瞑想とその方法 - ヨーガ塾 シュリー・チャクラ

瞑想とその方法
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ
ヨーガ(ラージャ・ヨーガ)による瞑想
瞑想とは何か?
瞑想とは何か?瞑想とは、この私たちの全ての奴隷の性質に反抗する力だ。自然は私たちに呼びか
けるだろう、「見よ、そこに美しいものがある!」と。私は見ない。また自然は言う、「そこに美しい香り
がする。それを嗅げ!」と。私は自分の鼻に言う、「それを嗅ぐな」と、そして鼻は嗅ぐことはしない。
「目よ、見るな!」と自然は恐ろしいこと ── 私の子供たちの一人を殺す、そして「さあお前、坐って
泣け!奈落に行け!」と言う、私は「そうする必要などはない。」と言う。私はさっと立ち上がる。私は自
由であらねばならないのだ。しばしばそれを試みよ。瞑想において、ほんの瞬間あなたはこの性質を変
えることができるのだ。さて、もしあなたがその力を持っているなら、それは天国、自由ではないだろ
うか?それが瞑想の力だ。
それはどのように達成できるのか?様々な方法がある。それぞれの気質に合った適正な方法がある
のだ。しかし、心を制御すること、これが全般的な原理だ。心は湖のようだ、そして湖に投げ入れた石は
波を起こす。これらの波は、私たちが誰かを見えなくしてしまう。満月が湖の水に投影されても、その表
面があまりにも乱れていれば、私たちには月の投影がはっきりとは見えない。湖を鎮めよ。自然の力に
波を乱させてはならない。静寂を保て、そうすればまもなく自然は鎮まるだろう。そのとき、私たちは
自分が誰かを知るのだ。神は既にそこに存在している、しかし心はあまりにも扇動され、いつも感覚器
官の後を走り回るのだ。あなたは感覚器官を閉じるが、なお心は動き回る。今この瞬間私は準備ができ
た、神を瞑想しようと思うが、私の心は一分でロンドンに行ってしまう。そしてもし心をロンドンから引き
戻そうとすると、心はニューヨークに行って、私が過去にそこで行った事柄を考えるのだ。これらの心
の波は、瞑想の力によって停止することができる。
至福への門
瞑想は、私たちに無限の喜びを開く門だ。祈り、儀式、その他全ての礼拝の形式は、瞑想の単なる幼
稚園だ。あなたは祈る、あなたは何かを奉納する。これら全てには、人間の霊的力を高めると言う、確
かな理論が存在していた。ある言葉、花、聖像、寺院の使用。光(*灯明)を揺らすような儀式は、心を聖
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なる態度へと導くが、その態度は他のどこでもなく、人間の魂の中にいつも在るものだ。人々は皆それ
を行っているが、それを知らずに行っている、それを知って行え。その態度が瞑想の力だ。
ゆっくりと徐々に、私たちは自身を訓練しなければならない。訓練は簡単なことではない ── 一
日、あるいは数年、あるいは何回もの輪廻転生で達成されるものではない。しかし気にすることはな
い!持続的努力は前進させなければならない。理解を伴い、自発的に、持続的努力は前進させなけれ
ばならないのだ。一インチづつ、私たちは土地を獲得するだろう。私たちは真の領地 ── 誰にも奪わ
れない、を獲得するのを感じ始めるだろう ── 誰も得ることのできない富、誰も破壊することのでき
ない富、どんな悲惨も傷つけることのできない喜びを。
真理の探究
ヨーガは、これらの知覚(神の直接体験)をどのように獲得するかを私たちに教える科学だ。宗教を
感じるまで、それについて多くを語るのは意味がない。なぜ神の名の下に、多くの騒動、多くの闘争と
口論があるのだろうか?どんな原因よりも神の名の下で多くの流血があった、なぜなら人々は決して
その源泉には行かず、先祖の習慣に同意するだけで満足し、他の人々が同じように行うことを欲する
からだ。もしその人が魂を感じないのに、自分には魂がある、あるいは神を見ていないのに、神は存在
すると語るどんな権利があるだろうか?もし神が存在するのであれば、私たちは神を見なければなら
ない、もし魂が存在するならば、私たちはそれを感じなければならないのだ、そうでないならば、信じ
ないほうがよい。偽善者であるよりも率直な無神論者であるほうがよいのだ。
人間は真実を求める、自分自身のために真実を体験することを求めるのだ。人が自身のハートの真
髄で真実を理解し、目覚め、感じるとき、そのときにのみ人はヴェーダを公言し、全ての疑いは消滅し、
全ての闇は消散し、全ての歪曲は正されるだろう。
心はいかに落ち着かないか!
心を制御することはいかに困難な事か!それはよく狂った猿と比較されて来た。ある猿がいた、全
ての猿のように、その猿の性質は落ち着きがなかった。それだけでは物足りなく、誰かがその猿に酒を
好きなだけ飲ませた、そのためその猿はさらにもっと落ち着きがなくなった。そのあと、サソリがその猿
を刺した。人間がサソリに刺されると、一日中その痛みで大騒ぎとなる。哀れな猿は、自身の状態が以
前よりもさらに悪化したのだ。その猿の悲惨を完結させるために、悪魔がその猿の中に入った。その猿
の制御不可能な落ち着きのなさを、どんな言葉で描写できようか?人間の心もその猿のようなものだ、
心は性質上絶え間なく活動する。さらに心は欲望の酒に酔うのだ、そうして心の騒乱は増大して行く。
欲望に占有された後、他者の成功への嫉妬というサソリに刺される、そして最後に高慢と言う悪魔が心
に入り込み、自身(*自我性)を大変に重要なものと考えるのだ。そのような心を制御するのはどれほど
困難な事だろう!
