紀要全体

 Vol. 2
2
大阪薬科大学紀要
Vol.2 (2008)
目 次
第 1 部(総合科学系)
論文
総説
ル・フォール文学における不信仰者について ----------------------------------------------- 濱 中 久美子 9
C 型慢性肝炎に対するペグインターフェロンとリバビリン併用療法:
抗ウイルス効果判定の指標としての 2-5AS 活性測定の意義 -------------------------------- 金 啓 二 111
男女平等とケイパビリティ・アプローチ
̶アマルティア・センをてがかりに --------------------------------------------------------------- 伊 藤 信 也 27
アシジアサイクラマイド及びその誘導体の構造化学的研究 ------------------------------ 浅 野 晶 子 119
クロベ (Thuja standishii (Gord.) Carr.) 樹皮の含有成分に関する研究 --------------------西 澤 学 135
関係を認識するということ
̶映画『好きだ、
』の分析と解釈を手掛かりとして --------------------------------------------- 桝 矢 桂 一 39
腎虚血・再灌流障害の病態発症および進展機構に関する研究
------------------------------------------------------------------- 山 下 潤 二,松 村 靖 夫 145
報告
第 24 回ユニバーシアード競技大会(2007/ バンコク)水球競技について -------- 当 麻 成 人 77
酵素−阻害剤複合体のX線結晶構造解析に基づく薬物設計
−創薬研究への利用を目指して− -------------------------------------------------------------------松 本 慶 太 155
第 2 部(薬学系)
報告
総説
10th International Congress of Therapeutic Drug Monitoring
高度に官能基化された生理活性シクロアルケノイド類の
and Clinical Toxicology に参加して --------------------------------- 加 藤 隆 児,井 尻 好 雄 167
全合成による構造決定 --------------------------------------------------------------------------- 宇佐美 吉 英 91
論文
EDTA 共存下,チタン (IV) ‒サリチルフルオロン‒ヘキサデシルピリジニウム
三元錯体の退色に基づく過酸化水素の吸光光度定量 ---------- 山 口 敬 子,中 原 良 介, 大久保 佳 代,山 本 奈 苗,藤 田 芳 一 103
金属を含む制癌医薬品の開発状況 -------------------------------------- 米 田 誠 治,千 熊 正 彦 171
The Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences
Vol. 2 (2008)
CONTENTS
Part I (General Sciences)
Reviews
Articles
Von den Nicht-Gläubigen in le Forts Dichtung ----------------------------------------------- Kumiko HAMANAKA 9
Gender Equality and Amartya Sen’s Concept of ‘Capability Approach’ ---------------------------- Shinya ITO 27
39
Report
Water Polo Games in the 24th International University Sports (Universiade) ------------------ Narihito TAIMA 77
Study of Components from the Stem Bark of Thuja standishii (Gord.) Carr. ------------ Manabu NISHIZAWA 135
Studies on the Development and Progression
of Ischemia/Reperfusion-induced Renal Injury --------------------- Junji YAMASHITA, Yasuo MATSUMURA 145
Drug Design Based on X-Ray Crystal Structure Analysis
of Enzyme-Inhibitor Complexes
Part II (Pharmaceutical Sciences)
—Toward Applications for Drug Research— -------------------------------------------------- Keita MATSUMOTO 155
Review
Structure Determination by Total Syntheses of Naturally Occurring
Bioactive Highly Functionalized Cycloalkenoids ----------------------------------------------- Yoshihide USAMI PEG-Interferon-α2b plus Ribavirin Therapy in Patients with Chronic Hepatitis C ------------------- Ke-Ih KIM 111
Structural Study of Ascidiacyclamide and Its Analogues --------------------------------------------- Akiko ASANO 119
On Knowledge as Relation among Objects
—An analysis and interpretation of the film “su-ki-da” ----------------------------------------------- Keiichi MASUYA 2’,5’-Oligoadenylate Synthetase Response Ratio Predicting Virological Response to
Reports
91
Article
Spectrophotometric Determination of Hydrogen Peroxide Based
on Fading of Titanium(IV)–Salicylfluorone–Hexadecylpyridinium
Ternary Complex in the Presence of EDTA ------------------ Takako YAMAGUCHI, Ryosuke NAKAHARA, Kayo OHKUBO, Nanaye YAMAMOTO, Yoshikazu FUJITA 103
Impressions of the 10th International Congress of
Therapeutic Drug Monitoring and Clinical Toxicology------------------------------ Ryuji KATO, Yoshio IJIRI 167
Recent Research on Antitumor Metallopharmaceuticals ---------------- Seiji KOMEDA. Masahiko CHIKUMA 171
旧<教養論叢>
通巻 Vol. 29
大阪薬科大学紀要 Vol. 2 (2008)
第 1 部(総合科学系)
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2
(2008)
Part I (General Sciences)
「ぱいでぃあ」題字:石川九楊
9
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2 (2008)
—Articles—
ル・フォール文学における不信仰者について
濱中 久美子
Von den Nicht-Gläubigen in le Forts Dichtung
Kumiko HAMANAKA
Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1, Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan
(Received October 19, 2007; Accepted November 26, 2007)
In diesem Artikel behandle ich die Bedeutung der Nicht-Gläubigen in den Werken der christlichen Dichterin
Gertrud von le Fort, deren Charaktere vielfältig sind. Le Fort handelt in ihren Werken von den beiden Typen der
Menschheit, nämlich einerseits von den frommen Christen, wie den Klosterschwestern, den hohen Geistlichen
und älteren Christinnen, und andererseits von den modernen antichristlichen Menschen. Die in ihren Werken
auftretenden Christen glauben zwar an das Christentum, aber es ist nur nach ihrer bisherigen Gewohnheit oder ihrer
eigenwilligen Auffassung. Le Fort hält diese Christen nicht für echt christlich. Nach le Forts Verständnis bedeutet der
christliche Glaube nämlich folgendes: Die nur vom Menschenverstand bestimmten Eigenschaften total zu vernichten,
nur den Gotteswillen zu verkörpern und in aller Welt das Evangelium wie die Liebe Gottes zu verkündigen. Die
Auftretenden, seien es Christen oder Nichtchristen, geraten alle, indem sie danach streben, in qualvolle Zustände
und erst am Ende erkennen sie in dieser Qual den Liebesruf Gottes, der die Menschen erlösen will. Dann werden sie
sich der Gottesanwesenheit auf dieser Welt und des Gottesplanes bewusst, durch die alle Ereignisse eigentlich für die
Erlösung der Menschheit gefügt werden. Durch diese Erlebnisse wird in ihnen der echte Glaube an Gott wach. Die
ewig bleibende Liebe Gottes zu den Menschen ist das einzige Thema Gertrud von le Forts.
Le Fort meint weiterhin, dass selbst der angeblich Nicht-Gläubige, wenn er sich gemäß dem Gotteswillen bemühen
würde, in Wirklichkeit wahrhaftig gläubig wird und konsequenterweise katholisch wird.
Stichwörter——Gertrud von le Fort, Christentum, Menschheit, Liebe, Qual
はじめに
ある.そのことはたとえば,『断頭台下の最後の
女』(Die Letzte am Schafott, 1931)が,第2次大
ル・フォールはしばしば,その作品の中で,古
戦へと向かうドイツの暗い時代の運命を作者が予
い文書に記録された伝承や事件と現代の出来事
感し,創作されたものであること,『無辜の子ら』
1)
を比較し,過去と現代とを対比させるという手法
(Die Unschuldigen,1953)が扱った内容が,作品
を用いて,当該作品で扱われている問題を鮮やか
の発表前に話題になっていたドイツ軍による第2
に浮き彫りにする.そこにおいて浮かびあがるの
次大戦中のフランスのオラドゥール村民の虐殺事
は,過去の問題ではなく実は現代の抱える問題で
件に関する裁判を題材に採ったものであり,ドイ
大阪薬科大学,e-mail: [email protected]
1) Gertrud von le Fort: Zu Georges Bernanos’ „Die Begnadete Angst“,in: Aufzeichnungen und Erinnerungen, (Einsiedeln) 1951,S.93.
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Vol.2 (2008)
ツ軍の責任を厳しく問うものであること,また『天
が現れる.その中には敬虔なキリスト教徒,修道
なくなった.彼女は「御托身のマリア」( 人間に
教えに従って生きることを決断したのであった.
国の門』(Am Tor des Himmels, 1954)がベルトル
女のようなキリスト教の信仰者が多く含まれる.
なったマリア ) という修道名が示すように,明ら
これは神の告知に従い,イエス・キリストを生み,
ト・ブレヒト(Bertold Brecht, 1898 ‒ 1956)が『ガ
あるいは司祭や高位聖職者のような教会の代表者
かに聖母マリアの類型として創作されている.実
育て,死を見守った母マリアのように,キリスト
リレイの生涯』
(Leben des Galilei, 1942)のなかで
である人々も不信仰者の一人として扱われている
際,
「彼女は悲哀の聖母のようなすがたでした」
の教えに従い,彼女の一生を捧げることであるこ
述べた教会への批判に対するキリスト者からの応答
こともある.その一方で,現代の反キリスト教的
(LS78)と作品中でも描写されている.彼女は主
とを象徴しているといえるだろう.こうして彼女
として出版されたと思われることなどを見れば,明
な科学者や教養ある知識人等もまた,不信仰者と
人公ブランシュが神の命に従い,苦悩そのものと
は革命の終わりとともに,戻ってきたキリスト像
らかである.
して登場する.下にいくつかの作品からそのよう
化して,人々に神の苦悩を身を持って示す存在と
の前で復活を祝う祈りを司祭とともに誦えたので
神学者であり,ル・フォール文学の最初の批評書
な不信仰者たちを取り上げ,その問題点を挙げて
なっている姿を目撃し,この世が神を失って,苦
ある.
を上梓したテオデリッヒ・カンプマン(Theoderich
みよう.
悩と不安と恐怖のなかにあることを悟り,それを
マリの人生の顛末を知らせ,主人公ブランシュ
自分の問題として受け入れ,厳しい運命に耐えつ
の最後を見届けたこの物語の語り手は美しい人間
2)
Kampmann)も当初から「我々の民族のカトリッ
クの現代の若者たちは,注目に値するほど一致し
1-1 修道女の不信仰 その1)
つ人生を生き続けることを選択する.それは「生
性を信じる友人に対して,次のようにこれらの事
て,ル・フォールのなかに自分たちの詩人を認めた.
不信仰者のうちでも,偉大な宗教的人物がその
きることは死よりもつらい」
(LS72)ことであり,
件の意味を考えるように促す.
…むしろ若者はかれらの詩人の世界と自分の世界と
一例となるのは,『断頭台下の最後の女』の修練
彼女をかくまった女性は「マリ童貞様は,まるで
「あなたは感動していますが,同時に不安でもあ
の一致を体験する」と彼女の現代性が若者の共感を
長マリ・ドゥ・ランカルナシォン童貞 (Marie de
つらい罪の償いでもなさるように,生活をおくっ
るでしょう.なぜかわかります.それは,あなた
呼んだことを証言している.彼女の作品の特色は常
l'Incarnation) である.彼女は主人公のブランシュ・
ておられました」(LS73) と証言している.それで
は女丈夫の勝利を予期されていたのに,か弱い女
に現代の焦眉の問題をキリスト者の目で見つめ,現
ドゥ・ラ・フォルスが身体も小さく弱々しいうえ
もなお殉教を望む彼女に,彼女の長上 ( 上司 ) で
に起きた奇蹟を経験したからです.しかし,そこ
代人の宗教への無関心や反発が問題の発生の源にあ
に,心理的にも生まれながらに母から伝えられた
ある司祭は「あなたの ( 同僚とともに処刑台に向
にかえって,無限の希望が潜んではいないでしょ
ることを指摘し,宗教的な視点からの問題解決の可
不安を抱えているのに対して,一見して誰が見て
かいつつ歌いたいと願うその ) 声までもお捧げな
うか.人間的なものだけでは充分ではないのです,
能性を問うていることであろう.それゆえ,彼女の
もすばらしいと感嘆するような印象を人々に与え
さい.̶̶それを一番最後のもののためにお捧げ
またお互いにあんなに感動した〈人間的な美しさ〉
作品では,キリスト教に対する不信仰者の無関心や
る人であり,身長も高く,
「剛毅な」
(LS22)うえに,
なさい」
(LS74)と命じたのである.そして,殉
だけでも充分ではないのです」
.(LS79)
キリスト教への反感や憎悪、そしてそれに対するキ
美しい燃えるような目を持ち(LS23),王家の血
教しなければ神に見捨てられると嘆く彼女に対し
そして,
「もう一度,あなたがお話しになる番です」
リスト教側の主人公の応答が,常にその主題となっ
を引き,出自も申し分ない.しかも自分が生まれ
て,司祭はキリストが十字架にかかる前に体験し
(LS79) と人間中心主義者とおぼしき友人に迫るの
ている.この論攷では,この立場を異にする二者の
る原因となった宮廷人の放縦な行為の罪過を償う
た孤独と苦しみを思い,また愛する息子を失った
である.
対話において,一方の当事者である不信仰者をル・
という敬虔な気持ちから修道院に入ったもので,
聖母の苦しみに満ちた沈黙を思え,と諭す.この
この言葉は明らかに,ル・フォールの読者に対
フォールがどのように扱っているかを検討していき
また信仰のためには死をも怖れぬ英雄的で,強い
とき彼女の抵抗は砕け散り,殉教へのすべての希
する問題提起であり,現代の人間中心主義的思想
たいと思う.その姿と行動の中にはル・フォールが
心の持ち主でもある.マリは「彼女は聖后の肖像
望は断たれるのである.このときから「彼女の声
だけでは解決できない問題をいかに解決するか,
現代人が抱える問題をいかに捉え,どのように解決
画,いやそれどころか聖王の肖像画のモデルにも
は,他の声に変わってしまったのです」
(LS75)
すなわち人間を超える存在である神の問題を再考
しようとしているかが浮かび上がってくるからであ
なれたでしょう」(LS21)といわれているほどで
と作品にある通り,彼女の声は,人間のものでは
するよう暗示している.それはこの作品が発表さ
る.そしてそのことは必然的に,ル・フォールの属
ある.そして信仰心の失われたフランス革命の時
ない声,彼女という人間の意志を伝える声ではな
れた 1931 年という時代の「来るべき運命の切迫
するカトリック教会の抱える問題をも浮き彫りにす
代に,断頭台で立派に殉教し,神の存在を不信仰
く,主人公のブランシュがそうだったように,た
した予感によって,当時ドイツに暗い影を落とし
るものであろう.
な民衆に示したいと熱望している.しかし,運命
だ神の意志のみを伝える声に変わってしまったの
ていた時代の深い恐怖感」や「終末に向かう時代
のいたずらで,彼女がいないあいだに他の同僚は
である.その意味を象徴するように,彼女の手元
全体の死の不安の具現」という言葉で表されるよ
革命側の官憲に捉えられ殉教したが,それを切望
にはやがて,革命の嵐の中で行方知れずであった
うな戦争へと向かいつつある世相に警告を発し,
していた当のマリの方は捕縛を免れ,教会からも
「栄光の幼きイエスの像」が戻ってきた.彼女は,
宗教的な見地からこれを厳しく弾劾するもので
殉教が赦されないまま,生きていかなければなら
主人公ブランシュが示した恐怖と不安の時代の様
3)
1 不信仰者の種々の形態
彼女の作品には様々な種類の不信仰者の登場人物
4)
5)
あったといえよう.
相を正しく認識し,それを受け入れ,キリストの
2) Theoderich Kampmann:1899 年生まれ.1935 年ル・フォールに関する最初の批評書を出版.その後も,ル・フォールの文学作品の
批評的評価を続けた.1935 年パーデボルン哲学神学大学講師.1956 年ミュンヒェン大学教授.
3) Theoderich Kampmann: Gertrud von le Fort. Die Welt einer Dichterin, München (Verlag Josef Kösel & Friedrich Pustet) 1935,S.7.
4) 5)Gertrud von le Fort:Zu Georges Bernanos’ „Die begnadete Angst“,in: Aufzeichnungen und Erinnerungen, (Einsiedeln) 1951,S.93.
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Vol.2 (2008)
1-2 修道女の不信仰 その 2)
離された苦痛に生きる,不信仰なこの世の実相で
1-3 高位聖職者の不信仰
関わらず,遂にガリレオと彼の学問である科学を
同じように,
『フォン・バルビー童貞の召命』(Die
あった.しかし善良で疑うことを知らない修道院
他方で,ル・フォールの作品には,
「女子修道
赦さなかった.その結果,ディアーナは怒りのた
Abberufung der Jungfrau von Barby, 1940) の 主
長はその意味を理解し,真摯に受け止めることが
院長」のような,敵を愛するというキリスト教
めに教会から完全に離れてしまう.彼女は枢機卿
人公バルビー童貞の母代わりである女子修道院長
できない.反対にバルビーが不信仰者であるとし
的な寛容の態度をとることを拒否したために,信
に対して,
「あなたがたが滅ぼす科学が,いつか
(Frau Äbtissin) も,前述のマリと同じような類型の
て,彼女を謹慎処分にしてしまう.そのため周囲
徒を失う聖職者もまた描かれている.
『天国の門』
あなた方を滅ぼすことでしょう!」
(TH422)と,
人物に入るといえよう.彼女は教会に反感を抱くト
の暴徒たちが修道院に押し寄せるかもしれない危
の登場人物で,
カトリック教会の象徴でもある「枢
厳しい呪いの言葉を投げつけ,ついに棺のような
マス・ミュンツアーに率いられた異端者の跋扈する
険があるのに用心を怠り,彼らは暴徒に襲われて
機卿」
(der Kardinal)がその人である.彼は世慣
駕籠に乗せられどこかに連れ去られて,この世か
時代(1520 年代)に生きているが,彼らが修道院
しまうのである.謹慎中で居室にこもっていたた
れて物のわかった人であり,開明的で偏見のない
ら葬られてしまう.一方若い科学者は元来敬虔な
の窓の外から罵声を浴びせても,マリと同じく,怖
め,何も知らず逃げそびれたバルビーを暴徒から
知識人でもあって,自然科学にも明るく,その科
キリスト教徒であったのに,彼の学問に教会が祝
気づいたり驚愕するような事のない,強い心の人間
救おうと,院長は必死にかけつける.しかし,そ
学の真理を認めてもいる.天文学者のガリレオに
福を与えなかったために,信仰を放棄してしまう.
である.姿も「太って堂々として,
しぐさも美しく,
の甲斐もなく,バルビーは殺害されてしまう.愛
とっても大いなる庇護者とみなされている.とこ
彼は「私の故郷はもはや教会ではなく,人間精神
指導者らしく,…顔立ちも,固い滑らかな非のうち
するバルビーを失い,修道院は暴徒によって大い
ろが,ガリレオの研究によって地球が宇宙のなか
のたくましい新領域なのだ」
(TH441)と考え,
どころがない木から彫り出されたように,威厳のあ
なる被害を受けて,修道院長は悲嘆に暮れる結果
の小さな星屑にすぎないことを,ガリレオの弟子
自由なる研究法則のみを頼りに,自由と真理の中
る信心深い表情で,多くの娘たちの母らしい,善良
に終わる.最後になってはじめて,彼女はバルビー
でもある枢機卿の姪ディアーナが知ったとき,彼
に,自分と人類のための新しい荘厳な殿堂を築く
で正しい」(AJ81‐82) ひとである.彼女の声も「美
童貞が預言していた神なき時代の不穏な空気を読
女は神への信仰を失ってしまう.彼女は言う.
ことを誓って,ローマを去っていく.
しい,豊かな,指導者らしい声」
(AJ83)と称えられ,
もうとしなかったことを心から悔いて,改心する.
「わたしたちの信仰は,もうこの宇宙の中にどん
この作品では科学と信仰の分裂の問題が扱われ
周囲の人々にもその力量と人柄が認められている立
彼女は暴徒たちへの報復を提案する大司教に対し
な場所もなくなってしまったのだわ」
(TH403)
「私
ているが,ル・フォールはその責任を主に,枢機
派な女子修道院長であった.
しかし彼女は,
バルビー
て「猊下,彼らをお赦しください.自分が何をし
たちにはもう神様はないの.私のことを気にかけ
卿に象徴される教会側の頑迷な態度に負わせてい
が神の召命を受けていることを軽視し,それをわざ
ているのか知らないのです」(AJ130)と言う.こ
てくださる神様はもういらっしゃらないの.ある
る.しかし,枢機卿はそのようにしなければなら
と見ないようにし,バルビーが召命の際に神からど
れは自分の非を率直に認めた彼女の,謙虚な祈り
のはもう私たち自身だけ.…自分たちだけしかな
なかった聖職者の苦衷を次のように語る.
んな内容の幻視を受けているのか,バルビーの方は
である.
いの.これからはもう,人間が人間にとってすべ
「新しい世界像も,自然の新しい研究も,本当
いつでも話すという意志を示しているのに,それを
この作品は 1940 年に発表された.次第に狂暴
てでなくてはならない!…」
(TH404)
に信仰深い人を損なうようなことはないかもしれ
聞こうともしない.ところが、やがて不承不承バル
化し,国内の文化活動も迫害しつつあったナチス
ガリレオは科学的研究をしていてもキリスト教
ない̶̶しかし一体,本当に信仰深い人がいるの
ビーの受けた召命の内容をたずねた修道院長に対し
政権の時代にあって,作者は厳しい時代を生きる
徒でありうると主張していたが,弟子のディアー
だろうか?」
(TH428)
「私は信仰薄き人間だ̶̶
てバルビーが語ったのは,神の意志によって神の愛
心を読者に伝えようとしたのであろう.この作品
ナがその研究によって信仰を失ったことを知った
我々聖職者は…いつも信仰薄き者だった.なぜな
が死んでしまい,この世から神の姿が消えてしまっ
の発表後 1941 年には,多年ル・フォールが他の
枢機卿は,教会の高位聖職者として信徒たちを守
ら我々は,いつも異端者たちを迫害し,根こそぎ
たという「剥き出しの神性の荒野」
(Die Wüste der
多くの作家とともに,そこを根拠として作品を発
るために,ガリレオの学説を異端と認定してしま
にしてきた.主は毒麦と麦とを,収穫の日まで二
nackenden Gottheit)(AJ110) となったこの世の姿
表してきたカトリック系雑誌「高地」(Hochland,
う.彼は,愛する姪ディアーナや,同じくガリレ
つながら生やしておくようにとお命じになったに
であった.その結果,バルビーは神の花嫁になり,
1903‐1941) も,遂にナチスによって発禁の憂き
オの弟子である若いドイツ人科学者が,教会の寛
もかかわらず,我々はそうしなかった.我々は,
その愛を受けるはずであったのに,実際には彼女
目に遭い,主宰者カール・ムートもその後まもな
恕を求めて「敵を愛することが離反に打克つ,残
全く一度もこの掟に従わなかった.我々は従うこ
は「花婿から引き離された時の花嫁の愛」
(AJ108)
く亡くなってしまった.自分たちを弾圧するナチ
された唯一の道なのではありませんか.また同時
とができなかったのだ.何故なら,そうしなけれ
を味わうことになったと修道院長に告げたのであっ
スと,それに同調する人々へのル・フォールのキ
に,それは自らを地上における神の代理者と信じ
ば,毒麦はとっくに麦を根絶えさせてしまってい
た.これがバルビーの召命を通じて人々に示された
リスト教徒的な寛容の態度が窺える作品である.
ている教会が,神様によって正しいと証される方
ただろう.そして今日でも,我々は主の掟に従う
法ではありませんか」
(TH422)と哀願したにも
ことはできないだろう」
.
(TH429)
6)
7)
「新しい神の愛」
(AJ108)
,すなわち,神から引き
8)
9)
6) Thomas Müntzer (Münzer ともいう ) (1489‐1525) は,プロテスタントの神学者,農民戦争時代の革命家.農民戦争を指揮し,諸侯側
と闘い,捕らえられて処刑された.
8) 異本によれば,註 7) のマルコによる福音書 11, 25 の後に続く 11, 26 では「もし,赦さないなら,あなたがたの天の父も,あなたがた
の過ちをお赦しにならない」と続くという.この個所を参考にされたい.
7) この個所はルカによる福音書 23 章,
34 節(以下,
[23, 34] のように表示する)にある言葉である.イエスが十字架につけられる場面で,
自分を迫害した民衆のために祈った言葉である.
「父よ,彼らをお赦しください.自分が何をしているのか知らないのです」.同様の表
現はマルコによる福音書 11, 25 の「誰かに対して何か恨みに思うことがあれば,赦してあげなさい.そうすれば,あなたがたの天の
父もあなたがたの過ちを赦してくださる」にも見られる.
9) 新約聖書のマタイによる福音書 13, 24‐30 の「毒麦のたとえ」を引用.マタイによる福音書 13, 28‐30 において,畑に敵が蒔いた
毒麦を僕たちが抜き集めようと主人に言うと,
「主人は言った.
『いや,毒麦を集めるとき,麦まで一緒に抜くかもしれない.刈り入れ
まで両方とも育つままにしておきなさい.刈り入れの時,<まず毒麦を集め,焼くために束にし,麦の方は集めて倉にいれなさい>と,
刈り取る者に言いつけよ』
」と書かれている.主人 ( 神 ) がそのままにしておけと言ったのに,毒麦(不信仰者)を刈り入れ前に抜い
てしまって,麦 ( 信仰者 ) まで一緒に抜かれてしまったという,枢機卿の嘆きの表現と思われる.
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そして聖職者もまた,一千年前の啓示以外に頼る
この作品には,教会と科学的精神の両方に対す
のもつ豊かさと上品さを備え,威厳と才気に満ち,
徒,家政婦ジャネットの言葉「苦しみもまた愛に
ものもない孤独の中で,真に救いがあるのだろうか
るル・フォールの厳しい目を感じるとともに,苦
美しい銀髪の輝きに包まれて「ロココ時代の若い
すぎないのです」
(SV303)によって,その姿勢
という懐疑の苦悩に苛まれており,その様子は水
しむ教会と,気付かぬうちに生の根源を失い,ディ
貴婦人のような」
(SV16)女性である.彼女はま
をキリスト教的なものとして評価している.それ
の上を渡ろうとして溺れてしまったペテロのようだ
アーナのように棺の中に入ってしまった科学精神
たローマ神話の女神ミネルヴァにも喩えられてい
ゆえ,ル・フォールはこの異教の女神を畏敬と同
への憐憫と批判もまた感じざるを得ない.ここに
る.彼女の精神世界には人間の偉大さ,勝利に満
情を持って遇し,決して裁きはしない.
彼の不信仰は,たやすく信仰を失う弱い人間に対
は信仰を失った人々に対する教会側の責任と,そ
ちた高貴な不死性があり,
「最初に偉大で高貴な王
一方,彼女の娘,エーデルガルト (Edelgart) は
する不信感からくるものであるが,同時に彼が神の
れを取り戻すための教会側と科学者の側の双方
国があった.そのために地上が創られ,すべての
「追放された天使」
(SV46)のような外見で,若
力に全幅の信頼を寄せていないことからも由来し
が,互いに愛と寛容の心を持つべき必要性が説か
ものが創られた.そのために世界史がある」
(SV23)
いころから聖体に神の愛を感知して,教会に通っ
ている.若い科学者が,ペテロは海に沈んだのでは
れているといえよう.
という記述のとおり,人間世界の偉大さとすばら
ているが,信仰するに至らず苦悩する存在であ
しさのみを信じている.その一方,彼女の孫,主
る.彼女は中途半端な状況にあるため,恋人も心
10)
(TH430-431)と嘆くのである.
なく,「キリストのみ手をつかんだのだ」
(TH431)
とさらに反駁すると,枢機卿は「我々が当面してい
2 一般信徒の不信仰
人公のヴェロ−ニカは,彼女の世界では「奇妙に
から愛せず,失望した恋人は彼女の妹と結婚し,
る今この瞬間,どこにそのみ手があるというのか」
上述のように,聖職者ばかりでなく,一般の人々
正しく,理性的に」
(SV22)物事が進み,
「謎め
ヴェローニカを儲けた.その後妹が亡くなったの
(TH431)と,絶望的な言葉を述べるのみであった.
のうちの不信仰者も数多くル・フォールの作品に
いたものや恐ろしいこと」
「現実の抑圧や困難さ」
で,恋人はエーデルガルトと祖母に娘を預けて仕
枢機卿は彼の前から姿を消し,苦悩のきわまった,
登場する.たとえば,
『無辜の子ら』(1953)の主
がなく,
「疑わしい人物や出来事」
(SV22)が登場
事のため遠くへ行ってしまったのである.エーデ
限りない孤独のうちに引きこもり,若い科学者の呼
人公ハイニの信心深い祖母,『ヴェローニカの聖
しないことに奇異な思いを抱いている.
ルガルトはこういった悲劇のすべてが自分の責任
びかけにも応えなくなってしまう.
顔布』(1928)の主人公ヴェローニカの祖母,
『す
祖母は好意から昔の恋人の妻ヴォルケ夫人やそ
であると思い込み,姪を母代わりとなって育てて
こうして教会は新しい世界像を承認せず,赦さな
べてを超えて』(1956)の摂政妃殿下など,多く
の息子の詩人エンツィオをローマの屋敷に招き,
いる.しかし彼女のヴェローニカへのキスは祖母
かったことによって,新しい時代の精神の象徴であ
の人々が敬虔なキリスト教信者であるように見え
彼らを自分の家族同様に愛し,彼らからも感謝さ
のように愛に満ちたものではなく,
「うわべだけ
る,若い科学者の教会への信頼,ひいては神に対す
ながら,作品中で,その態度の立派さや敬虔な信
れ,愛されていると思っていた.しかし,実際の
のキス」(SV16) であり,
「かすかな息のように控
る信仰を失い,枢機卿自身も最愛の姪を失ってしま
仰心が実は現実を認識していないゆえのわがまま
ところはヴォルケ夫人は,亡夫とヴェローニカの
えめで,儚い」
(SV16)ものであり,彼女が本当
うのである.このことは教会が未来への希望と教会
や不信仰であるとみなされている.
祖母との繋がりに嫉妬し,恨んでいたのである.
には生きていないような状況にあることを表現し
に対する人々の敬愛を失ったことを意味することは
彼らの特徴は,本人はキリスト教の教えに従っ
そして,祖母が自らの愛をあきらめ,恋人をヴォ
ている.彼女は当時流行の精神心理学に頼ったり
明らかであろう.多くの信徒の魂を救おうとして,
ているつもりでも,周囲から見ると,実は我意を
ルケ夫人と結婚させたことによって生まれたエン
しながら,神を忘れてなんとか立ち直ろうとする
寛容さと愛を忘れ,かえって信者を不信仰の淵へと
通そうとしているだけであるという点にある.こ
ツィオは,祖母の知的な相続人と目されていたに
が,
神は彼女を呼ぶのをやめない.遂には姪のヴェ
追いやり,教会自体も孤独のうちに苦悩するという
こではヴェローニカの祖母,『無辜の子ら』の主
もかかわらず,実母に従いヴェローニカの祖母の
ローニカが彼女より先に信仰に目覚め,十字架に
厳しい事実とその批判が描かれているといってよい
人公ハイニの祖母,『すべてを超えて』の摂政妃
もとを去ってしまうのである.これによって祖母
向かって跪くようになる.それは自らに従えとい
だろう.
殿下を中心に彼らの周囲の人々も含めて検証して
は苦悩と失意のうちに世を去ってしまうが,彼女
う神の意志を,エーデルガルトにさらにあらわに
一方,近代科学の象徴でもあるガリレオ,
ディアー
みよう.
はだまってそれを耐え忍び堂々と死んでゆく.祖
見せ付けるものであった.彼女は呼ばれても行く
母は善良な女性であるが,彼女の影となって生き
ことができない自分の自我の頑強さと,神の呼び
ナ,若い科学者たちは,教会の裏切と不寛容な態度
への報復として,同じように教会を赦さず,不信仰
2-1 神に逆らう人々 その 1)
てきた,元の恋人の妻子の気持ちには全く思い及
声の強制力との板ばさみとなって苦悩し,遂に呼
者として生きることを選択する.そこには教会と同
『ヴェローニカの聖顔布』の主人公ヴェローニ
ばなかった.それは彼女の純粋で悪気のない人間
ぶのをやめない神を憎むようになり,十字架をた
じく,彼ら自身の教会への不寛容もまた存在するこ
カの祖母は,堂々として若いときは勿論,年取っ
性と,それゆえに人間の暗い面には全く気付かな
たきつけて壊そうとする.その形相は怒りのため,
とをル・フォールは指摘する.
ても知的で美しい.彼女は人生経験を重ねた人間
い善良さのゆえであった.彼女は厳しい現実を承
彼女の顔の輪郭を崩すほどの「忘れがたいほど恐
認しようとはせず,それに対抗できる術も持たな
ろしい表情」
(SV333)であった.しかし彼女が
かった.しかし,それに気付いたとき,彼女は言
我を忘れて怒り狂っている時,神はヴェローニカ
い訳せずに堂々と自分の生涯の結果である苦しみ
を通じて,最終的にエーデルガルトの自我を破壊
を受けとめ,
死んでゆく.それは見事なもので,
ル・
し,自分のもとへと引き寄せるのである.その際,
フォールは彼女の屋敷で働く敬虔なカトリック信
ヴェローニカは自分の中に「自分を神の愛へとあ
10) 新約聖書の「マタイによる福音書 14, 28‐31 の『湖の上を歩く』,およびマルコによる福音書 6, 45‐52,ヨハネによる福音書
6, 15‐21」を引用.その内容は次のようなものである.
イエスが湖の上を歩いて,逆風に悩まされていた船上の弟子たちのところに行った.それを見てペテロが同じように水の上を歩いて
行きたいとイエスに願い,水の上を歩いてイエスの方に進んだ.「しかし,強い風に気がついて怖くなり,沈みかけたので,
『主よ,
助けてくださいと』と叫んだ.イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ,『信仰の薄いものよ,なぜ疑ったのか』と言われた」と書かれ
ている.ペテロはカトリック教会の最初の教皇とされる.そのペテロの後継者である教皇を補佐する立場にある枢機卿は,ペテロが
信仰薄く,水に沈みかけたことを重視した.一方,対話相手の信仰厚い,若いドイツ人科学者の方は,イエスに救われたペテロを重
視した見方をしている.
16
17
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れほどしばしば引き寄せたあの愛」
(SV333)が充
フォールにとっては「永遠に変らぬ神の愛の啓
ちの指揮官であった.その罪のためにフランスで
して自殺した父と同じく,この一族の良心を担う
満し,自分が神の愛の意志に乗り移られたことを感
示こそがキリストである」(AE25)であり,愛こ
裁判を受けている部下たちは,自分たちの指揮官
存在であるからである.
じ,伯母に対する神の愛を示すために,伯母の中の
そが神の実体であるからである.この小説は教会
がその責任をとるべきであると主張している.祖
祖母はこれまで,不信仰な嫁に対して「無辜
悪魔の怒りと闘うことになる.そのとき神の示した
の仲介による救いを無視したということで,カト
母は,息子はそのとき部隊を留守にしており,実
の人々の苦しみがあることによって世界は救わ
十字架の愛の一撃によって「彼女(エーデルガルト)
リック教会の神学者たちから批判されたのである
際に彼が指揮をして虐殺をしたわけではないとい
れてきたのです.…罪なくして苦しんでいる人々
は打ち倒されて横たわり,…彼女の力,或いは意志
が,ル・フォールにとっては「愛」こそが神の文
うので,彼にはその責任がないと強弁するのであ
を見ると心が和らぎ感動します.キリストも罪な
は突然否定され」
(SV334)たのであった.このよ
学的象徴であり,教会の教えに背いているわけで
る.
くして苦しまれたのです.これを認めない限りあ
うな自我の崩壊を経て,彼女は神へむかって心を開
はないのである.神に背く人々の苦悩や憎悪もま
このような祖母の態度については,ハイニの
なたはいつまでもキリスト教徒になれませんよ」
き,従順な人間となったのであった.この後エーデ
た人間に内在する神の愛が,彼らにその存在を気
家庭教師ウンガー先生が,また義弟エーベルハ
(DU351)と嘯いていたが,愛する息子を失った
ルガルトは病の床につき,自分が神の特別の恵みを
付かせようとする一つの表明の形だからであるか
ルトとの結婚を勧められているハイニの母メラ
ときにはじめて,多くの不幸な人々の気持ちを理
戴き,神の愛とカトリック教会の聖性に気づきなが
ら,それに応えることが信仰者や教会の責務であ
ニーが,祖母に対して,厳しく反駁する言葉があ
解したのであった.それは丁度バルビーを失い悲
ら,その神に全的に信服せず,逆らいつづけた罪を
るという彼女の意志が示されていると思われる.
たっているであろう.ウンガー先生は「今日では
嘆に暮れた女子修道院長と同じである.彼女もま
信心ぶかい人を見ても,その敬虔さが信じられな
た,やっと,自分の信仰が苦悩に打ち克つ力を持
11)
懺悔し,罪を赦されて死んでいくのである.
エーデルガルトは神を憎んだが,神は徹頭徹尾彼
2-2 神に逆らう人々 その 2)
くなったのは,どういうところからきているので
つような物ではなかったことを,知ったのであっ
女に愛を与えつづけ,それは暴力的なまでに強い愛
続いて,
『無辜の子ら』の主人公ハイニの祖母は,
しょうか」
(DU351)と述べ,形ばかりで真実の
た.
であって,彼女は逃げることはできない.何故なら
ヴェローニカの祖母ほど輝かしくはないが,同じ
信仰に欠けている人々の多い現実世界を憂える.
一方,ハイニの母メラニーもまた,
「処女マリ
「我々は,神が愛となって降りてくるための啓示の
ように「体格がよく,堂々としていて」(DU338)
,
またメラニーは,夫の生前に義弟を愛していたか
ア」(DU331) に見えるほど美しく良心的な女性で
場として,人間を指し示される」
(WG63)というル・
単純で善良な性格の女性である.彼女は敬虔で,
ら,結婚するのが順当だという祖母の言葉に対し
あるが,神への信仰を失っているという点で,不
フォールにとって,人間とは「神の愛の出現する」
毎朝馬車に乗って教会のミサに行くが,執事は仕
て,
「お母様,だからこそ私は結婚できないのだ
信仰者の仲間である.彼女は夫を失い,戦火の中
(WG63)ところであり,その愛は本来的に人間に
事日に御者と馬を祖母に取られるので仕事が進ま
ということがお分かりでないのですか.…お母様
で幼い息子を守ろうと逃げ惑ううちに,多くの幼
内在するものであるから,エーデルガルトは決して
ず困っている.しかし祖母は「こうして教会にお
は自分の望んでいることが何なのか,分かってい
子が爆撃によって焼け死ぬのを目撃し,息子を失
逃れられないのである.
参りしていると,私たちみんなにも,あなたの農
らっしゃらない」(DU342) と反発している.ここ
うかもしれないという不安と恐怖のなかで神への
この長編小説の第二部において,エーデルガルト
場のお仕事にも,神様の祝福があるのですよ」
(D
には祖母の独善性,道徳意識の低さが如実に描か
信仰を失ったのである.その理由は,聖母に守っ
と同じように,敗戦と戦後の苦しみから希望を失っ
U 339)と,さもそれがキリスト教徒として立派
れている.
てくれるよう祈ったにもかかわらず,守ってもら
たヴェローニカの恋人エンツィオ(Enzio)もまた,
なことのようにいう.祖母は平常はキリスト教徒
しかし,物事の理非を曲げ,キリスト教徒と
えなかったからである.彼女はハイニが母を守ろ
エーデルガルトと同じくヴェローニカに教会ヘ行く
として立派な行いをするように主張するのに,い
しての良心も棄ててまで,息子の将来を前途あ
うとクリスマスにプレゼントした「プラークの幼
のをやめ,信仰を棄てるように迫る.そのときヴェ
ざ自分の愛する息子,ハイニの叔父エーベルハ
るものとし,彼の命を守ろうとしたハイニの祖
児キリスト」
(DU346)を見て,
「かわいそうな,
ローニカは伯母に対してと同じように,神の愛を伝
ルトのこととなると,道理を曲げて彼をかばお
母は,最後に孫のハイニから厳しい反撃を受ける
小さな幼児キリストさま,あなたのお手で恐ろし
えるために,教会から得られる救いのすべてを棄て
うとする.叔父は第2次大戦中にフランスのオラ
ことになった.ハイニは「エーベルハルト叔父さ
いことをお防ぎになれたことがございますか?」
て,ただ愛を示すことに専念する.
先述のように,ル・
ドゥール村の村民の皆殺し作戦に関わった兵士た
んが…そもそもここからいなくなってしまえば一
(DU349) と 絶 望 的 な 言 葉 を 述 べ る. 彼 女 は ま
番いい」
(DU334,340)
「叔父さんが本当に憎い」
た,義弟の戦争中の罪業を厳しく非難する.し
11) 『ヴェローニカの聖顔布』第二部の『天使の花冠』(1946) のなかで,主人公ヴェローニカがエンツィオを救う際に教会の仲介に拠らず,
個人的に神の特別な恩恵を頼りに不信仰者である彼を救うという行動をしたことに対して,カトリック教会の側から,問題があると
して,ル・フォールは大いに反駁を受けた.彼女は自分の文学の登場人物はある精神の典型や象徴であり,現実の人間の行動ではな
いと釈明している.詳しくは拙論「ゲルトルート・フォン・ル・フォールの文学の特徴について̶̶女性、教会、祖国を中心に̶̶」
(「キリスト教文藝」第十八輯)
,註 (3)(4),S.88‐86 を参照されたい.
この件について,彼女は友人 A.M. ミラーに「私の小説『天使の花冠』が多くの嵐を巻き起こしたことは,私を繰り返し驚愕させ,
びっくりさせました.私は,人々がそこに象徴性を認識するに違いないだろうと思います.また必ずしも,人々が話の筋にのみよ
りかかっているわけでもないと思います.私はしばしば我々の批評の水準の低さに驚きます.批評は外国ではしばしばはるかによ
いのです,あらゆる所に否定的な態度をとるグループはありますけれども」と書き送っている.
(Arthur Maximilian Miller:Briefe der
Freundschaft mit Gertrud von le Fort, Memmingen (Maximilian Dietrich Verlag) 1976,S.115 ‒ 116.)
(DU364)と考え,彼を追い出すために,一族の
かし,神の加護を信じられず,縋るものがない不
男たちがその音を聞くと気が狂うという言い伝え
安と恐怖に苛まれた彼女は,
「絶望的で捨て鉢な」
られている古い正義の鐘,フリーデリチアの鐘を
(DU351)状態に陥り,すっかり気力を失って良
鳴らし,叔父を放逐してしまうのである.なぜな
心に蓋をしてしまい.義弟との結婚から逃れられ
ら,ハイニは戦時中に軍隊の非人道的な命令に抗
なくなる.ハイニはその姿を目にして,彼女は眠
18
Vol.2 (2008)
12)
19
りながらうわごとを言っているようだ と思い,「マ
ローニカの祖母のような金色の輝かしい光輝に包
持ちがあるからである.しかし,彼女は,夫のた
はこうでございました.
『私は神様を愛していま
マの眠りを覚ますのが不安だ」
(DU358)と言って
まれた(PU275)人として描かれている.彼女は
めに捧げた教会に神のための祭壇を設けるように
す.昔から愛していました.私は神様をその似姿
いる.しかし,そんな状態であっても,彼女が救い
女性として美しさに溢れ,行政手腕に秀で,神聖
伝えた皇帝の命令に従おうとしなかったので,そ
において愛しておりました.̶̶というのは,愛
を求めて,わらしべ一本にでも縋りたい様子であり、
ローマ帝国皇帝である甥とその妻や子供たちをわ
れを批判する神がアラベラを通じて発した「至上
というものはただ一つしかないからです.̶̶ そんな母親のために息子のハイニは,
「僕はママが
が子のように愛し,人間として欠けるところがな
を超えて!」(Plus ultra)(PU311)の声によって,
神様はあらゆる愛を,それが神様ご自身に捧げ
お縋りになるわらしべになってあげなくてはならな
いような才気煥発な女性である.しかし,ただ一
人間的なものすべてを超える神の存在を悟り,衝
られたもののようにお受けとりくださいます』
」
.
い」(DU359)と思う.母を守ろうとしたハイニの
つの欠点は,亡き夫への愛のために心がいっぱい
撃を受ける.彼女はうろたえて怪我を負い,それ
(PU325) こうして,彼女は,
「自分の生涯のただ
鳴らす正義の鐘の音によって,彼女の良心は目を覚
で,「神を受け入れる心の余地がない」(PU298)
が因で亡くなってしまう.しかし彼女はその苦痛
一つの意味」
(PU325)である皇帝の愛の視線に,
まし,彼女はエーベルハルトとの不本意な結婚から
ことであった.そのため周囲の人々から不信仰の
の中で反省をし,神が愛をもって自分を裁いたこ
愛をもって応え返すことができたのであった.こ
逃れることができたのであった.彼女はオラドゥ̶
疑いを受け,教会からも警告を受けている女性で
と,そして自分が神に愛され,赦されている存在
れに対し,皇帝は,畏敬の念をもって,彼女が不
ル村の婦人や,彼女の姑と同じく,家族のすべてを
ある.彼女もまた,ハイニの祖母らと同様に,信
であることに気付くのである.彼女は言う.
本意ながら申し出た修道女の請願を取り消し,自
失ってしまったが,同時に彼らと同じ立場となるこ
仰者としての義務はきちんと果たしている.しか
「あらゆる永遠を通じて,ただ一つの愛だけがある
分の人生を決める自由を彼女に与えた.彼女がそ
とで,同じ悲しみを体験した者による連帯を手に入
し彼女に仕える侍女アラベラは次のように,かつ
のです.そしてその愛は,たとえこの世がそれを
れを喜びつつ,やはり修道女になることを選択し,
れたのであった.
ての主人の態度を批判している.
地上の愛と呼ぼうとも,天国から来るものなので
自分の修道生活を皇帝に捧げることを伝えると,
彼女と同じようにハイニの家庭教師のウンガー先生
「しかし,摂政妃さまがあまり信心ぶかくないこ
す.…ええ,私は神様を愛しています.ずっと前
皇帝は摂政妃殿下の葬儀の際に自分の名代として
もまた,良心的だが,戦中戦後の苦しい時期を経て,
とを私はずっと前から感じておりました.…もち
から愛していました.神様の似姿において愛して
彼女を任命し,彼女の愛に報いるのであった.
希望を失って何物にも関心を示さない.ハイニの叔
ろん,信仰の義務は,どれも良心的に履行されて
いました.
」
(PU315)
ここには神の「愛」に対するル・フォールの無
父は「彼もめっぽうひどいめにあってきたこのごろ
いました.なぜなら,尊母様,別に信仰心がなく
こうして彼女は,夫への愛が本来は神に由来す
限の信頼が語られている.この小説では,人間の
の青年の一人ですよ.…ドイツじゃどこへ行っても
ても,それくらいのことはできるからです.…教
る愛であることを確認して,信仰を回復し浄福の
みを愛して神を愛そうとしない不信仰な摂政妃殿
青年はあんな風です.…このごろの若い者は,すっ
会へ行って,跪き,命じられた祈祷文を読むくら
うちに亡くなっていく.
下とアラベラは,教会や人々にそのことをキリス
かり意気地なしになってしまいましたよ」
(DU339)
いは,造作のないことです.容易でないのは,あ
一方,彼女の回心の手助けをしたと同時に,彼
ト教的ではないと非難されようと,頑強に従おう
と,彼を馬鹿にする.しかし,彼はハイニの母に恋
りとあらゆる誘惑の糸でもってこの地上に繋ぎと
女を死へと向かわせた主人公アラベラもまた不信
とはしない.しかし,教会の庇護者としてその意
をして少しづつ希望を取り戻していた.ところが,
められている魂を,天上にまで高めることです」
.
仰である.彼女も,皇帝への地上の愛に生きてい
志を実行しなければならない立場にある皇帝の命
るので,その点では摂政妃殿下と同じである.彼
令によって,二人ともに自分のわがままや不従順
彼女が義弟と結婚すると知り,ついに完全な絶望に
(PU288)
陥ってしまう.彼を心配するハイニの母に対して,
またこう批判しているアラベラ自身もまた,自
女の望みは,若すぎたために皇帝への自分の愛を
な意志を打ち砕かれ,やっと自分の非を悟るので
彼は「ご安心下さい.…最後の妄想から目が覚めた
分自身がいかに不信仰であったかを告白してい
認識できず,彼の愛の視線に応えられなかった自
ある.皇帝が伝えたのは,実は教会を通じての神
人間は,もはや何があろうと悩んだりしませんよ」
る.
分の気持ちを,彼に直接伝えることであった.し
の命令であり,いわば神は不従順な二人を厳しい
(DU360)と言って,
姿を消してしまう.残念ながら,
「私たちは摂政妃さまに従って,毎日ミサに参り
かし,そうするためには修道女になり,この世か
父性的愛をもって裁いたのであった.それによっ
彼にはハイニの同情以外は何の慰謝も与えられてい
ました.それは立派な敬虔な行列と見えたことで
ら消え去ることが条件であった.彼女はその道を
て彼女らは逆らいがたい厳然たる神の秩序の存在
ない.しかし,ハイニは神の意志の具現化された人
ありましょう.…そのなかに私も混じっていたの
軽率に選択した.しかし,その後,その意味する
とその意志に気付き,神の方に目を向けざるを得
間であるから,その同情は神の同情であろう.
ですが,他の方がたと同じく信心深く見えたこと
ことが実際には厳しいことに気付く.彼女はその
なくなった.ここには抗いがたい力で人間を自ら
でしょう.しかし,私の心は神様からずっと遠い
絶望感から,激しい「絶望的な情熱」
(PU324‐
のもとへと引き寄せる,神の人間への愛が描かれ
2-3 神に逆らう人々 その 3)
ところに離れていました」.(PU288‐289)
325)を燃え立たせて,この機会を逃せばもはや
ている.同時にここには皇帝や夫から愛されたア
『すべてを超えて』(Plus ultra,1950) においては,
摂政妃殿下が神に目を向けられないのは,夫へ
二度と会う事のない皇帝に対して,身分の壁を超
ラベラや摂政妃殿下の,彼らへのやみがたい愛も
主人公アラベラの仕える摂政妃殿下が上述のヴェ
の愛が神への愛に優っていることに,やましい気
え,人間としての心の尊厳において彼と対等の立
語られている.この男女の愛の主題は,中世以来
場に立つことを決意する.そして,臆することな
キリスト教神秘主義的著作のなかで語られてきた
く堂々と摂政妃殿下の言葉に託して,自分の愛を
神と人間との直接的な交歓にその由来がある.そ
訴えるのである.
「陛下,…妃殿下の最後のお言葉
して古くから聖書の雅歌でうたわれる花嫁人間と
12) この個所は次の聖書の場面を参照されたい.ルカによる福音書 22, 46,
(マタイ 26, 36‐46,マルコ 14, 32‐42)「イエスは言われた.
何故,眠っているのか.誘惑におちいらぬよう,起きて祈っていなさい.」眠って,悪魔の誘惑に陥らないようにイエスが弟子に警
告した言葉.ハイニの母が叔父のエーベルハルトの悪の力の誘惑によって良心を眠らされている状況をこのように表現したものと思
われる.
20
21
Vol.2 (2008)
13)
花婿キリストの互いの愛の交歓が,この作品におい
できないでしょう.̶̶その場合、神は,本当に
会にいく気持ちになれない.アンゲリーカは亡く
うな寛容な愛に満ちた態度 こそ,ル・フォールの
ては神聖ローマ帝国の宮廷という人間世界に移しか
なにか発言するにちがいないでしょう.しかし,
なった母と,いつもマグデブルクの教会に通っ
期待する教会の本来あるべき姿であった.ここで
えられて,神秘主義的,象徴的に描写されていると
さしあたってはまだ,そこまでいっていないので
ていたので,その教会に思い出があり愛着を抱
は作者にとっては,信仰者の伯母の方が,その態
思われる.
す.だから,我々は我々の自由を利用するのです」
.
いているからである.まもなく親戚に引き取られ
度において不信仰であり,不信仰者である伯父の
て引っ越してしまえば,二度とそこへは行くこと
方が実際の行動において,真の信仰者であったの
彼は科学が神という枠組みから自由であること
ができないので,遂に彼女は幼馴染と一緒に大聖
だと言えるだろう.
を謳歌しつつも,合理主義的な人間の因果律に当
堂に出かけて行くが,たどり着けないで夜になっ
このような伯父の態度については,ドイツの神
ここまで,ル・フォールの作品に登場する多くの,
てはまらない,偉大な神の存在を予感している.
てしまう.そのとき途方にくれた彼女を心配して
学者カ̶ル・ラーナー(1904 ‒ 1984)の「知ら
さまざまな不信仰な人々を見てきたが,その特徴を
このことは大いなる希望の表現であろう.
捜し,迎えに来てくれたのは伯父であった.彼は
れざるキリスト者」
(der anonyme Christ)と類似
まとめると,第一に気性がまっすぐで善良な人々
彼ら不信仰者はいわば,作者にとっては人間中
大聖堂で母の思い出に浸りたいというアンゲリー
した思想が語られていると思われる.神学者稲垣
が,厳しい現実の意味を認識することができず,気
心主義の現代人の類型であり,その悲劇的な姿を
カの望みを知って,他日彼女をそこへ連れて行っ
良典氏によれば「知られざるキリスト者」とは「自
付かずに,或いは心の底で気付いていても認めよ
通じて,人間としての立派さや能力には実は人々
てくれる.
「お母さんは大聖堂で見つかったかい」
分がキリスト者であることを自覚せず,また他の
うとしないため,結果として不信仰に陥る場合,第
を救う何の力もないことを示している.そのこ
(D52)と聞く伯父に対して,アンゲリーカは静か
人々も彼がそうであることを気付いていないよう
二に良心的ではあるが,現実の苦悩を受けとめたり
とを前提として,彼らが自分を超えるものを認識
な確信に満ちて,
「私のお母様は天国にいらっしゃ
なキリスト信者のことである.彼は洗礼を受けて
承認したりできないため,絶望から無気力に陥った
し,それに心を開くさまを描き,それに応える神
るに違いないわ.でも,神様はお母様と同じよう
教会のメンバーになっていないし,自分がキリス
人々,第三には信仰喪失の痛苦やそこからくる精神
の愛の存在をル・フォールは示唆しようとしてい
に愛することができるお父様を贈ってくださった
トの恵みを受けていることを自覚もしていなけれ
的抑圧が原因で,逆に教会やキリスト教を憎悪する
る.彼らはそのために設定された人物たちである.
の」
(D52)と伯父の愛に応えた.伯父もまた,彼
ば,公言もしない.それだけでなく,彼は自分が
人々などである.これらの人々は,ハイニの叔父を
従って,主人公と同様,彼らもまた作者の意図の
女の感謝と愛を受け入れ,彼女をやさしく抱き寄
無神論者であると確信し,そのように宣言してい
除けば,決してその本性において悪人ではなく,実
実現には不可欠の人物たちなのである.
せるのあった.
るかもしれない」人である.( 稲垣 74) 同氏によ
ここでもまた,信仰者である伯母の方が,不寛
れば,この思想はカトリック教会内部の激しい論
容な態度をとり,アンゲリーカの思いを受けとめ
争と反発を呼び起こしたという.これは教会がこ
ようとしない.彼女としては姪を自分の宗派の神
れまで使命としてきた,地の果てまでも福音を伝
(TH450)
3 不信仰者の意義
は単純に気付かなかったり,耐えきれない不幸や苦
悩に打ちひしがれたりしている哀れな存在である.
