「公」「私」並べてみるとわかるわけです。どっちも「ム」があるわけです。我々
は、公私というと反対の言葉だと思うのですけれども、中国語では、反対の意味ではな
いというわけです、類義語だというのです。よく我々は「公私のけじめをつけなさい」、
靖国神社に行った大臣に「今日は公人ですか私人ですか」と聞きます。あるいは「滅私
奉公」、
「公私混同」という言葉があります。しかし、反対の意味ではないというのです。
「ム」って何か? 自分を指すそうです。つまり両方に自分が入っています。なぜか「公」
という漢字の中にも自分が入っています。では、八は何か?両手を広げているそうです。
右手と左手を広げている。一人の人間が、皆さん今座っている位置関係で、もし手を広
げたら隣の人にぶつかります。そこで人がつながります。つまり「公」というのは一人
から始まる。中国では「公」というのは、個人から始まることを指すのだそうです。役
所を指しません、多数決を指しません。たった一人から「公」が始まります。
つまり、いつの頃からか日本では全く違う意識でやってきましたが、公共というのは
一人からでも始まるのです。なんでそれが我々には、役所になってしまったのか。元は
といえば、この漢字の訓読みです。一つは「おおやけ」です。もう一つは「きみ」です。
「きみ」とは何を指すのでしょうか? 天皇です。天皇は「おおきみ」です。天皇の土
地のことを屯倉(みやけ)といいます。つまり大和朝廷の時代、この漢字が入ってきた
とき、日本ではちゃんとした律令国家を作ろうとして、天皇を中心とする社会を作ろう
として、かけがえのない存在を「公」といったのです。でも、このパブリックの意味、
「公」
の意味は、本当は個人なのです。
わかりやすい話を言いますと、鎌倉時代とか平安時代に天皇のことを武士はなんと呼
んだか? 「お上(おかみ)」と呼んだのです。
「お上がお隠れになった」。お上というの
は誰も手をつけられない上の人です。神様の「神」と「上」が入っています。でも実質
的に武士が強くなった江戸時代に、徳川幕府は自分たちの将軍のことを「上様(うえさ
ま)」と呼ばせました。
福沢諭吉が明治維新の時にイギリスに行って、たぶんパブに入ってビールを飲みなが
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ら、本当のパブリックの意味が分かったと思います。戻ってきて「天は人の上に人を造
らず、人の下に人を造らず」。公は上でないみたいだ、みんな同じだということを言いた
くて。でも福沢諭吉さんの限界は、天皇でも将軍でもなく、そのときの「公」というの
を明治政府にしたのです。だから行政になったのです。ですから公務員というのです。
役所に勤める人を公務員というのです。みんなのためになることをやっているのなら、
僕は米を作っている人も「公」だと思います。だけども形としてはこうなってしまった
のです。
今日お話ししたいのは、一市民がしている活動が、役所の補助金をもらっていないか
ら公共的な活動でないのか。そうではなく一部の活動自体がまさにパブリックになる。
この恵庭のように、その活動を支援して行政からいろんな補助金を出して、市民が本
当に公共的なことをやっている。でも、そういう方にインタビューをすると絶対こう言
うと思います。「好きなことをやっているだけですから」。誰かのためを考えているわけ
ではないのです。自分たちが面白いことをやっているのです。それで良いのです、それ
でも十分「公」だと思うのです。
僕は、この溝口さんが書いた文章のこの一節が好きでして、商店街の活性化の仕事を
するときに、この文章を商店街のおじさんに言います。
「公の共同性は、民の『私』や『欲』
の集積として存在する」。今まで、公のためには自分の私利私欲は捨てるというようなま
ちづくりをやってきたのです。自分が好きでなくとも、お金を寄付してみんなのための
アーケードを作ろうとしたのです。
これは違いますよ。あなたの孫が、あなたの子供が、この店を継ぐことを考えてくだ
さい。自分の店を綺麗にしてください。それがつながっていけば商店街ができます。ア
ーケードを作ることは、最初ではないのです。あなたの欲を言って何で悪いのですか。
僕は、
「公共的な」、
「みんな」、
「市民の」という言い方をするときに、自分の家族のこと
を思って何が悪いのか、自分のことを思って何が悪いのか、それを考えても十分、公共
的な参加になることを今日はお見せしたいです。こういうのを「つながりの公」と言っ
ているそうです。
つながりの公って、もしかして?…微分の「まち育て」
つながりの公という言葉を聞いた時、僕は微分を思い
出しました。積分でなくて微分です。微分というのは、
あそこの傾き、ここの傾き、それが全部違います。しか
し、素晴らしいところは、それぞれの傾きは違っても、
線は一本しかないわけです。つながっています。この線
は絶対分解しません。みんなの傾きが違うことをちゃん
と分かっている数学です。積分は面倒くさいから多数決
をとって面積を出します。微分みたいに、傾きを育てな
いのです。これが、もし育てられなくて傾きがゼロになったらどうなるか。真っ直ぐ、
心電図で心臓が止まったときの線です。人間生きているから、いろんな起伏があるわけ
です。この傾きが、私たち市民の、まちを育てる人のこだわりなのです。あの人のこだ
