2 - 天台宗

比叡山宗教サミット
周年記念
25
世界宗教者
平和の祈りの集い
THE INTERRELIGIOUS GATHERING
OF PRAYER FOR WORLD PEACE
日時:2012年8月3日(金)
・4日(土)
場所:国立京都国際会館・比叡山
主催
比叡山宗教サミット25周年記念
「世界宗教者平和の祈りの集い」
実行委員会
THE INTERRELIGIOUS GATHERING OF PRAYER FOR WORLD PEACE
阿純孝実行委員会委員長による開会挨拶
阿純
阿
純孝実
孝実行委
委員会
員会委
委員
員長に
による
よる開会
よる開会
開会挨拶
挨拶
拶
会場となった京都国際会館の参加者
会場
場とな
とな た京都
都国際
際会館
館の参
の参加者
加者
OPENING CEREMONY
世界各地での自然災害及び紛争の犠牲者に黙祷を捧げる各宗教代表者
世
世界
界各地
地での
で 自然
然災害
災害及び
及 紛
及び
紛争
争の犠
の犠牲者
犠牲
牲者
者に黙
に黙祷を
祷を捧げ
祷を
捧げる各
げる各
各宗教
教代表
表者
開会式典
開式の辞を述べる
小林祖承実行委員会総務部長
歓迎挨拶を述べる田中恆清実行委員会副委員長
歓迎挨拶
歓迎
挨拶 述
挨拶
中恆清実
実行委
行委 会副
副委
委
2
比叡山宗教サミット25周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
海
海外宗教者代表
日本宗教者代表
日本
本宗教
教者
者代
代表
交歓する宗教者たち
交歓
交歓する
歓する
す 宗教
宗教者た
教者た
者たち
ち
3
THE INTERRELIGIOUS GATHERING OF PRAYER FOR WORLD PEACE
MESSAGE FROM ABROAD
ローマ教皇のメッセージを披露する
ピエル・ルイジ・チェラータ ローマ教皇庁
諸宗教対話評議会名誉局長
メッセージ
世界仏教徒連盟会長のメッセージを
披露するパロップ・タイアリー
世界仏教徒連盟事務総長
サウジアラビア王国イスラーム問題・
寄進・宣教・指導大臣のメッセージを
披露するアブドゥラー・アルレヘダン
サウジアラビア王国イスラーム問題・
寄進・宣教・指導大臣顧問
4
比叡山宗教サミット25周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
梅原 猛氏
哲学者:
テーマ :自然災害と人間の文明
演 題 :
「草木国土悉皆成仏」という思想
記念講演
MEMORIAL LECTURE
「自然災害と人間の文明」のテーマのもと「『草木国土悉皆成仏』という思想」
を演題に記念講演を行う哲学者の梅原猛氏
人類は、原子力エネルギーという悪魔と手を結んで、
この文明を作ってきたのではないだろうか。
日本は、科学文明の被害を二度受けた。
ひとつはヒロシマ、ナガサキである。
もうひとつはフクシマである。
この二度の体験を持つ我々は、人類に先立って、
脱原発の方向に進まなくてならない。
5
THE INTERRELIGIOUS GATHERING OF PRAYER FOR WORLD PEACE
テーマ
被災者に宗教者は
如何に向き合ってきたか
シンポジウム
SYMPOSIUM
コーディネーターをつとめる杉谷義純世界宗教者
平和会議日本委員会理事長・天台宗宗機顧問
パネリストたち
6
比叡山宗教サミット25周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
シリアからの声
シリアを抑圧する悪の手から自由に。
流血を停めるために支援と祈りを……。
REPORT FROM SYRIA
閉式
CLOSING CEREMONY
7
マー・グレゴリオス・イブラヒム シリア正教アレッポ大主教
シリアでの犠牲者に黙祷を捧げる宗教者たち
開会式典の閉会挨拶を行う
渡邊実行委員会副委員長
THE INTERRELIGIOUS GATHERING OF PRAYER FOR WORLD PEACE
祝辞を述べるジョセフ・チェノットゥ
ローマ教皇庁大使
岡野聖法実行委員会顧問による
歓迎挨拶
WELCOMING RECEPTION
献杯は渡邉純幸実行委員会
名誉顧問
ビック・ボーティパラー師から半田孝淳実行委員会名
誉顧問
(天台座主)
に仏像が贈呈された
交歓レセプション
開会の辞を述べる根本昌廣実行委員会接遇部長
8
比叡山宗教サミット25周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
テーマ
原発事故が提起した
エネルギー問題と宗教者の立場
フォーラム
開式の辞を述べる黒住宗道実行委員会会議部長
の辞
の辞を述
辞を述
を述べる
述べる
べる黒住宗道
黒住
住宗道
宗道実行
実行委員
委員会会
員会会
会会議部長
議部長
議部
原発と宗教者の立場を討議したフォーラムは大
きな関心を集めた
FORUM
パネリストたち
コーディネーターは吉澤健吉京都新聞
総合研究所特別理事がつとめた
9
THE INTERRELIGIOUS GATHERING OF PRAYER FOR WORLD PEACE
鎮魂の祈り……
入場する各宗教代表者たち
平和の祈り 式典
入場する青少年たち
CEREMONY
開式の辞と総合司会は
山田歌師がつとめた
平和の鐘にあわせて黙祷を捧げる各宗教代表者
午後3時30分に平和の鐘が打ち鳴ら
午 3時
午後
時3
30
0分に平
平和の
の鐘が
が打ち
打ち鳴ら
ち鳴ら
鳴ら
された
青少年によ
青少
少年
年に
により壇上に
り壇上に
壇上
上に「結」
「結」
結 の花文字が
の花
の
花文字
文字が
が
作られた
開会挨拶を行う徳増公明
実行委員会顧問
10
比叡山宗教サミット25周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
比叡山から平和を……!
!
半田孝淳実行委員会名誉顧問︵天台座主︶
による主催者代表挨拶
「比叡山メッセージ2012」の発表。朗読するのは芳村正徳実行委員会名誉顧問。「核燃料から生じる危険な廃棄
物の安全な処理方法が、未だ見出せない現実一つをとっても、原発を稼働し続けることは宗教的、倫理的に許される
ことではない。われわれ宗教者は、このことに強く警鐘を鳴らす責任があったことを、率直に反省するものである」
11
仏教
仏教代表による平和の祈り
仏
仏教代表
教代表
表によ
よる
る平
平和の
和の祈り
祈り キリスト教代表による平和
の祈り
イスラーム代表による平和
の祈り
教派神道連合会による平
和の祈り
諸宗教による平和の祈り
神道による平和の祈り
新日本宗教団体連合会に
よる平和の祈り
武覚超実行委員による
閉会の辞
THE INTERRELIGIOUS GATHERING OF
PRAYER FOR WORLD PEACE
比叡山宗教サミット25周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
30周年でまたお会いしましょう!
シリア代表の特別発表を受けて緊急に記者会見
が開かれた
トピックス
学誠中国佛教協会副会長より半田孝淳実行委員会
名誉顧問
(天台座主)
に
「佛」の軸が贈られた
TOPICS
閉会後、半田孝淳実行委員会名誉顧問
(天台座主)
を囲んで、今回の祈りの集いを喜び合い、
再会を約す各国宗教代表者たち
閉会後の記者会見
最終の事務局会議で打ち合わせを行うスタッフ
12
比叡叡叡叡叡叡
比比比比比比比比比比比比比
叡山山山山
山宗宗宗宗宗宗宗宗宗宗
山山山山山山山山山山
宗宗宗宗宗宗
宗教教教教
教教教教教教教
教ササ
サササササ
サミミ
ミミミミミ
ミッッッッ
ッッッッッ
ットトトトトト
ト 周
周周年
周周周周周周周周
年年年年年記
年年年年年年
記記記記記記念
記記記記
念念念念
世
界宗
宗教
教者
者平平
祈の
り集の
世界
和和
のの
祈り
い集い
225
5
テーマ
自然災害の猛威と宗教者の役割
─3・11大震災と原発事故への反省と実践 ─
13
T
R
O
P
E
R
発刊にあたって
神仏のご加護と関係者各位のご尽力により、比叡山宗教サミット二十五周年﹁世界宗教者平和の祈りの集い﹂
を開催できましたこと、今までここに到るまでの関係者のご努力を含めまして厚く御礼申し上げます。
また、二十五周年を迎えるに当り、世界中から遠路にもかかわりませずおいでいただきました各位に、深
く感謝申し上げます。
さて、二十五周年を迎えようとする矢先、平成二十三年三月十一日東日本大震災が発生し、自然の猛威を
このように自然がもたらした災害は、日本ばかりでなく世界各地において発生しております。そこで、こ
如実に知ることになりました。
れを機に﹁自然災害の猛威と宗教者の役割﹂をテーマに、自然災害に対して宗教者はいかに取り組んで来たか、
また宗教者はどのように対処すべきかについて、宗教者同士が意見交換をすることにより、次の自然災害に
対する備えにもなったと存じます。
また、二十五周年を開催するにあたり、日本を代表する哲学者梅原猛先生をお迎えして﹁自然災害と人間
の文明﹂をテーマに記念講演をいただきました。その中で人類のエネルギーを原子力発電に依存することに
ついて明確に反対の意見を示されましたことは、今回の集いに大きな影響を与えたものと存じます。
産業革命以来、永々と築き上げて来た文明は、その利便性において優れ、人間生活は格段に豊かになりま
14
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
した。ではありますが、この大震災による福島原発事故を機に、文明のあり方が問われております。
そこで﹁三・一一大震災と原発事故への反省と実践﹂ということばをサブテーマとしてご討議をいただきま
した。
これは現代社会がかかえている大問題であります。今回、宗教者の皆様が脱原発の方向性を示されたことで、
二十五周年の集いが歴史的な意義を持つことになりました。
私たちが生存しているこの地球は、宇宙に存在する無数の星のたった一つに過ぎませんが、この地球こそ、
私たち一人ひとりの行為が生命全体に影響を及ぼします。
生命を育む星であります。したがって、生命と生命は綿密につながって、地球の自然に支えられています。
最 近 そ の 地 球 の 自 然 が 破 壊 さ れ よ う と し て お り ま す。 私 た ち は 今、 我 欲 を 超 え た 叡 智 を も っ て こ の 問 題 に
今回、宗教者が集う意義もここにありました。
対処せねばなりません。
最後に、今回お世話になった皆様、また、遠路ご参加いただいた皆様に心より御礼を申し上げます。あり
がとうございました。
二〇一二年十一月二十日
阿
純孝
比叡山宗教サミット二十五周年記念﹁世界宗教者平和の祈りの集い﹂実行委員会委員長
天台宗宗務総長
15
CONTENTS
比叡山宗教サミット 周年記念
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………
目
次
世界宗教者平和の祈りの集い
25
比叡山メッセージ2012
開催趣意書
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………
発刊にあたって
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………
カラーグラビア
2
14
18
◎ 世界仏教徒連盟会長 パン・ワナメティー
メッセージ
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………
日程
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………
開催に寄せて ◎ 天台座主 半田孝淳
20
22
24
27
16
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
◎ ローマ教皇 ベネディクト十六世
シェイク・サーレフ・ビン・アブドルアジーズ・ビン・ムハンマド・アール・アルシェイク
◎ サウジアラビア王国イスラーム問題・寄進・宣教・指導大臣
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………
記念講演◎ 哲学者 梅原
猛
自然災害と人間の文明 ││ ﹁草木国土悉皆成仏﹂という思想 ││
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………
シンポジウム◎ 被災者に宗教者は如何に向き合ってきたか
シリアにおける平和へのロードマップ
緊急報告
フォーラム◎ 原発事故が提起したエネルギー問題と宗教者の立場
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………
平和の祈り式典◎ 主催者代表あいさつ/平和の祈り登壇者名簿
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………
資料◎ 実行委員会名簿/新聞報道記事
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………
17
33
93 87 63
60
43
Prospectus
開催趣意書
│三・一一大震災と原発事故への反省と実践│
テーマ
﹁自然災害の猛威と宗教者の役割﹂
一九八七年八月、世界の宗教指導者は比叡山上に集い、宗教サミットを開催し、平和を祈り、人々と共に
平和のために働くことを誓いました。それから二十五年、私達は時代の問題に取り組み、常に宗教者の役割
を問い続けてきました。そして本年八月比叡山宗教サミット二十五周年記念﹁世界宗教者平和の祈りの集い﹂
を﹁自然災害の猛威と宗教者の役割﹂をテーマに開催いたします。
自然災害が近年世界各地で猛威を振るっています。チリ、トルコ、中国、ニュージーランド、イタリアな
どで大地震が発生、多くの犠牲者が出ました。また二〇〇四年のスマトラ沖地震では、インドネシアを始め
周辺諸国に大津波が押し寄せ、死者二十八万三千人以上という未曾有の大惨事となりました。さらには、ア
メリカのハリケーン、アフリカ東部の﹁アフリカの角︵つの︶﹂と呼ばれる地域の干ばつ、タイの洪水などが
記憶に新しいところであり、その被害に呻吟している人々が少なくありません。
さらに日本においても、二〇一一年三月十一日、マグニチュード九・〇という日本の観測史上最大の地震が
発生しました。それに伴う想像を絶する巨大津波が震源地域の太平洋沿岸を襲い、三十もの市町村が壊滅的
被害を蒙り、死者・行方不明者は二万人にも及ぶほどでした。
私達に恵みをもたらす自然が、突如として大災害を引き起こすという冷厳な事実の前に、人間がいかに無
力であるか改めて思い知らされました。そして、いつの間にか自然に対する畏怖の念が、薄らいでいたこと
さらに、今回の東日本大震災による津波は、追い打ちをかけるように福島原子力発電所の全電源を奪い、
を私達は気づかされたのです。
18
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
冷却装置の不全をもたらしました。その結果大量の放射能が外部に拡散するという大事故が起こり、今なお
収 束 し た と は 言 い 難 い 状 況 で す。 そ の 原 因 を 究 明 す る と、 人 間 の 奢 り と 怠 慢 が 引 き 起 こ し た も の と 断 ぜ ざ る
を得ません。
日本災害史上最大の地震被害に加えて、この原子力発電所の事故は人々を恐怖の底に陥れました。すなわち、
自然災害に人間の過失による災害が重なった複合災害ともいわれ、被害はより大きく、又より長く震災地域
以外の人々までも苦しみ続けているのであります。
近代文明の象徴ともいえる科学技術の発展は、人々に大きな恵みをもたらしました。やがて、大量生産・
大量消費の社会構造を生み、私達は物質的豊かさを手に入れることができました。しかし、それに満足する
ことなく、人間の欲望はますます肥大化し、その充足を目指す一方で数々の矛盾を抱えることになりました。
南北の経済格差、資源の枯渇、生態系の破壊、地球温暖化などの諸問題です。そして、私達はこれらの問題
解決のため、安易に新しい技術の利用に活路を見出そうとしました。
原子力発電を例に挙げれば、地球温暖化防止が叫ばれる中、﹁CO2を排出しないクリーン、かつ安全で最
も安いエネルギー﹂という大義名分のもとに、国際的な枠組みの中で次々と導入されていきました。しかし、
チェルノブイリやスリーマイル島の原子力発電所の事故について、その原因のみならず、被害者の問題等に
ついて検証結果を十分共有してきたとはいえません。にもかかわらず、机上の安全対策を鵜呑みにした、い
わゆる安全神話が一人歩きしていったなかで、福島原発事故が発生したのです。
近 年 の 自 然 災 害 の 多 発、 特 に 日 本 の 大 震 災 に 誘 発 さ れ た 複 合 災 害 は 、 あ く ま で も 物 質 的 豊 か さ の 中 に 幸 福
を求める現代文明の在り方に、警鐘を鳴らしているように思われてなりません。すなわち、人間社会全体の
在り方をそのライフスタイルを含めて、真剣に問い直さなければならないところにきています。
一瞬にして日々の平穏な生活を根こそぎ奪い去る自然災害の猛威は、戦争と同様に平和を破壊する大きな
要因であります。そこで私達は自然災害による人々の苦しみに対して宗教者はどのように行動してきたかを
お互いに検証し、さらには自然災害の被害を増長させたり人類の未来に危機を招きかねない、人間の営為に
対し宗教者の立場と責任を明確にしていきたいと考えます。
19
2012 Mt.Hiei Message
比叡山メッセージ2012
二〇一二年八月三、四日、比叡山宗教サミット二十五周年記念﹁世界宗教者平和の祈りの集い﹂に参加する
ため比叡山山上に結集したわれわれは、平和を願う世界のすべての人々に心からのメッセージを送りたいと
思う。
人 類 は 有 史 以 来、 大 自 然 の 豊 か な 恩 恵 に よ っ て 生 命 を 維 持 し 、 さ ら に よ り 利 便 性 に 富 み 快 適 な 生 活 環 境 を
手に入れるため、様々な工夫をこらしてきた。そのことは、やがて科学技術の飛躍的発展をもたらし、物質
中心の近代文明が人々の生活を覆い尽くすこととなった。その結果、自然の恵みを享受するという姿勢から、
自然を利用し、また改造して、より一層人間の生活を豊かにしたいという、飽くなき欲望を充足させる道を
ひたすら求め続けることになった。
そのようなとき、世界各地で自然災害が頻発、その甚大な被害の前に人々は為すすべもなく、呆然と立ち
尽くす外なかったのが実状であろう。すなわち、科学技術が生んだ知見によって自然災害を防ぎ得るどころか、
かつて日本の物理学者、寺田寅彦︵一八七八∼一九三五︶が指摘したように、文明が進むほど自然の猛威に
よる被害はその激烈さの度を増すという、冷厳なる事実を突きつけられたからである。その結果、ややもす
れ ば 自 然 を 収 奪 し、 思 う ま ま に 利 用 し よ う と し て き た こ と が 、 い か に 傲 慢 な こ と で あ る か に 気 付 か さ れ た と
いっても過言ではない。
特に昨年三月十一日の東日本を襲った大地震と大津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所の放
射能漏洩事故は、チェルノブイリやスリーマイル島の原発事故について謙虚に学ぶ姿勢が余りにも乏しく、
科 学 技 術 の も た ら す 安 全 性 を 過 信 し た 結 果 で あ る。 わ れ わ れ は、 技 術 の 進 歩 の 成 果 を 無 条 件 に 受 け 入 れ る の
ではなく、その選択に深い倫理性が求められていることを知るべきである。
20
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
古代ギリシャ神話が物語るように、人類に火を与えたプロメテウスに、ゼウスは生きながら内臓を鷲に喰
らわせるという罰を与えた、という。それは、すでに文明が人類に幸せをもたらすばかりではなく、厄災を
内包するということを示唆しているのではないだろうか。
核燃料から生じる危険な廃棄物の安全な処理方法が、未だ見出せない現実一つをとっても、原発を稼働し
続けることは宗教的、倫理的に許されることではない。われわれ宗教者は、このことに強く警鐘を鳴らす責
任があったことを、率直に反省するものである。
されて生きることを神仏に感謝することを説く。今や人類は物質文明に押しつぶされそうになっている現実
あらゆる宗教は、欲望の充足が幸福をもたらすのではなく、まず日々の生活の中に平安を祈り、共に生か
に目を開き、誤りのない道を選ぶ岐路に立たされていることを知るべきであろう。
一方、自然災害が発生するたびに、自らの生命をも顧みず救援活動に従事する人々の崇高さ、黙々とボラ
ンティア活動を続ける人々の気高さ、また直接被災地に駆けつけることは叶わぬまでも、物心両面にわたっ
て支援し続ける人々の心の温かさに、人類の未来を見る。われわれ宗教者も、災害発生と同時に、各地で被
災者支援に努力を傾注してきたが、甚大な被害を前にして、まだまだ至らぬことを痛感せざるを得ない。
宗教者の重大な使命は、大自然の猛威によって亡くなった方々を弔うことにあると同時に、最愛の家族・
友人を一瞬のうちに奪われた人々が、一日も早く平安を取り戻し、安寧に暮らすことができるように祈念し、
共に歩み続けることである。ここに集うわれわれは、諸宗教の連携を深めながら、この使命を全うすること
二〇一二年八月四日
を誓うものである。
世 界 宗 教 者 平 和 の 祈 り の 集 い 参 加 者 一 同
21
開催に寄せて
比叡山宗教サミット二十五周年記念﹁世界宗教者平和の祈りの集い﹂が開催されるにあたり、ひとことご
挨拶申し上げます。
今回のテーマは﹁自然災害の猛威と宗教者の役割﹂と決められました。
日本におきましては、昨年三月十一日に国難ともいうべき東日本大震災が発生し、マグニチュード九・〇
という大地震、また大津波により二万人近い尊い生命が失われました。さらに大津波により、東京電力福島
第一原子力発電所が破壊され、大量の放射性物質が漏洩するという重大な原子力事故が引き起こされました。
その結果、周辺地域の住民は、住居や仕事を放棄せざるを得ない事態に追い込まれ、長期にわたる避難生活
を強いられました。今なお日本全国、また周辺諸国は放射性物質の及ぼす健康被害に脅えています。
有史以来、人類は大自然の豊かな恵みによって生かされると同時に、その猛威に脅かされてきました。そ
の猛威を克服すべく、科学技術の発展に力を傾注してきたのが人類の歴史であると申してもよいでしょう。
22
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
大地震、大津波は人智では止めることのできない、いわゆる仏教でいう﹁諸行無常の理﹂ではあります。
しかし、今回の原発事故は、人間のあくなき欲望を満たそうと突き進むあまり、大自然に対する畏敬の念を
軽んじたことが根本にあるように思われてなりません。
我々宗教者の重大な使命は、大自然の猛威によって亡くなった方々の霊を鎮めることにあることは申すま
でもありませんが、同時に﹁亡くなった人の分まで生きる﹂と決意した人々に寄り添い、共に生きることで
ありましょう。
ここに比叡山宗教サミット二十五周年記念﹁世界宗教者平和の祈りの集い﹂にあたり、ここ比叡山山上に
天台座主
正
大僧 半
田
孝
淳
集われた世界の宗教指導者と共に、世界平和が訪れ人類の救済がなされるよう真剣な祈りを通じて、平和の
ために働く決意を新たにするものであります。
二〇一二年八月四日
23
第
1
日目
【8月3日(金)】
日程
SCHEDULE
イスラーム問題・寄進・宣教・指導大臣メッセージ
イスラーム問題・寄進・宣教・指導大臣顧問
梅原 猛氏
(哲学者)
学誠法師
世界宗教者平和会議日本委員会理事長・天台宗宗機顧問 杉谷義純師
顧問 岡野聖法師
渡邉純幸師
24
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
第
2
日目
【8月4日(土)】
日程
・カンタベリー大主教特使)
(英国国教会ウーリッジ教区主教カンタベリー大主教特使)
SCHEDULE
(世界宗教者平和会議国際委員会事務総長)
ラーム最高評議会副議長)
京都新聞総合研究所特別理事 吉澤健吉氏
世界平和祈りの式典
新日本宗教団体連合会
(於:比叡山延暦寺
一隅会館)
25
26
MESSAGE FROM ABROAD
メッセージ
パン・ワナメティー世界仏教徒連盟会長
ローマ教皇ベネディクト十六世
サウジアラビア王国 イスラーム問題・寄進・
宣教・指導大臣
シェイク・サーレフ・ビン・アブドルアジーズ・ビン・
ムハンマド・アール・アルシェイク
27
世界仏教徒連盟会長メッセージ
世界仏教徒連盟会長
世 界 仏 教 徒 連 盟 を 代 表 し、 比 叡 山 宗 教 サ ミ ッ ト
二十五周年を記念した﹁世界宗教者平和の祈りの集い﹂
のために、世界中からここにお集まり頂いた宗教指導
さい。この世界の救済は、
わたしたちの最重要課題です。
この脆弱な地球を救うには決して遅過ぎるわけではな
いと、皆がわかっています。
二千五百年前、仏教の創始者であるブッダは、全世
者の皆さまに、祝辞を述べさせて頂きたいと思います。
界的な人類の願いを明示し、皆に次のことを熟考・黙
かという現実に対する広い認識やそれを明かす力をも
ちが住んでいる、まさにこの地球がいかに脆弱である
る 世 界 各 地 の 宗 教 同 士 の 協 力 や 団 結 だ け で な く、 私 た
幸福を望み、苦痛を嫌悪するので、もし誰かが殺生を
を嫌悪する。生きたいと願う全ての者が、死を望まず、
の者は、死を望まない。全ての者が幸福を望み、苦痛
想するよう勧めました。それは、﹁生きたいと願う全て
この八月の集いは、人類の利益や幸福のために行動す
示すものです。
すれば、それは愉快なことでも、心地よいことでもない。
もし私が別の命を奪えば、それは他者にとって、愉快
計り知れない危機に直面して人類が困窮している時
には、人種、宗教、文化の分断などはなくなり、祖父母、
私たちは、自然災害には、それを防ぐ人間の能力を
超 え た も の も あ る と い う 現 実 を 認 識 し て い ま す。 し か
において、限られた天然資源が破壊され、かけがえの
父 母、 夫 婦、 兄 弟 姉 妹、 子 供、 赤 ん 坊、 人 々 な ど の 区
なことでも、心地よいことでもない。したがって、私
ない人命が失われてきたのを目の当たりにしてきまし
別だけになります。まるで自分の愛する家族や友人の
し、自然災害の多くは人間が作り出したもので、この
た。自分たちを文明人と呼ぶ私たちの行動は野蛮であ
ような人々です。だからこそ、宗教指導者として、平
に と っ て 不 愉 快 で 好 ま し く な い こ と は、 他 者 に と っ て
る と 証 明 さ れ て い る の で す。 私 た ち の 文 化 は 、 自 分 た
和 の メ ッ セ ー ジ、 警 告 の メ ッ セ ー ジ を 広 げ る た め に、
も不愉快で好ましくないのである﹂。
ちの未来や創造物、すなわちこれからの世代を忘れて
この世界的な認識を共有しましょう。まず私たち自身
地 球 の 脆 弱 さ や 大 切 な 人 間 の 命 を 思 う な ら、 自 分 た ち
しまうほど、
自己中心的になり過ぎています。私たちは、
の 認 識、 習 慣、 教 義 か ら 始 め て、 ど ん な 方 法 で あ れ、
す。人類の歴史が始まってからずっと、発展という名
災禍の原因を、自分たちの欲望、嫌悪、身勝手さ以外
行動しようではないですか。
意 識 的 で あ れ 無 意 識 で あ れ、 直 接 的 で あ れ 間 接 的 で あ
れ、 破 壊 し て き た と い う こ と を ど う か 思 い 出 し て く だ
佛暦二五五五年八月九日︵西暦二〇一二年︶
人類の生息場所である地球は一つしかないというこ
と、そして、これまで私たちは、この唯一の生息場所を、 三宝の祝福により、全人類が導かれ、守られるよう
願っております。
のあらゆる物のせいにしています。
の 力 で 最 小 限 に 抑 え た り、 完 全 に な く す こ と が で き ま
パン・ワナメティー
28
ローマ教皇メッセージ
ローマ教皇
方々、ならびに宗教指導者の皆様に、ご挨拶できるこ
﹁世界宗教者平和の祈りの集い﹂のためにお集まりの
精神を受け継ぐ、比叡山宗教サミット二十五周年記念
私 の 前 任 者 で あ る 福 者 ヨ ハ ネ・ パ ウ ロ Ⅱ 世 の 推 進 に
より、一九八六年にアッシジで開かれた歴史的会合の
効 な 役 割 を 果 た し た こ と を 知 っ て 心 強 く 思 い ま し た。
与え、支援し、助言し、慰めるために宗教指導者が有
ん で し ま い ま す。 苦 悩 の な か に い る 全 て の 人 に 希 望 を
国民全体にとってのその後の痛ましい結果に思いが及
年に日本の東北地方で起きた地震と津波、そして日本
が注がれることをお祈りしています。
こうした気持ちを抱きながら、善意と友情の印とし
て、 集 ま ら れ た 全 て の 皆 様 に 溢 れ ん ば か り の 主 の 恵 み
でもあります。
ために互いにいかに協力できるかを明らかにするもの
この悲劇的な出来事はまた、宗教が異なる人々が人の
キリストをこの世に遣わされたのです。それゆえ、昨
とを嬉しく思います。
宗教指導者が平和運動に参加することは非常に大切
なことであり、皆様のご努力のおかげで、比叡山宗教
サミットが異なる宗教をもつ人々の間の対話に有効に
貢献する、主要な年次行事になってきたことを知って
喜 ば し く 思 っ て い ま す。 比 叡 山 宗 教 サ ミ ッ ト 、 な ら び
に自然災害に対する宗教指導者の対応について討議す
る シ ン ポ ジ ウ ム の 成 果 は、 よ り 強 い 連 帯 と 相 互 扶 助 を
