恋愛と贅沢と資本主義

第二回マクロゼミ:2012/04/17
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』
担当班:渡辺、靏、高柳、松井、小路
ヴェルナー・ゾンバルト Werner Sombart
ヴェルナーゾンバルト(1863~1941)はドイツの経済学
者、歴史学者である。ベルリン大学で G.V シュモラー、
A。ヴァーグナーに学び、同時にマルクスの『資本論』
に共鳴する。大学卒業後、イタリアに留学し、イタリア
の資本主義発達史に興味をもち、その後、ブレスラウ大
学教授となる。ウェーバーらと一緒に『社会科学および
社会政策雑誌』を編集する。ベルリン商科大学教授を経
て、1907 年、ヴァーグナーの後任としてベルリン大学教
授に就任する。また、マルクスと社会主義の影響下に『近
代社会主義と社会運動』を書いたが、後年には反唯物史
観とディルタイ的精神史観に立って『近代資本主義』を『高度資本主義』を書く。ゾンバ
ルトの資本主義論は、冒険的企業家を主人公にするもので、彼は企業家精神をファウスト
主義と呼んでいる。本書においても、奢侈を経済発展の原動力とみるように、ゾンバルト
は一貫して流通と消費の観点から資本主義を理解する精神史家であった。
(参考文献)
『岩波哲学・思想事典』廣松渉ら[編]、1998 年 岩波書店
問 1 中世~18 世紀におけるヨーロッパの社会変化について以下の問について答えよ。a.
新貴族出現の経緯について説明せよ。(第一章参照)
[引用]
p.17: 騎士道の没落、貴族の都市化、絶対国家の形成、芸術・科学の復興、社会的才能、巨
大な富の発生等々がこれにあたる。
p.21: 中世初期の富のすべては、ほとんどもっぱら土地所有からなっていた。
p.30: 換言すれば、新興成金の大部分が貴族に列せられたということだ。
同上: 貴族の栄誉と市民の金との融合は、ここ数世紀の間、いやしくも資本主義的文化をも
つ国々では、すべて一様に行われてきた。
同上:
(一)何らかの功績をあげたか、或いはこうした功績に匹敵するような金額を提供したことに
よって貴族に列せられるチャンスをつかみ、その結果、貴族の称号を受けた場合。
(二)世襲貴族と結びついた位階や官職を与えられた場合。
(三)従来世襲貴族が等しくしがみついていた土地を獲得した場合。
他方では、古い名門の貴族の一部は彼らの家族に往時の輝きを与えるために新興成金層
の前に身を屈し、結婚という方法を通じ、必要不可欠な何百万という金を入手するように
なった。
p.36: イギリスで貴族の一員となれるかどうかは、経済的諸関係の変革によって言わば自動
1 / 10
第二回マクロゼミ:2012/04/17
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』
担当班:渡辺、靏、高柳、松井、小路
的に規定されており、上り坂にある成金は、彼らの社会生活での意義の向上にともなって、
しだいに貴族界へと足を踏み入れたという事情があった。
p.38: 金の力は、デフォーの頃ははじめてはっきりと自己の地位を確立しはじめ、十八世紀
の終りになって完全な勝利に到達したことになる。
同上: しかし重要なことは、初期資本主義のあらゆる時期を通じて、富者の目標は、結局の
ところ社会的に高級な階級、つまり貴族、ジェントリーの一員に加えられることだという
考え方があったことである。
同上: とりわけジェントルマンにとって自明のならわしとされる紋章の使用が、貴族に仲間
入りする資格とされたことに、貴族階級の封建的性格が残っている。
[解答]
新貴族は富裕層によって金で買われた物である。尊敬されるために貴族に、特権階級に
なりたい、もしくは子供をそうさせたいと考えた行いである。この富裕層と言われる者た
ちは初期資本主義の時期に増えていったもの、もとい貨幣経済の活発化で生まれた貧富の
差から誕生した者たちである。当初、封建社会では大土地所有者である貴族が資本の持ち
主であった。だが、資本主義化の波が貨幣経済の導入、アメリカの発見、東インド会社等
が徐々に起きることによって富が溢れ、1600 年代には新興成金が生まれた。国家もこの動
きを当初は警戒したが、貴族は新興成金の金に目をつけた。なぜなら、貴族は封建社会の
時代とは違い貨幣による出費が生まれ、土地からの税金では貴族としての維持費を賄えな
くなっていたので、貨幣を握っていた新興成金の金に目が眩んだ。貴族になるための条件