わりと私のこだわりはちょっと違います。でもつながっているから一つのまちなのです。
一番簡単なつながりはy=xです。みんな同じことを考えたら気持ちが悪いです。我々
のまちは、みんな傾きは違うけれども、全部つながっている。まちを「たべる」人のこ
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だわりです。
微分は、この差が違うことをできるだけ大きく見せる数学だそうです。ですから僕の
知り合いの数学者は「僕は、まちづくりは素人だけど積分はやめてほしい。みんなの差
がどんどん消えていく。できれば一人ひとりのつぶやきに耳を傾けて『ああ君はこう考
えているのか、あなたはこう考えているのか』その差をゼロにしない。微分はまちづく
りに向いている」と言ってくれました。僕の言う「まち育て」は、この傾きをもっとも
っと育てることです。こだわりをもっと育てることです。それを「まち育て」と言いた
いです。
いくつかこれからは、事例をご紹介します。
「私」の空間が、「公」としてまちに参加する…黒石市「こみせ」、「かぐじ」
黒石市という街が弘前の東側にありまして、そこに「こみせ」という空間があります。
黒石の「こみせ」のことを何でお話したいかというと、
「私の空間がみんなの空間になる」
ということなんです。
北陸の方では、こういう空間を雁木(がんぎ)と言います。雪が降ったときに雪が当
たらないようにする店の軒先です。津軽では、この空間をそもそも外に出すのではなく
て、家の中をくりぬくようにこういう空間を確保しました。
これは個人の家です。今は国の重要文化財の高橋家というところの「こみせ」です。
歩道はありません。歩道のない道路で、ここを歩道にしています。高橋さんの庭です、
敷地です。本来は高橋さんが固定資産税を払う土地です。そこを私たちは歩かせてもら
います。高橋さんの隣に西谷さんの「こみせ」があります。つながっています。雪や雨
の日に傘が要りません。この空間は、江戸時代から 250 年以上もこのまちで続いてきま
した。まさに「私」の空間です。でも誰が歩いても怒られません。雪が積もっても、こ
の下は普通に歩けます。
しかし、こういうまちづくりをしてきた黒石なのに、昭和 29 年に役所の人が「この道
路は歩道がなくて危ない」と言ったのです。都市計画道路を引いて、この道路幅を倍に
する。この建物を後ろに下げて歩道を作りなさい。今なら大笑いです。でも、市役所は
その都市計画決定をしてしまいました。とは言え、子孫はそこまで馬鹿ではありません。
誰もこれに協力しません。この道は 50 年経ちましたが広がっていません。僕はそこに初
めて行って、なんて賢いまちだろうと思いました。そして黒石市は、その都市計画道路
の決定を 50 年振りに外しました。意味がないのです。地域の資源としてここに歩道があ
るのに、歩道がないなんて発想は考えられません。我々は、そういうまちづくりを今ま
でしてきてしまったのです。自分たちの資源があるにもかかわらず。外から言われて「あ
あ、そうですね。ここは歩道でしたね」。言われなくても分かるじゃないですかと言いた
いのですよ。まさに参加した空間です。
これは公道ではありませんから、ベンチを置けば、すぐバス停に変わります。ここに
自動販売機を置いても、はみ出していません。自分の敷地だから勝手です。凄いのは玄
関まで付いている「こみせ」があります。もう自分の空間です。寒いからです。もう一
つシャッターを付けて二重壁にしているところがあります。ベンチで休ませて、隙あら
ば買わせようとするわけです。本屋とかお菓子屋だったら一発で買うかもしれません。
つまり、店としては、みんなのことを考えるよりも、雪や雨の日に間違ってもいいから
店に入ってきてほしいのです。だから 250 年もったのです。
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これは酒屋さんです。「こみせ」に窓ガラスが入っています。
ここまですると内部空間です、土間です。にもかかわらず黒石
市は、こういうまちづくりを褒めてあげたいということで、江
戸時代からここの固定資産税をタダにしたのです。だからみん
な続けるわけです。
税金ゼロです。こういうのが市民参加です。
まさに参加です。私の空間がみんなの空間になるわけです。タ
バコの自動販売機が今問題になっていますが、
「こみせ」に入っ
てしまったら何の問題もありません。
「こみせ」というのは、
「小店」と書くのだと思って、現地に
入っていきましたら違いました、
「小見世」でした。小さく見せ
る世界です。「私」の空間を世界に提供しているわけです。本来、「私」の空間なんだけ
ど、パブリックに提供している。こういうものをセミパブリックといいます。ただ、黒
石で地域の高齢者に「セミパブリックで良いですね」と英語で言っても仕方がありませ
んが、
「小見世」なら理解できると思うのです。この歩道は、誰かがやめたら終わるので
す。一人ひとりが好意で出していますから、一軒が新築して、その部分に次の「こみせ」
を作らなければ、歩道が途切れます。危ういことです。積分ではなく微分の方です。道
路拡幅工事なんかしません。みんなが提供してくれている。こういうまちづくりを 250
年位前からやってきたのは、凄いと思います。
