2 0 0 7 年 度 事 業 報 告

2
0
0
事
業
7
報
年
告
自
2007 年 4 月 01 日
至
2008 年 3 月 31 日
社会福祉法人
度
日 本 国 際 社 会 事 業 団
INTERNATIONAL SOCIAL SERVICE JAPAN
( ISSJ )
ぼくたちのパパとママ!!
平成 20 年
児童福祉週間標語
つたわるよ
めとめをあわせて
はなしたら
厚生労働省
2 0 0 7 年 度 活 動 報 告
(平 成 19 年 度 )
社会福祉法人 日本国際社会事業団
INTERNATIONAL SOCIAL SERVICE JAPAN
常 務 理 事
大 森
邦 子
この冊子は 2007 年 4 月から 2008 年 3 月までの1年間に社会福祉法人日本国際社会事業団
(International Social Service Japan,以下ISSJ)が行った活動報告です。
ISSJは 1952 年(昭和 27 年)に第二次世界大戦後の戦災孤児や混血児の救済を目的に
日米孤児救済合同委員会として発足、国際養子縁組の援助を開始しました。1953 年(昭和
28 年)には東京都によって第二種社会事業を行う事業所の届けが受理されました。1959 年
(昭和 34 年)9 月 15 日に厚生労働省の認可を得て社会福祉法人日本国際社会事業団となり
ました。1960 年(昭和 35 年)に呉市にも事務所を開きました。また、ジュネーブに本部を
置く International Social Service(ISS)の日本支部にもなっています。ISSは国連の諮問
機関でもあり、世界に 18 カ国の支部を置き、140 を超える国に通信員をおいています。
今年度はJKA(旧日本自転車振興会)の補助による国際養子縁組、日本財団の助成によ
る国境を越えた未成年者への家族再会援助、東京メソニック協会の助成による無国籍児童の
国籍取得援助や難民への医療費援助、国連難民高等弁務官事務所の助成による難民申請者へ
のカウンセリング、東京都共同募金会の助成による子どもへの緊急援助、福祉医療機構の助
成による日本国籍児の国際養子縁組をしたあっせん業者への実態調査及び報告会、郵便貯
金・簡易生命保険管理機構国際ボランティア貯金の助成によるカンボジアのストリートチル
ドレンへの識字教育とその母親への自立支援、呉市における多文化の中で生きる人々への社
会適応援助、その他支援活動をより充実させるためのソーシャルワーカーの研修、国際ソー
シャルワーカーの育成、国際福祉に関わる翻訳、広報活動、さらに活動資金を得るためのチ
ャリティ映画会やコンサート、バザー等、様々な活動を行いました。
今年度においてISSJの活動を温かく見守り、ご指導、ご支援、ご寄付を頂きました厚
生労働省、外務省、法務省、入国管理局、目黒区、呉市はじめ関係官庁、各国大使館、アジ
ア福祉教育財団難民事業本部、RCJ(レフュジー カウンシル ジャパン)、JKA(旧日
本自転車振興会)、日本財団、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、郵便貯金・簡易生
命保険管理機構、東京メソニック協会、福祉医療機構、東京都共同募金会、共同募金会呉支
部、呉市国際交流協会、呉市社会福祉協議会、呉市赤十字奉仕団、桜東京パイロットクラブ、
国際ソロプチミスト東京東、東京 I ゾンタクラブ、東京大井ロータリークラブ、東京京浜ロ
ータリークラブ、東京広尾ロータリ―クラブ、呉ロータリークラブ、川崎桜ライオンズクラ
ブ、日本女子大学図書館友の会、広島ラオス交流協会、広島メコンの会、実践倫理宏正会、
東洋埠頭株式会社、三菱マテリアル株式会社、翔税理士法人、さらに個人としてご寄付くだ
さいました多くの皆様、またボランティアとして活動を支えてくださいました皆様、チャリ
ティ映画会とチャリティコンサートにご協力を頂きました皆様に心から厚く御礼申し上げま
す。
1 .国際養子縁組
この事業は、JKA(旧日本自転車振興会)の補 助金を受けて行った。
わが国ではかつて、養子縁組は家系存続、領土、遺産及び権威等の継承
の手段として用いられることが主だった。養子となる子どもの利益ある
いは福祉が中心となるのは 20 世紀半ばからであ る。ISSJでは、第
二次世界大戦後、進駐軍の外国人兵士と日本人女性の間に生まれた多く
の混血児たちを米国へと国境を越えて養子縁組を した。その後、様々な
国の社会的変化に伴って、養子のバックグランドは変化しながらも国際
養子縁組は引き続き行っている。需要と供給の関係とも言える国際養子
縁組の発展の最優先課題は養子となる子どもの健全な発育及び福祉の
成就とされるべきである。国際養子縁組に出され る子どもにとって、そ
れが最善の利益であるが、その子ども及び実親の権利が守られているか
どうかに対する原則的責任は彼らの出身国にある とされている。例えば、
ISSJが業務協定を結んでいるフィリピンは、 子どもの「送出し国」
であるが、国際養子縁組法や実施規則を持ち、政 府 機 関 の 国 際 養 子 縁 組
審 議 会 ( Intercountry Adoption Board: 以 下 I C A B )、 社 会 福 祉 開 発 省
( Department of Social Welfare and Development: 以 下 D S W D )、との
関わりの中で養子縁組が行われている。わが国は 子どもの「送出し国」
で あ り、 また 、「 受入 れ国 」で も ある が、 国際 養子 縁 組法 制度 の整 備 が
遅 れ て い る 。「 養 子 縁 組 斡 旋 事 業 の 指 導 に つ い て 」( 厚 生 労 働 省 児 童 家
庭局長通知)は出されているものの実務を行う者の資格能力及び経験に
関しては明記してない。現実にも私的斡旋の規制 は出来ておらず、本来
国際養子縁組に関する専門的知識を持ったものが扱うべき実務が善意
で あ る に せ よ 、 専 門 教育 、 訓 練 を 受 け
て い な い 個 人 が 簡 単 に斡 旋 を 行 っ て い
る こ と は 、 養 子 と な る子 ど も と 実 親 の
権 利 及 び 福 祉 への 考 慮 や 複雑 な 手 続 き 、
記 録 管 理 保 存 の 重 要 性等 の 点 か ら 見 て
非 常 に 危 険 で あ る 。 また 、 実 際 に 国 際
養 子 縁 組 さ れ た 日 本 国籍 児 の 正 確 な 数
も把握 する術 がな い。 ISS Jで は19 93 年ハ ーグ条 約「国 際養 子縁 組に関 する
子の保 護及び 国際 協力 に関す る条 約」に 示さ れて いる主 張に従 って 国際 養子縁 組を
行っている。
当該年度は、以下のように国際養子縁組の援助を行った。
分類と解釈
ISSJで現在扱っている国際養子縁組を子どもの住居地別に分類すると以下のよ
うになる。
A
日本国内に住む子どもを養親のいる外国に養子縁組目的で移住させ、その国
で法的養子縁組を完了する。
日本国内に住む子ども(日本人、外国人)を、子どもと国籍の異なる国内在
B
住の夫婦に委託し、日本の家庭裁判所で養子縁組を完了する。
①
子どもと養親は他人
②
子どもと養親は親族(連れ子、親戚など)
外国に住む子どもが、外国の養子縁組機関の許可を取って日本に移動し、日
C
本の家庭裁判所で養子縁組を完了する。
①
子どもと養親は他人
②
子どもと養親は親族(連れ子、親戚など)
A の 養 子 縁 組 は 最 近 減 少 し 、B 、C の 養 子 縁 組 は 増 加 の 傾 向 に あ る 。長 年 日 本 は 子
ど も を 国 際 養 子 縁 組 で 送 出 す 国 で あ っ た が 、今 で は 受 入 れ 国 で も あ る 。今 年 度 、I S
S J へ の 養 子 縁 組 の 問 い 合 わ せ 数 は 414ケ ー ス 、そ の 中 で 42ケ ー ス を 継 続 し て 援 助 し
た 。昨 年 度 よ り 引 き 続 き 扱 っ て い る 165ケ ー ス を 合 わ せ る と 、今 年 度 国 際 養 子 縁 組 の
ケ ー ス と し て 援 助 活 動 を 行 っ た の は 207ケ ー ス で 、そ の 内 訳 は 次 の 表 の と お り で あ る 。
今年度の相談数
連れ子養子縁組
Step
フィリピン
タイ
上記以外
血縁関係のある 血 縁 関 係 の な い
養子縁組
養子縁組
Relative
Non-Relative
合計
103
33
8
144
29
16
4
49
8
4
193
205
その他
合計
その他
140
53
205
16
16
16
414
本年度取り扱いケース
数
連れ子養子縁組
Step
新規オープン
10
フィリピン
新規オープン
8
49
前年度繰越
新規オープン
39
新規オープン
34
3
20
前年度繰越
新規オープン
18
0
上記以外
1
前年度繰越
6
新規オープン
1
前年度繰越
5
新規オープン
1
前年度繰越
7
新規オープン
15
前年度繰越
48
8
前年度繰越
70
2
9
1
前年度繰越
新規オープン
42
前年度繰越
2
タイ
合計
血縁関係のある養子縁組 血縁関係のない養子縁組
Relative
Non-Relative
7
59
合計
7
98
8
37
63
72
78
207
国 際 養 子 縁 組 で 関 係 し た 養 子 の 国 籍 は 、フ ィ リ ピ ン 、タ イ が 圧 倒 的 に 多 く 、そ の 他
に は 日 本 、ア メ リ カ 、ヴ ェ ト ナ ム 、ス リ ラ ン カ の 子 ど も も い た 。養 親 に 関 し て は 様 々
な 国 籍 の 養 親 の ケ ー ス を 扱 っ た が 、日 本 人 と フ ィ リ ピ ン 人 の 夫 妻 、日 本 人 と タ イ 人 の
夫 妻 が 圧 倒 的 に 多 か っ た 。こ れ は I S S J が フ ィ リ ピ ン 政 府 の 社 会 福 祉 開 発 省( D S
W D )お よ び 国 際 養 子 縁 組 審 議 会( I C A B )か ら 認 可 さ れ た 日 本 で 唯 一 の 養 子 縁 組
機 関 で あ る こ と 、 ま た タ イ 政 府 の 社 会 開 発 福 祉 省 ( The Department of Social
Development and Welfare:以 下 D S D W )と も 年 に 3・4回 話 し 合 い の 時 を 持 ち 密 接 な
関 係 を 築 い て い る こ と か ら 、そ の 結 果 と し て フ ィ リ ピ ン 国 籍 児 と タ イ 国 籍 児 の 養 子 縁
組が増加してきたと思われる。
