研究会誌第 2 号発行に寄せて - Kuronowish.com

研究会誌第 2 号発行に寄せて
ସ野県‫ݗ‬等学校美術工芸教育研究会会ସ
ସ野県伊జ北‫ݗ‬等学校ସ 柳 澤 厚
最‫「ؼ‬癒し」とか「癒し系」といったۗ葉をよく耳にするが、考えてみると、これらに関するこ
とは、芸術との関連がかなり大きいような気がする。気に入った音楽を聴く、あるいは美しい絵画
を鑑ऩする、といったような「見る」「聞く」といった感ԑを使って、疲れ切った感性を甦らせる。
また、見ること、聞くことだけに限らず、ものを「創る」という行為を通しても「癒す」ことがで
... .
きる。芸術本来の重要な機能のひとつは「人のたまし いを揺り動かす」ことにあると思っているの
.. ..
だが、「見る」「聞く」「創る」といった活動がたま しいの働きを触発し、それが「癒し」につな
がっていくのではないかと思う。「たましい」とは何かと、あらためて問うてみるとなかなか難しい
が、人間存在を考えるとき、心と体という二つの領域のみでとらえるのではなく、その両者を合わ
せて全体を形づくるもの、心と体とを裏打ちして、人間を「いのちあるもの」として生かしている
もの、それを「たましい」と考えてみてはどうだろうか。われわれは「たましい」を見ることも触
れることもできないが、おそらくそれなくしては生きていけないだろう。すばらしい絵画を見て癒
されるのも、美しい音楽を聴いて感動するのも、また、自ら絵を描いたり、作曲したり、ࠞを作っ
.. ..
たり、といった行為によって癒されるのも、己のたま しいが揺り動かされているからではないかと
思っている。
われわれ、自己表現の一つとして、絵画や彫刻を創作していく場合に、そこには多かれ少なかれ、
人間の意ࡀ体系の中心である「自我」をଵえるはたらきが関与している。自我が全く関与せず、無
意ࡀだけで描いたのであればおそらく作品にはならないだろうし、意ࡀ世界だけで描いたのであれ
ば、これまた見ても何の感動もԑえないであろう。この関係はまことに微妙である。自我をଵえた
体験を伴わない、単なる表現では癒しにはつながらない。ࢁをТみ「ぐち」をこぼすだけでは、「癒
し」というところまでには至らないのと同じである。
このように考えてくると、芸術教育を行っていくということは、人間の「生きる力」を育ててい
く上で大変重要な役割を担っていることがわかる。芸術教育の目標について、学習指導要領では大
きく二つのことをۗっている。一つは、「生涯にわたり芸術を愛好する心情を育てること」、もう一
つは「感性を‫ݗ‬め、豊かな情操を養うこと」である。これに沿って各科目の目標が০定されている
が、基本はこの 2 本柱である。いま生涯学習社会といわれているが、芸術はまさに生涯学習の中心
的な分野となっている。こうした時代を生きていく子どもたちに、しっかりとした「生涯にわたっ
て芸術を愛する心情を育てていく」ことは芸術教育に携わる者にとっての使命であろう。
音楽も美術も書道もというのは、中学校までで、‫ݗ‬等学校の多くでは、そのうちの一つの科目し
か学ぶことができなくなってきている。3年間の学習時間が限られている中で仕方がない面もあろ
う。であればこそ、1 時間 1 時間の使い方、年間を見通しての授業‫ڐ‬画といったことがとても大切
になってきていると思う。お互いの授業実਎を交流し合い、教材研究や指導方法等の研究を行い、
力量を向上させていくという不断の努力を積み重ねていかなければならない。芸術の教師は、各科
目せいぜい各学校1人というところが多く、校内での授業研究が難しい。美術工芸教育研究会とし
て、一年間の研究活動のまとめをこのように会誌として発表し、記཈に残していくということは大
変すばらしいことであり、お互いの力量向上に大きな力となっていくであろう。
昨年の創刊号を見せていただくと、内容が豊かで充実しており、読みごたえのある研究誌になっ
ている。個人的には、できればこうした貴重な研究誌は、஢磁気཈のみならず、冊子としても印刷
して配布出ればこれにѠしたことはないと考えるのだが、いかがなものであろうか。もちろん、予
算面でのことが一番のネックとなろうが。
目 次
研究会誌第2号発行に寄せて
2003年度(平成 15 年度) ସ野県‫ݗ‬等学校美術工芸教育研究会会ସ
Û 柳沢 厚 (伊జ北‫ݗ‬等学校ସ)
1.特集1 — 『 鑑ऩの授業 』
Û 向山恵一 (伊జ北‫ݗ‬等学校)
2.特集2 — 『 素材պ 』 Û生徒作品を通して他校との交流をÛ
鑑ऩや授業のプレゼンテーションに使ってみよう
資料内容及び提供者
◎ テンペラ‥自画像作品集 Û 向山恵一 (伊జ北‫ݗ‬等学校)
◎ 平面デザイン作品集 Û 平林義男 (঄訪清陵‫ݗ‬等学校)
◎ スクラッチグラス作品集 Û 平林義男 (঄訪清陵‫ݗ‬等学校)
◎ アイデアのエレメント作品集Û 平林義男 (঄訪清陵‫ݗ‬等学校)
◎ アニメーション作品集 Û 丸山恒治 (঄訪二葉‫ݗ‬等学校)
◎ 絵文字作品集 Û 本山雅之 (箕輪工業‫ݗ‬等学校)
◎ 映像メディア表現作品集 Û 逢沢道澄 (松本深志‫ݗ‬等学校)
3.実਎レポート
『背景のある自画像』、
『学校周辺のൌ景』 Û࠾山඿夫 (篠ノ井‫ݗ‬等学校)
『絵本制作のこと』 Û日向 勉 (田川‫ݗ‬校)
4.研究レポ̶ト
『芸術コース美術専攻の活動と陶芸ろくろ成形の学習指導』
宮澤芳博 (‫ݗ‬遠‫ݗ‬等学校)
『技法研究 ランプシェード』 ‫ݗ‬地善之
(松本美অ々ヶ丘‫ݗ‬等学校)
『パーツ構成 ガンプラと஢子൉品と粘土と空き缶とゴミ 』
上原一馬 (木曽‫ݗ‬等学校)
5.全国大会報告 向山恵一(伊జ北‫ݗ‬等学校) 日向 勉 (田川‫ݗ‬校)
加藤康二གྷ(蘇南‫ݗ‬等学校) 宮尾 仁(坂城‫ݗ‬等学校)
6.会員OB訪問 萩原 弘 先生
7.研究室訪問 No.2 岡ૌ南‫ݗ‬等学校
8.ߙ記手帳 No.1 工房訪問 『工房工場中城』
No.2 私の学生時代 ‫ݗ‬柳剛士(臼田‫ݗ‬等学校)
9.15 年度県総会・研究会記཈
鑑ऩの授業
伊జ北‫ݗ‬等学校 向山 恵一
鑑ऩと美術批評ということ
学生時代を振りඉると、あたりには「現代美術」が氾濫し、どこの展覧会も、絵画のӕ体、芸術
のӕ体、アンチアート、そして、アメリカ美術のオンパレードであった。‫ݗ‬校卒業後初めて見た展
覧会は、西池袋の西武百貨店12階、セゾン美術պで行われた「ホイットニー美術պ展」で、リキ
テンシュタインのポスターが印象に残る。美術批評においても、内外を問わず、たくさんの美術評
論家の文章がߙ誌や本で紹介され、アメリカを中心とした現代の美術を論ずる本があちこちから出
版されていた。私にとっては新しい美術の世界を知り、美学、芸術学、批評という世界を意ࡀし始
めた時である。
それまでの自分にとって、芸術とは作品それ自体、芸術作品と呼ばれる「物」それ自体が全ての、
作品中心の考えしかなかった。芸術作品を論ずることが、自立的な価値をもてるなどということは
全く範疇になく、芸術作品という「物」が第一義であるという思いこみを抱き続けていた。しかし、
あの時代、自分の周りに吹き荒れていたアンチアート、絵画の物ࡐ化、芸術への問いかけのൌは、
芸術ということを対象化し考える、ということなしに創造は生まれない、という自ԑを持つ必要を
思わせた。決して早熟ではない自分にやってきた、批評との出会いであり、文学との出会いでもあ
ったかもしれない。ただ、その後すぐに、自分が文学の世界の住人になったわけではない。芸術や
人生ということを、思惟の淵、文学の中にとらえられたのはもっと後になってからである。
美学、芸術学の定義がある、「美術芸術を恣意的な好き嫌い、個人の感ԑによる美意ࡀにとどめる
のではなく、深いレベルでの人間存在の本ࡐにかかわった『美』の存在として学問し、『知』として
位置付けようとするࠟみ」
(NHK 放送大学の美学講座の説明より)である。歴史の中でも、ۗ葉によ
る「美」への問いかけは、遠くギリシャ哲学にさかのぼることは周知のことであり、哲学の中でも
古典的命題である。
この美学、芸術学と創造、批評と創作の関係を、鑑ऩと表現という関係に置き換えてみるなら、
これから述べなくてはならない、美術教育における鑑ऩと、自分が美術表現について考えた経験と
を結びつけることができるだろう。それが、自分が美術教育における鑑ऩについて何事かをۗうた
めの方法だと考えた。
以下、最‫ؼ‬感じたことを述べながら、この1年間に行った授業において、鑑ऩということがどの
ように機能していたかを分析することにより、自分の考える美術科の学習における鑑ऩのあり方を
明らかにしてみたいと思う。
美術科の学習と鑑ऩ
「人間不在の‫ؼ‬代教育の批判により芸術教育の必要が叫ばれたとき、芸術の鑑ऩと創造という2側
面に相応じて、芸術教育にも鑑ऩと創造の2側面とがあるが、特に幼い子供は芸術家であるという
見方が信頼しうるものであるとされ、創造の側面に力点が置かれている」(平凡社世界大百科事典
芸術教育 戸坂康二より)
。同様なことが、自分の経験の中にも想֬される。授業を行う時の目的は、
専ら表現し制作することに流れ、作品を作ればすべてが成り立つ。作品を生み出さない美術科の学
習はありえないという認ࡀである。小林秀雄は「‫ؼ‬代絵画・ボードレール」の中で、『画家がこうい
う重荷から௣れて文学者に生まれず、画家に生まれた純粋な喜びを見付け出して行くためには、ド
ラクロアやアングルの絵を「絵に描いた文学」と呼んで۳みなかったクールベのような野人の出現
が必要だった』と述べている。‫ؼ‬代の絵画の目指したものがここにある。絵画とは、そのもの以外
の何物でもないもの、という命題の出現である。これは、私たちの中に内在していく絵画について
の観念であり、美術教育においても同様で、ۗ‫܃‬をଵえて、または、それ以前のものとして、精神
と直接結びつく大いなる可能性を求められた。しかし、美術教育の作品主義への偏重、それは、子
供の成ସにおいて何事かを育む一面があったにしても、美術表現ということの間口を狭める面もあ
ったはずである。自分も美術教育を、この分業化の流れの中にとらえ、ただ、制作し表現すること
のみの授業展開に、たびたび行方を見失ったように思う。「このように描かせて、何の意味が見いだ
せるのか、よい作品とは表現とは何か、何がそこから学ばれるのか?」
。
美術を社会的事象として眺めれば、表現者と鑑ऩ者という2つの存在が見いだせる。経済活動の、
ࢊ要と供給の構造を、美術についても当てはめて考えることができる。しかし、この鑑ऩと表現の
関係は、一人の人間の中に入れ替わって֬きることでもある。あるときは表現者として絵画を描き、
あるときは鑑ऩ者として美術պに出かける、どのような作品にするか構想を練るために画集を紐ӕ
く、また、制作するときはそのӀ程で自分の作品を眺め、考える。
この見る、考えるという人間にとって基本的な行動にまで範囲を広げてゆけば、鑑ऩと表現とい
う構造は、人間の知ԑ行動の段階にまでۗ及できるものと考えてよいだろう。表現と鑑ऩの関係は、
人間行動の表裏のことであり、本来は一つのことである。このモデルに、教育としての美術教育、
その中の鑑ऩの位置を見いだすことができる。
‫ݗ‬校生の鑑ऩ授業
人間の本ࡐは表現(表出)することにある。幼児教育や特殊教育においても、何者にも遮られる
ことのない自由な表出行動は、人間としての本ࡐ的な何事かを育む。しかし、それはただ吐き出さ
れるわけではない。表出行動が導き出されるための精神内൉の‫ݗ‬まりや、素材からの刺激など、様々
な事柄との関係がある。年齢が‫ݗ‬くなればその関係はより複ߙになり、‫ݗ‬校生ともなれば様々な心
的要因、様々な概念との関係が十分成熟した水準で関わり、きわめて多様なものとなる。この多様
な個のありようの中に、人間の普遍性が見いだされることが何物にも遮られることのない自由な自
己表現(表出)を成り立たせる。それは、自己確認であり、自己確立であり、自己実現である。こ
の、自己実現を見いだす表出行動を支える柱の一つが鑑ऩではないだろうか。‫ݗ‬校生ともなれば、
鑑ऩはもはや鑑ऩにとどまらず、批評の域に達する。批評し系統立てて理ӕすることが自己確立を
促す。これが、美術科の授業に求められることではないかと考える。
最‫ؼ‬の授業を変えたもの
最‫ؼ‬のデジタルコンテンツの普及ははなはだしい、つい5年ほど前まではありえなかった様々な
情報の流通が、デジタル化により生活の隅々まで行き渡っている。とりわけ、映像情報はすごい。
動画情報が、いつでも誰でも自由に切り貼りして構成できる。タイプライターがもたらした文章表
現上の変革と同じことが、動画映像において日常生活にまで浸透してきたのである。「我々の筆記用
具は我々が思考する際一緒に動いている」とは、ニーチェがタイプライターを使い始めた直後に書
いたアフォリズムだが、我々は映像を用いて思考できるようになっている。
数年前までは予算のற合で実現できなかった、パソコンとプロジェクターを用いての参考資料の
提示も容易になった。私のような初心者でも、必要な映像情報をごく短い時間で纏め上げ、簡単に
提示することができる。アナログであれば、いや、デジタルであっても、中古ソフトショップやビ
デオショップ、個人の所有物のなかに膨大な余剰物として、学習情報があふれている。視聴ԑ機器
やソフトの廉価化が、授業での視ԑ聴ԑ情報機器の使用を簡便化し、インターネットで配信される
情報を頼れば、小中学生向け学習百科程度のことであればいくらでも無料で入手することができる。
今に始まったことではないが、映画պでしか見られなかった大作映画がいつでもどこでも見られる
環境である。要するに情報が氾濫している、そういう記号でくくればそういうことなのである。
また、巷ではプレゼンテーション流行である。恐らく企業その他で戦略として重要視されるこの
分野が、視ԑ聴ԑソフトの開発と発達を招き、物事の企画運営には欠かせないこととなっている。
このプレゼンテーションという形式と、学校の授業との共通点は多い。人に物事を理ӕさせていく
仕組みは授業と೪常に似た要素を持つ。視ԑ聴ԑを総動員させる伝達、コミュニケーションは授業
を行う上で有効である。ちょっと前までは到底 NHK の教養番組にはかなわないものであったことが、
現在では自分がディレクターとなり同様なことがなし得るのである。いや、NHKには勝てません
が。
参考作品と表現
15年前、アドルフ ブラウアーの絵画作品を鑑ऩ用に拡大するために、写真屋に頼んで接写、
カラープリントしてもらい、値切りに値切って6千円払った、授業用の教材費が2万円そこそこの
学校だったので自腹を切った。今ならカラーコピーで50円でしょう。著作権のことを考えると大
きな声ではۗえないが、痛い思い出である。思うに任せた鑑ऩ材料なんて手に入らない不自由を、
常に感じていた時代であった。教科書はあるが、授業のモチベーションにあわせて資料作品を選択
できるほどに自由は利かない。おのずと教科書に対する期待感は下がるのである。また、教科書に
記載されている注も、読めば何がしかの示唆を得られるものもがあったにしても、果たして、芸術
作品を見ることが生み出すۗ葉として、読み手をひきつけ、心の奥底に位置できる経験を呼び֬こ
すだけのものであるのか。疑問の限りである。
製作する中で、参考作品の持つ力というのは絶大である、同じ題材の前年度の生徒作品を見せた
場合、そのイメージは引用されるにしてもしないにしても制作に大きな影‫؜‬を与える。生徒は常に
自分が何をなす事を求められているのか、教師がどのような作品を求めているのかということを意
ࡀしているし、また、自分がどの方向に進むべきか依存出来るものを模索している。そこにいかな
る参考作品を提示するかは、制作の方向を大きく左右するのである。見るという行為をどのように
組織するかということは、作るという行為をどのように成り立たせるかに大きく関わる重要な事柄
なのである。
指導要領の改変がもたらしたӀ題
本校の場合、指導要領の改変は、2年生の必修から選択への移行と、授業時数の減少となって現
れた。本科において、学習時間は内容に直結する。当然これまで通りの制作中心の考え方では、学
習効果はきわめて薄い。限られた時間で何を教えるべきかについての真剣な検討をしなくてはなら
ない状況となった。これまでのように、時間をかけて制作の経験を積み、なにがしかの蓄積を、た
とえ無意ࡀにでも得るという目論見は成り立たない。しかし、結局至った結論は、美術科の学習は
表現行為(制作)を基ࡃとしそこに感ずることを思惟する、というこれまでと変わらない結論しか
なかった。
限られた時間の中で日常生活者としての生徒個々の地点から、制作、表現行為を通して普遍的な
美術、芸術の地点まで問い‫܃‬れることが必要である。時間数の変化は、その普遍的な問題に行きつ
くӀ程を如何に組み立てなおすかというӀ題となった。制作行為一つ一つが明確に思惟できるされ
るシステムを探し出すこと。それらを位置付けることができる大きなビジョンを持つこと。そのた
めのテキストを形作ることが必要である。そのような考えを元に、学習の流れをまとめ上げた。
本年の授業の内容
本年の授業‫ڐ‬画は次のような内容であった。ここからはこれを考察しつつ、それぞれのӀ題が内包
する鑑ऩについて分析することにより、鑑ऩという学習がいかになされたかۗ及したい。
1年生 ① 西洋美術・鑑ऩと演習 テンペラ技法による自画像
② 東洋美術・鑑ऩと演習 物‫܃‬を絵巻物につくる
③ 鑑ऩ今日の表現に至る美術史
2年生 ① 文化祭ポスターの作成
② ARCHITECTUR
③ 鑑ऩ 表現の諸相 鑑ऩをもとにした自己表現
3年生 ① 進路実現のための実技指導
1 年テンペラ画について
美術表現は表現の形態から、立体表現と平面表現とに分けられるが、「描く」ことはそのどちらに
とっても基本的事柄である。その描くという行為を分析的にとらえると、「見て知ԑすること」「手
で道具を使いイメージとしての線、点を描くこと」
「描かれた線、点を記憶と照らし合わせ、次に何
をしたらいいか考えること・または記憶と照らし合わせ線を発見すること」「考えたことを身体、手
の行為にたくして展開すること」「全体性を得られるまで繰りඉし行うこと」である。この行為の積
み重ねが画面の表面に、またはマテリアルそれ自体に蓄積し、形象として現れる。これが描くとい
うことの構造である。このひとつひとつの行為を明確に積み重ねていくことが発達という螺旋構造
を活性化させるのである。このことは、物事が単一形式のデジタル情報として扱われ、その情報が
新しい情報を自己再生する現代においても基本のことである。ボールを投げるイメージは、身体の
記憶となった放物線のリズム、スピードなのである。この記憶を形作る経験が全ての始まりである。
この形象の記憶、身体の記憶を培い蓄えること、これが感性を養うということといえるだろう。「描
く」という行為は身体と精神が道具素材とかかわり行う、きわめて原初的且つ抽象的な行為であり、
感性を刺激し育てる要素を限りなく生み出すコンテンツなのである。
