◇ 小特集 原爆表象の六〇年代と三島由紀夫 山﨑 義光 純文学論争、SF映画・小 説と三島由紀夫『美しい星』 は じめ に 純文学論争と三島由紀夫の 文学観 い 星 』 を 照 射 し、 同 時 代 的 文 脈 か ら 考 究 す る こ と と した い 。 一 純文 学論 争 は、 戦 前 に お け る 国 民 大 衆 雑 誌『 キ ン グ 』( 一 九 二 五 年 創 刊 大 日 本 雄 辯 會 講 談社 )の メ デ ィ ア 戦 略 に つ い て 分析 した 佐 藤 卓 己 ラ ジ オ 放 送 の開 始 ・ ト ーキ ーの 登場 と足 並み を揃 え、 老 若 男 女の 別 な く 読 ま れ る 「 ラ ジ オ ・ ト ー キ ー 的 」「 国 民 大 衆 雑 誌 」と し て ズ ム が 発 展 し た と い う パ ラ ダ イ ム 図 式 が あ り、 丸 山 真 男「 日 本 フ 戦 後 の フ ァ シ ズ ム 批 判 に は 、 高 級 文 化 /大 衆文 化の 間 隙 に フ ァ シ の 『キ ン グ 』 が 普 及 し た 動 態を 克 明 に 論 じ てい る 。 その な か で、 衆 文 化 等 々 の 区 分 を 超 え た 多 様な 表 象 行為 を 視 野に 、 三 島 由 紀 夫 ァ シ ズ ム の 思 想 と 運 動 」(『 尊 讓 思 想 と 絶 対 主 義 』 白 日 書 院 本 稿 で は 、 一 九 六 〇 年 前 後 に お け る 小 説 ・ 映画 、 高 級文 化 / 大 の 文 学 観 と作 品 を 軸 と し な が ら、 原 水 爆に よ る 破 局 可 能 性 がも た な ど に 引 き 継 が れた と指 摘 。 こ の パ ラダ イ ム は、 イン テリ = 岩 波 『現代政治の思想と行動 』未来社 「 ド イ ツ や イ タ リ ア に 比 し て も 一層 低 級 かつ 荒唐 無 稽な 内 容 」 と 文 化の 免罪 とし て 機 能 した とと も に 、 問 題は 「 日 本フ ァ シズ ムを → 1948 ) 1955 ら し た 、 世 界 像 と実 存 の 関係 の 表 象 に 着 目 し て 諸 作 品 を 比 較 検 討 の 発端 とな った 平 野 謙 の 文 学 観 と 三 島 の 文 学 観 を 対 照 し 、 純 文 学 な か で 浮き 彫 り に し て み た い 。 以 下 本論 で は 、 ま ず、 純 文 学 論 争 切 り捨 て た こ とで 、 そ の 後 の フ ァ シ ズ ム 研 究 が 『キ ン グ 』 の よ う )や岩波新書『昭和史』 ( 1957 す る 。 それ を通 じて 、 三 島由 紀 夫 『 美 し い 星 』 を 同時 代の 文 脈 の 論 争では視野の外におかれた SF小 説への三島の着 眼に着目す に 向 か う 道 を ふ さ い だ こ と に あ る とい う 。 な 大 衆 雑 誌 の 分 析 」、 す な わ ち 、 亜 イ ン テ リ = 講 談 社 文 化 の 分 析 高 級 文 化 / 大 衆 文 化 とい う 対 照 ・ 区 別 を め ぐ る 問 題 提 起 は 、 日 場 の 孤 独 』 を と り あ げ 、 そ れ とS F 映 画 を 題材 ・ 構 造 ・ 形 象 化 の 観点から比較して 〝世界の不幸と庶民の生活 〟という構図を浮き 返さ れ る 。 戦 前 に は 、 プ ロ レ タリ ア 文学 派に お け る 芸 術 大 衆 化 論 本の 文学 史 にお い て も、 一九 二 〇 年代 か ら 戦 後に いた るま で 繰 り る 。 戦 後 、 世 界 像 と実 存 の 関 係 を 描い た 作 品 と して 堀 田 善 衛 『 広 人 間 の 変 容 とい う 仮 説 に よ る 思 考 実 験 を 展 開 した S F 小 説 と し て 彫 り にす る 。 そ して 、 同 様の 構図 をも ち な が ら も 、 よ り積 極 的 に と す る 文 壇 と ジ ャ ー ナ リ ズ ム 論 、 純 粋 小 説 論 な ど が ある 。戦 後の 争 、 大 宅 壮 一 「 文 壇 ギ ル ド の 解 体 期 」(「新 潮 」 )を は じ め 1926.12 同 時 代 の 諸 テク スト と の 共 通 性 と差 異を 比較 す る 観 点か ら 『 美 し 小 松左 京『日本アパ ッチ 族』 を とり あげる。 その うえ で、 それら 50 (1) 争 、 五 二 年の 国 民 文 学 論 争 、 五 三 年の 文 壇 ジャ ー ナ リ ズ ム 論 争 、 こ う し た 論 点 を含 んだ 論 争 を あ げて み る と 、 四 九 年 の 風 俗小 説論 と評 価 の 限界 を指 摘 し た も の だ っ た と 言え る 。 核の 傘の 下 での 高 純 文 学 / 大 衆 文 学 とい う ジ ャ ン ル 分け を 前 提 と した 「 文 学 」 理 解 級 論 的 な 対 立 構造 が あ い ま い 化 す る 大 衆 消 費社 会 化 現 象 を 前 に、 度 経 済 成 長 期 を 迎 え 一億 総 中 流へ 向か う 日 本の 六 〇 年 代 に お い て 五 九 年 の 政 治 小 説 論 争 な ど が ある 。 こ の 間 、 五 六年 に 石 原 慎 太 郎 「 太 陽 の 季 節 」、 五七 年 に 深 沢 七 郎 「 楢 山 節 考 」 が 発 表 さ れ 、 小 に は 、 吉 本 隆 明 が「 プ ロ レ タ リ ア 文 学 運 動 と 理 論 を 批 判 的 に 検 討 「 文 学 」 理 解 の 枠組 み も あら た な 視座 を 必 要 と し てい た 。 六 一 年 する仕事に、じぶんで見切りをつけ」、『言語にとって美とはなに 説 家 を 輩 出 す る 機構 と し て の 文 壇 の 役 割が 低 減 し た と い う 文 壇 崩 講 談 社 刊)な ど が、 井上靖 や 1962.1 壊論 も あら た め て 語 られ る 。 そ し て 、 六 一 年 の大 岡 昇 平『 常 識 的 → 1961.1-12 学 」 評 価 の 新 しい 基 準 を 打 ち 立 て よ う と した こ と に 発す る 。 こ の か 』 を 書 き 始 め てい る 。 こ れも 、 そ う し た 社 会 変 容 を ふ まえ 「 文 文学論 』(「群像 」 松 本 清 張ら の 中 間小 説 ・社 会 派 推理 小 説 に批 判 的 に 言 及 す る 動 き 連載の最中に、三島『美しい星』 ( も ある な か で 、 六 一~ 六二 年に 純 文 学 論 争 が 起 こる 。 こ れ ら はほ が 発 表 さ れ、 これ らの 作品 を ふ ま え て 奥 野 健 男 がプ ロ レ タリ ア 文 ) 1962 と んど 高 級文 化の 側に 視線 を向 けた 「 純 文 学 」 の 危 機 と して 論 議 、安部公房『砂の女』 ) ( 1962 さ れ 、 ま た 文 学 の 領 域 に 限 定 さ れ た も の だ った 。 )である。平野は、大正末か ら昭和初期 ( 二〇~ 1961.9.13 「 大衆 文学 」 三〇年代)に出版ジャーナリズムの拡大にともない、 発刊十五 周年にあたって書かれた平野謙「文 芸雑誌の役割 」(「朝 観 を 提 示 し て い た か 。 五 七 年、 三 島 は ミ シ ガ ン 大 学 で の 講 演 「 日 の よ う に 戦 後 の 「 文 学 」 を め ぐ る 状 況 を 認 識 し、 ど の よ う な 文 学 てい る 。 )も お こ っ 1963 が 隆盛 す る な か で、 それ ら と差 異化 す る 概 念 と し て 私 小 説 を 中 核 本 文 壇 の 現 状 と 西 洋 文 学 と の 関 係 」(「 新 潮 」 学 理 論 は 破 産 し た と 述 べ 、「 政 治 と 文 学 」 論 争 ( と した 「 純 文 学 」 概 念 が 定 着 し た と 、 そ の 歴 史 性 を 指 摘 し、 こ の で 截 然 と 区 別 さ れ てい た 純 文 学 と大 衆 文 学 の 区 別 が 、 戦 後「 その さ て 、 こ う した 論 点 が く りか え さ れ た 六 〇 年 前 後 、 三 島 は 、 ど )で 、 戦 前 ま 1957.9 述 べ て い る 。「 この 現 象 は 主 と し て 昨 年 か ら 始 ま つ た の で 、 昨 年 51 純文学論争の直接のきっかけとなったのは、純文学雑誌「群像 」 意 味 で の 「 純 文 学 」 が あい ま い 化 し て い る とす る 。 こ う した 現 状 し文 学評 価の 基準 が「 あい ま い 」 化 し てい る と 日 本 文 壇 の 現状 を 間 の 垣 が 取 り 除か れ て 、 中 間 小 説 とい ふ新 しい ジャ ン ル が 発 生 」 井 上 靖 の 歴 史 小 説 、 松本 清 張 ・ 水 上 勉 ら の 社 会 派推 理 小 説 の 欠 点 ど ア メ リ カ にお け る エ ル ヴィ ス ・ プ レ ス リ ー の や う な 爆 発 的 人 気 夏石原慎太郎の「太陽の季節」といふ小説が発売され」、「ちやう いた「楢山節考」といふ小説が現はれ」、「さらに今年に入つて原 をつくり」、「次いで去年の暮あたりから深沢七郎といふ新人の書 主張 し てい た 散 文 芸 術 論 、 散 文精 神 論 を 軸 と して 五 〇 年代 か ら 練 日新聞」 張す る 。 この 視 点 か ら 、 広 津 和 郎 「 松 川 事 件 」 を評 価す る 一方 、 を ふ ま え 、 文 学 は 社 会 との ア ク チ ュ ア ルな 関係 を も つ べ き だ と 主 (4) を指摘 した 。こう した 平野の文学史観は、戦前か ら広津和郎が 平 野の 指 摘 は、 資 本 家 と 労 働者 、 知 識 人 と大 衆 と い った 社 会 階 り 上げ られ てい る 。 (3) (2) 田康子といふ新人の「挽歌」といふ小説」が「人気を博し」、「か 水爆 によ る破 局、 社会的な 事件・ 出来 事が、プ ロ ットや 形 象を 構 高 級文化/大 衆文 化という 区分にかか わりなく、戦争の 記憶、原 六 〇 年 前 後 の S F 的 な 題材 を あ つ か った 特 撮 映 画 と 文 学 に は 、 成す る 主 要 な モ テ ィ ー フ と し て 取 り入 れ ら れ て い る 。 そ う した 題 う い ふ こ とか ら 、 戦 前 な ら 一 定 の ワ ク が あ り、 一 定 の 標 準 が あつ り、 それ に よ つ て 規 格 品 の評 価 が ぐら つ い て き て、 さ うい ふ意 味 ジ ラ 」( 製 作 ・ 田 中 友 幸 、 監 督 ・ 脚 本 ・ 本 多 猪 四 郎 、 原 作 ・ 香 山 滋 、 材 を あつ か った東 宝 映画 をい く つか あ げ て み よ う 。五 四 年「 ゴ た ところの小 説の技術的水準とい ふものの評価 があい まい にな 一 面 い へ る の で あ り ます 」 と 述べ て い る 。純 文学 論争 で 平 野が 示 で の 検 閲 機 関 で あつ た 文 壇の 権 威 が 崩 壊 し つ つ あ る と い ふ こ と は 興 味を 指標 に 見て とる こと がで きる 。 性 に 対 す る 認 識 が 平 野 とは 異な る 。 その こ と は、 三 島 の S F へ の し た 状 況 認 識が こ こ に は す で に 含 ま れ て い る 。 