公正な労使関係のなかの企業経営

公正な労使関係のなかの企業経営
宮坂 純一
1 はじめに
2 ステイクホルダ−としての従業員
2-1.労働環境の変化を反映し「進化する」社会契約
2-2.従業員権利運動の展開
3 従業員の権利と義務を巡る諸問題
3-1.従業員の権利(従業員への会社の義務)
3-2.従業員の義務
4 おわりに
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1.はじめに
筆者は、ある機会(『 ビジネス倫理学の展開』晃洋書房、 1999 年)を借り
て、ビジネス・エシックスの課題として、企業活動の「新しい」評価方式の
提示と、ビジネス・エシックス教育に「相応しい」スケ−ススタディの開発
を挙げたことがある。
また、その前者の課題に関して、別の機会( 「トラスト−−−企業自体と
各種のステイクホルダ−との関係を支える 『 倫理的枠組み 』 」 奈良産業大学
『産業と経済』第14巻第1号)では、既存の様々な道徳規範をステイクホ
ルダ−の権利・義務として「読み替え」て、それらを企業活動の「評価」指
標として「利用」する構想を提示した。
本稿は、従業員を具体的に取りあげて、欧米の文献を利用して、上記の課
題に回答を与えようとする「試み」の1つである。
2.ステイクホルダ−としての従業員
2-1.労働環境の変化を反映し「進化する」社会契約
社会はいつの時代であっても変化するものであるが、特に、 20 世紀後半
は激動の時代であり、21世紀に近づくにつれて「大きな」変革として形容
されるほどその傾向は著しくなっていった。社会・経済様式の多数の領域が
ラジカルな「変革」の波に洗われ、労働の現場にも大きな「変容」が生じて
いる。我々は、そのような「変容」を、例えば、アメリカにおいて使用者と
従業員の関係が「新・旧」と対比されるほどに変化してきたことに見出すこ
とができる。これは企業と労働者との間の社会契約の変化を意味するもので
ある。
旧い社会契約の「崩壊」そして新しい社会契約の「出現」を促した要因と
して幾つか挙げられるであろうが、代表的(常識的)には、次のような「傾
向」を指摘できるであろう( 1)。まず、マクロ・レベルの( 70 年代から水
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面下で生じ始め( sleeping)90 年代になって本格的になった )要因としては 、
1)競争のグロ−バル化( global competition)、
2 )(コンピュ−タやテレコミュニケ−ションに代表される)テクノロジ−
の発達、
3 )(特に、運輸および通信事業の)規制緩和、
がある。
そして更には、ステイクホルダ−としての従業員の在り方に「直接」影響
を与えたいわば現場の(ミクロ・レベルの )「変革」として次のようなもの
があげられる( 2)。
1)従業員に対するテクノロジ−上の危険( technological hazard)が飛躍的に
増大したこと
2)コンピュ−タの労働現場への浸透
3)プロフェッショナルの忠誠心の分割
4)従業員の転職(労働移動)の増加。
これらの労働現場の「変化」が既存の社会契約を「進化」させそして(後
で述べるように)従業員の権利意識を高揚させたのであった。
新しい社会契約の具体的内容はどのようなものになったのであろうか。こ
れに関しては 、幾つかの観点からアプロ−チが可能であるが 、ここでは 、
「使
用者と従業員がそれぞれ相手側に望むこと」に注目する。
我々の問題意識からすれば、コミュニティとしての企業に相応しい社会
契約とはいかなるものなのか、という問題意識が重要になってくるとおも
われるが、それは今後の課題である。
これは、 Carroll & Buchholtz によって、いわば新しい社会契約の「概要」
( outline)を示すものとして問題提起され整理されたもの( 3)であり、我
々は、それによって、その新しい社会契約の内容を概観することができる。
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【使用者が従業員に期待すること】
・自己の能力に応じてベストをつくすこと
・企業の目標にコミットすること
・参加意識
・生産性を上げるために進んで訓練をうけること
・倫理的で正直な行動をとること
【従業員が使用者に期待すること】
・会社への貢献度に応じて公平に報いてくれること
・会社の運命並びに自己の能力に自己の将来を委ねていることを理解する
こと
・尊敬し認め参加させてくれること
・成長の機会を与えてくれること
・適宜に情報にアクセスできること
・安全で健康な職場
【相互期待】
・パタ−ナリズムからパ−トナ−シップへの移行
・従業員は削減すべきコストではなく価値を生み出す資源であること
・使用者と従業員は顧客の要求および要望に焦点を合わすべきであること
これ以外にも、旧い契約との対比で、忠誠心の対象が使用者や会社から自
分自身や専門職それ自体に移ったこと、所得の安定からヨリ貢献度に応じた
報酬を望むようになったこと、等々が指摘されている。
しかしながら、現実そのものが極めて流動的であるために 、「定説」とい
えるものは未だに確立していないようであり、社会契約の内容が具体的なも
のとして提示されるほど「共通の認識」が成立していないのが現状である。
現在の段階で言えることはステイクホルダ−としての従業員の在り方が以前
とは異なってきつつあるという「事実」だけである。そのことは「従業員の
権利」の内容にはっきりと反映されている。
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2-2.従業員権利運動( the employee rights movement)の展開
従業員の権利とはなにか。この具体的な内容に関しては、3節で詳細に取
り上げるが、その前に「それが意味すること」を簡潔に提示しておく必要が
あろう。仕事に関わることで望ましい結果が得られることあるいは望まない
結果から身を守れることに対する従業員の合法的なあるいは何らかの力の裏
付けのある( enforceable)要求−−これが従業員の権利である( 4)。
そして、このような権利は、その裏付けとなる「権威 」( source)によっ
て、次のように3つの範疇に分類されることになる( 5)。
1)法律で定められた法定の( statutory)権利
2)組合の協約(団体交渉)に基づく権利
3)使用者が保障するないしは約束する「企業」権利
が、それである。これらの従業員の権利は現在ではかなり「認知」されてき
ているが 、ここに至るまでは長い年月が必要であった 。言葉を替えて言えば 、
市民としての権利が確立したとしても、そのことが企業内で個人の権利が認
められることにはつながらなかったのである。何故なのか?