途轍もない作業
ヨーギたちによれば、三つの神経の流れの原理が存在する。その一つをイダーと呼び、もう一つがピ
ンガラー、中央がスシュムナーだ、そしてこれら全ては脊柱の内部にあるのだ。イダーとピンガラー、左
と右は、神経の集まりであるが、中央のスシュムナーは空洞であり、神経の集まりではないのだ。このス
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シュムナーは閉じていて、一般の人は使用できない、そのため人はイダーとピンガラーだけを通じて活
動するのだ。神経の流れは、これらの神経を通じて継続的に下降・上昇し、他の神経が身体の異なる諸
器官に流れるのを通じて、身体全体を統制するのだ。
私たちの前の作業は広大だ。まず最初に私たちは、自動的となっている沈下した莫大な想念(*過去
の印象)の制御を行わねばならない。邪悪な行為は、疑いなく、顕在意識領域で行われる。しかし邪悪
な行為を生み出す原因は、無意識で見えない遥かな領域にあり、そのために強力なのだ。
これが、無意識領域の制御という学習の最初の部門だ。次に、顕在意識(目覚めている状態)を超え
て行く。そのため、私たちはここで二重の作業を理解する。第一は、一般的な二つの流れ、イダーとピン
ガラーの正しい活動により、潜在意識的活動を制御することだ。第二は、顕在意識を超えることだ。
自己集中の長い実践の後、この事実に到達する者だけがヨーギだ。スシュムナーはここで開かれ、以
前には決してこの新しい通路に流入しなかった流れは、その通路を発見し、最後には脳に到達するまで、
徐々に(私たちが比喩的言葉で呼ぶ)異なる蓮のセンター(*チャクラ)を上昇する。そのあと、ヨーギは
自分が本当は誰か、神自身に目覚めるのだ。
瞑想のための環境
もしそれが可能な人は、この実践(瞑想)だけのための部屋を持つほうがよいだろう。その部屋で眠
ってはいけない、その部屋は神聖に保たなければならない。あなたが沐浴を行うまでは、その部屋に
入るべきではない、そして身体と心を完全に清らかにするべきだ。その部屋にはいつも花を置け。それ
がヨーギの最良の環境だ。またあなたを喜ばせる写真や絵を飾れ。その部屋の中で争ってはならない、
怒ってはならない、神聖でない思いを抱いてはならない。その部屋には、あなたと同じ思いを持つ人
だけが入ることを許可せよ。徐々にその部屋には神聖な雰囲気が漂い、あなたが惨めなとき、悲しい
とき、疑いを持つとき、心が乱れるとき、その部屋に入るだけであなたは静穏になるだろう。このこと
が寺院や教会の理念だった、あなたは現在でもある寺院や教会でそれを発見するだろう、しかしそれ
らの大多数はこの理念を失ってしまった。この理念とは、神聖な波動を保つことで、その場所は神聖に
輝き、その神聖な状態を保つというものだ。独自の部屋を持つ余裕のない人は、自分の好むどこでで
も実践(瞑想)せよ。
瞑想のための必需
火のあるところ、水の中、枯葉がまき散らされた土地、たくさんのアリ塚のあるところ、野生の動物の
いるところ、危険な場所、道路の四つ角、喧騒の多いところ、多くの邪悪な人々のいる場所、そこでヨ
ーガの実践は行うべきではない。これはインドにおいて特に適用されている。身体が非常にだるいとき、
病気のとき、心が惨めで悲しいときには実践(瞑想)はするな。世間から隠れた場所、人々があなたを妨
害しない場所に行け。汚い場所を選択するな。むしろ美しい景色か、あなたの家の美しい部屋を選択せ
グ
ル
よ。あなたが実践(瞑想)するとき、最初に全ての古代のヨーギたちに、そしてあなたの聖師、神に挨拶
せよ、そのあとで実践(瞑想)を開始せよ。
瞑想のための時間
あなたは少なくとも毎日二回実践しなければならない、最良の時間は朝と夕方だ。夜が日中へと、
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日中が夜へと通過するとき、相関的な静寂状態が生じるのだ。早朝と早夕(日没時)が二つの静寂の時
間だ。あなたの身体は、それらの時間には静穏になる傾向があるだろう。私たちはその自然な状況の
有効性を活用すべきだ、そして実践を開始せよ。あなたが実践を終えるまでは、食事を取らないことを
規則とせよ。もしあなたがこの規則を守れば、厳しい空腹の力はあなたの怠惰性を破壊するだろう。イ
ンドでは、子供たちが瞑想や礼拝を済ませるまでは決して食べないよう教育していて、子供たちにはそ
れが自然なこととなっている。少年は、沐浴し瞑想を終えるまでは、空腹を感じないだろう。
まず祈れ!
心の中で繰り返せ。
全ての生きものたちが幸福であれ。
全ての生きものたちが平和であれ。
全ての生きものたちが至福に満ちてあれ。
その祈りを、東、西、南、北(*全ての方角)に向けて行え。この祈りを唱えれば唱えるほど、あなたは自
身をより善く感じることだろう。あなたは最終的に、自身を健康にするには他の人々が健康であると思
うことが最も簡単な方法であること、自身を幸福にするためには他の人々が幸福であると思うことが
最も簡単な方法であることを発見するだろう。この祈りを終えた後、神を信じている人々は祈るべきだ
── 金のためではなく、健康のためではなく、天国(*死後)のためでもなく。知識と光のために祈れ。
他の祈りは全て利己的だ。
最初の訓練
しばらくの時間坐れ、心は自由にさせておけ。あなたはただ待ち、心を眺めよ。知識は力であると諺
は言う、それは真実だ。あなたが心とは何かを知るまでは、心を制御することはできない。心を制御せ
よ。多くの忌まわしい思いがやって来るかもしれない。自分がそのような思いを考えることに、驚かさ
れることだろう。しかしあなたは、日ごとに心の気まぐれの激しさがだんだん減少し、日ごとに心が静
まって行くことを発見するだろう。
全ての議論やその他の心の娯楽を断念せよ。無味乾燥な知的専門用語に何かがあるだろうか?そ
れはただ心のバランスを崩させ、混乱させるだけだ。精妙な領域の事柄に目覚めなければならない。
無益なおしゃべりでそれが可能だろうか?だから全ての空しいおしゃべりを断念せよ。目覚めた人々に
よって記されて来た本だけを読め。
考えよ!
あなたの身体を思え、あなたの身体は強く健康であると考えよ。それはあなたの所持する最良の媒
体だ。自分の身体は堅固無比の強いものであり、この身体の助けによってあなたはこの生の大海を渡
るのだと考えよ。自由は弱さによっては決して達成できない。全ての弱さを放棄せよ。あなたの身体は
強いと告げよ、あなたの心は強いと告げよ、そして自分自身への無限の信仰と希望を持て。
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いくつかの瞑想法の実例
頭上、数インチ(*1 インチ=2.54 センチ)上に蓮の花を、その中心(*花芯)が美徳を、その茎が知識を
象徴するものとして想像せよ。蓮の花の 8 枚の花弁は、ヨーギの 8 つの力(*超能力)だ。その内部のおし
べとめしべは放棄を象徴する。もしヨーギが外的力(*超能力)を拒否するなら、解脱を得るだろう。だ
から蓮の花の 8 枚の花弁は 8 つの力であり、内部のおしべとめしべは極度の放棄であり、それら全ての
オーム
力の放棄だ。その蓮の花の内部に、全能で、無形で、その名が Om であり、言語を絶し、周囲に光輝を
放つ金色の存在を考えよ。それを瞑想せよ。
別の瞑想法がある。あなたのハートの内部の空間を考えよ、そしてその空間の真ん中に燃えている
炎を思え。その炎があなたの魂(*個別の魂)であると考えよ、そしてその炎の内部に別の輝く光を考え
よ、それがあなたの真の魂(*自己)、神だ。あなたのハートの内部のその光を瞑想せよ。
どのように目的地に到達するか
厳しく実践せよ。あなたの生も死も問題ではない。あなたは結果を考えずに、実践に飛び込み、実習
しなければならない。もしあなたが十分に勇敢であれば、6 か月以内には完全なヨーギになることだろ
う。しかし実践をほんのわずかしか行わず、他の全てを少しづつ行う人々には、進歩はない。単に訓練
コースを選択するのは無益だ。
成功するためには、あなたは途轍もない忍耐と、途轍もない意志を持たねばならない。忍耐ある魂
は、「私は海を飲み干そう」と言う、「私の意志で山々は粉々になるであろう」と。そのようなエネルギ
ー、そのような意志を持て、厳しく実践せよ、そうすればあなたは目的地に到達するだろう。
注意せよ!
全ての動きは円を描く。もしあなたが一個の小石を取り上げて空中に放り投げ、長生きしたとする、も
しその小石が何の障害にも会わなければ、正確にあなたの手に戻って来ることだろう。電気の場合の
ように、発電機から離れた電力はまた円を描いて発電機に戻るという現代理論があるが、憎しみや愛
も同じだ。それらは源泉に戻らなければならないのだ。だから誰も憎んではならない、なぜならその憎
しみはあなたから離れ、長い時間を経て、あなたのもとに戻って来なければならないからだ。もしあな
たが愛せば、その愛は完全な円を描いて、あなたのもとへと帰って来ることだろう。
心の湖
湖の底を私たちは見ることはできない、なぜならその表面がさざ波で覆われているからだ。そのさ
ざ波が静まり、その水が静穏になったときにのみ、私たちは底を見ることができる。もしその水が汚れ、
いつも揺れ動いていれば、その底は見えないだろう。もしその水が透明で、そこに波がなければ、私た
ちはその底を見ることができるだろう。湖の底は私たちの真の自己だ。湖はチッタ(心の構成要素)そし
て波はヴリッティス(想念の波)だ。
さらに、心には三つの状態がある、それらの一つは闇であり、タマスと呼ばれ、獣や愚か者に見出さ
れる。それは損なうためにだけ活動する。その心の状態には、他の考えは全くやって来ない。次にそこ
には心の活動状態、ラジャスがあり、その主要な動因は力と楽しみだ。「私は強力になろう、そして他の
人々を支配しよう。」。次にサットヴァと呼ばれる状態、安らかで、静かな状態があり、そこではさざ波は
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停止し、心の湖の水は透明になるのだ。
心とその制御
瞑想は、これらの想念の波の生起を制御する偉大な方法の一つだ。瞑想によって、あなたは心のこ
れらの波を抑制することができる、そしてもしあなたが瞑想の実践を数日間、数ヶ月間、数年間、それ
が習慣になるまで継続すれば、怒りや憎しみは制御され阻止されるだろう。
注意せよ!
