火災伝播確率マトリックスを用いた火災リスク定量評価モデル Fire Risk Estimation Model Using Fire Spread Probability Matrix 1 2 1 孝良 ○阿知波 正道 ,水谷 守 ,佐々木 1 2 1 Masamichi ACHIWA , Mamoru MIZUTANI , and Takayoshi SASAKI 1 (株)損保ジャパン・リスクマネジメント Sompo Japan Risk Management, Inc. 2 (株)モダンエンジニアリングアンドデザイン Modern Engineering and Design Co., Ltd. In order to manage the fire risk of a facility, quantification of the risk is essential. In this paper, an approximate calculation method of fire spread of each sector in a facility is proposed. The spread of fire is modeled as a stochastic process and the fire probability of each sector is expressed as the probabilistic products of the Fire Spread Probability Matrixes (FSPMs) and Initial Condition Vector. The effects of fire fighting activities of several states are also included in the calculation. As for the numerical example, the method is applied to a hypothetical factory. Based on the calculation results, together with the value estimation of each sector, the fire risk curve of the factory is evaluated. Key Words : risk curve, risk management, fire spread probability, event tree analysis, risk quantification, expected loss, value at risk 1.緒 言 木造住宅が大半を占める我が国において、火災は人々 の生活そのものを皆無に帰してしまう大惨事であり、ま た現在でも身近に存在する脅威である。この脅威は個人 のみならず企業にも同様にあり、火災事故によってその 資産のほとんどを失う企業が例年後を絶たない。 多くの企業では火災に対する何らかの防災対策を施し ているが、その効果は実際に火災に遭わない限り把握し ようがなく、また昨今の経済情勢によるコスト削減のた め、対策を縮小している企業もある。 そこで、火災というリスクに対し、どのような対策を 打つか、その効果はどれくらいか、コストとのバランス は取れているか等を推し量るためにリスクマネジメント を行う必要があるが、数年前までは定性的な評価しか行 われていなかった。近年は定量評価として特定のシナリ オによる PML(予想最大損害額)が用いられる様になっ たが、これはひとつの推定損害額に過ぎず、PML のみか ら防災対策による効果を確認することは不可能である。 PML という極めて限定的な指標に取って代わりつつあ るのがリスクカーブを用いた評価である。リスクカーブ とは損害額とその発生確率の関係を 2 次元的に表したも ので、その期待値がリスク量を表現する等、PML より遙 かに多くの情報を持っており、またリスクカーブを用い て今までの PML シナリオの確率を把握する、あるいはリ スクカーブから VaR を求めそれを PML と表現する等 PML を再定義する試みも成されつつある。 一般的には、大きな母集団の長期の損害履歴に基づい てリスクカーブを統計的に推定する手法が用いられるが、 火災事故のように希少な事象ではデータ不足であり有効 ではない。このような場合にはエンジニアリング手法を 導入してリスクカーブを推定することができる。 本論は、イベントツリー解析を基に、火災伝播をマト リックスで表現することにより火災事象を詳細に再現し、 それによって得られた火災リスクカーブのリスクマネジ メントにおける実用評価手法を提案するものである。加 えて、本手法による評価例と対策の効果を具体的に示す。 2.火災伝播確率マトリックスモデル (1) ブロック ここではまず、1 工場建物を想定する。工場内には様々 な製造ライン・エリアが存在するが、基本的に場所的に 近接し、かつ後述の各リスク度が同一のエリアを 1 ブロ ックと定義する(Figure 2.1.1)。 Block 1 Block 2 Block 3 Block 4 Figure 2.1.1 Example of layouted blocks (2) 火災伝播確率マトリックス Figure 2.1.1 において、例えば Block1 から出火した場 合、 火災 はま ず Block2 、Block3 へ伝 播し 、さ らに は Block4 へ伝播していく。 