PRESS RELEASE 2016.6.17 第 32 回(2016)京都賞受賞者の決定 公益財団法人稲盛財団(理事長 稲盛和夫)は、 第 32 回(2016)京都賞の受賞者を以下の 3 名に決定しました。 京都賞は、科学や文明の発展、また人類の精神的深化・高揚に著しく貢献した人々を讃える国際賞です。 授賞式は 11 月 10 日、国立京都国際会館で行われ、受賞者にはディプロマ、京都賞メダル(20K)および 賞金 5,000 万円が贈られます。 先端技術部門 授賞対象分野: 情報科学 金出 武雄 博士 (日本/1945 年 10 月 24 日/70 歳) ロボット工学者 カーネギーメロン大学 ワイタカー記念全学教授 コンピュータビジョンとロボティクス分野での先駆的かつ実践的研究 コンピュータビジョンの基礎理論に根源的に貢献するのみならず、自動運転を含むその ロボティクスへの革新的な応用技術を次々に創出し、長きにわたってこの分野の発展の 基礎を築きながら牽引し続ける傑出した先駆者である。 基礎科学部門 授賞対象分野: 生命科学(分子生物学・細胞生物学・神経生物学) 本庶 佑 博士 (日本/1942 年 1 月 27 日/74 歳) 医学者 京都大学 名誉教授 抗体の機能性獲得機構の解明ならびに免疫細胞制御分子の発見と医療への展開 クラススイッチ組換え機構とそこに働く AID を同定して抗体の機能獲得メカニズムを 解明し、 PD-1/PD-L1 分子の同定と機能解析によって新しいがん免疫療法に道を拓いた。 その成果は広く医学・生命科学に影響を及ぼすとともに、医療へと展開されて人類の 福祉に多大な貢献を果たしている。 思想・芸術部門 授賞対象分野: 思想・倫理 マーサ・クレイヴン・ヌスバウム博士 (アメリカ/1947 年 5 月 6 日/69 歳) 哲学者 シカゴ大学 エルンスト・フロインド法学・倫理学特別功労教授 ケイパビリティ・アプローチによる正義論の深化とその実践 正義の基準に、合理的な諸個人間の社会契約に基づく平等にとどまらず、人が「何かに なる・何かをする」潜勢能力(ケイパビリティ)を十全に開花させることを導入し、 社会においてそれらが疎外されている弱者へのまなざしを備えた独自の正義論を提唱、 社会的実践に開かれた議論を展開している。 (年齢は 2016 年 6 月 17 日現在) 解説 先端技術部門 授賞対象分野:情報科学 金出 武雄 博士 コンピュータビジョンとロボティクス分野での 先駆的かつ実践的研究 金出博士は、コンピュータビジョンの基礎理論に根源的に貢献するのみならず、自動運転を含む そのロボティクスへの革新的な応用技術を次々に創出し、長きにわたってこの分野の発展の基礎を 築きながら牽引し続ける傑出した先駆者である。 コンピュータビジョン 私たち人間がそうであるように、コンピュータやロボットが、 実世界の情報から様々な機能を実現する際、映像情報が重要 なことは論じるまでもない。しかし、カメラなどから得た 画像から対象の状況を認識するという問題は簡単に解決で きるものではない。こうした問題を研究するコンピュータ ビジョンという分野で、金出博士は第一線で活躍し続けている。 基礎―普遍的基盤 金出博士の業績はコンピュータビジョンの基礎から応用ま で幅広く、その先見性と実践性と創造性は大きな存在感を 放っている。基礎理論においては、動画像中の対象の動きを 図3 仮想化現実技術を実装した EyeVision により、360°任意の視点からの 映像表現を実現(映像提供:フジテレビ) 抽出するための理論を構築し、MPEG などの動画解析にお ける基本的手法を提供した (図1)。さらに、2 次元画 素人発想、玄人実行 像から 3 次元構造の復元に 博士は基礎的、理論的な枠組みを提唱するとともに、そこか 関する理論を作るなど、今 ら壮大な実用技術の開発を成し遂げた稀有な人物である。 後の情報化社会でも大きな 博士は「素人発想、玄人実行」と言い、素人のように自由で 役割を果たす理論的貢献を 素直に発想し、それを玄人的なやり方で実現する。その結果、 行っている。 世界を驚かせる夢のある研究が実現されるのである。例を 図1 Lucas-Kanade 法による動きの抽出 挙げればきりがないその豊かな創造性に、世界から驚きと 尊敬の眼差しが注がれる。 応用―創造性の具象化 一方、応用分野での業績も多岐にわたる。例えば、現在では b) a) 一般的に使われるようになった顔検出のアルゴリズムにも 1980 年代から貢献している。既に 1995 年には自動運転 車でアメリカを横断し(図2)、さらにはカメラ情報から 自律的に動くヘリコプターまで開発した。また、対象を 360°どの角度でも視点を移動できる「仮想化現実」と呼ば c) れる映像技術は世界を驚かせた(図3)。 