サ イ ン
あなたが宗教的になることの最初の兆候は、あなたが快活になることだ。ある人が陰気であるとき、
それは消化不良かもしれないが、それは宗教ではない。
ヨーギにとって、全てが祝福に満ち、彼が見る全ての人間の顔が、彼に快活さをもたらすのだ。それ
サ イ ン
が徳性ある人の兆候だ。陰気な顔であなたはどんな仕事をするというのか?それは恐ろしい。もしあ
なたの顔が陰気なときは、その日は外出するな、自分の部屋から出てはならない。あなたに、この病気
を世間に運び出すどんな権利があると言うのか?
サ イ ン
ヨーギの兆候
エ ゴ イ ズ ム
「彼は誰も憎まない、彼は全ての友だ、彼は全てに慈悲深い、彼は何も所持しない、彼は利己主義か
ら自由だ、彼は苦痛と快感に公平だ、彼は寛容だ、彼はいつも満足している、彼はいつもヨーガの中で
活動する、彼の自己は制御されている、彼の意志は堅固だ、彼の心と知性は私(シュリー・クリシュナ)に
捧げられている、そのような人は私の愛するバクタ(信仰者)だ。彼からの害は何もない、彼は他人に害
されることはない、彼は喜び、怒り、恐れ、不安から自由だ、そのような人は私の愛する人だ。彼は何事
にも依存しない、彼は純粋で活動的だ、彼は善が来ても悪が来ても気にしない、彼は惨めにはならな
い、彼は自分のための全ての努力を放棄している、彼は静かな思慮深い心で、賞賛と非難に公平だ、彼
さ さ い
はどんな些細な出会いでも幸福であり、全世界が自分の家なので家を持たない、そして彼は自分の理
念に堅固だ、そのような人が私の愛するバクタだ。」。
そのような人だけがヨーギとなるのだ。
真珠貝のようであれ
か
き
もしスヴァティ星が支配位に上昇するときに雨が降り、その一滴が牡蠣の内部に落ちれば、その一滴
か
き
は真珠になるというインドの美しい寓話がある。牡蠣たちはこのことを知り、その星が輝くときには海
しずく
か
き
か
き
の表面に行き、その貴重な雨の一滴を捕えようと待つのだ。雨の 滴 が牡蠣の内部に落ちるとき、牡蠣
たちは急いでその貝殻を閉じ、海の底に潜る、そしてそこで雨の一滴が真珠になるまで忍耐強く成育
させるのだ。私たちもそのようであるべきだ。最初に聞き、次に理解し、次に、全ての娯楽から離れ、あ
なたの心を外の影響から閉ざし、あなたの内部の真実の成長のために、自身を捧げよ。
忍耐
ナーラダと呼ばれる神の賢者がいた。人間の中にも偉大なヨーギたち、賢者たちがいるように、神々
の中にも偉大なヨーギたちがいるのだ。ナーラダは実に偉大で、素晴らしいヨーギだった。彼はあらゆ
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る場所を旅していた。ある日ナーラダは森を通り抜けていた、するとある男が白アリが彼の周囲に大き
なアリ塚を作るまでに瞑想し続けて来た姿を見た ── 彼は長い間その姿勢で座り続けていたのだっ
た。彼はナーラダに言った、「あなたはどちらに行かれますか?」、ナーラダは答えた、「私は天国に行
くところです。」と。「それでは神にお尋ねください、いつ神の慈悲が私に授与され、いつ私は自由が達
成できるのかを。」。ナーラダがさらに歩いて行くと、別の男を見た。彼は跳びはね、歌い、踊りながら言
った、「おお、ナーラダさま、あなたはどこに行かれますか?」と。彼の声と態度は熱狂的だった。ナーラ
ダは、「私は天国に行くところです。」と言った。「それでは、私がいつ自由になるかをお尋ねくださ
い。」。ナーラダは先へと進んで行った。
やがてナーラダは再び同じ道にやって来た、そこには周囲にアリ塚のできた男が瞑想していた。彼
しゅ
しゅ
は言った、「おお、ナーラダさま、主に私のことを尋ねていただけましたか?」「もちろんだよ。」「主は何
しゅ
とおっしゃいましたか?」「主は私に、あなたがあと 4 回転生すれば自由に達すると言われましたよ。」。
するとその男は泣き出し、嘆き悲しんで言った、「私はアリ塚が周りにできるほど瞑想しました、それな
のにあと 4 回も転生しなければならないとは!」。
ナーラダは別の男のところに行った。「あなたは私の質問を尋ねていただけましたか?」「ああ、も
ちろんだよ。このタマリンドの木が見えますか?私はあなたに告げねばなりません、その木のたくさん
の葉の数だけ、あなたは何回も転生し、そのあとで自由を達成するでしょう。」。その男は喜んで踊り始
めた、そして言った、「私はそんな短い時間で自由になれるのだ!」と。
声が聞こえた、「私の子供よ、お前はこの瞬間に自由になる。」。それが彼の忍耐の報酬だった。彼は
それらの転生全てを通じて実践する準備ができており、彼を落胆させるものは何もなかったのだ。
静穏の領域
霊性の生活での最大の助けは瞑想だ。瞑想により、私たちは全ての物質的状態を破棄し、自身の神
性を感じるのだ。瞑想において、私たちはどんな外界の助けにも依存しない。魂との接触は、最も陰気
な場所でさえも最も輝かしい色彩で彩ることができる。それは邪悪なものを神聖にする ── そして
全ての敵意、全ての利己性を消滅させるのだ。身体への思いが少なければ少ないほど、より善い。なぜ
なら私たちを下降させるのは身体だからだ。それは執着、同一化であり、それらが私たちを不幸にする
スピ リッ ト
のだ。それがその秘密だ。私は精神であり身体ではないと思え、そしてこの宇宙全体とその全ての関
係性、その善と悪の全ては、連続する絵画 ── 画布の上の光景そのものであり ── 私はその目撃
者なのだと思え。
瞑想による変容
ある若者がいた、彼はどうしても自分の家族を養うことができなかった。彼は強固で活力に満ちて
いた、最終的に、彼は本街道の盗賊となった。彼は街道で人々を襲い強奪した、そしてその金で自分の
父、母、妻と子供たちを養ったのだった。この状況は続いたが、ある日ナーラダと呼ばれるある偉大な
聖者が街道を通り掛かり、その盗賊はナーラダを襲った。
その賢者は盗賊に尋ねた、「なぜあなたは私を襲うのですか?人を襲い、殺すのは大きな罪です。
かね
なぜあなたはこのような罪を犯すのですか?」と。盗賊は言った、「なぜだって、俺はこの金で自分の
家族を養うんだ。」。「さて」と賢者は言った、「あなたは、家族があなたの罪も分かち合うとお考えです
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か?」。「もちろんそうだ」と盗賊は答えた。「それは宜しい」と賢者は言った、「では私が逃げないよう
にここに縛りつけ、あなたは家に帰って、あなたが得たお金と同様に、家族が罪も分かち合っているか
どうかを家族に尋ねなさい。」。
その男は父のもとに帰り、尋ねた、「お父さん、私がどのようにしてあなたを養っているかをご存知で
すか?」。父は答えた、「いいや、私は知らない。」。「私は盗賊です、私は人々を殺し、強奪します。」「何
だって!息子よ、お前はそんなことをしているのか?出て行け!追放だ!」。男は母のもとに行き尋ね
た、「お母さん、私がどのようにしてあなたを養っているのかご存知ですか?」「いいえ」と母は答えた。
「強奪と殺人によってです。」「何て恐ろしいことを!」と母は叫んだ。「お母さん、私の罪を分かち合っ
