紀要 - 富山大学 芸術文化学部

一般論文
平成 19 年 6 月 27 日受理
同一課題による国際共同授業の試み
−カペラゴーデン美術工芸学校の学生作品の背景にあるもの− Trial International Collaborative lesson using Common Subject
What serves as a backdrop to the student work of a CAPELLAGÅRDEN School of Arts and Kraft
● 小松研治、渡辺雅志/富山大学芸術文化学部
KOMATSU Kenji, WATANABE Masashi / The Faculty of Art and Design, University of Toyama
● Key Words : Sweden, Capellagården, industrial arts, design, conception, teaching materials, environment
要旨
優れた点を互いに取り入れようとする関心が高まり、共
今回実施した国際共同授業は、スウェーデンのカペラ
同授業を行う運びとなった。
ゴーデン美術工芸学校1、と富山大学高岡短期大学部専
これまでに、1996年(通産省海外動向調査事業)
、
攻科産業造形専攻の学生が同一課題のもとで作品制作を
1998年(フェローシップ派遣助成事業)と、カペラゴ
行い、その成果を共有して相互の学生が発想の源泉を幅
ーデンを再び訪れた際に、「孫の手の共同制作」、「 5 歳
広いものにすると共に、作品の特色や教育方法について
児のための椅子制作」2 を共同授業として行なう企画を
比較研究することを目的とした試みである。
立て、それをそれぞれの学校で実践し、成果を交換して
同一課題は、日々の生活の中で使う「トレー(お盆)」
きた。今回の取組は 3 度目の共同授業となる。
の制作をテーマとして行い、その作品を交換して両校に
これらの授業は、同じテーマ・条件・制作時間内で作
おいて作品発表展覧会を開催する手順で行った。
品を制作し、成果を交換して発想、技術等の違いや、作
本稿では、カペラゴーデン美術工芸学校の学生作品に
品に現れる文化・社会的背景の違いについても意見を交
見られる幾つかの特徴を抽出し、それらの特徴を作り出
わす取組である。こうした共同授業の取組によって、学
す教育方法等の背景について考察する。
生の発想の源泉を多様なものにすると共に、双方の教育
方法の優れた点を互いに取り入れるなどの効果を上げて
1.はじめに
きた。
共同授業を行ったスウェーデンのカペラゴーデン美術
本稿では、2006年度に実施した共同授業におけるカ
工芸学校(以下カペラゴーデン)は、筆者らが1990年
ペラゴーデンの各学生作品を観察することによって、そ
から1991年にかけて研修を行って以来、今日まで16年
れらの造形の中から読み取ることの出来る特色を挙げ、
間にわたり研究と教育の交流を継続してきた学校である。
その特色の背景にある教育方法等について考察する。
この間に、カペラゴーデンの家具・インテリアデザイン
科の教員・学生らが 4 度にわたって本学を訪れ、互いの
2.カペラゴーデン美術工芸学校
伝統的木工技術、教育内容に関して意見を交わして親交
まず本章では、今回共同授業を行ったカペラゴーデン
を深めてきた。1991年には、カペラゴーデンの教員と
の設立の経緯と教育組織・方法について解説する。
学生達が来日し、旧高岡短期大学(現在は富山大学高岡
スウェーデンにおける工芸教育は、1890年にオット
短期大学部)を訪れ、帰国後に日本的要素を用いた個性
ー・ソロモンによって「スロイド」と呼ばれる手工芸教
豊かな家具類が学生の手によって制作され「日本の印象
育訓練学校がナースに設立され、特に木工教育の分野に
展」と題し開催されている。1996年と1998年にはカペ
おいては美術工芸教育の中に、実用性、経済性、生産性
ラゴーデンの校長と旧高岡短期大学学長が、学生・教員
等の要素を取り入れた新しい教育が始まっていた。この
間交流の可能性について意見を交わす機会を持った。一
スロイドの校長職を一時的に引き継いだカール・マルム
方、旧高岡短期大学木材工芸コースの卒業生も、延べ 6
ステン(1888 ~ 1972年)が、やがて独自に設立した
名がカペラゴーデンに留学し、卒業後はその全員が家具
学校がCarl Malmsten Workshop in Stockholm(現在の
製造業に携わっている。
カール・マルムステン・スクール)であり、デザインと
こうした交流を重ねる過程で、両校には、制作に関す
木工技術を指導して学生の作品をプロトタイプとして工
る動機の発見、発想方法、使用者に対する分析態度、伝
業と結びつける成果を上げ、現在では北欧で最も優れた
統技術等の違いについて、具体的なものを介して比較し、
家具デザインの教育機関として運営されている。同校に
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G E I B U N 0 0 2 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第2巻 平成19年12月
おける彼の教育理念は、過去400年に遡ってスウェーデ
(3)課題の趣旨 ンの木造建築を200点以上収集・復元した野外美術館“ス
「この課題は、カペラゴーデンの家具・インテリ
カンセン”と、
様々な農家の生活用具を収集展示した“北
ア科12名の学生と富山大学高岡短期大学部専攻科
方美術館”に工芸の原点を求め、自然と共存した暮らし
産業造形専攻の木材工芸を学ぶ学生 6 名とで行う。
の中で作られた日常品から伝統的なものづくりの歴史や
この二つの学校は、授業の形態や教育環境に異なる
精神を学ぼうとするものであった。しかしカール・マル
点はあるが、木工における手仕事の価値観や教育方
ムステン・スクールは、ストックホルム中央駅に近いス
針に多くの共通点がある。制作を通して、各学生の
ルッセンに位置し、都会の学校であったため、若い学生
個性や異なる文化の背景などが、出来上がった作品
は伝統文化から学ぶことよりも都会の刺激や流行の影響
に確実に現れるはずである。私達の目標は、この課
を受け、彼の教育理念とはかけ離れたものになっていっ
題によって学生達に発想・技術の多様性を示して彼
た。やがて実際の生活体験と制作活動を一体化する必要
らの創造力を豊かなものにし、そして手仕事を通し
性を強く求めるようになる。
て新しい価値の創造へと導くことである。」
こうして、工芸教育を学生の実生活と結びつける新し
い試みの場として設立された学校がカペラゴーデンであ
(4)スケジュール
る。
“工芸は自然の形態と秩序から学び、自然と共存す
①課題説明
る営みの中から生まれる”という理念を掲げ、「都会か
・ブレーンストーミング
ら離れ、自給自足に近い生活体験を通して、生活空間を作
・マインドマップ作成(作品についてのコンセプ
り出す家具、カーテン、陶器等を伝統に則った本物の素
ト、必要な技術の予測などの検討)
材と技術を使って制作する」教育を目指したのであった。
・スケッチとモデル制作
カペラゴーデンは、
“風と太陽の島”と呼ばれ、現在
②中間発表
は世界遺産に指定されているエーランド島にある。マル
・マインドマップ、スケッチ、モデル(模型)を
ムステンは、ビックルビー地区の古い農家の集落を購入
用いて制作意図を発表
し、1957年に工芸デザイン教育の場としてこの学校を
③プロトタイプ制作
開校した。
「基本的な部屋の雰囲気を作るためには、家
・製図、加工手順・方法の問題点の検討
具と織物、そして陶器の調和が必要である。色彩はスウ
・最終案決定に向けた個人指導
ェーデンの風景から、模様は植物から、そしてフォルム
④決定作品の制作
はあらゆる自然の形態から学ぶべきである」として、家
⑤最終発表
具・インテリアデザイン、陶芸、織物、ガーデンの4専
・作品及び説明パネルを用いて発表
攻制の教育体制を整えている。教育期間は 2 年間を基本
⑥展示
とし、マイスター資格を取得する希望者はさらに 1 年間
・双方の学内での展示発表
学ぶことができる。
カペラゴーデン:オープンハウス(学内展示場)
今回の共同課題の対象は、家具・インテリアデザイン
科の 1 ・ 2 年生12名で、入学以前に木工に関する何ら
での展示「2007年1月28日~ 2 月 4 日」
高 岡 短 期 大 学 部:TSUMAMA−HALLに て 展 示
かの経験を有している。
(写真 1 )「2007年 4 月16日~ 4 月20日」
3.共同課題と運営方法
今回の共同授業で両校が共同企画した課題は次の通り
である。
(1)共通課題
「トレー(お盆)
」の制作
(2)条件
①制作時間は90時間以内
(本学は18年度後期「造形工芸実習Ⅱ」にて実施)
②木を素材として同じデザインの作品を2個制作す
ること
③トレーに載せるものを考慮して発想すること
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 2, December 2007
写真 1 本学部TSUMAMA-HALLでの展示の様子
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共通課題を「トレー(お盆)の制作」に定めた理由は、
の点で優れた作品が多く見られた。(写真10 〜 25はカ
日用品であるトレーには両国の食文化や生活様式の違い
ペラゴーデン美術工芸学校学生作品)
が必ず反映されるとの予測や、比較的短期間で制作可能
次章では、技術的にも完成度が高く、利用時の配慮に
なボリュームであることなどを考慮し、その上で、相互
優れたカペラゴーデンの学生作品に見られる特色につい
に発想やアイデアの源泉を多様なものにする効果が期待
て、さらに詳細に見ていくことにする。
できると判断したからである。
また、トレーに載せるものを考慮する点をあえて条件
5.カペラゴーデンの学生作品の特色
とした理由は、トレーをそれ単独で考えることを回避し、
(1)多様な樹種の活用
載せる器の形態や運搬する動きを発想のヒントにさせる
木材は、樹種によって硬さ、柔軟性に差があり、各樹
狙いがあった。
種に固有の色彩や木目模様が現れる素材である。12人
の学生作品には、マホガニー、チーク、ホワイトアッシュ、
4.両校学生作品の比較
樺、松など、延べ12種類の木材が使われていて、表現
本学高岡短期大学部専攻科産業造形専攻の木材工芸を
しようとする作品の印象や加工方法に適した樹種が意図
学ぶ学生とカペラゴーデンの学生とでは、授業形態や教
的に利用されている(写真10 ~ 25)。
育環境、そして学生の生活基盤や入学時の専門に対する
素養、そして学習期間に差があるために、作品の優劣を
(2)伝統に根ざした堅実な木工技術
単純に比較することは出来ない。今回の共同授業に参加
部材の接合部には、ホゾ組み加工技術、引き出しの蟻
した高岡短期大学部の学生 6 名は、そのほとんどが高校
組等の接合技術が見られる(写真12、13、21)。また、
卒業後18歳で入学し、それ以前に木材工芸に関する知
左右、前後に同じサイズの部材を使用する際には同じ
識や技術を持ち合わせていない。一方カペラゴーデンの
無垢の材料を 2 枚に割り、対象に配置するなどの伝統的
学生12名は、入学以前に、ギター制作、木製ボート制
部材の利用方法が守られている(写真14、15)。さらに、
作、車の車内デザイン、椅子の布張り、大工、家具制作
二つの引き出しの前面に来る木目が、左右でつながるよ
等、木材加工、デザインに関する何らかの経験や知識を
うに使用されている作品(写真13)や、板を左右対称
有して入学していることから、全く対等な実力の基に行
に貼り付ける「ブックマッチ」と呼ばれる木目の使い方
なわれた共同授業ではない。両校の作品を比較する際に
(写真13、16)など、構造や視覚的な美しさにも配慮さ
はこの点を十分に考慮する必要がある。しかしそうした
れた作りになっている。
経験・知識の違いはあっても、今回の共同授業で制作し
た両校の学生作品は、発想の着眼点、トレーとしての機
(3)合板成形技術、曲げ加工技術、木象嵌技術
能の面から見た評価は、制作者の名前を伏せてしまえば
板材を使用した作品には、薄い板を重ねて作る合板技
その作品がどちらの学生によって制作されたものなのか
術や、比較的安価な材料で作った心材の表面に、特に美
判別できないほど質の高いものであった。
しい薄い板を化粧板として貼り付ける「練りつけ合板」
高岡短期大学部専攻科産業造形専攻の学生作品は、ト
と呼ばれる技法が使われている。合板技術は無垢材の代
レーのフレームを 2 重にして好みの印刷物や子どもの絵
用品としてではなく、幅の広い部材の変形を防止する目
などを敷くことによって、トレーの機能に絵画の額の
的を持った技法として取り入れられていることが分かる
役割を複合させた作品(写真 2 、 3 )
、伏せて置けば無
(写真10、11、15、23)。また、木材を曲げる技法が取
垢の木材に見えるという意外性を持たせた作品(写真
り入れられた作品が 4 点(写真10、13、18、19)、様々
4 )、塩化ビニール合板を用いてメモ書きの機能を持た
な色彩を持つ樹種の薄板を切り合わせて模様を作り出
せた作品(写真 5 、 6 )
、日本の古い和ガラスの窓から
す象嵌技術を使った作品が 3 点見られた(写真10、11、
発想した作品(写真 7 )
、運搬する時とテーブル上で使
14)。これらの加工技術は、無垢材に拘り、組む、削り
用する時に応じて両面を使う作品(写真 8 )
、様々な薬
出すなどの方法によって成形することが主流である我が
味を入れて食事に彩を添える作品(写真 9 )など、トレ
国の場合と異なり、より経済性、量産性を意識した技法
ーをユニークな視点から捉える優れた発想力が見られた。
として積極的に教育に取り入れ、制作に生かされている
(写真 2 〜 9 は高岡短期大学部学生作品)これらの点は、
ことが分かる。
カペラゴーデンからも高く評価された。
カペラゴーデンの学生作品には、木材の活用方法の多
(4)木材以外の素材を取り入れた造形
様性や、載せるものに対応させる造形、使い手に対する
マグネットが使われている作品が 3 点ある(写真16、
堅実な配慮、可動部分を取り入れるデザイン・技術力等
20、25)。そのことによって木材だけを使用したのでは
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でき得ない構造を作り出し、異なる素材の効果を積極的
これらの工夫には、使い手の立場や使われる場面をは
に利用しようとする姿勢が窺える。
っきりとイメージし、使用者の動きに対応しようとする
意識が強く感じられる。
(5)可動機構・構造を作品に組み込むデザイン力
12名のうち 7 名の学生が可動部のある作品を制作し、
6.特色を作り出す背景
造形の幅を多様なものにしている(写真10、11、13、
前章では、カペラゴーデンの学生作品に見られる特色
19、21、23、24)
。家具・クラフト製品の中に可動部
をいくつかの切り口から詳しく述べてきた。確かに、作
を作る際には、高い加工精度が必要となるために、より
品に見られる特色は、制作した各学生の高い能力によっ
高度な知識と技術力を有していることが分かる。
て作り出されたものではあろうが、特色を作り出す教育
的背景に関心を移してみたい。そこで次章からは、これ
(6)電動工具を使った加工技術の導入
まで継続して調査してきたカペラゴーデンの教育方法や
木材を切削する際に使用される手道具は、鋸、ノミ、
教育環境面について考察を加える。
鉋が主なものとして考えられるが、ハンドルーターと呼
ばれる電動工具を使用した痕跡から、使用する道具の範
(1)マルムステンという手本を持つ強み
囲を手道具に留めず、電動工具による加工を基本的技術
カペラゴーデンの創立者であるカール・マルムステ
として指導している様子を読み取ることができる。(写
ンはその生涯において、椅子、テーブル、キャビネッ
真10、11、22)
ト、照明機器、時計等、1000点以上を設計・デザインし、
その多くが商品化され、一部は現在でも商品として継続
(7)課題の解釈の多様性 生産されている。1972年に没するまでの間、彼はカペ
カペラゴーデンの学生作品には、玩具的要素を持たせ
ラゴーデンの敷地内に住み、彼のデザインした家具類は
た作品(写真10)
、腹部に密着させて持つことの出来る
学内の様々な場所で使用されていた。現在でも、朝の集
作品(写真18)
、脚部をたたみ、高さを変えることので
会で学生が座る椅子や、図書館のテーブル、椅子、食堂
きる作品(写真16、23)
、ロール状に丸めることの出来
の食器棚など彼のデザインした家具類が惜しみなく配置
る作品(写真24、25)
、スケッチブックを入れて携帯で
されて実際に使用されている3。彼が生活していた住宅
きる作品(写真11)等々、多様な発想が見られる。また、
は、現在ではオフィスとゲストルームとして使用されて
ワインを運ぶために誂えた作品(写真21)
、フィンラン
おり、生前に彼が過ごした部屋には、調度品が当時のま
ドの食器メーカー「マリメッコ社」食器の絵柄から発想
まに配置され、学生はいつでもそれらの品々に触れ、そ
した作品(写真10)等、載せるものを考慮する課題条
の穏やかな空間を味わうことが出来る。このようにして、
件に対して発想の多様性が見られる。
学内の様々な場面に美しくデザインされた家具が置かれ、
それが鑑賞用の美術工芸品としてではなく、実際に使用
(8)使用者の動きに対応した造形
することが許され、素材の利用方法や機能性、快適性、
スウェーデンには「スナップス」と呼ばれる向かい合
さらにデザイン理念を学び取ることが出来るように工夫
ってお酒を飲む楽しみ方がある。そのために作られたト
されている。こうした環境が、学生作品に見られる堅実
レーには、日本のお猪口に似た器を収納する引き出しが
な技術や発想の多様性を生み出すことに影響を与えてい
あり、これを前後に押し引きして好みの器を選ぶことが
るように思われる。
できるように作られている。引き出しが前後にスライド
するため、運搬中に滑り出ない様に引き出しの底板の裏
(2)多様なゲストティーチャーの招聘
にはマグネットが仕込まれていて、中央で止まるように
カペラゴーデンの家具・インテリアデザイン科の専任
工夫されている(写真13、20)
。
教員は 2 名である。これに加え学外から多彩な講師を招
ワインのデカンタとグラスを運ぶために作られたトレ
いて行われる授業が頻繁に開講される4。こうした授業
ーでは、運搬中の安定性を考慮し、運搬時は観音開きの
では、弓を作る作家、ろくろ作家、木象嵌の専門家、水
蓋によって固定され、取り出した後は平面が確保される
彩画家、椅子の布張り職人、伝統的塗装の専門家、写真
工夫が施されている(写真21)
。
家、建築家、玩具デザイナー等々が訪れて短期間の授業
野外に多くの料理や食器を運び出すときに使う大型ト
を行っている。こうした多彩な専門化との出会いが、学
レーには、両手で持ったトレー自体を腹部に密着させる
生の発想力を刺激する機会になっているのではないかと
曲線を施し、必要な力を軽減させる工夫が盛り込まれて
考えられる。
いる(写真18)
。
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(3)多様な木材加工技術の指導
生生活を送っている。各学生が使用する部屋には、カペ
本学部では、木工の基本技術習得の範囲を、無垢材を
ラゴーデンの卒業生達が制作していった椅子やテーブル、
使用して組む、彫る、挽く加工を主な技術として定めて
食器棚、陶器類、裂き織りマット、照明機器等や、カー
いる。一方、カペラゴーデンではそれに加えて、無垢材
ル・マルムステンがデザインした家具類が惜しみなく配
を蒸す、あるいは薄い板を重ねて型に挟み、圧着して曲
置され、日々の生活の中で使われている。これらの作品
面を整形する曲げ加工、薄く加工された化粧板を合板の
は、素材の美しさ、機能性、構造等の面から見て十分に
表面に張る合板整形技術、そして様々な樹種の色・木目
考え抜かれた秀作ばかりである。使用する学生達は、そ
を組み合わせて模様を作る木象嵌技術を工芸品制作の基
れらの作品を実際に使用することによって、作り手が作
本加工として位置づけている。こうした多様な技術の経
品に込めた深い配慮に素手で触れることになる。こうし
験が、作品の発想に大きな影響を与えているように思わ
た工夫は、生活の場と学ぶ場を切り離すのではなく、生
れる。
活の中から作ることの意味を学ぶように考え抜かれた仕
また、カペラゴーデンの作品制作課題では、同一デザ
掛けなのである。6
インのものを 2 点以上制作することが多い。同一デザイ
家具・インテリアデザイン科の機械工房は、機種ごと
ンの製品を複数製作することで部品の互換性や高い加工
の専用工具棚や替え刃棚などが使いやすく整理され、作
精度の必要性を知り、ジグや固定具を自分自身で工夫さ
業場の隅々まできめ細やかな配慮が尽くされている。こ
せるのである。これらの教育方法は、技術力や作品の完
れは学生が輪番制で工房の管理・改善に当たる「工房
成度を高めている要因と考えられ、卒業後の工房経営や、
長」システムによって作られてきたものである。工房長
デザイナーとして自立する際に必要な能力として行われ
によって制作・設置された工具棚などは整理整頓に役立
ている。
つばかりでなく、これから棚を制作しようとする学生の
教材として利用することも考えられている。当番に当た
(4)ものに語らせる教育環境
った工房長には、学生の集団から距離を置いて他の学生
家具・インテリアデザイン科の工房には、様々な接合
の「動き」を観察する視線が要求される。工芸品制作に
部の構造見本、樹木見本等が配置されている。カペラゴ
とって、他者に対する配慮の精神が重要であるというこ
ーデンの教育方法は、継承、活用すべき情報を暗黙知と
とに気付くことが期待されている。工房長による改善は、
して学生から目に見えない、手の届かないものとするの
長い年月の間に蓄積され拡大していく。一度作り出され
でなく、技能の多くを具体的な形にして配置し、学生が
た工夫が次の工夫の手がかりとなって新たな改善を生み、
自ら学び取ることの出来る「見る・触れるからの発想」
この環境を共有する他の学生は、“作り手のお陰”を感
教育環境を充実させている5。
じ、使い手に配慮するデザインの重要性を実感するので
ある。1 カペラゴーデンの12名の学生作品に見られる使
(5)材料の提供システムの充実
い手への配慮は、こうした日々の活動によって養われて
カペラゴーデンの家具・インテリアデザイン科では、
いると思われる。
学生が授業で使用する木材のストック、支給等の管理体
制をきめ細かく行っている。木材機械室の一角には乾燥
(7)理念に即した教育方法
した木材のストックコーナーがあり、学生は課題に必要
カペラゴーデンにおけるカール・マルムステンの教育
な材料を自身で選び出し、すぐに加工機械を使った作業
理念は次のようなものである。
に移ることができる。木材は20種類程度の木材が用意
『カペラゴーデンでは、個人の創造的な能力が、作品
されていて、各樹種に固有な色彩・木目・性質等をデザ
の奇抜さや意表をついた驚きとして発揮されることより、
イン上の要素として考慮しながら吟味選択し、取り出し
長い伝統と多くの試練に耐えて使い続けられてきた技術
やすい工夫がなされている。野外には人工乾燥室があり、
や知識と強く結びついて現れてくることを目指す。発
次にストックされる材料の乾燥が授業として行われ、木
想やアイデアの源泉はいつも先人の残した伝統あるいは
材の特性に関する理解を深めている。こうした材料の管
知識を基礎とする。その伝統は無形のものではなく、作
理体制が、樹種に対する知識を深め、制作に必要な材料
業場、思索や語らいの場、知識の伝承方法をはっきりと
の選択意識を積極的なものにしているように思われる。
した形にし、誰もがそれを自由に利用できる全体環境と
して提供する。制作の訓練は、こうした長い時間をかけ、
(6)発想を促す生活環境の提供
試行錯誤によって出来上がった場でなされることを基本
カペラゴーデンの学生達は、学校の敷地内に設けられ
方針とする。
た伝統的スウェーデンスタイルの住宅を共同で使用し学
カペラゴーデンの制作課題のほとんどは、われわれが
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G E I B U N 0 0 2 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第2巻 平成19年12月
生きている現実の生活からかけ離れることなく、具体的
容のニュアンスを正確に通訳し、また新聞記事を訳して
で平静な日々の中で必要と感じるものに向けて出題する。
頂きましたヒロミ・バレンタインさん、そして途絶える
「われわれ」という対象は、主に使用者としての他者で
ことなく本学部に関心を寄せていただきましたカペラゴ
あり、そこに制作の動機や配慮を求めていく。生活に欠
ーデン美術工芸学校のキャレ・マグヌス・パーソン、ベ
かせない木製の椅子や机、ベッドや本棚、陶器、雰囲気
ンクトの両先生、さらに授業に参加していただきました
を大きく左右する織物などに関心を払い、その使用者と
12名の学生の皆様に、深く感謝申し上げます。
しての経験も同時に積み重ねなければならない。
時には、家具・インテリアデザイン、陶器、織物、菜
注釈
園の各専攻を有機的に融合させ、発想と刺激の源泉を幅
*1 本理念は、以下の資料をもとに、筆者(小松研治)
広いものにするとともに、他専攻の制作者との人間関係
も深め、境界領域で制作する場合での共同作業の訓練を
が訳したものである。
カペラゴーデン美術工芸学校木材工芸専攻、
「椅
目指す。
子展」カタログ、カルマル市デザインセンター、
伝統につながり、生活全般に拘った制作は、自ずとそ
1996
の作品に「信頼性」を要求する。ここでいう信頼性とは、
技術がしっかりしていること、使いやすいこと、制作意
参考文献
図が誰からも明確であり、モノを介した共感が得られる
1.小松研治、「実生活に生きる工芸」についての一考
ことである。カペラゴーデンでは、以上の教育によって、
察 -カペラ・ゴーデン美術工芸学校の例を中心と
家具職人や工芸家、あるいは家具デザイナーや経営者の
して-、平成 5 年 3 月、高岡短期大学紀要、第 4 巻、
育成を目的とする。
』*1
pp.91 ~ pp.105
カペラゴーデンの教育理念はこのように明文化され、
2.小松研治、木工を学ぶ木工を教える-新しい木工教
教育方法や教育環境はこの理念に沿った形で具体化され、
育の試み-、平成 9 年10月、ウッディーハンズ「週
実践に移されている。工房や学生生活の場に優れた作品
末の木工」PW通信社、pp.139 ~ pp.146
が配置されている点や、生活を通して必要性を実感し、
3.小松研治、カール・マルムステンの教育理念とその
信頼性の高い実用品を伝統的技術によって作り出す教育
実践の場、平成19年 6 月、株式会社竹中工務店季
は、明確な教育理念に沿って意図的に作り出されている
刊誌approach、第178号、pp.5 ~ pp.9
ように思われる。12名の学生作品に見られる堅実な技
4.小松研治・小郷直言 カペラ・ゴーデン美術工芸学
術や、奇抜なひらめきではなく生活に即した発想からは、
校を再考して -使用者の体験を重視する工芸教
こうした理念の影響を強く感じることが出来る。
育-、平成 9 年10月、高岡短期大学紀要、第10巻
pp.69 ~ pp.89
8.おわりに
5.小松研治・小郷直言 工芸技法を伝える模型と教材
今回の試みを通して、両校学生による工芸品制作のア
の役割 -木材工芸技法の伝承における模型の活用
プローチの違いを具体的な作品によって知ることができ
を例に-、平成 8 年11月、高岡短期大学紀要、第
8 巻pp.89 ~ pp.106
た。カペラゴーデンの学生作品は、木材の特性に対する
知識、高い加工技術、条件から発想する能力の高さ、使
6.小松研治・小郷直言 作業環境の共有、平成11年 3 月、
い手に対する深い配慮等の点で多様であり、学ぶべきも
高岡短期大学紀要、第13巻pp.51 ~ pp.66
のが多かった。そして、こうした特色を作り出す背景に
は、幅広い伝統的木工技術を伝承している点や、学内に
優れた作品を数多く配置し、ものに語らせる教育環境を
充実させて、発想を豊かなものにしている点、そして明
文化された教育理念に基づく教育方法を実践している点
などが要因として考えられた。
今後も、こうした共同授業を継続して、学ぶべき優れ
た点を工芸教育に取り入れながら、芸術文化学部の特色
を創出していきたいと考えている。
謝辞
今回の共同授業の運営にあたり、課題作成の過程で内
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 2, December 2007
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写真 2 好みの絵を入れて、額としても楽しむことができる。
写真 6 トレーに情報伝達の機能を持たせたアイデア。
写真 3 内側のフレームはトレーの裏側から押し上げて外す構造。
写真7 和ガラスと格子が日本的。器を置く時下が透けて見える。
写真 4 裏返すと無垢の木材に見える意外性が楽しい。
写真 8 浅い面で食べ、深い面を後片づけに使う両面使いの構造。
写真 5 任意にメッセージを書くことができる。
写真 9 様々な薬味を入れて食卓を飾る。
56
G E I B U N 0 0 2 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第2巻 平成19年12月
写真10 器の絵柄を利用したパズルとトレーの 2 重構造。
写真14 木象嵌の技術を用いたトレー。
写真11 トレーの中にはスケッチ用具が収納されている。
写真15 隅々まで木目の調和に神経が行き届いている。
写真12 細く薄い材の構成で、通しホゾが意匠として美しい。
写真16 美しい薄板の張りあわせ。脚はマグネットで固定。
写真13 引き出しは両側から出し入れできる構造。
写真17 写真11の内部。引き出しが滑らかにスライドする構造。
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 2, December 2007
57
写真18 重いトレーを腹部に当てて持ち運ぶための曲面を持つ。
写真22 ハンドルーターを使用した様々な溝加工。
写真19 持ち手が格納される構造。曲げ加工は成形合板の技術。
写真23 写真16の脚が出ている状態。
写真20 写真13の引き出し裏のマグネット。中央で止める工夫。
写真24 針葉樹の松材を細い棒状にして使用している。
写真21 デカンタとワイングラスを安定して運ぶためのトレー。
写真25 裏のマグネットバーを外して、写真24を丸めた状態。
58
G E I B U N 0 0 2 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第2巻 平成19年12月
ノート
平成 20 年8月 22 日受理
現代 GP「出会い・試し・気づき・つなぐ芸術文化教育」
-平成 19 年度の活動報告と今後に向けて-
Art and Cultural Education through Encounters, Experiments, Discovery and Fusion:
Report on Current Good Practice Program in 2007.