ところが、最近は、
「私」が元気でなくなってきました。弘前では「こみせ」をやめて
しまったところがあります。こうやって店が潰れてしまってシャッターが降りていると、
「こみせ」は歩きたくもないわけです。黒石でさえ、自分の車を置いて何が悪いと言わ
んばかりに、
「こみせ」に車を置いてしまっています。江戸時代にこんなことをやった人
は、実は町内から追放されています。
そんな時に、とうとう現実に起きてしまいました。こみせ通りの大きな布団屋さんが
つぶれます。つぶれてしまって放置されていましたら、来週の木曜日にこの敷地をマン
ション業者が 6900 万円で買うという情報がもたらされます。
この地域の中心人物が、自分の友達約 30 人を呼んで作戦会議をします。「あの店が消
えて、マンションができるらしい」、「マンションができたら『こみせ』がなくなるじゃ
ないか」、
「どうしよう、マンション建設反対運動をしようか」。東京のハイカラな人たち
だったら、たぶんマンション建設反対運動をするでしょう。この地域の人はそんな面倒
くさいことをしません。マンションを建てさせなければ良いのです。木曜日に売りに出
すそうですから、水曜日までに買えばいい、単純です。そのことを 30 人が決断します。
しかし家族がいる。土日で家族に頭を下げて OK を取った人だけ集合しよう。
皆さんの中で、今日その話を聞いて、今日明日で自分の家族を説得して 6900 万円を 30
で割った一人 230 万円の借金をしにいく人は、どれだけいるでしょう? 僕には無理で
す。実際 30 人中 10 人は断念します。下手をすると離婚騒ぎになります。
「何のために 230
万円を借りるの?」。
「あそこにマンションが建たないように」。
「意味が分からない」。き
っとこうなります。だから、この話題は全国に出なかったわけです。NHKの『プロジ
ェクトX』に匹敵します。関西人だったら、とっくに売り込んでいます。彼らは恥ずか
しいからやめてくれと言います。だから彼らの名誉のために恥ずかしくないことなので
言ってあげます。
彼らは 20 人で買い取り「こみせ」を残します。未来の自分たちの子孫のために、ある
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土地を自分たちで買い取って、訳の分からない開発をさせないことを、イギリスでは「ト
ラスト」と言います。トラストを日本語に訳すと「信託」です。誰を信じて託すのか?
未来の自分たちの子孫です。この土地に何も作らせない。あんたたちに信託するから。
イギリスでは普通なのですが、日本では希有な事例です。
彼らは、ただ残すだけでなく、そこに会社を作りました。「津軽こみせ株式会社」。最
初に雇った正式社員は高校を出たばかりの三味線好きの男の子でした。その子に社長が
こう言います。
「うちの会社は 10 年以内に黒字にする。お前は 10 年以内に日本一の津軽
三味線奏者になれ」。その後、彼は本当に日本一になります。しかし会社は黒字になりま
せん。この子の成長が早くて、なおかつ有名になりすぎて、とうとう独立してしまいま
した。
ところで、都市計画では饅頭(街区)のガワとアンコという言い方をします。古い商店
街は細長い敷地割です。なぜ日本の昔からの商店街がウナギの寝床になったかというと、
江戸時代の税金の決め方が間口で決まったからです。間口が細ければ税金が安かったわ
けです。とにかく細長で後ろを使っていません。これを中心市街地でもっと使いたい。
余っているけど、みんなタブー、囲まれていてアンタッチャブルな空間だったのです。
でも黒石市は凄いのです。垣根を取っ払って、それを市
が買い取りました。こういう後ろの空間を「かぐじ」と
いうそうです。「かぐじ」を使おうと、黒石市は表と裏
を逆転させて、こんな綺麗な公園に変えました。これも
「参加」です。自分の家の裏の敷地を参加させる、土地
を参加させる。黒石市では、遺伝子が入っているのでし
ょうね。そういうまちですから、今でも彼らは、次々と
どれを参加させようかと裏の敷地を探しています。
まちの空間を、「私」が育てる
一方で、役所の土地なのですが、勝手に自分で綺麗にし
た人たちがいます。弘前市の田町というところの事例です。
一人変わった人がいまして、とにかく趣味は家の前を花で
飾ることで、恵庭でこれを見せるのも恐縮ですが弘前だと
素晴らしい。ただ恵庭と比べて敷地が狭いですから、涙ぐ
ましい努力で弘前市の側溝を綺麗にしながら、しっかり私
物化しているわけです。この人は、地域で変わったお花の
おばさんと思われていました。ある人が「私らもあの人にお願いして花を育ててみない」
と言って、8 人が同意してこの人にお願いに行きます。「お願いです。花を譲ってくださ
い」。この女性は何と言ったか。「嫌だ。花は育てるものだ。種をあげるから私のところ
に通いなさい」と言って、種をあげます。そして 10 数年経ちました。たった 1 軒から始
まったこの地域、今は 23 軒に飛び火しました。一気にではなく徐々になんです。お金も
エネルギーもかかっています。3 軒隣の家では、ブロック塀を壊すのはもったいないので、
恵み野でもそうですけれども、DIYの店でこういう物を買ってきて飾って、見事なま
でに弘前市の空間を私物化しているわけです。でもこれを見て、市役所の人が怒るとは
