中東動向分析 - 一般財団法人日本エネルギー経済研究所 中東研究

JIME 中東動向分析 20140627
一般財団法人 日本エネルギー経済研究所
中東動向分析
「緊急特集
中東研究センター
2014 年 6 月 27 日
Vol. 13, No. 3
ISSN 1347-7668
目 次
緊迫するイラク情勢を考える」
イラクはどこへ向かうのか
――2014 年 イ ラ ク 危 機 の 現 状 と 構 造 的 問 題 ―― ........................... 1
1. 首 都 防 衛 戦 が 続 く 戦 況 .................................................................................. 1
2. マ ー リ キ 首 相 の 蹉 跌 ...................................................................................... 3
3. ス ン ナ 派 勢 力 の 隘 路 ...................................................................................... 4
4. 瓦 解 す る 軍 隊 ................................................................................................ 6
5. 攻 防 戦 の 行 方 ................................................................................................ 7
6. 変 わ り ゆ く 政 治 地 図 と 変 わ ら な い 権 力 闘 争 .................................................. 9
イ ラ ク と シ ャ ー ム の イ ス ラ ー ム 国 ( ISIS) と は 何 か ? ...................... 12
1. 名 称 ............................................................................................................. 12
2. 起 源 ............................................................................................................. 12
3. ヌ ス ラ 戦 線 と の 関 係 .................................................................................... 14
4. 組 織 お よ び 主 要 幹 部 .................................................................................... 15
5. 資 金 ............................................................................................................. 19
6. イ デ オ ロ ギ ー と 戦 略 .................................................................................... 20
7. 規 模 と メ ン バ ー 構 成 .................................................................................... 22
<イラク情勢関連レポート>
米 国 の 対 応 : イ ラ ク に お け る 混 乱 と ジ レ ン マ .................................... 26
イ ラ ク に お け る ISIS の 攻 勢 と イ ラ ン の 対 応 ..................................... 29
GCC 諸 国 か ら み た イ ラ ク 情 勢 .......................................................... 32
イ ラ ク 情 勢 の 急 転 と 国 際 エ ネ ル ギ ー 市 場 へ の 影 響 ............................. 36
イ ラ ク 情 勢 タ イ ム ラ イ ン ( 2014 年 4 月 30 日 ~ 6 月 23 日 ) .............. 40
イ ラ ク 情 勢 に 関 す る 中 東 研 担 当 者 メ デ ィ ア 対 応 状 況 .......................... 42
< ト ピ ッ ク > .................................................................................. 44
カ タ ル : 米 国 と タ ー リ バ ー ン の 人 質 交 換 を 仲 介 .............................................. 44
カ タ ル : IATA( 国 際 航 空 運 送 協 会 ) 年 次 総 会 開 催 .......................................... 44
UAE: ア ル =カ ー イ ダ 支 援 容 疑 の 外 国 人 に 対 し て 終 身 刑 判 決 .......................... 45
UAE: Nakheel は 期 限 前 に 債 務 を 返 済 .............................................................. 45
GCC 諸 国 : バ ハ レ ー ン と オ マ ー ン の 議 会 で 禁 酒 議 論 ...................................... 46
JIME 中東動向分析 20140627
イラクはどこへ向かうのか
――2014 年 イ ラ ク 危 機 の 現 状 と 構 造 的 問 題 ――
1. 首 都 防 衛 戦 が 続 く 戦 況
2. マ ー リ キ 首 相 の 蹉 跌
3. ス ン ナ 派 勢 力 の 隘 路
4. 瓦 解 す る 軍 隊
5. 攻 防 戦 の 行 方
6. 変 わ り ゆ く 政 治 地 図 と 変 わ ら な い 権 力 闘 争
中東研究センター
主任研究員
吉岡
明子
6 月 10 日 に モ ス ル が 陥 落 し た 。そ の 後 、イ ス ラ ー ム 過 激 派 組 織 ISIS( イ ラ ク と シ ャ ー ム
のイスラーム国)はイラク中部の各地で猛威を振るい、イラク政府は多くの町の支配を放
棄することを余儀なくされた。現在は、首都防衛を第一の目的として各地で過激派とイラ
ク政府軍の激しい攻防が続いている。
2003 年 の イ ラ ク 戦 争 か ら 今 日 に 至 る ま で 10 年 以 上 、 イ ラ ク 全 土 の 治 安 状 況 が 平 穏 と 呼
べ る よ う な 事 態 に な っ た こ と は な い 。そ れ で も 、米 軍 が 撤 退 し た 2011 年 末 頃 は 、バ グ ダ ー
ドでも仕事に、買い物に、学校に出かけるといった通常の日常生活が営める程度にまで事
態 は 落 ち 着 き つ つ あ っ た 。し か し 、2013 年 春 頃 か ら 、治 安 は 再 び 悪 化 の 兆 し を 見 せ 始 め た 。
その背景には、隣国シリアが内戦状態に陥ったこと、そしてスンナ派住民の多い中部で反
政 府 デ モ が 広 が り 始 め た こ と の 2 つ が あ る 。 そ の い ず れ も が 、 ISIS の よ う な イ ス ラ ー ム 過
激 派 が 勢 力 を 増 し 、活 動 を 活 発 化 さ せ る 余 地 を 拡 大 さ せ た 。そ し て 、今 回 の ISIS の 大 攻 勢
を受けて、ついにイラクは再び米軍の支援を仰がざるを得ない状況へと追い込まれた。
何がこの危機を招いたのか。なぜ、過激派がイラクでここまで根を張るに至ったのか。
な ぜ 、数 十 万 の イ ラ ク 軍 が 数 千 の テ ロ リ ス ト を 相 手 に 劣 勢 に 立 た さ れ て い る の か 。そ し て 、
今回の一連の争乱は、イラクに何をもたらそうとしているのだろうか。
1. 首 都 防 衛 戦 が 続 く 戦 況
ISIS は 6 月 5 日 以 降 、 サ ー マ ッ ラ の シ ー ア 派 聖 地 ア ス カ リ 聖 廟 を 狙 っ た 攻 撃 、 ア ン バ ー
ル大学学生人質事件、ディヤーラ県のクルド政党事務所への自爆テロ、バグダードでの連
続 爆 弾 テ ロ な ど 、次 々 と 大 規 模 な 攻 撃 を し か け 、つ い に 6 月 10 日 に は 、イ ラ ク 第 二 の 都 市
モ ス ル を 陥 落 さ せ た 。昨 年 末 か ら ISIS は ア ン バ ー ル 県 フ ァ ッ ル ー ジ ャ を 占 拠 し 続 け て い る
が、これは、イラク政府がアンバール県の反政府デモ隊排除に乗り出した際、武装し た地
1/46
JIME 中東動向分析 20140627
元 の 部 族 勢 力 と 衝 突 し て 軍 が 撤 退 し た と い う 間 隙 を 突 い た も の だ っ た 1 。し か し 、進 軍 の 早
さ か ら か す る と 、 今 回 の 攻 撃 は フ ァ ッ ル ー ジ ャ の ケ ー ス と は 異 な り 、 ISIS の 側 が あ る 程 度
作戦を練ってタイミングを計った上で実施してきたものではないかと考えられる。
そ し て 、モ ス ル か ら チ グ リ ス 河 沿 い に 南 下 を 続 け 、12 日 に は 、ISIS の ア ブ・ム ハ ン マ ド ・
アドナーニ広報官の名前で、サーマッラ、バグダード、カルバラ、ナジャフを狙うとの声
明 が 発 表 さ れ た 2 。実 際 に は 、そ れ ら の 重 要 都 市 は 陥 落 で き て い な い も の の 、北 方( ニ ナ ワ
県 、 サ ラ ー ハ ッ デ ィ ー ン 県 )、 西 方 ( ア ン バ ー ル 県 )、 東 方 ( デ ィ ヤ ー ラ 県 ) か ら 首 都 バ グ
ダードを目指して、各地で政府軍と一進一退の戦闘を繰り広げている。通称バグダード・
ベルトと呼ばれる首都の南西部郊外(バービル県北部や、ファッルージャ、アブ・グレイ
ブ な ど を 含 む ) は 従 来 か ら 武 装 勢 力 の 活 動 が 活 発 な 場 所 で あ り 、 ISIS は そ こ か ら も 首 都 へ
の 攻 撃 機 会 を う か が っ て い る 模 様 で あ る 。イ ラ ク 政 府 は 首 都 か ら 100km 圏 内 を 防 衛 ラ イ ン
としており、サラーハッディーン県南部でシーア派聖廟があるサーマッラをストップ・ラ
インと位置付けて死守している他、イランと関係の深い民兵バドル組織をディヤーラ県に
展 開 さ せ て 、 イ ラ ン 国 境 へ の 高 速 道 路 の 警 護 を 固 め て い る 3 。 6 月 23 日 に は 、 こ う し た 防
衛ライン上に位置するサラーハッディーン県ウダイムを政府軍が民兵の支援を得て奪還し
た と も 報 じ ら れ て い る 4。
他方で、とりわけ首都から遠い地区では政府軍の苦戦が目立つ。モスルの西側に位置す
るシーア派トルコマン人の多いタルアファルは、モスル奪還のための拠点と考えられてい
た が 、 激 し い 戦 闘 の 末 に 6 月 22 日 に 陥 落 し た 。 6 月 26 日 現 在 、 イ ラ ク 政 府 は 対 シ リ ア 国
境 、対 ヨ ル ダ ン 国 境 の す べ て の 国 境 検 問 所 を 失 っ て い る 。ラ ビ ー ア 国 境 検 問 所( 対 シ リ ア 、
ニ ナ ワ 県 ) は ク ル デ ィ ス タ ン 地 域 政 府 ( KRG: Kurdistan Regional Government ) の 軍 隊 ペ シ
ュ メ ル ガ が イ ラ ク 軍 撤 退 に 伴 っ て 制 圧 し て お り 5、 ト レ イ ビ ー ル 国 境 検 問 所 ( 対 ヨ ル ダ ン 、
ア ン バ ー ル 県 )は 地 元 の 部 族 勢 力 が 押 さ え て い る と 報 じ ら れ る な ど 6 、イ ラ ク 軍 が 撤 退 し た
と こ ろ を 必 ず し も ISIS が 占 拠 し て い る わ け で は な い が 、イ ラ ク 政 府 が 統 治 で き て い な い 町
や要衝が増えていることも事実である。
バ グ ダ ー ド に 関 し て は 、政 権 が 死 守 す る 構 え で あ り 、人 口 規 模 も 極 め て 大 き い こ と か ら 、
陥落という事態にはならないと見られる。ただ、従来からそうであったように、自動車爆
弾や迫撃砲、自爆テロなどの治安上の脅威は引き続き高い。情勢が流動化していることを
受 け て 、 予 防 措 置 と し て 米 国 大 使 館 及 び 国 連 イ ラ ク 支 援 団 は 、 そ れ ぞ れ 6 月 15 日 と 16 日
に 、エ ル ビ ル や バ ス ラ 、ヨ ル ダ ン の ア ン マ ン な ど へ の 人 員 の 一 時 退 避 を 発 表 し た 7 。日 本 政
府 も 6 月 24 日 付 け で 、エ ル ビ ル に 在 イ ラ ク 日 本 大 使 館 臨 時 事 務 所 を 開 設 す る こ と を 明 ら か
に し た 8。
ISIS が 猛 威 を 振 る っ て い る の は 、 イ ラ ク 中 部 に 限 ら れ て い る ( 図 表 1 参 照 )。 シ ー ア 派
1
2
3
4
5
6
7
8
拙 稿 「 イ ラ ク : ア ン バ ー ル 県 で 戦 闘 激 化 」『 中 東 研 ニ ュ ー ズ リ ポ ー ト 』 2014.01.06 を 参 照 。
France 24, 2014.06.12.
Michael Knights, “Building Base for Iraq ’s Counteroffensive: The Role of U.S. Security Cooperation, ”
PolicyWatch 2274 , 2014.06.19.
Heather L. Pickrell, Ahme d Ali, and ISW Iraq Team, Iraq Situation Report: June 24, 2014, Institute for the
Study of War, 2014.06.25.
Wladimir van Wilgenburg, “Iraqi Kurds seize control of key Syria border crossing ,” al-Monitor, 2014.06.19.
Reuters, 2014.06.24.
The New Yo rk Times, 2014.06.15; Xinhua, 2014.06.17 .
日 本 外 務 省 ウ ェ ブ サ イ ト , 2014.06.24.
2/46
JIME 中東動向分析 20140627
住 民 の 多 い 南 部 や 、KRG が 支 配 す る 北 部 は 、境 界 付 近 で 断 続 的 に 戦 闘 は 起 こ っ て い る も の
の 、 内 部 で は 比 較 的 平 穏 が 保 た れ て い る 。 そ の 背 景 に は 、 ISIS な ど の 過 激 派 が 、 中 部 の ス
ンナ派住民の不満を利用して拠点を築いてきたという側面がある。
図 1 : 2014 年 6 月 26 日 時 点 の 戦 況
出 所 : Institute for the Study of Wa r, Control of Terrain in Iraq: June 26, 2014 , 2014.06.27.
2. マ ー リ キ 首 相 の 蹉 跌
イラクにおける治安状況が、とりわけ中部地域で悪化の傾向が著しいという状況は、過
去数年間変わっていない。そこには、現政権に不満を抱くスンナ派住民と、イラク国家崩
3/46
JIME 中東動向分析 20140627
壊 を 狙 う ISIS な ど の 過 激 派 が 、反 マ ー リ キ と い う 一 点 で 協 調 の 余 地 を 見 い だ し て い る と い
う問題がある。
それゆえ、イラク政府に軍事支援を求められた米国政府は、問題は単なる軍事作戦の是
非 に 留 ま ら ず 、政 治 的 解 決 策 こ そ が 必 要 だ と 指 摘 し て い る 。6 月 19 日 に イ ラ ク へ の 軍 事 顧
問 300 名 の 派 遣 を 発 表 し た オ バ マ 大 統 領 は 、 包 括 的 な 政 治 プ ロ セ ス 、 包 括 的 な 政 府 と い う
言葉を繰り返し、危機解決のためにはスンナ派の取り込みを狙ったイラク政府の政治的な
イ ニ シ ア チ ブ が 不 可 欠 だ と 強 調 し た 9 。そ し て 、主 権 国 家 で あ る イ ラ ク の 首 相 人 事 に 直 接 介
入 す る こ と は 控 え た が 、6 月 23 日 に バ グ ダ ー ド を 訪 問 し た ケ リ ー 国 務 長 官 は 、4 月 30 日 に
実施された国民議会選挙の結果が確定したことを受けて、速やかに国民議会を開会し、新
た に 国 会 議 長 、 大 統 領 、 首 相 を 選 ぶ よ う 強 く 求 め た 10。 こ れ は 、 マ ー リ キ は 退 陣 し て 新 た
な首相を早急に選出すべきという紛れもない圧力である。
現状の危機を招いた一因として、マーリキ首相の二期 8 年の政権運営の失敗があったこ
と は 間 違 い な い 。 特 に 二 期 目 ( 2010~ ) に 入 っ て か ら 、 権 力 を 首 相 に 集 中 さ せ よ う と し て
きた中で、マーリキ首相は挙国一致内閣を形骸化させ、首相府から軍の司令官に直結する
指令系統を構築し、圧力を通じて政権に都合の良い司法判決を引き出すなど、強権的な手
法 が 目 立 っ て い た 11。 そ う し た 権 力 の 掌 握 に よ っ て 、 も っ と も 不 満 を 募 ら せ た の が ス ン ナ
派勢力であった。例えば、旧バアス党の復権を防ぐために適用される問責・更正法(脱バ
ア ス 党 法 の 後 継 )の 適 用 に よ っ て 、2010 年 の 国 民 議 会 選 挙 立 候 補 者 の う ち 400 名 以 上 が 立
候補資格を事実上剥奪されたが、そこには、スンナ派の支持が厚い政党連合イラーキーヤ
の 所 属 候 補 者 が 多 く 含 ま れ て い た 1 2 。2011 年 秋 頃 に は 、ス ン ナ 派 住 民 が 多 い 県 で 、地 域( 自
治区)形成のための住民投票を行う決議が県議会で採択されたが、マーリキ首相はそれを
拒否し、司法も黙認した。また、イラクの治安部隊が、テロ対策と称して大勢の住民を違
法逮捕し、裁判もないまま長期間拘束することや、秘密拘留所で拷問を行うことが繰り返
さ れ て き た 13。 そ う し た 拘 留 者 に は 、 も ち ろ ん 様 々 な 住 民 が 含 ま れ て い た も の の 、 圧 倒 的
に 多 か っ た の は ス ン ナ 派 の 住 民 で あ っ た 1 4 。2013 年 春 頃 か ら は 、治 安 悪 化 へ の 対 処 と し て 、
シーア派民兵がイラク軍と共にバグダードなどで非公式に治安維持に参加することが増え
始 め た 15。 そ う し た 一 連 の 政 権 の 姿 勢 が 、 ス ン ナ 派 住 民 の 不 信 、 そ し て イ ラ ク の 不 安 定 化
を招いたことは疑い得ない。
3. ス ン ナ 派 勢 力 の 隘 路
他方で、首相がマーリキでなくとも、シーア派の首相であれば誰であれ政権運営は困難
であっただろうとも考えられる。イラク戦争後の政治プロセスは、民主化の観点から選挙
によって政治体制を形成してきたが、そもそも選挙を戦うための組織力、集票力の点で旧
反体制派政党が有利であったことや、バアス党を排除した後の受け皿組織が決定的に欠如
9
米 国 大 統 領 府 ウ ェ ブ サ イ ト , 2014.06.19.
Fox News, 2014.06.23.
11
拙 稿 「 マ ー リ キ ・ イ ラ ク 首 相 の 強 権 統 治 と そ の 反 動 」『 海 外 事 情 』 2013 年 7/8 月 号 を 参 照 。
12
al-Hayat, 2010.02.09.
13
Human Rights Watch, “Iraq: Secret Jail Uncovered in Baghdad ,” 2011.02.01.
14
Vox, 2014.06.15.
15
拙 稿 「 広 が る イ ラ ク の 地 域 間 治 安 格 差 」『 中 東 動 向 分 析 』 2014 年 2 月 号 を 参 照 。
10
4/46
JIME 中東動向分析 20140627
していたことから、選挙の動員はシーア派、スンナ派、クルドといった宗派的・民族的基
盤 に 依 存 す る こ と に な り 、人 口 構 成 が 政 治 権 力 に 直 結 す る 結 果 を 生 ん だ 。イ ラ ク に お い て 、
マイノリティであるという立場を認識した上で、だからこそ北部に築いた自治区の維持と
そ の 権 限 強 化 に 全 力 に 傾 け た ク ル ド と は 異 な り 、 ク ル ド と 同 程 度 の 人 口 構 成 ( 約 20%) で
あるスンナ派アラブ人は、そうした宗派民族間の亀裂を所与のものとした政治体制を築く
こと、その上でシーア派が主導する政権を受け入れるということに、 当初から否定的であ
った。というのも、イラクの歴史において、国家建設の主導権を握ってきたスンナ派が、
自らをマイノリティ集団として自覚する経験はそもそも皆無であったという背景がある。
今 で も ス ン ナ 派 住 民 の 間 で は 、ス ン ナ 派 が 人 口 面 で 多 数 派 を 占 め て い る こ と 、す な わ ち 、
アラブ人スンナ派が相対多数の勢力であり、クルド人を含めるとスンナ派が過半数を占め
る 、 と い う 旧 政 権 時 代 に 意 図 的 に 流 布 さ れ た 誤 認 識 が な お 広 く 信 じ ら れ て い る と い う 16。
ヌ ジ ャ イ フ ィ 国 会 議 長 は 6 月 23 日 の ケ リ ー 米 国 務 長 官 と の 会 談 の 場 で 、米 軍 に よ る 軍 事 オ
プションは、正義、公平性、バランスを確保した政治的解決策とセットであるべきだと訴
え た 17。 ス ン ナ 派 の 政 治 家 が 求 め る バ ラ ン ス と は 、 公 務 員 採 用 や 軍 の 司 令 官 ポ ス ト な ど に
おいて、スンナ派の人口構成が適切に反映されるべきということを意味している。しかし
ながら、イラク戦争後の脱バアス党政策の恣意的な運用によってスンナ派が集中的に排除
されたという側面は否定できないものの、そもそもの人口構成の認識に齟齬があるとする
と、このバランス論においてはいつまで経っても不公平感が解消されることがない。
イ ラ ク 戦 争 後 、 2005 年 、 2010 年 、 2014 年 に 国 民 議 会 選 挙 が 行 わ れ て お り 、 ス ン ナ 派 住
民が多い地域においても、投票率は決して低くはない。治安の問題もあって、県によって
は 投 票 率 が 50%を 切 る ケ ー ス も あ っ た が 、 概 ね 他 の 地 域 と 同 等 で あ り 、 新 し い 政 治 プ ロ セ
スの正統性がスンナ派住民に否定されているわけではない。従って、現政権の正統性を全
否 定 し て 武 装 闘 争 に 従 事 し て い る 過 激 派 や 武 装 勢 力 は 、か な り の 少 数 派 に 留 ま る と い え る 。
だが同時に、積極的に現政権を支持する勢力もまた、かなりの少数派に留まっており、政
治 的 野 心 か ら で あ れ 何 で あ れ 、マ ー リ キ 首 相 を 明 確 に 支 持 す る 政 治 家 は 、
「マーリキのスン
ナ 派 」 と 呼 ば れ て ス ン ナ 派 コ ミ ュ ニ テ ィ 内 で の 支 持 を 失 う と い う 問 題 も 抱 え て い る 18。
2011 年 末 に テ ロ 支 援 容 疑 で 政 権 を 追 わ れ た ハ ー シ ミ 元 副 大 統 領 は 、6 月 16 日 の イ ン タ ビ
ュ ー で 、 ISIS の 存 在 を 否 定 し な い ま で も そ の 存 在 を 極 め て 矮 小 化 し 、 今 起 こ っ て い る こ と
は 11 年 間 虐 げ ら れ て き た 人 々 の 反 乱 な の だ 、 と 語 っ た 1 9 。 そ う し た ゆ が ん だ 現 状 認 識 は 、
とりもなおさず、それがスンナ派コミュニティにおいて支持が得られやすい言説であると
いうことを示している。反政権のためならば、過激派さえも利用あるいは協力しようとい
う 姿 勢 は 、 政 治 家 の み な ら ず ス ン ナ 派 の 宗 教 界 に も 見 ら れ る 傾 向 で あ る 20。 シ ー ア 派 を 背
教 者 と 断 罪 し 、集 中 的 に 標 的 に し て 凄 惨 な 殺 戮 を 行 う 過 激 派 へ の こ う し た 融 和 的 な 態 度 が 、
シーア派から不信を買っていることは疑い得ない。
2012 年 末 に イ ー サ ー ウ ィ 財 務 相 の ボ デ ィ ガ ー ド が 治 安 部 隊 に 大 量 逮 捕 さ れ る と い う 事
件をきっかけに、スンナ派住民の間で大規模な反政府デモが繰り広げられるようになった
16
17
18
19
20
Vox, 2014.06.15.
NINA, 2014.06.23.
Fanar Haddad, “Getting rid of Maliki won ’t solve Iraq ’s crisis, ” The Washington Post, 2014.06.17.
Reuters, 2014.06.17.
Uticensis Risk Services, Inside Iraqi Politics , Issue N.87, p.2.