● 小松研治、小松裕子、渡邉雅志、内藤裕孝、福本まあや、沖和宏、米川覚、近藤潔、前田一樹、小堀孝之/富山
大学芸術文化学部、東田真由美/現代 GP 事務補佐、畠山美紀/芸術文化系支援グループ
KOMATSU Kenji, KOMATSU Yuko, WATANABE Masashi, NAITO Hirotaka, FUKUMOTO Maaya, OKI Kazuhiro,
YONEKAWA Satoru, KONDO Kiyoshi, MAEDA Kazuki, KOBORI Yoshiyuki/ The Faculty of Art and Design, University
of Toyama, HIGASHIDA Mayumi/GP office, HATAKEYAMA Miki/ Departmental Affairs Group
● Key Words: Good Practice, Art and Cultural Education, Collaboration, Visualization of Educational Results, Sequential Creative Classes
要旨:
き・つなぐ」をキーワードに連鎖型成長ステップとし
芸術文化学部では、平成 19 年度の「現代的ニーズ取
て位置づけ、コラボレーション授業(以下「コラボ授業」
)
組支援プログラム(現代 GP )
」に、取組名称「出会い・
とタイアップさせる。コラボ授業の成果は、学内およ
試し・気づき・つなぐ芸術文化教育-ものに語らせる
び学外の空き店舗、駅地下街、銀行等々に展示して街
連鎖型創造授業-」を申請して採択された。本取組期
中をギャラリー化し、教育や地域活性化への貢献の評
間は平成 19 年度 10 月から平成 21 年度末までである。
価を受ける場とする。つまり、教育の成果は具体物と
本稿では、本取組の全体概略と平成 19 年度に実施した
して可視化し、
「見る・触れるからの発想」教育方法を
内容について報告する。
確立するとともに、地域活性化に貢献することを目指
すものである。
1.採択された GP の全体概要
1.1 概要と目的
「現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代 GP )
」
この結果、大学においては、これらを見たり触れたり
することが刺激となって新たな発想が導かれる循環型
の新しい教育方法が確立される一方で、地域において
とは、文部科学省が大学教育改革への取組を促進する
は学生たちの自由な発想に触発され、地域資源の新た
ため、各大学の優れた取組を選定・支援する事業とし
な活用の可能性が見出されるという効果が期待できる。
て平成 16 年度にスタートさせた事業である。1)
平成 19 年度に採択された取組「出会い・試し・気づ
き・つなぐ芸術文化教育」2)は、大学と地域が双方に
活用し合う仕組みを作り、芸術文化学部の教育目標で
ある「芸術文化に対する感性と幅広い分野の知識・技
術を活用し人間と自然や社会との関わりの中で問題を
発見し、解決しようとする意欲的な人材の育成」と「地
域の幅広い伝統資源を継承し一層発展させることので
きる人材の育成」に貢献しようとするものである。
その方法として、富山県の伝統産業や観光等と芸術
文化学部の資源を、それぞれ「地域プラグ」
、
「教育プ
ラグ」につながるものとして見立て、それらを結びつ
ける「コンセント委員会」を設置して、地域の活性化
図1 GP 概念図(申請時)
への貢献と学生の資質向上を図る(図1)
。
コンセント委員会では、富山県西部から県東部地域
の企業や行政に対して積極的に働きかけ、地域のニー
ズと大学の資源を適切に結びつける役割を担う。
このための教育のステップは、
「出会い・試し・気づ
148
GE I B UN 0 0 3 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第 3 巻 平成 21年 2月
1.2 採択にいたるまでの背景
本学部では、前身である高岡短期大学が平成 16 年~
18 年にかけて、連続性のある3件の特色・現代 GP 事
業を実施し、
「技能の可視化と活用」、
「連携授業の推進」
、
「地域観光資源の発掘」等の取組によって、第3者評価、
1.2 取組の推進全体計画
共同授業企画、地域資源発掘など地域と様々な形で連
本取組は、全体を準備と合意形成、実施、総括の3
携する仕組みを取り入れ、学生の学ぶ動機付け、問題
段階に分けて実施する。表1に示すように、平成 19 年
の発見、達成感を導き、就職意欲を高めてきた。また、
度は、合意形成を中心に実施段階の項目を試行的に行
地域との連携授業の実績は、平成 10 年以降 80 件を超
う。平成 20 年度はコラボ授業を実施する中心年次にな
えており、連携先は高岡を中心に広く富山県に広がっ
る。平成 21 年度は引き続きコラボ授業を実施すること
ている。平成 17 年の芸術文化学部創設記念展において
に加え、実施のまとめと全体評価が中心となる総括段
も、18 名の教員が地域の 42 社と連携して 50 点の作品
階となる(表1)。
制作を行った。
他方学内全体に配置した技法見本や学生作品、コミュ
1.3 平成 19 年度実績概略
ニケーションセンター(高岡キャンパス1階)に設置
上記計画に基づき、平成 19 年度は、実施への合意形
された世界の秀作(椅子 ・ クラフト製品 ・ 照明機器等)
成と実施運営のための体制作り、そして可視化の環境
などに触れた学生は、自ら観察して新しい発想に生か
整備を主な目的とした。具体的には、周知と合意形成
す効果も確認されてきた。
のために大型バナーの設置、GP フォーラムの開催、教
こうした取組を進めるなかで、芸術文化学部は教育
授会での説明会開催、GP 専用ブースの設置等を行った。
組織を造形芸術、デザイン工芸、デザイン情報、造形
組織作りとしては、コンセント委員会と GP 推進室の設
建築科学、文化マネジメントの5コースにリテラシー
置、運営企画委員会を立ち上げて学内外の連携体制を
を加えた体制とし、効果的な教育を実践する上で、以
整えた。可視化の環境整備としては情報共有のための
下を充実させることが重要であると認識した。
大型モニターを設置するなど、実施段階に向けての体
1)各連携授業をカリキュラムの学習深化に対応さ
せて配置する仕組み作りの必要性
制を整えてきた。また、連鎖型成長ステップに対応し
た試行授業を行い、学外の第三者による評価を受けて
2)連携による教育の成果を多くの学生・教員・地
域が共有できる可視化の必要性
取組の有効性について確認した。さらに、教育成果を
可視化して活用する際の知的財産権に関しても検討を
3)連携授業の成果が次の連携を生む「連続性・継
続性」を持たせる仕組み作りの必要性
進めた。コラボ授業の支援体制を整え、平成 20 年3月
までに 54 の授業科目、41 名の教員からコラボ授業へ
の申請がなされた。次章より詳細に報告する。
表1 年度別実施全体スケジュール (◎は特に中心に実施する年度・期を示している)
実施項目
準備・
合意形成
コンセント委員会を中心に
全体スケジュールの管理体制の確
立・調整、説明会、フォーラム等の
開催、GP 推進室の設置など
平成 19 年度
平成 20 年度
後期
前期
◎設置・計画 ○推進
平成 21 年度
後期
前期
後期
○推進
○推進
○推進
◎
◎
◎
○
実施
コラボレーション授業
○
ノミネート、実施、評価、個別成果
発表
授業環境・展示環境の整備と
◎
情報共有・蓄積
概念パネル、授業パネル、バナー、
チラシ、web、授業情報公開、情報
提供、SNS システム
◎
◎
◎
◎
○
○
◎
◎
総括
成果の共有と公開(展示 / 発表 / 評価)
学内外作品発表、展示、コンセント
&プラグ展
成果のまとめ
○
公開シンポジウム開催、成果報告書
の作成
○
◎
申請書2)より 再作成
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 3, February 2009
149
2.平成 19 年度活動実績
本 GP 広報バナーを皮切りに、GPweb の開設、GP だよ
2.1 平成 19 年度活動目標
りの配信、GP 封筒や GP リーフレットの作成、芸文ギャ
平成 19 年度は本取組の全体目的を達成するための準
ラリー(高岡駅地下)での紹介パネル設置など、様々
備・合意形成の段階にあたり、大学と地域が双方に活
な形で情報を学内外に提供した。
用しあう仕組みの基盤づくりと学生、地域、教職員の
① GP 広報バナー
GP 参画意欲を高めることを目標とした。そのために、
エントランスホールに本取組のバナーを設置。通算
まず推進体制を確立し、次いで情報を可視化し取組を
4本目の GP バナーとなり、取組みの背景から現在にい
学内外に周知することを計画した。同時に、情報共有
たる流れを知ることができる(写真1)。
環境の整備、地域協力の関係づくり、また事例調査と
GP 紹介活動を行うことを目標とした。
2.2 活動実績
(1)推進体制の確立
①コンセント委員会
合意形成の基盤を確立するための推進組織としてコ
ンセント委員会を設置した。委員会メンバーは GP 推進
代表者を含む教員 10 名、学務課(現学務グループ)職
員1名、GP 事務補助員2名の計 13 名で構成され、平
成 19 年度後期の間に全 10 回の会議を開催した。同委
員会は詳細な事業推進計画を基に進捗の管理や問題解
決を行い、平成 20 年度以降の具体的推進方法などを検
写真1 エントランスホールの GP バナー
討した。また、同委員会メンバー4名による企画委員
会を設置し、検討すべき重点的事柄の事前打ち合わせ
をほぼ毎週行った。
② GPweb と GP だより
本 取 組 を 紹 介 す る web サ イ ト を 芸 術 文 化 学 部 web
サーバー上に開設した(図2)
。同サイトでは取組の概
②運営企画委員会
要や組織図、選定理由等を掲載すると共に実施内容の
平成 20 年3月には、企画委員4名と学外(高岡市デ
報告や予告を行うこととした。並行して、本取組の実
ザイン・工芸センター、富山県総合デザインセンター、
施状況を迅速に伝えるツールとして GP だよりを作成、
富山市の企画管理部)の地元委員3名による運営企画
メールマガジン方式で学部全教員に配信を開始した。
委員会を開催した。同委員会では、より実質的な活動
にむけた体制作りが検討され、地元委員には地域にお
ける GP 補助事業の牽引役として積極的に協力してもら
うことを確認した。
③ GP 推進室の設置
地域と大学、学生、教職員が相互にコミュニケーショ
ンをとることができ GP 推進状況が具体的に理解できる
拠点として GP 推進室を、学内外の交流の場であるコ
ミュニケーションセンターの一角に設置した。GP 推進
室では GP 事務補助員2名が実質的な事務処理を行い、
コンセント委員会の教員1名が推進室のとりまとめを
行った。学生への情報機器の貸し出しや購入物品の整
理、平成 20 年度以降の授業準備など様々な情報を一元
的に管理した。
図2 GPweb のトップページ
(2)可視化された情報による学内外への周知
エントランスホール(高岡キャンパス)に設置した
150
GE I B UN 0 0 3 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第 3 巻 平成 21年 2月
http://www.tad.u-toyama.ac.jp/2007gp/index.html
③ GP 封筒
年度始めに整備された。
広報ツールとして本 GP のタイトルを入れた封筒を作
成(写真2)
。
⑥ GP 概念図
GP 概念図は本取組の申請時に作成されたものが原型
となっている。プロジェクト内容が明らかになるにつ
れて改編とリ・デザインが繰り返され、GP リーフレッ
ト掲載の際に最終版として完成した。概念図は、学部
内外において本取組を説明する際に、目的に合わせた
必要情報が適宜に付記され、GP パネル等、各種広報ツー
ルに活用されている(写真4)。
写真2 作成された GP 封筒2種
④ GP リーフレット
広報ツールとして A3 二つ折りサイズのリーフレット
を作成。作成にあたっては、取組概要やキーワードの
説明、事業全体の概念図及びこれまでに取り組んだ連
携授業の写真等を用いて、本取組の全容を伝える工夫
がされた。関係団体や行政機関での説明資料として活
用している(写真3)
。
写真4 GP パネル(芸文ギャラリー内 GP スペース)
(3)情報共有環境の整備
エントランスホール2階の講義棟入口広場の壁を GP
広報スペースとし、大型パネル、及び大型モニターを
設置した。また、コラボ授業のためのソーシャルネッ
トワーキングシステム(以下「 SNS 」
)を設計し、平成
20 年度実施にむけた準備をした。
①概念図大型パネル
大型モニターを内包したパネルには本 GP の概念図が
写真3 作成された GP リーフレット
示され、モニターでは GP の最新の取組内容が動画やス
⑤ GP ロゴ
ライドショーで可視化されている。
合意形成を目的とした様々な広報ツールが作成され
る中で、本取組ロゴは複数のパターンが存在し、取組
②連鎖型成長ステップ・プログラム一覧パネル
名称やサブタイトルとの組み合わせについても一貫性
コラボ授業の各科目名と、「出会い・試し・気づき・
がなく、場合によっては誤解や紛らわしさを生む可能
つなぐ」の各成長ステップの位置関係が一望でき、学
性があった。平成 20 年2月のコンセント委員会におい
生が履修希望授業をつなぐと、どのような成長ライン
て、GP ロゴの取り扱いについてある程度の整理が必要
を辿るかがイメージできるようになっている。このプ
であるという意見が出され、公認の GP ロゴ、およびサ
ログラムは、いわば本取組におけるサブ・カリキュラ
ブタイトル等との組み合わせ指示が検討され、平成 20
ムであり、各学生の履修計画のもうひとつの参考資料
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 3, February 2009
151
となることを目的としている。また教員と学生の取組
意識を高め、各ステップ間の授業連携を促すことも狙
いとしている(写真5、6)
。
④大型モニターの設置
施設内における人の流れを考慮にいれ、学内3箇所
(講義棟入口大型パネル内、エントランスホール、実習
棟前1階エレベーター脇)に設置。コラボ授業の様子
や展覧会告知などを動画やスライドショーなどを用い
て分かりやすく放映している(写真8、9)。
写真5 成長ステップ一覧パネル(GP 広報スペース)
写真8 エントランスホールの大型モニター
写真6 概念図大型パネルとモニター(GP 広報スペース)
③ GP ライブラリー
GP 広報スペースには、GP リーフレットをはじめコラ
写真9 実習棟前1階エレベーター脇のモニター
ボ授業で可視化された取組や作品、展覧会用ポストカー
ドなどを展示するライブラリーを設置した。
⑤ SNS システムの設計
SNS の設計にあたっては、予算面を考慮し、既存の
サーバーの再利用と、オープンソフトの導入・カスタ
マイズを前提条件として仕様を作成した。具体的には、
1つのコラボ授業を1つのコミュニティとして位置づ
け、そのメンバーに授業担当教員、当該授業を受講す
る学生、授業に参画する連携先関係者の三者を設定す
ることにより、授業科目を単位とした情報の蓄積と交
換の場を提供する。コミュニティには、授業の実践報
告やメンバーの意見・感想、可視化された授業成果等
が掲載され、これら情報はコミュニティのメンバーは
もとより、SNS の全利用者で共有される。これにより
写真7 GP ライブラリー(左の棚)
受講生以外の学生や他の教員もコラボ授業の様子を知
ることができる。また、フレンド機能や日記機能の活
152
GE I B UN 0 0 3 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第 3 巻 平成 21年 2月
用によって、メンバー間(特に学生と連携先関係者)
のコミュニケーション活性化が期待できる他、コミュ
ニティ内の授業実践報告と、GP のイベント告知(カレ
ンダー機能による)の情報は、SNS の世界を飛び出し、
広く学外に対しても公開される。設計を終わらせ 20 年
度に構築予定である。
(4)教員向け説明会および現代 GP 推進フォーラムの
開催
平成 19 年 12 月に教員向け説明会(5日)及び現代
GP 推進フォーラム( 19 日)をそれぞれ開催し、本取
組の目的、内容、計画および目指す成果についての理
写真 11 現代 GP 推進フォーラム
解を深めた。
①教員向け説明会
本取組は地域と連携したコラボ授業が活動の軸とな
る。それには教員達の事業内容と参加意義に関する十
分な理解と合意が重要となるため、教員向け説明会を実
施した。説明会にはほぼ全教員が参加した(写真 10 )
。
写真 12 現代 GP 推進フォーラム企画展示
(5)地域協力関係づくり
地域ニーズ収集と地域協力関係づくりのため、地域
の関係団体や行政へ出向き(富山市、高岡市、高岡市
デザイン・工芸センターほか)
、GP の取組について説明
写真 10 教員向け説明会
と協力の依頼を実施した。また、前述の地元委員を含
めた企画運営委員会では、地域側からの GP 補助事業の
②現代 GP 推進フォーラム
牽引役として積極的に協力してもらうことを確認した。
主に学生を対象とし、地域連携授業の特徴やその教
育成果の理解を得るために、現代 GP 推進フォーラムを
講堂(高岡キャンパス)にて開催した(写真 11 )
。本
(6)事例調査および GP 紹介活動
①可視化や他大学での取組事例調査
フォーラムではこれまで実施してきた連携授業の中か
国内外で実施されている「見て触れて分かる」こと
ら3つの授業を紹介するとともに、授業の成果物をエ
を意識した展示事例を調査し、その際に収集した可視
ントランスホールにて展示し、これらの例を介して具
化資料の一部を芸文ギャラリーで展示公開した。調査
体的な地域連携授業の特徴や学習成果ついて紹介した
者、及び調査地は次のとおりである。
平成 19 年 10 - 12 月:小松研(東京)、前田(東京)
、
(写真 12 )。本フォーラムには、学生のほか過去の連携
授業に携わった一般の方約 120 名の参加があった。こ
小松研、小松裕(東京)、小松研(東京)
平成 20 年1-3月:福本(青森)
、近藤(石川)
、渡
れらの模様は平成 20 年1月に速報版ちらしと GPweb
上で報告され、講演内容のスクリプトを含む全体報告
邉(京都・香川)
書が3月にまとめられた。閉会時に実施されたアンケー
その成果の一部は報告書より次のようにまとめられ
トには、次年度のコラボ授業に期待する学生からのコ
る。
「ギャラリーTOM 」の調査(小松研・小松裕)か
メントが多く寄せられた。3 )
らは、視覚障害者をも対象とした美術館の展示の工夫
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 3, February 2009
153
やその設立主旨に関する報告がされた。
「鉄道博物館」
の調査(小松研・小松裕)からは、歴史や技術を物語
る実物展示の様子や来館者が体験的に学習できる展示
の工夫が報告された。
「国際芸術センター青森」の調査
(福本)では同館発行の既刊定期刊行物 18 冊や『体験
学習 Book 』が収集され、地域交流の様子を報告する掲
示法が報告された。「ベネッセアートサイト直島」の調
査(渡邉)からは、現地島内に散在する既存建造物を
用いた展示の様子や、建物と作品と自然が一体となっ
た展示手法が報告された。
「特色 GP 展覧会(京都精華
大学)
」の調査(渡邉)からは伝統産業の製造工程や道具、
材料を可視化し展示する様子が報告され、展覧会カタ
写真 14 大学教育改革プログラム合同フォーラムでの本学部
ログ『手技に学ぶ』が収集された。
GP ブース(横浜)
他にも東京ミッドタウンでの企画展「Water 」
、
「東京
都現代美術館」
、
「東京江戸博物館」
、
「知識シンポ(北陸
先端科学技術大学院大学)
」等で調査が行われその成果
が報告された。これらの調査の報告書及び収集された文
献資料は GP 推進室に保管されており、希望者は閲覧す
ることができる。また、
「12 人の建築家のカップ&ソー
サー・贈る器展」の調査(前田)を通して収集されたカッ
プは、可視化教材として GP 推進室が設置されているコ
ミュニケーションセンターに展示されている(写真 13 )
。
芸術教育」を主なキーワードとして検索し、web 及び
専門書店店頭にて内容を確認し購入を検討した。収集
された文献は GP 推進室内に開架形式で保管し、事業推
進の資料とするばかりでなく、学生や教員が気軽に閲
覧できるようにしている。
(7)平成 20 年度以降コラボレーション授業にむけた
準備
①授業試行
コンセント委員会教員が「コース共同課題」、「プロ
ジェクトゼミ」
、
「ボランティアの世界」の各科目でコ
ラボ授業を試行し、アンケートやレポート等で評価方
法を検討、本格施行にむけた資料とした。
「コース共同課題」においては、実際に地域の職人の
現場に出向き、職人からの話や実際の仕事現場で生々
しい注文者とのやりとり、実際の作業などを間近で触
れ大学では得られない体験をした。
「プロジェクトゼミ」
は芸術文化学部1年次の必修授業である。地域から 20
の授業協力者を募り、それぞれが抱える問題を提供し
ていただき、学生は授業を通して地域の問題解決に取
写真 13 収集されたカップの展示
(コミュニケーションセンター内)
②大学教育改革プログラム合同フォーラム
平成 20 年2月に開催された「大学教育改革プログラ
ム合同フォーラム:ポスターセッション」
(於 パシフィ
コ横浜)にコンセント委員3名(小松研、小堀、沖)
が参加した。flash ムービーによる概要アニメーション
や GP パネル、配布資料等を用いて本取組を紹介すると
ともに他大学の取組などを調査した(写真 14 )
。
③文献調査
可視化や地域連携に関する文献( 50 冊)を購入。収
集にあたっては「可視化・展示」
「地域づくり」
「文化
154
GE I B UN 0 0 3 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第 3 巻 平成 21年 2月
写真 15 「プロジェクトゼミ」の学内展示と発表
り組んだ。平成 20 年1月末に授業成果展示をエントラ
いう視点から本取組に対するコメントをいただき、取
ンスホールにて実施した(写真 15 )
。
「ボランティアの
組上生じる変更点や改善点を報告書にどのように反映
世界」では、地域で活動している方々の体験談を聞き、
するかなどについてアドバイスを受けた。
問題意識を持って実際の活動体験をレポートした。
⑤知的財産権の検討
②コラボレーション授業の募集と調整
コンセント委員会では、コラボ授業のノミネート募
試行授業や準備を進めるうちに、本 GP 補助事業での
成果物(作品やデザイン等)の著作権や肖像権について、
集方法を検討した上で、平成 20 年1月に授業ガイドラ
その範囲と対処を明確にしておくことの重要性が再認
インと個別調査書を全教員に配布した。この授業ガイ
識された。そこで丞村宏客員教授(富山大学知的財産
ドラインでは、授業成果の可視化や必要経費算出の方
権本部)を講師として招き検討会議を重ね、著作権等
法、参考となる連携授業の事例などを示した。個別調
の取り扱いにおける指針をまとめた(写真 17 )。その
書は授業における連携先やコラボレーション内容の概
主な内容は「授業で生じた著作権は原則教員と学生の
略、希望する予算措置を記入する内容で作成された。
共有とするが、連携先に無償の利用許諾を与える」と
その結果、地域へ出かけ、新しい出会いをつくると
いうもので、該当する授業において担当教員が参照す
いう授業から、連携してものづくりを完成させる授業
ることのできる「知的財産権説明文書」(平成 20 年度
まで、予想を上回る数の申請があった。内容を検討し
完成)につなげられた。
た結果、授業として実施可能な 47 授業を GP コラボ授
業と位置づけ、シラバスに「 GP 参加コラボ授業」とし
て反映することを各教員に依頼した。
③教育環境・情報機器等の整備
各授業のスムーズな連携を図るとともに、コラボ授
業や成果発表、および情報共有のために活用するため、
ノートパソコン及び関連ソフト 24 式、デジタルビデオ
カメラ2台、DVD レコーダ1式、プラズマテレビ1式、
プロジェクタ2式を購入した。また、これらの機器の
貸出方法やルールなどを制定し実施した。
④全体評価の検討
写真 17 丞村客員教授(左奥)との知的財産権検討会議
各試行授業で個々の評価を試みたほか、事業全体の
初年度評価については林義樹教授(日本教育大学院大
3.平成 19 年度活動の成果と課題
平成 19 年度の実施で得られた具体的な成果は、以下
学)を迎え評価方法や GP の考え方、その方向性につい
て、コンセント委員会メンバーと懇談した(写真 16 )。
のとおりである。なお、平成 19 年度は 10 月からの半
林教授からは「大学教育における参画教育の価値」と
年間の活動であり全計画の準備期間に充てていること
から、実質的な成果は平成 20 年度、21 年度の取組に
反映されることとなる。
3.1 平成 19 年度活動の成果
(1)合意形成・推進活動(学部内への普及)
本取組を推進する基点としてコンセント委員会を組
織し、教員向けの説明会、学生向けの現代 GP 推進フォー
ラムの開催をはじめ、地域への広報活動、コラボ授業
の試行など、計画の内容と目的に関する様々な普及活
動を行った。これにより、事業の目的・内容・計画へ
の理解と合意形成をとること、および活動の透明性を
図った。特に教員向けの説明会では、本事業の具体的
写真 16 「プロジェクトゼミ」の評価を行う林教授(手前)
な実行内容や教育的効果と教員負担とのバランス等現
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 3, February 2009
155
実的な説明を行い、現代 GP 推進フォーラムでは、過去
ルームとしても使用され、学生にとって学外の情報が
に行われた地域連携授業成果の事例を分かりやすく提
集まり、交流が行われる場所として認知されつつある。
示することで、「ものに語らせる」成果のイメージづく
この推進室を拠点として、様々な情報を一元的に管理
りに役立てた。参加した学生の平成 20 年度コラボ授業
し、次年度以降本格的に始まるコラボ授業や、学生と
に期待を寄せるコメントや、教員のコラボ授業へのエ
教員、そして地域とのコミュニケーションを支援する
ントリー希望の多さなどから、学生・教員双方の合意
情報と交流の拠点として活性化させる予定である。
形成の達成が見て取れる結果となった。平成 20 年度か
らの具体的なコラボ授業やニーズ収集とその調整が円
滑に実現できる基盤を確立することができたといえる。
(5)情報可視化の推進と波及
本年度取組の経緯や成果は、必要な限り様々な形で
可視化し「ものに語らせる」方法で提示した。それと
(2)合意形成・推進活動(地域への普及)
同時に情報共有のための各種設備も整えることができ
合意形成のために行った普及活動は、新たな地域ニー
た。加えて、様々な展示方法の調査などのデータも集
ズとそれに関わる新規授業企画を引き出すことにも繋
積の厚みを増している。これらの活動は、教員や学生
がった。地域への説明周りや運営企画委員会などを通
に向けて可視化する意義を理解してもらうためのもの
して、様々な意見やニーズが収集され、新しい連携授
であり、具体的な実践事例として提示できた。平成 20
業のアイデアが生まれつつある。収集された地域ニー
年度以降、わかりやすい情報提供や展示環境の計画に
ズをコラボ授業に反映させることは、地域との関係づ
反映され活かされるよう支援を続けていく。また、本
くりを濃密なものとするばかりでなく、それを授業と
補助事業の公開・公表を受けて、地域や他大学からの
して成立させる教員のプロデュース能力を向上させる
問い合わせや訪問があるなど対外的な広報にも役立っ
効果があり、学生教育の取組改善へとつながっていく。
ている。
今後も、地元委員等の協力を得ながら地域との関係づ
くりを確実なものとすることで、様々な地域との連携
授業に繋げていきたい。
3.2 次年度に継続された検討事項
(1)知的財産権・多様なケースへの対応 コラボ授業において地域と学部が、情報や成果を共
(3)合意形成・推進活動(コラボレーション授業の試行)
平成 19 年度は試行としていくつかのコラボ授業を行
有する場合には、著作権など知的財産権の問題を念頭
におく必要がある。前章2.1(7)で述べたように、
い、実際に地域との連携を図った。たとえば、
「コース
現在は、コンセント委員会として一定の方針を「知的
共同課題」では地域で活躍する企業を巡った。学生は
財産権説明文書」として固めたところであるが、コラ
現場だからこそ出会える材料や職人の仕事振りから気
ボ授業が進行するにつれ、多様なケースが発生したり、
づきを得た作品をつくるなど、ものづくりの発想や素
問い合わせが増えたりすることが予想される。各教員
材選択へ生かすことに繋げていた。
「プロジェクトゼミ」
への周知を徹底するとともに、それらの情報を収集し、
では、学生達がグループで地域の問題に取組、積極的
多様なケースへの対応を検討し続ける必要がある。
に学外へ出かけ、能動的に関わる力をつけることになっ
た。それぞれの学生アンケートやレポートでは、地域
(2)可視化促進へのサポート
の多くの人や職業・企業、様々な技術や文化への関わ
授業経緯や成果を記録に残す意識を高めること、展
りを望む声が多い。このように学ぶ場を地域へと拡大
示公開に不慣れな教員に対して記録や可視化を習慣化
した授業は、「出会い・試し・気づき・つなぐ芸術文化
してもらうための工夫が必要である。例えば、効果的
教育」の第一ステップとして、学生達の学ぶ動機や学
な可視化についての事例提示や勉強会、具体的なサポー
びたい意欲を、導き高める教育効果があると言える。
ト(写真や録画の補助など)をコンセント委員会の手
引きで促進することも考えられる。
(4)情報発信とコミュニケーション拠点づくり
GP 推進室を学部関係者が自由に出入りできるコミュ
ニケーションセンターの一角に設置したことにより、
(3)地域ニーズと授業のマッチング
地域ニーズを授業につなげる体制を十分に構築する
GP 活動に関する様々な情報の集積コーナーとして、事
ことができなかった。授業シラバスは前年2月に確定
業の経緯や成果を記録した資料、ニュースレター、展
するため、ニーズと授業企画を結びつけるために、早
示や可視化に関する参考資料など、教員・学生が随時
めのマッチング作業が必要である。また、正規の授業
閲覧できるようになった。また地域とのミーティング
時間内のみでは連携活動が難しいケースに関して、特
156
GE I B UN 0 0 3 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第 3 巻 平成 21年 2月
別授業での企画を支援していく必要もある。
参考文献
1)
現代 GP(現代的教育ニーズ取組支援プログラム)
(4)地域ニーズ収集方法の再検討
地域ニーズには、学部の研究振興グループに届くも
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/kaikaku/
gp/004.htm
のと教員個人のネットワーク上で浮かび上がるものの
2)
富山大学芸術文化学部:「出会い・試し・気づき・
2種類がある。研究振興グループに届いたものは学部
つなぐ芸術文化教育-ものに語らせる連鎖型創造
が把握した公式ニーズであるが、具体的な情報が即座
授業-、平成 19 年度取組申請書
には教員に届かず連携達成率が悪い。また教員個人に
3)
富山大学芸術文化学部現代 GP コンセント委員会:
届くニーズは、教員一人または教員間でやりとりされ
平成 19 年度現代 GP 推進フォーラム報告書、全 38
る場合が多く、大学側が把握しない個人活動で終わる
ページ、2008 年3月
可能性も高い。大学側と教員側に届く情報の一局化と
公開システムの整備が今後の課題といえる。
(5)コンセント委員会の充実
学生の本事業に対する自発的な参加をさらに促す必
要がある。コンセント委員会に学生委員の導入を進め
るなど、本事業への学生ニーズを把握する方策を検討
することが必要である。
4.平成 20 年度以降の活動に向けて
平成 20 年度は、平成 19 年度の合意形成段階を経て、
最終年度(平成 21 年度)の全体的な成果につながる実
施中心年度として位置づけられる。現在、大学と地域
のニーズを結びつけたコラボ授業の運営を核とした取
組が展開されている。コラボ授業には多くの申請があ
り、コンセント委員会では平成 20 年3月末までに 54
件の申請のうち 47 件を認定し、4月以降新たに6件を
追加認定した。それにあわせて、GP ブースや可視化展
示など授業を支援する環境整備を進め、学内に設置し
た3台の大型モニターでは、コラボ授業の風景や学外
実習、フィールドワークの様子を日々映し出している。
今後は、逐次授業の内容を web やニュースレターで
公開し情報公開を促すとともに、学内向け SNS を構築
し、コラボ授業単位のコミュニティを活用することで、
学生、地域の連携者間のコミュニケーションの活性化
を図っていく。
さらに、前章で課題として挙げた問題の解決を含め、
多様なコラボ授業が効果的に運営されるよう、コンセ
ント委員会の推進体制を継続強化しながら本事業を進
める。すでに学生の著作権の取り扱いに関するガイド
ラインをまとめ、学生に周知する準備が整っている他、
コラボ授業の効果を探る学生向けアンケート内容の検
討と予備調査、大型モニターの効果的な運用方法の検
討等を進めている。
今後、地域ニーズと授業計画とをうまくマッチング
させ、高岡市開町 400 年にあわせた「コンセント&プ
ラグ展」などの開催に繋げていく予定である。
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 3, February 2009
157
ノート
平成 21 年 10 月 21 日受理
現代 GP「出会い・試し・気づき・つなぐ芸術文化教育」
—平成 20 年度の活動報告—
Art and Cultural Education through Encounters, Experiments, Discovery and Fusion: Report
on Current Good Practice Program in 2008.
● 小松研治、福本まあや、小松裕子、米川覚、沖和宏、近藤潔、渡邉雅志、内藤裕孝、前田一樹、小堀孝之/富山大
学芸術文化学部、東田真由美、今城留美/現代 GP 事務補佐
KOMATSU Kenji, FUKUMOTO Maaya, KOMATSU Yuko, YONEKAWA Satoru, OKI Kazuhiro, KONDO Kiyoshi,
WATANABE Masashi, NAITO Hirotaka, MAEDA Kazuki, KOBORI Yoshiyuki/ The Faculty of Art and Design, University
of Toyama, HIGASHIDA Mayumi, IMAKI Rumi/ GP office
● Key Words: Good Practice, Art and Cultural Education, Collaboration, Visualization of Educational Results,
Sequential Creative Classes
要旨:
た課題について報告する。
本稿では、現代 GP「出会い・試し・気づき・つなぐ
芸術文化教育」の平成 20 年度の実施内容について報告
1.2 事業推進組織の動き
する。平成 20 年度は、本事業の中心的年度としてコラ
本事業の推進体制は平成 19 年度に発足し、平成 20 年
ボレーション授業を推進し、成果の具体化 ・ 可視化を工
度には各委員会や事務局は定期的な会議や打ち合わせを
夫することで、学生が様々な地域資源に出会い、地域へ
行った* 2(図1参照)。
の関心を高め、豊かな発想力を身につける活動へと展開
コンセント委員会は、GP 推進代表者を含む教員 10
した。具体的には 53 件のコラボ授業と 22 件の展示等に
名、学務グループ職員1名、GP 事務補佐員3名の計 14
よる成果発表などの成果を上げた。
名で構成され、平成 20 年度には全 13 回の会議を開催し
た。本委員会では、運営企画委員会やプロジェクトゼミ
1.平成 20 年度現代 GP 事業の概要
1.1 取組の方針
芸術文化学部の現代 GP 事業「出会い・試し・気づ
き・つなぐ芸術文化教育」
(以下「本事業」と略記)に
おける全体の取組の方針は、地域との多様な連携授業を
通して、学部の教育目標*1 を達成するとともに、地域
の活性化に貢献することである1)。
平成 20 年度は、本事業の中心的な活動年度として位
置づけられ、その方針は多様な連携授業、すなわち大学
と地域のニーズを結びつけたコラボレーション授業(以
下、「コラボ授業」と略記)を実施すると同時に、最終
年度の全体的な成果につなげるために教育環境を整備、
充実させるというものであった。
この方針のもと、事業推進組織の中核であるコンセン
ト委員会は次の実施項目を定めて活動した。
( 1 )コラ
ボ授業の実施、
( 2 )コラボ授業に関連する情報を広く
提供し共有することのできる環境の整備、
( 3 )授業成
果作品の展示や発想を支え、
「見る・触れるからの発想」
教育方法の実現にむけての環境整備、
( 4 )地域連携の
ための環境整備、
( 5 )よりよい教育環境を提供するた
めの調査や交流活動である。本ノートでは、これらの実
施項目に沿って、平成 20 年度の活動実績と明らかになっ
154
GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月
図1.GP 推進組織図
(芸術文化学部1年次後期必修科目)に寄せられた連携
して何が生まれるのか注目していきたい、との期待が寄
テーマに加え、本委員会が開拓したテーマを一覧表にし
せられた。
て学内教員に配信し、連携可能な授業とのマッチングを
2月には日本教育大学院大学教授 林義樹氏を招き、
図る作業や、連携が成立した授業への支援内容の確定作
本事業の経過を報告するとともに、その成果に対する外
業、そして成果(学生作品や企画案)の発表の計画立案
部評価を受けた。具体的には「関わった教員・職員の変
と実施作業を主に担ってきた。また、連携授業の成果を
化が認められる」
「授業を撮影したビデオを、学生のみ
発表したり、広報活動に利用する際に問題となる知的財
ならず教員も共有している」という理由により、
「 FD の
産権の取扱いについて、
「著作権ガイドライン」として
視点からも評価することができる」というコメントや、
明文化し、その周知を図った。
「 GP に係る授業の成果物に関する著作権の取扱いをまと
GP 事務局は、前年度に引き続き、本事業の実質的な
めて文書化し、実施している」という点について評価で
事務処理を担当し、本事業に関係する情報を一元管理す
きるというコメントを受けた。また、今後の取組に向け
ることで、学生・教職員・地域がコミュニケーションを
て、新しいタイプの授業へと展開する可能性や、
「出会い、
とり、かつ、推進状況が具体的に理解できる拠点として
試し、気づき、つなぐ」のキーワードに関するアドバイ
機能した。事務補佐員3名が全体予算の管理、授業支援、
スを受けた。そしてこのキーワードを教員の活動や外部
記録、広報、情報機器管理などの事務を分担し、教員1
との関わりに広げることで、芸術文化学部の教育理念、
名が総括を担当した。特に平成 20 年度よりコラボ授業
さらには、芸術文化教育の特色ある一般理念としても発
が開始されたことにより、授業支援とその記録、及び活
展させることが可能ではないかという示唆を受けた。
動の公開を多様な方法で周知する工夫を行った。
運営企画委員会は、富山県総合デザインセンター副所
2.平成 20 年度活動実績と課題
長、富山市企画調整課参事、高岡市デザイン・工芸セン
2.1 コラボレーション授業の実施
ター長、及びコンセント委員会委員3名の6委員で構成
平成 20 年度は、本事業の「実施年度」と位置づけられ、
本事業の説明と連携テーマの発掘に関して検討した。
し、
コラボ授業を中心とした活動を展開した。
平成 20 年度の運営企画委員会は3月と9月に開催し、
準備段階として平成 19 年度末に、コラボ授業支援の
富山市役所各課からは4件の連携テーマを提案していた
方針を明らかにし、予算ガイドラインを作成、教授会や
だくなどの成果があった。
電子メール等で全教員を対象とした説明会や諸情報の提
8月には運営諮問委員会を開催、
富山県知事政策室長、
供を行った。さらにコラボ授業へのエントリーを募り、
富山市長、高岡市長、及び富山大学学長を含む学内の教
コンセント委員会による調査書審査を経て、各教員に決
員6名が出席した。ここでは、本事業の現況報告を行う
定を通知した。決定後の追加エントリー希望については、
とともに、実施中のコラボ授業のモデル例を紹介した。
個別に同様の審査を行い、柔軟に対応した。学生への周
富山市長及び高岡市長より、今後益々若い人の発想力へ
知には、新学期オリエンテーション(4月)で説明した
の期待と、学生が地域や街と関わることにより新たな景
ほか、常設 GP コーナー等で広報を徹底した。
観が構成される事への期待が寄せられた。また学長から
こうした段階を経て、平成 20 年度には、前期 28 件、
は、地域との関わりの中でどのように新しい連携の芽が
後期 25 件の計 53 件のコラボ授業が実施された。またコ
出るか、学生達が4年生になったとき新しい芸術文化と
ラボ授業参加学生数は、のべ 1,564 名、授業担当教員は
表1 平成 20 年度 各コラボ授業の連鎖型成長ステップ・ポジションを学年進行順に並べた分布
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010
155
42 名(のべ 88 名)
、連携協力講師・講評者数は 105(団
個々のコラボ授業への支援活動は、各担当教員から提
体は組数で勘定)
、学外実習・見学は 71 件にのぼる。こ
出された授業計画に沿い、情報機器の貸し出しや、必要
れは、予想を上回る数であり、多様な形で地域と関わり
物品の購入、各担当教員に授業の記録を依頼するととも
学習する機会を学生に提供することができたと考えられ
に、GP 事務補佐員が授業風景の撮影や記録を行った。
る(文末資料参照)
。
こうして記録された授業内容を、Web サイトや GP だよ
一つの授業のなかでも学生たちは、
「出会い、試し、
り、学内設置の大型モニターなどを通してタイムリー
気づき、つなぐ」という体験と意識変化を獲得すること
に情報提供することで、学生のコラボ授業へ理解と履修
が期待されるが、各コラボ授業ではこれら4つのステッ
していない授業への関心を深めやすくすることを目指し
プのどれかに重点を置き、コラボ授業全体が連鎖する成
た。(詳細は 2.2 )
長ステップを目指した。平成 20 年度はコラボ授業実施
コラボ授業の成果を測る一つの方法として、GP の
の1年目であったということや、新学部のため 4 年次生
キーワード「出会い・試し・気づき・つなぐ」に基づい
を迎えていないこともあり、本事業で提唱する連鎖型成
た学生アンケートを作成し、各コラボ授業において実施
長ステップ「出会い・試し・気づき・つなぐ」において
した(図2)。アンケートの回収状況は、表2の通りで
は「出会い」
「試し」に重点が置かれる傾向にあった。
ある。アンケートの内容からは、例えば「専門性に繋げ
とはいえ、各段階に相当する授業が、学年進行に沿って
て具体的に考えた」、
「将来の目標を見つけた」など、
「出
順調なステップアップのカーブを描いており、バランス
会い・試し」から「気づき・つなぐ」へとステップアッ
。これ
の良い授業分布が成されたことがわかる(表1)
プする様子を窺い知ることができる。
ら授業の記録は別途「 20 年度コラボ授業記録集」にま
とめる予定である。
表2 コラボ授業アンケートの回収状況(平成 20 年度)
それぞれの授業の成果は、レポート、パネル、作品な
どにまとめたほか、個別成果展示( 18 授業、20 箇所)
を開催した。また、コンセント委員会が主催し、前期お
対象授業数
53
アンケート実施授業
授業数
履修数
回答数
回収率
49
1493
1082
72.5%
よび後期の授業合同の成果展として、学内・学外展をそ
。
れぞれ2回ずつ開催した(詳細は 2.2 )
2.2 情報提供と情報共有
本事業では、「見る・触れるからの発想」教育方法を
確立するとともに、地域の活性化に貢献することを目指
コラボ授業についてお答えください。
している。そのために、コラボ授業の成果を学内外にお
全項目、可能な限りご記入ください。
いて展示・発表する成果展示会を開催するとともに、コ
ラボ授業の経過や本事業の活動全体を多様な媒体によっ
コラボ授業名 所属コース 学年 記入日
年 月 日
て可視化し、情報の提供と共有に努めた。具体的には、
1 出会いは何でしたか?
Web サイトでの情報提供、GP だよりの配信、GP ニュー
それはあなたにどんな影響を与えましたか?(人、技術、言葉などについて)
2 試したことは何ですか?
それはあなたにどんな影響を与えましたか?(調査、実験、質問などについて)
3 気づいたことは何でしたか?
それはあなたにどんな影響を与えましたか?(価値観、考え、発想などについて)
4 つながると感じたことは何でしたか?