今 年 度 は 、日 本 人 ― フ ィ リ ピ ン 人 夫 婦 の た め の 養 子 縁 組 オ リ エ ン テ ー シ ョ ン は 9 回
1 8 人 、日 本 人 ― タ イ 人 夫 婦 の た め の 養 子 縁 組 オ リ エ ン テ ー シ ョ ン は 3 回 6 人 。そ れ
以外の国籍の人々へのオリエンテーションは、5 回10人が参加している。
今 年 度 、養 子 縁 組 手 続 き が 完 了( 裁 判 所 で 養 子 縁 組 の 審 判 が 出 さ れ た 後 、本 国 で の
子 ど も の 出 生 証 明 書 の 父 母 欄 に 新 し い 養 父 母 の 名 前 が 記 載 さ れ て 実 子 と な る )し た の
は 、 連 れ 子 養 子 縁 組 ( Step ) が 9ケ ー ス 、 血 縁 関 係 の あ る 養 子 縁 組 ( Relative) が 11
ケ ー ス 、血 縁 関 係 の な い 養 子 縁 組( Non-Relative)が 11ケ ー ス 、合 計 31ケ ー ス で あ る 。
手 続 き の 開 始 か ら 完 了 す る ま で に は 1 年 以 上 か か る こ と が 多 い 。こ の 間 、I S S J の
ワ ー カ ー は 養 親 希 望 者 を サ ポ ー ト し 続 け て い る 。養 子 縁 組 成 立 後 の 親 子 関 係 に 対 す る
サ ポ ー ト は そ れ 以 後 も 必 要 な 場 合 も あ り 、I S S J で は 長 期 間 に わ た る 支 援 も 行 っ て
い る 。ア フ タ ー ケ ア の 一 つ と し て 、何 か 困 難 な 事 態 が 生 じ た 場 合 に I S S J の 支 援 を
思 い 起 こ し て も ら う よ う に 、I S S J が 養 子 縁 組 を 援 助 し た 家 族 に は ク リ ス マ ス カ ー
ドを送った。
本年度手続き完了数
連れ子養子縁組
Step
血縁関係のあ
る養子縁組
Relative
血縁関係のない
養子縁組
Non-Relative
合計
フィリピン
7
8
1
16
タイ
2
1
0
3
上記以外
0
2
10
12
9
11
11
31
合計
ケース1:国際養子縁組で新しい家庭を持ったケース
− Non-Relative
このケースは、日本国籍を持つ 4 歳半の女児Aを、米国在住の米国人養親が、米
国の裁 判所を 通し て養 子とし た国 際養子 縁組 であ る。こ の子ど もは 、レ イプに より
生まれ たとさ れ、 実母 が精神 的に 養育す るこ とが 難しい と訴え たこ とか ら、児 童相
談所が国内で養親を探したが見つからず、 IS SJに紹介された。Aは健康で、人
見知り をせず 誰に でも 笑顔を 見せ ていた こと から 、施設 や児童 相談 所は 、この 子ど
もが特定の大人に愛着を持てるのか心配していた。
米国人養親には、Aより 2 歳年上の息子がいた。この息子は妻の連れ子であり、
夫が養 子とし てい た。 息子の 実父 が日本 人で あっ たため 、夫婦 は、 息子 のため に日
本人と しての アイ デン ティテ ィー や日本 文化 を大 切にし ていた 。こ のた め夫婦 は、
息子に きょう だい を考 えた時 から 、日本 から 養子 を迎え たいと 希望 して いた。 この
マッチ ングが 決ま った 当初、 施設 と児童 相談 所は 、養親 の息子 と養 子と なるA の年
齢が近い ことか ら、 2 人の 力関係を 危惧し ていた が、実際 に養親 に会い、 彼らが、
子ども 達の力 関係 につ いて必 要な トレー ニン グや 勉強を してい るこ と、 実際に 2人
の子ども達の微妙な心理を上手くケアしたことを 理解し、安心した様子でであった。
また、 養親家 族と とも に施設 を離 れる日 には 、A はそれ まで数 週間 担当 だった 保育
士の先生に強い愛着を示し、今にも泣きそうな顔 で、いつこの保育士に会えるのか、
しきり に聞い てい た。 この様 子を 見てい た養 母は 、近い 将来必 ず施 設に 保育士 を訪
ねるこ とを彼 女に 約束 した。 当時 、女児 は、 保育 士への 感謝の 気持 ちか らなの か、
養母を 無視し てい たも のの、 この 養母と の約 束を 強く覚 えてい たよ うで ある。 彼女
のこの 反応か ら、 Aの 愛着の 危惧 につい て、 施設 や児童 相談所 は驚 くと ともに 懸念
はなくなった。
Aは委 託後 、順調 に新 しい家 族や 米国 の環境 に適 応し、 国際 養子縁 組手 続きも 滞
りなく 完了し た。 養母 は、施 設、 保育士 、そ して 日本に 対する Aの 想い をしっ かり
受け止 め、A が書 いた 手紙や 写真 を施設 に届 けて 欲しい と数回 IS SJ に送っ てき
た。例 えばク リス マス にはか わい らしい カー ドや 手紙が 保育士 宛て に届 いた。 IS
SJか らこれ らを 受け とった 施設 の保育 士も また 、IS SJを 通し てA に返信 を届
けた。養親家族への委託から 2 年半ほど経っ た 2008 年 2 月、養母 は約束を守り、
Aと息子とともに日本の施設を訪れ、保育士との 再会が実現した。この 3 月いっぱ
いで、 仕事を 辞め るこ とにな って いた保 育士 は、 この再 会に感 激し てい た。今 回の
ケース から、 養子 とし て外国 に送 り出さ れる 子ど もが抱 えてい る施 設や その関 係者
に対す る想い をし っか り受け 止め ること とも に、 これを 養親候 補者 との 家庭調 査時
にトレーニングの一環として伝えることの大切さを感じた。
ケース2:妻の親戚の子どもを養子縁組したケース
−Relative Adoption−
夫妻は夫が日本人、妻がフィリピン人のカップル で、婚姻以来 8 年にわたり安定
した結 婚生活 を送 って いる。 実子 を強く 望み 、不 妊治療 も試み たが 、な かなか 子ど
もに恵 まれな かっ た。 そのよ うな 状況下 、妻 の親 戚がB を妊娠 した こと を知っ た。
子ども の実父 母は 正式 に結婚 して おらず 、定 職も なかっ た。子 の出 生後 も、実 父母
の生活 は不安 定な まま であり 、B は育児 を半 ば放 棄され た形で 、と ても か弱く しば
しば体 調を崩 した 。こ のよう に実 父母に 子ど もの 養育が 困難で ある こと が明白 だっ
た為、 夫妻は その 子ど もを養 子と して育 てた いと 望み、 子ども の実 父母 は国際 養子
縁組審 議会( IC AB )を通 し、 正式に 養子 縁組 手続き に同意 した 。夫 妻から 日本
サイド におけ る養 子縁 組援助 の依 頼を受 けた IS SJは 、夫妻 への オリ エンテ ーシ
ョン、 面接、 家庭 訪問 等を実 施し 、必要 書類 をI CAB に提出 した 。フ ィリピ ン政
府から 正式な 託置 許可 が出る と、 Bは日 本に 入国 し、夫 妻と同 居生 活を はじめ た。
Bは 1 才半で、新環境への適応はとても順調であり、来日以来、体調を崩すことも
なくす くすく と成 長し ている 。生 まれて 初め て経 験する 冬の寒 さも もの ともせ ず、
元気一杯に雪と戯れたり、音楽に合わせて歌ったり踊ったりと可愛いい盛りである。
一方、 養子を 迎え 、生 活が一 転し た夫妻 の適 応も 良好で ある。 毎日 が新 しいこ との
連続で 、子ど もの 声が いつも 家に 響き渡 り、 家中 が明る く元気 にな った 。大き な声
で「パパ」「ママ」と呼ばれると、元気が出てきて、一緒に遊ぶと一日の疲れも忘れ
てしま うとい う。 子育 ては不 慣れ な事も 多い が、 地元の 関係部 署等 に積 極的に 問い
合わせ たりし なが ら、 親とし ての 自覚や 自信 を高 めてい ってい る様 子で ある。 今は
親子の スキン シッ プや コミュ ニケ ーショ ンの 時間 を最優 先にし 、適 応や 成長の 度合
いに合 わせて 同年 代の 子ども 達と のふれ あい の機 会を増 やして いき たい 、と今 後家
庭裁判 書に養 子縁 組の 申し立 てを 行った 。今 後審 判が出 て、正 式に 養子 縁組が 成立
したとき の養育 プランも しっか り考え ている 。夫 妻は、最 近、 6 ヵ月 にわた る順調
な適応 期間を 経て 、家 族の結 びつ きは法 的な 後ろ 盾が得 られ、 一家 の更 なる発 展が
確固たるものになっていく。
ケース 3:妻の連れ子を養子縁組したケース
−Step Adoption−
フ ィ リピ ン人 女性 C がフ ィリ ピン のレ スト ラ ンで 日 本人 男性 と知 り 合っ たの は 、
Cがあるフィリピン人の恋人との間に2人の子ど もをもうけ、その恋人と別れた後だ
った。 彼女は フィ リピ ンのレ スト ランで 働い てい た時に 、日本 人男 性夫 と知り 合い
結婚した。彼はほぼ一目ぼれをしてCに求婚し2人は日本で新生活をスタートさせる
に至っ た。夫 婦が 養子 縁組の 申請 をIS SJ にし たのは ISS Jの 規定 でもあ るが
結婚から3年が経過 した頃で、 日本で夫 の母親と 夫婦、Cの 2人の連 れ子と夫婦 の実
子の計6人で同居し、にぎやかで幸せな大家族を 築いていた。実際養子縁組の手続き
はオリ エンテ ーシ ョン や初回 面接 を経て 夫婦 は書 類集め を着々 と行 い家 庭調査 まで
に至る にはそ れほ ど長 くはか から なかっ た。 しか し、そ れは家 庭調 査を 終え、 少な
くとも3回 の適応調 査を行うう ちの1回目の調 査 が終わったと きに、Cか らの電話で
ケース の状況 は大 きく 変化し た。 彼女は ワー カー に夫と の別居 を伝 えた のだ。 彼女
による と夫は 連れ 子を たたき 、子 ども達 の将 来の 進路に ついて も口 うる さく指 図を
すると いう。 また 今ま での夫 との 生活の 苦労 を訴 えた。 ワーカ ーが 適応 調査で 訪問
した時 に、状 況を あり のまま 伝え たかっ たが 夫に 止めら れてい て話 すこ とが出 来な
かったと告白 した。また そればかり か実は 2人の 連れ子のうち 1人は 夫人の親戚 の子
どもで あり、 子ど もの 出生時 に夫 人の子 ども であ ると偽 って出 生登 録を したと も告
白し申 し訳な かっ たと 泣いて ワー カーに 謝罪 した 。IS SJは 偽装 の出 生証明 書に