は次第に緩和され、貴族になった新興成金に世襲を許すなど様々な方法をとって貴族と新
興成金は混ざっていった。だが、貴族の血筋にこだわったものたちはこの状況にあまり良
い感情を持っていなかったのも事実である。
富裕層・新興成金は様々な条件を金の力で解決して貴族の地位を手に入れていった。彼
らは一生懸命に努力をした。その努力として貴族の条件である紋章を得ようとする等、出
費に出費を重ねて新貴族になっていった。だが、貨幣を稼ぐ行為は不当な方法で富を得て
いるという意識が貴族・平民共通の常識としてあった。その為、金を稼ぐ手段は残しつつ
も、金を稼ぐという行為から一定の距離を取りながら貴族へと成り上がった。富裕層・新
興成金は金を稼ぐことが下賎であるということから自分たちをブルジョワと区別していっ
た。だが、貴族が持つ特権は侮れないものがあり、こぞって貴族になろうとした。
b. 大都市が形成された過程について説明せよ。(第二章参照)
[引用]
p.59: 初期資本主義時代の大都市も(否、この時期にこそとくに)完全な消費都市であった。
大消費者は周知のように王侯、僧侶、高官であったが、それに新たに追加された主要なグ
2 / 10
第二回マクロゼミ:2012/04/17
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』
担当班:渡辺、靏、高柳、松井、小路
ループは大資本家であった。(資本家は国民経済の組織の中で生産者の機能をはたしたこと
となんら矛盾することなく、彼らを当然、消費者とみなしてもよい)。大部分はここに最大
の(そしてほとんど大部分の)消費者が居住していたために、あのように巨大になったのであ
る。都市の拡大はまた本質的には、消費が国の中心となる都市に集中したことによるもの
だ。
p.61: 消費の集中が初期の大都市の発生をうながしたこと、さらにそのさい、一般的な資本
主義的発展の圧力がかかっていた
p.63: 贅沢ざんまいの享楽生活を煽り、これが多数の外国人をおびきよせた。
p.74: 新規に重要な居住者、すなわち国に債権をもつ人々と大財産家が加わった。
p.75: 国の債務によって、大勢の人口、多量の富の首都流入が行われた。
p.81: これら貴族のために、大家屋が建てられ、また彼らがここに居住したことにひきつけ
られてやってくる商人、手工業者、その他すべての職種の者たちのためにも、無数の家が
建築される。
同上: 事業家はここに家を建てたり、他の者が建てた家を借りて住むようになる。
p.85: ありとあらゆる芸術ならびに手工業の作品を手にいれ、これを消費し、俗化した。
p.86: さらにそのまわりに、毎日働いたり、他人に奉仕することによって生活の糧を得てい
る商工業従事者がまず群居したと考えたのである。
[解答]
初期資本主義時代の都市は、完全な消費都市であった。この時代の大消費者は、周知の
ように王侯、僧侶、高官であり、かれらは、快適で、生活をより充実させるために都市に
住み、宮廷をかまえ、彼らの富により都市では消費が行われていた。そして、ここに新た
に出現したのが、大資本家や新貴族、新興成金である。彼らが富をもったこと、また、国
に債務を持つ人々や大財産家も加わり、消費が頻繁に行われる宮廷周辺(都市周辺)に居住し、
都市での消費はさらに増加した。ヴェネツィアでは、消費される巨大な富は、贅沢ざんま
いの享楽生活を煽りだし、さらに多数の外国人もおびきよせるようになったとも本書には
記されている。こうして富をもつものが、贅沢な生活を行いたいがために、都市に群がり、
巨大な消費都市を生み出していったのだ。大都市になるためには、消費者が存在し、消費
が行われるということが非常に重要になってくる。いくら生産が行われている都市であっ
ても、消費する人がいなければ、その生産物は不必要なものにしかならないのだ。また、
大消費者が増えれば、消費されるための生産物の量も当然増える。そして、この生産物を
生みださせるために、資本を持つものが、資本を持たないものを雇い、奢侈品など、かれ
らが求めているものを作らせることで、さらに都市周辺に大勢の人口が集まった。富をも
つものらは、自分の富と奢侈ぶりを他人にみせびらかしたいがため、ありとあらゆる芸術
品や手工業の作品や奢侈品を手にいれ俗化した。このような彼らの欲を満たすために集ま
る、あらゆる職種の生産者たちや事業家は、ここに家を建て、また他の者が建てた家を借
3 / 10
第二回マクロゼミ:2012/04/17