d) 図2 改良を重ねた自動運転車による北アメリカ大陸横断(金出博士より資料提供) e) 図4 金出博士が携わった様々なコンピュータビジョン研究例(金出博士より資料提供・一部加工) a)細胞追跡技術 b)水滴ディスプレイ c)顔検出システム d)スマートヘッドライト e)自律ヘリコプター 1 第 32 回(2016)京都賞先端技術部門受賞者 業績 授賞対象分野:情報科学 金出 武雄 博士 コンピュータビジョンとロボティクス分野での先駆的かつ実践的研究 金出武雄博士は、コンピュータビジョンの基礎的な理論からロボティクスへの応用まで、長きに わたり幅広く活躍してきた。今日、知的視覚機能を備えたカメラやロボットが様々な社会的問題を 解決するものと期待されているが、これらの技術の基礎および実装で傑出した先駆的な貢献を行った。 金出博士はコンピュータによる画像認識研究の先駆的研究に取り組み、ニューラルネットワーク による学習に基づく顔検出手法を提案した(1, 2)。この手法は顔検出率を飛躍的に向上させて、実 用的利用が可能なレベルにまで押し上げ、その後の改良により数多くの商用化がなされるに至って いる。 カーネギーメロン大学に移ってから、動画像による外界の立体構造と運動を認識する問題に取り 組み、物体の動きを表すオプティカルフローの推定の基礎となる頑健なアルゴリズムを提案した。 この方法は Lucas-Kanade 法と命名され、今日の映像処理において必須の基本的な手法となって いる(3)。加えて、物体の動きから 3 次元形状を復元する問題に対し特異値分解に基づくノイズに 強い 3 次元復元法(Tomasi-Kanade 分解)を提案している(4)。これにより、映像からの 3 次元復 元手法にかかわる多くの関連研究が生まれ、画像から対象とする世界を認識する研究が大きく進展 した。こうした基本的貢献に基づいて、視覚情報処理を実世界で役に立つ形で実現している。 特に注目すべきは、自動運転の研究である。1985 年から始まった自動走行車のプロジェクトは、 昨今の自動運転技術のさきがけとなった(5)。車に設置した距離センサとカメラからの情報に基づ いて、レーンの認識、レーン変更、障害物検出と回避、他の車両検出などをリアルタイムで行う人 工知能システムを世界で初めて構築した。その成果を実証するために“No Hands Across America” という壮大なデモンストレーションを行った(1995 年) 。これはアメリカ大陸をハンドル操作なく 横断するもので、アメリカ東部のピッツバーグから西海岸のサンディエゴまでの約 4,500km をほ とんどハンドルから手を放して走行するという画期的な成果を残した。このデモンストレーション が自動運転の実現に道筋をつけた意義は大きい。 さらに、多数のカメラを用いた実時間での 3 次元再構成、生活の質向上に関連する実用的なデジ タルヒューマン研究などがある。一筆に値するのが、フィールドを取り囲むようにスタジアムに設 置した 33 台のロボットカメラをリアルタイムで協調制御してボールを持った選手を追跡撮影する システム(EyeVision)である(6)。アメリカで最も視聴率の高いスーパーボウル(アメリカンフッ トボールの試合)において、このシステムがテレビ放送の新たな映像表現を提示し、視聴者を驚か せた。 このように金出博士の業績は、学術的な基礎研究から実用的な研究まで広い分野にわたっており、 画像処理、パターン認識の分野において、基礎的、理論的な枠組みを提唱するとともに、そこから 壮大な実用技術の開発を成し遂げたという点で傑出している。 2 参考文献 (1) Kanade T (1973) Picture processing system by computer complex and recognition of human faces. PhD dissertation (Kyoto University). (2) Rowley HA, et al. (1998) Neural network-based face detection. IEEE Transactions on Pattern Analysis and Machine Intelligence 20: 23–38. (3) Lucas BD & Kanade T (1981) An iterative image registration technique with an application to stereo vision. Proceedings of IJCAI ’81: 674–679. (4) Tomasi C & Kanade T (1992) Shape and motion from image streams under orthography: a factorization method. International Journal of Computer Vision 9: 137–154. (5) Thorpe C, et al. (1988) Vision and navigation for the Carnegie-Mellon Navlab. IEEE Transactions on Pattern Analysis and Machine Intelligence 10: 362–373. (6) Kanade T, et al. (1997) Virtualized reality: constructing virtual worlds from real scenes. IEEE MultiMedia 4: 34–47. 