だ が 、 文 学 の 可能 、 五 八年「 美女 と液 体人 間 」( 監 督 ・ 本 丘 見 丈 二 郎 、 脚 本・木 村 武 ) 、 五 七 年 「 地 球 防 衛 軍 」( 監 督 ・ 本 多 猪 四 郎 、 原 案 ・ 監 督 ・ 黒 澤明 ) 、 五五 年「 生 きも のの 記 録 」( 製作 ・ 本 木 荘 二 郎 、 脚本・ 村田武雄 ) 一 方 、 こ の 時 期 ジャ ン ル と し て 確 立 し つ つ あ っ た 日 本 の S F 小 説 純 文 学 論 争 で は、 中 間 小 説 ・ 社 会 派推 理小 説 が と り あ げら れ る SF 映画 ・S F小 説 、「 モ ス ラ 」( 製 作 ・ 田 中 友 幸 、 監 督 ・ 本 多 猪 四 郎 、 原 作 ・ 中 村 村武) 、 六 一 年 「 世 界 大 戦 争 」( 監 督 ・ 松 林 宗 恵 、 脚 本 ・ 八 住 利 雄 、 木 一) 、「 電送 人 間 」( 製 作 ・ 田 中 友 幸 、 監 督 ・ 福 田 純 、 脚 本 ・ 関 沢 新 村武 ) 「ガス人間第一号 」(製作 ・ 田中友 幸、監督・ 本多猪四郎 、脚本・ 木 、六〇年 (監 督・本多猪 四郎 、原作 ・丘見丈二 郎 、脚本 ・関沢新一 ) 、五九年「宇宙大戦争」 多猪四郎、原作・海上日出男 、脚本・木村武 ) 関 係 へ の 積 極 的 な 言 及も な く 、 あく まで 「 文 学 」 の な か で の 純 文 につ い て は 言 及 がな い 。 文学 と映 画、 テ レビ ある い は マン ガ と の 「 ゴ ジ ラ 」 以 降 、 原 水 爆 が も た ら す 世 界 の 破 局 可 能 性 と、「 人 真一郎、福永武彦、堀田善衛、脚本・関沢新一)などがある。 間 」を 地 球 環 境 の な か の「 人 類 」 と して と らえ る 枠 組 み が特 撮 映 化 が 進 行す る な か で 、 ある べ き 「 文 学 」 理 念 を め ぐ って 議論 が 交 学 / 大 衆 文 学 と い う ジャ ン ル の 区 別 が 問 題だ った 。 大 衆 消 費 社 会 わ さ れ て い た こ の 時 期 は 、 大 正 末 か ら 昭 和 初 期 に か け て 登 場 した 液 体 人 間 、 ガ ス 人 間な ど 映画 も あ ら わ れる 。 これ ら は 、 総 じて 、 人 間が 生み 出 した 科学 技 をえ がい た の者 に 変 形 した 人 間 画 に 繰 り 返 し 取 り 入 れ ら れ て い る 。 そ し て 、「 人 間 」 なら ぬ 異 形 ― ラ ジ オや 映画 がす っか り定 着 し 、 五 三 年か ら は テ レ ビ 放 送も 開 始 映画 は テ レビ に 映 像 文化 の 中 心的 な座 をお び や かさ れ 、 そ れゆ え びやかす 異形の者を出現させる という空想を享楽的に形象化し 術 の 発 達 が 「 人 間 」 社 会 を 混 乱 や 破 局 に み ち び き 、「 人間 」 を お ― さ れ て 、 ラ ジ オ や 映 画 は む し ろ テ レ ビ との 対抗 を迫 ら れ て い た 。 に、 ワ イ ド 画 面 に天 然色 、 ダ イナ ミ ッ クな 音 響を 売り にす る こ と 一 方、 これ ら S F的 特 撮 映 画 に お く れ て 、 日 本の S F小 説は ジ た。 で 差 別 化 を は か っ て い た 。「 文 学 」 も ま た 、 新 た な メデ ィ ア が 登 と にな る 。 場 し、 表 象 手 段 が 多 様 化 す る 大 衆 消 費 社 会 化 に さ ら さ れ て い く こ 52 (5) い ふ だ け の こ と だ か ら 、 笑 は せ る 。」 と、 純 文 学 論 争 に 軽 く 言 及 ら う 、 と い ふ 話 」 を 林 房 雄 と 交 わ した こ と を 紹 介 し 、 林 が 「 立 派 し な が ら 、 自 ら の 文 学 観 を 述 べ て い る 。「 純 文 学 の 定 義 と は何 だ な 美 しい 作 文 で な け れ ば な ら な い 」 と 言 っ た こ と を 受 け て 次 の よ 、 『SFマガジン』 ャンルとして成立する 。雑誌『宇宙塵』( 1957 ) )の創刊により、日本におけるSF小説がジャンルとして定 1959 着しはじめ、小松左京や星新一、筒井康隆らの作家が登場する 。 ( 日本においてSFがジャンルとして定着する以前から、安部公房、 子猫の話でもよし、碁将棋の話でもいい。しかし第一条件は、 りきたりの情事であつてもいいし、又、殺人であつてもいい。 そ の 危 険 物 と は、 美で もい い し 、 家 庭 の 平 和 で もい い 。 あ じがなければならない、と思ひます。(中略) 扱 の き は め て 危 険な も の を 作 者 が 敢 て 扱 つ て ゐる 、 と い ふ感 る 、 ふ つ う の 奴 な ら 怖 気 を ふ る つ て 手 も 出さ な い や う な 、 取 「 そ の 上、 純 文 学 に は 、 作 者 が 何 か 危 険 な も の を 扱つ て ゐ う に 言 っ た と述 べ て い る 。 )は 原 作 を 中 村 真 一 郎 、 福 永 武 彦 、 堀 田 善 衛 が 書 く 1961 武田泰淳らもSF的な発想による小説作品を書いており、映画「モ ス ラ 」( な ど、 い わ ゆ る 「 純 文学 」作 家 た ち も 関 わ っ て い る 。 六 〇 年 前 後 は、 日 本 に お け る S F 映 画、 S F 小 説 の 隆 盛 期 な の で ある 。 )な ど で 犯 罪 者 を 主 人 公 と した 作 品 は 1956 純 文 学 論 争 と 三 島 由 紀 夫 ・ 安 部 公 房の 文 学 観 三 島 は 、『金 閣 寺 』( に し な か っ た の に 対 して 、 幻 想 ・ 怪 奇 ・ S F に 可 能 性 を 見 出 し て は ます ます 専 門 的 に な り 、 お い それ と手 も 出 せな い も の に な 危 険 で あ る か ら 、 取 扱に は微 妙な 注 意 が 要 り 、 取 扱の 技 術 それ が危 険な こ とで ある 。 い た 。 六二年には、SF映画、小説と題材を共有しながら、 「概 然 的 に 文 体 の 問 題 が 生 ず る 。 純 文 学 の 文 体 と は 、 お そ ろ しい る 。 作 家 に とつ て 、 技 術 と は 要 す る に 言 葉 だ か ら 、 こ こ に 必 書い てい た も の の ジ ャ ン ル と して の 推 理小 説 に は ほ と んど 一顧 だ わせようとしたところに、『美しい星』が書かれることになる 。 観的な世界像」と実存との関係を、宇宙人の形象によってむすびあ 純 文 学 論 争 が お こ な わ れ 、 他 方 で 、 特 撮 映 画 が 隆 盛 し、 日 本 に ろ に 光 る 繊 細 な 器 具 の 尖 端 ま で 、 扱 ふ 人の 神 経 が ピ リ ピ リ と 爆 発 物 を つ ま み 上 げる ピン セ ッ ト み た い な も の で、 その 銀 い 「 危 険 な こ と 」 を 扱 う 「 技 術 」 は 「 言 葉 」 で あ り「 文 体 」 だ と 行き届い てゐなけ ればなら ぬ。 述べ てい る が、 三 島 の 文 体観 に照 ら し て も 、 こ こ でい う「 危 険 な お け る S F ジ ャ ン ル が 確 立 した こ ろ に 『 美 しい 星 』 は 発 表 さ れ て 「 私は 近 ご ろの )で 三 島 は 、 1962.6 いる。六二年一~十一月号「新潮」に『美しい星』連載中、「「純 文 壇 論 争 の ご と き も の に 全 く 興味 がな い 。 純 文 学 が 変 質 し た の 、 こと」 とは、 広義に 〝批評的 文 学 」 と は ? そ の 他 」(「風景 」 ア ク チ ュ ア リ テ ィ が ど う か う した の 、 と 一 人 が 言 へ ば 一 人 が か み 理 解で きる 。 三 島 は 、 沼正 三 『 家 畜 人 ヤプ ー 』(『奇 譚 ク ラ ブ 』 か ら連 1957.12 で あ る こと 〟を意味 す る と critical つ き、 一 犬 虚に 吠 え て 万 犬実 を 伝 ふ る の 如 き 状 況 だ が 、 そ の 大 本 は 、 推 理 小 説が 売れ す ぎ て 、 純 文 学 が 相 対的 に 売 れ な く な つ た と (10) 53 (7) (6) (9) (8) 『美しい星 』 載)をいちはやく発見して評価したことでも知られ、 て い た S F小 説へ の 三 島 ・ 安 部 の 着 眼 は、 平野 的 ア ク チ ュ ア リ テ 示 しえ た か は 検証 が 必 要で ある が、 純 文 学 論 争 にお い て 無 視 さ れ 〟とい う構図 Stranger in Town 〟と 〝世界の不幸と庶民の Stranger in Town ィ と は 別 に 文 学 の 可能 性の 軸 を 提 示 し て い た と い え る だ ろ う 。 〝広場の孤独 幸福 〟という構図 〝広場の孤独 発 表 の 翌 六 三 年 九 月 号 の S F 雑 誌 『 宇 宙 塵 』 に は「 一S ・F ファ なSFが生 れることを 望んでゐる 。 それで 、(かう 傲 語してもよ い 二 ン の わ が ま ま な 希 望 」 の 一 文 を 寄 せ て 、「 私 は 心 か ら 日 本 に 立 派 、日本人によつ て書かれたSFには大てい目をとほし と思ふが ) を 完全 に克 服す る 最 初の 文 学 は S F で は ない か、 とさ へ 思 つ て ゐ て ゐ る つ も り で あ る 」 と 述 べ 、「 私 は 心 中 、 近 代 ヒ ュ ー マ ニ ズ ム る の で あ る 」 と も 述 べ て い る 。 の ち の 「 小 説 と は 何 か 」(「 波 」 争 の 段 階 、 米 ソ 冷戦 に よ る世 界 戦 争 の 常 態 化 と 進 展 し な が ら 、 「 世 界 」 は 、 欧米 と そ の 他 諸 地 域 と の 関 係 拡 大 の 段 階、 自 由 貿 )では、アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』 ( 1968.5-70.5 1953 易 主義 的 帝国 主義 の 段 階、 そ し て 植 民 地の 再 分 割 を め ぐ る 世 界 戦 邦訳は )に傑作として言及している。ただし、特撮映画に言 1964 及 した 文 献 は み あ た ら ず 、「 ゴ ジ ラ 」 を 評 価 し て い た ら しい とい う 話 が 伝 わる の み で あ る 。 イメージ さ ま ざま な 表 象 と コミ ュ ニ ケ ーシ ョン の回 路 に よ っ て 想像 的 に 構 成さ れる ことで、 地球 規模 での世 界という 像 と して定着 して 二年の六月に『砂の女』を刊行していた安部公房は、同年九月「S 際 情勢 は世 界 的 な 規模 で 政 治 ・ 経 済 が 緊 密 に 連動 し て う ご き は じ に お い て は 、 自 立 し た 「 日 本 」 とい う 像 が 後 景 化 す る 。 一 方 、 国 れ 、 核の傘の下 での 高度 経済 成 長期 をむ かえ た 六 〇年 前後の日 本 き た 。 敗 戦 後、 米 軍 占 領 下 で 民 主 主 義 に よ る 社 会 再 編 が お こ な わ Fの 流行について 」(「朝日 ジャ ー ナル 」)を発表 してい る。 そ のな す で に 「 R 号 の 発 明 」( 1953 )な ど の 短 篇 や 長 篇 『 第 四 間 氷 『 美 しい 星 』 と 同 じ 六 )で S F的 な 発 想 の小 説 を 書 き 、 1958 か で 安 部 は 「 仮 説 を 立 て て 、 日 常的 な 既 成の 法 則 に 、 ま った く 別 め る 。 資 本 主 義/ 共 産 ・社 会 主 義の 東 西 イ デ オ ロ ギ ーに 導 か れた 期 』( の 法則 を 、 ど こま で 対 置 で きた か 」 が試 さ れる 「 仮 説の 文学 」で また 他方 で、 東 西 イ デ オロ ギ ー が 国 家 独立 の イ デ オ ロ ギ ー と し て 米ソ冷戦の下、朝鮮戦争やベトナム戦争、キューバ危機が生じる。 のナショナ リズムと混交されながら政治的抗争が繰り広げられ あ る こ と にS Fの 文 学 と し て の 可 能 性 が あ る と 論 じ てい る 。 