このとき、ある単位時間内に隣接ブロックへ火災が伝 播する事象は確率で表現できる。各ブロック間の火災伝 播確率を Sij とし、マトリックス表示すると Figure2.1.1 の場合、 S11 S21 S= S31 S41 S12 S22 S13 S23 S32 S42 S33 S43 S14 S24 S34 S44 (2.2.1) この S を火災伝播確率マトリックスと定義する。 ここで、対角項は自ブロックへの火災伝播確率である ので常に 1 である。ブロック数が n 個あるとして、 Sii = 1 , i = 1,2,…,n ⊕ は各事象を独立とした場合の確率和を表し、その いずれかが起きる確率である。 (2.2.2) よって(2.1)は、n ブロックに対して一般的に 1 S21 S= : Sn1 S12 ・・・ S1n 1 ・・・ S2 n : S3n Sn 2 ・・・ 1 (4)消火モードの導入 消火事象は、各々のブロックに状態変化をもたらすモ ードと考えられ、各要素を各ブロックにおける消火失敗 確率として、次式の様にベクトルで表すことができる。 (2.2.3) F = {f1,f2,…,fn} また火災伝播事象を考えると、単位時間内に Block1 から Block 1 自身及び Block 2 と Block3 のいずれかに伝 播する場合が考えられ、 (2.4.1) すると、T 単位時間後に消火活動が行われると考えた 場合、各々のブロックが火災状態である確率は、 n ∑ Sij ≠ 1 , i = 1,2,…,n (2.2.4) j =1 P(i,T) = Ig(i)・St ・(1 - F)+ Ig(i)・St・F (2.4.2) ここで、 1 – F = {1,1,…,1} - {f1,f2,…,fn} = {1-f1,1-f2,…,1-fn} (2.4.3) なお S は Marcov 連鎖における遷移確率行列とは異なる。 上式右辺の第 1 項は消火成功項、第 2 項は消火失敗項 であり、消火成功事象と失敗事象は背反事象なのでこの ように和で表される。 次に、実際の消火モードを考えて、消火事象を初期消 火、局所消火、自衛消防、公設消防の 4 段階に分け、 各々の消火失敗確率を以下のように表す。 (3)火災確率の算定 T 単位時間後に各ブロックが火災状態にある確率 P(T) は火災伝播確率マトリックス S を用いて次式で表される。 P(i,T) = Ig(i)・St (2.3.1) ここで St については、通 常の行列積ではなく、 式 (2.3.3)に示す確率和の計算を用いる。 また Ig(i)はブロック i から出火する場合の初期状態で ある出火確率であり、 Ig(i) = {0, 0, …, ii, …, 0} 初期消火失敗確率:Fe = {fe1,fe2,…,fen} (2.4.4) 局所消火失敗確率:Ff = {ff1,ff2,…,ffn} (2.4.5) 自衛消防失敗確率:Fp = {fp1,fp2,…,fpn} (2.4.6) 公設消防失敗確率:Fb = {fb1,fb2,…,fbn} (2.4.7) (2.3.2) と表されるベクトルである。 例えば、ブロック数 4、単位時間数 2 のとき、ブロッ ク 2 から出火する場合の各ブロック焼損確率 P(2,2)は、 すると、ブロック i から出火した場合の T 単位時間後 のブロック火災確率 P(i,T)は、 P(2,2) = Ig( 2)・S 2 P(i, T ) = Ig(i)・STe・(1 − Fe ) 1 S 21 = [0, i2,0,0]・ S 31 S 41 S12 S13 1 S32 S 23 1 S 42 S 43 S14 1 S 24 S 21 ・ S 34 S31 1 S 41 S12 S13 1 S32 S 23 1 S 42 S 43 S14 S 24 S34 1 + Ig(i)・STe・Fe・S f ・(1 − Ff ) T + Ig (i )・S Te・Fe・S f ・Ff ・S p・(1 − Fp ) T + Ig (i )・S Te・Fe・S f ・Ff・S p・Fp・S Tb・(1 − Fb ) T S12 1 S13 S 23 S32 S 42 1 S 43 S14 S 24 S34 1 T (2.4.8) ここで、 Tf:出火から初期消火までの単位時間数 Tp:初期消火から局所消火までの単位時間数 Ts:局所消火から自衛消火までの単位時間数 Tb:自衛消火から本格消火までの単位時間数 = i2 ・{S21 ⊕ S21 ⊕ S23S31 ⊕ S24S41, S21S12 ⊕ 1 ⊕ S23S32 ⊕ S24S42, S21S13 ⊕ S23 ⊕ S23 ⊕ S24S43, T = Te+Tf+Tp+ Tb S21S14 ⊕ S24 ⊕ S23S34 ⊕ S24} (2.4.9) さらに、消火段階によって焼損状態の生起確率が異な ることを表現する。 損害レベル生起確率として、 = i2 ・{S21 ⊕ S23S31 ⊕ S24S41, 1, S21S13 ⊕ S23 ⊕ S24S43, S21S14 ⊕ S24 ⊕ S23S34} T + Ig (i)・S Te・Fe・S f ・Ff・S p ・Fp・S Tb・Fb T 1 S = [i2 S21 ,i2 ,i2 S23 ,i2 S 24 ]・ 21 S31 S 41 T (2.3.3) 2 l m11 l m12 ・・・ lm1n lm 21 l m22 ・・・ lm 2 n Lm = : : l m 3n lmk1 lmk 2 ・・・ lmkn 4 (2.4.10) 2 5 6 ここで lmij は消火段階 m、損害レベル i、ブロック j に おける生起確率を表す。 