オペラの愉しみ(5)

オペラの愉しみ(5)
15、1989年
アレーナ・ディ・ヴェローナ
1991年
同
―
東京公演
−
ヴェローナ音楽祭の疑似体験
−《アイーダ》
《トゥーランドット》
−
北イタ リア にあ る古都 ヴェ ロー ナは 古くか ら交 通の 要所 とし て栄え 、古 代ロ ーマ帝
国時代 はロ ーマ の植民 地だ った 。また ヴェ ロー ナは シェイ クス ピア の悲劇 「ロ ミオと
ジュリエット」の舞 台となったこと でもよく知られ ている。
そしてここには、古 代ローマ時代の 巨大なアレーナ =円形野外劇 場が残っている 。
ローマ 時代 のア レーナ とし ては 、ロ ーマの コロ セウ ムが つと に有名 であ るが 、ヴェ
ローナのアレーナは これに次ぐ大き さを持ち、紀元後1世 紀に格闘技場 として作られ、
保存状態も良いので 、現在でも往時 の姿をとどめて いる。
このア レー ナを 利用し て野 外オ ペラ を上演 する のが ヴェ ロー ナのオ ペラ 祭で ある。
毎年7 月下 旬か ら8月 末に かけ て、世 界中 から 錚々 たる歌 手を 集め て開催 され 、音楽
祭としてもバイロイ トやミュンヘン に次ぐ歴史の古 い音楽祭とな っている。
音楽祭 の期 間中 に、こ の小 さな 街を 訪れる 人は 30 万人 を超 し、4 0数 回の 公演の
聴衆は延べ60万人 にも及ぶという 。
会場は長円形 の石造りで 、広さは 長径153 mと短径 128m、 高さは3 0 .5mと
いう巨大なもので、 収容人員(キャ パシティ)は2 万5千人であ る。
巨大な アレ ーナ の一隅 に設 けら れた ステー ジは 、間 口が 40 メート ル、 奥行 きが4
5メー トル 。更 にステ ージ の背 後と左 右を 44 段の 石段が 取り 囲む 立体的 な空 間であ
る。従 って この 巨大な 空間 を利 用した 、大 掛か りな 舞台装 置を 導入 したグ ラン ドオペ
ラばかりが上演され ることになる。
過去の 上演 曲目 を列挙 する と、 1位は 《ア イー ダ》、 2位 は《 カル メン》、以 下《ナ
ブッコ》《トゥーラン ドット》、《トス カ》と続く。
アレーナ・ディ・ヴェローナ
その1 世紀 近い 歴史を 持つ アレ ーナ ・ディ ・ヴ ェロ ーナ が初 めて日 本で 紹介 される
ことになった。しかも演 目がこの音楽祭 のシンボル的 なオペラ作品で ある《アイーダ》
で、マ リア ・キ アーラ 、ア プリ ーレ・ ミッ ロ、 フィ オレン ツァ ・コ ソット 、ニ コラ・
マルテ ィヌ ッチ 、ピエ ロ・ カプ ッチッ リ等 々の 豪華 な歌手 陣と 、指 揮者に イタ リア・
オペラ の巨 匠ネ ッロ・ サン ティ を擁し た総 勢4 50 名に及 ぶ大 規模 な来日 公演 となっ
た。
ヴェローナが初めて 海を渡り、日本公演を 行う・・・ということは、《アイーダ》に
ついて は絶 対の 自信を もつ ヴェ ローナ のこ とで ある 。音楽 的に もさ らには 舞台 面の豪
華さで も、 さす がにヴ ェロ ーナ といえ るよ うな もの を示し てく れる に違い ない という
大いなる期待の公演 であった。
いずれにしても 、ここでイタ リア・グランド・オペラの 頂点にたつ《アイーダ 》の大
きさと深さと、それに作品 としての味わい の濃さを堪能で きることにな ったのである。
<閑話> ア レ ー ナ ・ デ ィ ・ ヴ ェ ロ ー ナ
ア レ ー ナ・デ ィ・ヴ ェ ロ ー ナ は 紀 元 前 1 世 紀 に 建 て ら れ た 巨 大 な 石 造 り の 闘 技 場 。
現 存 す る ロ ー マ 時 代 の 円 形 闘 技 場 の 中 で も 、ロ ー マ の コ ロ ッ セ オ に 次 ぐ 規 模 を 持 つ 。
と こ ろ で ア レ ー ナ と は“ 砂 ”と い う 意 味 で 、砂 が 播 か れ て い た 闘 技 場 の 平 土 間 部 分 、
つまり鉢の底の部分 を指す。
ローマ 帝政 時代 には 奴隷た ちに よる 闘技 や、 奴隷と 猛獣 が闘 う凄 惨な 見世物 とし
て、中 世に は裁 判抗争 や死 刑執 行の 舞台と して 、1 6, 7世 紀には 騎乗 槍試 合や祭
礼の場であった。
そして 時代 は変 遷し 、現代 では 世界 にも あま り類の 無い 壮大 な野 外オ ペラ劇 場と
して世界中のオペラ ファンの熱い視 線の真っ只中に ある。
◇
ジュ ゼッペ ・ヴェ ルディ 作曲
( 1989年12月8日
歌劇《 アイー ダ》
国立代々木競技場
全4幕
第一体育館)
指揮:ネッロ・サン ティ
出演:アイーダ・・ ・マリア・キア ーラ
ラダメス・・ ・ニコラ・マル ティヌッチ
アモナズロ・ ・ピエロ・カプ ッチッリ
アムネリス・ ・フィオレンツ ァ・コソット
他
正直、これ以上は無 いという豪華キ ャストであった 。
アレーナ・ディ・ヴェローナ というと、約 25,000 もの座 席数のある野外 劇場の性格
から、 その 豪華 な舞台 のみ が喧 伝され がち であ る。 事実、 その 《ア イーダ 》は 舞台の
豪華さ によ って 観客を 圧倒 しつ づけて きた が、 ヴェ ローナ のア レー ナが誇 るべ きはそ
れだけではないよう だ。
今回の 来日 公演 に予定 され てい たキ ャスト をみ れば 、お のず とヴェ ロー ナの アレー
ナでうたう歌手の水 準がいかに高い かを思い知らさ れる。
タイト ル・ ロー ルのア イー ダに は、 しばし ばこ こで この 役を うたっ てい る実 力派の
ソプラノ、マリア・キア ーラと先の ME T の来日公演に 参加して《トロ ヴァトーレ》の
レオノ ーラ をう たい、 絶賛 を博 したア プリ ーレ ・ミ ッロの ダブ ル・ キャス トが 組まれ
ていた。
アムネ リス には これぞ 名歌 手の 代表 ともい うべ きフ ィオ レン ツァ・ コソ ット 、ラダ
メスに ニコ ラ・ マルテ ィヌ ッチ 、アモ ナズ ロが ピエ ロ・カ プッ チッ リなど とい ったキ
ャスト は今 、オ ペラ《 アイ ーダ 》のた めに 組め る最 上のも ので あろ う。む ろん この他
に 150 人のオ ーケストラ、 150 人の合唱団 、 50 人のバレエ 団、それ に 80 人もの制作
スタッフがこぞって 来日した。それ に日本人エキス トラ 250 人が加 わった。
ア レ ー ナ ・ デ ィ ・ ヴ ェ ロ ー ナ の 《アイーダ》
<《アイーダ 》のスト ーリーと 聴きどこ ろ>
《アイ ーダ 》の ストー リ− につ いて は皆さ まは 既に ご存 知と は思う が、 聴き どころ
と併せておさらいを したいと思う。
¶歌劇《アイーダ 》の特色
歌 劇《アイーダ 》は 、1 8 6 9 年 に 完 成 し た ス エ ズ 運 河 完 成 の 記 念 式 典 用 の オ ペ ラ だ
け あ っ て ,ヴ ェ ル デ ィ の 作 曲 し た 曲 だ け で は な く ,全 オ ペ ラ 中 で も も っ と も 豪 華 で ス
ケ ー ル の 大 き な 作 品 と な っ て い る 。作 品 の 依 頼 者 で あ る カ イ ロ の 歌 劇 場 は ,金 に 糸 目
を つ け ず 一 流 の 歌 手 ・ ス タ ッ フ を 集 め た の で ,初 演 は 世 界 的 な 話 題 と な り ,大 成 功 で
あった。
ド ラ マ の 舞 台 は 古 代 エ ジ プ ト で ,第 2 幕 に は バ レ エ も 入 る の で ,グ ラ ン ド オ ペ ラ な
らでは の華や かさと エキ ゾティ ズム を合わ せ持っ たス ペクタ クル ・オペ ラと言 える 。
そ の せ い か ,野 外 で 上 演 さ れ る こ と が 多 い 作 品 で あ る 。ヴ ェ ル デ ィ の 円 熟 期 の 作 品 で ,
登場 人 物 の感 情 の 起伏 を 拡 大し て 見 せて く れ るよ う な 音楽 の 劇的 な 表 現力 も 優 れ て
い る 。オ ペ ラ の あ ら ゆ る 要 素 が す べ て 詰 ま っ た 、全 て の オ ペ ラ の 中 で も 最 も 人 気 の あ
る作品である。
¶登場人物とあらすじ
主人公は,エジプトの若い将軍・ラダ メス(テノール)と捕虜(実はエチオ ピアの
王女)アイーダ(ソプラノ)の二人。この二人にエ ジプトの王女アムネ リス(メゾソ
プ ラ ノ )が 絡 ん で く る 。こ の 三 角 関 係 の 脇 を ,エ ジ プ ト の 祭 司 長 ラ ン フ ィ ス( バ ス ),
エ ジ プ ト 国 王 ( バ ス ), ア イ ー ダ の 父 ・ ア モ ナ ズ ロ ( バ リ ト ン ) と い っ た 低 音 陣 が 固
め 、 そ の 他 に 使 者 ( テ ノ ー ル ), 巫 女 の 長 ( ソ プ ラ ノ ) の 他 , 大 勢 の 群 集 , 捕 虜 役 の
合唱とバレエ・ダンサーが登 場する。
¶台本
イタリア語。
¶時代・場所
古 代 フ ァ ラ オ 全 盛 時 代 の エ ジ プ ト が 舞 台 。首 都 メ ン フ ィ ス( 1 , 4 幕 )と テ ー ベ( 2 幕 )
が舞台となる。3幕にはナイ ル河畔が出てくる。
¶初演
1871 年 12 月 24 日 , カ イ ロ 劇 場
<主な聴きど ころ>
前奏曲