4 良心的な不信仰者
そして,彼らの絶望と不信仰は彼らには理解しがた
14)
15)
い人生の苦しみとその意味の無さに由来するもので
最後に,ル・フォールの最晩年に書かれた『大
父さまに紹介したり,善意で導いているつもりで
えるという布教への熱意に冷水を浴びせるもので
ある.彼らを救うために必要であるのは,その苦痛
聖堂』(Der Dom, 1968)の登場人物の中で,特
あるが,姪の母を失った寂しい気持ちを理解せず,
あったからである.しかしラーナーは現代世界,
を意味あるものとする,あるいは希望へと導く別の
異な不信仰者を挙げておこう.それは不信仰者と
かえって姪を教会から離反させているのである.
キリスト教,教会などの状況を率直にみつめ,
「も
考え方である.それが『断頭台の最後の女』の語り
して本人は勿論,周囲にも明らかに認められてい
それに対して不信仰者とみんなが認める伯父ハッ
しも神が万人救済を意志しており,そして救われ
手のいうところの「人間的なものだけでは充分では
る,主人公アンゲリ−カの伯父のハッロー(Harro)
ローは,現在のキリスト教教会の分裂状態に対し
るために信仰が不可欠であるならば、すべての人
ない」という言葉である.そしてまた,
『天国の門』
である.彼は新・旧の教会の対立を苦々しく思
て抱いている不信感ゆえに宗派にこだわらず,ア
が・・・信仰に達することが可能でなければならな
の最後で語り手が最後に,神への期待を込めて言う
い,「この世界にはただ一つの教会があるだけだ」
ンゲリーカの寂しさを理解し,彼女の教会での懐
いのではないか」というところから論議を始め,
言葉「そうだ神はまたなにかおっしゃるに違いない」
(D12)といつも主張している.一方,彼の妻で
かしい思い出を寛容に受け入れ,マグデブルクの
(TH450‐451)という言葉である.それは,科学
ある伯母はカトリックへの改宗者であるが,宗教
聖堂に連れていってくれた.そして,実はこのよ
者が再びこの世に神を見出すことを怖れているので
的なことに熱心で常に教会に通っているが,偏狭
はないのか,と聞かれた時の,若いドクトルの次の
である.天涯孤独の姪のアンゲリーカを快く引き
ような返答に触発されたものである.
取ってくれるが,姪がプロテスタントの教会であ
「そうです.…我々は怖れています.なぜなら我々
るマグデブルクの大聖堂に行きたいといっても,
はいたるところで,ぎりぎりの限界にたっている
宗派が異なるというので難色を示し,カトリック
のですから.そして我々が再び神を見出すとすれ
の教会に無理に所属させようとする.しかし,ア
ば,もう神を我々の因果律の中に閉じ込めることは
ンゲリーカはどうしても伯母の勧める馴れない教
「知られざるキリスト者」の存在が必然的に結論
として引き出されると主張した.( 稲垣 75)
13) Gertrud von le Fort:Zum 70. Geburtstag von Karl Muth,in: Aufzeichnungen und Erinnerungen, S.77,において,ル・フォールはカトリッ
ク雑誌《Hochland》( 高地 ) に出会い,キリスト教内部の痛ましい対立や分裂にもかかわらず,キリスト教文化の共同の財産,すな
わち「愛の態度」
「抱擁的母性的な態度」を明確に体験したと述べている.そして,この体験が,その後の彼女が新・旧両派の教会
の和解と統一を目指す道を選択する契機となったと思われる.
14) Karl Rahner(1904-1984) はカトリック教会の司祭,イエズス会員,20 世紀を代表する神学者の一人.ドイツのフライブルク出身.
マルティン・ハイデッガーの弟子として,神学的伝統と現代精神との総合を目指した。彼はカトリック教会内部の不都合な状態を批
判し,全世界的な神学会議を推進し,神学と自然科学やマルキシズムとの対話を促進した.彼は第2バチカン公会議においてイヴ・
コンガールらとともに,主導的な役割を果たした.カトリック信仰を現代的な感覚で理解し,常に人間という視点を保持しながら解
釈したことで知られる.
15) 本文中のカトリック教会事情、および神学関係の内容についての言及は,引用文献 8) に挙げる稲垣良典氏の文献『現代カトリシズ
ムの思想』および参考文献『ヨーロッパ・キリスト教史 VI 現代』に従った.
22
23
Vol.2 (2008)
このような思想を可能にしたのは,現代世界と教
開かれた教会にあったといえよう.アンゲリーカ
する唯物論,観念論,進化論,自然主義などの立場
うことが大きな問題であった.しかし現代におい
会の状況について,19 世紀の後半から次第に教会
の伯父ばかりではなく,『天国の門』に登場する,
では,人間は神を否定して,自らを宇宙の中心であ
ては問題は逆であり,神の現存と人間の超越への
の姿勢が変わり始めたからであった.教会は長く敵
教会の愛と寛容な姿勢を求めたディアーナも若い
ると自負し,自然界を征服しようとする.しかし,
必然性を立証しなければならなくなっている.す
視してきた科学をはじめとする近代精神との対話と
ドイツ人科学者も,現代の科学者ドクトルも,
『す
氏によれば,
宇宙の空間や時間の広がりに比べれば,
なわち,現代では自明なのはこの世界であって,
和解を推し進め,必然的に,教会側に偏らない広い
べてを超えて』の摂政妃殿下やアラベラも,
『無
人間は一瞬のまたたきのようなものであり,そして
説明や証明が必要なのは神の存在である.どのよ
視点が生まれてきたからである.第2バチカン公会
辜の子ら』のハイニの母もウンガー先生も,ル・
やがて忘れ去られてしまう存在にすぎない.
(稲垣
うにして超越的な神の存在を立証するか,つまり
議(1964 − 1968)において,ラーナーは率先し
フォールの小説の登場人物は世間からは不信仰者
2,3)
は超越的な神を肯定する必然性を示すことができ
て公会議を主導し、それゆえに彼の主張に類似した
と言われつつも,心の底では神を認め,神を求め
ル・フォールの登場人物たちのうち,このような
るか,ということが現代のカトリック思想家の課
思想が同公会議の公文書で表明されている.すなわ
てやまない.これは決して本当の不信仰者とは言
明白な意識を持って人間の存在の根底についての考
題なのである.言いかえると,人間は自分の力に
ち,キリスト教会に属している人であっても,「終
えない.おそらくこのことはル・フォール自身の
慮をしているのは,科学者や教授,高位聖職者など
よってこの地上に築き上げるものに最終的な希望
わりまで愛にとどまらず,
『体』では教会のふとこ
人間観に由来するものである.彼女にとって,人
の知的階級の人々のほんの一握りである.たいてい
をかけることができず,人間の使命は地上的なも
ろにとどまりながらも,
『心』でとどまっていない
間とは神の愛の啓示が実現成就される場所であ
の人々は,ただ理解不能の不幸に遭遇し苦しむのみ
の,時間的なものにつきるのではなく,究極的に
者は救われない」
.
(
「教会憲章」14, 公文書 99)つ
る.人間自身が気付かなくても,人間の内部には
であり,その意味の重要性を,最初からあるいは早
は永遠なるものによって意味を与えられざるを得
まり心からキリストの救いを信じ、その教えを実践
常に神の愛が宿り,その意味で真の神の似姿なの
くから理解する人は主人公以外はいない.そのよう
ないこと,それを示すことが現代のカトリック思
する気持ちがないならば、たとえ教会に所属してい
である.従って,彼女にとって人間は常に神に愛
な何もわからない多くの人々に,主人公は彼らの遭
想家の課題なのである.( 稲垣 6) ル・フォー
ても,キリスト教の真の信仰者ではないと言われる.
されている存在であり,救いへの希望の内にある
遇する不幸と苦しみの意味を自らの行動によって表
ルの作品の語り手たちの「人間の力だけでは充分
しかし一方,教会に一切所属せず,教会の外にあっ
存在である.彼女の描く人間たちが,たとえば,
現し,理解させるために存在する.先述のヴェロー
ではない」という言葉は,まさに,この課題を人々
て,自分自身もキリスト教を信じていないし,他の
ハイニの叔父のように悪人と思われるような人で
ニカ,ブランシュ,バルビー,ハイニ,アラベラな
に突きつけたものといえるだろう.彼女の作品の
人々からもキリスト教信者と見なされない人々につ
あっても,良心の呵責に否応なく苛まれ,その点
どがそうである.彼らは,その行動や態度によって
登場人物たちは全員,戦乱や革命による不幸や苦
いて,条件付きではあるが,公文書は次のように肯
で基本的には良心を持ち,結果的に善良であるの
人々に苦悩の意味するところを示唆している.した
難を通じて,自分の力によって誰をも救うことが
定的に述べている。
「…また救い主はすべての人が
は,ル・フォール自身の持つそのような人間観に
がって,ル・フォールの主人公たちは稲垣氏の言う
できない人間存在の卑小さと悲惨さに,いやおう
救われることを望むのであるから(1 テモテ 2, 4 参
よるものであろう.
ところの超越の弁証,すなわち人々に「神の存在を
なく気付かざるを得ないようになる.彼らの苦悩
証言し,それを目に見えるように明らかに見せ,そ
の姿は,実は読者にとっても,作品という鏡を通
して神の現存を理解させる」という目的のために存
して見せられた自分の存在の様相でもある.読者
在しているといっていいであろう.このことは宗教
たちにもまた,自らの存在の根源をふりかえるこ
照),影と像のうちに未知の神を探し求めている人々
からも,神はけっして遠くはない.
…誠実な心をもっ
むすびに
て神を探し求め,また良心の命令を通して認められ
る神の意志を,恩恵の働きのもとに,行動によって
稲垣氏によれば,現代カトリシズムの固有の使
的離反が著しい現代のキリスト教が置かれている状
とが求められているのである.
実践しようと努めている人々は,永遠の救いに達す
命と存在理由は「超越を証言し,弁証すること」
況を考慮すれば,最重要の神学的課題であろう.
神の現存を立証するために,現代のカトリッ
ることができる」
.(「教会憲章」16,公文書 101)
である.そして,それは人間が自己の存在の根拠
稲垣氏によれば,中世においては,神の存在は自
ク思想家たちはニュアンスに多少の違いはあって
すなわち,稲垣氏によれば自らそれと意識しない
をもとめて,自己の存在の最も奥深いところに立
明のことであり,その神の言葉を信じ,それを理解
も,人間の生命がそこに集約されているような経
でも,或いはかえってその反対のことを表明してい
ち帰り,そこに創られた者としての徴しを読み取
することが神学の目指すところであった.そしてこ
験に目を向け,その意味や根拠を探ることを通じ
ても,実際の行動においてキリスト教の教えを実践
ることができるという能力,超越への能力をもつ
の世の存在が神の否定につながらない道を探すこと
て,神に行き着くという手法を執っていると稲垣
しつつ生きている無数の人々が存在する.キリスト
ことによって,達成されるという.すなわち,人
が大切な課題であった.それを解決したのは,
「す
氏は述べている.( 稲垣 6) ル・フォールもまた作
者は制度や組織に所属することで安住しないで,他
間は全自然界のうちで唯一,創造主を離れては虚
べてのものは神によって在る」という答えであっ
品において,古えのアウグスティヌスがその著書
の人々と対話し,そのことを通して,ともに真の自
無であることを知っている存在である.そしてそ
た.それはすべてのものに神が内在することを意味
『告白録』において「あなたはわたくしたちをあ
己に立ち返り,互いに完全な人間性の成就に向けて
の能力によって創造主に向かおうとする.この能
し,つきつめれば,中世においてはどのようにして
なたにむけて創られたので,わたくしたちの心は
努めるべきであり,そうすることによって,教会の
力がトマス・アクィナスの言うところの「無限へ
神はその超越性を失わずに世界に内在できるかとい
あなたのうちに憩うまでは安らぎを知りません 」
未来への希望が拓かれるというのである.
の能力」であり,そこに人間の偉大さと尊厳と栄
ル・フォールの思いもまた,このような万人に
光が存在すると氏は主張する.他方,超越を否定
16) Augustini Confessioum libri Ⅲ ( 宮谷宣史訳 ):告白録 ( 上 ),アウグスティヌス著作集第 5 巻 1, ( 教文館 ) 1993.
16)
24
9) WG: Gertrud von le Fort: Woran ich glaube und andere
(Confessioum, 第1巻・第 1 章 ,20)と述べた言葉
はしなかった.このために,遂に彼女は信仰回復
を根拠に,他の何物によっても和らげられない人間
の道に至るすべての望みを断たれて,教会に別れ
の渇望,不満,不安に目を向け,それを作品におい
を告げたのである.
て描き,神の現存を人々に告知しようとしたと思わ
「おお,それなら,私はあなた方から解放され
れる.そこでは自己の希望を達成し,実現すること
ることを喜びます!本当に,あなた方も同じ目に
11) Confessioum: アウグスティヌス(宮谷宣史訳):告
は,神へ向かって超越しようとすることを意味して
お会いになる日がやがてくるでしょう.あなた方
白録 ( 上 ),
『アウグスティヌス著作集』
第5巻1(教
いる.ル・フォールの創作した主人公たち,ブラン
が滅ぼす同じ科学が,いつかあなた方を滅ぼすで
文館 ) 1993.
シュやバルビーや,ヴェローニカなどは,このよう
しょう」.(TH422)
な人間の渇望を最も純粋かつ先鋭に具現化した人物
彼女が言ったこの言葉通り,近代科学精神の象
参考文献(引用文献以外)
である.彼らはそれゆえ、
多少の時間はかかっても,
徴である若いドイツ人科学者は,教会からは遥か
1) 『聖書 新共同訳−旧約聖書続編つき』共同訳聖書
あるいは最初からその使命を悟り,一直線に神に向
に離反してしまったのである.これを回復するに
かい,人々に神の存在を立証する役目を果たさねば
は教会の側からの,人々に対する不断の愛の呼び
ならないのである.この論攷で扱っている不信仰な
かけが不可欠であることをル・フォールは主張し
登場人物たちは,その意味では,彼らに依存し彼ら
ているのではないだろうか.不信仰者はこのとき,
に導かれて自分の存在の根源に目を向け,理解にい
教会の現実の姿を写し出す鏡であろう.
たる普通一般の人間たちである.
おわり
いということである.そしてそのためには,神の意
この論攷本文で用いた引用文献は次のように略
志を体現する教会の人々への対応が大切であること
して表示した.また引用個所は本文中に,引用文
を主張する.その対応とは,具体的には,不信仰者
献略語の後に,引用個所を挙げ , 頁はアラビア数
や教会の敵に対しても,常に寛容な,愛に満ちた態
字で,( 引用文献 , 引用個所 , 頁 ) または ( 引用文献 ,
度をとり,神の愛の意志を彼らの目から見てもわか
頁 ) のように表記した.
りやすく体現することである.
1) LS: Gertrud von le Fort: Die Letzte am Schafott,in:
Die Erzählungen, (Insel Verlag, Ehrenwirth Verlag)
愛する恩師を教会が赦してさえくれれば,自分も信
仰を取り戻すであろうと,一縷の望みを教会の象徴
である枢機卿に託して,敵を抱き寄せる愛こそがキ
リスト教の教会のとるべき態度ではないのかと,必
1966.
2) AJ: Gertrud von le Fort: Die Abberufung der Jungfrau
von Barby, in: Ibid.
3) SV: Gertrud von le Fort: Das Schweißtuch der
Veronika, München (EhrenwirthVerlag) 1967.
4) DU: Gertrud von le Fort: Die Unschuldigen, in: Die
Erzählungen, (Insel Verlag, Ehrenwirth Verlag) 1966.
この彼女の救いを求める最後の願いに対して,枢
5) TH: Gertrud von le Fort: Am Tor des Himmels, in:
Ibid.
機卿は「教会は,... 裁く時でさえ愛しているのだ
6) PU: Gertrud von le Fort: Plus ultra, in: Ibid.
よ.しかし,教会を裁く権限はお前にはないのだ」
7) D: Gertrud von le Fort: Der Dom, München
(EhrenwirthVerlag) 1968.
死に訴えている.
(TH422) と答えて,彼女と彼女の恩師を赦そうと
実行委員会(日本聖書協会)1994.
2) 小田垣雅也:キリスト教の歴史 ( 講談社学術文庫
1178) 2005.
3) M.シュミット ( 小林謙一訳 ):ドイツ敬虔主義 ( 教
4) アビラの聖テレサ ( 高橋テレサ訳 ):神の憐れみ
の人生(上・下)
,鈴木宣明監修 ( 聖母の騎士社 )
引用文献の表示について
仰を取り戻したいという思いを抱いている。彼女は
議公文書全集』別巻,
(中央出版社)昭和 44 年.
文館 ) 1992.
端的に言えば,神の救いへの希望を棄ててはならな
信仰を失ったが,それでも最後の最後まで何とか信
Aufsätze, (Verlag Die Arche) 1968.
10) 公文書:公会議解説叢書7,南山大学監修『公会
彼らに向かってル・フォールが主張したいことは,
『天国の門』のなかで,枢機卿の姪ディアーナは
25
Vol.2 (2008)
8) 稲垣:稲垣良典:現代カトリシズムの思想,(岩
波新書 781)1971.
2006.
5) 十字架の聖ヨハネ ( 東京女子カルメル会訳 ):霊の
賛歌(ドン・ボスコ社)1989.
6) エルンスト・トレルチ ( 安酸敏眞訳 ):信仰論(教
文館)1997.
7) ヨーロッパ・キリスト教史 Ⅵ 現代 ( 中央出版
社 ) 昭和 46 年.
8) F.W.ヴェンツラッフ=エッゲベルト ( 横山滋
訳 ):ドイツ神秘主義 ( 国文社 ) 昭和 54 年.
9) 須沢かおり:エディット・シュタイン 愛と真理
の炎 ( 新世社 ) 1993.
10) M.グラープマン ( 下宮守之・藤代幸一訳 ):カト
リック神学史 (創造社)
昭和 46 年.
11) 林健太郎:ワイマル共和国 ( 中公新書 27) 昭和
46 年.
12) Dichtung ist eine Form der Liebe Begegnung mit
Gertrud von le Fort und ihrem Werk. Zum 100.
Geburtstag am 11. Oktober, 1976, Hrsg. von Hedwig
Bach, München (Ehrenwirth) 1976.
13) Maria Eschbach: Die Bedeutung Gertrud von le Forts
in unserer Zeit, Westfalen (Verlag J. Schnellsche
Buchhandlung <C.Leopold‐Warendorf>).
14) Gisbert Kranz: Gertrud von le Fort Leben und Werk
in Daten, Bildern und Zeugnissen, (Insel Verlag)
1976.
27
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2 (2008)
—Articles—
男女平等とケイパビリティ・アプローチ
∼アマルティア・センをてがかりに
伊藤 信也
Gender Equality and Amartya Sen’s Concept of ‘Capability Approach’
Shinya ITO
Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1, Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan
(Received November 9, 2007; Accepted November 26, 2007)
In this paper, first of all, I tried to make clear that the concept of ‘capability approach,’ a basic concept of the ethical
thought of Amartya Sen (1933-) is effective for the theoretical development of gender equality. Sen said that human
beings are thoroughly diverse, but the powerful rhetoric of ‘equality of man’ often tends to deflect attention from
these differences (A. Sen, “Inequality Reexamined”). He also argued that human beings are all ‘egalitarians’ because
they want equality of something that has an important place in a particular theory. He therefore raised the question of
‘equality of what?’(Ibid.)
Sen thus made a distinction between ‘achievement’ and ‘the freedom to achieve,’ and thought the latter was more
important. He said that ‘a person’s capability to achieve functioning that he or she has reason to value provides a general
approach to the evaluation of social arrangements,’ and called this the ‘capability approach,’ adding, ‘and this yields
a particular way of viewing the assessment of equality and inequality.’(Ibid.). Therefore, the capability approach is
incompatible with the “utilitarianism approach” which measures the benefit that an individual receives through utility.
I argued that this “capability approach” is very significant in a consideration of gender equality policy in Japan. It
seemed to me that because such policy is utilitarian in tendency this raises serious questions as to the effectiveness of
the policy. My conclusion was that “capability” is a universal and social concept in the light of which new theoretical
possibilities are opened for the examination of “gender discrimination” problems.
Key words——capability approach; gender equality; utilitarian policy
はじめに
多くの著書で知られる研究者である.その業績が
認められて 1998 年にノーベル経済学賞を受賞し
インドに生まれたアマルティア・セン(Amartya
た.
Sen, 1933-)は,厚生経済学で多くの業績を生み
彼の理論の鍵となる基本概念「ケイパビリティ
出した研究者であり,経済と倫理を結びつける数
(capability)」 を, 人 々 の 福 祉(well-being) に 充
1)
大阪薬科大学(非常勤講師)
,e-mail: [email protected]
1) 従来は「潜在能力」と訳されてきたが,本稿ではカタカナで「ケイパビリティ」とした.この用語について牧野広義は「その〔潜在能
力という〕訳語ではその意味が十分に伝わらず」
,以下の二点で誤解される恐れがあるとする.第一は,日本語の「潜在能力」は「個
人に内在するものと理解される」が,センの言う capability は「経済制度・教育制度・医療制度などによって社会的に保障される個人
の能力」という理解であり,それを妨げる恐れがあること.第二は,日本語で「潜在能力」は「見えない」能力を意味するので,そ
の程度は推測するしかなく,そのような不確定なものを基準として福祉や平等や貧困を測ることは不可能だと思われることである.
capability は具体的な「機能」の集合であり,行為の選択可能性である点でも,「潜在能力」という訳語は不適切だとしている.筆者
も牧野の方向性に全面的に賛成であり,訳語をカタカナ表記とした.牧野広義:現代倫理と民主主義(地歴社)2007 年,78 ∼ 79 ペ
ージを参照.
28
29
Vol.2 (2008)
実させるという視点で,貧困と不平等という問題の
要求する理論であったからだという.「所得平等
2 ページ)
.
「平等」のために「不平等」が必要に
られることや社会生活に参加できること)まで含
解決を提起している.彼はインドの女性がおかれて
主義」「厚生平等主義」「古典的功利主義」
「純粋
なるという状況を説明することは意外に難しいも
む幅の広い概念」
(同書 6 ∼ 7 ページ)である.
「人
いる状況を観察し,自身の平等論に取り入れている
なリバタリアン」など,それぞれの理論の中で重
のである.差別や人権問題を説明する際,
「平等」
の存在はこのような機能によって構成されてお
ことでも知られている.
要な位置を占める何かについての平等を求めてい
とは相手の誤解が生じやすい言葉であるのは事実
り,人の福祉の評価はこれらの構成要素を評価す
この彼の理論を「男女平等」
(ジェンダー・イクォ
る点では共通していると言い,つまり「ある面で
である.
る形をとるべき」
(同書 59 ページ)だとしている.
リティ,gender equality)の問題に応用しようとす
はみな平等主義者である」という共通の特徴の存
センによれば,
平等は「ある人の特定の側面(例
「機能」の概念と密接に関連するとして挙げて
る動きが既に始まっている.昨今の日本ではセンの
在によって,社会制度に対する提案は,すべての
えば,所得,富,幸福,自由,機会,権利,ニー
いる概念が,
「ケイパビリティ」である.この概
業績を紹介することが一種の流行といった様相であ
人々に対して等しい関心を払う必要があることを
ズの充足など)を他の人の同じ側面と比較するこ
念は「人が行うことのできる様々な機能の組合せ」
るが,日本の研究者によるセンの業績を紹介した著
意味し,それを欠いていれば提案は社会に受け入
と」
(同書 2 ページ)によって判断できるという.
(同書 59 ∼ 60 ページ)を表している.従ってケ
作の一つである『アマルティア・センの世界』
(2004
れられないと,センは述べている.
このような不平等の判断は,そのような「比較を
イパビリティは,個人の自由である「様々なタイ
年)では,センを囲んでジェンダーに関するワーク
こうしてセンによれば,「平等」という概念は
行う変数(所得,富,幸福)の選択」
(同ページ)
プの生活を送る」自由を反映した「機能のベクト
ショップがオックスフォードで開かれていることが
二つの異なるタイプの多様性に直面する.一つ目
に依存している.この変数は内的複数性を持って
ルの集合」として表すことができる.機能空間に
紹介されている.
は「人間とはそもそも互いに異なった存在である」
いる.
「ある変数に関して平等であったとしても,
おける「ケイパビリティ集合」は,どのような生
センのケイパビリティ概念と「ケイパビリティ・
ということ,二つ目は「平等を判断するときに用
他の変数で見た場合にも平等であるとは限らな
活を選択できるかという個人の「自由」を表して
アプローチ」の概要,そして彼のジェンダー論に関
いられる変数は複数存在する」ということである
い」
(同書 3 ページ)
.その例としてセンは,機会
いる(同書 60 ページ)
.
の平等における非常に不平等な所得分配の可能性
センは「ケイパビリティ・アプローチ」の意義
2)
わる発言を取り上げ,
「男女共同参画」を進めてい
4)
(同書 1 ページ).
るはずの日本において効果的な施策が進んでいない
一つ目の「人間とは全く多様な存在である」と
や,平等な所得分配が相当の資産格差を伴う可能
を以下のようにまとめている.
「個人が理性的に評
現状と対比させて,問題の原因を探るのが本稿の目
はどのように多様なのか.「相続した資産や自然
性,また平等な資産分布が非常に不平等な幸福と
価している機能を達成するケイパビリティは,社
的である.
的・社会的住環境などの外的な特性において異
共存する可能性,平等な幸福がニーズの充足の面
会のあり方を評価する一般的なアプローチを提供
なっている」だけではない.「年齢,性別,病気
で大きな格差を伴う可能性,ニーズの充足におけ
する.そして,それによって平等と不平等を評価
1. センの「ケイパビリティ・アプローチ」
に対する抵抗力,身体的・精神的能力など」の「個
る平等が全く不平等な選択の自由と結びつく可能
する新しい視点がもたらされる」
(同書 6 ページ)
.
人的な特性」でも異なっている.つまり,人間は
性,等々を挙げる(同ページ)
.
ただ,このアプローチは他のものに比べて「それ
センの「平等」理解は独特である.日本では一般
あらゆる面で多様な存在であることをまず認めな
なぜ平等主義は多様に存在しうるのか.センは
ほど断定的でもないし,完全なものでもない」
(同
に辞書的な説明のように「かたよりなく,同じにす
ければならない.
言う,
「ある理論が重視する空間上ですべての人々
書 7 ページ)とし,すでに完成された理論とは言
る」と理解されがちであるが,
人間に対して「平等」
その上で,例えば「人は生まれながらにして平
が等しい配慮を受けられないならば,その理論が
えないこと,幅のあるものであることを認めてい
であれと言う場合,どの状態を「平等」とし,どの
等である」といったような命題のレトリックで「個
倫理的な妥当性を得ることはできない」
(同書 5
る.
状態を「不平等」
とするかで語句の理解は全く異なっ
人間の差異を無視すること」は,実は「非常に
ページ)からであると.
「ある特定のレベルです
機能を達成するケイパビリティに焦点を当てる
てくる.
反平等主義」であるとセンはいう.つまり,すべ
べての人に等しい配慮をすることがなければ,そ
ということは,
「所得や富や幸福などの変数にの
著作『不平等の再検討』
(1992 年)でセンは,
「平
ての人に対して平等に配慮しようとすれば不利な
の倫理的理論が社会的に受け入れられることは困
み着目する従来の伝統的なアプローチとは本質的
等についての分析や評価の中心にある問題は『何の
立場の人を主に優遇することになって,他の人に
難である」
(同ページ)
.だからこそ問われねばな
に全く異なったもの」
(同書 8 ページ)だとセン
平等か』であると,
私は本書で主張したい」
(vii ペー
とってはかえって「不平等な扱い」となる,とセ
らないのは「何の平等か」
,ということになる.
は言う.特に功利主義は
「快楽や幸福や欲望といっ
ジ)と述べている.なぜなら,
「社会制度の倫理的
ンは指摘するのである.だから,
「対処すべき不平
センは「達成するための自由」という観点で,
た心理的特性によって定義される個人の効用にの
アプローチの中でも歳月の試練に耐えて生き残った
等が多数存在しているとき」ほど,
「本質的な平等」
特定の理論が重視された空間を擁護する.そこで
み究極的な価値を見出す」ため,
「自由を無視し成
もののほとんど」
(同ページ)が,何らかの平等を
を求めることは特に困難で複雑になる(同書 1 ∼
提出される基本概念は「機能」
(functioning)で
果にのみ注目すること」と「心理的尺度によって
ある.
「機能」とは,
「最も基本的なもの(例えば,
測れないような成果を無視すること」という二つ
栄養状態が良好なこと,回避できる病気にかから
の方法によって個々人の優位性を取り入れた「制
ないことや早死にしないことなど)から非常に複
限の強いアプローチ」
(同ページ)だと批判する.
雑で洗練されたもの(例えば,自尊心を持ってい
この功利主義のような個々人の優位性を見る方
3)
2) 絵所・山崎編著:アマルティア・センの世界(晃洋書房)2004 年.
3) A. セン著(池本ほか訳)
:不平等の再検討 潜在能力と自由(岩波書店)1999 年.A. Sen: Inequality Reexamined, New York 1992. 本文
中の引用ページ数は訳書のもの.以下同じ.訳文は訳書を参照しつつも,原書を参照して訳語を適宜変更している.
4) ただし,日本語では「平等」という語句の使用を避けて「公平」や「均等」などを使用する場合も多い点は指摘しておきたい.
30
法では,「固定化してしまった不平等が存在する時」
31
Vol.2 (2008)
6)
平等の再検討』より以前の論文「何の平等か?」
報酬の格差は不平等を構成する重要な要素である
り一層深い理解が得られる」という.
(同書 9 ページ)は特に限界があるという.例えば
(1980 年)においても論じられている.そこでは,
が,しかしそれ以外にも例えば「世帯の中におけ
これらの「ケイパビリティ・アプローチ」の
それは「階級,ジェンダー,
カースト,
コミュニティー
批判対象である功利主義や厚生主義,そしてロー
る分業のあり方」
,
「医療や教育を受けられる程
考え方に基づいて,センは世界各地で講演活動
に基づく持続的な差別」がある場合を指す.そうい
ルズの正義論の全部に欠けているものは「基本的
度」
,
「享受できる自由」など多くの領域で便益の
を行っている.彼は現在,
「人間の安全保障」を
う場合は特に重要な意味を持ってくる.
というのも,
ケイパビリティ」(basic capabilities)だとして,
差別があると捉えている.
(同書 195 ページ)
重要なテーマとして講演活動を行っている.その
それは「人がある基本的な事柄をなしうるという
社会的性差間の不平等は,
「予防可能な病気や
テーマの重要な課題として,人間の基礎教育の重
を言い続けているわけにはいかない」からであり,
こと」(253 ページ)だと規定する.
避けられることのできる死を免れる」といった基
要性を訴えている.
「人間の安全を脅かすものは
また「状況を急激に変えようと望む動機すら欠いて
そこでセンは身体障害者を例に挙げる.
「身体
本的な機能の違いと,それに対応するケイパビリ
さまざまにあり,
テロや暴力によるもの」
(セン『人
いるかもしれない」
からである.実際その逆境と「う
を動かして移動する能力」のほかに,
「栄養補給の
ティの格差を反映しているという.センのこの議
間の安全保障』
,9 ページ)ばかりではない.セン
まく付き合い,小さな変化でもありがたく思うよう
必要量を摂取する能力」,「衣服を身にまとい雨風
論における関心事は,不平等を引き起こす諸要因
はその立場からノーベル賞の賞金を使って 1998
にし」,不可能なことを望まないようにして生きた
をしのぐための手段を入手する資力」,さらに「共
ではなく,不平等問題の性質を明らかにすること
年にインドとバングラデシュに「基礎教育と社会
ほうが戦略的に理にかなっている場合もある.「適
同体の社会生活に参加する権能」といった能力も
に向けられる.この点で彼は「伝統的な所得アプ
的な男女平等の達成を目的とした」
(同書 11 ペー
切な栄養を摂り,そこそこの衣服を着,最低限の教
ケイパビリティに含められるとしている.こうし
ローチから離れて,機能とケイパビリティを直接
ジ)財団を設立している.
育を受け,適切に雨風を防げる場所に住むという機
た「ケイパビリティの平等」が平等を論じる際の
検討することへ移行すること」が「重要なステッ
センはまず,読み書きができなければ,人間は
会」すら欠く人々も「効用」を尺度にしている限り
課題となる.
プ 」 だ と 認 識 し て い る( 同 書 196 ∼ 197 ペ ー
法的権利を理解し,訴える能力が制限されること
ジ)
.ここで言う「伝統的な所得アプローチ」とは,
に目を向ける.
「自分たちに何をどのように要求
GNP,GDP で「貧富の差」を測るようなアプローチ
する資格があるのか,読んで理解する能力がない
のことである.
ために,彼らの権利は事実上,奪われ」
(同書 14
「永続的な逆境や困窮状態」では「嘆き悲しみ不満
5)
困窮の程度が覆い隠されるかもしれないと,センは
言う(同ページ)
.
2. センの「ジェンダー」問題への視点
このように,功利主義に基づく効用アプローチと
7)
は対照的に,「ケイパビリティ・アプローチ」は「困
センの思想は,「ケイパビリティ・アプローチ」
発病率や死亡率で格差が甚だしくない場合で
ページ)るから,
「教育の格差と社会の階層との
苦を強いられている人々が基本的な機能を達成する
という思考方法から出発して,ジェンダーに関す
も,例えばサハラ以南のアフリカを例に挙げて,
関係は明らか」
(同ページ)だと言う.
自由を欠いているということを直接説明することが
る諸論点にも広く考察を広げている.
「読み書きする」
,
「割礼などの身体切除を避ける」
,
そしてセンは,この格差が「社会的な性差」と
できる」(同ページ)としている.
まず前節で紹介した『不平等の再検討』の中で,
「独立したキャリアを歩む自由がある」
,
「リーダー
も関連しているとしている.これはジェンダーに
そして「ケイパビリティ」は,これまで平等につ
「階級,ジェンダー,その他のグループ」に関す
シップを発揮できる立場に立つ」などのケイパビ
関わる問題を指している.なぜなら「女性が安定
いて支配的であった「機会均等」の概念とも異なっ
る比較的短い考察がある.この中でセンは,人々
リティにおいては,男女間で依然として歴然とし
して暮らすうえで,このことがきわめて重要な問
ている.基本的な意味では,ケイパビリティはその
の間に相違を生み出す諸要因は,階級に関連する
た差が見られることが多いという.
(同書 197 ペー
題となりうるからです」
.
「読み書きができないた
人の目的を遂行する
「機会」
を意味してはいるが,
「機
ものと,そうでもないものがあるとしている.例
ジ)
めに,女性は当然の権利をしばしば奪われていま
会均等」は全般的な自由を表すものではありえない
えば「黒人であることに伴う貧困は階級によるも
また生存と死亡率で女性の方が相対的優位に
す.読み書きができないことは重大な障壁なので
とセンは言う.その根拠を二つ挙げている.一つは
のだけではない」という.「人種格差の存在する
立っている「ヨーロッパや北米などの豊かな国々」
す」
(同ページ)
.センは基礎教育の充実が法的権
「人間の基本的な多様性」によって機会均等では自
社会で人がどう見られるかは,その人の外見的な
においても,多くの社会的機能における格差は重
利の行使に直結していると考えている.
「彼女ら
由を保障し得ない,そしてもう一つは「標準的に定
特徴に強く影響され,多くの場面で機能の達成を
大な意味を持つ.先進諸国でも「機能やケイパビ
が法的にもっている,あまり多いとは言えない権
義された『機会均等』の分野には入ってこない様々
妨げる方向に働く」(同書 194 ページ).
リティのように本質的な要素を比べることで,よ
利(たとえば,土地や財産の所有,不公平な判断
な手段(所得や富など)の存在とその重要性」だと
この文脈で特に関連がある分類として,センは
している.だから「真の機会均等」を捉える適切な
「ジェンダー」を挙げる.「異なる社会において男
方法は「ケイパビリティの平等」でなければならな
性と女性が享受している自由には構造的な格差が
い,と結論づけている.
存在し,これらの格差は所得や資源に還元できな
この「ケイパビリティの平等」については,『不
いことが多い」とセンは捉える.男女間の賃金や
5) A. セン著(大庭・川本訳)
:合理的な愚か者(勁草書房)1989 年所収.A. Sen: Choice, Welfare and Measurement, London 1982.
6) ただし,
この
「ケイパビリティ・アプローチ」
を用いれば,
自動的に男女平等の促進に貢献するわけではないという意見もある.前掲書
『ア
マルティア・センの世界』の「第7章 センとジェンダー」の中で,I. ロベインスの「保守主義的ケイパビリティ分析」という議論を
紹介している.端的に言えば,
選好された機能を自発的に用いたカップルが「男は外に出て働き,
女は家庭を守る」といったような「性
別役割分業」をすすんで行う可能性を「ケイパビリティ・アプローチ」は否定していないという見方も可能だという意見である.しか
し,センにとって関心があるのは,後述するように自らの意思に反して人生を決定づけられ,機能の貧困な状況に置かれた女性の人権
を尊重し,豊かな「ケイパビリティ集合」を獲得し,自らで人生の決定権を行使しうる能力を育てることであるから,
「性別役割分業」
を否定するか受け入れるかは,自立した女性の判断にゆだねられていることになるだろう.だから,女性本人が自発的に「専業主婦と
いう人生」を選び取っていると言えるかどうかについて,
「ケイパビリティ・アプローチ」は何らかの判定を下しているわけではない.
7) A. セン著(東郷えりか訳)
:人間の安全保障(集英社新書)2006 年.センが 2003 年に行った講演を訳したもの.
32
33
Vol.2 (2008)
や不当な扱いへの抗議など)ですら,行使できず
が,近年の研究で明らかになったとしている.
最も極端なケース」は,
「女子のための学校の閉
別の法的な禁止が明確になった.また,不十分な
じまいになる可能性があるからです」
.
(同書 14 ∼
別の講演では,この点について更に詳しく説明
鎖」
,
「不運にみまわれた無力な女性たちに対する
がらも「間接差別」に対する禁止が盛り込まれた
15 ページ)
して,「女性の福祉について考慮され尊重される
レイプその他の残虐行為」であるという.このよ
り,妊娠・出産・産前産後休業等の休業取得を理
不十分な基礎教育によって法的権利の行使が阻害
度合いは,その女性独自の収入があるかどうか,
うな「人間の尊厳に対する冒涜行為」の問題に対
由にした解雇や不利益な取扱いの無効,男性に対
されるという問題は,主として開発途上国に限った
家庭外で雇用されているか,所有する権利を認め
処するためには,包括的な方法で取り組むことが
するものを含めた事業主へのセクハラ対策の義務
問題であるかのように感じられるかもしれない.だ
られているか,識字力が身についているか,教育
必要だと主張している.
づけ,なども追加された.これらが法律上だけで
が法的権利を行使しうる能力を十分に与えられてい
を受けた者として家庭の内外で意思決定に加われ
以上のように,センの「ケイパビリティ・アプ
なく現実の女性が置かれている状況を変える実効
るか,という問題には先進国である日本にも共通の
るかどうかに大きく左右される」
(同書 29 ページ)
ローチ」とその立場から主張されるジェンダー論
力を持つならば,日本女性の「ケイパビリティ」
課題があるのではないだろうか.センが「就業規則
と述べている.
には,平等論の根本から論理を構成している点で,
は豊かになるはずである.
書にある法的な権利が利用されないのは,往々にし
「このようなさまざまな特性(女性が収入を得
より普遍的な視点から男女平等の妥当性の根拠を
このような「均等法」の差別禁止が充実した背
て虐げられた側がその規則書を読めないからなので
る力,家庭外での経済的役割,識字力と教育,所
与えている.この観点で性による差別とその対策
景には,1999 年に成立した「男女共同参画社会
す」(同ページ)という場合,確かに「文字の読み
有権など)は,一見するとたがいに無関係のよう
を精査すれば,
「ケイパビリティの貧困」という
基本法」の成立と,その施策の充実を抜きに語る
書き」識字能力を指しているが,たとえば労働基準
に思えるかもしれません.しかし,すべてに共通
問題構造を浮かび上がらせる役割を大いに果たす
ことはできない.
法に定められている労働者の法的権利の存在自体を
するのは,女性の独立とエンパワーメントを通じ
だろう.
実効性のある男女平等のための国際的合意を積
知らず,その行使の方法が分からない労働者が居る
て,それらが女性の発言力と主体性を高める貢献
日本でも,「読めない」点では同じであり,問題の
をしていることです」.(同書 30 ページ)
本質に共通性を見いだすことができるだろう.
このようにセンは,女性の福祉の向上のために,
また,基礎教育の欠如は,
「自分たちの要求を効
女性の経済力や教育環境,所有権や独立した決定
果的に訴える能力」が制限され,政治的な機会を
権が重要であることを指摘している.
日本における性別を理由とした差別問題の様相
し,その理念は「男女共同参画」という耳慣れな
奪う(同ページ)
.さらに注目すべきは,センが基
さらに別の講演では,人間の尊厳は新しい脅威
は,センの母国である開発途上国インドと必ずし
い名称で表現されることになった.
礎教育が健康問題への取り組み,特に「感染症」に
に直面していると述べ,その例として「男女平等」
も同じではない.もちろんこれまで見てきたよう
この「男女共同参画基本法」の基本的な方向性
主要な役割を果たしていると述べていることである
問題を挙げている.センは「人間の尊厳」という
に共通点も多く認められるが,高度に発達した資
を確認したい.男女共同参画社会基本法第一条で
人類的課題が危機に瀕しているという認識に立っ
本主義社会である日本において,女性に対する差
は,四つの目的を明らかにしている.1.男女共
専門の保健教育が重要なのは「感染症の蔓延する
ている.「女性運動が発展して,さまざまな社会で
別事情はむしろ複雑である.残念ながら,現在の
同参画社会の形成に関し,
基本理念を定め,
2.国,
経路や病気の予防法」をみれば明らかだが,一般的
長い間続いてきた不平等に立ち向かい,男女平等
日本の女性政策(現在それは常に「少子化対策」
地方公共団体及び国民の責務を明らかにする,3.
な教育でも「流行病問題」に対処する上できわめて
の実現にこぎつけた時に,不平等の伝統を支持す
に矮小化される危険性をはらんでいる)のすべて
男女共同参画社会の形成の促進に関する施策の基
重要だと述べている.
る人々の側から抵抗がありました」と述べ,不平
が,センの言う「ケイパビリティ」を向上させる
本となる事項を定める,4.男女共同参画社会の
この基礎教育によって左右されるのは,女性の福
等の解消に向けた運動に必然的につきまとう「逆
方向には必ずしも働いていないという点を指摘し
形成を総合的かつ計画的に推進することを目的と
祉も含まれるという.
「女性の福祉が相対的にどう
流」に言及している.その結果,不平等問題の解
なければならない.
する.
考慮され尊重されるかは,女性の識字力と,教育を
消はしばしば停滞することもあれば,場合によっ
まずはそのために,近年の男女共同参画政策の
まず1.の「基本理念」が問題となるが,その
受けた者として家庭内外での意思決定に参加できる
ては後退が生じることすらあるとして,「後退現
歴史を振り返っておきたい.
前に「男女共同参画社会とはどういう社会を指す
かどうかに,強く影響されること」
(同書 16 ページ)
象」の事例を挙げている.「後退現象のなかでも
1985 年に制定された「男女雇用機会均等法」は,
のか」を明確にしておく必要がある.それは第二
制定当初から様々な制限がありつつも,総体とし
条第一項に定義されている.大変長く,文法的に
て女性の差別的な労働環境を改善することに貢献
読みにくい定義であるが,キーワードを拾ってい
してきた.2007 年 4 月に,この法律が改定,施
くと,男女が「対等」に,あらゆる分野で「参画
行された.この改定によって,男性を含めた性別
する機会」が確保され,均等に「利益」が「享受」
差別の禁止が明記され,労働の様々な場面での差
することができ,利益だけでなく「責任」もとも
(同ページ).
8)
9)
10)
8) 訳書では well-being の訳を「幸福」という字にウェル・ビーイングとルビを振っている.しかし,センの well-being の意味は「主観
的な満足」というよりは,客観的な生活の向上を指しており,他の著書で「暮らしぶりの良さ」を表す言葉として使用しており,本
稿ではその著書の訳語に倣って「福祉」と訳した.セン(池本・野上・佐藤訳):不平等の再検討(岩波書店)1999 年,の「訳者ま
えがき」を参照されたい.
9) 「人間の安全保障と基礎教育」
,前掲『人間の安全保障』所収.
10) 2000 年東京での講演「なぜ人間の安全保障か?」より.A. セン著(大石りら訳)
:貧困の克服 アジア発展の鍵は何か(集英社新書)
2002 年.
み重ねて,日本でも 1996 年から始まった協議を
3. 「ケイパビリティ」の視点から見た日本の
男女共同参画政策
経てようやく 1999 年に「男女共同参画社会基本
法」が全会派の一致で可決・成立した.こうして
日本の男女平等政策は新たな段階に入った.しか
34
35
Vol.2 (2008)
に担う社会,ということになる.
「女性お断り」と
周りを見渡してもほとんどの女性が忍従していれ
ただし,この GEM 指数は国連加盟国に比べて
タも掲載されている.育児休業制度があっても利
いう立場から単に
「女性も参加していいよ」
に変わっ
ば「こう生きるのが当たり前」と思わされるのは
調査対象国が少なすぎるという問題がある.また
用しづらい,できない状況がかいま見られる.当
たのではなく,両性が利益も責任もがっちりと分か
必然である.たとえ GNP,GDP が世界トップレベ
他の人間開発指数では日本は比較的上位を占めて
然のことではあるが,男女共同参画関係施策は実
ち合う社会が「男女共同参画社会」だということに
ルであっても,それが自動的にケイパビリティを
いることもあるので,GEM 指数だけで女性に対す
際に役立てられてこそ意味がある.
「ケイパビリ
なる.
保障するのではない.
る差別全般のレベルを判定することができないの
ティ・アプローチ」は,女性のケイパビリティの
定義に加えて,第二条第二項には「積極的改善措
客観的に男女共同参画の実態を調べる指標は国
は事実である.
貧困が男性のケイパビリティと繋がっていること
置」という名称で「ポジティブ・アクション」が明
際的に存在する.その代表的なものがジェンダー・
しかし,女性に関わる個別の統計でも,日本は
を認識させるのである.
記されている.日本の法規として画期的なこの規定
エ ン パ ワ ー メ ン ト 指 数(Gender Empowerment
驚くほどの低水準を「維持」している.
「独立行政
が第二条に登場するのは,この法律が国際情勢の影
Measure, GEM)である.この指数は国連開発計画
法人 国立女性教育会館(ヌエック)
」が作成した
響のもとに作られていることを示すものである.こ
(UNDP)が発表している「人間開発指数」の一つで,
「ミニ統計集 日本の女性と男性 2002-2003 年」
の「ポジティブ・アクション」の推進状況次第で,
「女性が政治及び経済活動に参加し,意思決定に
によるデータを列挙しても,
「2001 年現在で国会
本稿では最後に,
「ケイパビリティ」の視点で
日本における女性のケイパビリティの貧困の解消が
参加できるかどうかを測るものとされる.HDI〔筆
に占める女性議員の比率は世界の一院・下院比較
男女平等を考えていくための一つの材料として,
進むことが期待される.
者注:ジェンダー開発指数〕が人間開発の達成度
で 123 位」
,
「2002 年現在の地方議会に占める女
政府の女性に関する政策がどう捉えられているの
同法の「基本理念」は第三条から第七条までを指
に焦点を当てているのに対して,GEM は,能力を
性議員の割合は最も高い特別区で二割,最も低い
かを測る「世論調査」に焦点を当てる.
しているが,人権尊重,
社会制度や慣行への「配慮」,
活用する機会に焦点を当てている.具体的には,
町村議会では 4.9%」
,
「労働組合の執行委員のう
内閣府をはじめ,政府関連の団体では各種の意
社会的決定への「参画」
(参加ではない)
,家庭生活
国会議員に占める女性割合,専門職・技術職に占
ち女性が占める割合は五分の一」
,
「企業に占める
識調査によって様々に測っている.例えば内閣府
と他の活動の「両立」
,そして国際的協調,の五つ
める女性割合,管理職に占める女性割合,男女の
女性役職者は部長 1.8%,課長 3.6%,係長 8.3%」
,
大臣官房政府広報室は「男女共同参画に関する世
である.この基本理念に基づき,国・自治体・国民
推定所得を用いて算出している」(内閣府男女共
の責務を定め,政府・都道府県・市町村の「男女共
11)
12)
4. ケイパビリティの視点で意識調査を見る
「女性賃金は男性の 65%」
,
「女性雇用者ではパー
論調査」を毎年実施し,二十以上の設問で調査し
同参画局の説明).
ト等の非正規雇用が半数近い」
,
「女性単身勤労者
ている.これらの調査を使って「ケイパビリティ」
同参画計画」の策定(市町村に対しては努力義務)
この指数によると,残念ながら日本の国際的
の家計収入は全年齢層で男性より低い」
,
「母子世
を向上させるために役立てる方法はある.例えば,
とそれに基づく施策の実施など定めている.
な男女共同参画の順位は相対的に年々低下してい
帯の平均年収は父子世帯の半分に近い」
,
「女性就
その意識調査を用いて,企業が自社の製品を消費
このような基本法に基づいて,内閣府に男女共同
る.2001 年に測定可能国 64 ヵ国中 31 位だった
業率は上昇するも労働力と非労働力が半々.男性
者に実際に使用してもらって聞き取り調査をする
参画局が設置され,各種審議会や研究会,白書・統
日本は,2004 年で 78 ヵ国中 38 位,2005 年は
は四分の三が労働力」などなどである.
計調査等が実施されてきた.それでは現在の男女共
80 ヵ国中 43 位,ついに 2006 年には 75 ヵ国中
このように日本の女性のケイパビリティの貧困
ろう.つまり施策の認知・利用などの浸透状況を
同参画状況はどうなっているのか.ここで重要とな
42 位となった.2005 年からは統計参加国のうち,
は具体的に現れている.そして重要なことは,女
国民の意識レベルで調べればいいのだが,そうい
るのが国際的な統計調査である.センが功利主義に
上位半分にさえ入れなくなってしまった.しかも
性のケイパビリティの貧困な状況は,その女性
う点では意識調査は適していると言える.
よるアプローチを批判した意味はここでも重要であ
それは低下傾向にある.先進国でここまで低い国
と家計を一にする家族のケイパビリティを抑圧す
逆に意識調査は,多数の意見があることを根拠
る.前節でセンによる批判を取り上げたが,純粋な
は日本以外に無い.「ケイパビリティ」という面
ることでもある.例えば,ある女性が正規雇用の
にして,調査対象者の回答をもって問題は解決し
功利主義によるアプローチでは自分の国の中で女性
から言っても,女性が能力を活用する機会は先進
仕事を求めても求人が無く,やむなく非正規雇用
たとみなす危険性がある.例えば環境汚染のよう
がどんなに無権利な状態に置かれていたとしても,
国とは思えない低位を推移している.
で採用され勤務することによって生じるのは,女
に,実際に汚染物質が増加していても,地域住民
性の能力の発揮を阻害するだけではない.何よ
がその存在に気づいていなければ(たとえば放射
り収入の減少を伴うものである.その家族の家計
性物質は味も香りもない)
,汚染を「意識しない」
を圧迫し,その家族全員のケイパビリティを抑圧
状況が起こりうるのであって,その意識状況の調
する.また,先に取り上げたヌエックの統計集に
査結果を根拠として汚染対策の方向性を決定する
は,
「1999 年現在で育児休業制度のある事業所は
のは住民を危険に晒すだけである.
53.5%,育児休業取得者は出産者中 56.4%,配
日本の男女共同参画政策の重大な問題点の一つ
偶者の出産した者(男性)中 0.42%」というデー
なのだが,
「男女共同参画社会基本法」の基本理
11) しかし,内閣府男女共同参画局が平成 15 年から実施してきた「ポジティブ・アクション研究会」は平成 17 年に第 9 回をもって終
了している.
12) データの詳細については,国連開発計画東京事務所のホームページを参照.http://www.undp.or.jp/
他の人間開発指数について内閣府男女共同参画局が「男女共同参画白書」等に付している説明は以下の通り.
HDI 人間開発指数(Human Development Index)
「長寿を全うできる健康的な生活」,
「教育」及び「人間らしい生活水準」という人
間開発の 3 つの側面を簡略化した指数.具体的には,平均寿命,教育水準(成人識字率と就学率),調整済み一人当たり国民所得を
用いて算出している.
GDI ジェンダー開発指数(Gender-Related Development Index)HDI と同じ側面の達成度を測定するものであるが,その際,女性と
男性の間でみられる達成度の不平等に注目したもの.HDI と同様に平均寿命,教育水準,国民所得を用いつつ,これらにおける男女
間格差が不利になるようなペナルティーを科すことにより算出しており,「ジェンダーの不平等を調整した HDI」と位置付けること
ができる.
「モニタリング」のようなことを行えば有効であ
36
37
Vol.2 (2008)
念に謳われた「男女共同参画社会」にどこまで近づ
興味深いプレスリリースが公表された.2007 年
るように,すべての妊婦が獲得できる給付や必要
助ける政策は何か,という側面を(仮にセンの理
いているのかを知る尺度,つまり「男女共同参画社
11 月,日本のベビー用品メーカー「コンビ」に
になると感じている手当に対して認知率が上がっ
論を知らなくても)理解しているからこそ設定さ
会達成の指標」を何に求めるのかが,実は基本法の
よる「政府の少子化対策に関するアンケート」が
ているのが分かる.
れたアンケートだったと言えるだろう.
どこにも書かれていない.
発表されたのである.回答数は 1,113 人,回答者
その次の質問では,それらの施策の中で妊婦が
たった四つの設問であるが,妊娠・出産という
その結果,「えがりてネットワーク(男女共同参
はすべて妊娠中である.まさに当事者の生の声を
「一番魅力を感じる」施策を尋ねている.同じく
人生の重大な場面に直面している妊婦たちの率直
画推進連携会議)
」発行の『男女共同参画の形成に
集めてきたわけだが,その結果は政府の意識調査
10%以上あった回答は「児童手当の拡大(対象年
な声が,このデータには現れている.出産後の女
関する解説パンフレット』では,現在の日本が男女
のそれとは大きな隔たりがある.民間という立場
齢が小3∼小6)
」が 27.6%,
「児童手当の乳幼児
性の多くが育児の主たる責任も担わなければなら
平等とは言えない理由として,
国民の四分の三が「男
を活用して,政府の施策の認知度や好感度を直接
加算(0∼2歳までの児童手当が 5000 円∼1万
ないのが日本の厳しい現実であるが,当事者が抱
女の地位の平等感」について男性の方が優遇されて
調査しているのである.内閣府の男女共同参画に
円)
」が 19.6%,
「乳幼児医療費の自己負担軽減(3
える意識の有り様をこれほどリアルに導き出せる
いると感じていることと,
「固定的性別役割分担意
関する各種意識調査,世論調査ではその点につい
歳∼就学時まで)
」16.8%の順となっている.逆
意識調査も可能なのである.
識」について国際比較では日本が突出して「賛成」
て具体化する質問はまず出されない.
に「特定不妊治療費の補助の拡大」
(2.2%)や
と答えていること,この二つの指標を挙げる,とい
まず「1. 現在の内閣の少子化対策についてどう
「出産手当金の変更」
(2.1%)が極めて低率であ
うようなことが起こっている.
