民族誌的経験と人類学 - プール学院大学・プール学院短期大学部

プール学院大学研究紀要 第51号
2011年,71∼80
民族誌的経験と人類学
―「ネイティブになること」について―
植 野 雄 司
1 はじめに―レナート・ロザルドの民族誌的研究が提起する問題
アメリカの人類学者レナート・ロザルドは30ヵ月間(1967年∼1969年、1974年)にわたり、フィ
リピンのルソン島北部の高地に居住するイロンゴットの人々と生活を共にし、かれらの文化的実践
を著しく特徴づける首狩りについての民族誌的研究を行なった。イロンゴットの年配の男たちは、
首狩りの理由について、近親者との死別による苦悩から怒りが生じ、人を殺すことへと駆り立てら
れるのだと説明する。かれらは一連の儀式の過程で、襲撃の場所に移動して待ち伏せし、そこをた
またま通りかかった犠牲者を殺害する。そして、その首を天高く投げ捨てることで、悲しみや怒り
を捨て去り、苦しみから逃れるのだという。かれらの簡潔な説明が平板にすぎると思ったロザルド
は質問を重ねるが、それ以上の説明を引き出すことができず、かれらにとっては自明の苦悩と怒り
と首狩りの連鎖について、長い間理解することができなかった。ロザルドがやっとそれを理解しは
じめたのは、かれらの説明を最初に記録してから14年を経過した頃であった。
しかし、それは人類学が提示する互酬性についての理論によってではなく、また、複雑で微に入
り細を穿つ分析にもとづく、豊かで厚みのある記述によってでもなかった。その契機となったの
は、1981年10月、同じ人類学者としてルソン島北部で調査をしていた彼の妻ミシェル・ロザルドが
断崖から足を踏みはずし、濁流に転落して死亡するという個人的な、また、きわめて悽愴たる喪失
経験によるものであった。妻の亡骸を目にした瞬間に彼を襲ったのは、先立たれたことへの激しい
怒りであり、その怒りはすすり泣くにも涙も出ないほど彼を圧倒するものだった。首狩りの理解に
必要とされたのは、洗練された論理の適用や言葉を尽くした説明ではなく、単純な言葉で表現され
るかれらの語りを言葉どおりに受けとめることで、その重みや迫力、苦悩や怒りに込められた感動
的な力を把握することであったとロザルドは述懐している。ただし、ロザルドは、自分の経験とイ
ロンゴットの経験に著しく類似する部分があるだけでなく、異なる部分もあることを認めている。
感情が高揚するなかで彼は日誌に、自分も「イロンゴットの解決法をとりたい」と記すまでに至っ
たものの、実際に誰かを襲撃してその首を放り投げ、祝宴を催すようなことはしなかったのである
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(Rosaldo 1989[1998]:1−11)。
本稿の目的である民族誌的経験 1)についての考察を行なう上で、上述のロザルドの民族誌研究が
示唆することとして、次の三つの点に注目したい。第一に、イロンゴットの深い悲しみから湧き上
がる憤怒は、それと対照できる経験を自らのものとすることで初めて把握することが可能となった
こと、第二に、
「文化についての記述は濃密さだけでなく、迫力をも探り出すべきである」(Rosaldo
1989[1998]:16)と彼が主張しているように、経験の深さは必ずしもそれが緻密であることを必
要とせず、そこにおける感情の激しさやそれが引き起こす行動の重大さに関わる「力の概念」に
よって捉えられる側面があること、第三に、イロンゴットの人々ときわめて類似性の高い経験を得
たにもかかわらず、ロザルドは自らを首狩りの行為に導く経験を得るには至らなかったことである。
これらの点は、人類学が課題とする異文化間の理解において、幅広い知識や理論的な能力だけでな
く、鋭い感性や感情移入を可能にする豊かな想像力をもってしても、必ずしも対象社会の人々と認
識の地平を共有することができるとは限らず、ときには自らが経験すること、すなわち、経験にお
ける地平の共有が必要とされること、そしてまた、それは決して容易ではないことを示していると
思われる。とりわけ首狩りの実行にまで至るような経験を追求することは、多くの社会における道
徳規範に激しく対立する行為であり、そうした研究が社会的な拒絶を招くことは想像にかたくな
い。
もっとも、人類学者の目的は文化を理解することであって、その文化によって行為することでは
ない。また、フィールドワークにおける戒めとして、研究者があまりにも住民と同一化してしまっ
てはいけないとも言われている。例えば、マリノフスキー(Malinowski 1922[1980])によって定
式化され、今日の人類学における方法論上の前提となっている参与観察による調査は、住民の一員
として参加しつつも客観的な観察を怠らないという、撞着的行為の狭間において活動することを