てくれますか?」と息子は言った。「なぜそうしなきゃならないんだい、私は強奪など決してしたことな
んかないよ。」と母は答えた。
そのあと、男は妻の所に行って尋ねた、「お前は俺が家族全員をどのように養っているのか知ってい
るか?」「いいえ」と彼女は答えた。「なぜ俺が街道に行くか」と男は言った、「そして何年間も人々から
強奪して来たか。それはお前たち全員を養うためだった。俺が今知りたいのは、お前が俺の罪を分かち
合う覚悟はあるかと言うことだ。」「とんでもありません。あなたは私の夫ですよ、私を養うのはあなた
の義務ではありませんか。」。
強盗の目は覚めた。「それが世間なのか ── 俺の最も親密な家族でさえ、俺が強盗をして来たこ
とを、俺の宿命を分かち合おうとはしない。」。男は賢者を縛っていた場所に戻り、賢者の縄を解き、彼
の足もとにひれ伏し、全てを物語ってから言った、「お救いください!私はどうすればよいのです
か?」。
賢者は言った、「あなたの現在の生き方を止めなさい。あなたは、自分の家族が本当はあなたを愛し
ていないことを知りました、ですからこれら全ての妄想を捨てなさい。あなたの家族はあなたの富を
分かち合うでしょう、しかしあなたが何も持っていなければあなたを見捨てることでしょう。あなたの
悪を分かち合う人は誰もいません、しかしあなたの善は全ての人が分かち合うでしょう。ですから神を
礼拝なさい、神だけが善いことをしても悪いことをしても私たちを支えてくれるのです。神は決して私
たちを見捨てません、なぜなら愛は決して堕落させず、商取引ではないもの、利己性ではないものを
知っているからです。」。
そのあと賢者は男に、どのように神を礼拝するかを教えた。この男は全てを捨てて、森の中に入って
行った。森の中で、彼は自身を完全に忘れるほどまでに祈り瞑想したため、アリたちがやって来て、彼の
周りにアリ塚を作ったけれど、彼は全く気づかなかった。
長い年月が経過した後、ある声が聞こえた、「おお、賢者よ、立ち上がれ!」。男は立ち上がり叫んだ、
「賢者だって?俺は強盗だぞ!」「もはや強盗ではない」とその声は答えた、「汝は清らかな見者だ。汝
の古い名前は消え去った。しかし今、汝の瞑想があまりにも深く、周りのアリ塚にさえ気づかなかったほ
ど、汝の瞑想があまりにも深く偉大であった、それゆえに今後、汝の名前はヴァールミーキ ── アリ
塚に誕生した者、となるであろう。」。そのように男は賢者となったのだった。
*ヴァールミーキは「ラーマーヤナ(ラーマ王子の物語)」の作者。
瞑想の三つの段階
瞑想には三つの段階がある。第一番目はダーラナーと呼ばれ、心を一つの対象に集中することだ。
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私が心を、このコップ以外の全ての対象を除外させ、このコップに集中しようと試みる。しかし心は揺れ
動いている。心が強くなり、それほど揺れ動かなくなるとき、それはディヤーナ、瞑想と呼ばれる。その
あと、コップと私との相違が消滅 ── サマーディつまり融合する、さらに高度な状態がある。心とコッ
プは一体となる。私はどんな相違も見ない。全ての感覚器官は停止し、異なる感覚器官の異なる回路
を通じて活動して来た全ての力は、心に集中する。そのあと、このコップは完全に心の力の支配下とな
る。これは実現されねばならない。これはヨーギたちによって行われる、とてつもない実践なのだ。
どのように休息するか
瞑想とは、心をそれ自体に帰還させる方法だ。心は全ての想念の波を停止し、世界も停止する。あな
たの意識は拡大する。あなたが瞑想するときには、常に成長を保持するだろう。徐々に、少しより厳しく
実践せよ、そうすれば瞑想はやって来る。あなたは身体やその他のことを感じない。あなたが瞑想の
時間を終えたとき、あなたの生活でかつて体験したことのない、最も素晴らしい休息を得る。瞑想は、
いつもあなたの心身組織に休息を与える唯一の方法だ。最も深い睡眠でさえ、瞑想のような休息は与
えないだろう。心は、最も深い睡眠のときでさえ跳びはねている。数分間の瞑想でも、あなたの頭脳は
ほとんど停止する。ほんのわずかな活力も維持されるのだ。あなたは身体を忘れる。あなたは身体が
細かく切り刻まれても、全く感じない。あなたは素晴らしい喜びを感じる。あなたはとても軽くなる。こ
れが、私たちが瞑想で得る完全な休息だ。
行為は反作用をもたらす
自然の全ての現象において、少なくともあなたが半分は寄与し、自然が半分をもたらす。もしあなた
アクション
リアクション
の半分を取り去れば、物事は停止しなければならない。全ての行為には均等な反作用がある。もしある
リアクション
男が私を殴り傷つけるなら、それはその男の行為と私の身体の反 応 だ。
他の例を取り上げよう。あなたは湖の滑らかな表面に石を投げ続ける。あなたが投げるどの石にも、
その反作用が起こる。石は湖の小さな波に覆われる。同様に、外界の物事は心の湖に投げる石のよう
だ。だから、私たちは実際には外界は見ない。私たちはその波だけを見ているのだ。
瞑想の力
瞑想の力は、私たちに全てをもたらす。もしあなたが自然を支配する力を得たいなら、瞑想を通じて
それができる。瞑想の力を通じて、今日全ての科学的事実は発見されたのだ。科学者たちはその主題
を学び、彼ら自身の個人性その他を全て忘れる、そのあと偉大な事実は閃光のようにやって来るのだ。
インスピレーション
ある人々はそれを 霊 感 と考えている。
インスピレーション
インスピレーション
霊 感 は存在しない。どんな 霊 感 が生じても、それはすでに心の内部の原因からやって来た結
ひらめ
果だ。ある日、結果である 閃 きがやって来る!人々の過去の活動がその原因だったのだ。
ひらめ
あなたはまたそれらの 閃 きに瞑想の力 ── 強度の思考を見る。彼らは自身の魂を攪拌する。偉大
な真実がその表面に浮かび上がり、顕現するのだ。それだから瞑想の実践は、知識の偉大な科学的方
法だ。
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瞑想は科学だ
何が存在しようと、それらは一つだ。多数は存在できない。それが、科学と知識の意味するものだ。
無知は多数を見る。知識は一つを理解する。多数を一つへと減少させることが科学だ。宇宙全体は一
つへと論証されて来た。その科学がヴェーダーンタの科学と呼ばれるものだ。全宇宙は一つなのだ。
私たちは現在これら全ての変態 ── 私たちが五つの要素、固体、液体、気体、発光体、エーテル体
リアリティ
スピ リッ ト
と呼ぶもの、を持ちそれらを見る。瞑想は、究極の実在 ── 精神へと全てを溶解する実践だ。固体は
液体の中に溶け、液体は気体に、気体はエーテル体に、それからエーテル体は心に、そして心も溶け去
スピ リッ ト
るだろう。全ては精神なのだ。
イマジネーション
瞑想は、 想 像 のプロセスによりやって来る。あなたはこれらの構成要素の浄化のプロセス全てを
通じて進む ── 一つの要素を他の要素に溶解し、それを次の高度な要素へ、それを心へ、それを
スピ リッ ト
スピ リッ ト
精神へ、そしてあなたは精神になる。
ここに大量の粘土がある。その粘土で私は小さなネズミを作り、あなたは小さな象を作る。両方とも