この「描く」ということを歴史にたどる時、自ԑせざるを得ないのが西洋‫ؼ‬代の洗礼である。私
たちは、自らの表現の歴史について考える時も、西洋的‫ؼ‬代のフィルターを通さずに、論を進める
ことはできないだろう。これらからたどり着いた結論が、‫ؼ‬代を分岐点に、日本と西洋の二つの流
れとして絵画の系譜をたどることであった。そして、西洋絵画の֬点に選んだのがテンペラ技法で
あり、日本絵画の֬点に選んだのが絵巻物である。これを実際に制作することから、美術表現の、
知的側面も含めた豊かな精神を捉えることを目指す。
絵画において形式が先か精神が先であるかは、ニワトリと卵のように捉えがたい問題である。し
かし、芸術作品においてその形式と精神は密接な関係にある。形式を形作るものは素材であり身体
である。これらを明確にୈ体験するために、素材もできる限りオリジナルな物を用い、身体の経験
を通して感じ考えることを明確に行おうと考えた。ۗってみれば、完成された絵画形式と徒弟制度
的なシステムを用いることにより学習を成り立たせようとする目論見である。
鑑ऩは、作業の展開とともに生まれる疑問や壁をӕ決するために、過去の表現者がどのように注
意し工夫したかを参考作品により提示した。また、遠‫ؼ‬法、投影法などの、視ԑ表現技法の歴史を
たどることは、視ԑ情報、映像が、今日のようにデジタル化されるまでのӀ程を示すことになる。
資料として提示した、アンゲランカルトンやフラアンジェリコ、ボッチチェルリ、ダビンチ、ミ
ケランジェロらのルネッサンスの絵画は、丁寧に観察し、ねばり強く描き込むことの手本となり、
洗練された描出法は、目や口の表現の手本となった。また、西洋絵画の描くということの変遷を、
その精神と素材との関係により捉えれば、ゴヤ クールベ ミレーなどの写実的精神が、ゴッホ、
セザンヌに至り、描くということの構造の中でなぜ変化出来たかについての、一面を捉えることが
できる。
また、日本の絵巻物、西洋のイコンなどの象徴的表現と、その後の写実表現の展開を比べれば、
網膜的写実の意味とリアリズムの意味を比Ԕし、中学から‫ݗ‬校時代の生徒の写実表現嗜好に応える
ことにもなる。本年は時間がੰらず、授業ではテンペラ画法のみの展開となったが、作品鑑ऩによ
り、ルネッサンス、バロック、産業革命、そして現代へ続く表現の流れを扱って一年の終了とした。
テンペラ技法による自画像は、一年間続いてしまったが、意外にも生徒の集中はとぎれなかった。
テンペラのように、描写が明確に形式化してみられる技法は、作業的に制作を進められる。作業の
分かり易さが、持続を生み出した。鑑ऩと制作がうまく絡んで展開できることは大きな利点である。
2 年ポスター
2 年生は旧Ӏ程による学習の最後の学年であった。本校では、週 5 日制への移行時に 1 年生の時
間数が減ってはいたが、この学年が1、2年必修枠の授業内容を行えた最後の学年である。
文化祭ポスターの作品は、過去何年もにわたり、美術科受講者全員が制作していた。自分が担当
となってからは、ビジュアルデザインの基礎、または、絵画表現技法の、一つの極みの学習として、
映像を用いた「リアルイラストレーション」と称したӀ題を行い、ビットマップ画法による映像分
析を応用した描法を行った。視ԑ表現の分析を授業化
したものであり素描やデッサンによらない描画法とし
て、また、同時に CG の考え方を目と手で実਎するもの
として紹介した。これには、映像表現的な要素が含ま
れる。そして、おのずとポスターもそういった描法に
よる作品が多くなった。しかし、来年度からは同じ枠
の考え方では成り立たず、2 年美術受講者全員による
ポスターコンクールは実現しない。
この制作は、過去十数年の蓄積がある。歴代のポス
ター作品をひもとくことは、年ごとに変化する、生徒
の感性の変遷を見る思いである。生徒は、ポスター制
作の中で過去の作品と向き合いながら自分たちにとっ
ての今を探し表現した。年代をଵえた相互鑑ऩによる
制作であり、文化祭という目標があることから、生徒
にとって自主的自立的な制作となっていたӀ題である。
ARCHITECTUR
一般的に、美術の有用性は理ӕされにくい。昨今のアメリカの、創造的教育の動向のように「人
間発達の重要な要素として美術芸術が一定基準必要とされるものとして位置付けられる考えが打ち
出だれた」という動きはあるが、日常生活の中で芸術は、有ն貴族の手慰みほどにしか理ӕされな
い。それは、生徒の意ࡀにおいても同様である。これはきわめて主観的な見方であるかもしれない。
しかし、なかなか否定できない事実であるという確信も強い。
とはいえ、視野を広げれば、生活、人生、文化、文明、経済、科学などなど、幅広く社会と関わ
る芸術が見いだせる。そのわかりやすい例としてARCHITECTURを選んだ。現代社会の問
題をひろいあつめれば、環境問題に始まり経済問題まで幅広い。それらを考え合わせて、人間は何
を作りどう生きていくべきかというテーマである。
このӀ題は、現代社会についての考察から始めなくてはならない。現代という時代をどう捕らえ
るか。現代という時代の中にどのようなかんがえかたがあり、それらはどこからやってきたのか。
これを踏まえたいと考えた。そのポイントとして捉えたのが 1900 年代初頭の芸術運動にある。中で
もバウハウスに至るデザイン運動の流れは、産業革命以降の文明経済の変化を背景に先見的な展望
を持ち、ファシズムに潰されながらも後の社会に大きな影‫؜‬を与えた。現代文化の原点である。
今、おりしもその‫ؼ‬代精神が再構築を余儀なくされ、さまざまな流れを生み出している。このよ
うな流れの象徴ともۗえるニューヨークマンハッタンのビル群と、テロの憂き目にさらされ破壊さ
れた、ワールドトレードセンターの建築的現代性(ネオネオモダニズムまたはプレポストモダン)
を、建築や、環境、社会問題として考える。生徒自身が未来を背負う一個の人間として、何を考え
何を作れば良いのかを自問する時間を授業として実現しようと考えた。最‫ؼ‬の安藤忠雄の活動や発
ۗは೪常によい材料である。他にも坂茂、バックミンスターフラーと興味を引かれるテキストは多
い。
生徒は、あまりの問題の大きさと専๖性の‫ݗ‬さに戸惑い、ۗ葉すら出せず路頭に迷った。当然で
ある、教師も全くの素人であり、教えられる知ࡀもろくにない。しかし、何も作れないことも負の
形での制作と考え、何も作れず、どう考えたらいいかわか
らず、答えが出ないことを表現することも表現行為である、
という考えで望むことにした。いささか強引であるが、そ
れだけの‫׳‬容範囲を持たないと成り立たない。授業展開は、
まず一人一人が各自のテーマを探し、それを元にグループ
を作る。そのグループがそれぞれのテーマを作り出してプ
ロジェクトを行うという流れである。発表は、最後にグル
ープごと行い、他のグループはそれを採点する。各自の成
績にもそれを反映することにした。
まだ途中段階の授業ではあるが、物を作ることだけが美
術ではなく、考えることも大きな意味を持つということを、
授業の内容としていくことが、今の美術科にとって必要な
ことと思っている。この際限のなさの中で何事かが構築さ
れることが、新しい美術科の教科性を見出すことにつなが
るようにおもう。
2年あなたの開放について映像化しなさい
1 年からの学習の流れは、今日に至る美術表現の多用な展開をしり、社会的視野での考察を積み
重ねることであった。そのまとめの段階がこの単元になる。巷にあふれる情報のなかの様々な表現
形態を見て、自分の現在と結びつけ考えること。それを参考にした自己表現作品の制作を行うこと。
そして、短時間ビデオカメラで記཈し、それらを TV モニターで鑑ऩするという授業である。ブラウ
ン管は೪常に生徒の目と注意をひきつける。自分自身のみならず、人の作品をじっくり鑑ऩする。
ある意味で、セルフポートレイト的な作品と考えられる。鑑ऩと制作が両方同時に実現されるӀ題
であった。
再び美術科の学習と鑑ऩ
1年間の授業を振りඉって、鑑ऩの持つ意味は極めて重要であった。しかし、どれが鑑ऩの授業
で、鑑ऩというものはどこにあるのかと問われても明確な形は‫܃‬り切れていないかもしれない。そ
の時々に創作のӀ程として織り込まれる形で展開されるもの、それを鑑ऩとして捉えることになる
のだろう。そして、そこには作らない、作れないということすらも含まれるべきである。これまで
は制作あるのみ、うまい生徒はいつでもうまくて点(成績)もいい。美術をやるにはそれに応じた
一定の才能か特殊なパーソナリティーが必要で、それがなければ絵を描く価値もなく芸術を論ずる
資格もない。「芸術はわからん」というۗ葉はすべてを‫܃‬り尽くす。生徒の、または、社会のそうい
った観念に反論することが、授業者としてどこまで出来るかが常にӀ題である。最‫ؼ‬の授業の中で
は、小論文などの文章をつくる機会を多くしている。進学中心の方向性をもつ本校に適する内容と
して考えられるのだが。ۗ‫܃‬表現するということは鑑ऩと深い関連がある。徒弟制度的なシステム
の中で学習を成り立たせるなら、考えることは二の次でいい、時間をかけてでもとにかく身体にた
たき込みԑえさせることに重要なポイントがある。しかし、今日の学校教育における限られた時間
での自己の確立は、考え行うことを前提としない限り成り立たない。ここに表現を知の対象とする
鑑ऩの意味があり、文学としての鑑ऩの意味がある。今日、私たちは美術教育のなんたるかにおい
て、確固たる批判力を求められている。表現と鑑ऩの関係を確立することは表現することの全体性
を取り戻し、教科性を確立することにつながるだろう。これにより、教育における美術本来の意味
を明確にしてほしいものである。
昨今、鑑ऩ者参加型の作品をよく見かける。また、最‫、ؼ‬ற心の大展覧会の企画Ӏ程にも観る者、
受け手との会話的手法が多く用いられている。‫ݗ‬校生が学習するレベルの授業で、美術芸術に触れ
るあり方としては、これらも一手法として可能性があるかもしれない。しかし、ワークショップ的
な表現の地平にもまだとらえきれない個の存在を思うとき、思惟の淵をのぞき込むような鑑ऩの授
業を展開してみたいものだと思う。
঄訪清陵‫ݗ‬校作品集
平面デザイン(分割方法による) 12制作時間
1.テーマ 特に決めず自由とする。
2.表現方法
①白‫ݪ‬のコピー(B4の大きさ)で、同じ物を、2枚用意する。原画を持ってこれる人は持っ
てくること。写真、映像から選択しコピーしてくる。
②コピーした画面を観察し、立体、明度関係を見ながら、面として扱った3段階以上の明度面
で分割してゆく。明度段階は3
10段階をめどにする。終えたら、何段階あるか数えてみ
る。同じ明度段階の面に番号をそれぞれつけてみて確認する。
抵抗感のある明るい面は細かに分割し、暗いЧになっている面は大きな面で分割する。
(作品の密度にも関わってくる)
③B3画面全体の中での画面構成、画面の形などアイデアを充分練る。
美しいバランスの良い画面にしよう。
④コピーの裏面全体を鉛筆で塗り、終えたら表を出し、分割した線、分割線をなぞり、パネル
に写し取る。
⑤色彩を考える。 原画に‫ؼ‬い色、基本色からのグラデーション、白
‫ݪ‬色のグラデー
ション、自分のイメージした色、など 明暗の段階を守りながら 色彩を決定してゆく。で
きれば、自分でイメージした色彩で描いてデザイン化したい。
注 意
○原画の写真を選ぶときは 明暗関係の美しい写真を選ぶこと。全光写真は避ける。イラスト、
手描きの映像からはコピーしてはならない。
○一つの面の中はムラ無く平らに彩色する。
○絵の具はやや濃いめに塗り、新しいコピー(二枚のうちの一枚)
、原画等をよく見て丁寧に塗る。
○絵の具は、塗った直後の色と乾いた後の色が少し違ってくる。スケッチブックに乾いた色見本
を作っておくと便利だ。グラデーションの色を考えている人も色見本を作っておこう。
スクラッチグラス 12制作時間
スクラッチグラスは、透明アクリル版に‫ݪ‬色コーティングした、彫りやすくて細かい表現もでき
。
る材料です。削り取った൉分を着色すると美しい作品ができあがります。
額は木製(組み立て式)ですから、彫ることもでき、着色も自由にできます。イメージにあった
額にして下さい。
1.下絵が完成したらトレシングペーパーに下絵を写し取り、下絵が逆になるように裏ඉし
てからカーボン紙をはさみ、上から鉛筆などで強くなぞってグラスの裏側に写します。
2.グラスの下に白い紙を敷き、塗面をニードル、彫刻刀で(面になっているところ等)
彫ります。一旦塗ったところの上からも当然彫ることもできます。サンドペーパー、金
ブラシ等で引っかいて表現してもおもしろい効果が出ます。ぜひ工夫を。
3.彫りあがったところにアクリルガッシュで着色していきます。
布、紙་。金属、アルミホイル等を張っても、おもしろい表現ができます。
4.あまり神経ࡐにならず、偶然できた色、表現を楽しもう。ねらいの違う色になったら
引っかいて消し、また色をのせてゆけばよいのだから。
ビジュアルコミュニケイションを探るÛアイデアのエレメント
逆面相、Шし絵、だまし絵、メタモルフォーシス等からアイデアを練り
各自のテーマで制作してみよう。 12制作時間
1.題材০定について
「アイデア=IDEA」は、考え・ࢀ向・‫ڐ‬画・想像・思いつき・知ࡀ・観念・概念̶というۗ
葉の‫܃‬彙を持っているが、特別に表現のための方程式や様式・方法論などがあるはずはない。なぜ
なら、アイデアは目に見えない人間の創造的知恵だからである。
デザインにおけるアイデアは、ある時は形であり、あるところでは色彩であり、そして、機能そ
のものである場合があり、もちろんアイデアそのものがデザインである場合がある。デザイナーの
サビニャックによれば「ポスターのアイデアは頭や心に浸み透るものであるÛ」というわけだが、
ۗい換えると、アイデアは、その時代の社会に対する発ۗであり、人間に対する‫ڒ‬告であり、作者
にとっては創造の根源であり、真の自由であるともいえる。
「アイデア=IDEA」は、その時代性、時間性(その人間にとっての現代)の把握に他ならな
いとۗえる。そして人間をとりまく環境、社会機構と生活への積極的で果敢なる批判、明日のより
良き探索とࠟ行 ̶ 最も決定的で重要な要素は、そのデザイン的機能の根源的な理ӕであると考
える。デザインが人間に必要なものなら、デザインに必要なものはアイデアということになる、
かつて、アイデアは「即興的頓知」「急場しのぎの思いつき」と軽視され、その安易さ、気楽さ、
楽しさ、は軽蔑された。̶ そんな時代が過去にあった。
しかし今日的意味のアイデアとは、[その時点におけるものの見方]に他ならない。アイデアはデ
ザインにとってスタートであり、エンドでもある。あらゆる創造の分野に、この新しくも強烈な「も
のの見方」は重要度を‫ݗ‬めている。
ビジュアルデザインにおける「 」とは何か、̶ ビジュアルデザインにおける「アイ
デアのエレメントとは何か」
、
そんな問題に焦点を合わせて、昨日から明日に広がるビジュアルコミュニケイションを探ってみ
ることも今日のӀ題の一つではないかと思う。
2.東洋(日本)では、特にたくましい町民文化の江戸時代から明治の初めにかけての作家を中心
に(歌川国芳など)、西洋では、17世紀からの作家(アルチンボルト、ルネ・マグリット、サルバ
ドール・ダリ、M・C・エッシャーなど)を中心に、作品を鑑ऩし、それぞれのアイデアの共通性、
普遍性にも触れてみよう。
3.表現方法、表現素材は自由とする。
(B3の画面Ûコラージュも可)
私の授業紹介(遊び感ԑで映像メディア)
঄訪二葉‫ݗ‬等学校 丸山 恒治
はじめに
私自身が獲得してきたパソコンの知ࡀや使い方は、学習してきたというۗ葉は当てはまらず、好きで遊びな
がらԑえたことがほとんどである。授業でも同様に遊びながらԑえられれば簡単に身に付き、将来も遊び感ԑ
でコンピュータを使いこなしていってくれるのではないかと思っている。
平成 12 年の美術工芸教育研究会の講演会で埼玉県立芸術総合‫ݗ‬校の栗山広直先生が『これからの美術教育映
像メディア表現の実際』と題して発表されたなかの題材をヒントにこの教材を考えてみた。
内容
1)題材名 「アニメーション絵本」
この題材で身につけて欲しい力
・ࠟ行錯誤による思考力
・題材にそった発想、構想能力
・プレゼンテーション能力の獲得(パワーポイントのアニメーション機能を使って)
2)Ӏ題
プレゼンテーションソフトのアニメーションツールの使い方を理ӕし、1 分以内のアニメー
ション絵本を作成すること。
・使用して良い形は正円のみとする。
(数の制限はない)
・色は自由とする。
(ただしイメージを限定してしまう意味のある背景は使わないこと)
・文章を入れる。
・動き(アニメーション)を必ず入れること。
・場面展開が 4 場面以上であること。
・音は入れないこと。
○この作品データは、授業以外では使
用しないこと。使用したい時は、下記ま
で連絡すること。
঄訪二葉‫ݗ‬校 丸山 恒治
3)評価基準
・プレゼンテーションソフトの使い方が理ӕできたか。
・自分の主題にあわせた表現を工夫して考えているか。
メール:[email protected]
ウインドウズ最新 Power Point で動作する
・動きのおもしろさで表現を豊かにしているか。
・色の変わり方や、色による表現の工夫があるか。
ସ野県‫ݗ‬等学校美術工芸教育研究会事務局
4)制作環境 コンピュータ室(使用 OS:ウィンドウズ XP ソフト:PowerPoint)
5)学習の展開 時間数 4 時間(65 分授業 4 コマ)
65 分授業
展開
活動内容
準備
1時限
導入
絵本や参考作品を見てイメージをつかむ。
参考生徒作品
パワーポイントのアニメーションツール機能 絵本
を獲得するために、基本となる使い方の説明 基本操作獲得のための参考例
を聞き実際にࠟしながらԑえる。
2時限
発想
動く絵本になるようなストーリーとその内容 アイデアスケッチのためのシート
3時限
構想
にあった動きのアイディアを考え、シートに 資料 1
スケッチし構想を練る。
制作
アイディアにあわせて動きや色などを決めて
アニメーションを作成する。
4時限
制作
終了30分前に作業を中止し、全員でそれぞ プロジェクター
鑑ऩ
れの作品を鑑ऩする。
備考 作業の早さは個人差があるので放Ӏ後の作成を認めた。生徒の半数は授業時間外にも作成している。
まとめ
使用して良い形を正円に制限したことで、アニメーションのおもしろさに注目させることができた。それが
各自のテーマにあった表現に結びつき、工夫が見られた。制限することは自由なӀ題よりࠟ行錯誤をさせるこ
とができ、思考力を身につけさせる教材になると考える。
簡単な操作で動きをつけられ、遊び的な要素をもたせやすいソフトであったので興味関心が‫ݗ‬く、意欲的な
作品が多く見られた。
資料 1
アイデアスケッチ
のためのシート
絵文字作品集
箕輪工業‫ݗ‬等学校 本島雅之
「24点収཈」
1.