それはあなたにどんな影響を与えましたか?(将来、進路などについて)
出
会
い
試
し
気
づ
き
つ
な
ぐ
スレターの発行、学内大型モニターでの放映、ソーシャ
ルネットワーキングシステム(以下「 SNS 」と略記)
の構築、GP 図書リストの作成である。
コラボ授業から生まれた学生作品を展示・発表する成
果展示会は、「見る・触れるからの発想」教育方法の実
現という点から、本事業において重要な位置づけにある。
平成 20 年度は、授業毎の成果展示会を開催することに
加えて、前後学期の各期末に、実施授業(前期 28 授業、
後期 25 授業)の全てを含めた「コラボ授業成果展」を
学内及び学外において行った(表3)
。
「コラボ授業成果展」は、一つの展示会に多くのそし
て多様な授業内容を盛り込むという点で、芸術文化学部
では前例のないことであった。そこで、こうした多くの
展示内容を来場者に分かりやすく紹介する方法を検討し
た。その結果、各授業内容を出来るだけシンプルに、か
図2 GP アンケート(A5 判)
156
GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月
つ可視化されたもので構成することが必要と考え、授業
表3 コラボ授業の成果展示会一覧
展示会の名称
授業名
会場
開催期日
富山市民プラザ
2008 年 5 月 23・24 日
富山大学高岡キャンパス
6 月 17 日~25 日
富山大学高岡キャンパス
7 月 3 日~11 日
富山大学高岡キャンパス
7 月 14 日~18 日 高岡駅地下芸文ギャラリー
7 月 18~29 日
平成 20 年度前期コラボ授業
高岡駅地下芸文ギャラリー
8 月 29 日~9 月 23 日 総合演習
高岡市山町筋一帯
8 月 30 日~31 日
4
インタラクティブアート
応用演習
デザインプレゼンテーション
インタラクティブアート
応用演習
コース共同課題
5 「 Eco-FriendlyAction 展」
デザインプレゼンテーション
6 「前学期コラボ授業成果展」
7 「土蔵造りフェスタ」
1 「とやま学生フェスタ」
2 「 Eco-FriendlyAction 展」
3 「 GAINER 展」
8
空間デザインB
氷見市海浜植物園
9 月 3 日~29 日
9 「前学期コラボ授業成果展」
平成 20 年度前期コラボ授業
富山大学高岡キャンパス
9 月 26 日~10 月 9 日 10 「 Eco-FriendlyAction 展」
デザインプレゼンテーション
富山大学五福キャンパス
10 月 8 日~11 月 9 日
11
シンボルデザイン演習
富山大学高岡キャンパス
11 月 22 日~28 日 12
広告デザイン演習
氷見市内3か所
12 月末~2009 年 2 月
13 「塑像展」
彫刻実習A
富山大学高岡キャンパス
2009 年 1 月 14~2 月 22 日
14 「 37 の木のおもちゃ展」
木工基礎演習
高岡駅地下芸文ギャラリー
1 月 16~26 日 15 「ペーパーナイフ展」
「プロジェクトゼミ授業
16
成果発表展示会」
17 「後学期コラボ授業成果展」
生形鋳造
富山大学高岡キャンパス
1 月 19 日~2 月 3 日 プロジェクトゼミ
富山大学高岡キャンパス
1 月 22~2 月 3 日 平成 20 年度後期コラボ授業
高岡駅地下芸文ギャラリー
2 月 13 日~3 月 19 日 18 「後学期コラボ授業成果展」
平成 20 年度後期コラボ授業
富山大学高岡キャンパス
3 月 25 日~4 月 14 日 19
環境造形A(塑造)
富山大学高岡キャンパス
4 月 16~23 日
20
コース共同課題
富山大学高岡キャンパス
4 月 24~30 日
21
環境造形C(金属)
富山大学高岡キャンパス
5 月 13~19 日
22 「 Gift 11 」
クラフト・デザイン
高岡駅地下芸文ギャラリー
5 月 7~18 日
写真2 コラボ授業成果展の展示風景
写真4 学生アンケートのコメント利用の様子
写真3 展示に用いたコラボ授業一覧パネル
写真5 学生が制作した木のおもちゃ作品
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010
157
ごとに「授業内容」
「コラボ実績」
「授業成果物」
「コラ
とを目指した。加えて、SNS や GP 図書に関する情報を
ボ授業学生アンケート」を紹介することとした。例えば、
流し、本事業の情報を提供する場として機能させた。こ
外部講師による講演はその動画記録を DVD プレーヤー
の大型モニターの管理体制には、放映データを通信で配
で公開、実制作作品は優秀作品を選抜し展示、またコラ
信できるシステムを導入し、GP 事務局にて一括管理し
ボ授業を象徴する写真をコラージュするなど、授業のス
た。そうした中で、徐々に、同モニターの利用を希望す
タイルに応じて展示を工夫した(写真2~5)
。
る声が聞かれるようになったため、アンケート箱を設置
また、後期の展示においては、会場に来場者アンケー
し広く要望を収集するとともに、次年度以降の利用方針
トを設置し、興味のある授業やその理由など来場者の感
をコンセント委員会において検討した。
想を収集した。これらは今後の取り組みに対する貴重な
本事業の Web サイト( GPweb )は、取組の現況を逐
情報として、さらなる教育改革への取り組みへつなげて
次包括的に伝える機能を果たすように、その内容の充実
いきたいと考えている。
を図るとともに、トップページで多くの情報が得られる
情報の提供と共有を目的として、平成 19 年度末に3
よう平成 20 年度にリニューアルした(写真7)。特に授
台の大型モニターを学内3か所に設置した(写真6)。
業成果展示に関する案内や、展示内容を写真で紹介する
平成 20 年度にはこれらの大型モニターで、コラボ授業
フォトギャラリーを開設したほか、定期的に発行される
の記録を編集放映し、履修学生のみならず多くの学生及
GP ニュースレターや、SNS へのアクセス、GP 図書リ
び教職員が連携先の様子や外部講師の言葉を共有するこ
ストを掲載した。
Web サイトと並行して、GP だよりというメールマガ
ジンを、本事業の取組状況を迅速に伝えるツールとして
月2回を目標に計 23 回発行した。平成 20 年度はその配
信先を学部の全教員から全教職員へと拡大し、コラボ授
業の進行状況や成果展示会の開催情報、学内大型モニ
ターでの放映内容の告知、諮問委員会や他大学との交
流等、各取組を随時報告した。また、前年度に引き続き
A4 両面の GP ニュースレターを年4回発行した(写真
8)
。このニュースレターは、本事業の取組を学部関係
者のみならず地域の人々に広く伝えることを目的として、
紙面を構成した。具体的には、GP 関連のイベント情報
の案内や報告、コラボ授業や取組内容に関する報告、ま
写真6 学内大型モニター
た GP 図書の紹介を掲載し、学外・学内に広く配布した。
主にコラボ授業の学生・教職員そして連携先関係者
)は、
との情報共有を目的とした SNS(通称「 Guppy! 」
20 年度前期にシステムの試行・改良を終え、後期から
本格運用を開始した。運用開始に先立って、学生向けの
説明会と教員向けの講習会を開催し、SNS の利用方法を
写真7 GPweb のトップページ
158
GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月
写真8 GP ニュースレター
学内に周知した。SNS の登録者数は、学生・教職員・管
数は少ないが徐々に利用者が出てきている。
理者等を含め 440 名であり、コラボ授業用として 32 個
のコミュニティを開設した。コミュニティは、授業内の
2.3 可視化のための環境整備
コミュニケーションツールとして機能し、また一部はコ
平成 20 年度は、「見る・触れるからの発想」教育方法
ンセント委員会の運営や SNS の利用相談にも活用した。
の実現にむけて、前年度に引き続き、可視化のための環
半年間の運用の結果として、コミュニティ全体でのト
境整備を進めた。ここでいう可視化とは、授業風景や学
ピックの書き込み数は 95 件、トピックに対するコメン
生作品のみならず、模型や加工工程見本、様々な工具や
トの書き込み数は 100 件であり、コミュニティへの投
道具等を、目に見え、手で触れることのできるものとす
稿は少数の授業に限定される傾向が見られた。
一方、ペー
ることである。その環境を整えるため、可視化や地域連
ジの総アクセス数は、約 22,500 ページ、月平均約 3,700
携によって生じる知的財産権の問題に対処するガイドラ
ページが閲覧されおり、情報提供及び共有という面での
インの作成をはじめ、携帯型展示台や加工見本のための
利用は進んでいると考えられる。
展示棚や照明を整備した。
これまでの運用では、教員がコラボ授業のコミュニ
知的財産権の取扱い方法については平成 19 年度より
ティへ授業報告を書き込み、その内容に対して学生が意
コンセント委員会において、識者を交えて検討を重ねて
見や感想を書き込むという方式を採っているため、教員
いた。それを踏まえて、平成 20 年度には「知的財産権
主導の面が強く、そのことが学生の投稿数の多少に影響
説明文書」(著作権ガイドライン)をまとめ、該当する
していると思われる。そのため平成 21 年度からは、学
授業の担当教員及び学生への周知のために使用した。同
生自らがトピックを立て意見や感想を投稿できるよう運
文書には、本事業で著作権が生ずる事例を挙げ、各事例
用方法を改善し、コミュニティへの投稿の自由度を高め
への対応方法や成果物に関する権利内容を明文化した。
ることで利用者数・投稿数の増加を促したいと考える。
また、事前の手続きや契約書の書式作成例等を含めた。
情報提供を目的としたもう一つの活動として、GP 図
可視化のための環境整備の一環として、携帯型展示台
書リストの作成がある。GP 図書とは、平成 19 年度( 56
を設計し制作した。その設計プロセスでは、①通常の作
冊)及び平成 20 年度(8冊)に収集購入された可視化
品のみならず授業プロセスまでを含む多様な成果物が展
や地域連携関する書籍である。これらの書籍を、より
示できること、②作品として「個」の展示ではなく、授
多くの学生や教職員が利用できるように、GP 図書リス
業として「群」の展示を可視化する展示スペースとなり
ト(各頁に約2冊分を掲載し全 33 頁)を作成した。そ
得ること、そして③様々な場所で展示会を開催すること
の作成にあたっては、書誌のみならず、各文献の表紙な
が可能な携帯利便性を備えていること等が必要な条件と
どの写真、目次、概要を掲載し、洋書については分かり
して挙げられた。
やすいように和訳を付すことで、リストを通して文献に
完 成 し た 携 帯 型 展 示 台 の 仕 様 は、 天 板 の 長 さ が
関心を抱かせることができるものを目指した(写真9)。
1800mm、幅は 900mm、天板面はリバーシブルで、オ
12 月下旬よりこのリストを閲覧用として学内2か所に
フホワイト色とグレー色になっており、展示内容に応
設置するとともに、リストの一部を学内大型モニターや
じて選択できるようにした。この展示台は、天板を脚
Web サイト、GP ニュースレター等において広報した。
部に乗せて使用する手法をとり、脚部の使用方法によ
これまでに、コラボ授業の学生や教員が利用するなど、
り高さが3段階(使用時の高さが、920mm、820mm、
。また、専用のキャ
350mm )に調節できる(写真 10 )
リアー(1台につき5セット分の展示台が収納可能)で、
運搬・移動が容易に行えるようにした(写真 11 )
。シン
プルな天板と脚部の構成による携帯型展示台は、様々な
個性ある授業成果物に対応し、学内及び学外において機
動力のある展示台として活用されることを期待している。
携帯型展示台や見本棚の制作設置に加えて、学内にお
ける展示照明設備の充実を図った。既存の照明は、主に
卒業制作展等の大規模な展示企画が想定され、展示空間
も限られているという問題があった。一方、本事業では
各授業単位での展示を想定しているため、小規模展示に
も対応できる照明の導入が必要となった。そこで学内7
写真9 GP 図書リスト
箇所に、照明ダクトレールを取り付け、調光可能なスポッ
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010
159
トライトを導入し、照明を備えた展示空間となるよう整
備を行った(写真 12 )
。
また、可視化のための環境整備の一環として、加工見
本展示棚の制作を行った。これまでにも芸術文化学部で
は、金工、木工、漆工、デザイン等の分野で、技術解説
や発想を導くための見本を様々な形で可視化してきてい
た。しかしこれら可視化された教材は、限られた場面で
使用されるだけで、関係者以外の学生や教職員が日常的
写真 13 漆椀の見本展示棚
に共有することはなかった。そこで、平成 20 年度の本
事業では、70 種類に及ぶ漆椀の見本、螺鈿の見本手板
50 枚、変わり塗り見本手板 50 枚、金工のナイフ制作工
程見本、木工の刳り物制作工程見本、薄肉レリーフ制作
工程見本を展示する棚を制作した。これらの見本棚は、
学内を通行する多くの学生や教職員が、日常から目にす
ることのできる場所に設置した(写真 13 )。
写真 10 3 段階の高さに調整できる携帯型展示台
2.4 地域連携のための環境整備
平成 20 年度コンセント委員会では、地域からの具体
的な要請や課題を受け取りコラボ授業に繋げる仕組みを
検討し、地域と学部をつなぐルートの整備を進めた。
従来、地域からの要請窓口には、いわば、「公的窓口」
と「私的(半公的)窓口」がある。「公的窓口」とは、
大学の地域連携推進機構地域づくり・文化支援部門であ
り、ここに寄せられた地域からの要請は自動的に学部へ
の公式な依頼として検討される。一方「私的窓口」とは
各教職員のネットワークを介して地域から直接要請が寄
せられる場合である。
「公的窓口」に寄せられる要請内容は、造形・デザイ
写真 11 収納時の携帯型展示台
ン的な制作依頼や、開発・企画・しくみづくりなどが主
で、教員への依頼と学生への依頼に大別される。寄せら
れた依頼は、当該部門を運営する専任教員に報告され、
同事務職員との合議により受託研究・事業に該当する
か、それ以外の対応(例えば学生アルバイトとしての扱
い、課外実習、ボランティア的協力など)となるかが判
断され分類される。しかし、授業づくりのテーマという
観点は概して希薄である。また、要請内容の一覧を全教
員に公表する措置が取られていないため、要請受託の是
非判断が当該部門の少人数で決定され、適切な担当者を
見極めるのが難しい状態にあるという問題が見受けられ
る。
「私的窓口」での要請は、当該教員がそのまま引き受
写真 12 照明を備えた展示空間での展示風景
160
GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月
ける(あるいは断る)場合と、当該教員によって別の教
員や「公的窓口」へ紹介される場合がある。しかし、紹
2.5 調査と交流
介措置は比較的稀で、大概の場合は大学および学部の把
本事業では、前年度に引き続き「見て触れて分かる」
握の外で教員個々の裁量によって処理されている。その
ために工夫された国内の様々な展示事例の調査と可視化
ため、
ここでも要請が全ての教員の共有情報とはならず、
資料の収集を行った。また、他大学における大学教育改
教員個々の学部(当該部門)への報告意識の希薄さが学
革プロジェクトの情報収集を行うとともに、本事業の取
部の把握を不完全にする悪循環を生み、
かつ受託事業等、
組の成果を他大学や学会等へ報告した。
業績となりうる活動の機会を失うケースも起きかねない
7月には、コラボ授業の1つ「プロジェクトゼミ」科
と考えられた。
目について、大学教育学会第 30 回大会(目白大学)で
また、当学部で行われるコラボ授業のテーマは、その
口頭発表を行った2)。この発表は本事業の報告という側
ほとんどが教員個々のネットワークに依存するものであ
面のみならず、初年次導入教育の実施事例を報告すると
り、地域連携の経験が少ない教員にとっては、コラボ授
いう目的があった、同科目は、芸術文化学部の初年次導
業の新規起ち上げは連携テーマを見つけ出す作業の時点
入教育の中心となる「導入ゼミ」の一つであり、本事業
で難易度の高いものとなる傾向があった。
で提唱する連鎖型成長ステップでは「出会い」の段階に
そこでコンセント委員会は、今年度の新たな取り組み
団体、
位置づけられる。実際のコラボ内容は、地域の会社、
のひとつとして、第2の「公的窓口」として地域要請収
商店、NPO、個人、行政等が抱える実際の問題に対して、
集の働きかけを行った。既設の「公的窓口」が、主とし
履修学生がチームでその解決に取り組むというものであ
て教員の受託研究・事業や共同研究を軸とした分類を行
る。学会発表では、他大学の GP 事業に携わっている教
うのに対して、この窓口では主として授業づくりのシー
員より、事業終了後の予算措置についての質問を、また、
。
ズ収集を軸として要請を募るという違いがある(図3)
共通テキストとして作成した「教材資料集」の使い方や
この働きかけはまず、
「富山大学芸術文化学部への地位
公表についての質問を受けた。
連携授業協力調査票」を作成し、これを高岡市や富山市
8月には、京都精華大学の教職員6名が本事業の取組
の都市経営課に投げかけ、その他各部署に集積している
を視察に来学し、コンセント委員会メンバーの教員5名
地域要請の集約を依頼した。結果 14 件の要請が返答さ
と情報交換を行った(写真 14 )。京都精華大学とのこう
れ、
このリストを当学部教授会において全教員に提示し、
した交流の発端は、前年度に行われた可視化調査の一つ
新規コラボ授業の取り組みを促した。
である。京都精華大学は、京都の伝統工芸の現場と協
力して学生を実践的に教育する特色 GP 事業を進めてお
り、地域活性化という点で本事業と共通項が多い。情報
交換を通して、特に、取組の具体的成果の検証や GP 事
業終了後にどのように活動を継続していくのかというこ
とに関して問題意識の共有ができた。
平成 20 年度の可視化調査は、首都圏において計4件
行われた(5月・11 月/渡邉、8月/沖、3月/福本)
。
「東京ミッドタウンにおける展示計画と実施の実地調査」
(平成 20 年8月中旬~9月1日)では、環境問題とアー
図3 GP 連携テーマ収集ルート(仕組み)の概念図
写真 14 京都精華大学関係者との交流
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010
161
トを融合したプロジェクトへの学生を交えた制作と設営
フォーラムは、
「質の高い大学教育推進プログラム」や
「新
協力を通して、全国規模のアート・プロジェクトの運用
たな社会的ニーズに対応した学生支援プログラム」など、
と、大都市会場における展示設営の計画とその段取りを
13 プログラムに選定された取組について発表報告する
調査した(写真 15 )
。特に設営に関しては、芸術文化学
目的で開催されたものである。コンセント委員会委員
部学生有志 15 名が同行し、東京会場での夜間設営作業
1名が参加し、平成 19 年度に選定された教育機関から、
に参加、身をもってその実地調査を行った。当該企画は
これまでの実施状況ならびに今後の計画等についての報
「デニムの耳プロジェクト」と呼ばれ、年間地球約2周
告を聴講した。また、同時開催のポスターセッションで
分になるデニム生地の廃材をアートやクラフト製品に再
は、芸術文化学部の教育・研究活動に関連すると思われ
利用する環境アート・プロジェクトであり、日本有数の
る他大学の取り組みを中心に情報収集を行った。
大型商業施設
「東京ミッドタウン」
で行われる国際ファッ
ションイベント「ジャパン・ファッション・ウィーク in
3.おわりに−平成 21 年度の活動にむけて
トーキョー」の企画デモンストレーションとして計画さ
平成 20 年度は、本事業の中心的年度としてコラボレー
れたものである。今回は少予算の大規模プロジェクトと
ション授業を推進し、成果の具体化 ・ 可視化を工夫する
いう特異性があったが、この場合、事前の計画性とその
ことで、学生が様々な地域資源に出会い地域への関心を
計画に固執しすぎない柔軟性、またマンパワーの確保に
高め、豊かな発想力を身につける活動を展開した。具体
関して多方面へのネットワークの広さがプロジェクト成
的には 53 件のコラボ授業と 22 件の展示等による成果発
功の鍵になるというポイントを実感することができた。
表などの成果を上げた。
「教育・福祉施設及び美術館における可視化調査」
(平
本事業の最終年度である平成 21 年度は、これまでの
成 20 年3月23、24日)では、東京にて3か所の施設を
活動を踏まえ、特に地域企業や住民、行政からのニーズ
可視化、学習環境という視点から調査を行った。アド・
を取り入れた具体的な連携授業を主体として、
「出会い・
ミュージアム東京では、常設展、企画展、及び付属図書
試し・気づき・つなぐ」成長ステップの後半部分に重
館にて展示方法の調査及び文献整理の手法に関する調査
点を置いた事業を展開する。このことにより、全体的な
及び関係資料の収集を行い、様々なメディアによるイン
成果として学生が自らの経験を専門分野に生かすととも
タラクティブな展示方法の可能性を知る機会となった。
に、地域に還元する授業連鎖の仕組みを完成させること
東京大学教養学部付属教養教育開発機構開発部門駒場ア
を目指す。
クティブラーニングスタジオでは、学習環境のデザイン
特に平成 21 年度には、芸術文化学部「 TSUMAMA
という視点から、担当教員より進行中の現代 GP の取組
ホール」(富山大学高岡キャンパス内)のほかに地域3
に関する説明を受けると共に、資料及び意見の交換を行
~5ヶ所を展示会場とする「コンセント&プラグ展」
(仮
うことができた。また、体育施設の環境デザインという
称)を開催し、授業の成果展示や発表を地域全体に広く
視点から、BumB 東京スポーツ文化館の見学を行った。
実施することで、授業参加学生や連携先のみならず、授
1月には、大学における大学教育改革プロジェクト
業に参加していない学生や教職員、地域企業や一般市民
の取組状況についての調査をするため、
「大学教育改革
の関心を高め、大学と地域が一体となった活動へと発展
プログラム合同フォーラム」
(主催:文部科学省、財団
させる。そのため、コンセント委員会は、引き続き地域
法人文教協会、会場:パシフィコ横浜)に参加した。同
や教員、学生からの様々なニーズと授業とのマッチング、
効果的な授業支援を推進するとともに、本事業が修了し
た後もこの教育システムを継続発展できる道筋を作る仕
組みを検討する。
本事業の最終年度の後、これまで培ってきた地域と教
育をつなぐ仕組みが雲散霧消することのないように、コン
セント委員会がその役割を終えた後も地域連携授業に資
する連携テーマ収集ルートとその運用の仕組みは何らか
の形で継続していくことが望ましい。それが最終年度に残
された課題のひとつといえる。また、大型モニターを始め、
本事業に関連して購入された機材や収集された情報につ
いても、本事業終了後も十分に活用されるシステムを準
備構築することが最終年度における課題である。
写真 15 「デニムの耳プロジェクト」
162
GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月
謝辞
参考文献
芸術文化学部の現代 GP 事業は、教職員の皆様のご協
1)小松研治・小松裕子・渡邉雅志・内藤裕孝・福本ま
力を得て平成 20 年度の事業を終えることができました。
あや・沖和宏・米川覚・近藤潔・前田一樹・小堀孝
「出会い・試し・気づき・つなぐ成長ステップ」に授業
之・東田真由美・畠山美紀、
「現代 GP「出会い・試
として参加していただいた数は 53 科目で、42 名の教員
し・気づき・つなぐ芸術文化教育」-平成 19 年度
の皆様に参加して頂きました。その中で、学外実習・見
の活動報告と今後に向けて-」、富山大学芸術文化
学先 71 箇所、そして講評会、講演等の招聘講師人数は
学部紀要第 3 巻、2009: 148-157.
50 名を数え、多くの出会いの場面を学生に提供するこ
2)近藤潔・小松裕子・澤聡美・立浪勝・渡邉康洋・小
とができました。また、演習・実習科目は 35 科目が行
林和子・深谷公宣・山田眞一・米川覚・安達博文・
われ、様々な試し授業が実施されました。本現代 GP 事
島添貴美子・辻合秀一・内藤裕孝・長岡大樹・西島
業に対する教職員の皆様のご理解とご協力に深く感謝い
治樹、「問題解決能力の育成をめざす初年次導入教
たします。
育-プロジェクトゼミの企画から実施まで-」
、第
30 回大学教育学会大会、2008: 88-89.
註釈
「芸術文化に対する
*1 芸術文化学部の教育目標は、
感性と幅広い分野の知識・技術を活用し人間と自
然や社会との関わりの中で問題を発見し、解決し
ようとする意欲的な人材の育成」と「地域の幅広
い伝統資源を継承し一層発展させることのできる
人材の育成」である。
*2 各委員会の役割については前年度報告1)を参照。
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010
163
文末資料 平成 20 年度 全コラボ授業一覧
164
GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月
一般論文
平成21年11月16日受理
環境に委ねる情報 −スウェーデンの福祉施設、教育現場の観察から−
Entrusting the Environment with the Information
● 小松研治 / 富山大学芸術文化学部、小郷直言 / 大阪大学大学院経済学研究科、小松裕子 / 富山大学芸術文化学部
KENJI Komatsu/ The Faculty of Art and Design, University of Toyama, NAOKOTO Kogo/ Graduate School of
Economics, Osaka University, YUKO Komatsu/ The Faculty of Art and Design, University of Toyama
● Key Words: Environment, Tools, Sweden, Information, Welfare, CAPELLAGÅRDEN
概要:
い。自信ありげに悠々といつまでも待っている。時には
本稿では、環境が担っている情報を上手にピックアッ
不快に感じさせるときがあるだろう。その時にはみなで
プすることで、生活を快適にし、やさしく人を誘導し、
検討して、改善を試みる余裕があれば十分である。次第
知識の伝承もやってのける北欧のスウェーデンを調査し
によくできるはずだという信頼こそが、社会にゆとりを
た。その中で特に博物館、美術工芸学校、病院・福祉施
与える。快適さに対する関心が自身の心の中でなく環境
設について詳しく見ていくことにする。調査の見方は、
に向いていれば、周りの人が同じように環境を利用して
人が活動する現場に焦点を当て、人が行う活動の周辺に
いる様子を見ることで、維持すべきこと改善すべきこと
ある環境が人に与える情報について観察した。それぞれ
が自然と見えてくる。快適で有意義な生活は環境に任せ
の施設で得た具体的な事例から、環境における情報のあ
ようではないか、と言いたげである。
り方、提示方法について考察した。
こうした環境の中で子供たちが育ち、成長していくこ
とで継承されるものが選択され、次世代に受け継がれて
1.はじめに
いく。潜在化する情報を豊かにすることが、現在を生き
本稿では、スウェーデン各地を視察した中で、生活の
ていく人間に課せられた重要な責務であることに多くの
快適さの追求、やさしく人を誘導するやり方、知識の伝
人々が同意している社会、それがスウェーデンという国
承方法などについて詳しく見ていきたい。キーワード
の特徴のように思われる。
は生活環境とそこに配置された道具である。われわれ
は、環境と人間、人間と人間の間に配置された道具類は
2.環境が担っている情報
意味と価値を備え、人がその情報をつかみ取るのをじっ
これから描こうとすることは、われわれが対象の周囲
と待っている、と捉えている。この情報はおせっかいせ
を歩き回ること、模型を手にとって回転させて見ること
ず、堂々と自信ありげに鎮座している。ひとたび何かの
が、どれほど大切な行為であるのかを示すことになろ
行動を起こそうとして周囲に何らかの手がかりを探し、
う。美術館、博物館、美術工芸学校、デザイン大学、病
それをつかみ取った時や事前に用意された誰かの配慮に
院、福祉施設、木工工房、芸術家村など、調査のために
出会った時、そのお陰で戸惑いなく行動できた心地よさ
スウェーデン各地を視察して回った。そこで様々な人々
と幸せを感じさせる。
にインタビューを行い、資料の収集も行ったが、主たる
知識の継承というような言い回しは、少々大袈裟で人
狙いは、施設・環境に施された「配慮」への関心であっ
を萎縮させてしまいかねない。さりげない設え、自然と
た。もっとも配慮などという曖昧な表現では、これから
手が差しのべられる道具の取手、ほしいものが分かりや
伝えようとする意図を台無しにしてしまうだろう。出来
すくそこにある快適さ、淡く照らされた絵画や欲しいと
る限り具体的に紹介していきたい。しかし、その前に調
思う位置と高さに配置された調度品、光の演出を楽しむ
査にあたって、事物や出来事をどのように見てきたのか
カーテンや壁の色彩、人の語らいを誘う椅子やテーブル
について、あるいは見るべきであったのかについて説明
類、こうしたものこそが生活の重要な脇役であることを
しておくべきであろう。
スウェーデンの人々はよく知っているようだ。継承すべ
観察したことを報告するということは、見たものから
き知識とは、こうした事柄なのである。
何らかの情報を得た結果を報告している場合がほとんど
生活環境と道具には情報が一杯つめ込められている。
であろう。今回のように言葉にしてみたり、写真を選ん
情報は用意されているが送られてはこない。必要とする
で解説を加えたりすることによって説明をわかりやすく
時に気づいてくれればそれでよい。訴えかける必要もな
するという報告のやり方は一般的であるがすべてという
56
GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月
わけではない。話し言葉によって伝えたり、撮影したビ
たとえそうであったとしても誰もが観察できる情報はそ
デオを編集して映写するというような方法もあり得る。
こに実在していたといえる。
しかし、本質的なところは、
「見たものから何らかの情
ここで一つのエピソードを紹介しよう。それはストッ
報を得る」という部分に存する。
クホルム市内の「シティホテル」の一階の出入口付近で
眼から入ってくるものを、観察者は「頭の中で」さま
見かけた光景である。入り口には大きなガラス張りの回
ざまに解釈するので各人の受け取り方は人によって様々
転ドアが中心よりすこし左寄りに配置され、そのすぐ横
である。頭の中では、その人がこれまで経験してきたこ
の右側に二つ目のごく普通の横にスライドする自動ドア
と、得た知識、記憶が解釈に大きな影響を与えることに
が用意されていた。このドアも含めて玄関はすべてガラ
なろう。さらにはその人の持っている想像力や潜在的な
ス張りで、外からの明かりをロビーに取り入れている。
願望なども本人が意識しないうちに影響することになる
両方のドアの入り口には足ふきマット(幅1メータ、長
かもしれない、
と誰しも思っているのではないだろうか。
さ3メートルほど)がドアの外と中に繋がるように敷か
表現力も大いに関係するであろう。旅行記や歴史的事実
れており、客の靴に付着した雪や泥などを少しそこで落
の記述や内容が、その作者によって大きく異なるのは、
とさせてからロビーに出入りするようにしてあった。私
ある意味当然であって何ら不思議なことではない。
は到着した当初、回転ドアの方ではなく、小さい方のド
しかし、ここで観察と言っていることはそうしたこと
アを利用した。
を意味しているのではない。スウェーデンという地で人
次の日の朝、そのロビーで時間待ちをしていたとき、
工的に設えられ、人々が利用できるようにした施設を、
ある小さな出来事を目撃した。理由はよくわからない
「そこにある情報」を探索するという視点から観察した
が、昨日利用できたスライド式自動ドアが、今朝は利用
記録である。解釈された情報ではないことに注意してい
できない旨の小さな張り紙がしてあった。一人の来客者
ただきたい。
がホテルに到着し、回転ドアではなくスライド式自動ド
さて、
これは先の説明とどのように違うのであろうか。
アの方に向かったが、案の定ドアは開いてくれない。張
見たものを解釈することに興味はないということであ
り紙に気づいたが明らかに不機嫌な様子で渋々回転ドア
る。ここでいう情報とは、施設の利用者に有用な価値や
を通ってフロントに向かった。フロントで一言二言なぜ
意味を与えるものであるという考え方に立っている。情
ドアを使えないようにしてあるのかを不満げにフロント
報を解釈して各自独自な意味や価値が作られるという見
マンに問いただしているように見えた(実際にはこのや
方はとらない。たとえわれわれの説明がわれわれの解釈
りとりは遠くからで聞こえず、このあとに起った出来事
の言明である(これはある意味避けられない)としても、
。
からの推測である)
その伝えたい内容は、利用者がその施設の意味や価値を
(無意識であることも含め)知り、それを自らの行為の
ための情報として活用している実態を活字で伝えたいと
いうところにある。
『私たちが、
生きているこの世界には、
…、どのような記述の方法をとっても書き尽くすことの
できないであろう膨大な意味が満ちている。私たちはこ
の周囲に意味の充満する世界で生まれ、成長し、子供を
育て、働き、老いて、死ぬ。…私たちの生は、私の皮膚
の内側だけでなく、それが置かれている周囲とともにあ
る』1)のである。
われわれが解釈に興味がないというのは、人々の機知
や性格を知りたいと思い、そのあり場所をその人々の内
部(たとえば記憶や観念)に探し求めても無駄であるか
らである。私たちが知りたいと思っている、彼の人の能
力、関心、嗜好、方法、確信などは、その大部分が外部
に現れたその人の振る舞いを環境とともに観察すること
によって見出されるのである。ある環境の中で彼が行っ
た行為こそがたくさんの情報を直接われわれに与えてく
れるのである。
もちろんわれわれの関心や注意の置き所、
観察能力のせいで情報を見落とす場合もあるだろうが、
図1 マットが撤去されたあとのホテルの出入り口
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010
57
しばらくしてボーイらしき若者が玄関口にやってき
きによってはじめて見えてくる外環境の情報をともかく
て、スライド式自動ドアの外と内に敷いてあったマット
特定しなければならないであろう。
を端から手際よくまるめ、そのまま抱えてドアから遠く
人の動きを見て、そこに何かを「特定」したボーイと
の方に片づけて何ごともなかったように元の業務に戻っ
同じように、われわれの周囲にあって人間の行為に意味
ていった。張り紙はそのままであった。
(図1)その後、
を与えている環境を発見することが、第4章から第6章
来客者のほとんどはマットのある回転ドアを唯一の入り
までの主要な目的である。しかし、その前に情報と知識
口として利用するようになった。ボーイの行為の意味を
に対するわれわれの考え方を述べておく。
ご理解いただけただろうか。マットは入り口への誘導路
の役割をしていることを事も無げに察知し、それへの適
3.情報と知識
切な対処(対応)を行ったといえる。運悪く(あるいは
外在主義的な知識観を標榜するするわれわれとして、
習慣で)スライド式自動ドアに向かいかけた人も、遠く
ここで情報と知識について若干の説明をしておく必要が
から白い張り紙に気づくなり、進む方向を回転ドアへ向
ある。現在でも知識と情報に内在主義的な定義を与える
け直している。たぶん紙に書かれた文字は遠くからでは
ことが一般的である。情報は外部より伝えられ、感覚器
読めないはずなのに。
官を通して脳に送られ、その過程で様々な加工が施され
この一連の光景を見て、彼の国ではこのような問題に
る。通常は内容の豊富化がなされる。知識のように構造
どのように対処するのであろうかと想像をかき立てられ
化されたり、信念のようにまだ単なる思い込みであった
た次第である。捨て置くには忍びなく、厚かましくもそ
りするが、加工の過程では記憶内容や推論が大きな役割
の若者に「なぜ、マットを片付けたのか?」と質問して
を果たすことになる。
みた。ボーイからは事も無げに「マットがあると故障し
これに対して、われわれは外在主義的な定義を用いよ
ているドアの方に誘導してしまうから片付けた」という
うと思っているのであるが、その理由は、内在主義的な
単刀直入の答えが帰ってきた。彼はフロント係からマッ
知識と情報観には大きな欠陥があるからである。それは、
トの撤去指示があったわけではないのだと言う。これく
内在主義的な見方が、見ることへの疑義から始まり、人
らいのことは誰でもすることであり、まして仕事なのだ
間はそうした外界から得られる信頼できない情報を内的
から当然だと思われるかもしれない。人の行動をある方
な思索の助けを借りて、より信頼できる正確な知識へと
向や範囲に誘導するために、文字ではなく物に情報を持
作り上げてきたことが強調されているからである。*1
たせて用意することや、反対に行動を制限させるために
西洋の伝統でもあるこの知に対するとらえ方は、二十
物の持っている情報を撤去するということが、日本の同
世紀に入り批判にさらされることになった。批判は心身
僚の姿を思い起こしてみても、誰にでもできることとは
二元論への新たな疑義に始まり、心(マインド)に対す
とても思えなかったのである。若者が事も無げにとった
る科学的な問いかけによってもたらされた。
この行為は、物事に対する理解の深さを思い知らされる
本論が依拠する批判の急先鋒は、J.J. ギブソンの生態
出来事であった。
学的心理学である。2)ギブソンの紹介者でもあったリー
取り立てて大袈裟に論評するような出来事でもなさそ
ド( E.S.Reed )によれば、ギブソンは、『「不確定さを
うに見えるが、われわれはここに「人々が利用する情報
取り除き、減らすもの」というよくある情報の定義に対
への配慮」の典型を見ることが出来ると考えている。こ
しては、これは「主観的な定義だ。私は受信者とは独立
の出来事は「人の行為は何によって制御されているか」
に情報が伝えるものを定義したい。」』3)、というギブソ
という問いに対するストレートな解答であるとわれわれ
ンのメモを記している。われわれは、ギブソンの考え方
は考えている。何か頭の中で先にプランを立て、それに
と同様に、伝達される情報ではなく、「そこ(環境)に
よって身体が動くはずもなく、人が何かに誘導されて動
(このあいまいな言い方は徐々に改めていく)
ある情報」
かされたのは、その環境にそれなりの情報があり、それ
に焦点を当てるであろう。ここでギブソンの定義を借用
を察知したはずである。このことを知らなければ、先の
することにしよう。『情報という資源の特殊性は、それ
ボーイの行いは理解できないはずである。確かに、人間
が他の資源を特定するしかたにある。情報は、特定され
であれば張り紙に書かれてある内容を読めば(使用禁止
る当の資源になることなく、その資源を特定しなければ
の文字や記号でも同じ)
、それを理解して別の入り口に
ならない。』4)。*2
向かうだろう、
「それでいいではないか」
、としてしまえ
一方、知識については、ドレツキの外在主義的知識観
ばボーイのような対応はけっして取らないはずである。
を援用する。5) 戸田山は『ドレツキの知識論の眼目は、
客の行為は、周囲にある対象(ここではマット)を特定
知識の獲得・伝達をこの世界での情報の流れの中に一齣
した情報に導かれた結果である。そのためには身体の動
として位置づけることにある。彼は、情報の流れを扱う
58
GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月
に当たって、情報の発信者、解読者という特定の主体を
前提せず、世界で生起する様々な出来事を直接情報の担
い手にと考え、その継起を情報の流れとして捉える。知
識は、こうした情報の流れの中に埋め込まれた情報の存
在形式の一つに他ならない。要するに、知識とはこの世
界に生起する自然現象である』6)と主張する。
知識について戸田山は、
『
「どのような形で保持され使
用されている情報が知識なのか」という問いが、「どの
ような条件を満たす信念が知識なのか」という伝統的な
問いに代わる新しい問題になる』7)、と述べている。*3
つまり、スウェーデンで観察した出来事や環境を情報
が詰まった知識としてとらえてみようということであ
図3 雪の中で焚き火をする兵士と凍死した兵士の等身大人形
る。このような方針で戸田山の言う「新しい問題」に挑
戦してみようとすることが、
本論の一つの課題のである。
そして、情報が「どのような形で保持されている」のか
を実地に観察し、また「使用されている」のかをこの目
で確かめること、これが本論の主題である。以下の章で
は、情報と知識に対するこうした捉え方を出来る限り具
体的に説明していくことにする。
4.リアリティーを追求する(アーミー博物館)
ストックホルム市内のアーミー博物館は、古代から現
在までの戦争、戦場、武器などを時代を遡りながら見学
できるかなり大きな歴史博物館である。
(図2) 展示物
の特徴は何よりもそのリアルさである。
戦場の生々しさ、
図4 拷問を加える兵士と捕虜の様子を再現したリアルな人形
戦時における生活の様子、兵士の死に様、兵舎での生活
環境、塹壕での疲れ切った兵士の苦悩、人間の残虐性な
同じものがない。これだけの数量を並べるなら型抜きで
どどれ一つをとっても手抜きはなく、髪の乱れや軍服の
大量生産してもよさそうに思えるのに。また、兵舎につ
汚れ、顔の表情に至るまで、徹底して見る者を圧倒する
ながれた馬の模型では、馬の後ろに立つとその馬が後ろ
臨場感を持たせてある。張りぼてや中途半端に似ている
足を蹴り上げる機械仕掛けも、馬らしい行動を忠実に再
だけの模型でごまかしたくないという展示者の気迫が観
現したものであり派手な演出を誇示するためでは決して
覧者に迫ってくる。
(図3,
4)
ない。案の定そこを通りかかった親子連れの小さな子供
なぜにこれほどまでに展示物にリアリティーを求める
は、そのことにびっくりしてひとしきり恐怖の悲鳴を上
のか。数十もある人間の頭蓋骨の模型はどれ一つとして
げ続けていた。観覧者は親子連れが圧倒的に多く、教育
の一環としての機能をこの博物館がもっていることは明
らかであった。小さな観覧者に博物館の展示者がまるで
真剣勝負を挑んでいるかのようである。大人も真剣にな
らざるを得ず、なぜこれほどまでリアルさにこだわるの
か、その理由を探ってみたくなる。
当たり前のように見えるが、博物館では観覧者はさま
ざまな展示物を動き回りながらキョロキョロと見て回
る。パネルに書かれた歴史的事実による文字的な説明、
同じく壁に展示された写真類も随所に設置されてはいる
が、圧倒的に多い展示物は実物大の状況設定である。そ
こに必要な人物、モノ、動物、資材、そしてできるだけ
広範囲をカバーする状況設定のための環境(木片、建物、
図2 ストックホルムにあるアーミー博物館
枯葉、ゴミ、残骸、たき火、泥、水、雪、血痕、ウジ虫
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010
59
など)が設えてある。経路を歩く足元は出来うる限り薄
までの距離を実感することができた。一方、的の側には、
暗くしてある。目線が展示物をなめ回すことに集中でき
弾丸が的に対してどのような破壊力があるのかを示す弾
るように、余計な夾雑物には目がいかないように細心の
痕の痕跡見本がガラスケースの中に展示されていた。弾
注意が施されている。博物館で一番邪魔なモノは歩く地
痕を示す見本は、厚さ8ミリの鉄板が2枚対になったも
面と天井であることを知り尽くした照明の当て方が実に
の、蝋の塊、松材のブロックの3種類にそれぞれのライ
上手である。動き回る眼と頭が展示物の面をさっと舐め
フル銃から発射された銃弾の弾痕が展示されていて、ラ
回すと、観察者が一瞬その場所に迷い込んだかのような
イフル銃の性能の進化に対応して異なる衝撃の大きさを
臨場感を醸し出す。どの方角からの視線にも対応した自
物語っていた。鉄板以外の素材は半分に割られ、食い込
信にあふれた精巧な模型は、われわれをあたかも誘導し
んでいく弾丸の弾痕をリアルに見せている。(図6)19
て遊んでいるかのようである。こうした行動ははじめか
世紀に使われていた単発式ライフルの弾痕は、鉄板に開
ら想定されているようで、それほど「見て回りたく」さ
いた穴の周囲にも大きなゆがみが生じる様子が良く分
せられる。兵士が寝そべった地面の襞は、色、肌理、肌
かる。発射された銃弾の発射速度が遅く、銃弾が銃身
触りまで手抜きがない。表面的な形を見せようとしてい
るのではない、そこにある情報を引き出してほしいと訴
えてくる。光学的情報がどれほどたくさんの情報を、動
く観察者に抽出可能にさせられるのかについてスタッフ
が知っていなければ、展示物に万難を排して取り組む気
にはならないだろう。
『何かを特定する情報は、特定されることに似ている
必要はない。…大事なことは、持続する環境を特定する
情報を視覚システムがピックアップできるかどうかであ
る。』8) 日本の観光地によくある歴史的な見せ物小屋
では、リアルさを勘違いして似せることに力が注がれ、
刺激を強くして反応を強要してしまっている。そのため
肝心の情報のピックアップがなんともお粗末になってい
図5 ライフル銃の進化と弾丸の貫通力を示す模型
るというところを多く見かける。それに比べると、この
アーミー博物館では、恐ろしいことは恐ろしく、醜いも
のは醜く戦争のありのままを再現し、生身の人間の仕業
として表現されている。子供は(もちろん大人でも)生
き生きとした場面を見て回り、事物を探索し、出来事、
事物がどういうものであったのかを知らず知らずのうち
に学習できるようになっている。
たくさんの展示物の中の一つだけ詳しく紹介しておこ
う。時代ごとに進化してきたおびただしい数の銃の展示
コーナーの一角に、銃の威力が時代によってどのように
発展してきたかをわかりやすく説明した展示があった。
戦場で使われる銃は当然人間を目掛けて発射されるので
あるが、各時代の銃の弾丸が対象物を貫通する威力が模
型によってリアルに示されている。このようにアーミー博
物館の展示品の特色は、その展示品に持たせている現実
味であった。この展示についてさらに詳しく見てみよう。
図5は、19 世紀に使われていた単発式ライフル銃か
ら、今日使われているアメリカ製 M14 型ライフル銃ま
での進化を4段階に説明するための展示風景である。ラ
イフル銃の展示と弾痕の展示とは実際の飛距離が確保さ
れていて、棚の上に用意された各ライフル銃を実際に手
にして的をめがけて構えることができ、実物の重量や的
60
GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月
図6 3種類の素材に対する弾丸の貫通痕跡を示す模型
ていた。ライフル銃の重さを感じ、距離を実感し、音を
聞き、痕跡を見て知ることで、ライフル銃という道具の
進化を知るだけでなく、銃を撃ち合うことの怖さを疑似
体験させる。
5.人工物環境に委ねよう(介護・医療施設)
今回、イェーテボリ市の隣市、アーリンソースの地域
病院と、カルマル市近郊にある老人ホームとグループ
ホームの2つの高齢者施設を訪問し、そこで実際に働い
ているお二人に案内していただいた。語り尽くされた福
祉先進国のイメージはもはやそれほどではなく、システ
図7 弾丸の貫通痕跡を示す2枚対になった鉄板の様子
ム的には日本とあまり変わりないというが、国の施策や
医療・福祉のマクロな側面の比較は専門家に任せて、わ
の中のライフルライン(銃弾に回転を加えるために掘
れわれは、もっと高齢者や患者、医師・スタッフが生活