(下線は筆者)
思いますか?」の質問に対して,「取り組みが実
る.一目瞭然に見えてくるのは,妊婦らが魅力を
しかしここには,具体的にどの程度「性別役割分
感でき評価できる」と答えたのはわずか 2.8%で
感じているのは子育ての経済的負担に対する長期
「ケイパビリティ・アプローチ」は決して特別
担」がまかり通っているのかも分からなければ,何
あり,「取り組んでいる様子はあるが,内容が評
的継続的支援である.裏を返せば,妊婦にとって
に難しい思考法を求めているのではない.先に紹
がどうなっているために男女不平等と言えるのか,
価できない」が 35.8%,「取り組んでいる内容が
の今後の生活の不安材料は,育児にかかる諸費用
介したアンケートの妊婦達のように,人間は常に
という客観資料が何もない.このままもし,国民の
よく分からない」が 60.0%と回答している.千人
の長期的負担ということになる.
ケイパビリティ,言い換えれば実行可能な能力を
意識だけが変わったとしたらどうなるのだろう.実
以上の妊婦のうち,政府の少子化対策を知ってい
ではこの要求に対して,
「出産・育児をめぐる
保障してくれる施策を意識的・無意識的に欲して
際には傷は深いのに何らかの理由で痛みを感じてい
るのはわずか 3 分の 1 強であり,評価している妊
今後の政府の取り組みについて期待はあります
いる.その要求を自覚的に明らかにし,実現を目
なければ「傷が無い」と見なしてしまうのと同様に,
婦は 100 分の 3 以下である.政府にとっては愕然
か?」
,という最後の質問では,
「とても期待でき
指していくことが「ケイパビリティ・アプローチ」
(実際はそうでなくても)日本国民が「男女平等だ」
とする数値ではないだろうか.それ以外はほとん
る」1.6%,
「多少期待できる」42.2%,
「あまり
による男女平等への道と言えるだろう.
と思うようになれば,男女共同参画社会の「目標達
ど政策を「知らない」層となるが,これはセンが
期待できない」50.0%,
「まったく期待できない」
センは,国民間で基礎教育状況で激しい格差が
成」,と考えていると読むことも可能になってしま
指摘したように女性達が法的権利を知る機会を奪
6.2%と回答している.半数弱の妊婦は政府の取
ある開発途上国を例に挙げてジェンダー問題を取
う.まさにセンが批判した「功利主義」のアプロー
われている,という問題でも関連するだろう.妊
り組みに期待している.やはり長期的な財政支援
り上げ,
「ケイパビリティ・アプローチ」の必要
チである.意識は現実を反映し,現実の一部を構成
娠女性にとっての日本社会は,メディアが極度に
は生活維持にとって重要である.それを支えるの
性を論じたが,日本でも「ケイパビリティ・アプ
しはするが,現実のすべてではない.だからこそ意
発達していても必要な情報が知らされていない社
が国や自治体であることは否定できない.しかし
ローチ」によって迷うことなく男女平等へ向かう
識に左右されない指標を「共同参画社会」達成の指
会であり,深刻な事態であると言える.
その反面,政府には期待できないという声が半数
施策方向を明確にさせることは可能である.その
標とすべきであり,意識を抜きにしても現れざるを
さらに興味深いのは第二,第三の質問である.
を超している.それはこれまでの経験上そういう
理論化の作業は始まったばかりである.
得ない「差別」や「格差」の有無も問題にすべきで
2006 年以降に変更された,あるいは変更予定の
結論にならざるを得ない,という面もあるだろう.
ある.もしも「みんなが幸せだと感じられるように
施策の認知度に対しての質問(複数回答可)であ
子育てをこれから始めようとする女性達の半分以
なったら目標達成」と政府が考えているとすれば,
る.10%を超す回答は「出産・育児一時金の増額」
上が,政府の対策に「期待できない」と答えてい
客観的な差別の実態をわざと曖昧にしていると思わ
が 26.0%,「児童手当の乳幼児加算」19.5%,
「児
るのが,現在の日本の状況である.
れても仕方がないだろう.
童手当の拡大」が 16.9%の順となっている.勤労
アンケートの文章内に,ケイパビリティとい
女性のケイパビリティを的確に捉える意識調査は
者に対象が限定される「育児休業給付金の増額」
う視点を強調した表現が決してあるわけではない
13)
どうあるべきかという点について,一民間企業から
14)
(5.2%)などは下位に沈んでいるのを見ても分か
し,ましてやこのアンケートは「男女平等」を推
進するための政治的キャンペーンでもない.だが,
13) このパンフレットは 2007 年 11 月現在,内閣府男女共同参画局のホームページ(http://www.gender.go.jp/index.html)からダウン
ロードできる.
14) コンビ社ホームページ 2007 年 11 月 1 日付プレスリリースによる.調査期間は同年 9 月 3 日∼ 30 日 (http://www.combi.co.jp/
press/release/200728.pdf)
.ちなみに同社ホームページで公開されている,取り上げたアンケートの半月前に発表された「妊娠後パ
パが実践してくれたこと&出産後の生活に関するアンケート」の回答も,内閣府が調査を避けている内容について正面から触れてお
り,興味深い.
妊娠し出産を控えた女性が求めている「機能」を
おわりに
39
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2 (2008)
—Articles—
関係を認識するということ
̶映画『好きだ、』の分析と解釈を手掛かりとして
桝矢 桂一
On Knowledge as Relation among Objects
1)
—An analysis and interpretation of the film “su-ki-da”
Keiichi MASUYA
Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1, Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan
(Received October 19, 2007; Accepted November 19, 2007)
In this thesis I intend to show that the act of knowing in the epistemological sense is to know the relation among objects
and to make clear how such knowing is done.
I take a Japanese film, “su-ki-da”, which was released in 2005, as a concrete example to achieve this goal and make a
detailed analysis of its cuts from a spectator’s point of view. Then a discussion is made as to how the spectators come to
know and understand the whole story by connecting an individual cut with one or several other cuts and also by relating
various objects in a cut to each other.
The analysis and discussion conducted here, I am sure, clarify a great deal of what is meant by knowing the relation
among objects.
Key words——“su-ki-da”; film; epistemology
1. はじめに
(秋もやや,うらさびしくぞなりにける,いざかへ
2)
りなむ,草の庵に)を見て,そこに「秋萩帖」
(東
人間の認識行為とは,いかなる行為であろうか.
京国立博物館所蔵・国宝)の草仮名を見出すかも
それは,関係を認識することである.認識対象は,
しれない.この良寛の書に見られる草仮名の字体
常に,或る関係の中で認識される.
の多くは,
「秋萩帖」のそれと極めて似ており,又
例えば,良寛の書「安幾裳やゝ 宇羅散悲志久
良寛が「秋萩帖」に学んだことはよく知られてい
楚奈利尓け留 以散可弊理 な無久散能 意ほり耳」
る.人は,良寛の書において,
「秋萩帖」を認識す
大阪薬科大学(非常勤講師) e-mail: [email protected]
1) “su-ki-da”は,映画『好きだ、
』の公式ホームページ (http://www.su-ki-da.jp/) の表記に基づいている.欧文表記が,“I love you”で
なくて“su-ki-da”であるのは,その方が,映像による「好きだ」の表現に近いと考えられるからであろう.“su-ki-da”は,シーン 27
のカット 512 において,寝台のヨースケに向かってユウが口の形だけで「好きだ」を示すときの音を表記したものであると考えられ
る.そこに示されるユウの口の動きの映像にこそ,
「好きだ」は表現されている.この映画は,ユウとヨースケの間の微妙な感情の綾
など,内面的な関係の変化を,映像によって描き出すことを目指している.それは,概念的な次元において表現され得ないものである.
だから,この映画の表現の本質は,いかなる概念的なものによっても把握されない.それ故,“I love you”という言語的表現の枠の
中にあるものでなくて,
“su-ki-da”でなければならない.又,日本語のタイトル『好きだ、』において読点が打たれているが,それが
句点でなくて読点であるのは,その方が,素直に「好きだ」を言い切らないユウの心を表わすと考えられるからだろう.そして又,
「好
きだ」が口にされるとき,既に過ぎ去った 17 年の歳月やユウの姉の事故などは,もはや取り去ることのできない重いものとしてユウ
とヨースケの間に横たわっている.それ故,
『好きだ、』のタイトルは,単に「好きだ」とは言い切れないものを読点が表して,
「好きだ、
」
なのである.
2) 『良寛墨蹟大観,第四巻,和歌篇(二)
』
,( 中央公論美術出版,東京 ) 1994 年,参照.なお,スペースは改行箇所を表す.
40
41
Vol.2 (2008)
6)
るのである.その認識は,
良寛の書
「安幾裳やゝ…」
認識対象は,認識の起点をなすが,それだけで
いう主張としても解釈可能かもしれない.
えられる映画『好きだ、
』
(監督・石川寛/ 2005 年,
と「秋萩帖」との関係において成立すると考えら
認識が成立するのではない.認識を成立させる要
認識とは,対象を起点として認識者の領野が広
日本)を,鑑賞者の視点から分析し,人間の認識
れる.
因が,ただ認識者の外に存在する対象自体に限ら
がることである.認識者は自らの経験に基づく
「内
とはどのようなものなのかを論じたい.
一方で,現存する良寛の「秋萩帖」の臨書と,
「安
れるのだとしたら,認識がどのような仕方で成立
部世界」から導き出された「世界」の広がりの中
幾裳やゝ…」とは,別人の書であるかのように異
するとしても,それは常に一義的なものであろう.
に,認識対象を据える.しかしながらその一方で,
なる雰囲気を持つ.両者の異なり具合に,なぜ同
認識者によって異なるということは,あり得ない.
その「世界」の広がりは,依然として対象に導か
じ人の手になるものがそれほどまでに違うのだろ
関係とはどのようなことか.それは,複数のも
れるのだとも言える.少なくとも,それは,認識
この映画の全体の構成は大きく二つに分けるこ
うかと,色々と考えをめぐらせたりするかもしれ
のの関係である.認識とは,複数のものの関係と
者の恣意によって成り立つのではない.それどこ
とが出来る.ユウとヨースケの高校生の時を描く
ない.そのようなことを考えるのならば,それは,
して成立する.しかしながら認識対象が,初めか
ろか,認識対象を,認識者が一定の領野に据える
前半部,17 年後に二人が再会する後半部,の二
良寛の臨書を知る人故の認識に,基づくと言えよ
ら複数であるのではない.そうではなくて,認識
ことは,認識対象によって触発され促される行為
つである.前半部は映像を中心としてストーリー
う.良寛についての知識を持たない人が,良寛の
対象は一つである.良寛の書は,ただ一個の,単
だと言える.それは認識者の自己が触発され,認
が構築される.これに対して後半部は,前半部
書「安幾裳やゝ…」を見たならば,それは上記と
独の良寛の書として与えられる.そのような良寛
識に先立って自己を限定する仕方で成立する.何
に比べるとストーリーは音に依存して成立してい
は全く別の,単なる草仮名の書としてしか認識さ
の書に対して「秋萩帖」の何かを見るのである.又,
かが認識されるとは,対象が認識者の認識の下に
る.前半部の 94 に見られる流し撮りや 97 におけ
れないかもしれない.草仮名の知識がなければ,
或る物体について F = G (m 1 m 2) / R 2 という認識を
従わされなければならないが,このとき,認識者
る多重露出による映像効果は,前半部の,映像に
そこには,ただ,扇子に書かれた墨蹟の,芸術的
獲得する場合,万有引力の法則に従って落下する
の自己が認識に先立って限定されるべく触発され
依拠したストーリー構築をよく特徴付けるもので
な二次元の空間が広がるだけなのかもしれない.
物体が,認識の対象である.それは,認識に先立つ,
る.
ある.流し撮りの箇所ではユウの足音が表現され
その限り上述の関係は,認識対象に左右されるの
又認識者の経験に先行する,認識の対象なのであ
そのような「世界」の中で認識された対象は,
ず,そのことが逆に表現効果を増大させるのだが,
ではなくて,認識者に依存する.
る.認識は関係として成立するとしても,関係が
認識者の自己の一部と関わっている.認識者は,
音だけを頼ってユウが去ることを把握するのは不
別の例を考えてみよう.万有引力の法則を表す
対象の側から与えられたりはしない.関係は,認
対象において自己の何かを見るのであり,良寛の
可能である.97 の,95 を再度重ねる多重露出に
F = G (m 1 m 2) / R は,物体に関する一つの認識で
識の際に,認識者によって持ち込まれるのである.
書の認識において,認識者の既存の経験が認識対
よる表現箇所も,鑑賞者が音を手掛かりにしてス
ある.それはしかも,二物体の関係を表している.
差し当たり,認識とは,対象と認識者の関係の
象に関係付けられるのである.その限り,
「世界
トーリーを捉えることは全く出来ない.この他,
ある時にはそれは,
「物体は重い」ことを言い表す
中で成立する,と言える.対象は,このとき,認
に対する我々のアクセスは常に仲介されたアクセ
前半部の随所に配置される空のカットは,鑑賞者
に過ぎないかもしれない.単に個別的な物体につ
識者によって,認識が属するべき領野に置かれる.
ス」なのであり,認識者の認識能力や神経システ
の連想記憶のきっかけを作り出し,ユウやヨース
いて重さを感じる認識者の経験的な認識を表現し
認識とは,対象のあるがままを捉えるのではなく
ムによって,対象は「仲介」されねばならない.
ケの心の表現に関わっている.このような感情表
ているだけなのかもしれない.又一方で,それは,
て,認識者によって,対象が認識の領野に置かれ
この「仲介」は,対象の触発によって限定された
現を,映像なしに,音のみから解釈することはで
重さを感じるというその都度の個別の経験として
ることである.松本元によれば,「たとえば外部
認識者の自己の,能力やシステムによる仲介であ
きないし,むしろ又このような感情表現としての
ではなく,「あらゆる物体は重い」こととして問
世界が同じであるとしても,人は生まれ育った過
る.そのようにして,認識対象は認識者の既存の
映像表現が,前半部ではストーリーと表裏一体の
題になるのかもしれない.そしてその際一切の経
程での経験がそれぞれ異なるので内部世界が違っ
経験と関係付けられ仲介されるのである.
関係になっている.一方で,後半部が,ラジオド
験的なものが捨象された純粋な二物体の関係が考
ており,外部世界からの情報に対する応答が異な
本稿では,対象を起点として広がる「世界」の
ラマのごとく,完全に音からのみストーリー構築
えられているのかもしれない.そのときには,二
る」と言われる.又,それは,グレゴリーの,知
広がりが,即,映画表現として成立していると考
されている訳ではないが,前半部と比べれば,音
物体の関係は,前者の場合とは異なる普遍妥当的
覚として成立する対象 (object explored) は,知覚
なものとして表象されるだろう.
者の外に実在するもの (reality) とは別のものだと
3)
4)
2
5)
3) 古谷稔:秋萩帖と草仮名の研究,
(二玄社,東京)1996 年,226 ページ参照.
4) F は引力を,G は万有引力定数ないし重力加速度を,m 1 と m 2 はひきつけ合う二つの物体の質量を,R は二物体間の距離を表す.
5) 松本元:脳・心・コンピュータ,都甲潔・松本元編『自己組織化̶生物にみる複雑多様性と情報処̶』,(朝倉書店,東京)1996 年,
180 ページ.
7)
8)
2. 『好きだ、
』の分析
9)
6) Gregory, Richard Langton: Eye and Brain: The Psychology of Seeing, 1st ed. 1966, 5th ed. Princeton, New Jersey (Princeton University Press)
1997.
7) 詳細は,拙論:認識論的自我の自発性̶ニューラルネットワークのパイオニア的存在としてのカント,カント研究会・植村恒一郎・朝
広謙次郎編『自我の探究』
(現代カント研究 8)
,
(晃洋書房,京都)2001 年,37-64 ページ,を参照されたい.
8) Churchland, Patricia Smith: Neurophilosophy: Toward a Unified Science of the Mind-Brain, Cambridge, Massachusetts (The MIT Press) 1989,
p.46.
9) 本稿に記される番号は,特に断りのない限り『好きだ、
』のカット番号である.このカット番号は,論考の最後に添付する『好きだ、
』
のカット割り表におけるカット番号と対応している.又,本稿では,時間を x.y.z の形で表記する.x は時間を,y は分を,z は秒を表す.
1.12.15 となっている場合,それは,映画の始まりから 1 時間 12 分 15 秒が経過した時間を意味する.
42
43
Vol.2 (2008)
だけを頼りに,ある程度ストーリーを把握可能で
ことを何か伝えようとして,久しぶりに河岸で会っ
ように,飲み屋で飲み,その後ヨースケのアパー
の傍らにはユウがいるのだった.横たわるヨースケ
ある.しかも後半部では,前半部の流し撮りや多
た二人は,そこでキスをする.しかしユウは,姉へ
トで,語り明かす.ヨースケは,ユウに指が痛いか
に対して,ユウは初めて「好きだ」と言う.ヨース
重露出が用いられた箇所のように,映像表現を駆
の気遣いから,
「ヨースケと会ってたころのお姉ちゃ
どうか尋ねる.ユウが痛いと答えると,
「ずっと弾
ケも「俺も,好きだ」と答える.ヨースケの完成し
使して映画のストーリーが構築され示される箇所
ん,鼻歌とか歌ってたり,なんか…」,「お姉ちゃん
いていると痛くなくなるんだよな」
「俺ももう痛い
たギターの曲が流れ,二人が並んで歩くシーンと共
と会ってあげてよ」と,ヨースケに言って,再び,
ヨー
だろうな」と述べ,ギターを弾くことから離れてし
に映画は終わる.
スケと姉を会わせようとする.
まったようなことをユウに言う.その一方で,ヨー
ヨースケに会うため,水門のところへ向かってい
スケは,17 年前に交わした約束のことを切り出そ
た姉は,途中,亡くなった恋人といつも自分が会話
うとしたりもするが,ヨースケがギターを弾くこと
していた川辺に,人の姿を認めてよそ見をしている
をやめてしまったと思い込んでしまったユウは,そ
うちに事故に遭う.その後,病院に姉を見舞った二
の約束のことについてあまり話さず,そのまま話題
人は,帰り道で会話する.ユウは,「あの曲さ,随
をそらそうと,
「最初のとこは結構すぐ思い出せた
配置されているのではない.
どころか,後半部では,ユウが駅のそばでヨース
分先まで出来たんだね」,「姉ちゃんが台所で歌って
んだけど」
「その後がね」
「続かなかったわ」と数時
まず,この空のカットを手掛かりとして,関
ケを待ち続けていることを表現するべく用いられ
た」とヨースケに言う.そして,いつか全部曲が出
間前に自ら弾いたヨースケのギターの旋律について
係としての表現とはどのようなものであるのか述
る東京の山の手線のホームの音と思われる発車ベ
来たら聴かせてほしいと頼み,そのことを約束して
語り,ヨースケは「もう忘れたな」と言う.ユウも
べてみたい.空のカットは,各シーンと関係付け
ルなど,ストーリーに不可欠な要素が,駅の映像
二人は別れる.
「忘れたかあ」と応じる.ヨースケは,本当はギター
られて配置されているが故に特別の意味を持たさ
は少ない.後半部の,ユウが電車に乗って去って
いき,ヨースケがプラットホームに残される「別
れ」のシーンでは,グレースケールによる表現な
どの多彩な映像表現が効果的に用いられてはいる
が,「別れ」のストーリーそのものは,音に頼る
だけでも,それなりに捉えることが出来る.それ
なしに音のみで与えられたりもしている.
10)
以下に,『好きだ、
』のあらすじを示す.
前半部
後半部
17 年後.ユウの姉の事故以来,ユウとヨースケ
は会っていない.ヨースケは,作曲家でもギタリス
この映画の表現を特徴付ける最たるものは,関
係性にある.映像表現は関係として表現されてい
る.前半部に多く見出される空のカットは,単に
各シーンの初めや終わりを表すものとしてそこに
が弾けるのでそれは事実ではなく,前半部と同様,
れ,鑑賞者がそのシーンを連想する際のトリガー
ここでも二人の心は又もやすれ違う.やがて二人は,
として機能する.例えば,99 と 122 に見られる
ユウの姉について会話して,ユウが泣き始め,ヨー
ような,空と渡り廊下のカットは,99 が所属する
スケも自分の気持ちを押さえられず抱擁し合う.そ
シーンと 122 が所属するシーンとを関係付ける.
高校生のユウとヨースケは,両思いの関係にある
トでもなく,レコード業界に職を得てレコード会社
が,互いに自分の気持ちを素直に表そうとはしない.
の営業マンをしながら暮らしていた.ある日,ユウ
ユウは河岸でヨースケがギターを弾いて曲を作って
がギターの録音のため,レコーディングスタジオに
いると,近くに来て座りその旋律を口ずさむが,ヨー
現れる.しかし,何年も会っていないため,ヨー
スケは,ユウが自分の曲を口ずさむと,ギターを片
スケにはそれがユウだと分からない.レコーディ
付け去ってしまう.しかしその一方で,髪の毛を整
ングブースに入ろうとする彼女に,ヨースケは「す
えながら,学校の帰り道のユウを待っていたりもす
いません,レコーディング中なんで」と言い,彼女
る.
は,「あっ,すいません.有り難うございます」と
ユウの姉は,半年前に思い人を事故で亡くしてい
言い,二人は会話するが,依然としてその人が誰か,
た.ユウが語るところによれば,そのとき以来,彼
ヨースケは気付かない.やがてブースが空き,彼女
女は「なぜか前より少し笑うように」なっていた.
は,ブースに入って録音する.ヨースケは,コント
ユウが家の中でヨースケの曲の旋律を口ずさむのを
ロールルームで彼女のギターを聴いている.ヨース
聴かされていた彼女は,いつのまにか自分でヨース
ケに気付いたユウは,自分の録音が終わった後,ヨー
種類
ケの曲の旋律を歌うようになり,亡くなった恋人に
スケのギターの曲を弾き,自分が誰かヨースケに教
(A)
なし. 空.雲.
なし.
環境音.
川辺で聴かせたりする.
える.ユウは,音楽製作会社の事務をしており,会
ある夜,ヨースケが成人雑誌を買うのを目撃して
社で「しろうとっぽいギターの音がほしい」と言わ
しまったユウは,ヨースケに対して距離を取るよう
れて,偶然ヨースケがいたスタジオに来たのであっ
空のカット.雲の移動.映画のス
トーリーとの直接の関係を断たれ
た形で映画の中に配置されてい
る.
になり,又姉を気遣う気持ちから,姉とヨースケを
た.
(B)
空のカット.夕暮れ時などの時間
の情報を,映像が保持する.
なし.
環境音.
会わせようとする.ヨースケがユウに,ユウの姉の
再会した二人は,失われた 17 年を取り返すかの
なし. 空・雲以外に,電柱・電線・山
など,映画の舞台に見出される
べき背景情報を含む.
(C)
空と渡り廊下のカット.雲の移動. なし. 空・雲以外に,手すりのある渡
映画のストーリーとの直接の関係
り廊下が描かれる.
を断たれた形で映画の中に配置さ
れている.
なし.
環境音.
10) 但し,あらすじは映画の表面的な展開を示すに過ぎない.この映画が描き出す本質的なテーマ(これこそこの映画の真のストーリー
なのだが)は本稿の詳細な分析を通して明らかにされる筈である.
れから,二人は 17 年間眠ったままのユウの姉を見
舞う.別れ際,プラットホームからユウの乗った電
車が発車するとき,ヨースケはユウに,勤めている
会社の名前を問うが,ユウの答えは電車の音にかき
消されてしまう.それでも,自分の思いを押さえら
そして鑑賞者は,122 を見るとき,99 を連想し,
さらに 99 が属するシーンそのものをそこに関連
付けることができる.このような,空と渡り廊下
のカットは,一体,何を表現しようとするのだろ
れなくなったヨースケは 17 年前の約束を果たそう
うか.
とユウの会社を調べ彼女に電話し,約束を果たすべ
前半部の空のカットは,3 種類のパターンに分
く会う約束をする.しかしながらヨースケは会いに
けることが出来る.それぞれの基本パターンは,
行く途中,路上で刺されてしまう.再び気付いたと
表 1 の通りである.
きには,彼は,病院の寝台に横たわっているが,そ
これらのカットは,実際には,上記の基本パター
表1
人物
背景など
せりふ
その他
44
ンを中核部分として持ちながら,無音であったり,
56,144,163 に見られるような (A) と違って,
渡り廊下の手すりだけが描かれたりして,派生さ
渡り廊下を持つのだろうか.
せられた形で用いられている.実際に,空のカッ
(A) の空のカットは,ユウとヨースケの,距離
トがどのように用いられているのかを表 2 から
の「近い」関係と関連付けられて配置されている.
表 4 に示す.
最初に出現する (A) のカット 3 はユウとヨースケ
なぜ (C) のカットは,それまでの 3,16,28,
が特別の関係にあることを表すシーン 1 の中に配
11)
表 2[種類 (A)]
時間
3<1>
45
Vol.2 (2008)
0.01.05
人物
背景など
せりふ
その他
表 3[種類 (B)]
(続き)
時間
人物
背景など
せりふ
その他
109
<9>
0.21.11
空のカット.
青空.雲.画面右下に電
柱と木の枝が映る.
鳥の鳴き声など.
(今
までに用いられたこ
とのない新しい音で
ある)
.
116
<9>
0.22.16
空のカット.
青空.雲.画面右下に電
柱と木の枝が映る.109
を連想させる.
生徒の声.
171
<14>
0.37.34
空のカット.雲の移動.
風に揺れる草.
曇り空.草.
無音.
198
<15>
0.42.07
空のカット.雲の移動.
青空.雲.夕日.画面下
部に山のシルエット.
無音.
空のカット.2 からクロ
スフェード.雲の移動.
空.雲.
虫の音.ユウの鼻
歌.ギターの音.
16<3> 0.03.19
空のカット.雲の移動.
青空.雲.
授 業 の 音.
(先生
の話す)声.
28<4> 0.04.19
空のカット.雲の移動.
画面の殆どを雲が覆う.
わずかに青空.
無音.
209
<15>
0.43.17
鳥と空のカット.
鳥.青空.雲.カットの
終わりで,画面下部に山
が一瞬映る.
無音.
56<6> 0.08.15
空のカット.わずかに移
動する雲.
青空.雲.
川 の 音. 車 の 音.
風の音.
343
<21>
1.06.40
空のカット.
夜空.星又は人工衛星.
画面下部に草の一部.
無音.
144
<12>
0.26.49
空のカット.雲の移動.
一面,雲.
無音.
381
<22>
1.11.00
空のカット.
無音.
163
<13>
0.35.05
空 の カ ッ ト( 日 没 ). 雲
の移動.
空.雲.
無 音.0.35.08 環
境音.
夜空.星又は人工衛星.
画面下部に遠山,草木な
ど.
1.21.30
空のカット.
169
<13>
0.36.50
空のカット.雲の移動.
青空.雲.
風 の 音, 水 の 音,
車の音など.
435
<23>
空.雲.画面左下に,少
しだけ建物の一部が斜め
に写されている.
明らかに,この空の
カットにおける建物
の 構 図 は,212 に お
ける渡り廊下の手す
りの構図と関係付け
られている.この空
のカットは,姉のこ
とについてヨースケ
に語るユウの心を表
すものだろう.
表 3[種類 (B)]
時間
人物
背景など
せりふ
その他
13<2> 0.02.46
空のカット.夕暮れ.
電柱と電線.雲.山.
虫の音.
31<4> 0.04.32
空のカット.曇天の空.
画面の下部に雑草がわず
かに見受けられる.
虫の音.風の音.
46<4> 0.06.30
空のカット.わずかに雲 ( ユ ウ・ ユ 殆ど雲に覆われた空.木. ユウの姉「ユ 虫の音.急須のふ
の移動.
ウの姉)
. 雑草.
ウは?」
.ユ たの音.湯を注ぐ
ウ「飲む」
. 音.
71<7> 0.14.09
空のカット.
曇天の空.画面下部に木
の一部.
無音.
90<7> 0.17.34
曇天の空のカット.
雲.草地.
虫の音.水の音.
97<7> 0.19.19
空のカット.下に,草の (ユウ)
.
一部が小さく写っている.
0.19.21 多 重 露 出 に よ り
ユウが出現.95 のユウが
何かを言った箇所の映像
を 重 ね て い る.0.19.29
ユウ,去る.
空.草の一部.
0.19.29 ユ 虫 の 音. 水 の 音.
ウ「 変 態 野 0.19.21 無 音 と な
郎」.
る.0.19.29 虫 の
音.水の音.
11) 表 2 から表 7 においてカット番号と共に記される,<> で括られた番号は,そのカットが属するシーンの通し番号である.
表 4[種類 (C)]
時間
人物
背景など
せりふ
その他
99
<7>
0.19.37
曇り空と渡り廊下の
カット.雲の移動.
曇り空.渡り廊下.渡り
廊下の手すり.
虫の音.水の音.
122
<11>
0.2308.
曇り空と渡り廊下の
カット.雲の移動.
薄い雲と青空.渡り廊下.
渡り廊下の手すり.
虫の音.
148
<12>
0.28.33
空と渡り廊下のカット.
空.渡り廊下.渡り廊下
の手すり.
川の音,車の音など.
151
<12>
0.29.08
空と渡り廊下のカット.
空.渡り廊下.渡り廊下
の手すり.
川の音,車の音など.
157
<12>
0.30.58
空と渡り廊下のカット.
青空.渡り廊下.渡り廊
下の手すり.
車の音,川の音など.
212
<15>
0.43.43
曇り空と渡り廊下の
カット.雲の移動.
曇り空.画面左下に斜め
になった渡り廊下の手す
りが写される.
無音.
46
47
Vol.2 (2008)
置されており,シーン 1 はこの空のカットを介し
複雑な気持ちをも間接的に表現するように思われ
提示される,渡り廊下の手すりしかない (C) にお
ウのヨースケに対する間接的な関係を象徴する.
て,ヨースケに対する特別な気持ちを持つユウの
る.
いて,渡り廊下を失った手すりは,ユウの姉の存
シーン 10 は再び (B) の空のカットで始められ,
存在を鑑賞者に印象付ける.とくに 2 の終わりの
これに対して,シーン 6 の始まりの 56 は,13
在が薄れ行ったことの象徴であり,ユウとヨース
シーン 9 の揺れるユウの気持ちへと関係付けられ
ユウの顔の描写から 3 へのクロスフェードは,ユ
や 46 と異なる,差し当たり映画の世界との関係
ケは,そのとき,二人を媒介した存在を喪失する
ている.ユウはこのシーンでヨースケと会話する
ウの思いを,3 の空のカットと結びつける効果的
を持たないように見える純粋な空のカットであ
のである (212).
が,そのままヨースケを残して去っていく.依然
な役割を果たすであろう.16 の空のカットは,ノー
る.このようなカットの繰り返しに,鑑賞者はシー
シーン 8 以降,それまでとは異なった仕方でユ
としてユウとヨースケの間に出来た距離は縮まら
トにヨースケの顔を落書きするユウ(シーン 3)
ン 1 を思い起こさせられ,シーン 6 が,ユウとヨー
ウが描かれる.それはユウのヨースケに対する気
ないままである.そして,その次のシーン 11 は,
と関係付けられながら,鑑賞者に提示される.28
スケの「親しさ」と共に展開させられることを示
持ちの変化と呼応させられている.このシーン以
もう一度,曇り空と渡り廊下のカットで始められ,
は,シーン 4 の始まりを成すカットであるが,こ
唆していることに気付かされる.そして実際,
シー
降,ヨースケのギターの旋律を口ずさむのはユウ
鑑賞者は,ユウとヨースケの距離のある関係を再
のシーンにおいて,それはヨースケのギターの旋
ン 6 の 62 までは,シーン 1 に見出されたような
ではなくて,ユウの姉である.シーン 8 では,ユ
認識させられる.このシーンの,独り,夕暮れの
律(シーン 1 で示されたもの)を口ずさむユウと
ユウとヨースケの関係が描写される.しかしユウ
ウは,いつものように家の中に居て姉と会話する
道を歩くユウのカット (134-135) は,ユウの寂し
結合される.それら空のカットは,いずれも,ユ
は,そのシーンの最後で,ヨースケが成人雑誌を
が,いつものように自分の部屋に座ったりはしな
く複雑な気持ちを表現する.
ウの,ヨースケに対する思いに関連付けられて,
買うのを目撃してしまう.これを機に,シーン 6
い.108 では,それどころかユウがいないユウの
これらに対して,シーン 12 は,一転して,(A)
配置されている.
はそれまでとは全く正反対の方向へと展開する.
部屋が映し出されたりもする.シーン 9 も同様
のカット 144 で始められる.それは,恐らく,ユ
一方で,鑑賞者は,シーン 4 に至ったとき,そ
シーン 6 では,成人雑誌事件の直前に,転機を示
であり,それまでとは異なる仕方でユウを描写す
ウ の 気 持 ち の,(B) → (C) → (A) と 揺 れ る 様 の 表
れまでに見られた空のカットとは種類の異なる空
すものとして,63 が,混ざりもののある純粋でな
る.その上,シーン 9 は,(B) の空のカットと共
現であろう.しかし同時に,この (A) は,二人の
のカットに気付かされる (46).実際のところ,そ
い空のカット (B) として挿入されている.さらに,
に始められるが (109),そのカットには,鳥の鳴
関係がこのシーンにおいて再び距離の縮まった近
の種のカットは,シーン 2 の 13 において既に登
シーン 7 は,それまでのユウとヨースケの関係と
き声などそれまで用いられなかった新しい音が出
いものとして描かれることを先取りしてもいる.
場済みであるが,その時点では,それは電柱や山
は異なる,少し距離のできてしまった関係を描く
現する.
109 は,
ユウの揺れる複雑な気持ちを表す.
145-147 において,ヨースケは,ユウに,ユウの
を背景に据えつつ自然にシーン 2 に溶け込んでお
べく,(B) の空のカット 71 で始められている.そ
ユウの心は新しく生じたもの(ヨースケへの距離
姉のことを何か伝えようとする.しかし結局思い
り,単にシーン 2 の舞台を用意するものだと解釈
して,同種のカット 90 を同じシーンの中で繰り
感)と元々あるもの(ヨースケに対する気持ち)
とどまってしまう.このときヨースケが何を言お
してやり過ごしてしまっているかもしれない.こ
返し,鑑賞する者に提示する.シーン 7 は,それ
との間を揺れるのであろう.そして鳥の鳴き声は,
うとしたのかは,鑑賞者にも最後まで明らかにさ
の空のカットが (A) と種類が異なることを鑑賞者
までとは異なっていて距離あるユウとヨースケの
新しく生じたものの象徴であるのだろう.109 に
れない.ヨースケは,ユウに姉のことを何か言お
は意識させられないかもしれない.そうだとして
関係を象徴すべき (C) の,曇り空と渡り廊下のカッ
おいてなぜ (B) のカットが配置されるのかと言
うとした.そしてそれを思いとどまってしまった.
も,シーン 4 に至ったとき,鑑賞者は,同じ種
ト 99 で締めくくられる.こうして (A)(純粋な)
えば,ユウは,
(C =新しいもの)と(B =元々あ
そのような形において,依然として,二人の間に
類のカットが繰り返されていることを少なくとも
空のカットから,(B) 混ざりもののある純粋でな
るもの)の間を揺れているからである.(B) は (C)
は,ユウの姉の存在が横たわる.148 と 151 の空
意識させられる.そしてそのとき,正直に自分の
い空のカットを経て,(C) 渡り廊下を持つ空のカッ
よりも (A) に近いものとして,
「元々あるもの」と
と渡り廊下のカットにおける渡り廊下は,二人の
気持ちを表に出すことの出来ないユウの複雑な内
トへと移り行くことで,空は二人の近くて遠い複
の関係を保っている.ユウが家に帰ってきたとき,
間にそのような形で介在するユウの姉と呼応させ
面と関連付けられた 13 を連想し,そのようなユ
雑な関係を表現する.(A) は,シーン 1 に見られ
時計の針は「4 時 44 分」を差している.それは,
られ配置されている.そして二つの (C) のカット
ウを 46 において再認識するだろう.そしてこの
るような二人の関係やユウの素直な内面を象徴し
「5 時」にヨースケが姉と会う少し前である.ユウ
に挟まれた 150 の,ユウとヨースケの沈黙は,ヨー
ような,ユウの正直になれない複雑な内面と関係
ている.(B) は,何かが混入し距離が生じた二人
は,いつもの自分の部屋で,独り,時計の振り子
スケが何かを言おうとし,それを思いとどまった
付けられる空のカットが,シーン 4 の 46 に繰り
の関係を象徴する.(C) は,一層明確に二人の関
の音を聞いている (115).シーン 9 は,ユウのヨー
ことからもたらされたものとして,(C) に挟まれ
返されることの意味を考えさせられる.13 と 46
係を遠ざけられたものとして表し,そのような二
スケに対する揺れる気持ちを空のカットの揺れと
ている.しかし又その一方で,しばらく河岸で会
は,それが「純粋な」空のカットではなく,映画
人の関係を象徴する.それは,渡り廊下という第
して表現している.そして,シーン 8 や 9 におい
うことのなかった二人は,ヨースケがユウに姉の
の舞台に置かれるべき電柱や山が空と共に一つの
3 のものによって介された関係である.映画の実
て,ユウは,姉を介して,或いは時計を介して,
何かについて言おうとしたことによって,河岸で
画面の中に混ぜられて写されている点で共通して
際の舞台では,この第 3 のものの役割は,ユウの
媒介された関係においてヨースケと関わるのであ
会ったのである.ユウの姉によって,シーン 7 以
いる.それらは同時に,ユウのヨースケに対する
姉が担っている.ユウの姉が事故に遭った直後に
る.渡り廊下を持つ空のカットは,このようなユ
来途絶えていた二人の関係が再び接近し,結果と
48
49
Vol.2 (2008)
してシーン 12 は,
ユウの姉のいない「二人の世界」
166 において,シーン 12 でなぜ自分は泣いたの
の出来事として,描写される.157 の空と渡り廊
だろうかと,自問する.167 は,音によって,そ
下のカットは,むしろ二人を繋ぐものとして,そ
の答えを与えているのかもしれない.183-184 の
れまでになかった「二人の世界」を実現するもの
ユウの台詞「ヨースケと会ってたころのお姉ちゃ
として,ユウとヨースケの関係を媒介するのであ
ん,鼻歌とか歌ってたり,なんか…」「お姉ちゃ
り,(C) のバリエーションではあるけれども,そ
んと会ってあげてよ」に示されるユウの気持ちが,
れは極めて (A) に近いものとして配置されている.
(A) と (C) の関係を再び断たせるのである.ユウは,
そもそも (C) は,構成からすれば,渡り廊下を持
姉に対する不憫さなどの気遣い故に,自分の気持
つことによって (A) から遠いところにあるが,そ
ちに蓋をするのであろう.
れは同時に,二人を繋ぐ可能性を持つものでもあ
しかしながら,それにもかかわらず,鳥によっ
る.(C) の基本パターンは,
「空」と「雲」と「雲
て (C) と (A) の関係は保持されることになる.表 5
の移動」を伴なう.それは,
(A) と同じものであり,
に鳥が配置されたカットの一覧を示す.
見方によっては (C) は (B) よりも (A) に近いもので
前半部において鳥が登場するのは,209 までの
ある.(C) は,
「空」と「雲」と「雲の移動」によっ
4 カットである.鳥は,そのうちの最初の 3 カッ
て,(B) と決定的に異なっており,しかも直接的
トでは,一見,偶然の出来事として背景や環境音
には映画の世界から独立させられていて,直前や
に混入して,そこに居合せただけのように見える.
直後の映像との直接的な関係が希薄である点にお
それは,映画のストーリーとは全く無縁なものと
いても,(B) よりはむしろ (A) に近い.(B) は原則
してそこに見出される.しかしその鳥が,209 に
として,電柱・電線・山などの映画の舞台設定に
おいて明示的に,1 カットが与えられて描写され
不可欠な要素を伴なっており,その限り,(A) や (C)
る.このときもはや,鳥は偶然居合わせたものと
とは異質なものである.そのようにして (C) によっ
してではなく,映画の中に深く関わるものとして,
て再び近づけられた二人は,シーン 12 において
配置されている.では,鳥はどのような存在であ
キスをし,ユウは思わず泣いたのである.
るのだろうか.少なくとも次の様に述べることが
(C) によって再び近づけられた二人の関係を保
出来る.それは,ストーリーに直接関与すること
持し,シーン 12 とシーン 13 を関連付けるために,
のできない存在である.ユウによっても,ヨース
シーン 13 は (A) のカット 163 で始められる.そ
ケによっても,ユウの姉によっても言及されるこ
れにもかかわらず,166 の 0.36.11 において生じ
とがなく,彼らのいずれとも直接的な関係を持た
た水の音が,(C) によって形成された,シーン 12
ないものとして,映画の中に配置されている.そ
のユウとヨースケの「二人の世界」を葬り,ユウ
のような鳥が,209 において 1 カット与えられて,
の姉の存在は,(A) と (C) の関係を断つようにして,
映画の中に持ちこまれている.それは,(A) の空
ユウの前に出現する.水の音は,台所における水
のように,そこにある.(A) とはまさに単なる空
道の音として鑑賞者に強く印象付けられており,
に過ぎないものであった.そして (A) のように置
それは,姉の存在を象徴するものである.その上
かれる限り,鳥は (A) と関係付けられ,(A) の何か
167 では,物理的には不自然な形であるにもかか
を表現するものとして,映画に関わっている.
* (F) は,その対象に焦点が合っていることを示す.以下全ての表において同様.
わらず,0.36.17 に,ユウの姉がヨースケの曲の
シーン 15 において,ユウの姉は事故に遭う.
** (O) は,その対象に焦点が合っておらず,ぼかされていることを示す.以下全ての表において同様.
旋律を口ずさむ声が挿入される.それはユウが泣
そして,渡り廊下は手すりを残して失われてしま
*** カット 400 のユウのせりふはカット 401 へと切れることなく続いている.せりふの全てを示せば,
次の通りである.
「最
いたことへの答えであるのかもしれない.ユウは,
う.しかし,鳥は依然として飛んでいる.それは
表 5 鳥が配置されたカットの一覧
時間
人物
背景など
せりふ
その他
109
<9>
0.21.11
空のカット.
青空.雲.画面右下に電
柱と木の枝が映る.
鳥の鳴き声など.
(今
までに用いられたこ
とのない新しい音で
ある)
.
112
<9>
0.21.27
水 門 脇 の ヨ ー ス ケ の ヨースケ. 空.山の稜線.草地.電
カット.
線柱.水門の脚柱.鳥が
画面を横切る.
車 の 音. 虫 の 音. 鳥
のさえずり.
170
<13>
0.36.54
ユウの姉のカット.
コンクリートの階段
(O)**. 画 面 左 上 一 部 草
木 (O).
風 の 音. 水 の 音. 車
の音.ヨースケの旋
律を口ずさむ姉の声.
カラスの鳴き声.
209
<15>
0.43.17
鳥と空のカット.
鳥.青空.雲.カットの
終わりで,画面下部に山
が一瞬映る.
無音.
400
<22>
0.12.42
ヨースケのアパートの (ユウ)
.
窓のカット.
窓枠.窓から見えるビル 1.12.45, ユ 環境音(車の音など)
.
などの建物.鳥が 2 回, ウ「 最 初 の
窓を横切る.
と こ は 結
構 ***
415
<22>
1.14.47
ユウのカット.
ヨースケのアパート.
419
<22>
1.15.55
泣くユウとヨースケの ユウ.ヨー ヨースケのアパート.
カット.
スケ.
1.16.05, ユ 環 境 音( 車 の 音 が
ウ「 笑 っ て かなり騒がしくなっ
くれてる」
. てくる)
.1.16.13,
(ヨースケが)動く音.
1.16.21, ヨ ー ス ケ,
泣いているユウを抱
きかかえる.ユウの
泣き声.1.16.24,カ
ラスの鳴き声.
420
<22>
1.15.51
抱き合うユウとヨース ユウ.ヨー ヨースケのアパート.
ケ.
スケ.
環境音(フェードア
ウ ト し,1.17.13 で
消失)
.ユウの泣き声.
1.16.53,カラスの鳴
き声.
ユウの姉
(F)*.
ユウ.
初のとこは 結構すぐ思い出せたんだけど」
.
1.14.46, ユ 環境音.1.15.23,鳥
ウ「 笑 っ て の鳴き声.
くれるよ」
.
1.15.16, ユ
ウ「 会 い
に行くと」
.
1.15.29, ユ
ウ「 笑 っ て
くれる」
.
50
51
Vol.2 (2008)
悲しく飛んでいるかもしれないが,失われない.
がら,事故に遭う.映画は,シーン 14 やシーン
いて会話し,415 で,ユウが姉について「笑って
など,内面的な関係の変化を描き出すことにある.
渡り廊下は,(A) に対立するものとして置かれて
15 において,ユウの姉の存在と対決させられ,
「好
くれるよ,会いにいくと」と言ったすぐ後に,そ
だから,この映画を単にあらすじだけから概念的
いたのであった.そしてその一方で,ユウとヨー
きだ、」ということは,ユウの姉の存在が示す方
れに呼応するかのように鳥は再び鳴く.鳥は,(A)
に理解してしまうならば,その本質を見誤るであ
スケを繋ぐものでもあった.その渡り廊下は失わ
向と向きを異にし,なおかつ,ユウの姉の存在と
から遠いものとして,二人の間に沈黙を惹起す
ろう.二人の再会の際には,(B) の夜空のカットが
れてしまった.その繋ぎ役としてのユウの姉の存
共にある,という二重性において規定されざるを
る.その後には深い沈黙が待っているのである.
用いられる
(343 及び 381)
.二人の関係はもはや,
在は,事故によって失われてしまったように思わ
得ない.映画『好きだ、』は,このような姉の存
やがてユウは泣き出す.しかしながら 419 でカ
失われた 17 年を取り戻すことが出来ず,それは,
れる.しかし,そこに鳥が居合わせたのである.
在と,そしてその事故と,向き合わせられ,後半
ラスが鳴くとき,二人は抱き合っている.それか
ただちに (A) に呼応し得る関係なのではない.
鳥は,既述したように,109 において,(A) を (B)
部において解決を迫られる.その答えは,シーン
ら 422 において二人はキスをする.鳥によって
又,この映画では,空のカット以外にも,二人
に移行させるような新しいものとして,(C) に近
15 の最後のカット 221 において交わされたユウ
惹起された沈黙によって,もはやユウの姉が眠り
の二重性に支配された関係を巧みに表現する映像
くて (A) から遠いものとして映画の中に導入され
とヨースケの,いつか曲が全部出来たらユウに聴
から覚めないことに対する悲しみがこみ上げ,二
表現を持つ.それは,音が消去された映像におい
たのであった.それはつまり,肯定的であるにせ
かせるという,約束の履行との関連において示さ
人は抱き合うのである.そこには,二人の関係を
て,ユウの何かを言おうとする口の動きが示され
よ否定的であるにせよ,ユウとヨースケとの関係
れる.
象徴する二重性があり,鳥はまさにその二重性そ
る箇所である.そのような映像は,表 6 に示す箇
を取り持つ存在であるユウの姉の何かを象徴する
後半部では,鳥は,ユウとヨースケが,ユウの
のものである.しかも,鳥の鳴き声は,町行く車
所に見られる.
ものとして導入されている.そのユウの姉が事故
姉について会話したとき出現する.なるほど鳥は,
が増えていき次第に大きく騒がしくなる車の音と
95 は,多重露出によって 97 で再度表現され,
に遭ったとき,鳥は,そのユウの姉を見守りなが
夜明けを知らせる印として,背景や環境音の一部
ともにもたらされる.その車の音は,しかし,ユ
この形式の表現の,
『好きだ、
』における重要性を,
ら飛んだ.ユウの姉は依然としてユウとヨースケ
として配置されているだけである.しかし,鑑賞
ウの姉を事故に遭わせたような車の音であるかも
鑑賞者に強く印象付ける.それは同時に,単に鑑
を繋ぐものであり続ける.事故の後も鳥は飛び続
者は,前半部の 209 において,鳥はユウの姉の象
しれない.その車の音が,420 においてカラスの
賞者への印象付けということだけではなく,ユウ
けるのであり,ユウの姉は,ユウが後半部におい
徴であると,或いは,失われた渡り廊下の象徴だ
鳴き声と共にフェードアウトし始め,消失させら
の口の動きによるこのような表現を,ヨースケに
てヨースケに語るようにユウに対して「笑いかけ
と,強く印象付けられているが故に,もはや偶然
れる.カラスは車を連れ去り,421 では,もはや
対する距離を表するものとして措定する.95 →
る」のかもしれない.鳥は,依然としてユウの姉
そこにあるに過ぎない背景の一つとして見る事は
二人の立てる音以外の音がない.ただそこには現
329 → 458 → 512 と進むことにより,この形式
を象徴しており,ユウとヨースケの関係を繋ぐ存
出来ない.鳥によって,否が応でもそこにユウの
在の新しいユウとヨースケだけがいて,鑑賞者の
においてユウの言おうとするものは,
「変態野郎」
在でありつづける.鳥はまさに,
(C) のようにある.
姉を連想させられる.
視点はひたすら今の抱き合う二人を見つめること
から「好きだ」へと決定的な変化を遂げる.それ
それは (A) の何かを表すが,同時に (A) とは遠い
400 において鳥が窓の外を横切るとき,ユウ
になる.そこには,ただ「二人の世界」が再び広
は,この映画のストーリーと対応付けられている.
ものとして (C) のようにある.その鳥は,
後半部の,
とヨースケの会話は二人の思いとは別の方向へ向
がるのである.そのようにして,前半部でキスを
しかし,95 において措定され含蓄された内容は,
ユウとヨースケが再会した日の夜が二人の抱擁と
かって流れている.396 から,ヨースケは,221
したシーンと同様にして,二人は,二人が望んで
鑑賞者の印象に最後まで残存する.512 は 329 や
共に明ける時,まさにその夜明けをさえずりと共
で交わした約束について話そうとした.しかし,
到達しようとはしなかった場所に,ユウの姉の存
458 を介して,95 において措定されたものが薄
に告げるのである.
ユウは,ヨースケがギターをやめてしまったと
在を象徴する鳥によって,向かわせられるのであ
められているかもしれないが,依然として 95 の
シーン 13 において,ユウの姉の存在が「二人
思ったために,話題を違うところへ変えてしまう.
る.二人は,その後ユウの姉を見舞う.そうする
何かであり,95 と同様の形式によって「好きだ」
の世界」を打ち壊すものとして描かれたにもかか
400 から 402 にかけてのユウの「最初のとこは結
うち,次第にヨースケは自分の思いを押さえられ
は表現されるのである.そのような,ユウの複雑
わらず,シーン 14 とシーン 15 の始まりを担うの
構すぐ思い出せたんだけど,その後がね,続かな
なくなる.ユウの姉によって惹起された一連の出
な内面を表現しようとする二重性が,二人の間の
は,(A) のバリエーションである.それは,映画
かったわ」という言葉は,ユウとヨースケの互い
来事が,約束を果たす事に消極的であったヨース
微妙な感情の綾など,内面的な関係の変化を,掘
のストーリーがいかに展開するべきかを表し,映
の思いとは違うところへと二人の会話を転じさせ
ケを翻意させるのである.
り起こし炙り出すのである.
画の方向性を定めようとするように思われる.そ
てしまう.そのような時に鳥は飛ぶ.そのとき鳥
この映画は,単なる「ハッピーエンド」の映画
れは,「好きだ、
」というタイトルに従って展開さ
は,(C) に関わるものとして,(A) から遠いものと
ではない.確かに,ユウとヨースケは再会し,約
れるべく映画を措定しようとする.ユウの姉はい
して,その場を飛ぶ.しかし又,それは 414 以降
束は履行されるが,この映画はむしろ,本質的な
つも自分が座っていた河岸,亡くなった恋人と対
のユウの姉についての二人の会話を先駆けるもの
テーマとして,もっと別のものを抱えている.そ
話していた河岸に,人の姿を認めてよそ見をしな
でもある.二人は,414 において,ユウの姉につ
のテーマとは,二人の男女の間の微妙な感情の綾
52
3. 関係性の認識
表 6 95
<7>
329
<20>
458
<25>
512
<27>
53
Vol.2 (2008)
時間
人物
0.18.57
ユ ウ の カ ッ ト. ユ ウ の ユウ.
口 の 動 き に よ っ て, ユ
ウがヨースケに向かっ
て何かを言ったことが
分 か る. こ の カ ッ ト
は無音であるので何を
言っているのかは分か
らない.
1.04.13
1.25.50
1.39.38
背景など
空.
せりふ
不明.
(ヨー レコーディングブース. 1.04.17, ユ
レコーディングブース ユウ.
スケ).
のユウのカット.
レコーディングブースと ウ は コ ン ト
コントロールルームを ロールルー
隔てるガラスの枠がぼか ム の ヨ ー ス
されて画面中央を斜めに ケ に 向 か っ
走っている.
て何かを言
う が, ヨ ー
スケにはそ
れが何であ
るか分から
ない.
(ヨー 電車.
電車の中のユウのカッ ユウ.
ト. こ の カ ッ ト で は,スケ).
カラー情報が幾分残さ
れ て は い る が, 情 報 の
かなりの部分は破棄さ
れていて,極めてグレー
スケールに近い表現で
あ る. 色 の 捨 象 は, ユ
ウ を 喪 失 す る「 別 れ 」
の表現である.
を並べただけのものとは違う別のものなのだろう
その他
無音.
ヨースケの曲の旋律
をユウが弾く,ギター
の音(1.04.15,終わ
る)
.1.04.29,
人の声.
1 . 2 5 . 5 2 , 環境音.1.25.59,電
ヨ ー ス ケ 車 の 発 車 ベ ル の 音.
「 ユ ウ の 会 1.26.12,電車が発車
社, な ん て する.
言 う の?」.
1.26.04, ユ
ウ, 答 え
る. 口 の 動
きのみが示
さ れ る. 同
時に電車の
ドアが閉ま
り 始 め る.
1.26.06,
ヨースケ「な
に?」.
寝台横のユウのカット. ユウ.
(ヨー 寝台のシーツ.白のカー 1.39.42, ユ
スケ).
テン.
ウ「好きだ」
.
1.39.50,
ヨ ー ス ケ
「 ご め ん 」.
1.39.53,
ヨ ー ス ケ
「ぼおっと
し て て 見
逃 し た 」
.
1.40.03, ユ
ウ, 口 の 動
き だ け で,
「好きだ」を
示 し, ヨ ー
スケに伝え
ようとする.
1.40.18,
ヨ ー ス ケ
「 俺 も 」
.
1.40.22,
ヨースケ「好
きだ」.
関係でしかないのだろうか.或いは,8 つの素材
本節では,前節に示した『好きだ、
』の分析と解
か.そうであるならどこが異なるのか.以下に,
釈を元に,関係性の認識とはどのようなことかを
ミンスキーの議論と比較する形で論じたい.
考えてみたい.
ミンスキーは,ブロックで塔を作るべく遊んで
それは,単に,積み木を積むようにして構築さ
いる子供を「心のエージェント」(mental agent) の
れた対象に対して成立する認識なのだろうか.つ
関係として扱っている.ミンスキーによれば,
「塔
まり,空,雲,ユウの顔,のように部分がパーツ
を 作 る 」 は,BUILDER と BEGIN と ADD と END
として並べられ,又積まれていくうちに,何かが
と名付けられた 4 つのエージェントによって成
形成され,認識者はそのような関係を,関係性の
立する行為である.