「絵文字」の授業での目標
(1)生徒に文字に対する関心を持たせる。
(2)基本的な書体のエレメントの学習をさせる。
(3)各道具の使い方を学習させる。
(4)独創的なアイデアから魅力ある印象の深いデザインを考えさせる。
2.
「絵文字」の学習内容
(1)自分の名前を使い基本的なレタリングの練習をする。
(ゴシック体・明朝体)
(2)配色の学習(明度対比・色相対比・彩度対比)
(3)制作の上で使う道具の練習(烏口・х型定֩・マスキングテープなど)
(4)文字の意味を調べる。そこから各自連想する形をスケッチする。
(5)スケッチから必要な൉分を上手に使いながら文字と融合させて制作を行う。
(6)友達の作品を鑑ऩし、更にいろいろな表現の面白さを味わう。
3.授業の進め方(20時間)
導入 参考作品による説明
文字の形からの発想、
文字の状態からの発想で生徒のいくつかのアイデアを考えさせる。
展開 B パネルに水張りを行い、そこに二文字に限定させて下書きをする。前回のレタリング
の描き方を参考にして明朝体・ゴシック体で文字を描く。そこから文字の一൉を加工さ
せる。着色は周りをマスキングテープで張る以外はカラス口を用いながら進める。
まとめ 完成した作品を鑑ऩし、みんなで意見交換をする。出来た作品は文化祭で展示する。
まとめ
様々な作品が出来て思っていた以上の学習が出
来たと思います。しかし、最初の導入が私の勉強
不ੰのためかなり苦労しました。文字からの発想
がなかなか出てこなくていろいろ参考作品を作っ
たのですが逆に生徒の発想の妨げになってしまっ
た感じがします。次回のӀ題にしていきたいと思
います。制作の上でも自分が思っていたよりも時
間がかかってしまいました。烏口の使い方が難し
く授業の後半はほとんどマスキングテープを使用
しました。また授業の内容をもっと工夫して生徒
が授業に取り組む姿勢を持続させることもӀ題としていきたいです。いろいろ問題点はありましたが全
体的に見てみると各自工夫を凝らし面白い作品が出来たのではないかと思いました。今後は更に発展さ
せ図書պ、体育պ、研究室などのマークの制作も行ってみたいと考えています。
映像メディア表現
松本深志‫ݗ‬校 逢沢 道澄
1年の第一期のӀ題として、表現・制作した作品を収཈しています。
写真集のフォルダ及びパワーポイントによる作品プレゼンテーションとして特集2の
作品集・素材պに掲載してあります。これを見るには、パワーポイントが必要です。
「テーマ」コミュニケーションとしてのビジュアル表現
「映像」、「音声」、「文字」を組み合わせた表現(今回は音声はなし)
(1) 粘土を使う(手仕事)
Û配置する場所、イメージを考え、そこに適切な動物を選ぶ。
表現に必要な形をデザインし成形する。
着彩をする(アクリル絵具使用)
(2) デジタルカメラで撮影をする。
カメラ技術については学習せず。
必要な箇所に焦点০定し、オート
で撮影している。
(3)コンピュータを使う
ソフトは『パワーポイント』
表現するۗ葉を入力、色や形をデザ
インする。
アニメーション機能をそれぞれに適
用した後、効果が出るように時間な
ど০定して完成。 作品例
*ウインドウズ最新の PowerPoint でご覧下さい。
パワーポイントで制作したものは文字が重なり
あってしまうのでそちらを参照して下さい。
使用上の注意について
この『素材պ』の作品使用について
研究会員の先生方は、各自の責任において自由にお使い下さい。その他の方々は
ସ野県‫ݗ‬等学校事務局まで連絡をお։いします。
実਎レポ−ト
「背景のある自画像」
「学校周辺のൌ景」 篠ノ井‫ݗ‬等学校 ࠾山 ඿夫
1.「背景のある自画像」 (1年)
・制作時期と時間ÛÛ12月
1 月、 50 分
10 回
・B3 ケントボード使用、 鉛筆で描写、ガッシュで透明描法
「‫؛‬を見ながら、自画像を描く」というӀ題である。背景は、美術室内や窓から見えるൌ景、又
は、自分で選んだ場所(写真利用)とした。
1 年生では、デザインと絵画の基礎を主に取り扱ってきたが、ここで、少し時間をかけて作品を
制作してみよう、ということでこのӀ題を০定した。自画像だけでも十分作品になるとは思うのだ
が、自由に選ぶという所があってもいいのではないかと考え、「背景のある自画像」というテーマ
にした。
昨年度は、現代美術社の『自然から学ぶ』という教科書を使用したが、今年度はその教科書がな
いので、必要な所をコピーして配布し、読み合わせをした。
うまければ良いというものではないこと、今を生きている自分、自分らしさの表現、等を強調し
た。参考作品を鑑ऩしたり、「鉛筆画のつもりで十分描き込むようにしよう。」という説明もしたの
だが、「これ以上描けません。」とۗって、すぐに着彩したがる生徒が何人か居た。鉛筆のタッチが
見えにくくなった例や、自画像よりも背景の方に力を入れ過ぎた例もあったが、全般に良く取り組
んでいたと思う。自分の作品に題名をつけ、感想文も書いた。もし、もう一度同じӀ題を扱う機会
があったなら、透明描法の習作をしたり、透明水彩を使用してみようと考えている。
w篠‫ݗ‬生な私xÛÛ梢の感想文
顔の表情で、目を描くのが難しいと思いました。「生きている」という感じを出すのがなかなか
うまくいかなくて苦労したし、「何を考えていて、どこを見ているのか」というのが上手に伝えら
れなかった気がします。あと、着彩の面でも、顔の色を表すのが大変でした。肌の色を作って塗り、
一൉に薄いঢ়をのせたりして、出来る限り‫ؼ‬い感じに着彩しました。制作後に全体を見ると、「生
きている」という感じがあまりしない気がしました。
背景は大ざっぱだけど、けっこう好きな感じにできました。普段勉強している教室の窓から、ほ
ぼ毎日、向いの南校舎を見ていたので、そこを選びました。「学校」だということが、ストレート
に表せる、ということも、選んだ理由です。
「北欧のൌ景と私」ÛÛ友佳の感想文
自画像を描くのがけっこう難しかった。(パーツの位置とか) 明暗をつけて立体感を出すのも
大変だった。 建物は、描くのが楽しかった。 色を作るのが少し大変だったけど、色をつけるの
は楽しくできた。ÛÛ完成したのを見て、自画像なのに似てないなーと思った。
北欧のൌ景をえらんだのは、建物や景色が好きで、将来一度は行ってみたいと思っているからで
す。建物の方が描きやすいっていうのもあるけれどÛÛ。
廊下の壁面上൉にレールがついているので、作品が出来るたびに展示替えしている。いつも、様々
な反応があるが、校ସからも次のような感想が寄せられた。
「南校舎一階の廊下に自画像が並んでいる。鉛筆で描き、そこに薄く色をのせてある。背景には
校舎の一൉が配されているものが多く、絵全体が身‫ؼ‬に感じられる。一人一人の顔は別であるのに
共通の印象があるのは、自画像というモチーフの必然かもしれない。端正である。きまじめである。
全体として篠ノ井‫ݗ‬校の顔を作っているとۗったら叱られるだろうか。
中に若干のデフォルメを含む作品もあり、それはそれで微笑ましい。希望とか։いは、顔の造作
さえ
決めかねない強いエネルギーを持つ。大きな目を望むものは、感動する心を全開にして目を一杯に
見開いていればよい。口元をきりっとした印象にしたいひとは、意志の力をそこに集中させればよ
い。よい顔も悪い顔も、その人の心根に根ざすものかもしれない。
」
2.w学校周辺のൌ景x (2 年)
・制作時期と時間ÛÛ4 月
5 月、 50 分
12 回
・F6 片面キャンバスボード使用、 ガッシュで不透明描法
はじめに、昨年度までの作品を鑑ऩした。その後、スケッチブックと鉛筆を持って歩き回り、そ
れぞれが気に入った場所を選定し、スケッチすることから始めた。
画面の中に「生き物に見立てた自然物(石ころ・木の枝・葉など)を入れることにした。これは、
単にൌ景をそのまま描くということに終わらずに、自分独自の画面をつくったり、遊びの要素も採
り入れながら、12 時間を目一杯使って制作して欲しい、という։いがあったからである。自然物を
用意しておくことは宿題としたが、持ってきた生徒は数人であった。ほとんどの生徒が、制作中に
見つけて画面の中に取り込む、ということになった。
自然物と限定したのは、何かに見立てやすいのではÛ、という理由からである。形や色は、でき
る限りそのまま、 目らしきものを描き込むなどわずかに手を加えるのはよい、ということにした。
制作中は、巡回しながら一人一人と話をしている。「生き物全体の形に見立てる」という説明を
したのだが、「いいのがありましたÁ猫の手です。
」と、石ころを見せてくれたり、「いちょうの木
全体がキリンに見えるので、それでいいですか。
」など、様々なことをۗってくる。
セリフは短いものが大多数だが、かなりସいものも少しあった。 「描きにくるたび変わる景色
は、猫の目の如く気ままな流転」というのが、もっともସいものだった。
着彩の段階では、混色したり、塗り重ねたりして、工夫している様子が見られた。1 年次の最後
に、「模写」をしたが、それが今回の制作に生かされているように思えた。
「おさかっな♪ おさかっな♪ いないかにゃ
♪」Û(木の皮→ねこ)ÛÛ亜沙美の感想文
中庭を選んだのは、学校の中で一番好きな場所だからです。そして、見立てた生き物が「ねこ」
だったので、金‫׸‬がいる所がいいかなーということも思ったからです。あと、緑がある所がいいな
ぁと思っていたので、
これはもう中庭しかないだろーÁ
って思ったので、中庭にしました。
苦心したのは、灰色൉分(石とか石垣)の所です。色の出し方が難しくて、なかなか思った色に
なりませんでした。あと、景色がどんどん変わってしまったのも大変でした。
見てほしい所は、草と池の所です。草はなかなかそのままの感じを出せたし、池に写った景色も
結構上手くできたと思います。
不透明描法は、何度か重ねて塗った方がよりよい色の感じがでる、ということを思いました。そ
れと、色を混ぜないままで塗ろうとすると、他の色とのバランスが崩れてしまうことも分かりまし
た。
絵本制作のこと
田川‫ݗ‬校 日向勉
原田泰治さん
26 年前上伊జの箕輪工業に赴任し、右も左もわからず機会あるごとに‫ؼ‬くの学校の先生に指導を
仰ぎにお伺いしました。
その年は研究総会が上伊జで駒ヶ根のすずらん荘が会場でした。講演会は原田泰治さん今ほど有
名ではなかったが、話が面白くて人をひきつけました。紹介者は二葉の二木先生。講演の前に、原
田さん自身が朗読しているテープを流しながらの『さだおばさん』のスライド上映があり大変感動
しました。そんなわけで箕輪工業でも全校生徒に原田さんの講演をと考え職員会に提案し঄訪のご
自宅にお伺いしたことがありました。講演は実現し大好評で生徒も聞き入っていました。ユーモア
あふれる中にも人間はどう生きるべきかご自身の体験を元に‫܃‬っていただきました。(もちろんテー
プつきスライド上映も)
二木六徳先生
そのころ二木先生は঄訪丸光で生徒作品の絵本展を開催し発表しておられました。一度観に行っ
たことがあり中身も充実して大変すばらしい作品ばかりでした。表紙の裏に著者紹介があり似顔絵
だったか写真だったか忘れましたが『おやおかしい著者の顔はもっと美人のはずなんだがzzz。』と
いうような意味の文章が載っていたのをԑえています。
その当時上伊జ図書պで製本講習会というのがあり生徒引率しながら私も講習を受け大変役立って
います。(多分上伊జの教文会議図書պ教育だと思う。)そんなわけで製本には絶対の自信がありま
す。
絵本
絵本は自分で創作する。絵画やデザインの技法を使い表現する。そして製本するv壁面にかける絵
画やデザインとまた違ったよさが絵本にはあると思います。特に違うところは一枚めくるごとに次
の場面が現れるところです。読む人(見る人)に次のページへの期待(わくわくする)を持たせる
ところ、めくったあとの満ੰ感、充実感、それとも期待はずれな次のページ?zzz。とそんなこんな
で絵本制作は今もメインのӀ題になっています。まず物‫܃‬を考える。自分の身‫ؼ‬な話。クラブのこ
と。自分の家の話。飼っている動物の話。ちょっとしたほのぼのとした話。こんなテーマでまず導
入していく。
製本の材料は本物((株)キハラ 千代田区神田ࣆ河台3−5 TEL(03)3292-3301)を使う。表紙
と本体をつなぐ見ඉし用紙そのつなぎ目補強の紗、表紙をカバーするブックカバー、こんなところ
がポイントかな。
田川では 2 年 2 学期に、また 3 年美術Ⅲの 3 単位中1単位で、実施している。
Ӏ題
ただ大きなӀ題も残っている。表現が貧弱z漫画的・中身がないものが多くできてしまう。いいも
のは盗作じゃないかと疑われるもの(実際にあった)も出てきた。導入段階での指導がまずいのか?