ヴ ェ ル デ ィ の 歌 劇 に は 「 運 命 の 力 」「 シ チ リ ア 島 の 夕 べ の 祈 り 」 の よ う に 堂 々 た る 立
派 な 序 曲 の 入 る 作 品 は あ る が ,ど ち ら か と い う と ,短 く 控 え 目 で 本 編 に 自 然 に 入 っ て
い く よ う な も の が 多 い 。「 ア イ ー ダ 」 の 前 奏 曲 も そ う い う タ イ プ に 属 し 、 2 つ の 主 題
が 対 位 法 的 に 組 み 合 わ さ れ て 出 来 て い る 音 楽 で あ る 。ヴ ァ イ オ リ ン の 高 音 に 出 て く る
繊細な メロデ ィが アイ ーダを 表し ,重々 しく 下降 する動 機が 祭司た ちを 表し ている 。
地 味 な が ら ,オ ペ ラ 全 体 の 悲 劇 性 を 暗 示 す る よ う な 曲 と な っ て い る 。中 間 で 数 回 盛 り
上がった後,静かに第1幕に 入っていく。
第1幕
第1場 メ ン フ ィ ス の 王 宮 の 広 間
メ ン フ ィ ス は ,古 代 エ ジ プ ト の 初 期 王 朝 の 首 都 だ っ た 古 代 都 市 。カ イ ロ の 南 約 25km
の ナ イ ル 川 沿 い に あ る 。祭 司 長 ラ ン フ ィ ス が エ ジ プ ト の 若 い 武 将 の ラ ダ メ ス に ,イ シ
ス の 女 神 か ら エ チ オ ピ ア 征 討 の 神 託 が あ っ た こ と を 告 げ る 。こ の 後 ,フ ァ ン フ ァ ー レ
に 続 い て 出 て く る の が 有 名 な ア リ ア 「清き アイーダ( Ce l e s t e Aid a ) 」 で あ る 。
自 分が 将 軍 に 任命 さ れ たら 勝 利 の 恩賞 と し て アイ ー ダ と の結 婚 の 許 可を も ら お う
と 情 熱 を 込 め て 歌 わ れ る 曲 で 、最 高 音 は 変 ロ 音 な の で 超 高 音 と い う わ け で は な い の だ
が ,ド ラ マ が 始 ま っ た ば か り な の で ,歌 う 方 と し て は か な り プ レ ッ シ ャ ー を 感 じ る 曲
のようである。結構、名だたる歌手が音をはず すことが多い。アイーダを思 う気持ち
を朗々と歌った後,最後にこ の変ロ音を長く伸ばし て終わる甘い曲であ る。
奥 の 方 の 扉 が 開 い て フ ァ ン フ ァ ー レ が 響 い た 後 ,エ ジ プ ト 王 が 高 官 や 家 来 た ち を 従
え て 入 っ て く る 。使 者 が エ チ オ ピ ア 王 ・ ア モ ナ ズ ロ の 軍 勢 が テ ー ベ に 迫 っ て い る と 報
告すると,一同は怒り、王はラダメスを征討軍 の大将に任命し,アムネリス から軍旗
が渡される。
音 楽 は 行 進 曲 調 に な り ,ア ム ネ リ ス の「 勝 ち て 帰 れ (Ritor na vinc itor) 」の 声 に 続 い
て,人々もラダメスを励まして唱和し て送り出す。その後,アイーダの有名 なアリア
「勝ちて帰れ」 に な る 。祖 国 エ チ オ ピ ア へ の 思 い と 恋 人 へ の 愛 の 板 ば さ み に な っ た 気
持ちを歌うドラマティックな 曲で、最後は神に祈る 形で終わる。
第2幕
第1場 「武運 つたなくお まえの国は 」
・・・アイーダとアムネリス の二重唱
第2場 テ ー ベ の 都 の 門 の 一 つ
い わ ゆ る 凱 旋 の 場 。す べ て の オ ペ ラ の 中 で も も っ と も 華 麗 だ と 言 わ れ て い る 場 面 で
ある。
舞台上の演奏で行進曲が始ま り,幕が開く。大群衆がつめかけ る中,国王が高官,祭
司 たち を 従 えて 集 ま り、 こ こ で 国王 と 神 と祖 国 を た たえ て 歌 われ る の が有 名 な 合 唱
「 エジ プトとこの 聖なる地を 守りしイシ スの神に栄 光あれ」 で あ る 。そ し て 有 名 な 凱
旋行進曲 に な る 。
こ こ で 大 活 躍 す る の が 通 称 ア イ ー ダ ・ ト ラ ン ペ ッ ト と 呼 ば れ る 細 長 い ラ ッ パ 。そ の
勇壮な響きに乗って,兵士たちが凱旋 して国王の前を行進 して行く。続いて,戦勝品
を持った女性たちによるバレ エの場になる。
そ の 後 , ラ ダ メ ス が 到 着 し , 国 王 は 戦 功 を 賞 し 、 ア ム ネ リ ス は 冠 を か ぶ せ る 。「 何
か 望 み は あ る か ? 」と い う 国 王 の 言 葉 に 対 し て ,ラ ダ メ ス は エ チ オ ピ ア の 捕 虜 を 解 放
して欲しいと述べる。
アモナズロは,アイーダの父とだけ 名乗り,王は戦死したと偽り,エジプ ト王の慈
悲を乞う。捕虜たちが慈悲を求める音 楽も大きく盛り上が り、結局,ラダメスの願い
で,アイーダの父以外は解放されるこ とになった。その一方,ラダメスをア ムネリス
の 夫 と し て 国 の 後 継 者 と す る こ と が 宣 言 さ れ る 。ア イ ー ダ が 絶 望 す る 中 で , 大 合 唱 が
再現され,華やかな場面が終 わる。
第3幕 第 2 幕 か ら 数 日 後 の 星 月 夜 の ナ イ ル 河 畔 。
前 奏 曲 の 旋 律 と と も に ア イ ー ダ が ,ラ ダ メ ス と 会 う た め に 人 目 を 避 け る よ う に 登 場
し 、「 ラ ダ メ ス が 別 れ を 切 り 出 し た ら , ナ イ ル に 身 を 投 げ よ う 」 と い う 覚 悟 で , 南 の
空 を 仰 ぎ な が ら 「 おお ,わが故郷 」 を オ ー ボ エ の 前 奏 に 続 い て 歌 う 。 憂 い に 満 ち た 雰
囲 気 と ,弱 音 で の 超 高 音 が 聞 き 所 の 名 ア リ ア で あ る 。ラ ダ メ ス に 本 当 に 愛 す る な ら 二
人 で 国 か ら 逃 げ ま し ょ う と ア イ ー ダ が 説 き ,二 重 唱 に な る 。ラ ダ メ ス は 故 国 を 捨 て る
こ と を 躊 躇 す る が ,よ う や く 逃 げ る 決 心 を す る 。ど の 道 か ら 逃 げ る の が 良 い か ア イ ー
ダ が 尋 ね た と こ ろ ,「 軍 備 の な い ナ パ タ の 谷 」 と ラ ダ メ ス は 思 わ ず 軍 事 上 の 秘 密 を 教
えてしまう。アモナズロが陰から飛び 出し,驚くラダメス。取りすがるアイ ーダによ
る 緊 迫 し た 3 重 唱 に な る 。「でも、教えて、ど の道を行け ば 」・ ・・ ア イ ー ダ 、 ラ ダ メ
ス、アモナズロ
その後,神殿から兵士を連れたアム ネリスも現れ、アイーダ親子 は逃げ,ラダメス
は自ら剣を差し出して逮捕さ れる。
音楽的には第1,2 幕で使われ る曲の方が有名だが ,ドラマの上では 第 3 幕がいち
ばん劇的で密度の濃い展開を 見せる場となっている 。
第4幕
第1場 数 日 を 経 た メ ン フ ィ ス の 王 宮
「憎い恋敵はい なくなった 」・ ・ ・ ア ム ネ リ ス
ア ム ネ リ ス が た だ 一 人 , 破 れ 去 っ た 恋 の 悩 み に 耐 え か ね て 、 ラ ダ メ ス を 呼 び ,「 思
い 直 せ ば 助 命 し よ う 」と 口 説 く 。バ ス ・ ク ラ リ ネ ッ ト の 3 連 音 の 伴 奏 で 始 ま る 暗 い 二
重唱である。ラダメスは,アイーダが逃げ延び たことを知り喜ぶが,アムネ リスの言
葉には応じない。ラダメスは衛兵に囲 まれ,地下の穴倉に下りてい き,アムネリスは
「私があの男を殺したのだ」 と絶望する。
ラ ン フ ィ ス と 祭 司 た ち が 地 下 に 入 っ て 裁 判 が 始 ま り 、ラ ダ メ ス は 床 下 に 生 き 埋 め に
されることになる。出てきたランフィ スに,アムネリスは無実を訴 えるが,裏切り者
だと答え,取りつく島もない。アムネリスが錯 乱する中でこの場は 終わる。この場は
特にアムネリスの見せ場と言 える。
第2場 上 段 は ヴ ル カ ン の 神 殿 , 下 段 は 地 下 室 , と い う 二 重 舞 台 の 場 。
ラダメスは,恋人のことを思いなが ら地下室で死を待っ ている。その時,ラダメス
と 死 を 共 に す る た め に ,ア イ ー ダ が あ ら か じ め こ の 部 屋 に 潜 ん で い た の を 見 つ け 、二
人 は 天 上 で 結 ば れ る 喜 び を 歌 う 。非 常 に 美 し い 愛 の 二 重 唱 が 続 き ,二 人 は 相 抱 き な が
ら 現 世 に 別 れ を 告 げ る よ う に 目 を 閉 じ る 。弦 の ト レ モ ロ の ク レ ッ シ ェ ン ド の 響 き が 感
動 的 で あ る 。「運 命の石が私 の上で 」・ ・ ・ ラ ダ メ ス 、 ア イ ー ダ の 二 重 唱 。
神殿には,喪服に身を包んだアムネリ スが現れ,愛する男の冥福を 祈りながら,消
え入るように全曲が終わる。
ヴェローナ野外劇場 の「アイーダ」
ア レ ー ナ・デ ィ・ヴ ェ ロ ー ナ
東 京 公 演「 ア イ ー ダ 」
<閑話>アレ ーナの音 響効果と 国立代々 木競技場 第一体育館 の音響効 果?