もたらすものと確信しています。
キ リ ス ト 教 的 世 界 観 で は、 苦 難 を 抱 え て い る 人 々 に
向 け ら れ る 愛 は 主 の 慈 悲 の 表 れ で す。 主 は こ の 世 を 非
常に愛しておられたからこそ、一人息子であるイエス・
29
ベネディクト16世
サウジアラビア王国イスラーム問題・寄進・宣教・指導大臣メッセージ
サウジアラビア王国イスラーム問題・寄進・宣教・指導大臣
します。預言者ムハンマドは、普遍的な人類へのメッ
まず、比叡山宗教サミット二十五周年記念﹁世界宗
教 者 平 和 の 祈 り の 集 い ﹂ の 実 行 委 員 長 殿 に、 深 い 敬 意
一〇七節︶。唯一の神を崇拝し、全ての人類に向けた平
た︵ ム ハ ン マ ド ︶ を 遣 わ し た だ け で あ る ﹂︵ 預 言 者 章
セージとともに遣わされました。そして、このメッセ
と 謝 意 を 表 し た い と 思 い ま す。 今 日 の 世 界 に お い て、
和および平和的共存のメッセージを人々に伝える方法
慈愛あまねく慈悲深き神︵アラビア語ではアッラー︶
の御名において。万有の主である神に称讃あれ。そし
あ ら ゆ る 宗 教 の 信 者 達 に 対 し、 寛 容 さ と 平 和 を 広 め る
を説くために、神はコーラン︵クルアーン︶で次のよ
ー ジ は、 あ る 特 定 の 人 種 や 肌 の 色 に 向 け ら れ た も の で
という、真の宗教の役割を活性化することを目的とし
うに言っています。﹁人びとよ、われは一人の男と一人
て 神 の 使 徒 で あ る 預 言 者 ム ハ ン マ ド、 そ し て 全 て の 預
た本会議ですが、宗教界の指導者達が一堂に会するこ
の女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。こ
はなく、すべての人類を導くためのものなのです。神
のような場を提供して下さった日本政府と国民の皆様
れ は あ な た が た を、 互 い に 知 り 合 う よ う に さ せ る た め
今 日 の 私 た ち の 世 界 で は、 グ ロ ー バ リ ゼ ー シ ョ ン や
国際交流の発展および相互依存性の高まりを悪用した
全知にして凡ゆることに通暁なされる﹂︵部屋章一三節︶。
の 中 で 最 も 主 を 畏 れ る 者 で あ る。 本 当 に ア ッ ラ ー は、
す。したがって、宗教者間の対話を継続することは大
経 済 的 な 恩 恵 を 享 受 す る た め に、 宗 教 を 口 実 に 使 い ま
い時代にあっても、イスラームは信者達に迫害を避け
に 限 ら ず、 感 情 が 高 ぶ り 苛 立 つ 行 動 を と る よ う な 厳 し
た言葉ですが、﹁もし戦いに勝ったのであれば、逃亡者
るようにと説いています。四代目カリフであるアリー・
信仰を持つ者は、持たない者よりも、暴力に対峙し
排 除 す る 力 が あ り、 そ し て 平 和、 共 存、 文 化 交 流 を、
や負傷者を殺してはならない。傷害を負わせたり、秘
倒する女がいても、その女を拷問してはならない。そ
銭を略奪してはならない。たとえ自分や自分の主を罵
イブン・アビー・ターリブが、彼の軍隊に対して言っ
国内外のコミュニティに伝える力があることは間違い
密をばらしてはならない。許可なく家に押し入り、金
イ ス ラ ー ム の 教 え と そ の 歴 史 を 持 っ て、 イ ス ラ ー ム
教徒は世界の安定、治安、そして平和に再び貢献いた
ありません。
変重要なのです。
しかも彼らは、人々を戦争や紛争に駆り立て、政治的・
因からますます大きな影響を受けるようになりました。
イ ス ラ ー ム で は、 信 者 達 に 平 和 と 思 い や り の 心 を 説
い て い ま す。 そ れ は 安 定 お よ び 繁 栄 の 時 や 平 和 な 時 代
で あ る。 ア ッ ラ ー の 御 許 で 最 も 貴 い 者 は 、 あ な た が た
テロ組織や利益集団といった、国の枠組みを超える要
の言葉によれば、﹁われは只万有への慈悲として、あな
に、心より御礼を申し上げます。
言者と使徒の上に祝福と平安あれ。
シェイク・サーレフ・ビン・アブドルアジーズ
・ビン・ムハンマド
・アール・アルシェイク
30
し て 神 に 祈 れ。 そ う す れ ば 神 の 慈 悲 を 受 け る こ と が で
きるであろう﹂
。
神曰く、﹁彼こそは、一個の魂︵アーダム︶からあな
たがたを創り、互いに慰安を得るため、その妻を創ら
﹁人びとよ、あなたがたの主を畏れなさい。かれはひと
れた御方であられる﹂︵高壁章一八九節︶。また神曰く、
イ ス ラ ー ム 国 家 と そ れ 以 外 の 国 の 関 係 は、 平 和 の 上
に成り立っています。神は、
﹁もし彼らが平和を望むの
三
自由
つ の 魂︵ ア ー ダ ム ︶ か ら あ な た が た を 創 り 、 ま た そ の
を許される。それはかれら︵不信心者︶が明らかに悪
であれば、あなたもまた平和を望みなさい﹂と言って
を行うためである。アッラーは、かれら︵信者︶に勝
全能の神曰く、﹁宗教には強制があってはならない。
正に正しい道は迷誤から明らかに︵分別︶されている﹂
魂から配偶者︵イブ︶を創り、両人から、無数の男と
利を与えるだろう﹂
。イスラームにおける戦争とは公正
︵雌牛章二五六節︶。預言者は、教友の一人がかれの息
います。全能の神は戦争を例外であるとし、﹁︵信者へ︶
なものであり、布教を妨げる者に対してのみ行われる
子たちを強制的にイスラームに入れることを許さなか
女を増やし広められた方であられる﹂︵婦人章一節︶。
ものであり、宗教に入ることを人々に強要するための
った。
戦いをしむける者︵不信心者︶に対し︵信者は︶戦闘
も の で は あ り ま せ ん。 な ぜ な ら 全 能 の 神 が 言 う よ う に
﹁宗教には強制があってはならない﹂からです。イスラ
ー ム に と っ て の 国 際 関 係 は、 以 下 の 様 な い く つ か の 基
よ う に 罰 し な さ い。 だ が あ な た が た が も し 耐 え 忍 ぶ な
四 互恵的扱い
全能の神曰く、﹁あなたがたに戦いを挑む者があれば、
ア ッ ラ ー の 道 の た め に 戦 え。 だ が 侵 略 的 で あ っ て は な
一
人間としての尊厳
神曰く﹁われはアーダムの子孫を重んじて海陸にか
れ ら を 運 び、 ま た 種 々 の 良 い︵ 暮 ら し 向 き の た め の ︶
らば、それは耐え忍ぶ者にとって最も善いことである﹂
本原則に基づいています。
ものを支給し、またわれが創造した多くの優れたもの
︵蜂蜜章一二六節︶。
と の 対 話 を 呼 び か け ま し た。 キ リ ス ト 教、 ユ ダ ヤ 教、
ラーム、キリスト教、ユダヤ教、およびその他の宗教
この教えに従い、アブドッラー・ビン・アブドルア
ジーズサウジアラビア国王は、二〇〇八年六月にイス
がたが︵敵を︶罰するなら、あなたがたが悩まされた
らない﹂︵雌牛章一九〇節︶
。また神曰く、﹁もしあなた
の上に、かれらを優越させたのである﹂︵夜の旅章七〇
節︶
。また、このような逸話もある。ユダヤ教徒の葬式
が預言者の前を通り過ぎ、預言者は立ち止った。一緒
にいた教友たちが﹁ユダヤ教徒の葬式です﹂と言うと、
預言者は﹁人間の魂ではないか﹂と答えた、と。
二
人種や肌の色に関係ない人間の平等
31
ったもので、まさにイスラーム教徒の平和への願いを
ブドッラー国王の取組みはイスラームの基本原則に沿
取組みが行き詰まる中で打ち出されたものでした。ア
王のメッセージは、世界中の緊張が高まって平和への
イスラームの指導者達から歓迎されたアブドッラー国
強調された。
や宗教間の対話が世界平和の実現に重要であることが
百九十カ 国および世界的指導者六十名が参加し、文化
を開催し、国王の取組みについて議論した。同会議には、
二〇〇八年十一月に平和の文化に関する高官級の会議
組みは、世界各国の指導者達から歓迎された。国連は
た。これらは全て、人間の責任であります。人類は環
境を汚染し、自然の法則や規則を守りませんでした。
宗教機関やそのメンバー達は立ち上がり、これらの
災 害 に 対 峙 し 解 決 す る と い う 大 き な 責 任 が あ り ま す。
政府や国際機関から建設的かつ誠意ある協力を得るこ
とにより、環境破壊を阻止し、主が創られた法則や規
則を人間が守るようにしなければなりません。
人間のコミュニティの違いや多様性は、その起源
最後に平和と友好の国、日本におけるこの宗教サミ
や 宗 教 に よ っ て、 全 能 の 神 が 定 め ら れ た も の で あ る。
ットのご成功を心より祈念するとともに、人類の幸福
や理解へと通じるべきである。
過去数年に渡り、インドネシアやハイチ、米国、そ
し て 日 本 と い っ た 国 々 で、 多 く の 自 然 災 害 が 起 き ま し
反映したものでした。
アブドッラー国王の文化や宗教における対話への取
組みは、以下の主要な原則に基づいています。
人種隔離を拒否し、人種的優越性という考えを捨
てること。全ての人々は平等であり、同様の人権を享
民族的及び人間のコミュニティにおける多様性お
よ び 差 異 は 自 然 な こ と で あ り、 そ の 違 い の 中 で の 協 力
別による優位性を主張しないということである。
受 す る も の で あ る。 す な わ ち、 他 の 人 種、 肌 の 色、 性
A
B
したがって、知恵と理性の持ち主は、その違いを超え
強く願っております。
のための宗教的対話をこれからも継続していくことを、
物質に溢れ、民族的価値観の分断に苦しむこの世
界において、社会及び自然がもたらす共通の問題に対
共通点を見出すべく、努力する必要がある。
て お 互 い に 敬 意 を 払 い、 人 類 と し て の 幸 福 を 得 る 為 に
C
このような協力を呼びかけるアブドッラー国王の取
を共有することで、これらの問題を軽減させよう。
峙するには、効果的な解決策の発見に繋がりうる経験
D
32
MEMORIAL LECTURE
記念講演
33
猛氏
10
哲学者= 梅原
時 分
15
テーマ
= 自然災害と人間の文明
10
演
という思想
題=﹁草木国土悉皆成仏﹂
8月3日
︵ 金 ︶ 時 分∼
国立京都国際会館
14
テーマ=自然災害と人間の文明
大正14年(1925)
仙台市生まれ。京都大学文学部哲学科卒。立命館大学教授、京都市立芸術大学学長、
国際日本文化研究センター初代所長などを経て、現在、同センター顧問。日本ペンクラブ会長も務め
た。平成11年(1999)
文化勲章受章。
梅 原 猛氏
哲学者
ほとんどの先進国が原子力発電に頼っています。それゆえ、文
現代の先進国の多くは発電を多かれ少なかれ原子力発電に頼
っています。依存度の高いのはフランス、アメリカ、日本ですが、
る災害なのです。
こ ろ が 全 く の 天 災、 人 災 と も 言 い 切 れ ま せ ん 。 こ れ は 文 明 に よ
日本政府および東京電力の引き起こした人災でもあります。と
震 災 は、 天 災 ば か り で は な く、 原 発 は 絶 対 安 全 だ と 言 い 続 け た
そこで、私の口から出た言葉は﹁これは文明災である﹂とい
うものでした。確かに地震、津波は天災です。しかし、今回の
れ、惨状をこの目でつぶさに見ました。
からの復興について激しい議論を行いました。また被災地を訪
府 の﹁ 東 日 本 大 震 災 復 興 構 想 会 議 ﹂ の 名 誉 議 長 に 選 ば れ 、 震 災
ゆえこの震災で私は深い衝撃を受けました。昨年4月、日本政
私は愛知県で育ち、京都で学びましたが、ふるさとは仙台で
す。そして母の故郷は最も大震災が激しかった石巻です。それ
ま ず、 昨 年 の 三・一 一 東 日 本 大 震 災 の こ と か ら お 話 し た い と
思います。
なことと思っております。
今回、二十五周年となる比叡山宗教サミットで私が記念講演
を さ せ て い た だ く の は、 私 の 八 十 七 年 の 生 涯 に お い て 最 も 光 栄
◎記念講﹁
演 草木国土悉皆成仏﹂
という思想
哲学者 梅原 猛氏
34
記念講演
明による災害であるということを感じざるを得ませんでした。
原子力は本当に人間に幸いをもたらすものか、それとも人間
に不幸をもたらすものかということを真剣に考えなくてはなら
イル島やチェルノブイリよりも更に深い災いをもたらしました。
ないと思います。
私は、今回の災害を目の当たりにして、原子力エネルギーに
相当程度頼っているこの現代文明を考え直さなくてはならない
のではないかと思っております。
子力を取り入れないと日本は先進国の仲間入りはできない﹂と
日本の首相としてすばらしい仕事をされた中曽根元首相は﹁原
は、 人 類 が 全 く 思 い も か け な か っ た 新 し い エ ネ ル ギ ー で し た。
いエネルギー革命が起こりました。それが原子力です。原子力
ネ ル ギ ー が 産 業 革 命 を 進 め る 力 と な っ た の で す。 そ の 後、 新 し
まり太陽と水の恩恵で生み出された動植物の化石からできたエ
文明は発展してきました。石炭、石油という、自然の恩恵、つ
たのではないか、と思うのです。
言うように、ファウスト博士がメフィストフェレスの手を握っ
人間の思い上がりから生まれた科学技術ではないか。ゲーテの
くることはできません。核分裂はそれとは違いますが、やはり
球につくろうとするような学問だと思います。太陽を地球につ
費やしたかは計り知れません。しかし私は、核融合は太陽を地
じていました。世界の文明国が核融合研究にどれだけの予算を
術の問題が解決されて人類に平和な世界がもたらされる﹂と信
産業革命以来、人間は新しいエネルギーを開発してきました。 原子力発電は核分裂によってできるものです。私の友人に核
まず石炭、次に石油という化石燃料によって、現代の科学技術
融合の研究者がいました。彼は﹁核融合ができれば、全ての技
主張されました。そして原発は日本でもつくられるようになっ
たのです。
この原子力エネルギーは、幸福をもたらす女神でしょ
うか、それとも災いをもたらす悪魔でしょうか。
原子力が戦争に利用された時、原爆や水爆を生み出し
ました。その被害を受けた唯一の国が日本です。原爆の
被害によって、日本は平和憲法を守る平和国家によみが
えりました。これは大きな歴史的事件です。原爆の災い
について全人類が深く認識したと思います。ところが、
原子力の平和的利用である原発の災いについてはわかり
ませんでした。スリーマイル島やチェルノブイリの原発
35
事故が起こっても、まだ日本は﹁原発は安全だ﹂と言い
続けました。ところが今回の福島の原発事故はスリーマ
発生から 20 年。時間が止まったままのチェルノブ
イリ「原発城下町」
(提供:毎日新聞社)2006年04月撮影
我々がファウスト博士だとすれば、原子力エネルギーという
悪魔と手を結んでこの文明をつくってきたのではないかと考え
ざるを得ないのです。人類は、地球上に太陽をつくるなどと考
え る の で は な く、 太 陽 や 自 然 の 恩 恵 を 受 け な が ら 存 続 し て い く
という文明に変わらなくてはならないと私は思います。
のになるであろう。このような考え方がデカルトの思想である
と私は考えています。
この会場の窓から自然が見えます。その自然は果たして無機
的なものでしょうか。自然には生命が溢れています。無数の生
き物が自然界に存在します。そういう自然が本当の自然であり、
デカルトの言うような自然科学的自然は一種の抽象ではない
最も大きくエネルギーを原子力に依存する国です。そのような
であると言わざるを得ない。ルネ・デカルトの国、フランスは
ませんでした。しかし自然は生きています。自然には生き物が
学 を 批 判 す る の は 恐 れ 多 い こ と と 思 い、 こ れ ま で あ ま り 口 に し
私は西洋哲学を日本史とともに勉強してきましたが、西洋哲
か。
科 学 技 術 の 考 え 方、 デ カ ル ト の 考 え 方 そ の も の を こ こ で 批 判 し
たくさんいる。そういう自然をデカルトは抽象したのではなか
同時に科学技術というものについて深く考える必要がありま
す。科学技術文明を進める哲学をつくったのはルネ・デカルト
なくてはならないのではないかと思うのです。
ろうか。そこから自然科学的世界が生まれ、それによって科学
と科学技術が裏づけられた。デカルトはその意味で、近代文明
考えている﹁我﹂が確かだ。この﹁我﹂の証明の後に神の証明
﹁我﹂
が一番確実なものである。理性的な
﹁我﹂、疑っている﹁我﹂、
げています。自然破壊、環境破壊が地球の至るところで起こっ
ることに成功しました。しかし、現代において自然は悲鳴を上
人間が自然を支配するための自然科学は著しく発展しまし
た。科学技術もまた著しく発展しました。人間は自然を支配す
を理論づけた最も偉大な哲学者であります。
があり、そして今度は﹁我﹂に対立する外界の証明がある。そ
ていて、地球上の生物の多くの種類が毎年絶滅しています。こ
︵我思う、ゆえに我
cogito, ergo sum
デカルト哲学について詳しく語る時間はありませんが、デカ
ルトは全てを疑って、疑った末に疑うべからざる﹁我﹂に達し
ました。それを表すのが﹁
れ が 自 然 の 世 界 で あ る。 自 然 の 世 界 の 法 則 は 数 式 に よ っ て 表 現
れは現代の文明の運命ではないかと私は思います。
あり︶
﹂という言葉です。
さ れ る 科 学 的 な 世 界 で あ る。 そ の 法 則 を 認 識 す る こ と に よ っ て
るべきものであったが、自然科学によって、自然は容易に人間
自 然 を 支 配 で き る よ う に な る。 そ れ ま で 自 然 は 人 間 に と っ て 恐
そしてそのような自然の法則を知れば知るほど人間はたやすく
い わ ゆ る 数 学 的 法 則 に よ っ て 明 ら か に さ れ る 自 然 世 界 で あ る。
文明の採用に成功した国はないでしょう。日本が世界第二の経
認め、採用しました。おそらく非西欧国家の中で日本ほど西洋
本は非西欧国家の中でいち早くそのような文明のすばらしさを
をつくりました。それはすばらしいことであると思います。日
確 か に デ カ ル ト 哲 学 は 科 学 と 科 学 技 術 を 基 礎 づ け て、 そ れ ま
で支配できなかった自然を見事に支配して、豊かで便利な文明
その科学的世界は解明される。
﹁我﹂に対するものは、無機質な、
が 支 配 で き る も の に な り、 自 然 は 奴 隷 の ご と く 人 間 に 仕 え る も
36
記念講演
済大国になったのはそのような文明のおかげであると感謝せざ
はどこかにないだろうか。そこには東洋の知恵が
必要ではないか。日本の文化の中に現代の科学技
術文明の行き詰まりを打開する思想があるのでは
ないか。私はそういうことを五十年来考え続けて
き て、 今 よ う や く そ の 答 え を 出 せ る の で は な い か
と思うのです。
日 本 仏 教 が 生 ん だ 思 想 に﹁ 天 台 本 覚 思 想 ﹂ と い
う も の が あ り ま す。 天 台 密 教 が 流 行 し、 比 叡 山 で
栄えました。その天台密教の結論が天台本覚思想
です。
その思想を端的に表すのが﹁草木国土悉皆成仏﹂
です。人間は仏性を持っていて、仏になれる。そし
て人間ばかりではなく、動物も植物も仏性を持って
いて成仏できる。鉱物や国のような抽象物もやはり
仏性を持っていて成仏できる。そういう思想です。
ん。 中 国 の 天 台 仏 教 で は 道 教 の 影 響 に よ り そ う い う 思 想 が 一 時
このような思想は、実はインド仏教にはありません。インド
仏 教 で は、 仏 性 を 持 つ の は 動 物 ま で に 限 ら れ 、 植 物 に 霊 性 を 認
しかし日本はこの科学技術文明のマイナス面による被害を二
度も受けています。一度目は広島、長崎に落とされた原爆です。
ありましたが、それは中国仏教の思想の主流にはなりませんで
るを得ません。
二度目は福島で起きた原発事故です。このような二度の経験を
した。
の思想でもあり密教の思想でもあり法華宗の思想でもありま
う鎌倉新仏教の共通の前提になりました。つまりそれは浄土教
か ら で す。 そ し て こ の 天 台 本 覚 思 想 が 浄 土 、 禅 お よ び 法 華 と い
しかし、これが日本仏教思想の主流になったのです。なぜな
ら、天台密教というのは天台宗と真言宗が合体したものである
め る と い う 考 え 方 は な い と 思 い ま す。 中 国 の 仏 教 に も あ り ま せ
し た 日 本 は こ の 際、 世 界 に 先 立 っ て 新 し い 文 明 を 模 索 し な く て
は な ら な い の で は な い か と 思 う の で す。 私 は 、 日 本 は 脱 原 爆 、
脱原発の文明の方向に進まなくてはならないという信念を強く
もっています。
西洋はすばらしい科学技術文明を生み出しました。しかしそ
の 文 明 は 行 き 詰 ま っ て い ま す。 こ の 行 き 詰 ま り を 解 決 す る 思 想
37
広島原爆の日。灯ろう流し(提供:毎日新聞社)
大 拙 の 著 書﹃ 禅 と 日 本 文 化 ﹄ は 西 洋 の 人 々 に よ く 読 ま れ ま し た
今日は西洋の方もたくさんいらっしゃいますが、日本の仏教
といえば禅と思っている人も多いのではないでしょうか。鈴木
が あ り ま せ ん。 豊 か な 狩 猟 採 集 文 化 に よ っ て 縄 文 文 化 が 発 展 し
が遡上します。これほど豊かな狩猟採集文化は世界にあまり例
日本では、狩猟採集文化あるいは漁労採集文化が甚だ発展し
ました。日本は海に囲まれていて、特に東日本ではサケ、マス
教がそのような変質を遂げたのでしょうか。
か ら、 日 本 の 仏 教 は 禅 で あ る か の ご と く 思 っ て お ら れ る 方 が 多
ました。そのうえ、約二千五百年前に日本に伝わった稲作文化
す。とすれば、日本仏教の中心思想と言ってよいでしょう。
いのです。しかし、禅は仏教宗派の一つにすぎず、禅のみで日
が狩猟採集文化と合体することによって日本文化が生まれたと
稲作文化は自然の恩恵を大きく受けています。農業でもっと
本 文 化 を 説 明 す る こ と は で き ま せ ん。 禅 は た し か に す ば ら し い
仏教の中心
も大切なのは熱い太陽と豊かな水です。エジプトで発展した小
言っても差し支えないでしょう。
思 想 は﹁ 草
麦 農 業 文 明 も、 中 国 で 発 展 し た 稲 作 文 明 も 、 太 陽 と 水 の 恩 恵 を
この縄文文化を育んだのは日本の神道です。日本の神道とい
うのは、明治以来の国家神道のような堅苦しいものではありま
木国土悉皆
覚思想にあ
せん。自然への畏れと自然崇拝から生まれた宗教です。そのよ
受けています。日本の稲作文明も太陽と水の恩恵を受けていま
り ま す。 私
うな時代にもっとも崇拝されたのはヒスイの勾玉です。ヒスイ
成仏﹂とい
は五十年間
は、 白 地 に 緑 が 混 じ る 石 で す。 そ れ は 雪 の 中 か ら 顔 を 出 す 緑 を
す。自然崇拝という点において、日本の稲作文化は狩猟採集文
仏教を勉強
象徴していると言われます。とすれば、それは植物の霊と言え
う言葉で端
し て、 そ の
る。また、勾玉の形は動物をかたどったものであるとも言われ
化である縄文文化と相通ずるものがあります。
ような結論
て い ま す。 魚 や イ ノ シ シ の 形 を し て い る も の な ど が あ り ま す 。
で は、 ど
うして日本
で す。 そ の よ う な 神 道 が 仏 教 に 影 響 し て﹁ 草 木 国 土 悉 皆 成 仏 ﹂
そ の よ う に 植 物 の 霊、 動 物 の 霊 を 縄 文 時 代 以 来 崇 拝 し て き た の
れる天台本
に達しまし
と す れ ば、 そ れ は 動 物 の 霊 と も 言 え る 。 つ ま り ヒ ス イ の 勾 玉 と
において仏
い う の は 植 物 の 霊、 動 物 の 霊 を 象 徴 す る も の で す。 日 本 人 は、
た。
的に表現さ
仏教ですが、それが日本仏教の中心思想とは言えません。日本
太陽と水が稲作文化を支えてきた
38
記念講演
夏 と 冬 が 一 巻 ず つ。 そ こ で は 日 本 の 植 物 の 美 し さ が 謳 わ れ て い
巻までは春夏秋冬の四季を詠んだ歌です。春が二巻、秋が二巻、
日 本 の 文 化 は そ の よ う な 思 想 で 考 え れ ば よ く 理 解 で き ま す。
たとえば﹃古今和歌集﹄は二十巻から成りますが、一巻から六
れています。世界の演劇で、人間以外の動物ばかりか植物、自
﹁草木国土悉皆成仏﹂という思想が能においてもはっきり語ら
や 柳 の 木 な ど が 霊 を 持 ち、 最 後 に は 成 仏 で き る と い う 筋 で す。
持 っ て い て 救 わ れ る と い う 筋 で す。﹁ 西 行 桜 ﹂ と い う 能 は、 桜
え︶などの動物であることもあります。これらの動物が天皇を
る。春は桜、秋はもみじ。いずれも移ろいやすいものです。日
然現象までもが霊を持つというようなものは類がないと私は思
という思想が生まれたのではないかと私は思います。
本 人 は そ う い う 移 ろ い や す い も の に 深 い 美 を 見 た の で す。﹃ 源
います。
欧米では、日本の美術を代表するものとして、かつては葛飾
北斎の﹁富獄三十六景﹂が大変有名でした。これが印象派の画
悩ます。ところが、天皇を殺そうとしたこれらの動物も、霊を
氏物語﹄の登場人物は、桐壺、藤壺、葵、紫、夕顔というように、
ほとんど植物の名がつけられています。戦前までは日本の女性
の名の多くに植物の名がつけられていました。梅子、松子、藤
ームといえば、西洋ではトランプ、中国ではマージャン、日本
には季語があります。季語の中心はやはり植物です。また、ゲ
﹁ 草 木 国 土 悉 皆 成 仏 ﹂ と い う 思 想 は 俳 句 に も あ り ま す。 俳 句
は 必 ず 自 然 を 詠 む 、 自 然 の 一 瞬 を 鋭 く と ら え る 芸 術 で す。 俳 句
は若冲の﹁釈迦三尊像﹂があります。釈迦と阿弥陀と観音の三
が、かつては京都の相国寺という禅寺にありました。相国寺に
が 描 か れ る す ば ら し い 作 品 で す。 そ れ は 現 在 は 宮 内 庁 所 蔵 で す
植 綵 絵 ﹂ で す。 全 三 十 幅 の そ れ ぞ れ に さ ま ざ ま な 動 物 と 植 物
家たちにも刺激を与えました。そして今、西欧でもっとも評価
では花札です。花札の絵柄は、一月は松、二月は梅というよう
像です。観世音菩薩は三十三に化身して人を救います。禅宗で
子など。その代表が花子です。
に 自 然 の 植 物 が 使 わ れ て い ま す。 ゲ ー ム に ま で ﹁ 草 木 国 土 悉 皆
ある臨済宗のもっとも重要な儀式である観音懺法は罪を懺悔す
される日本の芸術家は伊藤若冲です。若冲の最大の傑作は﹁動
成仏﹂という思想が広まっているのです。
る儀式です。その重要儀式に用いられていたのが﹁釈迦三尊像﹂
とそれを荘厳するために描かれた﹁動植綵絵﹂です。
あ り さ ま が 描 か れ て い ま す。 生 き 物 の 世 界 は 弱 肉 強 食 の 世 界 で
若冲の絵には、全ての生きとし生けるものの滅びゆく生命の
となりて
苔︵ こ け ︶ の む す ま で ﹂ と。 小 さ い 石 が 岩 に な る。
石が生き物のように成長して大きな岩になる。これは国家主義
あ る。 そ の よ う な 世 界 が 表 現 さ れ て い る 。 に も か か わ ら ず 、 そ
国 歌﹁ 君 が 代 ﹂ に も ま た そ う い う 思 想 が 含 ま れ て い る か も し
れません。
﹁君が代は千代に八千代に
さざれ石の
巌︵いわお︶
を謳ったものではなく、日本の﹁草木国土悉皆成仏﹂という思
こ に 描 か れ て い る カ エ ル も 蛇 も 鳥 も、 み な 生 の 歓 喜 を 叫 ん で い
ることを認めながら、しかし生というのはすばらしいものであ
る。 命 と い う も の は 滅 び ゆ く も の で あ り 、 世 界 は 弱 肉 強 食 で あ
想が謳われたものだと考えることもできます。
能 は 日 本 の 誇 る 伝 統 芸 能 で す。 能 の 主 人 公 は 、 主 に 救 わ れ な
い霊です。それは人間の霊であることが多いが、キツネや鵺︵ぬ
39
ることを高らかにたたえている。それは写生画ではなく、むし
ろ思想の絵です。仏教思想のあらわれであると言ってもよいで
しょう。
そのように考えると、日本の芸術のもっともすばらしいもの、
能や若冲の絵は﹁草木国土悉皆成仏﹂という思想の産物である
と言えると思います。
近 代 科 学 技 術 文 明 を 推 し 進 め た デ カ ル ト の 考 え 方 は、 間 違 っ
て い る と は 言 い 切 れ な い が、 世 界 の 中 で も っ と も 確 か な も の と
して人間を置いたことは一種の抽象であり誤謬であると言える
のではないでしょうか。このような抽象的自然を信ずることに
よって西洋社会は科学技術文明を生み出し、豊かで便利な社会
にした。それは西洋の大いなる功績です。このような理性の哲
学はヘーゲルにおいて極まりました。近代哲学はデカルトに始
まりヘーゲルにおいて大成されました。そのヘーゲルの影響を
受けたのがマルクスです。このような思想はやはりどこか間違
っているのではないかと思われます。
ハイデ
二十世紀最大の哲学者であると思われるマルティン ・