必ず絵の具(アクリル系)で着色する。この条件もなかなかやりたがらない。色鉛筆じゃだめか
とか、中にはクレヨンもzzz。効果的に使うのならいいが彼らの考えは違う。
とはいうものの製本をきちんとすればまあまあのものが出来上がる。しかし表紙の文字と絵まで
は、気を使わない。ささっと描いて終わり。考えてみたら表紙が一番大事かもzzz。
今年のベスト作品
3 年のS君『ネクタイ』こんなところに苦労していたんだ。その生徒の思いが伝わって来ました。
今後の発展
絵やイラストを使い文字はあとから入れる(パワーポイント)こんなことしたら面白いかも
Û
今年のベスト作品
『ネクタイ』S 君
表
紙
思④
い彼
まは
す練
Ნ習
を
し
よ
う
と
⑤
寝
ず
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習
し
ま
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た
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2
①
僕
は
‫ݗ‬
校
生
で
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Ნ
た⑥
Ნで
き
ま
せ
ん
で
し
さ
れ
ま
し
た
Ნ
下での②
手
が僕
で
下は
し
手ネ
た
でク
Ნ
しタ
たイ
Ნを
結
ぶ
⑦
そ
の
日
彼
は
ま
た
注
意
れ
ま
し
た
Ნ
2
③
あ
る
日
先
生
に
注
意
さ
⑪
ほ
め
ら
れ
ま
し
た
Ნ
に
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り
ま
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た
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Ნタ彼
イは
結ク
びラ
にス
な一
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まの
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美術の生徒作品表紙
3
い
先
生
に
少
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レ
そ
う
束
し
ま
し
た
Ნ
⑨
直
し
て
く
る
こ
と
を
約
く
や
り
ま
し
た
Ნ
⑩
そ
の
日
彼
は
も
の
す
ご
⑧
昨
日
の
努
力
を
知
ら
な
芸術コース美術専攻の活動と
陶芸ろくろ成形の学習指導
‫ݗ‬遠‫ݗ‬等学校 宮澤 芳博
Ⅰ ‫ݗ‬遠‫ݗ‬校・芸術コース美術専攻(美術コース)の紹介
1 学校周辺の地域性 ‫ݗ‬遠・ସૌ地区
‫ݗ‬遠・ସૌ地区は伊జ市東൉に位置し、豊かな自然に囲まれている。
‫ݗ‬遠藩の城下町だったことから文化芸術を大切にする気ൌが強く、明治以来多くの芸術家を輩
出しきた。洋画家 中村不折、日本画家 池上秀畝、東京音楽学校初代校ସ 伊澤修二は‫ݗ‬遠町出
身で、中川紀元、瀬戸団治、山口進などゆかりの芸術家も数多い。
現在も、地域全体で文化芸術を大切にしており、‫ݗ‬遠町では町立美術պが活発な活動を行った
り、‫ݗ‬遠焼きの登り窯を町立で復興させたりしている。また、ସૌ村は、全国から若手工芸家を招
致し、工芸家村を০立した。住民の文化芸術活動も盛んに行われている。
2 ‫ݗ‬遠‫ݗ‬等学校
‫ݗ‬遠‫ݗ‬校は伊జૌ東൉に位置し、南アルプスの懐に抱かれた小֩模普通‫ݗ‬校である。自然環境・
学習環境に大変恵まれている。学校֩模は各学年3クラスで、生徒数は約340名。‫ݗ‬遠町・ସૌ
村と‫ݗ‬遠町に༄接する伊జ市東൉から通学する生徒が大半を占めている。交通の便があまりよくな
いため、遠方から通学してくる生徒は少数で、山間൉の地元生徒が多いためか、൪囲気は比Ԕ的落
ち着いている。
平成6年度よりコース制を敷き今年で10年目。福祉・経営・芸術・進学の 4 つのコースが০
置されており、生徒は1年次よりそれぞれのコースに分かれて前向きに学習している。コース制と
なってからは定員割れとなることなく、生徒数も安定している。
3 ‫ݗ‬遠‫ݗ‬校の教育目標
<学校教育目標>
教育基本法の理念を踏まえつつ、‫ݗ‬遠藩の学問所進徳պにおける拓世、迫真の実学の精神を
‫ؼ‬代的視野に立って継承する。
(1)真摯な学問的精神の涵養、科学的思考力の増進
(2)積極性・自主性を養い、責任感を育て、能力に応じた指導を通じて個性の伸ସに努める
以上を踏まえ、次の「中・ସ期的目標(スクールアイデンティティー)」を定めて教育活動を
行っている。
(1) 地域に根ざし、地域から信頼される学校
(2) 自ら目標を見つけ、進路を切り拓いていく生徒を育てる学校
(3) 21 世紀を担う豊かな人間性と人間関係力を持った生徒を育てる学校
4 美術コース০置の意図
「生徒がより個性・能力を伸ばせるような教育環境を作り、生き生きとした生徒集団にしたい」
という理由から平成6年度にコース制が導入され、今年で 10 年目を‫ڗ‬えた。これは、定員割れを
原因とする学校の「荒れ」を改善する方策として、地元‫ݗ‬遠町・ସૌ村と同窓会から資金等の援助
を受けて行われた学校の活性化事業であった。০置コースは、福祉・経営・芸術・進学の 4 コース
で、芸術コースは音楽・書道・美術の専攻に分かれている。
芸術コース০置の理由は、「多くの芸術家を輩出した‫ݗ‬遠に০置された‫ݗ‬校として、また著名な
芸術家が教師として教壇に立ったことのある‫ݗ‬校として、音楽・美術・書道を更に深く学ぶため、
芸術コースを০置する」とある。(「‫ݗ‬遠‫ݗ‬校コース制について(95,12,9)」より)
参考 ൌ景画(油彩 F20 2 年) 参考 卒業制作(油彩F20 3年)
Ⅱ 美術コースの活動
1 美術コース生の実態 様子(コース人数は各学年約15名)
(1) 能力的な面
・造形力がある生徒は半数ほど
・美的体験は少なく、美的な視野も狭い
・独創性に乏しい
・見通しを持ち‫ڐ‬画的に制作することが苦手な生徒が多い
・説明などを理ӕするのに時間がかかる
(2) 性格・性ࡐ
・おとなしい生徒が多く、積極的に自己表現をしない
・決められたことはこつこつ取り組む
・のんびりしている
(3) 興味・関心
・美術は好きで楽しみにしている
・絵画・イラストを好む傾向がある
(4) 進路
・美術関係の進路に進む生徒は約半数で、短大・専๖学校への進学が多い。卒業後就職
する生徒も多い。
2 美術コースの目標
以上のような生徒の実態を踏まえ、地域や生徒・保‫܅‬者、学校内からの要望や期待に応える
ために、次のような方向で学習活動を行っている。
(1) 教科の目標
美術は視ԑ・触ԑの芸術であり、視ԑ・触ԑで感じ、表現するという点で独自の活動である。
見る・感じる・考える・つくるという活動を通して、新しい感ԑや思考や回路がつくられ、精神的
な豊かさが培われる。「豊かな心」(情緒的な力)は効率を求める現代社会のൌ潮とは相容れない൉
分はあるが、人間として大切な能力であり、芸術教科で学べる場合が多い。
そこで、教科の目標を次のように০定して指導した。
<美術科の目標>
造形活動を通して
に、
豊かな心
‫ݗ‬い表現力
や
と
ものを見る確かな目
(知ࡀ・技能)を身につけるととも
‫ݗ‬い志 、 ものづくりの姿勢(自分の表現を納得いくまで粘り強くୈ及す
る姿勢)(精神的・情緒的力)を育てる。
(2) 学習の 3 つの重点分野と০定の理由
美術コースへの各方面からの要望や期待に応えるために、次の重点分野を০定している。
① 絵画 ‫ݗ‬遠は中村不折ゆかりの地であり、現在でも町の文化活動として大切に考えら
れている。町が主催して、「信州‫ݗ‬遠の四季展」という‫ݗ‬遠を描いたൌ景画の公募展が
行われており、本コース生も‫ݗ‬校生特別展という形で参加している。
② 陶芸 江戸時代、小さなものではあるが地方窯があった。現在も「‫ݗ‬遠焼(‫ݗ‬遠町)」
「アートビレッジ(工芸家村 ସૌ村)」など少数ではあるが陶芸家が活動している。
また、学校に陶芸০備があるため、生徒や職員からの陶芸学習への期待も大きい。
③ グラフィックデザイン 本校生徒の最も好む分野であり、文化祭のポスター制作の
依頼や外൉のコンクールなどへの応募なども期待されている。
卒業制作(油彩 F30 3 年) 友人の像(テラコッタ 1 年) 応募用ポスター(B3 1 年)
3 美術科教育Ӏ程(旧Ӏ程)
1年
科目
単位数
美術Ⅰ
2
必修芸術
美術コース
美術Ⅰ
文化史
2
2
2年
3年
科目
美術Ⅱ
単位数
2
美術Ⅱ
現代文化
4
2
科目
美術Ⅲ
総合美術
コンピュー
ター造形
単位数
3
3
3
*美術コース生は必修芸術も美術を選択する。
*美術科職員は1名で、網掛け科目を担当している。他の科目は他教科に担当してもらってい
る。
4 学習内容の構成
編成時の留意点
① 学校の顔であるコース教科なので、ସ期的な見通しを持った、体系化されたものにする。
② 生徒の実態に即し、つけるべき力を明確にする。
③ コースの学習内容と必修芸術の学習内容を効果的に関連付ける。
◆1学年単元展開
学
期
講
座
名
学習項目
題材名
学習内容
絵画
手のレリーフ
石膏板(葉書大) ・制作の姿勢
に実物大の手を石
彫刀で浮き彫りす ・主題とポーズ
る
・デッサンの方法
芸
術
・主題を生かす仕上げ
文化祭シンボル
原画用紙にデザイ
「のれん」の原画 ンし、色鉛筆で彩
色する
・主題とモチーフ
1
美
術
コ
ᯠ
ス
彫刻
表現に関連する事
デザイン
工芸
・制作の姿勢
・制作の姿勢
・額作りと展示
・額作りと展示
・デザインの意義と役割 ・デザインの意義と役割 ・デザインの意義と役割
・主題とモチーフ
・主題とモチーフ
・彫刻のよさと技法
・主題を生かす仕上げ
・主題を生かす仕上げ
・主題とモチーフ
油絵 身սなऍ物 愛着のある身սな ・油絵のよさと特徴
物をグリザイユ技 ・主題とモチーフの選定 ・主題とモチーフの選定 ・主題とモチーフの選定
法で描く
・油絵のよさと特徴
・デッサンの方法
・油絵具の用法
・グリザイユ技法の特徴
と方法
・文化祭での展示
楽焼のオカリナ
芸
術
鑑ࡪに関連する事
・制作の姿勢
・彫刻のよさと技法
・主題とポーズ
・デッサンの方法
・レリーフの技法
・主題を生かす仕上げ
レタリング基礎
音階のある土笛を
作る
・額装と展示(文化祭・
上伊ଢ଼‫ژ‬美展)
・土笛の原理
・やきものの基礎技法
・やきものの基礎技法
文字のデザインを
通してグラフィッ
クデザインの基礎
を学ぶ
・デザインの意義と役割
・土笛の原理
・デザインの意義と役割
・代表的な字体 明朝・
ゴシック
・平塗りの技法
テラコッタ
友達の頭像
2
友達の頭ಊを粘土
で表す
・彫刻のよさとテラコッ
タの特徴
・彫刻のよさとテラコッ
タの特徴
・彫刻のためのデッサン
美
術
コ
ᯠ
ス
・大構造から細ಊへ
・大構造から細ಊへ
・‫ڲ‬格と肉付き
・‫ڲ‬格と肉付き
・生命感を求める仕上げ ・生命感を求める仕上げ
・焼成
・焼成
・台作りと展示
芸
術
シルクスクリーン 文字のデザインを
で作るロゴタイ
応用して自分に関
プ、マーク
係のあるロゴタイ
プやマークを作る
・知らせるデザインの役
割と技法
美
術
コ
ᯠ
ス
社会に訴えるポス コンクールへの出
ター
品を目的として多
くの人に共感され
るポスターを描く
・知らせるデザインの役
割と技法
・文字からのデザインの
方法
・シルクスクリーン
カッティング技法
3
・台作りと展示(上伊ଢ଼
‫ژ‬美展)
・シルクスクリーン
カッティング技法
・伝達のためのデザイン
の役割と技法
・伝達のためのデザイン
の役割と技法
3
美
術
コ
ᯠ
ス
社会に訴えるポス コンクールへの出
ター
品を目的として多
くの人に共感され ・テーマの決定
るポスターを描く
・テーマの決定
・資料の収集
・アイデアを形にする方
法
・アイデアを形にする方
法
・ポスターカラーでの彩
色
・コンクールへの出品
◆2学年単元展開
学
期
講
座
名
学習項目
題材名
学習内容
絵画
新印象派の技法で 色の転ੴを色点の ・混色の原理
描く
粗密で行い色彩豊 ・印象派の理論とよさ
かな絵を描く
・「スーラ 点描の画
彫刻
表現に関連する事
デザイン
鑑ࡪに関連する事
・印象派の理論とよさ
・「スーラ 点描の画
家」
・「印象派と色彩」
家」
・「印象派と色彩」
・‫ݠ‬作 3原色の転ੴ
芸
術
工芸
・混色の原理
・モチーフの決定(色彩
豊かな写真)
・色面分割して塗る
・色の境界を点でぼかす
・文化祭での展示と鑑ࡪ
油絵の具に慣れる 方眼を任意のイ
・地塗り
メージで配色する
・ペインティングナイフ
での彩色
・಍景画のよさ
油絵 校内の಍景 自分の周りの空
1
・文化祭での展示と鑑ࡪ
・地塗り
・ペインティングナイフ
での彩色
・಍景画のよさ
気・奥行きや空間 ・「見えるままに描く
を感じる಍景を描 透視図法」
く
美
術
コ
ᯠ
ス
・「見えるままに描く
透視図法」
・主題とモチーフの決定
・補色での地塗り
・構図とデッサン
・絵の具で描く
・主題をあらわす仕上げ
・文化祭での展示
張子の照明器具
・額装と展示(文化祭・
‫ژ‬遠の四季展・上伊ଢ଼‫ژ‬
美展)
伝統的な和紙工芸
の技法で卓上で使
う照明器具を作る
・張子技法のよさと特徴 ・張子技法のよさと特徴
・照明器具のデザイン ・照明器具のデザイン
(アールヌーボーなど) (アールヌーボーなど)
芸
術
・原型作り→張子の制作
→原型を抜く→ૣ球の取
り付け
・展示と鑑ࡪ
・展示と鑑ࡪ
講評会(社会人講
師の指導)
油絵಍景画の講評 ・自他の作品のよさと今
後のЁ題
細密イラストレー デザイナーの方の ・細密画のよさと技法
ション(社会人講 指導により鉛筆淡
師の指導)
彩技法による細密
描写で生物を描く
2
美
術
コ
ᯠ
ス
・下絵の制作とトレース
・線画
・淡彩技法での彩色
陶芸手びねり技法 陶芸の基礎技法を
学ぶ
・細密画のよさと技法
・自他の作品のよさと今
後のЁ題
・細密画のよさと技法
・モチーフの決定(鮮明
で作品にսいサイズの写
真)
・下絵の制作とトレース
・線画
・淡彩技法での彩色
・展示と鑑ࡪ
・展示と鑑ࡪ
・陶芸作品のよさと技法 ・陶芸作品のよさと技法
・紐作り・たたら作りで
器を作る
・釉薬がけ
・展示と鑑ࡪ
・展示と鑑ࡪ
アートグラスで作 今の自分をバロッ ・バロック絵画の自画像
る自画像
ク絵画のように̯ のよさと特徴
の中に輝く肖像と ・肖像写真の撮影
して描く
・‫ݠ‬作「線を重ねて美し
・バロック絵画の自画像
のよさと特徴
い諧ੴを作る」
芸
術
・転写
・スクラッチ
・生命感を与える仕上げ
・彩色
・展示と鑑ࡪ
3
・展示と鑑ࡪ
造形の基礎
3
美
術
コ
ᯠ
ス
石膏像のデッサン
・デッサンの意義と技法
・造形の要素
・色彩の理論と活用
色彩
・色彩学習カード
ステンシル・マス ・平塗りによる地塗り
キング
・ステンシル・マスキン
グの方法
・コラージュの方法
コラージュ
・ステンシル・マスキン
グの方法
・コラージュの方法
・様々な素材とイメージ
のふくらみ
・ドリッピング
・デカルコマニー
・様々な素材とイメージ
のふくらみ
・ドリッピング
・デカルコマニー
・吹き
・スパッタリング
・マーブリング
・にじみ
・吹き
・スパッタリング
・マーブリング
・にじみ
偶然を生かす
・色彩の理論と活用
・色彩学習カード
・平塗りによる地塗り
◆3学年単元展開
学
期
講
座
名
学習項目
題材名
学習内容
絵画
彫刻
表現に関連する事
デザイン
工芸
・展示と鑑ࡪ(ポスター
コンクール・文化祭)
1
自由なテーマによ ○私のいる಍景
る絵画の制作(い
ずれかを選択して ○好きな絵のಊ分
取り組む)
を模写する
美
術
コ
ᯠ
ス
鑑ࡪに関連する事
・ポスターの役割とよさ
・構想を練る
・資料の収集
・ध‫ב‬図(下絵)
・パネル張り
・本制作
文化祭のポスター 宣伝効果に富み生
徒のಫ囲気を‫ژ‬め