フィールドワーカーの理想としている。この考え方からすると、
「ネイティヴになる」ことは科学
的な知を放棄してしまうことを意味するというわけである(Rosaldo 1989[1998]:180)。しかし、
経験における理解と行為は、じっさい明確に区別されうるのだろうか。また、住民の経験とは一定
の距離を置く超然とした知が、人類学の求める理解を実現しうるのだろうか。マリノフスキーが提
唱し、人類学が希求してきた「住民の視点からその世界をみる」ということを真剣に追求するなら
ば、ときには自己の文化における規範を超え、他者と経験の地平を共有することが必要とされるこ
ともあるのではないだろうか。こうした問題を検討するために、以下において、フィールドワーク
経験にみられる人類学者の変容の問題について検討し、それらが示唆する人類学的意味について論
じたい。
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2 フィールドワーク経験による人類学者の変容
人類学において、フィールドワークを経験することは、しばしば一人前の研究者になるための
「通過儀礼」に喩えられる。儀礼研究で知られるヴィクター・ターナーによれば、フィールドワー
クにおいては、ものの見方や理解の仕方が一変するといった、それまで身につけてきた価値や信念
などに固執していては経験できない心的過程があり、そこでの経験は、比喩としてではない、通過
儀礼そのものであるという。そしてフィールドワーカーは、自身の社会的に条件付けられた態度を
可能な限り保留し、まさにそこで起こっていることを「知力や感覚において捉える」ことに努める
べきであり、さらに、そのように自分を開くことによって、誰もがそうなるとはかぎらないとして
も、フィールドワーク経験による自己の変容に到達することができると彼は述べている(Turner
1985:205−206)。
言語によるコミュニケーションだけでなく、また、それが意識されるか否かを問わず、多様な次
元の非言語的コミュニケーションを通してその文化を学ぶことで、ときにはフィールドワーカーが
根本的な変容を経験することも実際にあるものと思われる。グアテマラ高地のマヤからシャーマン
の伝授を受けた人類学者バーバラ・テッドロックは、そうした例として、カリフォルニアのポーカー
プレーヤーのサブカルチャーに魅了され、事実上、研究の対象であった人々の仲間入りをしてしまっ
た人類学者デイヴィッド・ハヤノ(David Hayano)や、日本でのフィールドワークで身も心も芸
者になったと述べたアメリカの人類学者リザ・ダルビー(Liza Dalby)を挙げている 2)。ほかにも、
19世紀末の人類学者フランク・カッシング(Frank Cushing)は、北米先住民のズニ(Zuñi)の文
化に深く入り、戦闘司祭としてのイニシエーションを受けただけでなく、その後もフィールドワー
クを続行した 3)。また、20世紀初頭にブラジルに渡ったドイツ人のクルト・ウンケル(Curt Unkel)
は、南米先住民のグアラニ(Guaraní)の調査を行ない、かれらの儀式によって与えられたニムエ
ンダジュ(Nimuendajú)という姓に改め、その後ドイツに帰ることはなかった 4)。さらにまた、
イギリス人のヴェリエ・エルウィン(Verrier Elwin)はインドに渡り、「トライブ」の女性と結婚
して帰化し、インドの人類学者として活躍した(Tedlock 1991:70−71)。これらの人類学者にとっ
て、フィールドワークは研究のための一時的な経験ではなく、その後の人生全般を大きく左右する
通過儀礼、あるいは、人生そのものであったと思われる。
ただし、こうしたいわゆる「ネイティヴになった」人類学者たちは、すべての点においてネイティ
ヴと同一になったというわけではない。たとえば、かれらはいずれもフィールドワークにもとづく
民族誌を出版しており、学者としての活動を放棄してしまってはいない。ロザルドも指摘するよう
に、人は誰しも、国家や民族、世代や性差、社会的地位や役割等、多様な社会・文化的属性におい
て特定の立場にあり、構造的に位置づけられている。人類学者も例外ではなく、
「複数のさまざま
なアイデンティティが交錯するにぎやかな交差点」
(Rosaldo 1989(1998)
:194)であり、異文化
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を学ぶ過程において、主体は他者から、そして、自らによって、何度となく位置づけし直される。
「ネイティヴになる」という経験は、そうした間主観的な状況のなかで生まれるものと考えられる。
人類学者はまた、位置づけられた存在であると同時に、身体化された存在である点も無視できな
い現実である。フィールドワーカーが参与観察によって得ることのできる資料には、言語的、分析
