第 9 章 癒しの力 音楽 1. 讃美歌の歴史 2. 聖書における音楽の癒し 3. 癒しとしてのグレゴリオ聖歌 4. 日本文化の中で・セロひきゴーシェ 5. 音楽療法主に向かって歌え。 琴を弾くダビデ・聖書挿絵 主は大いなる威光をあらわし、馬と乗り手を海に投げ込まれた。 ( 出エジプト記 15:21) 主に向かってわたしは歌おう。主はわたしの力、わたしの歌。 主はわたしの救いとなってくださった。 ・・・・( 出エジプト記 15:1-18) モーセがイスラエルの民を導いてエジプトを脱出した時、数々の困難に遭遇 したが、奇跡と思われる不思議な導きによって、守られた。なかでも、海の水 が二つに割れて、そのなかをイスラエルの民が行進し、海を渡り終えた後、イ スラエルを追跡するエジプトの軍勢が元に戻った海水にのまれ、滅びていくの を見た。その時、イスラエルは神の救いを喜び、ほめたたえた。女預言者ミリ アムは小太鼓を手にとって踊りながら歌った。最初の歌がそれである。また「海 の歌」はモーセとイスラエルの民が歌ったとされる。二番目の歌である。 これが聖書に出てくる最初の讃美歌と言われる。 讃美歌は、神への讃美であるが、それは死ぬ運命から救われたことについて の感謝であり、癒されたことに対する讃美といえる。この意味で、讃美歌は神 の癒しにかかわっている。それは過去形であったり、将来の祈願であったりする。 歌われることで、意味をもつ。また共に歌う事で、その体験が共有され、自己 満足を克服し、共同体の癒しとなる。 旧約聖書「詩編」は 150 の詩からなる。そのなかにダビデの作になるものが 68 編あって、その表題には「賛歌。ダビの詩」とある。第 9 編の詩は「わたし は心を尽くして主に感謝をささげ、驚くべき御業をすべて語り伝えよう」とい う言葉ではじまる。ダビデの作になる詩篇の中の 34 編は「聖歌隊の指揮者によっ て」歌われたとある。ダビデの時代に本格的な聖歌隊つきの讃美歌が歌われて いたことがわかる。例えば第 4 編は「指揮者によって。伴奏つき。賛歌。ダビ デの詩」とある。そして本文は「呼び求めるわたしに答えてください。私の正 しさを認めてくださる主よ。苦難から解き放ってください。憐れんで祈りを聞 179 第 9 章 癒しの力 音楽 いてください」と祈る、嘆願となっている。この詩篇は、祭儀の時には、左右 対称に聖歌隊が並んで、呼びかけあう形をとっていたと思われる。 ダビデは紀元前 1000 年頃から 961 年まで在位したイスラエル二代目の王であ る。礼拝のための讃美歌はダビデによって創設されたと言われる。それを次代 のソロモン王が確立した。讃美歌は、聖書と同じように、神殿に仕える祭司によっ て受け継がれた。その後、イスラエルはバビロンに捕囚として連行された。紀 元前 500 年代のことである。そこでバビロンの音楽に出会っただろう。宮廷オー ケストラの楽器が取り入れられた。合唱と楽器はレビ人が職業音楽集団となっ て継承され、高いレベルに達したと考えられる。「主を喜び祝う事こそ、あなた 方の力である 」 ( ネヘミヤ 8:10)。讃美歌を歌うことは、讃美歌を聞くにまさる 力を与える。 イエスと弟子たち イエスは、最後の晩餐を終えると弟子たちと「賛美の歌を歌いながら」、オリブ 山に出かけていった。その歌がどの歌であったかについては、議論があるが、 それは、次に示す、過ぎ越しの祭りの最後の晩餐の食後に歌われていた詩篇 118 編の「ハレルヤの詩篇」と思われる。 ハレルヤの詩篇 恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。・・・ 主はわたしの砦、わ たしの歌。主はわたしの救いとなってくださった。・・・ 家を建てる者の 退けた石が 隅の親石となった。これは主の御業 わたしたちの目には驚く べきこと。今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう。・・・ 恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。 ( 詩篇 118) 先に述べたモーセによる「出エジプト」は、民族救済の歴史であり、イスラ エル民族のアイデンティティーを形成した。この救いの日がイスラエルの建国 の日であり、国民は「過越しの祭 」 をまもり、その家庭礼拝の最後には、イス ラエルの救いの歴史を詩篇に託して歌う。それがこの詩篇 118 編であった。「家 を建てる者の退けた石が、隅の親石となった」。価値のないものとして捨てられ ていたものが、中心に価値づけられるという意味である。エジプトで奴隷であっ たイスラエルのことをさしている。それが歴史の舞台の中心に呼び戻された。 イエスは、最後の晩餐でこの民族の経験と自分とを同一化し、自分が十字架に つけられて、捨てられるが、人々が捨てたものを、神が評価して中心に位置づ 180 第 9 章 癒しの力 音楽 けるであろう。すなわち、復活が暗示されている。要するに、価値の転換がお こると、捨てられていたものが重んじられ、否定されていたものが肯定される。 神は人の見るところと違ったものを見、価値の逆転を起こす。そこで癒しが実 現されている。 