関して はフィ リピ ン社 会福祉 開発 省(D SW D) に照会 し、正 しく 改め るよう に伝
えると 同時に 夫に 連絡 し話し 合い を持っ た。 夫が 言うに は子ど もを たた くのは 躾の
一環と し強く たた いて はいな いと 主張。 また 子ど もの将 来につ いて は理 想を述 べた
までだ とした 。夫 婦は 協議離 婚を し、養 子縁 組手 続きは キャン セル され たがI SS
Jはそ の後も 必要 なサ ポート を行 った。 家族 内で のダイ ナミッ クな 感情 の動き など
も養子 縁組に 関係 する 人々が 多け れば多 いほ どそ れは大 きなも ので ある 。IS SJ
には一 つとし て同 じケ ースは ない 。一つ 一つ のケ ースを 今後も 慎重 に進 めてい かな
ければならないことをこのケースによって再確認した。
ケース 4:
実母の親戚と養子が再会するための援助
6 年前 に亡く なった 女性の 親族が その女 性の遺 産 を整理す るため 、その 女性のた
った一人の子どもで、49 年前に養子となり 、そ の後一切、親族との連絡が途絶えて
いるこ の子ど もD (養 子とな った 者)の 失踪 宣告 を東京 家庭裁 判所 に申 し立て た。
当時、 女性は 子ど もを 育てる こと ができ ず、 この 子ども Dは日 本に 在留 をして いた
米国人 夫妻の 養子 にな った。 家庭 裁判所 の調 査官 は、I SSJ がこ の養 子縁組 の援
助をし ていた ので あれ ば、養 親ま たは養 子と なっ た者の 居所を 捜し 出す ことが でき
るので はない かと 考え 、IS SJ に照会 書を 送付 した。 家庭裁 判所 から の照会 をも
とに、 ISS Jが 記録 を探る と、 本ケー スは IS SJが 養親の 家庭 調査 と養子 とな
った者 の児童 調査 を行 い、マ ッチ ングを し、 家庭 裁判所 への養 子縁 組申 し立て の援
助をしていたことが判明した。この養子縁組は昭 和 33 (1958) 年に成立し、養親は
昭和 34(1959)年に養子となった子どもを連れ て米国に帰国していた。ISSJは
ISS アメリ カ支 部に 養父母 の氏 名と生 年月 日を 照会し 、養子 とな った 者の居 所捜
しを依 頼した 。数 週間 後、I SS Jアメ リカ 支部 は米国 在住の 養親 を捜 し出し 、同
じく米 国に在 住す る養 子とな った Dの居 所を 確認 するこ とに成 功し た。 居所が 判明
したことを受け、親族は、彼女を不在者とした失踪人宣告の申し立てを取り下げた。
彼女は実母が既に亡くなっていたという事実にショックを受けながらも、親族が
ISSネットワークを通じて自分を捜し当ててくれたことを喜んだ。ISSJは当
時の記録を基に、実母から聴取した実母の生育暦、家族暦、出産の経緯を英文にま
とめ、養子に送った。ISSJの橋渡しで養子と親族が電子メールをやり取りする
ようになってから間もなく、養子は思い切って母方親族を訪ねることに決め、娘二
人を連れて来日した。担当ワーカーは、Dと面接をし、実母が養子縁組の前後にI
SSJに宛てた手紙の原文と翻訳を手渡した。実母の手紙には自身では子どもの養
育ができない事実と実の子どもを養子に出すことの葛藤が綴られていた。彼女は手
紙を読みながら溢れる涙を抑えることができなかった。その晩、Dと彼女の娘たち
は親族(伯母、叔父、いとことその子ども達)と初めて会い、夕食を共にした。D
は米国に帰国後も、親族と電子メールのやり取りを行い、親
交を深めている。ISSJの仲介により、実母の残した遺産をDが相続する手続
きも完了した。彼女は実母との再会を果たすことはできなかったが、ルーツを捜し
出すことができたこと、母方の親族と出会えたこと、そして来日を機に日本をより
身近に感じることができるようになったことを心から喜んでいる。
2.国境を越えた未成年者への家族再会援助
こ の 事 業 は日 本 財 団の 助 成を 受 け 、 2005 年 度 から 行 っ て いる 継 続 事業 で ある 。
2007 年 4 月 1 日より 2008 年 3 月 31 日までの 「国境を越えた未成年者への家族再
会の援 助」で 相談 を受 け、オ ープ ンした ケー スは 19件 であり 、援 助が 完了し たケ
ースは30件、次年度への継続ケースは55件である。
多くの 外国 人が日 本に 滞在す るよ うに なった 昨今 、不法 滞在 の父母 が子 どもを 友
人、知人に預けたままあるいは置き去りにして、行方不明になるケースが多くある。
この場 合子ど も達 の多 くは、 出生 届は未 届け のま まで、 国籍も 与え られ ておら ず、
基本的 人権は 保障 され ていな い。 さらに 、こ のよ うな状 態に置 かれ た子 ども達 は、
親の友 人、知 人の 家を たらい 回し にされ てい るこ ともあ り、子 ども の健 全な育 成が
脅かされてくる。
相談依 頼は 、児童 相談 所、入 国管 理局 、子ど もを 保護し てい る実父 母の 友人等 か
らくる 。IS SJ では 、実父 母が 残して いっ たわ ずかな 手がか りを もと に、子 ども
の出生 届けの 確認 や、 関係す る国 の大使 館や 関係 機関と の連絡 、必 要書 類の翻 訳、
児童調 書の作 成を した 。そし て、 子ども を受 け入 れる家 族の家 庭調 査を 本国の 機関
に依頼 し、受 入れ 能力 や意志 の確 認をし た後 で、 子ども を父母 の本 国へ 出国さ せ、
安定した家族環境の中で生活が送れるよう家族再会の援助を行った。
しかし 、こ の援助 の中 で年齢 の高 い子 どもに 関し ては特 別な 配慮が 必要 である 。
日本で 出生し 、教 育を 受けた 年齢 の高い 子ど も達 を本国 に送還 して も母 国語を 話す
ことが できな いし 、文 化や習 慣の 違いに 適応 が難 しいな どの問 題を 抱え ている 。こ
の問題 は年齢 が高 くな ればな るほ ど深刻 であ る。 そのた めにも 、I SS Jでは 家族
の再会 の援助 を行 うと 共に、 再会 後の家 族関 係に 問題が ないか どう か、 子ども の母
国の関 係機関 に適 応調 査を依 頼し ている 。ま た、 母国に 出生届 けを 提出 してい ない
子ども を保護 して いる 国内の 養護 施設や 児童 相談 所など に対し ても 早期 に就籍 を行
うよう啓蒙活動を行っている。
ケース5:
子どもの本国送還援助のケース
2007 年 3 月、3 人のフィリピン人の兄弟が父親 と共にフィリピンに送還された。
2006 年 6 月に東京入国管理局に超過滞在で父親 が逮捕され、このケ−スがISSJ
に照会されてきた。フィリピン人の母親は 5 年間子ども達を放棄し、その間ずっと
父親が世話をしてきた。
3 人の 子ども 達は日 本で生 まれ育 ち、学 校に通 っ て教育も 受けて いた。 父親が入
国管理 局内の セン タ− に拘留 され た時、 子ど も達 は一時 的に児 童相 談所 に託置 され
た。子 ども達 が父 親と 離れる のは 初めて の経 験で あり、 父親と 一日 も早 くとも に生
活できるよう援助が必要であった。
両親が 正式 に結婚 して いない ため 、子 ども達 は非 嫡出子 であ り、父 親が 子ども 達
を連れ てフィ リピ ンに 帰国す るに は、実 母の サイ ンがあ る同伴 証明 証が 必要で あっ
た。I SSJ は3 人の 児童調 査報 告書を 作成 する と共に 、子ど も達 が送 還先の フィ
リピン で適切 に保 護さ れるこ とを 保障す るた め、 フィリ ピンの 受入 れ家 庭の調 査を
フィリ ピンの 社会 福祉 開発省 (D SWD )に 要請 した。 同時に 、行 方不 明の実 母探
しのた めに雑 誌、 新聞 に広告 を掲 載した 。I SS Jソー シャル ワー カー は、宣 誓承
諾書が 整う間 、子 ども にも会 えず 、スト レス を抱 えた入 管中の 父親 の精 神的な 支援
も行った。
DSW Dに 提出さ れた すべて の書 類に よって 母親 もまた 逮捕 されて いた ことが わ
かった 。はじ め、 母親 は、宣 誓承 諾書に サイ ンす ること を拒ん でい たが 、つい には
父親が子 ども達 を連れて フィリ ピンに 帰国す るこ とに同意 した。 実父は、 3 人の子
ども達の 生活費 を賄って いたが 、生活 は苦し く、 9 ヵ月 も拘留 されて いたた め帰国
する費用がなく、このケースではフィリピン大使館が航空運賃を肩代わりした。
子ども達がフィリピンに到着して 5 ヵ月後、ISSJはDSWDから報告を受け
た。そ れによ ると 、子 ども達 は新 しい環 境に すぐ 順応し たが、 方言 での 意思疎 通が
うまく いかず 英語 もほ とんど 理解 できな いと のこ とであ る。今 、子 ども 達は父 親と
父方の祖母の助けを借りて勉強に励んでいる。
3 .国際結婚・離婚に関する問題への援助
昨今国 際結 婚をす る人 が増え てい る。 過去に は日 本人女 性が 外国人 男性 と結婚 す
るケー スが多 かっ たが 、最近 では 外国人 女性 と結 婚する ケース が増 えて きてい る。
その影 響もあ って 、海 外在住 の人 からの 相談 だけ でなく 日本で 生活 をし ている 人か
らの相談も増加している。当該年度に国際結婚離婚相談で関わった国は
11ヵ国、
24件である。
その内 容は 様々で ある が多く は離 婚の 関わる 問題 であっ た。 婚姻後 日本 の農村 地
帯で生 活を始 めた が、 近隣に 同国 人がい なか った り、日 本語が 不自 由な ために 地域
の人と の交流 が出 来な い。あ るい は配偶 者の 家族 との交 流が出 来な い。 生活習 慣の
違いか らギク シャ クし てしま う。 夫は自 分の 家族 の宗教 行事は 大切 にす るが、 妻で
ある自 分の信 仰を 大切 にして もら えない 。妻 が本 国の家 族に送 金す るの で、生 活が
苦しい、といったお互いの習慣・慣習の違いから来る問題もある。
一方、 海外 で結婚 生活 をして いく 中で 、言葉 の問 題や習 慣の 違いか ら来 るスト レ
スで、 心身症 にな って しまっ た。 里帰り した 日本 人妻が 音信を 絶っ てし まい、 連絡
が取れ なくな り、 不安 で仕方 がな いなど 、様 々な 内容の 相談が 寄せ られ た。こ うし
た相談 にカウ ンセ ラー やソー シャ ルワー カー は丁 寧にそ の訴え を聞 くと 同時に 、問