的に把握される知だけではなく、身体的経験によってはじめて習得されるような身体知と呼ばれる
ものも含まれている。イギリスの人類学者ジュディス・オークリー(Okely 2007)は、そうした民
族誌的知の源泉としての身体経験に注目する。フィールドワーカーの身体経験は、民族誌において
これまであまり吟味されることがなかったため、彼女は10名以上の人類学者を対象に、各々の調査
地での実践経験についての対話的なインタビューによる調査を行ない、独自に資料を得た。
それによると、たとえば、調査地においてフィールドワーカーが、搾乳や遊牧民のテントの片づ
け、蜂蜜採取のための木登りなどの労働を体験することで、一見容易にみえる仕事がいかに熟練や
体力を必要とするかがよくわかるだけでなく、ときには、それに取り組む姿が対象社会の人々の共
感を呼び、フィールドワーカーとの信頼関係のなかで自発的な語りが生まれることもあるという。
また、日常みられる人々の微妙な仕草や身のこなし方を意図的に、あるいは無意識的に模倣するこ
とは、その社会のシステムを察知することにつながる。そしてまた、フィールドワーカーが、アフ
ガニスタン遊牧民のチャードルと呼ばれる黒く長いベールを身につけることに慣れ、それが自分の
一部になったとき、ベールは西洋人の勝手な思い込みに反し、安らぎと心地よさを与えてくれるも
のだということを身をもって理解するのである。そのほか、味わいや匂いなども含めたフィールド
での身体経験は、やがて身体化された記憶となって自己に沈殿し、後になってそれが、雑然たる調
査資料を整理、分析する作業の背景で作用し、民族誌のテクストが生まれることになる。
フィールドワークでの身体経験による人類学者の変容について、オークリーは次のように考察す
る。
フィールドワーカー自身の身体という道具を通して他者を知ることは、他者の文化的構築物
や身体経験との、生きられた、そして、相互作用的な遭遇を通して、個人の経歴や文化による
構築物としての身体を解体することをともなう。これは単に言語的でも、単に知的でもなく、
予測も制御もできない形で生じる意識的で、同時に無意識的な、運動的で肉体感覚的な過程で
5)
ある。(Okely 2007:77)
そして、フィールドワークにおけるこうした実践は、最初はぎこちなく、反直観的であっても、そ
の文化に長期的に関わることで、やがては直覚的になりうるのである(Okely 2007:77)
。参与す
ることによる異文化理解は、身体を介することによって意識と無意識の両次元における自己の変容
をもたらし、身体化された記憶が民族誌的知の生成に寄与するというオークリーの視点は重要であ
る。しかしそれと同時に、このような知の獲得の過程では、理解と行為の境界は必ずしも鮮明では
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ないことにも注目しておく必要がある。すなわち、こうした理解においては、行為することが知る
ことであり、知ることが行為する、あるいは行為できることなのである。フィールドワークにおけ
る身体的経験は、先述の例のような「ネイティヴになる」ほどの根本的な変容に直ちに結びつくわ
けではないにしても、対象社会の人々の経験に接近することを可能にし、やがて経験の地平を共有
するためのひとつの入り口と言えるのかも知れない。
フィールドワーク経験によって解体されるフィールドワーカーの文化的構築物には、調査を始め
るまでに身につけた日常生活での身体化された知識や習慣だけでなく、教育や学術において習得し
た文化的構築物も含まれる。したがってときには、研究の前提としてきた認識論や存在論に抵触す
るような、予期しない、
「特異な」経験 6)にフィールドワーカーが遭遇することもあるものと考え
られる。たとえば、1986年にオーストラリア北部グルート・アイランド(Groote Eylandt)のアボ
リジニの人々について調査していたカナダの人類学者デイヴィッド・ターナーの経験をそうした例
としてあげることができる。
4
1969年の調査で彼が記録したアボリジニの「歌」にある、
「白波の海が笑っている」という表現
の意味を確認しようとインフォーマントに尋ねたところ、波が笑うのは乾期の、
「南東の風」が沖
から吹く、上げ潮の午後だと言う。この条件を満たすある日の午後、彼がビカートン島(Bickerton
Island)南東の砂浜を訪れたときのことを次のように述べている。
海を見上げたとき、波は笑っていた。どう説明すればよいのかわからないが、それは笑って
いた。そして私も、心の底でひたすら心地よく笑い続けた。海全体が生気に溢れていた。〈中
略〉格子状に百万と並んだ〈北斎の浮世絵の「神奈川沖浪裏」に描かれたような〉波頭が、そ