キリスト教会の讃美歌 アラム語・ギリシャ語・ラテン語 イエス亡き後、初代教会の使徒たちは「毎日ひたすら心を一つにして神殿に 参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神 を賛美していた」( 使徒 2:46,47)。エフェソの教会の信徒たちに対しては「詩 と賛美と霊の歌とをもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美の歌を歌 いなさい」( エフェソ 5:19) とすすめている。また、パウロとシラスが獄中にい た時も、 「神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞き入っ ていた」( 使徒 16:25) とある。 あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、 賛美の歌をうたいなさい ( ヤコブの手紙 ) 初代の教会はよく讃美した。その歌は、イエスが語っていたアラム語が使わ れていたとおもわれる。アラム語は旧約聖書がかかれたヘブル語のなかの一方 言であった。さて、紀元 70 年、ローマに対する独立戦争を起こしたイスラエル は、ローマ軍によって制圧された。エルサレムにいた住民は追放され、イスラ エル民族は、それから 1948 年にイスラエル共和国が成立するまで、世界に散在 する民となった。ユダヤ教の讃美歌の伝統はキリスト教に引き継がれ、ギリシャ 語の讃美歌となる。私たちの手元にある讃美歌にギリシャ語讃美歌は 7 曲ある。 35 番「とこしえのちちより」は一つの音階で 8 文字ほどのことばを歌うチャン トいう形式が特徴である。この形式はあらたにつくられて 549 番から 566 番に ある。合唱ではなく単旋律を一同が歌っていただろう。 4 世紀になると、キリスト教に対するローマ帝国の迫害がおわり、キリスト教 が国の宗教となった。そこで、キリスト教の中心舞台はラテン語が語られるロー マとなる。ラテン語の讃美歌は 26 曲採用されている。ここまでが宗教改革以前 の讃美歌である。歌詞はのこっているがどんなメロディーで歌われていたのか は、記譜法がなかったので知ることができない。 4 世紀の教会の指導者、教父と慕われるアウグスチヌスは讃美歌について次の ように言っている。「讃美歌とは歌う事による神への賛美である。讃美歌は神へ の賛美を表現する歌である。賛美であっても、神への賛美でなければ賛美歌で 181 第 9 章 癒しの力 音楽 はない。賛美で、しかも神への賛美であっても、歌われなければ讃美歌ではない。 したがって賛美歌であるためには、三つのことがら、賛美、神への賛美、さら に歌われることが必要なのである」。すると宗教的感情であっても、神を賛美し ていない歌は賛美歌ではない。キャンプで歌われる歌や、伝道集会で聴衆を鼓 舞する歌でも、神を賛美していない歌は讃美歌とはいえないことになる。入学式、 卒業式の祝歌でもそうである。現在は、アウグスチヌスの定義より幅広い解釈 がなされている。 3 世紀の初頭エジプトのアレキサンドリアの司教クレメンス (150-216)の詩 「主は牧人」は讃美歌二編 2 番にある。西方教会のローマカトリック教会では「讃 美歌の父」とよばれたミラノの司教アンブロシウス (339-397)の作になる讃美 歌 27 番、37 番が親しまれている。そして、教皇グレゴリウス (540-604) は礼拝 の改革を行い、グレゴリオ旋法とよばれる方法で、これは何調というものがない。 単旋律で、無伴奏、斉唱、ラテン語を使っている。この時確立した「典礼聖歌」 は今日まで影響を及ぼしている。グレゴリオのものは讃美歌 24 番、94 番、202 番、 讃美歌二編 84 番から 92 番まで、多数残っている。 中世の讃美歌は聖歌隊が会衆にかわって、会衆を代表して独占的に歌ってい た。会衆にはわからないラテン語聖書が朗読され、ミサにおいても、パンとぶ どう酒は会衆を代表して司式者が飲んでいた。会衆はミサで行われるキリスト の十字架劇の観衆になっていた。 宗教改革期の讃美歌 マルチン・ルター (Martin Luther 1483-1546) はドイツ語讃美歌を 36 曲 作った。その中で最も有名な曲は讃美歌 264 番「神はわがやぐら」である。そ の他に讃美歌 101 番、258 番、讃美歌二編 94 番、96 番などがある。 ジョン・カルヴァン (1509-1564) はフランスからスイスに亡命して宗教改革運 動を推進した。彼は聖書に対する深い畏敬の念を、讃美歌に歌った。詩編のこ とばから作曲し「ジュネーブ詩編歌」を作った。音楽の美しさに心を奪われる ことを極力嫌い、どんな楽器の伴奏も、聖歌隊による歌唱にも反対し、単一旋 律のユニゾンが礼拝にもっとも適しているとした。讃美歌 5 番「こよなくかし こし」、讃美歌 4 番、539 番、12 番、讃美歌二編 109 番、110 番などがある。 バッハ (Johan Sebastian Bach 1618-1750) バッハは宗教改革の指導者ルターを大変尊敬していた。ルターが唱えた十字架 の神学はバッハの音楽に受け継がれている。キリストの受難を主題とし、マタ 182 第 9 章 癒しの力 音楽 イ受難曲、ヨハネ受難曲、それに失われたマルコ受難曲を作曲した。