題解決 のため に裁 判所や 関係 国の政 府あ るいは 民 間相談 機関と の連 携をと りな がら、
問題解決への道を開いていった。
日 本 で は 問 題 に な ら な いこ と が 、 国 に よ って は 犯 罪 行為 に な る 場 合 も あ り 、 法律 を 調 べ な
が ら 対 応 を す る こ と も あっ た 。 特 に 子 ど もが い る 場 合は 、 両 親 の 不 和 に よ り 不安 定 な 環 境 に
おかれる子どもへの影響を、出来るだけ少なくするような配慮も必要となる。
ケース6:
国際結婚の離婚による子どもの問題へのカウンセリング
ある日 米国 人と結 婚し 、米国 に住 んで いた日 本人 女性か ら電 話が入 った 。夫の 暴
力から 逃れて 、子 ども を連れ て日 本に帰 って きた ところ 、夫は 妻が 子ど もを誘 拐し
て日本 に帰っ たと アメ リカの 裁判 所に訴 え出 た。 そのた め妻は アメ リカ に帰る こと
が出来なくなった。もしもアメリカに帰ると入国と同時に逮捕されるという。
妻は夫 が妻に した こと の証明 とし て様々 なド キュ メント をIS SJ に送 ってき た。
それに よると 、夫 はイ ンター ネッ ト上に もホ ーム ページ を持つ 会社 で働 いてお り、
高額所 得者と 思わ れる 。しか し、 生活費 は妻 の働 きに頼 り、収 入が いく らある のか
は教え て貰え なか った 。子ど もが 産まれ ても その 状況は 変わら なか った 。妻は 生活
保護を 受ける こと も考 えるほ ど、 経済的 に困 窮し ていっ た。夫 は子 ども を特に 可愛
がるこ ともな く、 自分 だけで 遊び に行く 夫で あっ た。そ こで離 婚を 申し 出て、 子ど
もを引 き取り たい と思 ったが 、夫 は離婚 には 応じ るが、 子ども は渡 せな いとい うの
で、話 し合い がつ かな かった 。妻 は心労 から 精神 的に不 安定に なっ てし まった 。不
思議なことに、夫は日本に来て子どもや妻と旅行 をしたり、遊園地に行ったりして、
楽しい ときを 過ご して いた。 しか し、妻 の夫 に対 する不 信感は 強く 、何 とか子 ども
の親権を取って離婚したいという考えは変わらなかった。
ISS Jの ソーシ ャル ワーカ ーは 、混 乱して いる 妻の気 持ち を整理 する ために 、
時間を かけて カウ ンセ リング を行 う一方 で、 妻の 方から 離婚を 申し 立て るには 妻は
アメリ カに行 かな けれ ばなら ない が、入 国と 同時 に逮捕 される とい う恐 怖でア メリ
カに行 くこと も、 裁判 の申し 立て もでき ない 妻の 状況を 理解し 、こ うし た場合 の対
応に詳 しい弁 護士 を探 すこと が大 切であ り、 弁護 士を立 てて問 題解 決を 依頼す る方
法があ ること を示 唆し た。妻 は気 持ちの 整理 と問 題の整 理がで きた よう で、安 定し
てきた。
4 .無国籍、未就籍、難民の子どもへの援助
わが国 には タイ、 フィ リピン など から エンタ ーテ ナーと して 多くの 女性 が入国 し
ている 。しか し3 ヵ月 のビザ が切 れても その まま 超過滞 在者と して 日本 に残っ て働
き、母国の家族に仕送りをしている。母国では大家族が彼女たちの仕送りを頼りに、
生活を してい るの が現 状であ る。 そうし た中 で妊 娠・出 産をす る女 性も 多くい る。
超過滞 在なの で出 産後 、自分 の国 の大使 館に 出生 届けを 出すこ とを 拒否 する人 も多
い。出 生届け をし ても 超過滞 在者 として 母国 の大 使館が 日本政 府に 通報 するこ とは
無いの だが、 不安 で出 来ない とい う。ま た、 日本 の役所 に届け 出た ので 、それ で大
丈夫と 思って いる 人も 多い。 しか し日本 政府 に届 け出て も、自 分の 国籍 国に届 けな
ければ、国籍取得は出来ない。そこでISSJは 、実母がいるときは実母を連れて、
いない 場合は 実母 を探 し出し て、 一緒に 大使 館に 行き、 出生届 けを し、 国籍取 得の
援助を した。 また 日本 で生ま れた 難民の 子ど もは 、日本 のビザ はも らえ るが、 本国
の大使館への届けが出来ないために無国籍の状態 になる。そのため保育園や幼稚園、
小学校への入学に不安を持つ両親からの相談もあった。
また、 難民 認定を 受け ている 人に 対し ては日 本人 と同じ 保護 が受け られ るので 、
その点 を説明 し、 役所 や学校 に同 行して 手続 の支 援も行 ってき た。 さら に、難 民と
いう立 場から 子ど もに 英語の 習得 を希望 する 人も あり、 授業料 が安 いイ ンター ナシ
ョナルスクール探しの援助も行った。
5.難民の医療費の援助
日本で 難民申 請を して いる人 や申 請を却 下さ れて 不法滞 在者に なっ てし まった 人、
または 難民認 定を 受け て『難 民』 として 日本 に滞 在して いる人 の中 には 、保険 に入
ってい ないた めに 病気 になっ たと きに高 額な 医療 費が払 えない ため に、 悪化さ せる
ケース もある 。ま た、 日本で 子ど もを出 産し た外 国人母 の中に は、 超過 滞在が 明る
みに出 ること を恐 れて 、出生 届け を出さ ない 人が かなり いる。 それ ゆえ 、無国 籍状
態に置 かれて しま う子 ども達 が多 くいる 。そ うし た子ど もが病 気に なっ ても保 険が
使えな いため 、高 額な 医療費 を払 わなけ れば なら ないが 、お金 が無 いた めに病 院に
連れて 行かれ ない ケー スもあ る。 病院か ら医 療費 援助の 依頼が 来る こと もある 。当
該年度 にIS SJ は、 東京メ ソニ ック協 会か ら助 成金を 受けて 、こ うし た人々 の支
援を行った。
ケース7:
難民の医療費用援助
成田空 港に 来て難 民申 請を希 望し たア フリカ の女 性は、 申請 を出す 前に 体調を 崩
し、体 の痛み と出 血に 悩まさ れ、 次第に 食欲 がな くなり 、パン と水 以外 は受け 付け
なくな った。 しか し所 持金が 少な い上、 知り 合い もいな いこと から 病院 に行く こと
もでき なかっ た。 IS SJに 連絡 が来た とき は、 かなり 衰弱し てい た。 そこで 、赤
十字病 院に連 絡を して 、IS SJ が医療 費を 負担 するこ とを条 件に 、診 察をお 願い
した。 その結 果、 投薬 治療の 必要 性があ り、 体の 痛みの 原因は わか らな かった が、
精神的に不安定である共に、栄養失調に近い状態 であるとのことであった。そこで、
体力が回復するまでという条件で修道会に泊めていただき、治療を続けた。
現在特別在留許可が出ており、精神的な安定が得 られ、体力も回復してきている。
当初全 く理解 でき なか った日 本語 の習得 力も 早く 、一人 で薬を 貰う ため に病院 に行
くことも出来るようになってきた。
5 .難民および難民申請者への相談援助
ISS Jは 国連難 民高 等弁務 官事 務所 (UN HC R)か らの 委託事 業と して、 庇
護を求 めて来 日し た難 民申請 者に ソーシ ャル サポ ートの 一環で ある カウ ンセリ ング
を行な ってい る。 IS SJが 担当 した今 年度 の難 民申請 者は、 東日 本入 国管理 セン
ター( 茨城県 牛久 市) と東京 入国 管理局 (品 川) の収容 者を合 わせ て7 0数名 であ
り、出身国はミャンマーが全体の約 3 割を占め、以下中近東やアフリカ諸国など、
計18 カ国で あっ た。 また訪 問は 約30 回、 カウ ンセリ ングの 合計 は約 140 回で
あった。
カウン セリ ングの 対象 者の多 くは UN HCR から の紹介 によ るもの であ るが、 収
容者が 直接I SS Jに 電話で 申し 込むこ とも ある 。彼ら の中に は、 自国 で生命 の危
機を感 じ庇護 を求 めて 逃げて 来た 日本で 、な ぜ保 護され ずに収 容さ れな ければ なら
ないか という 理不 尽な 思いを 抱く 人もい る。 また 長期に 及ぶ収 容で 健康 の悪化 や精
神的な 不安定 を訴 え、 稀では ある ものの 、そ れが 高じて 妄想に 走る ケー スや、 極度
の衰弱により歩行困難になるケースも起きている。
I S SJ はカ ウン セリ ング を 通し て知 りえ た情報 を もと に、 難民 申請 者の 症 状 に
応じて 入管に 適切 な処 遇をお 願い し、ま た他 のN GOと のネッ トワ ーク を通じ てサ
ポート の幅を 広げ てい る。そ して 官民合 同の 難民 懇談会 に出席 する こと で情報 を共
有し、 難民申 請者 に対 するソ ーシ ャルサ ポー トの 質の向 上を目 指す よう 取り組 んで
いる。
◆
牛久、品川のセンターでのカウンセリング
◆
2007 年の難民申請者 数は 816 人であり、その中 で認定されたのはわずか 41 人で
あった 。牛久 や品 川の センタ ーに は多く の難 民申 請者が 収容さ れて いる が、難 民認
定判定 を待つ 者、 不認 定によ り異 議申し 立て をす る者、 裁判所 不認 定取 り消し 訴訟
中の者 などが 入所 し、 難民申 請が 長期に 及ぶ こと から収 容期間 も長 期に 及ぶこ とが
多い。 そして 収容 期間 が長期 にな ればな るほ ど、 心身と もにダ メー ジを 受ける ケー
スが余りにも多くみられる。
センタ ー入 所者に カウ ンセリ ング を行 う時に まず 念頭に 置く のが国 際連 合憲章 の
基本原理に見られる「人間の尊厳(個人の尊厳)」である。入所者の語りを聞く中で
「個人の尊厳」を尊重するよう心がける。
ここでアフリカ出身の 3 人家族を例にあげてみ よ う。ある日、両親と 4 歳の息子
が警察 に逮捕 され 、両 親は別 々に センタ ーに 、息 子は児 童養護 施設 に収 容され た。
その情 報を得 た時 、ワ ーカー はま ず息子 に会 いに 行き、 担当の ケア ワー カーに 近況
を聞く と共に 、そ の息 子に絵 を描 いても らい 、そ の絵を 持って 同じ 日に 母親に 会い
に行っ た。母 親は 息子 の絵を 見る なり、 微笑 みな がら涙 を流し 、そ して 愛しむ よう
に家族 の話を して くれ た。そ の後 、父親 には 児童 養護施 設より 息子 の写 真が届 けら
