乳・幼児の音パ認知に関する研究

奈良教育大学紀要 第38巻第1号(人文・社会)平成元年
Bull. Nara Univ. Educ. Vol. 38, No. 1 (cult. & soc.),1989
乳・幼児の音楽認知に関する研究
福井隼仁・山田裕美*
(奈良教育大学音楽教室)
(平成元年4月28日受理)
1 はじめに
乳・幼児期は発達において重要な時期である。それは単に生物学的な成熟のみならず学習とい
う環境からのインプットが加わった生物的成長が急速におこなわれる時期であるからだ。ところ
で近年の認知諸科学の研究の進展にともない、人間の知覚、学習、記憶、思考、判断、行動が次
第に明らかになりつつあるが、音楽の認知科学的アプローチはまだ緒についたばかりである。な
かでも、音楽認知の発達的研究、特に乳・幼児期における研究はZenatti (1969、 1975、 1976)
他数えるほどしかない。
本稿では現在までの乳・幼児期における音楽認知に関する研究を概観し、その将来を展望した
いと思う。
2 諸研究の概観
2. 1音楽の認知について
音楽は、単なる「音」とは異なり、 「個々の音が継時的・同時的関係に組み合わされた構造」
を持っており、音楽的な意味はその構造に兄いだされ、「音楽認知は構造認識的な性格をもつ」(辛
賀、 1987)とされる。従来からこの分野の研究は、音楽学と心理学の両面から進められてきたが、
sera fine (1983、 1985)とMarantz (1985)の論争に代表されるように、まだ方法論が確立され
るには至っていない。従来の研究は刺激対象である音の知覚や記憶に重点がおかれ、音楽を理解
すると言った高次の認知過程の研究は少なかったのである(阿部・星野、 1985)。
本稿では以上のような事柄をふまえ、現状把糎と今後の研究方向を探るため、「音楽の認知研究」
をより広義に解釈し、聴覚の発達や音の知覚に関する研究を含めてかんがえることにする。しか
し昔を認知することと、音楽認知とは同列にはあつかえないので、ここでは諸研究を1 )音の知
覚と弁別、 2)音楽認知的行動(リズムや音階、和声といった音楽学上の構成概念)に分けてあ
EE3E1
2. 2 研究の現状
2.2.1音の知覚・弁別に関する研究
音を知覚するには、聴覚の発達が不可欠であることは言うまでもないが、妊娠6ケ月を過ぎた
ぐらいの胎児では、聴覚構造は完成し、すでに音を感受できるようになると言われている(田中、
1981)。山内と大畑(1981)は、胃と腸にマイクを挿入し外界で聞こえる音と体内で聞こえる音
*現在 大阪市立西野田幼稚園教諭
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64
福 井 隼 仁・山 田 裕 美
とを比較するための実験を行ったが、女性の子宮付近でベートーヴェンのピアノ・ソナタ「悲憤」
の第2楽章が、音量は低下していたものの聞こえたと言う。この実験について圃安(1985)は「大
人の耳で聴いたものなので、まだ未分化な胎児の耳で、どの程度わかるのかは疑問である」とし
ている。また田中(1981)も同様の疑問を投げかけ、皮膚で振動覚として感受している可能性が
あるとしている。しかし妊娠5ケ月の子宮内胎児に、外から100デシベルぐらいの大きな音を聞
かせると胎児の心拍数が早くなるという実験結果の報告(久保田、 1984)がある。また実際に子
宮に小型マイクを挿入した室岡(1984)の実験では、 3000ヘルツ以上の高音はほとんど入らず、
せいぜい1000ヘルツまでだが、ヒトの話声である500ヘルツ前後が一番よく入ると報告し、妊娠
8ケ月以後は音刺激に対して聴覚は働いていると考えられると述べている。
音楽的な意味での音の高さはほぼ20から5000ヘルツの範囲内になると言う事実からすると
(Rasch&Plomp、 1987)、幅広い音域を用いる音楽は聞こえないものの、人間の声域内の音楽は
よく聞こえていると言うことになろう。また久保田(1985)はアメリカのデキャスパーがおこなっ
た実験をあげている。それによると新生児に、吸うと母親の声が聞こえる乳首と他の女性の声が
聞こえる乳首とを与えたところ、母親の声が出る方を有意に好み、このことから胎児は体内で母
親の声を聴いて覚えているのだとしている。またつぎに妊婦に、ある物語を毎日2回、 6週間に