ッガーは、このような理性の哲学は実は意志の哲学であり、理
性の背後で理性を動かしているのは実は意志であると考えまし
た。また、フリードリヒ ニ
・ ーチェは意志の哲学を唱え、その
強烈な支配の意志の持ち主を﹁超人﹂と呼びました。そしてそ
の哲学は永劫回帰の哲学だと言いました。しかし、それはハイ
デッガーに言わせれば、近代哲学の理性の背後には意志という
ものがあり、現代は自然支配の凶暴な意志が世界を支配してい
るということになります。
この文明を超克するためにはどうすればよいか。ハイデッガ
40
記念講演
ーは﹁存在に帰れ﹂と唱えます。ソクラテス以前の哲学者であ
﹁ひといきも
くさきのいきと
ともなれは
このみさなが
ら あめつちひろし﹂
る イ オ ニ ア の 自 然 哲 学 者 に は﹁ 存 在 ﹂ と い う も の が 認 識 さ れ て
共 生 す る の は 人 間 同 士 ば か り で は な い。 草 木、 虫、 鳥 と も
いたが、ソクラテス、プラトンによって﹁存在﹂は忘れられた。
共生する。そういう生を生きようではないかと椎尾辨匡は言う
っています。ハイデッガーは﹁言葉は存在の家である﹂と言い、
人類の思想になるべきではないかと思います。
のです。この共生の思想は環境破壊を防ぐために重要な今後の
その忘れられた﹁存在﹂を復興するのが人類の課題であると言
言 葉 の 中 に 新 し い 人 類 の 救 い が あ る と し て い ま す。 彼 は、 ヘ ル
ダーリンの詩の中にそういう新しい人類の救いがあると考えて
せ ん。
﹁存在﹂は、ソクラテス以前の哲学者によって認識され、
私 は、 西 洋 文 明 の 批 判 に お い て ハ イ デ ッ ガ ー は 正 し い と 思 い
ま す が、 ハ イ デ ッ ガ ー の 存 在 の 哲 学 に よ っ て は 人 類 は 救 わ れ ま
還相回向といいます。阿弥陀様のおかげでまたこの世へ帰って
世に苦しむ人がいる限り、帰ってこなくてはならない。それを
るという。しかし、極楽浄土にとどまるわけにはいかず、この
浄 土 宗 か ら 出 た 親 鸞 は、 二 種 回 向 と い う も の を 唱 え ま し た。
我々は、念仏を唱えれば阿弥陀様、仏様のおかげで極楽浄土へ
またヘルダーリンというドイツの詩人によって理解されたけれ
くるという思想です。これはある意味では生まれ変わり、死に
います。
ども、そのようなもので人類は救われない。人類存続の危機に
変わりの思想です。
の中にある。それが﹁草木国土悉皆成仏﹂という思想です。こ
非科学的と考えられるでしょう。しかし私は、往って還ること
近代科学では、阿弥陀様のところへ行くというのは非科学的
で あ る と 考 え ら れ ま す。 こ の 世 に 帰 っ て く る と い う の は さ ら に
行く。それを往相回向といいます。往きのありがたい恵みであ
つながる環境破壊の問題はそれでは解決できない。それを解決
れ は 人 間 と 自 然 と の 共 生 の 思 想 で あ る と 思 い ま す。 今 こ そ、 自
に よ っ て そ れ は 合 理 的 に な る の で は な い か と 思 い ま す。 人 間 を
するために我々日本人が出すべき知恵はやはり日本の伝統思想
然支配の哲学から自然との共生の哲学に文明は変わっていかね
つまり、我々の生の中には永遠の昔から共生してきた命がある
遺 伝 子 の 立 場 で 考 え る と、 遺 伝 子 は 生 死 を 繰 り 返 し て い ま す。
尾辨
浄 土 宗 の 僧 で あ り、 私 の 中 学 時 代 の 恩 師 で あ り ま す 椎
匡 師 が 共 生 の 思 想 を 唱 え ま し た。 浄 土 宗 を 始 め た 法 然 は 善 導
のです。そしてまた、未来でさまざまな生き物とともに生きな
ばならないのではないでしょうか。
と い う 中 国 の 仏 教 者 に 依 っ て い ま す。 善 導 は 、 極 楽 浄 土 へ と も
くてはならない、そういう命があるのです。
に強く惹かれるのです。
このように生命の中に過去の永遠と未来の永遠が宿っている
と い う の が 親 鸞 の 考 え 方 で あ る と 思 い ま す が、 私 は こ の 考 え 方
往 還 に よ っ て 生 ま れ 変 わ り、 我 々 は こ こ に 生 き て い る の で す。
に行くことを唱えましたが、椎尾辨匡は﹁我々は共に生きよう
ではないか﹂と唱え、次のような歌を詠んでいます。
﹁ともいきの
くさ木虫鳥
なごみして
いかしめぐみと
みほとけはのる﹂
41
八十七歳の私に残された人生はあまりない。あと十年しかな
いとすれば寂しいことです。しかし、またこの世に生まれ変わ
ってくると思うと、私には希望がわいてきます。
私は四十年ほど前、イギリスの歴史家、アーノルド・ ・ト
インビー博士とお会いし、対談をしました。そこでトインビー
います。ご静聴ありがとうございました。︵拍手︶
今日、私は一つの日本の伝統思想に基づいた、新しい人類の
平和的発展を目指す思想を語ることができたのではないかと思
と私は思います。
け れ ば な ら な い。 そ れ に よ っ て 世 界 の 平 和 が 初 め て 可 能 に な る
す。 そ の よ う な 思 想 を 西 洋 以 外 の 文 明 か ら 西 洋 社 会 に 提 供 し な
日 本 は 西 洋 文 明 の 恩 恵 を 深 く 受 け て い ま す。 し か し、 こ れ か
らはそのような文明の持続的発展を図る思想が必要になりま
るのではないかと思います。
四 十 年 経 っ た 今、 私 は よ う や く ト イ ン ビ ー に 答 え る こ と が で き
れはおまえの考えることだ﹂とお叱りを受けました。それから
彼に﹁どのような原理でつくればよいですか﹂と尋ねると、
﹁そ
新しい世界像をつくらなければならない﹂と言いました。私は
け れ ば な ら な い。 非 西 洋 諸 国 が 自 己 の 文 明 の 原 理 に 基 づ い て、
た。しかし、二十世紀が終われば、新しい哲学が生み出されな
得ない。日本は賢明に科学技術文明を取り入れ、そして成功し
した。この科学技術文明を取り入れない限り、国の発展はあり
博 士 は 私 に﹁ 科 学 技 術 文 明 を 生 み 出 し た 西 洋 社 会 は 世 界 を 支 配
J
東京電力福島第1原子力発電所(提供:毎日新聞社)
42
S Y M P O S I U M
シンポジウム
8月3日
︵ 金 ︶ 時 分∼ 時
国立京都国際会館
被災者に宗教者は
如何に向き合ってきたか
テーマ
15
30
17
◎シンポジウム
被災者に
宗教者は如何に
向き合ってきたか
︵文中敬称略︶
SYMPOSIUM
◎特別ゲスト=アルベルト・クワトルッチ氏
(聖エジディオ共同体事務総長)
イタリア
◎パネリスト
学誠法師
(中国佛教協会副会長)中国
トルコ
ユスフ・ユルドゥルム氏
(キムセヨクム副理事長)
タイ プラティープ・ウンソンタム・秦女史(プラティープ財団創設者・事務総長)
日本
千葉博男師
(宮城県宗教法人連絡協議会副会長・竹駒神社宮司)
◎コーディネーター=杉谷義純師
(世界宗教者平和会議国際委員会理事長・天台宗宗機顧問)
◎進行役=小林祖承師
(実行委員会総務部長)
44
シンポジウム
︻小林︼ただいまよりシンポジウムを始めたいと思います。本日
を伺い、さらにそれぞれ具体的なご自分の立場においての経験、
ります。それぞれのお立場から、まず五、六分、基本的なお考え
アルベルト・クワトルッチ氏
聖エジディオ共同体事務総長
いかにして諸宗教の代表者
が自然災害の被害者に
アプローチするか
◎ゲストスピーチ
いいたします。
まず最初にご発言いただきますのは、聖エジディオ共同体事務
総 長 の ア ル ベ ル ト ・ ク ワ ト ル ッ チ さ ん で す。 ど う ぞ よ ろ し く お 願
たい、このように思っております。
それから将来の方向性等々、いろいろお伺いできれば大変ありが
は﹁ 被 災 者 に 宗 教 者 は 如 何 に 向 き 合 っ て き
たか﹂をテーマとしてご議論していただ
きます。
コーディネーターをつとめていただ
きますのは、世界宗教者平和会議日本
委 員 会 理 事 長・ 天 台 宗 宗 機 顧 問 、 杉 谷
義 純 師 で す。 そ れ で は 皆 様 、 よ ろ し く
お願いいたします。
︻杉谷︼ それではシンポジウムを始めさせていただきます。
ただいま司会者より、本日のテーマは﹁被災者に宗教者は如何
に 向 き 合 っ た か ﹂ と い う こ と で ご ざ い ま す が、 ご 高 承 の と お り 近
年、大災害が世界中で起こっております。スマトラ沖大地震は、
記憶に新しいところだと思います。地震はタイも襲い、またタイ
では先年、大洪水もございました。さらにトルコ、中国、イタリ
ア で は 大 地 震 が 起 き て 多 く の 被 災 者 を 出 し て お り ま す。 日 本 に お
いては昨年の三月十一日、東日本大震災と未曾有の津波が発生し
添 い、 将 来 的 に 大 震 災 と い う も の に ど
を し て、 ま た ど の よ う に 被 災 者 に 寄 り
そういうなかで、まずそれぞれ宗教者
はどういう立場でどのような救援活動
年々会議と対話の道は広がっていきました。 しかし時代は変わ
パウロⅡ世が望まれたアッシジでの会議の精神に則っています。
ット。 この二つのサミットは、一九八六年、偉大な前教皇ヨハネ・
聖エジディオ共同体の﹁人間と諸宗教﹂によって始められたサミ
一九八七年比叡山で行われた初めての宗教サミットより二十五
年も経ち、宗教間の協力は確実に育っていきました。東では天台
う立ち向かっていったらいいか。それ
り ま し た。 今 日、 イ ン タ ー ネ ッ ト で す ぐ に 情 報 が 伝 わ る 反 面、
ました。
ぞれの被災地で目覚ましい活動をされ
人間の意識に何も触れることができないようなグローバル化した
宗 の 山 田 惠 諦 猊 下 よ り は じ め ら れ た 比 叡 山 で の サ ミ ッ ト、 西 で は
てきた先生方にきょうは登壇いただいてお
45
││表明されているものも、心の奥底に秘められている疑問も含
古今を問わず、他の者たちは、﹁このような災害は、神のお告げ
多くの人が宗教家に、﹁もし神が人間を愛するのであれば、な
ぜこのような悲劇を起こすのでしょうか﹂と問いただしました。
とさえ書いたほどです。
ざなりな態度にもよりました。 調査委員会は、
﹁人間による事故﹂
日本の国会原発事故調査委員会がすでに公式に認めたように、
我々の社会に於いて、宗教の役割とはいったい何なのでしょうか。
福島の原子力発電所の事故は、津波によっただけでなく人間のお
各国内の事情に悩み、経済及び精神の危機で病んでいる欧州、
そして目的が定まらず未来への新たな道を見出そうとしている東
の国々を前に、諸宗教の代表者たちは更なる責任があると確信し
む││に対し、﹁希望﹂という勇気をもって応え、人々の心に語
であり人間が行った悪事に対する罰である﹂とも解釈いたしまし
ています。 その責任とは、現代社会に充満している深刻な疑問
りかけることです。
た。
これを背景に、今回選ばれたテーマ﹁自然災害の猛威と宗教者
しかし、神が決して 悪
の役割﹂
は、
適切だと思われます。 二〇〇一年から二〇一一年の間、
「 ﹂を望んでいるのではなく、人間をあら
ゆる辛さ・悲しみから救うことを望んでいる、と我々はよく知って
ルマ人、アメリカ人⋮⋮この悲しきリストは尽きることがありま
二〇〇四年の悲劇とインドネシア人、二〇一〇年のハイチ人、ビ
ャ 州 で 起 き た 災 害 と イ タ リ ア 人、 イ ン ド 人、 シ ン ハ ラ 人、
人、二〇〇九年のイタリアのラクィラと最近エミリア・ロマーニ
を目の当たりにしてきました。二〇一一年の東日本大地震と日本
がれる人々に慈悲を感じるよう人類を促す責任、及びあらゆる形
に神が身近にいることを証明するという向上的な責任、打ちひし
を分かち合うわけです。信仰を持つ男女は、全ての災害の被害者
悲劇に与しますが、それは受身であります。いわば、人間と忍耐
て人間の責任││による﹁悪﹂の結果なのです。 神は自然災害の
います。自然災害は、神の思し召しではなく、人間の選択││従っ
地震、洪水、津波、といった自然災害が年々ひどくなっていくの
せん。 自然災害を免れた民族などありません。 この一〇年間で、
の連帯感を推進するといった責任を持っています。
実際このような自然災害に於いて、信仰を持つ男女は、時には
別な役割を果たすのです。
おいても、信仰を持つ人々が介在することによって、重要かつ特
れた具体的な作業やボランティア活動です。いかなる悲劇状況に
深くなおかつ効果的だったのは、諸宗教間の連帯感のもとに行わ
活動が良い例だと思います。この東日本の悲劇に於いて特に意味
事実、近年起こった自然災害を前に、世界的なレベルの連帯感
が生まれました。東日本の地震・津波の際、世界各国からの支援
地 震 と い う 災 害 だ け で 七 十 八 万 人 の 被 害 者 が 出 て い ま す。 こ の
災害の多くの、いや多分これら全ての災害の原因は、多かれ少な
かれ人間でしょう。
その例を一つ挙げると、二〇一〇年四月、メキシコ湾に流れ出
した重油の 黒
「 い波 は
」 、 世 界 の あ ら ゆ る 海 を 汚 染 し ま し た。
寓喩的に、まさに人間の責任を象徴しています。狂ってしまった
経済が作り出した悪が人間を 無
「 に
」 し、 命 の 価 値 を 奪 い ま す 。
市 場 の 法 則 は 全 て を 支 配 し て い ま す。 人 間 は 自 然 を 犯 し 欲 望 の ま
ま巧みに操り、自己利益のために利用したがりました。
46
シンポジウム
政治家や自治政府当局よりも重要な役割を果たすことができると
強く確信しています。苦難により傷ついた者たちは自らの姿││
人間としての尊厳││を取り戻すために神の﹁姿﹂になれます。
また、苦しむ人々の孤独を打ち壊し、新しく連帯感を作り出す神
の﹁手﹂にもなれるのです。
このようにして聖エジディオ共同体は、イタリアでの数多き地
震災害や二〇一〇年ハイチでの地震、及び二〇〇四年インドネシ
アの津波災害に対応してきました。同じ時期にインドのタミル・
ナドゥ州で家や十五もの小学校を再建設し、それらは九千五百人
学誠法師
被災者に宗教者はいかに
向きあってきたか
中国佛教協会副会長
宗教は、天地自然や宇宙法則という未知の分野への畏敬の念よ
り生れてきました。
人類は、大自然の猛威に直面したとき、絶望的な無力感を覚え
ます。人類は産業革命以来、科学技術の発展に力を注ぎ、近年で
の児童を受け入れました。日本では、三月十一日から一ヶ月経っ
市の市長を協定を結び、建築家隈研吾氏設計による高齢者のため
は﹁人類の力で自然を自由にコントロールできる﹂という傲慢な
たとき、東北地方を訪問しました。一年が過ぎた今年、陸前高田
の集会所を計画しています。そして、この企画の実現に向けて、
考え方をするに至りました。確かに科学的な予測により、自然災
より、大災害が引き起されています。ならば科学技術の進歩は、
し、一方で人類が自然を破壊し、地球温暖化を引き起こすことに
害の被害を最小限に抑えられることも可能にはなりました。しか
皆さんの資金援助を募っているしだいです。
神
「 の道﹂をしるすべく生きなくてはならないと思いま
最後に、自然災害を前に、諸宗教の代表者の方たちは、未来に
つながる希望のメッセージを発信しつつ、全世界に慈悲と連帯の
道、及び
私たちは、地球に生きる大家族の一人です。特に、宗教者は、
その思いを一層深くしなくてはなりません。なぜならば、宗教者
かえって人類にマイナスといわざるを得ません。
︻杉谷︼クワトルッチさん。ありがとうございました。聖エジデ
は、大災害の被災者を救援することにより多くの責任を負うから
す。
ィオ共同体の世界各地における救援活動等をご紹介いただきまし
です。
興、生活基盤を再生させることなどです。自然災害に見舞われた
まず大災害が発生すれば、宗教者は、被害者が苦しんでいる直
近の問題を解決しなくてはなりません。負傷者の治療、住居の復
た。
続きまして、中国仏教協会副会長の学誠法師にお願いをいたし
ます。
人は、生きる基盤を一瞬のうちに奪われ、身心ともに絶望にうち
47
ひしがれています。宗教者は信徒たちと共に被災地へ入り、でき
る 限 り の 貢 献 を し な く て は な り ま せ ん 。 同 時 に、 被 災 者 と 良 好 な
信頼関係を結ぶことが、長い支援の中で必要不可欠なことです。
次に、宗教者は被災者の心のケアに重点を置くべきです。体の
傷が癒え、従来の生活が戻ったとしても、被災者の心は大きな傷
を負っています。そのリハビリは、肉体的なリハビリよりよほど
難しいものです。被災者の多くは、肉親や友人、また財産や仕事
を失っています。心のケアが必要なのです。そのケアがないと、
をも助けることになります。
自然災害は、人間が最も恐れるものです。しかし、これらの災
いによって我々は﹁平和﹂の大切さに気づきます。また、元気で
生きていることがどんなに素晴らしいものであるかを実感しま
す。
人類は、世界中のどの国、また民族を問わず、大震災に見舞わ
れた地域があれば、即座に駆けつけ援助を惜しみません。その思
いやりの心こそ、人類を結びつけるものでしょう。
︻杉谷︼どうもありがとうございました。宗教者の果たすべき役
これからの人生にトラウマを残し、深刻な影響が出ます。宗教は、
人々に安心を与えます。ですから、宗教者は被災者の心理的ケア
割等について非常にわかりやすくお話をいただきました。
こ の 十 年、 世 界 各 地 で 発 生 す る 自 然 災 害 の 件 数 は 徐 々 に 増 え て
きており、しかもその大半は第三世界で発生しています。災害が
ユスフ・ユルドゥルム氏
キムセヨクム副理事長
宗教指導者は
自然災害の被災者と
どのように向き合うべきか
続 き ま し て、 ト ル コ か ら お 見 え に な っ た キ ム セ ヨ ク ム 副 理 事 長
のユスフ・ユルドゥルム氏にお話をいただきます。
において、重大な責務を負っています。
第三に、宗教者は被災者の人生の再生を手助けすべきです。被
災 者 の 心 身 の 傷 を 癒 す の み な ら ず、 被 災 者 が 新 た な 人 生 を 歩 む た
めに協力すべきです。災難は人々を苦しませますが、また一面で、
そ の 試 練 に よ っ て 人 々 を 成 長 さ せ ま す。 困 難 の な い 人 生 は あ り ま
せ ん 。 特 に 激 し い 試 練 に 直 面 し た 人 は、 深 遠 な 智 慧 が 身 に つ き ま
す。人々が経験したこともないような災いは、無常を知らせ、改
めて命の大切さを教えもします。
第四に、宗教者は被災者と共に成長していくべきです。一般的
に被災者は弱者と見なされます。しかし、支援する者と、支援さ
れ る 被 災 者 と の 間 に 強 弱 は あ り ま せ ん 。 み な 平 等 な の で す。 支 援
さ れ た 人 々 は 感 謝 の 気 持 ち で 援 助 を 受 け 入 れ る べ き で し ょ う。 同
様に、支援する側も、慈悲の真心で働くことにより、感謝される
しょう。宗教者のみならず被災者を支援する人々が、感謝と慈悲
発 生 す る と 多 く の 場 合、 食 糧 や そ の 他 の 物 資 と い っ た 物 理 的 な 支
喜びを体験します。その喜びが、今後の幸せの指針となることで
の気持ちで働くならば、被災者をサポートすると同時に自分自身
48
シンポジウム
援 の 提 供 に よ り 多 く の 関 心 が 払 わ れ 資 源 が 投 入 さ れ る 一 方 で、 被
災者の精神的、心理的なケアの必要性についてはそれほど注意が
向 け ら れ て い な い の が 現 状 で す。 こ う し た 危 機 的 状 況 の な か で 宗
教、信仰コミュニティ、宗教指導者が果たす役割とは何でしょう
ワーとなります。
宗教指導者は心的外傷によって被災者の心に空いた穴を埋める
努 力 を し な け れ ば な り ま せ ん。 こ の た め に 災 害 発 生 後 の 状 況 の な
かで次の二つの重責を担わなければなりません。
手探りの状況です。そのため、宗教指導者が被災した地域社会と
ような方法で被災者の回復を支援していくべきかについては未だ
自然災害の被災者が精神的、心理的な回復を遂げていくなかで
宗 教 指 導 者 が 一 役 を 担 う こ と は 言 う ま で も な い こ と で す が、 ど の
かで孤独感を募らせていくことが多いため、社会的支援の提供に
いう思いもかけない厄災によって大切なものを失い、苦悶するな
神的支援を提供するための基本的手段です。被災者は自然災害と
援システムを整備することです。信仰コミュニティは社会的、精
か。
個人の両方に支援を提供できる方法についていくつか述べてみた
は信仰コミュニティが絶対に必要です。信仰コミュニティによっ
宗教指導者が担うべき重責の一つは、強力な信仰コミュニティ
を構築して、被災者の精神的、心理的回復を後押しするための支
いと思います。
て得ることができる集団的協力と相互依存の感覚は、被災者にと
ち、この世に秩序と保護を与えてくれる存在である神への信仰心
なります。被災者は信頼を喪失しがちになり、愛情深く慈愛に満
滅的な自然災害の後、過酷な心的外傷性ストレスを抱えることに
われている段階で、宗教施設を救援物資の配送拠点として開放す
その存在感を示すべきです。自然災害発生直後、救急救命が行な
を与えることになります。災害対策の様々な段階で宗教指導者は
災害救助における宗教指導者の存在はおのずと神の存在の確信
へ と つ な が り、 苦 難 を 抱 え て い る 人 た ち に と っ て 大 い な る 安 ら ぎ
って社会的なセーフティネットとなり、力の源泉となります。
を 失 っ て し ま っ て い る 可 能 性 が あ り ま す。 被 災 者 の 大 多 数 は 生 き
ることができます。その後の救援活動の段階では宗教指導者はで
宗教指導者が被災者に手を差し伸べるために活用できる方法に
ついて考察する前に、自然災害の被災者が負った心理的、精神的
ていく上での意味や希望を見失い、力をなくし、無力感に苛まれ
きるだけ多くの被災者にできるだけ多くの援助が届くように他の
ダ メ ー ジ を 明 確 に 認 識 す る こ と が 不 可 欠 で す。 多 く の 被 災 者 は 壊
るようになります。
〟の
Disaster: Religious Responses to Terrorism and Catastrophe
なかで、心的外傷を伴う経験は被災者の力を確実に奪い、被災者
の宗教指導者は多くの場合、高度の社会資本を有しており、そう
ここで強調しておきたいことは、地元の宗教指導者が救援活動
のなかで果たす役割がいかに重要であるかということです。地元
災害救助機関と連携して活動することができます。
を極めて傷つきやすい状態に追いやってしまう傾向があると述べ
した社会資本は災害後の状況のなかで救援活動を効果的に行なう
In the Wake of
ています。そのため、自然災害が発生した後に心理的、情緒的、
ためには不可欠です。とはいえ、大々的な救援活動を行なうため
ハ ロ ル ド・ コ ー ニ ッ ク は そ の 著 書 で あ る〝
精神的な回復を図るなかで、秩序を回復させることがより強いパ
49
よりも、地元の宗教指導者により強い信頼を寄せる傾向がありま
傾向があり、人々は他のNGOから派遣されてきた外部の人たち
に第三世界の国々では宗教が社会において中心的な役割を果たす
の資本を宗教指導者が持っていないこともありますが。また、特
きるようにすることなどが考えられます。
宗教から導きを得て、心の痛み、怒り、不安を解き放つことがで
て見直す手助けをすることや、宗教的寛容さを促して、被災者が
としては、被災者が発生した自然災害を潜在的に有益なものとし
ためのイニシアチブを取るべきです。この場合に使用できる方策
導く責任が宗教指導者にはあるということです。
非常に重要なことは、被災者が自然災害の影響にばかり目を向
けるのを止めて、宗教を生活における要として位置づけるように
す。そのため、多くの人にできるだけ多くの支援を届けるために
は宗教組織と救助機関が協力し合わなければなりません。
次に宗教指導者は被災者と直接向き合って精神的、情緒的支援
を提供しなければなりません。このように一対一で精神的な支援
を提供するために使用できる方法は二つあります。宗教的対処に
調査結果から、自然災害など生活にとって主要なストレスとな
る要因に直面した時、人々はこれまで自分が信じてきた宗教を肯
神が与えてくださると信じることです。現在は絶望のなかにあっ
委ねるとは、被災者が現在直面している困難に立ち向かう方法を
精神的な救済を与えるもう一つの重要な方策は神の意志に委ね
ることです。宗教指導者は、絶望することを止め、神を全面的に
定的に見直す場合と否定的に見直す場合があることがわかってい
ても神は神の下僕である私たちに将来、必ず報いてくださると信
よる方法と神の意志に委ねる方法です。
ます。自分の信じる宗教を肯定的に捉える人たちは前向きな宗教
じることです。
また、神の意志に委ねることで被災者は神への揺るぎなき信頼
知覚されるストレスレベルが下がることがわかっています。
イ ー ス ト テ ネ シ ー 州 立 大 学 の 教 授 た ち に よ る 心 理 学 調 査 か ら、
神の意志に委ねることで、宗教への忠実性が強くなり、その結果、
信頼して、神に委ねるように被災者を促すべきです。神の意志に
的対処法を身につけており、深い宗教的精神性︵スピリチュアリ
ティ︶により神との確固たる関係を築くことができる人たちです。
逆に、自分が信じてきた宗教を悲観的に捉える人たちは、否定的
な宗教的対処法を身につけているため、神との精神的つながりが
弱い人たちです。
こうした状況に備えて宗教指導者は将来の自然災害のストレス
向があることに注目することが重要です。
第三世界では宗教的概念と信仰を軸として社会組織が築かれる傾
に根差した新たな希望を見出し、楽観的になり、その結果、心理
臨床心理学者であるケニス・パーガメントとその仲間が実施し
た調査では、前向きな宗教的対処をする人たちは災害後もストレ
的、精神的回復も加速されていきます。
スが少なく、精神衛生上の問題も少ないことが証明されています。
宗教指導者は災害救援活動において非常に重要な役割を果たし
ます。第三世界における自然災害の発生件数は増えており、その
さらに人は生まれつき、悲観的な宗教的対処ではなく前向きな宗
教的対処をする傾向が強いこともわかっています。
この情報を踏まえた上で、宗教指導者は被災者による前向きな
宗教的対処を手助けすることによって被災者の精神的回復を促す
50
シンポジウム
と心的外傷に耐え得る強い信仰コミュニティを構築し、被災者が
最終的に回復するために宗教が確固とした拠り所としての役目を
果たすことができるように自分たちの立場をフルに活用すべきで
す。
︻杉谷︼ ありがとうございました。
それでは続きまして、タイから参加されたプラティープ財団創
設者のプラティープ・ウンソンタム・秦女史にお願いいたします。
自然災害の被災者に
宗教指導者は
どう向き合えばよいか
さて、﹁被災者に宗教者は如何に向き合ってきたか﹂というテ
ーマは、私にとってどんな意味を持つかをお話ししたいと思いま
す。
そのためにまず第一に﹁指導者﹂とは何かの定義づけをしまし
ょう。指導者とは、物事の先行きを明示する能力、すなわち他者
よりも先んじて進むべき行く手を見る努力をし、文字通りそのビ
ジョンを指し示し、導くことが出来る人ではないでしょうか。そ
うすればその指導者は、人々を導き、適切な助言を与え、必要で
あれば様々な意見を束ねて共通のゴールへ向かうことが出来るで
しょう。よき指導者とは、自らに従ってくれる人々に信頼を置い
ており、だからこそ何が起こり、どんな結果が生じるかを見通せ
るのではないでしょうか。
自然災害は、いつも突然起こり、予測出来ない壊滅的な変化を
人間の生活にもたらします。愛する者たちの命が奪われたり、重
傷を負い、家々は破壊され、大切にしてきた財産や貴重な品々も
瞬時に失います。それを悲しむいとまさえありません。
このサミットの目的は、一致結束することの力の強さを示す、
すなわちすべての宗教の教えに、世界の世論と人々が宗派を超え
慧﹂。すなわち災害がもたらしている物的、人的、さらには人々
﹁定﹂。最 も 大 切 な 真 相 に 集 中 出 来 る こ と。そして三つ目は、﹁智
プラティープ財団創設者・事務総長
て関心を持ち、その教えを日々の日常生活の中に生かすようアピ
の心にもたらしているものは何かを見抜く。これらのことが出来
プラティープ・ウンソンタム・秦女史
ールすることだと思います。それが叶えば、人類は平和な日々と
れば、私たちは災害がもたらすさまざまな苦難から脱却すること
しかし、そうした災害が起きるたびに、私は仏陀の三つの教え
を思い起こします。一つ目は、﹁念﹂。すなわち、私たちの身の回
暮らしを達成出来ます。そしてこの呼びかけは、今年は特に意義
が出来ると仏陀は教えているのではないでしょうか。
二〇一一年は、幾つもの国々が自然災害に直面した年でした。
私の国タイでは大洪水が押し寄せ、日本では大地震と大津波に見
りで起きることの真相をつかんで自覚し、気づくこと。二つ目は、
があります。今年は仏陀の生誕二千六百年の記念の年にあたると
されており、仏陀の教えを改めて確かめ、高め合う一段と意義深
い呼びかけになると思います。
51
舞われました。多くの命が失われ、家や働き場など人々が築き上
人々は心を和らげ、落ち着いて行動できるのです。
出来ないような事態に直面しても、この教えを身につけておれば、
だからこそ、この四つの教えは、危機的な困難にさらされてい
る時に、人々の心を癒し、社会に安らぎと平和を取り戻すための、
げてきたものが広大な範囲と規模にわたって破壊されました。そ