粘土だ。両方の外形を壊して粘土に戻す。それらは本来一つなのだ。
パヴァリ・ババ
理想のヨーギ
パヴァリ・ババのアシュラマに盗みに行った泥棒のことを誰もが伝え聞いている、その泥棒は聖者の
姿を見て驚き、彼が盗んだ品々の袋をそこに置き去りにして逃げ去った。何と聖者は、その袋を持って
泥棒の後を追った、そして数マイルも激しく走った後に泥棒に到着した。聖者は袋を泥棒の足元に置き、
合掌して涙を流し、自身の妨害を詫びた、そしてその品々を受け取るよう強く求めたのだ、なぜならそ
れらの品々は泥棒に属しており、聖者には属していなかったからだ。
私たちは信頼できる筋より、かつて彼がどのようにコブラに咬まれたかを聞いている。彼は数時間
死んだようだったが、生き返った。彼の友人たちがそのことを彼に尋ねると、そのコブラは「最愛のお
方(*神)からの使者だった」とだけ答えた。
さ さ い
彼の偉大な特色の一つは、仕事に着手しているとき、それがどんな些細なことであれ、完全に没入
することだった。シュリー・ラグナートジー(彼の理想神であるラーマチャンドラ)の礼拝と、銅製の壺の
洗浄に、同じ量の配慮と注意を注いだ ── 彼自身が、かつて私たちに話した仕事の秘密、「手段が、
まるで結果自体のように、愛され配慮されるべきだ。」の最良の実例だった。
この筆者(スワミ・ヴィヴェーカーナンダ)は、聖者が世間を助けるために洞窟から出ない理由を尋ね
る機会があった。彼は次のように答えた、「あなたは物質的援助だけが唯一の助けだとお考えです
か?身体の活動なしに、一つの心が他の心を助けることは不可能でしょうか?」と。
ブッダの伝説
ブッダが誕生したとき、彼はあまりにも清らかで、誰もが彼の顔を遠方から眺め、即座に儀式的宗教
を廃止し、僧侶になって救済された。そこで神々は会合を開いた。神々は言った、「私たちは破滅した。」
く
ぎ
と。なぜなら神々のほとんどは、儀式によって生きていたからだ。これらの供儀は神々のところに行く
はずだったが、全て消滅してしまった。神々は飢えて死んでいった、その理由は彼らの力が消滅したか
らだ。
そこで神々は言った、「私たちは、とにかく、この男を消滅させねばならない。彼は私たちにはあまり
10
にも清らか過ぎる。」。そのあと神々はブッダのもとにやって来て言った、「さて、私たちはあなたに質
問があります。私たちは偉大な供儀を行いたいのです、それは巨大な火を燃やすことなのですが、私
たちはその火を燃やす清らかな場所を世界中探しましたが、見つかりませんでした、しかし今その場所
を見つけました。もしあなたが仰向けになっていただければ、その胸の上で巨大な火を燃やしましょ
う。」。「宜しいでしょう」とブッダは言った、「さあそのようにしてください」。
神々はブッダの胸の上で高く火を燃やした、神々はブッダが死んだと思ったが、死ななかった。神々
は言った、「私たちは失敗した」。そして全ての神々はブッダを打ちのめした。しかし、仏陀を殺すことは
できなかった。下方から声が聞こえた、「あなたがたはなぜこれらの空しい行為を行うのか?」。
「あなた(ブッダ)を見るものは誰でも清められ、救済される、そして私たち(神々)を礼拝する者は誰
もいない」。
「それに、あなた方の行為は空しい、なぜなら清らかさは決して殺せないからだ」。
サマーディの歌(ベンガル語からの翻訳)
見よ!太陽も、美しい月もない、
全ての光は、偉大なる虚空に消滅し
イメージ
表象の宇宙が影のように浮遊する。
心の虚空に渦巻き、浮遊する
つかの間の宇宙は、現れて浮遊し、
再び沈む、「私」の潮流の中で、絶え間なく
ゆっくり、ゆっくり、無数の影は
原初の子宮へと潜入し、絶え間なく流れる、
それは唯一の流れ、「私は在る」「私は在る」。
見よ!その流れさえもはや停止した、
虚空は虚空へと溶解した ── 言葉と心を超越して!
それを誰のハートが理解できようか。
質疑応答
グ
ル
質問 : 聖師とは誰でしょうか?
グ
ル
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ : あなたの過去と未来を告げることのできる人が聖師だ。
質問 :
どのようにしてバクティ(信仰)を得ることができるでしょうか?
スワミジー :
バクティはあなたの内部にある、性欲と金銭欲の覆いだけがバクティを覆っている、
その覆いが除去されるや否や、バクティは自ずから顕現するだろう。
質問 : クンダリニー(霊的エネルギー)は、実際に肉体内に存在していますか?
スワミジー :
シュリー・ラーマクリシュナは常に言っていた、ヨーギが蓮華と呼ぶものは人間の身体
内には実際には存在していない、しかし蓮華はヨーガの力によって個人内に創造される、と。
11
質問 : 人は神像の礼拝によってムクティ(解脱)を達成できますか?
スワミジー :
神像の礼拝は直接的にはムクティを与えない。それは間接的な原因として、解脱を助
けるだろう。神像の礼拝は非難されるべきではない、多くの点で、それはアドヴァイタ(非二元)の覚醒
のために心を準備するのだ、アドヴァイタだけが人間を完全にする。
質問 : ムクティとは何ですか?
スワミジー :
ムクティとは完全な自由を意味する ── 善と悪の束縛からの自由だ。金の鎖は鉄
の鎖と同様に鎖だ。シュリー・ラーマクリシュナは常に言っていた、足に刺さったとげを抜くには別のと
げが必要だ、刺さったとげが取れたら両方とも捨てる、と。だから悪い傾向性は善い傾向性によって無
効にさせるが、そのあと、善い傾向性もまた克服しなければならないのだ。
質問 : どのようにヴェーダーンタは覚醒できますか?
グ
スワミジー :
ル
「聴聞、熟考、瞑想」によってだ。聴聞はサド・グル(真の聖師)から聞かねばならない。
もしその人が正規の弟子でなくても、適切な探究者であれば、覚醒したサド・グルの言葉を聴聞せよ。
質問 :
瞑想はどこで ── 身体の内部で、あるいは外部で行うべきですか?心は内部に、あるい
は外部に保持するべきですか?
さ ま よ
スワミジー :
瞑想は内部で行うべきだ。心はここそこと彷徨うので、私たちが心の領域に到達す
る前には長い時間がかかるだろう。さて、私たちの努力は身体に関してだ。実践者が身体の姿勢に完全
な安定性を獲得するとき、そのあとでのみ彼は心に関する努力を開始するのだ。アーサナ(姿勢)は克
服され、彼の手足は不動になり、望む時間坐ることができるのだ。
質問 :
ときどきジャパ(マントラの復唱)の実践に疲れてしまいます。そのときジャパを続けるべき
ですか、それとも代わりに善い本を読むべきですか?
スワミジー :
実践者がジャパに疲れるのには二つの理由がある。あるときは実践者の脳が疲労す
るときであり、別なときには怠惰の結果だ。もし前者の場合、実践者はしばらくジャパを止めるべきだ、
なぜならそのまま持続すれば、ときどき幻覚を見るか、狂気その他の結果を招くからだ。もし後者であ
るなら、ジャパを継続させるために、心を強いるべきだ。
質問 : 心が彷徨っても、ジャパを長い時間実践することは良いことですか?
スワミジー : そうだ。ある人が狂暴な馬を、いつも背中の鞍に坐り続けて制御するようなものだ。
質問 : 祈りの効果とは何ですか?