「塔を作る」ことは,作り手
認識という形で認識する,という類のものだろう
(BUILDER) と,行為を始めること (BEGIN),ブロッ
か.それは,積み木によって家を作るとき,完成
クを加えること (ADD),行為を終えること (END)
された家が,それぞれの積み木の関係として認識
から成る.ヨースケの「抱く」行為もそれ自体は
されているということと同種の事なのだろうか.
同様にいくつかの部分に分けることが出来るだろ
今一度,419-420 のカットについて,考えてみ
う. 例 え ば,EMBRACER,BEGIN,HOLD,END
たい.それは表 7 の通りであった.
等々.上述の 419 がもたらす認識も,同じように
419 を成り立たせているものは,(a) ユウ,(b) ヨー
していくつかの部分が寄せ集められ並べられるこ
スケ,
(c)車の音などの環境音,
(d)ユウの言葉「笑っ
とによって成立している対象の認識なのだろうか.
てくれてる」
,
(e)ヨースケの動く音,
(f)カラス
ヨースケの「抱く」は,
ミンスキーの論と同種のエー
の鳴き声,
(g)ヨースケがユウを抱きかかえる行為,
ジェントの働きとして記述可能であって,鑑賞者
(h)ユウの泣き声,
である.これらをただ並べれば,
は,そのようなヨースケの中にあるエージェント
12)
鑑賞者は,必ず,419 が構成する表現を認識でき
を見ているに過ぎないのか.
る の だ ろ う か. そ れ は, 単 な る (a) − (h) の 並 存
確かに,
『好きだ、
』の映像表現は,関係性によっ
表 7 時間
人物
背景など
せりふ
その他
419
<22>
1.15.55
泣くユウとヨースケの ユウ.ヨー ヨースケのアパート.
カット.
スケ.
1.16.05, ユ 環 境 音( 車 の 音 が
ウ「 笑 っ て かなり騒がしくなっ
くれてる」
. てくる)
.1.16.13,
(ヨースケが)動く音.
1.16.21, ヨ ー ス ケ,
泣いているユウを抱
きかかえる.ユウの
泣き声.1.16.24,カ
ラスの鳴き声.
420
<22>
1.15.51
抱き合うユウとヨース ユウ.ヨー ヨースケのアパート.
ケ.
スケ.
環境音(フェードア
ウ ト し,1.17.13 で
消失)
.ユウの泣き声.
1.16.53,カラスの鳴
き声.
12) Minsky, Marvin: The Society of Mind, New York (Simon & Schuster) 1988.
54
55
Vol.2 (2008)
て支えられている.
『好きだ、
』において,カラ
プログラムされるならば,プログラムされたも
忘れられないのだとすれば,その印象と共に『好
関する議論は,その規定や関係付けそのものを,
スの鳴き声がユウの姉と関係付けられているが故
のは極めてデジタル的な性格を持つことになる.
きだ、
』を鑑賞してしまうかもしれない.同じ映
完全にそれだけで完結したものとして,規定しよ
に,それは効果的な表現なのであった.そして,
無論,アナログ的な動作を擬似的なものとしてプ
像表現に対してであったとしても,同じような
うとする.この点で,ヨースケの「抱く」とは完
カラスそのものが全くユウの姉とは無関係なもの
ログラムすることは可能であろう.しかし,それ
経験を持たない鑑賞者とは結果的に異なった表
全に異なっている.もちろん,
『好きだ、
』におい
であるにもかかわらず,同じ『好きだ、
』の 209
は本質的には,アナログ的ではない.デジタル的
現理解を有することが充分に考えられ得る.確
て,ミンスキーの考える関係付けが全く見出され
の同一空間内に,鳥と空が同時に配置され,その
処理である限り,情報処理が最終状態へと遷移す
かに,
「抱く」が表現する関係は,例えば空とユ
ないのではなく,むしろ,
『好きだ、
』のストーリー
209 がユウの姉の事故直後に置かれ並べられたこ
ることによって初めて意味を持つ.その事のため
ウの関係として,映画によって既に規定されて
構築のためには,それは必要である.そうでなけ
とによって,そこに構築される関係性は成立して
にだけ,その処理は用意されていると言ってもよ
いる.しかし,それは映画だけで完結したもの
れば鑑賞者は,
『好きだ、
』を一つのストーリーと
いるだろう.では,
「ヨースケがユウを抱く」と
い.例えば,計算機の実行するプログラムが,バ
であって,鑑賞者に委ねられた部分が全くない
して理解できない.だからその点では,
『好きだ、
』
き,それがカラスの鳴き声とどう関わるかは,単
グによってループを抜けられないとしたら,それ
という訳ではない.むしろ関係は,対象そのも
はやはり論理的な関係性において,ミンスキーの
にそれらが並べられ関係付けられたことに基づい
はプログラマーの「失敗」に起因していて,それ
のの側にあるのではなくて,認識者によって持
論に通じるものがあるだろう.しかしながら,ミ
ているに過ぎないのか.ヨースケの「抱く」がカ
は「出来の悪い」プログラムである.これに対し,
ち込まれるのである.だから,対象をどんなに
ンスキーに従えば,認識は或る一つの結果を追究
ラスなどヨースケやヨースケの行為とは別のもの
アナログ的であるとは類比的であることを意味す
映像表現が規定しても,その規定の外にあるも
しなければならない.それは必ず一つである.A
に関連付けられ規定されているのに対して,ミン
るので,その処理の結果は,何か想定外のものを
のを持ち込むという仕方で,鑑賞者は依然とし
であってなおかつAでない,という認識の可能性
スキーの心のエージェントについての考え方はそ
生むかもしれない.デジタル的な処理は必ず規定
て鑑賞する.
「抱く」は「抱く」とは無関係なあ
はない.この点において,両者は,決定的に袂を
うではないからという理由だけで,上述の関係性
されたことの繰り返しである筈だが,アナログ的
らゆるものと関わり得るものとしてそこにある.
分かつのである.
がミンスキー的なものでないと主張したことには
な処理は,これに反して,サンプリングされた信
だからこそ鳥は,沈黙を惹起し,沈黙は悲しく,
ならない.ミンスキーのエージェントもその対象
号を処理するデジタル的な信号処理のように単純
悲しさがユウとヨースケを繋ぐという表現が成
が様々なそれ自体とは別のものに関係付けられて
なものではない.両者の処理の違いに関して,例
立し得る.それはそうでないものとしてそこに
いれば,『好きだ、
』の中に置かれる資格を持つの
えば,ニューラルネットワークにおけるステップ
ある.つまり,
『好きだ、
』では,或る事とそれ
関係性の認識とは,単なるAとBの並存関係の
かもしれない.
関数とシグモイド関数の違いを思い起こせばよ
とは全く反対の事が,通じ合うかもしれないよ
認識ではなくて,Aの中にBの何かが見出される.
恐らくミンスキーが考えているものは,それ
い.前者は,2 値表現に基づくデジタル的な処理
うな映像表現を,本質として持っていると言え
しかもそれは以下に述べるような形においてであ
だけで一つの関数として成立し得るようなもの
である.後者は 0 と 1 との間の無限の帰結を産出
る.
る.
である.例えば先程のブロックで塔を作る例で
し得るので,その無限の可能性の全てに対処し得
それはまさに,
「並べる」ということによっ
前述の良寛の「安幾裳やゝ…」に関してそこに
言 え ば,BUILDER は BEGIN と ADD と END に 関
るようなプログラムを組むことは容易ではない.
て可能になる表現である.しかも,異質なもの,
「秋萩帖」が見出されるなら,それは両者の関係
わる一つの関数として考えられている.それは,
ヨースケの「抱く」は,
『好きだ、』の中で,
「抱く」
異種のものが並べられ,関係付けられるが故に
BUILDER を fBU(xa ,xb ,xc ) とし,BEGIN を fBE(x 0,..., xi ),
性がそこに認識されている.しかし又,そこには
単なる行為とは全く別のものに支えられているよ
可能な表現である.それは又その一方で,規定
良寛が学んだ懐素の書風は見られない.現存する
うに思われる.それは元来,直接には無関係なも
や関係付けについての最終的な判断を鑑賞者に
良寛の「秋萩帖」の臨書に見出される良寛らしさ
のである筈の空やカラスなどに支えられている.
委ねてしまう表現でもある.
は,懐素的なものに基づいているかもしれないが,
ADD を fA(x 0,...,xi ),END を fE(x 0,...,xi ) と す れ ば,
fBU(fBE(x 0,..., xi ), fA(x 0,...,xi ), fE(x 0,..., xi )) として考えられ
るものである.では,
『好きだ、
』はどうなのか.
「抱く」行為においてヨースケはユウの悲しみを
形式的な側面だけを見る限り,ヨースケの「抱く」
抱くのかもしれないが,空が悲しい訳でもカラス
は上記の関数が表現する枠組みの中で同様の関係
が悲しい訳でもない.しかしそれでも,カラスは
として捉えられ得る.そして,両者が同種のもの
ユウの姉の存在を連想させるような悲しいものと
に解消可能なのだとしたら,
『好きだ、
』を「鑑賞
してそこにある.鑑賞者はこのような空やカラス
する」人工知能のプログラムを作成可能かもしれ
に対して無限の可能性を以って接する.鑑賞者が
ない.果たして本当にそのような人工知能プログ
かつてカラスの大群の中を通りぬけねばならない
ラム「鑑賞する」は成立し得るだろうか.
体験をしていて,その時のカラスに対する印象が
これに対して,ミンスキーのエージェントに
13)
4. 終わりに
「安幾裳やゝ…」からそれを窺い知ることは出来
13) ミンスキーの論では,エージェントに対して重み (weight) が与えられ,その重みが加減されることによって認識が変化する,認識
エージェント (recognizer-agent) が「心」の特性の一つとして考えられている.彼によれば,認識エージェントは,背もたれに対
して正の値の負荷がかけられている(すなわち背もたれがある)ならば背もたれのある椅子 (chair) を認識する.背もたれに対し
て負の値の負荷がかけられている(背もたれがない)ならば,認識エージェントは背もたれのある椅子を拒絶し,ベンチ (bench)
や腰掛け (stool) やテーブル (table) を認識する (Minsky, op. cit., p.203).ミンスキーの論では,椅子が椅子であり,なおかつ椅子
でないというような二重性が成り立つ余地はない.ミンスキーの認識エージェントは又,入力が,感覚世界 (sensory world) から
与えられるのではなくて,エージェント内部の記憶からもたらされる (ibid., p.204).りんごの,3 つの属性(例えば属性の担い手
(substance),味,薄い皮の構造)が思い浮かべられるだけで,実際にりんごが見られなくとも,認識エージェントは活性化させら
れて,エージェントによってりんごが表象される (ibid., p.205).それは人間の脳の構造を参考に構築された理論であろうが,しか
しその一方で依然として,
『好きだ、
』において示されるような,
「AかつAでない」を扱えない限り,上述したように BUILDER を
fBU(fBE(x 0,...,xi ), fA(x 0,...,xi ), fE(x 0,...,xi )) として取り扱うに過ぎず,デジタル的処理に基づいて可能な人工知能の理論でしかない.
56
ない.だから,良寛の懐素との関わり合いを知る
「好きだ」を表現しようとしない二人を関係付け
者は,「安幾裳やゝ…」を懐素から遠いものとし
る.要するに,「好きだ」を表現しない二人の関
て認識する.それは「懐素的でないもの」として,
係故に,二人は関係付けられ,「好きだ」という
懐素と関係付けられている.
二人の思いは実現されるのだ.このような関係性
『好きだ、』の関係性の認識とは,上述のような
において,先程比較検討したミンスキーの心のモ
「そうではないこと」
を認識の中核部分として持つ.
デルに基づく認識の有り方とは決定的に異なる人
419 における車の音やカラスの鳴き声は,ヨース
間の認識の豊かさが見出されるのではないだろう
ケとユウの間に立ちはだかるユウの姉を通して,
か.
12
0.02.23
時間
人物
背景など
せりふ
その他
0.02.46
空のカット.夕暮れ.
電柱と電線.雲.山.
虫の音.
14
0.02.49
道を画面の手前へ向かっ ユウ.
て歩くユウ.
木,電柱,塀,道など.
虫の音.ユウが道を歩く
音.
15
0.02.54
道端の車のバックミラー ヨ ー ス ケ. 建物.車.道など.
を見ながら髪の毛をセッ ユウ.
トするヨースケ.ユウが
通りかかる.ユウはその
まま通りすぎようとする
が,ヨースケがユウの後
を追って歩き始める.
ユ ウ「 何, 色 気 ヨースケの立てる音.ユ
づ い て ん だ よ, ウの歩く音.
元野球部」
.
時間
19
0.03.32
シ ャ ー ペ ン を 動 か す ユ ユウ.
ウ.
20
0.03.36
授業に集中しているヨー ヨースケ. (教室の)生徒.壁.
スケのカット.
21
0.03.39
22
0.03.45
ユウのカット.ユウ,右 ユウ.
前方に一瞥をくれる.
23
0.03.48
ヨースケのカット.
24
0.03.51
ユ ウ の カ ッ ト.0.04.09 ユウ.
ユウ,腕を動かす.消し
ゴムでヨースケの顔を消
していると思われる.
25
0.04.11
虫の音.(ヨースケがギ
ターを片付け始める)音.
消しゴムでヨースケの顔 ( ユ ウ の ) 窓.消しゴム.
を消すユウの手.
手.
(先生の話す)声.手が
ノートに当たる音.
26
0.04.14
ヨースケのカット.
ヨースケ. (教室の)生徒.
(先生の話す)声.
虫の音.
27
0.04.16
ユウのカット.
ユウ.
(先生の話す)声.この
カットで途切れる.
鼻歌.野原を踏む足音.
途中より虫の音.
3
0.01.05
空のカット.2 からクロ
スフェード.雲の移動.
空.雲.
虫の音.ユウの鼻歌.ギ
ターの音.
4
0.01.19
歩 く ユ ウ の カ ッ ト. 制 ユウ.
服姿のユウが歩く.ゆっ
くり歩いてやがて足を止
め,こちら側を向く.
画 面 の 上 4 分 の 3 は 空,
下 4 分の 1 は,小高い草地.
虫の音.ギターの音.
河 岸 に 座 し て 同 じ 所 ば ヨースケ.
かり弾くヨースケのカッ
ト.
コンクリートの河岸.橋と
橋の脚柱が見受けられる.
虫の音.ギターの音.
6
0.01.44
草むらのカット.
虫の音.ギターの音.
7
0.01.47
ギターの同じ旋律を試行 ヨースケ.
錯誤しながら弾く,ヨー ユウ.
スケ.画面右上に座する
ユウの姿.
橋と橋脚.
座ってヨースケのギター ユウ.
を聴くユウ.
橋の一部と橋脚.上 3 分の
2 が空,下 3 分の 1 が草地
の背景.
虫 の 音. ギ タ ー の 音.
0.02.05 ヨ ー ス ケ の ギ
ターの旋律を共に歌うユ
ウの声.車の音.
ギターを弾くヨースケ. ヨースケ.
ヨースケは,ユウが共に
歌うのに気付いてユウの
方を振り返る.
コンクリートの河岸など.
虫の音.ユウの歌声.ギ
ターの音.車の音.
橋と橋脚と空と草地.
座ってヨースケのギター ユウ.
を聴くユウ.
11
0.02.17
ギターを片付けるヨース ヨ ー ス ケ. 青空.橋.小高い草地.河
ケ.画面構成は 7 と同様. ユウ.
岸のコンクリート
その他
0.03.27
空.
虫の音.ギターの音.
(ユウの)落書き.
青空.雲.
せりふ
18
ユウの顔と空のカット. ユウ.
3 へクロスフェード.
0.02.12
背景など
シ ャ ー ペ ン を 動 か す ユ ユウ.
ウ.
ユウ「ヨースケ,
覚えてる?わた
しは覚えてる
よ」.
10
人物
0.03.23
0.00.41
0.02.08
その他
17
2
9
せりふ
空のカット.雲の移動.
ブランク画面.
0.02.01
背景など
0.03.19
0.00.15
8
人物
16
1
0.01.39
二人が道を踏む音.虫の
音.水の音とおぼしきも
の.
シーン 3(16-27)
シーン 1(1-12)
時間
空.草地(一部,
コンクリー
ト)
.
13
(カット割り表は,前半部のみ示す.後半部は省略する.)
前半部
歩 く ユ ウ と ヨ ー ス ケ.
ヨースケ,歩速を早めて,
やがてユウを抜き去る.
シーン 2(13-15)
映像の構成(カット割り)
5
57
Vol.2 (2008)
(教室の)生徒.窓.
( ユ ウ の ) ノート,シャーペン.落書
手.
き.
(教室の)生徒.窓.シャー
ペン.
(ユウの)
落書き.次第に,( ユ ウ の ) ノート.シャーペン.ヨー
それはヨースケであるこ 手.
スケの落書き.
とが分かる.カットの終
わりで,シャーペンを動
かす手が止まる.
(教室の)生徒.窓.シャー
ペン.
ヨースケ. (教室の)生徒.
窓.
(教室の)生徒.窓.
授業の音.
(先生の話す)
声.
(先生の話す)声.
(先生の話す)声.
(先生の話す)声.シャー
ペンがノートに擦れる
音.
(先生の話す)声.シャー
ペンがノートに擦れる
音.
(先生の話す)声.話の
内容から,古文の授業で
あるという察しがつく.
シャーペンがノートに擦
れる音.
(先生の話す)声.
(先生の話す)声.
(先生の話す)声.板書
の音.消しゴムがノート
に擦れる音.
58
シーン 4(28-46)
時間
人物
背景など
画面の殆どを雲が覆う.わ
ずかに青空.
せりふ
0.04.19
空のカット.雲の移動.
29
0.04.24
川辺の,ユウの姉のカッ ユ ウ の 姉 川と草木 (O).
ト.
(F).
水の音.車の音.
30
0.04.28
河岸のコンクリートに座 ユウの姉.
るユウの姉のカット.
木.川.道.草地.
水の音.車の音.
31
0.04.32
空のカット.曇天の空.
画面の下部に雑草がわずか
に見受けられる.
虫の音.風の音.
32
0.04.35
台所の,ユウの姉のカッ ユウの姉.
ト.
(ユウ).
台所.
(ヨースケのギターの)
旋律を口ずさむユウの
声.但し,恐らく鑑賞者
は,33 の ユ ウ の 姉 の せ
りふを通して,その声と
旋律を口ずさむ声が異な
るので,初めて,それは
ユウの姉の声でないこと
に 気 付 く で あ ろ う.32
におけるユウの存在は極
めて軽く,殆ど隠されて
しまっている.
0.04.40
逆 光 の 中 に 座 る ユ ウ の ユウ.
(ユウ 室内.
カ ッ ト. 縦 に 3 分 割 さ の姉).
れた画面構成.中央の逆
光の中にユウが配置され
る.この 3 分割のカット
は,以後ユウを特徴付け
るものとして使われる.
ユウの姉「なん 旋 律 を 口 ず さ む ユ ウ の
の曲?」.
声.虫の音.
34
0.04.49
台所の,ユウの姉のカッ ユウの姉.
ト
(ユウ).
ユウ「ヨースケ 水道から水が出る音.食
がギターで弾い 器を洗う音.
てる曲.おんな
じとこばっかし
か,弾かないか
ら,覚えてたく
もないのに覚え
ちゃって」.
0.05.03
3 分 割 の 画 面 の ユ ウ の ユウ.
(ユウ 戸など.室内.
カット.
の姉).
ユウの姉「ヨー 水道の音.虫の音.
スケ君の曲?」.
ユ ウ「 う う ん,
違うと思う」.
ユ ウ の せ り ふ. 水道の音.虫の音.
略.
台所.
0.05.34
台所の,ユウの姉のカッ ユ ウ の 姉. 台所.
ト.このカットにおいて,(ユウ)
.
ユウの語りによって初め
て,鑑賞者は,台所に立
つ人がユウの姉だと分か
る.
ユウの語り「姉 水道の音.
は半年前に大
切な人を事故で
亡 く し て い た.
ずっと思い続け
てた人」
.
41
0.05.49
3 分 割 の 画 面 の ユ ウ の ユウ.
カット.語りが終わると,
ユウは移動し始める.
室内.
ユウの語り「そ 水道の音.食器を洗う音.
れ か ら 姉 は な ドアの音らしきもの.
ぜか前より少し
笑うようになっ
た」
.
42
0.06.02
台所の,ユウの姉のカッ ユウの姉.
ト.
台所.
食器を洗う音.水道の音.
43
0.06.06
移動するユウのカット.
ユウ.
(ユウ 室内.
の姉)
.
ユウ「おなかす 水道,止まる.ドアの音.
いた」
.ユウの
姉「うん,
ちょっ
と待って」
.
44
0.06.11
台所を出るユウの姉.
ユ ウ の 姉. 室内.
( ユ ウ の
母)
.
(ユウの母)
「た ドアの音.
だ」
(45 へ継続)
.
45
0.06.13
ユ ウ の 前 を 通 り 過 ぎ て ユ ウ. ユ ウ 室内.
奥へ入るユウの母のカッ の 姉. ユ ウ
ト.
の母.
ユ ウ の 母「
( た ドアの音.
だ)いま」
(44
より)
.ユウ「お
かえり」
.ユウ
の 姉「 お か え
り」
.ユウの母
「お,ただいま」
.
ユ ウ の 姉「 お
かえりなさい」
.
ユウの母,ユウ
の前を通り過ぎ
る.ユウの姉
「お
母さん,お茶飲
む?」
.ユウの
母「頂きたい」
.
46
0.06.30
空のカット.わずかに雲 ( ユ ウ・ ユ 殆ど雲に覆われた空.木. ユウの姉「ユウ 虫の音.急須のふたの音.
の移動.
ウの姉)
.
雑草.
は?」
.ユウ「飲 湯を注ぐ音.
む」
.
無音.
33
台所.
40
その他
28
35
59
Vol.2 (2008)
36
0.05.08
台所の,ユウの姉のカッ ユウの姉.
ト.
(ユウ).
37
0.05.21
3 分 割 の 画 面 の ユ ウ の ユウ.
(ユウ 戸など.室内.
カット.
の姉).
38
0.05.26
台所の,ユウの姉のカッ ユウの姉.
ト.
(ユウ).
台所.
水道の音.
39
0.05.30
3 分 割 の 画 面 の ユ ウ の ユウ.
カット.
戸など.室内.
水道の音.食器を洗う音.
ユウの姉「もっ 水道の音.
と 歌 っ て 」. ユ
ウ「やだよ」.
シーン 5(47-55)
時間
人物
背景など
せりふ
その他
47
0.06.41
傘を差すユウと空のカッ ユウ.
ト
空.電線柱と電線.草地.
虫の音.ユウの歩く音.
48
0.06.50
水門のヨースケ.
ヨースケ.
青い水門.コンクリートの
柱.草木.
虫の音他.
49
0.06.54
傘を差すユウ.
ユウ.
一面,雨の空.
虫の音他.
50
0.06.59
水門のユウとヨースケ.
ユ ウ. ヨ ー 水門.川.
スケ.
虫の音.川の音.
51
0.07.07
川のカット.
川.草木.
川の音.虫の音.
52
0.07.11
水門のユウとヨースケ.
ユ ウ. ヨ ー 水門.川.
スケ.
ユ ウ の 姉 を 心 川の音.虫の音.
配し気遣うユウ
とヨースケの会
話.ユウの語り.
60
53
0.07.35
並んで歩く,ユウとヨー ユ ウ. ヨ ー 曇天の空.電線柱.草地.橋.
スケのカット.
スケ.
虫の音.
54
0.08.02
台所の,ユウの姉のカッ ユ ウ の 姉. 台所.
ト.
(ユウ).
ヨースケのギターの旋律
を口ずさむユウの声.食
器を洗う音.
55
61
Vol.2 (2008)
0.08.07
3 分 割 の 画 面 の ユ ウ の ユウ.
カット.
室内.
70
ヨースケのギターの旋律
を口ずさむユウの声.か
すかに,食器を洗う音.
シーン 6(56-70)
時間
人物
背景など
せりふ
0.13.57
0.08.15
空のカット.わずかに移
動する雲.
青空.雲.
川の音.車の音.風の音.
57
0.08.18
川辺の,ユウの姉のカッ ユウの姉
ト.
(F).
川 (O).草木 (O).
ユウの姉の,ヨースケの
ギターの旋律を口ずさむ
声.川の音.車の音.風
の音.
ユウ.
夜.
虫の音.立ち去るユウの
足音.
シーン 7(71-99)
時間
人物
背景など
せりふ
その他
71
0.14.09
空のカット.
曇天の空.画面下部に木の
一部.
無音.
72
0.14.14
学校の廊下.
廊下.廊下を歩く生徒.
生徒の歩く音.
73
0.14.32
廊 下 を 歩 く ユ ウ の カ ッ ユウ.
ト.カメラが斜めに傾け
てセットされている.
廊下.廊下を歩く生徒.
生徒の歩く音.
74
0.14.41
教室のヨースケ.
75
0.14.45
教室のユウ.セーラー服 ユウ.
姿のユウ.
76
0.14.50
授業の始まりのカット.
その他
56
ユウのカット.
ヨースケ. (教室の)生徒.
無音.
(教室の)生徒.
無音.
ユ ウ.
( 先 (教室の)生徒.
生)
.
先生が入ってくる音.
58
0.08.28
ギ タ ー を 弾 く ヨ ー ス ケ. ヨ ー ス ケ. 空.草地.コンクリートの 0.09.39 ユウ「お 風の音.
0.08.46 ユウが来て隣に座 0.08.46 ユ 地面.
んなじとこばっ
る.
ウ.
かだね」.
77
0.15.07
ユウに制服のことを尋ね 先 生.
( ユ (教室の)生徒.
る先生のカット.
ウ)
.
ユ ウ と 先 生 の,
ユウの制服につ
いての会話.
59
0.09.52
河岸のコンクリートに座 ユウの姉.
るユウの姉のカット.ヨー
スケのギターの旋律を口
ずさむ.
78
0.15.15
ユウのカット.
ユ ウ.
( 先 (教室の)生徒.
生)
.
同上.
79
0.15.19
ヨ ー ス ケ の カ ッ ト. 画 ヨ ー ス ケ.(教室の)生徒.
面右端にユウが映ってい ユ ウ.
( 先
る.
生)
.
同上.
80
0.15.24
ユ ウ と 会 話 す る 先 生 の 先 生.
( ユ (教室の)生徒.
カット.
ウ)
.
同上.
81
0.15.36
ユ ウ の カ ッ ト. ユ ウ と ユ ウ.
( 先 (教室の)生徒.
ヨースケは,後で進路指 生 )
.
(ヨー
導室に来るように言われ スケ)
.
る.
同 上. そ の 後,
先生とヨースケ
の会話.
82
0.15.43
ヨ ー ス ケ の カ ッ ト. 画 ヨ ー ス ケ.(教室の)生徒.
面右端にユウが映ってい ユ ウ.
( 先
る.
生)
.
先生とヨースケ
の会話.
83
0.15.48
進 路 指 導 室 前 の 廊 下 の ヨ ー ス ケ 進路指導室前の廊下.
カット.順番を待つヨー ( シ ル エ ッ
ス ケ. ユ ウ が 出 て き て ト )
.ユウ
ヨースケの前を通り過ぎ ( シ ル エ ッ
る.
ト)
.
84
0.16.06
進路指導室の先生とヨー 先生.ヨー
スケ.
スケ(後ろ
向き)
.
進路指導室.
85
0.16.56
水門脇に座ってギターを ヨースケ.
弾くヨースケ.
水門の脚柱(ここがどこで
あるかを特定可能にする唯
一のもの)
.草地.
虫の音.水の音.ヨース
ケのギターの音.
86
0.17.02
ユウが通りかかる.
空.草地.
虫の音.水の音.ギター
の音.
空.草地.
虫の音.水の音.
空.
虫の音.水の音.
空.草地.一部コンクリー
トの地面.
虫の音.水の音.
川.草木.コンクリート.
60
0.10.22
歩くユウとヨースケ.
ユ ウ. ヨ ー 夕暮れの空.うろこ雲.草
スケ.
地.
61
0.10.44
歩くユウとヨースケ.
ユ ウ. ヨ ー 空.草地.
スケ.
62
0.11.02
歩くユウとヨースケ.こ ユ ウ. ヨ ー うろこ雲の空.草地.
のカットでは,二人の姿 スケ.
は,殆どシルエットになっ
ている.カットの終わり
で,ユウは笑いながら走
り出す.
ユウの姉の,ヨースケの
ギターの旋律を口ずさむ
声.川の音.風の音.
虫の音.風の音.ユウと
ヨースケの歩く音.
ユウの姉を気遣 虫の音.風の音.ユウと
うユウとヨース ヨースケの歩く音.
ケの会話.
ユウの姉が高
校生の時の制服
に関する,ユウ
とヨースケの会
話.
虫の音.風の音.ユウと
ヨースケの歩く音.カッ
トの終わり,ユウの笑い
声.
63
0.12.22
空と草地のカット.日没.(ユウ).
空.草地.
虫の音.0.12.24 ユウの
息遣いの音.
64
0.12.25
早足のユウのシルエット. ユウ.
カットの終わりで立ち止
まる.
夕闇.
虫の音.息遣い,足音な
ど,ユウの音.
65
0.12.36
蛇行する夜の道.
夜道.
虫の音.息遣いなど,ユ
ウの音.0.12.39 ユウと
は別の,走ってくる足音.
66
0.12.42
走ってくるヨースケ.通 ヨースケ.
り過ぎかけて,戻ってく
る.
夜.
虫の音.走ってくる足音.
67
0.13.00
ユウのシルエット.
夜.
ユウの息遣いの音.
68
0.13.04
自販機で何かを買い,走 ヨースケ.
り去るヨースケ.
夜.
ヨースケの足音,自販機
の音など.
87
0.17.15
69
0.13.49
成人雑誌を販売する自販
機のカット.
夜.
無音.
88
0.17.18
ユウのカット.
89
0.17.23
並んで座るユウとヨース ユウ.ヨー
ケ.
スケ.
(ユウ).
ユウ.
ユウ.
(ギターをやめて)ユウ ヨースケ.
を見るヨースケ.
ユウ.
無音.
先生とヨースケ
の, 進 路 に 関 す
る会話.
62
90
0.17.34
曇天の空のカット.
91
0.17.37
ユ ウ の カ ッ ト. 右 端 に ユウ(F).ヨー 空(少しボケ気味).草地(少
ヨースケの体の一部とギ スケ.
しボケ気味).
ターが映っている.
92
0.17.51
ユウのカット.
93
94
95
63
Vol.2 (2008)
0.18.23
0.18.40
0.18.57
雲.草地.
ユウ(F).
(ヨー 空 (O).草地 (O).
スケ).
虫の音.水の音.
0 . 1 8 . 0 9 ユ 虫の音.水の音.ギター
ウ「 に お い か の音.
い で み る?」.
0.18.12 ヨースケ
「えっ?」.
虫の音.水の音.ヨース
ケがギターを下に置い
たときの音.
ユ ウ の カ ッ ト.0.18.40 ユウ.ヨー
ヨースケ,立ち上がる. スケ.
0.18.53 ユウが立ち上が
る. ユ ウ, そ の ま ま 走
り去ろうとする.ユウが
走る方向へ,ユウより先
にカメラを向ける流し撮
り.
空 (O).草地 (O).
虫の音.水の音.
ユウのカット.ユウの口 ユウ.
の動きによって,ユウが
ヨースケに向かって何か
を言ったことが分かる.
このカットは無音である
ので何を言っているのか
は分からない.
空.
不明.
空.草地.ギター.
97
0.19.19
空 の カ ッ ト. 下 に, 草 (ユウ).
の一部が小さく映ってい
る.0.19.21 多 重 露 出 に
よ り ユ ウ が 出 現.95 の
ユウが何かを言った箇
所の映像を重ねている.
0.19.29 ユウ,去る.
空.草の一部.
空.草地.ギター.コンク
リートの地面.
虫の音.水の音.走り去
るユウの足音.
曇り空.渡り廊下.渡り廊
下の手すり.
虫の音.水の音.
99
0.19.37
曇り空と渡り廊下のカッ
ト.雲の移動.
虫の音.水の音.
0.19.29 ユウ「変 虫の音.水の音.0.19.21
態野郎」.
無音となる.0.19.29 虫
の音.水の音.
シーン 8(100-108)
時間
人物
100
0.19.41
ユウのカット.
101
0.19.53
ユウの姉のカット.
ユウ.(ユ
ウの姉).
ユウの姉.
(ユウ).
103
0.20.13
ユウの姉のカット.
104
0.20.17
ユウのカット.
105
0.20.23
ユウの姉のカット.
106
0.20.32
ユウのカット.
107
0.20.36
ユウの姉のカット.
108
0.20.39
ユ ウ の カ ッ ト.0.21.08 ユウ.
(ユ
ユウ,去る.奥にユウが ウの姉)
.
いつも座っている場所の
窓とカーテンが見える.
時間
立ちつくす,ヨースケの ヨースケ.
カット.画面左手に,
去っ ユウ.
ていくユウの姿が小さく
映っている.
ヨースケ.
ユウ.
(ユ
ウの姉)
.
ユウの姉.
(ユウ)
.
ユウ.
(ユ
ウの姉)
.
ユウの姉.
(ユウ)
.
ユウ.
(ユ
ウの姉)
.
ユウの姉.
(ユウ)
.
家の中.
0.20.03 ユウ
「ヨー わずかに水がはねる音.
スケがお姉ちゃ
んに話があるっ
て. 明 日 の 夕
方 5 時に水門の
ところで待って
るって」
.
台所.
わずかに布巾を絞る音.
家の中.
0.20.18 ユウ「わ 水滴の音.
たしもよくわか
んないけど,
台所.
ま, 行 っ て あ げ
て」
.0.20.29 ユ
ウの姉「うん」
.
家の中.
0.20.33 ユウ,う 水滴の音.
なずく.
台所.
家の中.
0.20.39- ユ ウ と 0.21.00 水道から水が出
ユウの姉の会話. る 音( あ る い は ド ア の
略.
音. 特 定 で き な い. ド
ア の 音 な ら, ユ ウ の 姉
が勝手口から出て行っ
たと思われる)
.
シーン 9(109-115)
0.19.13
ヨースケのカット.
ユウのカット.
無音.
96
0.19.31
0.20.02
虫の音.水の音.ギター
の音.
ユ ウ の カ ッ ト. 画 面 右 ユウ(F).ヨー 空 (O).草地 (O).
下にヨースケの右の膝が スケ.
映 っ て い る.0.18.24 ユ
ウの横をギターが横切
る.
98
102
背景など
せりふ
その他
家の中.
0.19.52 ユウ「そ 水の音.ユウの姉がヨー
の曲気に入
スケのギターの 旋 律 を
口ずさむ声.ドアの音.
台所.
った?」.
ユウの姉がタオ ル で 手
を拭く音.
人物
109
0.21.11
空のカット.
110
0.21.15
ユウのカット.
111
0.21.22
ヨースケのカット.
112
0.21.27
113
背景など
せりふ
その他
青空.雲.画面右下に電柱
と木の枝が映る.
鳥の鳴き声など.
(今ま
でに用いられたことのな
い新しい音である)
.
ユウ.
教室.
(教室の)生徒.
生徒の話し声.
ヨースケ.
教室.
(教室の)生徒.
生徒の話し声.
水門脇のヨースケのカッ ヨースケ.
ト.
空.山の稜線.草地.電線
柱.水門の脚柱.鳥が画面
を横切る.
車の音.虫の音.鳥のさ
えずり.
0.21.41
玄関のカット.
鏡.入ってきた人の前髪な
どが映っている.
ドアの音.
(鏡の人物が
動く)
.ユウが入ってく
る.
114
0.22.05
時計のカット.
時計.時計の振り子.時計
の針は,4 時 44 分を差し
ている.
時計のチクタクと言う
音.
(これは,今までに
用いられたことのない新
しい音である)
.
115
0.22.09
3 分 割 の 画 面 の ユ ウ の ユウ.
カット.これは,何度も
出てきたカットでありな
がら,全く新しいものと
して,ここでは示されて
いる.
(ユウ)
.
時計の音.
シーン 10(116-121)
時間
116
0.22.16
人物
空のカット.
背景など
青空.雲.画面右下に電柱
と木の枝が映る.
せりふ
その他
生徒の声.
64
117
0.22.20
ヨースケのカット.
118
0.22.25
119
120
121
65
Vol.2 (2008)
学校の中.
生徒の声.扉の音.
ユウが赤い扉から出て来 ユウ.
る.
赤い扉.
生徒の声.扉の音.
0.22.29
ヨースケのカット.
学校の中.
0.22.37
ユウのカット.
0.22.48
ヨースケ.
ヨースケ.
(ユウ).
ユウ.
(ヨー 赤い扉.
スケ).
ヨ ー ス ケ の カ ッ ト. ヨースケ.
0.23.02 ユウがヨースケ ユウ.
の前を足早に横切って行
く.
ヨ ー ス ケ と ユ ウ 生徒の声.
の会話.
ヨ ー ス ケ「 お 姉 生徒の声.
さ ん, 知 っ て た
よ.あの曲」.ユ
ウ「ヨースケがお
んなじとこばっ
か弾くから,
学校の中.
家 で 口 ず さ ん だ 生徒の声.
かも」.
132
0.24.35
ユウの姉のカット.
133
0.24.43
134
ユウの姉.
台所.
食 器 の 音. ユ ウ の 姉,
ヨースケの曲を口ずさ
む.
3 分 割 の 画 面 の ユ ウ の ユウ.
カット.
室内.
ユウの姉,ヨースケの
曲を口ずさむ.
0.24.53
道行く,ユウのカット.
夕暮れ.道路.
虫の音.
135
0.25.00
道行く,ユウのカット. ユウ.
道路の向こうに歩くユウ
が小さく映る.
夕暮れ.空.道路.木.
虫の音.
136
0.25.14
川辺の,ユウの姉のカッ ユウの姉 (F).川と草木 (O).
ト.
137
0.25.20
河岸のコンクリートに座 ユウの姉.
るユウの姉のカット.
138
0.26.03
歩くユウのカット.ユウ, ユウ.
(ヨー 白い壁.
やがて立ち止まる.
スケ)
.
139
0.26.13
ヨースケのカット.
140
0.26.18
ユウのカット.
141
0.26.21
ヨ ー ス ケ の カ ッ ト. 画 ヨースケ.
面左端,ユウがわずかに ユウ.
映っている.
142
0.26.27
ユウのカット.会話の後, ユウ.
(ヨー 白い壁.
ユウが移動し始める.
スケ)
.
143
0.26.38
去るユウとヨースケ.ユ ユウ.ヨー
ウ,ヨースケの前を通り スケ.
過ぎ,赤い扉を開けて中
へ入って行く.ヨースケ
は反対の方へ去る.
ユウ.
シーン 11(122-143)
時間
人物
背景など
せりふ
その他
122
0.23.08
曇り空と渡り廊下のカッ
ト.雲の移動.
薄い雲と青空.渡り廊下.
渡り廊下の手すり.
虫の音.
123
0.23.11
ユ ウ の 姉 と ヨ ー ス ケ の ユウの姉.
カット.
ヨースケ.
空.草地.コンクリートの
地面.山(ここは既に何度
も出てきた場所であるが,
山が見えることによって,
新しいものとして鑑賞者に
示されている).
虫の音.
川.草木.
川の音.車の音.
124
0.23.19
川 の カ ッ ト. カ ッ ト 51
を連想.
125
0.23.22
ユ ウ の 姉 と ヨ ー ス ケ の ユウの姉 (O). 空 (O).草地 (O).
カット.
ヨースケ (F).
焦 点 の 合 わ せ 方 は,
92-94 を連想させる.
126
0.23.28
空と橋と階段のカット.
ヨースケのギターの音.
127
0.23.33
空. 階 段. 橋( 橋 は, ユ
ウとヨースケがいつも一緒
いた場所の象徴であり,こ
のカットは,ユウとヨース
ケに強く関係付けられてい
る.又,このシーンの中に
配置される事によって,鑑
賞 者 に, 今, ユ ウ が 不 在
であるという事を印象付け
る).
ユ ウ の 姉 と ヨ ー ス ケ の ユウの姉 (F). 空 (O).草地 (O).
カット.
ギターを弾
くヨースケ
(F).
ヨースケのギターの音.
ヨースケ.
(ユウ)
.
風の音.水の音.車の音.
29-30 を連想させる.
草木.川.コンクリート. ユ ウ の 姉, ヨ ー 風の音.水の音.車の音.
草地.
ス ケ の ギ タ ー の 29-30 を連想させる.
旋律を口ずさん
だ後,川に向かっ
て「 い い 曲 で
し ょ. 妹 の ユ ウ
の友達のヨース
ケ君て子が作っ
た曲」
. こ の 後,
ユ ウ の 姉, 同 じ
旋律を再び口ず
さむ.
ヨ ー ス ケ「 あ ユウの足音.生徒の声.
の,
」
.
学校の廊下.赤い扉など. ヨ ー ス ケ「 聞 き 生徒の声.
たいことがある
んだけど」
.ユウ
「なに?」
.
ユウ.
(ヨー 白い壁.
スケ)
.
ヨ ー ス ケ「 こ こ 生徒の声.
が 終 わ っ た ら,
水門のところで
待ってる」
.
学校の廊下.赤い扉など. ヨ ー ス ケ と ユ ウ 生徒の声.
の会話.
ヨ ー ス ケ と ユ ウ 生徒の声.
の会話.
学校の廊下.赤い扉など.
生徒の声.
シーン 12(144-162)
128
0.23.57
ユ ウ の 姉 と ヨ ー ス ケ の ユ ウ の 姉. 空.山.電線柱.草地.コ
カット.
ヨースケ. ンクリートの地面.
川の音など.
129
0.24.04
3 分 割 の 画 面 の ユ ウ の ユウ.
カット.
室内.
水道の音(ユウの姉を
連想させるもの)
.
130
0.24.10
台所の,ユウの姉のカッ ユウの姉.
ト.
台所.
水 道 の 音. ユ ウ の 姉,
ヨースケの曲を口ずさ
む.
131
0.24.23
3 分 割 の 画 面 の ユ ウ の ユウ.
カット.
室内.
水道の音.やがてやみ,
食器の音に変わる.ユ
ウの姉,ヨースケの曲
を口ずさむ.
時間
人物
背景など
一面,雲.
せりふ
その他
144
0.26.49
空のカット.雲の移動.
無音.
145
0.26.53
座るヨースケのカット.
ヨ ー ス ケ. 空.草地.
(この空と草地 0.27.29, ヨ ー ス 川の音,車の音など.
や が て, ユ の 構 図 は 92-93 を 連 想 さ ケ「ユウ,ユウは
ウがやって せる)
.ギター.
さ,
」
.
くる.
146
0.27.37
ユウとヨースケ.
ユウ.ヨー
スケ.
空.わずかに草地が映る. 0.27.39, ヨ ー 川の音,車の音など.
ス ケ「 あ の,
」
.
0.27.48,ユウ「な
に?」.0.27.49,
ヨースケ「えっ」
.
66
147
0.28.03
ユウとヨースケ.
148
0.28.33
空と渡り廊下のカット.
149
0.28.39
ユウとヨースケ.
ユウ.ヨー
スケ.
空.
0.28.04,ヨースケ 川の音,車の音など.
「お姉さんはさ,」.
0.28.05,ユウ「う
ん」.
0.28.16,ヨースケ
「 い や, な ん で も
ない」.
0.28.18,ユウ「な
に?」.
0.28.19,ヨースケ
「ごめん」.
0.28.22,ユウ「姉
ちゃんがどうした
の?」.
0.28.23,ヨースケ
「ん?」.
0.28.25,ヨースケ
「なんでもない」.
0.28.28,ヨースケ
「ごめん」.
空.渡り廊下.渡り廊下の
手すり.
ユウ.ヨー
スケ.
0.28.46,ユウ「ど 川の音,車の音など.
うしたの?」.
0.28.47,ヨースケ
「ん?」.
0.28.48,ユウ「ど
うしたの?」.
0.28.51,ヨースケ
「別に」.
0.28.57
ユウとヨースケ.
151
0.29.08
空と渡り廊下のカット.
152
0.29.13
ユウとヨースケ.
ユウ (F).ヨー 空 (O).わずかに草地 (O).
スケ (F).
車の音など.
153
0.29.25
ユウとヨースケ.
ユウ (F)(顔 わずかに空 (O).草地 (O).
が映らず体 コンクリートの地面 (F).
のみ).ヨー
スケ (F)(顔
が映らず体
のみ).
車の音,虫の音など.
155
156
0.29.29
0.30.20
0.30.27
ユウ.ヨー
スケ.
空.草地.ギター.
空.
川の音,車の音など.
空.渡り廊下.渡り廊下の
手すり.
川の音,車の音など.
空と渡り廊下のカット.
158
0.31.04
ユウとヨースケ.
ユウ.ヨー
スケ.
空.
0.31.09 ヨ ー ス 車の音,川の音など.
ケ, 右 腕 で, 前
を差す.ユウ「う
ん?」
.ヨースケ,
再び前を差す.ユ
ウ「なに?」
.ヨー
スケ,再度前を差
す.ユウ
「なに?」
.
ヨースケ「手出し
て」
.二人で右腕
を前へ伸ばす.
159
0.31.25
前方を指差すユウとヨー ユウ.ヨー
スケ.
スケ.
空.
ヨ ー ス ケ「 ち ゃ 車の音など.
んとこうやって,
ちゃんとこうのば
して,こう」
.
160
0.31.34
前方へ向かって腕を伸ば ユウ.ヨー
すユウとヨースケ.
スケ.
空.
ユウ「何が見える 車の音など.
の?」
.ヨースケ
「ちゃんと,この
指先にぐって」
.
161
0.31.42
ユウとヨースケの指と
腕のカット.やがて,ユ
ウが笑い出して手を下ろ
す.ヨースケも下ろす.
ユウの右手 空.
と 右 の 腕.
ヨースケの
右手と右の
腕.
車の音など.
162
0.31.47
笑 う ユ ウ と, ヨ ー ス ケ ユ ウ. ヨ ー 空.
の カ ッ ト.0.32.53 ヨ ー スケ.
スケ,ユウの前へ移動.
0.33.23 ユウとヨースケ
が キ ス を す る.0.34.16
ヨースケ,再びユウの横
へ移動する.0.34.28 ヨー
スケ,ギターを片付け始
める(ギターは画面に写
されておらず,ヨースケ
がかがむ姿のみが描かれ
る)
.ユウは泣き始めて
いる.
時間
車の音,虫の音など.
ユウとヨースケ.
車の音など.
ユ ウ と ヨ ー ス ケ の カ ッ ユ ウ. ヨ ー 空.
ト.0.30.34 ヨ ー ス ケ, スケ.
ユウの前へ移動し,二人
が向き合う.0.30.52 ヨー
スケ,再び,ユウの隣へ
戻る.
0.30.58
青空.渡り廊下.渡り廊下
の手すり.
車の音,川の音など.
車 の 音 な ど.0.34.28
ヨースケの動く音.ギ
ターを動かす音.
(ヨー
スケの)足音.
(ヨース
ケの)駆け足の音.残
さ れ た ユ ウ は, 独 り,
泣いている.
シーン 13(163-170)
ユウとヨースケ.やがて, ユウ (F).ヨー 空 (O).
ヨースケ,立ち上がる. スケ (F).
その後しばらくして,ユ
ウも立ち上がり,ヨース
ケの横へ並ぶ.
ユウ (F)(肩 空 (O).
か ら 足 ま
で ). ヨ ー
スケ (F)(肩
か ら 足 ま
で).
157
川の音,車の音など.
150
154
67
Vol.2 (2008)
0.30.46 ユ ウ「 お 車の音など.
なじくらいだね」.
0.30.47 ヨースケ
「おなじくらいだ」
.
人物
背景など
せりふ
その他
163
0.35.05
空のカット(日没)
.雲の
移動.
空.雲.
無音.0.35.08 環境音.
164
0.35.09
曇り空と丘(シルエット)
の カ ッ ト. 日 没.0.35.10
左の木の向こうから,歩く
人のシルエットが出現.
曇り空.木(シルエット)
.
丘(シルエット)
.
環境音(虫の音など)
.
165
0.35.22
ユウのシルエットと日没の ユ ウ( シ ル 日没の空.
空.0.35.25 ユウ,歩くの エット)
.シ
を や め る.0.35.29 ユ ウ, ル エ ッ ト か
再び,歩き始める.0.35.31 ら, ユ ウ は
ユウ,走り始める.0.35.39 制 服 を 着 て
カメラが上へと向きを変え お ら ず, 私
て行き,走るユウを離れ, 服 姿 で あ る
上 方 の 空 を 写 す.0.35.40 こ と が 分 か
カメラは完全に日没の空の る.
みを写す.
環 境 音.0.35.29 ユ ウ
の足音.ユウの息遣い.
環 境 音 と 足 音,166 と
の変わり目で,音量が
小 さ く な り,166 で や
がて消える.
68
166
69
Vol.2 (2008)
0.35.41
立ち止まるユウの顔のカッ ユウ.
ト.0.36.08, 向 こ う 向 き
になって歩き始めるユウ.
167
0.36.17
河岸のコンクリートに座る ユウの姉.
ユウの姉のカット.
168
0.36.34
ユウの姉のカット.
169
0.36.50
空のカット.雲の移動.
170
0.36.54
ユウの姉のカット.
夕闇.
草木.川.道.草地.
ユウの姉 (F).コ ン ク リ ー ト の 階 段 (O).
画面左上一部草木 (O).
青空.雲.
ユウの姉 (F).コ ン ク リ ー ト の 階 段 (O).
画面左上一部草木 (O).
0.35.56 ユ ウ「 な 0.35.41-0.35.51,165
んであたしは泣 の ユ ウ の 足 音 と 環 境
い た ん だ ろ う 」. 音 . 0 . 3 5 . 5 1 , 1 6 5
0.36.00 ユ ウ「 な の 音 が 完 全 に 消 失.
んで泣くことを止 0.35.41 - 0.35.51, ユウ
めなかったんだろ は, カ ッ ト の 始 ま り
う 」.0.36.08 ユ から動かず立ち止まっ
ウ「なんで」.
て お り, ユ ウ の 足 音
がするというのは,物
理的には不自然.前の
シーンの出来事から逃
れるように走った己を
振 り 返 る, ユ ウ の 心
の中を表現しようと
し て い る の で あ ろ う.
0.35.51-0.35.56,無音.
0.36.11,風 の 音,水 の
音(水道の音か川の音
か即座には判断でき
ず ).0.36.15, ヨ ー ス
ケの旋律を口にする姉
の声.わずかに一音ほ
ど. こ れ が, ユ ウ の 姉
の声であることの認識
は,声そのものによっ
てでなく,水の音によっ
て成立していると考え
られる.ユウの姉が実
際に映像の中で歌い始
めるのは 167 の 0.36.24
においてであり,この
音は不連続なものとし
て,独立させられてい
る. こ の 音 は, な ぜ 泣
いたのかという,ユウ
の問いに対する答えを
暗示し,ユウの気持ち
を示唆するように思わ
れ る. い ず れ に せ よ,
空と渡り廊下のカット
に よ っ て 形 成 さ れ た,
ユウの姉のいない,ユ
ウとヨースケだけの世
界の広がりは,もはや
消失する.
シーン 14(171-197)
時間
背景など
せりふ
0.37.34
空のカット.雲の移動.風
に揺れる草.
172
0.37.37
3 分割の画面のユウのカッ ユ ウ( ユ ウ 家の中.
ト.
は部屋の前
の廊下に居
る)
.
173
0.37.43
台所の,ユウの姉のカット. ユウの姉.
(ユウ)
.
台所.
0.37.47 ユ ウ「 た 初 め, 無 音.0.37.49
だいま,お姉ちゃ 水滴の音.
ん」
.0.37.53 ユ ウ
の姉「お帰り」
.
174
0.37.54
3 分割の画面のユウのカッ ユウ.ユウ
ト.
の姉.
家の中.
0.37.55 ユ ウ「 た 0.38.05, ユ ウ の 姉 と
だいま」
.0.38.11 思われる人影が,画面
ユウの姉「ユウ,
」
. の手前を右から左へ横
ユウ「ん?」
.ユウ 切る.
の姉「今日のごは
んどうしようか」
.
ユウ「なんでもい
いよ」
.
175
0.38.20
台所のカット.初め誰もい ユウの姉.
な い.0.38.22, ユ ウ の 姉 (ユウ)
.
がりんごを両手に持って
入ってくる.
台所.
176
0.38.27
3 分割の画面のユウのカッ ユウ.
ト.
家の中.
0.38.29, り ん ご の 皮
をむく音.
177
0.38.33
台所の,ユウの姉のカット. ユウの姉.
台所.姉が手に持つ包丁.
りんごの皮をむく音.
178
0.38.40
3 分割の画面のユウのカッ ユウ.
ト.0.38.44, ユ ウ は 立 ち
上がって移動する.画面か
らユウの姿が消える.
家の中.
りんごの皮をむく音.
179
0.38.50
台所の,ユウの姉とユウ. ユウの姉.
ユウが台所へやってきて皿 ユウ.
を取り姉と会話する.
台所.
180
0.39.10
台所の入口のカット.姉が ユ ウ の 姉. 台所.
台所を出る.ユウも続いて ユウ.
出る.その後は無人の台所
の入口が写され続ける.
181
0.39.27
学 校 の 廊 下 に 立 つ ユ ウ の ユウ.
(ヨー 学校の廊下.
カ ッ ト.0.39.31, ユ ウ の スケ)
.
前を男子学生が通り過ぎ
る. そ れ は ヨ ー ス ケ で あ
る と 思 わ れ る が, 映 像 か
ら特定するにはことは出来
ない.彼はユウの前を通り
過ぎそのまま画面から消え
る.会話によって,彼がそ
こで立ち止まったことが分
かる.
0.39.35 ヨ ー ス ケ 環境音(生徒の立てる
「ちょっといい?」
. 音など)
.
0.39.37 ユ ウ「 う
ん」
.この後,ユウ
の姿は,廊下を曲
がって画面から消
える.
182
0.39.41
181 と は 別 の 廊 下 の カ ッ ユ ウ. ヨ ー 学校の廊下.
ト.
ス ケ( 一 瞬
わずかに歩
くヨースケ
の肩など体
の一部が画
面に映る)
.
場所が移ったことを示
す,それまでとは異な
る環境音.ユウとヨー
スケの歩く音.
風の音.水の音.車の音.
0.36.40 再びヨースケの
旋律を口ずさむ姉の声.
風 の 音, 水 の 音, 車 の
音など.
曇り空.草.
その他
171
風 の 音. 水 の 音.
0.36.24, ヨ ー ス ケ の
旋律を口ずさむ姉の声.
0.36.28,車の音など.
風の音.水の音.車の音.
ヨースケの旋律を口ず
さむ姉の声.カラスの
鳴き声.
人物
無音.
無音
0.38.22 ユ ウ の 姉 0.38.22,水滴の音.
「とりあえず,りん
ご食べようか」
.
ユウ「うん」
.
ユウの姉とユウの ユウの音.りんごの皮
会話.略.
をむく音.皿の音.
0.39.22 ユ ウ「 い 環 境 音( 皿 な ど の 音
ただきまーす」
.
が混ざり合っている)
.
0.39.18, テ ー ブ ル に
皿を置く音.
70
183
71
Vol.2 (2008)
0.39.59
ヨースケのカット.
ヨースケ.
ユウ.
学校の廊下.
ユウ「ヨースケと 環境音.
会ってたころのお
姉ちゃん,鼻歌と
か歌ってたり,な
んか…」.
184
0.40.11
ユウのカット.
ユウ.
学校の廊下.
ユ ウ「 お 姉 ち ゃ 環境音.