る美しいポスター
を描く
・展示と鑑ࡪ(ポスター
コンクール・文化祭)
・今の自分を಍景との構
成により表す
・そっくりに描くと同時
に心惹かれたಊ分の表現
の仕方を学び取る
陶芸ろくろ成型
陶芸家の方の指導
(社会人講師の指 により陶芸の‫ژ‬度
導)
な技法を身につけ
る
・陶芸作品のよさと技法 ・陶芸作品のよさと技法
・練り・土殺し
・バイ引き
・水引き
・削り
・施釉
・展示と鑑ࡪ(卒業展覧 ・展示と鑑ࡪ(卒業展覧
会)
会)
2
卒業制作(絵画ま 今までの学習を生 ・分野・題材・テーマの
たはデザイン−
かして自分なりの 選定
F30号以上)
テーマで作品を制 ・構想を練る(主題・技
作する
法・効果)
3
卒業展覧会の‫ב‬画
と運営
・分野・題材・テーマの
選定
・制作の‫ב‬画
・構想を練る(主題・技
法・効果)
・制作の‫ב‬画
・展示と鑑ࡪ(上伊ଢ଼‫ژ‬
校美術展・卒業展覧会)
・展示と鑑ࡪ(上伊ଢ଼‫ژ‬
校美術展・卒業展覧会)
・展示と鑑ࡪ(上伊ଢ଼‫ژ‬
校美術展・卒業展覧会)
卒業展覧会の‫ב‬画と運営
コース学習のまと
め
5 発表の機会
作品は基本的にはすべて発表することにしている。本年度は次のような発表の機会があった。
・信州‫ݗ‬遠の四季展・諸団体ポスターコンクール・伊జ市こども情報誌表紙カット・‫ݗ‬遠少年自
然の家自然の祭典・‫ݗ‬遠町文化祭・上伊జ‫ݗ‬校美術展・県‫ݗ‬校美術展・コース発表会・文化祭ポ
スターコンクール・文化祭美術展・校内展示(3回)
Ⅲ 特徴的な題材 社会人講師を活用した陶芸の学習
1 本年度実施した社会人講師を活用した授業

2年生 油絵ൌ景画の講評 (2時間) 竹内 徹氏(画家 ‫ݗ‬遠美術պସ)

2年生 細密イラストレーションの技法(6時間) 山下一正氏(デザイナー)

3年生 陶芸ろくろ成型の技法 (24時間) 久保田隆氏(陶芸家) 2 陶芸 ろくろ成形 (卒業制作と同時展開)
[学年:美術コース3年生(14名) 期間:9
(1)
目
11月(全24時間)]
的:
1,2年次と陶芸の基本的な技法を学習してきた3年生に、陶芸家の方にろくろ成形の専
๖的な指導をしていただき、より‫ݗ‬い焼き物の技術を身につける。また、作った作品は、自
分で使うと共に、卒業展覧会に展示する。
(2)
講
師:
久保田 隆 氏(伊జ市美すず六道窯)
(3)
グループ割:
ろくろが6台ある関係で5
6人で1班として8時間ずつ制作を行う。本年度は3班で実
施し、合‫ڐ‬24時間の制作となった。ろくろ成形の制作を行わない生徒は教師の指導の下、
卒業制作(絵画またはデザイン)を行う。
(4)
回
1
回
時
数
2
目
2
目
2
3
班
班
班
土もみ(荒もみと菊もみ)を30分ほど練習する。土をろくろに 10/
10/
11/
すえて土殺しと土取りの練習を行う。
17
5
始めに第1回と同様に土もみ、土殺し、土取りの練習を行う。取 10/
10/
11/
った土を水引きし、小どんぶり程度の器を作る練習をする。練習 3
24
12
水引きで器を各自制作する。思い思いの形を‫ڐ‬4・5個制作する。 10/
10/
11/
慣れたところで、カメ板をすえ、玉引きで皿・ತなどの大きな作 8
29
14
しったをろくろにすえ、その上に作品をすえて底を削る。底の形、 10/
10/
11/
断面の形、かんなの使い方、削りのコツを聞き、各自削る。始め 15
31
21
習
内
容
1
作品は切り取った後、割ってみて出来栄えを確かめる。うまくで
きるまで繰りඉし練習する。
3
回
1
学
後片付けの方法を徹底する。
2
回
単 元 展 開:
2
品を制作する。土は2種་(ঢ়・白)用意し土もみは講師・教師
が交代で行う。生徒は制作に専念する。作品は、衣装ケースなど
目
蓋つきの容器にしまい、乾き具合を調整する。
4
回
目
2
に練習として講師が用意した器を削り、慣れたところで自分の作
品を削る。作品はサインをして乾燥させる。
回
時
学
数
習
内
容
素焼き
1
2
3
班
班
班
12/15
釉薬をかける。方法は1・2年次に行っているので、口頭の説明 1/9
施
釉
2
を聞いた上で各自取り組む。釉薬のつけすぎに注意する。大物は
流しがけなどを行う。乾かして、底の釉薬をスポンジなどでぬぐ
い本焼きする。
本焼き
(5)
1/12
用具[全体]練り台、樽(粘土入れ、手洗い)、バケツ、ビニル袋、粘土(ঢ়・白)、
஢動ろくろ、しった、陶芸用具一式、エプロン
[各自]水引き: バケツ、スポンジ、ヘラ、しっぴき、࠾皮、ろくろ、
土(ঢ়荒・信楽特練 A 各10kg/1人)
削
り: カンナ、࠾皮、
その他: ߙ巾
(6)
作品の発表 第4回芸術コース発表会
美術・書道・音楽コース合同で、卒業を前にした3年生が‫ݗ‬遠美術պをお借りして、学習
の成果の発表を行ってる。美術・書道展は今年で7回目、演奏会は4回目となる。その中
で陶芸作品も展示している。
芸術コース発表会は次の3点を目的として指導している。①美術պでの発表を目標とし
て制作することを通して、より完成度の‫ݗ‬い卒業制作を制作する。②3年間のコースでの
学習の集大成として取り組んできた卒業制作を発表し、互いに鑑ऩしあうことを通して、
自他の作品の良さや完成までの努力を感得する。③展示、片付けなど展覧会の運営も学習
として位置付け、全員で協力して行う。
ポスター(コンピュータ造形授業作品) 会場ൌ景
(コース発表会会場写真)
Ⅳ まとめ
美術コース全体を見ると、先輩の作品を参考に、それをଵえようとする൪囲気があり、年次進行
で意欲的に制作する生徒が増え、作品のࡐも向上している。個々の生徒を見ても、学年が上がるに
したがって意欲が‫ݗ‬まっているようだ。
それに伴い、内外での作品発表や文化祭への協力も積極的に行えるようになった。また、外൉
のポスターコンクールで上位に入ऩしたり、「信州‫ݗ‬遠の四季展」に展示させていただいたり、伊
జ市報のイラストの依頼があったりと外൉からの評価やお誘いもいただくようになった。学校内で
の存在感も向上し、生徒たちに少しずつ自信がついてきたように思う。
現在は生徒が美術コースであることを‫ۯ‬りに思えるようになってきた。成績上位者に美術コー
ス生が大勢入るようになったり、学校や授業へのૺ刻・欠席が少なくなったりと、学習面・生活面
共に充実が見られる。
今後のӀ題としては、造形活動を愛好する心を更に‫ݗ‬め(やらされている学習から自分から進
んで行う学習へ)、造形力をいっそう向上させる指導を工夫していきたい。学習の意欲や目的を持
たせるための手立ての一つとして、進路指導を充実させたい。
研究レポート
技法研究 ランプシェード 松本美অ々ヶ丘‫ݗ‬等学校 ‫ݗ‬地善之
1.テーマ০定について
大学時代共通ガイダンスでデザイン科のӀ題として扱い(素材は紙)、折り線によるシャープな
フォルムが妙にカッコイイなという印象を持った。陶器科でも॒以外の用途を持つものとして
轆轤・手びねり成形で作ってみた。土の可塑性とあたたかさの面白さを感じた。ともに室内空
間と光の演出効果を意ࡀしなければならない作業でありデザイナーの気分になった。‫ݗ‬等学校
に勤務してからも「用の美」と「素材」の面白さを体験してもらえればと思いずっと続けてい
る。紙は加工しやすく手軽だが壊れやすい。粘土は制約があり重い。だから作品を持ち帰らな
い生徒が少なくない。そこで今回は針金と和紙を素材とし、軽く壊れにくく「インテリア」(置
く形)にもなるものを扱った。特別に技法では難しいこともないので、光と形と和紙の美しさ
の調和を意ࡀして取り組ませたつもりである。工芸・デザイン分野なのだが、生徒は「工作」
と呼んでいるのがちょっと寂しい。3年選択授業。
2.材 料
あかりのレシピ(マール社刊)のキャベツライト欄を参照。
‫ݱ‬組み制作
はんだごて(100W)
・はんだ(ステンレス用。஢気配線用と間違えないこと)
・
フラックス(これがないと付きが悪い)
・クリップ・ステンレスの針金(1.6 ミリ)
金ブラシ・軍手・ペンチ・作業台
紙貼り
和紙(もみ和紙など、専๖店で揃える)
・木工用ボンド・ピンセット・水
3.制作ൌ景
構想・エスキース
昨年はトトロが好評
完成予想図を描く。
針金による‫ݱ‬組みを作るため、
実物大で型紙を描く。
型紙に合わせて針金を用意する。
はんだづけ
ブラシで汚れをおとす
‫ݱ‬組み完成
和紙を貼る。
針金にボンドを塗る。
貼る൉分より大きめに切った紙を上から
貼りはみ出た所は水をつけるとちぎれる。
完成作品
まとめ
和紙を素材とすることで暖かみのあるあかりができたと思う。安らぐ・くつろぐことを味わえま
した。色は暖色系に人気があり神秘的൪囲気も感じた。洋紙や粘土と違う素材の面白さです。われ
われの日常で和紙にふれることはなかなかありませんし、和紙自体も‫ݗ‬価なものであり生徒にして
も手にすることはまれですが、こういう機会に作ってみて家でも使う楽しさを持てたと思います。
材料はホームセンターで揃えられるのでひとりでも楽しめるはずです。
はんだ付けには手こずっていたが、組み立てて立体的になり始めると、イメージしたものが現れ
俄然面白くなってくる。紙貼りも同様。工芸の面白いところです。今度はこうすればいいな・こ
の色もいいなと感想は多数です。
ケント紙による作品
正十二面体をベースにした作品
参考書籍 光で楽しむ 小峰書店
紙による構成・デザイン 美術出版社
ケ ン ト 紙 に よ る 作 品
正六Ԓ柱をベースにした作品
03研究会 発表レポート
木曽‫ݗ‬等学校 上原 一馬
題材名
「パーツ再構成 ガンプラとஏ子ശ品と粘土と空き缶とゴミ 」
時間 20 時間
内容 プラモデル、ஏ気製品のശ品から自由に発想し、平面に貼り付け、組
み合わせることによって、半立体のコラージュ作品をつくりあげる。
指導者 木曽݄等学校 上原一馬
1.題材৓定の理由
①生徒について
絵画やデザインの制作において、うまく描画することができず、つまずいている生徒も多い。こ
のような生徒は美術に対する苦手意࠭も強い。身‫ة‬にある素材の形やディテールの面白さから発
想し、多様な表現方法を味わってほしいとնい、この題材を৓定した。この題材では、材料のも
ととなるプラモデルとஏ子ശ品の形を、テーマに合わせて৓定したり、自分の思いに合わせて見
立てるという作業の中から、半立体的構成力など新たな造形感Ӿを身につけることができると考
えた。
②題材について
本来何かの用途をもった製品になるはずのശ品。それが完成しないものや、ӂ体されたものは別
の意味をもつ。プラモデルのശ品が‫ݞ‬組みにつらなっている様子や、ஏ子ശ品の連続する細かい
凹凸の様子は大変興味深い。そのかたちのおもしろさのみが独立するからである。独立したശ品
の形体は、日常に触れあわないものである。それが概念から制作者をӂき放ち、新しい発想のき
っかけになると考えた。
2.準備品
①個人で使用した材料(生徒一人当り)
教材名
白色プラ板(支持体用)
透明プラ板(カバー用)
ネジ5㎝・ナットセット
ナット3㎝
瞬間接着剤
マスキングテープ
中古プラモデル
商品名・サイズ
塩ビ板(450 300 2.0)
サンデーPET
ナベコネジ(6 50)
ユニクロଥナット
ツリロンアルファ(ゼリー状)
12 ㎜ 18m
※以上カインズホームで購入
秋葉原 D-force にて購入
単価
758
628
60
38
145
45
数 ‫ٽ‬
1
758
1
628
3
180
6
180
1
145
1
45
約 500
1
‫ٽ‬
500
2436
中古プラモデル専ใ店 D-force(秋葉原)
HP アドレス http://www.interq.or.jp/tokyo/d-force/
参考価格
012 1/100
ガンダム ¥350
014
1/100
ゴッグ
017
1/100
シャア専用 ザク ¥350
¥400
②全体で用意した材料
金属塗料/金(スーパーゴールド)・‫(ج‬スーパークローム)
・௤(スーパーカッパー)[スーパ
ーメタルスプレー(ZynolyteProductsCompany)
]
、
金属着色剤/স௤色・ѻ௤色・৊௤色(それぞれসさび)[さびカラー(山立株式会社)
]
、アク
リル絵具(ブラック)
ஏ気製品のӂ体ശ品(学校のゴミ捨て場で回収)
、
京ねんど、アルミの空き缶、タコ糸
③使用工具等
ニッパー、ペンチ、金切りバサミ、ドライバー、ஏ動ドリル、軍手、作業用マスク
3.展開の大要
①発想・構想
プラモデルのശ品を一箱づつ配る。中身は混ぜ合わせ、くじ引きで決めた。その後、その箱をも
って図書էへ行き、ശ品を眺めながら各自のテーマを検討させる。ശ品の形から思いついたもの
は何か、何か資料を見つけ自分のശ品でそれを作れないかなど。その際、学習プリントを用意。
学習プリントの内容より ❶自分の制作のテーマを決めよう。
❷参考となるモチーフのコピーをとろう。
以上の❶❷のコピーを提出してください。(原物は自分で持っていること)
●私の考えたテーマ
例)創造と破壊、古代ஞ市、ノアの箱舟
●考えたテーマについてどんな作品にしていきたいか、そのイメージを文章か絵で説明しよ
う。
②下準備
支持体・カバーの下準備としてネジ用の穴が必要である。上下中のそれぞれ端に2㎝の四ӿを鉛
筆で書き、白色プラ版と透明プラ板を合わせたかたちでマスキングテープでとめ、ஏ動ドリルで
穴を開ける。その後テープをはずす。プラ板どうしの‫ס‬離がナットの݄さ3㎝であるため、それ
以上݄く構成しないこと、穴のまわりには、ശ品を貼らないように注意をうながす。
③構想・制作⑴仮構成
プラモデルのശ品をニッパーで切り取っていく。
ஏ子ശ品などでも気になったものは工具を使い、
取り外して、ストックする。構成しながら、そのつど接着していくのではなく、マスキングテー
プで仮止めしていく。ശ品の置き方を変化させることができるためである。何度も置き換えたり
していくうちにイメージが広がり、かたまっていく。この段階では、ശ品の色がまちまちだが、
後で塗装するので、色の効果は考えずに構成する。
③制作⑵本構成
構成が決まったら、接着剤で固定していく。ശ品だけで表せないശ分は必要に応じて、アルミ缶
や京ねんどで、補੝する。アルミ缶は金切りバサミで切り取り、手で簡単に加工ができる。必ず
軍手をはめること。京ねんどは、紙ねんどの感Ӿで成形ができ、乾燥後の加工も容易である。粘
土が乾いたらプラ板との接着を必ずする。
④塗装⑴
構成ができあがったら、金属塗料をスプレーする。さびカラーを使う場合にも下地として、スプ
レーをほどこす。塗装の際には、完成の具合をイメージできるように、塗装の見本を準備する。
⑤塗装⑵
スプレーした塗料が乾いたら、金属のߊびたഹ合いを出すため、二度目の塗装をほどこす。方法
は以下の二種໸。
⒈‫ݗ‬さび
ブラックのアクリル絵具を塗り、ドライヤーで乾燥させる。ツヤがひいたらすぐに濡れ߆巾で凸
ശを中心に拭き取る。凹ശに絵具が残り、腐िしたൗ囲気になる。乾燥させすぎてしまった場合
は、ペインティングソルベント(ホルベイン)で拭き取る。あまり大きな面積を作業すると乾燥
に間に合わないので、15 15 ㎝位づつ進める。
⒉সさび
さびカラーセット(山立株式会社)を使う。下地のスプレーの色と同色のやわらかめの大きなハ
ケで金属色を塗る。一度塗ったら、ドライヤーで乾かし、二度目を塗る。一晩おいて三度目を塗
り、すぐさま腐ि液をたっぷりと塗る。金属色と腐ि液が混ざらないように注意する。(発色が
悪くなるため)さらに一晩おき、凸ശを中心に濡れ߆巾で磨きをかける。硫ѻ臭が೗常に強いた
め、屋外で作業用マスクをつけて行う。
⑥保۲・展示のための仕上げ
透明プラ板をナットをはさんで、ネジで固定する。白色プラ板との間が3㎝空くようになる。展
示しやすいように裏側のナットとプラ板の間にタコ糸をはさんで取り付ける。
4.制作を終えて
・主に男子が意欲的に取り組めるҭ題である。女子はデザインや絵画では意欲的なのに、興味
が薄い生徒もいた。
・普段、能力が発揮できない生徒が、材料となるプラモデルのശ品や、小物໸を持参するなど、
意欲的に取り組んでいた。
・表現内容に退行現象がみられた。
・完成作品を持ち帰る生徒が少なかった。
・接着剤としてゼリー状の瞬間接着剤のみを使用したが、やや接着が不十分だと感じた。乾燥