れた。今では夫婦とも仮放免で退所し、家族揃って生活しているという。
個々に 応じ ていろ いろ なケー スと 向き 合う日 々で あるが いつ いかな る時 でも「 人
間の尊 厳」を 尊重 して カウン セリ ングを 行い 、少 しでも 入所者 の荷 が軽 くなる サポ
ートができればと願っている。
カウンセリングで牛 久 の東 日 本 入 国 管 理 センターを訪 問 したISSJソーシャルワーカー
6.国際児(混血児)やインドシナ難民への社会適応援助促進活動
戦後、 占領 軍兵士 と日 本人女 性と の間 に出生 した 国際児 (混 血児) が呉 市周辺 に
多数存 在して いた 。占 領軍撤 退後 、彼ら を取 り巻 く環境 は厳し く、 経済 的・心 理的
に も 大 変 な国 際 児と そ の家 族 に 対し て 温か い 社会 援 助 が 求め ら れた 。 1959 年 に 呉
市・厚 生省・ 外務 省か らの要 望に より、 呉事 務所 を設置 した。 現在 も東 京本部 と連
携をと り活動 して いる が、呉 事務 所は国 際児 の身 近な生 活相談 場所 とし て、心 の拠
り所となるなど大きな役割を担っている。
昨年国際児が訪豪した際、シドニーでホームステ イなど大変お世話になった 2 家
族が 10 月に来日された。ISSオーストラリア支部の温かい協力により父親の消息
が判明 した国 際児 もい る。彼 の父 親はす でに 他界 してい たが、 父親 から 愛され 、自
分と母 親をオ ース トラリ アへ 呼び寄 せる ために 随 分と努 力をし てい たこと がわ かり、
父親へ の長年 のわ だか まりが 解け た者も いた 。ほ かの国 際児か らは 子ど もが医 師と
して成 長して いる こと 、また ある 子は看 護士 とし ての資 格をI SS Jの 援助で 取得
してい るので 再就 職が でき感 謝し ている こと 、あ る国際 児は写 真を 添え てかわ いい
孫の成 長を知 らせ てく れるな ど、 うれし い便 りを 届けて くれた 。ま だ生 活苦に 悩ん
でいる 者、病 気に 苦し んでい るな ど心痛 む相 談も 寄せら れた。 父親 のル ーツ探 しを
続けて いる国 際児 もい る。長 い年 月の経 過で 資料 などが 乏しく 、ル ーツ の探索 は厳
しいが 一人で も多 くの国 際児 が誇り を持 って生 き ていけ るよう に援 助して いき たい。
国際児 やイン ドシ ナ定 住者の 日本 への社 会適 応促 進化の ために 、グ ルー プ活動 を行
い、参加者の相互理解と、呉在住の外国人との交流の輪を拡げ、平成 19 年度は次の
活動を行った。
*第 12 回 ISSJ 呉バザー開催
(4月 29 日)
「呉 みなと 祭り 」の 国際村 に出 店し、 国際 児・ 広島メ コンの 会、 フィ リピン 人と
その家 族、 日本人 ボラ ンティ アの 協力 で、ラ オス ・カン ボジ ア・ベ トナ ム・フ ィ
リピンの母国料理の手作り販売、日用品雑貨などの販売を行った。
* 社会見学:日帰りバスツアー (12 月 16 日)
バザ ーの収 益金 ・岸 槌好子 基金 ・参加 者の 会費 で、出 雲市勾 玉資 料館 の見学 ・玉
造温泉 での 入浴の ツア ーを実 施し た。 国際児 ・ラ オス・ カン ボジア ・ベ トナム ・
フィリ ピン ・日本 のボ ランテ ィア と交 流親睦 を図 り、色 々な 母国語 の会 話が飛 び
交い、国際色豊かであった。
* 呉ロータリクラブで大森常務理事講演 (2 月 7 日)
呉阪急ホテルにて
大森常務理事が講師として招かれ、ISSJ の活動と呉事務所の現況について講演
* 第 5 回国際交流フェスタ in くれ (3 月 23 日)
ビューポートくれで実施。ISSJ は共催団体とし て参加、活動をパネル展示で紹介。
1.国際ソーシャルワーカーの人材育成
◆
カンボジアにおけるプログラム
◆
このプログラムは郵便貯金・簡易生命保険管理機構国際ボランティア
貯金に係る寄付金を受けて行われている。ISSJではカンボジアのプ
ノンペン郊外にあるチャムロンパル村で、1996年から貧困家庭の子
どもへの識字、衛生、栄養教育指導が出来るソー シャルワーカーの人材
育成を行って来た。しかし、日本のODAによって、スラムだったその
地域の沼地が整備され、橋がかけられた。そのため、スラムが取り払わ
れ 、 住む とこ ろの なく なっ た貧 困 家庭 の人 々は郊 外 へと 追い やら れた 。
極貧の村に今ではお金持ちが移り住み始めたため 、ISSJのプログラ
ムに参加していた子ども達がほとんどいなくなっ てきたことと、残って
いる子ども達は学校に行き始めたので、チャムロンパル村での活動は終
わりとした。しかし、スラムにいた子どもとその家族は、国境近くの郊
外へ追いやられたのだが、そこでは拾い集めるご みが無く、生活が出来
ないために、ストリートファミリーとなって、或 いは別のスラムに入り
込んでプノンペンに舞い戻ってきた。
そ こ で今 年度 新た に 、王 宮や 国立 博物 館の 近 くに あ る部 屋を 借り て 、
ストリートチルドレンとその家族への給食付識字教育と自立支援を始
めた。学校に行きたいが、学校に行く時間にごみ を集めればお金になる
ので、ストリートチルドレンの親は、子どもに学 校に行くよりもごみを
集めることをさせてしまう。そこで朝ごはんと昼ごはんを提供する代わ
りに、半日識字教育を受けるという
プログラムをはじめた。半日ごみを
集めると一回の食事分くらいの収入
なので、朝食と昼食を提供して半日
は働かなくても、収入に影響が無い
状態にした。
小・中学生くらいの年齢の子ども
が多いが、学校に行く時間にごみ集
めをしてお金を稼いでいる子ども達
である 。カン ボジ アで は、ビ ニー ル袋や 空き 缶、 空き瓶 、ダン ボー ルな どを拾 い集
めて、 集積場 に持 って いくと 、買 い上げ てく れる 。大変 安いが 、そ れで も毎日 食べ
ていく ことが 出来 る。 給食付 識字 教育プ ログ ラム は口コ ミで広 がり 、す でに毎 日5
0人を 超える 子ど も達 がこの プロ グラム に参 加し ている 。すべ ての 子ど ものフ ァイ
ルを作 成して いる が、 住所は いず れもス トリ ート となっ ている 。自 分の 名前を 書け
ない子 ども、 数字 も1 0まで は数 字を言 える が、 書けな い子ど もや 読め ない子 ども
が多い。そのため識字教育と衛生教育を中心に行っている。
プノンペン市内の未就学のストリートチルドレン
ごみ山にたたずむ3才位の子ども
◆
日本におけるフィリピン人のソーシャルワーカー研修
◆
本 年 度 、I S S J は フ ィ リ ピ ン 社 会 福 祉 開 発 省( D S W D )の ソ ー シ ャ ル ワ ー カ ー
1名 に 対 し 1 年 間 の 研 修 を 実 施 し た 。 本 年 も 日 本 在 住 の フ ィ リ ピ ン 国 籍 者 が 関 わ る ケ
ー ス が 増 加 し て い る 。研 修 内 容 は 主 に フ ィ リ ピ ン 国 籍 児 の 国 際 養 子 縁 組 、日 本 人 夫 と
結 婚 し た フ ィ リ ピ ン 人 妻 へ の カ ウ ン セ リ ン グ 、フ ィ リ ピ ン 人 を 親 に 持 つ 子 ど も の 出 生
届 や 国 籍 取 得 の 援 助 お よ び そ れ に と も な う 本 国 送 還 、家 庭 内 暴 力 や 虐 待 な ど 様 々 な 援
助 で あ っ た 。さ ら に 、日 本 語 や 日 本 文 化 の 研 修 も 実 施 し 、日 本 社 会 や 日 本 人 の 理 解 を
深 め 、フ ィ リ ピ ン へ 帰 国 後 も 研 修 生 は 二 国 間 に 関 わ る ケ ー ス の 問 題 解 決 の た め に 大 き
な役割を果たしている。
2 .ケース研究会
ケース 研究 会は、 問題 が複雑 化し てい る個々 のケ ースに つい て、担 当者 が今ま で
の経緯 を発表 し、 今後 の対応 につ いて協 議を 行う 場であ る。そ の他 に、 養子候 補者
の児童 調査、 及び 養親 候補者 の家 庭調査 のプ レゼ ンテー ション ・質 疑・ 調査内 容の
承認、 養子候 補者 と養 親候補 者の マッチ ング も随 時行っ ている 。本 年度 、IS SJ
は児童相談所から養護施設に入所している日本人 兄弟(7歳と5歳)について、養親候
補者探しの依頼を受けた。
しかし 、I SSJ は依 頼から 半年 以上 経過し ても 、この 兄弟 を養親 候補 者にマ ッ
チング するこ とが でき なかっ たた め、ケ ース 研究 会にお いて、 養子 縁組 を希望 する
この兄 弟の簡 単な プロ フィー ルを ISS Jの ホー ムペー ジに掲 載し 、新 たな養 親候
補者の 開拓に つな げる ことを 検討 した。 IS SJ が養子 縁組を 望む 子ど も達を ホー
ムペー ジ上に 紹介 する のは初 めて の試み であ った が、子 ども達 のプ ライ バシー に十
分配慮をした上で、2008 年 3 月にプロフィール の掲載を開始した。国際養子縁組の
対象と なる子 ども 達は 年齢が 高く なる傾 向に あり 、年々 養親候 補者 への 託置が 難し
くなっ ている 。こ うし た年齢 の高 い子ど も達 を受 け入れ ること がで きる 養親候 補者
の開拓はISSJの緊急の課題になっている。
3 . 日本語教育
今年度 も、 DSW Dよ り受入 れた 研修 生1名 に、 週一回 日本 語教育 を行 った。 日
本語の 基本文 型と 語彙 を基に 、日 常生活 の様 々な 場面、 状況で の会 話表 現の定 着を
図り、 研修に 関わ る用 語を取 り入 れなが ら研 修生 自身が 日々の 活動 を日 本語で 説明
してい くなど 、自 己表 現の訓 練を 積み重 ねて いっ た。文 法説明 を最 小限 にし、 研修
生の発話の機会を多く設けるように努めた。
さらに 、日 本の現 代社 会につ いて 、日 本人の 生活 や伝統 文化 、歴史 、宗 教など に
ついて 、紹介 し、 意見 の交換 をし た。研 修生 は日 本での 滞在中 に異 文化 を肌で 感じ
取り、 多くの 事を 学ん だよう であ る。限 られ た時 間内で の英語 を媒 介と した授 業に
よる日 本語学 習で ある が、研 修生 の熱心 な取 り組 みによ って有 意義 な時 間にな った
ことは 言うま でも 無い 。そし て、 研修生 が日 本滞 在で得 た貴重 な経 験が 、今後 携わ