思いません。本当は、やっちゃいけないことなのですが、こういう風にしていくと、皆
それぞれに楽しい、自分たちで楽しむわけです。
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恵庭もそうですよね。先ほどお話ししましたが、恵庭で一番感動したのは、その年の
庭づくり大賞をもらった方のお家に行ったのですが、その向かいのアパートです。アパ
ートには自分の空間がありません。だけど向かいの家には、いっぱい視察が来て写真を
撮っているわけです。その向かいのアパートの一つひとつの階段に植木鉢が 10 個置いて
あったのです。僕はその写真を学生に見せました。
「ものを持っているから見せるのでは
なくて、そういう人の向かいのアパートに住んでいる人たちが、階段に植木鉢を置く。
これでいいじゃない。それが参加だと。みんなでやる、そうできない人もいる。だけど
も参加のやり方がある」。
お向かいの家では、花を置く場所がなくなって、
「私のベッドルームまでつながってい
ますから、先生見に来てください」と言われましたが、怖くて行けませんでした(笑)。
この家には花が 4 つしかありません、でも良いじゃないですか、1 つでも良いと思います。
私はあなたたちのことを見ています。時間もなくて余裕もないけれど、でも私は見てい
るよ。見る・見られるの関係なのです。
さて、このお母さんたちは、仲が良いのか? 実は、この人たち、仲は決して良くな
いと思います。なぜなら僕は、中心人物のYさんに連絡しました。
「うちの学生に話を聴
かせてくれませんか」、
「良いですよ。来てください」、
「では火曜日の午後 1 時 30 分に行
きます」と言って、僕と学生で一緒に行きましたら、玄関先に 5 人の女性が出てきたわ
けです。僕はYさんの顔が分かりませんでしたから「こんにちは、北原と申します」、
「さ
あ入って入って」。入っていくと一人、足の悪い方が座っています。
「先生、私です」、
「え?
この 5 人は誰ですか?」と聞きましたら、前日の夕方、ちょっと立ち話で、明日、弘前
大学の先生が学生さんと一緒に花のことで話を聴きに来ると聞いた瞬間に、この 5 人は、
この人一人だけの手柄にしたくないと思ったのでしょう。「私たちの話も聴いてほしい」
と待っているわけです。そして驚いたことにお昼の食事の時間を外して行ったのですが、
3 時のおやつを準備してくれているわけです。
仲が良いコミュニティでしたら、例えば、この人がアップルパイ、この人がお茶を用
意して、と役割分担をしますが、そういう発想は全くありませんでした。どうしたか?
僕はこの日、アップルパイを3つ食べさせられます。言うわけです「どのアップルパイ
が一番美味しいですか?」、「どれも美味しいです」、「どう美味しいのかはっきり言って
ちょうだい」その時初めて分かりました。この人たちが何年も花を飾る理由は「私の花
の方が、あの人の花よりも上手い、綺麗だ」と言わせたいのですよ。長続きしているの
は、実はライバルなのです。その証拠に、この人は「先生、申し訳ないけどさ、来年や
めているかも。もう 10 年やって疲れちゃった、私の家に来ても花はないと思ってちょう
だい」と言うわけです。言った瞬間に、この 5 人が変な顔をするわけです、ありえない。
「私の知っている情報だと、来週あなたの家ではサンルームを作るという噂じゃない。
冬も飾りたいのでしょう」。この人は真顔で「何であんた知っているの?」と言うと、残
りの 5 人が「みんな知っているし」と言ったのですね。つまりライバルなんですよ。
「分
かりました嘘つきました、そうです私はサンルームを作ります。冬も飾ります」と豪語
しました。
また、こっちの人が「そろそろ 2 月になったら、種を買いに行こう」と言いました。
今までは共同購入していたのですよ。でも「何で一緒に行かなきゃいけないの? どこ
で何の種を買ってくるか、花が咲くまでのお楽しみ」。この人たちは、全く秘密のうちに
やりたいわけです。ついこの間まで一緒に通って「共同で買うと安いわね」と言ってい
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たくせにです。そういう意味で、仲が良いけど仲が悪いのです。この人たちに会って思
いました。さっきお話したように、みんなで同じ方向を向いていなくても良いんだ。で
もつながっているのです。
ちなみにこう言うと「女の人は偉いな、男って結局何も参加する場面がないのかな」
と思う方がいるかもしれません。この 6 人の方の旦那さんの名誉にかけて言います。も
ちろん、お金を出しているのは働いている男の人だ、そういう話ではありません。
今日の夜から台風が来るというニュースを聞いた瞬間、何をしなければならないか。
男どもは、早引きをして 3 時 4 時に帰って来て、まず、どこにどんな花があるか配置図
を描くそうです。そして、台風が来るまでに、この花を家の中に片付けます。次の日、
晴れた日にまた元に戻します。しかし、上手く戻せません。奥さんに怒られます「前と
場所が違う」。
「毎日どれくらい手入れをしているのですか?」、一番熱心に飾っている人に聞きまし
た。
「そうね、2 時間かしら」、
「そんなわけがないでしょう、5 時間やっているでしょう」