んと会ってあげて
よ」.
185
0.40.21
ヨースケのカット.
ヨースケ.
学校の廊下.
ヨースケ「うん」. 環境音.
186
0.40.29
ユウのカット.
ユウ.
学校の廊下.
ユウ「映画とか見 環境音.
に行けば?」.
187
0.40.34
ヨースケのカット.
ヨースケ.
学校の廊下.
ユウ「今度の金曜 環境音.
日の 5 時に映画館
の前で」.ヨースケ
「いや」.
188
0.40.41
ユウのカット.
ユウ.
(ヨー 学校の廊下.
スケ).
ヨースケ「金曜日 環境音.
の 5 時に水門のと
こで待ってる,そ
う伝えといて」.ユ
ウ「うん」.
189
0.41.01
ヨースケのカット.
ヨースケ.
ユウ.
ユウ「分かった」. 環境音.ヨースケの足
ヨースケ,うなず 音.
く.それから移動
し始める.カメラ
はヨースケを追い,
ユウの姿が画面に
映る.ヨースケは,
ユウの前を通り過
ぎる.
学校の廊下.
シーン 15(198-221)
時間
人物
背景など
青 空. 雲. 夕 日. 画 面 下
部に山のシルエット.
せりふ
その他
198
0.42.07
空のカット.雲の移動.
199
0.42.15
家並みの前を行くユウの姉. ユウの姉. 家並み.木.
環境音(子供の遊び声,
バスケットボールをド
リブルする音など)
.
200
0.42.26
ヨースケのカット.
虫 の 音 な ど の 環 境 音.
空, 山, 草 地, 電 線
柱,虫の音の環境音は,
112 を連想させるもの.
ヨースケが姉と会う時,
独り,時計の音を聞く
ユウを描写したシーン
と関連付けられる.
201
0.42.33
3 分割の画面のユウのカッ ユウ.
ト.しかし,カットの始ま
りは,無人である.0.42.40,
ユウが画面の中に入って来
る.ユウは左手に学校鞄を
持っており,学校から帰宅
したところだと分かる.
202
0.42.48
ヨースケのカット.
203
0.42.55
橋に差し掛かるユウの姉の ユウの姉. 道路.空.山.ガードレー
カット.
ル.車.
環境音(虫の音,車の
音など)
.
204
0.42.58
橋を渡るユウの姉のカット. ユウの姉. 空.山.ガードレール.
0.43.04,ユウの姉,左側を
見て歩速を緩める.
環境音.
ヨースケ. 空.山並み.草地.電線柱.
家の中.
ヨ ー ス ケ 空 (O).草地 (O).
の顔 (F).
無音.
ドアを開ける音.鞄の
音.
虫の音などの環境音.
台所.廊下.洗面台.
皿の音.
205
0.43.05
無音.
家の中.
ユウの姉が台所仕事を
する音.
河岸のコンクリートのカッ コンクリー 草木.川.コンクリート
ト.手持ち撮影.画面が揺 トの段に座 の段.道.
れている.この揺れは,ユ る人.
ウの姉の視点を表すのであ
ろう.
206
0.43.10
橋に立ち止まる姉のカット. ユウの姉. 空.ガードレール.
無音.0.43.11,車の音.
台所の,ユウの姉のカット. ユウの姉.
台所.
台所の音.
207
0.43.11
車の音.
0.41.33
ユウのカット.
家の中.
ユウ「ヨースケが, 台所の音.
今度の金曜日,会
いたいって」.
橋の始まりのカット(203
と同じ場所)
.
208
0.43.13
無音.
194
0.41.39
台所の,ユウの姉のカット. ユウの姉.
台所.
ユウの姉,うなず 台所の音.
きながら,「うん」.
河岸のコンクリートのカッ コンクリー 草木.川.コンクリート
ト. 手 持 ち 撮 影.0.43.16, トの段に座 の段.道.
カメラは下方にすばやく動 る人.
かされる.
195
0.41.45
ユウのカット.
家の中.
ユウ「5 時に」.
209
0.43.17
鳥と空のカット.
無音.
196
0.41.50
台所の,ユウの姉のカット. ユ ウ の 姉. 台所.
(ユウ).
210
0.43.24
3 分割の画面のユウのカッ ユ ウ の 顔 室内.
ト.
(シルエッ
ト)
.
か す か な 環 境 音.
0.43.33, 振 り 子 時 計
の 5 時を告げる音(こ
のカットで 1 回音が鳴
る)
.
211
0.43.34
台所のカット.
(190 と同じ
カメラアングル)
.
かすかな環境音.振り
子時計の 5 時を告げる
音(このカットで 4 回
音が鳴る)
.
190
0.41.19
191
0.41.25
ユウのカット.
192
0.41.28
193
197
0.41.58
台所の,ユウの姉のカット. ユウの姉.
(これまでとは異なる,新
しい位置にカメラがセット
され,台所が写される)
.
ユウのカット.
ユウ.
ユウ.
ユウ.
ユウ.
家の中.
水道の流れる音.
ユ ウ「 水 門 の と 台所の音(水道が止め
ころで待ってるっ られることによって際
て」.ユウの姉水道 立たせられる)
.
を止め,手を拭く.
「うん,分かった」.
ユウ「うん」.
道路.空.山.ガードレー
ル.軽トラック.
鳥. 青 空. 雲. カ ッ ト の
終わりで,画面下部に山
が一瞬写る.
台所の音.
台所.廊下.洗面台.
72
73
Vol.2 (2008)
212
0.43.43
曇り空と渡り廊下のカット.
雲の移動.
渡り廊下の手すり(手す
りのみ).曇り空.
無音.
213
0.43.50
壁の前に立つユウのカット. ユウ.
壁.
無音.
214
0.43.55
ユウの手のカット.前に組 ユウの手. 壁.
んだユウの手だけが写され
る.
無音.
0.43.59
寝台に横たわるユウの姉の ユウの姉. 寝台など.
カット.
無音.
216
0.44.05
並んで立つユウとヨースケ. ユウ.ヨー 窓.壁.
スケ.
無音.
217
0.43.13
点滴のカット.
無音.
218
0.44.19
横たわるユウの姉.
ユウの姉. 壁.
シーン 23(429-439)
シーン 24(440-450)
シーン 25(451-463)
215
点滴薬など.
シーン 22(358-428)
0.44.23, ユ ウ の 無音.
語り.「事故は,金
曜日の5時に姉
がヨースケに会い
に行く途中で起き
た」.
219
0.44.32
ユウの顔.
ユウの顔. 壁.
環境音.
220
0.44.40
歩くユウとヨースケ.
ユウ.ヨー 空.山.木.草地.
スケ.
219 とは異なる,虫の
音などの環境音.ユウ
とヨースケの歩く音.
221
0.44.49
歩くユウとヨースケ.
ユウ.ヨー 薄日. 空. 山. 木. 電線 0.44.51,ヨースケ 環境音.二人の歩く音.
スケ.
など.
「ユウ」
.
ユウ
「ん?」
. 0.45.41,カメラは,ユ
0.44.54,ヨースケ ウを追い始め,ヨース
「おまえ,
」
,
0.44.57, ケは画面から消えて行
「自分のせいにすん く.0.45.45, 雨 の 音.
な よ 」.0.45.13, 0.45.48, ユ ウ が 雨 に
ユ ウ「 う ん 」. 気付き,空を見上げる.
0.45.23,ユウ「あ 0.45.56, ユ ウ, ヨ ー
の曲さ,随分先ま ス ケ の 方 を 振 り 返 る.
で出来たんだね」. 0.46.11,ユウ,微笑み
0.45.32,ユウ「ヨー ながら再びヨースケを
ス ケ の 弾 い て た 見る.やがて歩速を速
曲 」.0.45.42, ユ める.0.46.20,ぼかさ
ウ「 姉 ち ゃ ん が れた木の葉の背景の中
台所で歌ってた」. にユウの顔がアップで
0.46.01,ユウ「い 写される.
つかさ,全部出来
たら聞かせてね」.
0.46.10,ヨースケ
「うん」.
シーン 26(464-475)
シーン 27(476-515)
映像の構成(空のカット)
(カット番号の下の (A), (B), (C) の記号は,本稿で扱った 3 種類の空のカットの種類分けを表している.
)
前半部
シーン 1(1-12)
時間
3
(A)
0.01.05
人物
空のカット.2 からクロス
フェード.雲の移動.
シーン 16(222-238)
シーン 17(239-275)
時間
13
(B)
シーン 20(310-339)
シーン 21(340-357)
空.雲.
その他
虫 の 音. ユ ウ の 鼻 歌.
ギターの音.
0.02.46
人物
空のカット.夕暮れ.
背景など
せりふ
電柱と電線.雲.山.
その他
虫の音.
シーン 3(16-27)
時間
16
(A)
0.03.19
人物
空のカット.雲の移動.
背景など
せりふ
青空.雲.
その他
授業の音.
(先生の話す)
声.
シーン 4(28-46)
時間
28
(A)
0.04.19
人物
空のカット.雲の移動.
時間
31
(B)
46
(B)
0.04.32
0.06.30
背景など
せりふ
画面の殆どを雲が覆う.わ
ずかに青空.
人物
空のカット.曇天の空.
背景など
無音.
せりふ
画面の下部に雑草がわず
かに見受けられる.
人物
背景など
その他
その他
虫の音.風の音.
せりふ
その他
空のカット.わずかに雲の ( ユ ウ・ ユ 殆ど雲に覆われた空.木. ユ ウ の 姉「 ユ ウ 虫の音.急須のふたの
移動.
ウの姉)
.
雑草.
は?」
. ユ ウ「 飲 音.湯を注ぐ音.
む」
.
シーン 6(56-70)
シーン 18(276-306)
シーン 19(307-309)
せりふ
シーン 2(13-15)
時間
後半部
背景など
時間
56
(A)
0.08.15
人物
空のカット.わずかに移動
する雲.
背景など
せりふ
青空.雲.
その他
川の音.車の音.風の音.
シーン 7(71-99)
時間
71
(B)
0.14.09
人物
空のカット.
背景など
曇 天 の 空. 画 面 下 部 に 木
の一部.
せりふ
その他
無音.
74
時間
90
(B)
0.17.34
人物
曇天の空のカット.
せりふ
雲.草地.
0.19.19
人物
空 の カ ッ ト. 下 に, 草 の (ユウ).
一部が小さく映っている.
0.19.21 多重露出によりユ
ウが出現.95 のユウが何か
を言った箇所の映像を重ね
ている.0.19.29 ユウ,
去る.
時間
99
(C)
背景など
その他
シーン 13(163-170)
時間
虫の音.水の音.
163
(A)
時間
97
(B)
0.19.37
人物
曇り空と渡り廊下のカッ
ト.雲の移動.
背景など
空.草の一部.
せりふ
時間
0.21.11
0.19.29 ユ ウ「 変 虫の音.水の音.0.19.21
態野郎」.
無 音 と な る.0.19.29
虫の音.水の音.
時間
169
(A)
0.22.16
背景など
せりふ
その他
虫の音.水の音.
背景など
せりふ
青 空. 雲. 画 面 右 下 に 電
柱と木の枝が映る.
171
(B)
空のカット.
その他
鳥の鳴き声など.
(今ま
でに用いられたことの
ない新しい音である)
.
背景など
せりふ
青 空. 雲. 画 面 右 下 に 電
柱と木の枝が映る.
122
(C)
023.08
0.26.49
背景など
せりふ
薄い雲と青空.渡り廊下.
渡り廊下の手すり.
148
(C)
0.28.33
空のカット.雲の移動.
151
(C)
0.29.08
空と渡り廊下のカット.
157
(C)
0.30.58
空と渡り廊下のカット.
せりふ
0.37.34
空のカット.雲の移動.風
に揺れる草.
その他
風の音,水の音,車の
音など.
背景など
せりふ
曇り空.雲.
0.42.07
人物
空のカット.雲の移動.
その他
無音.
0.43.17
0.43.43
背景など
せりふ
青 空. 雲. 夕 日. 画 面 下
部に山のシルエット.
人物
鳥と空のカット.
時間
背景など
無音.
せりふ
鳥. 青 空. 雲. カ ッ ト の
終 わ り で, 画 面 下 部 に 山
が一瞬写る.
人物
曇り空と渡り廊下のカッ
ト.雲の移動.
背景など
その他
その他
無音.
せりふ
渡 り 廊 下 の 手 す り( 手 す
りのみ)
.曇り空.
その他
無音.
後半部
背景など
せりふ
背景など
背景など
青 空. 渡 り 廊 下. 渡 り 廊
下の手すり.
時間
その他
224
(A)
無音.
0.46.43
人物
背景など
せりふ
空 の カ ッ ト. 雲 の 移 動.(ヨースケ). 青空.雲.
223 からクロスフェード.
せりふ
その他
その他
川の音,車の音など.
せりふ
その他
車の音,川の音など.
その他
ピアノの BGM(0.46.49
まで)
.0.46.52,ギター
の音.熟練した,鮮明
なギターの音に,鑑賞
者は,成長したギタリ
ストとしてのヨースケ
の存在を予感させられ
る.しかし,228 にお
い て, そ の ギ タ ー は,
ヨースケとは異なる弾
き手によって弾かれて
いることが判明し,鑑
賞者の期待は裏切られ
る.
川の音,車の音など.
空. 渡 り 廊 下. 渡 り 廊 下
の手すり.
人物
空と渡り廊下のカット.
背景など
空. 渡 り 廊 下. 渡 り 廊 下
の手すり.
人物
時間
せりふ
その他
虫の音.
一面,雲.
人物
時間
背景など
シーン 16(222-238)
人物
時間
無音.0.35.08 環境音.
青空.雲.
人物
時間
生徒の声.
シーン 12(144-162)
144
(A)
198
(B)
212
(C)
曇り空と渡り廊下のカッ
ト.雲の移動.
時間
空のカット.雲の移動.
その他
シーン 11(122-143)
人物
その他
シーン 15(198-221)
209
(B)
人物
時間
0.36.50
時間
空のカット.
せりふ
空.雲.
人物
時間
シーン 10(116-121)
116
(B)
空のカット(日没)
.雲の移
動.
背景など
シーン 14(171-197)
曇 り 空. 渡 り 廊 下. 渡 り
廊下の手すり.
人物
時間
0.35.05
人物
その他
シーン 9(109-115)
109
(B)
75
Vol.2 (2008)
シーン 21(340-357)
時間
343
(B)
1.06.40
人物
空のカット.
背景など
夜空.星又は人工衛星.画
面下部に草の一部.
せりふ
その他
無音.
76
シーン 22(358-428)
時間
381
(B)
1.11.00
人物
空のカット.
背景など
せりふ
夜空.星又は人工衛星.画
面下部に遠山,草木など.
その他
無音.
シーン 23(429-439)
時間
435
(B)
1.21.30
人物
空のカット.
背景など
空. 雲. 画 面 左 下 に, 少
しだけ建物の一部が斜め
に写されている.
せりふ
その他
明らかに,この空のカッ
トにおける建物の構図
は,212 における渡り
廊下の手すりの構図と
関 係 付 け ら れ て い る.
この空のカットは,姉
のことについてヨース
ケに語るユウの心を表
すものだろう.
77
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2 (2008)
—Report—
第 24 回ユニバーシアード競技大会(2007/ バンコク)水球競技について
当麻 成人
Water Polo Games in the 24th International University Sports (Universiade)
Narihito TAIMA
Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1, Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan
(Received October 31, 2007; Accepted November 21, 2007)
The Olympics, the Universiade, and the Asian Games are the three major international competitions in which the
Japanese national water polo team takes part. This report sets out details of the water polo games between Japan and
South Africa, England, Serbia, Hungary, and Australia, held in Bangkok this summer. It includes an analysis of each
game, a description of the tactics of the Japanese players, and the record of individual Japanese players.
はじめに
選手への足がかりとなっている.
1)
筆者は,今大会の水球競技日本代表コーチに任
第 24 回ユニバーシアード競技大会 は,2007
命され,試合期間中,チーム監督や他のコーチと
年8月8日から8月 18 日までの日程で開催され
共にベンチに入り,戦況に応じたアドバイスを送
15 競技 236 種目が実施された.日本オリンピッ
り続けた.本報告は,今後の指導にこの経験を活
ク委員会(JOC)は,今大会に日本代表選手総勢
かすために実際の試合中における選手達へのアド
417 名を派遣した.ユニバーシアード競技大会は,
バイスとミーティングでの彼らへの申し送り事項
若い世代の選手達の競技力向上に大きな役割を果
をまとめたものである.
たしており,それは近い将来のオリンピック代表
大阪薬科大学,e-mail: [email protected]
1) ユニバーシアードの沿革
ユニバーシアード(UNIVERSIADE)とは,国際大学スポーツ連盟(Federation du Sport Universitaire = FISU)が主催する全世界の学
生の総合競技大会で,別名,学生のオリンピックともいわれ2年毎に開催されている.
ユニバーシアードの前身は,第2次世界大戦前に行われていた国際学生競技会である.しかし,1939 年,ウィーンで開かれた第 10
回大会を最後に中止された.戦後は政治地図が東と西に分かれたために,国際スポーツ界も二分し,それぞれ学生スポーツ大会を開い
ていた.それが 1957 年になり,東西の緊張が緩和し,両者の歩み寄りが行われ,1959 年のトリノ大会からユニバーシアードの名称を
用いることになった.だが,実際にはその前の 1957 年のパリ大会から互いの協力と歩みよりがあったことから,パリ大会を最初のユ
ニバーシアード大会としている.
ユニバーシアードは当初,奇数年に夏季大会,偶数年に冬季大会と分けて行われていたが,最近の大会の例をみると夏冬ともに奇数
年に開催されている.
実施競技は,夏季大会が陸上競技,水泳(競泳,飛び込み,水球),体操,フェンシング,バスケットボール,バレーボール,テニスな
どである. なお開催国の要望により,これまで柔道,レスリング,サッカー,ホッケー,セーリングなどの追加競技が認められている.
また,冬季競技では,スキー,フィギュアスケート,アイスホッケー,ショートトラック,バイアスロンが実施競技となっており,開
催国の要望によりスピードスケートやカーリング,スケルトンが追加されている.
日本は 1957 年から,夏季・冬季大会に参加し,また 1967 年には東京,1985 年には神戸,1991 年には札幌,1995 年には,福岡
で開催された.
(日本オリンピック委員会資料より)
78
1. 試合の戦評
では太刀打ちできない.この点で上位 4 チーム
は,身体能力もさることながらまさに個人の判断
②相手のカウンターアタックを十分注意して
シュートで終える
15 ヵ国が参加した今大会は,A・B・C グルー
力,注意力,プレーの鋭さ,正確さが他チームに
③すべてのパスがアシストパスとなるような積
プは各4チーム,D グループは 3 チームという組
比べて数段上にあり,日本チームとの大きな差違
極的なパスワークからミドルシュートを狙う
み合わせで予選リーグを行った.B グループに入っ
はここにあった.やはり水球は球技である.つま
④プレーの連続性を途切れさせない
た日本は初戦に南アフリカ共和国と対戦した.南
り,多くの球技に於いては相手より強い力を発揮
アフリカは身長,体重ともに日本を大きく上回る
できる能力,すなわちプレーの予想能力,頭の切
( ロ ) 防御について
体格の選手を揃え,パワーで強引に迫ってくる.
り換えの速さ,集中力,変化に対する対応力が必
それに対して日本は速さと機動力で対応する.結
要なのである.球技を行うときには,これらの能
果は 12 対 5 で日本が初戦を飾った.この成果に
力は水球に限らず不可欠の能力であり,これらが
よって機動力を生かし,連続的なディフェンスが
備わってはじめて勝利を得ることができる.結局
機能すれば,速攻を繰り出しやすいという教訓を
この試合は 6 対 11 で敗れたが,今後のトレーニ
得た.
ング方法を見直す契機となった,収穫のある試合
第 2 戦はイギリスとの対戦であった.初戦で活
であった.
躍した選手たちの動きが封じられ,得点力が低下
5−8位決定戦ではオーストラリア連邦と対戦
したため 8 対 9 で敗戦した.続くセルビア共和国
し,14 対 7 で勝利した.続いて5−6位決定戦
戦は,5 対 7 で敗れた.しかし常に世界の上位に
ではセルビアと戦うことになった.しかし,日本
ランクされるセルビアに対して,日本側もゴール
チームは集中力を保てず敗れ,最終順位は 6 位と
キーパーを中心に,粘り強く守りきる場面が多く
なった.
見られた.ただディフェンス力だけでは勝ちをも
今大会の日本チームの編成は,ゴールキーパー
ぎ取ることはできないということも立証された.
選手を除くフィールドプレーヤー全員が現役学生
今後攻撃面を強化するため強烈なミドルシュート
であり,2005 年の世界ジュニア選手権に出場し,
を打てる選手の発掘育成が急務である.この結果,
その後も JOC 強化部によって一貫指導をうけてき
日本はグループ 3 位となり,上位トーナメントへ
た選手たちが中心の編成であった.その戦いぶり
進出することができた.
は,どの試合もアグレッシブで新鮮さにあふれ,
トーナメント 1 回戦は A グループ 2 位のロシア
今後の国際大会での上位進出に期待を抱かせるも
連邦と対戦し,7 対 4 で勝利し日本は 8 位以内の
のだった.その為にも,シュート力の強化とゴー
順位を確定した.
「必ずベスト 8 に入る」を合言
ルキーパーを含むディフェンス面での連携を密に
葉にがんばってきた選手たちはすばらしい戦いを
することが,大きな課題である.それと同時に球
見せてくれた.2 回戦は C グループ 1 位で,世界
技に不可欠な個人の能力向上に,よりいっそう磨
( ハ ) 攻御について
きをかける必要があると思われる.
①カウンターアタックまたはカウンターアタッ
屈指の実力を持つハンガリー共和国と対戦した.
ハンガリーの選手は選手一人一人が状況を素早く
把握し,それに的確に対処し,最適のプレーを行
2. ミーティング及びベンチからのアドバイス
①6対6への対処
・相手の回しこみに十分注意を払いノー
ファールで自陣ゴールから遠い位置からで
もプレスを徹底し,パスコースに入る
・ ボールが先行したケースではトライアング
ルディフェンスで相手をかく乱する
・ 相手チームの攻撃の最終段階においてはポ
スティング,5mシュートに対するヘルプ
を徹底する
②相手カウンターアタックの防御
・最終ラインを連携して確保する
・ なるべくアタックを繰り返しながら帰陣す
る
・ センターポジションにいる場合は直線的に
帰陣する
・ 相手カウンターアタックが潰れた後の間合
いに注意する
③6対5への対処
・ 相手がセットする前にトライアングル防御
で攻撃時間をロスさせる
・ 相手がセットした場合ポジション5.
6を警
戒する
ス展開でシュートチャンスを作る
・ スタートのタイミングを失うとほとんどの
カウンターアタックは成立しない
また,そこでそれを強行したとしても慌て
攻めとなりいい結果は得られない
②6対6において
・ ポジション1とポジション2の相手ディ
フェンスに負けない力強い位置取りと確実
なボールまわし
・ 味方がカットインしているときのシュート,
シュート時のカットインは相手にチャンス
を与えることが多いので細心の注意が必要
・ セットプレーで対応する場合(ポジション
2.3.4におけるクリアリングドライブか
らのポスティングプレー)
・ ドライパスはチャンスを得点に結びつける
大事なプレーであることを認識する
・パス AND ドライブで相手のファールを誘発
させる
③6対5において
・ 4:2から3:3へポジションをローテー
ションしチャンスを窺う
・ 状況に応じてワンモーションによるパス展
開からチャンスを窺う
・シュートで終わる(声を掛け合う)
・ 単調なパス回しでは相手の布陣を崩せない
ので工夫が必要
その他
・ 水球競技の特性として4,5回の攻撃で1
得点の確率であることを理解しておく,連
続的に攻撃の失敗があっても心理的に追い
・4対2の陣形を形作り攻撃展開する
詰められてはいけない
うことができる.試合の攻防においても,いつで
も協力できる体勢を準備している.これらが最低
( イ ) 戦術として
からのパスをいつでもどこにおいてもよく
限備わっていなければトップクラスのチームとは
①相手攻撃の最終段階までチームディフェンス
を徹底する
・ 5m シュートおよび5mシュートからのパ
クが潰れた場合
・ ゴールキーパー及びフィールドプレーヤー
言えない.単にチームの決め事に終始した戦い方
79
Vol.2 (2008)
注視する
・ カウンターアタックからの5mシュートお
よびポスティングで攻撃を仕掛ける
・ 6:5において攻防の成功の目安はだいた
い4割である
・ 選手交代についてはプールの水温ならびに
外気温が高めだったため選手個人に任せる
80
Vol.2 (2008)
事とした.ベンチにおいては相手チームの
試合結果および最終順位である.対戦データにつ
特徴に対応しての交替,自チームの作戦変
いては,各ピリオドのシュート数,得点,奪エク
更のための交替,明らかに疲労した選手の
ストラファール,エクストラファールからの得点,
交替等状況に応じて選手交替を行った
ペナルティーシュートについて個人ごとに示して
いる.またチームのシュート確率についても表し
以下の表は,今大会の日本チーム対戦データと
ている.
81
82
Vol.2 (2008)
83
84
Vol.2 (2008)
85
86
87
Vol.2 (2008)
日本チーム試合結果
日本
12 − 5
日本
日本
南アフリカ
1位
モンテネグロ
8−9
イギリス
2位
イタリア
5−7
セルビア
3位
ハンガリー
4位
スペイン
5位
セルビア
6位
日本
7位
フランス
8位
オーストラリア
9位
トルコ
10 位
カザフスタン
11 位
ロシア
12 位
イギリス
13 位
中国
14 位
南アフリカ
15 位
タイ
1 位− 12 位決定戦
日本
7−4
ロシア
1 位− 8 位決定戦
日本
6 − 11
ハンガリー
5 位− 8 位決定戦
日本
14 − 7
オーストラリア
5 位− 6 位決定戦
日本
最終順位
6 − 15
セルビア
大阪薬科大学紀要 Vol. 2 (2008)
第 2 部(薬学系)
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2
(2008)
Part II (Pharmaceutical Sciences)
91
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2 (2008)
—Review—
高度に官能基化された生理活性シクロアルケノイド類の全合成による構造決定
宇佐美 吉英
Structure Determination by Total Syntheses of Naturally Occurring
Bioactive Highly Functionalized Cycloalkenoids
Yoshihide USAMI
Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1, Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan
(Received October 1, 2007; Accepted November 19, 2007)
Recent progress in spectral analyses, especially two or more dimensional NMR techniques, have made structure
determinations of complex natural products possible. However in some cases the structures of small-sized natural
products, which have some kinds of torsion strains within molecules, cannot be determined by such modern analytical
methods. In such cases, only total syntheses can provide the answers. Total syntheses of trichodenones A-C and
pericosines for the determination of their stereostructures are herein described to demonstrate the power of synthetic
organic chemistry. Both trichodenones and pericosines are small-sized, highly-functionalized cycloalkenoids and
metabolites of microorganisms derived from marine sources. In natural product chemistry especially, the fact that the
structure of the antitumor natural product pericosine A was revised as (+)-22 by its first total synthesis from the 18
originally proposed is important.
Key words——total synthesis; structure determination; small-sized molecule; natural product; trichodenone; pericosine
1. 序論
することがある.また,同時に,そのような小さ
いサイズの分子,特に分子量 500 以下のものは,
近年,NMR を中心とする各種スペクトル解析技
創薬という観点から大変魅力的なものである.そ
術のめざましい進歩は,種々の複雑な分子の構造
ういった理由で筆者は,小さいサイズの生理活性
解析を可能にしてきた.しかしながら,今日にお
天然有機化合物の全合成を主な研究テーマとして
いてもそのような最新の方法を以てしても構造を
きた.
解析できない場合がある.それは,一見,単純と
本学,旧有機薬化学教室における海洋由来の微
思われる小さいサイズの分子においては,返って
生物が産生する細胞毒性代謝産物の探索研究にお
よくあることである.天然に存在する生理活性化
い て,trichodenone 類 お よ び pericosine 類 と い う
合物の多くは,サイズが小さく,しかも高度に官
2 系統の細胞毒性天然物が単離され,構造が与え
能基化されており,その上,例えば環構造内に二
られた.しかしながら,スペクトル解析では,そ
重結合を有する場合など,それによる歪みを持っ
の絶対構造を決定するには至らなかった.そこで,
ているため,一層スペクトル解析を困難なものに
筆者は,これらを明らかにするために立体選択的
大阪薬科大学,e-mail: [email protected]
1, 2)
3)
92
93
Vol.2 (2008)
1)
全合成研究を計画し,それらを実行,達成し,未
謝産物である (Fig. 1).これらは,いずれも高度に官
得られた 1 の比旋光度は,+ 141.6 であり,報
合しているという例は,天然物化学上,まれな非
解明であった絶対構造を明らかにすることができ
能基化された C7-cyclopentenone 構造を有しており,
告された天然物の比旋光度(+ 56.3 )の約 3 倍
常に興味深い例である.
た.特に,in vivo 試験において抗腫瘍性が示され
1 と 3 は不斉炭素を 1 つしか持っていないためス
の値を示した.原料のエナンチオマーを用いて同
た pericosine A の最初に提案された構造 18 の誤り
ペクトル解析では絶対構造を決定することはでき
じ反応を行い,同様の変換を行って得られた目的
2-2. Trichodenone B (2) の合成
を指摘し,真の pericosine A(+)-22 を全合成するこ
ない.また,2 においても不斉中心の 1 つが側鎖
物の対掌体の比旋光度は,やはり +145.4 であっ
Trichodenone B 2, C 3 は,生合成的に同じ前駆体
とによってこれを訂正することができたことは,
に存在し,側鎖の自由回転のために相対配置すら
た.そこで,光学活性カラムを用いる HPLC 分析
を経由してできてきているはずだという仮定のも
天然物化学上,非常に意義深い.
決定することはできなかった.また,これらは,
で,別途合成したラセミ体を用いて両対掌体が分
とに,共通の合成中間体 7 を設定し,Chart 2 のよ
このような研究は,有機合成化学の威力と魅力
いずれも P388 マウスリンパ性白血病細胞に対し
離する条件を検討した.初めに報告された天然物
うな逆合成戦略を立てた.しかし,研究開始当初,
を発揮することのできた良い例であると考えられ
て有意な細胞毒性を示し,中でも,1 が最も強い
のサンプルを得ることができなかったので,同菌
2 の相対配置は,明らかになっていなかったので,
る.
活性 (ED50: 0.21 μg/mL) を示した.
を文献記載の条件で再度,2 度培養し,1 を単離
ここで 7 の両ジアステレオマーを得ることが必要
した.新たに二度得られた 1 の比旋光度は,それ
であった.即ち,ケトン 8 の還元で得られる両ジ
2-1. Trichodenone A 1 の合成
ぞれ+ 41.0 ,+ 8.5 であり,これらを先ほど述
アステレオマーのうち,片方から 2 を合成し,他
2. Trichodenone A ‒ C の全合成
4, 5)
6)
光学活性な原料 4 に対し,Et2O 中,0℃で vinyl
べた条件下で HPLC 分析に付したところ,比旋光
方のジアステレオマーを 3 に導くことを計画した.
Trichoderma 属 の 真 菌 の 代 謝 産 物 と し て 特 徴
Grignard 反応剤を作用させたところ,かさ高い 4
度に見合った比率で両エナンチオマーが混じって
なぜなら,中間体 9 を経由して,最終的に 3 にお
的 な C7-cyclopentenone 化 合 物 群 が あ り, そ れ ら
位の置換基に対して反対側に vinyl 基の導入され
いることが分かった.この原因については,Chart
いて 3 位の不斉中心は潰されるためである.中間
は,酸素官能基の付いている位置によって大きく
たアルコール 5 が単一生成物として得られた.次
1 下段に示したような機構における,カーボカチ
体 8 は,アシルアニオン等価体 を用いて共通の原
2 つの系統に分かれている.Trichodenone A–C 1–
に,Bu4NF を作用させ,脱保護してジオール 6 と
オンを経る両エナンチオマー間の変換が考えられ
料 4’ より誘導されるはずである.
3 は,和歌山県印南町沿岸で採取されたクロイソ
した後,PDC で 2 級水酸基を酸化して 1 を得た.
る。このようにエナンチオマーが任意の比率で混
カイメン (Halichondria okadai) より分離した真菌
(Chart 1)
Trichoderma haruzianum OUPS-N115 の細胞毒性代
Fig. 1. Structures of Trichodenones A–C
Chart 2. Retro Synthetic Strategy for Trichodenone B and C
Chart 1. Synthesis of Trichodenone A and Plausible Mechanism for Interconversion Between Enantiomers
94
95
Vol.2 (2008)
(-)-4 に対して,THF 中,-78℃でアシルアニオン
トナイド 13a, 13b へと変換し,さらに脱シリル化
等価体を作用させたところ,付加物 10 とその立
してアルコール 7a, 7b とした時点で両異性体を分
体異性体 11 が 10:89 の比率で得られた.化合
離,NOESY 解析により立体構造を決定した.尚,
物 11 に HgCl2 存 在 下, 加 水 分 解 さ せ,8 を 得 た
これ以降の実験では,8 から 12 への立体選択的還
(Chart 3).化合物 8 の相対配置については,H-4 と
元が必要となったため,種々条件検討した結果,
acetyl 基の間に観測された NOE によって決定され
THF 中,-78℃における DIBAL を用いる還元が,
た. 次 に,8 に NaBH4 を MeOH 中, 室 温 で 作 用
13b を優先的に与える 12 のジアステレオマー混合
させ,狙い通りジオール 12 を約 1:1 の立体異性
物となることがわかった (Chart 4).
Chart 5. Completion of Synthesis of Trichodenone B
体の混合物として得ることができた.これをアセ
立 体 異 性 体 7b は,Chart 5 に 従 っ て, エ ノ ン
が一致したため天然物 3 の絶対配置を R- 配置と決
14,とクロル体 15 を経て,ジオール体 2 へと誘導
定した.
することに成功し,天然物との比旋光度の一致を
当初計画では,はじめに,一方の立体異性体 7a
見たため天然物 2 の相対および絶対配置を図のよ
を用いて Chart 6 同様の変換を試みたが,この立
うに決定した.
体異性体では,接触還元反応は進行しなかった.
詳細は,原著論文を御参照いただきたい.
2-3. Trichodenone B (3) の合成
尚,trichodenone C 3 は,後に名古屋市立大学の
2 級アルコール 7b を Chart 6 に従って,3 へと
塩入らによって二番目の全合成が報告された.
変換し,比旋光度を含む全てのスペクトルデータ
Chart 3. Synthesis of Intermediate 8
Chart 6. Completion of Synthesis of Trichodenone C
Chart 4. Reduction of 8 and Separation of Diastereomers
7)
96
97
Vol.2 (2008)
8-13)
3. Pericosine 類の全合 成
また,同時に筆者は,この種の化合物が偽糖
3-1. Pericosine B のエピマーの合成 9)
料として比較的安価で購入可能なキナ酸 23 を用
(pseudo-sugar or carba-sugar) 構 造 を 有 し て い る こ
Pericosine 類 の 合 成 を 検 討 し 始 め た 当 初,
い,Chart 7 に示した経路で,目的の 20 を合成す
Pericosine A および B は,大阪府泉南郡岬町で
とに強い関心を持った.それは,本研究開始当時
pericosine B 19 の合成を目指したが,望みの立体
ることに成功した.この化合物の相対配置は,後
採取されたアメフラシ(Aplysia kurodai) より分離
の 1997 年前後,現在話題となっている経口抗イ
化学を有する 6 位の MeO 基の導入が困難であっ
で述べるように結果的に真のぺリコシンAと同
し た 真 菌 Periconia byssoides OUPS-N133 の 細 胞
ンフルエンザウイルス薬 Tamiflu® の合成研究
15 ‒ 19)
たことより ,19 そのものではなく,立体異性体
じであったためぺリコシンAの構造を推定する上
毒性代謝産物であり,1997 年に報告された原著
が学術雑誌上を賑わしており,また,その前の抗
である 20 の合成について検討した.前述のよう
で,大変意義深い研究となった.当然,cis,cis,cis-
にお い て 提 起 さ れ た 構 造 18,19 を 図 に 示 し た
インフルエンザウイルス薬であるザナビルの開発
に,当時,Donohoe らによって,購入可能な (+)-
tetraol 誘導体 26 からの天然物である 19 への誘導
(Fig. 2).これらもまた,高度に酸素官能基化され
20)
の経緯など大変興味深いものであったからであ
ブロモシクロヘキサジエンジオールを原料として
についても検討したが,選択的モノメチルエーテ
た cyclohexene 構造を有しており,これらは,ス
る.Tamiflu® およびザナビルは,インフルエンザ
用いる 19 の全合成が報告された.筆者らは,原
ル化は,やはり良好な結果を与えなかった.
ペクトル解析では絶対構造を決定することは出来
ウイルスの表面に存在する酵素ノイラミニダーゼ
な か っ た.ま た,pericosine A は,P388 白 血 病 マ
を阻害することにより,ウイルスの増殖を抑える.
ウスにおける in vivo 試験において有意な延命率を
この酵素の本来の基質は,N- アセチルノイラミン
示し,その他,プロテインキナーゼ阻害活性,ト
酸というアミノ糖であり,これらの抗ウイルス薬
ポイソメラーゼ阻害活性が認められた.
は,偽糖構造を採っているために活性を発現する.
Pericosine B については,1998 年にイギリスの
Tamiflu® は,その後の 2000 年 12 月,日本にお
Donohoe らのグループによって全合成が報告され,
いて認可が下りている.
その絶対配置 (19) が明らかとなった.しかし,よ
本 章 で は,18,pericosine B の エ ピ マ ー 20,
り生理活性の高い pericosine A の絶対構造につい
pericosine A のジアステレオマー 21,真の pericosine
ては,その後 10 年近く未解明のままであった.
A 22 の合成について述べる.
3)
14)
8)
14)
Chart 7. Synthesis of Epimer of Pericosine B from (–)-Quinic Acid
Fig. 2. Structures of Pericosines and Anti-Influenza Drugs
98
99
Vol.2 (2008)
10, 11)
12, 13)
3-2. Pericosine A の立体異性体合成
本合成は,各段階における各種高立体選択的
反対側から還元剤が攻撃することによってエノー
3-3. Pericosine A の全合成
この研究は,pericosine A および D の全合成
反応を駆使して Chart 8 に従って進められ,目的
ル 43 とし,続いて脱 TMS 化して目的のトリオー
前述のとおり,18 は,pericosine A ではなかっ
18 および 21 が,
として始められた。それは,
勿論,
の 41 へ と 導 き, 脱 TMS 化 し て 得 ら れ た 42 を
ル 21 へと導くことができた. エノール 43 の 3
たため,真の構造を解明することが次の課題と
それらのはじめに提出された構造であったためで
Me4NBH(OAc)3 を用いて,4 位の水酸基と同じ方
位の立体化学は,21 をアセトナイド 44 へと導く
なった。オリジナルの天然物のスペクトルデー
あり,これらは互いに 3 位におけるエピマーであ
向から還元剤が攻撃することにより,望みの立体
ことで確認された.目的物 18 は,21 と違うこと
タに加えて,これまで合成した類縁化合物のN
るため,23 から誘導される共通中間体であるエノ
化学を有する 18 を得ることができた.
が確認されたため 18 の 3 位の立体配置は,Fig. 2
MRデータを徹底的に比較検討した結果,20 と
ン 41 から合成することができると考えられたか
ま た,Chart 9 に 示 し た よ う に,41 に 対 し て
で示したように決定され,18 および 21 の立体選
pericosine A の 1H-NMR における結合定数が極めて
らである.
NaBH4 を用いて還元し,嵩高い OTMS 基に対して
択的全合成は,達成された.
近い値をとることが見出された.そこで,筆者ら
しかし,合成された 2 つの目的物 18,21 のスペ
は,真の pericosine A の構造を 22 であると推定し,
クトルが,いずれも pericosine A および D のもの
その合成について検討することとした.
と一致しなかった.また,これらの報告されてい
基本的な合成ルートは,20 のものと同様であ
るアセトナイドも天然物のアセトナイドと異なっ
る.工程数削減のため原料として shikimic acid 45
ていたことから,はじめに提出された天然物の構
を用い,Chart 10 に従って,実験を行い,中間体
造がいずれも誤りであることが判明した.
であるエノール 55 とした。計画では,SOCl2 によ
3)
21, 22)
Chart 8. Total Synthesis of Initially Assigned Pericosine A from (–)-Quinic Acid
Chart 9. Synthesis of Another Diastereomer (Initially Assigned Pericosine D)
Chart 10. First Total Synthesis of (–)-Pericosine A from (–)-Shikimic Acid
100
101
Vol.2 (2008)
24)
り,SNi 反応を経て 22 へと導く予定であったが,
現 在,22 の 効 率 的 な 合 成 経 路 の 開 発 お よ び
各段階における中間体の構造を決めているのは,各
意に反して,塩素化反応において二重結合の移動
pericosine D の構造決定のための全合成について検
種 NMR スペクトルの詳細な解析によるものであり,
Choi, H. D.; Son, B. W. Chem. Pharm. Bull., 53, 453–
を伴った塩素化体 56 を与えた.この中間体 56 の
討中である.
現代の有機化学において,そのような技術無くして
455 (2005).
構造は,各種 2 次元 NMR スペクトルデータの詳
尚,ここに示した pericosine A 22 は,ドイツの
構造の決定は考えられないのも事実である.
細な解析によって確認された.以下,56 を加水分
IRIS Biotech GmbH 社および CFM Oskar Tropitzsch
今後は,筆者が携わった絶対構造未解決の含硫黄
Matsumura, E.; Yamori, T.; and Tsuruo, T. Tetrahedron
解によってアセトナイド部分を脱保護して,(-)-22
社のカタログに,pericosine B のエピマー 20 は,
ジケトピぺラジン型天然物 の合成研究を展開する
Lett., 38, 8215–8218 (1997).
へと導いた.このものの比旋光度を除く各種スペ
フランスの Chemstep という会社のカタログにそ
予定で,現在,その基礎研究を行っているところ
4) Usami, Y.; Numata, A. Synlett, 723–724 (1999).
クトルデータは,天然物のものと完全に一致した
れぞれ収載されており,SciFinder 上では購入可能
である.この種の天然物の光学活性体の合成は,現
5) Usami, Y.; Ikura, T.; Amagata, T.; Numata, A.
ため,ここに天然物の相対配置は決定された.ま
ということになっている.
在までのところ世界に例を見ない.2006 年夏,筆
25)
た,合成された (-)-22 の比旋光度は,天然物のそ
れと符号が逆であり,絶対値がほぼ同じであった
26, 27)
28)
者が米国・ノースカロライナ大学留学中に,著名
4. おわりに
ため,これは,天然物の対掌体であると結論され,
なカリフォルニア大学の Larry Overman 教授ご自身
から E- メールを頂き,筆者が単離,報告した硫黄
27)
2) Li, X.; Kim, M. K.; Lee, U.; Kim, S-K.; Kang, J. S.;
3) Numata, A.; Iritani, M.; Yamada, T.; Minoura, K.;
Tetrahedron: Asymmetry, 11, 3711–3725 (2000).
6) Kobayashi, K.; Kawazoe, K.; Kitagawa, I. Chem.
Pharm. Bull., 37, 1676–1681 (1989).
7) Sakai, A.; Aoyama, T.; Shioiri, T. Tetrahedron Lett., 41,
6859–6863 (2000).
同時に天然物の絶対構造を methyl (3S,4S,5S,6S)-6-
サイズが小さいが故に,返って構造が決めにく
を含まない関連化合物 gliocladin C を全合成したと
chloro-3,4,5-trihydroxy-1-cyclohexene-1-carboxalate
い場合は,立体選択的全合成によってその絶対構
の連絡を受けた.彼のような超一級の化学者も同
と決定した.
造を決定しなければならない例をここに示した.
じ目標に向かって研究を進めている.また,最近,
先の合成によって得られたものが天然物の対掌
これにより,有機合成化学の醍醐味の一端を味
pericosine の母骨格であるシクロヘキセノイドの合
体であったため,続いて,天然型の pericosine A
わっていただければ幸いである.筆者の用いる反
成が再注目されている.
Numata. A. Chem. Pharm. Bull., 52, 1130–1133 (2004).
の全合成について検討した.中間体 (-)-46 の対掌
応の多くは,教科書レベルのごく簡単な反応ばか
はじめに述べたように,小さいサイズの生理活性
(Erratum: Chem. Pharm. Bull., 53, 721 (2005).)
体 (+)-46 は,23 より合成することができること
りである.しかし,それらを立体選択性も考慮し
化合物は,創薬という視点からも魅力的であると考
10) Usami, Y.; Ueda, Y. Chem. Lett., 34, 1062–1063 (2005).
が既に報告されている.この方法に多少の改良を
て,効果的に組み合わせて全合成を行えば,充分
えており,
今後は,
これらをシード(種)として様々
11) Usami, Y.; Ueda, Y. Synthesis, 3219–3225 (2007).
加えて (+)-46 を合成し,以下 Chart 10 と同様な操
意義のある研究を展開することができ,スペクト
な誘導体を合成し,その中から「くすり」という実
12) Usami, Y.; Horibe, Y.; Takaoka, I.; Ichikawa, H.;
作を経て,天然型の (+)-pericosine A 22 の合成を達
ル解析では決定できなかった化合物の構造を明ら
をならせたいと願っている.
成した (Chart 11).
かにすることができる.勿論,本論文に登場する
23)
13)
29)
30)
8) Usami, Y.; Numata, A. Chem. Pharm. Bull., 52, 1125–
1129 (2004).
9) Usami, Y.; Hatsuno, C.; Yamamoto, H.; Tanabe, M.;
Arimoto M. Synlett, 1598–1600 (2006).
13) Usami, Y.; Takaoka, I.; Ichikawa, H.; Horibe, Y.;
謝辞 本論文に示された研究は,大阪薬科大
学・旧有機薬化学教室並びに有機分子機能化学研究
室において行われたものであり,研究に携わった研
究室のすべての教員,学生に深く感謝いたします.
NMR,MS,元素分析の労を取られた本学・箕浦
克彦博士,藤嶽美穂代先生,岡部しずか先生に合わ
せて謝意を表します.研究の一部は,文部科学省,
私立大学学術研究高度推進事業による本学ハイテク
リサーチセンター補助金(2001 − 2006)を使って
行われたことを併せて記し,謝意を表します.
Tomiyama, S.; Ohtsuka, M.; Imanishi, Y.; Arimoto, M.
J. Org. Chem. 72, 6127–6134 (2007) .
14) Donohoe ,T. J.; Blades, K.; Helliwell, M.; Waring, M.
J.; Newcombe, N. J. Tetrahedron Lett., 39, 8755–8758
(1998).
15) Kim, C. U.; Lew, W.; Williams, M. A.; Zhang, L.; Liu,
H.; Swaminathan, S.; Bischofberger, N.; Chen, M. S.;
Tai, C. Y.; Mendel, D. B.; Laver, W. G.; Stevens, R. C.
J. Am. Chem. Soc., 119, 681–690 (1997).
16) Lew, W.; Williams, M. A.; Mendel, D. B.; Escarpe, P.
A.; Kim, C. U. Bioorg. Med. Chem. Lett., 7, 1843–1846
(1997).
Chart 11. Total Synthesis of (+)-Pericosine A from (–)-Quinic Acid
REFERENCES
1) Amagata, T.; Usami, Y.; Minoura, K.; Ito, T.; Numata, A.
J. Antibiot., 51, 33–40 (1997).
17) Zhang, L.; Williams, M. A.; Mendel, D. B.; Escarpe, P.
A.; Kim, C. U. Bioorg. Med. Chem. Lett., 7, 1847–1850
(1997).
102
18) Williams, M. A.; Lew, W.; Mendel, D. B.; Tai, C. Y.;
29) Overman, L. E.; Shin, Y. Org. Lett., 9, 339–341 (2007).
Escarpe, P. A.; Laver, W. G.; Stevens, R. C.; Kim, C.
30) Enders, D.; Huettl, M. R. M.; Grondal, C.; Raabe, G.
U. Bioorg. Med. Chem. Lett., 7, 1837–1842 (1997).
19) Rohloff, J. C.; Kent, K. M.; Postich, M. J.; Becker, M.
W.; Chapman, H. H.; Kelly, D. E.; Lew, W.; Louie, M.
S.; McGee, L. R.; Prisbe, E. J.; Schultze, L. M.; Yu,
Richard H.; Zhang, L. J. Org. Chem., 63, 4545–4550
(1998).
20) von Itzstein M.; Wu W. Y.; Kok G. B.; Pegg M S;
Dyason J C; Jin B; Van P. T.; Smythe M. L.; White
H. F.; Oliver S.W.; Colman, P. M.; Varghese, J. N.;
Ryan, D. M.; Woods, J. M.; Bethell, R. C.; Hotham, V.
J.; Cameron, J. M.; Penn, C. R. Nature 363, 418–423
(1993).
21) Yamada, T. Ph D thesis, Osaka University of
Pharmaceutical Sciences, Japan (2002).
22) Yamada, T.; Minoura, K.; Numata, A. 119th Annual
Meeting of the Pharmaceutical Society of Japan,
Abstract 2, p. 159, Tokushima, Japan (1999).
23) Ulibarri, G.; Nadler, W.; Skrydstrup, T.; Audrain, H.;
Chianori, A.; and Riche, C.; Grierson, A. A. J. Org.
Chem., 60, 2753–2761 (1995).
24) Usami, Y.; Takaoka, I.; Ichikawa, H.; Horibe, Y.;
Tomiyama, S.; Ohtsuka, M.; Imanishi, Y.; Ohsugi,
M.; Arimoto, M. 49th Symposium on the Chemistry
of Natural Products, Symposium papers, p. 673–678,
Sapporo, Japan (2007).
25) Usami, Y.; Mizuki, K.; Ichikawa, H.; Arimoto, M.
57th Annual Meeting of the Pharmaceutical Society
of Japan Kinki-branch, Abstract, p. 36, Osaka, Japan
(2007).
26) Usami, Y.; Aoki, S.; Hara, T.; Numata, A. J. Antibiot.,
55, 655–659 (2002).
27) Usami, Y.; Yamaguchi, J.; Numata, A. Heterocycles,
63, 1123–1129 (2004).
28) Kioka, C.; Arimoto, M.; Ichikawa, H.; Masutani,
K.; Usami, Y. 22nd International Symposium of the
Organic Chemistry of Sulfur (ISOCS-22) Abstract,
p. 76, Saitama, Japan (2006).
Nature, 441, 861–863 (2006).
103
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2 (2008)
—Article—
EDTA 共存下,チタン (IV) ‒サリチルフルオロン‒ヘキサデシルピリジニウム
三元錯体の退色に基づく過酸化水素の吸光光度定量
1)
山口 敬子 , 中原 良介 , 大久保 佳代 , 山本 奈苗 , 藤田 芳一*
Spectrophotometric Determination of Hydrogen Peroxide Based on Fading of
Titanium(IV)–Salicylfluorone–Hexadecylpyridinium Ternary Complex
in the Presence of EDTA
Takako YAMAGUCHI, Ryosuke NAKAHARA, Kayo OHKUBO,
Nanaye YAMAMOTO, Yoshikazu FUJITA
Department of Clinical Chemistry, Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1, Nasahara, Takatsuki,
Osaka 569-1094, Japan
(Received November 5, 2007; Accepted November 30, 2007)
A new, simple, and sensitive spectrophotometric method for the determination of hydrogen peroxide (H2O2) was
established. This method is based upon the fact that a color reaction between salicylfluorone and titanium(IV) in the
presence of EDTA and hexadecylpyridinium is in competition with the formation of a H 2O2–Ti(IV)–EDTA ternary
complex when H2O2 is added. Beer’s law was obeyed in the concentration range of 0.02 – 0.4 μg ml–1 for H2O2, with
an effective molar absorptivity at 600 nm and the relative standard deviation being 1.8×105 M–1cm–1 and 1.2 % (n=5),
respectively.
Key words——hydrogen peroxide; titanium(IV)–salicylfluorone–hexadecylpyridinium ternary complex;
spectrophotometry; ethylenediaminetetraacetic acid
緒 言
を測定することにより,間接的にそれらの成分を
6)
定量する方法(酵素法)が汎用されている.更に
過酸化水素 (H2O2) は,緩和な酸化剤として古く
近年,悪性腫瘍,メタボリックシンドローム,加
から化学工業分野で使われているほか,漂白・殺
齢など多くの病態と深い関連性がある活性酸素種
菌剤として医薬品 や食品添加物 としても広く用い
の一つとして,その生体内における H2O2 の動態,
られているが,H2O2 の添加物の使用基準におい
分布,挙動等について大変興味を持たれている.
ては,最終製品の完成前に分解又は除去すること
このように,簡便,高感度で選択的な H2O2 測
となっている.また,大気,雨水中の H2O2 が酸
定法はあらゆる分野において非常に重要であり,
性雨を生じる過程に関与するといわれている. 一
更に優れた新しい測定法の開発が要望されてい
方,臨床検査現場においては,尿酸,コレステロー
る.従来から H2O2 の測定には,吸光光度法, 蛍
ル,ブドウ糖などの生体成分を測定する場合,相
光光度 法 , 電気分析法 ,化学発光法 などが用い
当するオキシダーゼを作用させて発生させた H2O2
られているが,吸光光度法においては,金属イオ
2)
3)
4, 5)
* 大阪薬科大学,e-mail: [email protected]
7)
8ー17)
18ー21)
22)
23)
104
105
Vol.2 (2008)
とする.本溶液をよく撹拌しながら試験管に移し,
反応が H2O2 濃度に比例して著しく妨害されるこ
室温で 20 分間静置後 , H2O2 のみを除いて同様に
とを認めた.従って今回は,キサンテン系色素の
処理して得た試薬空試験液とともに水を対照に
なかで,合成が比較的容易で,高感度化が期待で
600 nm での両溶液の吸光度差(Δ A)を測定し,
きる SAF を用いて,併用するポリアミノポリカ
予め作成して得た検量線より H2O2 量を求める.
ルボン酸の選定を行った.ポリアミノポリカルボ
ン酸としては EDTA,グリコ−ルエ−テルジアミ
実験結果
ン四酢酸(GEDTA)
,ジヒドロキシエチルグリシ
ン(DHEG)
,1,2- シクロヘキサンジアミン四酢酸
Fig. 1 Structure of SAF.
1. ポリアミノポリカルボン酸の選定
(CyDTA)
,ヒドロキシエチレンジアミン三酢酸
従来から H2O2 の定量法として,H2O2 ‒ Ti (IV)
(EDTA-OH), エチレンジアミンジプロピオン酸
‒有機試薬の三元錯体を利用した H2O2 測定法が
(EDDP)を用いたところ,Table 1 にみられるよ
種々報告されているので,これらを参考にして,
うに,ポリアミノポリカルボン酸としては Ti (IV)
ンと有機試薬を併用する H2O2 ‒金属‒有機試薬の
東京化成製の HPC を水に溶解し,1.0 % 溶液とし
有機試薬としてキサンテン系色素の利用を試みた
との錯体生成定数の高い EDTA の併用により Δ A
ような混合配位子型三元錯体の生成反応を利用し
た.
が,期待される H2O2 ‒ Ti (IV) ‒キサンテン系色素
が最大となり,最適であることを認めた.
た高感度な測定法が報告されている.
EDTA 溶液:同人化学研究所製エチレンジアミ
の三元錯体は生成せず,Ti (IV) ‒キサンテン系色
著者らは,ポリアミノポリカルボン酸の EDTA 及
ン四酢酸二ナトリウムを水に溶解し,1.0 × 10 ‒ 2
素の呈色体のみが生成した.一方,本呈色反応系
2. 定量条件の設定
び陽イオン性界面活性剤共存下 , サリチルフルオ
M 溶液とした.