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』
担当班:渡辺、靏、高柳、松井、小路
りて住むようになる。王侯や貴族、大消費者たちの生活をより豊かなものにするために、
都市に集まり、かれらに奉仕して、自分たちの生活の糧を得ようとしているのだ。このよ
うに、もともと王侯らによって消費が国の中心でなされていた都市に、富を持つ大消費者
と消費されるものが増加し、それを作りだす人たちも集まって、大勢の人口と多量の富が
都市流入した。そして経済が活発化し、資本主義的発展もめざましくなったことによって、
国の大部分の消費が都市で行われるようになり、大都市は形成されていった。以上が、大
都市が生み出された発生理論である。
問 2 p.118f「彼女たちが高い意味をもちえたのは…十四人の枢機卿に囲まれてローマ教皇
みずからとり行ったためである」とあるがこれはどういうことか、以下のキーワードを用
いて説明せよ。(第三章参照)[キーワード: 高等娼婦、愛妾経済、愛、結婚]
[引用]
p.92: 中世ヨーロッパは両性間の愛の調和的な現象を、すべての人間の行為と同様に、一段
高いもの、すなわち神への奉仕にしたがわせた…神によって浄められず、あるいは制度上
結ばれていない性愛はすべて、
「罪」の刻印を押された。
p.93: 愛の本質について根本的に違った考え方が、ミンネザンク〔中世の恋歌〕が起こった
世紀にまず広範囲の人々の間に浸透した。すなわち、これはあらゆる点で愛のいとなみの
世俗化がはじまった十一世紀以来のことである。
p.96f: フィレンツォーラは、十五世紀に新時代の美の理想をいわば綱領としてかがけた。
ともかく愛することは楽しむことである。
「愛は楽しみ以外の何物でもない…楽しむことは、
生活の究極の目的である。人は何か背後にある目的のために楽しむのではない。楽しみ自
体が目的である。
」
p.103: 十三世紀以来、しだいに明るみに出てきた女について、それに女への愛についての
こうした快楽主義的・美学的な考え方は、明らかに、それまで愛を封じこめておいた宗教
的ならびに制度上の紐帯と対立するようになった。
p.111: 表面的な文化の形成にとって重要であったことは、非合法の恋愛、つまり自己目的
としての恋愛がひろがるにつれて、由緒正しい婦人と娼婦の中間に、ロマン系言語の中で
さまざまなことばで表現されている新しい層の婦人が出現したことである…。
p.112: はじめは、高等娼婦とか媚を売る女は宮廷に仕える女性以外の何者をも意味してい
なかった。
p.113: しかし、教会貴族のまわりにいる婦人たちは高位高官の男性と純粋に精神的な交わ
りを結ぶことから一歩踏み出すやいなや(そうしたケースは珍しくなかった)、つねに愛妾に
化していた。このように、まったく外面的根拠からしても、宮仕えの女は高等娼婦に変わ
っていったに違いない。
p.114: 媚を売る女の王国は…宮廷が近代的意味で女とともに女によって誕生した頃の時代
4 / 10
第二回マクロゼミ:2012/04/17
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』
担当班:渡辺、靏、高柳、松井、小路
になって、はじめて出現したのだ。この頃から、求愛は宮廷生活の内容となり、飾りとな
った。
p.115: 宮仕えする女は、王侯君主を皮切りに、次々と廷臣の愛妾となり、そして彼女たち
が(今日用いられている意味での)高等娼婦となった。
p.120: 女をかかえるために必要となる経費は…相当の財産家の予算内でも最大の額を占め
たと、この問題に関する最良の識者はくわしい調査にもとづいた報告を残している…。
p.121: すべての上流社会の生活慣習を規定したのは、まず第一に宮廷社会であった。
p.122: 最も重要なことは、娼婦たちの生活方式が、外面的には社交界(当時は上流社会のす
べての婦人)の生活のあり方の模範になったということだ。
[解答]
中世ヨーロッパにおける愛とは、神によって浄められ、結婚によって制度的に認められ
るものであり、結婚を介さない性愛はすべて「罪」と見なされていた。しかし、11 世紀頃
から、ミンネザンクに見られるような愛の本質について根本的に違った新しい考え方が
人々の間に浸透し、結婚という枠にとらわれない自由恋愛(=非合法恋愛)が姿を見せ始めた。
つまり、愛は神への奉仕にしたがわせるものという従来のタイプに対して、自己目的とし