られた螺旋状の溝で旋条痕として銃弾に痕跡を残すこ
し、働いている現場(環境)に焦点を当てることにした。
と)によって加えられた回転力も少ないことが理解でき
どの国でも病院内での臨終、救急搬送された患者の深
る。また同じライフルで無垢の松材に命中した弾丸は、
刻な容態など、医師は患者の家族や縁者にそのことを伝
10cm ほど入ったところで弾丸がつぶれて止まってい
えなければならない場面が訪れる。まず、驚いたことは、
る。M14 型ライフルでは、鉄板に弾丸の穴だけが残り、
その告知のための部屋が特別に用意されていたことであ
穴の周囲への影響は少ないばかりか2枚の鉄板を見事に
る。家族や縁者の悲しみや苦悩を、医師の言葉によって
貫通していた。
(図7)松材と蝋の魂には、弾丸の入り
和らげることはとてもできる相談ではない。深い悲しみ
口は小さく、弾丸の出口に従って貫通痕跡の径が大きく
に遭遇したとき、人は周りの存在が希薄になったかのよ
なっていることから、このライフル銃から発射された銃
うな感覚、五感にシャッターが下ろされていくような印
弾は発射速度と回転が速く、恐ろしい破壊力を持ってい
象を味わう。だからといって、深刻な出来事の通知が、
ることが理解できた。このガラスケースには、3段の棚
他者が行き交う廊下のベンチであったり、医師のデスク
板にそれぞれの素材が置かれ、それらを鮮明に見せるた
脇の回転椅子越しに、騒々しい病室の一角でなされるこ
めに各棚の下に照明が取り付けられていた。
とは許し難い行為であろう。悲しみを事実として受け入
一方、弾痕見本の置かれた側からライフル銃の置かれ
れるための場所と猶予とが必要なのである。病院側がで
た方を見ると、その壁面には当時の騎兵隊がこちらに向
きる精一杯の環境への配慮がこうした部屋の用意ではな
かってライフル銃を構え、火薬の煙とともに発射してい
いだろうか。部屋の印象は彩度を抑えた静寂なものであ
(図8)さらに、この展
る等身大写真が貼られていた。
る。カーテンの模様は控えめな木の葉模様で、温かみの
示コーナーには「構え!撃て!」の号令を下す隊長の声
ある深緑の木製椅子とテーブルが置かれ、医師からの専
と共に「ドドーン」という銃声が効果音として流れ、ラ
門的見解を伝える厳しさも伝わってくる。
(図9)
イフル銃が使われている現場の緊迫した臨場感を演出し
廊下から開け放たれた病室内をみると、病室ごとに壁
図8 発砲する騎兵隊の等身大写真
図9 静寂な印象を与える告知専用の部屋
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010
61
の色が変えてあり、ちょうど正面の壁には異なった絵画
ントされたものが多く、外からの光がほんのりと透けて
が飾られ、医者や看護者はドアを押してその部屋に入る
模様を鮮やかに見せている。部屋ごとに異なった模様の
時、必ず壁の色や絵画が視野に飛び込んでくるはずであ
カーテンが設えてあり、家具の色相との調和を考えた選
る。壁の色や絵画の情報によって、似た造りの病室に惑
択である。生地の薄さが軽快な雰囲気を作り、モダンな
わされることなく、自分がいまから誰の看護をすること
模様がアットホームな雰囲気を作りだしている。廊下の
になるのかを瞬時に蘇らせる。
照明は角を曲がるたびに異なった同デザインで統一さ
出入り口部分や廊下の曲がり角の床は色と素材を変え
れ、木製のシェードから作り出される反射光が穏やかに
てある。視覚障害者のための誘導用ブロックは車椅子に
周囲を照らす。(図 10,11 )
は優しくないが、素材を変える工夫で解決されている。
廊下は単なる移動の導線ではない。美術館での絵画・
大きな開閉ドアの前では、開く向きと範囲を示した扇型
彫刻鑑賞を彷彿とさせるさりげない鑑賞の経路として利
の軌跡が黄色いラインで描かれ、階段降り口には進入禁
用されている。数え切れないほどの油絵、水彩画、版画、
止看板とポールが危険を事前に確実に知らせる。廊下で
染色画、織物画、鉛筆画、木製レリーフなどがきちんと
起こりうる事故に対しても注意がいき届くように、通路
木製額に入れられている。中には患者さんの制作したも
の曲がり角には凸ミラーが設置されていて、出会いがし
のも飾られていて、廊下の幅に対して適度な大きさであ
らに人とぶつかることを避けるために視界が拡張されて
る。これらの作品の特徴は、恐ろしい脅威を感じるもの、
いる。
奇抜で激しい表現方法を伴うものなどはなく、どれも優
介護・医療施設はどうしても閉鎖された環境とならざ
しい物語性に満ちた作品が選ばれている。(図 12 -1,
るを得ない。そのため窓からの光、部屋の照明、色遣い
2,3)「なぜ院内にこれほどたくさんの絵画が飾られて
への配慮が徹底している。使われているカーテンは微風
いるのか?」という質問に、「スウェーデンの病院、福
に揺らぐほどの薄い生地に暖色を用いた植物模様がプリ
祉施設では、美的環境水準に関する公的な評価基準が設
図10 ベージュの壁の色と紺色の椅子に対応させて、同系色の
図12-1 壁面に飾られた写真
カーテン模様でコーディネートした部屋の様子
図11 同じデザインの木製照明で統一された廊下の様子
62
GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月
図12-2 薄肉の陶器レリーフで作られた作品
けられていて、数年ごとにこの審査を受けることが義務
に分けることが、入居者個人の尊厳を保つばかりでなく、
づけられている。そのため、多様な美術団体と連携して
きめ細かいニーズに対応可能となり、スタッフの専門性
努力を重ねている。
」とのことであった。
と担当範囲を明確にしている。各セクションには個室
(住
一時の休憩、語らい、ガラス窓越しの風景を眺めるた
居)とは別に共同のキッチンとリビングが用意してあり、
めに用意された椅子やベンチ、そしてテーブルとライ
それぞれ異なった家具類によって雰囲気が変えられてい
ティングスタンドが、計算されたかのように間隔をおい
る。また、セクションごとに個室ドアが青や赤、オレンジ、
て配置され、それぞれのコーナーを異なった雰囲気に
緑などで色分けされていて、一見同じようにみえる施設
コーディネートしている。
(図 13 -1,2,3)アーム付
きの椅子・ベンチの布張り生地はどれもカーテン模様
とよく調和がとれていて、ふんだんに添えられている観
葉植物も落ち着いた雰囲気を作り出すために効果的であ
る。中には、ドアのフレームに猫と逃げるネズミの黒い
シルエット板が対になっていて張られていてユーモラス
である。
(図 14 )
「なぜこれを張ったのか?」という問
いに、
「高齢者には猫好きが多いからだ」という答えで
あった。
グループホームの施設環境は、同じ症状や性別を考慮
した複数のセクションの集まりからなっている。同じ認
知症でも、脳梗塞によるもの、老人性のものなど原因は
さまざまで、それぞれ介護の仕方が異なる。セクション
図13-2 楕円テーブルとそれを取り囲む椅子が曲線要素で統
一された談話コーナー
図12-3 織りの技術を使った絵画表現の作品と専用の照明
図13-3 椅子の花模様と観葉植物の調和が美しい談話コーナー
図13-1 直線と四角い要素で統一された家具とそれを際立た
図14 個室のドアフレームに取り付けられた猫のシルエット板
せる控え目なカーテンで構成された談話コーナー
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010
63
図15 物を置かせないために天板を斜めにデザインした洋服棚
図16 入居者が持ち込んだ愛着のある道具類
内で迷うことを未然に防ぐ効果を持たせてある。この色
求される。自動で昇降する洗面台が標準として設置され
分けは、壁に掛けられた案内地図と対応していて、面会
ているように、無理を強いたり、余計な頑張りは微塵も
者に対する誘導情報としても機能している。
みられない。われわれにとっては、変わりなく自然に、
各自の部屋には、入居者が入居前から長年使っていた
今までの生活をそのまま延長できることへの執拗なこだ
個人の収納家具が置かれ(置ける空間があらかじめ確保
わりが不自然に感じられるほどである。入居者自身が持
されている)
、その上には家族の写真が飾ってあるし、
ち込んだ家具の傷跡は、家族で受け継がれてきた家具の
壁にはお気に入りの絵画やタペストリーが掛けられてい
歴史と長年に渡って使いこまれた証であり、本人の活動
る。「なぜ個人の収納家具まで持ち込ませるのか?」と
と切り離すことのできない一部として持ち込まれる。
いう質問に対して、
「高齢者の記憶は、何がどこにある
不満が日々鬱積してくることは、すべての社会組織に
かということを収納家具の引き出しや棚の位置と一体で
共通である。要はその不満をどのレベルで受け止め皆で
覚えている。高齢者と使い慣れた家具を引き離すことは
話し合い、システムを改善していけるかにある。患者・
自殺行為だ」という答えであった。もちろん、各入居者
高齢者とスタッフ、スタッフ同士の会談、打ち合わせ、
の部屋には洋服入れの棚、掃除用具入れの棚などはす
相談のための部屋・場所が必ずといっていいほど適切な
でに設置されている。図 15 は、洋服入れの棚であるが、
場所・位置にあり、打ち解けたり、和やかになったり、
棚の天板が斜めになった構造になっていた。
「なぜ斜め
落ち着いたりできるために念入りに雰囲気作りがなされ
になっているのか?」という質問に、
「入居者やスタッ
ている。どのような環境であっても、心の、そして気持
フは棚の上についつい色々なものを置いてしまう。それ
の持ちようが重要であるといった精神論でなく、快適性
を取ろうとして怪我をしたりものが落ちてきたりするの
や安全性を導くためには周囲の環境の中にその役割を担
で置くこと自体をさせないために斜めになっている。」
わせ、より良いものへと工夫を重ねる意欲がなければこ
とのことであった。
のような環境はあり得ないように思われる。こうした飽
共同キッチンでは、各テーブルに敷かれた色鮮やかな
くなき試行錯誤の積み重ねが、自宅での快適性に劣るこ
クロスの上に生きた季節の花が飾られ、かすかな香りが
とのない自然な環境を作り上げている事実を目の当たり
周囲に漂う。共有スペースには古い足ふみミシンや銅製
にして羨ましい気分にさせられた。
のヤカン、そして使い込まれた古い家具がインテリアを
兼ねて使われている。
(図 16 )自分が住むコミューンの
6.技能の伝承方法(カペラゴーデン美術工芸学校)
高齢者施設に入るのは、入所ではなく入居であり、自宅
カペラゴーデン美術工芸学校では、1954 年の設立以
からの引っ越しである。
来手狭になった陶芸専攻の工房を 2006 年に新設した。
見てきたように、生活の導線、視線の先、手や足に触
この一大事業に際して、トーレイフとエレンの両教師は
れるもの、語らいの距離、照明や音などに気を配り、一
5年の歳月をかけてその設計に関わり、学生の制作活動
つひとつの装飾品や生活雑貨にも繊細な配慮をして気持
を中心に置いて様々な工夫を凝らすことに努力を注いで
を和らげ、そして必ずといっていいほど美しく座り心地
きた。今回の調査では、この両教員から建物の隅々まで
のよい椅子類が配置されている。このことの先に患者へ
注意を払ったその一つ一つについて詳細な理由を聞き取
の治療行為、高齢者へのケアがスタッフにっとっても不
ることができた。その特徴は、空調設備や作業内容に応
快感が少なく、安全で処置しやすくなるようにさらに追
じた教室の間取りといったいわゆる機能に関することだ
64
GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月
図17 ろくろ機の高さで作られた窓と、作業者の周辺環境の様子
けではない。教員と学生との関係を「指導する側」と「学
ぶ側」のふた手に分けて、指導する側が学生を教育管理
しやすくするために設計されているものではないという
点である。
学生の発想や技術向上、
学生同士の交流といっ
た活動を支援するための仕掛けが、環境の中に注意深く
図18 乾燥棚の脚部と同じデザインで作られた工房の支柱
設計され配置されている。
われわれは、具体的なものを指さして「それはなぜな
のか?」と質問し、その意味について解説を受けること
ができた。大した意味はないだろうと思われることに対
しても、そのように設計した意味について明確な答えを
持っていて、徹頭徹尾、学習者に対する環境づくりに掛
けた思いの深さに驚かされることになった。
その工夫とは次のようなものである。まず、この工房
には電気を使った空調設備が見当たらない。空調は自然
の外気を屋外ダクトから取り込み、地熱を利用して温度
調整を行う空調システムである。
説明の中で驚いた点は、
従来の空調設備が出す独特の音についてであった。重油
を使った温熱パネル、電気を使った空調設備はランニン
図19 90度以上の広角に建てられた工房の壁面
グコストや修繕費の面で問題があり、地熱空調システム
を採用したとのことであったが、最も重要な点として学
ツールに座ってろくろを回す時の、その膝の高さに設置
生が集中して作業するために、機械的な音をできる限り
されていて、自然光をたっぷりと取り入れている。
「な
なくして静粛な雰囲気を保ちたいというものであった。
ぜこのように低い窓をとりつけたのか?」という質問に
陶芸のみならず、木工、金工、ガラス工芸等、もの作り
は、膝の位置にあるろくろを回すときに自然光が製作途
の制作現場では多くの雑音とともに制作せざるを得ない
中の作品の形を最も正確に見せるからだという回答で
ために、わずかな音にこだわる説明はにわかに信じがた
あった。(図 17 )また、4つに分割された窓のひとつだ
いものであった。
けが開閉することができ、あとの3つは嵌め殺しで固定
主となる作業室には、両サイドの窓際に回転ろくろが
されていた。水分を含んだ陶器の急激な乾燥と割れを防
設置されていて、
1年生と2年生が一人一台ずつ使用し、
ぐために一部の窓があけば十分だということであった。
この工房を共有して作業している。学年に関わらず対話
各ろくろとろくろの間には、挽き終った作品を一時乾燥
を深め学生同士が学びあうことを大切に考えているほか
させるための棚が用意されていて、学生と学生の間を僅
に、共同で行う行事等を円滑に行うために、あえて学年
かに仕切っている。この棚の脚部のデザインと、工房全
で分ける必要はないとの理由であった。
体を中央で支えている大きな支柱のデザイン・色彩は全
各ろくろの置かれた窓際には4ブロックに分かれた大
く同じもので、作業環境全体に統一感を持たせたかった
きな窓がそれぞれに取り付けられている。窓は学生がス
という。(図 18 )
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010
65
陶芸工房の建物全体は大きく L 字型に設計されている
て取り払って最初からやり直したという。
が、よく見ると直角に曲がっているわけではなく、わず
ろくろの部屋と造形室の中間には、教員室が設けてあ
かに開いた角度をもたせて建てられている。直角は視覚
り、前面がガラス張りで教員は学生の活動を、学生は教
的に堅く見えるばかりでなく、人にストレスを与えるか
員の存在を見ることができるようになっている。教員室
らだという。
(図 19 )
にはキッチン、レンジ、冷蔵庫、コーヒーメーカー等が
陶芸専攻の学生と教員全員が集まることのできるミー
設置されていて簡単な食事を作ることができる。工房の
ティングルームと称された部屋の壁面は、光沢のない青
一角には、学生用のコーヒーコーナーが作られていて、
色が淡く塗られていた。行事の打ち合わせや作品のプレ
作ったカップを使用して出来栄えを確認することに役
ゼンテーションに使うために、やや気分をクールダウン
立っている。(図 21 )
させる狙いで彩色したとのことであった。寒色である
陶芸専攻の工房には、加飾加工室、釉薬室、焼成室、
ブルーの影響で冬季に学生は利用したがらないと嘆いて
釉薬データ室があり、それぞれの部屋は青、オレンジ、
いたが、色彩にそのような意味を持たせて敢えて彩色し
黄色、赤、グリーンの色彩で色分けされている。道具や
たことに環境へのこだわりの深さを感じた。
(図 20 )工
材料をいつも決まった場所に戻すことを誘導するためで
房の天井には大きな自然光の取り入れ窓が設置されてい
ある。紙粘土を使った造形室には、ステンレスでできた
た。設計では、窓枠サイズよりも室内側を広く四角錐に
作業台が用意されていたために、「なぜステンレスなの
施工して光を室内に広く拡散させるはずが、大工さんの
か?」と質問してみた。板状の紙粘土を剥がしやすいこ
ミスで窓枠のサイズのままで施工してしまったため、全
と、汚れたテーブルを洗いやすいためだという回答で
図20 壁面が淡い青色に塗られたミーティングルーム
図22 甲板にステンレスを使用した作業テーブル
図21 学生用に設置されたコーヒーコーナー
図23 自然光に近い光源をもつ専用ライト
66
GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月
あった。
(図 22 )仮の乾燥を終え、釉薬をかけた作品は
7.おわりに
電気釜で焼き締めることになる。その焼成室には他の光
これまでの観察では、われわれは出来うる限り利用者
源とは異なったライトが一つ取り付けられていた。その
の目線で行ってきた。当然のこととして、設えられた環
わけを聞くと、焼きあがった陶器の色彩を、できるだけ
境(ここでは生活環境や道具を指す)は誰かの手によっ
正確に見極めるために自然光に近い 2000 ルクスの光源
て計画され、設計され、実際に施行されたはずである。
を持つライトを取り付けてあるとのことであった。(図
こちらの方に対する調査がもっとなされるべきではない
23 )また、釉薬が焼きあがった後にどのような色彩に
かという批判があるかもしれない。しかし、そうは考え
変色するかを実験した陶片は、データルームに保管し手
ていない。むしろ環境の制作者とその環境の利用者とは
にとって見ることができる。
(図 24 )その釉薬の顔料混
直接的に接触すべきではないと考えている。両者の間に
合比データはコンピュータの中に保存して蓄積し、後の
(人ではない)モノとしての環境を介しているからこそ、
学生が同じ色彩の釉薬を調合する際に利用できるように
外界にある価値・意味を自由に取り出したり、感じ取っ
なっていた。われわれの一つ一つの質問に対するトーレ
たりできるのである。両者が切り離されていて、不透過
イフとエレン教師の明快な答えと説明から、それら全て
であることがかえって環境の価値を際だたせるのであ
が意味を持たせて設計されたものであることがわかる。
る。作り手側の意図や思いが、利用者に直接的に伝達さ
しかし、どの設えも学習者に押しつけたりするそぶりは
れることがよいことであるとするのは誤謬であって、そ
微塵も見せない。彼らが必要としたとき、そこに鎮座し
のとき、環境(作成者側から見れば一つの作品といって
ていれば意図が達成されたことになる。
よいかも知れない)はかえって利用者から疎遠な存在に
以前にも紹介したことがあるように、カペラゴーデン
なってしまう。10 )
美術工芸学校では、発想やアイデアの源泉はいつも先人
さて、これまで紹介してきた様々な事例は、われわれ
の残した伝統あるいは知識を基礎としている。その伝統
の私的な観察であるとは考えていない。その理由は、ど
は無形のものではなく、作業場、思索や語らいの場、知
の観察経路もすべての人に開かれている。どこで立ち止
識の伝承方法をはっきりとした形にし、誰もがそれを自
まるかはそれぞれの人で違いがあろう。しかし、立ち止
由に利用できる全体環境として提供し、制作の訓練は、
『個
まったところが占有されたままになることはない。
こうした長い時間をかけ、試行錯誤によって出来上がっ
人の観察経路は変化し続けるが、可能な観察経路群のす
9)
た場でなされることを教育理念としている。 この伝統
べてはどこまでも持続する。したがって全動物の環境は
はこの新しい陶芸工房にも脈々と受け継がれている。
公的で持続しているのである。…観察者は動いており環
作業環境の利用者としての学習者を最大限に尊重し、
境を共有しているので、一人の観察者の環境と全ての観
その可能性に期待し、工房にあらん限りのカペラゴーデ
察者の環境は同じであり且つ異なっていることになる。
ン的資源を注ぎ込むやり方は、1990 年に初めて訪問し
この二種の環境は文字通り相互に浸透している。…見る
てから 18 年以上たった現在も、変化なく、揺るぎなく、
ことのできる環境とは、一人の観察者の私的な環境であ
自信に満ち溢れていた。
り、そして全観察者の公的な環境である。』11 )
観察経路という意味ではスウェーデンは我が国とは距
離的には遠いがつながっている。すべての観察者が等し
く探索し共有できる機会が与えられている。どこで立ち
止まるかは各自の自由であるが、その各場所で環境にあ
る情報をピックアップするであろう。本稿はそのささや
かな記録の一つに過ぎない。
スウェーデン国内を旅する中、会って話をする人、街
を行き交う人々、商店で買い物をする人、何かを工作し
ているひと、サービスを提供する人たちに何とも言えな
い余裕を感じる。生活のスピード感や街の華やかさや喧
噪は日本と比べて格段に低い。しかしそこで暮らす人々
には我が国では見られない生活への余裕が感じられる。
各人が目的を追求するときの姿勢にその違いが現れて
くるように見える。我が国では、目的を達成するために
はそれに必要な手段を全部背負ってからでないと始めら
図24 釉薬の色彩を確認するための陶片サンプル
れないというプレッシャーを感じるため、どうしても前
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010
67
のめりになっている自分を発見する。頑張らなければと
本調査研究は、平成 20 年度科学研究費補助金(課題番
いう想いが知らず知らずのうちに、自分から余裕を奪っ
号:19500730 )の助成を受けて実施しました。
てしまっている。内に必要なものをすべて抱え込む(貯
め込む)まで頑張ってから、一気にそれを外に向かって
爆発させる。その推進力で降りかかってくる難関を果敢
【注釈】
*1 河野哲也による言葉を借りれば、『知覚世界は、
に突破する。そして成功すれば、その人への賞賛の嵐が
実在の世界(外にある現実の世界)そのものでは
待っている。そこにやりがいも生まれるから頑張れると
なく、心がつくりだした実在の似像、あるいは表
自分をさらに追い込んでいく。戦いモードが常態化して
象である。実在の世界からやってくるのは、知覚
ハングリーでないと自分を維持できない、という想いが
世界の構成要素(感覚、センス・データ)だけで
余裕を持てなくさせる。
あり、複雑な知覚世界は、心(ないし脳)がこれ
さて、内に抱え込んだりせずとも「社会」が提供して
らの要素を加工することでつくりだされる。』12 )
くれている手立てを利用できて、目標を達成できるのだ
*2 リードは次のように付け加えている。『ギブソン
ということを子供の頃から知り尽くしているスウェーデ
の研究以前には、心理学者も生理学者も「情報」
ンの人々とは大きな違いがある。
「知り尽くして」という
を神経系のなかに見つけようとしていた―そし
のは少し言い過ぎで、ほとんどは意識も、意図もなくこ
て、ほとんどのひとはいまでもまだそうしている
うした便益を受け取っているのであろう。一人の人が持
のだ!けれども、ギブソンは、情報を神経系の「な
ちうるよりもはるかに多くの(システムや知識も含めた)
かに」押し込めてしまうまえに考えるべき当然の
ものが自由に活用でき、その人を知らず知らずのうちに
ことを考えた―環境には、いったいどんな情報源
サポートしている。そうした中で生活しているというこ
があるのだろうか? 動物に選択圧をかけ、動物
とが余裕を生み出しているのではないか。国がどこであ
がそれに適応できるような情報源が環境のなかに
ろうと、自分の住む文明からどのような便益を得ている
あるのだろうか? この問いは、進化的な観点か
のかを意識することはそれほど簡単ではない。しかもそ
らみれば、心理学にとっての根本的な問題である。
れを意識の深層にまでさかのぼって探索しようとすれば
ところが、残念なことに、比較心理学ではこれま
道を見失ってしまうであろう。しかし、それが人々の外
でこうした問いに答えることはおろか、きちんと
環境に現れているならば、観察すればよいだけである。
』
体系的に問うことさえしてこなかったのである。
雪がしんしんと降る夜、街灯もないのに道がとても明
4)
るい。各家の窓から漏れてくる暖かい光が、白雪に反射
*3 戸田山はさらに続けて、『知識を信念から切り離
してとても美しい。窓際をよく見ると、窓の中央に傘つ
すということは、ある意味で知識を心から切り離
きのランプが灯され、その側にはお気に入りの調度品や
すことだと言ってよい』7)、と述べている。
花瓶に入った花が見てほしいといわんばかりに置かれて
*4 後日「なぜ窓辺を飾るのか」、とスウェーデンの
ある。ほとんどの家、そして道路に面した多くの窓が同
友人に尋ねてみた。「外から人の目に触れるもの
じようにしてあり、その多くがカーテンは開いたまま部
はすべて共有される。窓辺は自分だけのものでは
屋の奥の方まで見通せる。夜道を歩いて家路につく通行
ないから。」と言う答えが返ってきた。
人のための街路灯の役割をしているのだろうか。これが
スウェーデン流の防犯なのだろうか。日本では考えられ
ない光景を不思議に眺めながら、われわれは何か暖かい
*4
ものを感じつつ帰宅の途についた。
【引用・参考文献】
1)佐々木正人・三嶋博之(編訳)『生態心理学の構想』
東京大学出版会 ,P.4,2005,
2)ギブソン ,J.J, 古崎敬他共訳『生態学的視覚論』サイエ
ン ス 社 ,1985( Gibson,J.J.,The Ecological Approach
謝辞
今回の調査では、現地スウェーデンの福祉施設につい
to Visual Perception,Erlbaum,Hillsdale,1979 )
ては介護士のリエナ・パーソン、病院では医師のシャシ
3)リード ,E.S., 柴田崇・高橋綾訳『伝記ジェームズ・
ティ・ヘレクビスト、そして、カペラゴーデン美術工芸
ギブソン』勁草書房 ,2006,P.286( Reed,E.S.,James
学校では木工インテリア科専任教師のキャレ、ベンクト、
J.Gibson and the Psychology of Perception,Yale
陶芸科の専任教師トーレイフ、エレンほか、多くの皆様
に施設の説明をしていただき、また貴重な資料を提供し
ていただきました。
多大なご協力に心より感謝いたします。
University Press,1988 )
4)リード ,E.S., 細田直哉訳『アフォーダンスの心理学』
新曜社 ,p.99,2000( Reed,E.S.,Encountering the World
Toward an Ecological Psychology,1966 )
68
GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月
5)Dretske,F.,Knowledge and the Flow of Information,
9)小松研治・小郷直言,『カペラゴーデン美術工芸学
Basil Blackwell,1981
6)戸田山和久「知識と情報―動物は信じない」(森
校を再考して』, 高岡短期大学紀要 , 第 10 巻 ,1997
10 )小松研治・小郷直言,『使用者の技術』, 高岡短期大
際康友編『知識という環境』名古屋大学出版会 ,
p.89,1996
学紀要 , 第 11 巻 ,1998
11 )前掲文献3) p.384
7)戸田山和久『知識の哲学』産業図書 ,P.249,2002
12 )渡辺恒夫・村田純一・高橋澪子編『心理学の哲学』
P.367-8
8)前掲文献3) Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010
北大路書房 ,p.203,2002
69
一般論文
平成 23 年 10 月 19 日受理
技能の伝え方の本質 ― マジックからの連想 ―
Successful Professional Skill Transfer
─ Inspired by the Performances of Magicians ─
● 小松研治/富山大学芸術文化学部、小郷直言/大阪大学大学院経済学研究科、小松裕子/富山大学芸術文化学部
Kenji Komatsu/ The Faculty of Art and Design, University of Toyama, Naokoto Kogo/ Graduate School of Economics,
Osaka University, Yuko Komatsu/ The Faculty of Art and Design, University of Toyama
● Key Words: Professional Skill, Technology, Environment, Tools, Magic, Passing on Skills, Wood Craft
要旨
る賞賛の嵐もわき起こる。手品師の種明かしは御法度で
マジックを観客の前で成功させるためには、死角を作
あるが、職人の技倆は決して秘密にされているわけでは
ること、周到に事前準備すること、そしてあり得ない出
ない。しかし、過去においてはそうではなかったようで
来事を演出することであり、そしてその種明かしはご法
ある。『中世の工芸は一種の「神秘」と見なされてお
度である。これを、モノづくりの熟練者がその技能を他
り、秘密にしたがる風潮が強く、その姿勢は現代まで受
の人に伝えようとする場面へと連想させてみると、マ
け継がれてきた。』1)徒弟制が中心であった中世の工匠
ジックが成功するための重要な要素は、一転して技能を
(クラフト)ギルドなどにもそうした風習があった。手
伝えることを妨げている大きな要因であることがわかっ
仕事の多くは書き残されることなく、脈々と秘伝として
た。人から人への技能の伝承では、学ぶ側が見ようとし
受け継がれるか、工房の資産として門外不出とされて堅
て自由に動けること、事前に準備された作業環境にも目
く守り抜かれたものも多い。しかし、歴史的証拠がある
を向けさせること、そして技能を神秘化せず目に見える
わけではないが、工房を見られないようにすれば十分で
ものとして可視化することで、技能情報の抽出の可能性
あったのかもしれない。
が拡大できる。これにより、伝える側が何を伝えるべき
ヨーロッパではこうした貴重な遺産に目を向けた人々
かについて明確に提言できることになる。
も多くいた。フランシス・ベーコンの「手仕事の自然誌」
は、『それぞれの技能を順に研究し、工具、技法、工程
1.はじめに
を記述し、長い間仕事場でのみ知られていた技術に関す
優れた職人の鍛えられた技を見せられたとき、あるい
る知識を公にすることを意図したものであった』 2)。
はその作品を見たとき、素人であるわれわれは、一様に
その後、フランスでは「百科全書」が発行され、デュア
その巧みな技に眼を見張り、あるいはその出来映えに感
メル・デュ・モンソーによる「諸工芸の記載」という
嘆の声を発するときがある。なぜ、そんな風にできるの
80分冊に及ぶシリーズが刊行されたりしている。「百
か、なぜ、こんなものが作れるのかと不思議な思いをさ
科全書」は、当時『物がどのようにして作られるのかを
せられることがある。一方、マジシャンの手品を見てい
知りたい人の手引書となった』3)とある。
るときにも実はよく似た感動や思いを抱いたことはない
工芸を手品と同列に議論できないのは、幸い工芸には
だろうか。本論文では、不遜であることを重々知りなが
こうした歴史と書物や現物が残されているためであり、
らも、マジシャンの技であるトリックから、職人の技に
われわれはそれについて調査と研究ができるからであ
ついて、われわれがある偏向した見方を持ちやすいこと
る。とくに、残された道具類や人に教えるために作られ
を立証してみようと思う。その目的は、けっして職人の
た模型は貴重な資料となっている。そのほか、特許制度
技能を貶めたり、茶化したり、神秘化したりすることで
なども貴重な発見・発明を後世に記録として残すことに
はなく、得られた知見により「技(技倆、技能)」をど
貢献したといえる。ただし、本論文ではとりあえず工芸
のように後輩や後世に伝えていけばよいのかについて技
を例に技倆に焦点を絞って見ていくことにする※1。マジ
術的な提言ができるのではないかと考えたからである。
シャンが見せるマジックの技とはどういうものか、につ
手品にはトリックが、熟練した職人には秘伝の技倆が
いてわれわれがどれほどのことを知っているかについて
隠されている。観客と鑑賞者はそれを見定めようと必死
曖昧さを残しつつ、マジックへのアナロジーを逆手に
で一挙手一投足に眼を集中させる。しかし、その努力も
とって工芸の技について言及する。この明らかな弱点
むなしく煙に巻かれたような怪訝さと同時に、技に対す
は、アナロジーによって得られるものの大きさへの期待
72
: 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月
で補うしかない。そして、関心の焦点を技倆から、次第
て、肝心のところを観客が見落としたり、見えなくした
に使用する道具や周りの設えなどに移していくことで
りできる。強い光線を当てられた眼は、一瞬盲目になっ
「技能をどのように伝えればよいか」という本研究の目
たようにしばらくしなければ元の状態には復元しない。
的を果たすことにする。さらに議論を拡げて、技倆や能
眼が外界の情報を得るのを幻惑する各種の仕掛けもいろ
力観について見直すべきであるという話にまで及ぶこと
いろ考えられる。色彩、照明、鏡の利用など古典的道具
になる。
がよく知られている。ここでの要点は、心理的な引っか
けに全く頼らずとも、ギブソンが言うように、「実際に
2.トリック
起こった事柄を特定する光学的情報を抑制する」ことが
知覚心理学者であるギブソン(J.J.Gibson)は、マジ
できればトリックを仕掛けられるということである。
シャン(奇術師)がわれわれに知覚させる、不可能事象
b)観察者が情報をピックアップするのを妨げる
について次のように述べている。
ステージ・マジックを観る観客の視線がどこにあるか
奇術師は、
は、マジックが成功するか失敗するかを判断するとき非
a)実際に起こった事柄を特定する光学的情報を抑制
常に大切な要因となる。観客から見えない場所や死角が
することによって、或いは、
とても重要な鍵を握っている。当然であるが、観客が占
b)観察者が情報をピックアップするのを妨げること
によって、或いはまれに、
めている位置からは見えない(見えないようにする)こ
とが必要なのである。観客は普通客席に座って(じっと
c)あり得ない出来事を特定する情報を人工的につく
4)
りだすことによって、トリックを実現する 。
して)マジシャンの行為を見ることが多い。視線がどの
位置、どれぐらいの範囲から特定の場所に届くのかを計
では、マジシャンに幻惑されていない自然な知覚とは
算して、そこに遮蔽物を用意することでトリックの情報
どんなものであろう。それは、ギブソンが述べるよう
が観客の手に入ることを抑制できる。しかし、たとえ遮
に、『視覚系に何の抑制も与えられることがなければ、
蔽物がなくとも、演技や身振りによって観客の視線を別
我々は周囲を見回し、何か興味があるものの方へ歩いて
のものに引きつけることで、「見えているのに見ていな
行き、あらゆる側面からそれを見ようとして、その周り
い」という状況をつくればよい場合もある。トリックの
を動き、またある景色から他の景色へと場所を移動す
情報を見逃すまいと必死になって見つめているなかで、
5)
る』 ものである、とここではしておこう。
いとも簡単に「眼」が欺かれる技倆はマジックの醍醐味
上記a,b,cそれぞれについて簡単に見ていくが、これら
の一つである。マジックに使われる道具がカムフラー
に手仕事における対応を見出す準備をすることがこの章
ジュ(偽装camouflage)されていれば、そこにある大
の目的でもある。続く第3,4,5章では、これらを基に
切な情報は観客からピックアップされることはない。
「技能の伝え方」で改善すべき施策を具体的に講じるこ
ところで、トリックという言葉から連想される「引っ
とにする。
かかる」とはどういうことであろうか。知的な企みに欺
されることがあるように、マジックのトリックもわれわ
a)実際に起こった事柄を特定する光学的情報を抑制
する
れが普通に頭の中で推測・予想したことを見事に裏切る
ようなことがあったとき、引っかかったという思いをす
トリックを成立させるすべての情報が手に入れば、そ
るのだろうか。確かにそうかもしれないが、ギブソンの
れによって手品が見破れるとするならば、一つでもその
言は実は頭の中で何が起こっているのかには言及せず
情報を手に入れさせないようにすることがマジックを成
に、「引っかかる」基は外に情報として存在しており、
立させる条件となる。情報を「見せない」ようにするこ
観客はそれをピックアップ(抽出・検出)し損なうので
とがよく用いられる手段であろう。壺や帽子の中に巧妙
ある。観客は情報探索の努力はしているもの、それに見
に仕掛けを組み込んでおけば、初めから観客は情報不足
事に失敗する羽目に陥る。
状態に晒されていることになる。また、トランプを扱う
c)あり得ない出来事を特定する情報を人工的につく
マジシャンの手技のスピードは素人の観衆の眼を幻惑さ
りだす
せるはずである。さらに、手がかりの関連が複雑になっ
オリの中にいた人間が突然消え去り、代わりに虎が出
ており短時間ではそれを解き明かせないようにする。ま
現したり、支えもないのに物や人が空中浮遊するように
た雑情報や関連がない情報を敢えて挿入するか追加し
見せたりして、人を驚かせるマジックはとても人気があ
て、幻惑するという手もあり得る。観客が勝手な推理や
る。「あり得ないと思わせる」ことを思いつくには、ど
道理を差し挟み、謎解きを自ら遠ざけるように仕向け
のようにすればいいのであろうか。まさに、マジシャン
る。これと平行して、眼の生理的な限界をうまく利用し
の力量が問われるポイントである。驚嘆のため息を作り
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012
73
出したマジックショーは、まさに魔術を見せられるに等
うになっているのかについて見ておかなければならな
しい感動を与える。簡単に種が明かされるようでは、喝
い。
采はおろか失笑を買うだけである。よってこれに応えう
さらに第二に、物理的な意味での設備や道具も大事で
るには、マジシャンはかなり創造力を要し、難しい課題
はあるが、大切なことは、ものや設備や道具が放つ「役
解決を必要とするであろう。
に立つ情報」である。照明された作業場は、「光の中に
マジックに引っかかる理由は普通、観客である人間の
含まれている情報」の宝庫であるからである。
心理的要因に帰すことが多い。虚栄心をくすぐられた
第三に、作業者が道具や素材を含む作業環境から適切
り、常識の呪縛にかかりやすかったり、好き嫌いにより
で、役に立つ情報を抽出する支援を工夫する。技能は、
判断がゆがめられたり、論理的推理がそれほど得意では
技能の所有者がものづくり行為の過程で内から染み出し
なかったり、一度にたくさんのことが記憶できなかった
てくるようなものであると理解すべきものではない。技
りなど、主として観客側の心理・認知的弱点を利用して
能は「作業環境の情報にうまく乗っかり行為する」こと
いると考えられやすい。さて、われわれがマジックに
でもたらされた、と考えるべきである※4。ただし、技能
引っかかる理由を生態学的視覚研究のギブソンに依った
そのものを留め置くことはおろか、記述することもたや
のにはわけがある。ギブソンはそうした心理的原因をこ
すくはないが、その近似は工夫可能である。環境にある
こでは一切挙げず、外界にある情報を眼がいかに捉えき
役に立つ情報を特定できればの話ではあるが※5。
れていないか、あるいは捉えられないようにされている
かに、マジックに引っかかる理由を探し求めている※2。
3.立ち位置と実際にやってみること
「外界にある情報をピックアップする」というように
3.1 どの位置から観察しているのか
外界の情報とそれをピックアップする知覚システムだけ
第2章b)で述べたように、ステージ・マジックを観
から迫っているところが、以下の議論に重要な手がかり
る観客の視線がどこにあるかは、マジックが成功するか
を与えてくれた。
失敗するかを判断するとき非常に大切な要因となる。名
マジックで観客が強いられている状況は、カメラのよ
高い職人による工芸制作過程を観察する者にとっては、
うに固定された一点からマジックショーをみせられてい
不思議なことではあるが、自ら観にくい位置に立って観
ると考えられる。刺激パターンを一連のスナップショッ
察するという奇妙なことがよく起る。背後や真上からで
トのように見せられた眼は、少ない「手がかり」を頼り
さえ、製作者の目線には決して立つことができないか
に必死に頭で推論させられるし、どう探せばいいのかわ
ら、なおさら様々な箇所から観なければならないのに。
からないトリックを見つけ出そうと当てもなく視点移動
たとえそのように出来たとしても、始めから情報は不足
を強いられる。「唯一の動くことのない固定した視野
しているのである。「師匠の背中を観て」とは文字どお
は、ただ世界についての貧困な情報を与えるに過ぎな
りではないものの、観るべき視点への注文として解釈す
6)
い」 ことをマジックの観客は知る由もない。
れば、あながち的外れともいえないかもしれない。
まさに、意識的に貧弱な情報しか与えないようにする
もっと困ったことは、何を勘違いしたのか、注意を間
ことがマジシャンの技量といえる。しかも、それが意識
違った方向に誘導されてしまうことである。技は身体的
的であることすら観客に悟られてはならない。工芸の技
なものという思い込みが強いので、勢い注目は手先に追
を習得しようとしている学習者はマジックショーを見て
いやられてしまう。これでは周りにある情報を自ら
いるわけでは毛頭無い。しかし、実態はその状況とあま
シャットアウトしてしまうことになる。これを変えるに
り違いはなく、自ら望んではいないにしてもマジック
は、頭を擡げ視線を周囲に展開させる必要があるが、社
ショーを見ているに近い状況にあるのではないか、とわ
会的慣習やしきたりがなかなかそうさせないのかもしれ
れわれは予測を立ててみた。
ない。視線を釘付けにするとは、演技者冥利につきるか
以下、第3,4,5章では、工芸を例に、マジックを逆手
もしれないがマジック同様、本当に重要な情報から遠ざ
に取って技倆をどのように伝えていけばよいのかについ
かってしまうという危険と背中合わせということになろ
て説明を試みたい。そして、できるだけ対処法も具体的
う。
※3
に示していきたい 。そのためには、ギブソンのいうよ
根本的に重要なことは、自分でやってみるというアク
うな自然な視覚を学習者に提供するために、まず以下の
ションをできる限り早く取ることである。致命的欠陥の
ように考え方を改める必要がある。
ある受動性から早く離れ、能動的な視線を自ら獲得しな
第一に、作業環境について記述する必要がある。何を
ければならない。練習を積むことで何が変わるのか、こ
見なければならないかを技能者の行為がなされる場所を
れが生命線である。ワインのテイスティングの能力は誰
も含めたものにするためには、とにかく作業場がどのよ
もが持っている。練習が積み重ねられるかどうかが分か
74
: 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月
れ目である。そうすれば、たくさんのものが味わいの中
いる。当然、学び手は師匠の所作、身のこなしにとくに
から見えてくるし、驚くようなことはどこにもないので
注目することにならざるを得ない。
ある。探すべき場所を間違えない限りは。繰り返しにな
その証拠に、以前に、工芸の初心者に対して、「あな
るが、見せられるだけではなく、積極的に見に行く態度
たが分かったと思えたとき、それは何のおかげで分かっ
が必要である。言い換えれば、「知覚のためだけの情報
たと言えるのか」というアンケートを行った 8)。その
(information for perception alone」を得ることだけで
際、多くの学生が、効果があったと答えたのは「やって
なく、「行為を制御するための情報(information for the
いるのを見せられたとき」、という該当項目であった。
control of action)」を探しに行かなければならない7)。
実際、技能の伝承にとって、「やってみせる方法」は有
自分の腕、手、指先の動きは自分の眼でみて、その動き
効な手段であることは明らかである。伝達者の作業中の
で自分の行為を制御する。これは自らがやってみるしか
身のこなし、手先の動き、視線の移動など無限ともいえ
※6
ない 。
る情報がそこにある。一度に全部捉えきれなくても、何
度もこうした機会を提供されるのであれば、技能はめき
3.2 やってみること(練習)の意義
めきと上達していくことは経験上間違いなく確かなこと
我が国の伝統技能の伝承方法は、やってみせることに
である、と信じられてきた9)。
重点が置かれている。師匠の背中を観て勉強しろ、技は
しかし、人のやっているところを観察し、そこにある
盗むものなどと称して、我が国独特の職人的技能の特殊
情報をピックアップするとは、簡単なようでいて案外難
性がことさら強調されてはいるが、実際のところは世界
しいものである。誰もが一度は経験した次の例を思い出
中どこでもそれほど大きな違いがあるとは思われない。
してもらいたい。
言葉による解説や指導がそれほど有効ではないことが、
母親が子供に針穴に糸を通すやり方を教えたいと願っ
長い経験からよく知られていたからに過ぎない。だから
ている場合、母親は子供に糸の先を尖らすことをして見
といって何の手立てもされなかったわけでもない。メタ
せ、次に慎重に針穴に糸の先が通るところを意識してで
フォリカルな表現がさまざまに工夫されている。職人自
きるだけゆっくり見せるであろう※7。子供の目は、針穴
らが身につけた「繊細な力加減や手順」について、たと
と糸の先に釘付けとなる。針を持った指先、糸を持った
えば「鎚は振り下ろすのでなく落とせ-鑢職人-」、
指先が絶妙の距離を保ち、出来る限り動かぬようにす
「鋸は引いて切るな、置くように切れ-建具職人-」と
る。研ぎ澄まされた緊張感が親子の間に瞬間的に走る。
言葉を添えた指導がなされている。
緊張から解放され、今度は子供が恐る恐る初めての糸通
ただし、指導の重点はやはり身のこなしや、手先の動
しを試すことになる。しかし、案の定、母親のようには
きなど、身体的な側面に向けられている。指導を受ける
うまくいかない。子供は両指の揺れを安定させることに
弟子が渇望するのもまさにこの点に集中する。作業を上
慣れていないためについには放棄してしまうことにな
手にやってみせることが上達の証となるからであり、
る。母親は暖かくそれを見守り、あきらめずに再度やっ
「ことばでわかったと言ってみてもしかたがない」ので
てみることを促す。しかし、どのようにやればうまくい
ある。
くのかを言葉にはできず、再度やって見せたり、子供の
しかし、熟練を積むということには、このほかにも
指にそっと手を添えてやったりして、あきらめずに根気
様々に考慮しなければならない側面がついて回ることは
よく練習することの大事さをさりげなく諭す。
熟練者も百も承知のはずである。でなければ彼を熟達し
やってみせることが技能を伝達するのに有効な手段と
た職人と呼ばないはずである。なにも精神面のことを
なるはずなのに、この場合はなぜうまくいかないのであ
言っているわけではない。予測される失敗に対して、事
ろうか。考えられる理由の一つは、子供は母親の視線と
前に用意する補助具の準備や工夫、あらかじめ問題を洗
異なり、針と糸を横から注視している。母親もそのこと
い出すために行われる試作品づくり、作業行程に対応し
は承知しているわけで、子供が最適の位置で糸が針を通
た道具の適切な配置など、身体的な技以外に事前に用意
り抜ける瞬間を見せようと必死である。しかし、それは
すべき事柄について多くのことを知っていなければなら
ある意味見当違いなのである。母親のやっていること