資本主義自由経済は「私的所有」をその拠り所にして成立しているシステ
ムである。その為に、自由主義経済体制のもとでは、特に、アメリカでは、
「私企業は歴史的にそして伝統として従業員の権利を認めようとはしてこな
かった 」( 6)。なぜならば、社会が企業の私的所有権を尊重し、私企業は、
個人と同じく、自分の欲するままに自己の所有物(財産)を自由に使うこと
ができたからである。そのことを象徴的に示しているのが「エンプロイメン
ト・アト・ウィル原則( employment-at-will doctrine)」である。
エンプロイメント・アト・ウィルとは、労働者は使用者の判断でのみ採用
されそして雇用され続けるという原則である。これは(アメリカで、 1884
年から暗黙の協定として機能し続けてきた)使用者と従業員との社会契約で
あり( 7)、経営者には、この原則に従って従業員を「自由に」解雇する「権
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利」が保障されてきた。もちろん、その「自由」が無制限なものではなく、
それぞれの時代によって制約を受けてきたことも「事実」である。例えば、
組合が存在し明文化された契約で護られている場合には 、経営者は「勝手に 」
解雇できない、というように・・・・。しかしながら、労働力の大多数が組織化
されていない状況のもとでは、たとえ、黙示的な契約が存在してきたととし
ても事実上「野放し状態」となっている( 8)。
そのような経営者側の「自由」に対するある程度「実質的な」制約条件と
なったのが、具体例を挙げれば、公民権( civil rights)の保障であり、その
施行と共に従業員権利運動と言われる現象が生まれてきたのであった。雇用
領域の差別を禁止する法律はその基本的なものであり、現在も適用領域が拡
大されてきている。そのような法律はいかなるものか、という問いに対して
は、とりあえず以下のようなものをあげることができるであろう(これに関
しては、 http://www.eeoc.gov/facts/quanda.htm に詳しい )。
雇用の領域における差別撤廃の「嚆矢」として有名な法律が−−− 1963
年に、性別による賃金差別を禁止する平等賃金法が制定されているが−−−
1964 年の公民権法( Civil Rights Act of 1964)(通称 タイトル・セブン)であ
る( 9)。これによって、人種、皮膚の色、宗教、国籍、等々による採用・解
雇・昇進・賃金・教育訓練などの雇用面における差別が禁止されたのであっ
た。そして同時に、この法律を施行するための行政機関として雇用機会均等
委員会(EEOC)が、 1965 年に、設置された。
1967 年には、 40 才から 60 才までの従業員に対する採用・昇進などにおけ
る差別を禁止する年齢差別禁止法が制定され、 1978 に、年齢の上限が 70 才
までに引き上げられた。
1973 年に、リハビリテ−ション法が施行され、政府と取引がある企業に
対して、身障者( disability)差別が禁止され、 1990 年に、それが全ての地方
自治体および私企業にまで拡大された。
1991 年になると、公民権法が「改正」され、例えば、国際的なケ−スで
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も差別が禁止され、罰則(罰金)を科すことができるようになった。
このような状況の中で、企業内における従業員の権利も「徐々に」認めら
れていくようになったのである。冒頭で述べた分類に従って、幾つか例示す
ると、以下のようなものを指摘することができる(10)。
【法律で定められた法定の( statutory)権利】
国家レベルでは、 1964 年の公民権法
州レベルでは、マサチュウセッツ州の「知る権利」
【組合の協約に基づく権利】
先任権のル−ル
仕事の保障のメカニズム
苦情処理の手続き
【使用者が保障するないしは約束する「企業」権利】
直接の上司を超えて申請・申し立てする( petition)権利
身体的な脅迫を受けない権、
不平・苦情を制度的に訴えることができる権利
正当な法の手続きに従って懲戒される権利
明確な基準で評価される権利
職務範囲を明確に限定される権利
明確な基準に則って解雇される権利
情実ないしは依怙贔屓から自由である権利。
とりあえず上述のことを前提として、次節では、主として、アメリカの文
献を利用することによって、個別企業において、従業員の権利そして義務と
していかなることが取り上げられているのかを確認することになる。
3.従業員の権利と義務を巡る諸問題
3-1.従業員の権利(従業員への会社の義務)
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従業員の権利を論じる前に、まず確認しておかなければならない問題があ
る。それは、資本主義社会において、雇用される権利(仕事に就く権利)は
認められるのか、という問題である。結論的に言えば、自由市場経済のもと
で生きる人間(労働者)には「職に就く権利」は−−−モラル上の問題であ
るとして問題提起はなされているが( 11)−−−存在しないのである。その
ことは、 DeGeorge の次の見解に明白に示されている 。「アメリカ資本主義の
体制下にあっては,職を求め,職につくことのできる者すべてに対して仕事
先が保障されているわけではない。雇用者には労働者を雇用しなければなら
ない義務も,一度雇用した労働者を一生の間雇用しておかなければならない
義務もない・・・。労働者の権利に、雇用される権利は含まれていないのだ」
(12)。
上述の「エンプロイメント・アト・ウィル原則」は、基本的には、現在で
も慣習法として生き続け、それが−−−確かに、労働組合運動の展開と法的
整備の「充実」でその「影響力」低下しつつある( 13)としても−−−今日
の法的判断の根拠となっているのである。
エンプロイメント・アト・ウィル原則はつぎの理由で正当化されてきた
( 14)。
(1) 私的所有の権利によって、使用者は好きなときに好きな人材を雇うこ
とが保証されている
( 2)エンプロイメント・アト・ウィル原則を超える従業員の権利はしばし
ば使用者の自由と対立する
( 3)エンプロイメント・アト・ウィル原則は従業員の権利と使用者の権利
を、特に、契約の自由を、平等に保護する
( 4)従業員は、自由に仕事を得て、自発的に役割責任と会社への忠誠にコ
ミットするのであり、ある種の従業員の権利を認めることによってそれ
らが失われていくことになる
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( 5)職場での権利を拡大することはしばしば企業組織の効率と生産性を妨
げ、長期的には自由企業の便益を減少させる
( 6)従業員の権利は、立法化や規制のような公共政策による制度化を要求
することになる。だがこのことは、資本主義にとって本質的なものであ
る市場におけるボランタリアリズムを終焉を意味する。
また Beauchamp と Bowie.に拠れば( 15)、このような「伝統的な」エン
プロイメント・アト・ウィル原則」を支持する人々はロ−スク−ルやビジ
ネススク−ルに多く、例えば、エプスタイン( R.Epstein)はその代表者で
ある。
国民に仕事を提供するのは政治の問題であるという見解もあろうが、これは
