ルーモールとティーク(年譜と主要著作)

ルーモールとティーク(年譜と主要著作)
西暦 年齢 ルーモール年譜
1785
0 1月6日、ドレースデン郊外で生まれる
リューベック郊外の地所に戻る
1789
4
1790
5
1792
7
1795 10
1796 11 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』
1797 12 ホルツミンデンのギムナジウム
1800 15
1802 17 ゲッティンゲン大学入学
1804 19 父の死。遺産相続。ドレースデンでカトリック改宗
1805 20 ローマへ(第1回イタリア旅行)ミュンヘン、ティークと交友
1806 21 ナポリへ
1807 22 ハンブルク、ミュンヘン経由で帰郷
1808 23 ライン川流域旅行。ヴィーンへ亡命
1809 24 ミュンヘン、美術アカデミーで研究制作。指名手配
1810 25
1811 26 ローテンハウゼンに戻る(ホルシュタインに強制滞在)
1812 27 『カストルとポルックス』
1813 28 『ドイツの博物館』寄稿(ドイツ古建築研究)
1814 29 ミュンヘンへ
1815 30 デンマーク市民に。ヴァイマールでゲーテ、ホルニ
1816 31 第2回イタリア旅行(1821年まで)
1817 32 ローマでナザレ派画家と交友、オレヴァノ訪問
1818 33 ローマ、シエナで文書庫調査
1819 34 オレヴァノで強盗に遭遇。
1820 35 ローマ
1821 36 パッサヴァン書評。ミュンヘンへ
1822 37 『料理術の精神』(初版)
1823 38 『イタリアの小説』。ハンブルク美術協会へ
1823 38 帰郷。ネルリに風景画を指導
1824 39 27年までベルリン滞在
1825 40
1826 41 コペンハーゲン、
1827 42 『イタリア研究』第1部、第2部
1828 43 第3回イタリア旅行(1829年まで)
1829 44 ミラノ、ベルガモ、ヴェネツィア、ミュンヘン
1830 45 ベルリン、銅版画収集展示室設立準備
1831 46 『イタリア研究』第3部。ドレースデンに転居
1832 47 『料理術の精神』(第2版)
1832 47 『三つのイタリア旅行』『ドイツ人たちの回顧録』
1833 48 ハンブルク、ポツダム
1834 49 ティーレとともにコペンハーゲン。『作法の学校』
1835 50 デンマーク皇太子の侍従となる
1836 51 孤独化
1837 52 第4回イタリア旅行(農業史調査)
1838 53 ラウエンブルクの地所売却
1839 54 リューベックの親族から遺産相続
1840 55 デンマーク滞在
1841 56 第5回イタリア旅行(ネルリ訪問)
1842 57 リューベック市内で住宅購入
1843 58 7月25日、旅行中にドレースデンで没
1848
その他の出来事
フランス革命
カント『判断力批判』
ヴァッケンローダーもゲッティンゲンへ
シラー『人間の美的教育について』
シェリング「超越論的観念論の体系」
ナポレオン、皇帝に即位。オーストリア帝国成立
神聖ローマ帝国の終焉、ナポレオンのイェーナ入城
ダヴィッド《戴冠式》
フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」
ホルニ《ゲーテのガルテンハウス》
聖ルカ兄弟団ローマ入り。ゲーテ『色彩論』
コルネリウス、ローマ到着
プフォル没
ナポレオン失脚。アングル《グランド・オダリスク》
ヴィーン体制
ニープール、ローマ教皇庁でプロイセン大使
カーサ・バルトルディのフレスコ完成
ヘーゲル、ベルリン大学教授
ジェリコー《メデュース号の筏》
パッサヴァン『造形芸術についての見解』
ナポレオン没
シャンポリオン、ロゼッタ・ストーンの解読
ベートーヴェン「第九交響曲」
バイロン、ギリシアで没。ドラクロワ《キオス島の虐殺》
ブリア=サヴァラン『味覚の生理学』
オーヴァベック《イタリアとゲルマニア》(1811-28)
フランス七月革命
ゲーテ没、カルボナリ革命企図
ドラクロワ《サルダナパールの死》
ヘーゲル『美学講義』出版
ヴィクトリア女王即位
ダゲレオタイプ発明
フランス二月革命,ドイツ三月革命,『共産党宣言』