に時間がかかっても、強力接着剤を合わせて使うといいだろう。
参考文献
・「中学校・݄校美術ヒット教材集 立体造形編」P.59 福光正志༰著・東山明監修(明治図
書)
・「新日本造形 図工・美術教材カタログ 2003 年版」p.184(新日本造形株式会社)
<発表者のホームページ>
上原一馬アートファクトリー http://www3.ocn.ne.jp/~ueharart/
検索エンジン Yahoo!JAPAN から 上原一馬 のキーワードで検索できます。
今回の発表に関する࠽問等もこちらからメールページに入ってください。
「空をかける」
「手」
「てふてふ♡」
「大木」
「ギター」
「海の中の生物」
「新世代の昆虫標本」
「ダイビング!!」
「砂魚」
「アリ」
「クリスマスツリー」
「はち。」
「黄金のカニの片腕」
「Human
Born
」
「魚」
全国大会(大޸)の参加報告
伊జ北‫ݗ‬校 向山恵一
今回、開催地が大޸と比Ԕ的交通の便の良いところであり、より多くの先生に参加いただけるよ
うに呼びかけましたところ、事務局を含め5人の参加希望をいただきました。しかし、残念ながら、
あいにくのൌࡨと校務、生徒指導により、3人の全日程参加と1人の൉分参加となりましたが、手
分けして、出来るだけ多くの分科会に参加し、美術工芸教育の現在について研修を深めて来ました。
以下、参加レポートを報告として掲載します。
第 40 回全国‫ݗ‬等学校美術工芸教育研究大会<2003 大޸大会>についての報告
蘇南‫ݗ‬等学校 加藤康二གྷ
現在、全国を通じて‫ݗ‬校美術教育の衰退が問題視されています。その主な理由は生徒数の減少に
より専任教諭の数も減らされているということ、また進学校をはじめとして、多くの‫ݗ‬校で週休二
日制に伴う授業数の減少があげられます。今回の全国大会ではそれらの現状を踏まえた上で、どう
やったら再び美術教育を盛り上げることが出来るかが焦点になりました。まず大きなキーワードと
して、教科性、系統性というふたつのۗ葉を中心にして話し合われました。
教科性すなわち、教育を通して行う人間教育の意義と目的のことですが、点数化や明確な判断基
準の出来ない美術において、それらを具体的に提示することは極めて困難であるといえます。特に
他教科では置き換え不可能なものでなくてはならないというのが前提となります。まず美術教育の
特徴として「生徒が具体物を材料や道具として扱い、無から有を生じさせること」と「見て感じよ
うとすること」というのがあります。それらをさらに細分化すると「素材感ԑ、身体性」「表現、
創造」「自己対象化」「鑑ऩと習得」という 4 つの特徴的要素に分けることが出来ます。いずれも
他教科共通する物もありますが、4 つの要素をすべてもつ教科は他になく、美術においてはすべて
が必要不可欠です。つまり、美術の教科制というのはこの 4 つを並行して行えるということであり、
4 つが揃うことで、はじめて教科性というものが見えてくるということです。
次に系統性について、系統性とは、小、中、‫ݗ‬の教育における相互関係のことですが、現在それ
らの連携にずれが生じているとのことです。小学校では図工を楽しそうにやっていても、中学校に
なると、寡黙になり、興味を持つ者とそうでない者がわかれてきて、‫ݗ‬校になると更にそれが顕著
であるそうです。これは、精神的な成ସも関係しているとも考えられますが、教科としても無視で
きない状況にあるといえます。そこでこれからは、小、中、‫ݗ‬のカリキュラムを見つめなおし、よ
り系統性を深めていくことが必要であるということです。これら 2 つの議題が中心になってきまし
たが、現在、自分の状況と照らし合わせてみても、これらを考えていくことは೪常に重要な位置を
しめており、何らかの形でアプローチしていかなければならないと感じます。
第 5 分科会授業実਎その可能性に参加して
田川‫ݗ‬校 日向 勉
大޸府立加納‫ݗ‬等学校(田村夏野先生)の発表では、スライドで紹介されたように、陶芸のオブジ
ェ、ランプシェード、太۴、サンザ、チターなどの授業作品はレベルも‫ݗ‬く全国‫ݗ‬校美術展にどれ
を出してもいいものばかりの感じを受けた。
そんな中で音楽を聴きながらイメージを膨らませて平面に描くというものがあった。われわれ第
5 分科会参加者は「A 列車でいこう」(生活向上委員会 1979 演奏)を 9 分 20 秒も聴かされて閉口し
た。それは先生もۗわれたとおり生徒も味わった「拷問」以外の何ものでもなかった。(昨日のレ
セプションで民族音楽系ジャズ系のコンサートを 40 分聴かされ、クレームをつけてやっと乾杯に
こぎつけた一幕もあり、またその上にという感じであった。)先生はこの曲をリズムを取りなが
ら心地よさそうに聴いていた。
材料を紹介すると 50 号大ダンボール、水性ペンキ(白、‫、)ݪ‬クレパス(白、灰、‫、)ݪ‬チョーク
(白、ঢ়、Ҏ、ো)、新聞紙、ざら紙、木工ボンド、胡粉、炭である。目を閉じてこれらの材料か
らどんな作品が思い浮かぶか想像してほしい。数枚ほどの作品がみんな同じに見えたのはこの材料
のせいである。(田村先生の中にこの曲のイメージが出来上がっている。) 1.2年は「見てか
け!見てかけ!」の繰りඉし。「ものつくりは一人になれ!」「君は物が作れる人や!ちゃんとできる
やん!」「胸張って社会に出てくれよ!」と大޸弁で厚く‫܃‬る先生のキャラが生徒にそうさせている。
そして一番思っていることは「自信をつけさせること」とۗった時、千葉県の宮山先生が大きくう
なずいていた。しかし加納‫ݗ‬校は 3 年後に統合され廃止になる。
千葉県版学習指導要領作成の県立松戸‫ݗ‬校(宮山弘明先生)・県立千葉‫ݗ‬校(村石清人先生)の
「面倒だと思う一方シラバスを作ることで逆に美術工芸は保‫܅‬者や生徒に説明できるチャンス(主
張できる൉分)になる。」こんな話を聞き千葉県版学習指導要領を基にସ野県版を作らなければと
考えた。全体会パネルディスカッションのパネリスト京ற芸大の横田学氏は「美術・工芸教育って
何?ସ年かかわっているのに、改めて問われると明確に答えることは難しい。生徒は、保‫܅‬者や地
域の方はどのように理ӕしているのか。感性豊かにÛ独りよがりの自己満ੰに陥っていないだろう
か?」とコメントを寄せている。
同氏は京ற芸大学生の次のようなデータを紹介した。
図画工作・美術・工芸の授業はどうだったか?(%) 嫌い
少し嫌い
普通
少し好き
好き
小学校
2
2
2
9
85
中学校
2
4
16
23
55
‫ݗ‬等学校
5
4
11
18
62
これらから本当にわれわれが伝えたいことが伝わっていない(伝えていない)のではないかと指摘
した。
村石先生が大学側から聞いた話で入ࠟのあと受験生がたくさんの参考書を捨てていく話。
学生全員に発表させる講座中ほとんどはまじめにしているのに感性の問題なのか、一番前に座って
いる 2.3 人の学生が寝ている。順番に発表しているのに自分の番が過ぎると聞く耳持たないこの現
実。しっかり学んできたはずなのにÛ。と嘆く横田氏の話。
2003年 大޸大会に参加して
坂城‫ݗ‬校 宮尾 仁
校務のற合で、2日目の途中までしか参加できませんでしたので、出席した所までの報告となり
ますがご了承ください。
まず、会場の大޸国際センターに入ったのは、開会式の1時間以上前で、協賛の業者、各種学校
関係者がそれぞれのブースのセッティングをし始めているところでした。全体会場は、かなり広か
ったせいか、または、参加者が少なかったのか、空席が目立ちました。(受付の人が、300名ほ
どは参加するようなことはۗっていましたが)
全体会場付‫ؼ‬に分科会の者を含め生徒作品が何点か展示してありましたが、大޸の私立‫ݗ‬校の作
品だったように思います。他の場所にもあったかどうか分かりませんが、私立‫ݗ‬校の数が多く、私
立‫ݗ‬校だけの作品展も開催しているようでした。しっかりした作品が多かったとは思いますが、個
人的にはなにかもう少し元気が感じられたらと思いました。講演は漫画家の松本零士氏による「マ
インズ・アイで創造」という演目のものでした。途中何度か記憶のとぎれてしまったところがあり
ますが、氏の少年時代(戦中、戦後)の体験などを通して子供の持つ可能性、創造性を大切にすべ
きだといったことを‫܃‬っていたように思います。
また、パネルディスカッションでは、京ற市立大学助教授、光村図書出版編集൉ସ、埼玉総合‫ݗ‬
校教諭の3名がパネリストとして出席していました。私個人としては京ற市立大助教授の大学での
アンケートによる「‫ݗ‬校の授業がおもしろくなかった」という回答が多かったことに触れて述べて
いた点についていろいろと考えることがありました。この教科の教科性、系統性を考えるというテ
ーマに沿っての発現なのかも知れません、その後の分科会においてどのような論議が展開されたの
かはわかりませんが。以上、乏しい内容で申し訳ありませんが、参加報告とします。
2003年 大޸大会参加報告
伊జ北‫ݗ‬校 向山恵一
大会会ସの桑田芳治氏は開会式の挨拶の中で、「教育Ӏ程の改訂による授業時間数の減少とそれ
による現場美術工芸教員の苦しい戦い」と‫܃‬った。大会テーマの通り、この大会が、現在の美術教
育に率直なۗ及を行おうとするものであることを表した挨拶だった。
来賓祝辞には文൉科学省教科調査官村上尚徳氏が立ち、昨今の学校公開、管理職による監査等に
より、教育の資ࡐの向上が為されてきている。施行直後から論議されている指導要領改訂についは
基準性を明確化したものであり、内容を一様に行った上で、各校必要に応じた学習を付加しても良
い。学力問題について、芸術科はペーパーテストによる評価に向かない教科なので、指定校形式で
調査を行っている。国は文化芸術を推進する立場で、平成14年施行の文化芸術振興法(5年継続)
により、文化芸術の必要性を重んじ、「人間の糧として」「人་の真の発展のために」「国の役割
として、頂点の伸ସ、そのための裾野の拡大(これには学校教育の中で必修として行うことが一番)」
を方針としている。教育基本法の改定については、新しい時代にふさわしい教育法の理念をうち立
て、個人の自己実現、日本の伝統文化の保‫܅‬育成を目指す。まさに芸術教育と、国の方針は軌を一
にした物であるとむすんだ。
当たり障りなく芸術教育に対しても理ӕを示したようにもとれるが、内容その他において国の芸
術教育に対する認ࡀの度合いを確認すべきとおもった。
第1分科会においては、教科書に見る諸外国の美術工芸教育、学習指導要領をキーワードにした
美術教育の歴史について研究発表が為され、内外の教科書が一同に展示された。内外に比Ԕの対象
を求めての資料提供で、なかなか貴重な資料を見させてもらった。
第3分科会では、美術工芸教育を取り巻く社会の変化と題して、元兵庫県立‫ؼ‬代美術պ企画担当
の藤井淳一氏の教育普及活動の経験を発表した。学校現場と美術պが連携して美術教育の活動を展
開した例として典型的な活動の報告であった。
大޸府‫ݗ‬等学校芸術科研究会の橋本吉文氏の発表は、研究会が芸術教育振興のための法整備を目
指して活動してきた経緯から、芸術振興法制定とその実態について厳しくۗ及したものであった。
これについては冊子を増す刷りしたものを添える。
千葉県の木暮茂太གྷ氏からは、「芸術教育は普通の人々に何を教えてきたのか?」「特別な才能
を伸ばす特別な教育施০で教育がされれば良い」といった根強い世間一般の芸術不要論に真正面向
き合い、芸術表現教育の姿を浮き彫りにし、その意味をとらえた研究発表であった。
パネルディスカッション、各分科会の研究発表、いずれをとっても美術芸術教育に携わる者が、
自らについて問いかけ、その存在意義を明確にしようとするものであり、とかく世の流れ、生活の
流れの中で見失ってしまいそうになる人間の豊かさ、芸術の意味、についてۗ及し、これ以上後に
ひいてはならないとۗう強い意志、熱意を感じた。大会の様々な研究発表の中で、学校内における
美術教師の孤立、他教科の先生に芸術、美術の意味を分かってもらうことの必要が‫܃‬られた。決し
て見過ごせない大きなӀ題と感じた。
会員OB訪問
荻原 弘 先生
今回の会員OB訪問は、ସ年美術工芸会で指導的な立場におられ
た荻原弘先生にご登場頂きました。
現在先生は制作活動や自治会の会ସなどをされており、退職された
後も多忙な日々を送っていらっしゃいます。お忙しい中、東൉‫ݗ‬校
美術室までおいでいただき、お話しをうかがいました。
研究会誌や美術工芸会のこと
これ見せていただいて、本当にもう何ていうか、退職して4年になるんですけれども、懐かしく
ってねÛÛ。また後ででますけど最初に1998年の全国‫ݗ‬等学校美術工芸研究大会ସ野大会で事
務局ସやらせてもらったんですけれども、とにかくあの全県の美術の先生たちの熱意と創意、参加
された他県の先生たちもものすごく感動していたということですね、本当に感ࡤしています。その
ときに県下の生徒の作品展やったわけですよね、それに比べてこの研究誌見るとさらにねー、すす
んでるなー、前進してるなーと、ものすごく感じました。ていうのは、他の県へ何人か代表で見に
行ったりして他の県の授業作品とか見てきたわけですけれども、やはり《ସ野県いいな》というよ
うな話を他の先生としたんですけども。この研究誌見るとさらにすすんでるなーと、それからどう
いうところがいいかというと、生徒が生き生き活動してる様子がね、きめ細かく書いてあるわけじ
ゃないけれども、作品を通して活気がみえてくるね。それともう一つは、先生方の授業に対する取
り組み、教材に対する取り組みの熱気みたいなものがひしひしと伝わってきます。とてもうらやま
しいなと思いました。
それで、さっきも申しましたように、ସ野県の場合、伝
統的に、僕は昭和38年頃教員になったんだけれども、そ
れより以前から自然発生的に美術工芸会ができていますよ
ねÛ。その中で研究発表、毎年やってきたわけですがそり
積み重ねが೪常に素晴らしいし、僕も(これから話に出で
きますけれども)、そこから吸収したものがとても多いも
んで、研究誌ができたことで両輪ができたていうかね、そ
ういう点でも素晴らしい出発だなーと思いました。
この研究誌の中身のことでね、素晴らしい発表にたいし
て短いۗ葉でいうとかえって失礼だけれど、ただ僕は油絵とかそういう畑だもので、工芸のこのସ
๖さんの椅子とかね、それからガラスの仕事、工芸の仕事っていうのはすごいなーと思ったのは、
素材とね事柄が何か一体となって、素材から何かこう会話しているのが感じ取れてそういう点でも
素晴らしいと思いました。
それから小林さんとか花岡さん、五人衆のね絵画の基礎講座Û、これも謙‫ײ‬に前向きに‫܃‬られて
るけど、逆にむしろ೪常にね五人衆のアクの強い(笑)素晴らしい存在感みたいなのが伝わってき
ましたね。ۗっているときりがないけれど、その中で一つ中学の先生との交流も入ってきましたよ
ね、これも素晴らしいことだと思いますし、そんなときにね、米山さんなんかのこれからのね美術
教育どのように限られた授業のなかでやっていくかとۗう話、そのとき思い出すのは僕らの頃は、
佐藤敏雄さんとか中南信の素晴らしい先生のもとでね、‫ݗ‬校美術教育の体系化なんていうね、例え
ば、ৌ物がⅠで存在感、
テーブルの上にどのように横たわっているかを表現する、じゃあৌ物Ⅱでテーマ性をもったテーマ
のある生物を描こうとか、そういう体系化とか、それから小中とかとの関連もやろうじゃないかと
か、それから理振法に対して芸振法なんていってね、それは途中で途切れちゃったんだけれども、
何ていうか、ものすごく何でもできるなーというような、一方で押さえつけが厳しくなってくると
いうような、又後出てきますけど、多少窮屈になってくることに対して、美術工芸会そのものが、
すごく生き生きとね、ぶつかっていったというようなそんな時代が思い出されます。
その意味でもこれからの時代っていうのは、さっきのସ๖さんじゃないけれども、やっぱり一つ
のことに教師が打ち込んでね『これだ』というもの、それにかけてるものが、授業としてやるとい
うことが、生徒にとってものすごくいいなーていうÛ、あれもこれもってあんまりいっぱいできな
いわけですよねー、そういう点でも素晴らしいなと思いました。