その い と もい う 。 安 部 の い う 「 仮 説 」 は、 三 島 の「 危 険 な こ と 」に 近 ジさ れ る よ う に な る 。 そ う し た 国 際 社 会 像 が 生 じ な が ら、 その 極 み とし て 核 による 世 界の破 局 の 予感 ( 想像 )が、 対 立 しあう 関 係 る 。 そ し て 、 独 立 国 家に よ っ て 地 表 が 覆わ れ た 国 際 社 会 が イ メ ー 全 体 と して の 「 世 界 」 や「 人 類 」 を リ ア リ テ ィ を も った 世 界 像 に 説 」 を 提 示 す る S F 映画 が あ ら わ れ る こ とを 期 待 して い る 。 一 九 六 〇 年 前 後 の S F的 な 特 撮 映画 が 好 ん で 形 象 化 し た の は 、 い 認 識 で あ ろ う 。 安 部 は S F 映 画 に 対 し て も 同 じ 考 え か ら 、「 仮 怪 談・ 怪 獣 ・宇 宙 人 で あ っ た 。 それ ら が どれ ほど の 「 仮 説 」 を 提 54 (11) 意 味 で 言 え ば 、 疑 似 科 学 で あ れ 、 妖怪 ・怪 奇で あ っ て も か ま わ な 62 す る 。 それ は 「 世 界 」 を全 体像 と し て 対 象 化す る 視 座 の 生 成 を も っ た 。 テ ィ ル ピ ッ ツ と 別 れ 、 新 聞 社 に 泊 ま った 木 垣 が 目 にす る 電 び との 資 産 を 買い た た い て は 金 儲 け をす る 国 際 的 な ブ ロ ーカ ーだ また 一日 に数 十 本 も世 界 の 不 安定 を 伝 え て く る 電報 を 処理 し どもなく食もなく、夜の中を彷徨し死に果てているという時、 海 を越えたす ぐ向うの 朝鮮 では、何 十 万という 難民があて で ある 。 につくのだが、そこで思い浮かべられるのが次のような「不思議」 とい う 化 物 に 、 消 化 統 一 さ れ て し ま う こ と に な る 」 と 考 え 眠 り モン スタ ー 幣 が そ れ と 関 係 して い る の で は な い か と 思い 、 使 え ば 「 国 際 情 勢 をも た ら す お そ れ が ある こ と を 伝 え て い た 。 木 垣 は、 渡 さ れた 紙 で 多 額 の 金 を 売 却 し よ う と し て お り、 そ の た め に 世 界 中 で デ フ レ 信 は 、 ソ 連 が 澳 門 、 香 港 、 フ ラン ス、 ス ウ ェ ー デン な ど 外 国 市 場 マカオ 意味する。 ここでそうした戦後的な社会像・世界像と実存の関係をえがいた 小説を一つの指標にしてみたい。堀田善衛『広場の孤独』( ) 1951 である。この作品は、安部公房「壁―S・カルマ氏の犯罪」 ( 1951 ) )が受賞している。堀田善衛は、戦 1952 と 同 年 、 五 二 年 に 芥 川 賞 を 受 け て い る 。 翌 五 三 年 に は、 松 本 清 張 「或る『小倉日記』伝」( 争 末 期 の 上 海 に わ た り 戦 後 に か け て 上 海 に い た 。 武 田 泰 淳、 石 上 中央公論社刊)や『歯車』( 1952.2 玄一郎 とここで交流があった。『祖国喪失』( 1948-50に断続的に発 )をはじめ、戦中戦後の 1951 表、 上海 を 舞 台 に、 そ こ へ 集 ま っ た 国 籍 も 政 治 的 立 場 も 異 な る 人び と な が ら 、 な お 安 ら か な 妻 子 の 眠 り 顔 を 思い 浮か べ ら れ る と い う こ とは 、 やは り不 思 議 と 云 って い い 筈 で あ る 。 「 海 を 越 え た す ぐ 向 う 」 と感 覚 さ れ る 「 朝 鮮 」 で 「 何 十 万 とい と い う 「 国 際 情 勢 」の 出 来 事 と 、 日 常 空 間 に お け る 「 安 ら か な 妻 う難民があてどもなく食もなく、夜の中を彷徨し死に果てている」 れ に せよ 「 思い 浮 かべ られ る 」 とい う 感 覚 のな かで 、 そ のギ ャ ッ 子 の 眠 り 顔 」 とい う 二 つ の 隔た りの あ る 対 照 的 な 出 来 事 が 、 い ず プの感覚とともに結びつく「不思議」として受けとめられている 。 …… "Stranger in Town" 木 垣 は、 この 「 不 思 議 」 に小 説の 主 題 を定 め て い く 。 ― 対 応 し つ つ お の れ の 立 場 を 選 ぶ 。 様 々 な 事件 や 事 故 に接 して 任意の Stranger を 主 人 公に して 〈小 説 〉 を 書 い て み た ら ど う か 。 この 任 意 の 人 物が 、 周囲 の 交 叉 し 対立 す る 現実 に 55 の複雑な関係を複数の視点から描いている。また、六〇年代には、 )も書いている。この作品連載中の六 1963.10 原爆を 落 とした 爆 撃機の元 乗組 員をめ ぐる小説『審判 』(「 世界 」 /岩波書店 1960.1-63.3 一 年に 公 開 さ れ た 映画 「 モ ス ラ 」の 原作 を、 中 村真 一郎 、 福 永 武 彦とともに書くことになる点でも、「純文学」とSF映画・小説と の横断というここでの問題設定にとって格好の作家である 。 ナ チ に 追 わ れ て 亡 命 し 革 命 や 動 乱 の 起 こ った 場 所 で 逃 げ て い く 人 ッ ツ か ら 知 ら ぬ 間 に 一 三 〇 〇 ド ル も の 紙 幣 を わた さ れ る 。 彼 は 、 バレ ーで、 かつ て 上海で 知 り合った オー スト リア の男爵ティル ピ 立 ち 位置 を 考 え さ せ ら れ る 。 そ ん な 折 、 米 国 の 記 者 と 行 っ た キ ャ 勢 の 不 透 明 性 、 そ れ を報 道す る 記 事の 文 言 と事 件 に 対 す る 自 分 の 説 」 を 書 こ う と し 構 想 す る 人 物で ある 。朝 鮮 戦 争 を め ぐ る 世 界 情 な っ た 新 聞 社 の 渉 外 部 に 「 臨 時 手 伝い 」 と し て 勤 め な が ら 、「 小 『 広場 の 孤 独 』 の 主 人 公木 垣は 、 朝 鮮 戦 争 の 勃 発に よ り 忙 し く (13) (12) れ ば 、 そ れ ま で 任 意 の 飛 行 機 で あ った も の が、 その 位 置 に あ を 交 叉さ せ て 飛 行 機 の 位置 を 測定 す る よ う に 。 位置 が 決 定 す こ の 人 物 の 位 置 を 決 定 して ゆ く 。 つ ま り 電 波 探 知 機 が、 電波 選 ばれ た そ の 立 場 位置 が、 今度 は逆 に、 い わ ば 対角 線 的 に、 な い 「 任 意 の 人 物 」 =「 事 故 が 生 じ る 。 そ う し た 出 来 事 の 生 じ る 「 Town 」のなかで、 そ れ ら 出来 事の 側 か ら み れ ば偶 々 そ こに い て 翻 弄 さ れ て い る にす ぎ の 人 々の ふる まい に政 治的 経済 的 な 諸 力 が はた ら き な が ら 事件や が 語 ら れ る 。 様々 な 国 や 立 場 を も っ た 人 び と が あつ ま り 、 そ れ ら 世 に任 意の 人物 、 臨 時 的 に ち ょ っ と 雇 っ た とい っ た 人 物 と 中 間 層 、 イ ン テリ ゲ ン チャ の 形 象の 系譜 の な か に 位 置 づ け ら れ る と こ ろ で、 この 小 説 の 主 人 公の 形 象 は、 日 本 文 学 にお け る 都 市 せるという 構想である。 」 を、「外側の 現実の風を 描くこ Stranger とによって」、「魂」をもった「特定の人物」として浮かび上がら る或 る特 定 の飛 行機にな るように、この人 物 は位置決 定に よ っ て 、 任 意 の 人 物か ら 特 定 の 人 物 に な る 。 そ こ ま で を 先 ず 描 い うも の は 存 在し ない 。み な特 定の 人物 なの だ 。だ から 任意 だ ろう 。 漱 石 の 代 表 作 の 主 人 公 が「 高 等遊 民 」 で あ った の に 対 し く。 構で ある。これは普通の、生きた フィクシヨン の人物とは、全くの虚 で高 い 理 想を 抱 き な が ら も日 々 の 暮ら しと の 軋 轢に よ って 「 神 経 て 、 大 正 期 の 広 津 和 郎 「 神 経 病 時 代 」( しい 都 市 中間層 として の サ ラリ ーマン とい う 形 象 を得て 『 ある 病」 にお ちい る 「 新 聞 記 者 」 を 描 き、 昭 和 初期 に は浅 原六 朗が 新 )が 社 会 ・ 組 織 の 中 1917 人間 のあ り方 とは 逆で ある が、 逆 算す る こ とに よ っ て未 知数 せて い る 、 予 見 不能 の 地 域を は っ き り さ せ る 。 そ こを 照 射 す )の 諸 篇 を 書 い て い た 。 こ れ ら は 個 人 1930 次 世 界 大 戦 後 の 政 治 的 緊 張 と、 世 界 恐 慌 に よ っ て 顕 在 化 す る 世 界 工 人 係 の 高 重 、 そ れ に ダ ン ス ホ ー ル の 踊 り 子 宮 子 や ト ル コ 風呂 で は 、 こ う し た 大 正か ら 昭 和 初 期 に 都 市 中 間 層 と し て あら われ た イ 海 の ダ イ ナ ミ ズ ム の な か に 人 物 を 配 し て 表 象 した 。 『 広場 の孤 独 』 56 の X 、 す な わ ち 各 人を 特 定 の 各 人 と し て 他 か ら 別 様 に 成立 さ る こ と に 力 を 集 中す る 。 云い か え れ ば 、 颱 風 を 颱 風 と して 成 自 殺 階 級 者 』( 天 人 社 在の中心にあるらしい虚点を現実のなかにひき出してみれ 規 模 で の 経 済 的 連 動 性 が 高 ま る 社 会 環境 の 世 界 化 を 背景 に、 横 光 と し て の 内 面 に 焦 点 を 当 て て い る 。 こ う した 流 れ の な か で 、 第 一 ば、お れ は生身の 存在たる おれ を一層正 確に見極めうる ので 台 に 、 銀 行 員 の 参 木 や 貿 易 会 社 社 員の 甲 谷 、 甲 谷 の 兄で 紡 績 会 社 利 一 『 上 海 』( 改 造 社 こうしておれの存 立 さ せ てい る、 颱 風 の 中 心 に あ る 眼 の 虚 無 を 、 外 側 の 現実 の ― は な い か 。 予 見 不 能 の 地 域 、 颱 風 の 眼 、 そ れ は 人間 に あ って ば、呼びかえさねばならぬ。この〈小説〉の題名は、そうだ、 「任意の人物」が事件や事故に接し、そのなかでの「立場位置」 とい っ た 複 数 の 人び との 視 点 か ら 五 ・三 〇 事 件 を 描き 近 代 都 市 上 はた らく お 杉、 高重 の紡 績会 社の 工員で共 産 主義 運動 家の 芳秋 蘭 に よ っ て「 任意 の 人 物 から 特定 の 人 物に なる 」とい う小 説の 構想 する 。 ひとまず こ れ を 意 訳 し て 、 広 場 の 孤 独、 と Stranger in Town )が 書 か れ て い る 。 国 際 都 市 上 海 を 舞 1932 は魂 と呼 ばれ るも ので はな い か 。 も し それ が死 んで い る な ら 風 を 描 く こ とに よ っ て は っ き り さ せ る (14) ン テリ ゲ ン チ ャ の 形 象 化 の 系譜 、 な か ん ず く 横 光利 一の 方 法 を 継 と通底してい る。 そして、 国際 情勢 と日 常生活 (「水爆と長 火バ チ う 事 態 は、 堀 田の 「 広 場 の 孤 独 」 と い う 世 界 像 と実 存 の 関係 認 識 の ま は り の 家 族 の 団 欒 」)を む り に 結 ぼ う と す れ ば 、「 う す つ ぺ ら 承 し て い る 。 