3 第 32 回(2016)京都賞先端技術部門受賞者 経歴 授賞対象分野:情報科学 金出 武雄 博士 (Dr. Takeo Kanade) ロボット工学者 所属・役職 カーネギーメロン大学 ワイタカー記念全学教授 生年月日 1945 年 10 月 24 日 略 国 籍 日本 歴 1945 年 兵庫県氷上郡春日町(現 丹波市)生まれ 1974 年 京都大学 工学博士 1974–1976 年 京都大学 工学部 助手 1976–1980 年 京都大学 工学部 助教授 1980–1982 年 カーネギーメロン大学 ロボティクス研究所および計算機科学科 高等研究員 1982–1985 年 カーネギーメロン大学 ロボティクス研究所および計算機科学科 准教授 1985–1994 年 カーネギーメロン大学 ロボティクス研究所および計算機科学科 教授 1992–2001 年 カーネギーメロン大学 ロボティクス研究所 所長 1993–1998 年 カーネギーメロン大学 ワイタカー記念教授 1998 年– カーネギーメロン大学 ワイタカー記念全学教授 2004–2010 年 産業技術総合研究所 デジタルヒューマン研究センター センター長 2006–2012 年 カーネギーメロン大学 生活の質工学センター センター長 2014 年– 大阪大学 産業科学研究所 特任教授 2014 年– 奈良先端科学技術大学院大学 情報科学研究科 客員教授 2015 年– 産業技術総合研究所 名誉フェロー 2016 年– 理化学研究所 革新知能統合研究センター 特別顧問 主な受賞と栄誉 1995 年 ジョゼフ・F・エンゲルバーガー賞 2000 年 C&C 賞 2004 年 船井業績賞 2007 年 アズリエル・ローゼンフェルド生涯業績賞、IEEE CS 2007 年 RAS パイオニア賞、IEEE RAS 2007 年 大川賞 2008 年 バウアー賞科学部門、フランクリン協会 2010 年 ACM-AAAI アレン・ニューウェル賞 2010 年 立石賞特別賞 会員: 米国芸術科学アカデミー、米国工学アカデミー 4 解説 基礎科学部門 授賞対象分野:生命科学(分子生物学・細胞生物学・神経生物学) 本庶 佑 博士 抗体の機能性獲得機構の解明ならびに 免疫細胞制御分子の発見と医療への展開 本庶博士は、クラススイッチ組換え機構とそこに働く AID を同定して抗体の機能獲得メカニズム を解明し、PD-1/PD-L1 分子の同定と機能解析によって新しいがん免疫療法への道を拓いた。 その成果は広く医学・生命科学に影響を及ぼすとともに、医療へと展開されて人類の福祉に多大 な貢献を果たしている。 抗体の機能獲得の謎への挑戦 その後、博士は、この CSR にかかわる染色体の領域、組換え 免疫反応を担う抗体の構造は、長い重鎖 2 本と短い軽鎖 2 本 は対立遺伝子の片方でのみ起こること、各クラス遺伝子の が組合わさった Y 字型で、それぞれに抗原に結合する可変領 塩基配列決定など数多くの発見をし、CSR を証明した。 域と、結合後の処理方法を決める定常領域がある(図 1) 。 博士は、CSR を誘導する分子の一つとして IL-4という分子 抗体を作る B 細胞は、発生の途中で可変領域の遺伝子を組 も発見したが、B 細胞の中で CSR が起こるしくみは永らく 換え、外界からの無数の異物(抗原)のそれぞれに対応して 不明であった。 結合する多様性を身につける。一方、定常領域は、その構造 しかし、博士は、試験管内でこの IL-4 などの刺激で CSR が (アミノ酸配列の違い)により IgM、IgG、IgD、IgE や IgA 起こるシステムを構築し、ついに 1999 年、CSR 時に発現 などのクラスに分類される(図 2)。抗体のクラスは、体内 量が増える酵素を同定して AID と名付けた。引き続く 2000 での分布(血液、リンパ液、腸管など)と機能(細菌毒素や 年から 2002 年の研究で、博士は、この AID が CSR のみ ウイルスの中和、寄生虫に対する免疫、アレルギー反応など) ならず、可変領域の SHM にも必須であることを明らかにし、 を決めている。また、抗原へさらされると可変領域の遺伝子 抗体への機能性付与のメカニズムを明らかにした。 に体細胞超突然変異(SHM)が起こり、抗原への結合力を強 化する。