これと対になる損害額の情報は下式で定義する。 lrm11 lrm12 ・・・ lrm1n lrm 21 lrm 22 ・・・ lrm 2 n Lrm = : : lrm3n lrmk1 lrmk 2 ・・・ lrmkn 3 1 Figure 3.1.1 Block Layout in a hypothetical Factory (2) 火災伝播確率マトリックス 各ブロック間の火災伝播確率は、2 ブロックのブロッ ク間距離及びブロック間隔壁状況、および各ブロックの 規模、可燃性レベル等から総合して決定した。 その結果、火災伝播確率 S は下式の通りとなった。 (2.4.11) 0.16 0.02 0 0 0 1 0 . 16 1 0 . 000417 0 0 0 0.02 0.000417 1 0.025 0.0125 0 S= 0 0.025 1 0.125 0 0 0 0 0.0125 0.125 1 0.0125 0 0 0 0.0125 1 0 ここで lrmij は消火段階 m、損害レベル i でのブロック j の損害額を表す。 すると、式(2.4.8)は、 P(i, T ) = Ig(i)・STe・(1 − Fe )・Le + Ig(i )・STe・Fe・S f ・(1 − Ff )・Lf T (3.1.1) + Ig (i )・STe・Fe・S f ・Ff・S p・(1 − Fp )・L p T T + Ig (i )・S Te・Fe・S f ・Ff・S p・Fp・S Tb・(1 − Fb )・L b T T + Ig (i)・S ・Fe・S ・Ff・S ・Fp・S ・Fb・L max Te Tf Tp Tb なお、上式は対称行列となっているが、火災伝播確率 マトリックスは必ずしも対称行列である必要はない。 (2.4.12) (3)ブロック情報 各ブロックの再調達価額、消火失敗確率、及び各ブロ ックの各消火モードにおける損害率は Table 3.3.1 の通り とする。 消火失敗確率は、各々のブロックにおける可燃物量、 従業員・消火設備の管理レベル等から判断している。本 モデルでは、理論上はブロック相互間の制約はない。 またこの例では、局所消火設備が存在せず、消火モー ドを初期消火、自衛消防、そして公設消防の 3 モード、 各消火モードに入る単位時間数は各々3、7、5、公設消 防失敗時の損害率はいずれのブロックも 100%と定義し た。 また本論では、リスクマネジメントにおける火災対策 の適用効果も計測するため、局所消火設備が工場全体に 設置された場合も加えて検証する。この場合の各ブロッ クの局所消火失敗確率を 0.1、成功時の損害率を 10%と 設定する。 最終的に、上式より求められた各項の、各ブロック毎 の生起確率と式(2.4.11)の損害額から成るデータセッ トを作成し、リスクカーブを描くことができる。 3.実際の適用例 ここでは、仮想の工場に対し火災伝播確率マトリック スモデルを用いた火災リスク定量評価を行う。 (1) ブロック分割 実際のラインを組み合わせてブロック化するために、 Table 3.1.1 のようなリスク度を定義し、細枠で囲まれた ライン毎にリスク度を判定した。そして近接するライン で同一のリスク度を持つものを同一ブロックとして集約 した(Figure 3.1.1)。ブロックの大きさは特に均一である 必要はないが、実際にはブロック自体の特徴はブロック 間の相対的な情報として火災伝播確率マトリックスに含 まれる。また当然ながら、ブロックを細分化すればする ほど詳細な分析を行うことができる。 Table 3.3.1 Condition of each block Failure Prob. Loss Ratio (%) of Fire Fighting Block Value (i) (mil) Table3.1.1 Definition of risk levels Contents Level 0 Level 1 No Loss Slight Loss Fire Vulnerability by Fire by Fire No possibility little possibility Ignition Level of Ignition of Ignition No possibility little possibility Fire Spread Level of Spread Fire of Spread Fire Level 2 Medium Loss by Fire Medium possibility Medium possibility Extin Private Public -guisher Brigade Brigade (fei) Level 3 Heavy Loss by Fire High possibility of Ignition High possibility of Spread Fire 1 2 3 4 5 6 3 341 171 763 171 1,335 271 0.2 0.2 0.1 0.2 0.15 0.1 (fpi) 0.5 0.5 0.3 0.5 0.4 0.3 (fbi) 0.3 0.3 0.05 0.3 0.15 0.05 Ext Pri. Bri. (lrei ) (lrpi ) (lrbi ) 20 20 20 20 20 20 40 40 40 40 40 40 1 1 1 1 1 1 (4)各消火モードにおけるブロック毎の火災確率 以上より、式(2.4.12)を用いて各消火モードにおける ブロック毎の火災確率ならびにその確率に対応する損害 額を算出した。 