日 本 の 近 代文 学 史 の な か の 正 系 と し て 形 象 化 さ れ な 形 骸 に 堕 し て し ま ふ」 と三 島が 指 摘 して い る 地点 に S F 映 画 が てい る と 見な しう る こ の 主 人 公は 、 東 西 冷 戦 を 軸 に 起 こ る 動 乱 、 化 物 」(「 広 場 」 モ ン スタ ー 革 命 、 戦 争 が も た ら す 政 治 的 経 済 的 変 動 な ど 、「 国 際 情勢 とい う あ る と い え る だ ろ う 。『 広 場 の 孤 独 』 が 呈 示 し た 世 界 ( Town ・広 ・ 孤 独 )の 構 図 を 短 絡 的 に 図 式 化 し た 「 水 爆 Stranger 場 )と 実 存 )に 巻 き 込 ま れ な が ら 、「 人 間 性 」 の 根 拠 Town を 見失 い 、「 判 断停 止 」に お ちい って 自 ら の 生 を「 虚 構 」(任意 の ( と 長 火 バ チ の ま は り の 家 族 の 団 欒 」、 い わ ば 〝世 界 の 不 幸 と 庶 民 な の で ある 。 Stranger 人物)と感じ苦悩する「孤独」な きる。 ( ) 現以 前に 原爆 に よる 「世 界 」 像の 再編 を 描いた 小 説『 解 放 され た 第 一 次 世 界 大 戦 が 開 戦 す る 直 前、 H ・ G ・ ウ ェ ル ズ は 、 原 爆 出 世界の不幸と庶民の幸福という 構図 S F 映画 の幸福 〟という対照的な構図をSF特撮映画に見いだすことがで で あ る こ と の な か で 生 き る 実 存 とい う 、 世 界 像 Stranger 水 爆 戦 争 の 時 代 に 生 き て 」(「毎 日 新 聞 」 夕 ― 「 Stranger in Town 」 と い う 構図 、 す な わ ち 国 際 情 勢 と日 常 世 界が連動し不透明に連接された場 ( Town )に巻き込まれ客体化さ れた存在 ― と 実 存 の 関 係 は 、『 美 し い 星 』 が 連 載 さ れ た 年 の 年 頭 に 発表 さ れ )の三島の認識にも通底している。 1962.1.4 た「終末観と文学 刊 ― 世界 』( 1914 「戦 争と国家 と )を書いている。 The World Set Free い う 伝 統か ら 原 子 爆 弾の 恐怖 によ って 解 放さ れた 世 界 」 ― 羽 ばた い て ゐた 生 活 の 具 体 性 は 、 今 日 の 終末 観 を 宿 さ な い 限 を 描き 、 「新世界秩序」を想像的に追求した 。二十世紀的な「世 界 」像 は、 世 界 戦 争 が 現実 化す る 以 前に 予感 され て い た 。 こ の小 い は ゆ る い き い き と した 具 体 性、 か つ て 小 説 家 の 手 の 内 で り 、 路 傍 の 石 こ ろ の や う な 、 世 界 か ら 見 離 さ れ た 、 孤 立 した 具 体 性 に 変 貌 し て しま つ た 。 し か も 彼が 、 現 代の 終 末観 を 投 都 市 を破 壊す る と い う 着 想 の 映画 は、 三三 年の 「 キ ング ・ コン グ 五 四 年十 一 月 に 映 画 「 ゴ ジ ラ 」 が 公開 さ れ る 。 巨 大 生 物 が 現 れ 説 は以 後 のS F 映 画 ・ 小 説 の 主 要な テー マ を 提 示 し てい る 。 た、 一人の抜け目 のな い小 説 家が、 水 爆と長火 バチ のま は り 」、原爆を動因とした怪獣の出現という着想も五三年 King Kong て 水 爆 的 終 末 観 に 、 ヒ ュ ー マ ニ ズ ム で 対 抗 し よ う とす れ ば 、 の「 原子 怪 獣 現 わる 」 な どが あっ The Beast from 20000 Fathoms た 。 公 開 の 年の 三 月 に は 、 南 太 平 洋 、 マ ーシ ャ ル 諸 島 近海 ビキ ニ ら せた 死 の 灰 に よ っ て 、 日 本 の ま ぐ ろ 漁 船 第 五 福 竜 丸 が 被 爆 した 環礁でのアメリカの 水爆実験 (キャッスル作戦ブラボ ー実験)が降 「 生 活 」 が 「 世 界 か ら 孤 立 した 具 体 性 」 と し て 感 覚 さ れ る と い 時 代お く れ の 竹 ヤ リ 作 戦 と何 ら 選 ぶ と こ ろが ない 。 バ チ も、 う す つ ぺら な 形 骸に 堕 し て し ま ふ で あら う 。 さ り と の 家 族 の 団 欒 をむ り に 結 びつ け よ う と 試 み れ ば 、 水 爆 も 長 火 観 的 な 図 式 的 な 世 界 認 識 が 彼 に 襲 ひか か る の だ 。 あ る い は ま 影 し よ う と 試 み る と、 す べ て の 具 体 性 は 死 に 絶 え 、 冷た い 概 (16) 57 (15) れ るの で あ る 。 異 形 の 者 こ そ 登 場 しな い が 、 そ う した 構 図 が 典 型 的 な 映 画 に 、 事件が起きていた 。 ゴ ジ ラは 、 二 〇 〇 万 年 前 ジ ュ ラ 紀 の 地 層 に 生 息 して い た 生 物 と 訴え る日 本政 府と、 朝鮮 半島 三 八 度線 での 局 地 的衝 突 をは じめ 、 六 一 年 の 「 世 界 大 戦 争 」 が あ る 。 この 映画 で は 、 核 の 使 用 反 対 を 連邦 国 と 同 盟国 の 軍 事的 衝 突 の 危 機 や 、 誤 作 動 の た め に あ やう く した ゴ ジ ラが 都 市 を 破 壊 し、 逃 げ 惑 う 大 衆 の 姿 を 対 照 した ダイ ナ ミ ッ ク な 映 像 が 見 る 者 を ふ し ぎ に 魅 了 し、 ゴ ジ ラ は 人 間 社 会 の あ て 国 際 情勢 が 描 か れ る 。 一 方 、 ア メ リ カ プ レ スセ ン タ ーの 運 転 手 ミ サ イ ル が 発射 さ れ て し ま う 危 機 が 回 避 さ れ る エ ピソ ード に よ っ さ れ 、 水 爆 実 験 の 結 果 、 住 処 をう しな って 出 現 す る 。東 京 に 上 陸 壊 す る 。ゴ ジ ラ を 退 治 す る こ と の で き る オキ シ ジ ェ ン ・ デ ス ト ロ らゆ る 確執 や 闘争を 些末 な 出 来事 で ある かの よう に踏みに じり破 が 対照 的 に配 さ れ 、 冴 子 と 高 野 の 婚 約 が 幸 福 の 象 徴 と し て 配 さ れ と 、 そ の 家 に 下 宿 して い る 船 乗 り高 野 を め ぐ る 庶 民 生 活 の シ ーン る 。 核戦 争 の 危 機 が報 じら れ る 様 子 が 各国 の 新 聞 紙 面を 重 ね て い で あ る 田 村 と そ の 家 族 、 妻 お よ し、 長 女 ・ 冴 子 、 長 男 、 次 女 た ち る 。 戦 時 中 に 片 目 を 失 い 、 戦 争 の 記 憶 を 身 体 に 刻 ま れ 、( そ れ ゆ くシ ーン で構 成さ れた り、ニ ューヨーク、 ロン ドン 、 パリ、モ ス 思 い を 寄 せ る が、 恵 美 子 は 船 舶 会社 所 長 ・尾 形 の 恋 人に な っ てい え に ? )恋 に 破 れ た 天 才 科学 者 が 、 世 界 を 破 局 に 導 く か も し れ な イ ヤ ー を 発 明 し た 芹 澤 博 士 は、 古 生 物学 者 山 根 博 士の 娘 恵 美 子 に い自らの研究 成果もろともゴ ジラを殲滅し、ともに死 んでいく こ ク ワ とい っ た 各 国 都 市 の 風 景 ( の 模 型 )を 切 り替 え る 映像 の 効 果 と い っ た 怪 獣も の、 水 爆 実 験 の 放 射 能 に よ っ て 液 体 化 す る 人 間、 したのは、一言で言えば、 〝異形の者 〟である。ゴジラ、モスラ 対 照 的 に 表 象 さ れ る 。 しか し、 最 後 は 主 要 都 市す べ て に 核 ミ サ イ 示 さ れ る こ とで 、 危 機的 な 世 界 情勢 と日 本の 一般 庶 民 の 生 活 とが る 冴子 と高 野の 幸福 な 関 係 と 田 村 家 の 日 常的 な お 茶の 間 風 景 が 提 と し て、 平 板に 国 際 情勢 が表 象さ れ る 。 それ と対 照 的 に、 婚 約 す とに なる 。 そ して 宇 宙 人な ど 、 異 形 の 者 が 登場 す る 点に 特 徴 が ある 。怪 談も と そ れ に よ っ て 失 われ る 庶 民の 幸 福 と い う 構図 が典 型 的 な 映 画 で ル が打 ち こま れ 破 壊さ れ る 結末 で 終 わる 。 世 界 規模 で 生 じる 破 局 五 〇 ~ 六 〇 年 代 に盛 ん に 制作 さ れ た 特 撮 映画 が こ の ん で 形 象 化 の が 好 ま れ て い た こ と も 同 様 に 理 解 で き る 。 し か も 、「 ゴ ジ ラ」 感が異形の者の出現として形象化されている 。それと対照されて、 国 際 緊 張 を もた ら し 、 世 界 を 破 局 に み ち び く 可能 性 へ の 終 末 的 予 兵 器 と し て 核 が 開 発 さ れ 、 イ デ オ ロ ギ ー的 、 利 害関 係 的 な 対 立 が け 、 反 人間 的 な 形 象 と 破 局 の イ メー ジを 享 楽 す る と こ ろ に こ れ ら 民 の 幸 福 な 暮 し の ギ ャ ッ プ を 、 異形 の 者 の 到 来 に よ っ て む す びつ 射 能 に よ っ て 液 体 化 した 人 間 が 登 場 す る 。 危 機 的 な 国 際 情 勢 と 庶 能 性 が 日 常 生 活 を お び や か し 、 ゴ ジ ラ の よ う な 怪 獣 や 宇 宙 人、 放 異形 の 者 が 登 場す る 映画 で は 、 戦 争 の 記 憶 や 核 に よ る 破 局 の 可 ある 。 一 般 人 の 幸 福 な 生活 がお び や か さ れ る 。 好井 裕 明 も 指 摘す る よう 原 水 爆 映 画 と 呼 ぶ べ き 枠 組 み をも って い る 。国 家間 闘争 の た め の をはじめ「美女と液体人間」 「世界大戦争」などの代表的映画は、 に、 〝世界の不幸と庶民の幸福 〟として対照された枠組みがみら 58 (17) の 威 力 に 対す る 驚 異 と 平和 の 連呼 で は な く 、 生 き の び た 被 害者 の マ ・ ノ ー ト 』( こ う し た 特 撮 映画 の 定 型 と 対照 的 な の は 、 大 江 健 三 郎 『 ヒ ロ シ にお ける、 不 透明な国 際情勢と それに 客体 化さ れている 自ら の生 筆 舌 につ く し が た い 悲 惨 と、 な お か つ 生 き る こ と に 向 け ら れ た 倫 大衆娯楽映画は構成されている 。こうした構図は、 『広 場の 孤 独 』 を 虚 構 と 感 じ る 実 存 と い う 構 図 を 、 図 式 的 に 短 絡 化 した 構 図 だ と 受け る 人間 の 悲 惨な 姿 を みつ める 視 線 で あっ た だ ろう 。 好 井が 指 これ ら 一 連 の 娯 楽 映 画 に 欠け た 視 点の 一つ は 、 原 水 爆 に よ って ヴ ィ ジ ョン が 予 感 さ せる 人間 の 変 容 の 表 象 と の 連 続 性 へ の 言 及が を ふ く み な が ら 、 次 の よ う な 、 原 爆 被 害 者 の 現実 とS Fの 終末 的 理 的 な 生 の 姿 の 方 に む け ら れ る 。 その よ う な 視線 の 向 け 方 の 違 い )の 視 線 で あ る 。 大 江 の ま な ざ し は 、 原 水 爆 1965 いえ よう 。 摘 す る よ う に、 ゴ ジ ラは 、 ま ず は 水 爆実 験の 被 害 者 で 、 そ の 被 害 往 生 要 集 。 人 間 の 歴 史 の 永 い つ ら な りの あい だ 、 さ ま ざ ま な 世 界 の 終 り の 悪 し き 夢 がつ ねに 民衆 の 心 に宿 っ て き た 。 