「事実」に反する見解である。再度 DeGeorge の表現を引用すれば 、「アメ
リカ政府は,雇用を提供することによって民間の企業,産業と競合する道を
取る代わりに,失業保障制度、福祉制度を確立することによって失業者の生
きる権利を尊重する道を選んでいる」(16)のであり、これが現実である。
したがって、実際に従業員の権利として問題となるのは−−−確かに「仕
事に就いているということは社会的ステイタスや自尊心を持つことを意味し
ている。仕事がなければ、人間は社会のメンバ−の一人としての誇りを持て
ないのだ 」との主張に代表されるように 、働く権利( right to a job)が「論争 」
の対象となっているが( 17)−−−採用(雇用)の方法・様式・在り方そし
て一旦仕事に就いた後の身分の保障( 処遇の在り方 )である 。簡潔に言えば 、
自由経済システムのもとでは、差別せずに採用した従業員を 、「一人の人間
として」遇することが経営者に課せられた義務であり、そのプロセスで発生
する様々な問題と関連して(然るべき理由なしに一方的に解雇されない権利
を含めて)従業員の権利が問題となってくるだけなのである。
その意味でまず問題となるのが「差別の撤廃」である。職場内の(雇用に
関わる)差別は様々な形態をとって現象する。例えば、募集、面接審査
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( screening)、昇進、解雇、雇用条件、等々の領域において。但し、これに
関しては 、すでに述べたように 、
( 1964 年の公民権法に代表される )法律で 、
禁止されている。したがって、今日では、従業員が職場において差別されな
い権利は「タテマエ」としては(制度上は )「確立」していると言えるであ
ろう 。しかし 、実態は必ずしもそのようになっていない( ように思われる )。
というのは 、「格差是正策」として有名なアファ−マティブ・アクション
( affirmative action)が様々な文献において繰り返し論じ続けられているから
であり 、このことが 、逆に言えば 、差別がいまだなくなっていないことの「 傍
証」となっている。そしてまたそのアファ−マティブ・アクションの在り方
自体も大きな問題を投げかけている。
アファ−マティブ・アクションとは、少数民族ないし女性を対象として、
「標準的ベースを越えて 」( 18)雇用機会の均等を達成しようとする雇用促
進活動であり、歴史的には、 1965 年の「大統領命令」によって産業界に導
入された。当初は、連邦政府とビジネス上の取引がある企業を対象としてい
たが、今日では、大多数の企業が自発的にアファ−マティブ・アクションを
展開している。
このアファ−マティブ・アクションは、過去歴史的に不利益をうけてきた
人々(グループ)に,基本的には,採用・昇進,レイオフの3つの雇用局面
において,平等な機会を提供することをめざして計画されたプログラムであ
り、その意味では,モラル的にも譲論の余地がないものである。だが厳密に
言うと、それには2つの側面があり、その為に、その賛否を巡ってかなり激
しい議論が展開されている。
なぜなのであろうか?
Nagel に従えば( 19),雇用促進活動は、元々は、
かつて差別されていたグループのメンバーに機会の平等を保障する特別な努
力−−−たとえば,補充する地位を公募すること,いままで排除されていた
グループから有資格者を積極的に採用すること,彼らが一定の地位に応募で
きるように特殊な訓練をおこなうこと−−−を指すものであった(「 弱い」
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アファ−マティブ・アクション )。しかしながら今日では,雇用促進活動の
意味するところが次第に変化し,それは,かつてある地位から排除されてい
たグループのメンバーがその地位に就けるように彼らを明白に優先させるこ
と,を指すようになってきた。しかもこの優先は他の条件が等しい応募者の
なかから女性あるいは少数民族の人々を選びだすことではなく,通常,他に
その地位にヨリ相応しい応募者がいるにもかかわらず,女性あるいは少数民
族の人々を優先して採用すること,という意味で,雇用促進活動が理解され
るようになったのである(「強い」アファ−マティブ・アクション )。
「弱い」アファ−マティブ・アクションに関しては 、「雇用の機会均等」
原則に一致するものとして ,多くの人々の間に ,それは「良い 」ことであり ,
その実現は時間とエネルギーを費やすことに値する,との同意が得られてい
るが、後者の「強い」アファ−マティブ・アクションに対しては、賛成だけ
でなく激しい反対の立場がある 。例えば 、アファ−マティブ・アクションは 、
中年の白人男性を「差別」するものである、と。ここに、いわゆる逆差別の
問題が生じてくることになる。
また女性差別と関連して現在大きな問題となっているのがセクシャル・ハ
ラスメントである。セクハラ行為の定義は「困難」であるが、例えば、次の
ような行為がセクハラに相当すると言われている( 20)。
・無理矢理に性的行為を申し出ること
・体を許すことを求めること coercion
・依怙贔屓 favoritism
・間接的な嫌がらせ
・性的な性質の肉体的行動(例えば、触る行為)
・視覚的な嫌がらせ(例えば、ヌ−ド写真やポルノ写真をバスル−ムの壁に
貼ったり、オフィスに立てかけたりすること)
アメリカでは、 1976 年に、ある裁判所が、タイトル・セブンを根拠に、
セクシャル・ハラスメントを「違法行為」と認定した( 21)。その後 1980 年
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に、雇用機会均等委員会がセクシャル・ハラスメントについてガイドライン
を設定し 、企業内のセクハラ行為に対して 、企業が責任を取らされる「 世論 」
が形成され今日に至っている。
ついで、職場における従業員の権利の「基礎」となる(他の多くの権利に
影響を及ぼす)という意味で重要視されている権利として「正当な手続き」
( due process )の権利がある。これは従業員に影響を与える使用者の意思決
定・手続き・規則について公平無私な公聴会を要求できる( have a hearing)
権利を意味し 、ヨリ具体的には 、苦情手続きに関連してくる権利である( 22)。
この権利の根拠は、合衆国憲法第5条および第 14 条(「 正当な法の手続きな
しに、誰も、生命、自由、財産を奪われない 」)にある。
Ewing は、従業員の権利が守られるように、従業員立憲政治 (employee
constitutionalism)を提唱し( 23)、企業内に「正当な手続きシステム」を
構築する必要性を強く訴えてきた( 24)。
これによって、従業員は、専制的な非合法的な権力の乱用から護られること
になると同時に、他の権利、例えば、プライバシ−の保護、安全な職場、等
々にも応用(適用)されて、様々な権利が保障される途を開くことになる。
プライバシーの権利、この権利が、従業員の権利として、近年特に注目を
集め議論されるようになってきた。というのは、テクノロジーの進歩によっ
て,これまで以上に,プライベートな領域と思われてきたものにまで深く入
り込むことが可能となり 、「他人が勝手に見聞できないような状況にあるべ
