池田遙邨コーナー展示 遙邨が描いた京都

池田遙邨コーナー展示 遙邨が描いた京都
会期:2015年5月8日(金)~6月21日(日) 作品名
1
栖鳳池
2
夜桜
3
制作年
倉敷市立美術館
寸法(㎝)
材質
備考
26.8×24.0
絹本着色
森原良雄氏寄贈
1964(昭和39)年頃
40.0×52.0
紙本着色
作者寄贈
六角堂
1948(昭和23)年
38.5×54.5
紙本着色
作者寄贈
4
七条陸橋
1948(昭和23)年
54.0×37.5
紙本着色
作者寄贈
5
京の家
1952(昭和27)年
35.0×57.0
紙本着色
作者寄贈
6
銀閣向月台
1957(昭和32)年
62.4×72.4
絹本着色
7
修学院千歳橋
1956(昭和31)年
43.0×51.0
絹本着色
8
林丘寺
1926(大正15)年
42.2×50.5
絹本着色
作者寄贈
写生帳・スケッチ
1
清水寺 舞台下より
1941(昭和16)年
56.8×37.4
色鉛筆・鉛筆・紙
池田花氏寄贈
2
大原 1938(昭和13)年
37.0×57.2
色鉛筆・鉛筆・紙
池田花氏寄贈
3
金閣寺
1945(昭和20)年
38.0×57.3
鉛筆・紙
池田花氏寄贈
4
金閣寺
1950(昭和25)年
38.0×57.1
色鉛筆・鉛筆・紙
池田花氏寄贈
5
銀閣寺
1945(昭和20)年
36.3×57.0
鉛筆・紙
池田花氏寄贈
6
龍安寺 石庭
38.7×55.0
色鉛筆・鉛筆・紙
池田花氏寄贈
7
嵐山 渡月橋
1941(昭和16)年
37.3×57.0
色鉛筆・鉛筆・紙
池田花氏寄贈
8
栂尾 1936(昭和11)年
37.5×28.5
色鉛筆・鉛筆・紙
池田花氏寄贈
9
保津峡
1940(昭和15)年
37.6×57.5
色鉛筆・鉛筆・紙
池田花氏寄贈
10
貴船神社
1940(昭和15)年
37.3×56.9
色鉛筆・鉛筆・紙
池田花氏寄贈
11
東福寺 通天橋
1939(昭和14)年
37.3×57.2
色鉛筆・鉛筆・紙
池田花氏寄贈
12
先斗町
1938(昭和13)年
37.3×28.5
色鉛筆・鉛筆・紙
池田花氏寄贈
13
春の鴨涯
1942(昭和17)年
37.4×57.3
色鉛筆・鉛筆・紙
池田花氏寄贈
14
雪(鴨川堤)
1950(昭和25)年
38.0×52.1
水彩・鉛筆・紙
池田花氏寄贈
池田 遙邨 明治28(1895)年-昭和63(1988)年
日本画家。岡山県に生まれる。本名は曻一。1910年、大阪で松原三五郎の天彩画塾に入り、洋
画の勉強を始める。1913年、小野竹喬から個展評を聞き、日本画に興味を持つ。1914年、第8回
文展に水彩画「みなとの曇り日」が初入選。1918年、遙村と号して独学で描いた日本画を、第12
回文展に出品するが落選。1919年、京都に出て竹内栖鳳の画塾・竹杖会に入る。同年、第1回
帝展に「南郷の八月」が入選。1923年、鹿子木孟郎とともに関東大震災後の東京をスケッチし、こ
れらをもとに「災禍の跡」を制作、翌年の第5回帝展に出品するが落選。1926年頃、画号を遙邨と
改める。1928年、歌川広重にならって東海道を徒歩で写生旅行し、1931年、「昭和東海道五十三
次」を完成させる。1928年、第9回帝展で「雪の大阪」が特選。1930年、第11回帝展で「烏城」が特
選。1953年、画塾・青塔社を主宰する。1960年、日本芸術院賞を受賞。1976年、日本芸術院会員
となる。1984年、文化功労者の表彰を受ける。この頃、種田山頭火の句を画題とした山頭火シ
リーズに着手。飄々としたユーモア溢れる作風により、詩画一体の境地を拓いた。1986年、倉敷
市名誉市民となる。1987年、文化勲章を受章。