このように、抗体のクラスは抗体の機能を決める重 がん免疫療法への発展 要な要素であり、これがどう決定され可変領域とつながるか 博士は、この CSR の研究のかたわら、免疫細胞で働く様々 は医学上の大問題であったが、本庶博士の研究以前は全く謎 な分子を発見した。その一つが PD-1 である。博士は 1992 であった。 年に PD-1 遺伝子を発見し、さらに 1999 年に遺伝子欠損 マウスの解析などからこの分子が免疫反応の「ブレーキ」と して働いていることを見出した。このことから、逆に PD-1 抗原 が機能しなくなる抗体をがんマウスに投与したところ、免疫 可変領域 が活性化され、がんが縮小することを発見した。つまり、 定常領域 通常、リンパ球の一種、細胞傷害性 T 細胞は、異物となる 細胞(がん細胞)を認識すると活性化され対象細胞を破壊す 図 1 抗体の構造 図 2 様々な抗体のクラス るが、がん細胞にある PD-L1(PD-1 の結合分子)が、T 細胞 1978 年、本庶博士は様々なクラスの重鎖の定常領域の の PD-1 に結合すると T 細胞への免疫反応にブレーキが掛 遺伝子を解析したところ、他の抗体クラスの遺伝子が一定の かり、がん細胞への攻撃が阻害される(図 4) 。つまり、PD-1 法則で削除されていることを発見した。それをもとに、定常 機能阻害抗体によってこのブレーキが外れると、T 細胞によ 領域の各クラスの遺伝子は、一つの染色体上で、ある順番で るがん細胞への攻撃が再開するのである(図 5) 。現在、PD-1 並んでおり、あるクラスの定常領域が可変領域とつながると 経路に対する抗体薬は、がん治療の目玉として実用されつつある。 きには、一部の領域が染色体から切り出されるというクラス スイッチ組換え(CSR)を提唱した(図 3)。 図4 図 3 1978 年に本庶博士が提唱したクラススイッチ組換え機構 5 免疫反応にブレーキがかかる 図 5 ブレーキがはずれ免疫反応が再活性化 第 32 回(2016)京都賞基礎科学部門受賞者 業績 授賞対象分野:生命科学(分子生物学・細胞生物学・神経生物学) 本庶 佑 博士 抗体の機能性獲得機構の解明ならびに免疫細胞制御分子の発見と医療への展開 本庶佑博士は、分子生物学の技術を駆使して免疫現象の基本原理の解明を進め、そこに働く重要 な分子を多数発見した。その成果は、広く医学・生命科学に影響を及ぼすとともに、医療へと展開 されて人類の福祉に多大な貢献を果たしている。 我々の体で生体防衛に働く抗体は免疫グロブリンと言われ、 骨髄に由来する B 細胞で作られる。 骨髄での B 細胞の発生過程で、B 細胞の免疫グロブリン遺伝子は可変部領域の遺伝子断片の組換 えを受け、様々な抗原に結合する多様性を身に付ける。B 細胞はその後リンパ組織に移動し、そこ で抗原にさらされ活性化刺激を受けると、IgM、IgG、IgE、IgA などクラスと呼ばれる機能の異 なる多様な抗体を作りだすとともに、抗体の可変部領域の体細胞超突然変異(SHM)によって高 親和性抗原結合力が獲得される。しかし、これらの抗体の機能性と高親和性獲得のメカニズムは不 明であった。本庶博士は、1978 年に前者に関して抗体の重鎖遺伝子が部分的に欠損して起きるク ラススイッチ組換え(CSR)モデルを提唱し(1)、その後多くの論文でこれを実証した。ついで、 CSR を試験管内で再現する細胞系を立ち上げ、それを利用して 1999 年に CSR を触媒する酵素、 活性化誘導シチジンデアミナーゼ(AID)をクローニングし(2)、引き続く研究で、これが CSR の みならず、SHM にも必須の酵素であることを明らかにした(3)。この発見により抗体の生物学的活 性の獲得と親和性亢進という免疫の基本原理のメカニズムの一つが明らかになった。 本庶博士は、上記の研究と並行して、免疫関連細胞に発現する多くの重要な分子の遺伝子クロー ニングと同定を進めた。この中には、上記の CSR を誘導するサイトカイン IL-4 や IL-5、発生で 重要な働きをする Notch の転写因子 RBP-J kappa、骨髄の造血幹細胞の維持に重要なケモカイン SDF-1 などが含まれる。 その一つ、PD-1 と名付けられた分子(4)は、その欠損によりマウスで自己免疫疾患が惹起される こと(5)、ハーバード大学との共同研究で PD-1 に特異的に結合するリガンドである PD-L1 との結 合により T 細胞の活性化が抑制されること(6)から、免疫反応の負の調節因子であることが明らか になった。これらの実験結果をもとに、本庶博士と共同研究者は、抗 PD-L1 抗体を担がんマウス に投与し、PD-1 と PD-L1 の結合を阻害するとマウスの抗がん活性が著しく増強されることを示 した(7)。