わたり声を出して読ませ、誕生後乳首の選択による他の物語との比較実験を行ったが、体内で開
き去れた物語の聞こえる乳首を選んだとの事である。そして「胎児がたんに声の質を区別してい
るだけではなく、言葉の抑揚、音声の時間系列を識別しているためと解釈」されると結論してい
る。もしそうだとすると胎児は単に刺激としての音だけではなく構造的な音楽も認知できるとい
う可能性をもっているのではないだろうか。
出生後、新生児は初めて空気振動で伝わってくる音を聞くが、シューター(1977:61)による
とBrigerは新生児が高さの違う音にも反応しうることを兄いだしている。生後1-5日の新生
児50人を対象に、一定の周波数の音を反応がなくなるまで聞かせ、次に同じ大きさで異なった周
波数の音を鳴らしたところ、赤ん坊の動きや心拍数に変化があったという。また園安(1985)は、
男女8人ずつの新生児に女性の声とオルゴールの音楽を左右の方向を変えて聞かせたところ、平
均1.9日で声にも音楽にも正しい方向へ頭を向けたというHaltonの実験結果を紹介している。新
生児の音認知についてのもっと早期の実験としては、ブルーム(1987 の報告がある。それは生
後わずか4時間で音に対して反応し、鳴らし続けると音に対する慣化がおきるが、音を変化(音符)さすとまた反応するようになる。さらにモンクギュ- (1986)によると生後20分でヒトの
新生児は母親の話す言葉に持続的に同調してその動きをかえるという。Shuter-dyson(1987 : 479)
は「新生児がどのような覚醒時にあるときでも、音の系列や合成音声のような多次元的信号が与
えられると、刺激に応じて、特有の反応を示す」というEisenbergの実験結果を紹介している。
いずれにせよ新生児の音刺激に対する反応は従来考えられていたより大変優れていると言わねば
ならない。
音高弁別については囲安(1985)がMichelの例をあげ、 213ケ月の乳児が異なる音質を区別で
き、 3ケ月を過ぎると2オクターブの音高を区別でき、適切な経験によっては4-5ケ月で5度音
程の弁別ができると書いている。 Kuresteffは音程、音量の大小間の弁別力が生後2年までに坐
じるとしている(ラドシー&ボイル、 1985:278-279)c 音高弁別能力については、わが国にお
いてもいくつかの研究がある。山口(1975 はモンテッソーリ感覚教具の音感ベルを用い、音の
弁別能力の発達差や男女差について検討した。被験者は3才から6才までの男女で、半音間隔の
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65
13個のベルを用いた。結果は年齢が高くなるに連れ弁別が正しく行われるようだが、個人差も大
きい。また結果には男女差はなかった。萩原とピンケット(1987)は従来の測定方法が必ずしも
幼児を対象として開発されたものではないことを指摘し、その点を考慮した次のような実験をお
こなっている。つまみを回転させることによって無段階に昔高を連続可変させることができる装
置を用い、被験者が与えられた音と同一音高に調節する動作を行わせた。対象は4才から12才ま
での138名であった。実験の結果、 5、 6才の時期が音高感覚の進展が著しいと報告している。
伊藤(1986)は山口の結果に疑問を持ち、音楽テスト(音研式幼児音楽素質診断テスト)をもち
い、音高弁別について再検証した。短2度から完全4度までの比較刺激と5音の短調旋律とそれ
を移調したものが提示され、それぞれ比較させたのである。対象は4、 5才児122名で、結果は
最年長女児が高くなっているが、性別年齢による統計的有意差は認められなかったとしている。
次に彼は、半音以下の微妙な音程差の弁別について実験している。幼児のよく知っている旋律か
ら4音系列を取り出し、 3音を7種類に変化させて、標準との異同を問うものである。被験者は
5才11ケ月の幼稚園児41名であった。比較刺激は0-±100セントまで25セント刻みで高さを調
節している。 3音の平均合格率を25セント刻みでみていった結果、十50セント(1/2半音高い)
では97%の高い割合、半音程では90%を越える正答率をえた。またもっとも音程の狭い±25セン
ト(1/4半音)でも半数近い正答率であった。これらの結果から、幼児期の子供でも高い音高弁