るケースワークに生かされるように願う次第である。
5 . 国際会議参加、開催
◆ ISS本部会議(EXCO) ◆
5月6日から11日までジュネーブで開催されたI SS本部会議に、鳥居淳子理事と
大森常 務理事 が出 席し た。I SS 本部の 機構 改革 、現在 空席に なっ てい るプレ ジデ
ントと 事務局 長の 人事 の問題 、I SSネ ット ワー クの強 化、フ ァン ドレ イジン グを
中心に話し合いを行った。1993年国際養子縁組 に関するハーグ条約批准に関する日
本の現 状報告 も求 めら れたの で、 国会で 国際 養子 縁組が 人身売 買の よう に高額 な金
銭授受 のもと に行 われ ている こと が追求 され 、ハ ーグ条 約の早 急な 批准 を検討 する
べきで あり、 その ため には国 際機 関に連 絡を 取り 、ハー グ条約 批准 のた めにど のよ
うに国 内法を 整え てい ったの か等 の情報 を得 るよ うにと の要請 があ った ことを 伝え
た。そして、未だ日本政府は何もしていないが、G8に対してISSネットワークを
使って ハーグ 条約 に関 する調 査を 実施し たこ とも 含め、 動きが 出て いる ことを 報告
した。 日本の ハー グ条 約批准 を議 題に入 れて ある ほど、 ISS 本部 会議 が重要 と考
えているテーマであるから、国際養子縁組に関す る1993年ハーグ条約会議に、日本
政府の代表として出席された、鳥居理事の参加は、大変評価された。
◆
アジア太平洋地域会議
◆
4 月 30 日から 5 月3日まで、フィリピン・マニラにてISSアジア太平洋地域会
議が開 催され た。 フィ リピン は昨 年から IS S支 部にな り、I SS フィ リピン の主
団体は フィリ ピン 国際 赤十字 であ る。会 議に は、 香港、 日本、 台湾 、オ ースト ラリ
ア、フ ィリピ ンが 参加 した。 韓国 は代表 が急 病に より欠 席、タ イの DS DWも IS
Sのコレスポンデントになっているが、欠席であった。
この会議では、各国の活 動報告があ り、その後、2004 年 からISS共通のテー
マである、国境を越えて移動する人たち、特に人 身売買に巻き込まれた未成年者や
女性の問題が取り上げられた。この問題は国と国が協力しなければ解決できないの
で、こ うし た場 で共 に話 し合 うの は大変 重要 であ る。特 に、 日本 では 人身 売買 や、
未成年者や女性の移動労働者の問題はあまり知ら れていないが、国際社会では、日
本の女性や未成年者の人身売買が問題とされてい る。エンターテナーとして日本に
来た途上国の女性の中には未成年者も含まれてい る。そうした女性たちは、ブロー
カーを通して日本に来ることが多いのだが、ブローカーの多くは暴力団が絡んでい
る。日本に来るための渡航費やビザ取得などで借 金があるといわれ、パスポートを
取り上げられ、逃げるに逃げられず、売春を強要 されているケースがかなりあると
思われる。そういう意味で、国際社会から日本は人身売買の受入国として、警告を
受けているので、今後もこのテーマは地域会議で継続して論議されると思う。
◆
国境を越える家族の対立に巻き込まれている
子 ど も 達 へ の 支 援 に 関 す る ト レ ー ニ ング参加◆
2007 年 6 月 25 日から 27 日、オーストラリア ・シドニーにて開催されたISS
オース トラリ ア主 催「 国境を 越え る家族 の対 立に 巻き込 まれて いる 子ど も達へ の支
援に関するトレーニング」にISSJソーシャルワーカーが参加した。17 カ国から
42 名が出席、参加者の多くが子どもの福祉に関わ る政府機関で働く公務員であった。
トレー ニング プロ グラ ムは、 子ど もの権 利を 中心 に、主 に法的 側面 と現 場でク ライ
エントに対する介入技術紹介の二側面から構成されていた。
法的側面に関しては、子どもの権利
条 約 と ハ ー グ 条 約 か ら子 ど も の 権 利 を
再 認 識 し た 後 、 ハ ー グ条 約 の 内 容 と そ
の 重 要 性 に つ い て 、 オラ ン ダ に あ る ハ
ー グ 国 際 私 法 会 議 の 事務 局 長 と 役 員 長
か ら 説 明 が あ っ た 。 現場 で の ク ラ イ エ
ン ト に 対 す る 介入 技 術 紹 介に 関 し て は 、
「 調 停 に 基 づ く ア プ ロー チ 」 を 中 心 に
ISSオーストラリアによる説明
子 ど もに 焦点 を当 て たス キル を学 ん た 。
まずI SSス イス が、 どのよ うに このア プロ ーチ を実践 に活か して いる かを紹 介し
た後、アプローチの理論についてオーストラリア の Lawrie Moloney 準教授が説明し、
その後、グループに別れ、このアプローチを用いたロールプレイを体験した。
この研 修に 参加し 、今 後もハ ーグ 条約 の重要 性に ついて 現場 の立場 から 引き続 き
日本政 府に働 きか けて いくと とも に、調 停に 基づ くアプ ローチ を用 いた ロール プレ
イなど を通し て、 他の ソ−シ ャル ワーカ ーに この アプロ ーチを 紹介 しI SSJ での
サービスの統一化、サービスの質の向上を目指したいと考えている。
◆ イタリアの難民及び庇護申請者等に対する支援状況調査
◆
2007 年 11 月、(財)アジア福祉教育財団難民事 業本部主催の研修に参加し、ロー
マとランペドゥーサ島を訪れた。現地通訳を含め て一行 4 名は、ローマで内務省を
始めとする官公庁から NGO に至るまでの 14 ヵ 所を、ランペドゥーサ島でUNHC
R職員のガイドのもと庇護申請者施設や海上警察、財務警察を訪問した。
イタリ アの 特徴は 移民 及び庇 護申 請者 が混合 型で 入国す るこ とであ る。 申請者 全
体の 8 割が正規の書類を持たずに入国し、また全 体の 6 割が海路より入国する。2006
年は海路入国者の 8 割がランペドゥーサ島からであった。イタリアの難民政策は海
路入国 での人 命救 助と 陸路入 国で の国境 管理 とい う複雑 な問題 に解 決策 を見出 す形
で展開する。
公的支 援体 制とし て、 庇護申 請者 、難 民及び 人道 保護者 対象 のSP RA Rと呼 ば
れる保 護シス テム があ り、予 算の 多くは 内務 省の 難民政 策基金 と欧 州難 民基金 から
拠出される。2006 年では支援サービスの 51.2%が人道的保護者に、33.1%が庇護申
請者に 、15.6%が 条約 難民に なされ 、「 福祉」「医 療」「 語学教 育」の 分野 での支 援が
多いといえる。
庇護申請手続きには「簡易手続き」(身元確認 センターに収容されている申請者:
全体の 8 割)と「通常手続き」(収容されていない 申請者:同 2 割)の二種類がある。
今回訪 れたラ ンペ ドゥ ーサ島 の施 設入所 者は 前者 の手続 きを踏 む。 この ランペ ドゥ
ーサ島 とは地 中海 にあ るイタ リア の島で 、地 理的 なこと からボ ート ・ピ ープル が多
く押し寄せる島でもある。アフリカのリビアから その島までボートで要する日数は 1
日半から 19 日程であり大半は自力で到着できず 海上警察に救助される。入国者は施
設に収容 され、取 り調べ を受け 、指紋採取
や顔写真 撮影によ り欧州 のデー タベースに
記録される。
研修か ら帰国し てまも なく、 内務省のホ
ームペー ジのトッ プペー ジに「 日本からの
調査派遣 団来訪」 と載っ たのに は驚きであ
っ た 。 多 く の 方 々 の 協力 に よ り 貴 重 な
体験ができた研修であった。
ランベドゥーサ島の港にて、UNHCRの男性
◆「国際養子縁組とハーグ条約を考える会議」の開催
◆
2008年2月13日と14日の二日間、東京広尾のJICA地球広場に於いて、
「 国 際 養 子 縁 組 と ハ ー グ 条 約 を 考 え る 会 議 」( 英 語 名
2008 Intercountry Adoption
Conference) を 当 事業 団 主催 、 独立 行 政法 人 福祉医 療 機 講「 長 寿・ 子 育て ・ 障害 者
基金」 助成事 業と して 開催し た。 日本は 国際 養子 縁組に 関して 法整 備の 面で大 変遅
れてい る。国 際養 子縁 組法も なく 、ハー グ条 約1 993 年「国 際養 子縁 組に関 する
子の保 護及び 国際 協力 に関す る条 約」の 批准 どこ ろか署 名もし てい ない 。全て のハ
ーグ条 約批准 に関 して はいま や日 本は完 全に 出遅 れてい る。特 に国 際養 子縁組 は人
身売買 の温床 にな りう るので 、当 事業団 では それ を防ぐ ために ハー グ条 約の批 准を
推進し てきた 。そ こで 、この 度す でに署 名或 いは 批准を してい るア メリ カ、フ ィリ
ピン、スイスから専門家を招いて、ハーグ条約によって守られる子どもの保護及び、
ハーグ 条約批 准に 向け てどの よう に国内 法や 国際 養子縁 組法の 整備 が行 われた のか
につい て各国 の報 告を 聞き、 討議 する目 的で 上記 の会議 が開催 され 、外 務省、 法務
省をは じめ、 メデ ィア 、児童 相談 所、国 際養 子問 題研究 者等3 0名 以上 の参加 者が
あった。
海外からは ISS Geneva/IRC Cordinator の Mr. H. Boechat 及び Child Rights Assistant
の Ms C. Baglietto よりハーグ条約とは、ハーグ 条約の必要性、日本がハーグ条約を
批准する必要性等について、また ISS USA の Ms Julie Rosicky より養子受入国からみ
たハー グ条約 の必 要性 につい て説 明があ った 。フ ィリピ ン社会 福祉 開発 省国際 養子
縁組審議会(ICAB)の Ms Estela A.Camino はフィリピンの国際養子縁組状況に
ついて、フィリピンISSの Ms Paz U. deGuzman は国境を越えた未成年者に関わる
諸問題 につい て説 明を 行った 。そ して最 後に 当事 業団大 森常務 理事 が国 際間の 養子
縁組問 題を解 決す るた めに何 が必 要かと いう 問題 につい て説明 をし た。 また在 日各
国大使 館、海 外養 子斡 旋業者 に対 して行 った 各国 の国際 養子縁 組の 実態 及び環 境を
把握す ること を目 的と した調 査を 行った が、 その 結果報 告も行 った 。い ずれの セッ