か ある。 は 、 単 に 得 体 の 知 れ な い 、 不 条 理 な 存 在で ある 怪 獣 にや られ た の 十 世 紀 後 半 の い ま 、 空 想 科学 小 説 に おい て継 承さ れて い る 。 つ て 宗 教 的 な 説 話 に ひ そ ん で い た 世 界 終 焉 の イ メ ー ジ は、 二 被 害 者 性 は あ ま り 前 景 化 し な い 。「 ゴ ジ ラ に 焼 き 尽 く さ れ た 生 命 者 が東 京 を 襲 う 加 害 者 とな る と い う 二重 性 が ある 。た だ ゴ ジ ラの と印象づける工夫がなされている。 ゴ ジ ラ は さ ら な る 破 壊的 威力 を も った オキ シ ジ ェ ン ・ デ ス ト ロ イ な 変 形を と げ て 、 つい に 人 間で ない 、な にや ら 異様 なも のに の は 、 人 間 の 血 と細 胞 に 荒 廃 が は じ ま り 、 人 間す べ て が 醜 怪 そ し て S ・ F が 提 出 す る 終 末 観 の う ち 、 も っ と も 恐 ろ しい も が奪 った 命な ので ある 」 で は な 」 く 、「 広島 や 長 崎 の と き と 同 じ よ う に 、 原 爆 が 、 原 水 爆 を 退 治 す る こ と に 急 な 周 囲 に 対 し、 生 物 学 的 な 解 明 を 主 張 し抹 殺 ヤ ー によ っ て抹 殺さ れる 。 こ う し た 物 語 の 構 図の なか で、 ゴ ジ ラ 民 衆 に 世 界 の 終 焉 の 実 相を 、 かい ま 見 さ せ る も の で あっ た に なるというイメージであろう。たしかに中世の疫病や戦乱も、 に 神 を 想 定 す る こ と も で き た し、 か れ ら の 絶 滅 後 、 か れ ら と ち が い ない 。 し か し 、 こ れ ら の 民 衆 は 、 か れ ら の 不 幸 の 背 後 被 害者 性 に 気 づ か せる 役回 りが ある 。 壮 麗 と も い う べ き 水 爆 実 験 の キ ノ コ 雲 の 映 像 で は じ まる 「 美 女 を た め ら う 古 生 物学 者 山 根 博 士 の 存 在 は 、 消 極 的 な が ら ゴ ジ ラの )の場合も、水爆実験で被爆した船員たちは、 1958 てい く が 、 ガソ リン をま か れ て抹 殺 さ れる 。 幸福 な 生 活 を お び や あ る 彼 ら は 故 郷 で あ る 日 本 に た ど りつ き 、 次 々 と 人 々 を 液 体 化 し 液 体 化 し て 人 間の 姿 形 を失 い 、 声 も も た な い 。 死 の 灰 の 被 害者 で い る よう に 思 わ れ る 。 か れ ら は す く な く とも 、 人間 と し て、 世 紀 以 前 の 終 末 観 に は 、 な ん と な く 猶 予 の感 覚が そな わ って 思 い 浮 べ る 余 裕 ま で う し な う こ と は な か った で あ ろう 。 十 九 は 別 の 民 衆 が、 土 地 を 耕 や し 海 に す な ど る こ と を 心 の 片隅 で と液体人間」( か す 異 形 の 者 と して しか 扱 わ れ な い の で あ る 。 原 水 爆 の 破 壊 力 と し か し 、 放 射 能 に よ っ て 細 胞 を 破 壊 さ れ 、 そ れ が 遺 伝子 を 人間の形と名において世界の終末をむかえるはずだったのだ。 視 点や 差 別 す る 視点 と も 不 可分 に 描 かれ てい る 。 そ れ が もた らす 悲惨 は、 その 異 形 性 ゆ え に 他 人 事 と し て 享 楽 す る 59 (18) ( )で ある 。日 本に お け る S F ジャ ン ル の 草 分け 的 存 在で あ 1964 左 右す る と き 、 明 日 の 人 類 は、 す で に 人 間 で な い 、 な に か 異 族』では、戦後の廃墟を起点に人類進化の可能性をえがいた 。 『復 る 小 松 は 、 六 四 年 に 二 つ の 長 編 を 発 表 し て い る 。『 日 本 ア パ ッ チ 活 の 日 』 は、 細 菌 兵 器 や 水 爆 の 開 発が 「 人 類 」 の 滅 亡 を も た ら す 様 な も の で あ りう る は ず で ある 。 それ こ そ が、 も っ とも 暗 黒 島で 二十 年 前 にお こ な わ れた の は 、 現 実 に 、 わ れ わ れ の 文 明 な、 もっ とも 恐しい世 界の 終 焉の 光景 で は ない か 。 そ し て 広 (とともに人類の滅亡を救うことにもなる)近未来をえがいた。 以 上 に わた っ て 再開 発 さ れ な い ま ま だ っ た 。 五 〇 年 代 後 半、 高 度 こ は 終 戦 直 前、 空襲 に よ っ て 破 壊 さ れ 瓦 礫 の 山 と 化 し 、 戦 後 十 年 『日 本 ア パ ッチ 族 』 は、 大 阪 砲 兵 工 廠 跡 を 舞 台 と し て い る 。 そ が、 も う 人 類 と 呼 ぶ こ と の で きな い ま で に 血 と細 胞 の 荒 廃 し 兆 候で ある か も しれ ない と こ ろ の、 絶対的な 恐怖 にみ ちた 大 経 済 成 長 を 迎 え、 鉄 の 需 要 高 を 背景 に、 屑鉄 を 掘 り 出 し て 売 る 人 た 種 族 に よ って しか 継 承 さ れ な い 、 真 の 世 界 の 終 焉の 最 初 の 巨 大 な も の と は、 す な わち その 可能 性 に ほ か な ら な い で あ ろ 殺 戮 だ った の で あ る 。 広 島 の 暗 闇 に ひ そ む 、 も っ と も 恐 しい た ち が こ こに 入 り 込 ん で 事 件 と な る 。 当時 、 西 部 劇 映画 で 知 ら れ この アパ ッチ をい ちは やく主 人公にした小 説が、開 高 健『日本三 て い た 北 米 大 陸 の 原 住 民 族 に な ぞ ら え 「 ア パ ッ チ 」 と呼 ばれ る 。 う 。(「エピローグ 広島から……」) こ こ で 大 江 は 、「 世 界 終 焉 の イ メ ー ジ 」 を 提 示 す る 「 空想 科 学 )で あ る 。 ま た 、 当 時 実 際 に 「 ア 1959.1-7 キムシジヨン を 賭 け て 』( 日 本 放 送 出 版 協 会 パク をはみ出す「人間」の変容をえがいたところにこそ「仮説の文学 」 る 。「 失 業 罪 」 と い う 新 しい 法 律 が で き 、 失 業 後 六 ヶ 月以 内 に 再 に よ っ て 権 利 よ りも 義務 が強 く 規定 さ れ た 一 九 六 * 年 の日 本 で あ 近未 来小 説 とし ての 枠組 み を もつ こ の作 品の 舞台 は、 憲法 改正 としての 特 質を もつ 。 した作品の一つをとりあげてみたい 。小松左京『日本アパッチ族』 60 小 説 」に 「 人 間 」 の「 変 形 」 へ の 予感 が書 き込 ま れ て い る こ と に パッチ」でもあり、開高の取材に 金 時 鐘と応じていた 梁 石日は、 も つ な がる 発 想 が あ る 。 S F が 提 示 す る 「 人 間す べ て が 醜 怪 な 変 ッチ族』は、同じく「アパッチ」をモデルにしながら、それをはる 『日本アパ )を 書 い て い る 。 1994.12 形 を と げ て 、 つ い に 人 間 で な い 、 な に や ら 異 様 な も の に な る とい 裕 河 は、 これ ら 一 連の ア パ ッ チ 物 語 の 系譜 を 在 日 朝 鮮 人 の 表 象 と かに逸脱した変形人間を形象化しているところに特徴がある 。 朴 (20) い う 水 準 で 論 じ て い る 。 し か し 、『 日 本 ア パ ッ チ 族 』 は 、 そ れ ユ ハ う イ メ ー ジ 」 にお の の き抗 しな が ら 、 被 爆 者 の 現実 を「 仮 説 」な のモラル 〟を構築する出発点にしようとする発想だからである。 らぬモデルとしてとらえ、未来に向けた 〝終末的ヴィジョンの中 ヤン ソ ギ ル 着 眼 して い る 。 大 江 は破 局 後 を生 きる 被 爆 者 の 現 在に 目 を 向け な 「アパッチ」の多くが在日朝鮮人であったことに焦点をあてて『夜 文 オ ペ ラ 』(「文 学 界 」 常 を 批 評 的 に 見 直 す とい う 安 部 公 房 の 「 仮 説 の 文 学 」 の 可 能 性 と が ら 、 そ の 人た ち の 姿 に モ ラ リ ス ト を 見 出す 。 こ こ に は 、 今 の 日 (19) は 逆 に 、 人 間 ・ 文 化 の 方 が 変 形 す る とい う 「 仮 説 」 に よ っ て 追 求 こ こ で 、「 人 間 」 の 終 末 を 、 異 形 の 者 が 人 間 に 抹 殺 さ れる の と 小 松 左京 『 日 本 ア パ ッチ 族 』 (21) った……ちっこうて、かわいいて、やさしいて ― 就 職 で き な け れ ば 「 追 放 地 」 に 送ら れ る 。 主 人 公の 木 田 福 一 は、 「 そ の日 本を 、 こ んな に し て もう て、 ず っと 昔、 い っ たい これ か 飛 田 で 買 うた 初 見 世 の 女郎 みた い や っ た … …」 ― この 法律 によ って 大 阪 城内 の追 放 地に 送ら れる 。何 もな い 瓦 礫の ら ど な い す る つ も り です ? 」 と 私 は 大 酋長 を ふ りか え って い 集 積 地で ある 追 放 地の 実 態 は 、 無 法 地 帯で あ り 、 銃 器 に よ って 命 も 狙 わ れ る 。 最 初 に こ こ で 出 会 っ た 男 は 、「 現 在 の 社 会 を 変 革さ 分 に 言 い 聞 か せ る よ う に い っ た 。「 こ ん な わ い ら を つ く り 出 「 わ い ら に 、 こ んな こ と さ せ た の は だ れ や? 」大 酋長 は自 った 。 ひねる せ る 戦 い 」 を 「 た っ た 一 人 に な っ て も そ れ を や る 」 と 言 う 、「 イ で ある 。 そ れ ゆ え に 追 放 地か ら の 脱 走 を 試 み る が 、 あ と 一 歩 の と ン テ リ で 有 名 な 大 学 を 出 て 」「 高 級 な 魂 」 を も っ た 闘 士 山 田 捻 し て し も う た ん はだ れ や ? 日 本 が生 み、 あ の き れい な、 た の しい 国 か ら 、 わ い ら を しめ 出 し て、 こん な も ん に つ く り か え て し もた ― と 私は 考 えた 。 ― 出 会う の が ア パ ッ チ族 で あ る 。 彼ら は、 食 料 の ない 追 放 地の な か こ ろで 門に 首を 挟 ま れ て死 ぬ。 それ を 見 て脱 走を 絶 望 し た 木 田が の は… … 」 ア パ ッ チの 国 ― こ れ は ア パ ッチ の 国 や。 これ か ら ア パ そ れ は ど ん な も の にな る の だ ろ う か ? ッ チが 国づ く り をは じめ ん なら んの やで 」 も うな い ん やで 。 ― い よ う な や さ し い 声 で い っ た 。「 さ あ 、 よ う 見 て み 。 日 本 は 「 キ イ コ 、た て …… 」 と 大 酋 長 は 、 か つ て きい た こ と のな 日 本 が ま ねい た も の だ ろ う か ? それ も日 本だ ろう か? で 屑鉄 を 食べ て生 きる 、 食 鉄 人 、 変 形 人間 た ち だ っ た 。 木 田 は 彼 ッ チ 族 は 反 乱 を 起 こ し、 ゲ リ ラ 戦 を い ど み 、「 日 本 」 を 破 壊 し 尽 ら に 同 化 し自 ら も 屑 鉄 を 食 べ て 生 き 延 び る 。 そ して 、 つ い に ア パ くす こと にな る 。 こ の 作 品 に も 、 異形 の 者 とい う 形 象 と 、 世 界 の 破 局 と 庶 民 の 幸 福 な 暮 ら し が 対 照 さ れ る 構図 が 見 て とれ る 。 