まず、 疑問 に思 うの が、あ れほ どの 巨大 空間 である アレ ーナ の音 響効 果はど うな
のだろう。本当にき ちんと声が聴こ えてくるのだろ うか?
ヴェロ ーナ のア レー ナとい うの は、 同じ すり 鉢状と いっ ても 、野 球場 などと 較べ
ると傾 斜が 非常 に急で ある 。下 から みると 、そ れこ そ人 が壁 にへば りつ くよ うに連
なって いる 。す り鉢状 にな って いる から音 の伝 播は 極め て効 率的。 反射 率の よい大
理石を 使っ た3 0度を 超え る急 勾配 の階段 状の 座席 は、 音の 反射と 吸収 をバ ランス
よく考 えて 設計 されて いる ので ある 。こう した アレ ーナ の形 状は、 その 音楽 性にも
大きな影響を与えて いる。
マイク を使 わな いの も、肉 声が すぐ 壁に ぶつ かるこ と、 そし てそ の壁 が石で 出来
ている から こそ 可能な ので あっ て、 人間の 声に とっ ては とて も有利 な構 造に なって
いる。 した がっ て思い のほ か、 歌声 は遠く まで 聴こ える ので ある。 一方 で厳 密に言
え ば 、オ ー ケ ス ト ラ の 音 は あ ま り 聴 き や す く な い 。特 に バ イ オ リ ン な ど の 弦 楽 器 は 、
上に抜けてしまうの である。
それ では 、日 本公演 の会 場で ある 国立代 々木 競技 場第 一体 育館は どう だっ たのだ
ろう。 私の 受け た感覚 では 、声 は予 想以上 によ く聴 こえ たが 、やは り弦 楽器 は抜け
ていた 。管 楽器 群は良 く通 り、 勇壮 な凱旋 シー ンが 華麗 に展 開され たの は嬉 しかっ
たが、 やは りオ ペラは 劇場 で聴 きた いもの だと 思っ たの が率 直な印 象で あっ た。こ
の公演が本場にひけ をとらない特別 な名歌手が揃っ ていただけに 尚更であった。
<舞台美術の すばらし さ>
巨大な ピラ ミッ ドとス フィ ンク ス。 きらび やか で豪 華な 衣裳 の数々 。華 麗で 重量感
のある舞台美術は、 見るものを古代 エジプトの世界 へと誘う。
特に《 アイ ーダ 》の場 合、 迫力 ある 澄んだ 歌声 やス トー リー が、観 客た ちを 登場人
物の心 情に 魅き つける 一方 で、 舞台美 術の 要素 は非 常に大 きい 。そ の時の 雰囲 気や登
場人物の気持ちを倍 加させるのが、 照明や美術だか らだ。
まず時 代考 証を 綿密に 施し 、次 に巨 大な空 間を 活か した 古代 エジプ トを 再現 する。
伝統に 培わ れた 具体的 な演 出方 法は、 第2 幕の 何百 人とい うキ ャス トによ る「 ラダメ
スの凱 旋」 の迫 力や、 第4 幕で 、アイ ーダ とラ ダメ スが神 殿の 中で 永遠の 愛を 誓いな
がら死 んで いく ところ も、 具体 的な美 術セ ット のお かげで 実際 に古 代エジ プト を目の
あたりにしているよ うな錯覚を思わ せた。
<豪華歌手陣 >
§フィオレンツァ・コソット ・・・♪(メゾ・ソプラノ):アムネリス
戦 後世 代を 代表す るメ ゾ・ ソプ ラノの 第一 人者 であ り、 極め付 きの 当た り役を
いくつ か持 つ屈 指の 名歌手 であ る。 19 35 年、イ タリ ア生 まれ 。こ のコソ ット
を一躍有名にしたの が、まさにヴ ェローナにおけ る《アイーダ 》のアムネリ ス(1
960 年) であ った 。以後 、各 地に 招か れて メゾ・ ソプ ラノ のト ップ ・スタ ーと
なり、 あら ゆる 音域 にムラ 無く 聴か せる 真正 ベル・ カン トの 圧倒 的な 声は、 幅広
い演技 力と 共に 常に 最高水 準の 舞台 を見 せて いる。 先輩 のジ ュリ エッ タ・シ ミオ
ナート の引 退後 は、 コソッ ト無 しで はイ タリ ア・オ ペラ は成 り立 たな いとさ え言
われたほどの重要な 存在であった。
個人的 には ヴェ ルデ ィの 《イ ル・ト ロヴ ァト ーレ 》の 舞台 での アズチ ェー ナの
アリア 「炎 は燃 えて 」の鬼 気迫 る熱 唱が 忘れ がた い。会 場の 空気 が共 鳴で 震えて
いるの では ・・ と思 うほど のビ ンビ ンと 張り 詰め た歌声 は、 何と も形 容し 難いす
ごさであった。
メゾ・ソプラノ
フ ィオレンツァ・ コソット・
§マリア・キアーラ ・・・♪(ソプラノ):アイーダ
194 2年 イタ リア 生ま れ。 当初は ミミ 、ミ カエ ラ、 蝶々 さん など可 憐な リリ
コを多 く歌 って いた が、1 98 0年 代に 入り 、ヴ ェロー ナの 《ア イー ダ》 で大当
たりを 取っ て以 来、 ドラマ ティ ック なソ プラ ノに 転向し 、名 実と もに ヴェ ローナ
野外オペラの人気を 背負っている。 美しい容姿も大 いに魅力にな っている。
§ニコラ・マルティヌッチ ・・・♪(テノール):ラダメス
イタリアのタラ ントに生まれ 、ミラノで学 んだ後、
《ト ゥーランドット 》のカラ
フ役で 脚光 を浴 びる 。19 80 年、 ヴェ ロー ナの《 アイ ーダ 》に おけ るラダ メス
が文字 通り 、マ ルテ ィヌッ チの 名声 を築 き上 げた。 マル ティ ヌッ チと ヴェロ ーナ
の野外 オペ ラは 切っ ても切 れな い関 係に あり 、その 後1 98 3年 には 《トゥ ーラ
ンドット》のカラフ を演じて絶賛さ れている。
スカラ 座は じめ ヨー ロッ パの 主要オ ペラ 劇場 では 常連 とい って よい存 在に なっ
た。激 情な 役ど ころ を得意 とし 、ス トレ ート に訴 える歌 唱は イタ リア ・オ ペラ本
来の血の出るような 興奮を誘う大き な力となってい る。
§ピエロ・カプッチッリ ・・・♪(バリトン):アモナズロ
9 0年 代、 最高の バリ トン 歌手 として 名実 とも に帝 王と いわれ た。 19 29年
トリエ ステ 生ま れ。 どちら かと 言う と、 朗々 たるベ ル・ カン トな がら 神経の 細か
い性格 俳優 的な 役柄 に絶対 の舞 台を 見せ るあ たり、 単に 名バ リト ンと いうよ り、
演技力のある舞台人 としてより真価 を発揮すること で知られてい た。
<閑話>アイーダ・ トランペット
アイ ーダ ・ト ランペ ット とは 歌劇 《アイ ーダ 》の なか で「 凱旋の マー チ」 を吹く
た め の フ ァ ン フ ァ ー レ ・ ト ラ ン ペ ッ ト で す 。 長 さ 1m 以 上 も あ る 長 管 の ト ラ ン ペ ッ
トで、 輝か しい 音色が 特徴 。作 曲者 のヴェ ルデ ィが 当時 、壮 麗なエ ジプ ト軍 凱旋の
場面で、行進曲の旋 律を舞台上で吹 かせるために新 たに設計させ たとされる。
従来 は、 ピス トンバ ルブ が1 本だ けつい た まっ すぐ な形 で、調 はB ナチ ュラル
管とA♭管の二種類 が同時に使われ た。
ヤ マ ハ は 1980 年 の ザ ル ツ ブ ル グ 音 楽 祭 で 上 演 す る た め ウ ィ ー ン ・ フ ィ ル か ら 依
頼され て製 作し 、大成 功を 収め たが 、この とき の楽 器は 3本 式ロー タリ ート ランペ
ッ ト を ま っ す ぐ に し た よ う な 形 で 全 長 は 約 1m 、 調 は C 管 で あ っ た 。
音程が 非常 に取 りに くい 為、 ファ ンフ ァー レ以 外の 用途 では 使用 しな い為 "ファン
ファーレ・トランペ ット" とも呼ばれている
アイーダ・トランペット
◇
ジャ コモ・ プッチ ーニ作 曲
歌 劇《ト ゥーラ ンドッ ト》
全3幕
( 1991年11月19日
国立代々木競技場
第一体育館)
ロミオ とジ ュリ エット の街 、ダ ンテ が詩を 創り 、ゲ ーテ が訪 れたこ の古 都、 ヴェロ
ーナに今は歌の祝祭 を目指して人が 集まってくる。 目指すは巨大 な円形闘技場。
198 9年 12 月、初 めて のア レー ナ・デ ィ・ ヴェ ロー ナ日 本公演 が行 われ 、全6