別能力をもっているとしている。
2. 2. 2 音楽認知的行動に関する研究
2.2.2.1リズムに関する研究
音楽においてリズムとは、編成源であり活動源であるとするGastonの主張や、 Cooperと
Meyerの、音楽過程を想像し、形成する全ての要素を組織づけたり、逆に組織づけられたりする
という主張に代表されるように、音楽にとって不可欠で重要な意味を持つとされる(ラドシー
&ボイル、 1985:69)0 Fraiss (1987)は、リズムは知覚されたものに基づいて予想が可能であ
るとき、つまり、次に何が起きるかが予期できるときに存在する、と述べている。また彼は、最
も容易に知覚されるリズムというのは、一定の時間的間隔をおいて、同じ刺激が単純に繰り返さ
れることによって作り出されたものであり、生物の基本的な活動の特徴だと述べている。われわ
れの回りには様々なリズムがあふれているし、体もまた生物リズムを持っている。
乳・幼児におけるリズム行動やリズム知覚についての研究は、発達的研究と実験的研究に二分
されるが、発達的研究のほとんどが、音楽の柏に合わせる能力または、一定のリズム・パターン
を反復する能力を調査したものである。ラドシーとボイル(1985:84-85)は刺激に対する供応
的機能が未発達であるから、現れた行動が自発的なものか刺激に対する反応なのか注意を要する
と述べているO また彼らはFridmanの研究を引き、新生児の第一声は単に話し言葉と音楽性の
発生器ではなく、運動と音楽的リズムの発生でもあるとし、誕生から一才までの赤ん坊が発する
音声表明が、 「いろいろなリズムを持った、新しい運動聴覚的ステレオ・タイプ」を作り出す対
応リズムを持っていると書いている。 Fraisse (1987)は、人間の新生児にみられる最初のリズ
ム運動は吸引動作であり、 600から1200msの間隔で起こるとしている。また彼は規則的な音の系
列に合わせて運動する現象が、生後一年、またはもっと早い時期に自発的に現れるとし、 3-4
才を過ぎた頃になると、求められたときにメトロノームにあわせて打拍することができると述べ
ている。
Moogは、生後4ケ月から6ケ月の時期は、乳児があらわな運動をもって音楽に反応し始める
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段階で、身体全体を使った運動を伴うが、発達にしたがってここの身体部分を使った、より多く
の運動が含まれるようになり、生後18ケ月までに10%の子供たちが音楽のリズムに運動を合わせ
ることができるようになると報告している。またJersild&Bienstockは、 2才から5才までの子
供たちを対象に、音楽に対する拍打ちの能力を調べ、 74人の子供たちの反応を分析している。
400の拍のうち、正しく打たれた柏の数は、 2才児が84.5、 3才児が109.4、 4才児が159.8、 5
才児が192.8となり、 2才と5才ではリズム技能が大幅に発達していることがわかる(ラドシー
&ボイル、 1985:85)。沢田ら(1980)は、 5才児141名を対象に、リズム表現能力の測定と診断
を行っている。方法は1)自由唱をしながらの場面、 2)歌いながらの場面、 3)模倣打ち遊びの場面、
という3つの場面で、 1)の場面では、リズム表現能力、音程の正確さなど、 6種類の観点から分
析している。その結果リズム表現能力は、言語の発音能力の結果と並んで、他の視点よりもかな
り高い成績となっている。 2)の場面では、テープに合わせて自由にカスタネットを打たせるが、
拍子打ちはできるが、歌のリズムを意識してのリズム打ちはむずかしく、特に3拍子では顕著で
あった。 3)の場面では、リズム・パターンを模倣打ちさせ4拍子と3拍子との表現力の違い見て
いる。結果は3拍子のリズム・パターンはなかなかとらえにくいとのことでる。
リズムに関する研究では、かなり年少の子供でもリズムの差異に敏感であることが明らかにさ
れている Fraisse (1987)は、 Demany, Mckenzie & Vurpillotの報告を引用しているが、新生児
(71、±12日齢)が等間隔の音の系列(194ms間隔で持続時間が40ms)と4音からなるパターンの