スワミジー :
祈りによって、実践者の精妙な力が簡単に目覚める、もし意識的に実践されれば、全
ての願いは祈りによって叶うことだろう、しかし無意識に行われれば、たぶん 10 分の 1 しか叶わないだ
ろう。
質問 :
あなたはバクティ・ヨーガ(*スワミジーの著書)の中に、もし弱い身体の男がヨーガを実践
すれば、途轍もない反動がやって来ると書いています。ではどうすればよいのでしょう?
スワミジー :
もし自己覚醒のために君が死ぬとしても、何を恐れるのだ!人間は学びやその他多
くの事柄のために死ぬのを恐れている、なぜ君は宗教のために死ぬのを恐れるのだ?
体験と実証
スワミジー :
ある日、ドッキネッショル(*カーリー女神)寺院の庭で、シュリー・ラーマクリシュナの手
が私の心臓に触れた、まず最初に家 ── 部屋、ドア、窓、ヴェランダ ── 木、太陽、月 ── 全てが
12
飛び去り、いわば粉々になり ── 原子や分子へと分解した ── そして最終的にアーカーシャ(空
間)へと溶解したのだ。徐々にアーカーシャもまた消滅し、次に私のエゴ意識も消滅した、そのあと何が
起こったのかを思い出すことはできない。私は最初は驚いた。その状態から戻ると、私は家、ドア、窓、ヴ
ェランダ、その他をまた見始めたのだった。別の機会に、私はアメリカの湖のほとりで、全く同じ覚醒を
体験した。
弟子:
その状態は脳の錯乱によって生じたものではないのですか?私にはそのような状態の幸福
を理解できません。
スワミジー :
脳の錯乱だって!それがどんな病気からの精神錯乱の結果でもなく、飲酒の泥酔に
よる結果でもなく、様々な怪しい呼吸法によって生じる妄想の結果でもなく ── 完全な健康と知性
を持つ正常な人間に生じるとき、君はそれをどう呼ぶのだろうか?さらに、この体験はヴェーダと完全
に調和するのだ。それはまた、霊感に満ちたリシ (賢者)たちやアーチャーリヤ(教師)たちの覚醒の言
葉とも一致するのだよ。
いかに無執着であるか
私たちの全ての苦しみのほとんどは、無執着の力を持っていないことが原因だ。それだから、集中の
もっぱ
進歩に沿って、私たちは無執着の力を発展させねばならないのだ。私たちは一つの対象に 専 ら心を執
着させるだけではなく、瞬時の注意でその対象から離れ、別の対象にも集中できなければならない。こ
れら二つ(*執着と無執着)は、無執着を確実にするために一緒に発展させるべきだ。
これが心の体系的な発展だ。私にとって教育の本質とは、心の集中であり、事柄の収集ではない。も
し私が再び自身を教育し、物事を学ばなければならないなら、私は全く物事を学ぼうとはしないだろ
う。私は集中力と無執着を発展させ、そのあと完全な手段(*心の集中力)により、自由自在に事実を収
集するだろう。
私たちは自身の心を対象物に集中させるべきだ。私たちの心が対象物に引き付けられるべきではな
い。私たちは普通、心の集中を強いられている。私たちの心は、抵抗できない対象物の魅力によって、
様々な物事に集中を強いられているのだ。心を制御し、私たちが望む対象に心を集中させるためには、
特別な訓練が必要とされるのだ。
どのように心を観察するか
制御されず導きのない心は、私たちを永遠に堕落させる ── 私たちを分裂させ、殺すだろう。そし
て制御され導かれた心は、私たちを救済し、自由にするだろう。
どんな物質科学であれ、研究し分析するためには、十分な情報が獲得される。これらの事実は研究さ
れ分析されて、科学的な結果となる。しかし心の研究と分析において、外部から得られる情報や事実は
なく、それは全てが心の思うままに等しい。心は心自体によって分析されるのだ。それゆえ最も偉大な
科学とは、心の科学、心理学の科学だ。
心の深域には魂、人間の本質、アートマンが存在する。心を内向させ、それと結びつけよ。その堅固な
視点から、心の渦巻きは監視され、事実が観察できるのだ、それは全ての人々も同様だ。
心を制御するためには、あなたは潜在意識の中に深く潜入し、そこに蓄積された全ての異なる印象、
想い、その他を適切に分類、整理して、それらを制御しなければならない。これが最初の段階だ。潜在意
13
識の制御により、あなたは顕在意識を制御できるのだ。
瞑想の実践的ヒント
スワミ・シュッダーナンダ:
スワミジー:
瞑想の真の性質とは何ですか?
瞑想とは心をある対象に集中することだ。もし心が一つの対象への集中を習得すれ
ば、心はどんな対象にも深く集中できるのだ。
弟子:
聖典には二種類の瞑想が述べられています ── 一つはある対象を持つもの、もう一つは
無対象のものです。それはどういう意味でしょうか、そして二つのうちどちらが高度な瞑想ですか?
スワミジー:
最初に、瞑想の実践は心のある一つの対象から前進させねばならない。かつて私は、
心をある黒い点に集中していたものだった。それらの日々の間、最終的に私は、黒い点も見えず、黒い
点が私の前にあることも全く気づかなくなり ── 心にはもはや波が起こらなくなるのが常だった
── それはまるでどんな空気のそよぎもない海のようだったのだ。その状態の中で、私は超感覚的
いちべ つ
さ さ い
な真実の一瞥を体験したものだった。だから私は、些細な外部の対象への瞑想実践でも、集中へと導く
と考えている。しかし、実践者の心が最も没頭しやすい対象に瞑想するとき、心はとても簡単に静穏に
達することは事実だ。私たちの国インドで、たくさんの神々や女神たちの神像礼拝が行われるのは、そ
ういう理由だ。その真の目的は、心の活動を停止させることだが、それは実践者がある対象に没入し
ない限り不可能なのだ。
弟子:
しかし、もし心がある対象に完全に没入し一体化するなら、どのように心はブラフマンの意識
を私たちにもたらすのですか?
スワミジー:
最初心は対象の形態を取るが、のちほど意識上の対象は消滅する。そのあとでのみ、
純粋な「存在」の体験は存続するのだ。
超自然力
スワミジーは、「わずかな程度のある心の集中により、奇跡的な力を獲得することができる」と言っ
た、そして弟子に向かって尋ねた、「さて、君は読心術を学びたいかね?私は君に 4、5 日以内に教える
ことができるよ。」と。
弟子: それは私にどんな役に立つのですか?
スワミジー: そうだね、君は他人の心を知ることができるだろう。
弟子: それは私がブラフマンの知識を達成する助けになりますか?
スワミジー: 少しもならない。
弟子: それなら、その科学を学ぶ必要はありません。
スワミジー:
シュリー・ラーマクリシュナはこれらの超自然力を軽んじるのが常だった。彼の教えは、
もし探究者の心がこれらの力の現れに心を向けるなら、至高の真実には到達できない、というものだっ
た。しかし、人間の心は弱い、家住者ばかりではなく、サドゥ(僧侶)の 90 % はこれらの力の熱狂者とな
るのだ。西洋においても、男性たちはもしそのような奇跡と出会えば、その驚異に没頭するだろう。シュ
リー・ラーマクリシュナは、これらの力は真の霊性の障害物であり、その正しい識別ができるように、こ
れらの力の害悪を私たちに慈悲深く理解させたのだった。シュリー・ラーマクリシュナの子供たち(*弟子
たち)は、その理由でそれらの力には注意を払わないことに、君は気づいているか?
14
サマーディの神秘
弟子:
絶対と超越したニルヴィカルパ・サマーディ(*非二元の三昧)を達成するとき、誰も自我意識
を通じては二元性(*現象)の世界には戻って来られませんか?