して人々の間に、なぜこんな恐ろしい、悲惨なことが起きてしま
ったのかとの疑念を生じさせました。
止める考えです。数え切れないほど多くの人々が一連の自然災害
な答えとは、これらの災害は私たち人間の力を試す機会だと受け
ありませんか。
が東日本に関心を寄せ、さまざまな救援、支援活動を行ったでは
ました。大震災が起き、大津波が襲った時、世界中の国々の人々
極めて大切な教えであると思います。
この疑念に対しては、消極的な答えと積極的な答えの二つがあ
ろうと思います。 消極的で否定的な答えは、これらの災害は、
東日本大震災からちょうど一年経った二〇一二年三月十一日、
罪 深 き 人 間 に 天 が 罰 を 下 し た の だ と い う 考 え で す。 一 方、 積 極 的
私 は あ ら た め て﹁ 慈 し み ﹂ に 始 ま る 仏 陀 の 教 え を 思 い 起 こ し て い
で 深 刻 な 苦 難 や 悲 し み を 経 験 し、 そ の 苦 し み は 今 も 続 い て い ま す
を失わず、復興と自立の努力を続けておられます。そのご努力を
遠いところからも被災された人々を受け入れられたではありませ
大災害が発生すると、天台宗の皆さま方は、ふだん瞑想の場と
していたホールや施設を直ちに開放して、近いところはもちろん、
が、それにもかかわらず被災者の方々は﹁念﹂と﹁定﹂の気持ち
拝見していると、きっと多くの困難を克服されて、人間としての
んか。それらの避難所は、あなたは受け入れる、あなたは受け入
はありませんか。
れないといった差別は一切なく、すべての人を受け入れられたで
新たな叡智を達成されるに違いないと思えてなりません。
こうした実践を見つめていると、すべての宗教の指導者が、
﹁四
無量心﹂を唱えた仏陀の弟子であることは間違いないと言えるで
﹁四無量心﹂とは﹁慈悲喜捨﹂の四つの教えです。一つ目の﹁慈
しみ﹂とは、すべての生あるものに対して、深く慈しむ心を持つ
を担う若者たちにもっともっと伝え、アピールしてよいと思いま
とに届け合いました。日本やタイでのこうした行いは、次の時代
しょう。
こと。二つ目の﹁悲しみ﹂は、すべての生きとし生けるものに共
す。
私 た ち は、 大 洪 水 が 起 き た タ イ で も 同 じ よ う な 光 景 を 目 に す る
ことが出来ました。宗派を超えて、食べ物や日用品を被災者のも
感し、共苦する思いやりの心を持つこと。三つ目の﹁喜び﹂は、
喜び過ぎたり、悲しみ過ぎたりせずに心を平静に保つよう心がけ
執着、我執を捨てて自由となる心を持つこと。すなわち、過度に
つこと。そして四つ目の﹁捨﹂とは心の平静のことで、あらゆる
る人々の力を束ね、協力し合い、絆を結んで共に生きてゆく契機
表させていただきます。この会議が、アジアと世界の国々に生き
議に国内外からご出席された皆さまに、あらためて心から敬意を
天台宗の皆さま、四半世紀に及ぶ比叡山宗教サミットの長い、
長いご努力、本当にご苦労さまです。そして今回の記念すべき会
す べ て の 人 々 の 心 の 幸 せ を 見 て、 こ れ を 妬 ま ず 、 共 に 喜 ぶ 心 を 持
ることです。たとえ最悪の状況に直面し、人知ではコントロール
52
シンポジウム
れました。次は、震災に襲われた宮城県において諸宗教をおまと
︻杉谷 ︼ ありがとうございました。
宗教間の連帯、また国際的な支援があちこちの災害に寄せられ、
特に東日本大震災においても世界各地から支援の手が差し伸べら
ご静聴、ありがとうございました。
法律、医療などは専門家に取り次ぐことも致しました。この心の
いと不安を和らげる取り組みを始めました。また内容によっては
が連携し遺族の話を聞く﹁心の相談室﹂を設け、遺族の無念の思
﹁無料読経奉仕﹂を始めました。さらに斎場二階ロビーで、仙台
今回の大震災で、身元不明者の遺体が仙台市の葛岡斎場で弔わ
れることなく火葬に伏せられていることに心痛めた仙台仏教界が
ております。
め に な っ て、 救 援 活 動 を 率 先 さ れ て き た 竹 駒 神 社 宮 司、 宮 城 県 宗
相 談 室 設 置 後、 こ れ を 常 設 し 継 続 し よ う と の 声 が 挙 が り 、 五 月 に
になるであろうと、私は固く信じております。
教法人連絡協議会副会長の千葉博男先生にスピーチをお願いいた
は宮城県宗教法人連絡協議会が後援団体となり、心の相談室は宗
に昨年十月より固定電話二台を設置し、毎週水・日曜日、宗教者
ち 回 り で、 そ れ ぞ れ の 教 義 に 基 づ き 弔 い の 儀 礼 を 行 う チ ー ム 。 次
ま ず 一 つ は、 昨 年 の 四 月 以 降 毎 月 十 一 日 、 仙 台 市 の 葛 岡 斎 場 に
ある身元不明者遺体安置所に於いて、各宗教・宗派の宗教者が持
その活動内容は、自主的に活動する六つのグループで展開され
ております。
教者有志の会として衣替えを致しました。
キリスト教連合を始めとして当連絡協議会に加盟する宗教者有志
します。
被災者に宗教者は
如何に向き合ってきたか
宮城県宗教法人連絡協議会副会長
宮城県神社庁長・竹駒神社宮司
が対応する電話相談のチーム。三つ目は、僧侶・牧師などの宗教
ら被災者の﹁心の声﹂﹁心の叫び﹂を聴く活動を展開しているチ
千葉博男師
昨年の三・一一東日本大震災で最も被害の大きかった宮城県の
宗教者の一人として、神社界と私が関係する宗教団体での諸活動
ー ム。 四 つ 目 は、 悩 み を 抱 え て 苦 し み 迷 っ て い る 方 が 一 歩 前 に 踏
者が中心となって、直接被災地の仮設住宅等に赴き、移動式喫茶
の一端について、宮城県神社庁長そして竹駒神社宮司として報告
み出すきっかけとなるように、電波を通じてより多くの人に宗教
送ラジオ﹁カフェ・デ・モンク﹂を企画製作するグループ。五つ
店﹁カフェ・デ・モンク﹂を催して、お茶とケーキを提供しなが
させていただきます。
まず、宮城県宗教法人連絡協議会ですが、県内約二千の宗教法
人が加盟している団体で、伝統宗教と新宗教がそれぞれの宗派教
目は、公開講演会、被災者支援講演会を企画・実施するグループ。
界や各界の著名人からの支援の言葉、メッセージを伝えるFM放
派を超えて、会員相互の研鑽と交流とを目的として諸活動を続け
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の寄附により、東北大学に﹁実践宗教学﹂講座を設けたことを受
六 つ 目 は、
︵財︶東北ディアコニアに集約された宗教団体等から
れるよう力を尽くして参ります。
ティ社会構築を進める上でも、一棟でも多くの社殿再建が果たさ
させながら講座の充実を図り、また人々の悲嘆や不安に寄り添う
霊祭、さらに今年三月九日には﹁東日本大震災合同慰霊祭﹂を名
また、各宗派教団に於いて物故者の追悼儀式が執り行われてき
ましたが、特に宮城県宗教法人連絡協議会では昨年、百日合同慰
け、心の相談室に寄附講座運営委員会を設け、学外の意見も反映
﹁臨床宗教師﹂の育成を進めることとなりました。これら心の相
取市閖上の日和山で各宗派代表が参列して御魂の平安を祈りまし
更 に 大 震 災 発 生 よ り 一 年 と な る 今 年 三 月 十 一 日、 神 社 本 庁 主 催
に よ り ま す﹁ 東 日 本 大 震 災 物 故 者 慰 霊 祭 ﹂ が 遺 族 を 始 め 神 社 関 係
談室の活動を実現できたのは、各宗派のご寄付、さらには世界宗
さて、私が所属する宮城県神社庁の対応といたしましては、全
国神社関係者から寄せられた災害支援物資の被災地搬送はもとよ
者多数参列のもと、石巻市の日和山公園で田中恆清神社本庁総長
た。
り、神社本庁が全国神社庁を通じて取り纏められた多額の義捐金
が斎主となり執り行われました。
教者平和会議からの多大なご寄付の賜物であります。
等をもとに、流失・大破した神社跡地に社名を記した標柱を立て
て、当面の間被災者の祈りの場とした祭祀施設﹁御柱﹂の設置。
また、日本財団、日本文化興隆財団の協力のもと、大津波で流
失した宮城県山元町鎮座の八重垣神社で心の故郷鎮守の杜再生の
私が宮司を努める竹駒神社では、震災直後、施設を開放し避難
者の受け入れを始め支援物資の被災地搬送、各地避難所での炊き
さらに仮設住宅に入居された被災家庭に対して伊勢神宮より提供
また、御社殿が壊滅的な被害を受けた五十一社については氏子
からの支援も困難なため、神社の再建を支援するため、神社本庁
出 し は 申 す ま で も な く、 地 元 岩 沼 市 内 の 仮 設 住 宅 で の 生 活 を 余 儀
ための植樹祭がボランティア五百名が参加して執り行われ、引き
からの復興支援金と伊勢神宮から提供される檜木等の間伐材を活
なくされている方々約二百名を招待して、心の安寧と一日も早い
された簡易神棚と神宮大麻の無償頒布を通じ家庭祭祀の復活等の
用 し た 社 殿 再 建 計 画 を 取 り 纏 め、 現 在、 第 一 次 と し て 十 月 か ら
復興を祈念して﹁雅楽の夕べ﹂を昨年九月に開催しましたが、神
続き鎮守の杜流失神社境内で継続して実施する予定であります。
十 一 月 に か け て 六 棟 の 社 殿 再 建 工 事 を 行 う 予 定 で あ り ま す。 こ の
社庁教化部も各仮設住宅で同様の﹁雅楽の夕べ﹂を実施し、被災
災害支援策を講じて参りました。
社 殿 は わ ず か 三 坪 程 度 の 仮 社 殿 で す が、 氏 子 の 人 達 が 心 願 成 就 を
者から好評を博しております。
行う予定で、仮設住宅で孤立がちな人々に、千二百年の伝統ある
援 課 主 催 と い う 形 を 取 り、 竹 駒 神 社 の 雅 楽 会 奉 仕 に よ る 演 奏 会 を
この﹁雅楽の夕べ﹂は、今年は隣接の名取市において来る十月、
仮 設 住 宅 に お 住 ま い の 方 々 を 招 き、 名 取 市 震 災 復 興 部 生 活 再 建 支
始 め さ ま ざ ま な 祈 願 を す る 祭 場 と し て、 更 に 祭 典 や 多 年 に 亘 り 地
元 に 伝 わ る 伝 統 芸 能 等 が 執 り 行 わ れ る こ と に よ り、 再 び 氏 子 の 絆
が深まり、ひいては故郷再生へと繋がる道標になれば、その意義
は大きいものと存じます。
今後も引き続き、第二次申請を受け付け、氏子地域のコミュニ
54
シンポジウム
雅楽、舞楽を通じ心の安らぎを与えることができればと日々稽古
に励んでおります。
この未曾有の大震災により甚大なる被害を受けた故郷を復興す
ることは、決して容易なことではありませんが、私共宗教者は各
宗派教派の教義を超えて互助共生の精神をもって被災者の心に寄
り添い、一歩一歩復興への歩みを進めていく覚悟であります。
結 び に あ た り、 世 界 平 和 達 成 の た め 比 叡 山 で の 宗 教 者 平 和 の 祈
りを通じ、大いなる成果と発展を心からお祈り申し上げます。
︻杉谷 ︼ ありがとうございました。
千葉宮司さんには具体的な救援活動等にも触れていただきまし
た。震災においては物的な支援と同時に心の打撃が大きい人々に
対 し て 心 の 救 済、 そ う い う 二 本 柱 が 救 援 活 動 の 中 心 に な ろ う か と
思います。
そういう救援活動を通じて特にいろいろどういうところに問題
点があったか、どういう点は非常にうまくいったか、物的な支援、
心の支援等について、例えば行政府、政府や地方行政府との連携
がうまくいったり、あるいは非常に難しい問題が出てきたりと、
そのような体験もいろいろあろうかと思います。物心の両面にわ
たる救援の中で具体的にどういう問題があったか。また、どのよ
うに解決していったか。そういうことについてお話をさらに伺え
ればありがたいと思います。
それでは、クワトルッチさん、よろしくお願いします。
︻クワトルッチ ︼ 二つののポイントがあります。
苦悩している被災者を私たちは助けなければいけない。また、
連帯の心を持って物質的な支援をしなければなりません。そのた
め に は 政 治、 あ る い は 市 民 社 会 と 共 に 宗 教 が 加 わ る こ と で 相 乗 効
果が生まれます。
その相乗効果が出せなければ、いろいろな機会が失われます。
ここ十年に過激な自然災害がたくさん起こりました。そういう場
55
合、物質的にもまた精神的にも、被災者を助けなければなりませ
ん。同時に、精神面でのサポートがなければうまくいかないので
す。
被災者の方々にはただちに洋服が必要です。でもそれだけでは
なくて、友情や希望が必要です。それがなければ、誰も生きてい
くことができません。被災者の方々がただ生き残るのではなく、
これからも実際に生きていくために、それらは不可欠のものです。
私たちはお金に過剰な信頼を寄せ過ぎています。お金はそんな
に価値があるものでしょうか。お金がなくても、宗教指導者には
できることがあります。逆にお金だけあっても、精神的なものが
なければうまくはいきません。
一つの集落を人間的なものにすることができれば、世界そのも
のを人間的なものにできるでしょう。
聖エジディオ共同体では、次の集いを九月にサラエボで開きま
す。これは紛争から二十年ということで開くのです。﹁将来のた
めに共に生きる﹂というのがテーマです。その中のパネルの一つ
るか。そんなことをご紹介いただきたいと思います。
︻学誠 ︼ 二〇〇八年には我が国の四川省におきまして大きな地震
がありました。そのときには全日本仏教会をはじめ、各国が心の
こ も っ た 支 援 活 動 を し て く だ さ い ま し て、 誠 に 感 謝 の 気 持 ち で
いっぱいです。
去年の三月十一日に東日本大震災が起きたときには、我が中国
佛教協会としては伝印会長が団を率いて日本国に来ました。その
ときには東京と京都という二つの場所で追悼法要を行いました。
また、中国佛教協会としても募金をいたしました。
大震災、大災害が起これば、いかに支援活動を展開していくか、
またいかに人々を救うかという気持ちは、どんな宗教でも同じで
はないかと思われます。
大震災が起きた場合には、けが人、そして地震で生き埋めになっ
た人々を一刻も早く救い出し、病院まで運ぶことが急務です。ま
被災地の人々の不安や、心の傷を払拭するための努力も必要で
す。特にお年寄りの方、また子供たちには特別な思いやりを寄せ
た、犠牲になられた人々の慰霊を荘厳にすべきでしょう。
共に一緒にやっていくために、人間を再び見つけるために神を探
る必要があります。各宗教は信者に呼びかけ、救援活動を展開す
に﹁人間を見つけるために神を探そう﹂というテーマがあります。
そうというテーマで議論をするんですが、そういう意味で私たち
べきです。
により貢献賞を授与されています。
理的なリハビリもしました。中国政府からは、その時の救援活動
中学校の先生たちに地震についての訓練を行いました。更に、心
た。また北京の学校の先生たちに呼びかけ、被災地域の小学校、
私が住職をしている北京龍泉寺には、北京仁愛基金会がありま
す。四川大地震の時には基金会が十七ヶ所の小学校をつくりまし
宗教指導者には果たせる役割があると思います。
︻ 杉 谷 ︼ 宗教者の果たすべき役割についてお話をいただきまし
た。
続いて、学誠さん、いかがでしょうか。中国においての四川の
大地震について、具体的にどのような救援が佛教協会として行わ
れてきたか。また、どういう点で難しい壁にぶつかったことがあ
56
シンポジウム
宗教指導者は、被災者がより快適に過ごせるようにすべきです。
中 に 生 き る の で は な く、 そ の コ ミ ュ ニ テ ィ に お い て 神 を 信 じ 、 神
宗教の大きな財産は、思いやりの精神、そして慈愛の精神、信
者の人々だと思います。
︻杉谷 ︼ 今、非常に貴重な具体的体験のお話もいただきました。
先 ほ ど ク ワ ト ル ッ チ さ ん の お 話 に も、 希 望 を 与 え な け れ ば い け な
が何らかの形で助けてくれると信じることができれば、生活はよ
トルコの東部で地震があった時に、政府もNGOも地震から復
興するためにいろいろな人が様々なことを行いました。私どもの
い、生きる希望というものが大事である、というお話がありまし
り快適なものになると指導しました。そういう意味で信仰コミュ
ニティという言い方をしたわけです。
団体組織は、地元の指導者と協力をし、被災者が孤立して孤独の
た。
更にユスフ・ユルドゥルム氏からは、いわゆる信仰コミュニティ
を被災地域に確立しなければいけないというようなお話もござい
ました。具体的に、信仰コミュニティというのは、今ある教会と
︻杉谷 ︼ ありがとうございました。
宗教者が勇気、希望を与えていく。これは非常に重要なことで
いうかムスリムの教会の組織とは別に、何かおつくりになるのか。
あろうかと思います。
どういうような意味合いか、もう少し具体的にご説明をいただけ
があった、大震災があった。時がたつと当初の救援、支援の心が
ればと思います。
︻ユルドゥルム ︼ 誰 も が 信 仰 を 持 っ て お り ま す。 イ ス ラ ー ム で あ
れキリスト教であれ仏教であれ、人々は何かを信仰しなければ生
薄 ら い で、 だ ん だ ん 被 災 を 受 け て い な い 人 々 の 心 の 中 か ら 被 災 に
もう一つ、震災被害について、何よりも大きな敵と言ってはお
かしいんですが、そういうものがあるのではないかと思います。
きていけません。そして、それによって感情を共有することがで
苦しんでいる方を忘れていく。これは本当に重要な問題だと思い
︻秦 ︼ 我々が災害の備えとして何ができるのか、社会のために、
国 の た め に、 あ る い は コ ミ ュ ニ テ ィ に 対 し て 何 が で き る の か と い
教えていただきたいと思います。
これを防いでいくにはどうしたらいいか。そういうことについ
てプラティープ・ウンソンタム・秦さん、何かお考えがあったら
ます。
それは何かと申しますと、忘れるということです。そういう事件
きます。
自然災害があった場合には、思いやりを示すことができます。
食 品 や 衣 服 な ど 被 災 地 に 必 要 な も の を 送 る こ と が で き ま す。 し か
し、父や母、夫や妻、あるいは兄弟姉妹を亡くした人に対しては、
それだけがニーズではないわけです。
地元の宗教指導者は、地域社会に対して強い力を持っています。
うことを考えますと、災害に対応できる人々をどのように訓練す
私どもの組織では、精神的ななぐさめを与えることを心がけて
います。これが地元の宗教指導者の役割ではないかと思うのです。
ま た 地 域 社 会 は 宗 教 指 導 者 に 非 常 な 尊 敬 を 寄 せ て い ま す。 地 元 の
57
るかということです。
また、新しい文化をつくり出していく必要もあるでしょう。隣
の人を愛し、慈しみ、思いやるという新しい文化を作り出すこと
です。
例えばタイでは、七年前に津波と洪水がありした。愛する人を
失った、また財産も失ってしまった人々は、心の傷︵トラウマ︶
を抱えています。彼らは何かおしゃべりをする人、友達になれる
人、自分の悲しみを分かち合える人を必要としています。
タイでは仮設住宅がコミュニティになりました。お互いの住宅
が向き合うように建てられたのです。それは仮設住宅に住む人々
が お 隣 の 人 に、﹁ こ ん に ち は、 き ょ う は 体 の 調 子 は ど う?﹂ と い
うことを互いに話しかけられるようにするためでした。心の痛み
をいやす会話ができる、誰かと話を分かち合うことができるため
にそうしたのです。
タイの津波の際には、ボランティアの訓練を行いました。電力、
ガス、水などのライフラインが壊滅した時に、どのように人々に
対応するのか。負傷した人をどうするのか等々を訓練して、被災
地へ送り出しました。
我 々 は 生 き 抜 い て い か な け れ ば い け ま せ ん。 生 活 で 起 こ っ た こ
とを乗り越えて、幸せに過ごしていく、そのために訓練が必要だ
ということです。
︻杉谷 ︼ ありがとうございました。
忘れないということ。災害に対して訓練をする。これは起こっ
てくる災害に対しての訓練であると同時に、災害を忘れない。そ
れが 単に被災者を物的に救援する、けがをした人等を救済するだけ
でなくて、前向きに生きていく、希望を持って生きる、そういう
生き方の訓練も必要であるというようなお話をいただきました。
これで最後になりますけれども、千葉宮司さんにお尋ねします。
被災地の現場におられて、被災地以外の方々の記憶が薄れていく。
大 変 切 な い こ と で あ ろ う か と 思 い ま す け れ ど も、 そ う い う こ と を
防止するというんでしょうか、何か発信をしていかなければなら
ない。そういうようなこともお考えかと思います。
58
シンポジウム
う、そのことでお互いにまた結束が強まっていくのだろうと思っ
我々はとにかく神社の復活と、それから被災された氏子の方々
が復興した神社に集まってコミュニティ社会をお互いに確認し合
︻千葉 ︼ 仮設住宅に入っておられる人たちが今、大変窮屈な生活
をしておられます。そういう人たちのためのコミュニティ社会を
ております。
その中で、東日本大震災において、東北地方における人と人と
のつながりや絆の強さ、そういうものが再認識され、都会の人間
われます。
来ないとか、人と人とのつながりが非常に希薄になっているとい
亡くなっても気がつかないとか、亡くなっても家族が誰も弔いに
に日本において、東京や大都市においては盛んに無縁社会、人が
千葉先生のお話もある意味では信仰コミュニティ、先ほどのユ
ルドゥルムさんがおっしゃったことにも相通じますけれども、特
︻杉谷︼ ありがとうございました。
つくるということが、今一番大事だと思っています。
今、家を流された方々がたくさんいらっしゃいますけれども、
神社界ではそういった方々に家庭での祈りの場を提供するために
神棚、それからお伊勢さんの御神符を無償で提供しております。
日々家庭の中で祈りをささげるということを復活させていくべ
く、取り組んでいます。
神社界だけで申しますと、宮城県の場合は六七〇社くらい被害
がございまして、そのうち完全に流されたり壊れたのが五十一社
あるのです。ですから我々としては、それをまず復興することが
勢さんからいろんなご支援をいただいて、今再建をしている最中
が改めて人と絆が大切だということを思い出し、知らされたとい
宗教者としての使命だと思っております。幸い、神社本庁やお伊
です。やはり被災者にとっては祈りの場を早く復活してあげると
うようなお話を聞きます。
ムを閉じさせていただきます。
ちょうど佳境になってきたところで時間が来てしまいました。
以上で﹁被災者に宗教者は如何に向き合ってきたか﹂シンポジウ
ろうかと思います。
した。そして、それこそが宗教者の原点であり、活動の源泉であ
その根本にあるのは、今ご紹介いただきました、人を謙虚にし、
さらに希望と勇気をいただける祈りである。そういうお話も出ま
いうことが大事でしょう。崇敬者のお話を承っておりますと、やっ
ぱり信仰を持っている人は立ち直りが早いのです。自分が神様を
信 じ て 祈 り を さ さ げ て お 誓 い を す る。 そ の お 誓 い が 信 仰 の 力 と
なって復活に多いに役立っています。
石巻にも冷凍設備が全部流されてだめになった会社があります
けれども、そこの信者さんもやはり私どものお宮に来てお祈りを
ささげ、勇気をいただきましたということで素早く復活していま
す。
そういう意味では、他人を頼るだけじゃなく、自分もみずから ご協力大変ありがとうございました。︵拍手︶
努力をして、神様のご加護を信じて頑張っていくということが、
私は一番大事だと思っております。
59
シリアにおける平和へのロードマップ
最 初に火の手が上がったのはヨルダンとの国 境 近くにあるダラでし
た。次にその火はシリア中心部の各都市を不安定化し、その後、沿
マー・グレゴリオス・イブラヒム
岸都市へと飛び火しました。 重大な暴力行為は最初、ハマで発生し
シリア正教アレッポ大主教
豊かな歴史と文化を誇り、複数の異なる信条の人たちが健全に
暮らし、共存の模範として世界に知られている国であった祖国シリア
ました。ハマでは一九八〇年代にも暴動が起き、絶望的な不安定化
を招いたことがありました。この不安定化はまもなくシリアの中心で
態に陥っています。 事の始まりは平和的な抗議活動でした。それが
徐々に拡大して、
幾重にも重なった暴力闘争へと発展していきました。
ある古都ホムス︵エメサ︶へと波及しました。ホムスでは特定の人物
続く耐えかねるほどの腐敗にこれまで控えめだった民衆は怒り、最
うした状況にシリア市民は深く憂慮することとなりました。 根深く
て、シリアの多くの省庁を蝕んでいきました。 当然のことながら、こ
られ、野放しにされた不正行為は広範な腐敗を招き、徐々に広がっ
シリアの一部の高 官による容 認できない不 正 行 為が始まったのは
一九八〇 年 代のことです。そうした不 正 行 為は長 年にわたって続け
ンと化し、住民を失った多くの地区は荒れ果て、廃墟となりました。
み慣れた土地を離れざるをえなくなりました。ホムスはゴーストタウ
教的な扇動と強制退去によりホムスで平和に暮らしていた住民は住
はホムスの人口の基本構造と古代からの共存を崩壊させました。 宗
備への放火が日常茶飯事となりました。こうした暴力行為や大混乱
給は十分ではありません。
療や人道援助を早急かつ切実に必要としているにもかかわらず、供
拝堂が荒廃しました。 何千という人たちが家を失い、その多くは医
これらの地区では七つもの歴史あるキリスト教会を含め、多くの礼
イエメンへと瞬く間に波及していきました。シリア国民はこうした変
革の波がもたらす成果を簡単に考えていました。﹁アラブの春﹂はシ
リア社会の腐敗や厄災を一掃し、ひいては民衆の抗議デモを不要にす
る有効な手段となり得ると考えていました。
抗議運動によりシリアの社会は異常事態に陥りました。以下に述
べるような背筋が寒くなるような数多くのシナリオが様々な政治論
合ったアレッポの地も攻撃を受けました。
れるようになり、ドミノ効 果のようにチュニジア、エジプト、リビア、
七月二〇日以 降はシリアの他の都 市でも 暴 力 行 為が始まりまし
た。シリアの住民が将来どうなるのかを心配して私たちが日夜話し
と考えました。 変革のうねりが生じ、これは﹁アラブの春﹂ と呼ば
発端は一部の治安部隊が下した専横な決定に対する反発でした。
シリア市民は、これらの治安部隊の考え方と行動を新たな弾圧の波
終的に抗議活動に発展しました。
を狙った殺人、暗殺、誘拐、襲撃、略奪、政府建物や公益事業設
大多数の無防備な国民は大きな打撃を受けています。
が二〇一
一年三月 中 旬以降から現 在に至るまで、前 例のない混 乱 状
緊急報告
60
緊急報告
ところです。しかし、全てのシリア国 民は祖 国としてのシリアの統一
宗派、教義を豊かに調和させることです。シリア国民は信仰と選択
議の場で率直に議論され始めました。
内戦
一
宗教、民族、文化、言語が異なっていても調和を維持していた一つ
の国の国 民がそれぞれに自らが大 切にする宗 教や文 化に忠 誠を尽
における自由の枠を広げて、尊厳を取り戻し、公民権の概念を確
を維持したいということでは意見が一致しているのです。また、民衆
くすことにより宗派間や派閥間といった次元で内戦。これまで国民
立したいと考えています。社会的正義、法の支配、市民社会、統一、
これまでの殉難者の数は三万人を超えています。 誰ひとりとして安
シリアのさらなる流血を食い止めるための解決策はあるのでしょう
か。シリアでは二〇一二年七月十八日の大虐殺による犠牲者を含め、
態を蔓延させようとする人たちに抵抗していこうと考えています。
成している絆を蝕み、国家統一の概念を打ち壊す無秩序や無政府状
共存を求めています。シリア国民の誰もが協力し合って、国家を形
の普遍的な共通のビジョンは自由を拡大し、多元的な文化、宗教、
はシリアと呼ばれる一つの国土で何世代にもわたって生きてきました。
二
国連による制裁
国連の指揮の下で課せられる国際的制裁は、現政権よりも国民
のほうに多くの痛手を与えます。
三
軍事介入
国連安全保障理事会の下での軍事介入は混乱と混迷を終焉させ
る試みですが、
今日のシリアでは混乱や混迷はさらに広がっています。
全を保障されていないし、悪化する一方の暴力から逃れることはでき
リスト教徒、イスラーム教徒、アラブ人、クルド人で構成され、かつ
議運動の根本的原因に対処でき、法の役割を有効にし、不安な状
解決策はあるのでしょうか。筋が通っていて、妥当で、効果的で、抗
この社会的な危機はシリアの内部における努力に外部からの協力
が加われば解 決できるでしょうか。 全ての党 派が互いに容 認できる
ません。
ては多 様な一つの社 会のなかで共 存し、資 源を共 有し、国の発 展と
況を緩和し、治安と安全と安定性をもたらす解決策はあるのでしょ
四
国家の崩壊
シリアという国家を多くの小さな組織体に分断することによって
国家の存立を脅かす悪夢のようなシナリオです。シリアの社会はキ
繁栄のために努力していました。それが宗教、民族、文化、言語の
うか。
違いによって区分けされようとしています。
この大混乱はシリア国民がそれぞれの宗派や民族に対する忠誠心
に基づいて考え、認識し、洞察した結果であることは誰もが認める
これまでのところ、シリアに平和と安定性を取り戻すための最も
重 要な努 力はコフィ・アナン氏による国 際 的イニシアチブだけです。
しかしながら、この努力は功を奏していると言えるほどの効果は未だ
あげていません。アナン氏のイニシアチブでは以下のことを実施する
必要があります。
第一に、シリアで交戦中の党派間の永続的な停戦を実現させ、治
安を回復し、シリア国民の日常を正常化することです。
第二に、特に国際的な援助組織や機関による援助が現在届いてい
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ない地域に、必要とされている人道援助を円滑かつ速やかに浸透
させることができるようにしなければなりません。 赤十字や赤新