5/46
JIME 中東動向分析 20140627
が 、 そ う し た デ モ 隊 の 間 で は 、 し ば し ば 旧 政 権 時 代 の 国 旗 が 掲 げ ら れ て い た 21。 さ ら に 、
今 回 の ISIS の 攻 勢 に お い て は 、旧 政 権 幹 部 で あ っ た イ ッ ザ ト・ド ゥ ー リ が 率 い る 武 装 勢 力
JRTN( ナ ク シ ュ バ ン デ ィ 軍 )も 共 に 勢 力 を 広 げ て い る と 言 わ れ る 。旧 政 権 に 郷 愁 を 抱 く 人 々
が少なくないとするならば、単にマイノリティとしてのスンナ派の権利確保だけでは満足
し得ない層もまた、少なくないと推察することができよう。そうした人々の不満を背景に
した政治交渉は、極めて妥協点の難しいものになる。例えば、脱バアス党政策の撤廃とい
う 要 求 は 、マ ー リ キ で な く と も 、シ ー ア 派 の 首 相 が そ れ を 承 諾 す る 可 能 性 は ゼ ロ で あ ろ う 。
現在の政治体制への不満に対して、現実的な妥協点をどこに設定して交渉するのか、あ
るいは交渉さえしないのか。クルドのように自治区を形成することでマイノリティとして
自立性を高めるのか、シーア派優位の政治体制そのものに反対するのか。スンナ派コミュ
ニティにおいて、意見は未だ収斂していない。つまるところ、イラク戦争後の政治プロ セ
スにおいて、シーア派が率いる新しいイラクにおいて、スンナ派の居場所をどこに求める
のか、というコンセンサスを築くことに、スンナ派政治家たちは失敗してきたのである。
4. 瓦 解 す る 軍 隊
政治の失敗は、軍事面にも直接的に影響を及ぼしてきた。モスル陥落後のわずか数日間
で 、 ISIS が 次 々 と 複 数 の 町 を 陥 落 し 得 た の は 、 イ ラ ク 軍 が 続 々 と 敗 走 し て い っ た か ら に 他
な ら な い 。 25 万 人 の イ ラ ク 軍 が 、 わ ず か 7000 人 と 見 ら れ る ISIS に 対 し て 劣 勢 に 立 た さ れ
るという状況は、国軍がそもそもまともに機能していなかったことを意味している。こ の
背景には、汚職、プロ意識の欠如、訓練不足といった問題がある。例えば、モスルを県都
とするニナワ県では、県知事が部隊に特定の場所に駐留を命じても、危険を理由に大隊司
令官が命令を拒否するといった事例が何年も前からあったという。少なくともバグダード
周 辺 に 配 置 さ れ て い る 部 隊 は 精 鋭 部 隊 で あ る 傾 向 に あ る も の の 、今 回 ISIS が 攻 め 込 ん だ 一
帯 に は 、 と り わ け そ う し た イ ラ ク 軍 の 問 題 が 多 か っ た と い う 22。
そして、前述したように治安部隊が違法逮捕を繰り返し、スンナ派住民を不当に拷問、
殺害しているというニュースは、武装勢力につなが るテレビ局だけでなく、政治プロセス
を 支 援 し て い る ス ン ナ 派 系 の テ レ ビ 局 で も 、 日 々 取 り 上 げ ら れ て い る 23。 こ の よ う な 状 況
のなかで、イラク軍が国軍として地域住民の支持を得ていなかったことは明らかである。
政権に批判的な人々は、イラク軍のことを「マーリキの軍隊」と呼ぶ。特定地域の軍と警
察を統制する中央コマンドの役割を果たす作戦司令部のうち、アンバール、ニナワ、サー
マッラ(サラーハッディーン県南部管轄)の作戦司令部司令官 がいずれもシーア派である
と い う 事 実 も 24、 そ う し た 見 方 を 助 長 し て い た と 言 え よ う 。 治 安 維 持 の た め に は 、 地 域 住
民、警官や兵士、部隊司令官、国防相、そして最高司令官である首相へとつながる相互の
信頼関係があってこそ機能する。その信頼関係がスンナ派住民地域では決定的に壊れてい
たことが、今回の争乱で露呈した。
21
22
23
24
Musings on Iraq, 2013.05.07.
Vox, 2014.06.20.
Uticensis Risk Services, op.cit., p.2.
サーマッラ作戦司令部司令官のサバーハ・ファトラーウィは、法治国家連合所属のハナーン・ファ
ト ラ ー ウ ィ 議 員 の 兄 弟 で あ る 。 Uticensis Risk Services, Inside Iraqi Politics, Issue No.85, pp.5 -6.
6/46
JIME 中東動向分析 20140627
加えて、軍に入り込んだ反政府勢力によるクーデタを恐れたマーリキ首相が、意図的に
軍 隊 を 弱 く し て い た と い う 側 面 も あ る 。 例 え ば 首 相 は 、 2011 年 10 月 、 1999 年 に 暗 殺 さ れ
たサーディク・サドル師(ムクタダ・サドルの父。バアス党政権が殺害したと見られてい
る)の追悼式において、イラクは未だバアス党復権の危険の最中にあると述 べ、独裁の復
活 を 防 が な け れ ば な ら な い と 国 民 に 語 っ て い た 25。 そ う し た 認 識 ゆ え に 、 首 相 は 、 司 令 官
や軍の高官の選任には、自らに忠実であるかどうかを最重要視し、能力よりも忠誠心に基
づ く 人 事 を 行 っ て き た 26。 そ れ は 、 首 相 の 身 を 脅 か さ な い 保 証 に は な っ て も 、 イ ラ ク 国 軍
としての能力を犠牲にしてきたのである。
5. 攻 防 戦 の 行 方
勢 力 を 拡 大 す る ISIS に 対 し て 、イ ラ ク 政 府 は 民 兵 や 義 勇 兵 を 動 員 す る こ と で イ ラ ク 軍 の
戦力を補おうとしている。シーア派民兵は活動を公然と活発化させ、すでにイラク軍と共
に前線で戦闘に参加している模様である。サドル派の「約束の日」旅団(旧マフディ軍)
は 6 月 21 日 、 バ グ ダ ー ド や 南 部 諸 都 市 で 数 千 人 が 参 加 す る 大 規 模 な 軍 事 パ レ ー ド を 行 い 、
そ の 勢 力 を 誇 示 し た 27。 バ ド ル 組 織 を 率 い る ハ ー デ ィ ・ ア ー ミ リ は デ ィ ヤ ー ラ 県 の 治 安 維
持 を 任 さ れ て お り 2 8 、 AAH( 正 し き 者 た ち の 同 盟 ) は サ ラ ー ハ ッ デ ィ ー ン 県 に 展 開 し て い
る 模 様 で あ る 29。 こ う し た 民 兵 組 織 は 、 シ ー ア 派 聖 地 保 護 の 名 目 で 、 近 年 シ リ ア で の 戦 闘
に 参 加 し て い た こ と や 、4 月 30 日 に 行 わ れ た 国 民 議 会 選 挙 の た め に す で に 動 員 さ れ て い た
こ と か ら 、 比 較 的 短 期 間 で 集 結 が 進 ん だ も の と 見 ら れ る 30。
ま た 、マ ー リ キ 首 相 は 、モ ス ル 陥 落 翌 日 の 6 月 11 日 に は 、義 勇 兵 と し て 戦 う ボ ラ ン テ ィ
ア を 広 く 国 民 か ら 募 集 す る こ と を 発 表 し 、13 日 の 金 曜 礼 拝 で シ ス タ ー ニ 師 の 代 理 人 で あ る
カルバラーイ師が武器を持って戦うようイラク国民に呼びかけたこともあり、義勇兵の登
録は数千ないし数万に上っている模様である。こうした義勇兵は、訓練や装備、後方支援
の観点から、首都近郊の防衛戦への投入などに限られ、戦力としては限定的と見られてい
る 31。
シ ス タ ー ニ 師 は 6 月 20 日 に 声 明 を 発 表 し 、マ ル ジ ャ イ ー ヤ( シ ー ア 派 宗 教 界 )が 国 民 に
求めたことは、正式な治安部隊に参加することであって、法の枠外に武器を持った民兵を
組 織 す る こ と で は な い と 釘 を 刺 し た 32。 民 兵 や 義 勇 兵 が 政 府 の 緩 い 統 制 の も と で 動 員 さ れ
ることで、宗派間の暴力が拡大することを懸念したためであろう。しかしながら、政権は
危機への対応策としてこうした民兵や義勇兵を活用する方針を変えておらず、混沌とする
前線で見境のない虐殺が引き起こされる可能性や、民兵同士間の諍いが勃発することは十
25
26
27
28
29
30
31
32
Idha’ al-Iraq al-Hurr, 2011.10.03.
Toby Dodge, “Iraq and Next American President, ” Survival, October-November 2008, p.41; Michael Knight s
& Eamon McCarthy, “Provincial Politics in Iraq . Fragmentation or New Awakening?, ” Policy Focus #81,
April 2008, pp.22 -24 ; The Economist, 2014.06.21.
AP, 2014.06.21.
Buratha News, 2014.06.13.
al-Gharbiya, 2014.06.11 ; al-Mashriq, 2014.06.13 .
Ahmed Ali with Kimberly Kagan , “Th e Iraqi Shi'a Mobilization to Counter the ISIS Offensive ,” Institute for
the Study of War Iraq Updates, 2014.06.15.
Michael Knights, “Building Base for Iraq ’s Counteroffensive: The Role of U.S. Security Cooperation, ”
PolicyWatch 2274 , 2014.06.19.
シ ス タ ー ニ 師 ウ ェ ブ サ イ ト , 2014.06.20.
7/46
JIME 中東動向分析 20140627
分 あ り 得 る 。こ れ は 、ISIS な ど の 過 激 派 に つ い て も 同 様 で あ る 。21 日 に は 、キ ル ク ー ク 県
南 部 の ハ ウ ィ ー ジ ャ で 、 ISIS と JRTN が 燃 料 タ ン カ ー を 取 り 合 っ て 戦 闘 に な っ た と 報 じ ら
れ て お り 33、 行 政 ・ 統 治 能 力 に 欠 け る 戦 闘 組 織 が 支 配 す る 町 が 増 え る ほ ど 、 こ う し た 衝 突
は 増 え る と 予 想 さ れ る 。イ ラ ク 軍 対 ISIS と い う 戦 闘 の 基 本 構 図 の 周 辺 で 、シ ー ア 派 民 兵 と
スンナ派武装組織の間、ないしそれぞれの勢力の間で、中部やバグダードにおいて内戦状
態となる可能性が高いことは念頭に置いておくべきだろう。
加 え て 、北 部 で は ペ シ ュ メ ル ガ と ISIS と の 間 で 戦 闘 が 散 発 的 に 発 生 し て い る 。イ ラ ク 軍
の撤退に伴って、クルド人住民が多い場所ではペシュメルガがかなり南進して勢力を拡大
させており、境界線上でそうした戦闘が起こっている模様である。
ニ ナ ワ 県 北 部 に お い て は 、 モ ス ル 市 の す ぐ 北 側 ま で ペ シ ュ メ ル ガ が 展 開 し て お り 、 ISIS
掃討のためには、ペシュメルガがモスルに進軍する、ないしはイラク軍がペシュメルガ支
配 地 域 を 出 撃 拠 点 と し て 使 う こ と が 最 も 有 効 で あ る 。 し か し 、 KRG は 30 万 人 に 上 る モ ス
ル か ら の 避 難 民 の 受 け 入 れ や 3 4 、ニ ナ ワ 県「 亡 命 」政 府 へ の 拠 点 提 供 3 5 、モ ス ル や タ ル ア フ
ァ ル な ど 近 隣 の 前 線 か ら 撤 退 し た イ ラ ク 軍 司 令 官 ら の 一 時 避 難 先 と し て の 機 能 な ど 36、 い
わば後背地としての役割はある程度果たしてはいるものの、基本的にはクルディスタンの
安定を最優先とする姿勢を堅持しており、彼らが「クルド人の土地」と考える場所を越え
てまで戦闘に従事するつもりはない。年初から石油輸出問題や予算送金問題を巡ってイラ
ク 政 府 と KRG の 政 治 的 対 立 が 深 ま っ て い た こ と に 加 え 、 ISIS と イ ラ ク 軍 の 戦 闘 の 間 に 、
漁 夫 の 利 を 得 る よ う に し て KRG が キ ル ク ー ク 市 を 始 め 多 数 の 町 を 支 配 下 に 治 め た こ と に
対 し て 、 反 発 が 強 ま っ て い る 3 7 。 従 っ て 、 ISIS 掃 討 の た め に イ ラ ク 軍 と ペ シ ュ メ ル ガ が 共
同作戦を行う可能性は低く、モスルなど首都から遠い都市を奪還するためのイラク軍の戦
況は厳しいものと思われる。
イ ラ ク 政 府 か ら の 強 い 要 請 を う け て 米 国 政 府 は 300 名 の 軍 事 顧 問 派 遣 を 決 め た が 、 支 援
は限られたものであり、仮に今後空爆などを行うとしても、地上軍の投入を伴わない外科
手術的な攻撃が果たして戦況を変えるきっかけになるかどうかは、現時点では未知数と言
わ ざ る を 得 な い 38。
33
34
35
36
37
38
AFP, 2014.06.21.
UNAMI に よ る 2014 年 6 月 15 日 の ツ イ ー ト
al-Mada, 2014.06.14.
Iraq Oil Report , 2014.06.13 ; al-Kitabat, 2014.06.22 .
al-Jazeera, 2014.06.25.
軍事顧問の役割は、イラクと米国との間の共同情報センターを立ち上げ、将来的な空爆の可能性に
備 え て 、 必 要 な 情 報 を 収 集 す る こ と が 主 眼 と み ら れ る ( USA Today, 2014.06.24)。
8/46
JIME 中東動向分析 20140627
図 2: 現 在 の ペ シ ュ メ ル ガ の 展 開 地 域
出 所 : The Economist, 2014.06.21.
6. 変 わ り ゆ く 政 治 地 図 と 変 わ ら な い 権 力 闘 争
今回の争乱を経て、政治地図がもっとも大きく変わろうとしているのは、北部の自治区
で あ る ク ル デ ィ ス タ ン 地 域 で あ る 。 同 地 域 は 1990 年 代 か ら 事 実 上 の 自 治 区 で あ っ た が 、
2005 年 の 新 憲 法 で 独 自 の 議 会 、政 府 、軍 隊 な ど を 持 つ 広 範 な 自 治 権 限 を 有 し た「 地 域 」と
いう行政単位として承認された。しかし、自治区内の石油資源の管理、予算配分、境界線
上 の 土 地 の 帰 属 な ど を め ぐ っ て 、 KRG と イ ラ ク 政 府 の 間 で 未 解 決 の 問 題 が 山 積 し て い る 。
その背景として、旧政権時代に政府から過酷な弾圧を経験してきたクルド人が、中央政府
に対して極めて強い不信感を抱いているという問題がある。
「自分たちの運命を他の誰かに
決 め さ せ る こ と は で き な い 」3 9 と い う 信 念 に 基 づ い て 、中 央 政 府 の 対 等 な パ ー ト ナ と し て 、
自 治 区 に 関 す る あ ら ゆ る 決 定 に フ リ ー ハ ン ド を 得 よ う と す る KRG に 対 し 、 あ く ま で イ ラ
ク 国 家 の 一 体 性 を 保 つ べ く KRG も 中 央 政 府 の 方 針 に 従 う べ き と 考 え る イ ラ ク 政 府 の 間 で 、
見解の相違は一向に埋まらなかった。
そ う し た 中 で 、 今 回 の ISIS の 侵 攻 と イ ラ ク 軍 の 敗 走 に よ っ て 、 KRG は 係 争 地 の ほ と ん
39
Kurdistan-Iraq Oil & Gas 会 議 に お け る ネ チ ル ヴ ァ ン KRG 首 相 の 発 言 。 2013 年 12 月 2 日 、 エ ル ビ ル
にて。
9/46
JIME 中東動向分析 20140627
どを実効支配するに至った。その中には、クルドにとってのエルサレムと言われていたキ
ル ク ー ク も 含 ま れ て い る 。2003 年 の イ ラ ク 戦 争 時 、米 軍 と 共 に ペ シ ュ メ ル ガ が フ セ イ ン 政
権 か ら キ ル ク ー ク な ど 多 く の 都 市 を「 解 放 」し た 際 に は 一 旦 撤 兵 し た が 、そ の 後 の 11 年 間
で係争地問題が解決を見なかったことから、今回は、もはや撤退はしないという姿勢が鮮
明 で あ る 。 フ ァ ラ ー フ ・ バ ー キ ル KRG 外 務 長 官 は 「 モ ス ル ( 陥 落 ) 後 」 の イ ラ ク は も は
やモスル前と同じではないと指摘し、新しい境界、新しい政治的現実に基づいて、自分た
ちは内戦に巻き込まれることなく、クルディスタン地域の人々、経済、社会、公共サービ
ス 、 安 全 に 取 り 組 ん で い く 、 と 語 り 、 事 実 上 の 独 立 を 見 据 え た 発 言 を し て い る 40。
む ろ ん 、急 に 版 図 を 広 げ た こ と で 、ア ラ ブ 人 や ト ル コ マ ン 人 な ど 多 く の「 マ イ ノ リ テ ィ 」
を 自 治 区 内 に 抱 え る こ と に な っ た こ と や 、過 激 派 ISIS と 長 い 前 線 を 挟 ん で 向 き 合 わ ざ る を
得 な く な っ た と い う 新 た な 課 題 も 浮 上 し て い る 41。 し か し 、 キ ル ク ー ク を 始 め と す る 係 争
地 を ほ ぼ 手 中 に 収 め た こ と 、 そ し て 、 折 し も 独 自 に 探 鉱 ・ 開 発 し た 原 油 104.8 万 バ ー レ ル
の初の輸出契約が成立し、独自の財源を手にしたというタイミングとも重なり、クルディ
スタンの独立機運はかつてなく高まっている。クルディスタンからの 「密輸」原油を購入
した企業は訴えるとイラク政府が脅す中で、最初に輸入を決めたのはイラクと国交のない
イ ス ラ エ ル の 企 業 で あ っ た 42。
独立には国際社会の承認が必要であり、一足飛びにそこに至ることは考えにくい。しか
し、係争地と独自財源という 2 つの成果を手に、クルディスタンではもはや独立は可能か
不可能かという問題ではなく、いつ実現するか、という時間の問題だと捉えられ始めてい
る。少なくとも、例えば台湾のように、法的地位は独立国家のそれとは異なっても、国内
的にも国際的にも事実上の独立国家と見なされるような形に向かってい く可能性を念頭に
置いておくべきであろう。
短 期 的 に は 、新 イ ラ ク 政 府 の 組 閣 交 渉 に お け る ク ル ド の 立 ち 位 置 が 大 き く 変 化 し て い る 。
6 月 24 日 に エ ル ビ ル で ケ リ ー 国 務 長 官 と 会 談 し た バ ル ザ ー ニ KRG 大 統 領 は 、
「我々は新し
い現実、新しいイラクに直面している」と述べ、ケリー長官が求めるイラクの挙国一致内
閣 へ の 参 加 を 否 定 し な い ま で も 、 そ れ は 自 分 た ち の 条 件 次 第 だ と 主 張 し た と い う 43。 ク ル
ド 政 党 は 今 回 の 国 民 議 会 選 挙 に あ た っ て 、表 向 き は マ ー リ キ 首 相 の 三 選 に は 反 対 し つ つ も 、
現実問題としてクルドは首相を選べる立場にはなく、野党になっても影 響力を失うことも
得策とは言えず、
「 シ ー ア 派 が 一 致 し て マ ー リ キ を 首 相 候 補 と す る な ら 受 け 入 れ る 」44と い
う路線が本音であった。しかし、今月に入ってからの情勢の変化を受けて、クルドの要求
のハードルがかなり上がっていることは間違いない。要求が満たされないならば、政権に
参加しないという可能性もあり得るだろう。
そ し て そ の 新 政 権 の 組 閣 は 、 4 月 30 日 の 選 挙 結 果 の 確 定 を 受 け 、 7 月 1 日 に 議 会 を 招 集
す る こ と と な っ た 45。 こ れ に よ り 、 組 閣 プ ロ セ ス が 本 格 的 に 開 始 す る こ と に な る 。 す な わ
40
41
42
43
44
45
Iraq Oil Report , 2014.06.20.
Christine van den Toorn, “The Iraqi Kurdish ‘Winners’ of the Current Crisis Haven ’t won Quite Yet, ” Niqash ,
2014.06.17.
Iraq Oil Report , 2014.06.24.
Rudaw, 2014.06.25.
KDP 政 治 局 員 マ フ ム ー ド・ム ハ ン マ ド 氏 に 対 す る 筆 者 イ ン タ ビ ュ ー 、2014 年 4 月 29 日 、エ ル ビ ル 県
サラーハッディーンにて。
た だ し 、 連 邦 裁 判 所 は 6 月 16 日 に 選 挙 結 果 を 承 認 し た 際 、 4 名 の 当 選 者 に つ い て は 犯 罪 に 関 与 し て
10/46
JIME 中東動向分析 20140627
ち、危機を理由に組閣プロセスを棚上げする、あるいは臨時政府を形成するといった、超
法規的措置を取るという展開は当面、回避されたと言える。米国からの外圧もあって、次
なる首相候補の名前も複数取りざたされているが、マーリキ首相はこれまでのところ、一
連の争乱の責任をとって退陣するといった意思は全くみせていない。そもそも選挙戦にお
いて、マーリキ首相は、軍の最高司令官として断固としてテロと戦う強いリーダー像を打
ち出しており、その背景には、シーア派の守護者としての立ち位置を意識していることが
見て取れる。その立場は過激派との戦闘が激化する現在もなんらかわるところはなく、引
き続き、続投を求めて多数派工作を続けていくだろう。マーリキ首相への風当たりは国内
外のいずれにおいても強いが、それでも彼はイラクでもっとも人気のある政治家であるこ
と は 間 違 い な い 。選 挙 で は 72 万 票 と い う ト ッ プ の 個 人 得 票 数 を 記 録 し 、彼 が 率 い る 法 治 国
家 連 合 は 95 議 席 を 確 保 し て 第 一 党 と な っ た 。民 主 主 義 を 背 景 に し た 続 投 の 正 統 性 が 失 わ れ
ているわけではない。通常のプロセスに則って組閣を行うということは、マーリキ首相が
続投するのかしないのか、挙国一致内閣か多数派の内閣か、という点を軸に、組閣交渉が
続 く も の と 見 ら れ る 46。
こうした議会の多数派工作の過程において、何らかの政策の方向性が打ち出されること
もあるが、多くは政党間、個人間の権力闘争に終始する傾向にある。組閣交渉が続く間、
建設的な政治的解決策に至らず、当面の危機への対策は、軍事的なそれに依存する可能性
が高い。そして、新たな政権が発足したとしても、その首相が誰であれ、舵取りは極めて
困難なものになるであろうことは間違いない。何より、イラク中部における戦闘の拡大と
内戦の深化という事態がこの先続くようであれば、実質的に中央政府が支配できているの
は首都バグダード(の一部)と南部だけに限られ、国家の体をなさなくなるという事態に
立ち至り、それは取りも直さず、意図せざるイラク三分割という帰結に至る可能性も、も
はや排除し得ないであろう。
米軍撤退によってイラクが失ったものは軍事的な支援だけでなく、政治的な仲介者でも
あった。米国政府は軍を撤退させた後、イラクの問題はイラク人の手で解決させるべく、
内政への干渉を控えてきたという経緯がある。その背景には、ブッシュ政権からオバマ政
権に代わったことも影響していただろう。しかし、シーア派やスンナ派やクルドといった
コミュニティの利害を離れて国益を調整できる政治家が欠いたイラクは、求心力よりも遠
心力の方が上回った。この流れを変えるのは、もはや簡単ではない。
46
いる疑いから承認を延期している。この 4 名の扱いが新議会でどうなるのかは不明である(選挙管
理 委 員 会 ウ ェ ブ サ イ ト , 2014.06.16 .)。
国民議会選挙の結果分析ならびに組閣交渉の展望については、拙稿「イラク国民議会選挙は法治国
家 連 合 の 勝 利 - 次 期 首 相 選 出 へ の 4 つ の シ ナ リ オ - 」『 中 東 協 力 セ ン タ ー ニ ュ ー ス 』 2014 年 6/7 月 号
(6 月末発行予定)を参照。
11/46
JIME 中東動向分析 20140627
イ ラ ク と シ ャ ー ム の イ ス ラ ー ム 国 ( ISIS) と は 何 か ?