に EDTA のようなポリアミノポリカルボン酸を共
本反応における液性の影響を検討した.0.2 M
ロン(SAF)(Fig. 1)とチタン (IV){Ti(IV)}との
緩衝液: 0.2 M 塩酸溶液及び 0.2 M 酢酸ナトリウ
存させるとき,Ti (IV) ‒キサンテン系色素の呈色
塩酸 / 0.2 M 酢酸ナトリウム溶液,0.1 M 塩酸 /
呈色反応が H2O2 ‒ Ti(IV) ‒ EDTA 三元錯体の生成
ム溶液を pH メーターで測定しながら適宜混合し,
により,著しく妨害されるという新しい反応系を
pH 3.5 の緩衝液として用いた.
見出したので,本反応系を用いる簡便で高感度な
その他の試薬は市販特級品を精製せずそのまま
H2O2 の吸光光度法の開発を目的として検討した.
用いた.また,本実験ではミリポア製 Academic
8ー11, 13, 17)
今回,
A 10 型 Milli Q による精製水を使用した.
実 験
2. 装置
1. 試薬
吸 収 ス ペ ク ト ル 及 び 吸 光 度 の 測 定: 島 津
H2O2 溶液:キシダ化学製 30 % H2O2 溶液の 2.8
UV-1700 型 分 光 光 度 計 を 用 い , セ ル は 層 長 10
ml を水 50 ml に溶解させた溶液をヨウ素滴定法
mm の石英製セルを使用した.
により濃度を補正した後,精製水で正確に 1.0 ×
pH の測定:堀場 F ‒ 11 型ガラス複合電極 pH メー
10
‒4
M に希釈し,冷暗所に保存した.
ターを用いた.
Ti (IV) 溶液:和光純薬製の原子吸光分析用チタ
ン標準液(1000 ppm )を適宜 0.1 M 塩酸溶液で
希釈し,2.0 × 10
‒4
M 溶液とした. 24ー26)
3. 標準操作
10 ml のメスフラスコに,最終濃度 0.02 ‒ 0.4
で合成した SAF を
μg ml ‒ 1 の H2O2 を含む液を加え , 次いで 1.0 %
少量の塩酸を含むメタノールに溶解し,1.0 × 10
HPC 溶 液 1.0 ml, 1.0 × 10 ‒ 2 M EDTA 溶 液 1.0
‒3
M 溶液として調製し,褐色瓶に保存して用いた.
ml,2.0 × 10 ‒ 4 M Ti (IV) 溶 液 1.0 ml, 1.0 ×
塩化ヘキサデシルピリジニウム(HPC)溶液:
10 ‒ 3 M SAF 溶液 0.8 ml を加え , 水で全量 10 ml
SAF 溶液:文献記載の方法
Table 1 Effect of polyaminopolycarbonic acids on assay of H2O2
106
107
Vol.2 (2008)
0.1 M グリシン溶液,0.1 M 酒石酸溶液 / 0.1 M
を全量 10 ml に対し 0.75 ‒ 2.0 ml 加えるとき,
討したところ , 添加順序による差異は認められな
線 を 得 る こ と が で き た. 本 操 作 法 に よ る 定 量
酒石酸ナトリウム溶液,0.1 M クエン酸溶液 / 0.1
Δ A は最大値を示した.
かった .
感 度 は, み か け の モ ル 吸 光 係 数 (ε) が 1.8 ×
M クエン酸ナトリウム溶液などの緩衝液のうち,
用いる Ti(IV) と SPF 濃度の最適濃度を検討した
0.2 M 塩酸 / 0.2 M 酢酸ナトリウム溶液を,全量
ところ,Ti(IV) と SPF 濃度の比によって,生成す
3. 吸収スペクトル
法
10 ml に対し 2.5 ml 加えて最終液性を pH 2.5 ‒ 4.0
る Ti(IV) ‒ SAF ‒ HPC 呈色錯体の室温での安定性
設定した基礎的定量条件に従って,SAF ‒ HPC ‒
Ti (IV) ‒ポルフィリン法 と同程度の感度を示した.
に調整するとき,最大で一定の Δ A 値を示した.
に著しい差異が生じたので,Ti(IV) 濃度を 2.0 ×
EDTA 溶液,
Ti (IV) ‒ SAF ‒ HPC ‒ EDTA 溶液(blank
また,0.18 μg ml ‒ 1 H2O2 定量時の相対標準偏差
金属‒色素錯体溶液に界面活性剤を添加すると
10 ‒ 5 M に固定して SAF の添加量について検討し
溶 液 ) 及 び H2O2 ‒ Ti(IV) ‒ SAF ‒ HPC ‒ EDTA 溶
(RSD)は 1.2 %(n = 5), 定量限界 ( 0.02 μg ml ‒
き,呈色体の安定性,感度,再現性などの面で著
た.その結果 , Fig. 2 に見られるように SAF の濃
液(sample 溶液)の吸収スペクトルを測定した.
1
Fig. 3 に見られるように blank 溶液と sample 溶
あり,再現性においても極めて良好な結果が得ら
液 の 吸 光 度 差(Δ A) は 600 nm 付 近 で 最 大 で,
れた.
27ー29)
‒5
しく向上することが認められている ので,本反
度を最終 8.0 × 10
M とし , 室温 (15 ‒ 30℃ ) 下
応系においても種々の界面活性剤を検討した.陽
Δ A は一定値を示した.
で 15 ‒ 35 分静置するとき,
‒2
イオン性 {HPC, 塩化ヘキサデシルトリメチルアン
ま た,EDTA 濃 度 と し て は,1.0 × 10
モニウム (HTAC), ゼフィラミン }, 陰イオン性{ド
EDTA 溶液を全量 10 ml に対し 1.0 ml 以上用いる
デシル硫酸ナトリウム,エアロゾル OT}
,両性{ス
とき,ほぼ一定の Δ A 値が得られた.
ワノール AM 101}
,非イオン性{Tween 20, Brij
したがって,最終濃度 2.0 × 10
‒5
M SAF 及び 1.0 × 10
‒3
‒5
M
M Ti (IV), 8.0
35, Triton X-100, ポリビニルアルコール}界面
× 10
M EDTA を用いる
活性剤の併用を検討したところ,1.0 % HPC 溶液
こととした.尚,試薬添加順序の影響について検
Fig. 2 Relationship between the standing time and ΔA in various SAF concentrations at room
temperature.
H2O2 : 0.1μg ml–1; [Ti (IV)] = 2.0×10–5 M; [EDTA] = 1.0×10–3 M; [HPC] = 0.1 %; pH, 3.5;
SAF concentrations: curve 1= 4.0×10–5 M; curve 2 = 8.0 × 10–5 M; curve 3, 1.6 × 10–4 M.
105 M ‒ 1cm ‒ 1 を示し,報告されている吸光光度
8ー11, 13)
の 3 ‒ 10 倍以上,最も高感度とされている
17)
H2O2 定量時 ) における RSD も 8.3 %(n = 5)で
H2O2 濃度に比例することを認めた.
5. 共存物質の影響
4. 検量線の作成
本法における共存物質の影響を Table 2 に示し
定 量 操 作 に 従 っ て 検 量 線 を 作 成 し た と こ ろ,
た.ナトリウムイオン,カリウムイオン,カルシ
0.02 ‒ 0.4 μg ml ‒ 1 H2O2 濃 度 範 囲 で 良 好 な 直
ウムイオン,硝酸イオン,塩化物イオン,硫酸イ
Fig. 3 Absorption spectra of SAF–HPC–EDTA, Ti(IV)–SAF–HPC–EDTA and H2O2–Ti(IV) –SAF–
HPC–EDTA solutions.
[Ti(IV)] = 2.0×10–5 M; [EDTA] = 1.0×10–3 M; HPC, 0.1 % ; [SAF] = 8.0×10–5 M; pH, 3.5;
Curve 1, Ti(IV)–SAF–HPC–EDTA solution; curves 2 and 3, H2O2–Ti(IV)–SAF–HPC–EDTA
solution (H2O2 concentrations (μg ml–1): curve 2 = 0.12; curve 3 = 0.36 ); curve 4, SAF–HPC–
EDTA solution.
108
109
Vol.2 (2008)
オンなどは,H2O2 に対して大過剰が共存した場合
実験 (0.1 μg ml ‒ 1) を行ったところ,回収率及び
度について目視的に観察した結果,H2O2 ‒ Ti(IV)
5) Murano K., Kougai To Taisaku, 25, 77-83 (1989).
でも全く影響を与えなかった.鉄 (III) イオン,ア
RSD は,それぞれ 101.1 %, 1.6 % (n = 5) と良好
‒ EDTA 三元錯体の生成反応速度が , {Ti(IV) ‒ SAF}
6) Kanai M., Kanai I., Rinsyokensa Teiyo, Kanahara &
ルミニウム (III) イオンの 5 倍モル量の共存では,
な結果を得ることができた.
‒ HPC 三元錯体生成反応速度よりも速いことを認
僅かに負の妨害が観察された.また,グリシン,
め た . 従 っ て,H2O2 ‒ Ti(IV) ‒ EDTA の 生 成 定 数
30)
30)
グルコースなどの有機化合物は,Δ A 値には影響
6. 錯体の組成及び反応機構
(log K) が 20.4,Ti(IV) ‒ EDTA の log K が 17.3 で
を及ぼさなかった . 更に H2O2 定量時 , 度々深刻な
Ti (IV):SAF の組成比と Ti (IV):HPC の組成比
あることを考慮すると,H2O2,Ti(IV),SAF, EDTA
問題となるアスコルビン酸の共存もヒト尿中に対
を Job の連続変化法を用いて検討したところ , そ
及び HPC の混合溶液においては,H2O2 ‒ Ti(IV) ‒
して大過剰量の添加を試みたが,本操作法におい
れぞれ 1 : 4 並びに 1 : 4 であった . 従って,本反
EDTA 三元錯体が生成した後,残余の Ti(IV) によ
てはわずかな負の誤差を与えるのみであった.尿
応系で生成する呈色体は {Ti ( SAF )4}( HPC )4 のイ
り {Ti(IV) ‒ SAF} ‒ HPC の三元錯体を生成するもの
酸についてもヒト尿中の実試料で想定される大過
オン会合型三元錯体が考えられる.一方 , H2O2 ‒ Ti
と考えられるが,より詳細な検討が必要である.
剰量の添加にもかかわらず,Δ A 値には,全く影
(IV) ‒ EDTA 錯体の組成比を検討したところ , HPC
響を示さなかった. の有無にかからず 1 : 1 : 1 の結果となり , 文献記
次に本法の応用例としてヒト尿中への添加回収
7) Taniguchi N., Yodoi J., Sankasutoresu-Redokkusu No
Seikagaku, Kyoritsu Shuppan Co., Ltd., Tokyo, 2000.
8) Matsubara C., Takamura K., Yakugaku Zasshi, 97,
41-45 (1977).
9) Matsubara C., Takamura K., Microchem. J., 22,
505-513 (1977).
10) Matsubara C., Takamura K., Microchem. J., 24,
341-349 (1979).
考 察
30)
載 の組成比と同様の結果であった . さらに生成速
11) Matsubara C., Takamura K., Bunseki Kagaku, 29,
759-764 (1980).
EDTA 共存下,H2O2 ‒ Ti(IV) ‒ EDTA 三元錯体の
生成による Ti(IV) ‒ SPF ‒ HPC 三元錯体の退色に
Table 2 Effect of foreign substances on assay of H2O2
Co., Ltd.,Tokyo, 1993.
基づく H2O2 の簡便で高感度な吸光光度定量法を
開発した.現在臨床現場で利用されている H2O2
12) Madsen B. C., Kromis M. S., Anal. Chem., 56,
2849-2850 (1983).
13) Matsubara C., Takamura K., Bunseki Kagaku, 38, 72-75
(1989).
測定法 6)(酵素法)は,H2O2 による酸化反応に
14) Nakano T., Takahashi A., Anal. Sci., 6, 823-826 (1990).
基づく呈色反応であり,アスコルビン酸などの還
15) Clapp P. A., Evans D. F., Anal. Chim. Acta, 243,
元性共存物質の影響を受けやすい欠点を有してい
る.これに対し,H2O2 の錯生成能を利用した本定
量法は,アスコルビン酸,金属イオンなど多くの
共存物質の影響も少なく,また再現性に優れ,ヒ
ト尿中での回収率も良好なことから,実試料中の
H2O2 の測定法として十分応用可能であることが示
唆される.
217-220 (1991).
16) Afsar H., Apak R., Tor I., Analyst[London], 115, 99-103
(1992).
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111
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2 (2008)
—Reviews—
C 型慢性肝炎に対するペグインターフェロンとリバビリン併用療法:
抗ウイルス効果判定の指標としての 2-5AS 活性測定の意義
金 啓二
2’-, 5’-oligoadenylate synthetase response ratio predicting virological response to
PEG-interferon- α2b plus ribavirin therapy in patients with chronic hepatitis C
Ke-Ih KIM
Department of Pharmacy, Kobe Asahi Hospital, 3-5-25, Bououji-cho, Nagata-ku, Kobe 653-0801 Hyogo, Japan
(Received October 3, 2007; Accepted November 19, 2007)
Although the mechanisms for the elimination of the hepatitis C virus (HCV) by Interferon (IFN) have not been
fully elucidated, the 2’-5’-oligoadenylate (2-5A) system is one of the mechanisms for the anti-viral effects of IFN.
Consequently, measurements of 2’-5’-oligoadenylate synthetase (2-5AS) activity could be useful for the evaluation of
IFN treatment. This retrospective study was aimed at assessing whether measurements of 2-5AS activity function as a
clinical yardstick of virological response to PEG-interferon-α2b (PEG-IFN) plus ribavirin (RBV) therapy for chronic
hepatitis C. The 32 patients included in this study demonstrated high viral loads of serum HCV-RNA of genotype 1b
with chronic hepatitis C. All patients received a regimen of PEG-IFN plus RBV for 48 weeks, and were divided into
two groups as follows: one group (effective group) with undetectable serum HCV-RNA levels at 24 weeks (n=22)
of therapy, the other group (ineffective group) with persistent presence of HCV-RNA in serum at 24 weeks (n=10).
2-5AS activity in serum was measured before initiation of therapy and at 2, 8 and 12 weeks after therapy. 2-5AS
response ratio (2-5AS value in indicated time/2-5AS value at baseline) at 2, 8 and 12 weeks after the administration was
significantly higher in the effective group than in the ineffective group. Results suggest that the ratio of 2-5AS for preto post-treatment is closely related to the anti-viral effect, and that the measurement of 2-5AS response ratio might be a
useful clinical parameter of virological response to PEG-IFN plus RBV therapy for chronic hepatitis C.
Key words——2’-, 5’-oligoadenylate synthetase; chronic hepatitis C; PEG-IFN; ribavirin
1. はじめに
るが,陰性化の時期には個人差があり,治療の継
続あるいは中断の判断は困難な場合が多い.IFN
C 型慢性肝炎に対する治療としてインターフェ
の抗ウイルス作用として IFN が細胞表面上の IFN
ロン (IFN) にポリエチレングリコール(PEG)を
レセプターと結合した後,細胞内に入り,主とし
修飾した PEG-IFN-α2b と RBV の 48 週併用療法が
て 3 つ の 酵 素,2’-,5’-oligoadenylate synthetase
2004 年 12 月から保険適応となり,著効率が有意
(2-5AS),プロテインキナーゼ,2’- ホスホジエ
に上昇したと報告されている.血液中の C 型肝炎
ステラーゼを誘導することによりウイルスを排除
ウイルス (HCV) の陰性化をもって肝炎治癒とされ
すると考えられている.なかでも 2-5AS が IFN の
1)
神戸朝日病院薬剤部,〒 653-0801 神戸市長田区房王寺町 3-5-25,e-mail: [email protected]
本論考は,博士論文をもとに再構成したものである.
112
113
Vol.2 (2008)
3. 結果
抗ウイルス作用機構の中でのその主たる担い手と
間併用して内服投与を行った.RBV は,60kg 以
3-3. 治療の評価方法
考えられている.また,ウイルス感染症の持続は,
下の場合 1 日投与量 600mg,60kg を超え 80kg
治療効果は,IFN 投与 24 週後においての HCV
ウイルス側ならびに宿主側因子の相互関係により
以下の場合 1 日投与量 800mg,80kg を超える場
の定量によって有効群と無効群の 2 群に分けて検
1. 治療成績と患者背景(Table 2)
決定される.
合 1 日投与量 1,000mg とした.
討した.有効群は IFN 投与 24 週後に HCV が陰性
有効群(治療後 HCV 陰性化群)は 22 例で,男
となった群で,無効群は IFN 投与 24 週後に HCV
性 12 例,女性 10 例であった.無効群(治療後も
が陽性を持続した群とした.
HCV 陽性群)は 10 例で男性 7 例,
女性 3 例であっ
3-4. 統計解析
た.両群間で IFN 投与前において,年齢,性別,
2-5)
そこで,今回我々はこの宿主側因子の 2-5AS 活
性 に 着 目 し,2-5AS 活 性 が PEG-IFN-α2b と RBV
3. 調査内容
併用療法時の抗ウイルス効果の指標となるかどう
3-1. HCV のウイルス学的検査(Table 1)
かについて検討を行った.
2. 対象と方法
1. 対象
2004 年 12 月から 2005 年 5 月までに神戸朝
日病院で治療が開始された C 型慢性肝炎 32 例,
HCV genotype 1b で,
かつ高ウイルス量
(HCV-RNA
量(ウイルス量)100 KIU/mL 以上を示す症例を
対象とした.
なお,本研究はヘルシンキ宣言の精神を遵守し,
神戸朝日病院倫理委員会にて承認が得られてい
る.
2. 治療方法
全 例 に PEG-IFN-α2b 1.5 μg/kg, 週 1 回 48 週
間皮下投与し,同時に体重に応じて RBV を 48 週
6)
HCV genotype の 検 出 は,Okamoto らの 方 法
統 計 解 析 に は,χ -test,Spearman’s correla-
平均体重,治療歴,HCV ウイルス量,2-5AS 活性
に 準 じ て 行 っ た.HCV の 定 量 お よ び 定 性 は,
tion,Student’s t-test,Welch’s t-test また Mann-
に有意差はなかった.
Ampricor HCV Monitor 法(Roche Diagnostics 社)
Whitney test を用いた.有意水準は,5%未満と
にて測定した.HCV の定量は IFN 投与前に,HCV
した.
7)
2
の定性は IFN 投与 4 週後,投与 8 週後,投与 12
週 後, 投 与 16 週 後, 投 与 24 週 後 に,Amplicor
HCV Monitor ver 2.0 assay(Roche Molecular
8)
Systems 社 )を用いて測定した.HCV コア抗原は
Table 2. Clinical characteristics of the patients
IFN 投与前と投与 24 時間後,投与 1 週後,投与
2 週後,投与 4 週後に immuno-radiometric assay
9)
(IRMA)法(Ortho 社)で測定した.
3-2. 2-5AS 活性の測定(Table 1)
10, 11)
2-5AS 活 性 は,RIA kit( 栄 研 化 学 )を 用 い て
IFN 投与前と投与 2 週後,投与 8 週後,投与 12
週後に測定した.2-5AS 活性の反応性は,IFN 投
与前値に対する測定時の比で表した.
Table 1. Laboratory schedule
HCV, Hepatitis C virus; IFN, Interferon; 2-5AS, 2’-5’-oligoadenylate synthetase. Data are given as mean ±SD.
114
Vol.2 (2008)
2. 2-5AS 活性の測定
2-1. 2-5AS 活性の反応性(Fig. 1)
2-5AS 活性の反応性は,投与 2 週後(P < 0.05),
投与 8 週後(P < 0.005)
,
投与 12 週後(P < 0.005)
において,どの時点においても有効群と無効群間
で有意差がみられた.
115
(P < 0.01),投与 1 週後(P < 0.005),投与 2 週
後(P < 0.001),投与 4 週後(P < 0.001)におい
て,どの時点においても有意差がみられた.
3-2. HCV 陰性化時期(Fig. 3)
有効群での HCV 陰性化時期は,投与 4 週後で
2 例(9.1%),投与 8 週後で 5 例(22.7%)
,投与
12 週後で 12 例(54.5%),投与 16 週後で 19 例
3. 2-5AS 活性の測定
(86.4%),投与 24 週後で 22 例(100.0%)であった.
3-1. HCV のウイルス学的検査(Fig. 2)
HCV コア抗原の log 減少率は,投与 24 時間後
Fig. 2. Changes in HCV core antigen expressed as log reduction in chronic hepatitis C patients treated with PEGinterferon-α2b plus ribavirin therapy for 4 weeks. HCV core antigen log reduction in the effective group
(open square) and in the ineffective group (solid circle). HCV, Hepatitis C virus; IFN, Interferon. Data are given
as mean ±SD. *P < 0.01, **P < 0.005, ***P < 0.001, compared with the ineffective group.
Fig. 1. Changes in 2-5AS response ratio (measured value/measured value of baseline) in chronic hepatitis C patients
treated with PEG interferon-α2b plus ribavirin therapy at 12 weeks. 2-5AS response ratio in the effective group
(open square) and in the ineffective group (solid circle). 2-5AS, 2’-5’-oligoadenylate synthetase. Data are given as
mean ±SD. †P < 0.05, **P < 0.005, compared with ineffective group.
Fig. 3. The response ratio from 4 weels to 24 weeks maintained during therapy in the ineffective group (n = 22).
116
117
Vol.2 (2008)
4. 考察
100 KIU/mL 以上)の C 型慢性肝炎患者に対して,
C 型慢性肝炎に対して IFN と RBV の併用療法を
活性の反応性を積極的に活用する必要がある.高
IFN 単 独 療 法 の 著 効 率 は 2.3 ∼ 4.9 %,IFN-α2b
行うと,24 時間以内に急峻なウイルス量が減少す
齢化する C 型慢性肝炎患者における PEG-IFN-α2b
IFN の 抗 ウ イ ル ス 作 用 と し て IFN が 細 胞 表 面
と RBV 併用療法においては 17.4 ∼ 20.2%である
る第 1 相と,それに引き続くその後の 2 週間程度
と RBV 併用療法においては,2-5AS 活性の反応性
上の IFN レセプターと結合した後,細胞内に入
のに対し,PEG-IFN-α2b と RBV48 週併用療法は
までの緩徐な減少の第 2 相,そして 3 ∼ 4 週間以
を観察しながら強力な IFN 治療法をそのまま継続
り,主として 3 つの酵素を誘導することにより
47.6%と著効率が有意に上昇した.
降の第 3 相に分類される. 第 1 相は IFN の直接
するのか,肝機能の正常化を目的とした IFN の少
ウイルスを排除すると考えられているが,なかで
一方,C 型慢性肝炎に対する IFN 治療効果に影
的な抗ウイルス効果を反映し,
第 2 相は IFN によっ
量長期投与に切り替えるのかを判断し,個々の患
も 2-5AS が IFN の抗ウイルス作用機構の中での
響を及ぼす因子は,ウイルス側因子(投与前の
て,第 3 相は RBV によって惹起された免疫担当
者に即した適切な治療法を選択することが,肝細
その主たる担い手と考えられている.2-5AS 活性
HCV ウイルス量,ウイルスの HCV genotype)と
細胞による感染細胞の排除機構とされる.この第
胞癌発生抑制,生命予後改善の観点また治療継続
は外因性の IFN 投与により上昇するとされるがそ
宿主側因子(肝線維化の程度,患者の年齢,性別)
3 相の消失曲線の効果が,IFN 単独療法のみでは
による副作用や治療費の軽減の観点からも重要で
の誘導率は個人差が著しいため,IFN の治療効果
の 2 つに分類される.上記のいずれもが IFN 投与
ウイルス排除が困難であった難治性の C 型慢性肝
あると考える.
を評価するためには,IFN 投与前値との比すなわ
前の治療効果予測因子で,IFN 投与後においては
炎患者への PEG-IFN-α2b と RBV 併用療法による
ち 2-5AS 活性の反応性で比較することがよいとさ
HCV 陰性化の時期が唯一の治療効果予測因子と
HCV の陰性化率の上昇に寄与したのではないかと
れている.そこで 2-5AS 活性の反応性で見てみる
なっている. 従来の IFN-α2b と RBV の併用療法
考えられている.従来の IFN 治療の投与法や投与
と,有効群では 2-5AS 活性の反応性が投与 2 週
では IFN 投与 12 週以内に HCV の陰性化が得られ
量の決定は主としてウイルス側因子のみから検討
後,投与 8 週後において 3 倍以上の反応性を示
なかった症例からは著効例が見られないが,PEG-
されてきた.しかし,IFN の治療効果をさらに向
し,投与 12 週後においても 2.8 倍以上の高い反
IFN-α2b と RBV の併用療法では IFN 投与 24 週ま
上させるためには IFN の生体内動態を考慮した投
応性を示した.しかし,無効群では 2-5AS 活性の
でに HCV ウイルスが陰性化すれば,著効が期待
与法の検討が必要である.そのためには宿主側因
反応性は投与 2 週後,投与 8 週後,投与 12 週後
できるとしている.そこで,IFN 投与 24 週後に
子である 2-5AS 活性を測定し,反応性をみること
Toyota J., Hokkaido Igaku Zasshi, 69, 1354-1359
において 2 倍を超えることはなく,IFN に対する
おいての HCV の有無によって有効群と無効群の 2
は極めて有用な手段と考えられる.
(1994).
2-5AS 活性の反応性が悪かった(Fig. 1)
.すなわ
群に分けて検討した.
C 型慢性肝炎治療の最大の目標は,肝細胞癌の
ち,無効群では外因性の IFN 投与に対して反応が
簡 便, 迅 速 か つ 安 価 に HCV の 定 量 が 行 え る
発生を抑制し生命予後を改善することである.日
H., Morizane T., Hibi T., Ishii H., Tsuchimoto K.,
鈍く,2-5AS 活性の誘導が十分でなく,ウイルス
HCV コア抗原を用いて血中ウイルス動態を検討
本人に多いとされる難治性の HCV genotype 1b
Nihon Rinsho Meneki Gakkai Kaishi, 20, 428-436
増殖抑制まで至らなかったのではないかと推察さ
したところ,IFN 投与 24 時間後(P < 0.01)
,投
で,かつ高ウイルス量の患者に対して,強力で
(1997).
れた.一方,有効群では IFN 治療前に無効群に比
与 1 週後(P < 0.005),投与 2 週後(P < 0.001)
,
かつ安全な IFN 投与は肝細胞癌の発生の抑制に
べてウイルス量が低い傾向にあったが,外因性の
投与 4 週後(P < 0.001)において,どの時点にお
不可欠である.しかし,現在最も強力な治療と
IFN 投与に対して 2-5AS 活性が高度に誘導され,
いても両群間で有意差がみられた(Fig. 2)
.IFN
言われる PEG-IFN-α2b と RBV 併用療法において
ウイルス増殖を抑制し IFN 投与 24 週後に HCV が
投与 24 時間後において,有効群は平均で 1/10
も,HCV が完全排除できるのは約 50%に留まっ
Akahane Y., Sugai Y., Tanaka T., Sato K., Tsuda F.,
陰性となったものと考えられる.
以上のウイルス量の減少を示したのに対し,無効
ている.一方,HCV の完全排除に至らなくても
Miyakawa Y., Mayumi M., J Gen Virol, 73, 673-679
1986 年に Hoofnagle らが,非 A 非 B 型肝炎に
群では 1/10 未満の減少しか示さなかった.IFN
AST,ALT といった肝機能の正常化によって,肝
(1992).
対し IFN を投与することにより肝機能が正常化
投与 4 週後では,有効群では平均で 1/100 以上
細胞癌抑制や生命予後の改善が期待できる.従っ
し,肝組織像も改善したことを報告し,わが国に
の減少を示したのに対し,無効群では 1/10 未満
て,肝機能の正常化を目的とした IFN の少量長期
市後香織 , 浅利誠志 , 柳原武彦 , 日本臨床検査自
おいては,1992 年 1 月に C 型慢性肝炎に対する
の減少しか示さなかった(Fig. 2).しかし,IFN
投与も積極的に行っていく必要があると考えられ
動化学会会誌 , 25,178-183 (2000).
IFN 単 独 療 法,2001 年 12 月 か ら は IFN-α2b と
投与 24 週後に HCV が陰性化した有効群において
る.従来の IFN 治療の治療方針は,主として IFN
RBV の 24 週併用療法,2004 年 12 月から PEG-
も,IFN 投与 4 週後に HCV が陰性化したのは 9.1%
投与前のウイルス側因子(HCV ウイルス量,HCV
IFN-α2b と RBV の 48 週併用療法が保険適応とな
(22 例中 2 例)であった(Fig. 3).その理由とし
genotype)
, 宿 主 側 因 子( 肝 線 維 化 の 程 度, 患
り,多くの施設で IFN 治療が施行されてきた.日
ては,PEG-IFN-α2b と RBV 併用療法における HCV
者の年齢,性別)から検討されてきた.しかし,
本人に最も多く存在し,難治性と言われる HCV
の血中ウイルス動態と関連している可能性が示唆
IFN の治療効果をさらに向上させるためには,こ
genotype 1b で,かつ高ウイルス量(ウイルス量
された.
れに加えて IFN 投与後の宿主側因子である 2-5AS
2-5)
12)
13)
1, 14-17)
18)
19, 20)
21)
18, 19)
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119
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2 (2008)
—Reviews—
アシジアサイクラマイド及びその誘導体の構造化学的研究
浅野 晶子
Structural Study of Ascidiacyclamide and its Analogues
Akiko ASANO
Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1, Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan
(Received October 18, 2007; Accepted November 19, 2007)
Ascidiacyclamide (ASC), cyclo(-Ile-Oxz-D-Val-Thz-)2, is a cytotoxic cyclic peptide isolated from tunicates containing
the unusual amino acids, thiazole-4-carboxylic acid (Thz) and 4,5-dihydro-5-methyloxazole (Oxz). The chemical
structure of ASC is characterized by a repeated sequence with C2-symmetry. NMR spectroscopic and X-ray diffraction
analyses of ASC have shown the existence of two major conformations; square and folded forms. To better understand
the conformational behavior of ASC, the Ile residue was replaced with another amino acid to disturb the C2-symmetry.
This asymmetric modification indicated that the conformational equilibrium between the square and folded forms is
related to the bulkiness of the substituted amino acid. Furthermore, desoxazoline-ascidiacyclamide analogues (dASC)
were designed for reducing conformational restraints imposed by the Oxz rings, and were all folded. These results
suggested that the Oxz rings play a key role in the conformational equilibrium. Regarding this point, we designed ASC
diastereomers to modify the conformational restraints induced from the chiral carbons (Cα and Cβ) of Oxz. The two
novel conformations, flat-square and reverse-folded forms, were found in the diastereomers. These findings indicated
that the Cα (Oxz) atoms strongly link to structure changes in ASC, while the Cβ (Oxz) atoms impose moderate
restraints on ASC. The cytotoxicities of ASC analogues were also evaluated for P388 lymphocytic leukemia cells. It was
suggested that the conformational flexibility of ASC is important for its cytotoxicity.
Key words——Ascidiacyclamide (ASC); C2-symmetry; X-ray diffraction; conformational equilibrium ; Oxz ring;
cytotoxicity
1. 序論
特に無脊椎動物と脊椎動物の間に位置するとい
う,系統分類学上特異なホヤからは,医薬あるい
海洋生物が生成し,含有している成分は,陸上
はそのリード化合物として望まれる生理活性(抗
生物に比べて特異な化学構造を有し,様々な興味
腫瘍活性,抗ウィルス活性,免疫抑制作用等)を
ある生理活性を示す.このような観点から海洋生
示すペプチドが相次いで報告されてきた.また,
物は有効資源と考えられ,今日までに数多くの海
その構造からイオンの膜透過を助ける,イオノ
洋生物由来の生理活性物質が発見されてきた.
フォアとしての可能性も期待されている.
大阪薬科大学,e-mail: [email protected]
本論考は,博士論文をもとに再構成したものである.
1-6)
7-11)
120
121
Vol.2 (2008)
このような生理活性ペプチドの構造は,次のよ
に着目した,ジアステレオマーの構造化学的研究
うな点で天然のタンパク質中におけるペプチド鎖
について記述する.
と異なっている.そしてこれらの特徴は直接,間
接的に主鎖のコンフォメーションに影響を与える
12-17)
2. ASC 及びその誘導体の合成
と考えられる.
① D- アミノ酸残基や側鎖が特殊なアミノ酸残
基を含んでいる.
19)
各誘導体の合成は,濱田らによる方法 を参考
に 行 っ た.Oxz ア ミ ノ 酸 は L-Ile と L-Thr か ら 成
② ペプチド主鎖が環状構造を形成している.
るジペプチドが縮合環化して形成されると考えら
③ ペプチド主鎖のアミド結合が一部エステル結
れ,一方,Thz アミノ酸は D-Val と Cys から成るジ
合などに置き換わっている.
④ イミノ基のメチル化,同一残基内での環状化
等様々な化学修飾を受けている. ペプチドが縮合環化後,酸化芳香化して形成され
ると考えられる.Thz アミノ酸残基は,通常のペ
プチド合成条件下では安定であるので,合成原料
20, 21)
本研究で取り上げたアシジアサイクラマイド
となる D-Val 由来の Thz アミノ酸を合成 し , それ
(ASC) は,1983 年遠藤らによってオーストラリア
を原料としてペプチド縮合に用いた.
に生息する複合ホヤから単離された,一連の環状
Oxz 環の構築段階については 2 カ所考えられた.
ペプチドの一つであり,抗腫瘍活性を示す.そし
1 つ目は,Thz アミノ酸と同様に L-Ile 由来の Oxz
て生理活性だけでなく,その化学構造も興味深い
アミノ酸を合成し,それをペプチド縮合の原料と
ものである.ASC の化学構造の 1 つ目の特徴は,
する方法である.2 つ目は,環状ペプチドとした
分子内に非タンパク質構成アミノ酸であり,ヘテ
後に Oxz 環を構築する方法である.しかし,不安
ロ環を含むチアゾール (Thz) アミノ酸とオキサゾ
定な Oxz 環は,可能な限り遅い段階での構築が最
リン (Oxz) アミノ酸が交互に配置されていること
良であると考え,後者の方法を用いた.
である.2 つ目の特徴は,ペプチド環の中心に分
また,Oxz 環には Cα と Cβ の 2 カ所に不斉炭素
子内二回回転対称(C2 対称)を有することである.
が存在するため,その点についても考慮しなけれ
そして,そのアミノ酸配列は cyclo(-Ile-Oxz-D-Val-
ばならない.目的の Oxz 環の立体配置は Cα が S
Thz-)2 である.このような構造化学的特徴により,
配置,Cβ が R 配置であり,L-Thr の立体を保持し
ASC がどのようなコンフォメーションをとってい
ている.しかし,化学合成における Thr 残基の脱
るかを知ることは,その生理活性作用機構を明ら
水環化は,生合成の場合と異なり,Thr β 位の反
かにする上で重要である.更に,個々の構成要素
転を伴う.よって目的の Oxz 環の立体配置を得る
について得られる知見は,単なる構造活性相関に
には,Cβ が S 配置をもつ L-allo-Thr を用いる必要
18)
22, 23)
Scheme 1
2-1. チアゾールアミノ酸の合成
混合物を分離することなく,活性二酸化マンガン
D-Val 由 来 の Thz ア ミ ノ 酸 誘 導 体 (Boc-D-
で酸化して,目的の Boc-D-Val(Thz)-OMe (7) を得
Val(Thz)-OMe) (7) の合成は,Scheme 1 に従い行っ
た.
た.D-Val(1) のアミノ基を Boc ( t-butyloxycarbonyl)
とどまらず,天然にはない新規ペプチド,タンパ
がある.そこで原料として L-allo-Thr の合成 を
ク質を作り出す創薬という観点からも重要な意義
行った.
キシル基を OMe (methyl ester) 基で保護した (3).
があると考えられる.
以上の合成方針をまとめると,まずペプチド縮
た.L-Thr (8) のカルボキシル基を OMe 基で保護
我々は,ASC の様々な誘導体について,X 線結
合の原料となる D-Val 由来 Thz アミノ酸と L-allo-
次に塩化リチウム,水素化ホウ素ナトリウムを用
いた還元により,アルコール誘導体 (4) とし,ピ
し (9),塩化ベンゾイルでアミノ基に Bz (Benzoyl)
晶構造解析,NMR,CD スペクトル測定によりコ
Thr の合成を行い,次にそれらを用いて環状ペプ
リジンー三酸化イオウ錯体を用いた酸化により,
基を導入し,Bz-Thr-OMe (10) を合成した.塩化
ンフォメーション解析を行った.本稿では,ASC
チドの縮合を行う.そして最後に Oxz 環を構築し,
及びその誘導体の合成法,ASC の C2 対称性を崩
アルデヒド誘導体 (5) とした.このアルデヒド誘
チオニルで Oxz 環を形成させ (11) ,20% 塩酸中
目的の化合物を得る.以下に各合成方法の詳細を
導体と Cys-OMe とを縮合させチアゾリジン誘導
した,非対称誘導体及び,Oxz 環のキラリティー
述べる.
体 (6) をエピマーの混合物として合成した.この
で還流することにより目的の L-allo-Thr (12) を得
基で保護した後 (2),ヨウ化メチルを用いてカルボ
2-2. L- アロスレオニンの合成
L-allo-Thr (12) の合成は Scheme 2 に従って行っ
た.
122
123
Vol.2 (2008)
F
Scheme 3
Scheme 2
2-3. ペプチド縮合及び環状化
2-4. オキサゾリン環形成反応
ペプチド縮合は液相法により行った.保護基と
Scheme 3 に示すように,塩化チオニルを用い
して,N 末端は Boc 基,C 末端は OMe 基を選択
て,最後に Oxz 環の構築を行った.Thr 残基の水
した.脱保護の方法は,Boc 基が 4M 塩酸 / ジオ
酸基が塩化チオニル処理により Oxz 環を形成させ
キサン,OMe 基はアルカリけん化により行った.
ると考えられるが,各誘導体間において,この段
縮合剤には EDC (1-ethyl-3-(dimethylaminopropyl)
階における収率が 20 ∼ 80% とかなりの差が確認
carbodiimide ) 及 び そ の 添 加 剤 と し て,HOBt
された.なお,ASC(14) 及びその各誘導体の前駆
(1-hydroxybenzotriazole ) を 用 い た.HOBt は
体化合物であり,Oxz 環が形成されていない化合
縮合反応に伴うラセミ化を最小限に抑えて,反
物 13 を Desoxazoline ascidiacyclamide (dASC) と
応速度を大幅に改善する作用がある.これらの
いう.
24)
縮 合 剤 に よ り,3 残 基 の フ ラ グ メ ン ト を 合 成
し,それらのフラグメント縮合により 6 残基ペ
3. ASC 非対称誘導体の構造化学的研究
プチドを合成した.しかし,6 残基の鎖状ペプ
チ ド か ら, 環 状 化 の 際 の 縮 合 に EDC/HOBt を
ASC の C2 対称に着目し,ASC の片方の Ile 残基
用 い る と, 収 率 が 10 ∼ 20% と 非 常 に 低 か っ
を異なるアミノ酸残基に置換した,非対称誘導体
た. そ こ で, 環 状 化 の 段 階 の み, 縮 合 剤 と し
を合成した.置換アミノ酸残基の側鎖のかさ高さ
て PyBOP (benzotriazol-1-yloxytris(pyrrolidino)
により,非対称性の程度が異なっている.Fig. 1
phosphonium hexafluorophosphate) を 用 い る こ
に置換した 4 種類のアミノ酸を示した.これらの
とにより,30 ∼ 60% 程度まで収率が改善された.
誘導体を用い,ASC の C2 対称性とコンフォメー
25, 26)
Fig. 1. Chemical structures of asymmetric analogues of ASC. A circled Ile residue was substituted by other amino acid.
124
125
Vol.2 (2008)
ションの相関について調べることを目的とした.
Fig. 2 (b) に [Val]ASC の X 線結晶構造解析の結
更に,Oxz 環が形成されていない dASC 誘導体に
果を示した.主鎖の骨格が,交互に Oxz 環と Thz
ついても構造解析等を行い,Oxz 環の有無による,
環を頂点とする,長方形のようになっており,Ile
コンフォメーションへの影響を検討した.
残基と Thz 環とのアミド結合部位で折れ曲がって
Table 1. Hydrogen bonds and stacking between the Thz rings of folded form in cryatal structures of ASC
and dASC analogues
いるものの,全体的には分子は開いた構造をとっ
27-30)
3-1. ASC 非対称誘導体の X 線結晶構造解析
ていた.つまり,ASC の結晶構造 の特徴とよく
合成した ASC 非対称誘導体のうち,X 線回折
一致していた.そして,[Phg]ASC の結晶構造も同
測定可能な結晶が得られた,[Ala]ASC, [Val]ASC,
様であった.このような特徴をもつコンフォメー
[Phg]ASC 及び dASC 非対称誘導体として [Ala]dASC,
ションを以下“square form”と分類した.
[Val]dASC, dASC について X 線結晶構造解析を行っ
[Ala]dASC, [Val]dASC, dASC も 互 い に 類 似 し た
た.
結晶構造であった.そして,その構造は“folded
Fig. 2(a) に [Ala]ASC の X 線結晶構造解析の結果
form”に分類された.つまり,2 つの alloThr 残
を示した.その構造は,以前に石田らによって報
基を支点に主鎖の骨格が折れたたまれており,分
告されている,ASC の結晶構造 とは異なっていた.
子内の 2 つの Thz 間でのスタッキング相互作用に
2 つの Oxz 環を支点に主鎖の骨格が折れたたまれ
より安定化していた.そして,N(Xxx1)-H…O(Ile5),
ており,2 つの Thz 環は,スタッキング相互作用
N(D-Val 3)-H…O(Thz 8), N(Ile 5)-H…O(Xxx 1), N(D-
らにフォールディングするかは,置換アミノ酸に
ションをとっていると考えられる.これらの CD
可能な位置に,互いにほぼ平行に向き合っていた.
Val7)-H…O(Thz4) 間の距離は,水素結合可能な距
よって左右されることが示唆された.つまり,置
スペクトルは,MeCN 及び TFE 両溶媒中におい
離であった (Table 1).
換アミノ酸のかさ高さが Ile 残基と同程度であれ
て,220 ∼ 270nm にかけて,なだらかな正のコッ
N(Ile )-H…O (Oxz ), N(D-Val )-H…O(Thz ) 間
以上の結果から,ASC 非対称誘導体は,分子の
ば,C2 対称性が保持され“square form”であった.
トンを示しており,TFE 濃度の増加による影響
は,それぞれ水素結合が可能である距離であっ
開いた“square form”と,分子が折れたたまれた
また,置換アミノ酸のかさ高さが Ile 残基より小
をあまり受けていなかった.このように 220 ∼
た (Table 1).このような特徴をもつコンフォメー
“folded form”の 2 種類のコンフォメーションに
さいために,C2 対称性が失われた誘導体は,
“folded
270nm になだらかな正のコットンを示す CD ス
分類できることが明らかとなった.そして,どち
dASC 誘導体の結晶構造は,
form”であった.更に,
ペクトルのパターンを type I とした.
非対称の程度にかかわらず,すべて“folded form”
一 方,ASC, [Val]ASC, [Phg]ASC も ま た 互 い に
であった.よってコンフォメーションのコント
よ く 似 た CD ス ペ ク ト ル で あ っ た (Fig. 3 (b)).
ロールにおいて,Oxz 環の重要性が示唆された.
100%MeCN 中 で は,245nm 付 近 に 小 さ な 負 の
27-30)
γ1
1
6
3
8
更 に N(Xxx )-H…O (Oxz ), N(D-Val )-H…O(Thz ),
5
γ1
2
7
ションを 以下“folded form”と分類した.
4
コットンが,210nm 付近には正のコットンが観
3-2. ASC 非対称誘導体の CD スペクトルの
測定
(a)
(b)
Fig. 2. Crystal structures of (a) [Ala]ASC and (b) [Val]ASC. Dashed lines represent hydrogen bonds.
測された.このような特徴を示す CD スペクト
ルのパターンを type II とした.そして TFE 濃度
溶液状態でのコンフォメーションを検討するた
の増加に伴い,245nm におけるモル楕円率は増
めに,円二色性 (CD) スペクトルの測定を行った.
加し,210nm におけるモル楕円率は低下してい
アセトニトリル (MeCN)100% から,MeCN に対し
た.最終的には 100%TFE 溶媒中において,type
て 2,2,2- トリフルオロエタノール(TFE)濃度を
I の CD スペクトルを観測した.また 230nm には
10, 20, 30, 40, 50, 100% と変化させ,測定した結
isochromatic point が見られた.
果を次ページの Fig. 3 に示した.
結晶構造と CD スペクトルとの相関から,type
[Ala]ASC と [Leu]ASC はよく似た CD スペクト
I,type II の ス ペ ク ト ル は, そ れ ぞ れ“folded
ルであった (Fig. 3 (a)).よって,これらの誘導体
form”と“square form”を示しており,[Ala]ASC
は,溶液中において互いによく似たコンフォメー
と [Leu]ASC の 溶 液 中 で の コ ン フ ォ メ ー シ ョ ン
126
127
Vol.2 (2008)
Table 2. Cytotoxic activities of ASC and its analogues for P388 cells
Fig. 3. (a) Type I CD spectra of [Ala]ASC and [Leu]ASC. (b) Changing to type I from type II CD spectra
of [Val]ASC, ASC and [Phg]ASC. The spectra were measured in MeCN solution (bold line) as a
function of TFE concentration (10, 20, 30, 40 and 50%). Spectra in TFE solution are drawn with
dotted lines. The scale of y-axis of spectra of [Phg]ASC are different from others.
は,“folded form”に傾いていることが示唆され
ションである傾向が見られた.更に,活性を全く
た. ま た 230nm に お け る isochromatic point の
示さなかった dASC 非対称誘導体の結晶構造は全
観測は,2 つのコンフォメーションによる平衡の
て“folded form”であった.また,溶液中では,
存在を示唆しており,ASC, [Val]ASC, [Phg]ASC は,
ASC, [Val]ASC, [Phg]ASC が
“square form”
と
“folded
TFE の影響により,
“square form”から“folded
form”との間でコンフォメーション平衡の存在を
form”へとコンフォメーションが変化すると考え
示したのに対し,活性が低下した [Leu]ASC では
られた.
コンフォメーション平衡が見られなかった.よっ
Table 3. Configurations of 2nd (α, β) and 6th (α, β) in dASC and ASC diastereomers
て ASC の活性発現には,
“square form”と“folded
3-3. ASC 非対称誘導体の構造活性相関
form”の両方のコンフォメーションをとり得る柔
各誘導体について,P388 マウスリンパ性白血
軟性が必要であることが示唆された.
病細胞に対する細胞毒性試験 (in vitro) を行った.
得られた結果を Table 2 に示した.ASC の ED50 値
は 10.5μg/ml であった.これと類似した値を示し
4. ASC ジアステレオマーの構造化学的研
究
た誘導体は,[Val]ASC と [Phg]ASC であった.ま
た,ASC と比較して,[Ala]ASC は約 50%,[Leu]ASC
前章の研究結果は,ASC のコンフォメーション
は約 30% 活性が低下していた.そして dASC 非対
における,Oxz 環の重要性を示唆するものであっ
が存在する.そして,β 位の反転を伴って,それ
Thr 残基に置換すると,10 通りの組み合わせがあ
称誘導体はいずれも活性がなかった.
た.そこで本章では,Oxz 環に焦点をあて,Oxz
ぞ れ L-allo-Oxz, L-Oxz, D-allo-Oxz 及 び D-Oxz が
り,そして Oxz 環を形成させることにより,10
構造活性相関としては,ASC, [Val]ASC, [Leu]ASC,
環キラル修飾によるジアステレオマーを合成した.
形成される (Scheme 3).dASC は分子内に 2 つの
種類の ASC ジアステレオマーが考えられる.
[Phg]ASC の 結 晶 構 造 が“square form” で あ り,
Oxz 環 の 前 駆 体 で あ る Thr 残 基 は,Cα と Cβ
L-allo-Thr 残 基 を,ASC は 分 子 内 に 2 つ の L-Oxz
天然型の ASC を除く,9 種類のジアステレオ
環をそれぞれ有している.dASC 分子内の 2 カ所
マーの合成を行った.Table 3 に,これらジアス
の L-allo-Thr 残基を,異なる 4 種類の立体配置の
テレオマーのキラル修飾カ所の立体配置をまとめ
[Ala]ASC の 結 晶 構 造 が“folded form” で あ っ た
ことから,“square form”が活性型コンフォメー
の 2 つ の 不 斉 炭 素 を も っ て お り,L-Thr, L-alloThr, D-Thr 及び D-allo-Thr の 4 種類の立体異性体
128
129
Vol.2 (2008)
た.ASC10 については,2 カ所の D-Thr 残基から
たジアステレオマーである.つまり,2 つの Oxz
値となっており,類似構造をとっていた.つまり,
鎖の ASC からのずれは RMS 値にして 1.62Å であっ
D-allo-Oxz 環への反応が進まず,合成することが
環のそれぞれの β 位の立体配置のみが修飾されて
ASC5 は“square form”に分類されるコンフォメー
た.このような特徴をもつ ASC7 のコンフォメー
できなかった.
おり,C2 対称性は保たれている.Fig. 4 (a) は ASC
ションであった.
ションを以下“flat-square form”と分類した.ま
(黒)と ASC5(グレー)の結晶構造を重ね合わせ
ASC7 は 片 方 の Oxz 環 が L-allo-Oxz, も う 片 方
た,ASC7 においては,ペプチド環中央に“square
た図である.この 2 つの構造を比較すると,Oxz
が D-allo-Oxz に置換されたジアステレオマーであ
form”には見られないキャビティーが見られた
環の Cβ 原子どうしが 0.79-0.99Å ずれており,Cγ
る.つまり,一方の Oxz 環は α 位が,もう一方の
(Fig. 5).
合成したジアステレオマーのうち,ASC5, 7, 8
原子はそれぞれ逆を向いていた.また,D-Val 残
Oxz 環は β 位が修飾されている.Fig. 4 (b) は,ASC
ASC8 は,2 つの Oxz 環を D-Oxz 環に置換した
及び dASC2 ∼ 10 について,X 線回折測定可能な
基の Cα 原子どうしも 0.74-0.81Å ずれていた.こ
(黒)と ASC7(グレー)の結晶構造を重ね合わせ
ジアステレオマーである.つまり,2 つの Oxz 環
結晶が得られたので,X 線結晶構造解析を行った.
のような局所的なずれが見られるものの,全体的
た図である.ASC7 は“square form”である ASC
のそれぞれの α 位,β 位共に立体配置が修飾され
ASC5 は 2 つの Oxz 環を L-allo-Oxz 環に置換し
な主鎖骨格の構造は,RMS 値が 0.31Å と小さい
の構造と比較して,主鎖のペプチド環が,より平
ており,C2 対称性は保たれている.ASC8 の結晶
らに開いた状態であることがわかる.全体的な主
構造解析の結果を Fig. 6 に示した.ASC8 の結晶
4-1. ASC ジアステレオマーの X 線結晶構造
解析
(a)
Fig. 5. Molecular structures of (A) the square form of ASC and (B) the flat square form of ASC7 with the
accessible surfaces. The accessible surfaces were calculated by MSMS and figures were drawn by
Raster 3D.
(b)
Fig. 4. Superimpositions of the crystal structures of (a) ASC and ASC5, and (b) ASC and ASC7. Molecular
fitting was carried out for the peptide backbone. Black and gray sticks represent ASC and ASC5 or
ASC7, respectively. Sulfur atoms are drawn as balls, and hydrogen atoms are omitted clarity.
Fig. 6. Crystal structure of ASC8.
130
Vol.2 (2008)
131
構造は,“folded form”同様,Oxz 環を支点にペ
に多少の違いが見られたものの,ペプチド主鎖の
イプごとに Fig. 8 (a) ∼ (c) に示した.
増加し,スペクトルは type I へと変化していた.
プチド環が折れ曲がっていたが,その向きは反対
コンフォメーションに及ぼすほどの影響はなかっ
ASC2 と ASC5 は,MeCN 溶 媒 中 で は, 共 に
そして 230nm に isochromatic point が存在した.
であった.そして,
“folded form”の 2 つの Thz
た.
245nm に負のコットンを,210nm 付近では正の
これらの特徴もまた,ASC(1) のスペクトルと類似
環は,互いにスタッキング相互作用可能な位置
以上の結果をまとめると,ASC5 は,ASC(1) と
コットンを示し,ASC(1) と同じ type II に分類さ
していた.また 245nm におけるモル楕円率の変
に向き合っているのに対し (Fig. 2 (a)),ASC8 は,
同じ“square form”であった.つまり Oxz 環 β 位
れる CD スペクトルであった (Fig. 8 (a)).TFE 濃
化 率 は,ASC(1) > ASC2 > ASC5 と な っ て い た.
D-Val 側鎖のイソプロピル基が,Thz 環のスタッ
の立体配置は,結晶構造には影響を及ぼさなかっ
度の増加とともに 245nm におけるモル楕円率は
つ ま り ASC5 < ASC2 < ASC(1) の 順 に TFE の 影
キングを邪魔するような位置に存在していた.こ
た.ASC7 及 び ASC8 は, そ れ ぞ れ“flat-square
のような ASC8 のコンフォメーションを“reverse-
form”と“reverse-folded form”のコンフォメー
folded form”と分類した.
ションをとっており,これらは非対称誘導体で
全ての dASC ジアステレオマーは,主鎖の構造
は見られない新規コンフォメーションであった.
が,Thr と Thr 残基の 2 カ所を支点に分子が折
ASC7 は Oxz6 環 α 位の立体配置が R に置換されて
れ た た ま れ て お り,2 つ の Thz4 と Thz8 環 の 間
おり,ASC8 は Oxz2, Oxz6 環 α 位両方の立体配置
でスタッキング相互作用によって安定な構造を
が R に置換されている.このように Oxz 環 α 位の
2
6
1
5
3
とっていた.そして N(Ile )H…O(Ile ), N (D-Val )H
8
5
1
7
立体配置は,ペプチド主鎖のコンフォメーション
…O(Thz ), N (Ile )H…O(Ile ) 及 び N (D-Val )H…
に大きな影響を及ぼした.
O(Thz4) の 4 カ所で水素結合可能な距離にあり,
一方,dASC ジアステレオマーは,キラル修飾
“folded form”に分類された.
にかかわらず,全ての結晶構造が“folded form”
また,側鎖部分に関しては,置換した Thr 残
であった.つまり Oxz 環を形成してはじめて様々
基の立体配置によって違いが見られた.L-Thr ,
な構造をとり得ることが示唆された.
L-allo-Thr, D-Thr 残基の側鎖は主鎖のペプチド環
に対して axial であったが,D-allo-Thr 残基の側鎖
は equatorial に配置していた.Fig. 7 にそれぞれ
4-2. ASC ジアステレオマーの CD スペクト
ル測定
の例として,dASC5 と dASC8 の結晶構造を示した.
ASC 非対称誘導体と同様の方法で,CD スペク
このように dASC ジアステレオマーは側鎖部分
トルの測定を行った.その結果をスペクトルのタ
(a)
Fig. 7. Crystal structures of (a) dASC5 and (b) dASC8, respectively.
Dashed lines represent hydrogen bonds.
