1 フランスのアルジェリア支配と日本人たちの支援 フランスのアルジェリア

 フランスのアルジェリア支配と日本人たちの支援
フランスのアルジェリアでの核実験に最初に反対した日本
北アフリカのアルジェリアは、1830年から1962年までフランスの直轄領土、つ
まりフランスの国土の一部とされ(植民地ではない)、アルジェリア人のアラビア語やイス
ラムなど文化的アイデンティティーも希薄にされた。
フランスは1960年代にアルジェリアのサハラ砂漠で核実験を繰り返し、きのこ雲の
中に戦闘機を突入させたり、また実験後兵士たちを爆心地に進めさせたりするなど、核戦
争を想定した訓練も行った。現地住民たちに放射能被害が残ったことはいうまでもなく、
ガンや白内障、先天性異常が増加した。
このフランスのアルジェリアでの核実験に最初に反対の声を上げたのは日本政府であっ
た。日本の地理学者で、サハラ砂漠の緑化に取り組んだ小堀巌氏は、1961年にアルジ
ェリアを訪問した時の体験を下のように語っている。
「1961年秋、サハラのオアシスで、出来たばかりのソニーのトランジスタ・ラジオで
受信したNHKの短波放送からは、東京外国語大学にアラビア語学科が新設されたという
ニュースが伝えられてきた。それを聞いたアルジェリアの友人は、我がことのように喜ん
だものである。1960年にフランスがレガンヌで原爆実験を始めた時は、最初に抗議し
たのは日本政府であったが、そのことを彼はよく知っており、私まで感謝された。」
http://www.japan-algeria-center.jp/andalg/jp/andalg20020707j.html
自民党の代議士であった宇都宮徳馬⇒アルジェリア独立戦争が始まった1954年の翌年
である1955年にアルジェリアを訪問し、アルジェリアへの支援の姿勢を鮮明にした
日本政府→独立戦争(1954~1962年)がピークであった時に、アルジェリアの独
立運動を担ったFLN(民族解放戦線)の極東代表部の東京での設置をフランスの猛反対
があったにもかかわらず受け入れた。
日本の学生たちも、アルジェリアの独立運動を支援した→1957年6月の全学連の第1
0回定期大会に「アルジェリア・イスラム教徒学生総連合会(UGEMA)」の副書記長ショ
アイブ・タレブと書記局員ムスタファ・ネガディの両氏が招待された。
アルジェリア研究者の宮治美江子氏→1960年の安保闘争に参加する中で、フランスの
マシュ将軍による壮絶な空爆や厳しい拷問に耐えて闘うアルジェリアの人々に強く共感し
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たと述べている。
アルジェリア独立戦争の際の日本の支援もあって、日本とアルジェリアは経済関係を深め
ていくことになったが、著名な地理学者の小堀厳氏は、1981年にアルジェリアのアウ
レフ・オアシスのマイクロ・ウエーブ回線の鉄塔は、日本の技術者が来て3日で工事を完
了させ、現地の人々が驚き、その見事な仕事ぶりはアルジェリアの教科書にも紹介された
というエピソードを伝えている。
日本はアルジェリア社会が不安定になる1992年頃までフランスに次ぐ経済協力をアル
ジェリアに対して行い、インフラや教育の整備に力を尽くした。
小堀巌氏は次のように語っている。
「アルジェリアは、苦しい財政状況の中でもアフリカ諸国への援助を行っているが、それを
口に出して言わない雰囲気があり、一般の日本人にはこのような外交努力は知られていな
い。 」
アルジェリア→熾烈な戦争を経て、フランスから独立を勝ち取った。また、アルジェリア
のイスラム過激派は市民の大量虐殺を行うなど、凄惨な方法で自らの主張を訴えている
フランス支配とは何であったのか
※ヨーロッパの植民地主義がイスラム世界に進出するに従って、ヨーロッパのキリスト教
宣教師たちは、イスラム世界に対するヨーロッパの「勝利」はキリスト教の教義によるも
のと考え、イスラム世界の後進性を「イスラム」によるものと断定した。彼らは、ヨーロ
ッパの近代的発展は、宗教や文化としてキリスト教に本来備わっている優越性によるもの
と考えていた。フランスは、アルジェリアを足がかりにアフリカのキリスト教化を考える
ようになった。
フランス⇒アルジェリアからサハラ深部へと進出し、原地の住民たちにフランス語の使用
を強要していく。そして、1881年にはチュニジアを、また1912年にはモロッコを
保護領とした。
フランス⇒19世紀の末までに、フランス、イタリア、スペインから20万人をアルジェ
リアに移住させ、アルジェリアの全耕地の40%にあたる230万ヘクタールの農地を開
墾させた。最も肥沃な土地は、ヨーロッパの農業会社に当てられた。
フランス⇒100万人以上の植民者(コロン)と莫大な資源をアルジェリアに投入したが、
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フランスのアルジェリアに対する進出は、イスラムよりも優越していると考えられたキリ
スト教の宗教的情熱によっても裏づけられていた
⇒アルジェリアでは、徹底的なフランスへの同化政策が図られる。アルジェリアは、チュ
ニジアやモロッコの「保護領」とは異なって、フランスの領土の一部とされてしまった。
アラビア語に代わってフランス語教育が行われた⇒また、イスラム法は廃止され、フラン
スの法律が導入される。さらに、ウラマー(イスラムの聖職者)は、教育、法、社会福祉
に対する管理を剥奪されることになった。こうしてフランス支配は、アルジェリア社会の
イスラム的性格を希薄にしていった。アルジェリアでは、1962年の独立時にはイスラ