回の《 アイ ーダ 》に延 べ5 万人 ものフ ァン が足 を運 んだ。 その 成功 を受け て第 2回東
京公演 とし て開 催され るプ ッチ ーニの 最後 の作 品《 トゥー ラン ドッ ト》も 前回 に劣ら
ぬ豪華キャストと壮 大なステージで イタリアオペラ フアンの期待 を集めた。
伝統に生命を吹き込 むのはいつの時 代でも新鮮な創 造力である。
オペラ とい う甘 い夢に ルネ ッサ ンス を創っ たダ ・ヴ ィン チの 末裔た ちが 感性 のあら
ん限り をつ ぎ込 み、何 百人 とい うスタ ッフ と膨 大な エネル ギー を費 やして 、古 代中国
の世界を作り上げた。そ こには壮大な 宮殿、きらびやか な衣裳、華麗な舞 台背景など、
最高の 舞台 美術 が出現 した 。そ して大 人数 が繰 り広 げる壮 大な 音の ドラマ が客 席を圧
倒した ので ある 。その 「非 日常 的」な 空間 に浸 りき ること こそ 、オ ペラ《 トゥ ーラン
ドット》の醍醐味な のであろう。
アレー ナ・ ディ ・ヴェ ロー ナは 、壮 大で豪 華な 舞台 と同 時に 、たえ ず第 一級 の歌手
たちに よっ て演 じられ てき た。 今回の 《ト ゥー ラン ドット 》に して も驚く ばか りの豪
華キャストであった 。
タイト ル・ ロー ルには 当代 屈指 のト ゥーラ ンド ット 歌手 であ るゲー ナ・ ディ ミトロ
ーヴァ が心 理的 な側面 を丁 寧に 歌って 強い 印象 を残 した。 相手 役の カラフ に声 量でも
舞台姿でも存在感の あるニコラ・マル ティヌッチ、そし てティムールに カラヤンが“シ
ャリア ピン の再 来”と 激賞 した パータ ・プ ルチ ュラ ーゼと いう 布陣 であっ た。 指揮は
前回、《アイーダ》を 指揮したネッロ ・サンティで あった。
ゲーナ ・デ ィミ トロー ヴァ のト ゥー ランド ット 、相 手役 のカ ラフに ニコ ラ・ マルテ
ィヌッチという組み 合わせは 、奇しくも 1988 年のミラノ・スカ ラ座日本公演(指揮は
ローリン・マゼール )の同演目と同 じであった。
左: ト ゥーランドット 役のゲーナ・ディミト ローヴァ
マルティヌッチ
右:カラフ 役のニ コ ラ ・
<名アリア「 誰も寝て はならぬ 」>
もはや 旧聞 に属 するが 、ト リノ ・オ リンピ ック でフ イギ ュア ・スケ ート 金メ ダルに
輝いた 荒川 静香 。彼女 が選 んだ 曲がプ ッチ ーニ の《 トゥー ラン ドッ ト》だ った 。そし
て開会 式で ルチ アーノ ・パ ヴァ ロッテ ィが 歌っ たア リア「 誰も 寝て はなら ぬ」 の美し
さに心打たれた人も 多かったであろ う。
果てし なく 伸び ゆく光 のよ うな 力強 さをも つ旋 律美 で、 オペ ラの代 表的 な一 曲とな
ったアリア「誰も寝 てはならぬ」。
第3幕 冒頭 で、 夜の街 を急 ぐ使 者た ちが「 今晩 、北 京の 民は 誰も寝 ては なら ぬ」と
いうト ゥー ラン ドット 姫の 命令 を告げ て回 る声 と、 人々が それ に応 える様 子が 遠くか
ら聞こ える と、 それを 耳に した カラフ が「 誰も 寝て はなら ぬ Ne ssu n Dor
ma!」と2度繰り 返し、歌が始ま る。
彼はト ゥー ラン ドット 姫自 身も また 、自室 で眠 れぬ 夜を 過ご してい るに 違い ないと
想像し、
「朝日が輝 き始めたとき に、我が名を 貴女の唇の上 に告げるだろう 」と歌い上
げ、最 後の 一節 「私は 勝利 者に なる! V in ce ro! 」で は高 いロ音 を朗 々と響
かせる。
昔から名テノールた ちがこよなく愛 した名曲なだけ に、録音も膨大な数 に上がるが、
何とい って も大 テノー ル、 パヴ ァロッ ティ が最 高の 歌唱で これ ぞ絶 品の極 み。 他に少
し前な らこ れも イタリ アの 名手 、コレ ッリ の精 悍な 歌が記 憶に 残っ ている 。天 にも届
くきれいな高音が体 感できるであろ う。
<アレーナ・ ディ・ヴ ェローナ 縁起・・ 全てはレ ストランの テーブル から生ま れた>
そもそもオペラ を 2000 年も 昔に建てられ た野外闘技場で 上演するという 途方もなく
大胆な発想はどこか ら出てきたのだ ろう。
次のようなエピソー ドがある。興味 深いのでご紹介 しよう。
ヴェロ ーナ にジ ョヴァ ンニ ・ゼ ナテ ッロと いう 名テ ノー ル歌 手がい た。 ゼナ テッロ
は《蝶 々夫 人》 の初演 の時 、ピ ンカー トン を歌 った テノー ルで 19 03年 から 7年ま
での間 は連 続し てスカ ラ座 で歌 ってい た人 で、 当時 は超一 流の テノ ールと して 通って
いた。
191 3年 はヴ ェルデ ィ生 誕1 00 年祭に 当た って おり 、晩 年のヴ ェル ディ と親交
のあっ たゼ ナテ ッロは 偉大 なる ヴェル ディ の生 誕1 00年 を大 々的 にお祝 いし たいと
思っていた。
191 3年 の6 月の暑 い日 に、 ヴェ ローナ の中 心、 ブラ 広場 で、ゼ ナテ ッロ はスペ
インの メゾ ・ソ プラノ で、 この 年に彼 と結 婚し たマ リア・ ゲイ 、著 名な指 揮者 のトゥ
ーリオ ・セ ラフ ィン、 合唱 指揮 者のフ ェル ッチ ョ・ クジナ ーテ ィ等 と共に 食事 のため
にテー ブル を囲 んでい た。 アレ ーナが 目の 前に 見え るブラ 広場 には 多くの レス トラン
が広場にテーブルを 出して野外での レストラン・サ ービスをして いた。
そして 突然 、ゼ ナテッ ロは すば らし いアイ デア を思 い立 った 。その テー ブル でゼナ
テッロが口を切り、
「目 の前に立派な野 外劇場がある。あ そこが音響的に さえ問題がな
ければ 使え るの だが、 どう だろ う、試 して みな いか 」と提 案し た。 それは よい 考えだ
と皆は早速アレーナ の中に入ってい った。
ゼナテ ッロ はこ のロー マ時 代の 楕円 形の闘 技場 の貴 賓席 に立 った。 そし てマ エスト
ロ・セ ラフ ィン と他の 全員 はそ の反対 側に 行っ てゼ ナテッ ロの 方を 向いた 。そ こで名
テノー ルは 「清 きアイ ーダ 」の 一節を 歌い 始め たの である 。ロ マン ツァの 最後 の高音
を張り 上げ た後 で、す かさ ずセ ラフィ ンが ブラ ーボ という 声が 跳ね 返って きた 。音響
的には何の問題の無 かったのである 。
信じ難 いこ とだ がそれ から 2ヵ 月後 の8月 10 日に 初日 の蓋 を開け たの であ る。以
来、現在まで、途中 2 回にわたる大戦中の空白の 10 年間を除き、アレー ナ・ディ・ヴ
ェロー ナは 毎夏 絢爛た るオ ペラ 世界を 繰り 広げ 、ヴ ェロー ナ音 楽祭 、ある いは アレー
ナ音楽 祭と して 世界で も屈 指の オペラ ・フ ェス ティ バルと して 知ら れるよ うに なった
のである。
<指揮者 ネッロ・
サ ンティ>
長老ネ ッロ ・サ ンティ は世 界中 の主 要なオ ペラ ハウ スの 指揮 者とし て、 長い キャリ
アを築 いて きた 。特に イタ リア ・オペ ラの レパ ート リーの 中で 彼が 指揮し なか ったも
のはな いと さえ いわれ てい る。 とりわ け、 ロッ シー ニ、ド ニゼ ッテ ィ、プ ッチ ーニ、
ヴェル ディ につ いては 文句 なし のスペ シャ リス トで 、特に ヴェ ルデ ィの研 究家 として
も多くの成果をあげ ている。
彼の指 揮は やは り骨の 髄か らオ ペラ を知り 尽く した 玄人 とい う円熟 味を 感じ させず
にはい られ ない 。以前 はや やも すると 音楽 づく りが 大味で 、勘 どこ ろにだ け濃 厚な味
付けを する ナニ ワブシ 的な 演奏 が多く 、あ まり 感心 できな かっ たこ ともあ った が、最
近聴くサンティの指 揮はまるで別人 の感がある。
2010 年 、 N 響 定 期 公 演 で 演 奏 会 形 式 の 「 ア イ ー ダ 」 を 指 揮 し て 聴 衆 を 熱 狂 さ せ