月社は、切実に必要とされている人道援助と救済を必要としてい
る全ての人と全ての地域に提供できるようにしなければなりませ
ん。人道的なニーズは膨大な範囲に及びます。
第三に、国内の別の地域に強制的に移住させられたか、あるい
は国外に強制退去させられた全ての市民が故郷に帰ることができ
るようにすることです。
第四に、交戦している党派を交渉のテーブルに着かせなければ
なりません。こうした交渉にはあらゆる領域のシリア国民を巻き
込んでいくべきです。シリア内外にいる反対派の代表も参加させる
べきです。かかる交 渉の主な目 的は、シリアの社 会を抑 圧してい
えば、分裂している軍を再編成して統合を回復するなど。
四 過去の過ちを二度と繰り返さないようにするためにシリアの
治安部隊の行動規範を確立する。
五 あらゆることのなかで最も重要なこととして、全ての市民間
に信頼と互いに対する尊敬の念を回復させる。
国家会議はシリア国内ならびに国外にいる反対派を含め、全て
の党派を受け入れる国家統一政府を実現する責任があります。
この政府の最重要タスクは以下であるべきです。
新しい国会のために自由で公正な選挙が行なわれるようにす
一
る。
個人、政党、宗教団体の覇権の概念を排除し、多くのアラ
二
ブ諸国で模範となるような近代的で恒久的な憲法を策定するた
する国家会議の実現を願っています。こうした会議が実現すれば、
や民族で構成されるシリアのあらゆる領域の代表が本国で一堂に会
交渉が成功して、シリアが平和と安定を取り戻すための新しい
方程式ができればと願っています。モザイク画のように多数の宗派
としての新しい大統領を新憲法により選挙で選ぶことができるよ
シリアの利益を守り、シリアを安全で安定し安心できる状
四
態に、そして平和で民主主義的な状態に戻すことができる指導者
新生シリアの政治への参加を規制するため、政党に関する
三
法律を新たに定める。
めの専門委員会を設立する。
シリアは次の段階に進むことができるでしょう。うまくいけば、こ
うに準備する。
る悪の手からシリアを自由にすることです。
のような国 家レベルの重 要な調 停イニシアチブにより、シリアで交
戦中の党派間に和議がもたらされるでしょう。
最後に誠実で高潔な全てのシリア国民から世界各地の平和を愛
する人たち、特に比叡山のこの集いにご参会の皆様にお願いがあ
ります。シリアの流血を食い止めるためにご助力ください。シリア
とシリア国民に平和と繁栄と尊厳と安らぎをもたらすために力を
こうした国家会議は次のような優先事項を実現する役割を担
うべきです。
一 全ての市民の平等な権利を保証するための憲法原則を策定
する。
二〇一二年八月三日
京都にて
貸してください。
シリアの今後の国内政策ならびに対外政策を策定する。
二
三 危機的状況がもたらした望ましくない結果に対処する。例
62
フォーラム
8月4日
︵ 土 ︶ 時 分∼
国立京都国際会館
9
30
時 分
63
原発事故が提起した
エネルギー問題と宗教者の立場
テーマ
11
30
M
U
R
O
F
フォーラム
(英国国教会ウーリッジ教区主教・カンタベリー大主教特使)
イギリス
ウィリアム・
F・ベンドレー氏
(世界宗教者平和会議国際委員会事務総長)
アメリカ
ディーン・シャムスディーン氏
(インドネシアイスラーム最高評議会副議長)
インドネシア
パロップ・タイアリー氏
原発事故が提起した
エネルギー問題と宗教者の立場
FORUM
◎パネリスト
マイケル・イプグレイブ師
(世界仏教徒連盟事務総長)
タイ
イヴォ・フーバー師
(バイエルン福音ルーテル教会エキュメニカル部門担当者)
ドイツ
山崎龍明師
(武蔵野大学教授・浄土真宗本願寺派法善寺住職)
日本
(京都新聞総合研究所特別理事)
◎司会=黒住宗道師
(実行委員会会議部長)
︵文中敬称略︶
◎コーディネーター=吉澤健吉氏
64
フォーラム
FORUM
本 日 の テ ー マ は﹁ 原 発 事 故 が 提 起 し た エ ネ ル ギ ー 問 題 と 宗 教
者 の 立 場 ﹂ で す。 こ れ は 宗 教 者 と し て 避 け て は 通 れ な い 非 常 に
︻ 黒 住 ︼ ただいまよりフォーラムを始めさせていただきたいと
思います。
ういう役割を担わなければいけないかというフォーラムは非常
宗 教 指 導 者 が 集 ま っ て 原 発 事 故 に つ い て ど う 考 え、 宗 教 者 が ど
ス な 問 題 で、 日 本 で も 今、 国 論 を 二 分 す る 大 き な テ ー マ に な っ
カンタベリー大主教特使
マイケル・イプグレイブ師
英国国教会ウーリッジ教区主教
三重の責務を
果たすために
いと思います。
まず最初に、イギリス国教会ウーリッジ教区の主教様でいらっ
し ゃ い ま す マ イ ケ ル・ イ プ グ レ イ ブ 様 か ら ご 発 言 を い た だ き た
その後またディスカッションをしていただきたいと思います。
ル で お 話 を お 聞 き し た い と 思 い ま す。 最 初 に お 話 を い た だ き、
き ょ う は 世 界 各 国 の 宗 教 指 導 者 に お 集 ま り い た だ い て﹁ 原 発
事故が提起したエネルギー問題と宗教者の立場﹂というタイト
に珍しいものです。
ております。経済界や政治家のフォーラムではよくありますが、
取 り 上 げ る の も 初 め て で す。 特 に 原 子 力 問 題 と い う の は ナ ー バ
重要なテーマだと思います。パネリストの皆様方のご発言をしっ
か り お 聞 き い た だ い て、 皆 様 ご 自 身 の こ の
問題に対するお考えにいかしていただき
ますようにお願いいたします。
本日のコーディネーターは京都新聞
総合研究所特別理事の吉澤健吉様で
す。 そ れ で は 吉 澤 様、 よ ろ し く お 願 い
します。
︻ 吉 澤 ︼ 日本は福島の原子力発電所の事故から一年と五ヶ月が
た ち ま し た。 非 常 に 悲 惨 な 事 故 が 起 き て 世 界 を 震 撼 さ せ、 そ し
て日本でもこれまで我々が安全だと思ってきた原子力発電とい
う も の が、 果 た し て こ れ で よ か っ た の か と い う 大 き な 疑 問 を 突
きつけられました。きのうの梅原先生のご講
確かにそのとおりだと思います。
比叡山宗教サミットでこうした問題を
栄 に 思 っ て お り ま す。 今 日 の 私 の 話 は 次 の 三 点 に 集 約 さ れ る か
ご紹介にあずかりましたマイケル・イプグレイブです。今日、
い﹂というようなお話がありましたが、
こ の よ う な 場 所 で 皆 さ ん に お 話 し す る 機 会 を い た だ き、 大 変 光
もっと真剣に取り組まなければいけな
ればいけない、再生可能エネルギーに
う の は も う 一 回、 反 省 し て 見 直 さ な け
演 に﹁ 日 本 が と っ て き た 原 子 力 政 策 と い
65
と思います。
ま ず、 昨 年 の 東 日 本 大 震 災 と 津 波、 及 び、 そ の 後 の 福 島 第 一
原子力発電所の危機に際して人々がとった反応についてお話し
し ま す。 次 に、 こ の よ う な 状 況 で 求 め ら れ て い る 宗 教 指 導 者 と
は ど の よ う な も の な の か を 明 ら か に し た い と 思 い ま す。 そ の 前
に、 ま ず 最 初 に、 そ の よ う な リ ー ダ ー シ ッ プ が 発 揮 さ れ る 礎 と
て い る 島 も あ る ﹂ と。 芭 蕉 は、 人 々 を 育 み、 守 る 家 と し て の 環
境を人間の言葉として語っています。
人 々 は こ の 自 然 災 害 と エ ネ ル ギ ー 危 機 に 対 し て、 ど の よ う な
反応をしてきたのでしょうか。
私 は、 三 つ の こ と が 考 え ら れ る と 思 い ま す。 そ れ は、 苦 し み
の 体 験、 振 り 返 り の 動 き、 居 場 所 を 失 っ た と き の 根 底 に あ る 感
れ ま せ ん が、 イ エ ス・ キ リ ス ト の 教 え の な か に は、 平 和 と 正 義
た ち が 生 き て い る 世 界 に お い て は、 ま だ 実 現 し て い な い か も し
私 た ち が 目 指 す べ き ゴ ー ル で す。 そ の よ う な 理 想 の 地 は 現 在 私
このような世界像は、私たちの前途にある理想的な舞台であり、
生 き 方 を す る こ と に よ っ て 繁 栄 し て き て い る の か も し れ ま せ ん。
ま す。 そ の よ う な 場 所 で、 私 た ち は 創 造 の 摂 理 を 敬 う 分 別 あ る
私 は、 キ リ ス ト 教 徒 と し て、 世 界 は 全 て の 人 々 を 育 み、 安 心
して住める家として神様によって創造されたことを信じており
た 起 き る か も し れ な い 災 害 が も た ら す、 か な り の 精 神 的 な 苦 痛
ら さ れ て い ま せ ん。 さ ら に、 私 た ち は、 今 回 の 災 害 や、 将 来 ま
体 に ど の よ う な 影 響 が 出 る の か、 今 ま で の と こ ろ 私 た ち に は 知
る 人 た ち も い ま す。 大 量 の 放 射 能 を 被 爆 す る こ と で 私 た ち の 身
っ た も の の、 原 発 事 故 に よ っ て、 避 難 生 活 を 余 儀 な く さ れ て い
を 受 け た 人 た ち が い ま す。 ま た、 住 居 の 被 害 は 直 接 的 に は な か
ま す。 津 波 に よ っ て、 こ れ ま で 住 ん で い た 場 所 が 壊 滅 的 な 被 害
第 一 点 目 の 苦 し み の 体 験 に つ い て で す が、 人 々 は 今 回 の 災 害
後、 ひ ど く 苦 し ん で き ま し た し、 現 在 も そ の 苦 し み は 続 い て い
情です。
と 調 和 の 神 の 御 国 が 訪 れ る と い う 確 か な 誓 約 が あ り ま す。 全 て
や 心 の 痛 み も 考 え な け れ ば な り ま せ ん。 今 回 の 災 害 は、 自 然 災
なる世界とはどのようなものなのかを手短にお話しします。
の人々はその御国の世界で真の我が家に暮らせることになるの
さ ら に 大 き く な っ て い ま す。 こ の よ う な 凄 ま じ い 状 況 下 に お か
害 と 人 的 災 害 が 結 び つ い た 恐 ろ し い も の で し た。 こ の よ う な 苦
私はキリスト教的な言葉づかいをしてきましたが、全ての人々
が 安 全 に 暮 ら す た め の 家 と し て の 世 界 観 は、 他 の 宗 教 に も 当 て
れ て い る ご く 普 通 の 日 本 人 の 勇 気、 尊 厳 そ れ に 団 結 力 は 世 界 中
です。
は ま り ま す。 東 北 地 方 の 津 波 に よ る 被 害 の 中 心 地 で あ る 松 島 湾
の人々に深く感銘を与えてきました。
第 二 に、 今 回 の 災 害 の 重 大 性 と そ の 原 因 を 省 み る 動 き が 次 第
に 大 き く な っ て き て い ま す。 こ れ は 、 心 に 大 き な 傷 を 残 す 出 来
痛 は、 将 来 が 見 え な い こ と や 専 門 的 な 知 識 が な い こ と な ど で、
を 見 て、 私 は 俳 人 松 尾 芭 蕉 が 描 写 し た 言 葉 を 思 い 出 し ま す。 芭
く さ ん の 島 々 が あ る。 ⋮⋮ ま る で 親 が 子 や 孫 を 抱 い て 可 愛 が っ
事 に 対 し て 自 然 に わ き 起 こ る 反 応 で あ り、 そ れ ぞ れ の ケ ー ス に
蕉 は、
﹁ 奥 の 細 道 ﹂ で 次 の よ う に 綴 っ て い ま す。﹁ 松 島 湾 に は た
て い る よ う に、 小 島 を 背 負 っ て い る 島 も あ り、 小 島 を 前 に 抱 い
66
フォーラム
FORUM
と、 西 欧 の 神 学 や 哲 学 で は、
﹁ 神 様 は ど の よ う な お 考 え に よ り、
よ っ て 異 な っ た 形 と し て 現 れ ま す。 純 粋 な 自 然 災 害 が 発 生 す る
ています。
広い意味ではエネルギー利用の問題を考えるきっかけともなっ
このような自然災害の発生をお許しになられたのでしょうか?﹂
子 力 そ の も の を 廃 止 す べ き か、 エ ネ ル ギ ー の 消 費 レ ベ ル を ど う
社 側 の 不 十 分 な 対 応 や、 原 子 力 発 電 所 を ど こ に 設 置 す る か、 原
返 り の プ ロ セ ス は、 抗 議 や 疑 い の 様 相 を 帯 び て き て い ま す。 会
し か し、 今 回 の 場 合 は、 自 然 災 害 と 人 為 的 災 害 の 区 別 を つ け
る こ と は そ れ ほ ど 容 易 な こ と で は あ り ま せ ん。 そ の た め、 振 り
こ の イ エ ス の﹁ 三 重 の 職 務 ﹂ は、 福 島 で 起 こ っ て い る 甚 大 な 被
ては、この世界が神の御国に作り変えられることを示されます。
預 言 者 と し て は、 社 会 に 真 理 を 述 べ 伝 え ま す。 そ し て、 王 と し
聖職者として、イエスは、悩み苦しむ人々に手を差し伸べます。
言者、聖職者、そして王の﹁三重の職務﹂として説明しています。
こ う い っ た 様 々 な 反 応 の な か で、 宗 教 指 導 者 の 役 割 は、 ど の
よ う な も の な の で し ょ う か。 キ リ ス ト 教 の 指 導 者 は、 イ エ ス・
す る か、 と い っ た よ う な こ と に 疑 問 を 投 げ か け る よ う に な り ま
害に真剣に取り組もうとする全ての宗教指導者に大きな意味を
という問いを投げかけます。
し た。 福 島 第 一 原 子 力 発 電 所 事 故 が 起 こ っ た こ と で、 こ れ ら の
持つと思います。
キ リ ス ト を 手 本 と し て い ま す。 伝 承 的 に は、 イ エ ス の 御 業 を 預
疑 問 が 湧 い て き ま し た が、 こ の よ う な こ と は 日 本 に 限 っ た こ と
育 ん で く れ る よ う な 場 所、 安 心 感 を 与 え て く れ る よ う な 場 所、
は 感 じ ら れ な く な っ て き て い ま す。 私 た ち を 喜 ん で 受 け 入 れ、
も は や、 環 境 を、 心 か ら﹁ わ が 家 ﹂ と 呼 ぶ こ と が で き る も の と
松 尾 芭 蕉 の 詩 的 な 描 写 と は 対 照 的 に、 被 害 に 遭 っ た 人 た ち は、
苦 痛 と 不 安 の 体 験 や 疑 い と 抗 議 の 動 き の 根 底 に は、 居 場 所 を
失ったときに心の奥底で感じる思いがあると私は思っています。
し み は ま す ま す 大 き く な っ て い ま す。 そ の よ う な 人 々 を 助 け、
緊 急 の 課 題 と な っ て き て い る 現 在、 社 会 の 末 端 に い る 人 々 の 苦
お 年 寄 り や、 少 数 グ ル ー プ の 人 達 な ど で す。 エ ネ ル ギ ー 問 題 が
とです。社会の弱者とは、例えば、精神的な問題を抱えている方、
気 づ け る こ と、 ま た、 社 会 の 弱 者 に 対 し て 特 別 の 愛 情 を も つ こ
ら れ た 方 々 に 対 し て お 祈 り を す る こ と、 不 安 を 抱 え る 人 々 を 元
ではありません。
と は 感 じ ら れ な く な っ て い る の で す。 こ れ ま で 暮 ら し て き た 住
慰 め る こ と は 我 々 の 仕 事 で す。 我 々 宗 教 団 体 が 果 た す 役 割 は、
聖 職 者 と し て 課 さ れ た 職 務 は、 苦 し ん で い る 人 達 に 手 を 差 し
伸 べ る こ と、 家 を 失 っ た 人 々 に 住 ま い を 提 供 す る こ と、 亡 く な
ま い と 人 々 を 結 び つ け る は ず の﹁ 絆 ﹂ を 断 絶 さ せ た の は、 人 間
昨年の大災害に際して宗教団体が中心となって対応したたくさ
次に、預言者としての職務は、自然界における人間の﹁持ち場﹂
と い う も の を 我 々 の 社 会 に 思 い 起 こ さ せ る こ と で す。 そ し て、
んの事例で、はっきりと示されています。
の行いによるものではないかと感じています。
こ う い っ た﹁ 居 場 所 ﹂ を 失 っ た と き に 感 じ る 強 い 思 い は、 洋
の 東 西 を 問 わ ず、 今、 私 た ち の 文 化 の な か で 増 大 し て い ま す。
そのような思いは、原子力について疑問を投げかけると同時に、
67
国 の エ ネ ル ギ ー 政 策 を 問 い 掛 け る こ と も 必 要 で す。 こ う い っ た
問 題 は、 場 所 が 異 な れ ば、 問 題 も 異 な っ て く る で し ょ う。 日 本
の 原 子 力 の 問 題 は、 イ ギ リ ス の 問 題 と は 異 な り ま す。 し か し、
全 て の ど の 状 況 に お い て も、 普 段 何 気 な く 想 定 し て い る こ と、
期 待 し て い る こ と、 そ し て 普 段 の 生 き 方 に 対 し て 疑 問 を 投 げ か
け る 必 要 が あ り ま す。 そ う い っ た 問 い か け は、 社 会 や 我 々 自 身
に と っ て、 あ ま り 好 ま し く な い、 厳 し い も の で あ る か も し れ ま
原発事故のリスク許容は
宗教的道徳的に許されない
世界宗教者平和会議国際委員会事務総長
ウィリアム・ ・ベンドレー氏
指導者として、希望の姿を示すのが我々の役目です。世界とは、
危 機 に 直 面 し、 人 々 は、 居 場 所 を 失 っ た と 感 じ て い ま す。 宗 教
の 源 が あ り ま す。 自 然 災 害 や 人 的 災 害 に 慄 き、 ま た エ ネ ル ギ ー
希 望 で す。 ど の よ う な 宗 教 に お い て も、 宗 教 に は 共 有 す る 希 望
最 後 に、 王 と し て の 職 務 に つ い て 話 し ま す と、 王 国 つ ま り 御
国 の 来 訪 の 誓 約 と い う の は、 キ リ ス ト 教 徒 に と っ て、 未 来 へ の
た こ の 女 性 た ち に、 私 は、 ど う い う わ け か 教 え ら れ、 慰 め ら れ
決 し て 忘 れ る こ と は な い で し ょ う。 耐 え が た い 苦 し み の 中 に い
に 座 っ て い た 多 く の 女 性 に 出 会 い ま し た。 そ の 痛 ま し い 姿 を、
や 子 供 の 写 真 を 膝 に 乗 せ、 目 の 前 で 大 変 静 か に、 そ し て 控 え め
で 壊 滅 し た 町 を 訪 問 し た と き の こ と で す。 私 は、 行 方 不 明 の 夫
は じ め に、 日 本 の 方 々 に 対 す る 追 悼 の 意 を 皆 様 と 共 有 し た い
と 思 い ま す。 三 月 十 一 日 の 東 日 本 大 震 災 の 直 後 に、 地 震 と 津 波
せんが、必要なことです。
我 々 を 育 み、 常 に 守 っ て く だ さ る、 本 当 の 意 味 で の﹁ 家 ﹂ な の
第 一 に、 宗 教 指 導 者 は、 エ ネ ル ギ ー 問 題 の 精 神 的・ 道 徳 的 局
るのは、ほんの幾つか意見を述べることだけなのです。
す べ き な の で し ょ う。 こ れ は 大 き な テ ー マ で す の で、 私 に で き
私 に 割 り 当 て ら れ た テ ー マ は、 福 島 原 発 事 故 の 観 点 か ら 見 た
エ ネ ル ギ ー 問 題 で す。 こ の 点 に 関 し て、 宗 教 指 導 者 た ち は 何 を
の言葉を受け入れてください。
で す か ら、 親 愛 な る 日 本 の 皆 様、 ど う か 私 の 純 粋 な 称 賛 と 尊 敬
の 精 神 を、 驚 き の ま な ざ し で 見 つ め、 誇 り に さ え 思 い ま し た。
れ な い 苦 し み を 見 守 っ た だ け で な く、 並 は ず れ て 高 潔 な 日 本 人
た の で す。 実 際、 全 世 界 が、 悲 し み に 満 ち た 目 で、 こ の 計 り 知
︻吉澤 ︼ イプグレイブ先生、どうもありがとうございました。
そ れ で は 引 き 続 き、 今 度 は 世 界 宗 教 者 平 和 会 議 国 際 委 員 会 事
務総長のベンドレーさんからお願いいたします。
ご清聴ありがとうございました。
ですから。
F
68
フォーラム
FORUM
究 す る 必 要 が あ り ま す。 そ れ で も、 専 門 的 な 理 解 だ け で は 不 十
慣 習 を う ま く か み 合 せ る に は、 専 門 的 な 問 題 を 細 部 に 渡 っ て 研
う な 慣 習 は 非 常 に 貴 重 な も の で す。 エ ネ ル ギ ー 問 題 と 私 た ち の
精 神 的・ 道 徳 的 な 信 頼 性 を 培 っ て き た 歴 史 が あ り ま す。 こ の よ
こ と に よ り、 私 た ち は こ の 重 要 な 課 題 に お い て 力 を 合 わ せ、 メ
を 果 た す こ と が で き る の で す。 さ ら に、 複 数 の 宗 教 が 協 力 す る
す。 そ こ か ら、 あ ら ゆ る 宗 教 教 団 が、 信 徒 と と も に 重 要 な 役 割
啓 蒙 す る と い う さ ら な る 課 題 で あ る、 と い う こ と が 挙 げ ら れ ま
第 二 に、 エ ネ ル ギ ー 問 題 に 関 す る 精 神 的・ 道 徳 的 な 局 面 を 明
確 に す る と い う 課 題 の 上 に 構 築 さ れ る の は、 よ り 多 く の 人 々 を
面 に 焦 点 を 絞 る こ と が で き ま す。 私 た ち の 慣 習 に は そ れ ぞ れ、
分 で す。 私 た ち は、 専 門 家 と し て の 役 割 を 果 た す だ け で な く、
ディアを関与させることができるのです。
ることも重要なのです。
用する上で何をすべきかということを謙虚に問うことから始め
ま せ ん 。 関 係 者 だ け で な く、 私 た ち 一 人 一 人 が エ ネ ル ギ ー を 利
重 要 な こ と は、 精 神 的・ 道 徳 的 な 啓 蒙 と は、 単 に、 政 府 や 企
業などの他者が何をすべきかということに留まるものではあり
精 神 的・ 道 徳 的 な 人 間 と し て 行 動 す る こ と が 求 め ら れ ま す。 し
か し、 エ ネ ル ギ ー に 関 し て 賢 明 に 行 動 す る と は ど う い う こ と な
のでしょう。精神的・道徳的な私たちの遺産の力を借りなければ、
そのような行動はできそうにありません。
で は、 エ ネ ル ギ ー・ 経 済 専 門 家 と 宗 教 指 導 者 の 共 同 委 員 会 を
構 成 す る の が 賢 明 で し ょ う か。 そ れ は、 現 在 入 手 可 能 な 最 高 の
第 三 に、 共 通 の 利 害 を も つ 競 合 団 体 を 一 つ に す る と い う 現 実
的 な 課 題 が あ り ま す。 こ れ ら の 団 体 の 中 に は、 独 自 の 狭 い 利 害
技 術 デ ー タ が あ れ ば う ま く 行 く か も し れ ま せ ん し、 本 物 の 精 神
的・ 道 徳 的 な 言 葉 の 中 に あ る 選 択 肢 を 投 げ 掛 け る 可 能 性 も あ り
を 有 す る も の、 充 分 の 資 金 を 有 す る も の、 政 治 権 力 に か な り の
こ れ ほ ど 多 様 な 団 体 に と っ て﹁ 公 平 な 土 俵 ﹂ と な る 公 開 討 論 の
ま す。 そ う な れ ば お そ ら く、 私 た ち 全 員 の 助 け に な る か も し れ
最 も 基 本 的 な 言 い 方 を す れ ば、 皆 に と っ て、 現 在 の エ ネ ル ギ
ー 抽 出 法 が、 人 間 を は じ め と す る 生 命 の 営 み に お い て 生 じ る 自
場 を、 誰 が 提 供 で き る と い う の で し ょ う。 お そ ら く 宗 教 指 導 者
コ ネ を 持 つ も の な ど が 存 在 し ま す。 こ れ ら の 特 別 な 利 益 団 体 と
然 の プ ロ セ ス そ の も の を、 ど の よ う に 損 な い、 徐 々 に 蝕 ん で い
な ら、 少 な く と も こ の ニ ー ズ に 応 え る 一 翼 は 担 え る の で は な い
ません。
る の か を 問 う 必 要 が あ る の で す。 原 子 力 を 利 用 す る 社 会 は、 こ
でしょうか。
か を 自 問 し な け れ ば な り ま せ ん。 ま た、 原 発 事 故 以 上 に、 最 大
党 が 国 民 の 利 益 よ り も 自 分 た ち の 生 き 残 り を 優 先 し た 時 に は、
し か し、 正 直 に 申 し ま す と、 充 分 な 資 金 の あ る 利 益 団 体 が、
近 視 眼 的 な 目 的 を 達 成 し た 時 に は、 ひ ど い 落 胆 を 感 じ ま す。 政
市 民 団 体 の 間 の 利 害 の 衝 突 を、 私 た ち は 度 々 経 験 し て い ま す。
れ ま で 起 き て い る、 そ し て こ れ か ら も 継 続 的 に 起 き る で あ ろ う
百万年に渡って未来の世代が管理しなければならない有毒廃棄
深 い 失 望 を 感 じ ま す。 そ こ で、 と り わ け、 私 た ち の 宗 教 的 遺 産
原 発 事 故 の リ ス ク を 許 容 す る こ と が、 道 徳 的 に 許 さ れ る か ど う
物を発生させることが許容できるのでしょうか。
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か ら 力 を 引 き 出 す 必 要 が あ る の で す。 で は、 比 叡 山 の 歴 史 に と
っ て 特 に 重 要 な 宗 教 的 遺 産 で あ り、 大 い に 勇 気 づ け ら れ る 例 を
引 用 し て、 締 め く く り た い と 思 い ま す。 そ れ は 法 華 経 薬 草 喩 品
)
)
)
第 五 の 引 用 で、 永 遠 の 過 去 か ら 永 遠 の 未 来 に 至 る ま で 降 り 注 ぐ
ブッダの慈悲の心を語ったものです。
去来坐立 )
Going or coming, sitting or standing,(
終に疲厭せず )
I never get weary or downhearted.(
)
世間に充足すること )
I have nourished the whole world,(
雨の普く潤すが如し
Like the rain that enriches everywhere.(
)
貴賎上下 )
Eminent and humble, high and low,(
持戒毀戒
Precept-keepers and precept-breakers,(
威儀具足せる )
Those of great character(
及び具足せざる
And those who are imperfect,(
正見邪見
Those of correct views and those of wrong views,(
利根鈍根 )
Quick witted and dully witted,(
等しく法雨を雨らして
I have the Dharma rain equally on all,(
懈倦なし )
Without sparing or neglecting any.(
︻吉澤 ︼ ベンドレーさん、ありがとうございました。
次は、インドネシアのシャムスディーンさんにお願いします。
持続可能な安全技術の
開発を奨励すべき
インドネシアイスラーム最高評議会副議長
ディーン・シャムスディーン氏
現在世界はエネルギー危機という重大な問題を抱えています。
石 油、 ガ ス、 石 炭 等 が 再 生 不 能 で あ る た め、 人 類 は エ ネ ル ギ ー
不 足 に 直 面 し て い ま す。 科 学 技 術 が 進 歩 し、 人 類 は エ ネ ル ギ ー
を 大 い に 必 要 と し て い ま す。 原 子 力 は 電 気 へ の 高 い 需 要 を 満 た
す た め の 代 替 エ ネ ル ギ ー と し て 使 わ れ て き ま し た。 他 の エ ネ ル
ギ ー や 技 術 全 般 と 同 様 に、 原 子 力 に も 常 に プ ラ ス と マ イ ナ ス の
両 面 が 存 在 し ま す。 ま さ に こ の 人 類 の 文 明 化 に よ る 問 題 を 克 服
す る こ と が 我 々 の 課 題 で あ り、 そ れ に よ り プ ラ ス 面 で マ イ ナ ス
面 を 克 服 す る こ と が で き ま す。 こ の 点 に お い て、 宗 教 の 果 た す
べき役割は何でしょうか?