き自分自身に関する記録されていない( undocumented)個人情報 」( 25)が 、
企業内で当人の意図に反して 、「暴露」される事態(ケ−ス)が増加してき
たからである。
そのプライバシ−の権利は複雑であり微妙な問題である。常識のレベルで
考えると、個人的な事柄に関することを自分だけの秘密事項として保持し、
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その情報がいかにして使われるのかを知る、権利−−−これがプライバシ−
の権利である( 26)。しかしながら、現実の問題として考えると 、「プライ
バシ−」というコトバ自体がいわば先行する形になっていて、プライバシ−
を構成するものは何なのかあるいはプライバシ−の侵害とはいかなることを
指しているのか、についていまだ明確な定義が存在していないためか、その
「線引き」が困難となり、複雑な状況が続いている。例えば、次の表は裁判
所によって「プライバシ−の侵害と裁定されたケ−ス」と「プライバシ−の
侵害と裁定されなかったケ−ス」である( 27)。
【プライバシ−の侵害と裁定されたケ−ス】
・ある会社の役員が別の役員の個人的なメ−ルを開封し読んだケ−ス
・従業員の性生活に関して聞き出そうとして、侮辱的な( offensive)
発言、申し出、脅し、要求、をしたケ−ス
・仕事時間外にドラックを使用したという噂をもとに、従業員にうそ
発見器にかかるように圧力をかけたケ−ス
・時計の盗難を調査するために、使用者が従業員の個人的なロッカ
−を開けハンドバック、紙袋、等々の私的な持ち物を調べたケ−ス
【プライバシ−の侵害と裁定されなかったケ−ス】
・ある上司がある部下と不適切な( inappropriate)な関係にあるとの申
し立てを受けて、使用者が従業員と会談したり会社の記録を調べた
ケ−ス
・従業員に、ドラックテストの前に、服用している薬剤を教えるよう
に要求した使用者のケ−ス
・ある従業員が病気で休暇を取っている間に、マネジャ−がその従業
員の状態と仕事に復帰できるか否かを医者に手紙を書いて問い合わ
せたケ−ス。
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以上の事例から、この種の問題のむずかしさを推察することができよう。
経営者は、何故に,うそ発見機,薬物テスト、コンピュータ化された監視
システム,各種の心理テスト,等々のテクノロジーを導入しているのであろ
うか? この背景には、毎年従業員たちの盗みやサボタージュで数百万ドル
が消え,あるいは薬物使用によって生産性が低下しアブセンティズムが多発
し仕事上のミスが増加している ,というアメリカ企業の「 現実 」がある( 28)。
したがって,一方に,使用者たちが従業員の正直さや忠誠心をテストするた
めの方法をそれらの器機に見出したり薬物テストを実施したりすることは驚
くべきことではない ,との「 冷めた 」現状認識が生まれてくる 。だが他方で 、
うそ発見機は非倫理的である,との認識や、薬物テストは基本的には不必要
であり,薬物使用が仕事中に他の同僚に現実にあきらかな形で危険を及ぼし
ていることが判明したときにのみ,正当化される,との主張も確実に拡がっ
ている。結論的に言えば、現在では、傾向としては、従業員のプライバシ−
の権利は認められてきている。
これと関連してキチンと認識しておくべきことがある。それは、多数のア
メリカ企業において,そこに働く従業員の市民としての権利(特に,モラル
上の権利)が−−−いくつかの資料から判断するかぎり−−−これまで不当
に無視されてきた、という「事実」である。たとえば,多くのアメリカ市民
が9時から5時まで本質的には無権利状態に置かれ,職場がアメリカ人の権
利の「ブラック・ホール」( 29)になってきたことが, D. Ewing によって,
鋭く指摘され続けている。
アメリカ人はたしかにこの 200 年近く報道の自由,表現の自由,集合の自
由,正当な法の手続,プライバシー,良心の自由,等々の重要な権利を,家
庭,教会,政治・社会・文化生活においては,享受してきた。しかし,アメ
リカ人は,多くの会社においてあるいはその他の組織において,これらの市
民としての自由を享受していないのだ( 30)。これが 1970 年代後半の Ewing
の認識である。
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そして Ewing は,以上のような現状認識にもとづいて,つぎのような従業
員の人権日録( Bill of Rights)を提案したのであった(31)。
・いかなる組識もマネジャーも,経営行動の倫理,適法性あるいは社会的責
任を口頭ないし文書で批判した従業員を,解雇したり降格したりあるいは
いかなる方法でも差別してはならない。
・いかなる従業員も,勤務時間後に政治的であれ経済的であれ市民的であれ
文化的であれ彼(彼女)が自分で選んだ部外活動に従事していることによ
って,個人的な目的のために自分で選んだ製品やサービスを購入したこと
によって,あるいは政治的・経済的・社会的問題に関してトップ・マネジ
メントの所信に反する見解を表明したりそれに賛同したりすることによっ
て,罰せられてはならない。
・いかなる組織も,事前の通告あるいは同意なしに,従業員の会話あるいは
行動を録音したりビデオ撮影してはならない。いかなる組織も,従業員あ
るいは応募者に,性格テストやうそ発見機あるいはプライバシーを侵害す
る(と本人が思うような)他のテストを要求してはならない。
・いかなる人物も,従業員のデスク,ファイルおよぴロッカーを,当人が不
在のとき,調べてはならない。ただし,そのファイルが当人の不在のとき
に為されなければならない意思決定のために必要な情報を含んでいると判
断する十全な理由をもつ上級マネジャーは例外である。
・いかなる使用者組織も効果的なマネジメントに必要ではない従業員につい
ての情報を収集してはならない。
・いかなるマネジャーも,解雇予定のあるいは解雇された従業員について,
彼(彼女)が新しい地位を獲得することの妨げになるような不必要な情報
を,将来の使用者に,伝えてはならない。
・解雇・降格・左遷された従業員には,マネジメントから,そのペナルティ
の理由を文書で知らされる権利がある。
・本日録で述べられた権利を強く主張したためにペナルティを課せられたと
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思う従業員は,公平な公式の調停委員会の開催のまえに,公平なヒヤリン
グをうける権利を有する。
この「 人権目録 」は ,Ewing によれば ,彼の全く個人的な提案であり ,1970
年代の議論のための「 たたき台 」にすぎないものであった 。だがそれが 1995
年の W.Hoffman & J.Moore 編のアンソロジー『 ビジネス・エシックス(第
2版 )』にも再録されている( 32)ことを考えると,いまだにアメリカ企業内
の職場の無権利状態はそれほど変化していないように思われる。ビジネス・
エシックスの立場から、繰り返し問題提起されるのはこのためであろう。
最後に取り上げるのは従業員の職業上の安全・健康の問題である。 19 世
紀の企業家は、多くの職業において事故が発生するのは当たり前のことであ