た 。 カ ー テ ン コ ー ル は 15 分 以 上 も 続 き 、 そ の 年 の 「 心 に 残 っ た コ ン サ ー ト 」 第 1
位 に 選 ば れ て い る 。現 在 、 世界で最も 忙しいオペラ 指揮者であり、また 驚くべきこと
に多 く の オ ペ ラ は た い て い 暗 譜 で 指 揮 し て し ま う 。
上 演 中 に 客 席 で 携 帯 電 話 が 鳴 っ た 時 、直 ち に 演 奏 を 中 断 し て 観 客 を 怒 鳴 り つ け た
という武勇伝の 持ち主でも ある。
指揮者
ネッロ・サンティ
<閑話>指揮 者ネッロ ・サンテ ィと PMF
2005年7月、ネッロ・サン ティは PM F2005の首 席指揮者として 札幌に滞在
していた。(他に客演 指揮者として準 ・メルクルが 参加)
サンテ ィは ロッ シーニ の歌 劇《 ウイ リアム ・テ ル》 序曲 など と、レ スピ ーギ の交響
詩ローマ三部作を選 曲。
「この組み合わ せは音楽的にも 教育的にも有 益である」と述べ
ている。
数日間 、筆 者は 彼のリ ハー サル をま じかに 見学 する こと が出 来たが 、ア カデ ミー生
に対しての実際の指 導の現場では、あら ゆる楽器を自 ら弾いてみせた り、
「フレージン
グを感 じて もら うため に私 は歌 うので す」 とい う通 りリハ ーサ ルの 間中、 最初 から最
後まで、歌う、歌う 、本当に自ら歌 ってみせる独特 の指導法を貫 いていた。
ジャコモ・プッチーニ
<プッチーニ の《トゥ ーランド ット》そ してドー リア>
190 9年 1月 23日 、ド ーリ ア・ マンフ レデ ィ( 22 歳) はトル レ・ デル ・ラー
ゴ村の 自宅 で毒 薬によ る自 殺を 図り、 5日 後に 死亡 した。 死亡 後、 その筋 の命 令によ
り検死 が行 われ 、彼女 が処 女で あった こと が証 明さ れた。 マン フレ ディ家 は、 プッチ
ーニの 妻エ ルヴ ィーラ に対 し2 月1日 名誉 毀損 の訴 訟を起 こし た。 裁判は 同年 7月に
ピサの裁判所で行わ れることになっ た。
どうしてこんなこと が起きたのだろ う。
それは 6年 前、 彼女が まだ 16 歳の 乙女だ った 頃に 遡る 。ま だまだ 馬車 が主 流だっ
た時代、プッチーニ は自らも車を運 転するという自 動車マニアだ った。
190 3年 2月 23日 にプ ッチ ーニ とその 家族 が乗 った 自家 用車が 道路 から 15メ
ートル も下 に落 ちて転 覆す ると いう事 故が 起き た。 妻と子 供は 軽傷 ですん だが 、運転
手とプ ッチ ーニ は大腿 骨骨 折と いう大 怪我 をし た。 この時 、看 病の 付き添 い人 として
雇われたのが16歳 だったドーリア だった。
その頃 、プ ッチ ーニは 妻の エル ヴィ ーラの 高慢 で嫉 妬深 い性 格に手 を焼 き、 夫婦仲
はあま りう まく いって なか った 。そん な時 ドー リア がかい がい しく マエス トロ の世話
をした のだ 。控 えめで 優し く、 従順で 気が 利く ドー リアを 大マ エス トロは 可愛 がり、
ほのか な愛 情を 感じて いた 。そ れを察 した エル ヴィ ーラは 嫉妬 に狂 い、村 中に 娘の悪
口を言 いふ らし 、家の 中で もい びり、 いた たま れな いよう にし た上 で解雇 した 。 そ
れでも気が治まらな かったとみえて、
「 私の夫をねらう 泥棒猫の淫売 婦」などと罵声を
浴びせ た。 つい にドー リア は錯 乱状態 にな り、 自殺 に追い 込ま れて しまっ たの だ。プ
ッチーニはドーリア が不憫でならな かった。
この事 件か らプ ッチー ニの スラ ンプ が続く 。そ して 年月 がこ の事件 を解 決し 、エル
ヴィー ラと の仲 も少し ずつ 戻っ てきた のは 10 年後 、ちょ うど 《ト ゥーラ ンド ット》
を作曲し始めた頃で あった。
プッチ ーニ は《 トゥー ラン ドッ ト》 の中で 女奴 隷リ ュー を創 り上げ て、 それ を亡き
ドーリ アへ の鎮 魂歌に しよ うと した。 リュ ーの 最後 のアリ ア「 冷た い心も やが て溶け
なん」を聞くとき、深い感 動を覚えるの は、単なるメロデ ィーの美しさだ けではなく、
プッチ ーニ の人 生に起 きた 、そ して実 際の 事件 によ って引 き起 こさ れた、 薄幸 の乙女
ドーリアの悲劇への 鎮魂の歌である ことからなので あろう。
こうし て《 トゥ ーラン ドッ ト》 のな かでリ ュー の自 己犠 牲を 美しく 歌い 上げ ること
によっ て、 ドー リアへ のレ クイ エムと した ので ある 。そし てそ の後 のトゥ ーラ ンドッ
ト姫と カラ フの 和解の 二重 唱を 完成さ せる 前に 、プ ッチー ニは あの 世へ旅 立っ てしま
ったのである。
<閑話>この タイミン グでこう 叫ぶ
「ブラ ーボ 」は 男性歌 手に 、「 ブラー バ」 は女 性歌手 に、「ブ ラービ 」は 複数 の男性
歌手」、「ブ ラー ベ」 は複数 の女 性歌 手に対 して かけ る掛け 声。 それ では 男女混 合の時
はどう する か? この 時は 男性 をたて て「 ブラ ービ 」とい いま す。 気に入 った 箇所が
あれば 、即 座に 歓声で 応え 、掛 け声を かけ まし ょう 。次の アリ アが 始まる のは 大騒ぎ
が静まってから。
そして ひと たび 気に入 らな いと ころ があれ ば、 一転 して ブー イング の嵐 。演 奏中で
あろう と遠 慮会 釈なし 。そ のた め舞台 上で 立ち 往生 して泣 き出 した 歌手さ えい ます。
オペラを知り尽くし 、愛しているか らこそできるの です。
ところ で《 トゥ ーラン ドッ ト》 の場 合、オ ペラ 通が 声を かけ るのは ここ しか ない、
という サワ リの 場面が あり ます 。3幕 でリ ュー が自 害する と人 々は 「ヴィ バ、 プッチ
ーニ」 と絶 妙の タイミ ング で賛 辞を送 りま す。 それ は、こ こま で書 いてプ ッチ ーには
亡くなってしまった からです。
それに して もこ うした 歌手 と聴 衆と の緊張 感に 満ち た切 磋琢 磨があ るか らこ そ、イ
タリア・オペラはよ りすばらしく、 たくましく育っ たのに違いあ りません。
16、1990年
バイエルン国立ゲルトナープラッツ劇場公演
大人の恋の物語
−
“ミュンヘンオペレッタ”
バイエルン国立ゲル トナープラッツ 劇場
宮廷芸術としてのオ ペラに対して、庶民的 芸術として大衆 に親しまれて きた喜歌劇。
日常的、娯楽的な題 材で、歌あり、 バレエありの楽 しい舞台作り が特徴である。
ヨーロ ッパ の音 楽と劇 場芸 術の 中心 ミュン ヘン から 、バ イエ ルン国 立ゲ ルト ナープ
ラッツ 劇場 が、 今回は オペ ラで はなく 、フ ラン ツ・ レハー ルや オッ トー・ ニコ ライの
美しい 旋律 と、 ウイリ アム ・シ ェイク スピ アの 陽気 な喜劇 を携 えて 来日し た。 その特
徴は音 楽や 演技 、歌、 喜劇 性、 趣向を 凝ら した 舞台 照明と いっ た、 音楽劇 場の 真髄を
展開し よう とす るもの で、 ウィ ーンの オペ レッ タと は一味 違っ たオ ペレッ タを 産み出
している。
ミュンヘン・ゲルトナー プラッツ劇場 は、いわゆるアン サンブル・シアタ ーであり、
他の出 演者 たち を押し のけ て聳 え立つ 「ス ター 歌手 」なる 者は 一人 も存在 せず 、その
代わり 何ヶ 月も のリハ ーサ ルを 重ねた 成果 その もの であり 、長 い時 間をか けた 協同作
業の中から生み出さ れたものである 。
今回の 演目 は、 オペレ ッタ の女 王と 呼ばれ るフ ラン ツ・ レハ ール作 曲《 メリ ー・ウ
ィドウ 》、 オット ー・ ニコ ライの 《ウ ィン ザーの 陽気 な女 房たち 》、 そし て日本 初演と
なるワルツ王ヨハン ・シュトラウス の傑作《ヴェニ スの一夜》の 3作品を披露。