れぞれ一寸違わず、先端から白波のひとかけらを吐きだしながら、ひとつひとつが含み笑いを
しているのを見ているかのようだった。何かが動いていると同時に静止しているような印象で
4
あった。個々の波自体を上から覆う形の感覚に、私は圧倒された。私がいま見たのは、本物の
4
水がそれを通して流れている波形〈waveForm(s)〉であった。(Turner 1996:167−168)
グルート・アイランドのアボリジニは、
「宇宙に作用する潜在的な創造の力」をアマウレナ=ア
ラウドゥワラ(DPDZXUUHQDDODZXGXZDUUD)とよんでいる(Turner 2003:37)。ターナーによると、
4
4
4
4
4
4
4
アマウレナは、かれらにとっての「土地、人々、動植物を囲む透過性の境界のようなもの」で、
「実
4
在とは分離できる次元の形」であり、「物質としての実際の土地、人々、動植物は、これに付着す
るもの」として捉えられている。アマウレナはまた、霊的存在でもあり、万物の創造のもととなる
ものでもある。アラウドゥワラは中から吐き出したり外から引き込んだりする働きにみられるよう
な、創造する力としてのアマウレナの動的側面を表している(Turner 1991:167)。アマウレナ=
アラウドゥワラの存在の「こちら側」での具体的な現れはアワラワリャ(DZDUUDZDO\D)とよばれ、
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人や自然物を取り囲むぼんやりとした光のようなものとして知覚される(Turner 2003:37)
。ア
4
ボリジニはこれを通して「向こう側」も見るが、アワラワリャと比定されるターナーの「波形」の
経験はそこまで見通すものではなく、
「厳密には宗教的な意味合いをもたない審美的経験」であっ
たという(Turner 1991:177)
。しかしこの経験は、彼がアボリジニの人々の経験世界を真剣に受
けとめる契機となるものであった。
ターナーによると、アボリジニの日常生活では、相手が誰であろうと、また、そうすることが期
待されるかどうかにかかわらず、何かを全く持っていない人がいれば、それを持つ者がそのすべて
4
4
4
4
4
4
を与える、あるいはより正確には、放棄すること(Renunciation)が当たり前のこととして実践さ
れる。この場合、放棄することで「それを全く持たない人」になるため、今度は誰かからそのすべ
てを受け取ることができる立場になる。しかし、互酬性の原理にもとづく行為とは異なり、相手や
4
4
4
他の人からなんらかの報いを期待するようなことはない。この放棄における、人(形)がそれに
4
4
「付着する」物質を他の人(形)に「放つ」という行為は、ターナーが見た、「波形」がそれを通り
4
抜ける物質としての水を他の「波形」に向けて「吐き出す」イメージに重なると同時に、アボリ
4
4
ジニのアマウレナ=アラウドゥワラの概念の具体的な実践であるとも言える。また、放棄の原理
は、人や集団の関係だけでなく、ひろくアボリジニの生活や死生観をも形づくっている(Turner
4
4
4
1999:1−59)。ターナーは自身の「波形」の経験を機に、アボリジニの放棄の原理にもとづく考え
方や制度は、かれらがアマウレナ=アラウドゥワラを実際に経験していることに由来するのではな
いかと考えるようになった。すなわち、かれらの政治経済を体系づけているのは、多様な形態のア
マウレナ=アラウドゥワラではないかという、人類学の唯物論的な理論とは逆の考え方をもつよう
になったと述べている(Turner 1991:167)
。
対象文化の奥深くに没入する過程で、フィールドワーカーは必ずしもこうした「特異な」経験に
出会うとは限らないが、この種の遭遇は全くの例外というわけでもないばかりか、こうした経験を
民族誌に含めることは珍しくなくなりつつある。たとえば、西アイルランドでフィールドワークを
行なったアメリカの人類学者ソロン・キンボールは、ホスト文化の人々の世界に近づくため、かれ
らと同じように作業や行事に参加するだけでなく、日常の立ち居振る舞いにいたるまで模倣すると
いう徹底した参与調査を敢行した。そしてある日、彼は、その土地で見られるものと、少なくとも
いくつかの点で一致すると思われる幽霊を見たという。霊的経験に親和性の高いアイルランドの文
化において、この経験は、
「正統なアイルランドの経験を持った者」という立場を彼に与えたよう
であり、その後の調査を容易にするとともに、人々との関係が大きく変わり、それまで感じていた
ホスト文化の人々との深い隔たりを和らげることになったと彼は述べている。そして、こうした対
象文化に深く入っていく過程にみられるフィールドワーカーの変容の問題を、人類学的に価値のあ
る考察の対象であるとし、その系統的な研究を促している(Kimball 1972)