るとの観念もあり、従業員の職業上の安全・健康の問題にほとんど関心を示
さなかった。だが今日では 、「すべての従業員は安全で健康な作業環境のも
とで働く権利を本源的に有する 」( 33)という考え方がいわば「常識」とし
て定着している。この権利は、詳細に言えば、2つの権利に細分化される。
危険な仕事について知り必要ならば拒否できる権利と、安全で健康な職場で
働く権利、がそれである。
いずれも法的な裏付けのある権利であり、例えば、前者は「知る権利」と
して知られているものであり、アメリカでは、 1980 年代中頃から、20州
において 、「知る権利法」が採択され施行されている( 34)。
後者に関連する法律は、 1970 年に成立した職業安全保健法( Occupational
Safety and Health Act: OSHA)であり、 1971 年には、職業安全衛生管理局
( Occupational Safety and Health Administration: OSHA)が組織され動き出し
た。そして今日では、多くの州にもその州の職業安全衛生管理局があり、つ
ぎのような課題に責任を持って取り組んでいる( 35)。
・使用者および従業員に労働災害を少なくするように指導し、既存の職業安
全衛生プログラムのリニュアルと改善をもとめること、
・職業安全衛生に関する研究を推進し、職業安全衛生に関する諸問題を処理
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する革新的な方法を案出すること
・労働災害を監視するために記録を取りそれを保存するシステムをつくるこ
と、
・強制的な職業安全衛生基準を設定し、それを効率的に適用すること、
・職業安全衛生プログラムを展開し分析し評価し承認すること。
このように、アメリカでは、職業安全衛生管理局の指導もあり、従業員に
は安全で健康的な職場で働く権利が、基本的には、保障されている(ように
思われる )。
それ以外にも、家族が病気になった場合、休暇を取れることが、 1993
年に、法律で認められるようになった。これは、出産、あるいは、従業員
の能率の低下を招くような健康状態になった家族の介護の為の休暇であ
り、休暇後に以前の条件で仕事を続けることが保障されているが、休暇中
は給料は支払われないのが普通である( 36)。
これは、多くの企業において家族的な雰囲気の職場( Family-FriendlyWorkplace)づくりが進められている結果でもある( 37)
と同時に、現在 アメリカ企業で、職場の(ビジネス倫理学的にも )「緊急
を要する」課題として論じらられているものとして、エイズと職場内の喫煙
がある。更には、職場環境の変革とともに肉体的疾患だけでなく精神的疾患
(ストレス)が多発している現状に対して、医療施設の充実とメンタルヘル
スへの積極的な取り組みが問題提起されている(38)。
従業員の権利としてある意味で「特異な」ものは「内部告発」の権利であ
ろう。企業に所属する人間が「一般社会あるいは企業製品の消費者にとって
害のある ,あるいは違法な企業内部の行為 ,条件などを ,政府機関 ,新聞社 ,
その他のメディアなどに通報すること 」
( 39)−−−これが内部告発である 。
内部告発は様々な理由でおこなわれているが、我々が問題とするのはあくま
- 17 -
でもモラル的動機のもとでおこなわれる内部告発である。
したがって,そのような意味での内部告発は, Boatright によれば(40)、つ
ぎのように「再」定義されることになる。ある組識のメンバーあるいはかつ
てのメンバーが,その組識の違法行為や非モラル的行為あるいは公共の利益
にある点で著しく反する組織行動について,適切な聴衆に対して,いまだ公
けにされていない( nonpublic)情報を,モラル上の抗議として,通常のコミ
ュニケーション・チャネルを利用せずに,自発的に公開すること、として。
この定義から,内部告発の特徴を確認することができる。すなわち、
第1に,組織の内部の人間によっておこなわれること,
第2に ,それが外部には知られていない秘密の情報に関するものであること ,
第3に,その情報が組織あるいはそのメンバーに責任がある誤った行為を証
明するものであること,
第4に,その情報が通常のチャネル以外の方法で公開されること,
第5に,情報の公開が自発的に為されること,
第6に,モラル上の抗議として内部告発がおこなわれること,
がそれである(41)。
このような内部告発には,モラル的観点からみても、それが言論の自由と
いう権利の行使としてみなされることもできるために、内部告発はつねにモ
ラル的に正当化されるという立場と、企業への忠誠心との関連で、それはモ
ラル的に絶対容認できないという立場があり 、対立してきた 。しかしながら 、
傾向として言えば 、「従業員は会社(使用者)に対してのみ忠誠であり従順
であるべきである」という「伝統的観念」が次第に崩れ 、「従業員は使用者
だけでなく国民大衆や自己の良心に対して義務を負っている」という観念へ
の「転換」が生じ、内部告発は従業員の権利と見なされるようになってきて
いる(42)。このような傾向の背後には、内部告発者が多くの場合当該企業か
ら冷たい処遇をうけその大半がクビにされてきたという現実に対する政府の
保護政策がある。例えば、 1981 年にミシガン州で制定された「内部告発者
- 18 -
保護法」はそのようなものの「嚆矢」として有名である( 43)。
内部告発に対する対応策として重要なことは、内部告発者を保護する方法
を考えるだけでなく、企業内に内部告発をしなくともよい仕組みをつくりだ
していくことであり、そのことがヨリ重要なことになろう。例えは、 Walter
は 、(内部告発が従業員の権利であることを前提として)潜在的な内部告発
者が実際に行動を起こさないようにするための企業の対応策としてつぎのよ
うな提案をしている( 44)。
・従業員に、会社は彼らの基本的な政治的自由に干渉するつもりがないこと
を納得させること、
・苦情処理手続きを無駄をなくして合理化・簡素化し、従業員の不平が速や
かに公平に聞き届けられないようなことがないように、彼らが内部告発し
そうな問題に対して直接にかつ体系的にヒアリングがおこなえるような制
度を構築すること、
・社会的責任の概念を洗い直し、会社のチャリティ行為だけが社会的責任で
はないということを充分に説明すること、
・従業員の良心を尊重しているということを公式的に認めそして伝えるこ
と、
・内部告発した従業員に対して厳しく無情に接することは国民の不必要な反
感を招くことになるということを充分に認識すること、
がそれであり、企業がこのような対応をするということは、内部告発が従業
員の権利であると事実上認められていることを示している。
いずれにしても、 DeGeorge の表現を借りれば( 45)、内部告発という問題
の最高の解決策は,従業員が「モラル・ヒーロー」にならないように,企業
内にコミュニケーションと応答のチャネルをつくりあげそれを活用させる
(従業員のモラル上の関心に十分に対応し彼らのモラル要求に迅速に反応す
る)ことなのである。
従業員の権利として、アメリカで、認められている(議論)されているも
- 19 -
のは、上の行論で取り上げたもの以外にも、幾つかある。例えば、従業員に
直接関係する(職場ないしは雇用に関連する)意思決定に参加する権利、が