エネルギーの安全保障と人類
エ ネ ル ギ ー は、 発 展 と 日 々 の 生 活 の 燃 料 で あ り、 エ ネ ル ギ ー
無くしてはいかなる活動も何一つ存在しえません。
人類の進歩により高まるエネルギー需要を満たさなければな
り ま せ ん 。 エ ネ ル ギ ー 需 要 は 加 速 度 的 に 増 加 し て い ま す。 国 際
70
フォーラム
FORUM
均で三・五%成長し、エネルギー事業と移動性への一層高い需要
す る と し て い ま す。 世 界 の 人 口 は 十 七 億 人 増 加 し、 経 済 は 年 平
的 に 増 え、 二 〇 一 〇 年 か ら 二 〇 三 五 年 ま で の 間 に 約 三 十% 増 加
あるにも関わらず、
﹁新政策シナリオ﹂はエネルギー需要が飛躍
二 〇 一 一 ﹂ に よ れ ば、 短 期 的 な 経 済 的 成 長 の 見 通 し が 不 確 実 で
エ ネ ル ギ ー 機 関︵ I E A ︶ が 出 し た﹁ 世 界 エ ネ ル ギ ー 展 望
家的集団が核やその他の放射性物質を危害を加えるため悪用す
核 そ の も の の 問 題 や 危 険 性 に 関 係 し て い ま す。 二 つ 目 は、 非 国
電 所 の 活 動 が 放 射 性 物 質 の 放 出 に 繋 が る 問 題 で す。 そ れ は 主 に
全 性 と は、 予 期 せ ぬ 状 況 や 事 態 に よ り 認 可 さ れ て い る 原 子 力 発
原 子 力 に つ い て は、 核 の 安 全 性 と 核 の 安 全 保 障 と い う 二 つ の
根 本 的 な 問 題 が 未 解 決 の ま ま に な っ て い ま す。 一 つ 目 の 核 の 安
もないまま無防備な状態にさらすことになったと述べています。
考えなければなりません。
環 境 面 に お い て も、 現 代 の 技 術 を 持 っ て し て も 使 用 済 み 核 燃
料 の 貯 蔵 は 非 常 に 危 険 を 伴 い ま す。 未 来 の 世 代 へ の 核 の 影 響 を
害が起きる危険にさらされているのです。
す な わ ち、 核 の 安 全 と 安 全 保 障 の リ ス ク は 非 常 に 高 く、 最 も
安 全 で 核 技 術 の 経 験 が 高 い と 信 じ ら れ て い る 国 で さ え も、 核 災
主に、物質や施設への外的脅威に関係しています。
る こ と を 見 据 え た、 国 際 的 な 核 の 安 全 保 障 の 問 題 で す。 こ れ は
が生まれると仮定しています 。
こ の 高 い エ ネ ル ギ ー 需 要 を 満 た す た め に、 エ ネ ル ギ ー を 最 大
限 に 開 発 す る こ と に 科 学 技 術 の 重 点 が 置 か れ て き ま し た。 再 生
不 能 エ ネ ル ギ ー の 枯 渇 と 再 生 可 能 エ ネ ル ギ ー の 開 発 に よ り、 代
替 の﹁ ク リ ー ン で 環 境 に 優 し い 持 続 可 能 な エ ネ ル ギ ー﹂ を 探 し
出す科学的取り組みが進められてきました。
福島における災害後の原子力の危険性への懸念
持続可能な代替エネルギー源として見られてきた原子力です
が、原子力については賛否両論の議論があります。
チェルノブイリや最近では福島での事故などが起きましたが、 宗教指導者の役割は?
本来これらは未然に防ぐことが可能だったかもしれません。
所 の 物 理 的 構 造 は こ の 災 害 に 耐 え ら れ る 十 分 な 強 度 が な く、 業
こ の 報 告 書 の 中 で、 建 設 か ら 非 常 事 態 の 対 応 に 至 る ま で、 発 電
と結論づけることができるかもしれない﹂と述べられています。
告書︶では、福島の原子力発電所で起きた悲劇は、﹁人為的災害
二 〇 一 二 年 七 月 二 十 三 日 に 発 表 さ れ た 最 新 の 報 告︵ 東 京 電 力
福 島 原 子 力 発 電 所 に お け る 事 故 調 査・ 検 証 委 員 会 に よ る 最 終 報
お い て 神 の 代 理 人 に な る こ と で す。 そ れ は 人 類 は 倫 理 的 か つ 道
イ ス ラ ー ム 教 の 観 点 か ら、 人 間 の 最 も 重 要 な 使 命 は こ の 地 上 に
ーを豊かで、平和で、意義深い人生へと動かす必要があります。
く 責 任 が あ り ま す。 宗 教 的 教 義 と 説 教 に よ り 宗 教 コ ミ ュ ニ テ ィ
れぞれのコミュニティーがこうした価値観を実感できるよう導
人 生 を よ り よ く 送 れ る の か も し れ ま せ ん。 宗 教 指 導 者 に は、 そ
宗 教 に は 精 神 的、 道 徳 的、 そ し て 倫 理 的 な 力 が あ り ま す。 こ
う し た 力 を 通 し、 信 仰 を 持 つ 人 は、 豊 か で、 平 和 で、 意 義 深 い
界 は こ の 状 況 に 対 応 し て お ら ず、 そ の 結 果 一 般 市 民 を 何 の 準 備
71
徳 的 な 文 明 を 復 活 さ せ、 発 展 さ せ る た め の 活 動 に 従 事 し な け れ
ruf wa
ば な ら な い と い う こ と で す。 決 し て 破 壊 し た り、 有 害 と な る も
al-amr bi al-ma
のを作り出すための活動ではないのです。
原子力問題に関して、宗教指導者は
︵良いものを発展させ、悪いものは防ぐ︶
al-nahy an al-munkar
と い う イ ス ラ ー ム 教 の 教 理 を 取 り 上 げ て も よ い か も し れ ま せ ん。
そ う す る こ と で、 宗 教 指 導 者 は 原 子 力 が 人 類 の 生 活 に 恩 恵 を も
た ら す 限 り は 支 持 し、 も し 人 類 の 生 活 を 脅 か す 場 合 は そ れ を 防
ぐのです。
そ の た め、 人 類 は 現 実 か ら 目 を 背 け て は な ら な い の で す。 原
子 力 発 電 所 の 発 展 を 含 む 科 学 技 術 上 の 難 題 で さ え も、 善 処 す べ
き な の で す。 原 子 力 の 開 発 は そ れ 自 体 の 安 全 と 人 類 の 生 活 の 安
全 を 保 証 す る も の で な け れ ば な り ま せ ん。 宗 教 指 導 者 は 安 全 な
技 術 の 開 発 と 意 義 あ る 持 続 可 能 な 開 発 を 奨 励 す べ き で す。 そ し
て 再 生 可 能 で 持 続 可 能、 か つ 環 境 に や さ し い エ ネ ル ギ ー 源 へ の
いしたいと思います。ではタイアリーさん、お願いいたします。
母なる自然と調和し
核に対して
﹁ノー﹂
と言う
世界仏教徒連盟事務総長
パロップ・タイアリー氏
無 数 の 痛 ま し い 自 然 災 害 や 人 工 災 害 を 目 の 当 た り に し、 私 た
ちは、
﹁唯一無二の地球をより居住に適した慈愛深い場所にする﹂
という信念のために、ここに集まっています。
振 り 返 っ て み れ ば、 自 然 災 害 お よ び、 宗 教 対 立、 領 土 紛 争、
テ ロ リ ズ ム、 犯 罪、 生 態 学 上 の 問 題 等 の 人 工 災 害 な ど、 そ の 一
す る こ と を 認 識 す る の は そ れ ほ ど 難 し く な い で し ょ う。 私 た ち
投資を支持するべきです。
よ っ て 宗 教 指 導 者 は、 グ リ ー ン エ ネ ル ギ ー を 用 い て 環 境 を 守
ろ う と い う こ と を 訴 え る 活 動 を 始 め る べ き で す。 す な わ ち 地 球
が 暮 ら す こ の 世 界 が 非 常 に 悪 い 状 態 で あ る の は 明 ら か で す。 世
部 を 挙 げ る だ け で も 数 多 く あ る 問 題 が、 影 の よ う に 身 近 に 存 在
は 次 世 代 の も の で あ り、 我 々 は 地 球 を 彼 ら か ら 借 り て い る だ け
界は、平和と調和をひどく必要としているのです。
私たちは、調和して暮らせていないだけではなく、無謀にも、
世 界 の 自 然 の 調 和 を 完 全 に 乱 し て い ま す。 飽 く こ と を 知 ら な い
な の だ か ら そ れ を 守 っ て い か な け れ ば な ら な い。 だ か ら こ そ 安
心で安全な原子力技術を開発すべきだ、ということです。
自 分 た ち の 要 求 や 渇 望 を 満 た す た め に、 自 然 を 征 服 し、 そ の 天
の資源を破壊し、平和へと続く道のりを進む代わりに、皮肉にも、
然 資 源 を 搾 取 し よ う と し て、 私 た ち 自 身 の 存 在 を 支 え る 正 に そ
︻吉澤︼ シャムスディーンさん、ありがとうございました。
続 き ま し て 今 度 は、 世 界 の 仏 教 徒 を 代 表 い た し ま し て、 世 界
仏 教 徒 連 盟 事 務 総 長、 タ イ の パ ロ ッ プ・ タ イ ア リ ー さ ん に お 願
72
フォーラム
FORUM
わち、平和への道から遠ざかっているのです。
意 図 的 に そ の 真 逆 の こ と を 行 っ て い る よ う に 思 わ れ ま す。 す な
に な り ま す。 合 理 的 な 理 由 や 知 恵 に 訴 え る べ き 時 に、 衝 動 的 に
私 た ち は、 古 代 の 野 蛮 人 と そ れ ほ ど 変 わ ら な い 存 在 と い う こ と
の で し ょ う。 自 然 災 害 に 対 応 す る だ け で も 大 変 な こ と だ と い う
れ に 暮 ら し て い る と い う こ と を、 ど れ ほ ど の 人 が わ か っ て い る
ほ ど 証 明 さ れ て い ま す。 実 際、 私 た ち が こ の 脆 弱 な 地 球 の は ず
の 技 術 的 勝 利 が 招 い た 結 果 が、 福 島 原 発 事 故 に よ っ て 嫌 と い う
し、 そ の 後、 多 く の 原 発 事 故 が 起 き て い ま す。 最 近 で は、 人 類
ど な く し て、 チ ェ ル ノ ブ イ リ 原 子 力 発 電 所 事 故 を 目 の あ た り に
さ を 満 た す た め の 最 も 良 い 解 決 法 で あ る と 考 え て い ま し た。 ほ
し た。 数 十 年 前 に は、 原 子 力 発 電 が、 人 間 の 無 限 の 需 要 や 貪 欲
発電に原子炉を利用するという技術的勝利に祝杯をあげていま
深 刻 な 危 機 に 晒 さ れ て い ま す。 こ れ ら の 無 節 操 な 人 間 の 行 動 の
です。人類の肉体的および精神的な健康と動物の生存の両方が、
染 し、 大 気 を 汚 染 し、 成 層 圏 の 一 部 に 被 害 を も た ら し て い る の
化 学 薬 品 で 自 分 た ち の 井 戸 や 小 川、 河 川、 海 辺、 海 洋 な ど を 汚
生 物 の 種 を 絶 滅 に 追 い 込 み、 豊 か な 熱 帯 雨 林 を 激 減 さ せ、 毒 性
ほ ど 極 端 に 自 然 を 搾 取 す る た め に、 科 学 技 術 を 利 用 し、 多 く の
の 進 歩 と い う 名 に お い て、 母 な る 自 然 に 恐 ろ し い 被 害 を 与 え る
ぼ 全 て の 側 面 で、 結 果 的 に 極 端 論 者 に な っ て い る の で す。 人 類
の は、 宗 教 の 世 界 に 限 っ た こ と で は あ り ま せ ん。 日 常 生 活 の ほ
混沌とし、予測不能で、ひどく混乱したこの私たちの世界では、
物 事 は 常 に 極 端 な 方 向 に 進 ん で き ま し た。 人 が 極 端 論 者 に な る
行動してしまうのです。
の に、 そ の 破 壊 力 を 増 し て い る 人 工 災 害 の 原 因 を 作 る こ と を、
全 て が、 生 活 の 質 を 向 上 さ せ る た め の 人 類 の 進 歩 と い う 名 に お
私 た ち は 常 に、 自 分 た ち の 発 明 を 誇 り に 思 っ て き ま し た。 そ
してそれ故、わずか六十年ほど前には、発展という名において、
私たちが止めることはないのです。
的 な 側 面 を 発 達 さ せ る た め に 科 学 技 術 を 活 用 し て は い て も、 自
処 す る 方 法 は、 充 分 に 学 ん で は い な い の で す。 日 常 生 活 の 物 質
は 学 ん で き ま し た が、 自 ら の 行 動 や 思 考 に 潜 む 邪 悪 な 本 質 に 対
る す べ を 学 ん で 来 な か っ た の で す。 自 然 の 危 機 に 対 応 す る す べ
服 す る の に 執 拗 な 努 力 を 行 う こ と で 手 い っ ぱ い で、 自 ら を 抑 え
き て い な い と い う こ と な の で す。 過 去 数 世 紀 に 渡 り、 自 然 を 征
ー 源 を 求 め ま し ょ う。 そ う す れ ば、 私 た ち は 真 の 平 和 を 手 に す
核 に 対 し て﹁ ノ ー﹂ と 言 い ま し ょ う。 そ し て 革 新 的 な エ ネ ル ギ
それに加えて重要なのは、母なる自然と調和することなのです。
隣人と和解し、そして世界中の人々と和を結びましょう。そして、
と が で き る よ う、 真 理 の 光 を 灯 し ま し ょ う 。 自 分 自 身 と 和 し 、
い る の で す。 平 和 や 自 然 の 調 和 へ と 続 く 道 を は っ き り と 見 る こ
私 た ち は、 科 学 技 術 に お け る 功 績 に つ い て は 充 分 過 ぎ る ほ ど
進 歩 し て い ま す が、 平 和 の 構 築 に つ い て は、 あ ま り に も 遅 れ て
いて行われているのです。
分 自 身 の 内 面 の 発 達 に は 注 意 を 払 っ て い な い の で す。 し た が っ
るでしょう。それは正に本当の平和なのです。
一 体 私 た ち は ど う し て し ま っ た の で し ょ う。 そ の 答 え は、 私
た ち が ま だ、 自 分 自 身 を 真 に 抑 制、 あ る い は 支 配 す る こ と が で
て、 言 い 争 い、 憎 み、 略 奪 し、 戦 い、 殺 す こ と さ え し て し ま う
73
三 宝 の 祝 福 に よ り、 全 人 類 が 導 か れ、 守 ら れ る よ う 願 っ て お
ります。
代 が 自 分 の 父 親 の 罪 を 背 負 う こ と に な る の か を 言 及 す る の は、
この半減期の観点からほとんど不可能に近いのです。
福 島 の 大 惨 事 後、 私 た ち の 教 会 は 繰 り 返 し、 人 間 の 有 限 性 と
責 任 の ほ ぼ 無 限 性 の 間 に あ る 矛 盾 を 指 摘 し て き ま し た。 こ の 責
任 の 無 限 性 は、 原 発 事 故 の 場 合 に 限 っ て 言 え る の み な ら ず、 そ
放 射 性 廃 棄 物 で あ る プ ル ト ニ ウ ム に も あ り ま す。 ド イ ツ で は 実
︻ 吉 澤 ︼ タ イ ア リ ー さ ん の 力 強 い ご 発 言、 あ り が と う ご ざ い ま
した。
次 に、 ド イ ツ・ バ イ エ ル ン 福 音 ル ー テ ル 教 会 エ キ ュ メ ニ カ ル
部 門 担 当 者 の イ ヴ ォ・ フ ー バ ー 先 生 に お 願 い し ま す。 ド イ ツ は
際 の と こ ろ 相 当 の 時 間、 こ の よ う な 寿 命 の 長 い 高 レ ベ ル 放 射 性
れ こ そ 通 常 の 原 子 炉 の 運 転 で 発 生 す る、 半 減 期 の 長 い 高 レ ベ ル
脱 原 発 に 関 し て は 世 界 の 先 端 を 行 く 国 で す の で、 い い お 話 を 聞
廃 棄 物 の 最 終 処 分 場 に つ い て、 そ し て ま た 私 た ち の 後 に 続 く 百
ち を 犯 す 人 間 で あ り、 あ り 続 け る │ さ れ ば 私 た ち は、 そ う い っ
を 犯 し た ﹂ と い う 言 葉 が 適 用 さ れ ま す。 私 た ち は 限 界 あ る、 過
ど ん な ハ イ レ ベ ル な 技 術 を も っ て し て も、 あ ら ゆ る 知 識 と 良
識 を も っ て し て も、 マ ル テ ィ ン・ ル タ ー の﹁ す べ て の 人 は、 罪
いう疑問について議論しています。
の か が 認 識 で き る よ う に、 ど の よ う に 標 識 を つ け て お く の か と
世 代 目 で あ っ て も、 こ の よ う な 廃 棄 物 が ど れ ほ ど 危 険 な 物 質 な
けると思います。よろしくお願いいたします。
核物質半減期の責任を
何世代にも負わせることは
でき ない
バイエルン福音ルーテル教会
た 限 界 の な い 責 任 を 負 う こ と が で き る の で し ょ う か。 教 会 の 代
表者は、福島の大惨事の後、この問いを何度も繰り返しました。
は 限 界 が 見 え ま せ ん。 原 子 炉 に お け る 核 反 応 で 核 物 質 が 放 出 さ
界 あ る 人 間 が コ ン ト ロ ー ル を 失 っ た 時、 引 き 起 こ さ れ る 結 果 に
福 島 の 大 惨 事 は、 原 子 炉 の 事 故 が ど の よ う な 壊 滅 的 な 結 果 を
も た ら す の か 世 界 に 知 ら し め ま し た。 自 然 の 脅 威 の 中 で は、 限
と 効 率 よ く エ ネ ル ギ ー を 使 う こ と が で き る か、 ど の エ ネ ル ギ ー
だ と い う 点 を、 繰 り 返 し 指 摘 す る こ と に あ り ま す。 ど こ で も っ
フスタイルを批判的に再考する心構えがあってこそ成功するの
係 者 の 役 割 は、 再 生 エ ネ ル ギ ー 源 に よ る 供 給 は、 私 た ち の ラ イ
エキュメニカル部門担当者
イヴォ・フーバー師
れ、 そ の 一 部 の 半 減 期 は 一 万 年 を 超 え ま す。 聖 書 の 中 で は 世 代
が 本 当 に 必 要 な の か、 ど こ で よ り 少 な く、 あ る い は、 ど こ が 充
高 位 の 教 会 の 代 表 は、 ド イ ツ と ヨ ー ロ ッ パ に お け る エ ネ ル ギ
ー の 移 行 に つ い て の 議 論 に も 厳 し く 参 与 し て い ま す が、 教 会 関
で 物 事 を 考 え る こ と は 常 で す が、 ひ と つ の 原 発 事 故 の 後、 何 世
74
フォーラム
FORUM
分 か、 あ る い は も っ と 必 要 か?
エネルギーの移行における教
会 の 役 割 は ま た、 厳 し く 建 設 的 に、 言 う な ら ば 預 言 的 な 導 き に
意 を 伝 え て く だ さ り、 私 た ち は 本 当 に ど れ 程 嬉 し か っ た こ と で
しょう。
あ る 日 本 人 の 学 生 が 住 ん で い ま す。 福 島 の 事 故 の 少 し 前、 こ の
き く、 特 に 模 範 的 な 自 ら の ラ イ フ ス タ イ ル で 裏 付 け さ れ な け れ
す こ と を、 こ の 地 球 上 の 人 間 に 呼 び か け る こ と。 こ の 声 は、 大
あります。
大切なことは二点だと私は考えます。
希 望 の 兆 し で 結 び た い と 思 い ま す。 私 が 住 ん で い る 街、 ミ ュ 第 一 に、 教 会 の 預 言 的 声 で、 生 活 を 変 え、 重 い 腰 を 上 げ て、
ンヘンでは学生のための教会の寮があります。この寮に数年来、
私たちの手にゆだねられた神の創造物に対する責任をまず果た
学生はもう何年も帰っていなかった日本へ初めて帰省しました。
ばなりません。
第 二 に、 大 惨 事 の 暗 闇 の 中 で 勇 気 を 失 わ ず、 新 し い 出 発 の た
め の 希 望 の 光 を 灯 す た め に、 苦 難 の 時 の 中 で 精 神 的 な つ な が り
事 故 の 二 日 前 に 日 本 へ 帰 っ て 行 っ た の で す。 他 の 学 生 ら が こ の
と 思 い ま す。 突 然 遠 い 福 島 の 災 害 が、 個 人 的 な 次 元 の も の に な
を 持 つ こ と。 こ の つ な が り は、 切 れ る こ と な く す べ て の 善 意 あ
事 故 を 耳 に し た 時、 ど れ ほ ど 心 配 し た か 容 易 に 想 像 で き る こ と
っ た の で す。 彼 は 無 事 だ ろ う か? 混 乱 に 巻 き 込 ま れ て し ま っ て
に 移 す こ と は 難 し く、 持 続 力 を 必 要 と し、 そ し て、 神 の 創 造 物
る人々を包み込まなければなりません。なぜなら私たち人間が、
日本から無事の知らせがあった時は、本当にほっとしました。
し か し、 ミ ュ ン ヘ ン の 学 生 た ち は も っ と 何 か し た い と 考 え ま し
と 私 た ち 人 間 の 環 境 の 中 で、 平 和 を 大 切 に す る 世 界 を 望 む 力 を
いないだろうか?まだ生きているのだろうか?