さらに、あのସ野県独特のね、美術工芸会総会の研究発表、加えてこの研究誌ができたわけです
よね、೪常に交流が深くなってくる、そういう意味でも先生方、年配の人、若い人との交流が益々
素晴らしくなってきているなということで、是೪頑張ってください。
美術教師になった頃
昭和38年頃から40年教員になってから経過したわけですが、当時、大学では吉野純さんなん
て、あのアンフォルメルなんかやってる今もう二紀会で中心的な方ですけれども彼は兄貴みたいな
存在だけれども、卒業した先輩がね、あの頃卒業しても絵は描き続けよう、どんな仕事いってもÛ
Ûそういう思いはみんなあったわけですけれども、泣きながらね、吉野さんに結婚して子どもでき
たら、絵の具代にまわらないんだていうようなね、‫ݗ‬度成ସに入っていくときだけども、とにかく
生活のためには稼がなきゃいかんと、そんなことで教員になったわけですけど、ただ僕の場合は‫ݗ‬
校の時の恩師で、石井ୠ三さんなんかと一緒に仕事をしていた、小林三གྷ先生(サブちゃんサブち
ゃんていってたんだけども)三གྷ先生の娘さん夫婦が、美術の先生やってたんだけれど、イタリア
へ、そちらの仕事に専๖的に打ち込むということで、行っちゃったので、三གྷ先生が「俺はもう年
だからお前早くସ野へ来て先生やれよ」というような話で「じゃあ行くか」とÛ本当は千葉県でや
りたかったんだけどねー、ো木繁なんかの千葉県ね、だけど千葉県はまんまと落ちまして(笑)。僕
はあの頃デッサン力あんまりなかったんですよね、アンフォルメルみたいな、吉野さんみたいな、
アンフォルメル的な仕事、100 号や 200 号にペンキぶっかけたりする仕事やったんだけども、そん
なことで、染ૌにおいでということで来ました。ただそのとき面白かったのはÛ、これエピソード
になっちゃうんだけども、ࠟ験がସ野市であったんですよ、冬ね、氷ですべるようなところ歩いた
ような記憶があるんだけど、日にちとか時間、場所を間違えたのか、着いたところがね、義務教育
の先生のࠟ験会場に着いちゃって、でそこへ行ったら、どんな先生になりたいか作文書け、つまり
‫ݗ‬校の方はもうࠟ験終わっちゃってる、そこでね、先生らしくない先生になりたいって書いたみた
いなんですね。というのは、そこにいた他の人たちに聞いてみると、子供たちを目にいれても痛く
ないような先生になりたいなんてÛ、じゃあ俺えらいこと書いちゃったなーて、思って、後に一次
合格して、県庁行ってࠟ験官に面接してもらったわけですけれども、後になって教育ସじゃないか
なーて思うんだけども、『お前、先生らしくない先生になるっていうけどそれで頑張れよ』ってۗわ
れて(笑)なんか面白い時代だったですよね。だからあのころ、例えばね、教員になるっていうとき
に、先輩も、作家としてやっていくのならそれはそれでいいし、教員として一生懸命やっているう
ちに教師としての型になったらそれはそれでいいんじゃないかと、両立させていければそれはそれ
でいいじゃないかと、僕は教員やって二つ並行というのは、なかなか苦手な方になにってしまいま
した。それで、あのころのやつを見るとね、ロクさんじゃないけど、60 年安保の後あるんですよね、
だからࠟ験のときࠟ験官にお前デモに何回いったって聞かれたら、二回か三回行きましたってۗう
と素晴らしい学生で、一度も行きませんというと何だ‫ݱ‬抜きだなって思われる。まあそんなような
時代でそのころの文൉省の指導要領見ますと、デッサンでも、物の見方を養え、まあ厳しいデッサ
ンをさせろということですよね、生徒に。そこから物事を批判する力をつけろと書いてあるんです
よね。そんなような時に教員になったということでね、美術の教員としても本当にいい時代に教員
になったなーと思っています。
授業実਎について
授業実਎で本来なら染ૌ‫ݗ‬校で最初にやったような授業の資料をここで説明すればいいんですけ
れども、教員終わったとたんに僕はあのÛ、世のため人のためになったかしらんけども、それはや
めて、これからは自分のために生きるだってۗって、実家の畑に行って染ૌのころの作品、絵本と
か、生徒素晴らしいの造ってくれたんですけれども、イメージ画とか、みんな燃しちゃってお祈り
しながら燃したんだけれども(笑)全くなくなっちゃってます。そのころの授業ൌ景なんかも、白‫ݪ‬
の写真、ついこの間11月まであったんですけども、原稿依頼
が来た時は、自治会ସやるなんていうことで、パソコン据え付
けなきゃいかんということで、アトリ
エの中二階を整理してみんな写真です
とかゴミ箱行きになっちゃってね、お
かげで、躁鬱のうつ病になりかかった
とこです。(笑)当時の授業っていう
と、あの、半田君というと怒られちゃ
うんだけど、いま半田英人先生この人も大活๥していま南信から東信へ来
られて、僕が染ૌでちょうど昭和50年くらいかなつまり10年くらい、
三つの‫ݗ‬校で兼務やっていたもので、やっとむ染ૌ一本になってクラスも
持ったところへ半田君が教育実習で多摩美からやってきたわけですよね、その出会いがね、今にな
ってみると彼との出会いが、೪常に鮮烈なイメージっていうかね教育実習生から僕はいろんな物を
吸収したって感じで、いま感ࡤしてるわけだけれども、彼の授業展開たった2週間だったけれども、
だから4時間の授業でいわゆるイメージ画をやったんだけれども、ۗ葉のデッサンさせてね、窓な
ら窓っていうことで、ۗ葉でデッサンをさせた後、そのとき週刊誌を持ってこさせて、化粧品のコ
マーシャルのページとか、女性のむ横の姿とか、それを切り抜いたり、切り抜いて新しい画用紙の
上に置いたとたんにもうコマーシャルじゃなくなるわけですよね、それから切り抜かれた後何が残
ったかというと裏のページの海の水面の光った感じとかねそこに全く新しい出会いみたいなものが、
出でくるというかねー、そんな授業でÛ、すぐコラージュしていって最後にそこに絵の具加えて画
面まとめたってۗうたった2週間の動かない授業だからね、だけど俺はそれおかげでこれいただき
っていうんで、自分の定番にしたんですけれども、まあ、テーマとしてൌとかね、窓とか、広場と
か、それを選べっていうんだよね、生徒っていうのは将来どんな職業に就きたいとかまたは教科選
択何にしようかとかいろんな判断を基にして選んでいくわけだよね、また選ぶ段階からなぜൌなの
か、自分にとってのൌっていうかね、で僕らがよく話したのは例えば広場にしても、山の中歩いて
いくと誰かが焚き火した৞とかね、あっ、ここに人が居たんだなっていう、ここで会話してたんだ
なーっていうÛÛ
これも広場ではないかなって話すんだけれども、それから、僕は戦争中4、5歳まで松本に居て、
あの頃の思い出っていうのはൌの吹く冬にかくれんぼで、爆撃にあったプールとかね、そこを上が
ったり下がったりしてそんな中で鬼ごっこやったとかね、その 4、5歳のイメージっていうのは今
あるはずで、ないですよね、でもそういうことをあれだけ生徒にしょっちゅう話したりしているう
ちに、だんだん自分の中でイメージが出来てきている。まあ、そんな話をしながらね、ۗ葉のデッ
サンをさせて、そこからもう、僕は途中コラージュやったんだけれど
も、絵コンテでエスキースはいっていくっていうようなÛ。その辺の
仕事が小諸‫ݗ‬校、作品がまだ残っていますね、あるいはまた上田‫ݗ‬校
のときですよね、描くの止めて点描にしようと、点描というのはࡐ感
もなくなってしまう世界なので、階段に裸の男が居て、子供が居ても
全然不思議じゃないんだよね、全く
ࡐ感も匂いも全くないただ形だけが
あってその出会いみたいなところで
不思議な 空間が出でくる というか
(作品左)目玉の作品なんかもさっきの話の続きだけど、ディ
ペイズメントね、あの、出会いの面白さ、大きさの転換という
意味だよね、大きさの無違うものが一緒になる、だからあいつ
の世界、マグリットなんかの、洗面所の洗面の‫؛‬の前にあるコップの中にキリンが居るってやつ、
コップの中に歯ブラシがあればそのままでいいんだけれど、キリンが居るってことで違った出会い
で意味が全然変わって新しい意味がそこに出でくるっていうような世界だと思うんですけれども。
まあ損なようなことをテーマにして点描をやらせた、ただいやなのはね、
こういう人もいるんだよね、(作品を指
して)点の美しさだけでね、点描やら
せるっていうは僕はあんまり好きじゃ
ないですよね、いわゆる均一化のため
に点描を照りいれたということでね、
それによって出会いの面白さ、大きさ
の転換Û、なんか全然不思議じゃなくて、
これが普段の姿に見えるっていうかね、と
ころで、さっき選ぶってۗって、結局テー
マはൌとかね、広場とか、階段とか窓、本
当はൌとか見えないものが結構面白いんだ
けれどもね、例えばウルトラマンがো空飛
んでいるのをね一生懸命描いているんだよね、それでൌを表すわけね、で
さっき木がぽきぽき折れたというのはこのൌなんだよね。でもそれも本当
に目に見えないものだけど、自分にとってのൌを映像化してみたということです。(作品左 小諸
右 望月)
僕はあの頃小諸‫ݗ‬校ちょうど中間的な学校それから山の中の望月‫ݗ‬校それから上田市内の上田‫ݗ‬
校と三者三様なんだけれども、あっその前に千曲‫ݗ‬校もありましたけれど、やっぱり生徒はみんな
同じなんだよねー、だけど‫ڐ‬画性とかねひとつのものに打ち込んでいく、それが自分にとって将来
のためにどうなるかとか、そういうことの考えの深さとかはやっぱり違うと思うんですよね。ただ
望月‫ݗ‬校のときも、さっきの自画像なんかにしてもとことん打ち込んでいたしね、そういう点は良
かったと思います。
望月とか小諸の場合はお金の問題もあったけど、とにかく鉛筆っていうとにかく単純なやつでグラ
デーションやったりして、鉛筆の使い方結構やった後自画像にはいりました。
上田‫ݗ‬校では始めての油絵を自画像でやったと
いうことです。で、2年ではൌ景画の油とやっ
ていたわけです。なぜ自画像かってۗうことだ
けども、僕はやっぱりあの石井ୠ三美術պなん
かで上田‫ݗ‬校の授業作品の展覧会なんかやった
ときもそうだったんだけれども、粘土で彫塑の
作品をつくる、直付けやるわけだけれどもね、
土でデッサン、それから油絵は油絵の具でデッ
サンだというのが持論だし、ごく当たり前のこ
とで、基本的なことだと思うんだけれども、ところがあの自分の顔というのは中々つかみ所がなく
て、だけれどもそこでいかに生徒をのせるかということでね、とにかく自分っていうのは一番大事
だ、自分が一番大事じゃないかとÛ、いったんね、まず徹底的にナルシズムにさせてしまう、自分
ってすげーんだなーと、自分って最‫ݗ‬だなーと、いや、自分の性格は嫌いだ、イヤー、本当は大好
きだからそういうんだよ、まあとにかく自分が大好
きその次にね、今度は自分の顔をね、‫؛‬に映った自
分の顔をね、その辺の石ころだと思ってみろってい
うんだよね、ひでーこというんだよ(笑)突き放し
て見てみると、いろんなものが見えてくるよってい
う、この、中へ入ったり外へ突き放したりっていう
か、そんな営みが物を見る目じゃないかと思うんだ
けれどね。それからさっき小中学校の体系付けなん
て昔はいったけど、小学校 5,6 年で遠‫ؼ‬法とか二点透視やっとけばいいと思うんだけどもね、いま
やってないでしょ、造形遊びとかなんとか全くくだらんと思うんだけど、‫؛‬の中の自分とか自画像
とかいろんな持ってき方があるけど、必ず視点を重視するという、だから見上げた自分っていった
ら‫؛‬のԒ度を変えればいい、どんな自分との出会いかっていうのを、‫؛‬の中の自分とÛÛ。簡単に
ۗえば遠‫ؼ‬方を生かしてあるところから見た俺だ、モデルだということなんだけれど、೪常に基本
的なことなんだけれどかえってその方が突っ込み易いっていうかね、もっとロマンチックな自画像
だってあるんだと思いますね。あのー、仮面のある自画像とか発展させていけば、それはそれでい
いんだげれど、まずはモデルとキャンバスと自分のこの三つの関係をÛ、その中でどこまで深まる
かっていうね、どこまで深まっていくか、その辺で思い出すんだけどもね、前、花岡さんが研究発
表でやった生徒に油絵描かせて、みせに来たら自分は何をする役かというと削る役だ、削っちゃう、
はいまた描いて来い、次の生徒が来るとまた削っちゃう(笑)あれにねー感激したんですよね。つま
り、油絵描いているときは壊しますよね、壊すことによって次のものが生まれる、新しいものを生
み出すときも壊すことによってうまれる。自分で削ればそれが一番いいんだけれどもね、その辺ま
でやっぱり画面でいってもらいたいなーって、とことんୈ求していくと、やっぱり自分てすげーん
だなー、自分の存在感みたいなものがみえてくるまでୈ求させたいなと、つまりうまい下手とかそ
んなことଵえちゃって、ぶきっちょとか器用さとかそんなもの全然問題にしないところで仕事をす
るね、その素晴らしさ、ようするに油でデッサンということだと思
うんですけどね。それからあと、石井ୠ三美術պのպସさんが、石
井ୠ三さんって世の中立体で見ろ立体に生きろなんてۗったひとだ
けども、そのۗ葉のなかに、世の中を平面でなくて立体で見れば裏
の裏まで見えてくるよっていうような人だけれども、彼もずっと戦
後も上田の上田‫ݗ‬校と二中で講習会開いていたわけですね。中学の
先生や‫ݗ‬校の先生が集まって一緒に物作ったとÛ。絵のかけない先
生が絵を教えられるかとなぜなら数学のできない先生が数学を教え
られないでしょ(笑)。その意味がうんと深いなってことはୠ三って
人はこここうしてああしてとか一切ۗわないですよね、もちろん基
本はۗってくれると思うけど、想像ですけれども、そういうのって大事だなーって一緒に仕事して
いくのも大事だなーって、その石井ୠ三の美術պで上田‫ݗ‬校の美術展やらないかって話があって、
そうすると石井さんも喜ぶよーなんてۗわれて、պସさんと仲良くなってね、それから上田‫ݗ‬校で
の 10 年のうち 7 年間くらい授業の作品をね、結局1年と2年の仕事だから自画像と手の粘土作品と
か、あと三年の作品も飾ったり、最後の方の作品はもう一切ないです。ここにあるのは(手 彫塑 上
田 写真左)全国大会やった頃の生徒にඉ却しないでおいたもので、僕は本来作品というのは生徒が
欲しくて持ち帰っちゃうというのが一番いい授業だと思うんだよね、その辺にほったらかしにして
いくという授業はだめだよね。研究者じゃないんで、生徒がいい仕事をしてくれればいいんで。そ
れから、最後の離任式の時生徒に話す事考えてあったんですが、離任式はじまるぞって廊下にでた
ら廊下の棚にୠ三美術պに飾った二人だけ持ち帰っていない自画像があって、それを持ってね、離
任式の会場にいってみんなに見せて『これ見ろ』こいつは多分将来理系でIT産業のなかですごい
ことやるんじゃないか、こっちは直木ऩでもとるんじゃないか、そんな顔してるとۗったんだけど
もね。つまり石井ୠ三美術պへくる人がۗったۗ葉をպସさんが話してくれたんですが、『上田‫ݗ‬校
ってすごいいんだね』っていってくれたんです。それを生徒にۗったんだ、『おまえら、あっこへ来
る人っていうのは例えば無ۗպとか、槐多の美術պとかね、無ۗպの場合九州から来るんだよ、ୠ
三美術պも一緒に見ていく、つまり本物みたいという人が来てお前らの絵や彫刻をみて上田‫ݗ‬校の
生徒って芸術うまいんだねってۗったのではなくて上田‫ݗ‬校の生徒ってすごいんだね』とۗったと
いうね、それが本当の実在感、将来いろいろな可能性があるÛ そんな話をしてきたんですけどね。
今も続いていると思いますけども、1つはӺへ出るӺへ飛び出す。展覧会やるってことはよくۗわ
れることだけど、それもいいんですけども一番はୠ三さんのあのような反‫ݱ‬精神もって本物の仕事
しようっていうね。第二の故‫ؚ‬みたいに上田を想ってくれた。まあそんなとこでいいじゃないかな
ーて、だいぶあちこちの先生も見に来てくれてうれしかったですよね。話が前後しちゃいますけど、
上田‫ݗ‬校の前に望月‫ݗ‬校にいたんですが、上田‫ݗ‬校にきてからはデザインの基礎としてのベーシッ
クデザインでいろいろӀ題出していたんですけど、その前の望月の場合はかえって動きのある構成
とかよりむしろ1つに絞っちゃって、ここにあるのは
(写真左)ヴァザルリのこれも美術工芸会でどなたかが発表し