この人が 5 時間やっていることを知っている 5 人は何時間やっているのでしょう? み
んなライバルです。これが参加の本質です。自分がやりたいからやる。楽しいからやる。
誰かに話さなくてもいい。でも同じように考える人が側にいると思っただけで嬉しくな
る。それだけです。
まち育てはマネジメント
僕は「まちづくり」ではなくて「まち育て」という言葉を使うことにしています。
「ま
ちづくり」は、みんな使ってきた言葉です。これからは新しいものをつくる時代ではな
くて、今あるものをもっともっと上手に使っていかなければいけない時代です。自分た
ちの空間を育てていくという発想が必要です。それを僕は「まち育て」という言葉に託
したいと思って、今から 15 年前につくりました。
「まちづくり」というのは、一時的です。例えば、来年の 3 月までに施設をつくる。
「まち育て」というのは、マネジメントです。継続していきます。ずっと続いていき
ます。しかし我々は、マネジメントという言葉を勘違いしています。
「あの人はマネジメ
ント能力がない」なんて言いますが、管理や節約するという意味と勘違いしています。
Manage to という熟語の本当の意味は「なんとかする」、
「どうにかする」です。何とかう
まくやっていくのがマネージです。
何とかする人たちです。野球部のマネージャー、うちのチームはまさか甲子園に行か
ないだろうと思わなくて、行くと思うのですよ。そして一生懸命洗濯するのです。アイ
ドルタレントのマネージャー、できればこの子をいつか大河ドラマに使ってほしいと思
う一心で、30 歳も年の離れた自分の娘みたいな女の子から呼び捨てされながら「ハイ」
と言って、朝 5 時に起きて待っているわけです。
「タバコは吸っちゃいけません」と、し
つけもするわけです。でも何と言っても、この中にいっぱいマネージャーの経験者がい
ると思います。自分の子供を育てるのもマネージャーです。あるときには尻を叩き、あ
るときは背中を叩いて、そして子供が熱を出したとき、看病で一晩中寝られなくてもた
いしたことはない、明日元気な顔を見せてくれれば良い。
まちもこんな気持ちで、あるときは厳しい目つきで、あるときは優しい親の目つきで、
まちと関係できる環境が僕らにはあるのでしょうか。
「まち育て」は、子育てと同じ発想
で考えたいのです。昨日、江別市では、まち育て人講座をやってきました。
「まち育て人」、
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まさに、それがマネージャーなのです。
でもタウンマネージャーというのは、商店街の収入を上げる人のように思われてきま
した。今必要なのは、このまちを何とかしようというマネージャーです。誰かに何かを
頼むのではなく我々です。
まちづくりをやるとき、我々はいつも平面図で考えます。2500 分の 1 とか 5000 分の 1
の平面図、配置図で「このエリアを商業地域にしよう」、「ここに工業団地を作ろう」と
図面で考えます。
市民もそうです。これは福島県のいわき市でやっている、まちづくりコンクール、み
んなで、まちのタカラモノの絵地図を作ろうと、いっぱい写真を撮ってきて地図に貼り
付けて、こうやってそのルートを 100 円バスを走らせたら上手くいくとお話したわけで
す。
ところが、その時、小学生が出した作品に僕はショックを受けます。この子が作って
きた作品は、スケッチブック1冊でした。そのスケッチブックの表紙に何と書いてあっ
たかというと「私の停留所」と書いてありました。この生徒はバス通学をしていません。
毎日歩きです。その子がなぜ「私の停留所」と書いたかというと、スケッチブックの1
ページ目を開けると「山田さんの縁側」と書いてあるわけです、その縁側では、おばあ
ちゃんが、にっこり笑ってミカンを食べています。どういうことかというと、この子が
描いてきたのは、見たままの絵なのです。立面図なのです。
まちを歩くとき、我々は何を見ているでしょうか? 下を向いていません、前を向い
ています。
「あの二つ目の信号を右に曲がると…」ということを考えながら歩きます。
「あ
のパン屋さんの匂いが良いんだよな」と思って歩く。そういう歩き方をしているのに、
なぜか計画になると、そのことを一切度外視して図面になるわけです。
だから言いたいのです、これからのまちづくりは、平面図と立面図の両方が必要なの
です。それは、さっき僕が言った、まちを「つくる」人とまちを「たべる」人です。ま
ちを「たべる」人は、上から食べません、一個一個順番に食べます。映画の場面と一緒
です。これを、どう「まち育て」に生かすかです。舞台の配置を考えてきたような上か
ら見るまちづくりではなくて、次に何が見えるのかなと気にする目線のまちづくり。
例えば、恵庭で次から次へと花が見えて、あの景色を見たときに、あれは上から見て
絵を描きましたか? 歩いて目の前を見るからこそ、まちづくりなんですよ。その目線
を大事にしなければいけないのです。その主人公はまちを「たべる」人なのです。
「まち育て」は、「空間」を「場所」に変えること
マネジメントは、節約ではなくて、どうやって自分たちの「場所」を楽しくしたいの
か、そんなことを考えたのは最近です。
皆さんは、自分たちの「場所」をお持ちでしょうか? よく考えてみてください。自
分の家と自分の職場以外にお持ちでしょうか?