ある( 46)。
労働組合を結成する権利やストライキの権利が取り上げられることがあ
る( 47)が、これは、個々の企業に勤めている従業員の権利とは「次元の
異なる」問題となるので、ここでは取り上げないことにする。
工場閉鎖を事前に知らされる権利( 48)に関しては、コミュニティへの
義務との関連で問題にしたい。
また、労働生活の質の向上を求める動きに対応して 、「意味のある仕事に就
くこと」や「疎外の止揚」を求める声が高まってきている( 49)が、権利と
しては主張されていないようである。
以上述べてきたことをとりあえずまとめる意味で、 Werhane によって整
理提起されている「従業員の権利日録 」( Bill of Rights)を紹介しておくこと
にする( 50)。
1)仕事に関する平等の権利。宗教、性別、出自、人種、肌の色、等々で差
別されない権利。
2)職務記述書で記載された同一の職務に対して同一の賃金を受け取る権
利。
3)試用期間の後、仕事を保障される権利。以下の条項に当てはまる場合に
のみ、解雇される。
・満足のいくように( satisfactorily)仕事を遂行しない場合
・会社内外で、犯罪を起こした場合
・仕事中に、飲酒したりドラックを服用した場合
・正当な理由なしに会社の活動を積極的に混乱させた場合
・肉体的にあるいは精神的に働けなくなるか、定年に達した場合
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・使用者が公的に証明できる( verifiable)理由のもとで解雇する場合
(例えば、会社の譲渡、破産、等々)
・正当な法の手続きを経て、解雇ないしはレイオフをおこなう場合
4)職場において、正当な法の手続きを受ける権利。
5)職場において、自由に発言する権利。
6)プライバシ−法が適用される権利。
7)うそ発見器を拒否できる権利。
8)自己の判断で外部の仕事に従事する権利。
9)安全な職場で仕事をする権利。
10)会社や仕事に関連する情報を知る権利。
11)意思決定に参加する権利。
12)ストライキの権利。
これらはかなり曖昧な表現で示されており検討の余地を多分に残しているも
のもあるが、ここまで述べてきたことを確認するという意味では意義がある
と思われる。
3-2.従業員の義務
従業員は,労働契約の蹄結とともに,一定の時間特定の企業に勤務するこ
とを要求されるが,それには,通常,様々な義務がともなっている。たとえ
ば, DeGeorge によれば( 51),「労働者はモラル的な道徳律に従う義務があ
るし,他の場合と同しように職場においても法に従う義務がある。それゆえ
に,会社に対して‥盗みを働くべきではない。…労働者はうそをつくべきで
はないし,誤った情報を流すべきでも他の従業員を性的にまた他の形によっ
で悩ませるべきでもない。…上司であろうと部下であろうと,仲間の被雇用
者すべてに対し尊敬の念をもって接する義務がある。また契約条件を順守す
る義務があり,8時間働く約束で雇用されたのであれば,その時間きちんと
働く義務がある。良心の求める通りに職務を遂行し,契約条件に従って働く
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必要があるが,これは正義に対する義務である 」。
上述の義務は、一般的には 、「伝統的な」従業員義務観(従業員は忠実な
代理人でなければならない,との考え方)に従って、従業員の「 agent とし
ての義務」として総称されることがある。
Agency theory によれば,代理人とは他の人間(本人)の利益のために
行動しまたその人のために行動する権限を与えられた人間である。これが
企業に適用されると、様々なプリンシパル・エジェント関係が抽出される
が、例えば、従業員は、使用者の利益をめざして働くために雇われている
という意味で,使用者の代理人とみなされるのである
例えば、 Luckhardt, C. G.は、そのような「 agent としての義務」をつぎのよ
うに整理している(52)。
1 常識としての注意深さと技能で働くこと( duty of care and skill)
2 必要な情報を提供する義務
3 良き行動をする義務
4 従う義務
5 オ−ソライズされた行動をとる義務( act only as authorized )
6 忠誠心の義務
7 リベ−トや賄賂( adverse interest)を取得しない義務
8 利益を考慮する義務 account for profit
7 機密保持 confidentiality の義務
上記の義務はつまるところ「 忠誠心 」という問題に収斂すると思われるが 、
その忠誠心も検討していくと様々な問題を抱えていることが判明してくる。
ここでは 、(多くの文献において義務として指摘されている )「利害の対立」
という現象に焦点を合わせて、従業員の義務を若干詳細に検討することにし
たい。
- 22 -
利害の対立( conaict of interests)は,一般的には,2つ以上の利害が合
法的に存在しそれらが張りあうあるいは対立しあう状況を意味している。た
だしこれは現実にはかなり幅広く解釈され,ある個人的な利益がある(他の
人の利益に奉仕すべき )義務と対立する場合にも ,利害の対立は生じる(53),
と理解されている。
したがって,これは,たとえば,ある人間(代理人)が他の人間(本人)
のために( on behalf)行動しその人のコントロール下にあることを同意し
ている代理関係( agency relation)にもあてはまるのであり,当然のことと
して,正規の従業員にもあてはまる。なぜならば,従業員は使用者の利益に
奉仕するという一般的な義務を有しているからである。ここには ,「従業員
は企業の目標を追求し,その企業のために働いている間はその目標に対立す
ることはすべてしてはならない」(54),という「伝統的な」従業員義務観が
存在している。
かくして,ビジネスの世界においては,会社のためにある仕事に従事して
いる従業員が,その仕事の結果(単なる結果ではなく,会社の最大の利益に
反する結果あるいは彼の自立的な判断によって大きく影響されることが予想
される結果−−−に個人的に関心をもつときに生じる,対立,が利害の対立
として,問題にされることになる。
そのような利害の対立は様々な形態で現象しているが, J. Boatright によ
れば,それらは4つの種類に分類(整理)される(55)。
( 1)偏った判断をおこなうこと。わいろやキックバックそして贈物を受けと
ることはこの代表的なあらわれである。
( 2)使用者と直接競合する仕事に,副業として,従事すること,あるいは家
族のものにそのような仕事をさせること,
( 3)地位を悪用すること。たとえば.資格に欠ける親類(縁者)を雇うこと
はこれに相当する。
( 4)機密(秘密)事項を外部にもらすこと。インサイダー取引はその代表的
- 23 -
な事例である。
このような利害の対立が単に非倫理的なものではなくなりあきらかに違法
なものとして認識されるとき,それらは,特に ,「ホワイトカラーの犯罪」
として問題にされることになる。
以上のことは,従業員には,一般的に言って,日々の仕事を「正直に」遂
行する義務があることを示しているが,ここに疑問が生じる。従業員には企
業に対して忠誠を尽くす義務はあるのであろうか?
