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ガ イ ド だ よ り
飯田観光ガイドの会
<23 号> 2010 年 6 月
5月例会報告
1、やまびこマーチ改善点、感想
(おもてなしコース)
・
「猿庫の水」サービスは好評
・おもてなしコースのPRを考える
・やまびこマーチの責任者をつける
・菓子の注文は申込人数を基準として注文
する
・コースの見直し
・毎年参加しているが案内人が変わると説
明も変わって面白い(参加者の声)
・お客様もガイドとの会話を求めている
・参加者の「地元の事をもっと知りたい」と
いう知的好奇心をみたすこと
5 月現地研修
<5
5月
月1
11
1日
日歓
歓送
送迎
迎会
会行
行わ
われ
れる
る>
松尾町「浦島」において歓送迎会が行われま
した。大勢のお客様の御参加を頂き盛大に行わ
れました。中でも飯田駅観光案内所の熊谷所長
さん、西尾さん、両人の参加はガイドの会の新
しい展開とこれからの方向性を示唆するもの
でしょう。又、長年ガイドの会、「会長」とし
て御尽力された森本前会長さんに花束贈呈も
ありました。会員一同心から感謝をこめて申し
上げます。
「ありがとうございました。」
資料Ⅵ
【
小笠原氏の家紋
】
(風越コース)
スタート時の混雑の緩和について
・事前の下見必要
・スタンプの位置の確認
・中間点でのお茶接待に感謝の言葉を伝え
るための働きかけをする
2、豊橋市日本共産党後援会「春のバスツアー」
報告
3、ゴールデンウイーク中の駅前観光案内所にお
けるご案内の報告
・午前中は人の出が少ない(時間の変更)
・5 月 2 日、3 日、は大変混むから 2 人必要
・最終日は人が来ない
川柳
挨拶も人間くさい朝の野良
林
義章
まちなか情報
﹁通り町にあった烏山稲荷﹂
烏山稲荷は下野烏山から初代堀親昌 ち(
かひさ が) 飯田へ持ってき たと云言れてい
ます。現在地の御蔵公会堂横に移すまでは
通り町四丁目北角︵※︶に祀ってありまし
た。入口は通り町側から間口五間、奥行十
間程の社域で神社まで石畳が敷かれ、縁日
は賑やかだったそうです。
昭和三十年代に 大火後道路 拡張整備が
進み、元町の御蔵公会堂北隅に移されまし
た。土居の御蔵場跡地には三メートルを超
える忠魂碑を建て、戦意高揚に一役かって
いました。隣には乃木大将の石像もあるの
で子供達は必ず敬礼をして通りました。
学校から帰ると、飯田病院庭、金毘羅様
琴(平神社 ・)忠魂碑と連なる土居の広場は
格好の遊び場で、子供達の喚声が絶えませ
んでした。
最初の烏山稲荷 のあった通 り町角の跡
地は店が出来て一般住宅となりましたが、
二回も泥棒に入られてお稲荷さんの上に
住むのは良くないとか、その後は更地とな
り、現在は駐車場となっています。
※改正版﹁飯田城ガイドブック﹂の本町
とあるのは間違い。
伊丹 和香
4、飯田駅観光案内所当番について
・名簿順に担当する
5、ガイド便り寄稿について
・名簿アイウエオ順とする
6、年会費集金
・年会費 1000 円
7、6 月の予定 先進地との交流会
・バス手配済み
小笠原氏は甲斐国出身で、信濃国伊賀良庄など
拠点に信濃国守護なったほか、全国に諸流が分流
した。中世武家の名門と呼ばれてきた。
「先祖」
に位置づけられる「甲斐源氏」(清和源氏の流れ
を汲み「始祖」には新羅三郎義光)弓馬の武芸に
秀でていた。武家に必須の弓馬術に礼法を加え、
小笠原流れの基盤を築いた。七代目、「貞宗」は
後醍醐天皇に仕え、足利尊氏に弓法を教えた。貞
宗の妙技に感動した天皇は小笠原流弓馬術を、作
法として認め、
「王」の一字を家紋にせよと命じ
た。貞宗は「王」の字をそのまま家紋にするのは
おそれおおいと「王」の字を三枚の袱紗(ふくさ)
に包むと【三階菱】の家紋が生まれた。
資料提供:伊藤とみ恵