ムの宗教学校すらなく、アルジェリア人の経営による教育機関は警察学校だけだった。
←このように、フランスの植民地支配は、伝統的意識の強いムスリムの目から見れば、単
に外国支配を受けただけでなく、文化的な「屈辱」をももたらした。イスラムの価値は多
いに損なわれ、イスラムに裏打ちされた社会は自然な発達を阻害された。つまり、フラン
スによっていきなり「文化革命」を強いられた状態となった。ヨーロッパ植民地主義は、
ムスリムの過去の栄光やプライドを傷つけるものばかりでなく、その物質主義的文化は、
イスラムに具現化された神聖な、宗教的原理に対する「脅威」とも保守的なムスリムたち
には感じ取られた。
⇒アルジェリアでは、徹底的なフランスへの同化政策が図られる。アルジェリアは、チュ
ニジアやモロッコの「保護領」とは異なって、フランスの領土の一部とされてしまった。
アラビア語に代わってフランス語教育が行われた⇒また、イスラム法は廃止され、フラン
スの法律が導入される。さらに、ウラマー(イスラムの聖職者)は、教育、法、社会福祉
に対する管理を剥奪されることになった。こうしてフランス支配は、アルジェリア社会の
イスラム的性格を希薄にしていった。アルジェリアでは、1962年の独立時にはイスラ
ムの宗教学校すらなく、アルジェリア人の経営による教育機関は警察学校だけだった。
←このように、フランスの植民地支配は、伝統的意識の強いムスリムの目から見れば、単
に外国支配を受けただけでなく、文化的な「屈辱」をももたらした。イスラムの価値は多
いに損なわれ、イスラムに裏打ちされた社会は自然な発達を阻害された。つまり、フラン
スによっていきなり「文化革命」を強いられた状態となった。ヨーロッパ植民地主義は、
ムスリムの過去の栄光やプライドを傷つけるものばかりでなく、その物質主義的文化は、
イスラムに具現化された神聖な、宗教的原理に対する「脅威」とも保守的なムスリムたち
には感じ取られた。
アルジェリアの独立戦争⇒1954年11月に創設された「民族解放戦線(FLN)」によ
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って担われた。民族解放戦線は、フランスの軍隊がベトナムでの戦争で士気が低下してい
たこともあって、緒戦は有利に抵抗を行うことができたが、しかし軍事的には近代的装備
をもつフランス軍が圧倒していた。広い領土を有し、石油や天然ガスなど資源に恵まれて
いたため、フランスは容易にアルジェリアの独立を認めようとしなかった。
※独立戦争で、アルジェリアでは、900万人の全人口のうちおよそ150万人のアルジ
ェリア人が命を落とし、また200万人が住む家を失った。また、アルジェリア人の都市
生活者のうち四分の三が職を喪失したと見積もられている。この背景にはフランス人の植
民者がアルジェリアを離れたことが大きく影響していた。
※1990年代、アルジェリアの社会・経済的混迷、また政治腐敗を背景にして、FIS
は各地において貧困層に医療・教育など社会事業を与え、また多数のモスクで政治主張の
浸透を図っていく。政府の腐敗を糾弾し、不合理な政治・社会の是正を唱えるFISは、
とくにアルジェリア総人口の75%を占める職のない30歳以下の青年層の熱烈な支持を
集めた。
FISの運動の高揚←アルジェリア独立戦争を担い、保守的な民族主義の立場をとる軍隊
の将校たちにとっては耐え難いものであった。FISの勢力伸張は体制内で軍がもつ経済
などの既得権益を明らかに脅かすものであった。
↓
軍部の政治への介入、イスラム勢力の弾圧から内戦へ
ア ル ジ ェ リ ア 民 主 人 民 共 和 国 People's Dem ocratic Republic of Algeria)
2008 年 4 月現在(外務省ホームページより)
一般事情
1.面積:238 万平方キロメートル(内、砂漠地帯約 200 万平方キロメートル)(アフリカ第
2 位)
2.人口: 3,349 万人(2006 年、IMF)(国土の 7%内に集中)
3.首都: アルジェ
4.民族・人種: アラブ人(80%)、ベルベル人(19%)、その他(1%)
5.言語: アラビア語(国語、公用語)、ベルベル語(国語)、フランス語(国民の間で広く
用いられている)
6.宗教: イスラム教(スンニー派)
7.略史
1962 年 7 月
フランスより独立(当時、人口は 1 千万人)。
1989 年 2 月
憲法改正で多党制への以降→「FIS」の台頭
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1990 年代 GIA(武装イスラム集団)と政府軍・警察の内戦状態で10万人ぐらいが
犠牲になる。
1999 年 4 月
大統領選挙、ブーテフリカ大統領が選出。
2002 年 10 月
統一地方選挙を実施。
2004 年 4 月
大統領選挙、ブーテフリカ大統領が再選。
2013 年 1 月 日揮の社員らが武装集団に拘束され、9人が犠牲になる
政治体制・内政
1.政体: 共和制
2.元首: ブーテフリカ大統領(1999 年 4 月~)
3.議会: 従来、一院制であったが、1996 年 11 月の憲法改正により二院制に移行
5.内政・治安
ブーテフリカ大統領は、2006 年に実施された「平和と国民和解のための憲章」に代表され
る国民和解政策、テロリストの掃討作戦等、内政・治安情勢の安定化や、市場経済の
導入による経済改革にも積極的に取り組み一応の安定を見せている。
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