と。 DeGeorge によれ
ば( 56) ,「この設問には明確な解答を与えることは不可能である 」。多くの
企業が従業員に対し,忠誠を期待し,これを求めていることは事実であり,
「労働者の方も自分の最低限の時間、努力を費やして事足れりというわけで
はない。彼はその会社の企業活動の一部であり,チームの一員であり,そし
てさまな形で自分の忠誠心を示すよう期待されている 」。このように「雇用
者側は忠実で忠誠心あふれた被雇用者を雇いたがるであろうが,被雇用者の
方には雇用者に対する忠誠心をもたねばならない一般的義務,モラル義務が
あるわけではないのである 」。
したがって、従業員はいかなる命令にも服従すべきである,とは言えない
のであり,命令を遂行することがモラルに適うこともあればそれを遂行しな
いことがモラルに適うこともあるのである。そのことを象徴的に示している
のが、従業員の権利で例示した(従業員の「忠誠心 」「服従」の特殊な形態
として知られている)内部告発である。内部告発は労働者の労働者としての
義務と人間としての義務(権利)の対立の典型的な事例である。
このように見てくると 、(忠実な代理人を前提とした)プリンシパル・エ
ジェント関係に基づく「伝統的な」従業員義務観が現在大きな修正を迫られ
ているように思われる。
最後に、従業員の義務を逆の立場から見るとどのようになるのか、という
観点から 、使用者の権利として知られているものを列挙することにする( 57)
1)同僚を差別している従業員を発見した場合、その従業員を叱責・降格・解
- 24 -
雇することができる
2)能率が悪く平等な賃金を受け取るに値しない従業員を配置転換することが
できる
3)仕事中に飲酒やドラックを常用したり仕事上の義務の遂行を妨げるような
行為を続ける従業員を解雇することができる
4)正当な法手続で有罪と認められた従業員を叱責(降格・解雇)する事がで
きるし、必要ならば、法の下での裁きに委ねることができる
5)従業員が会社ないしは他の構成員を中傷した場合、その従業員を雇い続け
る義務はない
6)使用者のプライバシ−は従業員のプライバシ−と同じように重要である。
明文化された協定によって、従業員は機密事項に属する会社の情報や営業
上の秘密を、それらを漏らすことが国民の利益に適う場合を除いて、開示
しないことを求められている
7)使用者は仕事中の従業員を(仕事時間中に限って)従業員の同意のもとで
監視することができる
8)従業員は使用者に実際に害を与える活動に従事してはならないし、本来の
使用者の事業と競合するビジネスに副業として従事してはならない
9)従業員は指示された仕事を、それが通常の道徳基準と対立していたりある
いは事前にその危険性に就いて知らされていない場合を除いて、遂行する
ことを期待されている。使用者自身も仕事上の危険について充分な情報を
得ておくべきである。
10)使用者は従業員の健全な採用および昇進の判断を下すために必要な個人
的情報を、使用者がその情報をキチンと保持することができるならば、
入手する権利を有する
11)使用者は従業員と同じように権利を有する。それ故に、参加義務は、双
方の当事者がお互いの権利を尊敬するという前提のうえでの相互義務で
ある。したがって、使用者は、従業員の参加の権利の見返りとして、従
- 25 -
業員に能率的に生産的に働くことを要求する権利を有する。
12)理由なくストライキをおこなった従業員を解雇できる。
これらの権利「目録」も前述のものと同じく Werhane によって作成され
たものであり、曖昧な表現があるが、使用者の権利(従業員の義務)を知る
ためには有益である。
4.おわりに
従業員は使用者と比べると相対的に劣位に置かれているため、従業員の権
利は極めて重要な課題として論じられてきた。この「力関係」は今日でも基
本的には変化していないので 、「従業員の権利」という問題は今日でも依然
として重要な課題として残されている。しかも社会制度が益々複雑化してき
たことも加わり、事態は混迷の度合いを深めているのが現状である。そのこ
とは上述の行論から容易に推察できると思われる。
最後に 、(従業員によって要求されている)多様な権利のなかから特に重
要な権利と判断されるものを、最近の議論( 58)を踏まえて、整理しておこ
う。
この場合、従業員の権利はいわゆる法律の裏付けのある法的な権利なのか
それとも(モラル的に要求されてくるとの意味での)道徳的な権利なのか、
が問題になってくると思われる。確かにこの「区別」は重要であるが、その
境界はある意味では「流動的」であるので、厳密に峻別することがそれほど
の意味があるのか、との反論も予想される。
したがって 、ここでは 、法的な権利と「 道徳的 」権利の双方を対象として 、
モラル的に最低限要求されるものとしての権利とはなになのか、との問題意
識のもとで、あるいは従業員の権利を考える場合に不可欠と思われるものに
限定するとどのような権利が抽出されるのか、という観点から、整理するこ
とにする。
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その意味で整理すると、従業員の権利は以下の5つに義務に集約できるよ
うに思われる。
・差別されない権利
・公平な支払いを受け取る権利
これは、ただ単に「同一労働同一賃金」の原則の実現だけでなく、貢献度
に応じた報酬をも意味している。
・職場で安全を保証される権利
安全な作業環境を整備するだけでなく、避けられない危険が発生する場合
には正確な情報を開示する、義務が使用者にはある、ということ
・職場で正当な手続きがおこなわれる権利
従業員には自己に関係する政策・措置が取られるときその理由を知らされ
るべきであるしヒアリングを要求する権利がある。更には、意思決定への
参加もこの権利に含まれる。
・職場でプライバシ−が保護される権利
これは自由の権利から派生するものであり、仕事に関係のない個人的情報
が保護され公表されないことを意味するが、その「プライバシ−」の範囲
(境界)が現在問題となっている。
(注)
( 1) Carroll,A.& Buchholtz,A .K., Business & Society : Ethics and Stakeholder
Management , 4th Edition, South-Western College Publishing, 1999,p.443)。
( 2) Ewing,D.W.,"Due Process: Will Business Default? ", Harvard Business
Review,November‑December,1982,pp.115‑116.