宮城県で 100 人のワークショップをして、自分の場所を 5 カ所描いてください、それ
を映画にしてみんなで発表しましょう。27 歳の男の子は 5 分で終わりました。最初の絵、
目が覚めたらこたつで寝ている絵です。お父さんお母さんはもう畑に行ってしまった。2
つ目、車に乗って運転席の絵です。3 つ目はパチンコ屋に入る。4 つ目はレンタルビデオ
店のカウンターです。5 つ目はコンビニエンスストアでおにぎりを買っています。その絵
の中に誰も人が描いてありません。全部一人です。リアル過ぎて涙も出ません。そんな
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物語です。
最後に 1 時間もかけて超大作を描いた 65 歳のお母さんがいて、その絵を見て、皆感動
しました。農家のお母さんで、毎朝 5 時に起きて自分の作っている大根とかをリヤカー
に乗せて、まちの真ん中に引っ張っていきます。そして 6 時から 9 時までに全部売り尽
くして、空っぽのリヤカーで自分の集落に戻って、みんなでお風呂に入って午前中寝て
いる、そんな物語です。これも普段のリアルな話なのですが、その映画の仕立てが違う
わけです。
最初は一緒です。ニコニコ笑って、仲間達と「今日も行こうね」。そして市をやってい
ると、お客さんが来て「またおばあちゃん今日も来たね」、「安いね」と言って買ってい
く。売り切れます。さあ帰ろうと思って、リヤカーを引いて歩いている。パッと上を見
ると、パラグライダーが飛んでいます。その地域では大学生がパラグライダーをやって
います。おばあちゃんはパラグライダーに乗りたくなるわけです。
そして最後は、お風呂に入ります。お風呂に入ったと思ったら、おばあちゃんがパラ
グライダーに乗っているわけです。なぜか? お風呂であんまり気持ちが良いので寝て
しまいます。そのときにパラグライダーに乗って、山の上から見ている夢をみているの
です。ふっと目が覚めたら、お湯の中にブクブク…と入っている。つまんない物語でな
いのですよ。僕は、なんて幸せな人だと思いました。だから、普段の生活の中でちゃん
と自分の物語を作れる「場所」があるのです。そういう「場所」を自分たちが持ちたい
から、まちに参加していくわけです。
僕が最近言っている言葉です「空間」と「場所」は違う。
「空間」ほど嫌な言葉はなく
なってきました。だって空っぽの間です。中心市街地に空き店舗が増えてきたらこの字
を使います。「空き地」、「空き店舗」、「空き家」。まちの中に空いている所はいっぱい有
ります。僕はこの 2 年間、復興に関わってきました。大船渡、石巻と女川に行っていま
す。「場所」が全部消えました。彼らと一緒にこう言っているのです。「あなたたちの場
所はゼロになった、ゼロからのまち育て、早く場所にしよう。
「まち育て」というのは『空
間』を『場所』に変えることだから」。そう言っていろんな場所でゼロからやっています。
3 日前の女川のワークショップでは「記憶のまちづくり」。
「この場所では、昔何をやっ
たかな?」ということを地域の長老から大学生が話を聴きます。復活させるのではない
のです、そんな話をしながら、この地域で何をしたいのか一緒に考えていくのです。そ
れがやっと自分たちの場所だと言えるものが何になるか分かりません。まだまだ「空間」
です。本当に空っぽなのです。でも「場所」にしたいのです。
マネジメントのための「まち学習」
そこで我々は、地域のことをもっと知らなければいけない。まちづくり学習という話も
ありますが、今はまちをつくる学習ではなく、何よりまちを「たべる」学習をしたいわ
けです。イギリスの発祥です。見つけて、調べて、考え
て、創っていく。これを日本だってできるはずです。子
供たちにやらせる事は、決して大がかりなことではあり
ません。イギリスでは、学校の校庭づくりの中で子供た
ちにやらせます。最初、学校の校舎から形を見つけてく
る。次、調べてくる。休み時間にどんな遊び方をするか
調べてくる。
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恵庭でこれをしなければいけないのです。good、bad、ugly 良いもの、悪いもの、ugly
は醜いもの。
『醜いアヒルの子』というのがありました。醜いと悪いは、何が違うのか?