これは、抗 PD-1 抗体や抗 PD-L1 抗体による PD-1 シグナルの遮断が、有効ながんの免 疫治療となりうる可能性を世界で初めて提示したものであり、この本庶博士の研究成果をもとに、 ヒト型 PD-1 抗体ニボルマブの臨床治験が 2006 年より米国で始められ、 実際にヒトのメラノーマ、 肺がん、前立腺がん、大腸がん、腎細胞がん、ホジキンリンパ腫などで奏功例が認められて、すで にメラノーマと肺がんについては薬剤認可を受けている。この抗 PD-1 抗体による新しいがん免疫 療法は、副作用が少なく、幅広いがんに持続的な効果があるという優れた特性を有している。 以上、本庶博士の主たる貢献は、クラススイッチングの遺伝子組換え機構とそこに働く AID を 同定して SHM を含む抗体の機能獲得メカニズムを解明したこと、PD-1/PD-L1 分子の同定と機能 6 解析によって新しいがん免疫療法に道を拓いたことであり、基礎生命科学と人類への福祉の両面か ら高く評価される。 参考文献 (1) Honjo T & Kataoka T (1978) Organization of immunoglobulin heavy chain genes and allelic deletion model. Proc Natl Acad Sci USA 75:2140–2144. (2) Muramatsu M, et al. (1999) Specific expression of activation-induced cytidine deaminase (AID), a novel member of the RNA-editing deaminase family in germinal center B cells. J Biol Chem 274:18470–18476. (3) Muramatsu M, et al. (2000) Class switch recombination and hypermutation require activation-induced cytidine deaminase (AID), a potential RNA editing enzyme. Cell 102:553–563. (4) Ishida Y, et al. (1992) Induced expression of PD-1, a novel member of the immunoglobulin gene superfamily, upon programmed cell death. EMBO J 11:3887–3895. (5) Nishimura H, et al. (1999) Development of lupus-like autoimmune diseases by disruption of the PD-1 gene encoding an ITIM motif-carrying immunoreceptor. Immunity 11:141– 151. (6) Freeman GJ, et al. (2000) Engagement of the PD-1 immunoinhibitory receptor by a novel B7 family member leads to negative regulation of lymphocyte activation. J Exp Med 192:1027–1034. (7) Iwai Y, et al. (2002) Involvement of PD-L1 on tumor cells in the escape from host immune system and tumor immunotherapy by PD-L1 blockade. Proc Natl Acad Sci USA 99:12293– 12297. 7 第 32 回(2016)京都賞基礎科学部門受賞者 経歴 授賞対象分野:生命科学(分子生物学・細胞生物学・神経生物学) 本庶 佑 博士(Dr. Tasuku Honjo) 医学者 所属・役職 京都大学 名誉教授 生年月日 1942 年 1 月 27 日 略 国 籍 日本 歴 1942 年 京都市生まれ 1966 年 京都大学 医学部 卒業 1975 年 京都大学 医学博士 1971–1973 年 カーネギー研究所 発生学部門 客員研究員 1973–1974 年 米国国立衛生研究所 国立小児保健発達研究所 客員研究員 1974–1979 年 東京大学 医学部 助手 1979–1984 年 大阪大学 医学部 教授 1984–2005 年 京都大学 医学部 教授 1989–1997 年 弘前大学 医学部 教授(併任) 2005 年 京都大学 名誉教授 2005 年– 京都大学 大学院医学研究科 客員教授 2012 年– 静岡県公立大学法人 理事長 2015 年– 公益財団法人先端医療振興財団 理事長 主な受賞と栄誉 1981 年 