原 水 爆 が 放 出 す る 放 戦 争 の 記 憶 と未 来 の 破 局 可 能 性 を は ら ん だ 「 追 放 地 」 と い う 場所 射 能 に よ っ て で はな い が 、 戦 争 機 械 と し て の 国 家 の な か に 過 去の 廃 墟 、 あ るい は 沃 私 は立 ち 上が れ ず 、 そ の目 はな お も 失 わ れ た 古 い 「 文 化 」の 「文化」も何もないところに、 ― を 想 定 し、 その な か か ら 異 形の 者 とし ての 変形 人間 ( 食 鉄 人 )が ― 幻 影 をさ が し も と めて い た 。約 束 の 地 木田 土。一望ただ食物ばかりの ― 現れる。とともに、「人間」の国家の破滅 (世界の不 幸)とささや か で 幸福 な「 人間 」の 日 常 生 活 へ の 郷 愁を はら んだ 欲 望 今、 この 私 は ま た も や涙 が あ ふれ る の を 感 じ た 。 ふ と ふ り あ おい だ と き 、 私 は自 分の かた わら に、 最 後の 落 ろうか ? ― の 先 、 この 廃墟 の み の世 界 で ア パ ッ チ た る こ と に た え う る だ 地 の 寸 土 か ら も 、「 文 化 」 の 痕 跡 の 消 え う せ た あ と 、 私 が こ ― い っ たい ど ん な喜 び が約 束 さ れて い る のか ? が随所に書 き込まれ対照され が も ら す 「 け つ ね う ど ん 」や 「 カ レ ー ライ ス 」 を食 べ た い な ど 食 ― への欲望や恋愛への郷愁など わいか て好きや る 。 そ して 、 ア パ ッ チ 族 が日 本国 と 戦 い 、 勝 利 し た あ との 場 面 は ― 「 ほん まに 、 日 本て え え国 や っ た な ア 次 のよ う に 語ら れる 。 61 (第 八 章 ) を 見 た 。 夕日 に赤 く、 廃墟 と同 じ 色 に そめ 上 げ られ た 大 酋長 日 を 浴 び て 、 傲然 と腕 を 組 ん で つ っ た つ 、 一 人 の 独 裁 者 の 姿 イロ ニ ッ ク に 二重 化 さ れ る 。 この 小 説 をS F と 呼 ぶ こ とは た め ら も存 在せ ず、 また 物語世界 の 存 在 を保証す るは ずの 〈語 り 〉も ア ら 、 短 絡 的 に 異形 の 者 が 聖 別さ れ も し な け れ ば 、 特 権的 な 主 人 公 S F 映 画 ・ 小 説 と 、 そ の設 定 に おい て共 通 性が ある 。 し か し な が 多 分に戯画 化さ れ逆 説 的な かた ちで 導入 され てい る。東 京郊外の 世 界 の 不 幸 ( 原 水 爆 に よ る 破 局 )と 庶 民 の 生 活 と い う 構 図 は 、 つ。 わ れ る よ う に、 単 純 に S F と い う ジャ ン ル に 収 ま ら な い 差 異 を も 二毛 次郎 は、 あた かも 廃墟 そ の も の の 化身 の よ う に 見え た 。 卑 俗 で 「 た の し い 国 」 だ っ た 「 日 本 」、 そ の 「 古 い 「 文 化 」」 み 出 し た こ と で 消 滅 した 「 日 本 」 に 代 わ る 「 ア パ ッ チ の 国 」 をつ 埼 玉県 飯 能 市 に住 む大 杉 一 家は 周囲 か ら 見て 何 不足 ない め ぐ まれ は「もうない」。追放地をつくり、「人間」ならぬ「食鉄人」を生 ここには「日本」という国はなくなっても新たな「アパッチの国」 く る の は 、「 独 裁 者 」 と し て の 「 大 酋 長 二 毛 次 郎 」 な の で あ る 。 て い る 。 大 杉 重 一 郎 は 、 に も か か わら ず「 この 世 界 に 完 全 に 統 一 感の欠けてゐること」、 「すべてはおそろしいほどばらばら」で「す た 生活 環 境 に あ り な が ら、 生活 の 無 意 味 感 、 空 虚感 にさ い な ま れ あい だ に 立 ち つ く す ほ か ない 結末 がえ がか れ て い る 。 木 田 は、 人 べ て の自 動 車 の ハ ン ド ル と車 輪は ばら ばら で あ り、す べ て の 人 間 の 必 要 性 が 要 請 さ れ る とい う 「 国 」 の 不 可 避 性 と 、「 日 本 」の 代 間 と 食 鉄 人 の 間 に 存 在す る こ とで 物 語 世 界 を 照 射 す る 、 マ ー ジ ナ 年助教授」の羽黒をはじめとする「銀行員」、「床屋」ら三人の羽 の 脳 髄 と 胃 とは ばら ばら だつ た 」 と感 じ て い る 。 仙 台 に 住 む 「 万 わ り に「 独裁 者 」 を呼 び 込 む こ と にな る ユ ート ピア の 不 可能 性 の 枠 組 み が「 食 鉄 人 」 を 産 み 出 し 、 逆 に「 食 鉄 人 」 が日 本国 を 滅 亡 え て い る こ とか ら 、 地 球の 滅 亡 を 夢 想す る 登 場 人 物 と し て 描 か れ 黒 一 派 は、 それ ぞれ の 生 活 の な か で 思う に ま か せ ない 不 如 意 を抱 ルな 語 り 手 = 登 場 人 物で ある 。 こ の 視 座 か ら 、 国 家 ・ 国 際 関係 の 文 化 を 相 対 化 す る 反 人 間 中 心 主 義 的 な 枠 組 み を 前 景 化 す る 。「 す 孤立した具体性」( 前掲三島「終末観と文学 」)を世界にむすびつけ る。彼らのそうした無為と不如意、いわば「世界から見離された、 へ と 追 い こ む 物 語 が 語 ら れ る 。「 食 鉄 人 」 とい う 視 座 は 、 人 間 ・ で に 人 間 で な い 、 な に か 異 様 な も の 」( 前 掲 大 江 )と し て ア パ ッ 大 杉 一 家、 羽黒 一 派 た ち は 、 こ う し て 現 実 的 な 生 活 世 界 で の 無 き た 宇 宙 人 で あ る と の 特 権的 意 識を 抱 く 。 円 盤 を 目 撃 す る こ と で、 自 分 た ち が 白 鳥 座 六 十 一 番星 か ら や っ て とで 「 宇 宙 人」 で あ る と の 認 識を もつ 。ま た 、 羽 黒 一 派は 三 人 で 郎 は 、 円 盤 を 目 撃 し 「 澄 明 な 諧 和 と 統 一 感 に 達 した と 感 じ る 」 こ る 転 回 点 と し て 「 宇 宙 人 」 と して の 自 覚が お と ず れ る 。 大 杉 重 一 チ = 食 鉄 人を 提 示 し 反 人間 中心 的 な 視 点を 導 入 す る こ と で、 この 反 人 間 中心 的 な 視座 と 『 美 し い 星 』 の 方 法 作品は「人間」を相対化する「仮説」を展開したといえるだろう 。 三 『 美 し い 星 』 と S F 映画 ・小 説 との 共 通 性 と 差 異 三 島由 紀夫 の 『 美 し い 星 』 は、 述べ て き た よ う な 六 〇 年 前 後 の 62 の 自 覚 を 得 て 、 地 球 と 人 間 を 全 的 に 対 象 化 す る 視座 を 獲 得す る 。 か ら 文 化 ・ 生 活 に い た る まで 多大 な 影 響を お よ ぼ し た 。 科 学 ・ 技 第 二 次 世 界 大 戦 後 の 核 抑 止 に よ る 米 ソ 冷戦 構造 は、 政 治 ・ 経 済 反 核 か ら エ コ ロ ジ ズ ム へ の 展 開 と 『 美 しい 星 』 為 と不 如意 の 状態 か ら 、 円 盤の 目 撃 を介 し て「 宇 宙 人」 で あ る と 座 と し て 、 地 球 を 全 的 に 対 象 化す る 宇 宙 人 とい う 視 座 の 自 覚 を 呼 に、 それ と表裏の 関係にあって、 戦争 ・原水爆から公害 術がもたらす新しさや豊かさが夢見られた時代であった ととも い い か え れ ば 、 世 界 か ら 見 放 さ れ た よ う な 無為 と 不 如 意 を 癒す 視 び 込 み 、 原 水 爆 に よ る 地 球 の 破 局 とい う 終 末 的 ヴ ィ ジ ョ ン を 語 る にい ことになる。ここに三島流の 〝世界の不幸と庶民の生活 〟の関係 宙 人の 自 覚 が お と ず れ る と い う よ り は、 む し ろ、 大 衆 消 費社 会 化 構 図 が 構 成 さ れ てい る 。 原 水 爆 に よ る 破 局の 危 機 の 結 果 と し て 宇 化 を 相 対 化 す る 自 然 と して の 地 球 環 境 の 側 の 視 点に 立つ 環境 主義 面 に 対 す る 異議 申 し 立 て と して は じ ま る 反 核 運 動 か ら 、 人間 ・文 た る 暗 面を 露 出 し終 末的 な ヴ ィ ジョ ン を もた ら し た 。 そう し た 暗 宙 人 」 で あ る か ど う か が 判 然 と し な い 〈 語 り 〉、 二 重 化 のナ ラ テ の 様 相 は 、 権 力 に よ る 抑 圧 と 抵 抗 とい う 契 機 を 欠 き 、 しか も 「 宇 人 」 が 立 つ 視 点 と 共 通 す る と も 見 な し う る が 、 しか し、 そ の 変 容 を 対 象 化 す る 「 宇 宙 人 」 の 視 点 は 、『 日 本 ア パ ッ チ 族 』 の 「 食 鉄 か ら エ コ ロ ジ ー へ の 転 回 が テ ー マ とな る 。 ナ シ ョ ナ リ ズ ム / イ ン と調 和 」 を 掲 げ て開 催さ れた 大 阪 万 博 を画 期 と し て、 モ ダ ニズ ム だ っ た 。 日 本 に お い て は 三 島 の 死 と 同 じ 七 〇 年 に 、「 人類 の 進 歩 六 〇 年 代 は、 その 後の グ ロ ー バ ル な エ コロ ジズ ムへ の 転 回 の 時 節 る い は 特 権 的 な 視座 や 登 場 人 物 がな く、 宇宙 人で ある との 自 覚 以 外 に 宇 宙 人 で あ る こ との 根 拠を もた ない 方 法 的 な 叙 法 が とら れ て い るの であ る。 『 美 し い 星 』 で は 、 国 会 議 員黒 木 を 媒 介 と した 大 杉 家 の 長 男 一 雄 と 羽黒 一 派 の 三 角 関 係 か ら、 一 雄 を 媒介 に し た 羽 黒 一 派 と 大 杉 が あら われ る 。 こ う し た 反 核か らエ コロ ジズ ムへ の 展開 に は 、 水 の も と で の 一 元 的 視 点に 立 つ グ ロ ー バリ ズ ム へ と い う 新 た な 視座 爆が原 初 的自 然の 中か ら怪 獣ゴ ジラを目 覚めさ せる 展開 をもつ 点 東 西 対 立 を 軸 と し た 核 に よ る 冷戦 が、 国 民 国 家 を単 位 と し た 国 で 、 映画 「 ゴ ジ ラ 」 と 同 根 の 発 想 が あ る と 見な しう る 。 関 係 を 基 本 と し た 国 際 情 勢 の 枠 組 み を 作 動 さ せ、 ナ シ ョナ リ ズ ム を 先 鋭 化す る 。 その 一方 で、 対立 す る 双 方 を 巻 き 込 ん だ 終 末 論 的 際 関 係 と い う 、 ナ シ ョナ リズ ム/ イン ター ナシ ョナ リ ズ ム の 対 の 対 応 す る 。 こ う した 反 人 間 中 心 的 な 視 座 へ の 転 回 に は 、 人 間 の 権 座 の 枠 組 み を 呼 び 込 む 。 映 画 「 ゴ ジ ラ 」 は 、 水 爆 実 験 を 生 み 出す な イ メ ー ジ が、 対立 す る 「 人 間 」社 会を 全 体 と し て 相 対 化 す る 視 これは、国家・社会における政治の次元に立った人間の視点から、 利 を 離 れた 自 然 環境 の 側 に立 っ て、 人 間 社 会 の あ りよ う を 対 象 化 人間 の 視 点 を 離 れ 地 球全 体を 反 人 間 中 心 的 に 見る 視 点 へ の 転 回 に 重 一 郎 の 「 宇 宙 人 」 同 士 に よ る 論 争 場 面へ プ ロ ット は 展 開 す る 。 