。
別の例として、カナダのアルバータ州北西部に住む先住民デネー・ザ(Dene Tha)の予言者た
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ちが行なう宗教儀礼を調査した人類学者ジャン=ギー・グーレイの報告がある。半年間のフィール
ドワークを5年連続で実施したグーレイは、デネー・ザの人々と生活を共にして人間関係を培い、
かれらと同じように儀式に参加しながら調査を進めた。そのなかで遭遇した、次に述べる彼の予期
せぬ経験は、デネー・ザのいう「心で知る」ということがどのようなものかを物語っている。
1984年7月、私は、ティーピー〈のテント小屋〉で火を囲んで座り、儀式の準備について話
し合っている長老たちに加わった。一連の協議が進んだところで、煙が徐々にティーピーに立
ちこめてきた。困ったことに煙が目にしみ、どうしたものかと思っているうちに、ふと気がつ
くと私は、細かいところまでそっくりの等身大の私自身の姿を見ていた。まさに私が目の前に
したものは、私がそのとき着ていた服と同じものを身にまとい、火のそばで膝をついてかが
み、手にした自分の帽子で火を扇いでいる私の生き写しであった。〈中略〉
すると、誰かネイティヴでない人が立ち上がって火の側に行ってかがみ、それに息を吹きか
け始めた。すぐさまひとりの長老が、火に吹きかけないようにと大声で言い、帽子か何かほか
のもので火を扇ぐように指示した。火に息を吹かない論理的根拠は、そうした行為は霊体を
怒らせ、キャンプ地に激しい嵐をもたらすことになるということであった。長老の言葉を聞
くうちに、私が正しい火の扇ぎ方をじっさいに予知したことがはっきりとわかった。
(Goulet
1994:30)
グーレイによると、とりわけ儀式の過程で夢やこうした「視覚」によって何かを知るという経験は、
デネー・ザの長老たちにとってはよくある普通の出来事であるという。上述の儀礼での火の正しい
扇ぎ方やその理由について、グーレイは事前の知識をまったく持っていなかったということであり、
「デネー・ザの見方からすれば、言葉を媒介とするのではなく、イメージを媒介とすることによっ
て生じる教示とコミュニケーションの形式を経験した」(Goulet 1994:30)と述べている。
3 終わりに
参与観察によるフィールドワークを定式化したマリノフスキーの主な関心は、十分に訓練された
専門家が一定の手順にしたがって得た資料には客観性があり、この調査法が科学的に正当であるこ
とを示すことにあった。しかし一方でこの方法には、フィールドに自己のすべてを投じて得られ
る、調査者自身の経験をも資料の源泉とするという側面が内在していた 7)。こうした自己関与によ
る対象把握がもたらす知は、対象から距離をおいて分析的に得た、容易に言語化される知とは質的
に異なるものであると考えられる。それは、意識下においても無意識下においても、身体をも含め
た自己の一部と化すものであり、長期にわたる対象文化との深い関わりによって、ときには予期し
ない、
「特異な」経験を伴いながら、次第に洗練されつつ自己の深部に沈積する知である。そうし
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た知が、フィールドワーカーの意識や行動に影響を及ぼすのだとすれば、上述の例に見られるよう
なフィールドワークによる人類学者の変容は、民族誌的経験における特殊な逸脱例ではなく、むし
ろ、こうした知の真正さを示しているものと考えるべきではないだろうか。
଎
1)いわゆる「ネイティヴ人類学」や「現地人類学」(indigenous anthropology)と呼ばれる、研究者自身が
共有する文化やそのサブカルチャーを対象とした研究に限らず、フィールドワーカーにとって「フィール
ド」は、職場や自宅などにおける自己の日常世界から必ずしも明確に分離された空間として経験されるわ
けではない。それは、民族誌家の「家、心、夢と同じ時空に広がっており、ときには私たちの民族誌的実
践によって家族や友人までも影響を受けて変容し、かれらの身体さえをも巻き込む」
(Goulet and Miller
2007:4;筆者訳)のである。このような、調査地における経験だけでなく、また調査期間に限定されない、
フィールドワークがもたらす諸経験を、本稿では民族誌的経験と呼んでいる。
2)これに類する例として、近年では、オーストラリア出身の人類学者フィオナ・グラハム(Fiona Graham)が、
フィールドワークとして東京浅草の置屋で稽古を受けながら、「紗幸」の名で2007年に芸者として正式に御
披露目をしている(
『朝日新聞[夕刊]』2009年1月10日;http://www.sayuki.net/)
。