ての愛が広まり、愛は楽しむものであるという考え方を人々が持ち始めたのである。この
新しい、愛についての快楽主義的・美学的な考え方が次第に勢力を拡大するにつれ、この
新しい愛の考え方は、これまで愛を封じこめておいた宗教的ならびに制度上の紐帯と対立
するようになった。しかし、非合法恋愛がひろがるにつれて、由緒正しい婦人と娼婦の中
間に、高等娼婦・媚を売る女・愛妾などと呼ばれる新しい層の婦人が出現した。彼女らは、
初めは宮廷に仕える女性以外の何者でもなかったが、次第に教会貴族の高位高官の男性と
純粋に精神的な交わりを結ぶことから一歩踏み出し――非合法恋愛へと走り――、彼らの愛
妾と化していった。この事実は、旧来の愛についての考え方に従っていた教会関係者に、
非合法恋愛の体現者である彼女らが結びつき、取り入ったことを示している。彼女らは、
かつては対立していたはずの教会幹部、枢機卿、さらには教皇をも取り込み、虜としてし
まったのである。また、同様に彼女らは、王侯君主を皮切りに、次々と廷臣の愛妾となっ
ていった。このように、彼女らは、王侯君主や教会貴族の愛妾として公に認められたこと
で(そして、これにより非合法恋愛が公に認められたことで)、彼女らは社会の表舞台に立ち、
高等娼婦の称号を持つに至ったのである。宮廷と教会の人間は彼女らを寵愛し、そのため
に多額の経費を出し、その大金よって経済はまわった。これが、愛妾経済の所以である。
また、すべての上流社会の生活慣習を規定したのは、第一に宮廷社会であったために、
上流社会は、非合法恋愛で彩られた宮廷社会をモデルとして、変化していった。いわば、
高等娼婦たちの生活方式が、上流婦人の生活のあり方の模範になっていったのである。
5 / 10
第二回マクロゼミ:2012/04/17
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』
担当班:渡辺、靏、高柳、松井、小路
問 3 p.196「中世の奢侈のほとんど多くは公共的であったが、それがしだいに個人的になっ
ていった。
」とあるが、これはどのようなことか説明せよ。(第四章参照)
[キーワード: 動機、消費、即物化、繊細化]
[引用]
p.131: 奢侈、贅沢とは、必需品を上まわるものにかける出費のことである。
p.132: 奢侈は、量および質の二面から定められる。奢侈は量的には財貨の浪費と同じこと
を意味する。
同上: 質的な意味での奢侈は、よりすぐれた財貨の消費のことをさす。また、奢侈が量的か
つ質的な意味をあわせもつこともある(実際には、質量ともに贅沢ということが多い)。
同上: 質的な奢侈の概念から導かれるのは、精巧につくられた財貨と同じとも考えられる贅
沢品である。もともと物を精巧に仕上げるということは、必要不可欠な目的を満たすこと
を上まわって手をかけることのすべてをさす。また精巧なものを作り上げることは、根本
的には、材料および形式という二つの面で実現される。
p.133: 精巧品を必要とし、それによって満足を得るという形の奢侈は、きわめて多様な目
的をもっており、そのためにやはりきわめて多様な動機によって動かされている。人が黄
金で飾りあげられた神殿を神に捧げることも、自分のために絹のシャツを買うことも、と
もに贅沢にはちがいないけれども、この二つの行為には、天と地の差があることがただち
に感ぜられるであろう。おそらく神に神殿を捧げることは、理想主義あるいは利他主義に
もとづく奢侈とされるのに対し、絹のシャツを買うことは唯物主義あるいは利己主義にも
とづく奢侈と名づけることができよう。
p.133f: つまり同じ奢侈でも、人間が利己的な動機でつまらない物によっておのれの個人生
活に色をそえるのに役だつような奢侈が問題になるわけだ。
p.144: この時代の奢侈は、とりわけ祭典、公式の博覧会、人の接待、それにいかめしい行
列などの面で最もはなやかにくりひろげられた。
p.176: 近代社会の発展にとって一般的に重要な意味をもっているように思われる点は、富
みの神、それは手持ちの巨大な資本を駆使して豪華な生活をくりひろげる能力以外の何物
をも持っていない裕福な新興成金たちが、その唯物主義、拝金の世界観を昔からの貴族の
家柄の者たちにも伝えるばかりか、彼らを贅沢ざんまいの暮らしの渦中に巻き込んだこと
である。私は拙著『近代資本主義』の中の財産形成をあつかったくだりで、貴族の貧窮化
が市民階級の資本家を富裕にする源泉であったことを述べ、さらに同じ場所で、封建的財