ション におい ても 活発 な質疑 がか わされ 、日 本が 一日も 早く1 99 3年 ハーグ 条約
を批准することの必要性が参加者の共通認識として改めて確認された。
「国 際 養 子 縁 組 とハーグ条 約 を考 える会 議 」参 加 者
1 .必要書類および資料などの翻訳
ISSJは二国間以上にわたる国際的社会福祉事業に主に従事して
おり、従ってそれに関わる多種多様な文書類の翻 訳が必要とされる。ケ
−ス数が最も多い国際養子縁組の場合、大半は日本−フィリピンまたは
日本−タイのケ−スであり英語と日本語で対応し ている。養親の中には
ヨ−ロッパの人たちもいるので、フランス語の翻 訳も行っており、タガ
ログ語及びタイ語に関しては、それぞれの国のソ−シャルワ−カ−が翻
訳している。翻訳する文書には、政府発行の公的 証明書類や審判書等の
法 的 文書 から 個人 の推 薦状 まで 多 岐に わた る。本 年 度は 、「 国際 養子 縁
組とハ−グ条約を考える会議」が開催されたため 、会議でのスピ−カ−
のプレゼンテ−ション資料の翻訳を行った。
2 .ISSJチャリティ映画会の開催
ISSJ映画会は 1980 年以来、28 年間の長き にわたって、年に 6
月と 10 月の年 2 回開催されてきた。その目的は 当事業団の事業および
活動内容を広く皆様に理解していただくことと活動資金を集めること
である。この会の企画運営は、ISSJ催物委員会、ボランティアの皆
様によって行われている。また、上映作品は東急 レクリエレーションな
どの専門機関の助言や協力によって選択している 。現在、映画会は九段
会 館 で行 われ てお り、 同時 にフ ロ アー では チャリ テ ィバ ザー も行 われ 、
ボランティアの方々による手作りの衣類ほか小物 類、クッキー、ケーキ、
アジア諸国の女性自立センターのスカーフ、オーガンジー袋などの手芸
品、支援団体からの寄付品などが販売されている 。映画会会場では同事
業団の活動を紹介するパネルも展示された。
今年度は 6 月 15 日(金)に第 54 回「上海の伯爵夫人」、10 月 20 日
(金)に第 55 回「ドリームガールズ」を上映した。参加券販売、バザ
ー収益、寄付金、広告収入などを含めた総収益は 第 54 回、第 55 回でそ
れぞれ 3,179,280 円、2,650,611 円、参加券の販売数は 2915 枚、2825 枚、入場者
数は 1777 名(846 名、558 名、373 名)、1468 名(710 名、360 名、398 名)であ
った。反省会では「より良い映画の選
択」「視聴者層の拡大」「映画館で映画
を見るメリットの宣伝」「画像による
当事業団の活動紹介」「バザー商品の
選択」「入退場の工夫」などが今後の課
題として残った。皆様の温かいご協力
により集まった寄付金は ISSJ の様々な
活動に使わせて頂いた。
2 .ISSJチャリティコンサートの開催
2007 年 12 月 13 日 御茶ノ水の日本大学カザルス ホールにおいて、第 1 回ISS
Jクリ スマス ・チ ャリ ティ・ コン サート を開 催し た。コ ンサー トは 日本 を代表 する
オルガ ニスト の井 上圭 子氏と 、N HK歌 お姉 さん でもお 馴染み のソ プラ ノ歌手 長島
伸子氏 、ピア ノ伴 奏の 腰塚賢 二氏 、コー ラス のミ ューズ ・エン ゲル ス・ コール にご
協力を いただ き、 当日 は心温 まる 歌とパ イプ オル ガンの 夕べと なっ た。 ISS Jで
のコンサート開催は昭和 55 年以来 27 年ぶりで、運営やチケットの販売に不安が多
くあっ たが、 関係 者の 皆様の ご尽 力によ り、 チケ ットも 完売と なっ た。 コンサ ート
前半は パイプ オル ガン による バッ ハの演 奏や 作曲 家別ア ヴェ・ マリ アの メドレ ー、
後半はヘンデルのメサイヤや賛美歌、
クリスマス・ソングが続き、アンコ
ールでは、観客も加わってのきよし
この夜の合唱で幕を閉じた。当日は
クリスマスにふさわしいミニバザー、
CD 販売、募金活動なども行われ、売
り上げに貢献した。今回の経験を生
かして、来年度はより充実したコン
サートの開催を 12 月 4 日に予定して
いる。
3 .ニュースレター「Intercountry」の発行
ISSJの事業内容や活動状況および日本の児童福祉の現状を広く人々に紹介し
理 解 し て い た だ く た め に 、 今 年 度 は ニ ュ ー ス レ タ ー 「 Intercountry」 を 年 2 回 発 行 し
た。配付先は関係機関や寄付による支援者などであった。
第 33 号
8月 30日 発 行
・ ISSオーストラリア主催ソーシャ
ルワークトレーニングの参加報告
第 34 号
1月 1日 発 行
・ 理事長、常務理事新年挨拶
・ 国際養子縁組のケース紹介
・ ISSJケース紹介
・ イタリア難民視察研修報告
・ カンボジアプロジェクト紹介
・ チャリティ映画会報告
・ チャリティ映画会報告
・ チャリティコンサート報告
・ 補助金、助成金事業完了報告
・ ボランティア・スタッフリレー
・ ボランティア・スタッフリレー
・ ISSJ活動報告
・ ISSJ活動報告
4 .ホームページの運営
◆ インターネット・データベースの活用、情報収集
◆
ISSJでは、多くの方々に活動を理解してもらうために、事業内容、歴史、活
動状況、出版物、本・支部紹介、映画会、チャリティコンサートなどのイベント情
報、会員・寄付・ボランティア募集、ニュースレター” Intercountry ”の記事などを日
本語と英語でホームページに掲載し、随時更新している。ネット上から募金可能な
イーココロ!http://www.ekokoro.jp/ngo/issj/な どにも登録し、募金集めの一環とし
て活用している。Eメールによる相談・問い合わせは、国際養子縁組、国際結婚・離
婚、実親など血縁者探し、情報提供など国内外から多数寄せられており、本支部や
関係諸団体とも連携しながら応対している。また初の試みとして、児童相談所の許
可を得て、日本国籍の兄弟の養親探しをホームページに掲載した。事務所内では、
より迅速な対応ができるよう膨大なケースファイルのデータ化を進めている。
今年度も、様々な分野で多くのボランティアの方が活動してくださり、
ISSJの国際社会福祉、特に児童とその家族が抱える問題の相談援助
の大きな原動力となった。深く感謝申し上げる。
◆
映画会・催し物ボランティア
◆
チャリティ映画会「ISSJ映画の集い」を支え てくださっているの
は「催物委員会」のメンバーとして活動して下さ っているボランティア
の方々である。上映作品の決定、チラシの印刷、参加券の発送、バザー
の企画及び管理、映画会当日の運営、そして終了 後の報告書作成等を自
主的に作業を進めて下さっている。また、映画会当日、ご自分の手作り
作品を「どうぞ役立ててください」と提供してく ださる来場者の方もい
らっしゃる。チャリテイ映画会は以下の「催物委員会」ボランティアネ
ットワークによって支えられている。
◎
毎週定期的に当事務所で活動してくださって いる「催物委員会」
中心メンバー:糸井直子さん、浦田眞智子さん、川村庸子さん、神田裕
子さん、衣笠孝子さん、澤村美佐子さん、志賀玲子さん、滝川一子さん、
中山八枝子さん、西端萬里子さん、水田泰子さん。
◎
映画会当日お手伝いしてくださっているメンバー:
販売担当:青木洋子さん、青山真由美さん、一瀬 道子さん、小澤香織
さん、加藤優子さん、塩道美由紀さん、千葉規子さん、野村裕美子さん、
松浦今子さん、松野彩子さん、三上登與子さん、堀越友子さん、吉永弘
子さん。
搬入担当:木村恵さんと島田みどりさん。
◎
手作りバザー作品を提供してくださっている メンバー:伊藤治子
さん、伊藤路子さん、大澤琴さん、塩釜智子さん、田草川順子さん、西
山誼さん、山本和子さん、岩場恵代子さん、山下 恒子さん、成島昌子さ
ん、小田部典子さん、落合洋子さん、鹿村みち子 さん、聖心女子大学宮
代会のボランティア・セクションの皆様。
◆
日本語教育ボランティア ◆
フィリピンのDSWDより派遣さるソーシャルワーカーに、田辺千鶴
子さんが日本語、日本文化の研修を行ってくださっている。
◆
データ−入力ボランティア ◆
今年度、ケースに関する英文の提出書類、手紙のパソコン入力を長年
宮脇由利さんが行ってくださっている。
おわりに
平和な国日本に 住む私たち は忘れてし まいが ちですか、いつの時代 も世
界のどこかで戦 争や内乱が 絶えること のなく 、UNHCR によると 、現在
世界 中に は 約1900万 人も の人 々が 家 を追 わ れ、 不安 な 生活 を強 いら れて
いると報告され ています 。ひとた び戦争や内 乱が起きると一 番犠牲を強 い
られるのが弱い 立場にある 子ども達で す。彼 らは何の発言権 もなく、基本
的人権も守ら れること はなく、 そして多 くの 子ども達が命 を落とし たり、
障害を持ったり という過酷 な運命を背 負うこ ととなります 。地球に 生まれ
たすべての子ど も達の未来 が、希 望に満ちた ものになる日が 来ることを 願
ってやみません。
ISSJは、二カ国以上 に関わらな ければな らない問題で苦 しむ、立 場
の弱い子ども達 や女性の問 題解決の援 助を行 っています。援助は、関係国
の政治、法律 、宗教 、信条等 を考慮し 、サービ スを受ける立場 の人々の「心」
を一番に考えて 進めていま す。その ためには 、ケースワー クやカウン セリ
ング、グル ープワーク 等社会福祉 の専門的な 技術を常に高め ていくこと が
重要であると考えています。
また 、本 年度 は、国際養子縁組をしたあっせん団体の実態調査と国 際養
子縁 組問 題と ハー グ 条約 を考 える 会議 を開 催 しま した 。1 99 3年 ハー
グ条 約「 国際 養子 縁 組に 関す る子 の保 護及 び 協力 に関 する 条約 」を すで
に署 名な いし は批 准 をし てい るア メリ カ、 フ ィリ ピン 、ス イス の専 門家
から のプ レゼ ンテ ー ショ ンの 反響 は予 想以 上 に大 きく 、国 際養 子縁 組が
法 律 に 基 づ き 、 養 子の 「最 善 の 利 益」が 保 障 され る よ う 、 我 が 国 での 国 際
養子 縁組 法の 制定 、 早期 ハー グ条 約の 批准 実 現に 向け て重 要な 一歩 にな
ると確信しました。
これらの活動を 皆様にご報 告出来まし たのも 、多くの善 意ある方々 から
の会費や寄付そしてISSJを支えて下さいました多くのボランティア
方々によるものと、役職員一同深く感謝を申し上げます。