タ ーナ シ ョ ナリ ズ ム の 枠 組み で 抗争 が 続 けら れる なか 、 地 球 環 境 ィ ヴ に よ っ て 相 対化 さ れ て い る 点で 異 な る 。 敵味 方、 善 悪、 あ ひ い て は 原理 主 義 的 な エ コ・ テ ロ リ ズ ム が生 み 出 さ れ て いく 。 の な か の 無 為 と不 如意 の 結 果 と して 呼 び 込 ま れ てい る 。 「人間 」 (24) す る ラ ディ カ ル な 環 境 主義 との 共 通 性を 看 取 す る こ とが で き る 。 63 (22) (25) (23) 前 者 の 対立 的 枠組 み を 出 現 の 要 因 と しな が ら、 それ を 相 対 化 す る 史的 に存 在 し た 兵 士 に 還 元 し 得な い 霊 的 な 存 在 に よ る 戦 後 日 本 へ 化 論 は 、 一 国 中 心 的 文 化 論 の 性 格 を 強 く も つ 。「 英 霊の 声 」 は 歴 化 防 衛 論 」( )な ど の 評 論 に お い て 展 開 さ れ る 三 島 の 日 本 文 1968 原 初 的 自 然 の 中 か ら 出 現す る ゴ ジ ラ を 形 象 して 後者 の 枠 組 み を 前 の怨嗟である。また、「文化防衛論」で強調するように、「占領政 景 化 し て い た 。 水 爆実 験 と い う 新 しい 人 間 の 技 術 が ジュ ラ 紀 の 地 層 か ら 怪 獣 を 出 現 さ せ 、 原 初 の 自然 に通 じる 古い もの ( ゴ ジ ラ) は、 文 化を 、 国 内外 に 向 けた 「 日 本 」とい う 差 異 を強 調す る「 も 策 」 と「 外 務 官 僚 や 文 化 官 僚 」 に 主導 さ れ た 戦 後 の 「 文 化 主 義 」 の 」 に 還 元 し 断 片 化 す る の に 対 し、「 文 化 概 念 と し て の 天 皇」 は が人 間・文化 の達 成 としての新 しいもの (都 市)を破壊す る。ま 小 さい は ず の も の が 大 き い 異 形 の 生 物モ ス ラ が形 象 化 さ れ 、 ゴ ジ 点として主張された。三島は決して環境主義者にはならなかった。 そ う し た 「 文 化 主義 」 自 体 を否 定 し 内 破 して しま う 強 度 をも つ 支 た、 「モスラ」においては、大きいはずのものが小さく(小美人) 、 ラ 同 様 人 間 の つ く っ た 都 市 を 破 壊す る こ と に な る 。 こ う した 自 然 地 球 ・ 環 境 で は な く 、 あ く ま で 「 文 化 」 の 側 に 立 脚 し、 ラ デ ィ カ と 文 明 の 関 係 を 軸 に した 転 倒 とい う 点 で は 、『 美 し い 星 』 に お け る 、 地 球 を全 体と して 対象 化す る「 宇 宙人 」と 一 面 にお い て 通底 発想の枠をはみ出さないところで、「人間」「文化」を超越論的に ル な ナ シ ョ ナ リ ス ト で あ り つ づ け た 。 三 島 は、 人間 中心 主義 的 な エ コ ロ ジ ズ ム とゴ ジ ラ に 通 底 す る 反 人 間 中 心 主 義 的 な 発 想 と、 批 判 す る 支 点 と して 「 英 霊 」 の 形 象や 「 文 化概 念 と し て の 天 皇 」 し か し 、 こ こ で は 、 さ し あた っ て 『 美 し い 星 』 に 限 定 し、 こ の を 提 起 し た の だ とい え る 。 S F 的 ヴ ィ ジ ョ ン は 、 国 民 国 家 を 単 位 とす る 国 内 ・ 国 際 秩 序 とい し 始 め た 六 〇 年 代 は じ め に 三 島 が 『 美 し い 星 』 に よ っ て 提 起 した 64 する 発想がある。 は、 皇居を 迂回 して破壊 しないゴ ジラに南洋で死んだ 三 島 の 批 評 的 な ス タ ン ス とは どの よう な 関 係 に あ る だ ろう か 。 赤 坂憲雄 大衆消費社会化した戦後社会を脅かし、そのありようを問い直す。 う 政 治 の 地 平 そ の も の の 基 盤 で あ る 「 人間 」概 念や 近 代 の 諸 価 値 感 さ れ てい た 反 核 か ら エ コ ロ ジ ズ ム へ と い う 展開 の 流れ が 顕 在化 し か し、 ゴ ジ ラ と 英 霊 が 異 な る の は 、 ゴ ジ ラ が 原 始 の 地 球 に つ な 小 説 の 言 語 的 な 批 評 的 強 度 を 評 価 し て お き た い 。「 ゴ ジ ラ 」に 予 が る 自 然 か ら 現 れ る の に 対 し て 、「 な ど て す め ろ ぎ は 人間 と な り と し て 生 成 す る とい う 発 想 で あ っ た と い え る 。 こ の 発 想 は 、 六 〇 を ゆ る が す 可 能 性 が 、 近 代社 会の 内 部 か ら 、 そ れ を は み 出 す 外 部 牲 者 と し て 位置 づ け ら れ な が ら 、 異 形 の 者 と 化す こ と で 反 転 し、 た ま ひ し 」 と 怨 嗟 す る 三 島 の 英 霊 は 、 日 本 とい う 共 同 体 の 幻 想 を る 視 座 や 人 間 以 外 の 環 境 ( 自 然 ・ 生 物 )の 側 に 視 座 を お く 見 方 に 年 代 S F 映 画 ・ 小 説 と も 一 面 に お い て 共 有 し て い る 。 し か し、 三 )をは じめとする小説や「文 1966 しい星』においても、 「宇宙人」たちは観念的転倒ではあっても、 「 英霊の声 」( ) 1961 島 の 場 合 に は、 人間 ・文 化 を 向 こう 側 に 見て 、 地 球全 体を 鳥 瞰す 「 憂國」( 地 球 環 境 や 地 球 外 の 宇 宙 とい っ た 確 か な 根 拠 を も た な い 。 ひ と 希求することで根源を創出する者たちとして現れる点にある 。『美 る 。ゴ ジ ラ も 英 霊も 、 水 爆 実 験 の 被 害者 、 戦 争 に お け る 無 垢 の 犠 英 霊の 影 を 見て 、 そ こに 三 島 の 「 英 霊の 声 」 との 通 底 性を 指 摘 す (26) 難 い だ ろ う 。 この 短 絡 化 し ない 隘 路 に こ そ 「 危 険な こ と 」を 扱う も 短 絡 的 に は 与 し な い 。『 美しい 星 』 は や は り S F 小 説 と は 言い 能 性 を 追 求 し よ うと す る 姿 勢 が 示 さ れて い る 。 で示 された認識 を受け、そ れでも広津的なリアリズムがも ちうる可 重化のナラテ ィヴ― 三島 由紀夫 『 美しい星』と一九六〇 年代の状況 『 美 し い 星 』 と 「政 治 と 文 学」 論 争 の 関 係 に つ いて は、拙 稿「 二 批評 性が やど って いる 。 ヒ ユ ー マ ニ ズ ム 『 美 しい 星 』 は 、 世 界 の 破 局 可能 性 と 実 存 の 問 題 を 主 題 化 し、 論 」(「昭和文学研究」 ) で論じた。 2001.9 当時公開された特撮映画については『日本特撮・幻想映画全集 』(朝 近代 にお ける 人 間中 心 主 義の 閉 塞的内 部か ら 疎外 日 ソノ ラマ され alienation て 生 じ る 外 部的 な 存 在 の 視点(宇宙人として自覚された視点) alien の 生 成 をえ が き な が ら、 他方 で 、 そ う し た 外 部的 な 超 越論 的 視 点 ) お い て 培 わ れ た こ と を 次 の よ う に 指 摘 し て い る 。「 日 本 の S F 小 説 米沢嘉博『戦後SFマンガ史 』(ちくま文庫 2008.8 ) は、日 本 のS F 小 説 が 隆盛 す る まで の戦 後十 五 年間 、SF 的 な 想像 力 はマ ン ガに を参 照 。 2005.12 で 表 象 し、 パ ラド キ シ カ ル に 提 示 し た 作 品 で あ る 。 そ れ は 、 人 間 が五 〇 年 代 英 米 S F か ら 生 ま れ た と し た ら 、 な ぜ 、そ れほ ど 土 壌 の 国 民 大 衆 雑 誌 の 公 共 性 』( 岩 波 書 店 中 心 主 義 の 臨 界 と して あら われ る 反 人 間 中 心 主 義 と して の エ コロ ) を参 照。 1972.12 ) p.53 2002.9 純 文 学 論 争 を め ぐ る 平 野 の 所 論 は 『 純 文 学 論 争 以 後 』( 筑 摩 書 房 佐 藤 卓 己 『「 キ ン グ 」 の 時 代 広がり を持た なかった日 本で 、 知的 エン ター テイン メン トとして定 注 ジズ ムが かか える 矛 盾 をも 同時 に 露呈 さ せ る ナ ラ テ ィ ヴ で あ っ た が もつ 臨 界 を も 露呈 さ せ、 相 対 化す る 二 重 化 の ナ ラ テ ィ ヴの 方 法 43 とい え る 。 5 )。 p.15 平野謙『昭和文学の可能性 』(岩波新書 1972.4 ) の 序 章で 平野 は、 広津和郎の散文精神論と大江健三郎『ヒロシマ ・ノート』をとりあ 中、戦後の大 阪に発する 赤 本漫画ブ ームのなか でモ リミ ノ ルの名前 界」の終末を描きこ み、世界 の破局可能 性と日常的 世界の連関とい ) など は、 1951 複数 の 登 場 人 物た ち の小 さ なエ ピ ソー ド が 積 み 重 ね られ な が ら「 世 で漫画を発表している。手塚治虫『来るべき世界 』( 洪水のような情報社 会にあっては、純粋 な「事実」というものはな う 、 ウ ェ ルズ 風 の S F 的 モ チ ー フ を 描 い て い る 。 ) 2000.5 くなっ て 、事実と 虚構との対 立関係 は救 い がた く 曖 昧 に なっ てし ま 巽孝之『日本SF論争史 』(勁草書房 っ た 」 と い う 佐 伯 彰 一 、 日 野 啓 三 、 高 橋和 巳 ら の 発 言 や 作 品 の なか 文 精 神 を 自 ら の 文 学 観 の 指 標 で あ る と 述 べ て い る 。 一 方 、「 現 在 の げ な が ら 、「 み だ り に 悲 観 せ ず 、 楽 観 も せ ず 、 生 き 通 し て 行 く 」 散 画 熱 が 高 ま り 、 習作 を 描 き ま く っ て い た 」 と い う。 四 九 年 京 大 在学 小松左京『小松左京自伝』 (日本経済新聞社出版社 2008.2 )によれば 、 小 松 は 「 中 学 生 の こ ろ 、 手 塚 治 虫 さ ん の作 品 に い た く 感 激 し て 、漫 五年間を埋めるのは 、やはり 、手塚治虫とSFマンガなのだ 。」( 十三と 続く戦前S F冒険小説から、日本SF作家達 の登場までの十 ガが果た していたと いうのはまぎ れもな い事 実だ。 押川春浪、海野 着していった のか。 アメリカ で のスペースオ ペラの役割 をSFマン 6 7 65 4 1 2 3 三 島の代表的 戯 曲『 黒 蜥蜴 』( ) が江 戸川 乱歩 原 作 の探偵小 説 1961 国 主 義 、 す な わ ち 「 資 本 の 文 明 化 作 用 」( マ ル ク ス ) に よ っ て 非 ヨ ー ロ ッ パ 地 域 の 伝 統的 な 社 会構造 が 暴 力的 に解 体、再編 さ れる段階 よ っ て 世 界 が 分 割 さ れる が 、そ れ に 出 遅 れ た ド イ ツ や 日 本 な ど の 新 興国が主導する領土 の再分割戦 が生じ、二度 の世界 大戦 が起きる。 で あ る 。 そ し て 第 三 に 、「 世 界 戦 争 」 の 段 階 。 列 強 の 植 民 地 主 義 に 第二次大 戦後の米ソ 冷戦時代 は、不可能 な戦争(核抑止)によって であり、中井英夫『虚無への供物』( 1964 ) を いち は や く 評 価 し た こ とでも知られている。しかし、これら探偵小説 の評価は、ジャンル みなかっ たのは、推 理小説が犯人逮捕に 帰着し、謎 が解明され、い して評価 していると いうべきだ ろう。