スワミジー:
シュリー・ラーマクリシュナは常に言っていた、アヴァターラ(神の化身)だけが、世界に
善を行うために、そのサマーディの状態から普通の状態に降りてくることができる、と。普通のジーヴァ
(*エゴを持つ魂)たちにはできない。
エ
弟子:
ゴ
サマーディで心が没入し、意識の表面の波が消滅するとき、自我意識を通じた心の活動と世
間的領域への帰還はどうなるのですか?そこに心が存在しないとき(*サマーディ)、誰が相対領域(*
現象世界)に降下させるのですか、それはどんな手段によってですか?
スワミジー:
ヴェーダーンタの結論は、絶対のサマーディで全ての心の現れが停止するとき、その
つか
状態からの帰還はない。しかしアヴァターラは、世界への善へのいくつかの欲望を抱く。その糸を掴ん
で、彼らは超意識領域から意識領域へと降りるのだ。
オージャスの力
ヨーギたちは言う、人間のエネルギーの一部は性エネルギーとして、性的想念によって表現されるが、
それが抑制、制御されるとき、それは簡単にオージャス(*霊性エネルギー)へと転換する。
オージャスは脳に蓄積され、オージャスが人間の頭にたくさんあればある程、彼はより強力であり、よ
り知的であり、より霊的に強くなる。ある人は美しい言葉で、美しい思いを語るかもしれないが、人々に
印象を与えない。別な人は美しくもない言葉、美しくもない思いを語るが、彼の言葉は人々を魅了する。
彼の全ての活動は力強い。それがオージャスの力だ。
純潔な男性または女性だけが、オージャスを脳に上昇させ蓄積することができる。それが、純潔が至
高の徳性と見なされる理由だ。その理由により、霊性の巨人たちを生み出した世界の宗教組織全てが、
絶対の純潔を主張するのをあなたは発見することだろう。完全な純潔が、思い、言葉、行為になければ
ならないのだ。
学習の秘密
数日前、ブリタニカ百科事典の新しい全集がベルール僧院(*コルカタのラーマクリシュナ僧団本部)
に購入された。真新しく輝く全集を見て弟子がスワミジーに言った、「一生をかけても、これらの本全て
を読むのはほとんど不可能です」と。彼は、スワミジーがすでに 10 巻を読み終え、11 巻を読み始めたこ
とを知らなかった。
スワミジー: 君は何を言ってるんだい?これらの 10 巻から、君の知りたいどんなことでも質問しな
さい、私はその全てに答えよう。
弟子は驚いて尋ねた、「あなたはこれらの本全てを読んだのですか?」。
スワミジー: そうでなければ、どうして君に質問しろと私が言えるかい?
スワミジーはそれを試すために、(*辞典内の項目の)意味を再現させただけではなく、各巻の数か所
から、難しい題目のその正確な見出しの言葉を選び出した。弟子は驚愕し、辞典を片づけて言った、「こ
れは人間の力ではない!」。
じゅんしゅ
スワミジー:
ただ厳しい節制の遵守によって、全ての学習は非常に短時間で達成されることが分か
15
るかい ── 人間はたった一度聞いた、あるいは知った事柄の正確な記憶を持てるのだ。
心の力
ラージャ・ヨーガの科学の最初の段階は、内部(*心)の状態を観察する方法を提案する。その道具は
心自体だ。注意力が、正しく導かれて内なる世界に向けられれば、心は分析され、その事実が明らかに
される。心の力はまるで散乱した光線のようだ。それらが集中するとき、明るく輝く。これが私たちの唯
一の知識の手段なのだ。
世界は、もし私たちがそれをどのように叩くか、どのように必要な一撃を与えるかを知っていれば、
その秘密をいつでもさらけ出す。その強さと打撃の力は集中を通じてやって来るのだ。人間の心の力に
は限界がない。心を集中すればするほど、心の力はますます一点に集中するのだ。それが心の秘密だ。
神秘屋(*神秘的な事に好奇心を持つ人)
ヨーガ(ラージャ・ヨーガ)のこれらの体系の中の、秘密や神秘は何であれただちに排除するべきだ。
人生の最良の指導者は強さだ。宗教において、他の全ての事柄と同様、あなたを弱くする全てを捨て
なさい、宗教は弱さとは全く関係がないのだ。神秘屋は人間の脳を弱くする。それは、最も偉大な科学
の一つ ── ヨーガをほとんど壊滅させるのだ。
中道に従え
ヨーギは贅沢と苦行の二つの極端を避けねばならない。ヨーギは断食してはならず、肉体を苦しめ
てもいけない。そのような者はヨーギにはなれない、とギーターは言う。断食をする者、眠らない者、眠
り過ぎる者、働き過ぎる者、働かない者、彼らの誰もヨーギにはなれない。
王道
ラージャ・ヨーガの科学は人類の前に、この真理(不滅性)に到達する実践的で科学的な実現方法を
提出する。最初の段階で、あらゆる科学はそれぞれ独自の調査方法を持たねばならない。もしあなた
が天文学者になりたければ、坐って「天文学!天文学!」と叫んでも、天文学はあなたにはやって来な
い。それは化学においても同様だ。ある確かな方法に従わなければならないのだ。あなたは実験室に
行き、異なる材料を用意し、それらを混合させ、調合して実験しなければならない、その結果が科学の
知識としてやって来るだろう。もしあなたが天文学者になりたければ、天文台に行き、望遠鏡を覗き込
み、星々、諸惑星を研究しなければならない、そのあとであなたは天文学者になるだろう。それぞれの
科学は、それぞれ独自の方法を持たねばならないのだ。私があなたに無数の説教を伝道しても、あな
たがその方法を実践するまでは、それらの説教はあなたを宗教的にはしないだろう。
瞑想の効果
日夜、ブラフマンを考え瞑想せよ、心の強力な一点集中と共に瞑想せよ。そして外界と関連した生活
の時間は、他者のための活動を行うか、自身の心の中で繰り返せ、「個人と世界に善きことが起こりま
すように!」「心の流れの全てがブラフマンに向かいますように!」と。たとえそのような継続的思い
によっても、世界を益するだろう。世界における善なる活動や思いは必ずその結果をもたらすのだ。君
16
の思いの流れは、おそらくアメリカの誰かの宗教感情を目覚ますことだろう。(スワミジーは、コルカタ
近郊のベルール・マトの僧院で、このことをインド人の弟子に語った)
瞑想の時間
あなたは、油の途切れ目のない流れのように、心を一つの対象に固定し、保持しなければならない。
さ ま よ
普通の人の心は異なる対象に向かって散乱している、そして瞑想のときにもまた、最初は心が彷徨い
がちだ。しかし心にどんな欲望が起こっても、あなたは静かに座って、どんな思いがやって来るかを観
察しなければならないのだ。そのような観察を継続することにより、心は静穏になる、そして心の想念
の波は消滅する。あなたが以前に深く考えていた事柄は、潜在意識の流れへと変容する、それだから
それらの事柄が瞑想のとき、心の中に現れるのだ。
瞑想中のこれらの波、想念の現れは、あなたの心が集中に向かって行く兆候だ。ときどき心は一連の
観念に集中する ── これはヴィカルパつまり動揺を伴う瞑想と呼ばれる。しかし心が全ての活動か
いち
らほとんど自由になるとき、心は内なる自己に溶解する、それは無限の知識、一なるもの、それを支え
るものの本質だ。これがニルヴィカルパ・サマーディと呼ばれる状態であり、心の全ての活動から自由
だ。シュリー・ラーマクリシュナの中に、私たちは何度もこれら両方のサマーディを見た。彼はこれらの状
態を得るために奮闘する必要はなかった。それらの状態は、そのときその場で自然に彼にやって来た
のだ。それは驚くべき現象だった。彼を見ることにより、私たちはこれらのサマーディを正しく理解でき
たのだ。
感情と瞑想
スワミジー:
毎日独りで瞑想せよ。全てがそれ自身で開花するだろう。瞑想中、感情の側面を全て
抑制せよ。感情は危険の大きな源泉だ。非常に感情的な人々は、疑いもなくクンダリニーが迅速に上昇
する、しかしそれは上昇するときと同様に迅速に下降するのだ。そしてクンダリニーが下降するとき、そ
れは信者を全くの荒廃状態へと導く。この理由で、感情を高揚させるキールタナ(信仰歌の歌唱)や他
ジャンプ
の事柄には、大きな障害があるのだ。瞬間的な興奮を通じた踊りや跳躍その他の力が、心を上昇させ
るのは事実だが、それは決して長続きはしないのだ。その興奮が覚めると、それとは逆にその個人内に
激しい性欲が生じるのだ。しかしこのことが起こるのは、堅固な瞑想と集中の実践の単なる欠如による
ものだ。
弟子:
スワミジー、私は霊的実践のこれらの秘密を、今までどんな聖典の中でも読んだことはあり
ません。今日私は、全く新しいことを聞きました。
スワミジー:
グ
君は、霊的実践の秘密の全てが聖典に収められていると思うかい?これらの事柄は
ル
聖師と弟子の継承を通じて、秘密裏に伝えられて行くのだ。一日も瞑想から離れてはならない。もし君
に緊急の仕事がたくさんあるなら、少なくても 15 分間は霊的実践を通じて前進せよ。私の息子よ、確固
とした信仰なしに君は目的地に到達できるかい?