( 3) Carroll,A.& Buchholtz,A .K.,op.cit.,p.445.
( 4) Carroll,A.& Buchholtz,A .K.,op.cit.,p.447.
- 27 -
( 5) Carroll,A.& Buchholtz,A .K.,op.cit.,p.445.
( 6) Carroll,A.& Buchholtz,A .K.,op.cit.,p.445.
( 7)Weiss,Business Ethics : A Stakeholder and Issues Management Approach, 2nd
Edition, The Dryden Press, 1997, p.176
( 8)Caston,R. J., Life in a Business-Oriented Society : A Sociological Perspective,
Allyn and Bacon, 1998,p.205 )
( 9)この歴史と内容については、とりあえず、 Steiner, G.A. & Steiner, J.F.,
Business,Goverment,and Socity : A Managerial Perspective, 9th Edition,
McGraw-Hill, 2000,pp.641-650 を参照)
( 10) Carroll,A.& Buchholtz,A .K., op.cit.,p.447)
( 11)宮坂純一『現代企業のモラル行動』千倉書房、 1995 年、 49 ペ−ジ。
( 12)デジョ−ジ著山田経三訳『経済の倫理動』明石書店、 1985 年、 216 ペ
−ジ。
( 13) Caston,R. J. op.cit.,, p.205.
( 14) Werhane,P.H.,Persons, Rights,and Corporations, Prentice-Hall,1985,
p.85
( 15) Beauchamp, T.L. and Bowie, N.E. ( eds.),Ethical Theory and Business, 4th
Edition, Prentice-Hall, 1993,p.270.
( 16)デジョ−ジ著山田経三訳、前掲書、 216 ペ−ジ。
( 17) Weiss,J W., op.cit.,,p.184.
( 18)Buchholz, R.A., Business Environment and Public Policy,
Prentice-Hall, 1982,
p.207.
( 19) Nagel, T., Deffense of Afffermative Action
, In Beauchamp, T and Bowie,
N (eds), Ethical Theory and Business, 5th Edition, Prentice-Hall, 1997,
pp.483-486.
( 20) Weiss, op.cit., p.201.
( 21)東京人権啓発企業連絡会編「「 企業と人権 」ハンドブック 」明石書店 、1994
年、 121 p
- 28 -
( 22) Weiss, op.cit.,p.184.
( 23) Ewing,D.W.,Freedom Inside The Organization:Bringing Civil Liberties
to the Workplace,A Sunrise Book,1977
( 24) Carroll,A.& Buchholtz,A .K.op.cit.,p.452
( 25)Boatright, J.R., Ethics and the Conduct of Business,
Prentice-Hall, 1993, p187
( 26) Carroll,A.& Buchholtz,A .K., op.cit.,p.472
( 27) Carroll,A.& Buchholtz,A .K., op.cit.,p.473
( 28) Hoffman,W. & Moore,J.( eds.),Business Ethics. Readings and Cases in
Corporate Morality,2nd ed., McGraw-Hill, 1990, p.272.
( 29)Ewing,D.W.,op.cit.,pp.3-24. また 、Ewing,D. W., Justice on the Job : Resolving
Grievances in the Nonunion Workplace, Harvard University Press, 1989. も 参照の
こと。
( 30) Ibit..
( 31) Ewing,D.W.,op.cit.,pp.144-150.
( 32)Ewinng, D., An Employee Bill of Right , In Hoffman, W and Moore, J. ( eds),
Business Ethics. Readings and Cases in Corporate Morality, 2nd Edition,
McGrraw-Hill, 1990.
( 33) Weiss, op.cit.,p.187
( 34) Weiss, op.cit.,p.187
( 35) Vernon,H., Business and Society : A Managerial Approach ,6th Edition,
McGraw-Hill, 1998, p.448
( 36) Carroll & Buchholtz, op.cit.,p.500
( 37) Carroll & Buchholtz, op.cit., p.499-500
( 38) Carroll & Buchholtz, op.cit., p.493-500
( 39)デジョ−ジ著山田経三訳、前掲書、 230 ペ−ジ。
( 40)Boatright, J.R., Ethics and the Conduct of Business,
( 41) Boatright, J.R., op.cit., pp.131-133
- 29 -
Prentice-Hall, 1993, p.169.
( 42)宮坂純一、前掲書、59ペ−ジ。
( 43) Carroll & Buchholtz, op.cit., p.462
( 44) Walters,K.D.,"Your Employees' Right to Blow The Whistle", Harvard
Business Review, November‑December,1982,pp.161‑162.
( 45)デジョ−ジ著山田経三訳、前掲書、 231 ペ−ジ。
( 46) Green,R., The Ethical Manager : A New Method for Business Ethics,
Prentice-Hall, 1994.p.161
( 47) Weiss, op.cit.,p.191
( 48) Weiss, op.cit.,p.191
( 49)Solomon,R. C., Above the Bottom Line : An Introduction to Business Ethics,2nd
Edition, Harcourt Brace College Publishers, 1994,p.436
( 50)Werhane,P.H., Persons, Rights,and Corporations, Prentice-Hall,1985,pp.168-169.
( 51)デジョ−ジ著山田経三訳、前掲書、 219-220 ペ−ジ。
( 52) Luckhardt, C. G., Agent' Duties , in Snoneyenbos, M., Almeder, R. and
Humber J. (eds.), Business Ethic , Revised Edition, Prometheus Books, 1992,
pp.108-114.
( 53) Boatright, J.R., op.cit., p.169.
( 54) Velasquez, W. G., Business Ethics : Concepts and Case, 3rd Edition,
Prentice-Hall, 1992,p.376.
( 55) Boatright, J.R., op.cit., pp.174-178.
( 56)デジョ−ジ著山田経三訳、前掲書、 223 ペ−ジ。
( 57)Werhane,P.H.,Persons, Rights,and Corporations, Prentice-Hall,1985,pp.169-170.
( 58) Rowan,J.R.,"The Moral Foundation of Employee Rights", Journal of Business
Ethics, 24-4,2000,p.358-360.
- 30 -