この顔(のマーク)を見ると分かります。good は笑っています。bad は怒っています。
ugly は怒ってないのですよ。醜いアヒルの子は悪くないのです。白鳥になっただけです。
みんなと違って見えただけです。
「I want to keep 残しておきたい」、「I want to get rid of 取り除きたい」、「I want
to improve なんとかしたい」なのです。子供たちは楽観的ですから、どうしようもない
とは思いません。カードを見ていると一番反応するのは、何とかしなければです。
年齢が上がれば上がるほど一番選ばれるのは、どうしようもないから何とかしてくれ
という意味での bad なんです。子供たちは何とかしなきゃと思うわけです。この気持ち
を育てていくのが「まち育て」の学習です。
弘前でやってみました。弘前の小学生が撮影した 3000 枚の写真の中から一番多かった
好きな写真は、岩木山でした。
「マイ岩木山」です。そう
かと思うと、誰かさん家の玄関が可愛い。使われない公
園のトイレ。潰れた店、潰れたままにしておく弘前市役
所が悪い。大事なことです。有名な建築家が作った弘前
のデパートの建物、いくら有名な建築家が宇宙の何とか
をイメージしたと言っても、子供たちにとってはこの写
真はカップラーメンに見えます。
最高の写真はこれです 3000 枚の写真から僕がベスト1
に選んだ写真です。120 人の子供のうちの一人の男の子。
「やったー、僕です」、「これは何の写真?」、「だって、
北原先生は気になる警官(けいかん)を撮ってきてって
いったもん」。ウィットは、津軽もイギリスに負けないと
思いました。そういう発想の子供たちと楽しいまちづく
りをしていきませんかということなのです。
「創造的なケンカ」から生まれる創発
参加というのは、ケンカとは全く正反対、仲良くしなければいけないと思うかもしれ
ません。でも本気になったって本音をしゃべったって意見が全く一緒じゃないのですよ。
最後に一つ、ケンカをしても楽しい参加できるという話をします。
地域の人たちは、ここの気象台の跡地を何とかしたいわけなのです。高さ 1.5m のコン
クリートブロック塀で囲まれた土地なのです。学校はここです、道路はここです。横切
って行きたいけどブロック塀で遠回りしなければいけない。何とかしなければならない。
それで集まり、ワークショップを始めます。「やっぱりここは公園にしたいな」、地域の
人たちの話を聴きました。町会長さんは、そもそも人
に話を聴くときには、格好良くしなければいけない。
革ジャンと帽子を買ってきました。そして、この調査
員ルックで、一人で 20 数人にインタビューしました。
8 回目のワークショップでは、子供たちが楽しく模
型を作ります。もう滑り台はいいのだそうです。ター
ザンごっこがしたいそうです。さっきの町会長チーム、
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町会長さんはともかく、あとの方々は、口は出すのですが絶対ハサミを持ってくれませ
ん。町会長さんが孤軍奮闘で頑張っています。最後は机に乗り込んで作っていました。
これが平均年齢 65 歳の模型です。子供の方がもっとちゃんと作ります。何が違うか? 高
齢者チームは縮尺を全く無視しています。従って、ここにある滑り台のようなものから
落ちたら即死です。でも「北原さん、模型は楽しいなあ」。参加はこういうところが楽し
いのです。身障者グループは、青森唯一のバリアフリーのトイレを作ってほしい。あと
は芝生だけで良い。あえて言うなら気象台跡地だから時計台を作ってほしいというよく
分からない話で、時計台があります。
この 3 つのグループを市長が見てびっくりして、市民参加の公園にしようと言ったわ
けです。そしてやっちゃったのです。3 週間模型を持っていって見積もりをしてくる。凄
いですね。この模型でプロは見積ができるのです。
発表の日、子供チームの模型は 1 億 2 千万円。子供たちはびっくりしています。身障
者チームの模型は 1 億 6 千万円、なんで 4 千万円高いのか? あのトイレが 3,800 万円
もしたのです。問題は 65 歳チームの模型、2 億 6 千万円。言った瞬間、全員拍手して「勝
った」と言いました。その段階で僕は嫌な予感がしました。金額が高いから勝ったので
はなく、いくらかかるか計算しただけですよ。何が高かったか? 噴水は 7800 万円です。
そもそも 7800 万円の噴水を作るかどうか置いておいて。
そこで運命の言葉が出ます。「皆さん、市長がこの公園を作ることを決めました」。市
で 100 番目の公園です。みんな「やったー」と言います。
「ところで、青森市で用意して
いる公園づくりの予算はいくらですか?」と聞きましたら「5 千万円です」と言われます。
そうです。笑うしかありません。「申し訳ないのですが、今日、模型を返しますので、5
千万円になるように模型を剥がしてください」と言うわけです。これは激怒します。一
番激怒したのは、当然高齢者チームです。2 億 6 千万円を 5 千万円にするのは、あり得な
い話です。こう言いました「北原さん、市民参加というのは、市民が言うようなことを
やっていくのだろう。市民が 2 億 6 千万円の模型をつくったら、それを用意するのが市
民参加じゃないですか」と言われたわけです。
「違うでしょうそれは」僕は反論しました。