あなた自身の生を読め
心を制御し、感覚器官を遮断せよ、そうすればあなたはヨーギだ。そのあと、全てがやって来るだろ
う。聞くこと、見ること、嗅ぐこと、味わうことを拒絶せよ。外的器官から心の力を引き離せ。あなたの心
17
が没入するとき、あなたはそれを無意識に継続する。そこで、あなたはそれを意識的に行うことを学ぶ
のだ。心は喜ぶところに感覚器官を向ける。私たちが身体を通じて活動することを強いられている、と
いう根本的迷信を捨てよ。私たちはそうではないのだ。あなた自身の部屋に潜入せよ、そして自身の
自己のウパニシャッド(*真理)を獲得せよ。あなたは今までに存在した、あるいは常に存在する最も偉
むな
大な本だ、それは無限な全ての倉庫なのだ。その内なる教師が開花するまで、外部の全ての教えは空
しい。
私たち自身の本を開くまで、本は無益だ。また、私たち自身の本を確証させる限りにおいて、他の全
ての本は有益だ。力(strength)を理解するのは強さ(the strong)だ、ライオンを理解するのは象であり、
ネズミではない。私たちがキリストと等しくなるまで、どうしてキリストを理解できようか?偉大なもの
だけが偉大なものを理解できる、神だけが神を悟るのだ。
私たちは生きている本だ、そして本とは私たちが語った言葉に他ならない。全てが生きている神、生
きているキリストだ。そのように見よ。人間を読め、彼は生きている詩だ。私たちは、かつて存在した聖
書、キリストたち、ブッダたちの全てを照らす光だ。その光なしには、これらは私たちにとって死滅し、生
きてはいないだろう。
ヨーガの八部門
ラージャ・ヨーガは八部門のヨーガと呼ばれている、なぜならそれは 8 つの原理部分に分割されて
いるからだ。それらは、
第一 ── ヤマ。これは最も重要であり、生活全てを制御しなければならない。それには 5 つの部門
がある。
1. 思い、言葉、行為によってどんな生きものも害してはならない。
2. 思い、言葉、行為において貪欲であってはならない。
3. 思い、言葉、行為において完全な純潔を守らなければならない。
4. 思い、言葉、行為において完全に誠実でなければならない。
5. 贈り物を受け取ってはならない。
第二 ── ニヤマ、身体の配慮、日々の沐浴、食事、その他。
第三 ── アーサナ。坐る姿勢で、腰、両肩、頭は垂直にし、背骨は自由にしなければならない。
第四 ── プラーナーヤーマ。呼吸の制御(プラーナまたは活力の制御)。
第五 ── プラティヤーハーラ。心を内向させ心が外に向かうのを制御し、心の内部の事象を理解
するために熟考する。
第六 ── ダーラナー。一つの主題への集中。
第七 ── ディヤーナ。瞑想
第八 ── サマーディ。覚醒、私たちの全ての努力の目的地。
ラージャ・ヨーガを通じて神に到達しようと求める者は、心、肉体、道徳性、霊性が強力でなければな
らない。その光の中で全ての段階を歩め。
境界
これは個人性を明らかにするためのレッスンだ。誰もの個人性は開拓されねばならない。全ての人々
18
イマジネーション
はその(*個人性の)中心で出会うだろう。「 想 像 力 は霊感の戸口であり、全ての思考の基盤」だ。全て
の預言者たち、詩人たち、発見者たちは、偉大な想像力を持っていた。自然の説明は私たちの内部に存
在している。石は外側に落下するが、重力は私たちの内部にある。食べ過ぎる人々、断食する人々、過
度に眠る人々、わずかしか眠らない人々はヨーギになることはできない。無知、移り気、嫉妬、怠惰、過
度な執着は、ヨーガ実践成功の大きな敵だ。三つの重要な必須条件とは、
第一。肉体的、心理的清らかさ。全ての不浄性、心を低下させる全ては放棄しなければならない。
第二。忍耐。最初は素晴らしい現象(*体験)が生じるだろうが、それらは全て終わるだろう。これは最
も厳しい期間だ。もしあなたが忍耐できれば、最終的に成功することは確実だ。
第三。不屈の努力。どんな困難に出会っても、健康でも病気でも努力せよ、一日たりとも決して実践
を回避してはならない。
心とその側面
内的器官つまり心には四つの側面がある。第一 ── マナス、熟考または思考する機能であり、それ
は制御されないために、通常ほとんどは無駄に浪費されている。それが正しく制御されれば、素晴らし
い力を発揮する。第二 ── ブッディ、意志(ときどき知性と呼ばれる)。第三 ── アハムカーラ ──
自己意識の自我(アハム「私」からやって来る)。第四 ── チッタ、心の全ての活動を生み出す材料で
あり、いわば心の床、あるいは心の様々な活動が波立つ海。
ヨーガは、私たちがチッタの様相、つまり様々な活動への変容を停止させる科学だ。海に反映された
月が波によって壊れるかぼやけるように、アートマン、真の自己の反映は心の波により破壊されるのだ。
海が鏡のような静寂に静まるときにのみ、月の反映を見ることができるように、「心の材料」であるチッ
タが完全な静寂へと制御されるときにのみ、自己は認識されるのだ。
黙って瞑想せよ
神を私たち自身の外部に見出すことは不可能だ。私たち自身の魂が、私たちの外部に全ての神性を
提供するのだ。私たちは最も偉大な寺院だ。具象化(*対象化)とは、私たちが自身の内部に見る事柄の
単なる微かな模造だ。
心の集中力は、私たちが神を見るための唯一の手段だ。もしあなたが一つの魂(自身の魂)を知れば、
ラ ン プ
過去、現在、未来の全ての魂を知る。集中した心は、魂の隅々までを私たちに見せる灯火だ。
真理は部分的ではない。真理は全てへの善のために存在する。最終的に、完全な休息と平和の中で
真理を瞑想し、あなたの心を真理に集中し、あなた自身を真理と一体化させよ。そうすればどんな言葉
も不必要となる。沈黙が真理へと運ぶだろう。あなたのエネルギーをおしゃべりで浪費せずに、黙って
瞑想せよ。そして外界の喧騒に妨害されるな。あなたの心が至高の状態のとき、外界の喧騒には気づ
かない。沈黙により力を蓄積せよ、そして霊性の発電機となれ。
19