日程の 都合 で、 名古屋 で《 ウィ ンザ ーの陽 気な 女房 たち 》と 《メリ ー・ ウィ ドウ》
を聴い た。 残念 ながら ヨハ ン・ シュト ラウ スの 《ヴ ェニス の一 夜》 は聴く こと が出来
なかった。
演出 はこ れと いった 奇を てら ったも ので はな く、 ごく常 套的 なも のであ った が、ど
ちらも歌手陣が水準 の高いアンサン ブルを聴かせて くれた。
《ウィンザーの陽気 な女房たち》の 一場面
作曲者
オットー・ニコライ
◇オット ー・ニ コライ 作曲
《ウィ ンザー の陽気 な女房 たち》 全3幕
(1990年7月13日
名古屋センチュリーホール)
シェイクスピアの同 名の喜劇に基づ き H.S. モーゼンター ルがテキストを 書き、オッ
トー・ニコライが作 曲した。ストー リーはシェイク スピアのそれ と同じ。
シェイ クス ピア の喜劇 「ウ ィン ザー の陽気 な女 房た ち」 は1 8世紀 のサ リエ リから
20世 紀の ヴォ ーン・ ウイ リア ムズま で、 いく つか のオペ ラの 題材 となっ てい る。な
かでも 、オ ペラ ・フア ンに よく 知られ てい るの はヴ ェルデ ィの 《フ ァルス タッ フ》で
あろう。
しかし 、こ のヴ ェルデ ィの 成功 に大 きく影 響を 与え たの は、 オット ー・ ニコ ライの
《ウィンザーの陽気 な女房たち》で あったと言われ ている。
ヴェル ディ の《 ファル スタ ッフ 》の 台本作 家ア リゴ ・ボ ーイ トは、 40 年余 り先立
って成 功を おさ めてい たニ コラ イの《 ウィ ンザ ー》 を超え るも のを !と意 識し て取り
組んだ ので ある 。同じ 内容 で音 楽の充 実度 とい う点 ではヴ ェル ディ が勝る もの の、ニ
コライ作品の純朴な 味わいも捨てが たいものがある 。
《ウィ ンザ ーの 陽気な 女房 たち 》に ついて はそ の序 曲が よく 知られ てい るが 、全曲
が上演 され る機 会はさ ほど 多く ない。 美し い旋 律に あふれ た佳 作で はある けれ ども、
強烈なインパクトに 乏しいためかも しれない。
このオ ペラ はも ちろん 喜劇 オペ ラで あるが 、ジ ング シュ ピー ルが交 じり 合っ た、シ
ュピー ルオ ーパ ー(演 劇性 の強 いオペ ラ) の代 表的 な演目 で、 旋律 の美し さや ロマン
ティックなムードの 美しさが魅力と なっている。
184 9年 、ベ ルリン 王立 歌劇 場で 初演さ れた この オペ ラは 、ドイ ツ・ ロマ ン派の
最後の 傑作 であ り、ド イツ 人の 大好き なロ マン ティ ック歌 劇で ある 。この オペ ラを観
たこと のな い人 でもき っと あの 序曲は 知っ てい る筈 。全編 、楽 しく て美し いロ マンテ
ィックな音楽で彩ら れている。
主人公 は酒 と女 好きで 、太 鼓腹 のフ ァルス タッ フ。 それ をウ ィンザ ーの 陽気 な女房
たちが 機智 とユ ーモア を武 器に 嫉妬深 い夫 まで も巻 き込ん で、 いた ぶり楽 しむ 「男と
はこうしたものよ」 の物語である。
なお、 この オペラ の あらすじ は、後述す る1 990 年ウ エル シュ・ ナシ ョナ ル・オ
ペラ公演の演目であ る《ファル スタッフ》と同じなのでそ の時に詳述する ことにする。
演出:ヘルムート・ マティヤセク( 同劇場総監督)
指揮:リヒャルト・ シュヴァルツ
バイエルン国立ゲル トナープラッツ 劇場管弦楽団・ 合唱団・バレ エ団
<オットー・ ニコライ >
作曲者のオットー・ニコライ( 1810年∼ 49年)はド イツ・ロマン派 オペラ最後
の傑作 とい われ るこの 《ウ ィン ザーの 陽気 な女 房た ち》と ウィ ーン ・フィ ルの 前身、
フィルハーモニー・ コンツェルトの 創設者として音 楽史に不滅の 名を残している 。
プロイ セン 王国 ケーニ ヒス ベル クに 生まれ 、幼 少の 頃か ら“ 神童” ぶり を発 揮し、
ベルリンで学んだ後 、拠点をウィー ンに置いて活躍 した。
ウィー ンで は、 ケルン トナ ート ーア 劇場の 楽長 を務 めた ほか 、ウィ ーン ・フ ィルの
前身で ある フィ ルハー モニ ー・ アカデ ミー の最 初の 演奏会 の指 揮し たこと から “ウィ
ーン・フィルの産み の親”ともいわ れている。
作曲家 とし ては 《英国 のロ スモ ンダ 》など いく つか のオ ペラ を発表 、評 判を 呼んだ
が特に 《ウ ィン ザーの 陽気 な女 房たち 》に は、 当時 の音楽 の全 てが 入って いる といわ
れてい る。 モー ツァル トの 《魔 笛》に 代表 され る歌 芝居ジ ング シュ ピール 、ナ ポリ派
を源と する イタ リアの オペ ラ・ ブッフ ァ、 そう した ものを 呑み 込ん で、シ ェイ クスピ
アの人 物を 借り て斜陽 の騎 士と 勃興す る市 民階 層を 絡ませ て、 楽し く面白 く生 気あふ
れる音 楽と 、大 詰めの ウィ ンザ ーの森 に展 開す るド イツ・ ロマ ンの 典型を 創り 、いつ
の時代にも古くなら ない人間喜歌劇 を創造したので ある。
《ウィ ンザ ーの 陽気な 女房 たち 》は、 わず か3 9歳 で亡く なっ たニ コライ の最 後の作
品であり、代表作と なっている。
◇フラン ツ・レ ハール 作曲
オペレ ッタ《 メリー ・ウィ ドウ》 全3幕
(1990年7月14日
名古屋センチュリーホール)
演出:ヘルムート・マティヤセク(同劇場総監督 )
指揮:ラインハルト・シュヴァルツ
バイエルン国立ゲルトナープラッツ劇場管弦楽団 ・合唱団・バレエ団
ちょう ど1 年前 のウィ ーン フォ ルク スオー パー の《 メリ ー・ ウィド ウ》 が記 憶に残
ってい る身 には 、幕が あい た途 端、あ っと 驚ろ かさ れた。 昨年 12 月に新 演出 された
この《 メリ ー・ ウィド ウ》 の舞 台は、 天井 一杯 まで 透けて みえ る壁 画や2 階の 張り出
し、そ して 正面 は回転 ドア 。そ こは何 故か ホテ ル・ ド・パ リと あり 、観客 をパ リへ誘
う。
現代に 設定 を移 した演 出だ が、 強引 なとこ ろは なく 、新 鮮な 美的感 覚の もと 作品そ
のものを素直に楽し むことが出来た 。
外見こ そ違 うが 音楽と ドラ マは まぎ れもな くレ ハー ルの オリ ジナル その もの 。次第
にハン ナと ダニ ロのお 互い 好き なくせ に好 き、 とは 言わな い、 お馴 染みの “大 人の恋
の片意地物語”に引 き込まれていっ た。
ハンナ とダ ニロ は若く て美 しく 、何 より驚 いた のは 舌を 巻く ほど歌 も芝 居も うまい
ことであった。瑞々しい声 と颯爽とした身 のこなしがオペ レッタの雰囲 気にぴったり。
ウィーンとはやっぱ り一味違う、もっと奔放で 、きらびやかで 、多少、き わもの的で、
あぶな げで 、ち ょっぴ り下 品で 、そし て大 胆で ・・ ・・。 そん な雰 囲気が 舞台 一杯に
拡がっ てダ イナ ミック に展 開す るバイ エル ンな らで はの《 メリ ー・ ウィド ウ》 であっ
た。何 ヶ月 もの リハー サル の積 み重ね があ って こそ はじめ て成 し遂 げられ る舞 台であ
ろうと納得した。
17、1990年
ベルリン国立歌劇場公演
ベルリン国立歌劇場
−
ドイツ・オペラの伝統
ベルリンの壁の崩壊
今回の日本公演は、 ドイツの歴史上 最も重要な時期 に開催される ことになった。
198 9年 11 月9日 、永 遠に 続く かと思 われ たベ ルリ ンの 壁が突 如崩 壊、 なだれ
をうっ て東 西ド イツの 統一 、冷 戦終結 、東 欧全 域へ の民主 化革 命の 波及と 連鎖 をして
いった。
ベルリン国立歌劇場 の日本公演はこ れまで10回を 数えたが、それらは東ド イツ(ド
イツ民主共和国)の オペラ劇場とし ての公演であっ た。
この来日直前の、ベ ルリンの壁崩壊 から満 1 年も経たない 1990 年 10 月 3 日、悲願
の東西ドイツの統一 が実現した。10 月 3 日の統一式典で は、ベルリンの 旧帝国議会議