三島が 推理小 説を ほとんど顧 後 景 化 し た戦 争 に 裏 打 ち さ れ て 平和 が 前 景 化 す る 構 造 に 規 定 さ れ た 、 と し て の 推 理 小 説 の 可 能 性 と し て 評 価 し た の で は な く 、「 文 学 」 と わ ば 「 不 安 」 が解 消 さ れ る こ と が 目 指 さ れ る と い う ジ ャ ン ル の特 徴 戦争=平和の時代であるとする。 『 広場の孤 独』は、五一年八月号「人間」 に前半が発表され、同 に あ っ た の で は な い か 。「 小 説 と は 何 か 」 で 「 小 説 享 受 の も つ と も あ る と 述 べ て いる 。 と り あ げ ら れて いる 諸 作 品 も 、 純 文 学 / 大 衆 文 安」 を 与 へ ら れ る 」 こ と で あ り 、 ま た 「 倫 理 的 関 係 を 結 ぶ こ と 」 で 則と習俗からはみだしてゐる自分の姿を直視させられ、決定的な「不 をも ち い た 。 賞受賞 。この作品からの引用は『堀田善衛全集1 』 (筑摩書 房 た 。 五 一 年 十 一 月 、 単 行 本 発 行 ( 中 央 公 論 社 )、 五 二 年 一 月 、 芥 川 年十 月号「中央 公論文芸特 集」に、 前半と後半 がまとめて 発表され 根 本 的 本 質 的 な 影 響 」 は 、「 自 分 が 今 も 忠 実 を 誓 つ て ゐ る 社 会 的 法 学といっ た区 分とは 無縁で、ジ ャン ルにも無 頓着である 。そ の意味 小野俊太郎『モスラの精神史 』(講談社現代新書 2007.7 ) が、こう し た 問 題 に つ い て 映 画 「 モ ス ラ 」 を と り あ げ て 言 及 し て い る 。「 モ 可能性を示唆している。 岩瀬彰『「月給百円」サラリーマン―戦前日本の「平和」な生活』 ) は、「明治大正期にはまだエリート色の強 2006.9 九世紀以降の「世界市場」 の段階。軍事力を背景 とする自由貿易帝 る。第 一 に、大航海時代にお ける「世界 商業」の段 階。第二 は、十 (グローブ)を等号で結ぶ思考の歴史性を、次のように概観してい 水上瀧太郎『日曜 』『大阪 』『大阪の宿 』」、『横光利一と関西文化圏』 公とする作品を書 いている( 拙稿「月給 取りの視点から見た 大阪― いる。大 正期には 水上瀧太郎が『大阪 』( 1923 )『大阪の宿 』( 1926 ) などの諸 篇で自らをモデ ルと したような 月給取りにして作家を主人 か っ た 「 サ ラ リ ー マ ン 」 が 完 全 に 「 大 衆 化 」 し た 時 代 」( p.24 ) とし て昭和初年代 の「サ ラリーマン 」の生 活実 態 を資 料か ら 描 き出し て (講談社現代新書 論集2三島由紀夫の表現』勉誠出版 ) を参 照。 2001.3 笠井潔は『探偵小説論 昭和の死 』 (東京創元社 2008.10 )の「第 五章「ゆたかな社会」の明るい地獄」で、世界(ワールド)と地球 ) 1993.5 ろそ れ ほ ど関 心 が あ っ た と は 思わ れ な い 。 では、定 型化され囲 い込まれた ジャン ルとし て のS Fにも実のとこ 由紀夫における原爆表象― 」(「原爆文学研究」 ) 2007.12 「批 評」を核とした三島の文体観と小説の方法については、拙稿 柳瀬 善治「「概観的な時代」の「 終末観」と「民族的憤激」―三島 ス ラ 」 は宮 崎 ア ニ メ に継 承 さ れ 、堀 田作 品 は宮 崎 駿 に影 響 を 与 えた 12 13 「 小 説 の 方 法 と し て の 文 体 ― 三 島 の 文 体観 と 小 説 ― 」(『三 島 由 紀夫 6 14 III 66 8 9 10 11 法の陥穽― 」(「国文学論叢」 て は 、 越 前谷宏 「 開高健 『 日 本 三文 オ ペ ラ 』― ルポ ルタ ー ジ ュ 的方 開高 健『日 本 三文オペ ラ』の新 聞報道との関連と執筆 構想につい 松籟 社 )。 昭 和 初 年 代 に 新 興 芸 術 派 の 作 家 と し て 活 躍 した 浅 2008.12 原六 朗は、こうした都市中間層を描くことを通じて、従来の文学が 巽 孝 之 『 日 本 変 流 文 学 』( 新 潮 社 朴裕河「共謀する表象―開高健・小松左京・梁石日の「アパッチ 」 ) が詳 し い。 2009.2 )「 第 一 章 鉄 男 が時 を 飛 1998.5 「 単 独 個 人 」 を 社 会 か ら 切 り 離 し て 描 こ う と し た の に 対 し て 、「 社 会 環 境 の 影 響 」 を 重 視 し 「 環 境 個 人 」 を え が く べ き だ と し (「 新 社 ぶ 日 本 ア パ ッ チ 族 の文 化 史 」 会 派 文 学 の 主 要 点 」、 久 野 豊 彦 と の 共 著 『 新 社 会 派 文 学 』 厚 生 閣 書 小説をめぐって― 」(「日本文学」 人 生特 急 』 ) 2006.11 この 点では 、『美しい星』は黒 澤明監督の映画「生きものの記録」 ( 1955 )に近い。これについては 、前掲拙稿「二重化のナラティヴ」 で 指 摘 し た 。 こ の 映 画 で は 、 核 の 不 安 に 苛 ま れ た 工 場 経 営 者 の 主人 はやく「経済小説 」と銘打った長編小説『時局経済小説 店 1932.7 )、久野らと新社会派を提唱した。久野も金融資本主義の到 来 をマ ルキシ ズ ム 理論 の破 産 の論 拠と し て いた が 、 日 本で も っと も (千倉書房 1932.11 ) を書 い て い る ( 拙 稿 「 久野 豊 彦 に お け る 一九 三 〇 年 前 後 ― 「 ナ タ ア シ ア 夫 人 の 銀 煙 管」 と 「 人 生 特 急 」 ― 」、「 横 光 公中 島喜一 が 、 息 子 の 家 族 ら近 親者 を引 き 連 れ て 南ア メ リ カ へ移住 す る こ と を 説 く が 、 息 子 た ち は 誰一 人 従 う も の が な く 、 裁 判 に よ っ 利一研究 」 2006.3 )。横光利一は『上海 』と同時期に発表した「機械 」 可 能 だ と わ か っ た と き 、 八 方 ふ さ が り の 主人 公 が 最 後 の 手 段 と し て て父を準禁治 産者にしようとする。興味深い のは、もは や移住が不 ) 1997.8 p.365 映画「未知との遭遇 」( て 」(『夏 を 越し た 映 画 』 潮 出版 社 ) で類似性を指摘している 1987.6 ) の方 に近 い。 1977 ョン を呼 び込んでいる点で、 吉本隆明が「宇宙フィクシ ョン につい な暮らし をしながら無為と不如意を抱える人 物たちが終末的ヴィジ た だ し 、『 美 し い 星 』 で は 、 核 へ の 恐 怖 で は な く 、 そ れ な り に 平 和 を 獲 得 す る と い う 点 で は 、『 美 し い 星 』 は こ の 映 画 と 同 工 で あ る 。 な内 部を形成し 、そ の内 部に凝った 不安が疎外 されて地球外の視点 外 に い る よ う な 幻 想 に 憑 か れる 。 世 界 の 全 的 な 破 局 可 能 性 が閉 塞的 を 獲 得 し 、「 そ の 後 地 球 は ど う な り ま し た か 」 と 言 い 、 自 分 が 地 球 も、狂 気 に陥った 喜一は精神 病院に入れ られ、そ こで地球外 の視点 自ら自 分の工場に 火を放ち、破局を演出してしまう 点である。しか ( 1930 )によって 、新社会派とは異質な新心理派として認知され(て き)た 。 しか し 、当 時 の文 壇内 で の作 家間 の 思 惑 や 発言 、そ れ を 踏 p.56 67 54 19 20 21 22 ま え た 文 学 史 的 位 置 づ け と は 別 に 、『 上 海 』 の 達 成 は む し ろ 新 社 会 派の主張とも沿うものといってよい。 横 光利 一 の 手法 と『 広 場 の孤 独』 の通底性に ついて は、 石 田仁志 「 堀 田 善 衛『 広 場 の 孤 独 』 論 ― 横 光 利 一 か ら の 承 継 」(「 論 樹」 前掲好井 や す く 対 比 さ れ て い く 」( p.98 )と指摘している。これは、異形の者 の 出 現 に 原水 爆 が か か わ る 他 の 特 撮 映 画 に も 共 通 す る。 好井 裕 明『 ゴ ジ ラ・モ ス ラ・ 原 水 爆 』( せりか書 房 ) は、 2007.11 映 画 「 世 界 大 戦 争 」 の 構 成 を 「 世界 の不 幸 と 庶 民 の 幸福 が 、 わ か り 放された 世界 』岩波文庫 ) が指摘 し て いる 。 1996.9 浜野輝「ウェルズと日本国憲法 」 (H・G・ウェルズ 、浜野輝訳『解 10 15 16 17 18 こ の 点 に つ い て は 、 前 掲 拙 稿 「 二 重 化 の ナ ラ テ ィ ヴ 」 を 参 照。 問 題 は 大 きな社 会 的 関 心 を 向 け られる よ う に な る 。 過激化する 環境運動と アメリカ の 年代にはタイ、エビ 、イワシ 、タコなど が獲れなく なり、五〇年代 はこれより十年前か ら無処理の排水を水俣湾 へ排水して おり、四〇 動物虐 待への抵抗 運動として 展開する、 地球解放戦 線、動物解放戦 ー )を拡張してきた歴史があることを指摘する 。環境破壊への抵抗 、 があ り 、 基 本 理 念た る 自 由 主 義 的 民 主 主 義( リベ ラ ル・ デ モ ク ラシ )を参照。アメリカ社会には 、奴隷解放 、 2009.3 公民 権運動 、 女性解 放と いう権 利 を めぐ る自 由と 権利 の 闘 争 の 系譜 浜野喬士『エ コ・テロリズム 内なる テロ 』 (洋泉社 に患者 が発生した と いう。六 八 年九 月二 六日 、厚生 省 は熊本 におけ の意 味で 、ア メ リカ社 会の 正当 な理念 の延長上 に エ コ・ テロ リズム 線 は 、 こ う し た 自 由 と 権 利 の 闘 争 と し て 意 義 づ け ら れ る と す る 。そ 』( Silent Spring ) が 刊 行 さ れて 公害 1962 宝島 Vol.2怪獣学・入門』 出 版局 JICC ) 1992.7 赤 坂 憲 雄 「 ゴ ジ ラ は 、 な ぜ 皇 居 を 踏 め な い か 」(『 別 冊 宝 島 激 な環 境 運 動 に転 じ て いく 。 Don't 映画 」 から 派 生 し て 設 立 さ れ、 七 〇 年 代 に は 反 核 make a wave committee 実験運動 を中 心に運 動 を展開、そ の後反捕鯨運動をはじ めとする過 スは 、六九 年に核実 験反対 を主張する「波を立てる な委員会 は生 じて いると いう。日 本 で は反 捕 鯨運動で知 られるグ リ ーン ピー る 水 俣 病 は 新 日 本 窒 素 肥 料 水 俣 工 場 の ア セ ト ア ル デ ヒ ド 製 造 工 程で )、「 あ ま く さ 姫 」(「 新 潮 」 1958.3 ) を 発 表 し 、「 鶴 の ド ン ・ キ 1958.1 ホーテ」として『士魂商才 』(文芸春秋社 ェ ル ・ カ ー ソン 『 沈 黙 の 春 ている。アメリカ では、農薬 がもた らす環境問題を告発したレイチ た、社会派推理小説として、水上勉は『海の牙 』(河出書房 1960.4 ) を 発 表 、 六 九 年 に は 石 牟 礼 道 子 『 苦 界 浄 土 』( 講 談 社 ) が 刊 行 さ れ ) に収 めて いる 。 ま 1958.7 した動きの過程で 、武田泰淳は小説「鶴のドン・キホーテ」 (「新潮」 副生 されたメチル水銀化合 物が原因であると公式 に認定した。こう 水 俣 保 健 所 に 届 け ら れ公 式 に 水 俣 病 の 存 在 が 認 識 さ れ た 。同 工 場 で 五六 年、新日 本窒素 水俣工場付属病院長・細川一による「水俣 市 の漁村一帯に 原因不明の 中枢神経疾 患が多発し ている」と の所見が 25 26 68 24 23
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