貨の市民的財貨への転換が、十字軍以来、ヨーロッパのすべての国で中断することなく行
われた過程を示した。
p.197: ところが、時代がすすむとともに奢侈はだんだんと家の中に、家庭的なものに置き
換えられていった。女性が奢侈を家の中にひきずりこんだわけである。
p.198: 経済的にいえば、こうした変化はやはりきわめて相対的である。アダム・スミスな
6 / 10
第二回マクロゼミ:2012/04/17
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』
担当班:渡辺、靏、高柳、松井、小路
らきっと次のようにいったであろう。人は非生産的奢侈から生産的奢侈に移行した。
同上: 実際、奢侈需要の即物化は、資本主義の発展にとって根本的な意味があった。
同上: これは奢侈の即物化と手をたずさえて登場し、女性が全精力を傾けて促進した傾向で
ある。奢侈の感性化とは何かというと、それは、奢侈がしだいに理想主義的な生の価値(芸
術のような)にではなく、もっと動物的な、低度の本能につかえるようになる動きである。
p.199: 繊細化ということは物を生産するさいに、生きた労働力の消費を増すことであり、
より多くの労働によって素材に浸透し、素材を吸収することであるとされている(繊細化
が、めったにはない材料を使うという意味ではない場合)。しかしこれによって資本主義的
工業にとっても、資本主義的商業にとっても(はるかかなたの土地から材料を仕入れるこ
と!)
、その行動半径が本質的に拡大されることになった。
p.200: 使用者がより迅速に手に入れることができるよう、より短い時間内に贅沢品が生産
されることでもよいわけである。
p.208: すなわち、かつては巨大な広々としたお城であったものが、いくらかこぢんまりと
はしたものの、室内には貴重な品々がぞくぞくともちこまれるというのが都市内の住居の
特徴である。宮殿が邸宅にとって代わられたわけだ。
[解答]
そもそも贅沢、奢侈とは必需品を上まわるものにかける出費のことである。そしてその
奢侈には二つの面がある。一つは量的な奢侈、もう一つは質的な奢侈である。量的な奢侈
とは財貨の浪費、つまり無駄遣いを意味している。一方、質的な奢侈とは、材料および形
式という二つの面において、そのものの必要不可欠な目的以上に手をかけることである。
本章の導入部分で、奢侈の動機が二つあると述べられている。その二つとは、その奢侈が
利他的であるか、利己的であるかである。以降、資本主義の発展などに大きな影響を与え
るのは、利己的奢侈である。そして、この利己的奢侈の普及に大きな影響を与えたのが宮
廷に入り込んだ愛妾であり、またその利己的奢侈の概念を社会全体に広めるのに大きな影
響を与えたのが新興成金たちであった。
まず、近代社会の発展にとって一般的に重要な意味を持っているのは、手持ちの巨大な
資本を駆使して豪華な生活をくりひろげていた裕福な新興成金たちであり、その唯物主義、
拝金の世界観を昔からの貴族の家柄の者たちにも伝えるばかりか、彼らを贅沢ざんまいの
暮らしの渦中に巻き込んだことである。それまでの奢侈は、祭典、公式な博覧会など、公
的、また外で行われ、公に貴族が自分の奢侈ぶりをひけらかす、といったものが主であっ
た。しかし、前の章でも述べられていたが、愛妾が宮廷内を完全に支配し、奢侈の方向を
決定するようになってからは、その奢侈の形式も従来のものとは異なるものとなった。彼
女たちは宮廷における奢侈を、屋外の公的なものから、屋内の個人的なものに変えたので
ある。つまり、奢侈が公で楽しむものから、個人のみが楽しむものへと変化していった。
この奢侈の即物化は、奢侈の動機が利己的なものとなったことを表している。このことを
7 / 10
第二回マクロゼミ:2012/04/17
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』
担当班:渡辺、靏、高柳、松井、小路
経済学的に言えば、人が非生産的奢侈から生産的奢侈に移行したということであり、この
奢侈需要の即物化は、資本主義の発展にとって根本的な意味があった。
さらに、その資本主義を広い範囲に拡大させる要因となったのが、奢侈の感性化、繊細
化であった。このころも奢侈の根底的な動機を握っていたのは女性であった。そして、そ
ういった贅沢な生活をおくる女性が増えることにより競争が生じ、女性たちはより贅沢な