野口英世記念医学賞 1985 年 エルウィン・フォン・ベルツ賞、ベーリンガーインゲルハイム 1988 年 武田医学賞 1993 年 上原賞 1996 年 恩賜賞・日本学士院賞 2012 年 ロベルト・コッホ賞 2013 年 文化勲章 2014 年 唐奨 2014 年 ウィリアム・コーリー賞、米国がん研究所 2015 年 リチャード・V・スモリー賞、米国がん免疫学会 会員: 日本学士院、米国科学アカデミー、米国免疫学会名誉会員、 レオポルディーナ(ドイツ国立科学アカデミー) 8 解説 思想・芸術部門 授賞対象分野:思想・倫理 マーサ・クレイヴン・ヌスバウム博士 ケイパビリティ・アプローチによる正義論の深化とその実践 ヌスバウム博士は、正義の基準に、合理的な諸個人間の社会契約に基づく平等にとどまらず、人が 「何かになる・何かをする」潜勢能力(ケイパビリティ)を十全に開花させることを導入し、社会 においてそれらが疎外されている弱者へのまなざしを備えた独自の正義論を提唱、社会的実践に 開かれた議論を展開している。 弱い者の身になって考える ヌスバウム博士はアメリカの WASP として裕福な家庭に生 まれるも、その差別意識の強い上流社会での生活に違和感を 覚えていた。博士を研究へと駆り立てるものは、人間の脆さ であり、差別や貧困に直面する人々がいるという現実だった。 ハーバード大学大学院にて古典学・哲学を学び、1975 年に アリストテレスの動物運動論をテーマにした論文で博士号 を取得。1987 年から 1993 年、ヘルシンキの世界開発 経済研究所において、アマルティア・セン博士(ノーベル 経済学賞受賞者)と「生活の質」に関する共同研究を行った。 これが博士独自のケイパビリティ・アプローチ(capabilities 法と文学における犯罪をテーマとする 2014 年の学会で、アイスキュロス作 『オレステイア』に登場する女性の人物に扮するヌスバウム博士 approach)を展開する重要な契機となった。 における前提が、重い障がいを持つ人々などを例外的な状態 として扱うことで排除していると批判し、彼らに適うように 正義論を深化させた。生まれたばかりの時期や、老いによる 心身の衰えが顕著な時期は、誰しも正常で十分に協働できる 合理的な個人ではありえない。人間とは、死にゆく身体を持ち、 他者を必要とし、障がいを抱える存在であるという視点に立つ ヌスバウム博士は、健康や身体の不可侵性のみならず、想像力 こま や思考力、他者や他の生きものに対する濃やかな気遣いなど を「人間の中心的なケイパビリティ」としてリストアップした。 コロンビアの低所得者向け住宅プロジェクトと青年センターのオープニング での博士 尊厳のある人生に向けて ケイパビリティ・アプローチ:正義論の深化 ヌスバウム博士はケイパビリティのリストを、多様な文化を 従来の正義論、特にジョン・ロールズの『正義論』は、生涯 超えて合意できるような、尊厳のある人生の中心的な要件と にわたって正常かつ十分に協働できる合理的な諸個人の合 して独自に提示した。それは単なる哲学的な理念にとどまら 意に則った原理に従い、富・自由・権利などを平等に配分す ない、社会的・政治的目標であって、人々がケイパビリティ ることを正義と捉える。しかし、それでは、例えば障がいの を開花させることができる状況を整えることが必要である ある人々と健常者の間で実際に何ができるかという点での とする実践的な議論へと展開するものである。 不平等は解消されない。車いす利用者と非利用者に同額の交 通費を平等に渡したとしても、公共スペースがバリアフリー でなければ、車いす利用者はさらなるコストがかかり、非利 用者と同じように移動することができないからである。した がって目指すべきは、単なる富や効用の平等ではなく、実際 に人が「何かになったり何かをしたりする」可能性としての ケイパビリティ(潜勢能力)を基準にした平等である、とい うのがセン博士とヌスバウム博士によるケイパビリティ・ アプローチの根幹である。ヌスバウム博士はこれを新アリス トテレス主義の立場から哲学的に基礎づけ、生涯にわたって 正常かつ十分に協働できる合理的な個人という従来の正義論 9 第 32 回(2016)京都賞思想・芸術部門受賞者 業績 授賞対象分野:思想・倫理 マーサ・クレイヴン・ヌスバウム博士 ケイパビリティ・アプローチによる正義論の深化とその実践 マーサ・クレイヴン・ヌスバウム博士は、現代における正義論、法理論、教育論、発展途上国へ の開発援助、フェミニズムといった広範な領域において主導的な議論を展開してきた哲学者である。 ヌスバウム博士が、古代ギリシア悲劇とアリストテレス哲学の読解から出発し、そこから築いて いったのは、いわゆる西洋近代の理性的個人主義の立場を批判し、情感のもつ倫理的価値を重視す る姿勢であり、そして複雑に変容するグローバルな社会状況のなかで、価値や感情の対立を含みな がらも、ともに善き生を実現しうる倫理を提示しようとする姿勢である。 