(b)
Fig. 8. (a) Changing to type I from type II CD spectra of ASC(1), 2 and 5. (b) Type III CD spectra of ASC3,
4, 6 and 7. (c) Type IV CD spectra of ASC8 and 9. The peptide concentration was approximately
0.04mM. The spectra were measured in MeCN solution (bold line) as a function of TFE concentration (10, 20, 30, 40 and 50%). Spectra in TFE solution are drawn with dotted lines.
132
響が小さかった.
133
Vol.2 (2008)
ことが示唆された.
ASC3, 4, 6, 7 の ス ペ ク ト ル で は 230nm に 負,
ことが示唆された.
更に、ASC ジアステレオマーの構造解析により、
255nm に正のコットンが見られた (Fig. 8 (b)).し
4-3. ASC ジアステレオマーの構造活性相関
かし,モル楕円率の絶対値が,いずれも非常に小
P388 マウスリンパ性白血病細胞に対する,ASC
つの新規コンフォメーションが明らかとなった.
さい値であった.そして TFE 濃度の上昇にかかわ
ジアステレオマーの毒性試験 (in vitro) の結果を
ASC の構造活性相関としては、
“folded form”と
らず,スペクトルはほとんど変化しなかった.こ
Table 2 に示した.
のような特徴を示す CD スペクトルのパターンを
dASC ジアステレオマーは全て活性がなく,結
type III とした.
Herald C. L., J. Am. Chem, Soc., 104, 905 (1982).
5)
“flat square form”と“reverse folded form”の 2
“square form”との間のコンフォメーション平衡
Ireland C. M., Durso A. R., Newman Jr., R. A., Hacker
M. P., J. Org. Chem., 47, 1807 (1982).
6)
Biskupiak J. E., Ireland C. M., J. Org. Chem., 48, 2302
(1983).
7)
Van den Brenk A. L., Byriel K. A., Fairlie D. P., Gahan
が関係していることが示唆されたが、このコンフォ
L. R., Hanson G. R., Hawkins C. J., Jones A., Kennard
晶 構 造 も 全 て“folded form” で あ っ た.ASC(1)
メーション平衡には C2 対称性、Oxz 環 α 位が S 配
C. H. L., Moubaraki B., Murrary K. S., Inorg. Chem.,
ASC8 と ASC9 のスペクトルでは,225nm に負,
と比較して,ASC2, 5 は同程度の活性を示した.
置をとることが重要であった。
33, 3549 (1994).
255nm に正のコットンが見られた (Fig. 8 (c)).こ
ASC5 は結晶中,溶液中の両方において,ASC と
一方、dASC 非対称誘導体及び dASC ジアステレ
れらのモル楕円率の絶対値もまた小さい値であっ
コ ン フ ォ メ ー シ ョ ン が 類 似 し て い た.ASC2 の
オマーは全て“folded form”であった。Oxz 環は
た.そして TFE による影響も小さかった.このよ
結晶構造は明らかとなっていないが,CD スペク
自由度の低い構造のため、ペプチドがとり得るコ
うな特徴をもつ CD スペクトルのパターンを type
トルから推測される,溶液中でのコンフォメー
ンフォメーションを制限するように思われるが、
P., Hanson G. R., Gahan L. R., J. Chem. Soc., Dalton
IV とした.
ションは,ASC(1) と類似していると考えられる.
逆に ASC に対し適度な柔軟性を与えていることが
Trans., 1227 (1999).
以上の結果から,この 3 種類のスペクトルの
ASC9 も ASC(1) と同程度の活性を示したが,溶液
示唆された.
分類は,各ジアステレオマー誘導体の Oxz2 及び
中でのコンフォメーションが異なっていた.ASC8
一般的にポリペプチドが機能するためには、安
E., McGovern J. P., Swynenberg E. B., Stringfellow D.
と ASC9 は,CD 測定の結果から溶液中で類似し
定なフォールディングとその構造に適度な柔軟性
A., Kuentzel S. L., Li L. H., Science, 212, 933 (1981).
であることがわかった.すなわち,両方共が S 配
たコンフォメーションをとっていると考えられる
があることが求められる.ASC のコンフォメーショ
11) Rinehart K. L., Gloer J. B., Cook J. C., Mizsak S. A.,
置のジアステレオマー (ASC(1), ASC2, ASC5) は,
が,ASC8 の活性は無くなっていた.ASC3, ASC4,
ンにおける安定性と柔軟性に対し、Oxz 環は重要
Scahill T. A., J. Am. Chem. Soc., 103, 1857 (1981).
TFE により type II から type I へのスペクトル変化
ASC6, ASC7 は,ASC(1) の約 40 ∼ 70% まで活性
な役割を担っていると考えられる.
が観測された.片方が S 配置でもう片方が R 配置
が低下していた.これらのコンフォメーションは,
のジアステレオマー (ASC3, ASC4, ASC6, ASC7) は,
結晶中,溶液中の両方において ASC(1) とは異なっ
謝辞 本研究を行うに当たり、終始懇意なる
type III のままスペクトル変化が観測されなかっ
ていた.
御指導御鞭撻を賜りました大阪薬科大学 土井光
た.そして両方共が R 配置のジアステレオマー
以上,ASC ジアステレオマーにおいても,溶液
暢教授に心より感謝致します.また、NMR を測定
14) Yoshioka H., Aoki T., Goko H., Nakatsu K., Noda T.,
(ASC8, ASC9) もまた,スペクトルが type IV のま
中において,“folded form”と“square form”の
して頂いた、大阪薬科大学 箕浦克彦助教、並び
Sakaibara H., Take T., Nagata A., Abe J., Wakamiya T.,
ま変化が観測されなかった.結晶構造との相関
両方のコンフォメーションをとり得る誘導体が活
に細胞毒性試験を行って頂いた、大阪薬科大学 Shiba T., Kaneko T., Tetrahedron Lett., 2043 (1971).
か ら,type III は“flat-square form”
,type IV は
性を示した.そして,このコンフォメーション平
山田剛司講師に謹んで御礼申し上げます.
“reverse-folded form”を示していることが示唆さ
衡には,Oxz 環の存在が不可欠であり,更に,2
れた.また“square form”(type II) は,TFE の影
つの Oxz 環の α 炭素の立体配置が,両方とも S 配
響により“folded form”(type I) へと変化したが,
置である必要性が示された.
Oxz6 の α 位の立体配置の組み合わせによるもの
その変化率には,Oxz 環 β 位のキラルも関与して
いることが示唆された.つまり Oxz 環の β 位の絶
対配置が S 配置に置換されるほど,TFE によるコ
5. 結語
8)
Van den Brenk A. L., Fairlie D. P., Gahan L. R., Hanson
G. R., Hambly T. W., Inorg. Chem., 35, 1095 (1996).
9)
Grondahl L., Sokolenko N., Abbenate G., Fairlie D.
10) Rinehart K. L., Gloer Jr., J. B., Hughes R. G., Renis H.
12) Konnert J., Karle I. L., J. Am. Chem. Soc., 91, 4888
(1969).
13) Meyer W. L., Kuyper L. F., Phelps D. W., Cordes A. W.,
Chem. Comm., 660 (1974).
15) Dobler M., Dunitz J. D., Krajewski J., J. Mol. Biol., 42,
603 (1969).
REFERENCES
1)
2)
Ireland C., Scheuer P. J., J. Am. Chem. Soc., 102, 5688
17) Karle I. L., J. Am. Chem. Soc., 92, 4379 (1975).
Wasylyk J. M., Biskupiak J. E., Costello C. E., Ireland
18) Hamamoto Y., Endo M., Nakagawa M., Nakanishi T.,
ンフォメーションの変化率は小さくなっていた
ASC 非対称誘導体の構造解析により、
“folded
(ASC(1)>ASC2>ASC5). 一 方,
“flat-square form”
form”と“square form”の 2 つのコンフォメーショ
M., Brown P., Gust D., Kitahara K., Schmidt J. M.,
と“reverse-square form”は,ほとんど TFE の影
ンが明らかとなった.そして、溶液中においては、
Doubek D. L., Michel C., J. Nat. Prod., 44, 482 (1981).
響を受けず,安定したコンフォメーションである
この 2 つのコンフォメーションが平衡状態にある
4)
Cryst., B30, 2817 (1974).
(1980).
C. M., J. Org. Chem., 48, 4445 (1983).
3)
16) Iitaka Y., Nakamura H., Takeda K., Takita T., Acta
Pettit G. R., Kamano Y., Fujii Y., Herald C. L., Inoue
Pettit G. R., Kamano Y., Brown P., Gust D., Inoue M.,
Mizukawa K., Chem, Commun., 323 (1983).
19) Hamada Y., Kato S., Shioiri T., Tetrahedron Lett., 26,
3223 (1985).
20) Hamada Y., Kohda K., Shioiri T., Tetrahedron Lett., 25,
5303 (1984).
134
21) Hamada Y., Shibata M., Sugiura T., Kato S., Shioiri T.,
J. Org. Chem., 52, 1252 (1987).
22) Elliott D. F., J. Chem. Soc., 589 (1949).
23) Elliott D. F., J. Chem. Soc., 62 (1950).
24) König W., Geiger R., Chem. Ber., 106, 3626 (1973).
25) Coste J., Le-Nguyen D., Castro B., Tetrahedron Lett.,
31, 205 (1990).
26) Albericio F., Cases M., Alsine J., Triolo S. A., Carpino
L. A., Kates S. A., Tetrahedron Lett., 38, 4853 (1997).
27) Ishida T., Inoue M., Hamada Y., Kato S., Shioiri T.,
Chem. Commun., 370 (1987).
28) Ishida T., Tanaka M., Nabae M., Inoue M., Kato S.,
Hamada Y., Shioiri T., J. Org. Chem., 53, 107 (1988).
29) Ishida T., In Y., Doi M., Inoue M., Hamada Y., Shioiri
T., Biopolymers, 32, 131 (1992).
30) Doi M., Shinozaki F., In Y., Ishida T., Yamamoto D.,
Kamigauchi M., Sugiura M., Hamada Y., Kohda K.,
Shioiri T., Biopolymers, 49, 459 (1999).
135
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2 (2008)
—Reviews—
クロベ (Thuja standishii (Gord.) Carr.) 樹皮の含有成分に関する研究
西澤 学
Study of Components from the Stem Bark of Thuja standishii (Gord.) Carr.
Manabu NISHIZAWA
Research & Development Center, Fuso Pharmaceutical Industries, Ltd., 2-3-30, Morinomiya, Joto-ku, Osaka
536-8523, Japan
(Received October 18, 2007; Accepted November 19, 2007)
As part of a series about effective utilization of unused resources, I examined the stem bark of the Thuja standishii
(Gord.) Carr. (Cupressaceae), Japanese name: Kurobe. Eight new (1- 8) and thirteen known (9-21) terpenoids were
isolated from the stem bark of this tree, which were almost diterpenoids, and their structures were established by
spectroscopic methods and chemical conversion. In particular, standishinal (1), 6α,12-dihydroxy-6(7→11)abeo-abieta8,11,13-trien-7-al, was found to be a new irregular abietane-type diterpenoid. Upon evaluation of compounds from
this stem bark and their analogues for inhibitory effects against Epstein-Barr virus early antigen (EBV-EA) activation
induced by 12- O-tetradecanoylphorbol-13-acetate (TPA), 15,16-bisnor-13-oxolabda-8(17),11E-dien-19-oic acid (16)
was revealed to have the strongest inhibitory effect. Among these compounds, 16 and 15-oxolabda-8(17),11E,13Etrien-19-oic acid (3) were investigated for their inhibitory effects in a two stage mouse skin carcinogenesis test on
mouse skin using 7,12-dimethylbenz[a]anthracene (DMBA) and TPA. Compound 16 was found to exhibit excellent
anti-tumor promoting activity in the in vivo carcinogenesis test. In addition, compound 16 was also found to exhibit
anti-tumor initiating activity in the two-stage mouse skin carcinogenesis test using ultraviolet-B (UVB) and TPA.
When compounds 1-21 were evaluated using a recombinant human aromatase and 5α-reductase, compounds l and its
diacetyl derivative (1a) had significant aromatase inhibitory activities and labda-8(17),13-dien-12R,15-olid-19-oic acid
(2) had 5α-reductase inhibitory activities.
Key words——Thuja standishii (Gord.) Carr.; cupressaceae; 6α,12-dihydroxy-6(7 → 11)abeo-abieta-8,11,13-trien-7-al;
15,16-bisnor-13-oxolabda-8(17),11E-dien-19-oic acid; diterpene; abietane; labdane; epstein-barr virus;
two-stage mouse skin carcinogenesis test; aromatase inhibitory activity
1. はじめに
のいずれかの段階を阻害することが出来れば癌の
発症を防ぐことができると考えられ,多くの研究
近年,癌を予防することが癌克服において非常
者により天然物からの発癌抑制物質が報告されて
に重要な課題と認識されるようになってきた.癌
いる.また,近年の癌の化学療法,すなわち抗癌
はイニシエーション,プロモーション,プログレッ
剤の研究開発はシグナル伝達,血管新生,転移,
ションの主要な 3 つの段階を経て発症するといわ
細胞周期などに関与する分子を標的とするものに
れており,イニシエーション及びプロモーション
移行してきている.
扶桑薬品工業株式会社 研究開発センター,〒 536-8523 大阪市城東区森之宮 2 丁目 3 番 30 号,e-mail: [email protected]
本論考は,博士論文をもとに再構成したものである.
136
137
Vol.2 (2008)
天然物由来のテルペン化合物は発癌プロモー
olid-19-oic acid (2) 及び数種類の既知化合物,並
ション抑制活性を含め,さまざまな薬理活性につ
びにそれらの誘導体について,in vitro ヒトアロマ
いて報告されており,ヒノキ科 (Cupressaceae) 植
ターゼ阻害活性試験及び in vitro ヒト 5α- レダク
結合したイソプロピル基 [δH 1.24, 1.25 (each 3H,
3. クロベ樹皮の含有成分の構造
d, J = 7.0 Hz) and 3.27 (1H, septet, J = 7.0 Hz)], 二
3.1. 変型 abietane 型新規ジテルペン化合物
級水酸基 [δH 5.40 (1H, d, J = 10.0 Hz)],五置換
物及びクロベ属(Thuja )にもテルペン化合物が含
ターゼ阻害活性試験を行った.
化 合 物 1 は mp 164-165.5 ℃,[α]
‒ 90.7̊
ベ ン ゼ ン 環 [δH 7.69 (1H, s)] 及 び ア ル デ ヒ ド 基
有されていることが報告されている.そこで我々
本稿ではこれらの結果と考察について詳細を報
(c 0.28, CHCl3) を 示 す 無 色 針 状 晶 で, 分 子 式
[δH 10.21 (1H, s)] に基づくシグナルが観測され
はヒノキ科に属するクロベ (Thuja standishii (Gord.)
告する.
は,HREIMS に お け る 分 子 イ オ ン 値 に 基 づ い
た.また,1 をアセチル化するとジアセチル体 (1a)
1, 2)
Carr.) について樹皮に関する研究は報告されてい
ないことから,未利用資源の有効利用のため,樹
25
D
+
2. クロベ樹皮の抽出と分離精製
て C 20 H 28 O 3 (m /z 316.2021 [M] : calcd. for
が生成したことからフェノール性水酸基の存在が
316.2037) と 決 定 し た. 本 品 は UV 及 び IR ス
証明された.1 の HMBC スペクトル (Fig.2) にお
ペクトルにおいて νmax 3327 cm-1 に水酸基 , λmax
皮のクロロホルム抽出エキスについて成分研究を
いては,H-6 と C-5,C-11,C-12,並びに H-7 と
開始し,新規 6(7→11)abeo -abietane 骨格を有す
1995 年に和歌山県橋本市において採集したク
288 nm (log ε 4.1) と νmax 1662 cm に共役アル
る standishinal (1),6 種の新 labdane 型ジテルペ
ロベ (Thuja standishii (Gord.) Carr.) の樹皮 5.3 kg
ン (2 ∼ 7),新 nordrimane 型セスキテルペン (8)
を CHCl3 ,次いで MeOH で抽出した.CHCl3 エキ
デヒド基,λmax 1609 と 1578 cm にベンゼン環
C-NMR スペ
は,H-6 が H-5 のみと相関していることが確認さ
及び構造既知のジテルペン (9 ∼ 21) を単離し化学
ス (966.4 g) の約半量 (558.8 g) を シリカゲル 3
クトルからメチル基5個,メチレン基3個,メチ
れた.また,H-5 及び H-6 の J 値は共に 10.0 Hz
構造を解明した.
kg を用いたカラムクロマトグラフィー (SiO2 CC)
であった.これらの結果から,1 は,C-6 と C-12
これら単離された化合物あるいは誘導体につい
に付し,6 つの画分に分離し,各画分を SiO2 CC,
ン基2個,二級水酸基1個 [δC 75.5 (d)],アルデ
ヒ ド 基 1 個 [δC 189.9 (d)],sp メ チ ン 1 個, 四
に水酸基を持ち,C-8 にアルデヒド基が結合した
て,癌の化学予防剤のリード化合物を探索する目
HPLC を含む octadecylsilane-bonded silica (ODS)
的 で,in vitro Epstein-Barr virus 初 期 抗 原 (EBV-
カラムクロマトグラフィー,Sephadex LH-20 カ
EA) 誘導化抑制試験を一次スクリーニングとして
ラムクロマトグラフィー,及び分取薄層クロマト
行った.更に,強い活性を示した化合物に対して,
グラフィー (PTLC) により分離精製し,1 から 8 の
in vivo による発癌イニシエーション及びプロモー
新規化合物及び 9 から 21 の既知化合物を単離した
ションの抑制作用を検討するためにマウス皮膚二
(Fig.1).化合物 5 及び 6 は分離困難のため,N-( ク
段階発癌抑制試験を行った.また,ホルモン依
ロロメチル ) フタルイミドによって対応するエス
存性癌治療剤のスクリーニングとして,新規化合
テル体 (5a 及び 6a) として単離した.
-1
-1
の吸収を示した.DEPT データ及び
13
2
2
C-8,C-9,C-14 との間に long range 相関が見ら
れた.さらに,1H-1H COSY スペクトル (Fig.2) で
級炭素2個,及び sp 四級炭素5個が推定された.
新規の 8-formyl-6(7→11)abeo-abietane 骨格を有
1
することが示唆された.
H-NMR スペクトルにおいては,三級メチル基3
個 [δH 1.17, 1.19, 1.26 (each s)], ベ ン ゼ ン 環 に
物 standishinal (1),labda-8(17),13-dien-12R ,15-
Fig. 2
Fig. 1 The compounds isolated from the stem bark of Thuja standishii (Gord.) Carr.
H-1H COSY and HMBC correlations of 1
1
138
139
Vol.2 (2008)
立体配置については NOESY スペクトル (Fig.3)
11)abeo-abieta-8,11,13-trien-7-al と判明した.
に お い て,H-5α と H-1α,H-3α,Me-18 の 間,
1 の 絶 対 立 体 構 造 に つ い て は,1 を
H-6β と Me-19,Me-20 の間,H-7 と H-14,Me-20
p-bromobenzoyl chloride と反応させて得られた,
の間で NOE 相関が見られたことから決定した.
6 位の水酸基が脱離した p-bromobenzoate (1b) の
また,1 の構造証明は X 線結晶解析により行っ
単結晶 X 線構造解析により検討した (Fig.4).その
た.Fig.4 にその ORTEP 図を示した.以上の結果
結果,1 の絶対立体構造は Fig.4 に示すように決
より,1 の構造は推定通り 6α,12-dihydroxy-6(7→
定し,化合物 1 を standishinal と命名した.
Fig. 5 Possible biosynthetic pathway of 1 from 12
Fig. 3 NOESY correlations of 1
次 に,1 の 生 合 成 経 路 に つ い て 考 察 を 行 っ
ビニルメチル基及び trans- 二置換二重結合に基づく
た.1 はクロベ樹皮より単離された既知化合物
ケミカルシフト値において特に差が見られたことか
12-hydroxy-6,7-secoabieta-8,11,13-triene-6,7-
ら,互いに 13 位に関して幾何異性体であることが
dial (12) の C-11 の 二 重 結 合 が C-6 の ア ル デ ヒ
推 定 さ れ,3 を 15-oxolabda-8(17),11E ,13E - trien-
ド基を攻撃することによって生合成されると考
19-oic acid,4 を 15-oxolabda-8(17),11E ,13Z -trien-
え ら れ た. そ こ で,12 を 無 水 CH2Cl2 中 0 ℃ で
19-oic acid と決定した.化合物 5 は分離精製が困難
BF3 ・ OEt2 を用いて処理し,12 から 1 への変換を
であったため,N-( クロロメチル ) フタルイミドと
試みたところ,1 とその 6β-epimer (1c) が 6 : 4 の
反応させ,その N- メチルフタルイミド (NMP) エス
割合で生成した (Fig.5).この化学的相関関係から,
テル体 (5a) として単離した. 絶対立体構造は trans-
植物における 12 から 1 への可能な生合成経路が推
communic acid (15) からの誘導によりを決定した.
定された.
また 12 位の絶対配置については改良 Mosher 法 に
3)
6)
4, 7)
8)
よ り 確 定 し,(12S )-hydroxylabda-8(17),13(16),14-
3.2. その他の新規化合物の構造決定
trien-19-oic acid と決定した.化合物 6 は 5 と同様
化合物 2 は各種スペクトルデータと加水分解
に NMP エステル体 (6a) として単離して,各種スペ
による化学変換等により,12 位と 15 位の間で
クトルデータから相対立体構造を 13-ethoxylabda-
ラクトン環を形成している labda-8(17),13-dien-
8(17),11E ,14-trien-19-oic acid と決定した.化合物
12R ,15-olid-19-oic acid と決定した.12 位の絶対
7 及び 8 については,各種スペクトルデータからそ
配置については CD スペクトルにより α,β- 不飽和 -
れ ぞ れ の 相 対 立 体 構 造 を 15-oxolabda-8(17),13Z -
γ- ラクトン環に基づく負のコットン効果曲線を示
dien-19-oic acid 及 び 12- oxo-11-nordrim-8-en-14-
したことから R 配置と判明した.化合物 3,4 にお
oic acid と決定した.
4)
5)
Fig. 4 ORTEP drawing of 1 and 1b
いて両者は類似のスペクトルデータを示したが,
4)
9)
6)
140
Vol.2 (2008)
4. 発癌プロモーション及び発癌イニシエー
ション抑制試験
141
は 収 量 も 多 い こ と か ら, イ ニ シ エ ー タ ー と し
て 7,12-dimethylbenz[a]anthracene (DMBA), プ
ロモーターとして 12-O -tetradecanoylphorbol-13-
クロベ樹皮から単離された既知及び新規化合
acetate(TPA) を用いる in vivo マウス皮膚二段階発
物,並びにそれらの誘導体を含めた 32 種につい
癌プロモーション抑制試験を行った.その結果,
て,発癌抑制作用を持つ化合物を探索する目的で,
3 及び 16 は共に強く腫瘍の発生を抑制した (Fig.6
in vitro Epstein-Barr virus 初期抗原 (EBV-EA) 誘導
and Fig.7). こ の 結 果 は, す で に 発 癌 プ ロ モ ー
化抑制試験 を一次スクリーニングとして行った.
シ ョ ン 抑 制 作 用 が 報 告 さ れ て い る glycyrrhetic
このうち主だった 6 種の化合物の結果を Table 1
acid やジテルペン化合物である ent -3β-hydroxy-
に 示 し た. そ の 中 で 15,16-bisnor-13-oxolabda-
15-beyeren-2-one の文献データと比較して有意な
8(17),11E -dien-19-oic acid (16) は 非 常 に 強 い 抑
抑制活性を示した.特に 16 は非常に強い発癌プロ
制作用を持つ事が認められ,また 15-oxolabda-
モーター抑制物質であることが明らかとなった.
8(17),11E ,13E -trien-19-oic acid (3) は 低 濃
更に 16 について,中波長紫外線 (ultraviolet-B :
度 で 比 較 的 強 い 抑 制 作 用 を 示 し た. 両 化 合 物
UVB) をイニシエーター,TPA をプロモーターと
10)
11)
12)
13)
Fig. 6 Inhibition of TPA-induced tumor promotion by multiple application of 16. All mice were initiated
with DMBA (390 nmol) and promoted with 1.7 nmol of TPA, given twice weekly starting 1 week
after initiation. Percentage of mice bearing papillomas and average number of papillomas per
mouse. ● , Control (TPA alone); ▲ , TPA + 85 nmol of 16. Papillomas per mouse of 16 treatment
were significantly different from the positive control at 20 weeks after promotion, p < 0.005.
Table 1 Percentage of EBV-EA induction in the presence of compounds isolated from
Thuja standishii (Gord.) Carr. with respect to positive control (100%)
Fig. 7 Inhibition of TPA-induced tumor promotion by multiple application of 3. All mice were initiated
with DMBA (390 nmol) and promoted with 1.7 nmol of TPA, given twice weekly starting 1 week
after initiation. Percentage of mice bearing papillomas and average number of papillomas per
mouse. ●, Control (TPA alone); ▲, TPA + 85 nmol of 3. Papillomas per mouse of 3 treatment were
significantly different from the positive control at 20 weeks after promotion, p < 0.005.
142
143
Vol.2 (2008)
Table 2 Aromatasea and 5α-reductaseb inhibitory activities of compounds
Fig. 8 Inhibition of UVB-induced tumor initiation by multiple application of 16. All mice were initiated
with UVB (3430 J/m2) and promoted with 1.7 nmol of TPA, given twice a week, starting 1 week after
initiation. Percentage of mice bearing papillomas and average nunber of papillomas per mouse.
● , Control (TPA alone); ▲ , TPA + 85 nmol of 16. Papillomas per mouse of 16 treatment were
significantly different from the positive control at 20 weeks after promotion, p < 0.05.
standishinal (1) は通常の abietane 骨格と異なり,
御鞭撻を賜りました 大阪薬科大学 松永春洋 名誉
6-5-6 員環を形成した新規な骨格であった.今回
教授に心から感謝の意を申し上げます.更に,有
単離された化合物は強い発癌プロモーション抑制
益な御助言と御指導を賜りました故 吉武彬 博士
活性を有するものが多く見られた.特に化合物 16
に謹んで御礼申し上げます.In vitro EBV-EA 誘導
して用いて in vivo マウス皮膚二段階発癌イニシ
質 4-hydroxyandrost-4-ene-3,17-dione(4-HOA)
は in vivo において非常に強い発癌プロモーション
化抑制試験,in vivo 発癌抑制試験を実施して頂
エーション抑制試験を行った.この試験は日常生
と比較して強い作用ではなかったが,新規ジテ
抑制活性を示し,UV 照射による発癌イニシエー
きました京都府立医科大学 西野輔翼 教授並びに
活での癌予防を考慮して飲水による経口投与とし
ルペンである standishinal (1) 及びそのジアセチ
ション抑制活性も有していた.ジテルペン化合物
徳田春邦 助手に謹んで御礼申し上げます.また,
た.その結果,16 は陽性コントロール群と比較し
ル体 (1a) はアロマターゼ阻害活性を示した.ま
である 16 は分子量も小さく,合成も可能なため
standishinal (1), 及 び 15,16-bisnor-13-oxolabda-
て有意な発癌イニシエーション抑制効果が見られ
た,labda-8(17),13-dien-12R ,15-olid-19-oic acid
発癌予防剤のリード化合物としての可能性が示唆
8(17),11E -dien-19-oic acid (16) の合成を実施して
た (Fig. 8).
(2) は緩和な 5α- レダクターゼ阻害活性を示した
された.
頂きました京都薬科大学 野出學 教授に厚く御礼
14)
5. アロマターゼ阻害活性試験及び 5α- レダク
ターゼ阻害活性試験
15)
(Table 2).そこで,1 の構造活性相関について検
一方,弱いながら,standishinal (1) 及びそのジ
申し上げます.更に,in vitro ヒトアロマターゼ阻
討したところ,A/B 環が cis 配置を示す非天然型
アセチル体 (1a) はアロマターゼ阻害活性が認めら
害活性試験を実施して頂きました大日本住友製薬
の化合物群が天然型よりも強い抑制活性を示す
れ,新規化合物 2 は 5α- レダクターゼ阻害活性が
株式会社ゲノム科学研究所 山田徹 博士並びに in
ことが明らかとなった.
認められた.1 は非天然型の化合物群において活
vitro ヒト 5α- レダクターゼ阻害活性試験を実施し
性が強くなったことから,構造変換によって更な
て頂きました住友化学株式会社生物環境科学研究
る活性の強化が期待できる.
所 松永治之 博士に深謝致します.本研究を遂行
16)
クロベ樹皮から単離された既知及び新規化合
物,並びにそれらの誘導体を含めた 12 種につい
17)
6. 結語
するにあたり,終始御指導頂きました大阪薬科大
て,ホルモン依存性癌治療剤のスクリーニングと
して,遺伝子組換え体を用いた in vitro ヒトアロ
クロベ樹皮のクロロホルム抽出エキスは含
謝辞 本研究に際して終始御懇篤な御指導
学 和田俊一 講師,日本新薬株式会社創薬研究所
マターゼ阻害活性試験及びヒト 5α- レダクター
有 成 分 と し て, そ の ほ と ん ど が ジ テ ル ペ ン 化
と御鞭撻を賜りました大阪薬科大学 田中麗子 教
大津博則 博士に深謝致します.また,X 線結晶構
ゼ阻害活性試験を行った.その結果,陽性対照物
合 物 で あ っ た. 単 離 さ れ た 新 規 化 合 物 の 中 で
授に衷心より感謝致します.御懇篤な御指導と
造解析を行って頂きました大阪薬科大学 大石宏文
144
講師,NMR スペクトルを測定して頂きました大
11) Nishino H., Nishino A., Takayasu J., Hasegawa T.,
阪薬科大学 箕浦克彦 助教,MS スペクトルを測定
Iwashima A., Hirabayashi K., Iwata S., Shibata S.,
して頂きました大阪薬科大学 藤嶽美穂代 助手に
Cancer Res., 48, 5210-5215 (1988).
深謝致します.更に,実験に御協力頂きました大
阪薬科大学医薬品化学研究室出身の方々に深く感
12) Konishi T., Takasaki M., Tokuda H., Kiyosawa S.,
Konoshima T., Biol. Pharm. Bull., 21, 993-996 (1998)
13) Tanaka R., Ohtsu H., Iwamoto M., Minami T., Tokuda
謝致します.
H., Nishino H., Matsunaga S., Yoshitake A., Cancer
Lett., 161, 165-170 (2000).
なお,本研究の大部分は本学大学院在籍中に実
14) Nishizawa M., Ohtsu H., Tanaka R., Tokuda H., Katoh
施したものであり,一部はその後に追加して行っ
T., Takeo M., Node M., Chem. Biodiv., 4, 1003-1007
たものであります.
(2007).
15) Minami T., Iwamoto M., Ohtsu H., Ohishi H, Tanaka
REFERENCES
1)
Nakatsuka T., Hirose Y., J. Japan Forestry Soc., 37,
496-498 (1955).
2)
Jolad S. D., Hoffmann J. J., Schram K. H., Cole J. R.,
Bates R. B., Tempesta M. S., J. Nat. Prod., 47, 983-987
(1984).
3)
Ohtsu H., Iwamoto M., Ohishi H., Matsunaga S.,
Tanaka R., Tetrahedron Lett., 40, 6419-6422 (1999).
4)
Iwamoto M., Ohtsu H., Tokuda H., Nishino H.,
Matsunaga S., Tanaka R., Bioorg. Med. Chem., 9,
1911-1921 (2001); Corrigendum, Bioorg. Med. Chem.,
15, 1572 (2007).
5)
Edward J. A., Sundeen J., Salmond W., Iwadare T.,
Fried J. M., Tetrahedron Lett., 9, 791 (1972).
6)
Iwamoto M., Ohtsu H., Matsunaga S., Tanaka R.,
J. Nat. Prod., 63, 1381-1383 (2000); Additions and
Corrections, J. Nat. Prod., 69, 1666 (2006).
7) Lindner W., Santi W., J. Chromatogr., 176, 55 (1979).
8) Ohtani I., Kusumi T., Kashman Y., Kakisawa H., J. Am.
Chem. Soc., 113, 4092 (1991).
9)
Iwamoto M., Minami T., Tokuda H., Ohtsu H., Tanaka
R., Planta Med., 69, 69-72 (2003).
10) Tokuda H., Ohigashi H., Koshimizu K., Ito Y., Cancer
Lett., 33, 279-285 (1986).
R., Yoshitake A., Planta Med., 68, 742-745 (2002).
16) Katoh T., Akagi T., Noguchi C., Kajimoto T., Node
M., Tanaka R., Nishizawa (née Iwamoto) M., Ohtsu
H., Suzuki N., Saito K., Bioorg. Med. Chem., 15,
2736-2748 (2007).
17) Katoh T., Tanaka R., Takeo M., Nishide K., Node M.,
Chem. Pharm. Bull., 50, 1625-1629 (2002).
145
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2 (2008)
—Reviews—
腎虚血・再灌流障害の病態発症および進展機構に関する研究
a
山 下 潤 二 *,, 松 村 靖 夫
b
Studies on the development and progression of ischemia/reperfusion-induced renal injury
a
b
Junji YAMASHITA , Yasuo MATSUMURA
a
Tokyo Research Laboratory, Research Division, Nihon Pharmaceutical Co., Ltd., 3-1, Shin-izumi, Narita-City,
Chiba 286-0825, Japan
b
Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1, Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan
(Received October 22, 2007; Accepted November 19, 2007)
Ischemic cell injury to the kidneys occurs during cardiovascular surgery, shock, and transplantation, which may lead to
acute renal failure. Here we summarize the effects of Na+/H+ exchange (NHE) inhibitors, a Na+/Ca2+ exchange (NCX)
inhibitor, and ischemic preconditioning (IP) on ischemic acute renal failure (ARF). In addition, we report that NHE,
NCX and IP can suppress ARF-induced enhancement of endothelin-1 (ET-1) production, which is closely related to the
pathogenesis of renal ischemia/reperfusion (I/R) injury.
We firstly evaluated the effects of 5-(N-ethyl-N-isopropyl) amiloride (EIPA) and N-(aminoiminomethyl)-1methyl-1H-indole-2-carboxamide methanesulfonate (SM-20220), NHE inhibitors, on I/R-induced ARF. Pre-ischemic
treatment with EIPA, but not with SM-20220, attenuated the I/R-induced renal dysfunction and histologically evident
damage. In addition, I/R-induced increase in renal ET-1 content was suppressed by pre-ischemic treatment with
EIPA, reflecting the difference in immunohistochemical ET-1 localization in necrotic tubular epithelium. Secondly,
we investigated whether I/R-induced renal dysfunction and tissue injury would be more successfully overcome by
treatment with KB-R7943, the NCX inhibitor, in comparison with verapamil, a Ca2+ channel antagonist. Pre-ischemic
treatment with KB-R7943 or verapamil attenuated the ARF-induced renal dysfunction. I/R-induced renal dysfunction
was overcome by post-ischemic treatment with KB-R7943 but not with verapamil. Histologically evident damage and
Ca2+ deposition in necrotic tubular epithelium were improved by pre-ischemic treatment with KB-R7943. In addition,
pre-ischemic treatment with KB-R7943 significantly suppressed the increment of ET-1 content in the post-ischemic
kidney. Finally, we examined the effects of IP on I/R-induced ARF. IP significantly improved renal dysfunction and
histologically evident damage. NO metabolites production in the kidney was markedly increased in animals exposed to
I/R with IP, compared to animals not subjected to IP, and these increases correlated with changes in endothelial NO
synthase (NOS) protein expression in renal tissues. The IP-induced improvement of renal dysfunction was abolished by
pretreatment with NG -nitro-L-arginine, a nonselective NOS inhibitor, but not with aminoguanidine, an inducible NOS
inhibitor. Furthermore, the increment of ET-1 content in the kidney after reperfusion was markedly suppressed by IP
treatment.
From these findings, we propose that NHE and NCX inhibitors, and IP treatment may be considered as a
therapeutic approach to protect post-ischemic ARF in humans.
Key words——ischemia/reperfusion; Na+/H+ exchanger; Na+/Ca2+ exchanger; Ischemic preconditioning.
*, a 日本製薬株式会社
b
研究本部 東京研究所,〒 286-0825 成田市新泉 3 番地 1, e-mail: [email protected]
大阪薬科大学 病態分子薬理学研究室
本論考は,山下潤二の博士論文をもとに再構成したものである.
146
147
Vol.2 (2008)
腎虚血・再灌流障害は,出血,体液の喪失,循
かつ持続的な血管平滑筋収縮活性を有する血管収
は EIPA 投与群とは異なり,腎機能低下に対する
腎臓では NHE のサブタイプとして NHE isoform
環不全,心血管の外科的手術,ショック並びに移
縮ペプチドとして同定された.腎虚血・再灌流時
改善効果は認められず,I/R 群と同レベルであっ
3 (NHE3) が広範囲に発現しており,NHE3 を選択
植手術等で認められ,糸球体濾過機序の急激な変
において,腎 ET-1 含量および腎 ET-1 mRNA 発現
た (Figure 1).
的に阻害する S3226 が,腎虚血・再灌流障害を
化により生じた腎臓の排泄障害と定義される.本
が増加することや,ETA 受容体拮抗薬が腎機能障
次に,腎虚血・再灌流障害の病態発症および
改善する報告がなされている.最近の研究におい
病態の原因は様々であるが,腎虚血・再灌流によっ
害を改善することから,腎虚血・再灌流障害に腎
進展過程における腎 ET-1 産生亢進と NHE との
て EIPA は,近位尿細管での蛋白の再吸収および
て,腎血流量および限外濾過率の低下が引き起こ
ET-1 産生亢進が密接に関与していると考えられて
関係について明確にするため,上記と同様の薬物
Na+ に依存した H+ 分泌を抑制することが明らか
される.その結果,障害を受けた尿細管は脱落,
いる.しかしながら,腎虚血・再灌流障害の病態
を用いて検討した.薬物を虚血前投与した場合,
となり,その抑制効果は S3226 とほぼ同程度で
さらには閉塞し,尿細管腔静水圧の上昇および尿
発症および進展機構に対する腎 ET-1 産生亢進と
EIPA 投与群では低用量 (0.2 mg/kg) および高用
あることが報告されている.一方,SM-20220 は
細管腔外への逆流による糸球体濾過量の減少が本
NHE, NCX および IP との関係については明らかで
量 (1.0 mg/kg) 投与群共に,腎 ET-1 含量および
NHE isoform 1 (NHE1) を選択的に阻害することが
病態の発症および進展機構に関わっていると考え
ない.
その発現の増加は,ほぼ完全に抑制された.一方,
知られており,NHE1 を阻害することによって虚
られている.従来から,このような病態の発症メ
本研究は,腎虚血・再灌流障害の発症および進
SM-20220 投与群では腎 ET-1 産生亢進に対する
血性脳疾患に対して保護効果を示すことが報告さ
カニズムについては様々な検討がなされており,
展機構における NHE,NCX および IP の影響,さ
効果は認められなかった (Figure 2).
れているが,SM-20220 の NHE3 に対する選択性
血管収縮物質,活性酸素および細胞内 Ca2+ 濃度を
らには本病態に密接に関与している腎 ET-1 産生
始めとした多くの因子が関与することが報告され
と NHE,NCX および IP との関係を明らかにする
ている.
目的で実施したものである.
1)
6)
7)
8)
9)
10)
虚血状況下にある心筋細胞では,酸素欠乏に
よる嫌気的解糖およびアシドーシスによって引き
+
+
起こされる細胞内 pH の減少に伴う Na /H 交換
2)
体 (NHE) の活性化 や,ATP レベルの減少による
1. 腎虚血・再灌流障害の病態発症および進展
機構における Na+/H+ 交換体 (NHE) およ
びエンドセリン -1 (ET-1) の役割
3)
Na+/K+-ATPase 活性の低下による細胞内 Na+ 濃度
の上昇が Na+/Ca2+ 交換体 (NCX) の逆モードを賦
活化し,細胞内 Ca2+ 濃度を上昇させる 4).心臓に
おいて,この NHE および NCX の活性化によって
引き起こされる細胞内 Ca2+ 濃度の上昇が,不整
脈,心筋壊死および心筋細胞障害等の様々な虚血・
再灌流障害の発生に関与することが報告されてい
4)
る.しかしながら,腎虚血・再灌流障害の病態発
症および進展機構に対する NHE および NCX の病
態生理学的役割については明らかでない.
虚血性プレコンディショニング (IP) は,Murry
5)
らによって提唱されたものであり,心筋を短時間
の虚血に単回あるいは反復して暴露することによ
り,心筋細胞の虚血耐性が増強し,その後の虚血・
再灌流による心筋障害が顕著に改善される現象で
あるが,腎虚血・再灌流障害に対する IP の効果お
よびそのメカニズムについては不明な点が多い.
エンドセリン -1 (ET-1) は血管内皮由来の強力
脳,心臓および肝臓の虚血・再灌流障害におい
て,NHE が本病態の発症および進展機構に密接に
関与しており,NHE 阻害薬が,これら臓器に対し
て保護効果を示すことが報告されている.しかし
ながら,腎虚血・再灌流時における NHE の役割
については不明な点が多い.そこで本編では,腎
虚血・再灌流障害の病態発症および進展機構に
対する NHE の役割を明らかにする目的で,NHE
阻 害 薬 で あ る 5-(N-ethyl-N-isopropyl) amiloride
(EIPA) お よ び N-(aminoiminomethyl)-1-methyl1H-indole-2-carboxamide methanesulfonate
(SM-20220) を用いて検討を行った.
腎虚血・再灌流処置により,対照群 (I/R 群 ) で
認められた腎機能低下および腎組織障害は,EIPA
を虚血前投与した場合,用量依存的な効果を示し,
高用量投与群 (1.0 mg/kg) では sham 群とほぼ同
程度まで改善された.一方,SM-20220 投与群で
Figure 1. Effects of EIPA or SM-20220 administered before I/R on blood urea nitrogen (BUN, A),
plasma creatinine (Pcr, B), and creatinine clearance (Ccr, C) at 24-48 h after I/R. At 24
h after reperfusion 24-h urine was collected. Each value represents the mean ± S.E.M.
*p<0.05, compared with vehicle-treated ARF mice. I/R, ischemia/reperfusion. ARF, acute
renal failure.
148
149
Vol.2 (2008)
灌流障害の病態発症および進展機構に対する NCX
薬物の虚血後投与に対する影響について検討した
の役割を明らかにする目的で,NCX 阻害薬である
結果,KB-R7943 投与群では用量依存的に改善さ
2+
KB-R7943 を用いて検討を行い,Ca
拮抗薬であ
れたが,ベラパミルの虚血後投与では虚血前投与
るベラパミルの作用と比較した.
の場合とは異なり,腎機能低下に対する改善効果
I/R 群で認められた腎機能低下および腎組織
は認められなかった.
障害は,薬物を虚血前投与した場合,KB-R7943
次 に, 腎 病 理 組 織 学 的 検 査 を 実 施 し た と こ
の 低 用 量 投 与 (2 mg/kg) あ る い は ベ ラ パ ミ ル
ろ,腎虚血・再灌流処置で認められた顕著な腎組
投 与 (1 mg/kg) の 両 群 で 同 程 度 に 改 善 さ れ た.
織障害および Ca2+ 沈着 は,KB-R7943 の 高 用 量
KB-R7943 の高用量投与群 (10 mg/kg) では腎機
(10 mg/kg) を虚血前投与することにより明らかに
能改善効果はより顕著に認められ,各パラメー
軽減された (Figure 3).
ターは sham 群と同レベルであった.さらに,両
また,腎虚血・再灌流障害の病態発症および進
Figure 2. Immunohistochemistry for endothelin-1 of outer zone outer stripe of the medulla of the
kidney of ARF mice treated with vehicle (B, untreated), SM-20220 (C, 1.0 mg/kg), EIPA
(D, 0.2 mg/kg; E, 1.0 mg/kg) at 48 h after I/R, and sham mice (A). Drugs were given
intravenously before I/R. Arrows indicate endothelin-1 peptide expression in lumens of
necrotic tubular cells. The peptide expression was more intense in vehicle treated ARF (B,
untreated) than EIPA (E, 1.0 mg/kg). I/R, ischemia/reperfusion. ARF, acute renal failure.
の有無については明らかでない.
以上より,腎虚血・再灌流における,腎機能低
下および腎組織障害に NHE3 が密接に関与する可
能性が示唆された.また,NHE3 の活性化と共に
ET-1 の過剰産生が誘導され,このことが本病態の
発症と進展過程に重要な役割を果たしていること
が明らかとなった.
2. 腎虚血・再灌流障害の病態発症および進展
機構における Na+/Ca2+ 交換体 (NCX) お
よび ET-1 の役割
心筋虚血・再灌流障害において,NCX を介した
Ca2+ 流入すなわち Ca2+ オーバーロードが重要な働
4)
きをしていると考えられている.しかしながら,
腎虚血・再灌流時における NCX の役割について
は明らかではない.そこで本編では,腎虚血・再
Figure 3. Light microscopy of outer zone outer stripe of the medulla of the kidney of ARF mice treated
with vehicle (B, untreated) and KB-R7943 (C, 10 mg/kg) at 48 h after I/R, and sham mice
(A). Arrows indicate tubular necrosis (hematoxylin-eosin staining). Effect of KB-R7943
administered before I/R on Ca2+ deposition in necrotic tubular epithelium in the kidney of ARF
mice treated with vehicle (E, untreated) and KB-R7943 (F, 10 mg/kg) at 48 h after I/R, and
sham mice (D). I/R, ischemia/reperfusion. ARF, acute renal failure.
150
151
Vol.2 (2008)
展過程における腎 ET-1 産生亢進と NCX との関
され,このことが本病態の発症と進展過程に重要
が,虚血・再灌流による腎機能障害を改善する報
素 (NOS) 阻害薬である ニトロアルギニン (NOARG;
係について明確にするため,NCX 阻害薬である
な役割を果たしている可能性が考えられた.
告がなされているが,IP を介した腎保護効果のメ
10 mg/kg) あるいは誘導型 NOS (iNOS) 阻害薬で
カニズムについては明らかでない.そこで本編で
あるアミノグアニジン (10 mg/kg) を用いて検討
は,腎虚血・再灌流障害の病態発症および進展機
した.その結果,NOARG を IP 処置前に投与した
構に対する IP の影響およびそのメカニズムにつ
群では,IP 処置により認められた腎保護効果は完
いて検討を行った.
全に消失した.一方,アミノグアニジンを IP 処置
I/R 群で認められた腎機能の低下は,IP 処置を
前に投与した群では,NOARG 投与群とは異なり
施すことにより明らかに改善された.そこで,IP
IP 処置に対して影響を示さなかった (Figure 5).
処置を施した群の腎保護効果に対するメカニズム
次に,腎虚血・再灌流 2,6 および 24 時間後
を明らかにするため,非選択的一酸化窒素合成酵
の腎組織中における内皮型 NOS (eNOS) 蛋白発現
KB-R7943 を用いて検討した結果,I/R 群で認め
られた腎 ET-1 含量の増加は,KB-R7943 の高用
量 (10 mg/kg) を虚血前投与することによりほぼ
完全に抑制された (Figure 4).
以上より,腎虚血・再灌流障害の病態発症およ
び進展機構に,NCX が重要な役割を果たしている
ことが明らかとなった.また,腎虚血・再灌流時
2+
においては,NCX の逆モードを介した Ca
オー
バーロードに引き続いて ET-1 の過剰産生が誘導
3. 腎虚血・再灌流障害の病態発症および進展
機構における虚血性プレコンディショニン
グ (IP) および ET-1 の役割
IP は,様々な臓器に対して,短時間の虚血に単
回あるいは反復して暴露することにより虚血耐性
が増強し,その後の虚血・再灌流による障害が顕
5)
著に改善される現象である.腎臓においても IP
Figure 4. Effects of KB-R7943 administered before I/R on immunoreactive endothelin-1 content in the
kidney of ARF rats at the end of 45-min ischemia and at 2, 6, and 24 h after reperfusion. Each
column and bar represents the mean ± S.E.M. # p<0.01, compared with sham rats; **p<0.01,
compared with vehicle-treated ARF rats. I/R, ischemia/reperfusion. ARF, acute renal failure.
Figure 5. Effects of I/R with or without IP treatment on blood urea nitrogen (BUN, A), plasma creatinine
(Pcr, B) and creatinine clearance (Ccr, C) after reperfusion. At 24 hr after reperfusion, 5-hr
urine was collected. Each value represents the mean ± S.E.M. *p < 0.05, **p < 0.01, compared
with I/R rats without IP treatment. I/R, ischemia/reperfusion. IP, ischemic preconditioning.
152
153
Vol.2 (2008)
に対する影響について検討したところ,IP 処置
よび腎組織障害に対して保護効果を示すことが明
また,腎虚血・再灌流時に,NCX が重要な役割
を施した群では再灌流 2 時間後より eNOS 蛋白発
らかとなった.また,IP 処置を施すことによって,
を果たしていること,さらに NCX 阻害薬は,腎
Na+/K+ myocardial injury; a 31P, 23Na and 87Rb NMR
現が上昇傾向を示し,再灌流 6 時間後では I/R 群
腎虚血・再灌流後での腎 ET-1 の過剰産生が抑制
虚血・再灌流後の腎組織中 ET-1 産生亢進を抑制
spectroscopic study. Magn Reson Med 1995, 34,
と比較して顕著な増加が確認された.さらに,腎
され,このことが本病態の発症と進展抑制に重要
することから,腎虚血・再灌流障害の病態発症お
673-685.
虚血・再灌流後の腎透析液中 NO 代謝物 (NOx) 濃
な役割を果たしている可能性が考えられた.
よび進展機構に,NCX の逆モードを介する細胞内
度について検討したところ,IP を処置した群で
は再灌流 2 時間後より NOx 濃度が上昇傾向を示
結語
し,再灌流 6 時間後では顕著な増加が確認された
3)
4)
Tani M and Neely JR. Role of intracellular Na + in
Ca2+ オーバーロード,その後に引き起こされる腎
Ca2+ overload and depressed recovery of ventricular
ET-1 産生の亢進が重要な役割を果たしていること
function of reperfused ischemic rat hearts: possible
involvement of H+-Na+ and Na+-Ca2+ exchange. Circ
が明らかとなった.
(Figure 6).
腎虚血・再灌流時に,NHE3 が重要な役割を果
また,腎虚血・再灌流前に IP 処置を施すことに
また,腎虚血・再灌流障害の病態発症および進
たしていること,また NHE 阻害薬は,腎虚血・
より,その後に引き起こされる虚血・再灌流障害
展過程における腎 ET-1 産生亢進と IP との関係に
再灌流後の腎組織中 ET-1 産生亢進を抑制するこ
は改善されること,非選択的 NOS 阻害薬を IP 処
ついて検討を行った.I/R 群で再灌流 6 時間後に
とから,腎虚血・再灌流障害の病態発症および進
置を施す前に投与することにより,その改善効果
認められた腎 ET-1 含量の増加は,IP 処置を施す
展機構に,NHE3 の活性化,その後に引き起こさ
は消失するのに対し,iNOS 阻害薬の投与では影
ことにより顕著に抑制された.
れる腎 ET-1 産生の亢進が密接に関与しているこ
響を示さないこと,IP 処置により,虚血・再灌流
以上より,IP 処置を施すことによって,eNOS
とが明らかとなった.
後の eNOS 蛋白発現を介して NO 産生が亢進する
蛋白発現を介して NO が産生され,腎機能低下お
Cross HR, Radda GK and Clarke K. The role of
Res 1989, 65, 1045-1056.
5)
Preconditioning with ischemia; a delay of lethal cell
injury in ischemic myocardium. Circulation 1986, 74,
1124-1136.
6)
の時点と一致していたことから,IP 処置による腎
Yanagisawa M, Kurihara H, Kimura S, Tomobe Y,
Kobayashi M, Mitsui Y, Yazaki Y, Goto K and Masaki
T. A novel potent vasoconstrictor peptide produced by
こと,さらに IP 処置が虚血・再灌流後の腎組織中
ET-1 産生亢進を抑制し,その抑制は NO 産生亢進
Murry CE, Jennings RB and Reimer KA.
vascular endothelial cells. Nature 1988, 332, 411-415.
7)
Kuro T, Kohnou K, Kobayashi Y, Takaoka M,
Opgenorth TJ, Wessale JL and Matsumura Y. Selective
虚血・再灌流障害の病態発症および進展抑制効果
antagonism of ETA but not ETB receptor is protective
に,eNOS 蛋白発現に伴う NO 産生亢進,その後
against ischemic acute renal failure in rats. Jpn J
に引き起こされる腎 ET-1 産生の亢進抑制が密接
Pharmacol 2000, 82, 307-316.
に関与していることが明らかとなった.
8)
Hropot M, Juretschke HP, Langer KH and Schwark JR.
以上,本研究結果から,腎虚血・再灌流障害に
S3226, a novel NHE3 inhibitor, attenuates ischemia-
対して,NHE, NCX および IP をターゲットとした
induced acute renal failure in rats. Kidney Int 2001, 60,
新たな治療法が有効である可能性が示唆された.
2283-2289.
今後,これら治療法が臨床応用に発展することが
期待される.
9)
Gekle M, Volker K, Mildenberger S, Freudinger R,
Shull GE and Wiemann M. NHE3 Na+/H+ exchanger
supports proximal tubular protein reabsorption in vivo.
REFERENCES
1)
Figure 6. (A) Renal eNOS protein expression in sham rats and in I/R rats at 2, 6 and 24 hr after reperfusion,
with or without IP treatment. The upper panel represents a typical data. (B) NO2– and NO3–
(NOx) concentration in dialysate of kidneys after reperfusion, with or without IP treatment. Each
column and bar represents the mean ± S.E.M. *p < 0.05, compared with I/R rats without IP
treatment. I/R, ischemia/reperfusion. IP, ischemic preconditioning.
2)
Am J Physiol 2004, 287, F469-F473.
Alcazar JM and Rodicio JL. Ischemic nephropathy:
10) Kuribayashi Y, Itoh N, Kitano M and Ohashi N.
clinical characteristics and treatment. Am J Kidney Dis
Cerebroprotective properties of SM-20220, a potent
2000, 36, 883-893.
Na + /H + exchange inhibitor, in transient cerebral
Lazdunski M, Frelin C and Vigne P. The sodium/
hydrogen exchange system in cardiac cells; its biochemical and pharmacological properties and its role
in regulating internal concentrations of sodium and
internal pH. J Mol Cell Cardiol 1985, 17, 1029-1042.
ischemia in rats. Eur J Pharmacol 1999, 383, 163-168.
155
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2 (2008)
—Reviews—
酵素ー阻害剤複合体のX線結晶構造解析に基づく薬物設計
ー創薬研究への利用を目指してー
松本 慶太
Drug Design based on X-ray Crystal Structure Analysis of Enzyme-Inhibitor Complexes
—Toward Applications for Drug Research—
Keita MATSUMOTO
Pharmaceutical Business, Taisho Pharmaceutical Co., Ltd., 1-403 Yoshino-cho, Kita-ku, Saitama-shi,
Saitama 331-9530, Japan
(Received October 3, 2007; Accepted November 28, 2007)
The SBDD (Structure-Based Drug Design) method based on X-ray crystal structure analysis of the protein-inhibitor
complex is an indispensable technique especially for drug development research. In order to clarify the role of the
1-substituent of quinazoline derivatives in their inhibitory activity against poly(ADP-ribose) polymerase (PARP), two
novel inhibitors, 1 [8-hydroxy-1-(3-morpholinopropyl)-quinazoline-2,4(1H,3H)-dione] and 2 [8-hydroxy-1-(3-phenox
ypropyl)-quinazoline-2,4(1H,3H)-dione] were synthesized and subjected to X-ray crystal analysis in the complex with
the PARP C-terminal catalytic domain (PARP-CD), which requires the NAD+ coenzyme for its biological function.