ない。「段取り八分」という標語の意義はよく知られて
は、片方の目と糸の先と針穴を一直線上に並ぶように両
いるが、これらを熟練者の技能として熟練者自身が認識
手を調整しているだけなのである。なぜこんな簡単なこ
することは少ないし、さしたる関心も示されないことが
とが子供に伝えられないのだろうか。自分の視点位置に
多い。あくまでも重要なのは、技能が身体に身につくこ
子供の視点を持ってきてやれないことにまず気づかなけ
とであって、これを器用さと称えることがあるし、コツ
ればならない。気づけば、何とかやり方を伝えることが
や勘の源を意味し、他者に称賛されるものと理解されて
可能になるはずである。子供がじっとしているのではな
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012
75
く、母親の背後に回り、頭越しに、母親の目線→糸の先
指導が遂行に偏ることなく、情報を探索することにも振
→針穴が一直線になるようにしていることに気がつけば
り向けられるようにすることは、思っているほど簡単で
(この際母親が自分の目線が子供の目線に置き換わるよ
はない。指導者側でさえ気づかない情報は非常に多く、
うに頭を傾けてやれば最高)、その後の練習も闇雲では
いわんや視線を強制して振り向かせることは不可能であ
なくなったであろう。
る。さらに技能伝承において、伝授される側の礼儀作法
熟練者が立ったり座ったりして作業している位置は、
という社会的習慣の壁がさらに立ちふさがっている。こ
観察者からは普通みられない位置なのである。だからこ
れは、社会習慣を無視してもよいということではもちろ
そ、観察者は様々な位置から、作業をのぞき込み、熟練
んない。
者が周りの情報をどのように利用しているかを発見しな
ければならない。熟練者が自分のしていることや、やり
4.前もってやるべきこと
方を言葉でもって言い表すことができない場合にはとく
第2章のa)で見たように、マジックの種を見破るに
にそうなのである。しかしながら、ここにまたしても社
は、起こった事象を理解することができる十分な情報が
会的習慣が入り込んできて探索の邪魔をする。熟練者が
そこにあったかどうか、がまず問われる。繰り返しにな
立派であればあるほど、唐突な質問は失礼であり、制作
るが、手品の場合には、トリックを見破るだけの十分な
中の作業場の周りをうろうろすることも概して憚れる。
情報を見せないでおけばよい。手法の一つとして、手技
じっとして対面状態でやっているところを「見せていた
の巧妙さや素早さがまずある。トランプを扱う手品師の
だく」という態度が自然であると双方が受け取ってい
手技のスピードは素人の観衆の眼を幻惑させるに十分で
る。
ある。もっとも工芸などで道具を扱うスピードは、説明
さらに、以上のことは、技能を伝承する事柄のまだほ
のためにそれを遅くしたりすること自体が、長年の習慣
んの一端に過ぎない。学習者が見て回らなければならな
から難しい。その意味で作業を映像に録画し、それをス
い環境は、伝達者の周りに広がっている作業環境にまで
ローモーションで鑑賞できれば、技能を会得する手段に
拡大する必要があるからである。技能はいまそこで見ら
なると思われる。しかし、ここでもカメラの撮影位置が
れている手先の動きだけにあるのではなく、手先がその
ネックとなることを知るべきである。
ように動くために入念に準備された作業環境にもあるか
つぎに、手品にとって大事な仕掛けは、事前にする準
らである。いまここで見られる光景は、伝達者が事前に
備の中にある。普通に見える壺や帽子の中に巧妙に仕掛
行った試作や用意した補助具、そして作業の工程に応じ
けを作り込んでおく。工芸の作業や料理の技などにも事
て形成してきた作業環境の改善を通して達成されたもの
前の準備は重要な位置を占めている。しかし、実演をし
だ。コツや勘を探し求める無駄をするぐらいであれば、
て見せるのは、そうした事前の段取りの過程ではない。
まだかすかに残る作業環境の残骸を丹念に追いかける方
※8
また、道具の準備や改良・改善も大切な作業であり 、
がずっとメリットがある。強靱で鍛錬された意志により
砥石で刃先を研摩したり、手入れを行き届かせていると
身体が動かされるという神話が、勘やコツを追いかけさ
ころは、普段外からはまったく見えない。手際の良さ
せる。作業環境や事前の準備にこそ秘密が隠されている
は、アドリブからは出てはこない。理解のためには、観
と気づけば、自ずと探求すべき事は明白である。中でも
察の時間軸をもっと実際の作業の「前に」延長させる必
ジグの工夫などはその典型である(4.2を参照)。幸い
要があるだろう。ギブソンから引用すれば、「現時点で
作業環境や事前の準備に託された情報は、その気さえあ
現在位置から見えるものが知覚されるものとは限らな
れば、いつでも掘り返して、探し出せるように外に放置
い」 10)のであるから、観察は十分に長い時間にわたっ
されたままにあることが多いのである。
て行われるべきである。
それらの中に、自らの作業を間違いなく効果的に導く
ための工夫、何のためにそうしなくてはならなかったの
4.1 整理整頓
かの糸口が特定されている。学習者はそれを学習過程で
まず、技能や技術と関わりがないごくありきたりの日
ピックアップできるようになる。伝達者の技能が仕事に
常的な事柄を観察してみよう。『私たちが日常行ってい
対するこだわりの深さや信念、そして長年の経験から会
る「机の整理整頓」とは、読み書きのための機会を作り
得した注意深く繊細な加減を、発せられる暗喩的言明だ
出すことにあるようだ。そうすることで私たちは、読み
けではなく、作業環境と事前になされた工夫のなかにも
書きの行為を方向づけ、読み書きを反復して継続する機
探し求めることの重要性を、学習者にわかってもらわな
会を準備している。机の上の生活財の配置は、行為の配
ければならない。
置を物語っている。』11)
ただし、その期待に楽観的過ぎてもいけない。練習や
「読み書きの機会」とはどういうことか。普通、読み
76
: 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月
たいという願望や書きたいという意志が、われわれを読
にいかに人間側が調子を合わせること(調合:tune)が
む・書くという行為へ踏み出させるきっかけとなる、と
できるか、という点にポイントがある。もちろん、周り
思ってはいないだろうか。機会をつくりだされなければ
の環境が持つ恩恵は潜在性でしかない。使われなくても
動けないというのでは、上の説明はいかにも消極的に聞
誰も文句は言わない。しかし、なければマイナスに作用
こえてしまう。なぜかと言えば、行為や行動が内からわ
するかもしれない。100%以上の力を人間に与えるわけ
き起こってくるマグマのような力によって引き起こされ
でもない。行為の経路を変えるだけかもしれない。しか
なければならないと思い込んでいるからである。しか
し、人間にとってそれがいかに難しいことであるかを
し、意志の力で身体を動かそうとしてもうまくいかない
知っているか知らないかは重大である。とにかく場のポ
ことを、われわれは経験的によく知っていながら、すぐ
テンシャリティーの高低に注意を向けることが大切であ
にそれに頼ってしまう。「がんばろう」というかけ声
る。高ければ無駄な動きがいらずスムーズに事が運び、
は、ほとんどがかけ声だけに終わってしまうのである。
作業の効率アップと何よりも「乗り」の状態に持って行
「読み書きの機会」とは、外的、環境に在る刺激情報
きやすい。一方、低ければ余計な力や努力を要して、ス
に身を任せ、それに乗っかって行為を始めようとするわ
ムーズさが得られず余分な作業や時間を必要とし、失敗
けであるから、意志の力とか内発的動機付けという言葉
やいらだちをおぼえることになりやすい。
を一旦棚上げしているに等しい。そうすれば、頼るべき
は何かが見えてくるというわけである。神秘的な力への
4.2 職人の作業場
未練を断ち切れば、頼るべきは身の置いている外界の刺
日常的な環境にも人を誘導する仕掛けは豊富にある。
激以外にはあり得ない。ライルによれば、『チェス盤、
しかも、それを意図的に準備している場所がある。その
プラットフォーム、学者の机、判事の椅子、トラックの
一つは職人が働く作業場(工房)である。一説によれ
運転手の座席、スタジオ、フットボールのフィールドな
ば、職人は腕さえあれば、自分の使う道具をまとめてど
どはそのどこにでも心の場所があるというべきである。
こにでも行くことができる、というような言われ方をす
すなわち、これらこそが人びとが愚かしく、あるいは逆
るし、それが職人の生き方を象徴しているとされたりす
に理知的に仕事をしたり競技をしたりする場所なのであ
る。料理人は包丁をさらしに巻いて、大工は道具一式を
る。』12)
道具箱に担いでなど、わりと身軽にあちらこちらへと移
ライルの言葉に耳を傾けて、その場でうまくやろうと
動できるイメージができあがっている。
すれば、読み書きの場合、「私たちは、読み書きの行為
しかし、職人が力を発揮する場所には、多数の道具だ
を方向づけ、読み書きを反復して継続する機会を準備」
けではなく、作業環境に様々な設えが施されている。た
することに関心を向けなければならないはずである。準
ぶん、移動した先でもそうした設えがその後用意される
備の結果、配置された生活財やこまごました道具、照明
(あるいは、用意されている)ということで、移動の際
や音や室温、風の流れやコーヒーの香りまでもがその場
には少数の道具だけが携(たずさ)えられるのであろ
に合うように整えられる。すべてが準備できるわけでは
う。さらにいえば、職人たるもの、移動先で必要な設え
ないが、手段もわからない自分の心とのやりとりより
がなければ、それを自ら制作できるだけの力量を持って
も、ずっと実現性があるように思える。こうしたこと
こそ一人前と呼ばれたのかもしれない。師匠から「盗
は、読み書きのためだけではなく、人間の行うすべての
む」のは技(わざ)だけではなく、工房の設えの細々し
行為に当てはまるのではないだろうか、というのがわれ
た工夫も盗まなければならなかったはずである。
われの方法である。
職人の作業場を目にすれば、そこはまさに上で述べた
ギブソンは移動や操作について、次のように述べてい
人間―環境系そのものである。道具の使い方を目にする
る。『移動および操作は、解発されるのでも指令される
なら、道具はどのように置かれ、どのように手を伸ば
のでもなく、制御されるのである。それらは、規制さ
し、そしてそれがどのように職人の手に渡る(移動す
れ、導かれ、方向づけられるのであって、その意味にお
る)のか、その連続した動きまでをも観察する必要があ
いてのみ、支配され統御されるといえる。しかも、それ
る。マジシャンであれば、この過程を観客から見られな
らは、脳ではなく情報、すなわち外界における自己を見
いように隠そうとするはずである。
ることによって制御される。制御は、動物―環境系に在
木工を例にとって説明する。
る。』
13)
人間(引用では動物)―環境系とは奇妙な呼
1)道具の配置の重要性
び名であるが、単に環境と人間の相互依存的な関係を指
例えば、一本の角材(木材)を一定の寸法に仕上げる
しているだけではない。人間側の潜在性(ポテンシャリ
際に、鉋を使って角材の一面を切削するという作業を道
ティー)にのみ関心を払うのではなく、環境側の潜在性
具の配置に焦点を当てながら観察する。
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012
77
・材料は、樹種、長さ、太さなどの違いによって分類
えておけば、仕事の八割はできたようなもの、という意
し、事前に用意した専用の保管棚に置かれている。そ
味として使われてきた。熟練した技能者の技能を理解す
こから目的に適した材料を選んで作業台上に運ぶ。複
るためには、観察の時間軸を実際の作業よりずっと「前
数本必要な場合は事前に用意した運搬用ワゴンを使っ
に」延長させ、事前の手はずについてまで観察する必要
て運ぶ。
がある。先の材料を削る作業では、鉋を使った切削の場
・その材料を動かないように固定するために、作業台に
取り付けられているクランプを使って固定する。
面だけに注目するだけでは不十分で、流し場の窓の設計
や材料を分類して保管する棚の用意から、ゴミ箱の配置
・作業台の傍には複数の鉋を納めた棚や引き出しが用意
に至る作業環境全体が、彼の技能を支えていると考えな
してある。その中から作業に適したサイズのカンナを
ければならない。職人に必要とされる技能とはかように
取り出す。同時に、引き出しの傍に置かれた玄翁を手
幅広く、多岐にわたり、制作作業をしている時間だけで
に取り、鉋の刃と台頭を交互に叩いて刃の出る分量を
はないことがわかる。
調節する。
工芸品を見せられたとき、もしもあなたがその工芸品
・固定した材料を削りながら、前もって作業台下の棚に
を作るためにどれぐらいの工程が必要で、各工程でどの
用意しておいた木製の定規(下端(したば)定規)を
ような作業がどれぐらいの時間をかけられているかを言
手に取り、切削面の平滑さを測る。
い当てられたなら、あなたは相当な技能の持ち主に違い
・鉋の刃の切削性能が悪くなったら、鉋の台から刃物を
ない。マジシャンがマジックを始める前にどれほどの準
抜いて研磨作業をする。刃物を研ぐ流し場は作業台の
備をしたのか言い当てられる観客はほとんどいない。工
横に設置してある。流しのシンクは横長に誂えたもの
芸の初心者もこれと同じではないだろうか。こうした初
で、事前に粗研ぎ用砥石、中研ぎ用砥石、仕上げ用砥
心者にどのような支援が必要かについては第5章2節で
石が研磨順に並べてある。水の蛇口は首の長いものを
述べる。
設置して、砥石の真上に水が落ちるように設計してあ
る。砥石の面に流した水が、シンクの周囲に流れ出さ
3)作業途中で必要になるものの制作(=ジグ)など
ないように、各砥石は水はけの良い専用の台の上に置
木製家具などの制作の際には、同じデザインのものを
かれている。昼には自然光が入るようにシンクの前に
複数個制作する場合だけでなく、一品の工芸品を制作す
は窓が、そして夜は手元を照らす照明が用意されてい
る際にも、寸法や形が全く同じ部材を複数個制作しなけ
る。研磨作業で微妙に凹む砥石面をたびたび治すため
ればならない場面に遭遇する。どの部品を組み合わせて
に、シンクの右端にダイヤモンド砥石を用意してあ
も高い精度で接合でき、全く同じ大きさで正確な位置に
り、いつでも手にすることができる。
穿孔することが必要な場合がある。これを手作業や単な
・濡れた刃物を拭くためのタオルは、目の前の壁面に
作った棚に置いてある。
る目見当だけに頼っていたのでは、全く同じものを作る
ことは不可能である。そこで次のような工夫が必要とな
・再び切削作業に戻り、切削が終了した後は背後に用意
る。ジグ・ゲージ・フィクスチャー(jig,guarge,fixture)
した箒と塵取りを手にして周辺を掃除し、近くのゴミ
がその活躍の中心である。写真1は爪研ぎヤスリの鞘の
箱に捨てる。
部分を制作する際に必要となった道具で、ジグとフィク
スチャーを兼ねたものである。この道具を使用すれば、
こうした作業過程では、制作者は目的の作業に集中し
部品をセットして固定し(写真1-1)、加工した後には
ていて、様々な道具や機械を利用していると強く感じる
取り外して別の部品と入れ替えることができ(写真1-
ことはないのかもしれない。しかし、実際は「鉋、棚、
2)、同じ位置に、同じ径の穴と溝を加工することがで
引き出し、玄翁、作業台、クランプ、下端定規、研ぎ
きる。
場、砥石、砥石台、蛇口、ライト」など、数多くの道具
ジグについてもう少し説明しよう。
が各所で使われ、その使いやすさはそれらの配置に大き
整髪のプロになるには長期間の訓練(見習い)が必要
く依存して、それが作業効率やスムーズさに影響する。
である。鋏の扱いに熟達するまでに多年を要することも
道具の配置と作業者の動きはまさに共鳴し合っている。
事実ではあるが、頭髪を刈るには通常、櫛を上手に扱う
ことも大事である。鋏に対するこの櫛の扱いはまさにジ
2)行程で必要なものの準備(段取り)
グの役割である。正確さ、仕上げまでの早さ、鋏の機能
段取りとは、もともとは歌舞伎の楽屋言葉で、芝居の
を最大限にまで引き出すために櫛をジグとして機能させ
場面(段)の筋書きを考えることを言った。よく言われ
なければならない。
る「段取り八分」とは、事前に物事を進める手はずを考
われわれが関心を寄せる熟練の技といわれる作業に
78
: 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月
制作のミッシングリンクが解消されることになる。教育
現場では、ジグをなくしてしまうことを避け、視野から
消されていたジグをもう一度見えるようにする必要があ
る。マジックではこのジグを見えなくするあるいはなく
してしまうことが成功の秘訣となる。その意味で、木工
の作業過程をつぶさに観察できる機会を持てることは、
マジックの仕掛けを見せてもらっているのと同じで、貴
重で重要な情報が開陳されているに等しいといえる。
(次章を参照)
5.作業過程を人工的に見せる工夫
結果(出来事)が出てきた原因を探すことは多くの分
野で必須のことであり、各分野でそれなりの進展がなさ
れてきた。病気の原因に始まり、警察の捜査、動物の足
跡15)などそれなりに確立した専門分野を形成に成功し
たものも多くある一方、工芸のように未だに勘やコツに
説明を求めるところもある。
5.1 驚くべき結果
第2章c)でも述べたように、オリの中にいた人間が
突然消え去り、代わりに虎が出現したり、支えもないの
に物や人が空中浮遊するように見せたりして、人を驚か
せるかせることはマジックの醍醐味の一つである。工芸
でも名工、名匠、人間国宝が作った技の結晶を、さも大
写真 1 ジグとフィクスチャーを兼ね備えた道具
(上 写真 1 - 1) 部品をセットし固定する
(下 写真 1 - 2) 別の部品を入れ替えることができる
事そうに見せられた瞬間に沸き起こる感嘆の溜息は、技
の極みを体験した喜びとして至福を感じる一瞬でもあ
る。美術館や博物館でも展示はそのためにもある。
結果を導く道理や理屈が、自身の中で見つけられない
も、ジグが多用されていることがあるはずである。しか
ときに起こす反応は、大きな驚きとともに、評価や結果
し、それが特別なこととして取り上げられたり、記録に
を生み出した他者に背負わせて高い評価を与えることに
残されたり、言葉で伝承されたりすることは少ないよう
なりやすい。また、自身にそれが向かうときには勘やコ
である(例外的な研究として文献14を参照)。作業に
ツ、さらには自身の才能に行き着くことになりやすい。
使われたジグの探求は、ちょうどマジックに使われる道
理由のわからないものは神秘性をおびやすいが、その反
具に対して入念に作り込んだ仕掛けのようなものであ
対の自身の卑下にはなかなか結びつけたくはない心理が
る。この仕掛けを見破られるようだと、そのマジックは
働くようである。結果を見せられただけで人間の心理は
たいしたことがないと評価されるであろう。一方、木工
これだけ揺れ動く。
で作られたジグは、大量生産品でもない限り、使用され
さらに、あり得ないことが起ったことを見せられたな
た後はほとんどが作業場の片隅に放置されるのが関の山
らば、大袈裟に表現すればパニックに陥るだろう。子供
である。作品だけしか目にできない観察者にとってそれ
とは違って大人はかえって、その理由を自分で納得させ
はもはや存在しないものと言える。注意深い観察者だけ
ようと自ら墓穴を掘ってしまう。精霊・幽霊や悪霊の存
が、どんなジグが使われたのかに思いを馳せることにな
在にしてみたり、そんなことができる人間は普通ではな
る。運良くジグを目にすることがあれば、作業の工夫が
いから、「彼は天才だ」と神格化してみたり、と結構型
一目瞭然となり、職人の技量の高さが理解できることに
どおりの対応を取るものである。同様に、あらかじめ、
なるであろう。
作品を見せられるとき「これは人間国宝が作った作品で
残念ながら、木工の場合、作る過程で使用されたジグ
す、あの有名な作家の作品です」、といわれて鑑賞すれ
は捨てられることが多い。運良く残されたジグが見つか
ば、自身の評価などは口にできたものではない。わかろ
れば、それを調べることで制作の工夫が垣間見られて、
うともせずに、美辞麗句に救いを求めてしまう。
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012
79
これを改めるには、神秘性のあり場所を突きとめるこ
指導者は対策を講じることができる。初心者に考え(推
とを諦める以外に手はなさそうである。マジックではそ
測)させるのではなく、見えるようにすればよいのであ
の扉は固く閉ざされている。しかし、工芸では必ずしも
る。しかし、「現時点で現在位置から見えるものが知覚
そうではない。チャンスはいくらでもあるが、伝統やし
されるものとは限らない」 16)から、様々な位置から観
きたりが高い壁として立ちはだかることもある。さらに
察させ、模型を直に手とってみせ、実際の作業も並行し
工芸界や工芸家自身がそのことに対して特別な努力を
て行わせる必要がある。また、出来上がるまでにした作
払ってこなかったといえるかもしれない。
業のための準備についても事細かに告げるべきである。
観察者に対して言えることは、結果だけを見て理解し
1)写真2は、無垢の木材の塊から、一本の匙を作り
ようとはせず、理解するには情報が足りないはずである
出す過程を肝要な7工程の要点に止め、作業を一連の流
から、それが探せる場所を探索してみようとする態度が
れとしてケースに入れて示した工程見本である。指導者
大切である。しかし、探索の範囲を広げ情報のありかを
が「見てみなさい」と言って目の前でやって見せる方法
外に求めることが肝要であるにもかかわらず、少ない情
だけでは、各加工工程の状態は次の工程で打ち消されて
報を補うために様々な知識を動員しようとし、頭でわか
しまうために、前の過程に戻って、今の状態と比べ、そ
ろうとするのは、かえって本当の理解から遠ざかること
の差異を比較して分かることにつなげることができな
になってしまう。情報の少なさにまず注意を向けるべき
い。過ぎ去ってしまった工程は、残像や記憶を頼りに思
にもかかわらず、知識のなさに原因を求めてしまいやす
い起こす必要があり、極めて曖昧な手がかりになってし
い。そのあげく神秘的なものに救いを求めてしまうこと
まう。分かるという言葉の語源は分けるから来ていると
になりかねない。
いわれるように、この工程見本では、一連の作業の流れ
もちろん、見えない部分は、誰かが意図したわけでは
を分けて、その工程と工程の間にある両方の差異の中か
ないのに隠されてしまっている場合も多いはずである。
ら、作業がどのように進行したのかが分かることを目指
その場合はどうしようもないが、潜在する部分が隠れて
している。ただし、標本を見ているだけではたいした役
いる(見えない)だけであれば、それは見えるように
割を果たさない。自ら作業を進めていく過程で、己の行
(可視化)すればよいのである。たまには秘密の場所を
為と標本の結果とを比べてみたとき、そこに多くの情報
探検する勇気も必要かも知れないが、勘違いして心の奥
を発見できるのである。
※9
にそのありかを探してはならない 。そうならないため
さらに、切り取られた廃材は差異を橋渡し、理解を援
に考えられる手立てを一つお見せしよう。次節では、匙
ける重要な役割を果たすため捨ててはならない。なぜな
を作る過程をつぶさに見せる工夫について見てみること
らどの段階で、どのような方向に切断されたものなのか
にしよう。ただし、完璧にとはいかないけれど。
を如実に示す情報だからである。
5.2 制作過程を見せる
初心者にとって、作る過程が見せられないで最終結果
(作品)だけを見せられても、それはマジックを見せら
れているに等しい。このことをしっかりと理解すれば、
写真 3 作業工程の中で切りだされた匙と切り離された木片
2)写真3は、卓上帯鋸盤を使って粗取りした際のば
らばらな廃材と、削り出された匙を寄せ集めて塊状に戻
し、匙が木材のどの方向から彫られ、どの範囲に収まっ
写真 2 匙 工程見本
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ているかを示すものである。切り離された木片を、自身
の手を使ってパズルのように元の位置に合わせていく
はさほど難しいことではない。
と、切り離された木片を再び異なった方向から切り離し
た切削工程を疑似体験(シミュレーション)することが
6.技能を問う(能力観を再考する)
できる。
ここまでの議論から、さらに技能を問うてみよう。そ
うすればこれまでの能力観を再考する必要が出てくるか
もしれない。その波及効果は工芸のような技能観だけに
は限らず、広い分野で議論されてしかるべきであること
が判明するはずである。
6.1 運動能力を競う
純粋に個人の能力を評価できると思われていたスポー
ツの世界でも、使用する道具と記録との関係が問題と
なってくる。水着(道具)という最小限のものを着用す
る水泳の競技でも、スピード社製の水着がオリンピック
で大きな話題となった。世界記録を達成した日本選手の
記録も水着が公認されたものではなかったために世界新
記録は認定されず、幻の記録となった ※10 。この裏に
写真 4 匙のへこみ部分の削り工程順に並べた削り屑
は、競技が純粋に個人の能力を比較するものであるべき
だという、古くからの理念がある。しかし、スポーツ科
3)写真4は、匙の凹み部分を彫り出した際に出た削
学の発展によって、使用する道具が選手の達成する記録
り屑を切削工程順に並べたものである。屑の形状の変化
と密接に関係していることがますます明白となってきた
から、彫り進む深さに応じた刃物の使い方を示そうとし
という現実がある。スポーツ界は声高に言うことを憚っ
たものである。削り屑の多きさからは、深さが増すごと
ているが、ほとんど公知の事実である。
に大きく切り込む動きの変化が、そして切り屑の厚さか
水泳についていえば、事は水着だけに限らず、各コー
らは、仕上げに近づくに従って慎重になる作者の息づか
スの区切りのためのレーンや泳ぐ位置取りが水の抵抗に
いを読み取ってほしいという願いが込められている。
諸に関係している事実は、決勝におけるコースの位置取
練習を積む必要はもちろんあるが、どこで慎重になら
りに深く関係する。陸上競技のトラックでの走りは、ど
なければならないかという「情報」を、初心者は標本か
のコースを走るかは言うに及ばず、靴やトラックレーン
ら読み取ることができるようになる。その意味で、ここ
の素材も重要な要素となっている。棒高跳びに至って
で紹介した標本は作業工程を時間の経過にしたがって保
は、道具の変遷は記録向上と密接に関わっており 17)、
存したというだけではない。肝心なる場所を示した標本
それによるとワーチ(Wertsch)は次のような分析を
を目指している。
行っている。
以上の試みは、整理整頓に逆行し、残骸を大切に残
『ワーチが技術的道具の実例の一つとしてあげている
し、傷やへこみは修理せず、と普段やっていることとま
のに「棒高跳び」の記録とポールの関係がある。棒高跳
さに反対を奨励しているようである。しかし、先行者、
びの世界記録は、使用されたポールがヒッコリーから竹
模範となるもの、教示者、指導者が一度は真剣に取り組
ポール、スチール、そして、今日のグラスファイバーへ
み、後輩の指導に取り入れるべきではないかと考えてい
と変わっていったことで大きく塗り替えられていった。
る。言葉にできない工作過程に、「内的な力」を想定し
そこには人間の技能や能力も含めて行為は文化的道具と
たい気持ちはわからないでもないが、それは逆効果にし
いう媒介手段を用いて行なわれること、人間精神はこの
かならない。自らを突き動かしたもの(情報)は必ず外
媒介手段と切り離して考えることはできないという人間
にあるというとらえ方が肝要である。
の本質的な姿が現れている。』17)
難しいことをいっているようであるが、やっているこ
道具がこれほどシビアな考慮要因であることがない分
とは至って簡単であるともいえる。手と材料と道具に焦
野でも、あたらしい道具が紹介されたり、いち早くそれ
点を当ててきた指導の中に、作業の時間と場所ともに、
を取り入れたところでは、なにがしかの対応が取られた
そこからズームアウトして、消し去られやすい痕跡を貴
はずである。考えてみれば、新しい道具の導入により、
重な資料として意識的に残そうとする取り組みである。
選手の練習方法は劇的に変化し、選手やコーチたちは皆
痕跡から得るものがあるという点に気づけば、残すこと
そうしたことにいち早く対応することが求められてきた。
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012
81
『もちろん、この「棒高跳び」の記録の変遷にはポー
一つだけジグを大量に用意して競技に挑む競技者の事
ルという媒介手段の変化とそれを使いこなす競技者の技
例を見ておくことにしよう。
能の習熟化が不可分に結びついていて、まさに自分の道
正確で美しい仕事をするために、ジグや固定具を事前
具にしていくことが不可欠の過程として存在している。
に用意する能力こそがその技能者の能力を証明するもの
実際に、グラスファイバーがはじめて使用された1961
だとすれば、評価は最終の作品でなく、その過程で用意
年にデービスが出した世界記録は4m83cmで、その前
され、適切に使われたジグ、固定具の完成度に向けられ
年までのスチールポール時代にブラッグがもっていた世
るべきである。しかし、競技会場で許されるのは、課題
界記録の4皿80cmからわずか3cm上まわっただけで
の製品を作ることだけで、どれだけ多くのジグや固定具
あった。グラスファイバーを使いこなすためにはさらに
などの補助具を用意しても、あるいはしなくても評価の
時間が必要であったことがこの後の記録の変遷は示して
対象にならないのが現状である。技能を評価する場合
いて面白い。この後、10年後の1972年には世界記録は
に、技能の範囲を実際の作業よりずっと「前に」延長さ
大きく伸びて5m63cm、そして1985年にはブブカが6m
せて、段取り能力や補助具の設計制作・活用能力を加え
の大記録を樹立することになる。』
17)
おまけに、選手
て判断するべきなのにである。ここにも、技能を狭く捉
の安全のために、着地のピットの素材は、大鋸屑から気
えた技能観を垣間見ることができる。
泡クッションに変えられる必要もあった。
一定時間の中だけで競われる競技では、競技の条件が
やり投げの槍は技術革新により空力学的な推進力もつ
厳格に決められている。選手の使う道具についてはとく
ようになった。この槍は力よりも選手の技のほうが重要
に厳しい規格が設けられる。公開義務のない競技直前の
な要因となるものであった。しかし、1986年に突然こ
練習でも、選手の健康のため筋肉増強剤のようなものの
の槍の使用ができなくなった後での槍投げ競技では、力
使用は堅く禁じられる。このようにして見てくると、技
自慢の投げ手の独壇場となってしまう。スポーツの世界
能グランプリのように「一定時間の中だけで競われる競
はこうした事例に事欠かない。『槍投げをめぐる絶え間
技」として技能をはたして定義することはできるのかと
ない技術革新は、スポーツの技術面での向上がいかに不
疑問を持ってしまう。
確かなものになりうるか、そして素材や用具の形式、競
公平性という意味での競技の条件を考慮しなくてもよ
技者の募集とトレーニング、競技空間の面積、そしてほ
い労働の分野で、技能はどのように取り扱われてきたの
かのスポーツにおける安全さえもが、すべて互いに影響
であろうか。この分野はこの小論ではとても取り扱えな
18)
さらに、ルール変更
いほどの厖大な研究がなされてきた。しかし、本論との
はもとより、競技をおもしろくするため、安全のため、
関連で言えることがすくなくとも一つある。それは、
メディアの横やり、国の威信までもが、競技内容に影響
かってテイラー(F.W.Taylor)が「科学的管理法の原
を及ぼしている。
理」 20)の中で、労働者個人の所有物のように考えられ
これらの事例を見るに付け、それは結局、選手の能力
ていた技能を、作業のやり方として記述可能な(科学的
観への新たな問いかけとなって襲いかかってくる。純粋
管理の)対象にしようとしたときに始まる。当然、労働
に人間の持つ能力とはいったい何か、どのように測れる
者側の反発や抵抗が激しく、彼の計画は紆余曲折を経て
のか。素朴な質問ではあるが、実は人間観に大きな変更
今日に至っている。技能にまつわる社会習慣に対して、
を迫ることになる事柄なのかも知れない。これまでの能
新しいやり方を導入するとき、それは双方に大きな軋轢
力観を捨て、ただ道具とのセットで選手の能力を推し量
を生むことになった。当時テイラーがとった方法は、以
し合っているかを示している』
れば切り抜けられるのであろうか
19)
。
下のようなものであった。
テイラーは熟練者の技能と呼ばれていたものの一部を
6.2 技能を競う
工場内の様々なものに分散し、そこで受け持たれるよう
スポーツの話題から少し離れ、技能グランプリという
にシステム化しようとした。工場内の作業の手順を細か
競技を取り上げてみよう。これなども競うことが、技能
く分析し、それを指導票というカードに詳細に描き込ん
の向上につながるという理念のもとで毎年開催されてい
だ。使用する道具、時間、動作の方法、動作の所要時間
るが、競技のための下準備をめぐりその基準の曖昧さ
までも含んでいた。作業のやり方については、一人で何
で、何を競うのかという点がスポーツほどまだ明確に
もかもやっていた前とは違って、何人もの指導員によっ
なっていないと思われる。「道具を利用したときの能
て注意を受けたり、支援を受けたり、相談にのっても
力」とは一見当たり前のようでいて、実はとらえどころ
らったりする ※11。道具の適材適所が徹底され、必要時
のない複雑な対象なのである。能力観そのものの再考を
に必要なものが作業者の前に準備される。工具や装置も
迫ってきている、とみるべきではないだろうか。
いつも最適な状態に整備されるようになった。作業のス
82
: 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月
ピード、能率を旧来の方法と競った。
能といっても、実際のところは、そこに技術化可能な部
技能はいつしか、個人の所有物ではなくなり、工場と
分を含んだハイブリッドなのかもしれない。もしこれが
いうシステムの中に具現化されるようになった。技能の
事実であれば、逆に技術についても反対のことが言えそ
伝え方の典型がここにある。これは技能の技術化の一つ
うである。技術も書かれたものをその通りにやってでき
の形態であるが、畑村洋太郎のように、頭の中に技術の
るものは案外少なく、やはり現場での実践を積み上げて
居場所を想定した「技術の伝え方」ではない
※12
。外環
身につけなければならないことも多々あるというのが実
境に仕事のやり方の資源がすべて埋め込まれていること
際に近いのかもしれない。
をある意味理想としていなければ、このような管理法は
従って、技術と技能をどのように伝えるのかについて
生み出されなかったであろう。もちろん、機械のみによ
の議論を見ていると、学問的な定義を棚上げして、実践
る生産、オートメーションと相まって、こうしたことが
的には両者をうまく使い分けて論じられることが多いよ
企業における労働管理に影響を与えないわけがない。事
うである。
実、多くの労働形態で、これまでの熟練を消失させるこ
企業や学校が用意する学ぶ制度や教材も、ただそれが
とになった。もっとも単純に技能と技術、道具と機械を
あればよいというものではなく、伝える側と伝えられる
同列に取り合うことが正しいのか、問われなければなら
側の理解の一致が欠かせないという。しかし、考えてみ
ない。
れば、伝えるための教材は理解されるものとして提供さ
れているはずで、伝えられる側の頭の中まで詮索しなく
7.技能と使用環境
てもよいはずである。内容が正確に伝わっているかどう
7.1 技能の技術化、あるいはその逆
は、行為(作業)の結果を入念にチェックすることで判
田中美知太郎は技能と技術を区別することの重要性を
明するべきであろう ※13。これが完璧にできないからと
述べている 21)。技能は自分の身体を使って次第に身に
言って、その原因を頭の中に見出そうとしてもできない
ついてくるようなものである。目分量であったり、研ぎ
相談といわざるを得ない。技能を人間が内部にもつ能力
澄まされた感覚であったり、手に伝わる触覚から、勘や
であるとするかぎり結局、能力が人間に内在したものと
コツと呼ばれるような経験が得られる。長年続けていれ
いう見方から出ることは不可能である。
ば名人芸とか匠であるとか称せられる域にまで達するこ
ギブソンは『樹木から手、手から鼻に至るにしたがっ
とができる。ただし、言葉で説明できないし、だれにで
て、段々に私秘的になってゆく』といい※14、『自分の鼻
もわかるように話して聞かせるということのできるもの
の眺望は、一人の観察者にとって全く唯一無二であり、
ではないので、人に教えることができない。そのため、
他の誰も、その唯一無二の視点から自分の鼻を見ること
技能は科学や学問の求めるような知識とはならない。学
はできない。これは、完全に私秘的な経験である。』
問的知識は、ひとに教えられ、わたしたちが学ぶことの
23)
できるものでなければならないのである。
した技能の本質(秘密)とされてきた。これは最も主観
一方、技術は、『だれでも学ぶことのできる学問的知
的な経験に位置づけられる。本稿の目的は、こうした見
識が、製作とか、動作とかに結びつけられたものにほか
方を否定して、技能の多くが外界の情報に依存している
ならないのです。だから、技術の進歩というようなこと
ことを示そうとしている。長い年月をかけて培ってきた
も言われるわけで、そういうことが言われる場合には、
熟練労働者の知や技能の継承についての考え方を改め、
それが学問と同じように、他から学ばれ、受けつがれ
再出発を試みようとした。そのためには、利用可能な技
て、改良され、進歩するものであることを認めているわ
能情報のあり場所を、鼻から手へ、手から樹木へと方向
けです。しかし、名人芸は、個人とともに滅びてしまい
転換する必要がある。私秘的経験ではなく、公共的経験
22)
この私秘的で、純粋な感覚が熟練した工芸家が獲得
、と田中は技能と技術を峻別した。
に足場を置き、他者と同じ外界にある対象、世界につい
近代になり、工業化や産業化の発展は、それまで技能
ての情報を感覚ではなく「知覚」できることを確認する
と考えられてきたものをなんとか教えられ、伝えられる
必要がある。次に、一例として、手と外環境とでやりと
技術に変えてきたといえる。この技能の技術化の特徴
りされる情報の機微への感受性に触れてみることにしよ
は、田中美知太郎のいう意味で教えられないものを、教
う。
ます』
えることができ学ぶことができるもにしたことにある。
しかし、考えてみれば、このような芸当がどうして可能
7.2 鉛筆で書き物をする
になるのであろうか。技能の教えられる部分を何とか探
クルトガというシャープペンシルをご存じであろう
しだし、できないところは作業の繰り返しにより「身に
か。従来のシャープペンシルと違って、芯が回ってトガ
つけ」させ、熟練化して補ったのであろうか。純粋な技
りつづけるという画期的なアイディアを具現した製品で
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012
83
ある。普通のペンシルであれば、一定の持ち方で書き続
で述べたように実際にやってみる(使ってみる)ことが
ければ、ペン先の芯が紙との摩擦によって削れられて、
大切である。道具によって外界からどのような情報を獲
線がだんだんと太くなっていく。それを避けるため時々
得しているのかに対する充分な検討もなく、ただ使い慣
ペンを指先で回転させる必要がある。ところがクルトガ
れた道具を「職人の魂」といって崇める対象にしてし
は次の字を書くときに一瞬紙からペン先が離れた瞬間
まっては、伝えるべき中身を欠いた骨董的価値しか伝え
に、筒内の芯がある一定の回転を自動的にやってくれる
られない。
ために、これまでのペンシルのように時々指先による回
『たくさん書き物をしなければならない人は、ふつう、
転を行わなくてすむわけである※15。
気に入ったペンでしか書かないものである。そのペン以
技術的な革新とはこのようなことをいうのかも知れな
外は、使えても使わないという人が多い。紙の上でペン
い。しかし、ここでは鉛筆で紙に文字を書くという行為
を走らせたときの摩擦の違いは、ペンの構造や素材に
についてもう少し詳しく見ていくとにしよう。実はこれ
よって決まるが、それは、ひじょうにはっきりしたもの
に関して、カッツ(D.Katz)による古典的な研究がすで
なので、事務を本業にしている人は、新製品のペンがで
にある。カッツは『触覚の世界』という著書で、鉛筆で
きたからといって、それに飛びつかないものである』24)
書き物をするときに、鉛筆を媒介にして外界から得られ
という、カッツの言葉を重く受け止めるべきであろう。
る情報についてユニークな実験を行っている。
クルトガは普及するには、このように高いハードルが待
鉛筆の芯には何段階もの硬さの違うものがある。紙に
ち構えている。それに対応していってこそ、
「使い続けら
鉛筆を走らせるだけで芯の硬さの違いを感じ取れる。し
れる」という勲章を手にすることができるのである※17。
かも、『鉛筆の硬度は、鉛筆の先に感じられるのであっ
「技能の多くも外界の情報に依存している」ことの発見
て、鉛筆を動かしている手の部分ではないことが分か
を通して、技能を伝える方法に活かす道を考えるべきで
る。…鉛筆を握っている手の中に持続する圧と振動を感
ある。言い換えれば、技術を人間の使用の現場から切り
じる。この圧と振動は、鉛筆の硬度によって変化し、柔
離して議論しても、それはそれだけのことになってしま
らかい鉛筆よりも硬いものの方が強く感じられる。被験
う。技術利用者の使用という場で技能を論じる必要があ
者Kは、硬さの違いは、上から下へと書いたほうが、下
る。
から上へと書くよりも、はっきりと分かると述べてい
る。書いているあいだ、その鉛筆が硬いか柔らかいかの
8.おわりに
判断に応じて、被験者は運筆の視覚的イメージをはっき
トリックを見破るというのであれば、その代表格は知
りともち、鉛筆の線の太さや濃さまでも分かるのであ
能犯が犯した犯罪の謎解きをする名探偵ということにな
る。』
24)※16
ろう。シャーロックホームズやポアロはどのような方法
さらに、次のようなこともわかるようである。『同じ
を使って、難題を解決したのであろうか。謎解き、それ
ペンと同じ紙が用いられたときでさえ、書いているとき
はすなわち推理力と考えられやすい。それに比べると、
に受ける印象は、紙の下の下敷きによっていちじるしく
本稿での説明は随分と違ったものという印象を持たれる
異なることである。紙、木、革、リノリウム、ガラス、
かもしれない。しかし、われわれの方法はやろうと思え
金属を下敷きに用いると、それぞれの素材から異なった
ば誰もができることばかりである。その意味で面白みは
経験が得られる。もちろん最後のほうに挙げたものを下
ないかもしれない。ホームズやポアロ、コロンボ警部の
敷きに使うと、粗さはほとんど変わらないだろう。明ら
名推理は凡人であるわれわれやワトソン君を驚かすには
かに、下敷きの弾性によって、ペンの振動が異なり(筆
十分である。ただし、物語や映画の世界ではいざ知ら
記時に発生するノイズによって振動の場所が分かる)、
ず、現実の探偵学では、地道な科学的捜査が行われてい
この振動が意識の中に入ってくるのである。弾力のない
るに違いない。証拠集めは徹底した現場あるいは現実主
下敷きを使って長く書いていると、手が異常に疲れてく
義であろうし、科学的知識や実験による裏付けだけが証
るので、その下敷きが不適切であるとすぐに分かる。下
拠として採用されている。勘や年季は片隅へ追いやられ
敷きの弾力は、粗さや滑らかさのように紙の表面に触れ
ていく運命にある。
ただけでは分からないが、以前に学んだように、硬柔次
ホームズやポアロのやり方を伝えたいという思いは誰
元と同じように、奥行き方向にペンを押しつけたときに
しも持ってはいるものの、いざそれを実行しようとすれ
分かる。
』
ばすぐに暗礁に乗り上げてしまう。人から人への知識の
職人と呼ばれるような人々が使う愛着のある道具を考
伝承は、幻想にすぎない。かならず媒介物を通してそれ
えるとき、このカッツの実験で考慮されているようなこ
は実現されている。いろいろある媒介物に作業環境まで
とが、とても大切な事柄であるように思われる。3.2
含めてみてはどうかというのがわれわれの提言である。
84
: 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月
作業環境はまさしく外部にある重要な情報源であり、
22300271)の助成を受けてまとめた。
アフォーダンスの宝庫である。
本稿の言いたいことを一言で表せば、第2章で上げた
注釈
a),b),c)を否定してみることで、技能を伝えることが
※1
技能skillあるいは技能者に関する研究は多岐にわた
より容易にできるようになる、と主張したことになる。
る。その中で本稿のアプローチとは対極に位置する
結論として、技能を伝えるためには、次の3点につい
が、重要なものに、熟達者の特徴を認知心理学的に
て十分に考慮されるべきである。
分析したものがある。いずれも熟達者が持つ(所有
a)実際に起こった事柄を特定する光学的情報を抑制
する)知識に焦点を当て、その構造や処理過程、知
識獲得の要領、習熟を促す要因などを事例に基づい
しない
b)観察者が情報をピックアップするのを妨げない
て研究している。一般化できる発見的な問題解決能
c)あり得ない出来事を特定する情報を人工的につく
力に理論化の方向を目指すもの、領域固有の構造化
された豊かな知識の役割にその秘密を探ろうとする
りださないようにする
もの、最近では少なくなってきたとはいえ、技能者
一例をあげれば、作業者の動きが作業環境の設えに
固有の人格特性で説明しようとするものなどがあ
よって誘導され、案内されている様子すべてを観察す
る。
る。事前に用意された準備についての調査・観察を入念
一方、本研究に関わりの深いものには、実践の状況
に行うこと。作業過程は出来うる限り可視化して、指導
的認知、社会的分散認知、ヴィゴツキーの成果に発
の教材として提供すること、などである。
する媒介過程による道具主義的アプローチなどがあ
デネット(D.G.Dennett)は、種明かしは報われない
げられる。この分野では研究者によりアプローチに
仕事であるという。デネットの指す対象は「精神」であ
様々な呼び方、概念が作り出されている。実践認
るが、同じように「匠の技」もその対象に含められるか
知、状況的認知(situated cognition)、分散認知
もしれない。『種明かしをする人々は、しばしば、不愉
(distributed cognition)、認知的徒弟制(cognitive
25)
a p p r e t i c e s h i p )、 正 統 的 周 辺 参 加( l e g i t i m a t e
しかし、ここがマジックと袂を分かつべき時である。マ
peripheral participation:LLP)、ガイドされた参加
ジックを学習したいためにマジックを見に来る人はとて
(guided participation)、活動理論(activity
も少ないだろう。いっぽう、技能の伝え方を目指した工
theory)、最接近発達領域(zone of proximal
芸では技能を学びたいと思っている人が見に来るのであ
development)
、エスノメソドロジー的会話分析、社
る。わかりたい、わかり合いたいという衝動は抑えきれ
会文化的アプローチ、など以下の文献を参照された
ないのではないだろうか。
い。
小さいときから、人は成長するということを自らの心
・ 上 野 直 樹 『 仕 事 の 中 で の 学 習 』 東 京 大学出版
快とか興醒めとか白けさせているとか思われる。』
身に起こることと教えられ、自らもそう信じるように
なっていく。生きていく周りの環境は、付随的に成長を
支援してくれるものと固く信じて疑うことはない。心身
会,1999.