物、つまりより繊細な奢侈品を求めるようになったのである。この奢侈の繊細化とはつま
り、物を生産するさいに、より人の手のかかったもののことであった。さらには、このこ
とによってはるかかなたの土地から材料を仕入れるということが行われるようになり、資
本主義的工業にとっても、資本主義的商業にとってもその行動範囲を広げるものとなった。
しかし、奢侈がもたらしたのはこれだけではない。奢侈は都市の発達にも大きな影響を
与えている。住宅の奢侈の発展により、その宮殿や宮廷の周りにその需要にこたえて多く
の人が集まるようになり、大都市が発達した。そのことにより都市での奢侈も形を変え、
住居も巨大で豪勢な宮殿から、邸宅へと変わった。そして、その室内には貴重な品々が持
ち込まれ、より個人的奢侈の風潮が強まった。
問 4 奢侈と資本主義の発展はどのような関係があるか、ゾンバルトの主張を明らかにしな
がら、説明せよ。(第五章参照) [キーワード: 販路、需要、奢侈工業]
[引用]
p.246: 資本主義的企業は…交換価値の最小限の販売を必要とする…一つは商品取引の頻度
であり、もう一つは売られる商品の交換価値の大きさである…売られる商品の交換価値は
個々の商品の交換価値の大きさであり、もう一つは商品の数量である。
p.259f: 海外との貿易はなんといっても奢侈消費の所産であり、裕福な人々ばかりが個人的
にたずさわる事業にすぎなかった…贅沢品の流入がなかったならば、貿易全体は成立しな
かったであろう。
P268: 裕福な人々の間で、贅沢ざんまいの暮し方をしようという傾向がやにわに表面化し
た時代、つまりブラジルの金が…相場師のふところをいっぱいにしはじめた一七〇〇年頃
…商人たちが富者の奢侈需要を充足させるために、従来の手工業段階ののんびりした行き
方を改め、資本主義的なコースに駆り立てられたもようは、はっきり認めることができる。
P273: 奢侈品の取引が、やにわに高まった需要のために短期間に急速にふえ、昔の業者が
古巣を去っていったことである…近代の商人根性が静かな小売商の店先にも侵入する糸口
ができた…中世風の小売業が資本主義的な企業に転化することも時間の問題となった。
P273f: 仲間と競争せざるをえなくなった関係上、お客をひきつける最もつごうのよい方法
を案出し、それを実際に適用せねばならなくなったからである。そして、まさにこのこと
が資本主義的精神の登場を意味した。
P277: 広大のすべての資本主義的発展を何よりも特徴づける業者と客との間の関係の即物
8 / 10
第二回マクロゼミ:2012/04/17
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』
担当班:渡辺、靏、高柳、松井、小路
化は、こうした贅沢品をあつかう業種ではじまった。
p.300: 奢侈によって資本主義が発生することもある。だがこれを可能にしたのは何よりも
大量販売である。もちろん、この大量販売も奢侈需要のおかげでできたものだ。
p.303: おそらく最初の家内工業的経営が発達したであろうように、手工業的工場制度やさ
らにすすんだ工場制度が、絹織物工業の領域ではじめて完成した形式をとるようになった。
p.340: 支配的な意見の代表者は次のように答えている。地理的な販路の拡大のおかげで、
資本主義は、工場労働に対して権力をふるうようになったのだと。私はまったく逆の意見
を回答したい…強大な奢侈消費の形成が工業生産組織に与えた影響だということだ。
p.344: 初期資本主義期において、流行、趣味を支配しはじめた富者の気分の急変のおかげ
で、売行きが停滞することになるが、それとともに生産者としては、いやしくもふたたび
新しい需要にこたえようとするならば、つねに融通性のある頭のきりかえを必要とする。
マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
p.207: カルヴィニズムはその発展の過程で或る積極的なものを、つまり、世俗的職業生活
において信仰を確証することが必要だとの思想をつけ加えた。
p.307: 神の摂理によってだれにも差別なく天職である一つの職業(calling)がそなえられ
ていて、人々はそれを見わけて、それにおいて働かねばならぬ…神の栄光のために働けと
の個々人に対する誡命だったのだ。
p.342: プロテスタンティズムの世俗内的禁欲は、所有物の無頓着な享楽に全力を挙げて反
対し、消費を、とりわけ奢侈的な消費を圧殺した。その反面、この禁欲は心理的効果とし