繰り返し(間隔が194、 97、 194、 297ms)とを弁別できたとしている。また97、 291、 582ms間
隔のパターンと291、 97、 582ms間隔のパターンを弁別することができたと言う。しかしFraisse
によるとこれを否定する結果もあるというから(Clifton&Meyeres)、 2ケ月レベルについては
よくわからない。 5ケ月になると2音と4音のパターンを弁別することができると言う0 7ケ月
では、等間隔の音系列とアイアンバス型の群化音系列の弁別ができるとされる。これらの事から
も、乳・幼児が早くから時間的情報を処理できる能力を持つことが知られるのである。前節でも
ふれたが、囲安(1985)は、音のリズムをパターン認識することに結びつくには、 「大脳皮質に
おける分析的また統合的処理が必要であり、まだこの段階では、その機能が未熟なため」リズム
行動としては発現しないと述べている。しかし前節での久保田の報告から推察すると、すでにリ
ズム等の時間系列を処理する十分な能力を備えていると考えるのが妥当ではないだろうか。
2.2.2.2 旋律表現行動に関する研究
出生後に現れるもうひとつの音楽的行動は、泣き声に始まり、噛語や、言葉表現を経てやがて、
歌唱などの旋律行動につながっていく発達経緯である。乳児期の発生を含めた歌唱についての研
究はかなりみられ、音の知覚やリズムに関する研究と比べて縦断的研究が多い。
シューター(1977:62)は、 Wolffの研究を引き、誕生直後の赤ん坊は、泣き叫んだり、うなっ
たり様々な声を出すが、 4週間までには喉を鳴らすことができるようになる。こうした初期の発
生は学習によるものではなく自然発生的なものだと述べている。そして自国語をマスターしてい
く言語学習過程と対比させ、歌唱行動も同様の道筋をたどるとしている。 Dowling (1987)は、
生後5ケ月の乳児は旋律の輪郭の変化に気づくとともに、移調された旋律も同じものと理解でき
るとしている。園安(1985)はMoogの研究を引いて、乳児の発生を言語活動へ発展する「有声
化」と音楽的行動とされる「噛語」の2つのタイプに分けている。そして乳児が片言で歌うこと
は約6ケ月で現れると述べている。
MoorheadとPondは、子供が自発的に作り出す音楽的歌唱行動をchantとsongに分類した
乳・幼児の音楽認知に関する研究
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(シューター、 1977:64)。伊藤(1978)は、生後3ケ月から2才までの183名を対象におこなっ
たMoogの研究を引いている。それによると6ケ月で暗語がみられ、 9ケ月で早い子供でLallgesang 言葉の無い歌)があらわれ、 2才までにはほぼ正確な歌唱行動がみられたとしている。
大畑(1972a)は、 1才11ケ月から6才11ケ月までの幼児46名を対象に、旋律に重点をおいた歌
唱行動の調査を行った。そして5才以下と以上では表現行動が異なるとし、その結果を以下のよ
うにまとめている。
2、 3才)同音進行的旋律・下降旋律、不統一な波形旋律。 4才)音域の狭い短調な波形から飛
躍音程を含む複合的波形旋律。 5、 6才)全・半音階的下降旋律. 6才)簡単な統一的音構造の
波形旋律
大畑(1972;は幼児前期において最も特色ある旋律は、 Wernerが主張した「2音下降動機」
ではなく同音動機である、と述べている。また大畑(1972b)は、幼児の音楽環境が旋律の発達
にどのような影響を及ぼすかについて研究を行っている。わらべうた教育とオルフ・システムに
よる2つの実験群と1つの統制群との比較から、統制群が構成的に不統一なメロディーから年齢
をおって豊かなメロディーになっていく「自然発生的な旋律形成」であるのにたいし、わらべ歌
群は全ての幼児がその動機の影響を受け、オルフ群は未発達なメロディーから調性的なメロ
ディーへと発達していく過程がみられるとしている。そして全体として環境の影響が大きいとし
ている。梅本と新名(1971)は、遊びの場面における子供の自発的な歌の分析をし、乳・幼児期
の旋律感(音程、調性)について研究した。対象は1才から5才までの子供32名で、 1才)暗語
が抑揚、リズム、音色をともなった旋律らしきものの形で歌を歌う。旋律型ははっきりしないが、