中東研究センター
研究理事
保坂
修司
1. 名 称
イ ラ ク と シ ャ ー ム の イ ス ラ ー ム 国 al-Dawla al-Islāmīya fī al-‘Irāq wa al-Shām は 、 ア ラ ビ
ア 語 で は し ば し ば ア ラ ビ ア 語 名 の 頭 文 字( ダ ー ル 、ア リ フ 、ア イ ン 、シ ー ン )を と っ て「 ダ
ー イ シ ュ ( Dā‘ish)」 と 呼 ば れ る 。 英 語 で は Islamic State of Iraq and Levant ( ISIL) あ る い
は Islamic State of Iraq and ( al-) Sham( ISIS) と も 表 記 さ れ る 。 レ バ ン ト は 現 在 の ト ル コ
南 部 か ら キ プ ロ ス 、シ リ ア 、レ バ ノ ン 、パ レ ス チ ナ( イ ス ラ エ ル )、ヨ ル ダ ン 、さ ら に シ ナ
イ半島の一部までも含む地域を指すヨーロッパからみた歴史的呼称で、アラビア語のシャ
ームという地理概念と重なる部分が多い。日本語ではしばしば大シリアとか歴史的シリア
と 表 現 さ れ る ( 英 語 で も Greater Syria や Great Syria と 呼 ば れ る )。 し た が っ て 、 シ ャ ー ム
を 現 在 の シ リ ア と 同 一 視 す る の は 正 し く な く 、日 本 の 一 部 メ デ ィ ア で と き お り み か け る「 イ
ラクとシリアのイスラ(ー)ム国」という呼称は、厳密にいえば、まちがいである。
組織名にイラクとシャームという 2 つの地名がつけられたのは、とりもなおさず彼らが
こ の 2 地 域 に お け る イ ス ラ ー ム 国 家 樹 立 を 想 定 し て い る か ら で あ ろ う 。ISIS は 、サ イ ク ス・
ピコ協定に縛られた既存の国境の枠組を超えた存在であり、その攻撃対象がレバノンやイ
スラエル、パレスチナ、ヨルダンにまでおよぶ可能性も高いのである。
2. 起 源
ISIS の 源 流 は 、 直 接 的 に は イ ラ ク で 活 動 し て い た ヨ ル ダ ン 人 テ ロ リ ス ト 、 ア ブ ー ム ス ア
ブ ・ ザ ル カ ー ウ ィ ー の 「 タ ウ ヒ ー ド と ジ ハ ー ド 団 Jamā‘a al-Tawḥīd wa al-Jihād」( タ ウ ヒ ー
ド は 「 神 の 唯 一 性 」 の 意 味 ) に さ か の ぼ る こ と が で き る 1 。 同 グ ル ー プ は 2004 年 、 ア ル カ
イ ダ の オ サ ー マ・ビ ン・ラ ー デ ン に 忠 誠 を 誓 っ て 、
「二大河の国のカーイダトゥルジハード
組 織 Tanẓīm Qā‘ida al-Jihād fī Bilād al-Rāfidayn」と 改 名 、ア ル カ イ ダ の イ ラ ク 支 部 と な っ て
い た 2。
1
2
さ ら に い え ば 、1990 年 代 は じ め に パ レ ス チ ナ 人 の ジ ハ ー ド 主 義 イ デ オ ロ ー グ 、ア ブ ー ム ハ ン マ ド・マ
ク デ ィ シ ー が ザ ル カ ー ウ ィ ー ら と と も に 設 立 し た 「 イ マ ー ム へ の 忠 誠 の 誓 い Bay‘a al-Imā m」 と い う
グ ル ー プ に さ か の ぼ る こ と が で き る 。 た だ し 、 こ の 名 前 は 他 称 で 、 メ ン バ ー た ち は Jamā‘a al-Tawḥīd
と か Jamā‘a al-Muwaḥḥidīn と 呼 ん で い た 。 も っ と も 、 ザ ル カ ー ウ ィ ー ま で さ か の ぼ る 系 譜 を た ど れ
ば、このグループにたどりつくが、このグループが実際にテロ組織であったわけではない
[Wagemakers 2014 Winter, 63] 。
2003 年 の イ ラ ク 戦 争 の 直 前 、米 国 は ザ ル カ ー ウ ィ ー の グ ル ー プ が ア ル カ イ ダ で あ り 、サ ッ ダ ー ム・フ
セイン政権と結託しているということを、米国のイラク攻撃を正当化する理由のひとつとして挙げ
ていた。しかし、実際に彼のグループがアルカイダになったのは米軍のイラク占領がはじまって以
12/46
JIME 中東動向分析 20140627
アルカイダのイラク支部は米国によるイラク占領中、単に米軍やその「傀儡」を攻撃す
るのみならず、イラクにいる外国人を誘拐したうえ、斬首してそのもようをインターネッ
ト上で公開するなど、きわめて残虐な戦術で恐れられていた。主たる標的となった米軍や
シーア派政権のみならず、一般のイラク人や他の同じイデオロギーをもつスンナ派グルー
プをも恐怖させ、米軍占領下のイラクにおける最強・最悪のテロ組織とみなされ たのであ
る。
アルカイダのイラク支部はイラク国内の有象無象のジハード主義組織と対立や離合集散
を 繰 り 返 し 、 2006 年 1 月 に は 「 勝 利 の 宗 派 軍 Jaysh al-Ṭā’ifa al-Manṣūra」 な ど と と も に ア
ン ブ レ ラ 組 織 と し て「 イ ラ ク・ム ジ ャ ー ヒ ド ゥ ー ン 諮 問 評 議 会 Majlis Shūrā al-Mujāhidīn fī
al-‘Irāq ( Mujahidin Shura Council in Iraq)」 を 結 成 、 勝 利 の 宗 派 軍 の 司 令 官 と も い わ れ る
ア ブ ー オ マ ル ・ ク ラ シ ー ・ バ グ ダ ー デ ィ ー Abū ‘Umar al-Qurashī al-Baghdādī を そ の リ ー ダ
ー に 選 出 し た 。こ の 当 時 の ザ ル カ ー ウ ィ ー と バ グ ダ ー デ ィ ー の 仕 事 上 の 割 り 振 り は 不 明 だ
が 、軍 事 部 門 は ザ ル カ ー ウ ィ ー が 率 い て い た と 考 え ら れ る 。イ ラ ク 人 の バ グ ダ ー デ ィ ー が
リ ー ダ ー に な っ た の は 、イ ラ ク の ア ル カ イ ダ が 外 国 人 の 組 織 で あ る と 批 判 さ れ て い た か ら 、
イラクの国内組織としてイラク人を前面に押し出す必要があったからかもしれない。
そ し て 、 2006 年 6 月 に ザ ル カ ー ウ ィ ー が 米 軍 の 攻 撃 に よ っ て 殺 害 さ れ た の ち に は 、 ザ
ル カ ー ウ ィ ー の 後 継 者 、つ ま り ア ル カ イ ダ・イ ラ ク 支 部 の 司 令 官 と し て エ ジ プ ト 人 の ア ブ
ー ア イ ユ ー ブ・マ ス リ ー Abū Ayyūb al-Miṣrī
( あ る い は ア ブ ー ハ ム ザ・ム ハ ー ジ ル Abū Hamza
al-Muhājir と も )が 指 名 さ れ た 。そ の 後 、10 月 に は ム ジ ャ ー ヒ デ ィ ー ン 諮 問 評 議 会 が 解 体
さ れ 、 新 し く イ ラ ク ・ イ ス ラ ー ム 国 Dawla al-‘Irāq al-Islāmīya( ISI、 Islamic State of Iraq)
が 結 成 さ れ た 。ア ブ ー オ マ ル・バ グ ダ ー デ ィ ー が そ の ま ま ISI の リ ー ダ ー と な っ た が 、事
実 上 ア ブ ー ア イ ユ ー ブ ・ マ ス リ ー と の 二 頭 立 て で あ っ た と も い わ れ て い る 3。
し か し 、彼 ら の 活 動 は 2007 年 以 降 、米 軍 や イ ラ ク 当 局 の 積 極 的 な 治 安 対 策 も あ っ て 、急
速に弱まりだし、テロの件数やテロによる死者数も激減していった。最盛時毎月数百も出
し て い た 声 明 や 戦 果 報 告 も 一 桁 、 と き に は ゼ ロ に ま で 落 ち 込 み 、 ISI の 命 運 も 尽 き た か に
思われた。
そ し て 、2010 年 4 月 に は バ グ ダ ー デ ィ ー と マ ス リ ー と い う 2 人 の 指 導 者 が 米 軍 に 殺 害 さ
れ て し ま う 。 ISI は 翌 月 に は 新 し い リ ー ダ ー に ア ブ ー バ ク ル ・ バ グ ダ ー デ ィ ー ・ フ セ イ ニ
ー ・ ク ラ シ ー Abū Bakr al-Baghdādī al-Ḥusaynī al-Qurashī が 就 任 し た と 発 表 し た 。 合 わ せ て
副 官 と し て ア ブ ー ア ブ ダ ッ ラ ー・ハ サ ニ ー・ク ラ シ ー Abū ‘Abdullāh al-Ḥasanī al-Qurashī が 、
さ ら に 戦 争 相 と し て ア ブ ー ス レ イ マ ー ン ・ ナ ー セ ル ・ リ ・ デ ィ ー ニ ッ ラ ー Abū Sulaymān
al-Nāṣir li Dīnillāh が 任 命 さ れ た こ と も 明 ら か に さ れ た 。
2011 年 に は 米 軍 が イ ラ ク か ら 撤 退 し た が 、 こ れ で ISI の 勢 い が 復 活 す る と 考 え る ア ナ リ
ス ト は か な ら ず し も 多 く は な か っ た 。 2010 年 末 か ら は じ ま っ た 、 い わ ゆ る 「 ア ラ ブ の 春 」
であいついで中東の独裁体制が崩壊しても、イラクは比較的安定しているようにみえたか
ら で あ る 。し か し 、2011 年 夏 ご ろ か ら シ リ ア で は 情 勢 が 一 気 に 悪 化 し 、内 乱 状 態 と な っ て
3
降である。
ド バ イ を 拠 点 と す る サ ウ ジ ア ラ ビ ア 系 衛 星 放 送 ア ラ ビ ー ヤ の 番 組「 死 の 産 業 」
( 2008 年 4 月 18 日 付 放
送 ) で は 元 ISI 要 員 の 発 言 を 引 い て 、 バ グ ダ ー デ ィ ー は 「 国 」 の 指 導 者 、マ ス リ ー は 「 組 織 」 の 指 導
者だとしている。自民党の「総裁」と「幹事長」の関係のようなものだろうか。
13/46
JIME 中東動向分析 20140627
いた。シーア派のイランなどが支援するアラウィー派のバッシャール・アサド体制とそれ
に反対するスンナ派武装勢力という、きわめてわかりやすい二項対立が シリアで成立する
と、アサド体制をジハードの対象とするスンナ派武装総勢力が 新たなジハードの大義に惹
か れ る よ う に シ リ ア に 参 集 、戦 場 と な っ た シ リ ア を 新 た な ジ ハ ー ド の 拠 点 と し た の で あ る 。
ISI が イ ラ ク で 息 を 吹 き 返 し た の は ま さ に そ ん な と き で あ っ た 。
3. ヌ ス ラ 戦 線 と の 関 係
2013 年 4 月 、ISI の リ ー ダ ー 、ア ブ ー バ ク ル ・ バ グ ダ ー デ ィ ー が 突 然 、 ISI が シ リ ア で 反
ア サ ド 武 装 闘 争 に 従 事 し て い た ヌ ス ラ 戦 線 Jabha al-Nuṣra と 合 併 、「 イ ラ ク と シ ャ ー ム の イ
ス ラ ー ム 国 ISIS」と 改 称 し 、旗 も ISIS の も の に 統 一 す る と 発 表 し た( テ キ ス ト 2)。た だ し 、
ヌ ス ラ 戦 線 の リ ー ダ ー と さ れ る ア ブ ー ム ハ ン マ ド ・ ジ ュ ー ラ ー ニ ー Abū Muḥammad
al-Jawlānī ら が こ れ に 反 発 、バ グ ダ ー デ ィ ー 声 明 の 直 後 に ISIS と の 合 併 を 拒 否 す る 声 明( テ
キ ス ト 3) を 出 し た た め 、 両 者 の 対 立 が 一 気 に ヒ ー ト ア ッ プ し た 。
さらに、同年 6 月にはアルカイダ本体のリー
ダー、アイマン・ザワーヒリーの書簡が浮上、
図 1: ヌ ス ラ 戦 線 の 旗
ザワーヒリーはそのなかで、一見喧嘩両成敗の
よ う に み せ な が ら 、 実 態 と し て は 、 ISIS は イ ラ
クでの活動に専念せよと、ジューラーニーを支
持 す る よ う な 発 言 を 行 っ た た め 、 ISIS と ア ル カ
イダ本体およびヌスラ戦線との関係はさらに悪
化 す る こ と に な っ た ( テ キ ス ト 4) 4 。
ヌ ス ラ 戦 線 は 、 も と も と ISI と の 関 係 を 強 く
疑われていたが、実際にはそれを証明するたし
かな証拠は見つかっていなかった。しかし、この事件をきっかけに、はからずもヌスラ戦
線 が 本 当 に ISI の 下 部 組 織 で あ っ た の が 判 明 し た の で あ る 。 ISIS 側 、 そ し て の ち に は ヌ ス
ラ 戦 線 側 も 認 め て い る よ う に 、ヌ ス ラ 戦 線 は も と も と 、シ リ ア の 混 乱 を み た ア ブ ー バ ク ル・
バグダーディーが、イラクにいたシリア人を中心とするムジャーヒディーンを反アサド武
装 闘 争 の た め シ リ ア に 派 遣 し た こ と を 起 源 と し て い る 。 ISIS 側 か ら み れ ば 、 ジ ュ ー ラ ー ニ
ー も も と を た ど れ ば 、 ISI の 一 兵 士 に す ぎ ず 、 合 流 も 当 然 の 成 り 行 き だ っ た の で あ る 。
だ が 、 ヌ ス ラ 側 は 、 2012 年 は じ め ご ろ に は シ リ ア 人 を 中 心 に ISI か ら 事 実 上 独 立 し て シ
リア国内で活動していたこともあり(またイラク人・シリア人という対立関係もあったか
も し れ な い )、 一 方 的 な ISIS 側 の 吸 収 合 併 宣 言 に 反 発 を 強 め た ( ジ ュ ー ラ ー ニ ー は 合 併 宣
言 に 関 し て 、 ISIS 側 か ら 事 前 に 一 切 相 談 を 受 け て い な い と 主 張 し て い る )( テ キ ス ト 3)。
結 果 的 に は 、ヌ ス ラ 戦 線 は ISIS と は 別 に ザ ワ ー ヒ リ ー に 対 し 忠 誠 を 誓 い 、そ の 後 、ザ ワ ー
ヒリーから事実上のアルカイダ・シリア支部のお墨つきを得ることになったのである。
この対立過程のなかで注目すべきは、むしろザワーヒリーをリーダーとするアルカイダ
4
こ の と き ザ ワ ー ヒ リ ー は 調 停 の た め 、み ず か ら の 名 代 と し て ア ブ ー ハ ー リ ド・ス ー リ ー を 指 名 し た が 、
ス ー リ ー は の ち シ リ ア で 殺 害 さ れ て し ま っ た 。 当 然 、 ISIS の 関 与 が 噂 さ れ た が 、 ISIS は 否 定 し て い
る。
14/46
JIME 中東動向分析 20140627
本 体 の 影 響 力 の 低 下 か も し れ な い 。 ア ル カ イ ダ 本 体 は 2001 年 の 9.11 事 件 後 、 オ サ ー マ ・
ビン・ラーデンはじめ多数の幹部を失い、大規模なテロ作戦を遂行する力はなくなってお
り、単なる広報宣伝機関にすぎなくなっていた。しかし、ジハード主義の象徴としてのそ
のネームバリューは無視できないものがあり、ほとんどすべて のジハード主義・タクフィ
ール主義系組織が何らかのかたちで敬意を払っていたのは否定できない。
し か し 、 ISIS は 、 ヌ ス ラ 戦 線 と の 紛 争 調 停 で ア ル カ イ ダ 本 体 に 対 し 一 貫 し て き わ め て 不
遜 な 態 度 を と っ て き た 。2013 年 6 月 に 明 ら か に な っ た ザ ワ ー ヒ リ ー 調 停 直 後 か ら 、指 導 者
の ア ブ ー バ ク ル・バ グ ダ ー デ ィ ー 、そ し て ISIS 公 式 報 道 官 の ア ブ ー ム ハ ン マ ド・ア ド ナ ー
ニ ー Abū Muḥammad ‘Adnānī al-Shāmī が 、こ と ば 使 い こ そ 丁 寧 な も の の 、ザ ワ ー ヒ リ ー の 指
示をまったく無視し、自分たちを正当化する声明を立てつづけに発表している(テキスト
5、6)。た と え ば 、ア ド ナ ー ニ ー 報 道 官 は 、ISIS は ア ル カ イ ダ の 支 部 で は な い し 、こ れ ま で
一 度 も そ う だ っ た こ と は な か っ た と ま で 主 張 し 5 、さ ら に は 、
「国」
( ISIS の こ と )が 単 な る
組 織 ( ア ル カ イ ダ 本 体 ) に 忠 誠 を 誓 う の は お か し い と さ え 言 い 放 っ た ( テ キ ス ト 14)。
一 方 、 ア ル カ イ ダ 本 体 側 は 2014 年 2 月 に 総 司 令 部 名 義 で ISIS の 破 門 宣 言 と い う べ き 以
下のような声明を発表した。
「 カ ー イ ダ ト ゥ ル ジ ハ ー ド 団( ア ル カ イ ダ の こ と )は 以 下 の よ
う に 宣 言 す る 。 ISIS 団 と は 何 の つ な が り も な い し 、 そ の 設 立 を 知 ら さ れ た こ と も な い し 、
支持を求められたこともない。また、相談を求められたこともなければ、それを受け入れ
た こ と も な い 。む し ろ 、
( ア ル カ イ ダ 本 体 は )そ の 行 動 を 中 止 す る よ う 命 令 し た 。そ れ ゆ え 、
ISIS は カ ー イ ダ ト ゥ ル ジ ハ ー ド 団 の 支 部 で は な い し 、 同 団 と の 組 織 的 な 関 係 も な い 。( ア
ル カ イ ダ 本 体 は ISIS の ) 行 動 に つ い て 責 任 を も た な い ( テ キ ス ト 10)。」 こ こ に い た っ て 、
両者の関係修復はきわめて困難になったといえる。
4. 組 織 お よ び 主 要 幹 部
ISIS の 組 織 像 は 具 体 的 に は ほ と ん ど わ か っ て い な い 。こ れ ま で ISIS 側 か ら 公 開 さ れ た 声
明 等 で は 指 導 層 の 一 部 し か 判 明 し て お ら ず 、全 体 的 な 機 構 図 を え が く こ と は 困 難 で あ っ た 。
し か し 、 ISIS の 拠 点 の 摘 発 、 要 員 の 逮 捕 な ど を き っ か け に さ ま ざ ま な 情 報 が 集 ま る よ う に
なったのも事実であり、アラビア語メディアを中心に組織や規模などに関する具体的な情
報 も 出 は じ め て い る 。 こ こ で は 、 そ う し た 新 し い 情 報 を 踏 ま え 、 ISIS の 大 ま か な 全 体 像 を
探 っ て い く ( 図 2)。
5
ザ ワ ー ヒ リ ー が 2011 年 6 月 に ア ル カ イ ダ の ア ミ ー ル に 就 任 し て か ら 2 カ 月 近 く 経 過 し た 同 年 8 月 1
日 、 ISI の ア ド ナ ー ニ ー 報 道 官 は 「 イ ス ラ ー ム 国 は つ づ く 」 と い う 音 声 声 明 を 発 表 、 そ の な か で ザ ワ
ー ヒ リ ー の 就 任 を 祝 福 す る と 述 べ て い る 。た だ し 、1 時 間 に も の ぼ る 長 い 演 説 の な か で ザ ワ ー ヒ リ ー
に 触 れ た 部 分 は ほ ん の わ ず か で 、し か も 、忠 誠 を 誓 っ た わ け で は な く 、単 に 祝 福 し た だ け で あ る( テ
キ ス ト 1)。
15/46
JIME 中東動向分析 20140627
図 2: ISIS 組 織 図
信徒の統率者
Abū Bakr al-Baghdādī al-Ḥusaynī al-Qurashī
副アミール
首相・副官
Fāḍil Aḥmad ‘Abdullāh al-Hayālī
Abū ‘Abdullāh al-Ḥasanī al-Qurashī
戦争相
県知事
Abū Sulaymān alNāṣir li Dīnillāh
情報相
公式報道官
Abū Muḥammad
‘Adnānī al-Shāmī
軍事評議会
シャリーア委員会
諮問評議会
治安諜報評議会
メディア部門
Walīd Jāsim
Muḥammad
Abū Muḥammad al‘Ānī
Abū Arkān al‘Āmirī
Abū ‘Alī alAnbārī
Abū al-Athīr Amr
al-‘Absī al-Su‘ūdī
まず、現在のリーダーは上記のアブーバクル・バグダーディーで、公式の肩書は「信徒
の統率者」である。また指導部として首相兼副官としてアブーアブダッラー・ハサニー・
クラシー、戦争相としてアブースレイマーン・ナーセルリディーニッラーの名が知られて
い る 6 。そ の ほ か 、何 人 か の イ デ オ ロ ー グ や 広 報 担 当( 公 式 報 道 官 は ア ブ ー ム ハ ン マ ド・ア
ドナーニー・シャーミー)はわかっている。
バグダーディーについては謎が多い。米国務省によれば、本名はイブラーヒーム・アワ
ー ド ・ イ ブ ラ ー ヒ ー ム ・ ア リ ー ・ バ ド リ ー と な っ て お り 、 ま た 2010 年 12 月 1 日 付 の イ ラ
ク の 報 道 で は イ ブ ラ ー ヒ ー ム・ア ウ ワ ー ド・イ ブ ラ ー ヒ ー ム・サ ー マ ッ ラ ー イ ー だ と い う 。
また、アブードゥアーの名でも知られている。ジハード主義系ウェブページの情報によれ
ば 、1971 年 イ ラ ク の サ ー マ ッ ラ に 生 ま れ 、大 学 で イ ス ラ ー ム 史 を 専 攻 、1990 年 代 後 半 に バ
グダードのイスラーム系(?)大学、あるいはバグダード大学においてイスラーム研究で
博士号を取得したとされている。
その後、イスラーム研究の講師、サーマッラやバグダード、ファッルージャのモスクで
礼拝導師をつとめた。イラク戦争後、反米武装闘争に従事し、米軍 に逮捕されたが、その
後 釈 放 さ れ 、「 ス ン ナ の 民 軍 Jaysh Ahl al-Sunna」 を 結 成 し 、 さ ら に ア ル カ イ ダ に 合 流 、 ア
ル カ イ ダ の ナ ン バ ー ス リ ー と な っ た [Hādhih Dā‘ish 2014]。こ れ が 事 実 な ら 、彼 は ISI 生 え
6
この両者に関しては、メディアでもまた彼ら自身の声明でもほとんど触れられることはない。
16/46
JIME 中東動向分析 20140627