ヌスバウム博士の仕事のうちで最も有名なのは、人間におけるケイパビリティ(capability: 潜勢能力)の開花についての理論である。これは、哲学と経済学を再統合しようとした経済学者、 アマルティア・セン博士との長年にわたる共同研究の成果をさらに独自の仕方で展開したもので、 ヌスバウム博士は、アリストテレスのデュナミス(潜勢態)の概念を再解釈しながら、人が「何か になったり何かをしたりする」可能性としてのケイパビリティを拡げ、十分に開花させることが、 リベラリズムが実現すべき正義の基準であると提唱した。たとえば貧困問題も単なる財の欠如では なく、ケイパビリティの発展が閉ざされていることと捉え直し、そうした角度から、具体的な福祉 政策や発展途上国への開発援助を論じてきた。また、ケイパビリティの発想から導かれるこの社会 正義の理論をもとに、アメリカ国内の反同性愛立法や発展途上国における性差別の慣行、さらには ポルノグラフィによる人格の「物」化などに対して、批判的な検討を加えてきた。 ヌスバウム博士は、健康や身体の不可侵性のみならず、自由な想像力、批判的な思考、他者や他 の生きものに対する濃やかな気遣いなどを個人のケイパビリティとしてリストアップする。そのリ ストは、ジェンダーの平等や児童福祉の政策に関する議論と人間開発の評価の基軸として活用され、 さらには人権学習における教材として各国で使用されている。同時にヌスバウム博士は、デモクラ シーの基礎としてのリベラル・エデュケーションと、異なる文化への想像力を陶冶しそれらとの共 存を模索する多文化主義教育の必要を強く唱えてきた。また、インドをはじめとして文化的背景を 異にする人々ともきめ細かな論議をくり返し試みてきた。 ヌスバウム博士はまた、法の感情的な起源についての研究にも精力的に取り組み、刑罰政策や立 法論にも影響を与えてきた。それは、怒りや嫌悪、羞恥などのネガティブな感情の本性を検討した うえで、人間のヴァルネラビリティ(脆弱性)が犯罪やそれに対する制裁といかに結びついてゆく のかを数多くの判例から析出しつつ、いかなる法制が必要となるのかを提示するものである。これ らの研究は、 「異なる者」への排撃が日々昂進しつつある現代世界において、その根源的問題性を 摘出し、解決に向けた新たな指針を示すという実践的な意義をもつものである。 このように、ヌスバウム博士は、善き社会を実現するための社会哲学・倫理学の探究と、それに 基づくさまざまの社会的実践への提言とを通じて、劣化しつつある公共領域の再構築と、人類諸文 化の共存・交響への道を、現在もなお深い使命感をもって探究し続けている。 10 第 32 回(2016)京都賞思想・芸術部門受賞者 経歴 授賞対象分野:思想・倫理 マーサ・クレイヴン・ヌスバウム博士(Dr. Martha Craven Nussbaum) 哲学者 所属・役職 シカゴ大学 エルンスト・フロインド法学・倫理学特別功労教授 生年月日 1947 年 5 月 6 日 略 国 籍 アメリカ 歴 1947 年 米国ニューヨーク生まれ 1975 年 ハーバード大学 博士(西洋古典文献学) 1980–1983 年 ハーバード大学 哲学・古典学准教授 1984–1985 年 ブラウン大学 哲学・古典学准教授 1985–1989 年 ブラウン大学 哲学・古典学・比較文学教授 1987–1993 年 国連大学 世界開発経済研究所 リサーチ・アドバイザー 1989–1995 年 ブラウン大学 ユニバーシティ・プロフェッサーおよび哲学・古典学・比較文学教授 1995–1996 年 シカゴ大学 法学・倫理学教授 1996–1998 年 シカゴ大学 エルンスト・フロインド法学・倫理学教授 1999 年– シカゴ大学 エルンスト・フロインド法学・倫理学特別功労教授 主な受賞と栄誉 2012 年 アストゥリアス皇太子賞 2012 年 フィンランド白薔薇勲章(ファーストクラス・ナイト) 会員: 米国芸術科学アカデミー 主な著作 The Fragility of Goodness: Luck and Ethics in Greek Tragedy and Philosophy, Cambridge University Press, 1986. Women and Human Development: The Capabilities Approach, Cambridge University Press, 2000.( 『女性と人間開発:潜在能力アプローチ』池本幸生・田口さつき・坪井ひろみ訳 岩波書店 2005) Upheavals of Thought: The Intelligence of Emotions, Cambridge University Press, 2001. Hiding from Humanity: Disgust, Shame, and the Law, Princeton University Press, 2004.