短2度、長2度、語尾に下降跳躍の4度、 5度がみられる。 2才)即興の歌を歌い、リズムは比
較的正しいが、音程は両端が中央に引き寄せられて狭くなっている。 3才)歌唱・記憶の能力が
つくが、明碓な調性感はない。 4、 5才)旋律の進行を正しくつかみ音程感も発達しているが、
個人差が大きいと述べている。
おそらく日本の幼児の音楽的発達について、最も縦断的・包括的に研究したのは永田(1980、
1981)であろうO彼は子供の音楽表現をa)噛語表現、 b)ことば表現、 C)遊び表現、 d)歌表
現、 e)即興表現に分類し調査を試みている。その内容を詳しく紹介することは紙面の都合でで
きないが、生後6ケ月頃から長2度、そしてオククーヴや5度の上行下降跳躍が見られ、段階的
に発達していくと述べている。しかし幼児の音楽行動を上記のような場に分類する必要があるの
かは疑問である.伊藤(1978 は、 -幼児の音声変化を継時的に分析し歌唱が現れる過程を考察
した。それによると生後12日目の泣き声はg'からa'位の高さで、時間的に規則正しい周期をもっ
ている。 2ケ月半になると、泣き声は時間的に不規則で、しだいに泣き声に比べて噛語のピッチ
が低下してくる。 8ケ月からは音声模倣が顕著になり、 13ケ月では3拍子のリズムも現れる。旋
律の形成に関しては、 12ケ月まで歌と混同するような発生は現れないとし、 「暗語の延長として
現れるといわれる幼児の旋律は、それ以前に何かの形で歌唱を体験することを通して、歌い方の
様なものを学習した後にみられるもの」だとしている。尾見(1988)は彼女の長女を対象にした、
ビデオカメラによる分析から、 4つの歌のタイプを兄いだしているが、歌唱行動の洗練化は、言
葉の意味処理化らの解放に連関しておこると述べている。
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福 井 隼 仁・山 田 裕 美
3 乳・幼児の音楽的発達
これまで胎児レベルからの音楽認知的研究を概観したが、その概要を継時的に示したものが表
1、 2である。それによると子どもの音楽行動が段階的に発達していくのがわかる。その発達は
音の知覚系が先行し、表現行動の運動系が追従して現れるという過程をとっており、ヒトの脳の
発達過程とよく一致している。
この時期の子供の音楽認知的行動は、従来言われていたよりも幅広く、また発達的にもより早
期の段階から現れることが明らかになりつつある。それはとくに音の認知能力の領域で顕著で、
これからも新たな事実が明らかになろう。しかし音楽の認知研究は遅れていると言わざるを得な
い現状である。それは従来この分野は伝統的に音楽学・音楽美学で取り扱われており、実験科学
的な研究がされにくい状況にあったからである。このことは現在でも音楽学と心理学またはその
他からのアプローチの方法論の対立に象徴されるが、音楽(芸術)という領域に科学のメスを入
れることにたいする本能的な防御とも言えよう。音が音楽になる段階で越えがたい認識のギャッ
プが存在するのである。なかでも乳・幼児レベルの研究は、この年齢を対象にした実験の測定手
段が信頼性に欠ける(ラドシー&ボイル、 1985:138)という指摘もあり、研究は少ない。しか
し、児童から上の年齢を対象にした実験研究に問題が無いわけではない。と言うのは現在までの
音楽認知研究は、音楽学で用いられてきた概念(音階、和音、リズム)をその基礎として用いて
いる。私たちが危供するのはその概念にとらわれるあまり、真の方向を失ってしまうのではない
かと言うことである。すなわち、十分に文化の洗礼を受けていない発達期にある子供を対象に、
西洋音楽の構成概念をもちいた実験を行うことの危険性である。西欧文化圏においても子供が自
発的に歌う旋律は、少なくとも西洋音楽にみられるような中心音を持っているようには見えない
(Shuter-Dyson、 1987: 287)と言うし、オクタ-ヴとユニゾンの類似性も音楽的経験によって異
なるようである(Burns&Word、 1987)。またZenatti (1969)らの研究では、幼児は生得的な
音程感を持たないという報告もある。また和声感覚が現れるのは8才以降(Zenatti、 1969)と
いうことも、子どもの可塑性を象徴している。しかし従来の研究が、少なくともその測定基準と