さらに今後、ISSJの 活動を、様 々な機関 、媒体を通じ 、皆様によ り
広く知って、理解して頂 けますよう 努め、サ ービスを望むク ライアント が
相談を受けやす い環境を整 えて参りた いと考 えております 。ISS Jでな
くては出来ない 援助を行い 、国際 福祉の向上 に貢献をしてい く所存でご ざ
いますので、引 き続き、ご 支援、ご鞭 撻をよ ろしくお願い申 し上げま す 。
完了報告のお知らせ
平 成 19年 度 の補 助 金 、助 成 金 交 付 を受 け、次 の活 動 を完 了 いたしました。ここに活 動 完 了 のご報 告
を致 しますとともに、ご協 力 いただきましたことを謹 んで感 謝 申 し上 げます。
社会福祉法人 日本国際社会事業団理事長 岩井 敏
補助事業名および活動内容
日本自転車振興会
「国際的児童難民家族相談等補助事業」
日 本 国 籍 児 を 外 国 籍 家 庭に 、外 国 籍 児 を 日 本
国籍家庭に養子縁組する援助
日本財団
「 国 境 を 越え た未 成年 者へ の家 族再 会援 助 」
実 親 に 遺 棄 さ れ 、出 生 届 が 出さ れ て な い 子 ど
もや実親と連絡が取れなくなった子どもの
実 親 を 、雑 誌 や 新 聞 で 捜 し 、親 子 の 再 会 及 び
出 生 届 の 提 出 援 助 、さ ら に 実親 が 子 ど も を 引
き取らない場合は強制送還の対象となるの
で 、本 国 の 親 族 を 捜 し 、家 族と の 再 会 を す る
援助
郵 便 貯 金・簡 易 生 命 保 険 管 理
機構国際ボランティア貯金
カ ン ボ ジ ア 、ス ト リ ー ト チ ルド レ ン の 給 食 付
識字教育プログラムの実施
UNHCR
母 国 か ら 政 治 的 、宗 教 的 、人種 的 迫 害 お 逃 れ
日 本 に 来 て 、難 民 申 請 を した 後 、超 過 滞 在 と
なって入国管理局に収容されている人への
カウンセリング
実親に遺棄された超過滞在の子どもの本国
送 還 援 助 、難 民 認 定 申 請 中 の人 や 申 請 が 却 下
さ れ て 、就 労 も 帰 国 も 出 来な い 人 へ の 、生 活
費援助や医療費援助や渡航費用援助など
日本国籍児の国際養子縁組をしたあっせん
業者への実態調査及び報告会開催
(2007年1月∼2007年12月)
東京メソニック協会
福祉医療機構
補助、助成金額
16,650,000
円
5,000,000円
5,691,000円
405,000円
3,500,000円
2,301,000円
こ の 一 年 、会 員 に な っ て 下 さ っ た り 、ご 寄 付 を 頂 い た り 、そ の ほ か 様 々 な 形 で 、
ISSJを 支 え て い た だ き 誠 に 有 り 難 う ご ざ い ま し た 。 心 よ り 御 礼 申 し 上 げ ま す 。
相 宮 陽 子 、明 石 輝 男 、アナリザ・テサノ、飯 田 記 子 、池 田 一彦 、池 田 良 子 、石 井 マリー、石 川 佐 貴 子 、一 瀬 通
子 、逸 見 、伊 藤 陽 子 、今 井 裕 太 、岩 井 敏 、浮 谷 敏 夫 、内 田 貴 美 子 、内 田 エリ、梅 田 勝 利 、梅 村 、浦 田 真 智
子 、榎 本 まり、大 栗 ますみ、大 澤 三 奈 子 、大 島 賢 三 、大 谷 リツ子 、大 塚 医 療 長 寿 センター大 塚 方 子 、大 槻 弥
栄 子 、大 汐 章 、大 森 邦 子 、大 森 義 夫 、岡 崎 敬 子 、岡 本 愛 、岡 本 真 弓 、奥 沢 紫 草 、小 澤 一 江 、小 澤 正 幸 、小
澤 麻 知 子 、小 田 垣 陽 子 、小 野 幸 雄 、楽 木 章 子 、亀 田 和 子 、金 本 ラクエル、金 田 雅 紀 、川 村 庸 子 、菊 池 緑 、
菊 地 和 美 、岸 槌 好 夫 、岸 田 節 子 、衣 笠 孝 子 、楠 木 チェリー、工 藤 栄 子 、栗 田 小 百 合 、栗 原 恭 子 、呉 ロータリ
ークラブ、黒 田 礼 子 、香 本 左 代子 、後 藤 静 子 、香 本 佐 代 子、小 堀 佐 代 子 、小 柳 ミルナ、小 山 良 子 、坂 本アナ
リザ、坂 本 悦 子 、桜 東 京 パイロットクラブ、佐 藤 フミコ、澤 田 田 鶴 子 、澤 村 美 佐 子 、三 瓶 敦 子 、シサワ・トーン、シ
サワ・ブアライ、新 谷 淳 子 、下 岡 幸 子 、下 岡 正 英 、下 世 古 順 子 、末 綱 隆 、杉 丸 譲 二 、菅 沼 邦 子 、摺 澤 豊 子 、
実 践 倫 理 宏 正 会 、鈴 木 節 子 、鈴 木 康 弘 、鈴 木 節 子 、住 吉 百 合 子 、瀬 尾 登 喜 子 、関 口 智 子 、ソガ・アイダ、
惣 引 マリー、高 砂 美 代 子 、高 瀬 正 枝 、高 田 早 江 子 、高 橋 、高 橋 里 江 、高 橋 史 子 、竹 内 幸 子 、竹 内 峯 子 、竹
田 尚 子 、多 田 紀 子 、立 川 敦 子 、土 本 保 寛 、チューリップの会 萩 原 さゑ子 、寺 垣 浩 一 、東 京 京 浜 ロータリーク
ラブ、東 洋 埠 頭 株 式 会 社 、戸 田 喬 大 、戸 田 弘 子 、内 藤 信 子 、長 屋 恵 子 、中 村 紀 子 、中 山 八 枝 子 、楢 崎 千
恵 子 、成 毛 彩 、成 毛 ミチ子 、西 岡 智 子 、西 端 洋 子 、野 村 郁 子 、橋 田 ニキ、橋 元 雅 司 、畑 田 留 美 子 、花 田 ジョ
セリ、林 知 恵 子 、林 美 紀 、原 清 美 、(株 )ピー・エフ・ビー、平 尾 賢 三 郎 、平 川 恒 久 、平 川 秋 次 、平 田 八 重 子 、
深 津 、福 士 敬 子 、福 田 昭 二 、福 田 桂 子 、福 田 昭 二 、福 田 多 喜 二 、不 二 聖 心 女 子 学 院 中 学 校 ・高 等 学 校 温
情 の会 委 員 会 、不 動 ユリ、古 林 けい子 、フルヤ・ベルヒリア、細 井 純 子 、細 矢 次 子 、ボンディ・バンシサノム、前
田 武 昭 、松 村 祥 子 、松 本 佑 子 、三 上 登 與 子 、水 田 順 子 、水田 泰 子 、御 手 洗 美 智 子 、三 菱 マテリアル株 式 会
社 、宮 脇 由 利 、 向 キャロル 、向 真 里 、森 恭 子 、森 脇 小 美 子 、安 田 恭 子 、山 川 恵 子 、山 口 要 子 、山 崎 喜 美
子 、山 下 佐 阿 利 、山 本 アラセリ、山 本 譲 二 、山 野 井 幸 子 、湯 上 冷 子 、湧 口 規 好 、横 田 雅 史 、吉 田 雅 子 、米
田 和 子 、脇 田 節 子 、脇 屋 蓉 子 、渡 辺 章 子 、渡 邉 哲 、渡 辺 正 子 、渡 辺 ナタニー、渡 辺 美 香 子
(敬 称 略 、あ
いうえお順 )
資
料
■相談ケースの内訳
2007 年度相談ケース
ケース数
新規受付相談数
732
新規オープンケース数
136
再開ケース数
11
継続相談ケース数
521
当年度内取扱総ケース数
1400
■相談援助ケースの主たる問題別相談回数とケース数
主たる問題
国際養子縁組、里子里親養護
相談回数
ケース数
6925
621
国際結婚・離婚のカウンセリング
176
33
国籍の問題
808
74
認知に関する問題
123
25
52
13
送還問題
913
86
滞在手続
177
29
家族の再会
452
46
福祉行政
109
9
32
9
医療に関わる問題
263
9
就職
163
21
0
0
17
3
6
1
子どもの虐待、養育問題
精神的問題
日本語教育
行方不明者探し
教育問題
財産相続
37
7
翻訳、文書作成
551
124
情報提供
148
35
刑事事件
9
2
36
4
人材育成
0
0
難民問題
1313
199
氏の変更
122
38
66
12
12498
1400
生活適応援助
その他
合
計
■ケースで関係した国名
今年度に当事業団が関わった国は次の54カ国である。
アフガニスタン
アメリカ
アルゼンチン
イギリス
イタリア
イラン
インドネシア
ウガンダ
エチオピア
エルサルバドル
オーストラリア
オランダ
カナダ
カメルーン
韓国
カンボジア
北朝鮮
ギニア
キューバ
ギリシャ
ケニア
コソボ
コンゴ
シンガポール
スイス
スウェーデン
スーダン
スペイン
スリランカ
タイ
台湾
中国
チリ
ドイツ
トーゴ
トルコ
ナイジェリア
ニュージーランド
ネパール
パキスタン
バングラデシュ
フィリピン
ブラジル
フランス
ベトナム
ペルー
ボリビア
マリ
マレーシア
南アフリカ
ミャンマー
メキシコ
ラオス
リベリア
■ケース相談持込・紹介機関
今年度内新規受付相談は 732 ケースあり、その持込・紹介機関は次の通りである。
ケース相談持込機関
外国政府機関・在日大使館
日本政府機関
ケース数
177
省庁・都道府県・市区町村
26
在外日本大使館
15
家庭裁判所
児童相談所・福祉事務所・保健所
地方入国管理局・警察
米軍関係(基地相談機関等)
8
27
3
1
国連・国際機関
29
医療機関
0
学校・教会・民間団体
25
出版物・マスコミ報道・ISS 広報
79
弁護士
4
友人・知人・家族・本人
322
ISS 本支部・コレスポンデント
その他
15
1
合
計
732
役員(2008 年 3 月現在)
理 事 長
岩井
常務理事
大森邦子
理
梅田勝利
大槻弥栄子
前田武昭
松本哲郎
高尾幸治
菅原善昭
事
監
事
評 議 員
敏
三好武文
鳥居淳子
原澤政純
吉永通憲
アラン・ヴァクジャル
飯島澄子
池田千鶴子
小野幸雄
神田憲次
遠山明良
右谷亮
顧問
佐藤皓一
大島義郎
海沼美智子
御手洗美智子
吉永しのぶ
森祐次
大谷リツ子
園田天光光
坂本光彦
久保田実
ソーシャルワーカー、ケースエイド(2008 年 3 月現在)
大森邦子
寺崎敬子
相宮陽子
江部由里
大場亜衣
小笠原健樹
成毛彩
細井純子
広重喜徳
伊東優子
伊部亜理子
小沢一江
日原智秋
榎本まり
小林奈津子
水谷真由美
知本哲郎
米田英里子
渡辺ナタニー
社会福祉法人
日本国際社会事業団
International Social Service Japan
本部:〒153-0051 東京都目黒区上目黒 3-6-18 西村ビル 601 号
TEL:
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ビューポートくれ 2 階
国際交流広場内
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FAX:
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