抜きではないことになる。だが、組織内では新参であったにもかかわらず、急速に力をつ
け 、 2010 年 に 前 任 者 、 ア ブ ー オ マ ル ・ バ グ ダ ー デ ィ ー の 死 後 に は 、 ISI の リ ー ダ ー と な っ
た。
ま た 、機 構 と し て は 、軍 事 評 議 会 、諮 問 評 議 会( シ ュ ー ラ ー 評 議 会 )、シ ャ リ ー ア( イ ス
ラーム法)委員会、広報委員会などの存在が知られている。以下、主としてアラビア語の
報 道 や オ ン ラ イ ン 上 の ISIS の 声 明 な ど に 依 拠 し な が ら 、ISIS の 組 織 を 具 体 的 に 再 構 成 し て
み よ う ( た と え ば [al-Hāshimī, Haykalīya Tan ẓīm Dā‘ish: Akhtar 18 Irhabī Yuhaddidūn Istiqrār
al-‘Irāq 2014])。
ま ず 軍 事 評 議 会 al-Majlis al-‘Askarī は ISIS で 最 重 要 の 機 関 と い わ れ 、 旧 サ ッ ダ ー ム ・ フ
セ イ ン 政 権 の 軍 人 上 が り の ワ リ ー ド ・ ジ ャ ー シ ム ・ ム ハ ン マ ド Walīd Jāsim Muḥammad( ア
ブ ー ア フ マ ド・ア ル ワ ー ニ ー Abū Muḥammad al-‘Alwānī)が 議 長 と さ れ る 。彼 の 下 に 3 人 の
メンバー(いずれもイラク軍の元軍人)がそれぞれ計画・司令・フォローアップを担当す
る 。 軍 事 評 議 会 メ ン バ ー で 名 前 が わ か っ て い る の は 、 ア ブ ー ア イ マ ン ・ イ ラ ー キ ー Abū
Ayman al-‘Irāqī( ア ブ ー ム ハ ン ナ ド ・ ス ウ ェ イ ダ ー ウ ィ ー Abū Muhannad al-Suwaydāwī) 7 、
ア ブ ー ア ブ ド ゥ ッ ラ フ マ ー ン・ビ ー ラ ー ウ ィ ー Abū ‘Abd al-Raḥmān al-Bīlāwī( ア ド ナ ー ン ・
イ ス マ ー イ ー ル ・ ナ ジ ム ‘Adnān Ismā‘īl Najm) で あ る 8 。 軍 事 評 議 会 の 3 部 門 は 独 立 し て お
り、たがいに競い合って作戦を遂行しているという。
つ ぎ に シ ャ リ ー ア 委 員 会 al-Hay’āt al-Shar‘īya は 、シ ェ イ フ ・ ア ブ ー ム ハ ン マ ド ・ ア ー ニ
ー Shaykh Abū Muḥammad al-‘Ānī を 委 員 長 と す る 。委 員 会 の 役 割 は 、戦 士 た ち を 戦 場 に 駆 り
立 て る こ と で あ り 、ま た バ グ ダ ー デ ィ ー の 演 説 や ISIS の 声 明 、映 像 へ の コ メ ン ト を 書 く こ
と で あ り 、 ま た ジ ハ ー ド や ム ジ ャ ー ヒ ド た ち を 讃 え る 歌 al-anāshīd を つ く る の も こ の 部 署
である。シャリーア委員会のメンバーの多くはアラブ人移住者、とくにサウジ人が多いと
いう。委員会は司法・教宣という 2 つのグループにわけられ、前者が対立・紛争・ケンカ
などの調停や司法的な判断、刑の執行、勧善懲悪を担当し、後者は指導・リクルート・宣
教・メディアのフォローアップを担当する。
な お 、 ISIS の 公 式 報 道 官 は ア ブ ー ム ハ ン マ ド ・ ア ド ナ ー ニ ー で あ る が 、 こ の 公 式 報 道 官
が組織内のどこに位置づけられるのかは判明しなかった。ちなみに、一部のイラクからの
報 道 で は 、2013 年 夏 に バ グ ダ ー デ ィ ー が ア ド ナ ー ニ ー を シ ャ ー ム の 地 の イ ス ラ ー ム 国 司 令
官に任命したことになっているが、アドナーニー自身はその後も「公式報道官」の肩書を
使用している。さらに、それとほぼ同じころから、インターネット上の声明で、アドナー
ニ ー の 名 前 に シ ャ ー ム 出 身 者 を 意 味 す る 「 シ ャ ー ミ ー al-Shāmī」 と い う ニ ス バ ( 出 自 名 )
7
8
な お 、ア ブ ー ア イ マ ン は マ ダ ー 紙 報 道 で は 副 ア ミ ー ル の も と ア ン バ ー ル 県 知 事 と し て も 名 前 が 挙 が っ
て い る 。 ま た 、 2014 年 2 月 の ア ラ ビ ー ヤ 報 道 で は 、 シ リ ア に 移 動 し 、 イ ド リ ブ ・ ア レ ッ ポ ・ ラ タ キ
ヤ で ISIS の 兵 士 を 指 揮 し て い る こ と に な っ て い る 。
ビ ー ラ ー ウ ィ ー は す で に 死 亡 し て い る 。資 料 に よ っ て は 、彼 を 軍 事 評 議 会 議 長 と す る も の が あ り 、彼
の死後、アルワーニーが議長に選出されたのかもしれない。また、アラビーヤでは前諮問評議会議
長 と な っ て い る 。な お 、6 月 16 日 付 ハ ヤ ー ト 紙 の 報 道 を き っ か け に 、ア ブ ー ハ ー ジ ル Abu Hājir な る
人物が軍事評議会議長であるとの言説がアラビア語インターネット空間上に多数現れてきた。しか
し 、 ハ ヤ ー ト の 報 道 は 前 日 の 英 ガ ー デ ィ ア ン 紙 の 記 事 に も と づ く も の で [al-Qabḍ ‘alā Abū Hājir
Yakshif Ma‘lūmūt Mudhhila ‘an Dā‘ish 2014] 、 そ こ で は ア ブ ー ハ ー ジ ル ( ガ ー デ ィ ア ン の 表 記 は Abu
Hajjar) は 軍 事 評 議 会 議 長 で あ っ た ビ ー ラ ー ウ ィ ー の ク ー リ エ と な っ て い る [Chulov 2014] 。 マ ダ ー
紙 の ISIS 組 織 図 で は 、通 信 担 当 の 幹 部 と し て ム ハ ン マ ド・ハ ミ ー ド・ド レ イ ミ ー( ア ブ ー ハ ー ジ ル )
の 名 前 が 出 て く る が 、 ガ ー デ ィ ア ン の 伝 え る Abu Hajjar と は こ の 人 物 の こ と か も し れ な い 。
17/46
JIME 中東動向分析 20140627
がつけられるようになった。
諮 問 評 議 会 Majlis al-Shūrā は 9 人 か ら 11 人 で 構 成 さ れ 、各 県 知 事 や 軍 事 評 議 会 メ ン バ ー
を承認したり、信徒の統率者を任命・解任したりするのが任務とされる。議長はアブーア
ル カ ー ン ・ ア ー ミ リ ー Abū Arkān al-‘Āmirī で あ る 。 な お 、 諮 問 評 議 会 の メ ン バ ー も 、 軍 事
評議会のメンバーも原則としてバグダーディーによって選ばれる。
治 安 諜 報 評 議 会 Majlis al-Amn wa al-Istikhbārāt は ア ブ ー ア リ ー ・ ア ン バ ー リ ー Abū ‘Alī
al-Anbārī を 議 長 と す る 。同 評 議 会 は バ グ ダ ー デ ィ ー の 居 場 所 、動 向 、ア ポ イ ン ト メ ン ト に
責任をもっており、さらにバグダーディーの下した決定や、各県知事がいかにその決定を
きちんと履行しているかをフォローアップするほか、裁判所の判決や刑罰の執行を監視す
る。また、防諜もこの評議会が担当し、組織内の各部署間で手紙を送ったり、通信を行っ
たりするときの調整を行う。また暗殺、誘拐、募金もここの担当である。この評議会は 3
人のメンバーで構成され、いずれも旧政権時代の諜報担当官がつとめている。
バグダーディーおよび各県におけるその代理人は、メディア機関を統括する。メディア
機 関 の 長 は ア ブ ル ア シ ー ル ・ ア ム ル ・ ア ブ シ ー ・ ス ウ ー デ ィ ー Abū al-Athīr Amr al-‘Absī
al-Su‘ūdī で あ る 。メ デ ィ ア 機 関 は 一 団 の 書 き 手 と 電 子 メ デ ィ ア を フ ォ ロ ー す る も の に よ っ
て 運 営 さ れ て お り 、大 部 分 は 休 眠 細 胞 や ISIS 支 援 者 anṣār か ら な る 。さ ら に ISIS を 支 援 す
る多数のジハード主義メディアが存在しており、これらの大半は湾岸および北アフリカの
も の で あ る 。ま た 、ISIS の 声 明 に は「 情 報 省 」と い う ク レ ジ ッ ト が 入 っ て い る こ と が あ り 、
これもメディア部門と考えられる。
そ の ほ か マ ダ ー 紙 の 記 事 で は 、以 下 の よ う な ISIS の 主 要 メ ン バ ー の 名 前 が 挙 げ ら れ て い
る ( た だ し 、 人 名 の ロ ー マ 字 転 写 は か な ら ず し も 正 確 で は な い )。
◇ Fāḍil Aḥmad ‘Abdullāh al-Hayālī ( Abū Mu‘tazz, Abū Muslim al -Turkumānī al-‘Afrī)
イラク各県担当副アミール
◇ ‘Abdullāh Aḥmad al-Mashhadānī ( Abū Qāsim) ア ラ ブ 移 住 者 担 当
◇ Muḥammad Ḥamīd al-Dulaymī ( Abū Hājir al-‘Assāfī) 各 県 通 信 担 当
◇ Muwaffaq Muṣṭafā Muḥammad al-Karmūsh ( Abū Ṣalāḥ) イ ラ ク 財 務 担 当
◇ ‘Abd al-Wāḥid Khuḍayyr Aḥmad ( Abū Lu’ay, Abū ‘Alī) 治 安 担 当
◇ Basshār Ismā‘īl al-Ḥamadānī ( Abū Muḥammad) 捕 虜 担 当
◇ Shawkat Ḥāzim Kalāsh al-Faraḥāt ( Abū ‘Abd al-Qādir) 行 政 担 当
◇ Khayrī ‘Abd Maḥmūd al-Tā’ī ( Abū Kaffāḥ) 爆 弾 担 当
◇ ‘Awf ‘Abd al-Raḥmān al-‘Afrī ( Abū Sujā) 保 釈 お よ び 殉 教 者 未 亡 人 ・ 捕 虜 家 族 問
題フォローアップ担当調整官
◇ Fāris Riyāḍ al-Na‘īmī ( Abū Shīmā’) 私 信 、 倉 庫 担 当
副 ア ミ ー ル の ハ ヤ ー リ ー の も と に は 以 下 の 県 知 事 Wālin の 名 前 が 挙 が っ て い る 。
◇ Aḥmad ‘Abd al-Qādir al-Jazā‘ ( Abū Maysara, Aūu ‘Abd al -Ḥamīd) バ グ ダ ー ド 知 事
◇ Riḍwān Ṭālib Ḥusayn Ismā‘īl al-Ḥamdūnī ( Abū Jarnās) 国 境 地 域 知 事
◇ Aḥmad Muḥsin Khalaf al-Juhayshī ( Abū Fāṭima) 南 部 ・ 中 央 ユ ー フ ラ テ ス 知 事
18/46
JIME 中東動向分析 20140627
◇ Ni‘ma ‘Abd Nāyif al-Jabbūrī ( Abū Fāṭima) キ ル ク ー ク 知 事 9
◇ Wisām ‘Abd Zayd al-Zubaydī ( Abū Nabīl) サ ラ ー ハ ッ デ ィ ー ン 知 事
県レベルの組織としてはニナワ県の例が詳しく報じられている。県知事はアブダッラ
ー ・ ユ ー ス フ ‘Abdullāh Yūsuf( ア ブ ー バ ク ル ・ ハ ー ト ゥ ー ニ ー Abū Bakr al-Khātūnī)で 、徴
税 担 当 が サ ー イ ル ・ ム ハ ン マ ド ・ ハ ー リ デ ィ ー Thā’ir Muḥammad al-Khālidī( ア ブ ー ラ ー イ
ド Abū Rā’id) で あ る 。 後 者 の 助 手 が ア ブ ド ゥ ル ジ ャ ッ バ ー ル ・ ラ ー ウ ィ ー ‘Abd al-Jabbār
al-Rāwī( ア ブ ー ア フ マ ド Abū Aḥmad)と い わ れ て い る 。ま た 、シ ャ リ ー ア 委 員 会 を 率 い る
の は ア ン マ ー ル・サ イ ー ド・ジ ャ ッ ブ ー リ ー Shaykh ‘Ammār Sa‘īd al-Jabbūrī( ア ブ ル ヤ ク ザ
ー ン Abū al-Yaqẓān) で 、 治 安 諜 報 担 当 が ム ハ ン マ ド ・ ハ ー ジ ム ・ ア キ ー デ ィ ー Muḥammad
Ḥāzim al-‘Akīdī で 、 そ の 助 手 が ア フ マ ド ・ サ ァ ド ゥ ー ン ・ ア フ マ ド ・ ハ ム ダ ー ニ ー Aḥmad
Sa‘dūn Aḥmad al-Ḥamdānī で あ っ た 。そ の ほ か 、軍 事 担 当 、情 報 担 当 、行 政 担 当 、財 政 担 当
な ど が 配 置 さ れ て い る [al-Hāshimī, al-Haykalīya al-Tanẓīmīya li-Wilāya Nīnawā fī Tan ẓīm
Dā‘ish 2014]。
5. 資 金
ま た 、資 金 面 で も 謎 が 多 い 。
「 公 的 」な 収 入 と し て は 占 領 し た 地 域 か ら 徴 収 す る 税 金 、道
路等の通行料などがある。後述のように、キリスト教徒など啓典の民から徴収する人頭税
も 当 然 、 こ こ に 入 る 。 ISIS は 要 員 に 月 額 数 百 ド ル の 「 給 与 」 を 支 払 っ て い る と も い わ れ 、
当 然 潤 沢 な 資 金 を も っ て い る と 考 え ら れ て い る 10。 メ デ ィ ア を 中 心 に サ ウ ジ ア ラ ビ ア 政 府
や他のスンナ派湾岸諸国が支援しているとの説が流れているが、具体的な証拠はまったく
な い 。 と く に サ ウ ジ ア ラ ビ ア は 2014 年 6 月 以 降 の ISIS の 進 撃 で も 、 一 貫 し て マ ー リ キ 政
権 の 責 任 を 声 高 に 叫 ん で お り 、 結 果 的 に ISIS 支 援 の 疑 惑 を 深 め て い る 。
2014 年 3 月 に は サ ウ ジ 政 府 は ISIS を テ ロ 組 織 に 指 定 し て お り 、 ISIS へ の 参 加 ・ 支 援 は
いかなるかたちであれ違法である(ちなみに、サウジアラビアが支援していることが比較
的 明 ら か な シ リ ア の 組 織 は 、 ISIS と は 敵 対 し て い る )。 実 際 、 2014 年 5 月 6 日 に は サ ウ ジ
当 局 は 国 内 の ISIS 細 胞 を 摘 発 、 62 人 を 逮 捕 し て い る 。 こ の と き 大 量 の 武 器 と と も に 、 現
金 で 90 万 サ ウ ジ ・ リ ヤ ー ル ( 約 2500 万 円 ) が 押 収 さ れ て い る 。 そ し て 、 サ ウ ジ 当 局 に よ
れ ば 、容 疑 者 た ち は 、イ ン タ ー ネ ッ ト を 使 っ て 多 額 の 寄 付 を 集 め て い た と 自 供 し た と い う 。
湾 岸 諸 国 の さ ま ざ ま な 慈 善 団 体 の 集 め た 寄 付 金 が 直 接・間 接 に ISIS ま で 回 っ て い る 可 能
性は否定できない。とくにクウェートの慈善団体は頻繁にシリア支援の募金活動を大っぴ
ら に 行 っ て お り 、そ の 金 が ISIS を 含 む 、シ リ ア の 過 激 組 織 に 送 ら れ て い る と い う 疑 惑 は 根
強く、米国も名指しで非難している。もちろんクウェート政府は疑惑を否定しているが、
疑 惑 の 中 心 に あ っ た 閣 僚 は 結 局 、辞 任 に 追 い 込 ま れ た 。サ ウ ジ ア ラ ビ ア で も SNS な ど を 利
用した募金は盛んで、これらは慈善団体など公的機関による寄付活動と異なり、厳密な意
味での当局の監視対象になっているわけではない。なおかつ、この集めた寄付金を、いっ
たんクウェートに送ってから、シリアなりイラクなりへと送っているという説もある
9
10
キルクーク知事のまえは南部での作戦担当であった。
一 部 報 道 に よ れ ば 、 イ ラ ク 国 内 の 人 件 費 だ け で 月 額 400 万 ド ル に な る と い う [al-Ḥalfī 2014] 。
19/46
JIME 中東動向分析 20140627
[Boghardt 2014]。 こ う し た 寄 付 は 湾 岸 諸 国 ば か り で は な く 、 後 述 す る よ う に 、 ISIS 内 に 欧
米 人 が 多 数 含 ま れ て い る こ と か ら も 、欧 米 諸 国 か ら も 相 当 額 が き て い る こ と が 予 想 さ れ る 。
ま た 、 ISIS が 占 拠 し た シ リ ア の 油 井 も 重 要 な 収 入 源 と な っ て い る と い う 。 そ の ほ か 、 誘
拐 の 身 代 金 や 「 み か じ め 料 」、 銀 行 強 盗 等 の 犯 罪 か ら の 収 入 な ど も ISIS の 重 要 な 資 金 源 と
さ れ る [al-Hāshimī, Haykalīya Tanẓīm Dā‘ish: Akhtar 18 Irhabī Yuhaddidūn Istiqrār al -‘Irāq
2014]。
さらに英国のガーディアン紙によれば、マウシル制圧以前、彼らの現金を含む総資産は
8 億 7500 万 ド ル で あ っ た が 、そ の 後 、銀 行 強 盗 な ど で さ ら に 15 億 ド ル が 加 わ っ た と い う 。
同紙は考古学的遺物の密売も彼らにとってきわめて大きな収入源になっていると報じてお
り 、 外 国 か ら の 財 政 支 援 を も は や 必 要 と し な い と の 観 測 も あ る [Chulov 2014]。 2014 年 6
月 21 日 付 シ ャ ル ク ル ア ウ サ ト 紙 に よ れ ば 、 イ ラ ク に お い て も 、 ISIS の モ ス ル 制 圧 後 、 ア
ッバース朝時代のクルアーンなど、多数の貴重なアラビア語写本がトルコに密輸された可
能性があるという。
6. イ デ オ ロ ギ ー と 戦 略
イデオロギーはアルカイダと同様の典型的なスンナ派ジハード主義、タクフィール主義
で あ る が 、ア ル カ イ ダ 本 体 が 主 と し て 米 国 等 を 標 的 と し よ う と し て い た の に 対 し 、ISIS は 、
シーア派などイスラームの少数派・分派などを標的としており、イラクにおいてはマーリ
キ政権、シリアではアサド政権を主たる敵としている。しかし、実際には同じスンナ派内
でも敵が多く、イラクでもシリアでも事実上、自分たち以外ほとんどすべての組織が攻撃
対象となっている。
究極的な目的はカリフ制を柱とするイスラーム国家を樹立することになるが、現 時点で
はイラクにおけるシーア派政権やアラウィー派政権打倒を直接の目標としている。イラク
の み な ら ず 、シ リ ア に お い て も 、占 領 し た 地 域 に は イ ス ラ ー ム 法( シ ャ リ ー ア )を 施 行 し 、
違反したものは厳罰に処するという政策をとる。
宗 教 的 に は 彼 ら の 理 念 は サ ラ フ ィ ー 主 義 に 近 い 。偶 像 崇 拝 を 厳 に 禁 止 し て お り 、2014 年
のモスル制圧時にも、音楽家のオスマーン・マウシリーや詩人のアブータンマーム・ター
イ ー の 彫 像 や 歴 史 家 の イ ブ ヌ ル ア シ ー ル の 墓 が 破 壊 さ れ た と い う 。こ の あ た り は 、18 世 紀
か ら 20 世 紀 の 初 頭 に か け て 断 続 的 に ア ラ ビ ア 半 島 で 起 き た ワ ッ ハ ー ブ 派 の 運 動 や ア フ ガ
ニスタンのターリバーンによるバーミヤンの大仏の破壊を想起させるだろう。
し か し 、そ の 一 方 で 彼 ら は 、人 頭 税( ジ ズ ヤ jizya)の 支 払 い な ど 一 定 の 条 件 の も と キ リ
ス ト 教 徒 が そ の 信 仰 を 維 持 す る こ と を 許 し て い る 。た と え ば 、2014 年 2 月 、シ リ ア の ラ ッ
カ で は ISIS と ラ ッ カ の キ リ ス ト 教 徒 の あ い だ で 保 護 協 定 ‘ahd amān が 結 ば れ て い る 。 そ れ
に よ れ ば 、 ラ ッ カ の キ リ ス ト 教 徒 は 、( 1) イ ス ラ ー ム に 入 信 す る 、( 2) 人 頭 税 を 支 払 い 、
シ ャ リ ー ア を 守 る 、( 3) 戦 う 、 の う ち の ど れ か を 選 択 す る こ と が で き る 。
要 す る に 、 キ リ ス ト 教 徒 が キ リ ス ト 教 の 信 仰 を 維 持 す る た め に は 、( 2) の 選 択 し か あ り
えず、その場合も、教会や修道院を建設しない、十字架などを路上や市場、ムスリムの店
などに出してはならない、礼拝のとき、拡声器を使ってはならない、聖書を読む声や教会
の鐘の音をムスリムに効かせてはならない、など細かい規則を遵守する必要があった。
20/46
JIME 中東動向分析 20140627
ちなみに人頭税の額は金持ちの場合、成人男子 1 人あたり年額 4 金ディーナール、中産
階 級 が 2 金 デ ィ ー ナ ー ル 、低 所 得 者 層 は 1 金 デ ィ ー ナ ー ル で 、2 回 の 分 割 で 支 払 う と い う 。
な お 、 マ ウ シ ル の キ リ ス ト 教 徒 の 場 合 、 報 道 に よ れ ば 、 1 人 250 米 ド ル と い わ れ て い る
[Perrin, Les derniers chrétiens de Mossoul, cible des jihadistes 2014] 。
究極的な目標としてのカリフ制樹立については、多くのジハード主義組織、サラフィー
主 義 組 織 が 共 有 し て い る も の で あ る が 、 ISIS は 、 あ る い は 前 身 の ISI も そ う だ が 、 他 の グ
ループとは明らかに一線を画す立場をとってきた。そのことは組織のリーダーの肩書や名
前に明確に表れている。
ISIS は 前 身 の ISI 以 来 、 組 織 の リ ー ダ ー に 「 信 徒 の 統 率 者 Amīr al-Mu’minīn」 と い う 肩
書を用いてきた。この肩書はイスラーム世界の宗教権威であるカリフの称号でもある。当