して前記の諸概念を用いてきたことは事実である。このような研究方法では、何が人間の音楽に
とって普遍的であり、なにが文化特有の所産であるかがはなはだ暖味になるのである。
また一見進んでいるように見える「音の認知」に関する研究も、音楽学-心理学からのアプロー
チには、幼児の音楽認知を考えるうえで役立ちそうな研究はあまりない。たとえそうした研究が
「音」の問題を扱っていても、音楽学の概念を想定し、西洋音楽を意識しているからである。西
洋音楽という従来の概念からの発想にとらわれているかぎり、幼児の音楽認知・行動は理解でき
ないと考える。他の文化の音楽にも適応できる概念と方法を用いてこそ、人間にとって普遍的な
意味での音楽認知の視野が開けてくるのではなかろうか。
また、音楽行動が生得的なものであれ学習によるものであれ、それは生物行動の中枢とも言え
る脳の支配を受けていることはまちがいない。従って音楽と言うものが本当に理解されるために
は、その認知過程が生物学的・心理学的に大脳レベルで解明されなければならないだろう。しか
し「脳が脳を理解できるか」という言葉にもみられるように、全容解明までの道のりはまだ遠く
険しい。しかし生物科学や情報科学、エソロジーの知見を統合する形で進んでいる現在の脳研究
の成果は、音楽の認知について重要な基礎資料を提供してくれるだろうし、それを利用しつつ研
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究を進めていくのがこれからの研究者に求められていることである。
表1 乳・幼児の音楽的発達
年齢
音の知覚 .弁別
胎 妊娠24過頃
.聴器官 .聴神経の完成
児
5V I
.音の感受
期
* 10ケ月
20分
.外界の音に反応
20分で母親の音声に同調
4 時間
音に反応
0 :0
.生後 1 ∼3 日 3 日で母親
リズム
旋律表現
言葉の抑揚音声の時系列
.泣き声の高さ (400- 500ヘル
蝣
v)
.生後12 日
「
慣れ」
の音声 音の方向がわかる 規則的なリズムをもつ
礼
.生後 1 ∼5 日 違う高 さの た音声
音に反応
児
.生後 1週間 大きな物音
.鋭いかん 高い声に反応
0 =2
期
∼
.音のする方へ注意を向ける 音 の時系列弁別 ドイ
チエ′
96
0 ‥3
.快 .不快の音 . 聞き分ける
0 ‥4
.音のする方へふり向く
∼
0 :5
.暗語の開始
.旋律の輪郭の変化に気づ く
.音の時間的位置の変
化に気づ く
.噛語をひとりで楽 しむ Vocal
Play 自分の発 したのをきい
て反復
0 ‥6
.暗語期から模倣期声域 「
g」
∼ 「
云
」へ広がる
. 身体 的運動 を伴 った Lallmono logenf
lO) (噛語)
.親の リズム模倣
0 ‥7
.音声模倣 (旋律に対する模倣
はまだ)
0 ‥8
0 ‥9
.模倣のあらわれ
. 同音の リズ ム表現
(音程は1 オクター
ブ下降跳躍など)
0 :10
. ことばをまねてくり返す
.音程のくり返 し
Lallgesang がみられる
.ふしの再認 .音の正確な再生
Lallgesang の中に音の高低変
化がみられる
0 ‥
11
.親の抑揚模倣
- リズムが抑揚よりも先に再現
福 井 隼 仁・山 田 裕 美
70
表2 乳・幼児の音楽的発達
年齢
音 の 知覚 . 弁別
1歳前後
リズ ム
旋
律
表
現
. 音 の 鳴 る もの に 興 味 を
示 した り、音 楽 に合 わ
せ て体 を動 か す
. 規 則 的 な音 の 系 列 に 合
わせ て 運 動
. こ と ば が 明 確 に な り始 め 、 長 二 度 の
1 : 0
音 程 の表 現 も出 る
. 擬 声 を 発 した り話 しか け た こ とば
を 、 全 体 の 感 じ で ま ね て く り返 す
幼
. ふ しの再 認 、旋 律
2
. 音 程 の く り返 し
1 : 3
. ふ しを正 確 に う た う
1 ‥4
. 歌 の 部 分 表 現 ( た だ し音 程 は 不 確 定 )
. ふ しを正 確 に う た う
1 ‥6
. ほ ぼ正 確 な詞 の う た
1 ‥8
. ふ しの再 認
1 : 9
. 3 音 旋 律 「民 謡 の テ ト ラ コ ー ド」 の
あ らわ れ
. 暗 語 が 抑 揚 . リ ズ ム . 音 色 を伴 い 、