て財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放った。利潤の追求を合法化したばかりでな
く…神の意志に添うものと考えて、そうした伝統主義の桎梏を破砕してしまったのだ。
(参照)マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
大塚久雄訳 岩波書店 1905 年
[解答]
マックス・ヴェーバーはその著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のな
かで、近代資本主義の発展は宗教的な禁欲主義が理由であるとした。カルヴィニズムは積
極的に職業が信仰を確証するために必要であると説いた。また、そもそも職業(calling)とは
神によって個々人に与えられたものであり、人々はそれゆえに労働せねばならぬとした。
これは、生活するために必要な物を手に入れる以上の労働を推奨するものであり、そのよ
うな行動を正当化するものであった。しかしながら、このような思想が浸透した当初は、
利潤を追い求めることは正当化されたものの、それは神に与えられたことであることから、
消費に対しては反対であった。ゆえに、奢侈品消費はこのような思想の中では圧殺されて
いた。しかし、この思想が発展していくに従い、人々の神に対する信仰は薄れ、利潤を追
い求めることだけが残った。ヴェーバーはこのような考えから近代資本主義が発展したと
述べる。
9 / 10
第二回マクロゼミ:2012/04/17
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』
担当班:渡辺、靏、高柳、松井、小路
一方で、ゾンバルトは本著において、女性と奢侈品消費こそが近代資本主義の発展に大
きく関わっているとしている。
ゾンバルト以前の資本主義社会の発展に対する見解は、植民地であるアジアやアフリカ、
アメリカなどへの地理的販路拡大であった。この考え方は、顧客と生産者の間に直接のや
りとりがない資本主義特徴がこの経済圏拡大において発生したというものである。しかし、
ゾンバルトは、奢侈消費こそが、資本主義社会発展の理由だと主張した。確かに貿易にお
いては、アメリカやアジアで生産される物が輸入され、生産販売拠点は広くなったかのよ
うに思われた。だが実際には、これらの商品は奢侈消費の対象であり、富裕者が求める物
であり、貿易は奢侈消費がなければ成立しなかった。やがて、富裕な人々の間で贅沢が浸
透しはじめると、その影響は商業者や農業者、工業者などの様々な業界に影響を与え始め
る。そして結果的に資本主義が発展していくのである。
資本主義的企業は、商品交換の際に一定程度の利益を必要とする。そのため、商品の交
換価値を大きくするか、商品の交換を頻繁に行わなければならない。贅沢が浸透し奢侈品
の需要が高まるに連れて、長年商業に携わる者は、需要の多い都市へと移った。このこと
により、本来彼らが居たところにはその他の商業者が入ることができるようになった。こ
の業者の絶対数が増えたことにより、彼らは同業者と競争をして顧客を獲得せねばならな
くなった。これが、資本主義的精神の発展に大きく影響を与える。
さらにこの奢侈需要の影響を大きく受けたのが、工業である。奢侈需要が高まったこと
により、それらを生産するための工場は大量販売を求められた。元々はのんびりと生産を
していたが、大量に作ることを求められ、さらに商業間どうしでの競争が起こったことか
らも、需要に答えるためには、より速く生産することが求められるようになったことがわ
かる。代表的な奢侈工業である絹工業においては、いち早く、手工業的工場制度が導入さ
れた。
そしてさらに、奢侈消費をする人々は常に流行を求め、気分によっても需要が変化した。
浪費に慣れている彼らを満足させるために、生産する方は次々と新しいものを作ることが
当たり前だと考えるようになった。また、同業者との競争に勝つためにも彼らは新しいも
のを作ることを追求した。しかし、競争に勝つ人々がいるということは一方で負ける人々
がいるということも表しているのではないだろうか。そうなると、勝った人々は利潤を得
られるが、負けた人々は貧困化し、結果的に格差社会にもつながると言える。これらのこ
とからもわかるように、奢侈品は資本主義社会の発展、さらにそこから格差社会の発展に
大きくかかわっていたといえる。
10 / 10