た。 あ っ と い う 間 に 国 際 的 な 祈 祷 会 が 構 成 さ れ ま し た。 何 週 間
もって支えなければならないからです。
ゃいます。
そ れ で は 山 崎 先 生 に お 願 い し ま す。 山 崎 先 生 は 武 蔵 野 大 学 の
教 授 で、 浄 土 真 宗 本 願 寺 派︵ 西 本 願 寺 ︶ の ご 住 職 で も い ら っ し
ことに感謝したいと思います。
︻ 吉 澤 ︼ イ ヴ ォ・ フ ー バ ー さ ん、 あ り が と う ご ざ い ま す。 特 に
ミュンヘンの日本人の学生について心配して祈っていただいた
そ の 大 部 分 を 自 ら 引 き 起 こ し た 大 惨 事 か ら 学 べ た 教 訓 は、 実 行
に も わ た り 毎 晩、 寮 の 学 生 た ち は 礼 拝 に 集 ま り、 祈 り、 そ し て
情 報 を 交 換 し、 こ の 寮 に 以 前 住 ん で い た 世 界 中 の 多 く の 卒 業 生
た ち が、 こ の 祈 祷 会 に 参 加 し ま し た。 す べ て の 参 加 者 た ち の 間
に 強 い 絆 が 生 ま れ、 信 じ ら れ な い 大 惨 事 の 前 に、 も う ま っ た く
力なく立っているだけでなく、一緒にそれに立ち向かっていく、
苦 し み の 中 で 一 緒 に 強 く な り、 そ し て 新 し い 力 を 得 よ う と す る
気 持 ち で 結 ば れ ま し た。 そ れ は 多 く の 参 加 者 た ち に と っ て、 ほ
とんど奇跡に近いものでした。
数 週 間 前 こ の 寮 で は、 日 本 か ら 夏 祭 り に い ら し た 方 々 を お 迎
え し ま し た が、 こ の 力 強 い サ ポ ー ト に 対 し て 日 本 か ら の 感 謝 の
75
原発は反いのち
武蔵野大学教授
浄土真宗本願寺派法善寺住職
山崎龍明師
大 地 震、 津 波 は 文 字 通 り 天 災 で す。 し か し、 原 子 力 発 電 所 の
事故は、明らかに人災といわなければならない性質のものです。
世 界 で 起 こ る 地 震 の 一 割 が 日 本 列 島 で 起 こ る と い わ れ、 四 つ の
プレート上にある日本列島に、五十四基もの原発を作ったのは、
い っ た い 何 の た め な の で し ょ う か。 安 定 的 な 電 力 供 給 と い う 名
に 隠 れ た﹁ 金 儲 け ﹂ と 考 え る の は、 あ ま り に も 恣 意 的 と い わ れ
るでしょうか。
原 発 は エ ネ ル ギ ー 問 題 で あ る 前 に、 経 済 の 問 題 で あ っ た、 と
いうことです。﹁最も安全でクリーンな、二十一世紀のエネルギ
こ の 大 震 災 に 対 し て﹁ 天 罰 ﹂ 論 を 展 開 し た 人 も い ま し た。 思
い あ が っ た、 傲 慢 な 人 間 に 対 す る 鉄 槌 で あ る と い う わ け で す。
明らかになりました。超多額な金銭をばらまいて人心を分断し、
を ふ り ま き ま し た。 し か し、 そ れ が 悉 く 誤 り で あ っ た こ と が、
ー﹂が、原発設置のキャッチフレーズでした。この言葉のもとに、
しかし私はこの考えに与するものでは有りません。﹁天罰﹂など
地 域 振 興 の た め の 原 発 ど こ ろ か、 地 域 社 会 を 根 底 か ら 崩 壊 さ せ
二 〇 一 一 年 三 月 十 一 日 の 東 日 本 大 震 災 は ど の よ う な 言 葉 を
も っ て も 尽 く せ な い 大 惨 事 で し た。 大 自 然 の 猛 威 の 前 で、 な す
で は な く、 天 災 と 呼 ば れ る べ き も の だ と 私 は 考 え ま す。 悲 し い
た の が 原 発 で し た。 こ の ま ま で は 原 発 立 地 県 の こ ど も に 未 来 は
企業︵電力会社︶、政府、官僚、学者、メディア、司法、そして
か な、 さ ま ざ ま な 縁 の 和 合 に よ っ て 起 こ っ た、 災 害 と 見 る の が
あ り ま せ ん。 炉 の 寿 命 が 尽 き て 廃 炉 と な り、 や が て 廃 村 と な る
術を知らない人間の無力さをあらためて痛感いたしました。
正 し い 認 識 で は な い で し ょ う か。 そ こ か ら 災 害 を の り 越 え る 智
こ と は 火 を 見 る よ り も 明 ら か で す。 わ た し た ち お と な は、 そ の
ア メ リ カ の 国 策 等 が 一 体 と な っ て お よ そ 五 十 年 間﹁ 安 全 神 話 ﹂
慧と力が与えられ、道が開かれる筈です。
の 間 に 動 く こ と の な き ま こ と の 道 理 で あ り、 こ れ は 永 久 に 変 わ
そ れ 故、 う つ り 変 わ り、 つ ね に と ど ま ら ぬ と い う こ と は、 天 地
に よ っ て 生 じ、 縁 に よ っ て 滅 び る の は 永 遠 不 変 の 規 則 で あ る。
人々、仏教者に強い違和感を否定することができませんでした。
をまき散らす危険なものにボサツの名をつけて得々としている
た と き 深 い 怒 り と 悲 し み を 覚 え ま し た。 電 力 供 給 と 共 に 放 射 能
私 事 で 恐 縮 で す が、 私 は か っ て 高 速 増 殖 炉 に、 仏 教 の 説 く 智
慧 と 慈 悲 の 象 徴 で あ る 文 珠 ボ サ ツ、 普 賢 ボ サ ツ の な ま え を つ け
ことに手を貸し続けてきたのです。
らぬ﹂
︵
﹃華厳経﹄
︶とあります。私の人生の中で大切な言葉とな
重 ね て 申 し ま す。 原 発 は エ ネ ル ギ ー の 問 題 と い う よ り も﹁ お 金
経 典 に﹁ 花 は 咲 く 縁 が 集 ま っ て 咲 き、 葉 は 散 る 縁 が 集 ま っ て
散る。ひとり咲きひとり散るのではない﹂﹁すべてのものが、縁
っています。
76
フォーラム
FORUM
儲 け ﹂ の 道 具、 高 度 経 済 成 長 を 支 え る た め の 基 幹 産 業 で あ っ た
疑問を呈されていることは共通していると思います。
序 を 乱 す よ う な エ ネ ル ギ ー が 果 た し て よ い の か と い う こ と に、
対して変更を行うというニュースが世界中に流れました。
新エネルギーの問題にも触れていただきたいと思うのですが、
福 島 の 原 発 事 故 が あ っ て、 そ の 後、 各 国 が い ろ い ろ 原 発 政 策 に
の で す。 私 は 世 界 の 公 害 病 と い わ れ た 水 俣 病 と 原 発 は、 そ の 根
底 に お い て 共 通 し て い る と い う 知 見 を 持 っ て い ま す。 石 油 資 源
の 二 百 万 倍 の 効 力 と い う 言 葉 の も と に、 使 用 済 み 燃 料 の 問 題 も
考 え ず、 次 々 と 増 設 さ れ 列 島 中 が、 い や、 世 界 中 が 放 射 能 の 危
険 に さ ら さ れ て い ま す。 今、 世 界 は 原 発 設 置 に 向 け て 動 い て い
タ ニ ヤ フ 首 相 も、 イ ス ラ エ ル に お け る 原 子 力 発 電 所 の 建 設 計 画
オ ー ス ト ラ リ ア は ち ょ う ど ギ ラ ー ド 首 相 が﹁ 労 働 党 と し て は
原 発 を 不 要 と 考 え て い る。 オ ー ス ト ラ リ ア に 原 子 力 産 業 を つ く
お よ そ 五 十 年 間、 日 本 は エ ネ ル ギ ー 問 題 を 放 置 し、 企 業 利 益
の た め﹁ い の ち ﹂ よ り も お 金 を 優 先 し て 原 発 設 置 を 進 め て き ま
の 中 止 を 発 表 さ れ ま し た。 イ タ リ ア も こ の 全 て の 再 開 の 計 画 を
ます。このままでは人類の未来はありません。
し た。 そ の 愚 は 厳 し く 問 わ れ な け れ ば な り ま せ ん。 そ し て 責 任
事 実 上 無 期 限 凍 結 と い う 発 表 を さ れ て い ま す。 そ し て ス イ ス も
盛り込んだ脱原発の国策を決定されました。
が二十二年までに国内全十七基の原発を停止するということを
二 〇 三 四 年 ま で の 脱 原 発 政 策 を 決 定 さ れ ま し た。 そ し て ド イ ツ
る 考 え は な い ﹂ と い う ふ う に 明 言 さ れ ま し た。 イ ス ラ エ ル の ネ
の所在も明確にしなければなりません。
私 た ち 宗 教 者 は こ の 悲 惨 な 事 実 を 正 し く 洞 察 し、 信 仰 課 題 と
し て 担 っ て い か な く て は な り ま せ ん。 世 界 中 が 脱 原 発 社 会 へ 向
かって歩みを共にする日のくることを強く念じます。
日 本 も 原 発 の 直 後 に、 菅 総 理 が 脱 原 発 社 会 を 目 指 す と い う こ
と を お っ し ゃ ら れ た ん で す が、 そ の 後 、 政 権 が か わ っ て 野 田 総
機 再 開、 二 号 機 再 開、 関 西 電 力 は 今 度 は 高 浜 原 発 も 再 開 し た い
理 に な ら れ て か ら は ち ょ っ と 趣 が 変 わ り、 当 然 産 業 界 と か い ろ
き ょ う の フ ォ ー ラ ム は﹁ 原 発 事 故 が 提 起 し た エ ネ ル ギ ー 問 題
と 宗 教 者 の 立 場 ﹂ と い う テ ー マ で す。 ち な み に 昨 日 は、 自 然 災
と い う こ と を 言 い 出 し て、 非 常 に 日 本 国 内 も 大 き く 揺 れ て い る
︻ 吉 澤 ︼ 山 崎 先 生、 あ り が と う ご ざ い ま す。 原 発 当 事 国 の 宗 教
者としての力強い発言に感謝したいと思います。
害 に 対 し て、 起 き た と き に 宗 教 者 が ど う 寄 り 添 っ て い く の か と
わけでございます。
し ゃ っ て い る ん で す け れ ど も、 難 し い の は 送 電 網 の 整 備 と か、
発電を再生可能エネルギーの中心に据えたいということをおっ
ド イ ツ の 場 合 は 大 体、 再 生 可 能 エ ネ ル ギ ー を 二 〇 五 〇 年 ま で
に 八 〇 % に し た い と い う こ と を お っ し ゃ っ て い ま す。 特 に 風 力
ん な ご 意 見 が あ っ た わ け で す け れ ど も、 福 井 県 の 大 飯 原 発 一 号
い う の を テ ー マ に 話 し 合 い を い た し ま し た。 今 日 は、 こ の 原 発
事 故、 そ れ か ら 新 エ ネ ル ギ ー、 こ れ か ら の エ ネ ル ギ ー を 一 体 ど
うすればよいのかがテーマになっております。
今 六 人 の 先 生 方 の お 話 を お 聞 き し ま す と、 基 本 的 な ト ー ン と
し て は、 各 宗 教 そ れ ぞ れ 言 葉 が 違 い ま す け れ ど も、 大 自 然 の 秩
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太 陽 光 発 電 を ど れ だ け や っ て も 三% し か 伸 び な い と か、 い ろ ん
た の で す。 脱 原 発 で す。 二 〇 二 〇 年 ま で に は 廃 止 し よ う と し ま
特に社会民主党政府のときに原発をやめようということになっ
戻るわけにはいきません。
今、 ど の よ う に し て エ ネ ル ギ ー を 削 減 し て い く の か デ ィ ス カ
ッ シ ョ ン が 行 わ れ て い ま す。 も ち ろ ん も う 石 炭 を 燃 や す こ と に
たのです。
そして二〇二二年までに全ての原子力発電はやめようと決まっ
と一致したのです。十一基ある老朽化した原発は廃炉にしよう、
で も﹁ フ ク シ マ ﹂ が 起 こ っ て 全 て が ま た 変 わ り ま し た。 フ ク
シマの後、多くのドイツ人は﹁もう脱原発だ。それしか道はない﹂
二〇七〇年までいいのではないかと言い始めたんです。
し た。 け れ ど も 政 権 交 代 が あ り 保 守 政 権 に な る と、 脱 原 発 は
な課題があるということをお聞きしております。
そ こ で、 ぜ ひ と も フ ー バ ー 先 生 に ド イ ツ の 宗 教 者 の 代 表、 指
導 者 と し て、 こ う い う 今 の ド イ ツ の 脱 原 発 政 策、 そ し て こ れ か
ら の 新 エ ネ ル ギ ー の 課 題、 新 エ ネ ル ギ ー に つ い て ど う い う お 考
え な の か お 聞 き し た い と 思 い ま す。 フ ー バ ー 先 生、 よ ろ し く お
願いします。
︻ フ ー バ ー ︼ 私はドイツで原子力エネルギーに対するデモが多
発していた頃に大人になっていきました。私が学生だった頃は、
原 発 を め ぐ る デ モ が あ り、 議 論 も す ご か っ た ん で す。 原 発 に 関
し て は 本 当 に 長 い 間 デ ィ ス カ ッ シ ョ ン が 行 わ れ ま し た。 私 た ち
の 教 会 の 意 見 も 割 れ、 国 民 の 意 見 も 二 分 さ れ た の で す。 余 り に
ルギーであり、世界にとって大きな有望なエネルギー源である﹂
﹁これは社会のためによいことをしているんだ。
原発賛成派は、
世界のためによいことをしているんだ﹂
﹁これはクリーンなエネ
つ く っ て、 沿 岸 地 域 か ら 工 業 地 帯 に 電 力 を 運 ん で く る こ と が で
う か。 沿 岸 地 域 に 風 力 発 電 を 設 け た ら ど う だ ろ う か。 送 電 網 を
る だ け の も の は ま だ 発 電 で き て い ま せ ん。 風 力 発 電 は ど う だ ろ
し か し、 私 た ち は 必 要 な エ ネ ル ギ ー を 生 産 す る こ と が で き る
の で し ょ う か。 議 論 が ず っ と 続 い て い ま す。 私 も 自 分 の 家 は 太
と、 そ う 言 い ま す。 キ リ ス ト 教 の 人 た ち も そ う か と 考 え て、 こ
き る の か。 そ の 中 で、 み ん な が 少 し ず つ 自 分 た ち な り に 何 か し
も激しい議論が社会のあらゆるところで行われていました。
の 原 発 を 好 ん だ 人 も い る ん で す。 別 に 悪 意 が あ っ た わ け で は あ
な け れ ば い け な い と 思 っ て い ま す。 ラ イ フ ス タ イ ル を 変 え て い
陽 光 発 電 を し て い る ん で す け れ ど も、 私 の 家 族 全 員 が 必 要 と す
りません。
し た。 毎 日 毎 日 シ ャ ワ ー を 浴 び ま し た が、 そ れ で リ ス ク が 減 っ
の政府だけではなく、教会や宗教団体の責任でもあります。我々
脱原発の結果がどういうものになるかはまだ私たちにはわか
り ま せ ん が、 全 員 が 何 か を し な け れ ば い け な い。 そ れ は ド イ ツ
かなければ、エネルギー需要を満たすことはできないのです。
ているのかどうかということもはっきりわかりませんでした。
も 議 論 に 参 加 し て、 私 た ち の 視 点 で ビ ジ ョ ン を 出 し て い か な け
こうしたディスカッションは永遠に続くかと思われたのです
が、 重 大 な 原 発 事 故 が 起 こ り ま し た。 私 が ま だ 二 十 代 の と き で
そ ん な 恐 ろ し い 出 来 事 が 起 こ っ た 後、 ド イ ツ の 国 民 の 間 で、
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フォーラム
FORUM
ればいけない。世界的な議論が必要です。ドイツだけではなくて、
世界的な世論が必要なのです。
︻ 吉 澤 ︼ そ れ で は 同 じ ヨ ー ロ ッ パ の イ ギ リ ス で は、 こ の エ ネ ル
ギ ー 問 題 そ し て 新 し い エ ネ ル ギ ー 問 題、 こ う い う 問 題 に つ い て
どのようにお考えなのかお教えていただけますか。
︻ イ プ グ レ イ ブ ︼ ま ず 最 初 に、 そ う で す ね。 イ ギ リ ス も ヨ ー ロ
ッ パ の 一 部 な ん で す ね。 余 り こ れ は イ ギ リ ス で は 知 ら れ て い な
いようなのですけれども︵笑︶。
二 つ の 問 題 が 絡 ん で い ま す。 ひ と つ は、 ど う や っ て エ ネ ル ギ
ー を 生 み 出 す か と い う 問 題 で す。 二 つ 目 は、 私 た ち は ど の 程 度
のエネルギーを使っていいのかということです。
ま ず 最 初 に、 原 発 を 使 っ て エ ネ ル ギ ー を 生 み 出 し 続 け る か と
い う こ と に 関 し て は、 そ れ ぞ れ の 国 で 状 況 は 違 う と 思 い ま す。
例 え ば 日 本 の 状 況 と ド イ ツ の 状 況 で も 歴 史 が 違 い ま す。 イ ギ リ
ス と で は 地 理 的 な 状 況 も 違 う し、 人 々 の 原 発 に 対 す る 姿 勢 や 態
度 も 違 い ま す。 イ ギ リ ス は 日 本 の よ う な 津 波 や 地 震 が あ る と い
う 地 理 的 状 況 に あ り ま せ ん。 で す か ら、 イ ギ リ ス に は 原 発 を 政
治問題化してきた歴史がありません。
あ る 面 で は、 イ ギ リ ス は 時 代 に お く れ て い る の か も 知 れ ま せ
ん が、 原 発 の 議 論 は 実 際 に ま だ 始 ま っ て い な い の で す。 英 国 国
教 会 で も 原 発 に 関 し て ま だ 真 剣 に 議 論 を し た こ と は あ り ま せ ん。
この点は日本聖公会から学ばせていただきたいと思っています
し、 ド イ ツ の ル ー テ ル 教 会 か ら も 学 ば せ て い た だ き た い と 思 い
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我 々 が 使 っ て い る 環 境 の 負 荷 を 減 ら し て い く と い う こ と で す。
ます。
二 つ 目 の、 ど れ ぐ ら い の エ ネ ル ギ ー を 我 々 は 発 電 す れ ば い い
の か と い う 問 題 で す。 そ れ は、 ど れ だ け 電 力 を 作 っ て い け ば い
私 た ち の 使 う 電 力、 そ れ か ら ガ ス の 消 費 を い か に 減 ら し て い く
私 た ち の 英 国 国 教 会 で は、 フ ッ ト プ リ ン ト を 縮 小 す る と い う
プログラムをやっています。エネルギーを製造していくために、
い の か、 ど れ ぐ ら い の エ ネ ル ギ ー を 私 た ち は 使 っ て も い い の か
か と い う こ と で す。 最 終 的 に は、 地 元 で 小 さ な レ ベ ル で も エ ネ
小 さ な 一 歩 で は あ り ま す け れ ど も、 そ の よ う な メ ッ セ ー ジ を 出
ということです。
イ ギ リ ス に﹁ そ こ に 行 く の な ら、 こ こ か ら 始 め な い ﹂ と い う
格 言 が あ り ま す。A か らB に 動 き た い と き に は、A か ら 始 め な
して、私たちは地元の人々と共にやっていこうとしています。
こ と が わ か っ て い て も、 民 主 的 な 政 治 体 制 の 中 で は、 そ の 変 化
優 先 さ れ る か ら で す。 人 々 が 何 か 変 え な け れ ば い け な い と い う
そ う い う こ と が と て も 難 し く な っ て い き ま す。 短 期 的 な 利 益 が
ま で の 道 の り は と て も 難 し い も の で す。 特 に 民 主 主 義 の 国 で は
今、 私 た ち が 今 い る 場 所 は、 も う エ ネ ル ギ ー が 持 続 不 可 能 に
な り そ う な 世 界 で す。 こ こ か ら エ ネ ル ギ ー の 消 費 を 減 ら す 地 点
ア メ リ カ の 宗 教 者 と し て、 新 し い エ ネ ル ギ ー、 そ し て 我 々 人 類
日 本 が 購 入 し た も の で す。 そ れ が 事 故 を 起 こ し た わ け で す が、
発 事 故 の 原 子 炉 は ア メ リ カ の ゼ ネ ラ ル・ エ レ ク ト リ ッ ク 社 か ら
ん で 原 子 力 発 電 は 大 き な 比 重 を 占 め て い て、 福 島 第 一、 第 二 原
も 非 常 に 大 き な シ ョ ッ ク を 受 け ま し た。 し か し、 フ ラ ン ス と 並
︻吉澤︼ ドイツ、イギリスの次はアメリカといきたいのですが、
ア メ リ カ は ス リ ー マ イ ル 島 原 子 力 発 電 所 事 故 を 起 こ し て、 日 本
ル ギ ー を つ く り 出 し て い く よ う に す る と い う こ と で す。 こ れ は
い 方 が よ い と い う こ と で す。A か ら 始 め る と と て も 長 い 道 の り
が 短 期 的 な 利 益 を も た ら さ な い 時、 改 革 を な し 遂 げ る こ と は 至
は こ れ か ら ど う し て い か な け れ ば い け な い の か、 お 考 え を お 聞
になる。
難 の 業 で す。 議 会 政 治 は 短 期 的 な も の で す。 次 か ら 次 へ と 選 挙
かせください。
ま ず 最 初 に、 ス リ ー マ イ ル 島 の 事 故 で す。 こ れ は ア メ リ カ の
国民の眠りを覚ましました。原発は安全だと言われていたのに、
だ私が感じるところを幾つかご紹介したいと思います。
ア メ リ カ と い う 大 き な フ ァ ミ リ ー の 一 部 に し か す ぎ ま せ ん。 た
︻ベンドレー ︼ 私はWCRPの国際事務総長という立場であり、
必 ず し も ア メ リ カ 人 だ け を 代 表 し て い る わ け で は あ り ま せ ん。
もあります。
教 会 が こ こ で 果 た し 得 る 役 割 は、 私 た ち の 知 恵 と い う の は 一
世 代 に 限 ら れ た も の で は な く て、 そ れ は 長 い 時 代 を 通 し た 知 恵
が 溜 ま っ て い っ た も の で あ り、 そ れ を 共 有 し て い る と い う こ と
なのです。
私 た ち は そ の 蓄 積 さ れ た 知 恵 を、 非 常 に 短 期 的 な 議 論 の 中 に
も盛り込んでいかなければなりません。そのためにはまず、我々
自身が模範を示してやっていかなければいけないと思うのです。
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フォーラム
FORUM
信 頼 が 崩 壊 す る こ と で、 規 制 す る 側 と さ れ る 側 と の 関 係 が 問 わ
た。 そ れ が 核 兵 器 に つ い て も 言 及 さ れ ま し た。 冷 戦 時 代 か ら 日
体制はどうだったのかというような議論が必然的に起こりまし
英 語 で﹁ キ ツ ネ が 鶏 を 監 視 す る ﹂ と い う 表 現 が あ り ま す。 誤
っ た 信 頼 が ど う や っ て 維 持 さ れ て き た の か、 国 民 に 対 す る 責 任
いていけばいいのかについて議論されていると言われました。
は、 ド イ ツ が 脱 原 発 の 方 向 性 と そ こ に 至 る た め に 実 際 に ど う 動
次 に、 経 済 と い う 面 か ら 見 て み た い と 思 い ま す。 私 は 原 子 力
に 基 づ い た 経 済 は 変 わ っ て き て い る と 思 い ま す。 フ ー バ ー 先 生
廃棄物は百万年管理していかなければいけないということに
なっています。信じられないような数字です。
本 は 核 兵 器 に 反 対 し て い ま し た。 核 兵 器 が 無 差 別 に 使 わ れ る こ
フィナンシャル・タイムズ紙は、大規模な天然ガスが発見され、
ガ ス の 価 格 が 下 が っ た と い う 記 事 を 掲 載 し て い ま す。 天 然 ガ ス
れました。
とになると、善良な市民も犠牲になるからという理由でした。
ん。 原 子 力 か ら 再 生 可 能 エ ネ ル ギ ー へ 移 行 す る 一 つ の チ ャ ン ス
があるのではないかと思います。
は 自 然 の 炭 素 か ら で き て い る も の で、 そ れ ほ ど 公 害 を 出 し ま せ
し か し 冷 戦 時 代 に は、 自 由 主 義 陣 営 で は 核 兵 器 を 所 有 す る こ
とは必ずしも非道徳的なことではないという考え方がありまし
た。 一 方 で、 ヒ ュ ー マ ン エ ラ ー と い う 要 因 を 無 視 す る こ と は で
きないという考えもありました。
を 完 全 に コ ン ト ロ ー ル す る こ と は で き ま せ ん。 し た が っ て、 事
当 に 道 徳 に 反 し な い と 言 え る の か。 我 々 は エ ン ジ ニ ア シ ス テ ム
油 が 発 見 さ れ た と 指 摘 し て い ま す。 今、 そ れ に 頼 り 利 用 し た と
ま せ ん。 オ ラ ン ダ の 経 済 学 調 査 は、 北 海 に か な り の 埋 蔵 量 の 石
豊富な天然資源に恵まれている国はそれに感謝をすべきでし
ょ う。 逆 に エ ネ ル ギ ー 資 源 を 持 た な い 国 は 不 利 に 思 う か も 知 れ
宗 教 者 の 役 割 は 経 済 や 技 術 を、 道 徳 や 精 神 的 な 側 面 か ら と ら
えることです。
故 が 全 く 起 こ ら な い、 事 故 ゼ ロ と い う 可 能 性 と い う の は な い の
し て も、 い つ の 日 に か い ず れ は そ の ツ ケ を 払 わ な く て は な り ま
人 類 は 過 ち を 犯 す も の で す。 自 ら が つ く っ た シ ス テ ム を、 完
全 に コ ン ト ロ ー ル で き な い の な ら、 核 兵 器 を 所 有 す る こ と が 本
だ、という前提で検討が行われました。
で す か ら 我 々 は 今、 ま さ に し な け れ ば い け な い 作 業 が あ る の
で す。 我 々 は 今、 移 行 を 遂 げ て い か な く て は な り ま せ ん。 そ の
せん。そうなりますと、その時には経済効率が落ちるのです。
は廃棄物をどこに持っていけばいいのかという議論が行われて
移 行 を 専 門 的、 経 済 的 な 問 題 と 共 に、 道 徳、 精 神 的 な 信 仰 に 裏
核 燃 料 廃 棄 物 の 問 題 も あ り ま し た。 私 も 指 摘 し ま し た し、 フ
ー バ ー さ ん の ほ う か ら も 指 摘 が あ り ま し た。 ア メ リ カ 合 衆 国 で
い ま す。 今 は 使 用 済 み の 燃 料 棒 を 原 子 炉 の す ぐ 横 に 貯 蔵 し て い
打ちされた方向へ導く必要があるということです。
︻吉澤 ︼ 貴重なご提言ありがとうございます。
ま す。 日 本 と 一 緒 で す。 地 質 学 者 が こ の 地 質 に 埋 め る ほ う が い
い と 言 っ て も、 そ こ の 住 民 は﹁ こ こ に は 埋 め な い で く れ。 あ っ
ちに埋めてくれ﹂と言うわけです。
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次 は デ ィ ー ン・ シ ャ ム ス デ ィ ー ン 先 生 に お 聞 き し た い の で す
が、 先 ほ ど 冒 頭 の ご 発 言 の 中 で、 宗 教 指 導 者 は 持 続 可 能 な エ ネ
ルギーへの投資を支持すべきであるということをおっしゃられ
を 持 つ も の と し て つ く り 賜 い ま し た。 で す か ら、 い わ ゆ る 人 間
の 文 明、 生 活 が よ り よ い 方 向 に 向 か う た め に、 科 学 技 術 を ど う
ギ ー と い う も の を ど の よ う に お 考 え に な ら れ て い る の か。 こ れ
より便益の大きな人間の文明のためにどう使うのかということ
科 学 と 技 術 と い う の は、 プ ラ ス の 部 分 と マ イ ナ ス の 部 分、 あ
る い は 長 所 と 短 所 が あ る の で す。 こ の 二 つ の 相 反 す る 要 素 を、
いうふうに使っていくかということが重要だと思うのです。
は 別 に イ ン ド ネ シ ア と い う こ と で な く て も、 シ ャ ム ス デ ィ ー ン
を考えるべきです。
ま し た。 例 え ば イ ン ド ネ シ ア の 場 合 で す と、 こ の 新 し い エ ネ ル
先生のお考えでも結構ですがお聞かせいただきたいと思います。
に お い て は 持 続 可 能 な 開 発 を 倫 理 的、 道 理 的 な 価 値 観 か ら ど う
科 学 技 術 を 人 間 の 文 明、 ま た 道 徳、 倫 理 的 な 観 点 か ら 使 っ て
い る の か と い う こ と を 考 え な く て は な り ま せ ん。 イ ン ド ネ シ ア
︻シャムスディーン︼ 私も政府を代表しているものではありま
せ ん。 私 は 私 ど も の 謙 虚 な 理 解、 宗 教 的 な 観 点、 イ ス ラ ー ム の
いうふうに選ぶのかということが重要なのです。
︻ 吉 澤 ︼ この照明は実は福井の原発から流れてきている原子力
も一部入っているというふうに思います。
お 聞 き し ま す が、 本 日 の 議 場 の 照 明、 こ れ は 原 子 力 か ら 来 て
いるんでしょうか?。
こともできないでしょう。
言 っ て み れ ば 中 庸、 中 道 と い う こ と で す。 し か し、 現 実 か ら
逃 避 す る こ と は で き ま せ ん。 ま た 課 題 と チ ャ ン ス を 避 け て 通 る
ほ か の 同 胞 と は ち ょ っ と 違 っ た 意 見 か も し れ ま せ ん が、 半 ば 私
見をご紹介してみたいと思うのです。
インドネシアはエネルギーに対する需要が極めて大きい国で
す。 イ ン ド ネ シ ア は も は や 石 油 の 輸 出 国 で は あ り ま せ ん。 輸 入
国 に 転 じ て い ま す。 再 生 可 能 な エ ネ ル ギ ー で は、 政 府 は 波 力 や
風 力、 地 熱 エ ネ ル ギ ー な ど を 考 え て い ま す。 イ ン ド ネ シ ア は 世
界 で 最 も 大 き な 島 国 で あ り 熱 帯 に あ り ま す の で、 こ う い っ た エ
ネルギーの資源があるのです。
しかしそれでも、インドネシア政府は原子力発電をスマトラ、