3)参与観察によるフィールドワークの方法を理論的に確立したことではマリノフスキーがよく知られている
が、参与観察による長期のフィールドワークを実際に行なった最初の人類学者はカッシングであるといわ
れる。マリノフスキーのトロブリアンド諸島における調査の30年以上前にあたる1879年から4年半にわた
り、彼はズニの人々と生活を共にしながら調査を行なった(Green 1979: 5;Scandrett-Leatherman 2008:
911)
。
4)クルト・ニムエンダジュについては、彼がブラジルの先住民トゥクナ(Tukuna)の居住地にて急死した翌
年、アメリカン・アンソロポロジスト誌に掲載された追悼論文(Baldus 1946)に略伝が記されている。
5)本稿では、参考文献に邦訳された文献を掲げていない英語文献からの引用はすべて筆者訳による。
6)カ ナ ダ の 人 類 学 者 デ イ ヴ ィ ッ ド・ ヤ ン グ と ジ ャ ン = ギ ー・ グ ー レ イ は こ う し た 経 験 を「 特 異 経 験
(extraordinary experience)」と呼んでいるが、「西洋で教育された人類学者にとって特異であるかも知れ
ない経験は、世界中のほとんどの伝統的な人々にとってはありふれた経験なのかも知れない」という点に
留意することを促している(Young and Goulet 1994:7)
。
7)関本(1988:274)を参照のこと。
ߣ݂൫‫ڼ‬
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(ABSTRACT)
Fieldwork Experience and Anthropological Knowledge:
An Alternative View of“Going Native”
UENO Yuji
An anthropologist may have an experience in which his/her ways of seeing and
understanding fundamentally change in the process of immersing oneself into another culture
during fieldwork. The results are the examples of anthropologists for whom fieldwork was not
a temporary experience for his/her research but was something that affected his/her whole life
thereafter. These anthropologists, who are sometimes criticized for having“gone native,”did
not necessarily abandon their scholarly activities; in fact they are researchers who published
ethnographies based on their fieldwork.
In fieldwork, the cultural constructs acquired through his/her education and academic
training may dissolve when a fieldworker encounters, unexpectedly, an“extraordinary”
experience which seems to challenge the epistemological and ontological premise on which his/
her research is based. An understanding accomplished through transformational experience in
the anthropologistユs deep involvement in the culture brings about knowledge which becomes
part of self, both at a conscious and subconscious level, and which is deposited deep inside the
self. The transformation of the anthropologist in fieldwork indicates the authenticity of the
knowledge acquired and should be celebrated rather than dismissed.