The quinazoline skeletons of 1 and 2 were both located at the nicotinamide subsite of the NAD+-binding pocket in the
same manner as previously-reported inhibitors. On the other hand, the N-morpholinoprop-3-yl moiety introduced at
the 1-position of the quinazoline ring in 1 bridged the large gap between the donor site and the acceptor site through a
hydrogen bond, where donor and acceptor sites are classified as the binding sites of NAD+ and the ADP moiety of the
poly(ADP-ribose) chain, respectively. In contrast, the N-phenoxyprop-3-yl moiety in 2 formed hydrophobic interactions
close to the adenosine-binding site of NAD+, unlike the hydrogen bond as in 1. As the inhibitory activities of 1 and 2 for
PARP were much more potent than those of the unsubstituted nicotinamide analogues, the introduction of a substituent
at the 1-position of quinazoline-based inhibitors is very effective for increasing inhibitory activity against PARP. The
nearly equal inhibitory activities of 1 and 2, despite their different binding modes at the active site, indicate that this
1-substituent is promising in improving the bioavailability of the inhibitor without compromising its inhibitory activity.
Key words——1-substituted quinazoline derivative; PARP; X-ray crystal structure; binding mode
1. はじめに
研究において不可欠な手法である.本研究の目
的は,創薬研究の標的蛋白質として展開してきた
医薬品候補化合物−標的蛋白質複合体のX線結
①システインプロテアーゼ ( 骨粗鬆症の標的蛋白
晶構造解析に基づく SBDD(Structure-Based Drug
質 ),及び②ポリ (ADP- リボース ) −ポリメラー
Design) 法は,特に医薬品メーカーにおける創薬
ゼ ( 脳梗塞の標的蛋白質 ) に対して,特異的でか
大正製薬株式会社 医薬事業グループ 医薬化学研究所 資源化学研究室,〒 331-9530 埼玉県さいたま市北区吉野町 1-403,
e-mail: [email protected]
本論考は,博士論文をもとに再構成したものである.
156
157
Vol.2 (2008)
7), 8)
11)
つ強い阻害活性を有する薬物を設計するための構
白質に結合した ADP リボース鎖の伸長及び分岐反
エネルギー枯渇による細胞死を引き起こす.更に,
ることができる.PARP は触媒活性を損なうこと
造化学的知見を得ることにある.システインプロ
応が進む.この触媒反応は『NAD+ + X → ADP-5’-
PARP 遺伝子のノックアウトにより,グルタミン
なく,40kDa の PARP-CD に縮小することが可能
テアーゼは,以前から大阪薬科大学・薬品物理化
リボース -1’-X +ニコチンアミド』という式で示
酸や NO 毒性による虚血性障害が顕著に保護され
である.PARP-CD の活性部位は更に 2 つのサイト,
学研究室との間で共同研究を進めてきており,ま
される.上式において,アクセプターである X は
ることや,ラット中大脳動脈閉塞モデルにおいて
すなわちアクセプターサイトとドナーサイトに分
た当研究室からも類似の発表がなされている関係
反応を受ける蛋白質中のグルタミン酸残基 ( 開始
は脳梗塞体積を劇的に減少する.これらの知見は,
割することができる. 酵素反応の際に,ドナーサ
上,本稿ではポリ (ADP- リボース ) −ポリメラー
反応 ),ポリ (ADP- リボース ) 中の末端のアデニ
低分子性の PARP 阻害剤が虚血性脳障害に対して
イトは NAD+ 分子により占有され,アクセプター
ゼ (PARP) に絞ってその研究内容を述べる.
ンリボースにおける 2’- 水酸基 ( 伸長反応 ),あ
有効な治療薬になる可能性を示唆している.
サイトはポリ (ADP- リボース ) 鎖における ADP 部
ポ リ (ADP- リ ボ ー ス ) − ポ リ メ ラ ー ゼ (PARP,
るいはポリマー中のニコチンアミドリボースにお
ヒト PARP は 1014 残基のアミノ酸より構成さ
分 (AD サイト ) により占有される.NAD+ のニコ
EC 2.4.2.30) は,真核細胞の核に局在する DNA 結
ける 2’- 水酸基 ( 分岐反応 ) を示している.修飾
れ,3 つの異なる機能のドメイン,すなわち① N
チンアミドアナログを含む複数の阻害剤 (Fig. 2)
合蛋白質であり,DNA 修復 及び組換え,細胞の
された PARP を認識した DNA 修復酵素が接近す
末端 DNA 結合ドメイン,②中央の自己修飾ドメ
とニワトリ PARP-CD との複合体の X 線構造が,
分化や癌化 ,クロマチン高次構造の形成 などを含
ると同時に,PARP は DNA 鎖に対する親和性を失
イン,及び③ ADP- リボシルトランスフェラーゼ
これまでに報告されているが,
これらニコチン
む遺伝的統合性の維持に寄与している.本酵素は
う.Fig. 1 に PARP の反応メカニズムを模式的に
活性を担う C 末端触媒ドメイン (PARP-CD) に分け
アミドをミミックした阻害剤はドナーサイト中の
損傷を受けた DNA 鎖に結合することで活性化さ
示す.PARP は虚血性脳疾患の原因物質であるこ
れる.この活性化により,PARP 自身とクロマチ
とが知られている.すなわち脳虚血に伴う酸化的
ン高次構造中に含まれる他の核内蛋白質が最初の
な DNA 障害による PARP の異常活性は,NAD+ 及
ADP リボシル化反応を受け,更にこれに続けて蛋
び NAD+ を再生するための ATP 分子の枯渇を進め,
1)
3)
2)
4)
5), 6)
Fig. 1 Schematic diagram of the reaction mechanism of PARP in base excision-repair.
9)
10)
12)
13, 14)
13, 15, 16)
Fig. 2 Chemical structures and IC 50 values for PARP of PD128763, 4ANI, 3MBA, NU1025,
FR257517, 1 and 2, together with atomic numberings of 1 and 2 used in this work.
158
159
Vol.2 (2008)
ニコチンアミド - リボースサイト (NI サイト ) に
した.1 と 2 のヒト由来 PARP に対する阻害活性は,
Table 1 Data collection and refinement statistics for PARP-CD −1 and −2 complexes
18)
結合していた.
Zhang らの方法 に従い測定した.
当社では,PARP 活性の異常亢進に伴う虚血性
コチンアミドアナログの誘導体研究を進めてき
ニワトリ PARP-CD のクローニング,発現及び
精製
た.この誘導体研究の中で見出された新規阻害剤
結晶化に必要な組換え PARP-CD 蛋白質は,バ
1 及び 2 (Fig. 2) は,PARP に対して強力な阻害活
キュロウイルス - カイコ発現システムを用いて
性 (IC50 = 85 nM for 1, IC50 = 46 nM for 2) を示す.
調 製 し た. ま ず,PARP-CD を コ ー ド し た cDNA
構造的には,①ニコチンアミドのミミック部位と
を ト ラ ン ス フ ァ ー・ ベ ク タ ー (pYNG: Katakura
してのキナゾリン -2,4(1H,3H)- ジオン骨格と,②
Industries, Saitama, Japan) に 挿 入 し た 後, こ の
キナゾリン環の 1 位に N - モルフォリノプロップ
トランスファー・ベクターとバキュロウイルス
脳障害 ( 脳梗塞 ) の治療薬開発を目的として,ニ
-3- イル基 (1),あるいは N - フェノキシプロップ
19)
(Bombyx mori nucleopolyhedrovirus; CPd 株 ) のゲ
20)
-3- イル基 (2) を有している.一方,キナゾリン環
ノム DNA を,Bombyx mori- 培養細胞 (BmN) 中で
の 2 位置換型阻害剤である FR257517(Fig. 2) が,
相同組換えした.PARP-CD の cDNA を含む組換え
PARP に対する強力な阻害剤として最近報告され
ウイルスは,96 穴マイクロプレート上で限界希
た.FR257517 − PARP-CD 複合体の X 線結晶構
釈法によりスクリーニングした.組換えウイルス
造解析によると,キナゾリン環及び 2 位置換基が,
を BmN 細胞中で増殖後,それらをカイコ蛹に接
それぞれドナーサイト中の NI サイトと AD サイト
種した.接種後 6 日目の感染蛹 (20g) を,180ml
に結合していることが示された.
の磨砕用緩衝液で磨砕・遠心分離し,上清を−
1 及び 2 の N - モルフォリノプロップ -3- イル基,
80 ℃ に て 保 存 し た.2 回 の 連 続 硫 安 分 画 (40%
及 び N - フ ェ ノ キ シ プ ロ ッ プ 3- イ ル 基 の PARP-
及 び 65% の 飽 和 ) に よ り 部 分 精 製 し た 上 清 を,
CD 活性部位での相互作用様式を解明することで,
3-aminobezamide-AffiGel10 カ ラ ム を 用 い た ア
PARP 阻害活性に対するキナゾリン1位置換基と
フィニティークロマトグラフィーにより精製し
2 位置換基の機能的な違いを明らかにし,更によ
た.20g のカイコ蛹から約 19mg の蛋白質が得ら
り阻害活性の強い化合物を設計する指針を得るた
れ,最後に結晶化用に 13mg/ml まで濃縮した.
14)
14)
めに,ニワトリ PARP-CD と 1 及び 2 との複合体
X 線結晶構造解析を行なった.
20)
12)
PARP-CD − 1 及び− 2 複合体の結晶化
結晶化は,蒸気拡散平衡法の中のハンギングド
2. 方法
96.7 Å, P 212121) と同型であったため,初期位相
サイズを有する X 線結晶構造解析可能な単結晶を
の 決 定 に は 分 子 置 換 法 を 用 い た.1 及 び 2 の 原
得た.
子位置は差フーリエマップをトレースすること
23)
により確定した.更に CNX2002 プログラム を
PARP-CD − 1 及び− 2 複合体のX線データ収
集
PARP-CD − 1 及び− 2 複合体の回折強度測定は,
用いたシュミレーティッドアニーリング法によ
り構造を精密化し,間違った位置にあるアミノ
酸残基及び誤ったコンホメーションについては
大型放射光施設 SPring-8(BL24XU) にて実施した.
ロップ法を用い 20℃ で行なった.結晶化条件は
QUANTA2000-X-RAY プ ロ グ ラ ム (Release 2000,
データ収集は 100K の超低温条件下,リガク社製
Jung らの条件 を参考にして検討した.前項で調
Accelrys) によりマニュアルで修正した.精密化
R-AXIS V 検出器を用いて行なった.測定データは
の進行に従い、0.50 eÅ-3 以上の電子密度を有す
リガク社製のクリスタルクリアープログラム を用
るピークは溶媒分子として、徐々に加えていった
いて処理した.
(Table 1).
21)
1 及び 2 の合成,及び阻害活性測定
果,約 1 週間後に 0.7mm × 0.2mm × 0.1mm の
製 し た PARP-CD 精 製 品 (13mg/ml) を 2.5mg/ml
22)
1 及 び 2 は 論 文 の 方 法 に 従 い 合 成 し, そ の
の 1 あるいは 2 と混合して結晶化用複合体溶液
純 度 (>95%) は HPLC に よ り 確 認 し, 更 に そ の
とした.この複合体溶液 3μl と等量の沈殿剤溶液
化 学 構 造 は 1H-NMR ス ペ ク ト ル ( バ リ ア ン 社 製
(50mM Tris-HCl,pH8.5,20%(w/v) polyethylene
GEMINI2000/200 及び UNITY INOVA300),及び
glycol 600,5%(v/v) methanol) を混合し,更に混
PARP-CD − 1 及び− 2 複合体の位相決定及び
精密化
3. 結果及び考察
質量分析 ( マイクロマス社製 Q-ToF2) により確認
合溶液を 1ml の沈殿剤溶液に対して平衡化した結
両複合体ともに,以前に解析された PARP-CD
PARP-CD の全体構造
17)
13)
− PD128763 複合体 (a = 59.3 Å, b = 65.0 Å, c =
今回解析したニワトリ由来の PARP-CD はヒト
160
161
Vol.2 (2008)
由来のそれと比べて 87% のアミノ酸ホモロジーを
を形成することが,Mendoza-Alvarez らにより最
1 及び 2 の化学構造と阻害活性
で あ り, か つ PD128763,4ANI,3MBA, 及 び
有し,かつヒト由来の PARP は薬物設計の標的に
近証明された. これらの事実を考慮して,PARP-
Fig. 2 に 1,2,及び以前に構造解析された 5 種類
NU1025 の阻害活性と比べて高い値を有している
なることから,アミノ酸の番号はヒト由来 PARP
CD を酵素−阻害剤複合体の構造化学的研究の対
の 阻 害 剤 (PD128763,4ANI,3MBA,NU1025,
ことから,(a)PARP-CD の触媒部位は比較的大き
の番号を使用した ( ニワトリ由来 PARP の番号か
象 と し て 用 い た.PARP-CD は 654-1014 番 の ア
及び FR257517) の構造式を,IC50 値とともに示
な結合ポケットを有しており,極性のモルフォリ
24, 25)
14, 26-28)
ら 3 を引いた番号 ).
ミノ酸残基より構成されるが,構造解析によって
す.
PARP-CD(40kDa) の ADP- リボース−ポリメラー
決定できたのは 662-1009 のアミノ酸残基のみで
ミド骨格をミミックしたものである.1 は PARP-
を受け入れる余地があること,及び (b)1,2,及び
ゼ 活 性 は, 全 長 酵 素 (113kDa) の そ れ と 比 べ て
あった.N 末側の 8 残基及び C 末側の 5 残基は,
CD 活性部位における N - モルフォリノプロップ
FR257517 の PARP 活性部位における結合様式を
500 倍低いが,DNA 非存在下では PARP-CD と全
温度因子が高いことにより電子密度上では検出さ
比較検討することで,PARP に対するより効果的
長 PARP との間で活性に差がないことが報告され
れなかった.Fig. 3 に今回解析した PARP-CD − 1
-3- イル基の結合部位 ( ドナー or アクセプター )
な阻害剤を設計するための知見が得られる,こと
ている. また PARP-CD の NAD+ に対する Km 値 (65
及び結合様式を明らかにし,更にモルフォリン環
複合体の全体図を示す.今回解析した複合体構造
が予測された.
μM) は,全長 PARP の NAD に対するそれ (50μM)
の極性酸素原子の相互作用に対する効果を解明す
と,ヒト由来 PARP-CD − FR257517 複合体 を比
るために合成された.2 は,母核であるキナゾリ
と同等であることも知られている.更に PARP-CD
較して,全体構造においてほとんど差異は見られ
ン環と 4 個のリンカー原子を介して結合している
1 及び 2 の PARP-CD に対する相互作用様式
は DNA 非存在下においても触媒能を持つ二量体
なかった.
末端のベンゼン環の役割を検討するために合成さ
1 及び 2 の電子密度図を Fig. 4 に,PARP-CD 活
れた.1 と 2 の阻害活性 (IC50 値 ) が同じオーダー
性部位におけるこれらの結合様式を Fig. 5 に,及
12, 25)
+
12)
14)
+
これらの阻害剤は全て NAD のニコチンア
(a)
ン環や疎水性のベンゼン環などのかさ高い置換基
(b)
Fig. 4 Electron-density maps of 1 (a) and 2 (b) bound to the PARP-CD active site. The inhibitors and the
protein are indicated by ball-and-stick form and stick form, respectively. The (2Fo-Fc) maps were
calculated using the phases at the final stage of refinement.
Fig. 3 Overall structure of PARP-CD-1 complex. The protein (ribbon diagram) and the inhibitor (stick
form) are shown.
162
163
Vol.2 (2008)
15, 16)
び相互作用の模式図を Fig. 6 に示す.1 及び 2 と
これまでに解析された PARP-CD-PD128763,
ン骨格は,NAD+ 結合ポケット中の NI サイトに埋
His-862,Gly-863,Tyr-896 ‒ Ala-898,Lys-903,
PARP-CD の活性部位付近におけるアミノ酸との間
‒ 4ANI,‒ 3MBA,及び‒ NU1025 複合体の構造
もれる様に相互作用していた.この NI サイトは,
Ser-904,Tyr-907,及び Glu-988 アミノ酸残基に
で形成される水素結合距離を Table 2 に示す.
と同様に,1 と 2 のキナゾリン -2,4(1H,3H)- ジオ
16)
16)
16)
(a)
Fig. 6 Schematic diagram of the interaction of 1, 2, and FR257517 within the active site of PARPCD. The substituents are N-morpholinoprop-3-yl for 1, N-phenoxyprop-3-yl for 2, and
3-[4-(4-fluorophenyl)-3,6-dihydro-1(2H)-pyridinyl]propyl for FR257517, respectively. The
acceptor site (white), the donor site (light gray), and the new site (dark gray) were shown. The
inside of the dotted line represents the large gap between the donor and the acceptor site.
Table 2 Hydrogen bond (Å) between the inhibitor (1 and 2) and the active site of PARP-CD
(b)
Fig. 5 Binding modes of 1 (a) and 2 (b) with PARP-CD active site. The inhibitors and the protein are
indicated by ball-and-stick form and stick form, respectively. Possible hydrogen bonds are shown
by dotted lines. Respective amino acids composing the PARP-CD active site are also labeled.
164
165
Vol.2 (2008)
よって深い結合ポケットを形成している.1 と 2
間の PARP-CD に対する結合様式のこの違いは,
きることが明らかとなった.このように,1 位置換
REFERENCES
の O12 原子は,Gly-863 アミドの NH と Ser-904
各阻害剤のリンカー原子数の違いによるものと思
基の導入は,溶解性,安定性,及びその他の薬物動
わ れ る (1 は -CH2-CH2-CH2- の 3 原 子,2 は -CH2-
1) Ménissier-de Murcia, J., Niedergang, C., Trucco, C.,
の O H との間で各々 2 本の水素結合を形成してお
態的パラメーターを変えることによる阻害剤のバイ
Ricoul, M., Dutrillaux, B., Mark, M., Oliver, F. J.,
り, ま た 1 と 2 の N3H は,Gly-863 ア ミ ド の O
CH2-CH2-O- の 4 原子 ).1 及び 2 の IC50 値と,以
オアベイラビリティー改善に向けた有力なターゲッ
Masson, M., Dierich, A., LeMeur, M., Walztinger, C.,
との間で 1 本の水素結合を形成していた.1 と 2
前に報告された置換基のない阻害 剤
のそれら
トとなりうる.更に,1 と 2 の構造的特徴を適切に
Chambon, P., de Murcia, G., Proc. Natl. Acad. Sci.
の二環性のキナゾリン環は Tyr-907 のフェノール
との比較から,Ile-879,Ala-880,Tyr-889,及び
組み合わせることで,PARP に対するより効果的な
U.S.A., 94, 7303–7307 (1997).
基及び Tyr-896 の主鎖との間でスタッキング相互
Met-890 より構成される PARP-CD の『新しい結
阻害剤を設計することが期待できる.
作用しており,この疎水性相互作用を通してニコ
合サイト (Fig. 6, 濃い灰色 )』と 1 位置換基との相
チンアミド結合ポケットの空間に壁を形成してい
互作用 ( 水素結合及び疎水性相互作用 ) が,キナ
謝辞 本研究において,終始御指導と御鞭撻
た.
ゾリン骨格をベースにした阻害剤の阻害活性増強
を賜りました大阪薬科大学薬品物理化学教室 石田
注目すべき点として,1 のキナゾリン環の 1 位
に非常に重要であることを示唆している.これに
寿昌教授,ならびに故井上正敏名誉教授に深く感謝
に導入した N - モルフォリノプロップ -3- イル基は
対して FR257517 の場合には,2 位置換基におけ
の意を表します.
ドナー及びアクセプターサイト間のギャップに位
る末端のフルオロフェニル基は,Arg-878 近傍の
本研究の機会を与えて頂きました大正製薬株式会
置していた (Fig. 6, 点線の内側 ).これは以前に解
ドナーサイト (AD サイト ) に正確に位置しており
社副社長 大平明氏,同取締役 北村一泰博士,同執
析されたヒト PARP-CD − FR257517 複合体にお
(Fig. 6, 薄い灰色 ),更にこの際 Arg-878 残基が阻
行役員医薬研究所所長 森本繁夫博士,ならびに同
ける阻害剤の結合位置とは著しく異なる.すなわ
害剤の結合に伴うコンホメーション変化を起こし
研究所リード探索研究室室長 川嶋朗博士に厚く御
ち,阻害剤 FR257517 のキナゾリン環上の 2 位置
ていた.このように,FR257517 の置換基はドナー
礼申し上げます.また,
入社以来直接御指導を頂き,
γ
13, 15, 16)
14)
+
2) Satoh, M. S., Poirier, G. G., Lindahl, T., Biochemistry,
33, 7099–7106 (1994).
3) Farzaneh, F., Meldrum, R., Shall, S., Nucleic Acids
Res., 15, 3493–3502 (1987).
4) Realini, C. A., Althaus, F. R., J. Biol. Chem., 267,
18858–18865 (1992).
5) D’Amours, D., Desnoyers, S., D’Silva, I., Poirier, G.
G., Biochem. J., 342, 249–268 (1999).
6) Virág, L., Szabó, C., Pharmacol. Rev., 54, 375–429
(2002).
7) Szabó, C., Dawson, V. L., Trends Pharmacol. Sci., 19,
換基は,ドナーサイト中の AD サイトに正確に位
NAD サイト全体を完全に占有しており,これに
数多くの有益な御助言を頂きました大正製薬株式
置しており,アクセプターサイト方向には向いて
よって FR257517 の阻害活性が,1 あるいは 2 の
会社研究推進室参与 横尾千尋博士,同人事部参与
いなかった (Fig. 6).更に,N - モルフォリノプロッ
それよりも幾分高くなったものと思われる.1,2,
川島豊博士,同医薬事業企画部参事 溝上一敏博士,
プ -3- イル基と PARP-CD 活性部位の対応するアミ
及び FR257517 の三者間で,PARP 活性部位にお
ならびに参事 中川純一博士に心より感謝致します.
9) Eliasson, M. J. L., Sampei, K., Mandir, A. S., Hurn, P.
ノ酸残基との間で,有意な相互作用が見られた.
ける結合様式に有意な差があるにもかかわらず,
また,本研究で共同研究者として,多大な御助言
D., Traystman, R. J., Bao, J., Pieper, A., Wang, Z.-Q.,
すなわち,1 の O20 原子が Met-890 アミドの N
ほぼ同じオーダーの阻害活性を有していることか
や御協力を頂きました元オタワ大学 Carol P. Huber
Dawson, T. M., Snyder, S. H., Dawson, V. L., Nat.
との間で水素結合を形成しており (Table 2),更に
ら以下のことが示唆される.すなわち (a)PARP-CD
教授,大正製薬株式会社リード探索研究室次席研究
Med., 3, 1089–1095 (1997).
1 のモルフォリン環が Tyr-889 及び Tyr-896 との
のドナー及びアクセプターサイトの間のギャップ
員 角谷重幸氏,主任研究員 近藤和行博士,同創薬
間の疎水性相互作用に関与していた.
が大きな空間を形成しているため,このギャップ
化学第 2 研究室室長 太田知己博士,同創薬化学第
一 方,2 の N - フ ェ ノ キ シ プ ロ ッ プ -3- イ ル 基
は Fig. 6 に示すような『新しい結合サイト』とし
1 研究室 GM 村田充男氏,ならびに同元リード探索
の PARP-CD への結合の方向性及び結合様式とも
て定義できること,及び (b) この空間は各々の阻
研究室研究員 楠瀬香織氏に深謝致します.
に,1 の N - モルフォリノプロップ -3- イル基にお
害剤のコンホメーション変化を伴いながら,多様
PARP −阻害剤複合体の構造化学的研究におい
12) Simonin, F., Höfferer, L., Panzeter, P. L., Muller, S., de
けるそれらとは明確な違いが見られた.キナゾリ
なタイプの置換基を受け入れる余地があるものと
て,精力的に実験に協力頂きました片倉工業株式会
Murcia, G., Althaus, F. R., J. Biol. Chem., 268, 13454–
ン環と末端の環 (1 ではモルフォリン環,2 ではベ
思われる.
社 柿宏樹氏,ならびに株式会社東レリサーチセン
13461 (1993).
ンゼン環 ) をつなぐリンカーのコンホメーション
今回の解析結果から,①キナゾリンをベースに
ター 鳥海美晴氏に深く感謝致します.
は,1(-CH2-CH2-CH2-) と 2(-CH2-CH2-CH2-O-) の 間
した阻害剤の 1 位置換基の導入が,PARP に対す
最後に,数々の有益な御助言を頂きました大阪薬
で著しく異なっていた.このコンホメーションの
る阻害活性の増強に非常に効果的であること,及
科大学 土井光暢教授,大石宏文講師,尹康子助手,
違いにより,2 の末端のベンゼン環は,Ile-879 と
び②置換基の構造が変化しても,それらのコンホ
友尾幸司准教授,ならびに薬品物理化学教室員一同
Kido, Y., Hattori, K., Fujii, T., FEBS Lett., 556, 43–46
Ala-880 から構成されるドナーサイトに近接した
メーションを柔軟に変えることで,これまでには
に心より感謝致します.
(2004).
別の疎水性領域に位置していた (Fig. 6).1 と 2 の
報告されていない未知の酵素活性サイトに結合で
287–298 (1998).
8) Love, S., Barber, R., Wilcock, G. K., Neuropathol.
Appl. Neurobiol., 25, 98–103 (1999).
10) Mendoza-Alvarez, H . , A l v a r e z - G o n z a l e z , R . ,
Biochemistry, 38, 3948–3953 (1999).
11) de Murcia, G., Ménissier de Murcia, J., Trends
Biochem. Sci., 19, 172–176 (1994).
13) Ruf, A., Rolli, V., de Murcia, G., Schulz, G. E., J. Mol.
Biol., 278, 57–65 (1998).
14) Kinoshita, T., Nakanishi, I., Warizaya, M., Iwashita, A.,
166
15) Ruf, A., Ménissier de Murcia, J., de Murcia, G. M.,
Schulz, G. E., Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., 93, 7481–
7485 (1996).
16) Ruf, A., de Murcia, G., Schulz, G. E., Biochemistry, 37,
3893–3900 (1998).
17) Ota, T., Kondo, K., Tanaka, H., JP Patent Application
No. 2005-333411 (2005).
18) Zhang, J., Lautar, S., Huang, S., Ramsey, C., Cheung,
A., Li, J.-H., Biochem. Biophys. Res. Commun., 278,
590–598 (2000).
19) Suzuki, T., Kanaya, T., Okazaki, H., Ogawa, K., Usami,
A., Watanabe, H., Kadono-Okuda, K., Yamakawa,
M., Sato, H., Mori, H., Takahashi, S., Oda, K., J. Gen.
Virol., 78, 3073–3080 (1997).
20) Maeda, S., Gene transfer vectors of a baculovirus,
Bombyx mori, and their use for expression of
foreign genes in insect cells, in: Mitsuhashi, J. (Ed.),
Invertebrate Cell System Applications, CRC Press,
Boca Raton, Fla, 167–181 (1989).
21) Jung, S., Miranda, E. A., M?nissier de Murcia, J.,
Niedergang, C., Delarue, M., Schulz, G. E., de Murcia,
G. M., J. Mol. Biol., 244, 114–116 (1994).
22) Pflugrath, J. W., Acta Crystallogr., D55, 1718–1725
(1999).
23) Brunger, A. T., Accerlys Inc., Crystallography and
NMR explorer (CNX) Version 2002, Yale University,
New Haven, CT (2002).
24) Mendoza-Alvarez, H., Alvarez-Gonzalez, R., J. Biol.
Chem., 268, 22575–22580 (1993).
25) Mendoza-Alvarez, H., Alvarez-Gonzalez, R., J. Mol.
Biol., 336, 105–114 (2004).
26) Suto, M. J., Turner, W. R., Werbel, L. M., Arundel-Suto,
C. M., Sebolt-Leopold, J. S., Anti-cancer Drug Des., 7,
107–117 (1991).
27) Banasik, M. K., Ueda, K., Mol. Cell. Biochem., 138,
185–197 (1994).
28) Boulton, S., Pemberton, L. C., Porteous, J. K., Curtin,
N. J., Griffin, R. J., Golding, B. T., Durkacz, B. W., Br.
J. Cancer, 72, 849-856 (1995).
167
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2 (2008)
—Reports—
10th International Congress of Therapeutic Drug Monitoring
and Clinical Toxicology に参加して
加 藤 隆 児 *, 井 尻 好 雄
Impressions of the 10th International Congress of
Therapeutic Drug Monitoring and Clinical Toxicology
Ryuji KATO, Yoshio IJIRI
Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1, Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan
(Received October 23, 2007; Accepted November 21, 2007)
The 10th International Congress of Therapeutic Drug Monitoring and Clinical Toxicology was held in Nice from
9 to 14 September, 2007. We participated in this congress with three students, as well as Ms. Okushoji from our
laboratory, and Professor Yoshihiko Hirotani from Osaka-Ohtani University. We submitted four poster presentations
(Junya Morita, Effects of lipopolysaccharide on digoxin pharmacokinetics; Saori Tanaka, Effects of deoxyribonucleic
acid on digoxin pharmacokinetics; Machiko Nakagawa, Effects of lipopolysaccharide on intestinal P-glycoprotein
expression and activity; Ryuji Kato, The relationship between urobilinogen and increased digitalis-like immunoreactive
substances (DLIS) in human urine). During the presentations we obtained many suggestive opinions. The congress
included numerous reports in a wide range of fields such as measurement, analysis, pharmacokinetics, clinical study,
and toxicology. We also had the opportunity to learn about the progress of studies around the world and to gain many
valuable experiences.
Key words——Nice; TDM; LPS; P-gp; digoxin; DLIS
2007 年 9 月 9 日 ∼ 14 日 ま で の 6 日 間,
本学会は 1988 年に田中一彦先生らにより創
Pierre Marquet 会頭のもとフランスのニースで
設され,臨床における薬物血中濃度モニタリン
10th International Congress of Therapeutic Drug
グの草分け的存在になる学会であり,学会誌は
Monitoring and Clinical Toxicology が開催された.
Therapeutic Drug Monitoring (TDM) で あ る. 学
演題は口頭およびポスター発表合わせて約 300
会 の 正 式 名 称 は, International Association of
題,うち日本からは 16 題のエントリーがあった.
T herapeut ic Dr ug Mon itor i ng a nd Cl i n ica l
また,16 のワークショップが開催された.今回我々
Toxicology であり,この名称は本学会のモチベー
は,臨床薬剤学研究室の学生 3 名,秘書の奥小路
ションの高さを示している.すなわち,TDM は効
さんおよび大阪大谷大学薬学部の廣谷芳彦教授ら
果を追求するためだけに使うツールではなく,副
とともに本学会に参加した.
作用をもモニターすべきであることを訴えている
からである.
* 大阪薬科大学,e-mail: [email protected]
168
169
Vol.2 (2008)
今回の学会はニースというフランス第 2 の都市
で,村内は,車は勿論,バイクすら入ることので
pharmacokinetics,No.255:中川真知子(本学修
P-gp の体内存在量が少ないことが示唆された.さ
で行われたが,人口は約 35 万人で,日本の沖縄
きない,まさに天空の村であった.
士 2 年次生)
,演題:Effects of lipopolysaccharide
らに,P-gp の機能的障害は不可逆的であることを
on intestinal P-glycoprotein expression and
指摘した.加藤は尿中の urobilinogen が digoxin
のようなリゾート地に当たり,コート・ダジュー
ル(紺碧の海岸線)
と呼ばれている.学会の合間に,
先 ず, 学 会 で の 我 々 の 発 表 に つ い て 述 べ た
activity,No.256:加藤隆児,演題:The relation-
として測定されると報告し,腎不全患者に存在す
ニース,モナコ,エズなどの地区を散策し,かな
い. 今 回 は 以 下 の 4 演 題 を ポ ス タ ー 発 表 で エ
sh ip bet ween u robi l i nogen a nd i nc re a sed
る DLIS の一部が urobilinogen である可能性を指
りこの地と親しむことができた.エズ村(「鷲の
ン ト リ ー を 行 っ た. エ ン ト リ ー No.253: 守 田
digitalis-like immunoreactive substances (DLIS) in
摘した.Digoxin を服用していない健常成人男子
巣村」と呼ばれている)は,標高 427m の険しい
淳 哉( 本 学 修 士 2 年 次 生 ), 演 題:Effects of
human urine.守田は,digoxin が炎症により吸収
の血液中と尿中の digoxin 濃度測定を行った.そ
岩山の頂上に造られており,頂上からの景色は感
lipopolysaccharide on digoxin pharmacokinetics,
率が上昇し,2- コンパートメントモデルのα相が
の結果,血中では認められなかったが,尿中にお
動的であった.海岸の断崖絶壁の天辺にある村(地
No.254: 田 中 早 織( 本 学 修 士 2 年 次 生 )
,演
有意に短縮することを報告した.このα相の短縮
いて digoxin を検出した.これは,尿中に含まれ
中海からの敵の襲来を見張るためなのだろうか)
題:Effects of deoxyribonucleic acid on digoxin
はα相の消失による,分布容積の減少と考えられ
る urobilinogen が digoxin として測定されたため
た.また,その影響は 7 日間近く続き,これは炎
と考えられた.従って,急性腎不全時では,尿中
症の持続時間と相関することを発表した.田中は,
に排泄されなくなった血液中の urobilinogen が
守田と同様のことが大腸菌由来 DNA でも起こり
digoxin として測定される可能性を指摘した.また,
得ることを報告した.炎症の強度は LPS と比較す
この DLIS は抗体に結合して測定されるものでは
るとかなり弱いものであったが持続する傾向が見
ないことも合わせて発表した.今回の発表では D.
られた.また,この現象により,DNA がウイルス
Touw 先生が chairperson となり,ポスターの前
のごとく作用している可能性を指摘した.中川は,
でプレゼンテーションを行った.発表後のディス
P-glycoprotein が lipopolysaccharide に よ る 炎 症
カッションでは,身振り手振りを交えてのコミュ
により,消化管での吸収が変動する可能性を指摘
ニケーションではあったが,多くの示唆に富むご
し た. し か し,P-gp 基 質 で あ る Rhodamine123
意見を頂き,貴重な経験をすることが出来た.
の 体 内 動 態 は 変 動 し な か っ た. こ の こ と か ら,
学会会場 ACROPOLIS にて
ポスター会場にて
モナコにて
170
次に,学会全体の演題であるが,本学会では,
製薬メーカー(Roche や Abbott など)や測定機
器企業(DADE BEHRING や Waters など)からの
新しい測定法のデモンストレーションをはじめと
して,その測定法に関連した臨床研究の発表が多
く見られた.ターゲットは,免疫抑制剤(シクロ
スポリン,タクロリムス,シロリムス,ミコフェ
ノール酸モフェチル)
,抗 MRSA 用剤,一部モル
ヒネなどの麻薬の TDM などであった.さすがに,
最先端技術の発表や移植医療関連(特に,日本で
も使用されている免疫抑制剤のミコフェノール酸
モフェチルについての演題が多くあった)の発表
が多くあった.しかし,反面,世界 20 ヶ国以上
の国々が参加しているせいか,時折,日本 TDM
学会年会で 10 年以上前に発表されていた研究テー
マについて発表している場面にも遭遇した.
学 会 最 終 日 の 夜 に は, ニ ー ス の 海 岸 で Gala
Dinner が開催された.Dinner は 20 時過ぎから翌
日の未明まで続いた.我々は次の日の朝が早かっ
たため,途中で切り上げることとなった.Gala
Dinner は多くの国の方が参加されていたこともあ
り,我々は日本人のみならずさまざまな国の方々
と交流を持つことが出来た.貴重な体験であった
と喜んでいる.
最後に,日本 TDM 学会は,薬物動態学系に向
かい始めているように思われるが,本学会では,
測定,分析,薬物動態,臨床研究,トキシコロジー
など多彩な分野の報告があり,国際色豊かな学会
であった.我々自身も,海外の本分野での研究の
進歩を少しでも把握できた,と感謝する次第であ
る.
171
Bulletin of Osaka University of Pharmaceutical Sciences 2 (2008)
—Reports—
金属を含む制癌医薬品の開発状況
米田 誠治,千熊 正彦*
Recent Research on Antitumor Metallopharmaceuticals
Seiji KOMEDA. Masahiko CHIKUMA*
Osaka University of Pharmaceutical Sciences, 4-20-1, Nasahara, Takatsuki, Osaka 569-1094, Japan
(Received November 6, 2007; Accepted November 22, 2007)
Between 15 and 20 June 2007, we attended the 13th International Conference on Biological Inorganic Chemistry
(ICBIC 2007) hosted by the University of Vienna in Austria. This conference, which focuses on all aspects of the
frontiers of Biological Inorganic Chemistry, attracted more than 900 participants from all over the world. Here,
we consider certain lectures and presentations, in addition to our own, in order to bring the current status of metal
antitumor chemistry up to date.
Key words——anti-cancer drug; metal complex; DNA
2007 年 7 月 15 日 か ら 20 日 ま で,6 日 間 に
は 1365 年にルドルフ4世によって創立され,現
渡って「第 13 回国際生物無機化学会議」(13th
在まで 11 人のノーベル賞受賞者を輩出したドイ
International Conference on Biological Inorganic
ツ語圏最古・最大の総合大学として知られている.
Chemistry (ICBIC 2007)) がオーストリアのウィー
本学会には計 55 ヵ国から生物無機化学に携わる
ン大学(写真 1)にて開催された.ウィーン大学
科学者 900 人以上が参加し,以下のように細分化
写真 1
* 大阪薬科大学 生体分析化学研究室,e-mail: [email protected]
172
173
Vol.2 (2008)
された 13 のトピックスについて活発な議論が展
and radicals, Metal-based environmental
Lecture は講堂(Hörsaal)
,Poster Session は中庭
癌剤の年間世界市場は 2.8 億ドルで,現在も年率
開された.
chemistry, Biominerallization, Bioinorganic
(写真4)にて執り行われた.本学からは生体分
20%以上の割合で増加し続けている.このことか
clusters and nanoparticles, Metal sensors in
析化学研究室の千熊 が Metals in medicine,米田
ら,副作用等の欠点は存在するものの,白金制癌
ICBIC 2007 トピックス一覧
biology, Biophysical and theoretical calculations,
が Metal interactions with DNA/RNA/nucleotides
剤の高い治療効果がその需要を押し上げているこ
Metals in medicine, Metalloproteins, Metal
Bioinorganic prebiotic chemistry
and other biomolecules に 関 連 し た 研 究 成 果 を
とがわかる.
Poster Session にて発表した.
我々は白金制癌剤の優れた制癌効果に着目し,
interactions with DNA/RNA/nucleotides and
1)
2)
other biomolecules, Bioinspired coordination
Plenary Lecture は大学に隣接したフォティーフ
治療効果および安全性が高い次世代制癌剤の開発
chemistry, Bioinspired catalysis, Metal trafficking
教 会(Votivkirche; 写 真 2),Session Lecture
1978 年に白金錯体であるシスプラチン(図1
を目的として研究を行ってきた.その結果,一連
(transport and regulation), Electron transfer
は 大 学 構 内 の 大 講 堂(Festsaal; 写 真 3)
,Oral
左)が米国 FDA に制癌剤として承認されて以来,
のアゾール架橋白金 (II) 二核錯体が次世代白金制
金属錯体を積極的に臨床応用するという機運が一
癌剤として有望な候補の一つであることを見出し
気に高まった.25 年後の 2003 年における白金制
た.1999 年にピラゾール架橋錯体(図 1 中央)
3-5)
写真 2
写真 4
シスプラチン
ピラゾール架橋錯体
トリアゾール架橋錯体
図 1 白金 (II) 制癌剤シスプラチンとアゾール架橋白金 (II) 二核錯体
写真 3
174
175
Vol.2 (2008)
12, 13)
がシスプラチンよりも高い in vitro 癌細胞増殖抑制
こす.この歪みは制癌活性発現に必要であるが,
架橋白金 (II) 二核錯体の制癌メカニズムに関与し
発現に及ぼす影響をプロテオーム解析により網
活性を発揮すること,及びシスプラチン耐性癌に
この歪みによって DNA 付加物が一連の DNA 修復
ていると推定される.そこで,これらの相互作用
羅的に解析することで,両薬物の作用機構及びピ
非常に有効であることが明らかになった.ごく最
酵素に認識されやすくなるのではないかという考
様式を明らかにするため,自己相補型二重らせん
ラゾール架橋錯体がシスプラチン耐性細胞に有効
近,in vitro,in vivo ともに高い制癌効果を発揮する
え方が提案されている.我々が分子設計したピラ
DNA [d(CGCGAATTCGCG)]2 とピラゾール架橋錯体
である理由の検索を試みた.その結果,シスプラ
トリアゾール架橋錯体(図 1 右)の分子設計に成
ゾール架橋錯体は,DNA にほとんど歪みを与える
を共結晶化(モル濃度比 1 : 1 及び 1 : 2)し,Pt-
チン感受性 / 耐性細胞間におけるタンパク質の発
功し,アゾール架橋白金 (II) 二核錯体の創薬基盤
ことなく 1,2- 鎖内架橋を形成することが明らかに
DNA 付加物の構造を X 線結晶解析により明らかに
現に様々な変化が生じていることが明らかとなっ
を構築した.また,これらの錯体の制癌メカニズ
なりつつあり(図 2 下段 ),シスプラチン感受性
した.モル濃度比 1 : 1 混合液から得られた結晶
た.また,それらの中にはそれぞれの薬物の作
ムの一端を解明して更なる創薬に繋げるために,
癌細胞およびシスプラチン耐性癌細胞に対して強
では,ピラゾール架橋錯体と DNA の非共有結合
用機構に深く関与しているのではないかと考えら
生体高分子との相互作用様式を物理化学的及び生
い増殖抑制活性を発揮する.このことから,制癌
性相互作用によるマイナーグルーブ結合の形成が
れるタンパク質がいくつか存在した.この研究に
物化学的手法を用いて検討を行ってきた.
作用を開始するには 1,2- 鎖内架橋の形成のみが必
1カ所確認された.モル濃度比 1 : 2 混合液の場
より,シスプラチンの作用機構及び耐性機構には
要であり,DNA の歪みは必ずしも必要でないのか
合,同様のマイナーグルーブ結合が1カ所と,メ
Annexin A1 を介するアポトーシス誘導経路の関与
シスプラチンの制癌作用は,シスプラチンが
もしれない.あるいは,癌細胞を死に導く全く別
ジャーグルーブにおける共有結合性の相互作用が
が示唆された.また,ピラゾール架橋錯体の作用
DNA 上で 1,2- 鎖内架橋(隣接する二つのプリン
の経路が存在するのかもしれない.
1カ所確認出来た.このことから,ピラゾール架
機構はシスプラチンとは異なっており,タンパク
塩基との配位(共有)結合)を形成することに起
今回,米田はアゾール架橋錯体とその標的と考
橋錯体は DNA と共有結合性の付加物を形成する
質翻訳伸長因子(eukaryotic elongation factor 2)
因すると考えられている(図 2 上段)
.シスプラ
えられる DNA との相互作用様式について X 線結
前段階として,マイナーグルーブにトラップされ
が関与している可能性が示唆された.つまり,ピ
チンと同様の DNA 付加物を形成するシスプラチン
晶解析法を用いて検討した結果を発表した.シス
ることが示唆された.今後,マイナーグルーブに
ラゾール架橋錯体がシスプラチン耐性癌細胞の増
類似化合物は,シスプラチンに対して交叉耐性を
プラチンが電気的に中性の分子であるのに対し,
おける非共有結合性相互作用とメジャーグルーブ
殖抑制能を持つのは,この作用機構の相違に起因
示す.この事実と近年の研究結果から,シスプラ
アゾール架橋白金 (II) 二核錯体は二価のカチオン
における共有結合性相互作用のどちらがより深く
するものではないかと考えられる.
チンとは異なる DNA 付加物を形成する白金錯体
である.このことから,これらの白金 (II) 二核錯
制癌作用に関与しているのかを明らかにする必要
本学会では興味深い発表が多数見受けられた.
がシスプラチン耐性癌に有効であるということが
体は DNA と配位 ( 共有 ) 結合する前段階として,
性がある.
Farrell らは,第二相臨床試験まで評価されたポリ
明らかとなっている. シスプラチンは 1,2- 鎖内架
DNA と静電的な非共有結合性の相互作用を経る
一方,千熊は DNA 傷害後の癌細胞内のタンパ
アミン架橋白金 (II) 三核錯体(BBR3464;図 3 A)
橋を形成することによって DNA の歪みを引き起
可能性が高く,非共有結合性相互作用もアゾール
ク質発現量の変化について発表した.シスプラチ
の改良を進める一方で,トランス型白金 (II) 単核
ン及びピラゾール架橋錯体が細胞内タンパク質の
錯体(図 3 B)の医薬品としての応用も目指して
6, 7)
7-9)
10, 11)
14)
6, 15)
16)
A
C
図 2 白金化合物と核酸の結合モデル
D
B
E
図 3 制癌剤として臨床応用が期待される含金属化合物
F
176
Vol.2 (2008)
10, 17, 18)
いる.
また,近年は白金に限らず様々な遷移金
属錯体の臨床応用が試みられている.Sadler らは
立するためには生物無機化学分野における基礎研
究が不可欠であると考えられる.
(II) −アレーン錯体(RAPTA;図 3 C)がシスプラ
REFERENCES
チン耐性癌に非常に有効であることを明らかにし
1) M. Chikuma, T. Sato, A. Makino, R. Komaki, Y. Saito, S.
ている.
Komeda, J Biol Inorg Chem 2007, 12 (Suppl. 1) S 26.
また,臨床試験において現在評価中の含金属
化合物についての報告も見られた.ピコプラチン
(図 3 D)は配位子の立体障害を利用して DNA と
の反応速度を制御し,副作用の軽減とシスプラチ
ン耐性癌に対する有効性が期待される白金 (II) 単
22-24)
核錯体である. 現在は,第二相臨床試験において
評価中である.サトラプラチン(図 3 E)は米国
FDA にて承認間近な白金 (IV) 単核錯体であり,適
2) S. Komeda, N. Farrell, L. D. Williams, M. Chikuma, J
Biol Inorg Chem 2007, 12 (Suppl. 1) S 112.
3) B. Rosenberg, L. Van Camp, E. B. Grimley, A. J.
Thomson, J Biol Chem 1967, 242, 1347.
4) B. Rosenberg, L. Van Camp, T. Krigas, Nature, 1965,
205, 698.
5) B. Rosenberg, L. Van Camp, J. E. Trosko, V. H.
Mansour, Nature 1969, 222, 385.
用はホルモン療法で治療効果が期待できない前立
6) S. Komeda, H. Ohishi, H. Yamane, M. Harikawa, K.-i.
腺癌である. この薬剤の特徴としては,経口投与
Sakaguchi, M. Chikuma, J Chem Soc Dalton Trans:
が可能となり,癌患者の QOL の向上に貢献でき
Inorg Chem 1999, 2959.
24-26)
ることが挙げられる.また,制癌剤ではなく癌の
転移のみを抑制する薬剤として,ルテニウム (III)
27-30)
7) S. Komeda, M. Lutz, A. L. Spek, M. Chikuma, J.
Reedijk, Inorg Chem 2000, 39, 4230.
錯体(NAMI-A;図 3 F)
の臨床開発も進められ
8) S. Komeda, M. Lutz, A. L. Spek, Y. Yamanaka, T. Sato,
ている.さらに,2000 年には猛毒である三酸化
M. Chikuma, J. Reedijk, J Am Chem Soc 2002, 124,
二砒素が急性前骨髄球性白血病に著効を示す制癌
4738.
剤として米国 FDA によって承認されるなど,無機
31)
化合物の珍しい臨床応用例もある.
ICBIC 13 は盛況の後に閉幕し,含金属医薬品
の開発研究が世界中で活発に行われていることを
認識することができた.印象に残ったのは,上述
の通り含金属制癌化合物が続々と臨床応用されよ
うとしていることである.現在承認されている医
薬品のほとんどは有機化合物に由来するものであ
り,医薬品全体に占める含金属化合物の割合は非
常に小さい.しかしながら,含金属化合物には有
機化合物には見られない薬理作用が今後も見出さ
れる可能性が高く,研究対象としては非常に興味
深い.つまり,含金属化合物を用いた創薬はまだ
開拓余地が大きい分野であり,その創薬基盤を確
P. Farrell, L. D. Williams, J Am Chem Soc 2006, 128,
16092.
ピアノ椅子型の配位構造を有する有機ルテニウム
19-21)
16) S. Komeda, T. Moulaei, K. K. Woods, M. Chikuma, N.
9) S. Komeda, H. Yamane, M. Chikuma, J. Reedijk, Eur J
Inorg Chem 2004, 4828.
10) N. Farrell, T. T. Ha, J. P. Souchard, F. L. Wimmer, S.
Cros, N. P. Johnson, J Med Chem 1989, 32, 2240.
11) N . F a r r e l l , Y. Q u , L . F e n g , B . Va n H o u t e n ,
Biochemistry 1990, 29, 9522.
12) D. B. Zamble, D. Mu, J. T. Reardon, A. Sancar, S. J.
Lippard, Biochemistry 1996, 35, 10004.
13) S. J. Brown, P. J. Kellett, S. J. Lippard, Science 1993,
261, 603.
14) A. Eastman, N. Schulte, Biochemistry 1988, 27, 4730.
15) S. Teletchea, S. Komeda, J. M. Teuben, M. A. ElizondoRiojas, J. Reedijk, J. Kozelka, Chem Eur J 2006, 12,
3741.
17) G. H. Bulluss, K. M. Knott, E. S. Ma, S. M. Aris, E.
Alvarado, N. Farrell, Inorg Chem 2006, 45, 5733.
18) N. Farrell, L. R. Kelland, J. D. Roberts, M. Van
Beusichem, Cancer Res 1992, 52, 5065.
19) H. Chen, J. A. Parkinson, S. Parsons, R. A. Coxall, R.
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20) R. E. Aird, J. Cummings, A. A. Ritchie, M. Muir, R. E.
Morris, H. Chen, P. J. Sadler, D. I. Jodrell, Br J Cancer
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24) L. Kelland, Expert Opin Investig Drugs 2007, 16, 1009.
25) K. Wosikowski, L. Lamphere, G. Unteregger, V. Jung,
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Serli, M. Cocchietto, S. Zorzet, G. Sava, Int J Oncol
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29) A. Bergamo, R. Gagliardi, V. Scarcia, A. Furlani, E.
Alessio, G. Mestroni, G. Sava, J Pharmacol Exp Ther
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30) G. Sava, S. Pacor, G. Mestroni, E. Alessio, Clin Exp
Metastasis 1992, 10, 273.
31) M. H. Cohen, S. Hirschfeld, S. Flamm Honig, A.
Ibrahim, J. R. Johnson, J. J. O'Leary, R. M. White, G.
A. Williams, R. Pazdur, Oncologist 2001, 6, 4.
177
大阪薬科大学紀要発行・投稿規定
大阪薬科大学紀要編集委員会
第1条
本紀要は「大阪薬科大学紀要」と称する.
第2条
本紀要は第1部,第2部の二部構成とする.第1部(旧「ぱいでぃあ」)は総合科学系の分野
の論文等を収める.第2部は医療・薬学関連の分野の論文等を収める.
第3条
本紀要は前条に定める分野の研究発表を通じて,学的水準の維持向上を図る.
第4条
本紀要は,原則として毎年1回発行する.
第5条
本紀要の投稿資格は,本学教員(非常勤を含む)および本学関係者であることを原則とする.
第6条
投稿内容は,原則として,第1部は論文,書評,資料,および翻訳とする.
第2部は総説,論文,および資料などとする.
第7条
投稿される論文等は,独創的な知見あるいは大学教育に資する内容を含むものであって,印
刷物として未発表であるものとする.
第8条
投稿希望者は,紀要編集委員会(以下,委員会という)が公示する期限までに所定の用紙に
必要事項を記入し,委員会が定める締切日までに提出しなければならない.
第9条
原稿作成のための執筆要領は別に定める.
第 10 条 校正は原則として著者校正は第1校までとし,本文については執筆者が,表紙,奥付け,そ
の他については委員会がその責任を負う.
第 11 条 抜き刷りは1論文等につき 50 部とする.それを超える部数の抜き刷りの費用は執筆者の実
費負担とする.またカラー印刷など,特殊な場合に発生した費用も執筆者の実費負担とする.
第 12 条 本紀要は大学その他各種学術団体に寄贈し,学問研究の交流を期するものである.
第 13 条 本紀要の編集・発行の責任は,本学専任教員によって構成された委員会が負う.
第 14 条 委員会の編集委員は,総合科学系の分野より3名,医療・薬学関連の分野より4名を選び,
必要に応じて若干名を加えることができるものとする.
第 15 条 委員会は論文等の査読委員として,編集委員のうちから1名,編集委員以外から2名を選ぶ
ものとし,場合により学外に委嘱することがある.
第 16 条 投稿原稿の採否は委員会が決定する.修正を求められた原稿は速やかに再提出しなければな
らない.
第 17 条 この規定の変更等は,拡大教授会の承認を得るものとする.
附則
この規定は,平成 18 年 9 月 11 日から施行する.
「紀要編集委員会」委員(紀要編集委員)
井 上 晴 嗣 ,
◎ 加 藤 義 春 ,
○ 田 中 一 彦 ,
土 井 光 暢 ,
濱 中 久美子,
藤 田 芳 一 ,
松 島 哲 久
(五十音順)
◎:委員長 ,
○:副委員長
編 集 後 記
何ごとも初回は勢いがあり成功するものの,二回目は油断もあってかしくじることが多いという.
「本紀要」Vol. 2 の編集に当たってその点を案じたが,幸い予定どおり刊行の運びとなり,編集委
員一同,今は安堵している.
今号には,第 1 部(総合科学系)4 編・第 2 部(薬学系)9 編と計 13 編の論考を収載した.「創
刊号」の賑やかさに比べると掲載論考の総数はやや少ないものの,バランスの取れた構成で組み立
てることができ,総ページ数もほぼ同じとなった.
今号では,第 2 部の「類別」を「発行・投稿規定」に沿った大括りでシンプルな表現とし,また,
数箇所の表記についても,整合性を重んじ統一を図ることに留意した.けだし,研究分野で異なる
表記方法を「本紀要」に相応しい様式として定めていきたかったからである.編集委員会としては,
地道な努力であった.
薬学教育が6年制へと移行し,他方で,近隣諸大学との研究・教育・その他さまざまなレベルで
の交流・提携が進もうとしている.奔流のような時代のうねりに揉まれて,本学の研究・教育の方
向性も変革の過程にあるといえようが,その中にあって,
「本紀要」の果たすべき役割とは何か,しっ
かりと見据えながら刊行を継続していかなければと,心している.関係各位の一層のご協力をお願
いする次第である.
(加藤)
大阪薬科大学紀要 Vol. 2 (2008)
2008 年 2 月 23 日発行
(非売品)
編 集 大阪薬科大学紀要編集委員会
編集責任者 加 藤 義 春
発 行 大 阪 薬 科 大 学
〒 569-1094 大阪府高槻市奈佐原 4 丁目 20 番 1 号
電話 072-690-1000 ( 代 ) URL: http://www.oups.ac.jp/
製作 スリーアイズ企画(株)
印刷 (株)田中プリント
表紙デザイン 小坂典子