事堂に 「黒 ・紅 ・金の 三色 旗」 が揚げ られ 、ル ート ヴィヒ ・ヴ ァン ・ベー トー ヴェン
の交響曲第 9 番「合唱付き」が演奏 された。
この歴 史的 な日 はベル リン 国立 歌劇 場のア ンサ ンブ ルに とっ て、2 50 年に わたる
伝統あ る歴 史の 中でも 重要 な区 切りに なる 日で あり 、統一 ドイ ツで の芸術 的発 展の新
しい時代の幕開けの 日でもあった。
ベルリンの壁の 崩壊前、東 ベルリンの ベルリン国 立歌劇場と 西ベルリン のベルリ
ン・ド イツ ・オ ペラと では 、同 じベル リン にあ る歌 劇場で ある にも かかわ らず 、歌劇
場とし ての 性格 は全く 違っ てい た。む ろん 、そ れは 背後に ある 政治 体制の 違い が関係
してのことであるが 、それだけが原 因ではない。
ベルリ ン国 立歌 劇場の 舞台 で、 西側 のオペ ラ好 きに よく 知ら れた歌 い手 がう たうの
を聴く機会は必ずし もそう多くない 。経済的な 事情もあっての ことであるが 、同時に、
東西の往来が容易で なかったことが 一番の理由であ った。そのために今 日はロンドン、
明日は ニュ ーヨ ークと 世界 中の 歌劇場 を歌 って かけ まわる 、い わゆ るスタ ー歌 手を起
用する のは ベル リン国 立歌 劇場 では難 しか った 。そ こで、 ベル リン 国立歌 劇場 では、
実力の ある 若い 歌い手 を探 し出 し、充 分に 時間 をか けてリ ハー サル を行う こと で、西
側のオ ペラ ハウ スには ない 特色 を出し てき た。 入念 に時間 をか けて アンサ ンブ ルを組
み上げていくのがこ のオペラ劇場の 流儀であった。
今回の 日本 公演 でも、 彼ら 独自 の考 えにも とづ いて 、地 道に 組み立 て、 織り 上げて
きたオ ペラ を提 示しよ うと する 真摯な 姿勢 が、 観る ものに その 真の 実力を 提示 してく
れた。
今回は 、ド イツ ・オペ ラ史 上の ハイ ライト であ り、 金字 塔で ある4 人の 重要 な作曲
家の作品を携えてき た。即ち、W・A・モーツァル ト《魔笛》、C・M・V・ウエーバ
ー《魔 弾の 射手》、R ・ワ ーグナ ー《 トリ スタン とイ ゾル デ》、 R・ シュ トラウ ス《ば
らの騎 士》 とい う本当 に魅 力的 なライ ンナ ップ であ ったが 、私 は日 程の都 合で 名古屋
での公 演《 トリス タン とイ ゾルデ 》と 《魔 笛》を 観た 。《 ばらの 騎士 》《 魔弾の 射手》
を日程の都合で見逃 したのは痛恨の 極みであった。
◇
W・ A・モ ーツァ ルト作 曲
《魔
(1990年11月3日
笛 》 2幕21 場のジング シュピール
名古屋市民会館)
指揮:ジーグフリート・クルツ
演出:エアハルト・フイッシャー
出演:ザラストロ・・・ジーグフリート・フォー ゲル
タミーノ ・・・ヴォルフガング・ミルグ ラム
弁者
・・・ルネ・パペ
パミーナ ・・・カローラ・ノセック
他
ベルリン国立歌劇場管弦楽団及び合唱団
《魔笛》はモーツァ ルト最晩年のオ ペラ。
179 1年 はモ ーツァ ルト の死 の年 だが、 この 年の 春に 《魔 笛》の 作曲 にと りかか
ったと思われる。出 来上がったのは その年の9月末 で初演の数日 前であった。
作曲者 自身 の指 揮で初 演さ れた が、 評判は 作曲 者が 期待 した ほどで はな かっ た。し
かし、 その 後上 演する ごと に評 判にな り、 1年 後に は10 0回 の上 演記録 を打 ち立て
る程の好評を得た。
さまざ まな 装い で人間 の愛 と自 由を 謳いあ げて きた モー ツァ ルトの 、こ れは 童話の
スタイ ルを 借り た極め て美 しい 、観よ うに よっ ては 最も示 唆に 富ん だ含蓄 のあ るオペ
ラである。
このオペラはジング シュピール、即 ちドイツ語のセ リフ入りの歌 芝居である。も と
もと北 ドイ ツに 昔から あっ た芝 居の様 式で 、次 第に ウィー ンで も上 演され るよ うにな
った。モーツァ ルトの作品の 中では、初 期の《バ スティアンと バスティエンヌ 》、そし
て《後宮からの逃走 》もこの形式で 作曲されている 。
架空の国のおとぎ 話だが、さまざ まな解釈が可能 な謎を含んだ 作品である。
ただ、 いつ もこ のオペ ラを 観て 感じる のは 、支 離滅 裂な稚 拙さ やフ リーメ イソ ン的な
謎から 救い 出さ れ、現 代人 にと っても う少 し雄 弁な 新しい 物語 にな らない かと いう欲
求であ る。 もっ ともそ れを 甘ん じて承 諾す るの は、 やはり 登場 人物 を描き 分け る美し
いアリ ア、 二重 唱が天 才モ ーツ ァルト なら では のも のだか らで 、結 局は美 しく も魔力
を秘めたオペラにな っているからで あろう。
ザラストロのジーグフリート・フォーゲル、弁者のルネ・パペが圧倒的
な存在感。
演奏は見事な声楽のアンサンブルを聴かせ、オーケストラも絶妙のバッ
クアップをしていた。ソロのアリアや二重唱などもまさに息のピッタリと
あったアンサンブルで聴かせた。
<簡単なあらすじ>
ある国に迷い込んだ王子タミーノは、そこで出会った鳥刺しパパゲーノ
や3人の侍女などに導かれて、王ザラストロに娘を連れて行かれた夜の女
王に会う。夜の女王は娘パミーナを取り戻すべく王子タミーノにその肖像
画を見せる。肖像画をみた王子はたちまち恋に落ち、タミーノはパミーナ
を救うべくザラストロの神殿に向かうが、実はザラストロは聖者で夜の女
王こそが悪者だったと判る。ザラストロに感化されたタミーノは、その王
国の組織に入るための多くの試練を乗り越えることにした。最後にパミー
ナ と 二 人 で 厳 し い 試 練 を 乗 り 越 え 、ザ ラ ス ト ロ の 後 継 者 と し て 認 め ら れ る 。
夜の女王は滅び、タミーノはパミーナと結ばれ、パパゲーノもパパゲーナ
と結ばれる。タミーナとパミーナは太陽の世界のもとで祝福を受けて、大
団円で幕が下りる。
* 物語はメルヘンの世界
物語はメルヘンとなっていて、ややストーリーにつじつまの合わない箇
所がある。これは、モーツァルトと台本を書いたシカネーダーの二人が、
当 時 流 行 っ て い た 秘 密 結 社「 フ リ ー メ イ ソ ン 」と い う 一 種 の 宗 教 の 信 者 で 、
作品にその教義を盛り込んだため、混乱してしまったせいであると言われ
ている。しかし、基本的にはメルヘンの優しい世界の中で、楽しいエピソ
ードが繰り広げられている。
* 有名なアリアのオンパレード
誰でも知っているメロディー、オペラらしいメロディー。極上のモー
ツァルトの音楽を聴くことができるのが、
《魔笛》の 最 大 の 魅 力 で あ ろ う 。
まず、第1幕のパパゲーノのアリア「おいらは鳥刺しパパゲーノ」は
パパゲーノが初めて舞台に姿を現すときに歌われ、彼のキャラクターが
表現される。
また、夜の女王のアリアと言えば、コロラトゥーラと呼ばれるソプラ
ノ歌手が綱渡りのように最高音を出す至難の曲で、このオペラの大きな
聴きどころになっている。と同時に低音域や激しい感情も込めなくては
な ら な い の で 、豊 か な 声 と 表 現 力 が 必 須 。
( 第 1 幕「 恐 れ ず に 若 者 よ ∼ 私
は苦しむために選び出された者」と第2幕の「地獄の復讐が我が心に煮
え か え る 」)。
タ ミ ー ノ の ア リ ア「 な ん と 美 し い 絵 姿 」
( 第 1 幕 )を 歌 う 主 役 テ ノ ー ル
は叙情的で優しい声が必要で、また、パパゲーノとパパゲーナの二重唱
「 パ ・ パ ・ パ 」は 、全 曲 の 中 で 最 も 親 し ま れ て い る 、ま さ に 天 上 の 音 楽 。
弾むように、陽気に歌うパパゲーノと生き生きとしかも密やかに歌い
返すパパゲーナの二重唱は何とも楽しい歌なので、ぜひ一度、聴いてみ
ることをおすすめする。
《魔笛》の鳥刺しパパゲーノとその恋人パパゲーナ。
右は夜の女王とその娘パミーナ。
<閑話>
《 魔笛》に まつわる いくつか の?