ジ ャ ワ、 そ し て カ リ マ ン タ ン 島 に 建 設 し よ う と し て い ま す。 私
は イ ン ド ネ シ ア 政 府 に 対 し て、 原 子 力 を 日 本 か ら 輸 入 し て は ど
次に、パロップ・タイアリー先生にお聞きしたいと思います。
先 ほ ど の ご 発 言 で、 仏 教 者 の 立 場 か ら 人 類 の 欲 望、 運 命 に 対
す る 大 い な る 反 省 と、 そ れ と 人 間 が 自 己 抑 制 が で き て い な い ん
例 え ば 仏 教 の 教 え の 中 に﹁ 少 欲 知 足 ﹂ と い う の が あ り ま す。 欲
うかということを奨励しようかと思っていたのです。
インドネシアのイスラーム最高評議会の中で原発問題を深刻
に 検 討 し た こ と は あ り ま せ ん。 た だ イ ス ラ ー ム の 観 点 か ら す れ
望 を 減 ら し て 足 る を 知 る と い う 言 葉 で す。 我 々 人 類 は 産 業 革 命
じ ゃ な い か と い う こ と を お っ し ゃ ら れ ま し た。 我 々 日 本 で も、
ば、 神 は 地 球 と 人 類 を つ く り 賜 い、 そ れ も 大 き な 潜 在 的 可 能 性
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フォーラム
FORUM
す る こ と で 欲 望 を 減 ら し て、 こ う い う エ ネ ル ギ ー を 過 剰 に 消 費
で は、 こ の 欲 望 を 肥 大 さ せ て い く ん で は な く て、 逆 に 自 己 を 律
け で す。 し か し、 今 回 の よ う な 事 故 が 起 き ま し た。 仏 教 の 教 え
そ れ で も 足 り な い か ら と い っ て、 今 度 は 原 子 力 に 手 を つ け た わ
ようにして各都市を回っている意見聴取会というのがあります
い う の が 多 い で す。 例 え ば 今、 政 府 が 各 タ ウ ン ミ ー テ ィ ン グ の
先 ほ ど あ り ま し た 脱 原 発、 反 原 発 の ご 意 見 は よ く わ か り ま し
た が、 原 発 問 題 で い き ま す と 日 本 国 内 で 総 論 賛 成、 各 論 反 対 と
︻吉澤 ︼ さて、山崎先生にお尋ねします。
以 降、 ま ず 最 初 に 石 炭 を 食 い 尽 く し、 次 は 石 油 を 大 量 に 使 い、
す る 社 会 を と め よ う と い う こ と に な る で し ょ う が、 タ イ ア リ ー
が、 最 近 開 か れ た と こ ろ で も 原 発 が 将 来 二 〇 三 〇 年 ま で に 〇 %
で は 洪 水 も あ り ま し た。 去 年 の 終 わ り ご ろ、 ひ ど い 大 規 模 な 洪
問 題 は い ろ い ろ あ り ま す。 例 え ば 津 波 の 問 題 で す。 そ し て 最 近
が、 タ イ に は 今 の と こ ろ 原 発 問 題 は あ り ま せ ん。 し か し ほ か の
け な い の か と い う こ と も 含 め て、 ち ょ っ と 新 エ ネ ル ギ ー に つ い
う い う 自 分 た ち、 我 々 国 民 が ど う い う ふ う に し て い か な き ゃ い
と め ら れ な い と い う よ う な こ と も 言 っ て き ま し た け れ ど も、 そ
こ れ ま で の 電 力 会 社 の 言 い 分 は、 要 は 日 本 の 経 済 成 長 は 右 肩
上 が り で 上 が っ て い く か ら 電 力 が 必 要 な ん だ と、 だ か ら 原 発 も
なってくるというふうに思うんです。
の 間 に、 我 々 国 民 は 節 電 と い う か、 先 ほ ど の 少 欲 知 足 が 大 事 に
そうなると当然のように次の新しいエネルギーが見つかるまで
でも七〇%が反対、ゼロにしようということを言います。しかし、
る の か と い う の で 国 民 か ら 意 見 を 聞 い て い ま す が、 大 体 今 ど こ
に す る の か、 そ れ か ら 一 五% に す る の か、 二 〇 か ら 二 五% に す
先生はどのようにお考えでしょうか。お願いします。
︻ タ イ ア リ ー ︼ タ イ は 仏 教 徒 が 九 〇% で す。 タ イ の 人 々 の 暮 ら
し を 見 て い き ま す と、 大 体 み ん な 同 じ よ う な 態 度 を 持 っ て 暮 ら
していると思います。
タ イ の 仏 教 徒 は、 生 活 に 長 期 的 な 知 恵 を 取 り 込 ん で い く と い
う こ と を 重 視 し て い ま す。 タ イ と い う の は、 今 の よ う な 原 発 の
水 に 見 舞 わ れ ま し た。 仏 教 徒 と し て、 回 避 で き る も の と 回 避 で
てご意見をお聞かせいただきたいのですが。
問 題 が あ り ま せ ん。 イ ン ド ネ シ ア の 原 発 使 用 に 関 心 は あ り ま す
きないものがあると考えています。ダルマ︵業︶です。
に も 参 加 し て お り、 人 々 の 生 活 を 長 期 的 に 改 善 し て い く こ と に
う も の に 余 り か か わ っ て こ な か っ た の で す が、 最 近 は 人 道 活 動
精 神 も 重 要 で す。 タ イ の 仏 教 は、 こ れ ま で は 人 道 的 な 活 動 と い
こ の 程 度 で 我 慢 し な さ い と い う よ う な こ と が、 日 本 の 仏 教 界 で
を見ると幸せな人もいるけれども、下を見ても切りがないので、
者 が 相 手 に 欲 望 を 制 す る こ と を 求 め て い る と 思 う か ら で す。 上
︻山崎 ︼ 僕は少欲知足は昔はあんまり好きではなかったんです。
と い い ま す の は ど ち ら か と い え ば、 本 来 の 意 味 と 違 っ て、 宗 教
私 た ち は、 自 分 た ち の 教 義 を 守 っ て 生 き て い く こ と が 重 要 で
あ る と 考 え て い ま す。 こ れ が 一 番 重 要 な こ と で す。 助 け 合 い の
かかわっています。
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中 で は 大 変 強 く あ り ま す。 そ れ か ら、 パ ー セ ン テ ー ジ の 問 題 で
だ け ど 原 発 に 関 し て 言 う な ら、 少 し で も 一 〇 を 八 に す る よ う
な形でしかこれを乗り越える方法はあるまいということが私の
電 だ っ て 法 改 正 を し な け れ ば で き ま せ ん が、 そ れ を し よ う と し
府 は 全 く や る 気 が あ り ま せ ん か ら 法 規 制 が ひ ど い で す。 地 熱 発
は こ う い う の は 民 間 レ ベ ル で 随 分 な さ れ て い ま す。 し か し、 政
うことの認識は大変大事なものです。そういう思いがあります。
す が、 は っ き り 申 し ま す と 私 は 政 府 を 信 用 し て い ま せ ん。 私 は
ま せ ん。 そ れ は 電 力 会 社 等 々 に 目 が 向 い て い る か ら で あ り ま し
横行していたと思っていて、あんまり好きではない。
宗 教 者 と い う の は、 国 家 と い う も の 国 と い う も の を き ち っ と 看
ょう。
ことであるにもかかわらず、その方向が全く見えない。
あ る い は 二 番 目 は、 廃 炉 に 向 け て の 具 体 的 な ビ ジ ョ ン を 一 日
も 早 く 構 築 す る こ と で す。 数 十 年 か か っ て 何 兆 円 か か る と い う
そ し て、 ま ず と に か く 再 生 可 能 な エ ネ ル ギ ー の 開 発、 研 究、 実
視 す る こ と が 宗 教 の 尊 厳 だ と 思 っ て お り ま す。 反 目 す る と い う
意 味 じ ゃ な く て、 き ち っ と こ れ を 看 視 し て い く と。 こ の 看 視 と
い う の は、 僕 は 看 護 師 さ ん の﹁ 看 ﹂ に﹁ 視 る ﹂ と い う 字 を 使 い
た い。 き ち っ と ま な ざ し を 持 っ て、 政 府 の こ の こ と が お か し い
ー シ ョ ン を す る と い う の は、 も う ど う し よ う も な い 状 況 に き て
七 十 歳、 八 十 歳 の 方 々 が、 公 園 に 二 時 間 も 座 っ て デ モ ン ス ト レ
か つ て の 三 十 年 前 の デ モ と 全 く 違 い ま す。 毎 週 こ の 炎 天 下 に
知 っ て い る。 も の す ご い 勢 い で デ モ が 国 会 を 取 り 巻 い て い る。
外 の 何 物 で も な い の で は な い か と い う こ と を、 実 は 国 民 が 全 部
パ ー セ ン テ ー ジ の 問 題 で も、 も う こ れ は 国 民 が う る さ い か ら
あ ち こ ち で 発 言 さ せ て お け み た い な、 ガ ス 抜 き み た い な も の 以
り ま し た。 も っ と ひ ど い の は、 金 を 出 す か ら モ ン ゴ ル へ 行 っ て
説 も あ り ま し た。 も っ と ひ ど い の は 海 底 に 埋 め る と い う の も あ
使用済み核燃料をロケットで宇宙へ飛ばすというのがありま
し た。 こ れ は 危 険 だ と い う こ と に な る と、 南 極 に 埋 め る と い う
んどんどん生み出しているということの無責任性を指摘したい。
界 中 で そ の 処 理 が で き な い も の を、 こ う し て い る 間 に も ど ん ど
こ う い う レ ジ デ ン ス は、 僕 は 使 え な い と 思 い ま す。 要 す る に 世
と看視する。
い る の で は な い か。 そ う い う も の を 受 け と め ら れ な い、 あ る い
埋 め る と い う 話 も あ り ま し た。 こ れ が 悲 し い か な、 日 本 政 府 の
第 三 点 は 使 用 済 み 核 燃 料 で す。 よ く 言 わ れ る こ と で す が、 快
適なレジデンスにトイレがないんですよね。使えるでしょうか、
は受けとめようともしない政治家というのは一体何なんだろう
実 態 で す ね。 そ う い う 非 倫 理 的 な こ と を、 私 た ち 宗 教 者 は ど う
ですから、再生可能エネルギーを可能にするための方法論を、
我々自身がやっぱり一人一人模索しながら政府を動かすような
ある。
いうところからとらえていくべきだろうかという大きな問題が
かということに対する思いが私には大変強くあります。
そしてエネルギー問題にしても、原発を輸入する側の問題性、
輸 出 す る と い う 側 の 問 題 性、 双 方 に こ の こ と を 論 じ な き ゃ い け
な い。 安 易 に 輸 入、 輸 出 な ん て い う、 そ ん な 悠 長 な 問 題 で は な
い と い う こ と を、 原 発 と い う 問 題 は 我 々 に 示 し て い る ん だ と い
84
フォーラム
FORUM
し ま す。 そ れ が 今 当 面 の エ ネ ル ギ ー に 関 す る 課 題 で す。 だ か ら
方 法 で い か な い と、 こ れ は 不 可 能 で は な い か と い う 思 い が 私 は
すごく大切だと思いました。
な く て、 本 当 に そ の こ と を み ん な が 一 致 し て や っ て い く こ と が
お っ し ゃ っ た ラ イ フ ス タ イ ル の 転 換 と、 そ れ か ら エ ネ ル ギ ー 革
現 実 に 福 島 で 子 供 を 持 つ お 母 さ ん た ち は、 外 で 子 供 た ち を 遊
ば せ て い い の だ ろ う か、 成 長 期 の 子 供 た ち を 外 で 遊 ば せ て い い
お 話 を 聞 い て い る う ち に、 日 本 の 子 供 を 育 て て い る お 母 さ ん
の よ う な 方 か ら 一 言 ご 発 言 が い た だ け な い か と 思 い ま し て、 皆
︻吉澤 ︼ ありがとうございました。
きょうは世界から集まった六人の先生方から貴重なお話をお
伺いしました。
に 社 会 が エ ネ ル ギ ー 問 題、 ま た 原 発、 放 射 能 の 問 題 に ど う 対 す
が 分 断 さ れ て し ま う。 単 な る エ ネ ル ギ ー 問 題 で は な く て、 本 当
い ろ い ろ な 差 が あ る と 思 う の で す け れ ど も、 そ の 考 え 方 が 違 う
命、これしかないと思います。
様にお許しいただき、きょうお見えになっている四児のママに、
る か と い う こ と で 分 断 さ れ て し ま う と い う、 そ う い う 悲 し い 現
の か、 こ の 水 を 飲 ま せ て い い の だ ろ う か、 そ し て 自 分 た ち が 授
日 本 の 主 婦 の 立 場 か ら ご 発 言 を お 願 い い た し ま す。 庭 野 光 祥 さ
実 が あ り ま す。 私 は そ う い う 問 題 に 直 面 し た と き に、 エ ネ ル ギ
しました。
ーだけではなくて本当に生き方の問題だということを実感いた
と、 今 ま で 仲 よ く し て い た 家 族 同 士、 ま た 母 親 同 士 の 関 係 ま で
問 題 を 抱 え て お ら れ ま す。 そ れ に 対 す る 一 人 一 人 の 考 え 方 に は
乳 し て い る こ の 母 乳 は 安 全 な ん だ ろ う か、 と い う 本 当 に 切 実 な
んです。
︻ 庭 野 ︼ あ り が と う ご ざ い ま す。 立 正 佼 成 会 の 庭 野 光 祥 と 申 し
ます。
そ し て ま た、 東 京 電 力 で 働 く ご 主 人 を 持 つ お 母 さ ん に も た く
さ ん 会 い ま し た。 本 当 に 自 分 た ち が、 特 に 私 た ち と 何 か 違 う こ
いただきました。きょうの皆様のお
問 題 に お び え な が ら 生 き て い る、 そ う い う 現 実 で 暮 ら し て い ら
け な い と い う 気 持 ち を 持 ち な が ら、 そ し て 自 分 も そ の 放 射 能 の
と を し た わ け で も な い け れ ど も、 多 く の 懺 悔 の 気 持 ち 、 申 し わ
話 を 聞 か せ て い た だ い て、 私 た ち は
っしゃいます。
私には四人の子供がおります。大震災、津波の後の福島にも、
またそれぞれの被災地にも行かせて
原発を越えて本当の意味で豊かな人
う ふ う に 思 い ま す。 そ し て、 た だ 単
している機会をいただいたんだとい
反 対 で は な く て 一 緒 に 解 決 し て い こ う と い う、 そ う い う 祈 り の
で 生 き て い る 人、 ま た 今 そ こ で 働 い て い る 人 の た め に も、 単 に
私 た ち は 本 当 に そ の 原 発、 放 射 能 と か、 ま た 百 万 年、 十 万 年
の 子 孫 に 対 す る 責 任 と い う こ と も 考 え な が ら も、 現 在、 今 そ こ
間としての生き方というものを模索
に反対するとかということだけでは
85
気持ちが必要だなということをいつも考えています。
で す か ら 世 界 の 方 々 に ぜ ひ、 今 現 実 に そ の 問 題 に 対 応 し て い
る 方 た ち に 対 す る 祈 り も い た だ け れ ば、 大 変 あ り が た い か な と
思わせていただいています。
ありがとうございました。︵拍手︶
︻吉澤︼ ありがとうございました。
き ょ う は 二 時 間 に わ た っ て﹁ 原 発 事 故 が 提 起 し た エ ネ ル ギ ー
問 題 と 宗 教 者 の 立 場 ﹂ と い う テ ー マ で、 世 界 か ら 集 ま っ て い た
だ い た キ リ ス ト 教、 ム ス リ ム、 そ し て 仏 教 の 指 導 者 の 皆 さ ん か
らお話を伺うことができました。
世 界 の 宗 教 者 が こ の よ う に 一 堂 に 集 っ て、 そ し て エ ネ ル ギ ー
問 題 に つ い て 語 り 合 う。 大 体 皆 さ ん 原 子 力 か ら そ ろ そ ろ 転 換 し
て、 持 続 可 能 な 新 し い エ ネ ル ギ ー に 向 か わ な き ゃ い け な い ん じ
ゃ な い か と い う こ と で は 一 致 し た と い う ふ う に 思 い ま す。 そ う
いう意味で非常に記念すべきフォーラムになったと思います。
きょうは六人の先生方、本当にありがとうございました。︵拍
手︶
86
C E R E M O N Y
平和の祈り式典
時
17
87
主催者代表あいさつ
平和の祈り登壇者名簿
8月4日
︵ 土 ︶ 時∼
比叡山
15
主催者代表あいさつ
天台座主
正
大僧
半田
孝淳
有史以来、人類は大自然の豊かな恵みによって生かされると同時に、その猛威に脅かされて
きました。その猛威を克服すべく、科学技術の発展に力を傾注してきたのが人類の歴史である
と申してもよいでしょう。
しかし、いかに科学技術が進歩したとはいえ、人類は未だに自然の前には無力であることを、
近年世界中で猛威を振るう自然災害によって改めて思い知らされております。
特に、日本におきましては、昨年三月十一日に国難ともいうべき東日本大震災が発生し、マ
グニチュード九・〇という大地震、また未曾有の大津波により二万人近い尊い生命が失われまし
た。さらにこの津波により、東京電力福島第一原子力発電所が破壊され、大量の放射性物質が
漏洩するという重大な原子力事故が引き起こされました。その結果、周辺地域の住民は、住居
や仕事を放棄し長期にわたる避難生活を強いられ、今なお日本全国、また周辺諸国の人々は放
大地震、大津波は人智では止めることのできない、いわゆる仏教でいう﹁諸行無常の理﹂で
射性物質の及ぼす健康被害に脅えています。
88
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
はあります。しかし、今回の原発事故は、人間のあくなき欲望を満たそうと突き進むあまり、
大自然に対する畏敬の念を軽んじたことが根本にあるように思われてなりません。
我々宗教者の重大な使命は、大自然の猛威によって亡くなった方々の霊を鎮めることにある
ことは申すまでもありませんが、同時に﹁亡くなった人の分まで生きる﹂と決意した人々に寄
大自然の猛威に打ちのめされて、表面的には気丈に見えていたとしても、その喪失感、無力感、
り添い、共に生きることでありましょう。
また現実の生活の悩みにうちひしがれている人々と共に歩むことが、我々の立場ではないでし
ょうか。
世界は、今もテロリズム、民族対立、独裁など依然として憎悪と対立を繰り返しさらなる拡
大化の兆しをみせております。また地球環境破壊や食糧危機、人権抑圧、貧困、饑餓なども重
大な問題であり、どれもが平和をもたらすためには解決されねばならない問題であります。
そしてまた、大自然の猛威に肉親や生活を奪われた人々が一日も早く平安を取り戻し、安寧
に暮らすことができるように連帯して、救援の手を差し伸べ続けることも我々宗教者の重大な
使命でありましょう。
ここに比叡山宗教サミット二十五周年記念﹁世界宗教者平和の祈りの集い﹂を迎えるにあたり、
真剣な祈りを捧げ、平和のために働く決意を新たにするものであります。
89
平和の祈り登壇者名簿 ( 国内)
◎仏教
役 職
名 前
全日本仏教会副会長
前田 定戒 天台真盛宗宗務総長
川合 歳明 天台寺門宗宗務総長
座間 光覺 真言宗智山派総務部長
芙蓉 良英 浄土真宗本願寺派所務部長
東森 尚人 臨済宗妙心寺派総務部長
松山 英照 曹洞宗責任役員出版部長
石川 順之 曹洞宗大本山永平寺副貫首
南澤 道人 法相宗大本山薬師寺長老
安田 暎胤 ◎キリスト教
役 職
名 前
駐日ローマ教皇庁大使
ジョセフ・チェノットゥ
日本カトリック司教協議会会長 / カトリック大阪大司教区大司教
池長 潤 日本キリスト教連合会委員長 / 日本福音ルーテル教会総会議長
渡邉 純幸
日本聖公会首座主教
植松 誠 ◎イスラーム
役 職
名 前
日本ムスリム協会会長
徳増 公明 日本ムスリム協会理事 / 前会長
樋口 美作 日本ムスリム協会理事
水谷 周 ◎新日本宗教団体連合会
役 職
名 前
新日本宗教団体連合会名誉会長 / 円応教教主
深田 充啓 新日本宗教団体連合会常務理事 / 妙智會教団理事長
宮本けいし 新日本宗教団体連合会理事 / 真生会会長
田中 庸仁 新日本宗教団体連合会理事 / 立正佼成会理事長
渡邊 恭位 新日本宗教団体連合会評議員 / 崇教真光事務局長
佐々木堯章 90
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
平和の祈り登壇者名簿 ( 国内)
◎教派神道連合会
役 職
名 前
神習教教主
芳村 正徳 黒住教副教主
黒住 宗道 扶桑教責任役員
宍野 史生 御嶽教責任役員
井上 慶山 ◎神道
役 職
名 前
御香宮神社 宮司
三木 善則 吉田神社 権禰宜
室川 善幸 熊野神社 宮司
岸本 匡美 賀茂別雷神社 権禰宜
鳥居 昭典 田中神社 宮司
山田 敦子 ◎諸宗教
91
役 職
名 前
世界連邦日本宗教委員会会長
田中 恆清 世界宗教者平和会議日本委員会会長
庭野 日鑛 世界宗教者平和会議日本委員会参与
宝積 玄承 世界宗教者平和会議日本委員会理事
森脇友紀子 天理教表統領室次長
永尾 信雄 平和の祈り登壇者名簿 ( 海外 )
◎仏教
役 職
名 前
世界仏教徒連盟事務総長
パロップ・タイアリー
プラティープ財団創設者・事務総長
プラティープ・ウンソンタム・秦
ベンガル仏教会会長
ビック・ボーティパラー
中国佛教協会副会長
学 誠
◎キリスト教
役 職
名 前
ローマ教皇庁諸宗教対話評議会名誉局長
ピエル・ルイジ・チェラータ
シリア正教アレッポ大主教
マー・グレゴリオス・イブラヒム
バイエルン福音ルーテル教会エキュメニカル部門担当者
イヴォ・フーバー
英国国教会ウーリッジ教区主教・カンタベリー大主教特使
マイケル・イプグレイブ
◎イスラーム
役 職
名 前
インドネシアイスラーム最高評議会副議長
ディーン・シャムスディーン
サウジアラビア王国イスラーム問題・寄進・宣教・指導大臣顧問
アブドゥラー・アルレヘダン
キムセヨクム副理事長
ユスフ・ユルドゥルム
◎諸宗教
役 職
名 前
聖エジディオ共同体事務総長
アルベルト・クワトルッチ
聖エジディオ共同体アジア地域責任者
アゴスティーノ・ジョバンニョーリ
世界宗教者平和会議国際委員会事務総長
ウィリアム・F・ベンドレー
フォコラーレ運動諸宗教対話センター共同代表
クリスティーナ・リー
92
資 料
実行委員会名簿
新聞報道記事
93
A
T
A
D
比叡山宗教サミット 25 周年記念
「世界宗教者平和の祈りの集い」実行委員会名簿
名誉顧問 氏 名
役 職 半田 孝淳
全日本仏教会会長 芳村 正徳
日本宗教連盟理事長 神習教教主
渡邉 純幸
日本キリスト教連合会委員長
日本福音ルーテル教会総会議長
北白川道久
神社本庁統理
深田 充啓
新日本宗教団体連合会名誉会長 天台座主
円応教教主
顧 問
氏 名
役 職 出口 紅
大本教主
黒住 宗晴
黒住教教主
小林 正道
全日本仏教会理事長 松長 有慶
高野山真言宗管長
寺田 信秀
真言宗智山派管長
加藤 精一
真言宗豊山派管長
伊藤 唯眞
浄土門主
大谷 光真
浄土真宗本願寺派門主
大谷 暢顯
真宗大谷派門首
河野 太通
臨済宗妙心寺派管長
福山 諦法
曹洞宗管長
内野 日総
日蓮宗管長 池長 潤
日本カトリック司教協議会会長 植松 誠
日本聖公会首座主教
宮本 丈靖
妙智會教団会長
庭野 日鑛
立正佼成会会長 岡野 聖法
解脱会法主 新日本宗教団体連合会理事長
保積 秀胤
大和教団教主 新日本宗教団体連合会常務理事
御木貴日止
パーフェクトリバティー教団教主
田中 恆清
神社本庁総長 中島精太郎
明治神宮宮司
小串 和夫
熱田神宮宮司
九條 道弘
平安神宮宮司
髙城 治延
神宮少宮司
徳増 公明
日本ムスリム協会会長
中山 善司
天理教真柱
カトリック大阪大司教区大司教
世界宗教者平和会議日本委員会会長
世界連邦日本宗教委員会会長
94
比叡山宗教サミット 25 周年記念
「世界宗教者平和の祈りの集い」実行委員名簿
実行委員会
役 職 氏 名 所 属 役 職
委員長
阿 純孝
天台宗宗務総長
副委員長
田中 恆清
神社本庁総長
副委員長
渡邊 恭位
立正佼成会理事長
実行委員
松田 一
大本亀岡宣教センター長
黒住 宗道
黒住教副教主
関﨑 幸孝
全日本仏教会事務総長
鈴川 智信
全日本仏教会国際部長
岡部 兼海
高野山真言宗総長公室長
細川 大憲
真言宗智山派教学部長
増澤 秀丸
真言宗豊山派総務部長
中村 在徹
浄土宗総務局長
東森 尚人
浄土真宗本願寺派所務部長
宮浦 一郎
真宗大谷派総務部長
松山 英照
臨済宗妙心寺派総務部長
石川 順之
曹洞宗責任役員出版部長
渡邉 義生
日蓮宗宗務総長室長
大塚 喜直
カトリック京都司教区司教
柳本 昭
カトリック京都司教区司祭
高地 敬
日本聖公会京都教区主教
小間澤 肇
神社本庁広報部長
網谷 道弘
明治神宮権宮司
中嶋 茂博
京都府神社庁参事
斎藤 謙次
新日本宗教団体連合会事務局長
生田 茂夫
新日本宗教団体連合会大阪事務所所長
宮本けいし
妙智會教団理事長
根本 昌廣
立正佼成会外務部長
杉谷 義純
世界宗教者平和会議日本委員会理事長・天台宗宗機顧問
畠山 友利
世界宗教者平和会議日本委員会事務局長
田中 朋清
世界連邦日本宗教委員会事務局長
可児 光永
世界連邦日本仏教徒協議会理事長
徳増 公明
日本ムスリム協会会長
樋口 美作
日本ムスリム協会理事
吉澤 健吉
京都新聞総合研究所特別理事
武 覚超
延暦寺執行
阿部 昌宏
天台宗参務財務部長
小堀 光實
延暦寺副執行管理部長
小林 祖承
延暦寺一山止観院住職
95
比叡山メッセージ2012起草委員会
薗田 稔
秩父神社宮司・京都大学名誉教授
杉谷 義純
世界宗教者平和会議日本委員会理事長・天台宗宗機顧問
吉澤 健吉
京都新聞総合研究所特別理事
事務局長
杜多 道雄
天台宗参務総務部長
事務局顧問
杉谷 義純
世界宗教者平和会議日本委員会理事長・天台宗宗機顧問
事務局参与
徳増 公明
日本ムスリム協会会長
事務局参与
吉澤 健吉
京都新聞総合研究所特別理事
部 長
小林 祖承
延暦寺一山止観院住職
次 長
生田 茂夫
新日本宗教団体連合会大阪事務所所長
事務局員
岩橋 克二
神社本庁国際交流課長
赤川 恵一
立正佼成会外務グループ次長
西澤 弘安
立正佼成会外務グループ国内宗教協力実務責任者
獅子王圓明
延暦寺副執行総務部長
吉澤 敬順 天台宗信越教区威徳寺住職
福井 邦彦
天台宗務庁国際課長
草別 善哉
天台宗務庁総務課長
横山 和人
天台宗務庁出版室編集長
武田 功正
延暦寺総務部主事
志井 浩順 天台宗務庁総務課書記
赤松 善暢 天台宗務庁総務課書記
田渕 観海 天台宗務庁国際課書記
櫛笥 亮恵
天台宗務庁総務課職員
部 長
黒住 宗道
黒住教副教主
次 長
畠山 友利
世界宗教者平和会議日本委員会事務局長
事務局員
藤田 尚三
妙智會教団ありがとう基金事務局長
和田めぐみ
世界宗教者平和会議日本委員会渉外部長
南條 雅哉
黒住教学園前教会所所長
齊藤 圓眞
天台宗参務教学部長
水尾 寂芳
延暦寺副執行教化部長
齊藤 哲圓 天台宗東京教区龍泉寺副住職
草別 善哉
天台宗務庁総務課長
林 昌伸
天台宗務庁布教課長
一色 皓湛 天台宗務庁教学課書記
事務局
総務部
会議部
96
比叡山宗教サミット 25 周年記念
「世界宗教者平和の祈りの集い」実行委員名簿
矢崎 長潤 天台宗務庁庶務課書記
赤松 善暢 天台宗務庁総務課書記
部 長
松田 一
大本亀岡宣教センター長
次 長
小堀 光實
延暦寺副執行管理部長
事務局員
山田 歌
大本本部亀岡宣教センター国内愛善宣教課長
佐藤 光春
大本本部亀岡宣教センター企画調整課主幹
福恵 善高
天台宗参務一隅を照らす運動総本部長
小寺 照依
延暦寺副執行法務部長
斎藤 良弘
天台宗務庁一隅を照らす運動総本部次長
青木 円学 延暦寺法務部主事
磯村 良定 延暦寺管理部主事補
池田 尭正
天台宗務庁一隅を照らす運動総本部書記
部 長
根本 昌廣
立正佼成会外務部長
次 長
中嶋 茂博
京都府神社庁参事
事務局員
鈴川 智信
全日本仏教会国際部長
柳本 昭
カトリック京都司教区司祭
田中 朋清
世界連邦日本宗教委員会事務局長
佐藤 益弘
立正佼成会京都教会長
岡安 里佳
立正佼成会外務グループ
山田 亮清
天台宗参務法人部長
齊藤 圓眞
天台宗参務教学部長
大塚 善仁 天台宗兵庫教区本壽院住職
真嶋 全康
延暦寺副執行参拝部長
今出川行戒
天台宗祖師先徳鑽仰大法会事務局幹事
福島 亮俊
天台宗務庁教学課長
西村 智秀
天台宗務庁庶務課長
三浦 密照 天台宗務庁教学課書記
鵜浦 俊成 天台宗務庁庶務課職員
部 長
阿部 昌宏
天台宗参務財務部長
次 長
大角 実豊
延暦寺副執行財務部長
事務局員
福井 邦彦
天台宗務庁財務課長 星野 貴宣 天台宗務庁財務課書記
式典部
接遇部
財務部
97
新聞報道記事
毎日新聞
6日28日
読売新聞
7月7日
98
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
京都新聞
7月7日
週刊仏教タイムス
7月12日
99
新聞報道記事
朝日新聞
8月4日
読売新聞
8月4日
100
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
産経新聞
8月4日
産経新聞
8月4日(金)
101
新聞報道記事
京都新聞
朝日新聞
8月4日
8月4日
日本経済新聞
8月4日
京都新聞
8月4日
102
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
読売新聞
8月4日
毎日新聞
8月5日
読売新聞
8月5日
103
新聞報道記事
朝日新聞
8月5日
朝日新聞
8月5日
104
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
京都新聞
読売新聞
8月5日
8月5日
朝日新聞
8月15日
105
新聞報道記事
週刊仏教タイムス
8月9日
106
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
週刊仏教タイムス
8月9日
107
新聞報道記事
読売新聞
8月16日
108
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
カトリック新聞
8月19日
109
新聞報道記事
京都新聞
9月4日
110
比叡山宗教サミット 25 周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い
111
比叡山宗教サミット 周年記念
比叡山宗教サミット 周年記念
﹁世界宗教者平和の祈りの集い﹂実行委員会
電話
〇七七︵五七九︶〇〇二二
印刷所
ヨシダ印刷株式会社
発行所/発行人
滋賀県大津市坂本四︱六︱二
天台宗務庁内
発行日 平成二十四年十一月二十日
│││││││││││││││││││││││││││││
世界宗教者平和の祈りの集い
25
25