(『感 情と法:現代アメリカ社会の政治的リベラリズム』河野哲也監訳 慶應義塾大学出版会 2010) Frontiers of Justice: Disability, Nationality, Species Membership, Harvard University Press, 2006.(『正義のフロンティア:障碍者・外国人・動物という境界を越えて』神島裕子訳 法政大学出版局 2012) Political Emotions: Why Love Matters for Justice, Harvard University Press, 2013. Anger and Forgiveness: Resentment, Generosity, Justice, Oxford University Press, 2016. 11 第32回(2016)京都賞ウイーク行事日程 1.歓迎レセプション 日時/場所:2016年11月9日(水) 京都ホテルオークラ 受賞者を迎え、京都府・京都市および稲盛財団の主催で行います。 2.授賞式 日時/場所:2016年11月10日(木) 国立京都国際会館 3.共同記者会見 日時/場所:2016年11月10日(木) 国立京都国際会館 授賞式直後に3部門の受賞者を囲んで記者会見を行います。 4.晩餐会 日時/場所:2016年11月10日(木) グランドプリンスホテル京都 5.記念講演会 日時/場所:2016年11月11日(金) 国立京都国際会館 受賞者が自らの仕事を通じ、築き上げてきた人生観や世界観等についてエピソードを交え ながら一般の方々を対象に講演します。 6.ワークショップ 日時/場所:2016年11月12日(土) 国立京都国際会館、他 部門ごとに受賞者を囲んで、現在第一線で活躍している専門家が講演などを行います。 7.青少年育成プログラム 子ども達や学生を対象に受賞者が特別授業やフォーラムを行います。詳細は9月下旬頃に 発表いたします。 8.鹿児島講演会 一昨年より開始された講演会で、鹿児島県、鹿児島市、鹿児島大学および鹿児島商工会議 所が主体となった「京都賞受賞者講演会実行委員会」主催による催しで、受賞者が一般の 方々を対象に講演します。 9.米国での京都賞シンポジウム 日時/場所:2017年3月14日(火)~16日(木) 米国カリフォルニア州サンディエゴ市 海外における京都賞関連行事として第17回(2001)京都賞より毎年行われており、受賞者が 米国で講演を行います。当地の京都賞シンポジウム組織と地元の大学の協力により運営・ 実施されており、2017年は16周年を迎えます。 10. 英国での京都賞シンポジウム “Kyoto Prize at Oxford” 日時/場所:2017年5月9日(火)~10日(水) 英国オックスフォード大学 本シンポジウムは、オックスフォード大学の最も新しい大学院であるブラバトニック公共 政策大学院が中心となって運営されるもので、2017年から毎年開催され、受賞者による 講演会やパネルディスカッションなどが行われる予定です。京都賞を英国をはじめとする 欧州、さらには世界に向けて発信します。 12 第 32 回(2016)京都賞受賞者発表 報道用写真素材 報道関係の皆様に下記画像をご提供させていただきます。ご希望の際には、会社名・ 所属・氏名・電話番号・画像番号・掲載媒体(可能であれば掲載日)を明記の上、 稲盛財団広報部 [email protected] まで E-mail にてお申し込みください。 後日、担当者より画像をダウンロードできる URL とパスワードをお知らせいたします。 先端技術部門 金出 武雄 博士 01 基礎科学部門 本庶 02 佑 博士 03 04 思想・芸術部門 マーサ・クレイヴン・ヌスバウム博士 05 06 07 ※ヌスバウム博士の画像につきましてはいずれの写真も加工(トリミングおよび背景処理等) 不可です。ご了承ください。 <お問い合わせ> 公益財団法人稲盛財団 広報部 E-mail:[email protected] TEL:075-353-7272 13 FAX:075-353-7270 <この件に関するお問い合わせ> 公益財団法人 稲盛財団 広報部長 中島 剛 〒600-8411 京都市下京区烏丸通四条下ル水銀屋町620 番地 COCON烏丸7F TEL: 075-353-7272 FAX: 075-353-7270 E-mail: [email protected] URL: http://www.kyotoprize.org/ (京都賞公式ウェブサイト) http://www.inamori-f.or.jp/ (稲盛財団公式ウェブサイト)
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