旋 律 ら し きもの の 形 で うた う
児
2 歳
. 音 楽 に 合 わ せ て歩 い た
り踊 っ た り す る
. 歌 う (音 程 は 不 正 確 )
. 曲 を 全 部 歌 う ( た だ し音 程 は 不 正 確 )
. こ とば、 リズ ム、 音 高 の 変化 を同時
に把 握
. 即 興 う たが 多 い 、 リ ズム は正 確 、音
程 は 中央 に引 き寄 せ られ て狭 い
. 自発 的 な う た、 短 い フ レー ズ の く り
返 し、 旋 律 の 輪 郭 は 正 し い が 音 の 高
さが 不 安 定
3 歳
. 全 体 の 曲 を覚 え て うた う、旋 律 全 体
を 把 握 (調 性 感 存 在 せ ず )
. 擬 声 な どの こ とば 遊 びか ら メ ロ
デ ィ ーへ
. 音 の 動 きの 輪 郭 を知覚 → メ ロ デ ィー
再生へ
期
. 音 程 差 の 少 な い 長 二度 な どは比 較 的
正確 だ が飛躍 音 程 を含 む うたの場
合 、 中心 に 寄せ て歌 わ れ る
4 歳
∼
. 音 高 弁 別 能 力 の発
達 著 しい
. 正 しい音 程 や リ ズ ム も
理 解 で き、 強 弱 の 比 較
. 一 般 に正確 に歌 わ れ るが , 途 中で 転
調 され る
5 歳
もで き 、 テ ン ポ の 変 化
. 個 人 差 が 大 きい
6 歳
に も応 じ る
. 安 定 した 中心 音 の まわ りに歌 を構 築
7 歳
- 調性 感覚
9 歳
. 和 声 感覚
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引 用 文 献
阿部純一(1987) 旋律はいかに処理されるか、音楽と認知 2章 42-43
阿部純一・星野悦子(1985) 音楽の認知心理学の研究について S.59-60年度 文部省科学研究費試験研
究報告書
ブルーム、 F,E.他(1987) 脳の探検 講談社 84
ハニー T. (ユ987) 胎児は見ている ′ト林登訳 祥伝社
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A Study on Music-Cognition in Infants
Hayato FUKUI and Hiromi YAMADA
(Department of Music, Nam University of Education, Nara 630, Japan )
(Received April 28, 1989)
In this paper, we made a survey of researches of music-cognition on infants level. Consequently,
we
found
that
musical
behavior
of
infants
develops
by
steps
and
the
ability
of
music一一
cognition is discovered in earlier stage than expected so far.
But we think there is a problem in the method, because those researches have used concepts
of Western musicology for appraisal. We are afraid that these concepts set music-cognition in a
frame and as a result we lost the sight of the ability of music-cognition on infants.
So we believe that it is necessary to find universal concepts which can be adapted to music of
non-Western cultures. Also, we hold that all researches should be at grips with a study of music-cognition on the brain level.