ここで、出火確率は工場全体の年間出火確率より、各 ブロック毎の年間出火確率を出火レベルにより加重平均 して求めている。さらに工場全体の年間出火確率は、 (株)損害保険ジャパンの過去の火災保険における契約・ 支払データを参照して仮定した。 また、ここでは通常発生し得る火災事故を再現するため、 2 個以上のブロックからの同時出火は想定していない。 (6)火災対策の適用例とその比較 ここでは、前項で求められたリスクカーブを基に、火 災対策の効果判定例について論じる。 Figure 3.5.1 より、いずれのカーブも最大損害額は全ブ ロック全焼である約 30 億であるが、その年超過確率は 大きく異なり、局所消火設備を設置した場合は設置して いない場合の 1/10 となっている。 これは、局所消火の失敗確率が 0.1 であるため、それ 以上の損害となる確率が 1/10 となった結果である。 また、損失期待値については、局所消火設備の有無に より約 4 倍の差が出ている。 1/1000 の VaR で比較しても、同様に約 4 倍となってお り、金額にして 1.5 億の差となっている。 これらの指標を用い、設置コストとの比較を行うこと によって工場への局所消火設備設置の検討を行うことが 可能であろう。 (5)リスクカーブ ブロック毎の火災確率結果及び定義された損害率と各 ブロックの再調達価額から、年間発生確率と損害額のデ ータセットを作成し、リスクカーブを算定した。この算 定は、局所消火設備が設置されている場合といない場合 の 2 通りについて行っている。 結果として得られたリスクカーブは Figure 3.5.1 の通 りであり、損失期待値、VaR は Table 3.5.1 の通りである。 上図にて、まず局所消火設備が設置されていないカー ブ(実線)に着目してみる。左端の傾きが急な部分が初 期消火モード、その右に連なる若干なだらかな部分が自 衛消防モード、そして公設消防モード、全損モードと、 損害額が大きくなっていくに従って連続している。 今回のケースでは、各ブロックの再調達価額に大きな 差があるため、比較的連続的な傾斜を持つ曲線となって いるが、ブロック毎の再調達価額が近接した値の場合、 各モード毎にカーブが棚状になる特徴が確認されている。 また、約 12 億から約 27 億における直線部分は、第 5 ブロックが全焼するか否かで損害額が大きく分かれた部 分である。より詳細に評価する場合は、第 5 ブロックを 細分化する方法も考えられよう。 4.結 語 以上の通り、本論では火災伝播確率マトリックスを用 いることにより火災伝播現象を確率的に表現し、それを 適用したモデルによってリスクカーブを算定する手法を 提案した。本論で述べたモデルは、厳密にいえば火災伝 播現象を純粋に物理的に表現したモデルではない。確率 を用いることにより、物理現象を近似的に表現している モデルである。 しかしながら、現状において純粋な物理モデルによっ て火災伝播現象を再現することはかなり困難である。 また本論で述べたモデルでも、火災伝播確率マトリッ クスの算定において、熱量計算等の物理モデルを完全で はないにせよ近似的に取り入れることは可能である。 さらに、本モデルではその後の計算も容易であるため、 十分実用的なモデルと考えられる。 結論としては、以下のように挙げられる。 • 火災伝播現象を確率的に表現する火災伝播確率マトリ ックスを用いた火災リスク定量評価モデルを構築した。 • 同モデルに用いる火災伝播確率マトリックスを定義し た。 • 同モデルには消火モードも導入し、実際の火災事故を 再現するモデルとしている。 • 同モデルを用いて、リスクカーブによる仮想工場の火 災リスク定量評価を行った。 • さらに同モデルにより、消火設備設置による影響評価 を定量的に行った。 • 最後に今後の課題としては、以下が挙げられる。 • 火災による煙損、消火活動による水濡損の評価を導入 する。 • 火災伝播確率マトリックスに熱量等の物理特性を導入 し、検証を行う。 Annual Exceeding Prob. 0.01 No Fixed Fire Fighting 0.001 With Fixed Fire Fighting 0.0001 0.00001 0 500 1,000 1,500 2,000 2,500 3,000 3,500 Loss (mil) Figure 3.5.1 Risk Curve Table 3.5.1 Expected Loss and VaR No Fixed With Fixed Fire Fighting Fire Fighting 1.084 0.287 Expected Loss 0.354% 0.009% Expected Loss Ratio 197 50 VaR (0.001, mil) 5.参考文献 1) Rionaldo. B. Schinazi, Classical and Spatial Stochastic Processes, Birkhauser, 1999 2) Mamoru Mizutani, A Maintenance Planning Method (MPM) for Deteriorating Structures, Structural ICOSSAR’97 Vol.1, pp.443-450, 1997 4 Safety and Reliability,
© Copyright 2024 Paperzz