レイブ,J.&ウェンガー,E.,佐伯胖『状況に埋め込ま
れた学習―正統的周辺参加』産業図書,1995.
に起こる変化は自らが感じ取れるものでもあり、こうし
・Keller,C.M. & Keller,J.D.,Cognition and Tool Use :
た思いをさらに助長する。周りは在ってしかるべきであ
The Blacksmith at Work,Cambridge University
るが、あくまで自分にとって付随的、補助的な存在に過
Press,1996.
ぎない。若い時期から年を取るに従い、この考えは次第
に変わっていくものではあるが、それは他者の助けや制
度や仕組みが、自分の成長に大きな影響を与えているこ
とを体験から次第に気づくようになるからである。そし
・Clark,A & Chalmers,D.,The extended mind, Analy
sis,Vol.58,No.1,pp.7-19,1998.
熟達者の特徴についての研究には、次のものがあ
る。
て場合によるが、外環境への信頼も醸成される。加齢と
・Ericsson,K.A. & Smith,J. Eds.,Toward a general
ともに周りの環境に対して感謝するようになることは、
theory of expertise, Cambridge University
まことにすばらしいことである。環境に対する恩返しを
Press,1991.
することが、次世代の人々の成長に役立つことを確信で
きればこんな有意義な生き方はないであろう。
・Dreyfus H.L.& Dreyfus,S,E.,Mind over
machine,Free Press,1986.(椋田直子訳『純粋人
工知能批判―コンピュータは思考を獲得できるか
本研究は、平成22年度科学研究費補助金(課題番号:
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012
―』アスキー出版局,1987)
85
・生田久美子『「わざ」から知る』,東京大学出版
何度も繰りかえさなければならないからである。し
会,1987.
※2
※3
※4
※5
ばらく経つと、それはお決まりの機械的な仕事とな
本文に記したc)については異論があるかもしれな
り、職人は当然ながら上手にこなせるようになる。
い。また、これらがマジックのすべての要素である
創造性に恵まれた熟練工は、こうした決まりきった
というわけでもない。
作業の最中に、仕事の細部に目をこらし、その仕事
再度断っておくが、われわれは技能と手品を同列に
に影響を与える道具類へと注意を向けるものだ。そ
扱おうとしているのではない、あくまで議論の手が
れゆえ思慮深い職人は、自分の仕事の達成度や効率
かり、アナロジーとして活用しようとしているだけ
を制限していると感じる道具で仕事をするあいだ
である。
に、新たな改良型の道具のアイディアを温める。』
この言い回しはF.ハイエクから採った。
暗黙知を伝承(継承)する議論と比較してみれば、
ることではない。視覚とはただ隠れていることをあ
れない。楠見孝は暗黙知の継承のために必要なこと
らわにする行為なのである。』(佐々木『知覚はお
※8
わらない』青土社,2000. p.210より引用)
『一つめは、現場の様々な場面において、先輩や
※10 基準より大きい浮力を持たせている水着であったか
熟達者を模倣し、自分なりに実践してみることであ
ら。インタビューを受けた選手は、次には自分の力
る。…ものづくりの仕事では、機器の操作など身体
で世界記録を必ず達成すると言明していた。しか
で覚える場面、トラブル発生や危険な場面での、模
※7
『視覚とは見えないことを想像して、見えを構築す
我々の目指しているものがわかってもらえるかもし
として、次の二つをあげている。
※6
(文献1,p.160より引用)
※9
し、「自分の力」とは何を意味するのか。
倣と実践が重要である。二つめは、成功やとくに失
※11『…管理者がまず工事を区分し、区分ごとに作業の
敗の経験そして、周りの人からのフィードバックか
方法を詳しく分析し、それから完全な指導票を作
ら 、 内 省 し 教 訓を引き出して学習することで あ
る。すなわち次々に用いる工具はこれ、ベルトをか
る。』(楠見孝「ホワイトカラーにおける暗黙知と
ける段車はこれ、切りこみの深さとおくりはこれ、
その継承」(http://www.educ.kyoto-u.ac.jp/cogpsy/
品物を機械にとりつける方法はこれというふうに指
personal/Kusumi/paper/white.htmより引用)
)
導票を書く。それからこの変革を行なう前にまず特
昔からいわれ続けたことに追加された何かがある
に腕のあるその専門に通じた人を数人だけ、機能的
のであろうか。真似ること、実践(経験)を積むこ
職長として養成する。たとえば速度係、準備係、検
と、反省的であること、学習することなど。しか
査係などを用意する。また速度係はその工員のそば
し、作業環境から情報を抽出してくることに全く言
にたって指導する。そこにある指導票には、速度係
及はない。
とその指導をうける工員とのなすべきことが明瞭に
ギブソンにとって、行動とは刺激によって解発され
書きだされている。すなわちそのカードには、これ
るのでもなければ、脳から指令されるのでもない。
これの工具を使えとか、ベルトはこの段車にかけよ
それは、制御control、あるいは、調整regulationさ
とか、この機械ではおくりをこれこれにせよとか書
れるものである。わたしたちは環境のアフォーダン
いてある。その指導どおりにすれば、指定の時間内
スを知覚することによって自分の行動をコントロー
に仕事ができあがるようになっている。』
(文献20)
ルする。わたしたちは、知覚することで、行為を開
※12 技術の伝え方について畑村洋太郎は次のように説明
始したり、続行したり、停止したり、変化させたり
している。ある意味驚くべき内容である。ここで
する。よって、行動のコントロールは、脳のなかに
は、技術の伝達を、頭の中にある技術の内容を相手
ではなく、動物―環境システムにある。動物は自分
側の頭の中に移すことである、と考えられている。
をとりまいている外的な環境を介して自分をコント
『Aさんの頭の中にあるものがBさんの頭の中に入
ロールする。「制御は世界内の動物によってなされ
り、BさんがやったことがAさんがやっていること
るのである」。(文献5,p.95より引用)
とほぼ同じ状態になることを「伝わった」とする
ゆっくりしすぎると大人でもできないことはよくあ
と、技術を伝えるときに最も大切なのは、Bさんと
る。
いう伝えたい相手の頭の中を、Aさんという伝えた
職人により道具が工夫されたり、特殊化される理由
い技術を持っている人の頭の中といかに同じにする
をペトロスキーは次のように説明している。
かということです。』さらに、知識や理解という概
『…特殊化した道具類が歴史を通じて増殖してきた
念を繰り出し、『知識が正しく伝えられるかどうか
のは、一つに、職人が同じ道具を使って同じ仕事を
は、伝えられる人が頭の中にどのような構造を持っ
86
: 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月
ているかで決まります。そして、きちんと伝わった
イエンス社,1985 (Gibson,J.J., The Ecological
状態というのは、伝えたい人が頭の中に持っている
Approach to Visual Perception , Erlbaum, Hillsdale,
知識の構造が伝えられる人の持っている構造と一致
1979)訳p.1より引用
したことをいうのです。』(畑村洋太郎『組織を強
6)文献5,p.2より引用
くする技術の伝え方』講談社現代新書,2006.)
7)Reed,E.S., James J.Gibson and The Psychology of
※13 この場合の結果は、実際の仕事(practice)を指し
Perception, Yale Univercity Press,1988(柴田崇・
ており、学校で出される問題に対して正しい答え方
高橋綾訳『伝記ジェームズ・ギブソン : 知覚理論の
をするということではない。
革命』勁草書房,2006)
※14 続けて、『ある樹木を観る場合、その木の周囲を観
8)科研(「外在主義的知識観によるモノづくり伝統技
察者全員が歩き回って同じ眺望を得るならば、全て
能の抽出と継承環境の構築」)実績報告書 平成21
の観察者は、その木について全く同じ情報を得るこ
年6月
とができる。自分自身の手を見る場合には、各々の
9)生田久美子『「わざ」から知る』東京大学出版
観察者は、他の観察者が獲得するのとは(多くの共
会,1987.
通 性も あ るが)いくらか異なった眺望を 獲 得 す
10)文献5,p.210より引用
る。』(文献4,p.314-5より引用)
11)染谷昌義「行動資源の配置」(柳澤田実編『ディス
※15 「筆圧でギアが上下運動することで芯が回る仕組
ポジション:配置としての世界』現代企画室,
み」と商品説明がある。特徴は、細かい文字も書き
やすいとのこと。
2008.6)p.86より引用
12)Ryle,G.,The Concept of Mind,The Univ. of Chicago
※16 被験者Kは目を閉じ、耳栓をして実験している。
Press,1949(坂本百大ほか共訳『心の概念』みす
※17 佐々木(『レイアウトの法則』春秋社,2003)にも
ず書房,1987)訳p.62より引用
興味深い記述がある。
13)文献5,p.240より引用
『例えば「書きごこち」は、ペン把握部の固さと、
14)小 松研治・小郷直言,「制作を陰で支える道具―木
ペン先の金属の固さの混合のことである。しかしそ
工用ジグ・ゲージ・フィクスチャーを例に-」道具
れだけではない。二種の固さの混合がペンの「書き
学会論集,第1号,pp.15-26,1999.
ごこち」になるためには、机上に置かれた紙が必要
15)E.T.シートン・藤原英司訳,『シートンの自然観察』
である。「書きごこち」は、それらの固さが一挙に
どうぶつ社,1980.
「混合」する紙とペン先の接触部に現われる。固さ
16)文献5,p.210より引用
を単独で味わうことはできない。固さは常に他の固
17)佐藤公治「ヴィゴツキー発達理論と社会文化的アプ
さとの混合としてある。混合という表現が曖昧なら
ローチ―ワーチの研究」(田島信元編『文化心理
ば、「比」と言い換えてもいい。ペン先が接触する
学』朝倉書店,2008)p.40より引用
所を紙と言うだけでは不足だろうその下には机があ
18)E . テ ナ ー , 訳 『 逆 襲 す る テ ク ノ ロ ジ ー 』 早 川 書
る、机の脚の下には床がある、その全体が「書きご
房,p.338より引用
こち」だと強弁しても間違いではないだろう。固さ
19)染谷昌義「拡張する心 : 環境―内―存在としての認
の比はどこまでも続いている。私たちの知っている
知活動」(信原幸弘編『シリーズ心の哲学:ロボッ
「固さ」とは要するに、膨大な「固さの比」のこと
ト篇』勁草書房,2004)
である。』(p.25-26)
20)テイラー・上野陽一訳『科学的管理法』産業能率短
期大学出版部,1969.
引用・参考文献
21)田中美知太郎『哲学入門』講談社学術文庫,1976.
1)ペトロスキー,H.・忠平美幸訳『フォーク歯はなぜ
22)文献21,p.165より引用
四本になったか』平凡社,1995,p.156より引用
2)ファーガソン,E.S.・藤原良樹・砂田久吉訳『技術屋
23)文献4,p.315より引用
24)カッツ,D.・東山篤規・岩切絹代訳『触覚の世界 実
の心眼』平凡社,1995, p.165より引用
3)文献2,p.169より引用
験現象学の地平』新曜社,p.75より引用,2003.
25)D ennett, D.C.,Sweet dreams : philosophical
4)ギブソン,J.J.著,E.リード・R.ジョーンズ編,境敦史・
obstacles to a science of consciousness,MIT
河野哲也訳『直接知覚論の根拠 ギブソン心理学論
Press,2006(土屋俊・土屋希和子訳『スウィー
集』勁草書房,2004,p.172より引用
ト・ドリームズ』NTT出版,2009)訳p.82より引用
5)ギブソン,J.J・古崎敬他共訳『生態学的視覚論』サ
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012
87
一般論文
平成 23 年 12 月 21 日受理
使用者の技術とは何か ― 外界の情報を獲得する力 ―
What is User's Technology ?
● 小松研治/富山大学芸術文化学部、小郷直言/大阪大学大学院経済学研究科、小松裕子/富山大学芸術文化学部
Kenji Komatsu/ The Faculty of Art and Design, University of Toyama, Naokoto Kogo / Graduate School of Economics,
Osaka University, Yuko Komatsu / The Faculty of Art and Design, University of Toyama
● Key Words: User, Technology, Environment, Tools, Affordance
要旨
の役割を発揮するようになれば、それは製造者にすぐに
私たちは、台所での料理、リビングでのくつろぎ、車
跳ね返ってきて、作られる製品に反映されるはずであ
庫や倉庫などでの収納、家事室での洗濯やアイロンが
る。しかし、使用者とは何かについての議論はこれまで
け、高齢者の介護など、さまざまな活動を行っている。
真剣に検討されたことは少なかったようである※1。
そしてこれらの活動においては、多くのものや環境の使
技術という言葉は、本来は製造の場面で使われること
用者である。使用者が円滑に要領よく作業をこなす器用
が多い。われわれはそれをあえて使用(者)という場面に
さを「使用者の技術」と呼ぶことには抵抗があるのかも
使ってみてはどうかという提案を行ってみた。この少し
しれない。本稿では、使用者の周りにあるよく配慮され
奇妙な言いまわしで述べたかったことは、使用者が自ら
た道具や環境から、それを設計した製造者の配慮に気づ
の使用行為について少し反省的に見渡したならば、そこ
くこと、不便な製品に対して要望を伝えること、自身の
に多くの不満や満足、腹立たしさや共感が渦巻いている
活動を導く周囲の環境を自身で事前に用意すること等
ことに気づくはずである。それを言葉に明確にすること
は、使用者の技術と呼び共有することができることを主
ができなかったことが理由で、これまでうやむやにされ
張する。特にこの技術は、個人的力量ではなく、外界に
たり、無視されたりしてきた。それを少しでも明確にで
残されたものや環境、痕跡などの情報を探索し、獲得す
きれば、そのことが製造者に届けられるようになるので
る技術である点が重要である。そして使用者の技術は、
はないか。そのためには使うという技能を技術の概念と
製造者の技術と相互に関係を持ちながら、よりよい環境
して記述できるところまで引き上げることがどうしても
や道具の「痕跡からの発想」と呼べるようなデザインに
必要である。特に、技能を人間の内的な能力とは見なさ
貢献できることを述べる。
ず、外にあり、目に見えるもの・技術として捉える視点
が絶対に必要である ※2 。本稿では、数々の例を用い
1.はじめに
て、この視点の変更がもたらす意味と意義について述べ
使用者と製造者との関係はギリシャのプラトンにまで
る。
遡る由緒ある話題である。大量生産、大量消費が当たり
前になった現在、使用者は消費者となり、製造は機械が
2.「使用者の技術」とはどんな技術か
主流となって、製造者の姿は見えにくくなっていった。
「使用者の技術」とは、聞き慣れない、そして少し奇
使用者と製造者を復権させることは時代錯誤と言われそ
妙な言い回しである。技術ではなく技能とすれば、使用
うである。しかし、そんな中あえてこの話題を持ち出す
者がものや道具を操るときの器用さ、巧みさを言い表し
からには、それなりの覚悟があってのことでなければな
ているとともかく理解してもらえるかもしれない。しか
らない。
し、あえて技能ではなく、使用者の技術とした理由は、
もの言わぬ消費者から今、ものを言う消費者が増えて
使用者の器用さ、巧みさを個人的な感想や所有物とはせ
来つつある。機能本位で低価格が求められた製品から、
ず、誰もが他者と共有でき、経験できるものと考えてい
使いやすさや耐久性など、ものが持つ本来の価値を求め
るからである。われわれはこの概念が広く一般的に適用
る人々が多くなってきたことによって、製造者も活気づ
できると考えているが、説明のためには使用者の範囲を
く様相を見せ始めている。しかし、これを成り行き任せ
次のように限定しておくことが便利であろう。
にしていればよいとはいえないだろう。今一度、使用者
使用者は日常的生活で何かものを使用していることと
とは何かを問いかけてみようではないか。使用者が本来
するが、これとてはなはだ漠然としている。ただし、
88
: 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月
サービスを受けている場合のことはとりあえずここで取
る六角ボルトの頭が飛び出したままで止められている場
り上げないことにする。料理を作ったり、食事をした
合は、平スコップを木材の表面に沿って滑らせたときに
り、何かモノを作ったり、読書をしたりすることと限定
六角ボルトの頭と平スコップの先が強くぶつかり不愉快
すればわかりやすいが、これはあまりに具体的すぎて議
な思いをすることになる。作業がスムーズ進まず、必要
論の一般性が見えてこなくなる。
以上に慎重なスコップ扱いが求められ煩わしい仕事と化
使用者とは、「周囲の事物の使用と価値を探し求める
すだろう。写真1のスコップの先に注目していただきた
観察者」と言えなくもない。以前は見えなかった、気づ
い。平スコップと六角ボルトが幾度となくぶつかった痕
かなかったのに今では事物がこのように見えるというの
跡が深く刻み込まれていて、この作業に与えた苦痛の程
は、以前はできなかったが、今では事物にある繊細な情
を窺い知ることができる。
報が識別できようになったからである。そこで次のよう
この体験がきっかけとなり、テラスの使用者は、写真
な言い回しでとりあえず先に進むとしよう。
1のように六角ボルトの頭を一寸だけ材木の中に埋め込
む工夫さえあれば、除雪作業はスムーズに行えることに
“「使用者の技術」とは、自分自身の行動をスムーズ
なることを知るだろう。たぶんこのテラスは使用者自ら
にするために工夫する様々な活動である”と。
が作ったものではあるまい。しかも、注文の際、そこま
で要求しなかった。しかし、雪を除雪することや、六角
このようなことは別段特別なことではなく、道具や材
ボルトの頭につまずいて前のめりになったりすることに
料を使って何かを製作することや、行為の目的を滞りな
思いを巡らせば、テラスの製造者は、使用者からの要求
く達成しようとするときなどの状況でたびたび起こる人
がなくとも適切に施工すべきであった。少なからず使用
間の活動であると言えるだろう。使用者は環境内に利用
者は、たとえ使用状況に問題があっても、それに慣らさ
可能なものとして潜在し、外にあるわれわれを包囲する
れてしまったり、あるいは我慢して使用を続け、本当の
情報を能動的に獲得しようとする。使用者は利用可能な
問題解決を知らず知らずのうちに避けたり、習慣化する
情報を用いるために、能動的に、観る、聴く、触るなど
ことで意識する煩わしさを排除しようとすることになっ
の行為をするに違いない。このことについてリードは次
てしまう。しかし、それでも痕跡は苦痛をそこに写しだ
のように表現している。『環境内の対象と事象は、それ
して、見る度にできの悪い施工主の顔を思い出させるだ
ら自体実在しており、意味を有している。そして動物
けでなく改善を訴え続けるのである。
は、直接的に、それらを知覚し、欲し、知り、それらに
話自体はたわいもない細事であるかもしれないが、使
1)
働き掛けるのである。』
用者が製造者に、写真のように六角ボルトの頭を、一寸
材木の中に埋め込む工夫によって、除雪作業はスムーズ
に行えるようになる旨を伝えれば事態は好転する可能性
が出てくるのである。もしも、このちょっとした工夫が
製造者と使用者の間で共有されることがなければ、両者
の接点は全く閉ざされてしまうことになる。使用者の技
能とはせず、使用者の技術とした理由は実はここにあ
る。技能であれば、上記のような工夫は、別段取りたて
られることもなく使用者あるいは製作者の胸にしまい込
まれた思いにとどまってしまうのではないだろうか。技
をこれ見よがしにしない、口に出さなくてもわかってく
れればそれでいい、出しゃばらない、縁の下の力持ちな
ど、技能に対する慎ましさに対する敬意は確かに美徳で
(写真1) 木製テラスとスコップ
ある。しかし、それではいい工夫が進化し、さらなる改
良がなされる機会をみすみす失ってしまうことになりは
しないだろうか。
我々は使用者の技術ということで使用者と製造者の距
例を挙げて、説明してみよう。
離を近づけることになり、工夫を両者で明示化する機会
上記の写真1は、雪国にある玄関先の木製のテラスで
となりはしないかと考えている。
ある。冬期の間、雪が積もればアルミの平スコップで除
上の例で、使用者が自らの提案で先の工夫を思いつ
雪する必要がある。そのようなとき、木材を固定してい
き、それを製造者に要望することがあれば、注文を受け
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012
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た製造者はたとえ「そんなことは当然のことである」と
能で感受されなければならない。使用者と製造者は理解
わかっていた場合でも、両者の距離は狭まり、これまで
し合えるのである。そのためには価値が外在化している
にない新たな発想につながるチャンスとなるかもしれな
ことが必要である。しかし、一般に価値は内在的に捉え
いのである。例えば表面にはボルトやナットの孔さえ見
られている。このような点からも、価値(意味)の外在
えない施工が提案されるかもしれない。仕事がわかって
性は、われわれの議論の前提とならなければならない。
くれるお客さんは、手強く何かとうるさがられるかもし
リードによれば『アフォーダンスは、たとえ観察者が
れないが、製造者の技術と工夫のしがいは確実に上がる
その存在を意識していなくても行為に理由と動機を与え
といえる。なによりも、よい製品をつくることに配慮が
ている。それは外的であり客観的である。…一般的に、
払われることになるのではないだろうか。本稿では詳し
理由や動機を与えるものは、外界にある対象物、出来
く述べないが、大量生産品の氾濫する現代の消費社会に
事、場所、人々に備わっており、観察者がそうした外的
あっても、入念に作られたよい製品は一部の消費者―使
事物の関連特性に特殊な情報をピックアップするまでは
用者と呼びたいところであるが―に理解され絶大な支持
理由や動機などはない。』4)
を得ているものが多くある。例えば、手作りパンや時計
人によりある行為がなされたとき、その行為はある特
職人が作った機械式時計、生産者の見える野菜や果物。
定の動機ないし性向からなされたと説明されることがあ
こんなところには必ず使用者の技術を発揮する人たちが
る。しかし、特定の動機が出来事のあたかも原因として
いると確信している。
表現することはできない。
こうしたことから、反対に使用者の技術とは呼べない
原因を人間の内部に追い求めるのに対して、『ある行
ものは、使用状況にたとえ問題があっても、それに慣ら
為が現実に行われたその時間とその場所においてその行
されてしまったり、あるいは我慢して使い続け、本当の
為に先行する何ものかが行為者にその行為を遂行させた
問題解決を知らず知らずのうちに先送りしたり、習慣化
り遂行する機会を与えたりするのである。』 5)行為者
することで意識する煩わしさを排除しようとすることで
の行為をそうし向けたものは何か、という視点から問う
あるかもしれない。しかし、これを単に非難するのでは
べきなのである。
なく、道具や環境に多くを求めず、たとえその道具や環
次の3.1節で、外界にある対象物に備わっていた情
境に苦労を強いられたとしても、あるものをありがたく
報をピックアップすることで改善につなげていった例を
使い、不便と感じながらも工夫で受け入れる…そんな姿
見てみることにする。
も使用者の技術として掬い上げるべきではないかと考え
ている。もしも、こうした現場に出会ったときには、次
3.1 使用者自身がする工夫
のように言ってあげようではないか。『使い方がわから
なかったり、すらすらと使えない道具は、あなたが悪い
のではなく、悪いのはデザインの方だ』と2)。
3.行為の理由と動機
製造者は作成した物によって、使用者をある程度制御
できる。物の機能や意味、さらにはその価値が使用者に
理解されると思っているはずである。『もしそれぞれの
機会において他人や自分自身に何事かを行わせる方法を
知らなかったならば、…われわれは自分の望むことを他
人に行わせることはできないだろう』3)。
しかし、そのためには「物の意味や価値」は、人それ
ぞれの解釈でどうにでもなると考えるわけにはいかな
(写真2) 給湯室 モップの柄を利用したタオルかけ
い。特定の時に特定の仕方で行為するようにわれわれを
仕向ける物(出来事)はいかなる種類のものかというこ
とをわれわれはすでに知っているのである。その物や出
上の写真2は、ある大学のどこにでもありそうな給湯
来事は公知の物や出来事でなければならない。個々人の
室の様子である。この状態で5年以上が経過し、もはや
勝手な動機や欲求に行為の原因を帰することはできな
誰も気にとめなくなっている。このタオルを掛けてある
い。
棒は、実は壊れたモップの柄を使っている。清掃業者の
物や出来事が持っている情報は、すべての人に検知可
女性職員らが、掃除をした後のタオルを掛けるところが
90
: 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月
なく不自由していたのではないかと思われる。ただしど
固着(functional fixedness)と呼ばれるような、対象の
れぐらいの期間そう思っていたかはわからないが。折し
習慣的な機能に固着した見方をしてしまうことによっ
も、ちょうど壊れてしまったモップの柄を利用して、一
て,その対象の持つ潜在的な使用方法を用いることがで
方は壁に、一方は壁の淵にある突起に突っ張った状態で
きなくなる』 7)ことが知られているが、このケースで
固定し、それにタオルを掛けた様子がこの写真である。
はこれもみごとに解決したので、清掃業者の女性職員ら
清掃業者の女性職員らが、このモップの柄を手にして、
がたぶん驚喜したことだろうと推測されるわけである。
このような状態に突っ張らせた時の喜びや、はっとする
しかし、こうした洞察による説明は、脳でなされる神秘
思いはいかほどであったであろうか。モップの柄がタオ
的な処理を想定しているようで果たして説明として有効
ルを掛けるのに便利な出っ張った桟になること、しかも
なのであろうか。
棒の長さが壁の縁のとっかかりと対面の壁との長さとし
他方J.J.ギブソンによる説明では、『棒の利用可能性を
ても「満足がいく」ことを実際に試してみた清掃業者の
示す情報は、包囲光の中ある。脳における再体制化を仮
女性職員らの勇気にあっぱれと言ってあげたい。偶然と
定する必要などない。事実の知覚だけで充分である』8)
はいえ、壁と棒との隙間が、入口から奥に向かって広く
ことになる。モップの棒の長さと、壁と柱の出っ張りの
なっている点も見ようによってはとても理にかなってい
距離、タオルを掛ける壁側との隙間の具合がそこに見い
る。専門の業者では決して思いつけない結果になってい
だされたのであって、頭の中で統合されるのではない。
る。タオル掛けを施設管理者に要望する前にちゃっかり
そして実際に試みてみた、ということではないのか。
と問題解決してしまった清掃業者の女性職員たちの機転
『重要なのは、これら意味は過去の操作の記憶或いは、
は、使用者の技術として登録しておく価値が十分にある
獲得された操作の運動傾向から成るのではない、という
と思われる。
ことである。棒を持ち挙げるとか、棒を遠くに届かせる
あり合わせ、場当たり的、美観としても難あり、とこ
という行為は、対象に関する何らかの事実を明らかにす
の様子を見た人はあとでいろいろと難癖をつけるかもし
る。対象に関する事実を、行為が作り出すのではない』
れない。しかし、ここにタオル掛けがあったらいいのに
8)
という使用者のニーズをものの見事に解決する手腕は、
使用者の工夫を洞察によるとか問題解決によるとか、
ある意味誰もが持っているだろうが、実行に移せるとは
人間の創造性によるとするのは確かに魅力的ではある
限らないようである。
が、その神秘性が探求を押し止めやすくする。一方、ギ
では、なぜ清掃業者の女性職員らにできたのか。こ
ブソンによる説明では、モップの棒が清掃婦にアフォー
うした質問をした途端、その理由探しが思わぬ方向に
ド(提供)した、雑巾をつり下げられるという刺激情報
行ってしまいかねない。一番よくあるのは、清掃業者
は、清掃業者の女性職員らがそれを知覚し損なったとし
の女性職員らの「洞察力」「創造力」「ひらめき」など
ても、そこになお情報として存在し続けるのである。こ
の個人的「力量」にその答えを求めてしまう傾向であ
の存在としての情報は、チャンスがあれば誰にでも見い
る。そして、現場の状況からますます離れたところに
だせる情報として活用できる潜在性を持っている。この
ある、脳や心にその答えを見つけ出そうとする。
ことで、工夫が技術に、さらにはデザインに転化できる
一方、我々はモップの柄で作ったタオル掛けは、この
可能性を秘めているのである。まさに使用者の技術への
場所にあったいくつかの情報をうまく獲得できたから可
生命線となるのである。これにより情報が洞察や生産的
能になったと考える。給湯室の近くにタオルを干すとこ
思考のように脳内で処理されなくても、使用者の工夫、
ろが必要であるという要求が、使用者としてなにができ
即ち使用者の技術を貶めることにはならないのである。
、ということである。
るのか、何が道具として用意できるのかという探索へと
向かわせたのだと思うからである。探す方向は、内向き
3.2 使用者が避けてはならないリアリティー
ではなく、外界に向けられなければならないからであ
ある木工の家具製作の授業でのことである。スツール
る。
を作るというテーマでアイデアを出すようにと課題を出
まず、内向きの説明を聞いてみるとしてみよう。
すと、音が鳴るスツールはいかがとか、座面に一本の棒
「モップの棒を利用したタオル掛け」は、ゲシュタル
が長く突き出しているとそれを持って動かしやすいと
ト心理学で言う生産的思考(productive thinking)に類
か、突拍子もないアイデアが出てきて、課題を出した側
似している。『生産的思考は新たな関係性に気付くこと
が戸惑うことがある。学生の創造性に訴える授業などで
であり、この生産的思考は人間の創造性に深く関与して
よく起こる現象であるが、使用者の技術ではこのような
6)
、これを洞察(問題解決)という
状況を全く想定していない。もっと、日常的な場面で、
言葉で表現している。さらに、Dunckerによる『機能的
生きることに直接影響を及ぼす資源を担っている個々の
いると考えられ』
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012
91
対象、場所、事象での使用者を想定することを求めてい
使用者と製造者は以上の観点から、共同体の協力し合
る。
えるメンバーである。直接ではなくとも、媒介者を通じ
例えば、玄関で靴を履くときに苦労する年老いた両親
てであっても、「使用」という根本で強く結びつけられ
の姿や、台所のシンクが高くなって踏み台を用意して洗
ている。技術という言葉によって、お互いの胸の内での
い物をする年老いた主婦、高い棚にある家事道具を取り
結びつきに甘んじることなく、広く社会に公開され、誰
出すために椅子をもってきてそれに乗ろうとする母親、
もがわかり合える知識として共有されなければならいこ
電球を取り換える時にソファーを移動してそれに乗り、
とが、「使用者の技術」という言葉に込められている。
作業する父親など、日常生活を少し見渡せばスツールを
必要とする場面はいくらでもあるはずである。学生たち
4.使用者はやっかいものか
は、そこにどうして目を向けられないのであろうか。そ
使用者の技術を今なぜ声高に主張しなければならない
うした現場に目を配れば、必ずスツールを必要とするリ
のか。現代社会で使用者は、リードの表現を借りれば、
アルさに出くわしたことに気づき、スツールを作る必要
『育てられ成長すべき生き物ではなく、形づくられた場
性が手に取るように現実のものとなるはずである。
所にはめ込まなくてはならないシステムの部品と見なさ
アイデアは頭で考えることで生み出されるという長年
れている』
の教えが、現場に出ることを躊躇させ、遠ざけてきた。
我々のよくある実体験から説明してみよう。一つは、
給湯室の例でもみたように、何かを必要としながら別の
街で行われる木工教室、もう一つはどこでも人気のある
何かで代用せざるを得ないようなリアルな実態が、使用
そば打ち教室である。どちらも、2から3時間で楽しめ
者の生活のなかに充満している。そして言葉にはしない
る一過性の催し物である。主催者側はそれなりに熱心で
が、きれいで、安全で、運びやすく、いつでも使えて、
はあるが、何よりもその目標は、コミュニティ活動が主
決して邪魔になったり、つまずいたりしないスツールを
で、作る体験は付け足しなのである。しかし、参加する
作ってほしいと訴えている。そのことにまず目を向けて
人は、「作る」体験ができそうだと応募するケースも
みようと、指導者は学生を指導する必要があるのではな
多々あろうが、作る方の体験は大半がこけおどし程度に
いだろうか。
おわり、最初の思いとはかけ離れた印象で終わってしま
使用者が求めるものは、奇抜さや意表をついた驚きで
う。その理由には、もっともなところもあり一概に主催
はない。伝統に裏打ちされ、長年の使用に耐えて使い続
者側を非難することは的外れでもある。なぜなら、この
けられた一品である。伝統とは単なる骨董的な価値を意
ような短時間で作るまねごとをしたからといって何かに
味していない。現在もその使用状況で鍛え上げられ、
役立つとは到底思えない。とくに主催者側が本当のプロ
日々改良の可能性を孕みながらも、使用者に使いづけら
であればあるほどそのように思うはずである。参加者は
れている品である。そんなモノは、たぶん日々の生活に
帰るときに一応の結果が出ていれば、十分に満足してく
密着し、多大な信頼がおかれているからに違いない。生
れるであろう。これが常識的な考えでもあろう。そのた
きている現実の生活からかけ離れることなく、具体的で
めには、参加者にしてもらう作業は「しくじりようがな
平静な日々の中で必要とされるモノに向けられた使用者
いスキーム」が用意されることが大切である。その結
の切実な眼差しに、製造者の技術は答えなければならな
果、やることの選択肢の幅はひどく狭められて提供され
い。
なくてはならない。時間的な制約も含めて、危険を認識
生活に欠かせない木製の椅子や机、ベッドや本棚、陶
させ、間違いから学ぶなどという学習の基本はここでは
器、雰囲気を大きく左右する織物などが作り出す快適性
考慮されるはずもない。
について、繊細な観察眼をもって、使用者の技術を発見
ものづくりを真剣に教えたいという思いがあれば、か
しなければならない。ここまでくれば製造者は同時に使
ような企画は最初から取られはしないだろうが、たとえ
用者でもなければならないことが自ずと判明するはずで
あったとしても状況は似たり寄ったりかもしれないので
ある。であるからこそ、製作の動機には、伝統と日常の
ある。社会の中に、使用者を『育てられ成長すべき生き
生活とモノに対する信頼が欠かせないのである。伝統に
物ではなく、形づくられた場所にはめ込まなくてはなら
つながり、生活全般に拘った製作は、自ずとその作品に
ないシステムの部品と見なされている』限りは。こうし
信頼性を要求する。信頼性とは、技術がしっかりしてい
た現状を打破するために、『真の経験、生き生きとした
9)
といえるかもしれない。
ること、使いやすいこと、製作意図が誰から見ても明確
経験、危険で人を脅かすような経験を探し求めるだけの
であり、モノを介した共感が得られることである。使用
勇気をわれわれは個人として再生しうるだろうか。』10)
者の技術はこれらすべてに通じる情報の発生源なのであ
われわれは試行錯誤やその他の面倒な手続きによって
る。
徐々に世界について学んでいくというのに、本当に日常
92
: 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月
経験や消費は取るに足らぬものなのか。結果的には、使
用者が学んでいくことが製造者に新たな課題を突きつけ
ることになる。これはチャンスと見るべきではないか。
使用者の使用過程では、達成や結果に至る「過程」に対
して、もっとたくさんの配慮と考慮がなされてしかるべ
きである。もしも、この過程に目を向ければ、作る環境
や使う環境がとても大切であることがわかる。製造者
は、使用者の使用環境をすべて把握することはできない
のだから、第三者による製品に関する評価や解釈より
も、使用環境にもっと目をやるべきであろう。
使用者と出会うために最近ではいろいろな取り組みが
なされている。顧客の商品に対する評価や意見(要望)
を集めて分析することはマーケティングとして重要な活
(写真3) 21_21 DESIGN SIGHT前 芝生につけられた跡
動となっている。従業員が思い通りに顧客と交流できる
ようにする、アンテナショップで情報を集める、ネット
次のような説明は納得いくであろうか。
を利用した消費者との交流など、さまざまな試みがなさ
芝生についた一条の足跡は、人がそこを踏んで歩いた
れている。
がためにつけられたはずである。であれば、なぜ多くの
だが、使用者の技術でいうところの使用者と製造者と
人がそのような行動を取ったのかを人間の心理から説明
の出会いとは、使用者と製造者双方が「成長と熟考のた
してみればどうであろうか。急いでいるから近道をした
めのあらゆる機会」を指している。両者は切磋琢磨し合
いという欲求を持った人が、そこを通りかかれば、たと
う関係でなければならない。
え少し悪いとは思いつつもつい芝生のほうに行き先を変
使用者の技術で枢要な点は、『この次にあなたが何か
えてしまうのではないだろうか。これがまだきれいな芝
よく知らないものを手に取ったとき、初めてなのにすら
生であるときの最初の人間行動を説明する。こういう人
すらと苦労なく使えたとしたら、ちょっと立ち止まって
が一定の人数以上になれば、芝生は次第に禿げた状態に
それをよく調べてほしい。その使いやすさは偶然の産物
変化していくであろう。この時点で、この場所を通過す
ではないのだ。誰かがそれを注意深く上手にデザインし
る人は、既にそこを人が通っているという安心感が持て
11)
というD.A.ノーマンの文章にうま
るようになれるかもしれない。そして通ってもよいとい
く言い表されている。ただし、製造者も使用者以上に、
う印をそこに見て取るかもしれない。通行者は道を強化
ものに問いかけ、うまくいくように設計してくれた誰か
された刺激として受け取ることになるだろう。
の存在を意識することを日々感じ取って仕事をしている
こうした2点間の最短距離を見つけた人々によって踏
はずである。
みならされてできた道、あるいは最少の抵抗のコースに
ているのである』
関しては、1950年代から「Desire Line」あるいは
5.事例(外界の情報の獲得)
「Desire Path」と呼ばれ、実証研究がおこなわれてい
写真3は、東京ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHT
る。そして歩行者が本当に歩きたいと欲求する道路設計
という美術館前の風景である。美術館を出て、写真の左
に利用したり、近年ではウェブサイト上の最短目線誘導
側方向には駅がある。美術館を出た人は、コンクリート
の設計などにも応用されている。この説は、芝生に道が
の上を歩いていたが、そのコンクリートは直角に曲がっ
つけられるまでの一連の経過、つまり最初の一人から今
ていて、この形が駅に向かって急いでいるときにはやや
日そこを歩く人までをうまく説明できているように思わ
遠回りな印象を与えている。
れる。原因とその理由をこれ以外に説明することは可能
美しくデザインされた芝生とコンクリートのコントラ
であろうか。この道の設計は、「Desire Line」説の前
ストであるが、無残にも芝生の一角が踏みつけられて禿
提とするような人間の心理を読み間違ったのか、はじめ
げた状態になっている。コンクリートの道を鋭角に曲が
から考慮することをしなかったということでたぶん非難
ればいいところを、ちょっとした近道を求めて足は無情
されることになるだろう。よって、設計者やデザイナー
にも芝生の一角を踏みつける。これは誰のせいであろ
には人間に関する心理学の素養が求められる。またこの
う。心ない歩行者に非を求めたい気持ちに傾きそうであ
説では初期の頃の心理(欲求)は仮説的な言説にとどま
るが、この広場をデザインした人に果たして問題はない
る。しかも、実際にはこの芝生を横切る現象に誰かが気
のだろうか。
づいた後に、後付け的に考え出された説明の観を免れな
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012
93
い。
理な方向転換を強いられてしまいそうだ」という情報を
この説に対して、我々の提案は、以下のように逆方向
発見したことが、行動の方向づけに影響したと考えられ
からの視点になる。
るわけである。道行く人の中にスムーズな方向転換を選
まず、芝生についた一条の足跡が実在しているとしよ
ばせるカーブを取らせる原因はここにあったとは言えな
う。誰もがそれを発見するであろうと想定してみよう。
いだろうか。これしきのショートカットがどれほどの時
芝生についた一条の足跡は、そこを人が通っていった証
間短縮になるのだと言われるかもしれないが、雨の日、
しであることが一目瞭然である。利用者により道として
寒い冬のことを考えないのは手落ちではないだろうか。
利用されることで、さらに道らしくなっていく。禿げた
近道をしたいという欲求は確かに魅力的な説明力を
通路が利用者を誘う(アフォードする)。この視点で
持ってはいるが、人を動かす決定的な要因として動機に
は、人の心理からの説明を全く必要としていない。そこ
よる原因説明であるために、われわれは受け入れること
に道があることに気づけばよい。大事なのは道としての
ができない。なぜならば、デザイナーに近道欲求を満た
情報(意味)が芝生に見つけ出されるかどうかである。こ
す道を作るように促すことしかできないからである。
の視点は後付けによる説明でもないし、心理的な動機探
我々が提案する視点では、心理的要因に頼らず、外的
しも必要ではない点は、前説よりも有望でありそうであ
環境に実在するアフォーダンスに注目している。初期の
る。
頃には、そのアフォーダンスが道のデザインと芝生のコ
すでに歩き始めている歩行者は、眼の前に広がる風景
ントラストに見いだされる。そして時間が経つうちに、
(写真3)に道を確認しながら前に進んでいる。そこに
禿げた道筋がより誘因力のあるアフォーダンスとなる。
90度でターンを求められる道筋が眼に入ってくるが、
写真3から言えることは、道路設計に見られる設計者の
ちょうどその90度の角あたりの内側の芝面を見ると、
意図どおりに使用者の行動は誘発されなかったといえ