然 、ISI、ISIS の リ ー ダ ー た ち は そ の こ と を 強 く 意 識 し て お り 、自 分 た ち が イ ス ラ ー ム 国 家
樹立のあかつきにはカリフとして君臨することを想定している のだろう。そのことは、ア
ブーバクルも、そして前任のアブーオマルも、そしてアブーバクルの副官アブーアブダッ
ラーも、全員クラシーという名前がついていることでもわかる。クラシーとは預言者ムハ
ンマドの出たクライシュ族のメンバーであることを指す。 つまり、3 人とも血統的に預言
者の流れをくんでいるという設定なのだ(クラシーの前にあるハサニー、フサイニーはそ
れ ぞ れ 預 言 者 の 孫 で あ る ハ サ ン 、フ サ イ ン の 系 統 に 属 し て い る こ と を 示 す )。ス ン ナ 派 で は
一般にカリフはクライシュ族の出身でなければならないと考えられており、将来的にカリ
フになるためにも、あらかじめ自分たちがクライシュ族の出であることを内外に示してお
く 必 要 が あ っ た の で あ る 。 た だ し 、 ISIS の 指 導 者 の 肩 書 に つ い て は 、 多 く の イ ス ラ ー ム 法
学者が批判している。
ジハード主義やカリフ制といった要素はアルカイダとイデオ ロギー的に一致するもので
あ り 、そ の 意 味 で ISIS の 声 明 の な か で も 、オ サ ー マ・ ビ ン ・ラ ー デ ン な ど の ア ル カ イ ダ の
リーダーたちへの敬意はさまざまなかたちで示されている。しかし、ヌスラ戦線との対立
の結果、アルカイダ本体との確執が顕在化すると、オサーマ時代のアルカイダは正しかっ
た が 、ザ ワ ー ヒ リ ー 時 代 に な っ て か ら の ア ル カ イ ダ は 、と く に 方 法 論 的 に ま ち が っ て お り 、
われわれこそがアルカイダの精神を継承するものだという主張を展開する ようになる。今
のところ、批判の対象はザワーヒリーに集中しており、オサーマ以来のアルカイダの理念
にたてつくことはない。ただし、アルカイダ本体はザワーヒリー以前からイラク支部の動
向には危機感を覚えており、残虐な行為を繰り返すザルカーウィーに対し、イスラームの
イメージを損なうものとして戦術の再考を促したり、また除名処分も検討したりしていた
と さ れ る [Lahoud, ほ か 2012, 22-28]。
他 方 、ISIS の イ デ オ ロ ギ ー に つ い て は ま っ た く 別 の 見 か た を す る こ と も で き る 。つ ま り 、
彼らが掲げるジハード主義・タクフィール主義のイデオロ ギーは単なる看板にすぎず、実
態としては、バァス党など旧政権時代の軍人や治安関係者が中核的な役割を果たしている
と い う 見 か た で あ る 。 2014 年 6 月 以 降 の ISIS の 進 撃 に 際 し 、 旧 バ ァ ス 党 指 導 部 や そ れ と
のつながりが強いとされるグループの動きが連動している可能性も指摘されている。
な お 、 4 月 4 日 付 シ ャ ル ク ル ア ウ サ ト 紙 ( サ ウ ジ ア ラ ビ ア 資 本 ) は 、 ISIS が シ リ ア に お
い て ア サ ド 政 権 や そ の 背 後 に い る イ ラ ン と も 結 託 し て い る と 報 じ て い る [‘Anāṣir min
Dā‘ish Murtabiṭa bi-Niẓām al-Asad.. Wa Īrān warā’ Khiṭṭa Amnīya Elektrōnīya 2014] 。
21/46
JIME 中東動向分析 20140627
戦術・戦略面では、ザルカーウィー時代から一般的な爆弾テロ、自動車爆弾、自爆テロ
のほか、誘拐などさまざまな手段が取られており、とくにその残虐性・無差別性は内外に
知 れ 渡 っ て い る 。上 述 の よ う に ア ル カ イ ダ 本 体 は 戦 術 の 変 更 を ア ド バ イ ス し て い た が 、ISI
側はまったく聞き入れなかった。ジハード主義の人気イデオローグの 1 人で、ヨルダンで
収 監 さ れ て い た ア ブ ー ム ハ ン マ ド・マ ク デ ィ シ ー は ISIS の イ デ オ ロ ギ ー 的 源 流 と も い え る
人 物 だ が 、 彼 で さ え も 、 ISIS を は げ し く 非 難 し て い る 。 マ ク デ ィ シ ー に よ れ ば 、 ア ブ ー バ
クル・バグダーディーに何度もザワーヒリー調停を受け入れるよう忠告したが、拒否され
た と し 、 ISIS は 「 真 理 ( 神 ) の 道 か ら 逸 脱 し た 組 織 で あ り 、 ム ジ ャ ー ヒ ド た ち に 背 き 、 過
激 主 義 に 向 か う も の で あ る 」 と 述 べ て い る ( テ キ ス ト 18)。
ISIS と ア ル カ イ ダ 本 体 の 対 立 が 顕 在 化 し て か ら 、イ ラ ク や 他 の 地 域 の ジ ハ ー ド 主 義 組 織
な ど が ISIS を 支 持 す る か 、そ れ と も ザ ワ ー ヒ リ ー を 支 持 す る か で 、二 分 さ れ る よ う に な っ
た。マクディシーのほか、有名なパレスチナ人イデオローグ、アブーカターダ・フィラス
テ ィ ー ニ ー も ISIS に 対 し シ リ ア か ら 撤 退 し 、ヌ ス ラ 戦 線 と の 合 併 を 白 紙 に 戻 す よ う 呼 び か
けている。イラク国内の組織としては、たとえばアンサールルイスラーム、イラク・イス
ラ ー ム 軍 な ど が 反 ISIS の 立 場 を 鮮 明 に し て い る が 、ジ ハ ー ド 主 義 系 掲 示 板 な ど に 見 ら れ る
オ ン ラ イ ン 上 の 「 世 論 」 で は ISIS 支 持 の 声 が 根 強 い 。
戦 略 的 に は 、 も と も と ISI 時 代 か ら イ ラ ク 国 内 で の 活 動 に 集 中 し て お り 、 国 外 で の 作 戦
は そ れ ほ ど 多 く な か っ た 。最 近 の ISIS と し て の 声 明 で は 、ISIS が イ ラ ン や サ ウ ジ ア ラ ビ ア
を 攻 撃 す る こ と は な か っ た と 述 べ ら れ て い る( テ キ ス ト 16)。た だ し 、そ れ は ア ル カ イ ダ 本
体の意向をくみとってのことであって、その箍が外れれば、サウジアラビアやイランへの
越境もあるかもしれない。
な お 、 ISIS は 、 ザ ル カ ー ウ ィ ー 時 代 か ら イ ン タ ー ネ ッ ト を 利 用 し た 積 極 的 な 広 報 活 動 を
行っており、これは現在も継続している。ザルカーウィー時代から彼らの広報活動はイン
ターネットのアラビア語掲示板が中心であり、ファジュルやフ ルカーン・メディアと呼ば
れるメディア配信部門、メディア制作組織が知られていた。これらは現在も継続している
が 、ISIS 成 立 後 は 、フ ァ ジ ュ ル も フ ル カ ー ン も ISIS か ら 若 干 距 離 を 置 い て い る よ う に み え
る 。 他 方 、 最 近 で は Twitter や YouTube な ど の SNS の 利 用 が 拡 大 し て お り 、 新 た に イ ァ テ
ィ サ ー ム 機 関 Mu’assasa al-I‘tiṣām と い う メ デ ィ ア 組 織 が 目 立 つ よ う に な っ て い る 。 同 機 関
は も と も と ISIS の 内 部 向 け 広 報 機 関 と い う 位 置 づ け で あ っ た が 、現 在 は 一 般 向 け の 声 明 や
宣 伝 用 ビ デ オ な ど を 積 極 的 に 発 信 し つ づ け て い る 。ま た 、ア ラ ビ ア 半 島 ア ル カ イ ダ( AQAP)
の 英 語 機 関 誌 、 Inspire の 成 功 に 触 発 さ れ た の か 、 Islamic State News ( ISN ) や Islamic State
Report( ISR ) 等 、英 語 に よ る 宣 伝 活 動 も 活 発 化 さ せ て い る 。欧 米 語 の メ デ ィ ア は 主 と し て
Alhayat Media Center が 担 当 し て い る 。
7. 規 模 と メ ン バ ー 構 成
報 道 レ ベ ル で は ISIS の メ ン バ ー の 数 に つ い て 数 千 人 か ら 数 万 人 な ど い ろ い ろ な 説 が あ
る が 、正 確 な と こ ろ は わ か ら な い 。比 較 的 最 近 の 報 道 で は「 1 万 8000 人 以 上 」と い う 数 字
が 出 て い る [al-Hāshimī, Haykalīya Tanẓīm Dā‘ish: Akhtar 18 Irhabī Yuhaddidūn Istiqrār
al-‘Irāq 2014]。
22/46
JIME 中東動向分析 20140627
ザルカーウィー自身がイラク人でなく、ヨルダン人であったことからもわかるとおり、
イ ラ ク 戦 争 直 後 に は イ ラ ク 国 外 か ら 多 数 の 非 イ ラ ク 人 を 吸 収 し 、主 要 メ ン バ ー と し て い た 。
とくにサウジアラビアを中心とする湾岸諸国やヨルダン、エジプト、アルジェリアなど中
東アラブ諸国から多数の若者をリクルートしてきた。
また、近年は中東やアフリカだけでなく、ヨーロッパや米国からも人を集めており、と
くにチェチェン人を中心としたグループがこうした外国人の受け入れ先になっているとい
わ れ て い る 。ヌ ス ラ 戦 線 に い た 外 国 人 戦 士 の 多 く も ISIS に 加 わ っ た と い う 説 も あ る 。ISIS
側は彼らを単なる兵士としてだけでなく、積極的に広報の材料として利用している。とく
に欧米出身のムジャーヒドたちはビデオや音声の声明にしばしば登場し、それぞれの自国
民 に 対 し ジ ハ ー ド を 呼 び か け て お り 11、 欧 米 の 治 安 機 関 は 、 彼 ら が 帰 国 し た の ち 、 欧 米 各
国をテロの標的とするのではないかと危惧している。ただ、これらの外国人が、たとえば
ISIS と ヌ ス ラ 戦 線 の イ デ オ ロ ギ ー や 戦 術 的 な 違 い を き ち ん と 認 識 し て い る か ど う か は 不 明
である。
さ ら に ISIS は 計 画 的 に 刑 務 所 を 襲 撃 し 、囚 人 を 解 放 し て い る 。解 放 さ れ た 囚 人 の 多 く は
も と も と ジ ハ ー ド 主 義 組 織 で 活 動 し て い た も の で あ り 、彼 ら の 大 半 は そ の ま ま ISIS に 合 流
するともいわれている。
ISIS は 、 も と も と イ ラ ク の ス ン ナ 派 地 域 ( い わ ゆ る ス ン ナ 派 ト ラ イ ア ン グ ル ) を 拠 点 と
していたが、首都バグダードやキルクークなどでも大きな勢力を維持していた。一方、シ
リ ア で は ラ ッ カ 、ハ ラ ブ( ア レ ッ ポ )、イ ド リ ブ 、ホ ム ス 、ハ マ ー 、ハ サ カ な ど 北 部 や イ ラ
ク・トルコとの国境地帯のほか、首都ダマスカスやアサド政権の拠点であるラタキヤにも
勢力をのばしていた。
た と え ば 、 イ ラ ク 国 内 に 関 し て い う と 、 ISIS は 毎 月 膨 大 な 戦 果 報 告 を 公 表 し て お り 、 そ
れを分析すれば、彼らの活動が活発な地域はある程度まで把握できる。たとえば、 本稿執
筆 時 点 で は ヒ ジ ュ ラ 暦 1435 年 ジ ュ マ ー ダ ー II 月 ( 2014 年 4 月 1 日 ~ 29 日 ) の 報 告 が 最 新
と 思 わ れ る が 、 ISIS は 、 こ の 1 か 月 間 で イ ラ ク 国 内 だ け で 合 計 1634 件 の 軍 事 作 戦 を 行 っ
て い る 。 2014 年 2 月 か ら 4 月 の 地 域 ご と の 作 戦 件 数 の 内 訳 は 下 記 の と お り で あ る 1 2 。
件数でみれば、アンバール、ニナワ、サラーハッディーンが多く、とくにアンバールで
は 3 月から急激に攻撃件数が増加しているのがわかる(ただし、数はあくまで自己申告で
あ り 、 報 道 な ど に 現 れ た 件 数 と 比 較 し て い る わ け で は な い )。
また、武器に関してはイラク軍やシリア軍から奪った戦車やミサイル、その他さまざま
な 武 装 車 両 を 保 持 し て い る 。 YouTube な ど で 彼 ら の 公 開 し た ビ デ オ を み る と 、 ISIS が こ う
し た 武 器 を か な り 使 い こ な し て い る よ う に も み え る 。 前 述 の と お り 、 ISIS 内 に は サ ッ ダ ー
ム・フセイン政権時代の軍出身者、治安関係者が相当数食い込んでおり、そのことが関係
している可能性も否定できない。
11
12
た と え ば 、 2014 年 6 月 19 日 、 Alhayat Media Center は Twitter で ”There is No Life without Jihad” と い
う 約 13 分 の 作 品 を 紹 介 し て い る 。
al-Naba’a #51-53 ( Rabī‘ II – Jumād ā II 1435), al-Dawla al -Islāmīya al-I‘lām al -Dākhilī / Qism al -Akhb ār
か ら 筆 者 作 成 。Rabī‘ II は 2014 年 2 月 、Jumādā I は 同 年 3 月 、Jumādā II は 同 年 4 月 に ほ ぼ 相 当 す る 。
23/46
JIME 中東動向分析 20140627
表 1: ISIS に よ る イ ラ ク 国 内 地 域 ご と の 作 戦 件 数
県
Rabī‘ II 1435
Jumādā I
Jumādā II
1435
1435
バグダード
41
40
44
ニナワ
487
406
406
南部
86
150
242
ディヤーラ
131
100
80
アンバール
224
328
438
サラーハッディーン
177
191
238
バクダード北 部
67
79
81
キルクーク
118
83
105
1332
1377
1634
合計
<テキスト>
1. Abū Muḥammad al-‘Adnānī. Inna Dawla al -Islām Bāqiya( 2011 年 8 月 1 日 )
2. Abū Bakr al-Baghdādī. I‘lān al-Dawla al-Islāmīya fī al-‘Irāq wa al-Shām( 2013 年 4 月 8 日 )
3. Abū Muḥammad al-Jawlānī. Ḥawl Sāḥa al-Shām( 2013 年 4 月 10 日 )
4. “Qaeda Chief Annuls Syrian -Iraqi Jihad Merger,” Aljazeera ( 2013 年 6 月 9 日 )
http://www.aljazeera.com/news/middleeast/2013/06/2013699425657882.html
5. Abū Bakr al-Baghdādī. Bāqiya fi al-‘Iraq wa al-Sham( 2013 年 6 月 14 日 )
6. Abū Muḥammad al-‘Adnānī. Fa Dharhum wa Mā Yaftarūn ( Q6:112)( 2013 年 6 月 19 日 )
7. Bayān al-Shaykh al-Qā’id al-Mujāhid Abū Khālid al-Sūrī( 2014 年 1 月 16 日 )
8. Abū Bakr al-Baghdādī. Allāh Ya‘lam wa Antum lā Ta‘lamūn ( 2014 年 1 月 19 日 )
9. Ayman al-Ẓawāhirī. Nidā’ ‘Ājil li Ahlinā fī al -Shām( 2014 年 1 月 15 日 )
10. Qiyāda al-‘Āmma, Tanẓīm Qā‘ida al-Jihād. Bayān bi-sha’n ‘Alāqāt Jamā‘a Qā‘ida al -Jihād
bi-Jamā‘a al-Dawla al-Islāmīya fī al-‘Irāq wa al-Shām( 2014 年 2 月 2 日 )
11. al-Dawla al-Islāmīya fī al-‘Irāq wa al-Shām. Nuṣṣ ‘Ahd al-Amān alladhī A‘ṭathu al-Dawla
al-Islāmīya fī al-‘Irāq wa al-Shām li Naṣārā al-Raqqa muqābal Iltizāmihim bi -Aḥkām
al-Dhimma( 2014 年 2 月 26 日 )
12. Abū Muḥammad al-‘Adnānī. Thumma Nabtahil fa Naj‘al La‘na Allāh ‘alā al -Kādhibīn( 2014
年 3 月 7 日)
13. Abū Muḥammad al-‘Adnānī. Li Yumakkinanna lahum Dīnahum alladhī Irta ḍā lahum
( Q24:55) , ( 2014 年 4 月 3 日 )
14. Abū Muḥammad al-‘Adnānī. Mā Kān Hādhā Manhajnā wa lan Yakūn ( 2014 年 4 月 17 日 )
15. Ayman al-Ẓawāhirī. al-Wāqi‘ bayn al-Alam wa al-Amal( 2014 年 5 月 2 日 )
16. Abū Muḥammad al-‘Adnānī. ‘Udhran, Amir al-Qa‘ida( 2014 年 5 月 11 日 )
17. Ayman al-Ẓawāhirī. Jawāb ‘alā al -Mashāyikh al-Kirām( 2014 年 5 月 24 日 )
18. Abū Muḥammad al-Maqdisī. Bayān ḥawl al-Dawla al-Islāmīya fī al-‘Irāq wa al-Shām wa
al-Mawqif al-Wājib tijāhhā( 2014 年 5 月 26 日 ) http://www.tawhed.ws/
24/46
JIME 中東動向分析 20140627
<文献目録>
al-‘Arabīya. “Hādhih Dā‘ish.” 2014 年 2 月 13 日 .
al-Ḥalfī, Qāsim. “Dā‘ish Yuwazzi‘ 4 malāyīn dūlār Shahrīyan bayn Afrādih.” al -Ṣabāḥ, 2014 年 4
月 16 日 .
al-Hāshimī, Hishām. “Haykalīya Tanẓīm Dā'ish: Akhtar 18 Irhabī Yuhaddidūn Istiqrār al -'Irāq.”
al-Madā, 2014 年 6 月 16 日 .
—. “al-Haykalīya al-Tanẓīmīya li-Wilāya Nīnawā fī Tanẓīm Dā‘ish.” Y News, 2014 年 6 月 20 日 .
al-Ḥayā. “al-Qabḍ ‘alā Abū Hājir Yakshif Ma‘lūmūt Mudhhila ‘an Dā‘ish.” 2014 年 6 月 16 日 .
al-Sharq al-Awsaṭ. “‘Anāṣir min Dā‘ish Murtabiṭa bi-Niẓām al-Asad.. Wa Īrān warā’ Khiṭṭa
Amnīya Elektrōnīya.” 2014 年 4 月 4 日 .
al-Tamimi, Aymenn Jawad. The Islamic State of Iraq and al -Sham. Middle East Forum, Middle
East Forum, 2013.
Boghardt, Lori Plotkin. Saudi Funding of ISIS. Policy Watch 2275, The Washington Institute for
Near East Policy, 2014.
Chulov, Martin. “How an arrest in Iraq revealed ISIS's $2bn Jihadist Network.” The Guardian,
2014 年 6 月 15 日 .
Dickinson, Elizabeth. Playing with Fire: Why Private Gulf Financing for Syria's Extremist Rebels
Risks Igniting Sectarian Conflict at Home. Analysi s Paper Number 16, Sabaan Center at
Brookings, 2013.
Ibrahim, Azeem. The Resurgence of al -Qaed in Syira and Iraq. Strategic Studies Institute and U.S.
Army War College Press, 2014.
Iraq's Jihadi Jack-in-the-Box. Middle East Briefing No 38, International Crisis Group, 2014.
Lahoud, Nelly, Caudill, Stuart, Koehler-Derrick, Gabriel, Rassler, Don, al-'Ubaydi, Muhammad.
Letters from Abbottabad: Bin Ladin Sidelined? Harmony Program, The Combating
Terrorism Center at West Point, 2012.
Perrin, Jean-Pierre. Les derniers chrétiens de Mossoul, cible des jihadistes . Liberation, 23 Juin
2014
Wagemakers, Joas. “A Terrorist Organization that Never Was: The Jordanian “Bay‘at al -Imam”
Group.” Middle East Journal 68, 第 1 [2014 Winter]: 59-74.