たのを盗んじゃってるんですけれども、ヴ|ザルリをアレンジ
しているんですよね。そっくりそのままというのも中にはあっ
たけど、アレンジしてあるものもあって、ていうのはその良さ
をӕってて、つまり、イルージョンの研究だよね。だからそれ
を基礎デザインとして使うんだから矛盾もしているけど、結局
色相のグラデーション、彩度のグラデーション、明暗のグラデ
ーションなんですね、あともちろん形のグラデーション、それが一緒になって空間がイリュージョ
ンをおこすとÛ。そのことなんだけど、望月‫ݗ‬校の生徒の場合はやっぱり将来村に帰っても、他の
会社に行っても中堅のエンジニアっていうかね、そういうタイプですよね、だからそういう点でこ
の仕事って೪常にね、特に彩度の感ԑってね、俺なんかもこれやらされればいやになっちゃうんだ
けれども、ものすごく॒いついていって・・・彩度のグラデーションっていうのはえらいことなん
だけどもねー、やってるんだよねー、そういう点でひとつ一生懸命やってくれたですね。だからこ
こにおあるのは一൉だけれども全員の作品を望月を出るとき廊下に全൉飾ってきたけどね。‫ػ‬慎で
家にいたのもいるんだけど(笑)そういう生徒も素晴らしい仕事やってくれるんだよね。
今度上田‫ݗ‬校の3年、美術Ⅲで4単位授業で、ここにあるのは(左)人体の一൉と、あとストロ
ーとか立方体とか3つか4つ、布とかを使うということで画面
構成、まあ構成デッサン、イメージ構成みたいなのをやったん
ですけれども、苦労したのは、この子達は美術Ⅰ、Ⅱやってき
てるから、ぐんぐん仕事してるんだ
けれどもね、それと平行して2単位
の授業で同時にダブって授業やって
るんですよね。初めて美術取った生
徒達で、あるときその生徒たちを集
めて僕は授業っていうのはそれぞれ
の生徒がやらされるんじゃなくて、
自分たちでいい仕事しようってやっ
てくれるのがやっぱり授業だと思うのでなるべく導入のときは徹底的にしゃべったり技術的なこと
やいろんな事しゃべってデモンストレーションする。ただ、いったん授業始まってしまえばね、ま
ことにねぇ・・こちらは野球൉の൉ସも 10 年やったんだけれども(笑い)本当に祈るような気持ち
ですよね。だから、普段の練習とか監督との関係もそうだけど、普段が大事で、仕事が始まってし
まえばこっちは黙ってなきゃいけない。ところがね、2 単位のほうの初めて美術をとる人たちに集
まらして説明を始めたんですね。そうしたらある子なんかは「先生黙ってください。ৌかにしてく
ださい。私たちいい仕事したくても先生の声が聞こえてくるとできません。
」ってۗう・・それがね、
1 番嬉しいですよ、俺はね。そういう声が出てくるとۗうことは最‫ݗ‬ですね。それからもう 1 つ、
ୠ三美術պに 2 年生で飾った彫刻の方、結局手元にないもんで碓井先生にお։いして俺のやった授
業で残ってたら・・と借りてきたんだけれども、彫刻は 1 つしかありませんでした。やっぱり彫塑
の授業というのは・・僕は油絵なんだけれども・・石井さんもۗっているように、‫ݱ‬組みを造ると
きがデッサンなんでね、その時点でイメージがふくらんでないと‫ݱ‬組みできないんで、それを間違
えるととんでもない手になってしまうんだけど。これも(左)ゆがんではいますけど、そんなこと
問題にしないくらい力強さみたいなものがあるもんでね。結構いっぱいあったんだけど、今 1 つし
かここにないんです。
現在の‫ݗ‬校生に望むこと
いろいろありますけど、例えばデザインとかね、さっきもイメージなんかの仕事やる中で、自分
の頭の中を柔らかくして、自由な発想ね、思考を反転させてみたり裏側から物を考えてみたりね、
だから真面目はいいけど不真面目はいかんよと、生真面目はいいんだよと、もっと違うほうからも
のを考えてみるとかね、そういう幅広い発想が必要だと思う。まあ、いろいろとあると思うんだけ
ど一番ۗいたいのは先程のこととも関連しているんだけど、やっぱり 1 つの仕事とことんやって、
自分はこんないい仕事したんだなって自分に頭が下がるようなね、仕事してもらいたい、ていうの
はさっき削る話とかいろいろしたけど、悪戦苦௩しながらもあるところをଵえると自分の可能性み
たいなものが見えてくる。これは美術だけじゃなくどの教科もそうだし、‫ݗ‬校行くこと自体が、つ
まり半端な取り組みだと自分のり可能性って見えてこないんだよね、だからとことんやって欲しい
ということですね。だからガラス細工でもさっきのボックスアートにしても、発想から最後の出来
上がった喜びまでねやり抜く、特に俺は油絵がすきなんだけれども、油絵で引っ掻き回して素晴ら
しいからって、次に手が出せないじゃなくて更に手が出て壊れてもまたぶつかっていくような、そ
の中から本当の可能性が出てくるんじゃないかと思い
ます。
現在
すいません、最初からうつ病だなんてۗっちゃって(笑) 本当教員終わったときからね、山へ行っ
たり原生林のなかでスケッチしたり、こんなに一人っていいものかと、女房とも一週間に二度山に
行ったり河原のスケッチとか、これ楽しいですよね。もう一個はやっぱり自分の仕事見つけたいん
だけども、これがなかなかね、やっぱり生徒って素晴らしいと思うよね、俺にのせられて素直にや
っているからいいのできちゃうけど、俺自身もねもっと自分に素直になればもうちょっとましな仕
事できると思うんだけども、なかなか曲者でね、いかんわ。でもやっぱり退職してよかったなって
思ったんですけれども。そんな矢先去年三年目で副自治会ସ、今年は自治会ସ、去年は選挙の仕事
もやれなんてことでね。もう美術の教員、一番苦手なのは何かというと選挙でしょうな、これほど
いやなものはない、でもやらざるを得ない、そのおかげで村の人とも、初対面の人ばかりですけれ
どもいやな仕事やるなかで極端なことをۗうと男心に男がほれるっていうようなね、そんな人間関
係、変な友達ができてくる、その中で今年は三度の॒事以外は自治会の今年か考えていない、えら
いことになったなと思ってね、ある地区の竣工式に行って、絵があったんだけれども白髪の画家が
寄付したっていうんですね、そこで、俺本当の自分の絵が見つからんでこまっとるとその画家にۗ
ったら、描き続ければ絶対見つかりますよってۗわれてね、
ところがね、そうやってむ一杯Тんだ後、どんなに忙しいときも、ウォーキング、うつ病になるく
らい忙しいときもウォーキングっていいんだよね、だからどんなときでも絶対散歩、これはもう国
分寺までね 50 分位急ぎੰで歩く、というのはね途中でいろいろな人と挨拶したりしているうちにす
ごく親しくなってくるっていうか、阿吽の呼吸でお互いに挨拶するし、あるおばあちゃんなんか家
の中から手を振ってくれるしね、気持ちが癒されるっていうか、ところがね、この前歩いていたら
向こうから自転車で来た老人なんだけど、幼い頃の記憶とだぶっているんだよね、俺はその人のこ
とを何も知らないわけだけれど、そう見えるわけだよね、だから年輪、土と一緒になって、農家の
人としょっちゅうすれ違うもんで。今度の自治会ସの仕事も村のସ老とかしょっちゅう付き合った
りしている、人柄もわかってくるんだけど、でも、割と表面的な会話だけれどもかえって逆にね、
新鮮に年輪が見えて来るんだよね。年輪とか幼い頃しかもそれが会社のえらいさんの顔と違って、
退職して土と会話しながらきた顔でね、現在これをスケッチしたり写真とったりしながら、それを
デフォルメしたりして、周りの樹幹なんかの平面化した壁と顔Û、だからなんていうんだろう自画
像じゃなくて、肖像画へんな肖像画ですかね、これ面白いなーと思って、今そんなとこに取り掛か
っています。だから蒙古の年だからね、やっぱり自分でぎりぎりのところで少しでもいい仕事した
いなーってそんな状態ですね。
【作品】
研究室訪問
ସ野県岡ૌ南‫ݗ‬等学校
所在地 岡ૌ市湖畔 3-3-30
創立 昭和16年4月 今年で63年 昭和53年までは男子校
H15年度学級 18学級(普通科15・英‫܃‬科3)
岡ૌ南‫ݗ‬校は釜口水๖(天竜川の出発点)に‫ؼ‬く、南校舎からは঄訪湖が一望でき঄訪地区の学
校でも一番湖に‫ؼ‬い位置にあります。また、八ヶ岳連峰も見え、下঄訪側へ移動すれば富士山も望
むことができます。そんな立地条件のためボートやスケートが昔から盛んでオリンピック選手も輩
出しています。
最‫ؼ‬は、9年前の英‫܃‬科০置もあり早い段階から補習授業や朝の学習活動を取り入れるなど進学
指導に力を入れています。OBや以前いらした先生方にお聞きすると当時とはだいぶ൪囲気も違う
ようです。生徒たちは素直でおとなしく授業はやり易いのですが、少し物ੰりない気もします。
芸術は音・美・書からの選択になっていますが音・書は೪常勤講師の先生です。今後どうなるか
不安ですがとりあえず生徒たちと楽しくやっていければと思っています。
最初は、特に何もない研究室で絵にならないとお断りしたのですがzzz
研究室
・気をつけていること
絵を描いたり作業をするときに動きやすいように余分なもの(もっとも自分が描いた
絵が一番ࡨෳですがね)はなるべく置かないようにしている。
・気に入ってる点
1つの壁面が板張りになっている。見た目にも良いし、自由に展示ができる。
・欠点
研究室からの眺め
(湖も山も見えません 校舎のみ)
氏名 三澤 正博
勤続年数 9年
勤務年数 4年
三澤先生の研究室におࡨෳしたのは、まだ寒ൌ吹きすさぶ2月の中旬でした。4月の公募展に出
品予定の100号の大作が3点並べられ、テレピンなどの溶き油の匂いが漂って、いかにも制作の
現場という൪囲気です。1年生の担任とテニス൉の۳問でもあるのでなかなか集中して描く時間が
とれないなか、それでも比Ԕ的この時期は制作できるようです。
入り口横の壁面が板張りになっていて、
先生と生徒の作品がたくさん掛けられてい
ます。制作途中の小品を掛けておいて、気
になった作品を順次取り出しては描き込ん
で完成させていくということです。夏に東
京で個展を予定されていて、そのため今描
き貯めているところとか。
ここ数年取り組まれているࢁ瓶、コップといったモチー
フが独特のマチエールの中で構成される卓上ൌ景に、最
‫ؼ‬はマフラー、ジャケットといった、より人間存在を感
じさせるモチーフが加わってきました。それらのものを
通して、最‫ؼ‬のテーマである自由な、ӕ放された時間・
空間を表現したい、また抽象化した表現ができればとも
考えている、と話して下さいました。
ߙ記手帖NO̶1
専๖店紹介
工房工場中城
南佐久郡臼田町田口5231
(株)新興制作所内
TEL・FAX0267−82−7744(直通)
主宰中城健之(なかじょう けんし)氏
昭和15年生まれ。工業鋳物会社、株式会社新興
製作所入社。一昨年
独立して工房工場中城を০立。
「人間は、自分をアピールするために金属を身につける。
それは本ࡐ的に光るものに対する憧れをもっているから。
生徒達が夢中になって磨くのはそれが原点なのではないでしょうか。
」
と‫܃‬る中条氏。
〇工房では金属の販売の他、胸像・立像などの石
膏原型の金属化。装飾プレート(校章やキャプシ
ョンなど)。オリジナルのトロフィー・楯の制作
を行っている。
〇商品紹介
´‚̶ター(ホワイトメタル)JIS֩格WJ−2
錫(87
84%)・௷(5
6%)・アンチモン(8
10%)の合金。主に‫ݗ‬速軽荷重のࡃ受メ
タルに使われている。融点は240℃、凝固範囲は380℃まで。鋳込み温度は450℃。
値段は送料込みで1kg¥1100です。
その他詳しいことは直接工房にお問い合わせください。とても親切に教えてくれます。できれば直
に本人にお会いすることをお薦めします。
ߙ記手帳NO̶2
私の学生時代 臼田‫ݗ‬校 ‫ݗ‬柳 剛士
昭和62年‫ݗ‬校を卒業し、東京目白のすいどーばた美術学院での浪人生活に入った。‫ݗ‬校時代とい
えば3年間൉活動(剣道)に明け暮れ、真剣に絵を描いたのは3年のときの夏期講習と冬期講習の
み。周囲の人たちより少し絵が上手だからと天狗になり、全くの井の中のԀ状態で始まった浪人生
活だった。
4月にクラス分けのためのコンクールがあった。結果は油絵・デッサン共に最低のC評定。学科
中で両方Cランクだったのは確か2
3人という悲惨なものだった。
その後夏から秋そして冬と時が流れたが一向に芽が出ずもしかして一生美大なんて入れないんじ
ゃないかと思い始めた。しかし中学時代から美大入学をかんがえていたので今更他の進路を考える
こともできず、田舎にかえる勇気も無かったのでそのまま淡々と時が過ごしその年の受験を終えた。
当然4大は全滅。来年どうしようかと思っていた矢先、武蔵野美術短期大学からの合格஢報が届い
た。
当時から‫ݗ‬校教師を目指していた私は4大入学にこだわり、短大から4大への編入の可能性を予
備校の当時の担任中ૌ晃氏(白日会会員)に相談した。すると「編入できるのは年に一人いるかど
うか。という程度」という話を聞き、悩んだ結果、2年目の浪人生活に入ることを決意した。(後
で知ったのだが短大からの編入は年間10人位いる。2浪目で武蔵野美大に合格したからよかった
ものの、どの大学にも受からなかったら一生彼を恨んでいるところ。)しかし2浪目も伸び悩み、そ
の年の夏期講習で加藤栄吾という先生から「‫ݗ‬柳ももう限界だね。」という最後通告ともとれる厳し
いۗ葉をつきつけられた。「いまさら後には引けないしÛ。
」と落ち込んでいたのだが、夏休み明け
のクラス改編で加藤先生が自分のクラスの1番か2番に私の名前を入れてくれた(五十音順ではな
かったのです。
)。「加藤先生はまだ俺を見捨てていない。
」背水の陣で毎日油絵にデッサンにと取り
組んだ。
するとある時『デッサンの神』が私の上に降りてきた。今まで何度ۗわれても理ӕできなかった
ことが、ある1枚のデッサンから全て理ӕできた。油絵に関しても同様で、本当に嘘のようだった。
そして平成元年の2月、武蔵野美術大学に合格した。
大学入学後は反動のせいかなかなか制作活動に身が入らなかった。
サークル活動では東京芸術大学・多摩美術大学・東京造形大学・日本大学芸術学൉・武蔵野美術
大学の5美大からなる関東芸術系大学剣道大会で個人優勝するなどそこそこ頑張った。アルバイト
は親戚が経営する小さな居ࢁ屋で、いろいろ料理を教わりレパートリーもかなり増えた。しかし肝
心な学業の方は今ひとつだった。教員になってから「あの授業もっとちゃんと受けとけばよかった。
」
と思ったことが何度もある。
そんな具合で大学に入るために頑張り、その反動で入学後勉強をしない。というよくあるタイプ
の学生だった。
ただ学生時代もっと勉強すれば良かった。ということは日々痛感している。体験のなけで体得し
たものには重みがある。学生時代が無駄ではなかった。と自分を納得させるためにも、この൉分特
に力を入れて生徒に伝えていきたい。
浪人時代
学生時代
ସ野県‫ݗ‬等学校美術工芸教育研究会
平成 15 年度 総会・研究会
平成 15 年11月13
14 日 伊జ北‫ݗ‬等学校
辰野美術պ
事務局ସ・向山恵一
総会ൌ景
研究発表
上原一馬先生(木曽‫ݗ‬校)
「パーツ再構成— ガンプラと
஢子൉品と粘土と空き缶と
ゴミー」実਎レポートに収཈
松下良徳先生(東൉‫ݗ‬校)
(写真Û右端)
久保田ସ๖先生(中野‫ݗ‬校) 「手作業を中心としたӀ題」
「コンピュータグラフィックス」 ・木工芸、鋳造の実਎、技術に
CG作成ソフト紹介 ついて、一つの実਎ではなく
デモンストレーション Ӏ題全体の方向性について
(生徒作品紹介)
宮尾千恵理先生(ঢ়穂‫ݗ‬校)
「私の授業実਎から」
・普通科1
3年の美術の授業
内容を、作品中心に発表
研修会Û 講演「美術պと学校教育」
辰野美術պ学芸員 ঢ়羽義洋 氏
辰野美術պの活動紹介Ûワークショップの実਎
○アート探検術
○アート・アドベンチャー・イン・たつの
○アドベンチャー・スクール・2002 等
研究会誌
美術工芸教育 第2号 編集委員会
編集委員(2003
2004年 ・在籍03年度)
委員ସ 柄沢 博章 (富士見‫ݗ‬等学校)
宮尾 仁 (坂城‫ݗ‬等学校)
宮崎 美裕 (ସ野南‫ݗ‬等学校)
松下 良徳 (東൉‫ݗ‬等学校)
‫ݗ‬柳 剛士 (臼田‫ݗ‬等学校)
本島 雅之 (箕輪工業‫ݗ‬等学校)
常磐井智美 (塩尻志学պ‫ݗ‬等学校)
逢沢 道澄 (松本深志‫ݗ‬等学校)