果てしない道を る求道者―中尾誠のこれから 中尾誠は教員として 30 年余を過ごし多くの教え子が卒業しても育てているが、 積極的に展覧会を行ってこなかった。しかし中尾は絵画、とりわけ油彩に対し ての探求が途切れたことはなく、退官後 10 年の歳月を経て、むしろこれから始 まったのではないかとさえ思える。 中尾は、活動開始時は「ヒトはひと」、1990 年代からは「隔たりの消息」、2007 年は「壁藻」という主題を探ってきた。ここ 3-4 年、中尾は「皮膚に」という 言葉に到達した。中尾が、皮膚が弱かった幼少に立ち戻る発想ではない。もっ と根底的な油彩を探しているのだ。 数々の《皮膚に》の画面に向き合うと、そこには何もないことが直ぐに分かる。 形は失われ、明るく美しいのではなく暗くて誰も使おうとしない色彩に満ち れている。ここには何が描かれているのだろうかという問いが、見る者を不安 にさせるほど、何もない。 中尾の画業を具に追うと、作品の発表の数が少なくとも、60 年代は師である山 口薫(1907-1968)、70 年代は中西夏之(1935-)、80 年代は辰野登恵子 ( 1950- )、 90 年 代 は 野 田 裕 示 ( 1952- )、 2000 年 代 に は 坂 本 繁 二 郎 (1882-1969)との類似を発見できる。 いずれも油彩を探究しているアーティストではあるのだが、油彩の在り方に視 点が向けられている 5 者と比べて、中尾は油彩で在ることが前提の上で、油彩 以前の油彩と言う存在に目が向けられている点で、如何なるアーティストと完 璧に振り分けられる。 東大寺伝日光月光菩 像(729-749)から中世の壁画、L・ダ・ヴィンチ (1452-1519)、P・セザンヌ(1839-1906)、C・モネ(1840-1926)、H・ マ テ ィ ス ( 1869-1954 )、 C ・ ブ ラ ン ク ー シ ( 1876-1957 )、 P ・ ピ カ ソ (1881-1973)、N・ド・スタール(1914-1955)に、中尾が求める油彩の存 在が隠されている。 油彩の歴史を全て背負い、終焉させた画家として F・ベーコン(1909-1992) を挙げることが出来る。中尾の価値観はベーコンのそれに近いが、中尾はベー コンを乗り越えようとする L・サビエ(1956-)をも視野に入れている。 油彩と絵画は異なる。それは墨/水彩/アクリル/鉛筆という素材の面だけではな く、デッサン/ドローイング/習作といった在り方でもなく、マンガがサブ・カ ルチャーで油彩が本画であるというヒエラルヒーでもない。油彩は光と闇の空 間を考察する生き方の存在なのである。 そのため中尾にとっては、平面/立体、抽象/具象、西洋/東洋という区別は存在 しない。自己と関係のない歴史を持つことに執着せず、技法としても考えず、 もしかしたら自己存在を実現する道具とも思っていないのかも知れない。それ 程までに、中尾は油彩でしかない。 近年の《皮膚に》へ立ち戻ろう。そこには次第に形も色も必要がなくなってい く。横切る線、若しくは周りを囲む線と筆を通した中尾の感覚が綾取りを生み 出し、そこには形と色が生まれてくる。 何かを表すのではない。だから、油彩を表しているのではない。 「存在」と「知」 は相違するのである(E・フィンク)。色彩は色彩そのものとして存在するので、 バルールは発生しないし、形は失われることによって発生するので、比較され るものではない。 再び何も描かれていない《皮膚に》の前に、立ってみよう。ここに形がない、 色がないと決め付けるのは「私」だ。 「私」が居なくなって、中尾も居なくなっ て、さて、 《皮膚に》を見てみよう。そこには見えない筈の光と闇が浮かび上が ってこないだろうか。 闇があるから光がある、光があるから闇がある、光と闇はどちらがなければ認 識することができないのだ。ここに油彩がある、そして闇がある。すると、画 面の奥底から、光が沸いて出てくることが見えてこないだろうか。 そこにある光は希望の光である。嘗て油彩は、あらゆる光を描き切ることを目 指してきた。しかし、油彩は油彩が存在する以前から油彩で在ったし、これか らも在り続ける。様々な制約から解き放たれ、油彩は漸く油彩であることが、 中尾によって実現するのだ。 中尾にとって、このシリーズは到達点ではなく始まりであろう。中尾がこの光 の中へ入り、掻い潜り、光の本質に至りつくまでには果てしない探求が待ち受 けている。中尾は神なき時代の求道者である。その始まりに祝福をあげる我々 には、共に道を歩む試練が待ち侘びている。 宮田徹也/日本近代美術思想史研究
© Copyright 2024 Paperzz