花が植っているわけでもなさそうで、歩いても何ら問題
る。うまく道路沿いに歩かせることに成功しなかった結
がないという情報を放っている。そこで、出来たばかり
果が、芝生についた道跡なのである。
で悪いと思い、遠慮しつつも芝の角をショートカットし
第3者である別のデザイナーがこの道跡を発見したと
た…。人が90度の急激なターンを避けて、滑らかな
き、最初になされた設計の悪いところをこの痕跡が知ら
カーブに沿って歩いて行ったであろう「道」を発見し
しめてくれることになるのである。
て、自らも無理を強いられるのを未然に避ける方を選択
以上の点から、使用者に受け入れられるデザイン作り
することになった。これが顛末ではないかと想像する。
に我々の視点は有効である。使用者の反応をダイレクト
ここで最初にその芝生を横断した人というときの「最
に知ることができるのであるから。これを「痕跡からの
初」に注目してみよう。写真3のような芝生と道が誰か
発想」と称することにしよう。もっとも、我々の視点は
によって設計された人工物であることをまず確認してお
新規デザインよりも、既存のデザインの改善により有効
く必要がある。この場合誰も立ち入ったことのない原野
であることは確かである。
に道ができるというような状況ではない。このことは重
要である。道は既に設計者によってあらかじめ通るとこ
大都市の通勤のための車両は、座席のデザインに工夫
ろを規制(強制)されている。こうした状態に道使用者
を凝らし、行儀よく座ることをアフォードしている。新
は知らないとはいえ直面していると考えなければならな
聞の見出しには、「乗客がマナー良く座れるよう工夫し
い。その上で彼の取る道を通るという行為を考えてみる
た新型シート」とある。写真4は、東京の地下鉄大江戸
必要がある。
線の座席である。一人分ずつに、くぼみが付けられてい
彼はまさに真新しい道具を使うときのような使用者と
て、そのことがマナーを守ることにつながっているよう
同じ状況に直面している。あてがわれた道に従順に従っ
である。写真4の左側の乗客は、空席の方にはみ出して
て歩くか、それをよしとせず、道らしい道を自ら選んで
はいけないと思い、鞄をしっかりと膝の上においている
進むかに直面しているのがまさに彼の使用状況である。
様子がうかがえる。ここにもさりげない使用者の技術が
道としての"順当性"をコンクリートの道に見いだすかど
うかがい知ることができる。ここに至るまで、どれほど
うかが問われなければならない。もちろん多くの人が、
の通勤者の不平不満が漏らされたことであろう。こうし
このような真剣な問いかけにそれほど真剣に答えようと
た声が車両製造者にすぐに聞き届けられるようにするこ
しないかもしれない。しかし、少数ではあっても、この
とが使用者の技術を提唱する所以の一つである。
状況を真剣に受けとめてショートカットを選択する人が
現れないと言い切れるであろうか。
結局、コンクリートの張り方、角という形の持つ「無
94
: 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月
(写真4) 東京の地下鉄大江戸線の座席
6.段取りと配慮にみる使用者の技術
6.1 使用者と段取り
段取りとは未来の自分への伝達である。しかし、この
伝達は今の自分と将来の自分との対話を意味しているわ
けではない。時間的に将来そこにいるであろう自分の場
所の「そこで必要な情報の準備」をしているのである。
有効な情報は、ものの形で提供されることがほとんどで
(写真5) 木工作業場の環境(ボール盤とドリルの替刃)
ある。この情報が明確であり、モノの形であれば、段取
大きなライトは天井の照明では充分ではないので、機
りは他人のためにも、あるいは他人と自分両者のために
械とは別に取り付けてある。しかし作業の周囲近くにあ
もなる。
るため、電球の破損が生じないようにカバーを掛けてあ
明日友人と会う約束がある。しばらく話し合ったあ
る。危険を見越した事前の安全策といえる。
と、丁度いい頃、コーヒーが出てきたらいいな…そのた
グレーのボール盤を乗せている緑色の装置はテーブル
めに準備しておくことは何か。
昇降台である。これは本体のボール盤とは別に設計した
話が一段落したら、気分転換が必要だ、一緒にどこか
特注品である。厚い材料や幅の広い材料を立てて、材料
へ外出しようか…そのために準備しておくことは何か。
の側面に穴を開ける必要があるときなどに、テーブルを
段取りとはこんな風にも考えられないであろうか。使
低く下げることができる。円形の台は、フライス盤で、
用者がする様々な作業も同じではないのか。ただし、「未
固定した材料を、前後左右に水平移動させることができ
来の自分」は、そのとき「使用者の技術」を発揮する。
る。セットしたドリルの刃先に、材料につけた印がぴっ
今の自分の段取り通りには動いてくれないかもしれな
たりと来るように移動させたいときに便利である。写真
い。他人のためにした段取りも同様である。どの外的情報
のフライス盤は、横方向に移動させるためのハンドル
を見誤ったのか。しかし、これもまた楽しいのである。
が、左側につけかえてある。もともと市販されている機
写真5は、木工作業場での使用者のために事前に準備
械は右についていた。その理由は、もとの機械のままで
された環境の一例である。
は右手でドリルの刃を降ろすためのハンドルを握って、
まず目につくのは、使用するドリルが整然と並べられ
さらに右手でフライス盤のハンドルを右手で操作するこ
ている棚である。工作に使用するドリルには様々な径や
とになってしまうので、実質的に作業できない。そこ
サイズが数多くあり、必要なものがすぐに見つけ出され
で、右についていたハンドルを、左に付け替えた。こう
なければならない。この棚はこのために設計されたもの
することによって、左手でハンドル操作しながら材料の
である。ボール盤からそう遠くないところにあり、使用
位置をスライドさせ、右手でドリルの刃先を材料近くま
後にはもとあった場所に確実に返却されるようにしてお
で移動させて、正確な位置に刃先を合わせる操作が出来
かなければならない。でなければ共同の作業場での工具
るようになった。もちろん使用者は、誰かが作業をス
や部品はすぐに散乱して必要なものを探す手間が余分に
ムーズに行えるよう事前に準備したことは知らないかも
かかることになる。
しれない。
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012
95
6.2 配慮も「使用者の技術」のうち
声が何らかのメッセージとなって使用者に届けられるよ
オフィスでの人の活動は「使用者の技術」で溢れてい
うなイメージを持たれないように注意してきたつもりで
る。不満や歓喜、工夫や遊びに満ちている。手近で頻繁
ある。使用者と製品やサービスも含めなければならない
に使っているものは、工夫され、試され、酷使され、支
が直接的な関係にある状況を第一義的に取り扱ってき
持され、拒否され、捨てられ、忘れ去られてしまう対象
た。しかし、現実社会では、使用者と製品やサービスと
であり、物たちの過酷な戦場である。そんななかで、ア
の関係が間接的である場合や、間に媒介者(物)が介在
メリカの3M社が開発したポストイットはオフィスや書
している場合も多いのが現状である。
斎で大活躍である。大きな支持を得た隠れたヒット商品
今までの議論では、あえて使用者と製造者の間にいる
と呼んでもよいかもしれない。特殊な糊の開発秘話は有
媒介者について避けてきたところがある。使用者と製造
※3
名ではあるが、ここでの関心は別のところにある
。
者の間は近いようでいて、遠いのが現実である。最近で
しおり、記憶場所、ちょっとしたメモ帳、目印、繰り
は、使用者からの意見を直接聞く相談窓口を設け、イン
返しあるページをめくる手がかり、重要箇所、チェック
ターネットで様々な消費者サービスを行っている。しか
する場所、他者との連絡、指示や案内情報、ブレーンス
し、ここで言っているのは使用者と製造者との直接、間
トーミングの重要な道具などなど。工夫や必要により使
接の関係であって、窓口担当者とのやりとりではない。
い道はさらに拡がる。使用者の要望に応え続けられるポ
もう一点忘れてはならないのが使用者の周りにいる人々
ストイットはオフィスの優等生である。しかし、これだ
である。一緒に働いている仲間であり、指導者である。
け多くの使い道を考え出せる人間の使用者もすごい。
彼らもここでは媒介者と呼んでおこう。コンサルタント
大量に送り届けられるオフィスへの新製品のなかで、
や製品アドバイザーは製造者側に立ったとき見えてくる
「使用者の技術」にかなうモノがどれだけ生き残れるの
媒介者である。
だろうか。生産者側から見ればこの状況は戦々恐々であ
使用者は製品やものやサービスの中身についての専門
るが、オフィスワーカーは使用者としての役割を半ば楽
家(プロ)ではない。使用に徹すればいいのである。媒
しみながら行っているのではないだろうか。できのよい
介者は製品やサービスについて使用者より一般的には詳
製品には製造者の配慮を必ず感じるはずである。そうし
しい技術的、専門的な知識を持っていることが多い。と
たモノが支持を得て進化していく。
くにそれが製品やサービス側の提供者である場合には。
もう一つ、別の事例を挙げよう。オフィスでは書類や
一方、指導者や職場や学校での先輩は同じく使用者が関
郵便物の送付、開封作業がつきものである。送り届けら
わる製品やものについてより詳しい取り扱いや技術的、
れた封筒には、封の折かえし部分がセロテープやガム
専門的な知識を持っているのが普通である。協同的な作
テープで貼り付けられているものが多い。爪を立て、
業環境では、使用者も長い年月が経つうちに媒介者に成
テープの一端を指で引っ張り上げる作業は不快である。
長する製造者の働く環境ではこうしたことがもっとシス
しかし、そんな中に、テープやガムテープの端が少し折
テマチックに行われてきたはずである。
り返してあり、その折り返し部分がテープを剥がすため
こうした状況において、使用者と媒介者との良好な関
の糊代のようにつまみになっているものを見かけること
係を築くために必要なことを列挙してみよう。
がある。封筒を送った側の配慮が感じられ気持ちのよい
ものである。これなども日頃から封筒を使用している人
たちの使用者の技術として明記されなければならないだ
1)即断即決を求める使用者に媒介者は適切なアドバ
イス、情報を提示できること。
ろう。さらに言えば、こうした状況を文具の製造側が気
媒介者の主な任務は「物にこめられた意味を媒介
づいたならば、使用者の手間を少しでも軽減するような
する」ことである。使用者は行為、行動する人であ
工夫があってもよいのではないか。テープを製造する文
り、媒介者のような知識を求めているわけではな
房具の会社は、なぜ折り返しのできるテープカッターを
作らないのであろうか。ポストイットと比較するにつ
れ、考えさせられる事柄である。
い。
2)知識の量、深さは「使用者の技術」と直接関係し
ているわけではない。
媒介者は知識の量、深さをもとめるが、使用者が
求めるのは「利用のしやすさ」である。
7.媒介者の役割
これまで使用者に軸足を置いて数々の例を挙げて述べ
てきた理由は、製造者から届けられる製品やサービス
3)使用者が何を求めているかは、媒介者にとって常
に不確定である。
は、使用者から新たに見られ、試され、使用されるとい
使用者にとっては「使用の環境」こそが大切であ
う視点の変更を強調するためであった。とくに製造者の
り、媒介者はすべての使用環境を把握しているわけ
96
: 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月
ではない。
4)使用者、媒介者とも「よき商品への進化」に貢献
できる。
製造者だけではモノはよくならないかもしれな
い。
く行動することは、身体の外部まで拡張した活動なので
ある。「使用者の技術」とは、突き詰めれば製造者の技
術でもある。
「いつも」いい家具を生産し続けている家具屋や家具
職人。「いつまでも」愛され続ける機械式時計を作る時
5)優秀な製造者は必ずしもよき伝達者ではないか
計職人。「いつも」いい道具を提供し続けているメー
ら、使用者にとって教育的媒介者の存在理由があ
カーや道具屋。「いつも」という修飾語は、使用者たち
る。
が製造者側の思いとは別に、自らの使用経験から次第に
職場や教育のような場所では、教育に特化した媒
介者(コーチ)が求められる。
6)使用者は未来の製造者であるかもしれない。そし
付けた「製造者への」勲章であろう。この声を聞かない
手はないはずである。この声は技術として公的で明確な
ものでなければならない。本稿がこうした方向への一里
て媒介者となるかもしれない。技能の伝達はこうし
塚として役立てばと考えている。
た理解から行われなければならない。
もちろん反対のケースがあることもまた現実である。
製造者、媒介者は言うまでもなく、優秀な使用者
でなければならない。
いつもうまくできない、腹立たしい思いをするこの道
具、ボタンの種類が多すぎてどこを押せばいいのかわか
7)媒介者はモノでも代替できる。
らない。間隔が狭くていつも隣のキーに触れてしまう。
作業環境の可視化や、模型やジグの明示化は媒介
今まで右手で操作していたものが今度は左になる。ファ
者としての役割を十二分に果たせる。これらは媒介
スナーを挙げようとするといつも周りの生地を咬んでし
者の分身である。
まう。言い出したら切りがないほどわれわれの周りには
8)媒介者はインタラクティブ性を持つのがよい。
不満の種も数多い。
質問に答え、その答えに対してさらに質問が膨ら
「使用者の技術」とは、あるだけで満足するといった
んでいく相互作用を大切にすべきである。しかし、
受身な姿勢ではなく、さらなる改善につなげる発言を
単なるマニュアルや本では得られない展開がある。
し、行動する技術である。そして、重要な点は、道具を
9)製造者は、学習者に向けて仕事をしているわけで
使用した際に、良くできた道具だと感心したとき、それ
はない。徹頭徹尾、相手は使用者である。技能の伝
を作った人の工夫や配慮に対してお陰を感じ、その理由
達は決して主目的とはならない。だからこそ媒介者
を注意深く探求することである。反対に、使い方がよく
(モノ)が一部その役割を果すことになる。
わからなかったり、手順が煩雑であったり、使い手の
ニーズを軽視している道具や環境に遭遇した時は、具体
8.おわりに
的な使いにくさや改善希望案を製造者に告げることもま
「使用者の技術」とは、使用者の役割を改めて見直し
た必要なのである。使用者自身が何かを購入したり発注
てみようではないかというわれわれの提案である。「使
したりする場合には、その道の専門家(媒介者)に納得
用者の技術」とは、自分自身の行動をスムーズにするた
いくまで質問することも重要である。
めに、自身で用意する工夫、技術である。反対に、使用
こうした「使用者の技術」は、特別な人の中にだけ備
者の技術とは呼べないものは、活動状況にたとえ問題が
わった特別な才能だとして諦めるのではなく、外界の情
あっても、それに慣れたりあるいは我慢し、また使わな
報に目を配りさえすれば、誰にでも獲得することができ
いことで身体的に対処して、本当の問題解決を避けた
ることなのである。外界にあるものや環境、そして人が
り、習慣によって意識する煩わしさを排除しようとする
つけた痕跡などは、発見されることをいつまでも待って
行為である。
いるからである。
自分の持っている能力をうまく引き出してくれる外的
不平不満を言ってもしょうがないと諦めずに、「いつ
コンディションを選択したり、整備することは、少なく
もいい」、「これを使うと気持ちがいい」といえるよう
とも目的に向かって滞りなく行動するという目的を達成
に世の中を改善していこうではないか。すでに多くの人
する上で考慮されてよいことである。目的に向かって滞
が始めていることではあるが、それに正当性があること
りなく行動する能力とは、必ずしも個人の身体能力では
に少しでもこの論文が貢献できればと願うものである。
なく、この能力を十分に引き出し発揮させる物理的環境
や道具、集団的環境を選択し整備する知的能力や、そう
本研究は、平成22年度科学研究費補助金(課題番
した環境自身が持っている機能や能力までも含まれるよ
号:22300271)の助成を受けて実施した。
うに思われる。こうした意味で、目的に向かって滞りな
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012
97
注釈
7)文献6,p.2より引用。
※1
8)境敦史・曾我重司・小松英海『ギブソン心理学の核
使用者について述べられた文献には、以下のものが
挙げられる。
心』勁草書房,2002. p.146より引用。
プ ラ ト ン ・ 田 中美知太郎訳『ピレボス』岩波 書
9)Reed,E.S., The Necessity of Experience, Yale Univ.
店,1975.
Press,1996(菅野盾樹訳『経験のための戦い』新曜
坂本賢三,「技術の発生と展開」新・岩波講座「哲
社,2010).訳p.95より引用。
学」第8巻『技術 魔術 科学』岩波書店,1986.
10)文献9,訳p.97より引用。
藤沢令夫,『哲学の課題』岩波書店,1989.
11)文献2,訳p.86より引用。
田中美知太郎,「技術」『田中美知太郎全集』第2
12)田中美知太郎,「哲学とその根本問題」『哲学入
巻,筑摩書房,1968.
村田純一,『技術の哲学』岩波書店,2009.
小松研治・小郷直言「使用者の技術」,高岡短期大
※2
田中美知太郎による技能と技術の違いについては
学紀要,第11巻,pp.51-71,1998.
(文献12)を参照のこと。
※3
1970年3Mのシルヴァーは、強力な接着剤を作ろ
うとしたが、超弱力(くっつくけど、簡単に剥がせ
てしまう)接着剤を開発した。しかし、その接着剤
が何に使えるか、だれも思いつかなかった。4年後
のある日曜日のこと、3Mの研究者アーサー・フラ
イは、教会の聖歌隊で賛美歌のページにしおりをは
さんでいたが、すぐに本から落ちてしまった。それ
で、シルヴァーの接着剤を思い出し、自分のしおり
にそれを塗ってみた。『やった!その弱い接着剤
は、しおりをぴたっと固定し、なおかつ本のページ
を傷つけずにはがせるのだ。』1970年から10年
目、3Mはポストイットを全国発売した。(C.
F.ジョーンズ,左京久代訳『間違いを活かす発想法 』
晶文社,1997.を参照)
引用・参考文献
1)ギブソン.J.J,著,エドワード・リード&レベッカ・
ジョーンズ編,境敦史・河野哲也訳『直接知覚論の
根拠』勁草書房,2004. 訳p.269より引用。
2)Norman, D.A.,Psychology of Everyday Things. Basic
Books, New York,1988(野島久雄訳『誰のための
デザインか?』新曜社,1990).
3)Ryle,G.,The Concept of Mind,The Univ. of Chicago
Press,1949(坂本百大ほか共訳『心の概念』みす
ず書房,1987). 訳p.157より引用。
4)Reed,E.S., James J.Gibson and The Psychology of
Perception, Yale Univercity Press,1988(柴田崇・
高橋綾訳『伝記ジェームズ・ギブソン : 知覚理論の
革命』勁草書房,2006)訳p.417より引用。
5)文献3,訳p.157より引用。
6)三輪和久,寺井仁,「洞察問題解決の性質」,人工知能
学会論文誌,Vol.12,No.1a,1997. p.2より引用。
98
: 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月
門』講談社学術文庫,1976.
一般論文
平成 24 年 11 月 9 日受理
痕跡学序説 ―痕跡を読み、痕跡に語らせる―
Introduction to Traceology - What the traces tell us -
● 小松研治/富山大学芸術文化学部、小郷直言/大阪大学大学院経済学研究科、林良平 /大阪大学大学院経済学研究科
KOMATSU Kenji / The Faculty of Art and Design, University of Toyama, KOGO Naokoto / Graduate School of
Economics, Osaka University ,HAYASHI Ryohei / Graduate School of Economics, Osaka University
● key Words : Skill, Trace, Traceology, Work environment, Design, Tools
要旨
理由を探ろうとする試みである。このアプローチは突き詰
われわれの身の回りには、傷や手垢の堆積、道具の摩
めれば、痕跡から「こころ」まで読み解こうとする大胆な
耗、そして散乱した書類等の痕跡がさまざまな場所に残さ
ものかもしれない。痕跡とは、過日に何かがあったことを
れている。痕跡自体は、何らかの力のかかり具合や勢い、
示す跡であるが、その多くは意図されずに残される。いわ
行為の向きなどの情報をたくさん持っている。しかし、発
ば、人の行動から生み出された副産物といえる。ただし、
見した痕跡から、それがそこに残された理由や行為の軌
その副産物から多くの情報を読み取ることができる。
跡の謎を知りたいと思わなければ、これらの痕跡は清掃
痕跡を利用して情報を得ようとする試みは、必ずしも新
や整頓によって人知れず消え去ってしまうだろう。痕跡は、
しいものではない。犯罪捜査や歴史・考古学などの例を
人に気づかれなくともそこにあり続けるが、残された理由
挙げるまでもなく、多くの学問分野で痕跡は貴重な情報源
を知りたい者に対しては、価値ある情報となって立ち現れ、
としての役割を果たしている。
多くを語りかけてくるに違いない。さらに言えば、気づか
を発展させる礎となるし、在るに違いないと思った痕跡が
ないうちに身体が誘導されたり、反対に不備を察知して身
ないことが、新たな発見の手がかりとなることもある。痕
体が躊躇したりする場合にも、そこに残された痕跡には、
跡から必要な情報を得る方法論は、犯罪捜査や歴史・考
幸福感や戸惑いを読み取ることができる。よって、痕跡か
古学などでは卓越した独自の科学的発展を遂げているた
ら人々の環境や道具の改善への手がかりを得ることができ
め、
ここで改めて我々が解説する余地は少ないと思われる。
るかもしれない。また、制作方法や技能を痕跡の形で意
しかし、これらの分野にとって痕跡とは、犯人捜しや考古
図的に語らせれば、人は痕跡から情報を読み、自然な作
学的事実を知るためのものであって、痕跡そのものに関
業過程に導かれていくことになるのではないだろうか。
心があるわけではない。しかも、その痕跡が「繰り返され
* 2 痕跡を見つければ議論
た人間の行為」や「無意識的な行為」を暗示しているこ
とを必ずしも必須事項としているわけではない。我々がこ
1.はじめに
*1
多くの人は幼いころ「人を外見で判断してはいけない」
れから取り組む痕跡学にとっては、この点は大きな関心の
と教わったことがあるのではないだろうか。しかし、教え
的となろう。
に反することはわかっていても、外見で判断することはや
もし人が付けた痕跡が見つかれば、痕跡と人とはお互
められない。体形や容姿、服装に装飾品、そして持ち物
いに切り離せない関係にあるようにみえるであろう。ただ
から、その人に関するたくさんの情報を意図的に、あるい
し、すでにある痕跡が人を誘い、その痕跡をさらに痕跡ら
は意図せずに読み取ってしまう。「人を外見で判断しては
しくするということも十分にありうることである。これを「痕
いけない」という教えの裏にある諭しは、人の内面の大切
跡に誘導される」という表現で言い表すことにしよう。こ
さを強調することにある。道徳であれ、宗教であれ、多く
の場合、痕跡と人、どちらが独立変数で、どちらが従属
の社会文化的常識は、人間の内面を強調する傾向がある。
変数であるか一概には決めかねる。痕跡と人とはお互い
内面、とくに「こころ」が外に立ち現れることへの畏敬を
に影響を与えあっているのだから、両変数はお互いに関
喚起し、社会の安寧を計る思いがあったに違いない。
連し合っているとも考えられる。
ところで、今から取り組もうとしている課題は「人を内面
こうした、皮膚の外側のもので人の行為を説明しようと
(だけ)で判断してはいけない」という論旨を主張する。
する立場は、「行動主義」とか「環境主義」と呼ばれる
つまり、人を「行動の結果」から考察してみようとするア
ことがある。これは相対する皮膚の内側で説明しようとす
プローチである。もう少し具体的に言えば、人が行動した
る「内在主義」「精神主義」と呼ばれる立場との対比でつ
結果としてしばしば残す痕跡に注目し、その痕跡ができる
けられたカテゴリーの一つである。
70
G E I B UN 0 0 7 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第7巻 平成25年2月
* 3 一見すると痕跡学は、
「行動主義」的立場をとるように思われるかもしれないが、
しかも清掃だけが目的なら、単なる汚れとして痕跡は
痕跡学は決してどちらか一方の立場をとるものではないこ
いとも簡単に消し去られてしまうかもしれない。なぜそこ
とを明記しておきたい。むしろ、こうした二元論的な論争
に傷や手垢が付いたのか疑問を持ったとき、初めて傷や
を乗り越えて、新たな地平で人間の行為を説明する学問
手垢の張本人たちの行動が思い浮かべられるようになる。
を標榜している。それはさておき、まずは身近な例を用
もっとも、痕跡を忌み嫌うデザイナーたちは、汚れがつか
いて痕跡発見の旅から始めることにしよう。
ない素材や摩耗しない素材を活用して、いつまでも造っ
たときの清廉さを保とうとするかもしれないが、彼らにとっ
2.痕跡発見
て痕跡は単なる汚れとしか映らないために、デザインの改
痕跡は身のまわりにあふれている。どこにでもあるのだ。
良や改善、さらには新しいデザインの芽を自ら摘み取って
立ち上がって、トイレまで行き、帰って来るまでに、いく
しまうことにもなりかねない。
つ痕跡を見つけられるだろうか。スイッチ周りの手あか、
下記の写真(1,2)は、あるガソリン給油所で見つけ
階段の変色、壁の疵、コップに輪を描く茶渋…。ものにつ
た痕跡を撮ったものである。
く痕跡は、見ているだけで自然と人々の行動が思い浮か
ぶ。からだにつく痕跡もある。古傷やペンダコ、口のまわ
りの食べかす、虫歯、玉ねぎの皮をむいた後には手に独
特のにおいが残る。トレーニングを積んだ運動選手の体
形はそうでない一般人とは一見して違う。からだにつく痕
跡からは、その人の習慣や日頃の活動が見えてくる。
痕跡はどこにでもある。しかし、見つけやすい場所と見
つけにくい場所があるようだ。毎日使っている洗面所や風
呂、台所などは身近な痕跡の宝庫だ。一方で、新築の家
で痕跡を探すのは骨が折れる。せいぜい見つかって、大
工の仕損じた仕事の痕跡ぐらいだろう。繰り返し歩かれる
道、繰り返し差し込まれる鍵穴、繰り返し同じ人が訪れる
受け付け、繰り返し打たれるキーボード…。同じ行動が繰
り返される場所は痕跡を見つけやすいようだ。痕跡はどこ
にでもある。そして見つけやすい場所もある。しかし、気
をつけないと見過ごしてしまう。何の痕跡を探すかという
課題が明確ならば、探しに行く場所は自ずと決まってくる。
しかし、予想できる痕跡をわざわざ探しに行くのでは手間
がかかるわりに面白味に欠ける。むしろ、予想外の痕跡
を発見した時にこそ、好奇心を掻き立てられるものだ。た
だし見まわしただけでは、見えてこない痕跡もある。痕跡
を発見するためには、実際に現場で探すのが良策だ。歩
写真 1, 2 エアーガンのノズルが差し込まれている様子
いてきた道を振り返り、手をかけたドアノブの周りを見つ
め、めくった本の裁断面を俯瞰し、食事の後には姿見で
たまたまガソリンの給油の間に、車の灰皿にたまった屑
全身を確認してもらいたい。行動の後を振り返れば自ずと
を捨てようとゴミ箱に近づいた時、そのゴミ箱のそばにエ
痕跡はみつかるかもしれない。
アーガンが用意されていた。これを使って灰皿の中の細
このように痕跡はどこにでもあるが自己主張するわけで
かなゴミを吹き飛ばした後、このエアーガンを元に戻そう
はない。痕跡はほとんど気づかれずに「ただそこにある」
とした。するとタオルを置いていた木製の棚の、脚部側
だけである。私たちは日常生活の中でわざわざ痕跡探し
面に開けられた穴に黒い汚れがしっかりとついているのが
に熱中する暇はない。「なぜそのような痕跡が残されたの
見え、この汚れがふと気になってしまった。
か?」という疑問と好奇心を持って近づき、その意味を痕
この脚部の穴は、棚の高さを変更する時に、棚板を止
跡に問うた時、ようやく価値ある情報が怖ず怖ずとあらわ
める金属のフックを差し込むために、ある間隔で開けられ
れ出てくるものである。痕跡に導きのきっかけを見いだし
たものでる。この棚は、もちろんエアーガンのノズルを差
たり、痕跡に何かの手がかりを探したり、痕跡に意味を問
し込む目的で置かれたものではない。たまたまこの穴の
いかけたりした人にだけ、そっとその訳を明かしてくれる。
持っている情報「ここに差し込めるよ」に誘導された結果、
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol.7, February 2013
71
スタンドのスタッフの誰かが最初に差し込んだのだろうか、
下順を追って写真とともに解説してみよう。
だがこれは推測の域をでない。しかし、これを繰り返すう
写真 3 は、東京ミッドタウンに開設した某美術館での展
ちに、汚れがついて「ここに差し込めるよ」という案内(顕
示を鑑賞したあと、最寄の地下鉄方向に行こうとした時に
在化した情報)になりだしたに違いない。この痕跡情報は、
撮影したものである。直角に曲がった歩道の内側に敷き
他のスタッフや利用客に同じ行動を誘発・誘導し、ますま
詰められた芝が、わずかに傷んでいる様子が分かる。ほ
す顕著な繰り返しによる汚れ(痕跡)として明白な差し込
んの少しでも近道をしたいという歩行者の心理からであろ
み口のサインになっていったと思われる。
うか。
こうした自然にできた痕跡の利用を見ると、多少の不便
さがありながらも、適度な合理性を兼ね備えているという
特徴を見いだすことができる。ものと人の行為との適度な
調和を実現するために痕跡が利用できる場面があるので
はないか。これが痕跡学を提唱しようとした最初の動機で
ある。
3.痕跡探しとその物語
3.1 痕跡探し
カメラを持って研究室から飛び出すと、そこは痕跡の宝
庫である。歴史のある古い建物や、とても整備されている
とは呼べない大学のキャンパスはなおさらである。新しい
建物やよく整備された環境では、痕跡を探すのはほぼ不
可能に近い。なぜならそこにはまだ人々の行為が数多く、
写真 3 傷み始めた角の芝の様子
繰り返されている兆候が目に見える形で現出していないか
らである。行為の繰り返しが積み重なって現れている跡は、
ただし、単に跡であれば何でもよいというわけにはいか
注意深さを持った目には誰にでも飛び込んでくるはずであ
ないケースも多い。汚れや傷はぬぐい去さられ補修され
る。その瞬間にシャッターを押せば、痕跡の記録の一丁
る運命をもつものも多い。また、蚊に刺された跡、歯の跡、
あがりである。とは言うものの事はそうスムーズに運ぶわ
遺跡などをここでの主題である痕跡とすることには躊躇せ
けではない。痕跡に注意するとは具体的にどのような態度
ざるを得ない。どこで線引きをするかは、4章以降での
であろうか、すぐに難問が待ち受ける。注意深くというが、
議論で明らかとなっていくはずである。さらに重要なこと
どのような準備態勢をとればいいのであろうか。そこでま
は、単なる跡収集に熱中する姿勢では、跡を価値あるも
ず、痕跡探しの方法論をいくつか伝授することから始めよ
のとして利用することはできない。2)発想の糸口にしよう
う。
という態度が重要であることについては第5章で詳しく述
べる。
1)足跡から始める跡探し
まず「跡」という字を手がかりにしてみよう。跡は何か
2)作業 ( 行為 ) の痕探し
が行われ、また存在したことの「印 mark」である。人や
「痕」の方はというと、「きずあと」とか「物事のあと」
車の通った跡には少しずつではあるが「あと」が着いて
のことを指すようである。とりあえず「痕」を二つに分類
いく。一人や数台でははっきり出てこないものの、その数
してみることにする。ひとつは机についた傷や手垢、交通
量が膨大になりおまけに年数が経てばその跡は誰の目に
事故現場に残されたタイヤの跡、ボディーのすり傷などの
もはっきり確認できる模様や傷、しみなどの跡となるだろ
物理的痕跡である。もう一つは、置き方、重ね方、など人々
う。そこで階段や道路・廊下などは格好の発見場所となる。
の作業の積み重ねの結果できた痕を示す状況的痕跡であ
特に興味深いのは、廊下のコーナーであるとか、人が通
る。痕跡と言うことでイメージされるのは圧倒的に物理的
行のため何気なく触れてしまいそうなものには、なぜこん
に付いた痕跡の方である。
な風に跡が着くのであろうかと、問いかけたくなるような
そこで、ここでは状況的痕跡に注目してみよう。写真4
跡が発見できる。1)そうしたときには、その跡を写真に
は、デスクの脇に取り付けられたライトのアームに、たく
撮るだけではなく、ズームアウトして跡の周りの風景も同
さんのクリップが止められ、さらにシェードの縁にはクリッ
時に撮影しておくことが大切である。持ち帰って分析する
プでメモが止められている。3)手を伸ばすとちょうど良い
ときに重要な手がかりとなるかもしれないからである。以
位置や、アームやシェードの形状がこのような行為を誘導
72
G E I B UN 0 0 7 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第7巻 平成25年2月
したために生まれた痕跡である。写真 5 は、某編集者の
3)思考の跡
持ち物である。スチール製引き出しの前後差が作り出した
紙の上に書き記されたものの多くは「思考の跡」を物
コーナーが、ものを置くことを誘導し、取っ手の付いた紙
語っている。数学の証明に費やされた鉛筆の痕は思考の
袋がそこへ置く動作を容易にさせた結果の痕跡である。4)
跡そのものといえる。設計士の製図や画家のデッサンも思
考の痕で埋め尽くされてきたことであろう。しかし、ここで
思考が先にありその結果跡が作られたと早合点すべきで
はない。自分の引いた線、図、文字などの跡があったか
らこそ次々に思考が誘導されたと考えられるからである。
できあがりだけを見ていたのでは、思索のあがきや戸
惑い、試行錯誤が見えてはこない。あたかも痕跡がなかっ
たように結果を提出する心理は鑑賞する側にその謎解き
を強要させたいからであろうか、はたまた潔癖症的な心情
であろうか。
人間が描いた痕跡は、ここではこれ以上述べることはし
ない。なぜなら、人間の表現行為はさらに複雑な分析が
必要となるからである。5)
4)意図を込めた痕跡
われわれが見る一般的な木製の仏像は、その表面が滑
らかに彫り込まれた姿態を持つものが多い。しかし、中に
は円空の彫った仏像のように鉈やノミ使いの跡が木にその
まま残されている仏像がある。ノミの痕が荒々しく残され
たその仏像から、仏像を造る工匠のノミ使いや勢い、感
情までもが読み取れると言われ、芸術的境地にあるとして
高く評価されている。そうした仏像はきれいな表面を持っ
写真 4 ライトのアームと止められたクリップの様子
た仏像とは違い、仏像制作過程を間近に見せてくれる。
人はそこに美的な要素さえ感じ取ることができ、人を引き
つけてやまない。これとは別に、鉈彫り(なたぼり)と呼
ばれる表現形態を持った仏像があり、粗彫りからノミを一
刀施すごとに、次第に木から仏像が姿を現す過程が意識
されている。神奈川県弘明寺の十一面観音菩薩立像
*4
に見られるように、像の横方向に深いノミ跡を整えて残し、
一本の木から仏像が彫り出されるプロセスを強調して、作
者が仏像出現の演出効果を狙ったものである。
3.2 痕跡から何を読み取るか
痕跡から何が読み取れるのであろうか、ざっと挙げただ
けでも以下の項目が出てくる。行為の a)方向、b)量、c)
勢い、d)数、e)手順、f)経過、g)傾向などがある。
写真 5 堆積した紙袋の様子
いくつかの例を示してみたい。
雨の中車を運転中、フロントウィンドウの雨粒を拭き取
例1)一過性の痕跡
るワイパーを見ていると、所々線状の水痕が若干残って、
ゲレンデを滑るスキーヤーのスキー板のシュプールは一
前方の視界が悪くなってきたことをふと気づかせる。これ
過性の痕跡ではあるが、それはスキーヤーの技能までも
がサインとなり、ワイパーのゴムブレードの取り換え時期
映し出している。エッジで雪面を捉えるタイミングは適切
を知ることになる。日々の生活の中で利用している痕はか
か、余分なスキー板のズレが生じていないか、弧の形、
ように様々である。
長さ、深さはどうか、突かれたストックの位置はどうか、
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol.7, February 2013
73
などからスキーヤーがどのような姿勢で斜面を滑走してき
されたソールを貼り付けて、あたかも住民がそこを歩いて
たか、どれほどのテクニックを持った者なのかが推測され
行ったかのような足跡をつくり、それにより敵を欺くための
る。(この他にもスポーツにおける痕跡利用例は多い。)
ものである。
例2)道具に残る痕跡
そこから意味を見つけ出したということでもある。しかし、
ホームランバッターでは、バットの芯の近くに跡が集中
これはその時点では「そう思える」だけであって、まだ確
する傾向にあるが、一方ミート打法の選手では、バットに
たる事実ではない。痕跡は読み間違える可能性があるか
残るボール跡は結構散らばっている。
らである。
第5章では、行為の結果残された痕跡を手がかりに、
痕跡により欺かれるということは、痕跡を発見した人が
例3)堆積してできる痕跡
痕跡そのものが応用されて、さらなる人間の行為を誘導し
ビルの階段のピータイルの磨耗箇所をつなげて見ると、
うるものになり得ることを述べる。しかし、その前に痕跡
その階段を大急ぎで、あるいは最短で上り下りした人々の
を痕跡学にまで格上げできるのかどうかについて考えてみ
姿が、アンケートや統計を取るまでもなく平均的行為のパ
ることにしよう。
ターンとして現れている。
*5
また、パソコンを使用する時のキーボードには、ロー
4.痕跡学は可能か
マ字による仮名漢字変換を中心に行う人では母音である
4.1 時代に逆行か
AIUEO の使用頻度が高くなり、他と比べて汚れや磨耗が
西部劇での追跡シーンでよく見かける光景に、馬上の
目立つ。
追跡者が逃走者の馬の蹄跡からどれぐらい前についた跡
で、逃げる方向、早さ、人数などを読み取る仕草があっ
例4)癖が作りだす痕跡
たように記憶している。現在から見れば野蛮で科学的では
「癖」といわれる現象の多くも、行為の痕跡から証拠づ
ない経験と勘の世界のようで一笑に付されてしまいそうで
けられる。靴のかかとに残る摩耗パターンは多様であり、
ある。また、跡を探したり痕跡ができるまで待つことなく、
体重や使用期間以外にも、その人の歩き方、走り方が影
近代的な探索装置で実物の動きを観察する機会が増えて
響していると考えられる。研究により、足部にかかる力と
いる。遠隔操作できるカメラ撮影やビデオ録画、音声録
靴の摩耗パターンが関連していることが判明すれば、歩く
音が可能であるし、衛星からも撮影が可能になっている。
姿勢の矯正や脚部への負荷の軽減を示唆できるかもしれ
センサー技術も自動監視・撮影に貢献する。
ない。同じように生活習慣病に関わる様々な習慣の癖も
何よりも、情報の一部である痕跡は、リアルな実物・実
痕跡から発見できるかもしれない。
動には情報量でかなわないところがある。P. アンダーヒル
によるショッピングの科学では、トラッカー (tracker) が大
例5)動きを可視化した痕跡
活躍する。彼らは買い物客にぴったり張り付いて、その行
写真家の Gjon Mili は、パブロ・ピカソがペンシルライ
*6
動の一部始終を記録していく。もっとも彼らが使用する道
トを持って空間に描いた線の軌跡を写真に記録した。 具は、とびっきりのハイテクではなく、普通の紙の記録シー
一過性のペンシルライトで残像を痕跡としてみれば、それ
トではあるが。7)
がすばらしい芸術作品になっていたことが分かる。分野は
ところで時代に逆行するかのような痕跡探しに「痕跡学」
異なるが、動きを撮影することで、労働者のモーション・
という名前を冠することは、はたして受け入れられるので
スタディを確立したギルブレイスも手足の軌跡を利用し
あろうか。次に紹介するピラミッド建設の新説が微かにそ
た。また、G.Johansson は、身体に豆電球を身に着け様々
の可能性を暗示してくれている。
な動きをさせて、暗闇でのその光の軌跡から、静止状態
からでは得られない数々の知見を導き出している。6)
4.2 ピラミッド建設の謎(新説)
理由を問いかけた時、初めて見えてくるものがある。例
例6)恣意的に作られた痕跡
を挙げて説明しよう。
痕跡には、他を欺くために意図して残すものもある。カ
古代エジプトで 5000 年前に建造されたといわれてい
ナダのバータ靴博物館 (Bata Shoe Museum) に展示し
るピラミッドがどのようにして建設されたかご存知であろう
てあったカモフラージュソールは、戦場では足跡が発する
か。いつの頃に、誰によって言われだしたのか定かでは
情報は生死を分かつ重要なものである。そのことを逆手に
ないが、一般に定説として言われてきた建設の方法は、
とった工夫が、ベトナム戦争で実際に使われた軍足のカ
ピラミッドのある高さまでは砂で斜面を作り、その斜面に
モフラージュソールである。本来の靴底に、
カモフラージュ
丸太を置いて、その上に巨石を乗せて大勢の人がロープ
74
G E I B UN 0 0 7 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第7巻 平成25年2月
で引き上げた、というものである。また別の説では、ある
の 4 面の内部に、確かに斜めの通路が作られていた。さ
程度の高さまでいくと、そのあとはすでに出来上がった四
らに彼は、今日では許可がなければ上ることのできないピ
角錐の 4 面外側に螺旋状の斜めの足場を作って引上げた
ラミッドの一つの稜線上部に、遠くから観察して欠け落ち
のだそうである。ところが、近年、ジャン・ピエール・ウー
たような稜線の乱れがあることに気がついた。それまで、
ダン(Jean-Pierre Houdin)というフランスの建築家が、
だれもが単なる崩落の跡だと思い込んでいたその場所は、
それまでのピラミッド研究家、考古学者が考えもしなかっ
螺旋状のトンネルが崩れて現れた空間だというのである。
た全く新しい建造説を発表して世界中を震撼させたのであ
ピラミッドの 3 分の 1 までは、巨石を使って斜面を作
る。
り、その上を一つ 2.5 トンの巨石ブロックを引き上げて敷
従来の建造説では、ピラミッドの底辺から 3 分の1段ま
き詰め、その後すでに 4 面内部に作っておいたトンネル
では、斜度 13 度の斜面をピラミッドに使用する巨石を積
を使って斜面に使用した巨石をトロッコに乗せて一つ一つ
み上げて造り、そのあとは四角錐の 4 面の内部に螺旋状
人力で引き上げたのである。ピラミッドの各コーナーには、
のトンネルを造り、かつて斜面に使用した巨石を、そのト
4 グループの引き上げ作業者が組織的に配置されていて、
ンネルを通って引上げ再利用したというのである。そもそ
一つのグループが上り詰めると三俣とナツメヤシで作った
もピラミッドの高さまで砂で13 度の斜面を作るという仮説
ロープを使って持ち上げ、向きを変えてトロッコに乗せ代
では、斜面の長さがピラミッドの頂点から 1.6 キロの所に
えて、次のグループにバトンタッチしていく、というやり方