25/46
JIME 中東動向分析 20140627
イラク情勢関連レポート 1
米国の対応:イラクにおける混乱とジレンマ
日本エネルギー経済研究所
田中
常務理事
浩一郎
イラクの「民主化」を支援してきた米欧は、テロ組織「イラクとシャームのイスラーム
国」
( ISIS)の 勢 力 拡 大 と 、イ ラ ク 内 戦 の 深 刻 化 、お よ び 国 内 対 立 の 多 元 化 に 危 機 感 を 抱 い
て い る 。だ が 、米 国 の 世 論 調 査 で は 、軍 事 介 入 に 対 す る 支 持 は 党 派 を 問 わ ず 少 数 派 で あ る 。
こ れ ま で の と こ ろ 、米 国 の 対 応 は オ バ マ 大 統 領 が 最 大 300 人 の 軍 事 顧 問 団 の 派 遣 を 表 明 し 、
ケリー国務長官をイラクに派遣するに止まっており、即効性のある具体的な対応策を採用
するには至っていない。
そこには進撃を続けるスンナ派武装勢力の組成をめぐる情報不足に加え、関係国や近隣
国の相反する思惑が介在することで混乱を来した米国の対イラク政策がもたらす、ジレン
マの存在を指摘することができる。
1. 情 報 不 足 と 混 乱
モスルに続き、アンバール県やサラーハッディーン県の諸都市を支配下に治めた反体制
武 装 勢 力 は 、い ま や 首 都 バ グ ダ ー ド に 迫 っ て お り 、ま さ に 、過 去 10 年 間 に わ た る 政 治 プ ロ
セ ス の 成 果 が 瓦 解 し か ね な い 局 面 を 迎 え て い る 。米 欧 が「 イ ラ ク 政 府 の 存 在 を 脅 か す 脅 威 」
( ヘ イ グ 英 外 相 )と 位 置 付 け る 現 在 の 危 機 は 、打 倒 す る べ き 敵 が ISIS で あ る と さ れ て い る 。
メ デ ィ ア も 概 ね ISIS の 活 動 と し て 報 じ て い る 。し か し な が ら 、テ ロ と の 闘 い に 注 力 し て き
た米欧の言葉とは裏腹に、実際の対応は滞っており、戦闘集団の勢いをそぐことすらでき
ていない。
6 月に入ってからの急激な戦闘力の向上と、それに伴う支配地域の拡大は、これまで西
側 情 報 機 関 が 推 定 し て き た ISIS の 実 力 を 大 き く 上 回 っ て い る 。そ の 戦 闘 ス タ イ ル 、攻 撃 の
烈度と強度、兵士の練度、多正面作戦の策定とその指揮、戦闘部隊間の連係、拡大した前
線 へ の 兵 站 の 確 保 な ど を 見 て も 、こ れ が ISIS と い う テ ロ 組 織 に ス ン ナ 派 民 兵 が 加 担 し た と
いう次元ではないことが即座に分かる。対シリア国境が流動的であるとしても、シリア側
に 展 開 し て い た ISIS 兵 士 が 一 気 に イ ラ ク 側 に 逆 流 し た と も 考 え が た い 。こ れ は シ リ ア 側 で
の ISIS の 活 動 に 衰 え が 見 え な い こ と か ら も 明 ら か で あ る 。
このように、未だに「敵」の推定とその戦闘能力の分析評価が定まっておらず、それゆ
えに対応が後手に回る事態を招いている点は否めない。
ま た 、 仮 に ISIS 単 独 、 な い し は ISIS が 主 体 と な っ た 攻 撃 で あ る と す れ ば 、 米 欧 に と っ
て不都合な事実が待ち受けている。それは、シリア内戦において反アサド武装勢力の一翼
を 担 う ISIS は 、そ の 残 虐 性 ゆ え に 友 軍 と な る こ と は な い と し て も 、ア サ ド 政 権 打 倒 と い う
26/46
JIME 中東動向分析 20140627
共通の目的を持つ、ある意味で有用な暴力装置である。従って、米欧がイラクの地におい
て 、同 じ ISIS の イ ン フ ラ を 攻 撃 し 、構 成 員 を 標 的 と す る こ と は 、こ の 3 年 間 の シ リ ア 政 策
と の 間 で 齟 齬 を 生 じ さ せ る こ と と な る 。 シ リ ア が 6 月 26 日 に イ ラ ク 領 内 で ISIS に 対 し て
空爆を敢行し、マーリキ政権がこの動きに対して歓迎の意を表明したことに対して、米欧
は渋い顔をするしかない。このように、シリア政策とのねじれ現象も、米欧の動きを鈍ら
せる要因として作用しているものと考えられる。
さらに、イラク国内のスンナ派政治勢力や部族、サウジアラビアやカタルが早々にスン
ナ派住民の蜂起として位置付けたことは、この内戦をスンナ派対シーア派の、いわゆる宗
派対立の構図に収めようとする動きである。やはり、帰属が定かでなかったキルクークに
混 乱 に 乗 じ て 無 血 入 城 し た ク ル デ ィ ス タ ン 地 域 政 府 ( KRG) の ネ チ ル ヴ ァ ン ・ バ ル ザ ー ニ
首相が、早々と事態打開の方策がスンナ派自治地域の創設を伴う連邦制にあると語ること
で、宗派色を前面に出している。イラクに限らず、この地域の宗派対立に引きずり込まれ
たくない米国は、ここでシーア派のマーリキ政権に一方的に与していると見られるわけに
はいかず、ますます身動きが取れなくなっている。逆に、サウジアラビアなどは、宗派対
立としての色彩を最大限に喧伝することで、仇敵マーリキ首相を支援しようとする米国の
動きを封じ込めることに成功したと言える。当然のことながら、核協議を推進している、
シーア派国家イランと米国の間での協調や協力は、形式の上では実現しても、実体を伴っ
て動く可能性は低く、まして軍事作戦での「共闘」は、米・イラン両国の議会事情に鑑み
ても、禍根を残すことになりかねない。
このように身動きが取れない環境の下で、オバマ大統領が条件付きでマーリキ首相に約
束した軍事顧問団の派遣について考えてみる必要がある。 3 年ぶりにイラクの地に復帰す
る 米 軍 は 、総 崩 れ と な っ た 感 の あ る イ ラ ク 軍 の 実 情 と 実 態 、そ し て 戦 闘 能 力 の 評 価 を 行 い 、
イ ラ ク 軍 兵 士 の 教 練 も 改 め て 行 う と 言 わ れ て い る が 、 300 人 と い う 数 は 不 自 然 に 多 い と 感
じ る 。 そ の 点 に 着 目 す れ ば 、 ISIS と 総 称 さ れ て い る 戦 闘 集 団 に 関 す る 情 報 収 集 要 員 が こ の
顧問団に相当数含まれていることが分かる。まさに、現在、進行中である事象の実態を探
ることが、対応を決めあぐねている米欧にとって喫緊の課題の一つなのである。
2. プ ラ イ オ リ テ ィ の 喪 失
その一方で、イラクのマーリキ政権に対しては、救国政権を構築するという名目の下、
退陣に向けた政治的な圧力がかけられている。米国は、バグダードを訪問したケリー長官
を通じて、イラク政府に対する軍事支援の前提条件として、 7 月 1 日を刻限とする宗派・
民族横断的な次期政権の樹立プロセスの開始を課している。米国としては、この機に、米
国の同盟国や友好国からの評判が芳しくないマーリキ首相を権力の座から引きずり下ろす
と い う 、 一 石 二 鳥 を 狙 い に 来 た わ け で あ る 。 だ が 、 か つ て シ リ ア に 勢 力 圏 を 拡 大 し た ISIS
が本拠地であるイラクでの攻撃を激化させ、イラク軍の基地や兵器庫を襲って重火器や戦
車を手中に収めかねない非常事態を前に、かねてからの政治課題の解決を優先させようと
する姿勢は疑問であり、これに固執するようであれば虻蜂取らずに終わる可能性が高い。
確かに、ここ数年にわたるマーリキ首相の唯我独尊や強権姿勢は、今日の国内政治対立
と宗派対立をもたらした一因である。内戦がスンナ派地域に広がり、スンナ派部族や民兵
27/46
JIME 中東動向分析 20140627
が反乱軍に加勢していることは、スンナ派住民の間で高じた不満や不信の高まりの証左で
ある。イラクは国民議会選挙を 4 月に実施したばかりである。最大会派として「法治国家
連合」が引き続き選ばれ、自身も圧倒的な得票数で再選を決めたマーリキ氏が、首相とし
て 3 期目を目指すことは誰の目にも明らかであった。それに対するスンナ派市民の不満が
一気に爆発したという絵図を描くことは難しいことではない。
だが、ここで国際社会や米欧が対応を優先するべきである対象は、最低限でも反乱軍の
勢いを止めることであり、続いて内戦を終結させることである。曲がりなりにも選挙で信
任を得たばかりである指導者の排除を、宗派対立へ加担することの恐れから、反乱分子や
ISIS と 同 じ 側 に 立 っ て 優 先 す る と い う 対 応 は 、 は な は だ 本 末 転 倒 で あ る 。
また、曲がりなりにも民選の政府を要するイラクの政情に関して、米欧が、透明性の点
でより低い君主制を敷くサウジアラビアなどと同調することへの道義的な問題も存在する。
そもそも、一外国に過ぎない米国がマーリキ首相に退陣を求めることの根拠も不透明であ
る 。イ ラ ク 国 民 に よ っ て 選 出 さ れ た 正 統 な 政 権 を 排 除 す る と い う こ と は 、イ ラ ク「 民 主 化 」
プロジェクトの成果を自ら蔑ろにし、暴力的な街頭行動や武力行使を通じて現状変更を達
成しようとするあらゆる勢力にお墨付きを与える行為でさえある。そして、このような動
きはイラク国家の一体性を大きく損なうことにもなり得る。
一事が万事、現在の米欧の対応にはプライオリティ設定に関して混乱が認められる。こ
うした混乱は、忽然と現れた強力な戦闘集団が、たとえばヨルダンやイエメンにおいて同
様に現れかねないという問題意識があれば、即座に解決できるはずである。イラク国内勢
力の取りなしを含め、米欧がいかに優先すべき事態の対処に移行できるかに、イラクのマ
ーリキ政権はもとより、イラクの「民主主義」の運命が委ねられている。
28/46
JIME 中東動向分析 20140627
イラク情勢関連レポート 2
イ ラ ク に お け る ISIS の 攻 勢 と イ ラ ン の 対 応
中東研究センター
研究主幹
坂梨
祥
イランはこれまで繰り返し、シリアにおける過激派勢力の伸長に警鐘を鳴らしてきた。
2012 年 夏 に は 当 時 の サ ー レ ヒ 外 相 が 、『 ワ シ ン ト ン ・ ポ ス ト 』 紙 へ の 寄 稿 で 「 過 激 派 を 放
置 す る こ と の 危 険 性 」 を 指 摘 し 1 、 2013 年 9 月 に は ロ ウ ハ ー ニ 大 統 領 が 、 国 連 総 会 の 場 で
ま さ に シ リ ア を 念 頭 に 置 き 、「 暴 力 と 過 激 主 義 の な い 世 界 ( “World Against Violence and
Extremism: WAVE”)」 を 呼 び か け た 2 。 そ し て 今 日 、 シ リ ア で 影 響 力 を 拡 大 し て き た ISIS
がイラクで攻勢をかける事態を受けて、イランは「過激主義は全世界にとっての脅威であ
る」との主張を繰り返しながら、同国としての対処法を模索している。
そのイラク危機に対するイランの対応をめぐっては、現在様々な報道が錯綜している状
況にある。そこで本稿においてはこの危機に対するイランの一連の、一見して時に矛盾す
る反応に焦点をあて、それらの関係を整理することで、イランがこの事態にどう対処しよ
うとしているかを明らかにすることを試みる。
1. ISIS を め ぐ る イ ラ ン の 認 識
ISIS の イ ラ ク に お け る 攻 勢 を 受 け て 、 イ ラ ン 国 内 か ら は い つ も の 通 り 、 様 々 な 声 が 上 が
った。ロウハーニ大統領、国会関係者、治安維持軍/国軍関係者、宗教界関係者、および
最 高 指 導 者 な ど は 皆 、 ISIS に 関 し 思 い 思 い の 発 言 を 行 っ た 。 た だ し そ れ ら の 多 種 多 様 な 声
に は 共 通 の 認 識 も 存 在 し て お り 、 そ れ は 「 ISIS は 無 知 と 偏 見 の 産 物 で あ り 」、「( そ の よ う
な ) ISIS が 単 独 で モ ス ル ( と い う イ ラ ク 第 二 の 都 市 ) を 陥 落 さ せ る こ と は と て も 不 可 能 」
とするものであった。
し か し そ の 「 ISIS を 支 援 す る の は 誰 な の か 」 と い う 点 を め ぐ っ て は 、 イ ラ ン の 政 府 関 係
者 お よ び メ デ ィ ア は 、軽 は ず み な 断 定 は 避 け て い る 。た と え ば ロ ウ ハ ー ニ 大 統 領 は ISIS の
最 近 の 動 き に つ い て 、「 外 国 の 支 援 が あ っ た こ と は 明 ら か 」 で あ り 、「 武 器 供 給 の 面 で 支 援
した国と財政面で支援した国があった」とまで述べつつも、具体的な国名については明言
を 避 け た 3 。 イ ラ ン 国 内 の メ デ ィ ア は と い え ば 、「 誰 の 支 援 か 」 に 関 し て は 、 も っ ぱ ら 英 字
誌 の 論 考 を 翻 訳 し て 掲 載 す る と い う 方 法 を 選 ん だ 。 具 体 的 に は た と え ば 『 Foreign Policy』
1
2
3
Ali Akbar Salehi, “Stepping up to aid Syria, ” The Washington Post, 2012.8.8.
<http://www.washingtonpost.com/opinions/stepping -up-to-aid-syria/2012/08/08/e3f64588 -e0bb-11e1-8fc5 a7dcf1fc161d_story.html >
ロウハーニ大統領の国連総会におけるスピーチは以下のサイトで参照可能。
<http://gadebate.un.org/sites/default/files/gastatements/68/IR_en.pdf >
ロ ウ ハ ー ニ 大 統 領 の 発 言 は 以 下 で 参 照 可 能 。 < http://www.mehrnews.com/detail/News/2310920 >
29/46
JIME 中東動向分析 20140627
誌 の 、「 イ ラ ク を め ぐ る 戦 い は 、 サ ウ ジ の 対 イ ラ ン 戦 争 」 な る 記 事 4 、 あ る い は 「 ISIS は サ
ウ ジ の プ ロ ジ ェ ク ト 」と の カ タ ル 政 府 関 係 者 発 言 を 引 用 す る『 ア ト ラ ン テ ィ ッ ク( Atlantic)』
誌 の 記 事 な ど が 、 頻 繁 に 引 用 さ れ た 5。
他方、その発言が往々にしてイランの公式スタンスと見なされるハーメネイ最高指導者
は 、ISIS と の 関 連 で 、米 国 を 名 指 し し て 批 判 し た 。ハ ー メ ネ イ 師 に と っ て こ の 戦 い は 、
「( ISIS
を 利 用 し て ) イ ラ ク を 混 乱 さ せ る こ と に よ り 、『 世 界 の 傲 慢 ( 注 : 通 常 米 国 を 指 す )』 が イ
ラクを支配するための企て」にほかならない。そしてそれにもかかわらず、米国政府関係
者がイラクにおける戦いを「宗派戦争」と呼び、この戦いの本質をすり替えようとしてい
ることを、ハーメネイ師は強く非難しているのだ。同師によればイラク危機とは、スンナ
派とシーア派の戦いではなく、
「 イ ラ ク の 独 立 を 求 め る 者 と そ れ を 妨 げ 、イ ラ ク を 自 ら の 支
配 下 に 置 こ う と す る 者 の 戦 い 」 な の で あ る 6。
ハ ー メ ネ イ 師 の こ の よ う な 発 言 の 背 後 に は 、2014 年 4 月 に イ ラ ク で 実 施 さ れ た 国 民 議 会
選挙が存在する。この選挙は幾多の妨害にもかかわらず予定通りに実施され、マーリキ首
相率いる法治国家連合が第一党に選出された。昨今のイラク情勢に関するハーメネイ発言
の根底には、
「選挙結果が意に沿わないからといってそれを暴力で覆すことが果たして正当
と呼べるのか」という考え方が存在する。
2.「 宗 派 対 立 」 と い う 構 図 は 避 け た い イ ラ ン
ISIS が 攻 勢 を 強 め る イ ラ ク へ の イ ラ ン の 対 応 に 関 し て は 、 非 常 に 早 い 段 階 で 、「 イ ラ ン
は 戦 闘 部 隊 を す で に イ ラ ク に 派 遣 し た 」と す る 報 道 も 見 ら れ た 7 。し か し イ ラ ン が 目 に 見 え
る 形 で イ ラ ク に 介 入 す る な ら ば 、そ れ は マ ー リ キ 首 相 を「 イ ラ ン の 傀 儡 」と 見 な す ISIS に
「戦いの大義」を与え、いわば火に油を注ぐだけである。よってイラン政府は、目に見え
る 動 き と し て は 国 境 警 備 を 重 点 的 に 強 化 し 、 ISIS の 脅 威 が イ ラ ン ま で 波 及 す る こ と は 確 実
に阻止することを試みている。
一 方 イ ラ ン 国 内 で は 、シ ー ア 派 を 敵 視 す る ISIS に よ る 一 連 の 残 虐 行 為 に 対 し 、聖 戦 を 呼
び掛ける聖職者も現れ、
「 イ ラ ク の シ ー ア 派 聖 地 防 衛 」の た め の 義 勇 兵 登 録 も ネ ッ ト 上 で 行
わ れ る な ど 、 ISIS の 暴 力 的 な 進 撃 が 、 シ ー ア 派 宗 教 感 情 を 一 部 刺 激 し て い る 様 子 も 見 受 け
ら れ る 。 し か し た と え ば 大 学 バ ス ィ ー ジ 8 が 組 織 し た 反 ISIS デ モ は 、 政 府 内 務 省 か ら 開 催
許可を得られなかった。すなわちイラン政府としては、ハーメネイ最高指導者の「これは
宗 派 戦 争 で は な い 」と の 方 針 に 沿 い 、宗 派 間 の 亀 裂 を 煽 る こ と な く ISIS の 脅 威 を 封 じ 込 め
ることに腐心している様子がうかがえる。
4
5
6
7
8
Simon Henderson, “The Battle for Iraq is a Saudi War on Iran: W hy the ISIS invasion of Iraq is really a war
between Shiites and Sunnis for control of the Middle East, ” Foreign Policy, 2014.6.12.<
http://www.foreignpolic y.com/articles/2014/06/12/iraq_mosul_isis_sunni_shiite_divide_iran_saudi_arabia_
syria?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=the -battle-for-iraq-is-a-saudi-war-on-iran >
Steve Clemons, “’Thank God for the Saudis ’: ISIS, Iraq, and the Lessons of Blowback, ” The Atlantic,
2014.6.23.
<http://www.theatlantic.com/international/archive/2014/06/isis -saudi-arabia-iraq -syria-bandar/373181/>
ハーメネイ最高指導者演説の英訳は、以下のサイトで参照可能。
<http://english.khamenei.ir//index.php?option=com_content&task=view&id=1924 >
た と え ば 、 Farnaz Fassihi, ”Iran Deploys Forces to Fight Militants in Iraq, ” Wall Street Journal , 2014.6.12
などを参照。
イラン・イスラーム共和国体制の主要な支持基盤のひとつ。
30/46
JIME 中東動向分析 20140627
なお、英字紙の報道によれば、イランはすでに軍事顧問団をイラクに送り、イラク政府
軍の支援にあたり、さらに(無人機も使った)情報収集面においても、イラク軍に協力し
て い る と さ れ る 9 。も し も こ の 報 道 が 正 し い と す れ ば 、ISIS の 攻 勢 に 対 し イ ラ ン が と っ て い
る行動は、米国がとっている行動とそう大きく変わらないということになる(米国も軍事
顧 問 団 を イ ラ ク に 送 り 、 も っ ぱ ら 情 報 収 集 面 で イ ラ ク 政 府 を 支 援 し て い る )。
イランと米国の協力の可能性に関しては、ロウハーニ大統領が前向きな発言を行ったわ
ずか数日後に、ハーメネイ最高指導者が「米国のイラク介入には反対」であると明言し、
そ の 可 能 性 を 否 定 し た 。し か し 介 入 反 対 の 理 由 と し て 同 師 が あ げ た 、
「イラクの将来を決め
るのはイラク国民」との主張自体は、米国の考えからかけ離れているわけでもないであろ
う。よって「全世界にとっての脅威」である過激主義への対処において、今後イラン・米
国間でどのような協力関係が生まれ得るかに関しては、引き続き注意深く観察を続けてい
く必要があるものと思われる。
9
Michael R. Gordon and Eric Schmitt, “Iran Secretly Sending Drones and Supplies Into Iraq, U.S. Officials
Say,” The New York Times, 2014.6.25.
31/46
JIME 中東動向分析 20140627
イラク情勢関連レポート 3
GCC 諸 国 か ら み た イ ラ ク 情 勢
中東研究センター
研究員
堀拔
功二
イ ラ ク 情 勢 の 急 転 は 、GCC 諸 国 に と っ て 決 し て 対 岸 の 火 事 で は な い 。イ ラ ク 国 内 で イ ス
ラ ー ム 主 義 勢 力・過 激 派 が 活 発 化 す る 背 後 に 、GCC 諸 国 の 資 金 面 で の 支 援 が あ る と さ れ て
い る 。と こ ろ が 、過 激 派 の 広 が り が ア ラ ビ ア 半 島 に ま で 波 及 す れ ば 、GCC 諸 国 に と っ て も
大きな治安上の問題となることは予想される。
は た し て 、 イ ラ ク の 現 状 は GCC 諸 国 に 対 し て い か な る 影 響 を 与 え る の で あ ろ う か 。 本
稿 で は 、 GCC 諸 国 か ら 見 た イ ラ ク 情 勢 に つ い て 論 じ る 。
1. GCC 諸 国 と イ ラ ク の 対 立
そ も そ も GCC 諸 国 と 戦 後 イ ラ ク と の 関 係 は 、 必 ず し も 良 好 な も の で は な か っ た 。
2003 年 の イ ラ ク 戦 争 に よ っ て サ ッ ダ ー ム・フ セ イ ン 政 権 が 崩 壊 し 、イ ラ ク 復 興 が 進 む な
か で 、GCC 諸 国 は マ ー リ キ 首 相 を 中 心 と す る シ ー ア 派 政 権 に 対 し て 危 機 感 を 持 つ よ う に な
った。とくに、サウジアラビアのアブドゥッラー国王はマーリキ首相を「イランの操り人
形 」 で あ る と 見 な し て い た と さ れ て い る 1 。 ま た 、 2011 年 の 「 ア ラ ブ の 春 」 に 際 し 、 バ ハ
レーンで政治・治安上の混乱が発生した。この時、イランはバハレーン政府およびサウジ
アラビアを中心とする対応(特に「半島の盾軍」の派遣)を非難したが、イラクも同様に
GCC 諸 国 を 批 判 し た 。GCC 諸 国 は「 ア ラ ブ の 春 」の 影 響 で 君 主 体 制 崩 壊 の 危 機 を 認 識 し て
お り 、そ の 亀 裂 の 一 端 は バ ハ レ ー ン を 軸 に し た ス ン ナ 派 と シ ー ア 派 の ペ ル シ ア( ア ラ ビ ア )
湾を挟んだ宗派対立でもあった。
2014 年 に な り 、マ ー リ キ 首 相 か ら GCC 諸 国 を 批 判 す る 声 が 再 び あ が っ た 。3 月 、イ ラ ク
国内の治安状況の悪化を受けて、マーリキ首相はサウジアラビアとカタルが武装勢力を支
援しており、イラクに対して事実上宣戦を布告していると名指しで批判した。仏メディア
の France 24 と の イ ン タ ビ ュ ー に お い て 、「 両 国 は 、 シ リ ア を 経 由 し て 、 ま た 間 接 的 な 方 法
でイラクを攻撃している。また、不幸にも宗派主義と政治に基づいて、イラクとの戦争を
発 表 し 、 シ リ ア と の 戦 争 を 発 表 し て い る 」 と 述 べ 、「( サ ウ ジ と カ タ ル は ) イ ラ ク の 宗 派 主
義 、テ ロ 、治 安 危 機 に 一 義 的 な 責 任 を 負 っ て い る 」と 批 判 し た の で あ っ た 2 。マ ー リ キ 首 相
1
2
ム ス タ フ ァ ー ・ ア ラ ー ニ ー ( Gulf Research Center ) の コ メ ン ト 。 The Washington Post 13 Jun., 2014. 同
様 の 見 解 は 、 ロ バ ー ト ・ ト ー ラ ス ト が 湾 岸 研 究 者 で あ る グ レ ゴ リ ー ・ ゴ ウ ズ III 世 と の イ ン タ ビ ュ ー
の 中 で 、サ ウ ジ ア ラ ビ ア は マ ー リ キ 首 相 を「 イ ラ ン の 手 先 」と 見 な し て い る と 述 べ て い る 。F. Gregory
Gause, III, “Iraq in the Middle East: Iraq’s Relations with the Gulf Cooperation Council,” 23 May, 2012.
( http://www.brookings.edu/research/interviews/2012/05/23 -iraq-gause)
Al-Jazeera “Maliki: Saudi and Qatar at war against Iraq,” 9 Mar., 2014.