「じゃあ、まちをつくる人は何をやれば良いのですか?専門家は何をすれば良いのです
か」、
「違うでしょう」。さすがに僕の剣幕を見て「あ、そうか、分かった」と言ったので
すが、一番辛かったのは、あるおじいちゃんから「さっきのトイレはいくらかかるんだ」、
「3800 万円です」、
「それは高すぎる、安くしろ。俺は 70 過ぎてぴんぴんしている。車椅
子になるくらいなら公園には行かない」。言った時、目の前には車椅子の人が 5 人いるの
ですよ。最悪です。あんまりひどかったので、小学生の男の子は泣き始めました。お姉
ちゃんは「先生、別な部屋に行きたい」。10 分後に戻ってきました。
そのお姉ちゃんは戻ってきてこう言いました。
「私は模型づくりが楽しかった。だけど
ケンカ別れしたらつまらない。私たちは公園を作りたい。だから子供チームは決めまし
た」。どうするか? 「半分あきらめます。1 億 2000 万円と言われたけど、遊具は 6 つあ
ったから、3 つ減らしたら半分でしょう。私たち 6 千万円もおまけするから、5 千万円を
6 千万円にして」と言ったわけです。交渉したわけです。さすがに真面目そうなおじさん
も吹き出しました。子供は 1 千万円も 2 千万円も関係ありません、千円と同じです。お
小遣いの要求です、5 千円を 6 千円にして。おじさんはやっとこう言いました。「私の一
存では決められないので 3 週間ちょうだい。調整してみる」。それで結構、和気あいあい
になって、じゃあ今度はトイレのワークショップをしようと別れました。
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「車椅子で来るくらいなら来ない」と言った人が反省して次の週に持ってきたのが、
この絵です。色鉛筆で描いてありました。噴水の設計図です。誰が見ても単なる水飲み
場です。
「あ、水飲み場ですね」と言ったら「噴水です」というわけです。大きく見れば
良いからと、この前は大人気無かったと譲歩しているわけです。あっ!これは上手くい
くなと思いました。
結果的に市役所は、一体、予算をいくら用意したか? 1 億円でした。でも、これはや
り過ぎです。市制 100 周年で 1 億にしただけなんですけれど。
公園ができました。気象台跡地に時計台を作ってしまいました。ちゃんと風量計が回
っています。遊具は 4 つ作りました。3 つも 4 つもあまり変わらないからです。トイレも
作りました。
今日最後に言いたかったのは、ここなんです。公園ができて、みんなで焼き肉パーテ
ィーをしてビールを飲んだときに、さっきの町会長だけは素面なんです。ビールを飲ま
ずにウーロン茶を飲みながら、僕の方に近寄ってきて「先生ありがとう、先生の言う『ま
ち育て』は今日からなんだよね」。緊張して酒飲めないというわけです。「今日、赤ちゃ
んが生まれたんだ。この公園を育てていくのが自分たちの役割だ。私は 73 歳になる。育
てていけるかなぁ、心配でビールも飲めない」と緊張しています。この人は本物だと思
いました。これから大変なんだということを知っているわけです。
2 年後に行ったら、ペタンクをやっていました。ゲートボールをしたいと言ったらワー
クショップで子供たちに反対されました。ゲートボールをやっているときのおじいちゃ
んの目つきが険しい、あれは嫌がらせのゲームだと言われたのです。自転車で入ってい
くと「入ってくるな」と怒られました。だからやめてほしい。町会長が「ワークショッ
プというのは代替案を出せば良いのだろう、ペタンクでどうだ」と言って、僕も子供も
ペタンク知りませんから、大の大人が言ったら「うん」というしかないわけです。そし
て認めてしまったら、ゲートボールとほとんど変わらないゲームなんですが(笑)、毎日
やっています。この町会長は、3 年後に青森県ペタンク協会の副会長になるわけです。
でもペタンクやりたかったのではないのです、照れて言っただけなのです。赤ちゃん
が起きたら、僕ら親父がやることは顔を見ますよね、同じなんです。公園ができて、次
の日、心配なんです。だから見に行きたい。ペタンクは照れ隠しなんです。
しかし、もっと感動したのは子供たちです。自分たちの校庭ではないのに、公園を掃
除しているのです。学生が聞くわけです「なぜあなたたちは掃除をしているの?」。「先
生に言われたから」と答えると思っていました。でも、全く違う答えでした。
「だってそ
こは私たちの場所だもん」と言ったのです。
僕はこのことを聞いた 10 年前から「場所」という言葉を使っています。皆さんも「だ
って私の場所だから」と言える「場所」を持っているでしょうか。今日は、どうしても
これを言いたくて来ました。この後、恵庭で今いろんな活動をしている方から、お話い
ただきますが「だって私の場所だから」という気持ちがあると思います。
とは言え、僕はこうやって一週間も 10 日間も家を離れて、外で「まち育て」の話をし
ているわけですが、カミさんから「子育てもしないのに、よく『まち育て』とか、自分
の家に場所がない人間が『まちに場所がありますか』と、よく言うわね」と笑われます。
そんな風にならないために、恵庭で自分の「場所」を作ってみませんかという話をし
て僕の話を終わりにしたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
以上
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