来てしまうというのである。ピラミッドのすぐ傍で加工され
である。渡し終えたグループはまた元の位置に戻り、下か
た巨石は、1.6 キロの所まで迂回して引き上げたことになっ
らやってくる石を待つので、極めて組織的で効率的である。
てしまい、事実上不可能だというのである。しかも、近年
この向きを変える場所こそが、稜線にある崩落跡だと思わ
になってピラミッドの近くで発見された労働者の住居跡に
れていた場所なのである。持ち上げた巨石は、持ち送り
は 25,000 人の労働者が住んでいたことが分かっていて、
積みといわれる積み方で平たく積み重ねられ、同時にトン
試算によればこの人数で 20 年間という短期間で作ること
ネルも延長していった。
はできないのである。
さて、ピラミッドの底面から 60 メートルの内部に、「王
ピラミッドの四角錐の 4 面に螺旋状の斜めの足場を作
の間」と呼ばれる空間があり、すでに盗掘されて空になっ
る説に対して、ウーダンは建築家らしい見解を述べている。
た石棺が一つ残されている。この「王の間」の天井には
というのは、ピラミッドの外側に足場を組むやり方では、
一つ 60 トンにも及ぶ長方形の御影石が 43 本井桁に積ま
その足場自体が邪魔して四角錐の4つの稜線が真っすぐ
れている。この空間は、「重量軽減の間」とも呼ばれ、ピ
になっているかどうかを下から確認することができないと
ラミッド全体の内側に沈みこもうとする応力を逃がしてい
いうのである。稜線の直線は、誰かが目で見て揃えなくて
るといわれている。そしてこの「王の間」に至るために、
はならないはずが、それができないのではないかと疑問
大回廊と呼ばれる大空間の斜面が 26 度の角度で作られ
を持つ。現場の施工に詳しい建築家ならではの現実的な
ている。
見解である。彼は、そうではなくて、ピラミッドの 4 面の
ウーダンは、この超巨大な石材をどのように運びあげた
内側にトンネルを作って巨石を引き上げ、後に石を積ん
のかを考える際に、大回廊に残された痕跡を徹底的に、
で形を整えたと考えたのであるが、その説には根拠があ
つぶさに、そして注意深く疑問を投げかけながら観察した。
る。それは、ピラミッドの外観をよくよく観察すると、構成
現在では観光客が歩くために、そのほとんどは板状の階
する 4 面に、ほんの僅かであるが違った色の石のライン
段で覆われているが、彼はその下に潜り込んで懐中電灯
が 13 度で螺旋状に残されていることに気がついたのであ
を照らして観察した。大回廊の階段の左右には、滑り台
る。ウーダンは、イギリスの考古学研究組織に連絡して、
のような一段高い平面が作られていて、その石材には等
同組織がかつて行ったピラミッド内の重力測定結果を見て
間隔で四角い穴が穿ってある。かれは、先の 60 トンの
確信を持った。
超巨石は、この巨大回廊を通って引き上げられたのでは
それは、内部 200 か所で行った重力測定の結果、ピラ
ないか、という仮説を立てたのである。それは大回廊の
ミッドの内部には、不思議な軽重力の場所が連なってい
滑り台の側面に、何度も何度も何かが通った時につく傷跡
て、それをシュミレーションソフトで可視化してみるとピラ
が筋状になって残されているのを見つけたからである。さ
ミッドの 4 面にそって螺旋状につながっていたのである。
らにその筋状の傷跡には、何か黒いタール状のものがこ
このイギリスの考古学研究組織は、報告書までは書いた
びりついていることも見逃さなかった。超巨石を乗せた木
が、それ以上の考察を進めなかった。
製のトロッコにヤシの油を潤滑油として塗り、少し引き上
ピラミッドが建造されたと同時代に、他で建造された小
げては先の四角い溝に杭を打って一息つき、また引き上
型のピラミッド遺跡を観察すると、崩れ落ちたピラミッド
げては杭で止めるという安全な方法であったというのであ
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol.7, February 2013
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る。さらに、大回廊の上部にせり出した石の 3 段目だけに、
何かがぶつかってついた欠けた跡がやはり筋状に残って
いたのである。
エジプト考古学の第 1 人者といわれるザヒ・ハワース
博士も、この発見に驚愕する。ウーダンはフランスのエッ
フェル塔のエレベーターに採用された「釣り合い重り」と
いうワゴンの昇降方法を知っていた。大回廊からこの巨石
トロッコを引き上げるためには、これと同じ方法で大回廊
とは反対側に同じ重さの釣り合い重りをつけて、その重さ
で引き上げたのだという。当時のロープはナツメヤシの繊
維から作られており、一本のロープで 24.5 トンの重さに
耐えられたという実験を通して、この方法が不可能でない
ことを知る。彼は「王の間」の上部の石材に、ロープで
写真 6 長年使いこんだ玄翁の柄が摩耗した様子
こすられて丸くすり減った溝を見逃さなかった。当時エジ
プトの周辺には、強度があって加工しやすいレバノン杉が
うかがえる。
群生しており、運搬用トロッコや「釣り合い重り」方式の
骨組を作ることは容易であったはずである。彼は、中国北
写真 6 は、ある鑢(やすり)製造所の職人であるA氏
京オリンピックでメイン会場となった通称「鳥の巣」を設
が 45 年間使い続けたという玄翁である。これは、鑢に目
計したフランスの建築会社に、この「釣り合い重り」方式
を刻む際に使う鏨(たがね)の頭を打つ時に使われるも
が可能かどうかを相談する。この建築会社は、実際の実
のである。柄の部分に残された磨耗からは、人差し指の
験をせずに、コンピュータの中で構造強度実験ができるソ
掛かる部分の方が、親指の当たる部分よりも深く磨耗して
フトを開発して、「鳥の巣」の受注に成功した気鋭の会社
いる様子が分かる。これは、玄翁を持ち上げる時に人差
である。実験の結果、この方法は全く問題のない方法で
し指の触れる部分に大きな負荷がかかっていることを示し
*7
あることが証明された。
ている。つまり鑢職人の使用する玄翁は、振り下ろして使
この話で驚かされるのは、ウーダンは痕跡の中に意味を
われるものではなく、持ち上げて落とすように使われてい
発見したが、長い間、痕跡はそこにあったはずなのに、な
るのである。痕跡から職人が道具を使っているときの姿が
ぜ多くの研究者 ( この中には建築や土木の専門家もいた )
浮かんでくる。
がその痕跡を見ることができなかったのかという点である。
また、先に述べたバットに残るボールをミートした場所
見る人によって何の価値もなさそうなものが、ある人の経
の跡は繰り返し繰り返し練習してきた結果である。このほ
験と重なって獲得されたとき、取るに足らない情報(痕跡)
かにも次のような行為の様子がうかがえる例がある。
*8
が輝きを持って意味を放出するのはなぜなのか。
情報は用意されているが送られてはこない、必要とする
例1)インフォメーションボード上の磨耗
時に気付いてくれればそれでよい、訴えかける必要もな
写真 7 は、千歳空港の「味の名店街フロアー」の一角
い、自信ありげに悠々といつまでも待っている、といわれ
に立てられた各種飲食店の位置を示すインフォメーション
てもにわかには信じがたい。地道に歩むしかなさそうであ
ボードである。この配置図には、様々な飲食店が黄色く示
る。
されていて、各店の区画ごとに通し番号が印刷されてい
る。その中に、印刷の磨耗が激しい場所があった。なぜ
4.3 痕跡ができる理由
ここだけが際立って擦りきれているのか?と思い、その場
痕跡ができる理由を説明する際には、痕跡を次のよう
所を探していくと、1つは現在地、1つは「⑮サッポロラー
に分けることが必要かもしれない。一つは、一過性の痕
メンの店」であることが分かった。遠方から飛行機で千歳
跡であり、
もう一つは堆積 ( 繰り返 ) してできた痕跡である。
空港に到着した利用者は、食事を何にしようかとこの配置
一過性には、たとえば、片刃の包丁(右利き用)で切っ
図の前に立ち、家族で、あるいは友人と北海道らしい店
た野菜は切り口が左側に円弧を描くことが見て取れる。先
を発見してその位置を指で押さえたに違いない。印刷が
のスキーヤーの新雪の斜面に作り出されるシュプールなど
摩耗している情報からは、食欲をそそる地域のブランドメ
*9
もそうである。
ニューに寄せる大きな期待など、北海道に到着して間もな
一方、堆積してできた痕跡には、長年使われてきた道
い旅行者のはやる気持ちがうかがわれる。
具類にその痕が貯まって(刻み込まれて)いった様子が
76
G E I B UN 0 0 7 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第7巻 平成25年2月
写真 7 インフォメーションボードに残された摩耗の痕跡
例2)エレベーター内の昇降ボタンの痕跡
写真 8 は、ある病院のエレベーター内の昇降ボタンの
フレームについた摩耗の痕跡である。利用者がエレベー
ターに乗り、昇降ボタンに向かって向きを変え、指を立て
て行先の階番号を押すだけでは、ボタンが配置されてい
るフレーム付近に摩耗の痕跡が残るはずがない。フレー
ムに摩耗の痕跡が残るのには理由がある。特に、摩耗の
写真 8 フレームに残されたついた摩耗の痕跡
痕跡が昇降ボタンのフレームの右側上部に残されている
点は見逃してはならない手がかりである。
を通行してよいと特別に許可を受けた覚えもない。なにも
エレベーターのボタンを使用する者は、早く歩くことの
考えずに、自然と振舞っていたら同じ行動をしていた、と
できない高齢な親族や足に怪我を負った患者に付き添っ
いうのが本当のところではないだろうか。結果、痕跡とし
ている場合が多い。先にエレベーターの中に入った利用
て現れる行動、そしてその行動を起こそうとした理由は、
者は、「開」のボタンを押したまま患者を導き入れるまで
実に説明しにくいのである。
待ち、入りきったところで「閉」のボタンを押すことにな
しかし、だからこそ痕跡の情報は見るものにとって価値
る。この時、右手指先でボタンを押す前に、掌を開いて
ある情報になる可能性を持っている。恣意的に傷をつけ
フレームの淵に数本の指で触れ、手の位置を安定させて
ても、その痕跡は恣意という意味以上の情報をわれわれ
から、その位置を起点にして別の指で「開」、「閉」のボ
に教えてはくれないだろう。そこに意図せず付けてしまう
タンを押しているのではないかと思われる。われわれがコ
痕跡ほどには価値を持ち得ない。なぜなら、「意図せず」
ンピュータのキーボードを打つ時、掌を浮かせて構え、指
「考えなしに」「意識なく」行う行為を説明しようとしたと
先だけでキーを打っているのではない。掌のどこかをキー
き、とりわけわれわれ人間の行動を描写する際に用いる
ボードの角に置き、そこを起点に指を動かしているのとよ
重要な概念を、心に関する特殊で目撃不可能なもので行
く似ている。
わないですむからである。痕跡という外的事象は傾向性
痕跡に注目して、自分や人の行動を振り返ってみると、
(dispositions)を表す語によって描写し説明することが
わずかな違和感に気づかないだろうか。自分の行動は、
できるからに他ならない。同時に痕跡はその環境的状況
大して意識せずに行われていることに。いやむしろ、ほと
とセットで記述されなければ意味がなく、説明に外的要因
んどの行動は、なにも考えずに行っていることに。そして、
への注視が伴っているので、必要があればそれが詳らか
なにも考えずに行っているのに、毎回ほとんど同じ行動を
にされるチャンスが増える。痕跡発見者への質問も、動
とっているということに。他の人の行動も、まるで集団催
機や気分、経験や勘、内観や省察など心的で検証不可能
眠術にでもかかったかのように同じ行動をとっているとい
な作用因に求めず、テスト可能な仮言的言明が帰ってくる
うことに。
ようにもっていける。4.2 で取り上げたウーダンの新しい
だれかに「廊下の角は最短距離でまわれ」と強要され
説明はこのことを如実に物語っている。
た覚えはないし、電気のスイッチを手探りで探すゲームに
参加した覚えもない。芝生にできた獣道のショートカット
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol.7, February 2013
77
4.4 部分的補修に見られる痕跡
りに注意を払うと、目的の対象そのものではないが、そ
車のたくさん走る道路では、タイヤの通過する部分が少
の対象に「エアーガンの戻し場所」という固有の意味を
しづつ削られた二本の溝ができる。それを補修するため
見いだしたわけである。これは「環境にあるアフォーダン
に、窪みにだけアスファルトを埋めた一時的な修理が施さ
スを捉えた」瞬間である。それが意外と、その時のふさ
れた道路を見かけることがある。全面的な改修ではない
わしい行為であったからこそ、その後も同じ行為をし続け
ので、かえって平坦に見える道路にけっこう大きな溝が作
たに違いない。その結果が写真のように痕跡として残り、
られていたことがわかる。補修された溝の両端はその後
いまもその跡に誘導されながら作業の一環として十分に機
車が頻繁に走ることで次第に剥がれていくことで、補修前
能を果たし続けているのである。痕跡の発生をこのように
の窪みの深さが、少し見える放物線によって大体想像が
捉えると、痕跡ができる特有の理由とできた痕跡がさらに
つく。それによりかくも大きなうねりを持っていることを知
特有の行為を誘導する仕組みが明確になる。
る。補修が完全になされていないことで、元々そこにあっ
このような現象の発見が痕跡学の原点ではないかと考
た痕跡が鮮やかに浮かび上がるということがある。
えるわけである。しかし、痕跡学はこれが出発点とならな
中世のヨーロッパでは、文書は羊皮紙に書かれていた。
ければならない宿命を負っている。それは、この痕跡を
羊皮紙は貴重であるためそれを再利用していた。書かれ
手掛かりに、新しいシステムのデザインや、物作りに役立
ていた文字を削り、その上に新しい文字を書き込んでい
てるというより実践的な目標を掲げることができるからで
た。しかし、前に書かれた文字は完全に消し去られること
ある。
はなく、うっすらと痕跡となって残ったものも多くあった。
本論はここまでその手始めとして、痕跡(環境にある情
このお陰で、古代文書が何層にも書き重ねられた中から
報)に気づくことの重要性を論じてきたわけである。ギブ
蘇らせることが可能になった。有名なものに「アルキメデ
ソンの言を借りれば、『行動は、原初的な不随意の反射
スのパリンプセスト」がある。
を徐々に随意的に制御することによって発達する、と仮定
J.A. コインはこの喩えをもちい、生物の歴史もパリンプ
することは不毛である。将来性があると筆者らが考えるの
セストである、という。すなわち、『動物や植物の体内に
は、能動的な知覚は環境のアフォーダンスを探すことに
は、その先祖を示す手がかり、進化を立証する手がかり
よって制御され、能動的な行動はそれらのアフォーダンス
が隠されている。しかもその数は少なくない。たとえば「痕
を知覚することによって制御されるという仮定から始めるこ
跡器官」という特殊な特徴がある。
』
1)
人間にもある痕跡
器官には尾の名残である尾てい骨や盲腸などがある。た
とである。
』
2)
となる。「環境のアフォーダンスを探す」と
いう一部に痕跡が利用できるのではないかと考えられる。
だし、これらは今では名残であって特段の機能を果たすわ
人間は、「アフォーダンスに満ちた環境を経験し、そこ
けではない。しかし、進化を論じるときには重要な手がか
でふさわしい行為」ができることから、環境や道具やもの
りとなるのである。そして、コインはこうした痕跡器官が
に違った役割をみつける習性があるようである。そうした
無駄で、用を足さないとばかりは言えないという。ダチョ
事例も参考になる。意図とは違う使われ方をしたとき、そ
ウの羽はもはや飛ぶためには使えないが、速く走るために
こにもアフォーダンスが発見されたといえる。裏を返せば
体のバランスを保つためには欠かせないことを示し、祖先
アフォーダンスがあまりにも当たり前すぎて、普段は気づ
の持っていた特徴が新たな用途を見つけ出すことがあると
かないのであろう。
いう。
ガソリン給油所の事例は、あり合わせの材料でまにあ
進化論の文脈では、全く新たな創造は起こらない、前
わせる典型である。これをエンジニアリングでは、ティン
にあったものの作り替えによってしか変化を生み出すこと
カリング(ブリコラージュ)と呼んでいる。Thoughtless
はできない。前にあったものを痕跡からの情報として捉え
Acts 8)という一見して風変わりな写真集は、外的環境を
れば、痕跡から発想するとは、自然で理にかなった新た
考えなしに利用する人間行動の機微を捉えている。この
なものをデザインし、作り出す一つの方法になるのではな
様子を捉えたデザイナーは(とくにインダストリアル)そ
いだろうか。
れを様々な商品やシステムのデザインへの発想源として
利用できる。デザイナーたちは、日常行動のリアリティに
4.5 環境にあるアフォーダンスと痕跡
遭遇し、あるいはその使用のされ方に驚愕し、自身の設
もう一度、ガソリン給油所の写真1、2を見ていただき
計活動に少なからず影響を受けるのであろうか。こうした
たい。
ことに肯定的に反応して、また参照することで、人々の欲
このスタンドで働いている人が最初にこのような行動を
求や期待に対してデザイナーはもっと敏感になれるのでは
取ったとき、彼は必要に迫られてこのような行為を取った
ないだろうか。つぎに痕跡を利用する段階について紹介
と考えられる。使い終わったエアーガンを戻したいとあた
することにしよう。
78
G E I B UN 0 0 7 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第7巻 平成25年2月
まらない教材となりかねない。
5.「ものづくり」に痕跡を利用する
以下の例は、実験的な試みではあるが、木製の匙を作
職人の仕事場は痕跡の宝庫であるが、だれもそれに気
る全過程を写真に収めて、いつでも参照できるようにして
づかないし、ましてや利用しようなどとは思わないもので
いるものである(写真9)。写真のポイントは、匙になる
ある。村松貞次郎は職人の仕事場をミクロコスモスと称し
木片と手の位置、そして加工に使う切削道具の動く方向や
て自ら次のように観察を記している。
角度が分かるようにしてある。ここで最も重要と考えたの
『仕事空間は人間定規でもある。金敷の小さな傷、目に
が、切削道具が匙の木片にあたり、そこで発生する削り屑
つかぬほどのくぼみ、あるいは錆の一つ、それが鍛冶の
を必ず写真の背景に見せることである。それにより、刃物
物差しである。・・・・行程のいたるところに無数の物差
の入れ方、削り屑の細かさ、厚さ、大きさなどの情報が
しが、定規が、置かれているからだ。金槌の頭も、削り
目から得られる。それは、同時に匙を切削していく各段階
台のノコギリ(鋸)の痕も、土間の穴ぼこも、そして自分
でも力の入れ具合、左手の匙の握り具合など、漫然とみ
の指も、掌も、腕の長さも、もちろん道具も定規になる。
るビデオではえられない緊迫感のある情報が得られるよう
職人は自らをその仕事空間に囲い込む。小宇宙、ミクロ
に工夫したものである。
コスモスである。
』
3)
荒削りから仕上げの削りまでの何段階にもわたる作業の
職人にとって仕事場は彼だけの道具に等しい。長年の
一部始終がなぜ必要なのか。やってみるまでは注意さえ
道具使用が痕跡を作り、その痕跡が作業の立ち位置、姿
しなかった工程の意味がこの写真の作業風景で気づかさ
勢、眼の位置を瞬時に安定させ、行為をスムーズに運ん
でいく。仕事場が他人によって片づけられたり、整理整頓
されてしまえば、仕事の手順さえ失われてしまうことにな
る。今このことに注目して「ものづくり」を考えてみよう。
プロフェッショナルの高い技能を支えているものが、体
内(皮膚の内)にその理由があると考えるときには、そ
の発見は不可能であるか、あるいは高等な推理に頼らざ
るを得ないかであろう。しかし、プロフェッショナルが痕
跡を手がかりに、次の行為を決めているのであれば、そ
の痕跡の同定ができれば、謎の一端は素人と共有できる
かもしれない。この方針に従って、制作方法や技能を痕
跡の形で意図的に語らせれば、人は痕跡から情報を読み、
自然な作業過程 ( 行為 ) に導かれていくことになる。* 10
ここでは、ある木工関連実技授業で、教示用に「工夫
された痕跡作り」がなされているので、それについて説明
してみよう。
5.1 痕跡を利用して「ものづくり」を伝える
工業製品、工芸品の作業工程を丹念にたどれば気の遠
くなるような複雑な作業工程から出来上がっているはずで
ある。その過程に、それ独特の痕跡が発生していると考
えれば、その痕跡を作業工程の極めて重要な情報として
写真 9 匙の制作工程を示す写真集
活かす道があるかもしれない。とくに教育的な状況や技能
を伝達するような場では痕跡の利用を考えてみる価値があ
れるようになる。同じ工程を辿るためには、工程の見取り
りそうである。
図ではなく、各作業ででてくる木屑に注目すべきであると
制作過程を複数の視点からビデオ撮影して工程のすべ
いうことがすこしわかってくる。
てを記録して残すことが可能である。工程の一切を隈無く
写真 10 は、木材の組み手を加工する際のホゾの写真
記録して残しても、実際にはそれを繰り返し見て参考にす
で、鋸を引いて切断した際に残った鋸目の痕跡を意図的
るということは頻繁にできることではない。作業の難しい
に残したものである。このホゾを加工する際には、はじめ
箇所を詳細に追った記録は、ある程度の熟練者には価値
に鋸を使ってあらかじめ付けた仕上げ線よりも若干多めに
ある情報であるが、初心者にとっては、見るべき場所の定
材料を残して切削する必要があるが、初心者にとって仕
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol.7, February 2013
79
自らの行為に反省的である人は、たとえ痕跡が物理的
につかなくても、あるいは物理的につくまで相当な時間が
かかるのを待つまでもなく、行為の軌跡を意識でき、そ
れに満足したり違和感を持ったりするであろう。このように
情報に誘導された行為の軌跡も(見えないかもしれない
が)痕跡として考えたい。デザイナーはこのようなことが
できる専門家であるともいえる。見えない行為の軌跡は、
そこに望まれた要求があるということを知る手がかりにな
る。さらに、重要なことはデザインを考えるヒントになると
いうことである。このことについて筆者のひとりが実施した
デザインの例を用いて説明してみよう。
例 a)ベルトサンダーのベルト収納棚
木材を加工する際には、ベルトサンダーという研摩加工
機械を使用する事がある。このベルトサンダーは、強靭
な布製のベルトの表面に細かな研摩材の粒を接着剤で塗
布固定し、このベルトを機械にセットして回転させ、木材
を研摩する加工機械である。製品に求める研摩の程度に
応じて、粒の細かさの異なる複数のベルトの中から適切な
ものを選択し、すでにセットされていたものと取り換えて
写真 10 ホゾの切削面に残した鋸跡
使用するのが一般的である。
上げの線から少し逃げたところを目指して、均等に切削
ルトサンダー付近に、取り換えて外した方のベルトを置き
する事は簡単な作業ではない。切っているうちに、鋸の
去りにした痕跡である。
切削方向が内側に曲がって仕上げ線を切ってしまったり、
ベルトサンダーのベルトは、強い弾力性を持っているた
死角になった側の様子が見えないために止める位置を見
めに、複数回折りたたんでも、元の楕円形にもどろうとす
写真 11 は、富山大学芸術文化学部の加工機械室のベ
誤ったりするからである。写真のホゾに残した鋸目の痕跡
る力が働く。ベルトを外したものの、
この置き場所に戸惑っ
には、まず木口の側からそれと平行に鋸を入れ、5 ~ 10
た使用者は、折りたたんだままで抑えの利く場所を探し、
ミリ程度切り込んでから手前の線に沿って斜めに切り込
やがて適当な場所を発見して置き去りにしたのではないか
み、次に反対側の線に沿って斜めに切りおろしていった様
と考えられる。この痕跡からさらに細かく洞察すると、ベ
子を示している。こうして切削すると、内部には切られて
ルトの感触から小さくたたむ必要性を感じてそうしてみた
いない三角形の場所が残ることになる。最後にこれを平
ものの、手を離したら広がってしまう性質が、思いがけな
行に切ることで、あらかじめ付けた仕上げ線よりも若干多
く厄介なものであることを知り、広がらないような置き場
めに材料を残して正確に切削する事ができる。この痕跡
は、こうした動きを読み取ることができるようにこの工程で
加工を止め、意図的に残したものである。
5.2 痕跡を改善やデザインに利用する提案
不特定多数の人間(あるいは個人)が、長い間に作り
上げた痕跡は、個々人の行動習性を超えて、人間の行為
の不変性を表わしている。長い時間をかけて作られる痕
跡は、個人の行為の仕方を如実に表している。先に述べ
たバットに残るミートの跡、あるいは、まな板に残る包丁
の跡が行為の様子を物語っているのであれば、それはバッ
トの形状を変化させたり、長さを変えたり、芯の位置をず
らしたり、様々な変更・改善を試せることになる。まな板
についても同じことがいえるだろう。
80
G E I B UN 0 0 7 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第7巻 平成25年2月
写真 11 置き去りにされたベルトの様子
所の必要性を感じ取る様子や、そして適当な場を発見し
例 b)トイレの棚
ようとする探索の行動を起こし、そして適切な場所の情報
用を足すだけにトイレを利用する人もいれば、そこをし
に誘導されて最適な場を発見し、その場をうまく利用して
ばしの休息、安息、思考の場とする人もあるだろう。滞在
置いていった・・・そのような行動をうかがい知ることが
する時間が長ければ調度される品物は意識されやすいし、
できる。
心地よさの重要な決め手になる。ただし、いつも繰り返さ
れる行為の軌跡になにがしかの不満を気にしつつも改善
意欲を喚起するまでにはなかなか至らないものである。し
かし、その習慣に思い切った改善の嵐が吹けば、日頃の
不自由な痕跡からアイデアをもらって新たな調度が試され
ることになる。そのためには、トイレの雑然とした痕跡を
見て、そこにいない人の動きを見ることができなければな
らない。そして、予備のトイレットペーパー置き場と、本
を入れる場所と、スプレー洗剤置き場を持った棚を取り
付けようと、スケッチを開始した。制作時には既にトイレ
を使う人の動きが手に取るように見えてこなければならな
い。結果、以前は、狭い置き場所を競って、角突き合わ
せていたトイレットペーパーや洗剤、雑誌やタオルなどが
その領分を確保され、しかも、その機能性までもレベルアッ
プさせて蘇る。(写真 13、14)
写真 12 新たに設計制作したベルトの収納棚
そこで、この痕跡を設計の糧に、写真 12 のような収納
棚を制作設置した。ベルトは、機械の駆動部分と同じサ
イズの円筒に掛けることができ、円筒には粒度の表示を
施して、取り出しやすく戻しやすいデザインにした。掛け
たベルトの下には、円筒形の重りを置いて、湿度の変化
写真 13 改善前の棚の上の様子
によるベルトの変形を抑える工夫も行った。棚の上部には、
粒度の異なるベルトのストックを置き、傷んだベルトを廃
棄して、すぐに新しいものと交換する事ができるようにし
た。こうして機械室の隅で発見した痕跡から、使用者の要
求、戸惑い、即興的工夫などを読み取り、デザインに生
かすことができたのである。もしもこの痕跡がこのように価
値あるものとして扱われなければ、痕跡は使用者の戸惑
いをそこに写しだしたまま、機械室の管理者や指導者の、
改善に対する関心ある眼差しを延々と待ち続けることにな
る。痕跡から学習しようとしない者には、痕跡は改善を訴
え続けるのである。* 11
写真 14 改善後に制作した棚の様子
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol.7, February 2013
81
例 c)置かれた包丁
えていない。レイアウトは日々変化し続けているであろう。
台所の包丁は、よく使われるわりには大事にされること
この場合、傷や汚れとなって目に見えるわけではないが、
の少ない道具である。頻繁に使用されるために手近にし
起こっている出来事に多様な意味を見いださなければな
まわれていなければならず、かといってぞんざいに扱え
らない。どのようにすればその意味を見いだせるのであろ
ないし、危険も未然に防がなければならない。利用のし
うか。
やすさは不注意を誘発し、ちょっとした怪我の発生を伴っ
デザインという言葉は、新たな創造を作者に求めすぎ
てしまいかねない。写真 15 は、ガス調理器の横にでき
てはいないだろうか。痕跡からのデザインでは肩肘を張ら
た小さなスペースを、何時の間にか包丁の置き場所とし
ずとも、痕跡から得た情報を基に始めればいいことを教え
て利用し続けていた痕跡である。自然発生的に始まり、そ
てくれているように思える。T. ケリーは、デジャヴュ(既
して幾つのもの包丁が重なるように置かれている様子は
視感:実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこ
雑然としているように見えるが、この包丁の居場所は主婦
かで体験したことのように感じること。)の反対の意味を持
の効率的な行為の軌跡 ( 痕跡 ) となっているに違いない。
つヴュジャデなる語でもって、いつも経験しているものに
その流れリズムを壊すことなく、しかも安全に、できれば
驚きを感じることの重要性を説いている。9)ただし、普
整理整頓した時の姿も美しく確保したい。写真 16 は、そ
段みているものに驚きを感じるためには何が必要なのであ
んな欲張りな求めを満たそうとした一つの試みである。こ
ろうか。視点を変えるというような内的努力を要するもの
れは意識しなければ始まらないが、なにげない道具の利
ではなく、われわれはこの驚きに痕跡も仲間入りさせられ
用痕跡からの発想からできた引き出しである。
たらと思う。上にあげた例でわれわれはそれを少し意識的
例 a,b,c に共通しているのは、レイアウトに見られた痕
に行ってみようではないかと、と提案したに過ぎない。そ
跡が新たなデザインへの引き金となっている点である。も
うすれば、人がつけた痕跡から情報を読み、より自然な
ちろんこれらを痕跡として捉えることが容易であるとは考
行為に導ける新たな設えに至るのではないか、と。
さらに言えば、モノを作ったり、デザインするという仕
事は、先回りして罠を仕掛けるマタギのようなものだとい
える。雪の中に罠を仕掛けるマタギは、試行錯誤を重ね
ながら動物の動きに合わせて罠を進化させている。仕掛
けている時にすでに、動物の動きが手に取るように見えて
いる。
何もないところから発明に近い発想を求める必要はな
い。すでにある平素の生活周辺のさまざまな痕跡に意味
を見出す視線が大切なのである。
6.おわりに
私たちの身の回りには、痕跡を見つけるチャンスが溢れ
写真 15 重ねて置かれた包丁の様子
ている。もしも何かの痕跡に気づいたならば、その場でス
ケッチや写真で記録してほしい。その時、痕跡そのもの
だけではなく、周りの状況も詳しく記録に残すように心が
けてほしい。
最後に、動物の足跡に並々ならぬ関心を示したシート
ンの声に耳を傾けてみよう。
『もし、わたしが真剣に何かに関心をもち、それを求め
つづけていくと、その対象はやがて自分の生活に大きくは
いりこんできて、そのようなものを求めていない人には知
られることのないものを知る機会を与えてくれるということ
だ。
野生動物の足跡を追いつづけるものは、森の知識に精
通するだけでなく、同時に、つぎのことをいっそうよく知る
ようになる。
写真 16 包丁が収納された引き出し
82
G E I B UN 0 0 7 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第7巻 平成25年2月
野生動物は日々の生活について終りのない原稿を書き
つづけている…。
』4)
注釈
人が付ける痕跡も全く同じであるといえる。というよりも、
* 12 この擬人化は人間にこそぴったりである。
* 1 故事ことわざに「外見より中身」、「人は見た目より
違いがある
ただ心」などがある。
とすれば、人は(たぶん無意識にであろう ) 自ら付けた痕
* 2 進化を研究している J.A. コインによれば、「痕跡器
跡について反省しうる機会を持ち、周囲の環境に楔を打
官」のように、「動物や植物の体内には、その祖先
ち込み、自らあるいは他人の行為のあり方を変化させるこ
を示す手がかり、進化を立証する手がかりが隠さ
とができる、ということであろう。願わくばその楔がよきデ
れている」という。4.4 で述べる。
ザインであることを望むばかりである。
* 3 スキナーによれば、『二千五百年以上にもわたって
先達の話のあるところに感銘を受け、必死にノートに走
精神生活には強い注意が払われてきたが、人間行
り書きする熱心な学生は、単に聞き流されることに竿を差
動を単なる副産物以上のものとして研究しようとす
し、痕跡として残したメモを将来それに気づくときがあれ
る努力がなされたのはほん最近になってからなの
ば再利用するであろう。走り書きの痕跡はその準備となる。
である』と揶揄している。
痕跡のすべてが首尾よく利用されるわけでは毛頭ないが、
5)
* 4 http://event.yomiuri.co.jp/2006/butsuzo/win/10.
htm を参照。
気づかれた痕跡はかくも貴重な情報であることには一考の
価値がある。痕跡学が世に知られることが、この価値をさ
* 5 M.トゥルッツィはシャーロック・ホームズを引用して、
『一人の人間の行動は予測できないにしても、平
らに多くの人たちに共有されんことを期待して止まない。
均的な人間が何をするかということならば正確に言
いあてられる』6)。
謝辞
本稿をまとめるに際し、大阪大学大学院経済学研究科
* 6 http://www.gettyimages.co.jp/detail/72386434
を参照。
の宮井康宏氏、富山大学芸術文化学部の小松裕子氏に貴
重なご意見をいただきましたことを感謝申し上げます。
* 7 以下の題材は、2009 年 7 月、NHK特集のエジ
またこの研究は、平成 23 年度科学研究費補助金(課
プト発掘第一集、「ピラミッド、隠された回廊の謎」
題番号:2230021)の助成をうけて実施したものです。
として放映され、一躍世間に広まった、フランス人
建築家、ジャン・ピエール・ウーダン(Jean-Pierre
Houdin)氏によるピラミッド建築方法の新説から得
た視聴情報に基づいている。よって話の信憑性を
ここで議論するつもりはない。ここで取り上げた理
由は、ウーダン氏が、ピラミッド調査の過程で見つ
けた痕跡に大きな意味を見いだしたからである。
http://55096962.at.webry.info/200910/
article_19.html も参照。
* 8 H. ペトロスキは『失敗学』のなかで次のように述
べている。
『世の中には、どんな些細な失敗をも、受け入れる
どころか、容易には見過ごさない一群の人々がい
る。実際、われわれの多くには成功としか見えな
いものが、
この人々には失敗と見えるのだ。この人々
とは、世界中の発明家、エンジニア、デザイナー
たちで、世界の中の事物を通じて世界を改良しよう
とつねに試みている人々である。これら恐れを知ら
ぬ意図的な先駆者たちにとっては、いかなる種類
の失敗も、不満ではなくて好機なのである。かれら
は、われわれが知っている事物を変えて、われわ
れが必要としているのかどうかさえ知らない事物に
してしまう。この人々は、販売、営業要員 --- かれ
ら自身がある種のデザイナーだ ---- と協力して、一
度に一品ずつ世界を変える。こういう創造的な人々
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol.7, February 2013
83
に共通する最大の特徴は、この人々が失敗を見る
置に印刷されていたことである。一般的にはホテル
見方である。この人々は、失敗は自分たちに新規
名のロゴは、右下とか、あるいは左下などに控え
にデザインし開発する過程を遂行する機会を与えて
めに印刷されているものが多いので、この位置に
くれるだけでなく、新しく改良された何物かを構想
何か意味があるのではないかと推測したが、それ
して失敗の誘因を除去することを可能にしてくれる
以上確信が持てなかった。
7) われわれとしては、失敗は
そこで、このレストランのウェーターのチーフと思
痕跡として残されるとなれば、新たな改良に弾みが
われる年配の女性に、このロゴの位置についてそ
つくのではないかと考えたい。
の理由を尋ねた。すると、「チェコは民主化されて
ものでもあるのだ。
』
* 9 たとえ一回きりの痕跡であっても、その痕跡をつけ
間もない国で、サービスという意識が成熟していな
た行為はそれまでに何度もなされた行為ではない
い。さらに近隣諸国からきた素人のウェートレス達
かと疑ってみるだけの価値がある。痕跡がそれま
に、お皿やコップの配置を教えるのはとても難しい。
で繰り返し行われたであろう行為の跡であると仮定
そこで、まずはじめに水をこの位置に置きなさい、
することは大切である。確かに一回きりの行為で付
と教える。するとそのグラスを起点にしてグラスか
く痕跡の種類も多い。ただし、一回きりであっても
ら真下にスープ皿を、その横にパンの受け皿を置
それが残されるのは、それが多数の同じような中
く・・・というようにして教えやすいのだ。
」という
での一回であったときではなかろうか。新雪に残さ
答えであった。ホテル名のロゴの印刷位置にはこの
れるスキーのシュプールは、一回きりの痕跡ではあ
ような役割が担わされていたのである。
るが、その跡は、スキーヤーの現在の技倆を如実
に物語っている。プロのスキーヤーは求められれ
ばいつでも同じような素晴らしい滑走跡を雪面に残
せるから、プロと称せられる。熟練した板前の包丁
さばきの跡は、たとえ一回きりの切り口跡であって
も、いつものように素晴らしい切り口を披露できる。
痕跡にはこうした同じような繰り返しが行われると
いう情報も含まれている。「見えないものが見える」
にこの繰り返しという情報を含める必要がある。あ
る意味、ある人の熟練度、技倆が分かるということ
は見えないものが見えていることの証しではないだ
ろうか。
* 10 河野によれば、『私たちは、アフォーダンスを知覚
することによって行為を開始したり、続行したり、
写真 17 印刷されたホテルのロゴマーク
停止したり、変化させたりしている。したがって、
行為のコントロールは、能動的に情報を探索するこ
8)
とによってなされる。
』
* 11 K. マルクスの資本論のなかに興味深い記述がある。
『もし、労働過程にある生産手段が過去の労働の
生産物としての性格を感じさせるとすれば、それは
その欠陥のためである。切れないナイフや切れが
ちな糸などは、刃物屋の A とか蝋引工の E をまざ
まざと思い起こさせる。できのよい生産物では、そ
の使用属性が過去の労働に媒介されていることは
消え去っているのである。
』9)
* 12 写真 17 および写真 18 は、プラハの某ホテルのレ
ストランで撮ったものである。各テーブルには一人
ひとりのスペースにこの紙が敷かれていて、この上
84
写真 18 ロゴの位置とその上に置かれたグラス
* 13 再び M. トゥルッツィを引用しよう。『ホームズによ
に食事が配膳される。この紙に関して疑問に思った
れば、人間の行為はすべて何らかの痕跡を残し、
のは、このホテルのマークが、この紙の奇妙な位
目のいい捜査官ならばそこから情報をひきだせるこ
G E I B UN 0 0 7 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第7巻 平成25年2月
とになる。物理的な痕跡によって』10) 目には見え
版社の了承を得たうえで複写したものである。)
ない情報も得ることができる。各専門分野で何が
5) Gibson, J.J., ‘ The Informat ion Available in
細部であるのかがわかってくることが熟練するとい
Pictures’ , Leonardo, 4, 1971, pp. 27-35. うことなのかもしれない。ホームズではその細部が、
6)Johansson,G., von Hofsten,C., & Jansson,G. ,Event
親指の爪、両手、耳、袖口、ズボンの膝、靴、眼鏡、
perception, Annual Review of Psychology,Vol.31,
時計や靴紐、香水、そして足跡だったりするのであ
pp.27-63,1980.
る。
7)アンダーヒル ,P., 鈴木主税訳『なぜこの店で買ってし
まうのか : ショッピングの科学』早川書房 ,2001.
引用文献
8) Suri,J.F.,Thoughtless Acts?,Chronicle Bools
1)コイン ,J.A., 塩原通緒訳『進化のなぜを解明する』日
経 BP 社 ,2010. p.111 より引用
LLC,2005.
9 )K e l l e y , T . , T h e T e n F a c e s o f I n n o v a t i o n ,
2)ギブソン ,J.J. 著 , エドワード・リード & レベッカ・ジョー
ンズ編 , 境敦史 , 河野哲也訳 ,『直接知覚論の根拠』
Doubledy,2005(鈴木主税訳『イノベーションの達人』
早川書房 ,2006)
勁草書房 ,2004. p.323 より引用
3)村松貞次郎『道具と手仕事』岩波書店 ,1997. p.30
より引用
4)シートン ,E.T., 藤原英司訳『シートンの自然観察』ど
うぶつ社 ,1980. p.191 より引用
5)スキナー ,B.F., 波多野進 , 加藤秀俊訳『自由への挑戦』
番長書房 ,1972. p.18 より引用
6) エ ーコ ,U.& シ ービ オク ,T.A. 編 , 小 池 滋 監 訳『 三
人 の 記 号 デュパン / ホ ームズ / パ ース』 東 京 図
書 , 1990(U.Eco & T.A.Sebeok ed.,The Sign of
hree,Indiana UP,1983). p.80 より引用
7)ペトロスキ ,H., 北村美都穂訳『失敗学:デザイン工
学のパラドクス』青土社 ,2007. p.77 より引用
8)河野哲也『環境に拡がる心』勁草書房 ,2005. p.215
より引用
9)マルクス = エンゲルス全集 , 第 23 巻 , 第 1 分冊 , 大
内兵衛・細川嘉六監訳 , 大月書店 ,1965. p.240 より
引用
10)エーコ ,U.& シービオク ,T.A. 編 , 小池滋監訳『三人の
記号 デュパン / ホームズ / パース』東京図書 ,1990(U.
Eco & T.A.Sebeok ed.,The Sign of Three,Indiana
UP,1983). p.92 より引用
参考文献
1)佐々木正人 ,『アフォーダンス入門 : 知性はどこに生
まれるか』講談社学術文庫 ,2008.
2)赤瀬川原平 , 藤森照信 , 南伸坊編『路上観察学入門』
ちくま文庫 ,1993.
3)竹尾編『FILING:混沌のマネージメント』株式会社
宣伝会議 ,2005.pp.18 写真 営みの堆積- 6(同出
版社の了承を得たうえで複写したものである。)
4)竹尾編『FILING:混沌のマネージメント』株式会社
宣伝会議 ,2005.pp.19 写真 営みの堆積- 8(同出
Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol.7, February 2013
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