32/46
JIME 中東動向分析 20140627
に と っ て 、GCC 諸 国 の シ リ ア 戦 略 は イ ラ ク 国 内 の 治 安 に 甚 大 な 悪 影 響 を 与 え て お り 、宗 派
主義に基づく分裂を煽っているように映ったと言える。
2. GCC 諸 国 は ISIS を 支 援 し て い る の か ?
それでは、マーリキ首相の上記の発言は正しいのであろうか。
マーリキ首相のサウジアラビアとカタルに対する非難は、当然のことながら「イラクと
シャームのイスラーム国」
( ISIS)へ の「 支 援 」に 対 す る 非 難 で あ る 。サ ウ ジ ア ラ ビ ア と カ
タ ル は 、公 式 に「 支 援 」の 事 実 を 否 定 し 、マ ー リ キ 首 相 の 発 言 に 反 論 し て い る 3 。政 府 レ ベ
ル で の ISIS と の 関 係 は 現 時 点 で は 確 認 さ れ て い な い が 、仮 に 支 援 が あ っ た と し て も 、表 に
出てくるとは考えづらい。
ただし、イラン系メディアはイラク武装勢力に対するサウジアラビアとカタルの支援・
介 入 を 報 じ て い る 。 た と え ば 、 革 命 防 衛 隊 系 の Fars News Agency は 、 イ ラ ク ・ フ ァ ッ ル ー
ジ ャ で 活 動 す る 民 兵 は 月 額 700 米 ド ル の 給 料 を サ ウ ジ と カ タ ル 政 府 か ら も ら っ て い る と の
証 言 を 報 じ た 4 。さ ら に 、カ タ ル は 北 ア フ リ カ か ら 1,800 人 の テ ロ リ ス ト を 採 用 ・ 訓 練 を 行
い 、ISIS へ 送 り 込 ん で い る と も 報 じ て い る 5 。イ ラ ン 最 高 指 導 者 の ハ ー メ ネ イ ー 師 も サ ウ ジ
ア ラ ビ ア と カ タ ル を 名 指 し 、シ リ ア 戦 略 の 失 敗 が イ ラ ク に お け る ISIS 活 発 化 の 背 景 で あ る
と 非 難 し た 6。
いずれの報道についても真偽は不明ではあるが、民間レベルにおいては慈善団体や宗教
団 体 へ の 募 金 を 通 じ 、資 金 が ISIS を は じ め と す る シ リ ア 反 政 府 勢 力 な ど に 流 れ て い る 例 は
枚 挙 に 暇 が な い 7 。た と え ば 、米 国 財 務 省 が 2013 年 12 月 に テ ロ 資 金 提 供 者 と し て 指 定 し た
人 物 の な か に 、 カ タ ル 人 の ア ブ ド ゥ ル ラ フ マ ー ン ・ ビ ン ・ ウ マ イ ル ・ ア ル =ヌ ア イ ミ ー と
い う 人 物 が 含 ま れ て い た 。 ア ル =ヌ ア イ ミ ー は 、 元 カ タ ル 大 学 の 教 授 ( 歴 史 学 ) で 、 カ タ
ル国内の慈善団体等で活動をしてきた。現在、スイスのジュネーブを拠点とする「カラー
マ 委 員 会 」 と い う 慈 善 団 体 を 組 織 し 、 活 動 し て い る 。 米 国 財 務 省 は 、 ア ル =ヌ ア イ ミ ー が
カ タ ル を 拠 点 と し て ア ル =カ ー イ ダ や ア ス バ ト ・ ア ル =ア ン サ ー ル 、 イ ラ ク の ア ル =カ ー イ
ダ 、ア ル =シ ャ バ ー ブ な ど の テ ロ 組 織 に 対 し て 2003 年 ご ろ か ら 資 金 提 供 を 行 っ て い た と し
て 、米 国 財 務 省 特 定 グ ロ ー バ ル・テ ロ リ ス ト に 登 録 し た 8 。ヌ ア イ ミ ー は 毎 月 200 万 ド ル を
イ ラ ク の ア ル =カ ー イ ダ に 送 金 し て い た と 指 摘 さ れ て い る 。
ま た 、ク ウ ェ ー ト で も モ ス ク な ど で 慈 善 団 体 が シ リ ア 国 民 向 け の 募 金 活 動 を 行 っ て お り 、
これらの募金がシリアの反体制勢力に流れていた模様である。クウェート政府は募金活動
の取り締まりを行っているが、米国財務省はテロ資金の送金対策が不十分であると批判し
て い る 。2014 年 5 月 、米 国 よ り テ ロ 資 金 提 供 疑 惑 が 指 摘 さ れ て い た ナ ー イ フ・ア ジ ュ ミ ー・
3
4
5
6
7
8
サ ウ ジ ア ラ ビ ア は マ ー リ キ 発 言 の 前 の 3 月 7 日 、ム ス リ ム 同 胞 団 、 ヌ ス ラ 戦 線 、 イ ラ ク と シ リ ア の イ
ス ラ ー ム 国 ( ISIS)、 フ ー シ ー 派 、 ヒ ズ ブ ッ ラ ー を テ ロ 組 織 に 認 定 し て い る 。 ま た 、 こ の 発 言 に 対 し
て も 政 府 関 係 者 が 否 定 し た 。 Al-Arabiya News “Saudi Arabia hits back at Maliki’s terror accusations,” 10
Mar., 2014. ま た 、 UAE も 駐 UAE イ ラ ク 大 使 を 呼 び だ し 、 抗 議 し た 。
Fars News Agency “Report: Qatar, Saudi Arabia Pay Monthly Salaries to Militants in Fallujah,” 7 Jun., 2014.
Fars News Agency “Qatar Recruiting, Sending 1,800 African Terrorists to Iraq,” 21 Jun., 2014.
Al-Monitor “Khamenei rep blames Saudi Arabia, Qatar for Iraq insurgents,” 13 Jun., 2014.
保 坂 修 司 「 イ ラ ク と シ ャ ー ム の イ ス ラ ー ム 国 」『 中 東 研 ニ ュ ー ズ リ ポ ー ト 』( 2014 年 6 月 12 日 配 信 ) .
U.S. Department of the Treasur y, “Treasury Designates Al -Qa’ida Supporters in Qatar and Yemen,” 18 Dec.,
2013.( http://www.treasury.gov/press -center/press-releases/pages/jl2249.aspx )
33/46
JIME 中東動向分析 20140627
ワ ク フ・イ ス ラ ー ム 問 題 相 が 、辞 任 に 追 い 込 ま れ た 9 。同 じ く 5 月 に は 、サ ウ ジ ア ラ ビ ア で
ISIS に 関 連 す る テ ロ 組 織 細 胞 が 摘 発 さ れ て お り 、 GCC 諸 国 は 直 接 的 ・ 間 接 的 に ISIS な ど
に関係している可能性は極めて高い。
3. イ ラ ク 情 勢 の 展 開 と GCC 諸 国 の 反 応
2014 年 6 月 に 入 り 、 イ ラ ク 国 内 で ISIS が 活 動 を 活 発 化 し 始 め た 。 ISIS は 6 月 9 日 に モ
ス ル 市 街 に 攻 勢 を か け 、以 降 バ グ ダ ー ド を 目 指 し て 南 進 し て い る 。UAE の ア ブ ド ゥ ッ ラ ー
外 相 は 同 10 日 、イ ラ ク の ズ ィ ー バ ー リ 外 相 と 電 話 で 会 談 を 行 い 、モ ス ル の 事 件 に つ い て 協
議 を 行 っ た 。ま た 、UAE は テ ロ と 断 固 戦 う 姿 勢 を 示 し 、イ ラ ク の 安 定 ・ 安 全 ・ 国 家 的 統 一
性 へ の 支 持 を 強 調 し た 10。
と こ ろ が 、イ ラ ク 情 勢 が 悪 化 し 始 め る と 、イ ラ ク と GCC 諸 国 の 対 立 が 激 し く な っ て く る 。
サ ウ ジ ア ラ ビ ア は 6 月 15 日 、イ ラ ク 情 勢 の 悪 化 は マ ー リ キ 政 権 に よ る ス ン ナ 派 マ イ ノ リ テ
ィーに対する長年の「宗派主義と排外的な政策」によるものであると批判した。カタルの
ハ ー リ ド・ア テ ィ ー ヤ 外 相 も 同 日 、ボ リ ビ ア で 開 催 さ れ た G77 サ ミ ッ ト の 場 で 同 様 の 批 判
を展開した。
さ ら に 、サ ウ ジ ア ラ ビ ア の サ ウ ー ド・フ ァ イ サ ル 外 相 は 同 18 日 に 、イ ラ ク は 全 面 的 な 内
戦状態に直面しており、予測できない帰結を地域にもたらすとの懸念を表明した。その上
で 、 外 国 勢 力 の 介 入 の な い か た ち で の 国 民 和 解 が 必 要 で あ る と 訴 え た 11。 サ ウ ジ ア ラ ビ ア
は 、 こ れ ま で も 表 面 的 に は ISIS を テ ロ 組 織 で あ る と 見 な し て お り 、 こ れ に 反 対 し て き た 。
ところが、イラク国内情勢の混乱はシーア派マーリキ政権による、少数派であるスンナ派
の 抑 圧 の 結 果 で あ る と の 姿 勢 を 強 調 し て い る 。 UAE も 基 本 的 に こ の 立 場 を 支 持 し て お り 、
6 月 18 日 に 駐 イ ラ ク UAE 大 使 の 本 国 へ の 召 還 を 発 表 し た 。UAE 外 務 省 は 、大 使 召 還 を「 協
議 」 を 目 的 と し た も の と 理 由 を 説 明 と し て い る が 、 同 日 に 発 表 さ れ た 声 明 の 中 で 、 ISIS な
どテロ組織を非難する一方で、イラクの宗派主義・排外主義にもとづく政治についての懸
念 も 表 明 し て い る 1 2 。 ク ウ ェ ー ト も 、 6 月 23 日 に 治 安 状 況 を 理 由 と し て 駐 バ グ ダ ー ド 大 使
を召還した。
カタルを拠点に活動する著名なイスラーム法学者のユースフ・カラダーウィーも、イラ
ク 情 勢 に つ い て は 悲 観 的 な コ メ ン ト を 残 し て い る 。6 月 23 日 に ド ー ハ で 開 催 さ れ た 国 際 ム
スリム法学者連合の記者会見において、イラクにおけるスンナ派とシーア派の平和的共存
の機会について楽観的ではないと指摘した。また、シーア派はこれまで対話に応じてきて
いないと批判した。その上で、双方の指導者に対して対立を扇動するような発言を控える
べ き と 訴 え て い る 13。
こ の よ う に 、GCC 諸 国 の イ ラ ク 情 勢 に 対 す る 反 応 は 、ISIS を 非 難 し つ つ も 、一 様 に そ の
原因はマーリキ政権によるスンナ派への処遇であるとしている。米軍のイラクへの軍事介
9
ア ジ ュ ミ ー 大 臣 は 米 国 側 か ら 指 摘 さ れ て い た テ ロ 資 金 疑 惑 に つ い て は 、否 定 し て い た 。ま た 、辞 任 の
直接の理由については明らかにされていないが、一連の批判と地域情勢の変化が影響したと考えら
れる。
10
WAM “Foreign minister briefed on situation in Mosul,” 10 Jun., 2014.
11
Saudi Gazette “Iraq facing threat of civil war: Kingdom,” 18 Jun., 2014.
12
Al-Arabiya “UAE recalls its ambassador to Iraq,” 18 Jun., 2014.
13
The Peninsula “Qaradawi doubtful about peaceful coexis tence in Iraq, Islamic world,” 24 Jun., 2014.
34/46
JIME 中東動向分析 20140627
入がささやかれるなかで、オバマ政権によるマーリキ政権の支援は「地域の宗派対立を悪
化 さ せ る 」 と し て 、 こ の 動 き を け ん 制 し た 1 4 。 GCC 諸 国 と し て は 、 ISIS な ど 武 装 勢 力 の 存
在 は 問 題 と し な が ら も 、対 ア サ ド( シ リ ア )と 対 マ ー リ キ( イ ラ ク )、そ し て 対 イ ラ ン と い
う三つの戦略の観点から、現状を意図的に「放置」していると考えることができる。この
よ う に 、短 期 的 な 戦 略 と し て は こ の 3 カ 国 に 対 抗 す る 上 で ISIS は「 必 要 悪 」で あ る が 、中
長 期 的 に は GCC 諸 国 へ の 逆 流 と 、 そ れ に よ る GCC 諸 国 内 ・ 地 域 情 勢 の 不 安 定 化 の 危 険 性
は大いに考えられる。
14
VOA “Gulf Leaders Blame Iraq’s Maliki for ISIL Crisis,” 20 Jun., 2014.
35/46
JIME 中東動向分析 20140627
イラク情勢関連レポート 4
イラク情勢の急転と国際エネルギー市場への影響
中東研究センター
研究主幹
永田
安彦
1. 原 油 市 場 の 状 況
6 月 20 日 に は ニ ュ ー ヨ ー ク で WTI 原 油 が 終 値 で 107.26 ド ル / バ レ ル( $/b)を つ け る な
ど 、 昨 年 の 9 月 18 日 以 来 の 高 値 を 記 録 し た 。 ま た 、 ロ ン ド ン で は 北 海 ブ レ ン ト 原 油 が 6
月 19 日 に は $115.06/b に 達 す る な ど 、 6 月 11 日 か ら 約 5 ド ル 上 昇 し た 。
イ ラ ク と シ ャ ー ム の イ ス ラ ー ム 国 ( ISIS) は 6 月 6 日 に イ ラ ク 第 二 の 都 市 モ ス ル で 治 安
部 隊 と 戦 闘 に 入 り 、10 日 に は モ ス ル を 制 圧 し た 。こ う し た な か で 、投 機 筋 に よ る 買 い の 建
玉 ( 未 決 済 残 高 ) が 急 増 し 、 6 月 17 日 に は 45.7 万 枚 1 ( 約 4.6 億 バ レ ル ) の 買 い 越 し ( 買
い と 売 り の 建 玉 の 差 ) と な り 、 今 年 初 め て 45 万 枚 を 超 え た 。
図 1: 原 油 価 格 ( WTI) と 非 当 業 者 ( 投 機 筋 ) の 買 越 し 残 高 の 推 移
$/bbl
Contracts(1,000bbl)
500,000
120
450,000
400,000
110
WTI Crude Price
100
350,000
300,000
90
250,000
80
200,000
150,000
100,000
Non-Commercial
Net Long
70
60
50,000
50
Jan-12
Feb-12
Mar-12
Apr-12
May-12
Jun-12
Jul-12
Aug-12
Sep-12
Oct-12
Nov-12
Dec-12
Jan-13
Feb-13
Mar-13
Apr-13
May-13
Jun-13
Jul-13
Aug-13
Sep-13
Oct-13
Nov-13
Dec-13
Jan-14
Feb-14
Mar-14
Apr-14
May-14
Jun-14
0
出 所 : CFTC “Commitment of Traders”
国際原油市場は、一連の戦闘が南部湾岸のターミナルからのバスラ・ライト原油の輸出
1
Managed Money と Non-reportable の 建 玉 の 合 計
36/46
JIME 中東動向分析 20140627
を危うくするという見通しを材料視して上昇している。しかし、より現実的な脅威は長期
にある。すなわち、宗派間の争いがイラク上流への投資を削り、石油資源の開発を抑制す
る と い う 点 で あ る 2 。そ の 結 果 、長 期 の 原 油 先 物 市 場 が こ れ を 織 り 込 ん で 、さ ら に 上 昇 す る
可能性が出てきた。
IEA は 6 月 に 発 表 し た 中 期 石 油 市 場 見 通 し Medium-Term Oil Market Report に お い て 、 イ
ラ ク の 原 油 生 産 能 力 の 見 通 し ( 2014~ 18 年 ) を 下 方 修 正 し た 3 。 原 油 先 物 価 格 は 、 こ れ ら
の 変 化 を 受 け て シ フ ト し は じ め て い る 。 図 2 に 示 さ れ る よ う に 、 2014 年 6 月 20 日 の 原 油
先 物 価 格 曲 線( カ ー ブ )は 6 月 4 日 と 比 べ て 上 昇 し 、特 に 48 カ 月( 4 年 )後 く ら い か ら 上
方にシフト(期先高)している。
図 2: 原 油 ( WTI) 先 物 価 格 曲 線 の 比 較
$/bbl
110
105
2014年6月20日
100
2014年6月4日
2013年6月7日
95
90
85
80
1 4 7 10 13 16 19 22 25 28 31 34 37 40 43 46 49 52 55 58 61 64 67 70
Composite contract
限月
出 所 : Dow Jones Newswires よ り 作 成
2. イ ラ ク の 原 油 生 産 施 設 等 の 状 況
ISIS は 、 北 部 の カ イ ヤ ー ラ 油 田 と ナ ジ ュ マ 油 田 を 占 拠 し た と さ れ る 。 6 月 16 日 、 BP、
Exxon Mobil 及 び 石 油 資 源 開 発 な ど の 国 際 石 油 会 社 は ISIS に よ る 攻 勢 の 報 告 を 受 け て 、 イ
ラ ク 南 部 の 油 田 か ら 外 国 人 労 働 者 を 脱 出 さ せ は じ め た 。 た だ し 、 BP の ダ ッ ド リ ー CEO が
言うように、操業に不可欠な人は残しており、彼らの操業は直接影響を受けていないとし
て い る 4 。ま た 、エ ン ジ ニ ア リ ン グ の Daewoo Engineering & Construction Co. は 西 部 ア ッ カ ー
ス で の 作 業 に 関 し て 、フ ォ ー ス マ ジ ュ ー ル( 不 可 抗 力 )を 宣 言 し た 。一 方 、 R/D Shell は マ
ジ ュ ヌ ー ン 油 田 、 Lukoil は 西 ク ル ナ 2 油 田 か ら の 従 業 員 の 脱 出 は 行 っ て お ら ず 、 操 業 は 正
常であるとしている。
2
3
4
Argus Global Markets 2014.06.20.
IEA は 今 年 の 中 期 見 通 し で 、 イ ラ ク の 生 産 能 力 が 2019 年 に 454 万 バ レ ル / 日 ( b/d) に 達 す る と し 、
2013 年 の 実 績 か ら 128 万 b/d 増 え る と し た 。昨 年 の 中 期 見 通 し で は 、2012 年 か ら 157 万 b/d 増 え て 、
2018 年 に 476 万 b/d に 達 す る と 予 想 し た 。
MEES , 2014.06.20. た だ し 、 BP が 操 業 す る ル メ イ ラ 油 田 で は 約 半 分 の 従 業 員 が 脱 出 し た と さ れ る 。
37/46
JIME 中東動向分析 20140627
国際石油会社のイラクからの退出は短期的には影響は軽微であっても、資金と先進技術
の欠落は、中長期的に生産に影響を及ぼすことが予想される。
悲観的な生産見通しとは異なり、北部のキルクーク油田、バイハサン油田では原油輸出
上 積 み の 可 能 性 が で て い る 。 す な わ ち 、 ク ル デ ィ ス タ ン 地 域 政 府 ( KRG) の 軍 ペ シ ュ メ ル
ガ は 6 月 12 日 、 キ ル ク ー ク 油 田 、 バ イ ハ サ ン 油 田 に 治 安 維 持 を 提 供 し た 。 KRG は 昨 年 完
成 し た パ イ プ ラ イ ン で ト ル コ の ジ ェ イ ハ ン 港 に 向 け て 12.5 万 バ レ ル / 日 ( b/d) の 原 油 を
輸 出 し て い る 。オ ラ ィ・ト ル コ・パ イ プ ラ イ ン( ITP)と は フ ィ シ ュ ハ ブ ー ル( Fishkhabour)
で つ な が っ て い る が 、新 パ イ プ ラ イ ン の 管 理 に は 中 央 政 府 は 関 与 し て い な い 。KRG は 出 荷
能 力 を 7 月 に 20~ 25 万 b/d に 、 今 年 末 ま で に 40 万 b/d に 拡 大 す る こ と を 計 画 し て い る 5 。
6 月 24 日 現 在 、バ グ ダ ー ド 北 部 の ベ イ ジ 製 油 所 付 近 で 戦 闘 が 行 わ れ て い る 。ベ イ ジ 製 油
所 は イ ラ ク 最 大 で 精 製 能 力 は 31 万 b/d で あ る 。 現 下 の 状 況 は 情 報 が 錯 綜 し て い る が 、 6 月
13 日 以 降 、製 油 所 の 生 産 は す で に 停 止 し て い る 模 様 で あ る 。今 後 、ガ ソ リ ン や 軽 油 な ど の
輸送用燃料だけでなく、発電用の重油の供給などに支障が生じる可能性がある。
南 部 の 原 油 輸 出 は 、 6 月 は 250~ 260 万 b/d、 生 産 は 280 万 b/d を 維 持 し て い る と さ れ 、
現 在 は 武 装 勢 力 に よ る 影 響 は 出 て い な い 模 様 で あ る 。 な お 、 北 部 の ITP で の 輸 出 は 3 月 初
めの武装勢力による攻撃以降、停止したままである。
3. イ ラ ク 原 油 輸 出 停 止 の 場 合 の 国 際 原 油 市 場 へ の 影 響
( 1) 価 格 は ど こ ま で 上 昇 す る か
北部での戦闘激化により、既に、ブレント原油で 5 ドル程度上昇しているが、これが南
部 に ま で 拡 大 し た 場 合 の 影 響 に つ い て 、投 資 銀 行 は 次 の よ う な 予 想 を 行 っ て い る 。 Morgan
Stanley は も し イ ラ ク 南 部 の 油 田 の 原 油 生 産 が 失 わ れ る な ら 、 ブ レ ン ト 原 油 は $35~ 70/b 上
昇 す る と 予 想 す る 。 Bank of America Merrill Lynch は $40~ 50/b の 価 格 上 昇 を 示 唆 す る 6 。 こ
れ は OECD 諸 国 が 戦 略 備 蓄 を 放 出 し た 場 合 で も 同 じ で あ る 。
( 2) ど こ に 影 響 が 及 ぶ か 、 OPEC の 対 応 は
図 3 に示されるように、イラクの原油は世界の 3 大石油市場(北米、欧州、アジア)の
全てに輸出されている。従って、イラクの原油輸出が停止すれば、世界全体で影響が生じ
る可能性がある。なかでも、アジア・太平洋地域はイラクの輸出のほぼ半分を 占めている
ため、最も大きい影響を受ける。
イ ラ ク の 250 万 b/d の 輸 出 に つ い て は 、 OPEC 加 盟 国 は 部 分 的 に 代 替 す る こ と は で き る
だ ろ う 。 し か し な が ら 、 OPEC で 唯 一 大 幅 な 供 給 余 力 を も つ サ ウ ジ は 、 今 夏 は 発 電 所 用 に
よ り 多 く の 原 油 を 仕 向 け る 必 要 が あ る と さ れ る 7。
OPEC の バ ー ド リ 事 務 局 長 は 6 月 16 日 、「 石 油 市 場 は 現 下 の 紛 争 に よ り 動 揺 し て い る 。
しかし、イラクの原油生産は影響を受けないであろう。ただし今後状況が変化するなら、
5
6
7
Argus Global Markets, 2014.06.20.
Argus Global Markets, 2014.06.20.
Argus Global Markets, 2014.06.20.
38/46
JIME 中東動向分析 20140627
OPEC は ど の よ う な 行 動 が と れ る か 再 度 検 討 す る で あ ろ う 8 」と 述 べ 、対 応 す る 用 意 が あ る
こ と を 示 し た 。 ま た 、 サ ウ ジ ア ラ ビ ア は 、 政 府 当 局 者 が 6 月 24 日 、「 石 油 供 給 に 途 絶 が 生
じ る な ら 原 油 を 追 加 供 給 す る こ と を 約 束 す る 」「 顧 客 が 望 む な ら 、 サ ウ ジ は 1,250 万 b/d 生
産 す る こ と が で き る 。 石 油 資 源 、 生 産 施 設 、 経 営 陣 の す べ て が こ れ を 支 え る 」 と し た 9。
図 3: イ ラ ク の 原 油 輸 出 先 ( 2012 年 )( 単 位 : 1000b/d)
中南米,
105
中東, 7
欧州, 547
アジア・
太平洋,
1,205
北米, 559
出 所 : OPEC Annual Statistical Bulletin 2013
4. 中 長 期 的 な 影 響
IEA は 6 月 17 日 、「 OPEC の 世 界 の 石 油 需 要 に 対 応 す る 能 力 は イ ラ ク で の こ う し た 状 況
に よ り 陰 り が 出 て い る 。今 後 の イ ラ ク の 能 力 拡 張 は リ ス ク に さ ら さ れ て い る 。北 ア フ リ カ 、
中 東 で の 政 治 リ ス ク が 石 油 部 門 へ の 投 資 を 脅 か し て い る 10」 と し た 。
また、イラクでの連邦政府の権威の失墜を受けて、石油産業は改めて地域のリスク、政
府との関係を見直すことになる。外国の石油投資家は生産目標達成に必要な資金を投じる
前 に 、 真 の 政 治 的 な 改 革 を 目 に す る こ と を 必 要 と す る で あ ろ う 11。
イ ラ ク の 原 油 生 産 能 力 は 2020 年 に 850 万 b/d と い う 予 想 も な さ れ た が 、ISIS に よ る 攻 撃
で 連 邦 政 府 の 分 裂 が 表 面 化 し 、 海 外 か ら の 投 資 が 進 ま な い 可 能 性 が 高 く な り 、 IEA が 中 期
見 通 し で 発 表 し た よ う に 、 2019 年 に 454 万 b/d と い う 数 字 1 2 が 現 実 味 を 帯 び て き て い る 。
イ ラ ク 政 府 は 今 年 4 月 に 、 Lukoil の 西 ク ル ナ 2 の 生 産 増 強 に よ り 今 年 末 の 生 産 能 力 が 400
万 b/d を 超 え る と い う 発 表 を 行 っ て い た が 、2020 年 に か け て 生 産 能 力 の 上 積 み は さ ほ ど 期
待できないであろう。
イ ラ ク の 原 油 生 産 能 力 の 増 強 が 予 想 よ り 進 ま な い 場 合 、 OPEC の 生 産 余 力 が 伸 び 悩 む 可
能 性 が あ り 、 他 方 で は シ ェ ー ル オ イ ル 増 産 も あ っ て 、 国 際 原 油 市 場 で の OPEC の 影 響 力 が
低下する可能性がある。需給関連では、これまでイラクの大幅な増産を前提に、需給緩和
の見通しが多くなされていたが、見直しが入ることになろう。
8
Platts Oilgram News, 2014.06.17.