・フリーメイソン
自由、 平等 、博愛 、人 道主 義、理 想社 会の 実現な どを モット
ーにか かげ 、当 時の 多くの 人の 心を 捉え た秘密 結社 。モ ーツ ァル トも、 台本 を書
いたシカネーダーも 、後にモーツァ ルトの父のレオ ポルドもこの 会員だった。
もとも とロ ンド ンで 17 23 年に成 立し た結 社だ が、 瞬く 間に ヨーロ ッパ 各地
に広がった。モー ツァルトには《フリーメイ ソンのための葬 送曲》K .4 77など、
フリーメイソンのた めの小品をいく つか作曲してい る。
この思 想が 《魔 笛》 の台 本や 音楽に かな り影 響を 与え てい ると いわれ てい る。
登場人物の高僧ザラ ストロ、3人の 童子などの人物 設定や音楽が その例である。
・3という数字
《魔笛 》に は3と いう 数字 が多く 現れ る。 3人の 侍女 、3人
の童子 、3 つの 扉、 3度繰 り返 され る和 音、夜 の女 王が 登場 する のが3 回で 、登
場する 時の 雷鳴 は3 回、な どな ど。 これ は前述 した フリ ーメ イソ ンの思 想を 象徴
したものである。
・動物
《魔笛》にはたくさんの動物が登場 する。最初は大 蛇。6 頭の獅子(ザ
ラストロが乗る車を 引いている)。タ ミーノの笛に 誘われて 踊 り だ す 森 の 獣 た ち 。
・男対女
ザラスト ロが 支配す る聖 堂は 女人禁 制。 男だ けの特 殊社 会で ある。
一方夜の女王が支配 するのは女だけ の社会。
《魔笛》には男 社会と女社会 の対立と
いう永遠の命題も隠 されているのか もしれない。
◇
R ・ワー グナー 作曲
楽劇《 トリス タンと イゾル デ》全 3幕
(1990年
11月4日
名古屋市民会館)
筆者は 1986 年 、初めてウ ィーン国立歌劇 場日本公演の《トリス タンとイゾルデ 》に
接して 以来 、完 全にワ ーグ ナー の魔力 に取 り込 まれ たよう であ る。 ひとつ には この当
時、ワ ーグ ナー のオペ ラは 日本 ではそ うそ う頻 繁に 上演さ れる こと がない とい うこと
もあっ て、 とに かくワ ーグ ナー のオペ ラの 公演 があ ると何 が何 でも 聴きに 通っ た。特
にこの 《ト リス タンと イゾ ルデ 》は私 にと って ワー グナー の作 品中 、最も 強烈 な官能
につつ まれ た、 類まれ なオ ペラ の名作 とな った 。そ の魔界 とも いう べき官 能的 な音楽
の世界に完全にから めとられていた 。
今回もやはり期待し たのはこの《ト リスタンとイゾ ルデ》であっ た。
イ ゾ ル デ を 歌 っ た エヴァ・ マリア・ブン トシュー
R・ ワ ー グ ナ ー
指揮:ハインツ・フリッケ
演出:エアハルト・フイッシャー
出演:トリスタン・・・ハイッキ・シウコラ、
イゾルデ ・・・エヴァ・マリア・ブントシュー
マルケ王 ・・・ジーグフリート・フォーゲル
ブランゲーネ・・ウタ・プリエフ
他
ベルリン国立歌劇場管弦楽団及び合唱団
「愛の 死」 の後 、暗闇 の中 で美 しい 音楽を 聴き 終え た満 足感 にしば し浸 った 。この
場面では何度聴いて も知らず知らず のうちに涙ぐん でいる。確かに この日、美しい《イ
ゾルデ》が聴けた。
期待の イゾ ルデ 役のエ ヴァ ・マ リア ・ブン トシ ュー はや はり 素晴ら しか った 。サロ
メ、ゼ ンタ 、エ ヴァ、 レオ ノー レなど の主 要な 役を 歌い、 バイ ロイ ト祝祭 劇場 をはじ
めヨー ロッ パ各 地で活 躍し てい たドラ マテ ック ・ソ プラノ だが 、私 が今回 の公 演で一
番期待したのはやは りこのブントシ ューのイゾルデ であった。
ブント シュ ーは とにか くパ ワフ ルで 、大音 量の オケ もも のと もせず 、や や硬 質な声
と何よ りも 安定 した重 量級 の歌 唱の上 に、 気性 の激 しいイ ゾル デを 創り上 げ、 まっし
ぐらに トリ スタ ンに向 かう イゾ ルデに 客席 も手 を握 りしめ た。 なか でも声 に艶 やかな
色合い が加 わる 第2幕 は秀 逸。 第3幕 の「 愛の 死」 ではイ ゾル デの 魂の浄 化を 静謐に
しかし感情を込めて 見事に歌い上げ た。
トリス タン のハ イッキ ・シ ウコ ラは はじめ て聴 いた が、 実直 なトリ スタ ンで 、ブン
トシューのイゾルデ に対峙するには 十分であった。
マルケ 王の ジー グフリ ート ・フ ォーゲ ルが 、相 変わ らず歌 唱だ けで なく、 演技 にも品
格が漂 って 素晴 らしか った し、 ブラン ゲー ネの ウタ ・プリ エフ も奥 行のあ る表 現力で
ベテランの力をみせ ていた。
エアハ ルト ・フ イッシ ャー の演 出は荒 涼と した 心象 風景を 表現 しな がらも 、美 的な感
覚を失 って いな いとこ ろが すば らしく 、最 近、 こう した穏 健で はあ るが決 して 陳腐で
はない演出の《トリ スタン》を観る 機会はめっきり 少なくなった 。
<東西冷戦下 のドイツ のオペラ ハウス>
ベルリ ンの 壁が 崩壊す る以 前の ドイ ツのオ ペラ 事情 を知 るた めに、 当時 のベ ルリン
のオペラ劇場の様子 を少し述べてみ たいと思う。
ベルリ ンが まだ ひとつ だっ た第 2次 世界大 戦以 前の ドイ ツを 代表す るオ ペラ ハウス
といえ ば、 それ はウン ター ・デ ン・リ ンデ ンの 大通 りに面 して 立つ <リン デン ・オー
パー>のことだった 。
その後、ドイツと ベルリンが東 西に分断され 、冷戦の状況 が固定化されて いく中で、
ベルリンのオペラハ ウスの事情も大 きく変わらざる を得なかった 。
東ベル リン 地区 の<リ ンデ ン・ オー パー> は1 95 5年 、< ベルリ ン国 立歌 劇場>
という 新し い名 のもと 、ド イツ 民主共 和国 (東 ドイ ツ)の トッ プの オペラ ハウ スとし
て再出 発し た。 一方ド イツ 連邦 共和国 (西 ドイ ツ) は、西 ベル リン に近代 的劇 場を建
て、<ベルリン・ド イツ・オペラ> を開設した。
西ドイ ツの 威信 をかけ た< ベル リン ・ドイ ツ・ オペ ラ> は、 その後 この 陸の 孤島の
街で充実した上演活 動を展開し、早 期のうちに高い 評価を得るこ とになった。
ひとつ には 、西 側の国 に住 む我 々に とって は、 西ベ ルリ ンの <ドイ ツ・ オペ ラ>に
関する 情報 が豊 富だっ たし 、真 っ先に 来日 した こと もあっ て、 こち らの方 が存 在感は
はるかに大きかった 。
日本初 の、 そし て私が 初め て接 した 外国オ ペラ の( 完全 )引 越し公 演で あっ た19
63年 の< ベル リン・ ドイ ツ・ オペラ >公 演。 それ は指揮 者に カー ル・ベ ーム 等を擁
し、フ ィッ シャ ー=デ ィー スカ ウ等の 大歌 手の 底知 れぬ実 力と オペ ラ劇場 の総 合力を
見せつけた日本のオ ペラ界にとって 画期的な公演で あった。
その後 、1 98 7年に 、ワ ーグ ナー の《ニ ーベ リン グの 指環 》全4 作の 一挙 上演と
いう日 本の オペ ラ史上 、記 念碑 的な公 演が 行わ れる など、 圧倒 的な 知名度 と実 力を誇
示した。
それに 対し て< リンデ ン・ オー パー >即ち <ベ ルリ ン国 立歌 劇場> はど ちら かとい
うと地味で、手堅い 公演という印象 であった。
しかし 、2 50 年以上 の歴 史を もつ 伝統の 力と いう もの はす ごいも のが あり 、なに
しろ18世紀のなか ば、フリードリ ヒ2世の時代に 創設された歌 劇場である。
その歴史においては、《魔弾の 射手》や《ウィン ザーの陽気な女 房たち》、《ヴォツェ
ック》 等の 世界 初演も 含ま れる 。とり わけ 19 20 年代か ら3 0年 代にか けて 、ワイ
ンガル トナ ー、 R・シ ュト ラウ ス、E ・ク ライ バー 、クレ ンペ ラー などの 名だ たる高
名な指揮者を擁し、 まさに黄金時代 を築いた。
オトマ ール ・ス イット ナー (音 楽監 督19 64 年∼ 19 90 年)と とも に来 日した
時の公 演、 19 87年 の《 ニュ ルンベ ルグ のマ イス タージ ンガ ー》 は私に ワー グナー
の底知れぬ魅力を提 示してくれた忘 れがたい名演で あった。
時代は進んで、
“壁の崩壊後 ” 1992 年 、アルゼンチ ン生まれのイ スラエル人指揮 者・
ピアニ スト のバ レンボ イム が音 楽監督 に指 名さ れる と目覚 しい 活躍 がはじ まり 、現在
では<ベルリン・ド イツ・オペラ> を凌駕する評価 を受けている 。
現在の ベル リン は、3 つの オペ ラ劇 場を抱 える こと にな った 。東ベ ルリ ンに あった
リンデン・オ ー パ ー 即 ち ベ ル リ ン 国 立 歌 劇 場 、西 ベ ル リ ン の ベ ル リ ン・ド イ ツ・オ ペ ラ 、
そして ベル リン コーミ ッシ ェ・ オーパ ーで ある 。そ のこと が劇 場運 営の財 政的 危機を
招くことになり、多 くの影響を与え ることになった 。
オペラの愉しみ(6)に続く。