Reuters, “Saudi says committed to supplying market with extra oil if needed ” 2014.06.24.
10
Platts Oilgram News 2014.06.18.
11
PIW 2014.06.23.
12
International Energy Agency, Medium-Term Oil Market Report 2014 , p68
9
39/46
JIME 中東動向分析 20140627
イ ラ ク 情 勢 タ イ ム ラ イ ン ( 2014 年 4 月 30 日 ~ 6 月 23 日 )
中東研究センター
主任研究員
上田
恵美子
2014 年 4 月 30 日
イ ラ ク 国 民 議 会 選 挙 を 実 施 。 投 票 率 は 62%
2014 年 5 月 19 日
イラクの選挙管理委員会が国民議会選挙の暫定結果を発表。マーリキ
首 相 率 い る 法 治 国 家 連 合 が 第 一 党 ( 328 議 席 中 95 議 席 ) と な る も 、 過
半数に達しないため、主要政党間で連立交渉開始
2014 年 6 月 5 日
ISIS が サ ラ ー ハ ッ デ ィ ー ン 県 サ ー マ ッ ラ を 攻 撃 。 6 日 に は イ ラ ク 第 二
の都市モスルに侵攻し、7 日にはアンバール県ラマーディのアンバー
ル大学を占拠
2014 年 6 月 10 日
モスル陥落
2014 年 6 月 11 日
ISIS が サ ラ ー ハ ッ デ ィ ー ン 県 の テ ィ ク リ ー ト 、 ベ イ ジ を 制 圧
ISIS が 在 モ ス ル ・ ト ル コ 領 事 館 を 襲 撃 し 、 総 領 事 と 家 族 、 職 員 ら 49 人
を 拉 致 。 ISIS は 前 日 の 10 日 に は ト ル コ 人 運 転 手 31 人 を 拉 致 し 、 ト ル
コ 側 に 500 万 ド ル の 身 代 金 を 請 求
マーリキ首相をはじめとする主要政党幹部が会合を開いて対応策を協
議
2014 年 6 月 12 日
ISIS が 今 後 バ グ ダ ー ド 、 カ ル バ ラ 、 ナ ジ ャ フ を 目 指 す と の 声 明 を 発 表 。
同日夜までに、バグダード北方のディヤラ県に侵攻
ISIS の 攻 撃 を 受 け た 政 府 軍 が 北 部 の 油 田 都 市 キ ル ク ー ク を は じ め と す
る 地 域 か ら 撤 退 し た の を 受 け て 、 ク ル デ ィ ス タ ン 地 域 政 府 ( KRG) の
治 安 部 隊 ペ シ ュ メ ル ガ は 住 民 保 護 を 名 目 に 同 地 域 に 展 開 。 13 日 ま で に
ほぼ全域を掌握
マーリキ首相の求める非常事態宣言承認のため臨時議会が招集される
が、スンナ派政党などがボイコット。定足数を満たさず流会
米国のオバマ大統領、米軍による空爆についても、「あらゆる選択肢
を排除しない」として軍事攻撃の可能性に言及。但し、カーニー大統
領報道官は、米軍による地上部隊の派遣を否定
2014 年 6 月 13 日
シーア派の最高権威シスターニ師の代理人、金曜礼拝で、武器を持っ
て戦うようイラクの市民に呼びかけ。この義勇兵募集に対し、シーア
派住民を中心に数万人が志願
2014 年 6 月 14 日
米国のヘーゲル国防長官、空母ジョージ・ブッシュ、 ミサイル巡洋艦、
ミサイル駆逐艦のペルシャ湾への移動を指示
イラクの国民議会議員の任期(4 年)満了。イランのロウハーニ大統
領が記者会見において、イラクからの要請があれば支援を行う用意が
40/46
JIME 中東動向分析 20140627
あり、米国との協力についても「検討することができる」と可能性を
否定しない考えを表明
2014 年 6 月 15 日
米国務省、バグダードの米国大使館の一部職員を隣国ヨルダンなどに
一時退避させると発表。大使館業務は継続するが、米軍要員を派遣し
て大使館の警備強化
2014 年 6 月 16 日
ウィーンで再開された核協議の場を利用して、米国とイランがイラク
情勢について短い意見交換
米国のケリー国務長官はインタビューの中で、事態収拾のためのイラ
ン と 協 力 に つ い て「 建 設 的 な こ と で あ れ ば 、 何 も 排 除 し な い 」と 発 言 。
その後、ホワイトハウス、国務省、国防総省の報道官が、ケリー長官
の発言を打ち消し、イランとの軍事協力の可能性を否定
最高裁判所が 4 名を除いて国民議会選挙の結果を承認
攻防が続くイラク最大のベイジ製油所で、操業が停止
2014 年 6 月 17 日
マーリキ首相をはじめとする主要政党幹部が二度目の政治会合
IEA は 『 中 期 石 油 市 場 報 告 』 の 中 で 、 イ ラ ク 情 勢 の 悪 化 が 続 け ば 、 同
国の生産能力拡大の見通しの実現が危ぶまれると懸念を表明
2014 年 6 月 18 日
イランのロウハーニ大統領、イラク国内のシーア派聖地をテロリスト
の攻撃から守るためにあらゆる手段を講じると発言
サウジアラビアのサウード外相、外部勢力はイラクの戦いに干渉すべ
きではないと述べ、イランに警告
イラクのズィーバーリ外相、訪問先のサウジアラビアで、米国に対し
て ISIS の 軍 事 拠 点 へ の 空 爆 を 正 式 に 要 請 し た と 発 言
2014 年 6 月 19 日
オ バ マ 大 統 領 、 イ ラ ク に 最 大 300 人 の 軍 事 顧 問 団 を 派 遣 す る 用 意 が あ
ると表明。但し、戦闘には直接加わらず、イラク治安部隊の訓練や助
言を行う。空爆については、当面見送りの方針
2014 年 6 月 22 日
イランのハーメネイ最高指導者、米国やいかなる外国勢力のイラク介
入にも強く反対すると述べて、米国を牽制
イラク政府軍、西部のシリア国境近くにあるカーイム、ラワ、アナの
町 か ら「 戦 術 的 撤 退 」を 行 っ た と し て 、 ISIS に よ る 制 圧 を 認 め る 発 表 。
ヨルダン国境のトゥライビール検問所も地元部族勢力がすでに制圧し
たとの報道
2014 年 6 月 23 日
ケリー国務長官がバグダードを訪問し、マーリキ首相ほか有力政治家
と 会 談 。 24 日 に は ク ル デ ィ ス タ ン 自 治 区 で バ ル ザ ー ニ KRG 大 統 領 と
も会談。選挙結果の確定をうけて 7 月 1 日までに遅滞なく新議会を開
会するよう要請。イラクに対して、「強力かつ持続的な支援」を約束
( 2014 年 6 月 26 日 現 在 )
41/46
JIME 中東動向分析 20140627
イラク情勢に関する中東研担当者メディア対応状況
通信社
【通信社名】共同通信社
【 掲 載 日 】 6 月 22 日
【掲載内容】マリキ氏権力集中に反発
シリア内戦も要因
【対応者】吉岡明子
新聞
【新聞名】日本経済新聞
【 掲 載 日 】 6 月 19 日 朝 刊 6 面
【掲載内容】シリアの内戦過激派育てる
【対応者】吉岡明子
テレビ
【 放 送 局 ・ 番 組 名 】 TBS テ レ ビ 『 ニ ュ ー ス 23』
【 放 送 日 時 】 6 月 16 日 22: 54~ 23: 53
【放送内容】イラク情勢と原油の高止まりについて
【対応者】吉岡明子
【 放 送 局 ・ 番 組 名 】 NHK 総 合 『 NEWS WEB』
【 放 送 日 時 】 6 月 16 日 23: 30~ 24: 00
【放送内容】緊迫イラク
今何が
【対応者】吉岡明子
【 放 送 局 ・ 番 組 名 】 NHK WORLD『 NEWSLINE』
【 放 送 日 時 】 6 月 17 日 15: 00~ 15: 30
【放送内容】イラン核協議とイラクへの対応
【対応者】田中浩一郎
【 放 送 局 ・ 番 組 名 】 NHK『 視 点 ・ 論 点 』
【 放 送 日 時 】 7 月 1 日 ( 火 ) 04: 20~ 04: 30( 総 合 )
7 月 1 日 ( 火 ) 13: 50~ 14: 00( E テ レ )
【放送内容】イラク情勢関連(出演予定)
【対応者】吉岡明子
42/46
JIME 中東動向分析 20140627
ラジオ
【 放 送 局 ・ 番 組 名 】 NHK ラ ジ オ 第 一 『 NHK ジ ャ ー ナ ル 』
【 放 送 日 時 】 6 月 17 日 22: 00~ 23: 00
【放送内容】イラン核開発協議イラク情勢で米とイランが会談
【対応者】田中浩一郎
【 放 送 局 ・ 番 組 名 】 TBS ラ ジ オ 『 荻 上 チ キ ・ Session-23』
【 放 送 日 時 】 6 月 18 日 22: 40~ 23: 40
【放送内容】緊迫するイラク情勢
【対応者】吉岡明子
【 放 送 局 ・ 番 組 名 】 NHK ラ ジ オ 第 一 『 私 も 一 言 !夕 方 ニ ュ ー ス 』
【 放 送 日 時 】 6 月 19 日 18: 15~ 18: 45
【放送内容】緊迫するイラク情勢
いま何が起きているのか?
【対応者】吉岡明子
【 放 送 局 ・ 番 組 名 】 NHK WORLD ラ ジ オ 日 本 『 ニ ュ ー ス 』
【 放 送 日 】 6 月 20 日
【放送内容】イラン核協議とイラクへの対応
【対応者】田中浩一郎
【 放 送 局 ・ 番 組 名 】 KBC ラ ジ オ 『 Morning Wave』
【 放 送 日 時 】 6 月 23 日 07: 15~ 07: 22
【放送内容】現在のイラク情勢は?
【対応者】吉岡明子
※取材等の申し込みは下記までお願い致します。
一般財団法人日本エネルギー経済研究所中東研究センター
管理グループ
北條・岡まで
電 話 番 号 : 03-5547-0230
FAX 番 号 : 03-5547-0229
メ ー ル ア ド レ ス : [email protected]
43/46
JIME 中東動向分析 20140627
<トピック>
カ タ ル:米 国 と タ ー リ バ ー ン の 人 質 交 換 を
仲介
プ な ど 1,000 人 以 上 が 会 議 に 参 加 し た 。
IATA の ト ニ ー・タ イ ラ ー 事 務 総 長 兼 最 高
経 営 責 任 者( CEO)は 、マ レ ー シ ア 航 空 370
6 月 1 日、米国とターリバーンの間で人
便が消息を絶ったことに触れ、このような
質 交 換 が 行 わ れ 、カ タ ル が 両 者 を 仲 介 し た 。
事は二度と起きてはならず皆の心に深く刻
交換が行われたのは、米国・グアンタナモ
み込まれるべきものと述べている。また、
刑務所に収容されているターリバーンの幹
同 CEO は 、 2014 年 の 世 界 の 航 空 会 社 全 体
部 5 人と、アフガニスタンでターリバーン
の 純 利 益 が 180 億 ド ル と の 見 通 し を 示 し 、
の捕虜となっていた米兵 1 人である。ター
利 益 率 は 2.4%に 過 ぎ ず 乗 客 一 人 当 た り の
リバーン幹部は、ドーハで引き渡された。
純利益は 6 ドル以下と述べている。また、
カタルは従来から、米国とターリバーン
2014 年 に お け る 航 空 業 界 の 新 規 航 空 機 購
の 交 渉 仲 介 作 業 を 手 助 け し て い た 。2013 年
入 は 1,400 機 で 購 入 額 は 1,500 億 ド ル 以 上
に は 、ド ー ハ に タ ー リ バ ー ン 政 治 事 務 所( 現
であることも披露された。
在一時閉鎖中)を設置することを認めてい
数多くの議題の中でとりわけ熱のこもっ
た 。米 国 側 に と っ て も 、
「 テ ロ 組 織 」と 直 接
た議論がなされたのは、航空燃料の高値安
交渉ができないなかで、カタルの仲介の役
定が航空会社の経営を圧迫している点であ
割は極めて重要なものである。チャック・
っ た 。航 空 業 界 が 費 や す 燃 料 費 は 年 間 2,120
ヘーゲル米国防長官は、今後のアフガニス
億 ド ル で 運 航 コ ス ト の 30% を 占 め る と
タンとの和平交渉への期待感を示した。タ
IATA の 2014 年 報 告 書 で 述 べ ら れ て い る 。
ーリバーン側も今回の捕虜交換をについて
IATA の ブ ラ イ ア ン・ペ ア ス 主 席 エ コ ノ ミ ス
「米国は 5 人の『勇敢で重要な』ターリバ
トは、バイオメタノールなどの代替燃料を
ーンの指導者たちを、1 人の身分の低い兵
IATA が 研 究 し て い る こ と を 述 べ て い る 。ま
士と交換した」と、米国への勝利を強調し
た QA の ア ク バ ー ル・ア ル・バ ク ル CEO は 、
た。
QA は ド ー ハ 発 の 全 て の QA 便 に お い て 、
釈放されたターリバーン幹部は、1 年間
GTL( gas to liquid) 技 術 に よ り 製 造 し た 燃
はドーハに留め置かれることになっている。
料 を 使 用 し て お り GTL は 環 境 に や さ し い
(堀拔)
燃料であると強調している。
また、ルールを守らない乗客に対する対
カ タ ル:IATA( 国 際 航 空 運 送 協 会 )年 次 総
応も議題となった。各国政府と航空業界が
会開催
協力してこの問題に取り組むことが全会一
カ タ ル の 首 都 ド ー ハ で 2014 年 6 月 2 日 ~
致で決議された。決議により他の乗客と乗
4 日 、 IATA ( International Air Transport
務員の権利を守るという航空各社の決意が
Association:国 際 航 空 運 送 協 会 )の 第 70 回
確 認 さ れ た と 、 IATA の ト ニ ー ・ タ イ ラ ー
年 次 総 会 が 開 催 さ れ た 。 QA ( Qatar
CEO は 述 べ て い る 。 ま た 、 QA は こ の 問 題
Airways:カ タ ー ル 航 空 )が 会 議 の 運 営 を 執
を未然に対応すべく行動すると、アクバー
り行った。初日の開演にはタミーム首長が
ル ・ ア ル ・ バ ク ル CEO は 述 べ て い る 。
出 席 し て い る 。IATA に は 240 の 航 空 会 社 が
年 次 総 会 の 開 催 直 前 と な る 5 月 27 日 、
加 盟 し て お り 、世 界 の 空 の 交 通 量 の 84%を
HIA( Hamad International Airport:ハ マ ド 国
占 め る 。 GCC で 本 総 会 が 開 催 さ れ る の は 、
際空港)が全面開港となった。各社のラウ
今回が初めてである。航空会社の経営トッ
ンジなど一部設備の建設が遅れ、交通大臣
44/46
JIME 中東動向分析 20140627
が 3 月中旬時点で開港時期を明言できなか
UAE: Nakheel は 期 限 前 に 債 務 を 返 済
っ た こ と か ら 、 中 東 経 済 専 門 誌 MEED は 3
ド バ イ の 不 動 産 会 社 大 手 の Nakheel は 6
月 26 日 付 で 、 開 港 は 2014 年 夏 以 降 と 報 じ
月 25 日 、期 限 前 に AED79 億( 21.5 億 ド ル )
て い た 。 と こ ろ が 、 ま ず 航 空 10 社 が 4 月
の銀行債務の全てを返済すると発表した。
30 日 に DIA( Doha International Airport )か
Nakheel の ア リ ー ・ ラ ー シ ド ・ ル ー タ ー 会
ら HIA へ 移 動 す る こ と が 4 月 10 日 に 報 じ
長 は 、「 支 払 い は 2018 年 ま で に 予 定 さ れ て
ら れ 、QA を 含 む 残 り 全 社 が 5 月 27 日 ま で
いる最終の返済分をカバーしている」と述
に 移 動 す る こ と が 5 月 12 日 に 発 表 さ れ た 。
べ た 。 過 去 に 、 今 夏 に 債 務 の 一 部 AED16.5
こ の 急 転 直 下 の 開 港 は 、IATA の 年 次 総 会 に
億を支払うことを約束していたが、8 月に
間に合わせるためという見方も成り立つで
全ての負債が返済されることになる。
あ ろ う 。( 鈴 木 )
Nakheel は 政 府 関 連 企 業 で あ り 、 ド バ イ
でヤシの木を模った島や世界地図を模した
UAE: ア ル =カ ー イ ダ 支 援 容 疑 の 外 国 人 に
島々を建設してきたが、自社の収入を原資
対して終身刑判決
に 負 債 の 返 済 に 対 応 す る 。ル ー タ ー 会 長 は 、
UAE の 連 邦 最 高 裁 判 所 国 家 治 安 法 廷 は 6
「 こ の 資 金 は す べ て Nakheel 自 身 の 収 入 か
月 23 日 、ア ル =カ ー イ ダ の 細 胞 組 織 を 設 立
ら生み出され、政府の支援金に依存してい
し、活動していた容疑で起訴していた外国
ない」と述べた。
人に有罪判決を下した。
同 社 の 債 務 の 支 払 い 期 限 は 、AED68 億 が
判 決 に よ る と 、 UAE で 逮 捕 さ れ て い た 9
2015 年 9 月 、AED2 億 は 2016 年 3 月 、AED9
人の外国人は、パレスチナやチュニジア出
億 は そ の 2 年 後 に 予 定 さ れ て い る 。Nakheel
身 の ア ラ ブ 人 で あ っ た 。2013 年 4 月 に 逮 捕
は 2009 年 に ド バ イ を 世 界 的 な 金 融 危 機 が
されており、当時の報道によると、設立さ
襲う前に、ドバイの不動産部門で 5 年にわ
れた細胞組織は新しいメンバーのリクルー
たる急速な成長の間に膨大な負債を積み上
トや資金集め、後方支援を行っていたとさ
げ て き た 。同 社 は 、政 府 関 連 の Dubai World
れ て お り 、UAE の 国 家 治 安 や 市 民 の 安 全 に
グループの一部を構成していた。同グルー
影響を与える活動を計画していた容疑を持
プ は 2009 年 秋 に 合 計 約 249 億 ド ル に の ぼ る
たれていた。公判では、ヌスラ戦線をはじ
債務の返済に窮しており、グローバル金融
めとするシリアの反体制派に対して資金提
市場に不安をもたらした。政府はグループ
供をしていたことが明らかにされた。そし
の 救 済 に 動 き 、 隣 国 の ア ブ ダ ビ か ら の 200
て、判決において主犯格のラアファト・ム
億 ド ル に の ぼ る 支 援 を 得 た 。 Nakheel の 債
ハンマド・ハルブ被告に対して終身刑が、
務リストラクチャリングの一部として、政
残りの 6 人の被告に対して禁固 7 年の判決
府 が 同 社 に 注 入 し た 95 億 ド ル は 資 本 金 に
が言い渡された。さらに、このなかのワー
転 換 さ れ 、 同 社 は Dubai World か ら 分 離 さ
ディア・ビン・アブドゥルカーディル・ブ
れて、政府の完全所有になった。
ンニー被告とラムズィー・サーレム・アル
Nakheel は ド バ イ の 強 力 な 経 済 の 回 復 の
=タ ワ テ ィ ー 被 告 に は 、 罰 金 100 万 デ ィ ル
恩恵を受けており、ドバイでの経済成長は
ハムも科された。別の 2 人の被告に対して
2009 年 に 2.9%に 収 縮 し た 後 、 貿 易 、 輸 送
は 、証 拠 不 十 分 で 無 罪 判 決 と な っ た 。
(堀拔)
及び観光部門の好調さを受けて堅調に推移
している。ドバイの不動産部門は金融危機
の間に急落した後、回復した。地域の政治
45/46
JIME 中東動向分析 20140627
的な混乱の期間に、ドバイは資金の安全な
GCC 諸 国 は 、イ ス ラ ー ム を 国 家・法 の 基
逃避先としての評価を得ており、不動産価
礎としているため、教義に反する飲酒を否
格は、これまで需要が回復するなかで急上
定する動きについて、大っぴらには反対す
昇している。
ることは難しい。また、仮にバハレーンな
Nakheel は 不 動 産 の 開 発 に 加 え て 、 小 売
どで禁酒が施行されるとすると、投資先や
及びホテル事業にも携わっている。同社は
駐在先としてのドバイの「優位性」がます
不動産部門の代わりにこれらの部門へ重点
ま す 高 ま る で あ ろ う 。 い ず れ に せ よ 、 GCC
をシフトさせているようにみえる。ルータ
諸国における禁酒論は地域動向に少なくな
ー会長は、ホテル事業を同社の事業拡大の
い 影 響 を 与 え そ う だ 。( 堀 拔 )
関心事の一つに位置付け、
「我々は安定した
収 益 を 得 、不 動 産 の 販 売 に 依 存 し な い よ う 、
建物の建設に焦点を当てている」とした。
そして、
「現金を生み出す資産を増やすべく、
分 散 化 す る こ と が 重 要 」と し て い る 。
(永田)
GCC 諸 国:バ ハ レ ー ン と オ マ ー ン の 議 会 で
禁酒議論
最近、バハレーンとオマーンの議会にお
いて、禁酒政策を導入するべきであるとの
提案がなされている。現在、サウジアラビ
アとクウェートでは公式に国内での飲酒や、
アルコール類の輸入・製造・販売が禁止さ
れている。バハレーンなどは、飲酒を目的
に多くの人々が集まっている。
バハレーンでは 5 月末、諮問評議会のハ
リーファ・ザフラーニー議長を中心に禁酒
法案が提案された。飲酒はトラブルや売春
の原因となるとして、これを禁止するよう
求めたものであり、市民を含め広範な支持
を集めている模様である。しかし、バハレ
ーンには飲酒目的の観光客が多く集まるた
め、もしこの法律が承認・施行されると同
国の観光部門にとっては大きな経済損失に
なる。
オマーンでは、6 月に諮問評議会立法委
員会が刑法改正案を承認した。これによる
と、刑法のなかでオマーン国内での酒の取
り引きと消費を禁止しようとするもの。国
内で大ムフティーを務めるアフマド・ハリ
ーリー師もこの動きを強く支持している。
46/46
中東動向分析
Vol.13, No.3
2014 年 6 月 27 日 発 行 ISSN 1347-7668
編集・発行:一般財団法人日本エネルギー経済研究所
中東研究センター
104-0054 東 京 都 中 央 区 勝 ど き 1-13-1 イ ヌ イ ビ ル ・ カ チ ド キ
Tel: 03-5547-0230 Fax: 03-5547-0229 URL: http://jime.ieej.or.jp/
禁無断転載
不許複製