バッハは 毎週新しく作曲したカンタータを楽師達とトマス学校の寄宿生達に覚えさせ、 日曜日になるとトマス教会とヨハネ教会に提供した。その創作力は驚くばかり であるが、それを可能にしたのは、あらかじめ定められた一年分の教会暦きょうか いれき であった。一年分の主題とテキストが暦になっていたので、作曲を準備す ることができた。トマス教会の礼拝は早朝 5 時に始まった。この時間は季節に より 5 時半、6 時とかわったが、次の 7 時からの主礼拝には一般市民が集まる。 13 時からも礼拝が行われた。 讃美歌 107 番「まぶねのかたえに」、177 番、讃美歌二編 223 番、228 番などがある。 ウェスレー (John Wesley1708-1751) 英国国教会の牧師の家に生まれた。オックスフォード大学在学中「神聖クラブ」 を結成し、聖書の教えを忠実に実行しようとしたため、几帳面きちょうめんで堅苦 しいという意味のあだ名「メソジスト」と呼ばれた。ジョンは弟と共に、イギ リスの植民地であったアメリカ南部に伝道した。翌年帰国したが、再びアメリ カに渡る船の中でモラヴィア派の人たちの敬虔な信仰に心を打たれた。1738 年、 兄弟は相次いで回心を体験して救いの確信を持ったという。それから、社会の 下層階級の人たちに伝道し、やがて大きな伝道の運動となった。当時の英国国 教会から教会で説教することを禁じられ、街頭や野外で説教し英国全土を馬に 乗って伝道旅行をした。 兄ジョン・ウエスレーは、ドイツ語から多くの讃美歌を訳した。弟チャールズ・ ウエスレーは毎週讃美歌を作り、その数は 6500 以上あるといわれる。兄ジョン の讃美歌は、讃美歌二 28「闇を照らす主よ」( ツィンツェンドルフ伯の歌 )、讃 美歌二 37「主の深き愛は」、他 弟チャールズは、讃美歌 273 番「わがたましいを」、讃美歌 11、25、98、175、 224、246、248、252、263、273、352、388、513 番がある。 デヴィソン (John Carroll Davison1843-1928) メソジスト派の最初の宣教師として 1873 年、長崎に来日し出島メソジスト教 会に伝道の本拠地をさだめた。鎮西学院と活水学院の創設にかかわり、ロング 博士を助けた。オランダ改革派の宣教師スタウトと協力して「讃美のうた」と いう 28 曲の讃美歌集を発行した。これは日本で最初の讃美歌集と言われる。後 に東京に出て「基督教聖歌集」を編纂した。このなかの讃美歌 158 番はベートー ヴェンの第九交響曲の合唱に言葉をつけて。「あめにはみさかえ」という曲とし、 親しまれてきた。 183 第 9 章 癒しの力 音楽 別所梅之助(1871-1945)は上記讃美歌集の編集に参加した日本人の一人で、讃 美歌 155 番「そらはうららに」、278 番、301 番の歌詞を書いている。 由木 康 (1896-1985) 牧師の子として島根県に生まれ、関西学院を卒業後牧師 となる。少年時代から賛美歌に親しみ、ながく讃美歌委員をつとめた。讃美歌 121 番「まぶねのなかに」、313 番、282 番、30 番、262 番、174 番、109 番、讃 美歌二編 1 番、87 番などがある。 2. 聖書における音楽の癒し ダビデとサウル ダビデは少年時代、心の病に苦しむサウル王に召されて、竪琴をかなで、即 興的に歌を歌った。すると「サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼 を離れた」。今でいうシンガーソングライターである。音楽が癒しの力を持って いることは、紀元前 1000 年という時代にすでにダビデの物語によって広く知ら れていた。旧約聖書詩編は 150 編ある。その半数に近い 71 編が「ダビデの詩」 とされている。この中にサウル王の心を癒した歌が含まれているだろう。ダビ デが賛美歌によってサウル王のこころの病を癒したエピソードを次に引用しよ う。 主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった。 ・・・ 神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サ ウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。 ( サム上 6:14-23) サウルの病は、王の地位に着くとはじまった。「一生を通して、ペリシテ人と の激戦が続いた」ことも病の原因と考えられる(14:52)。更に、権力者になる と避けて通れない孤独が彼を苦しめた。また、身内の者を含めて、王の地位を つけ狙うと思ってしまう過剰な猜疑心が彼を苦しめた。「悪霊が彼をさいなむよ うになった」(16:14)。そのようなとき、ダビデが呼ばれて竪琴を奏でると、サ ウルは苦しみから解放された。「悪霊」が彼を離れたという。「神の霊がサウル を襲うたびにダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が休まって気分がよ くなり、悪霊は彼を離れた」(サムエル上 16:23) ダビデの音楽が癒の力を持っていたことについて、つけ加えて言えば、その 言葉の内容も癒しに力を添えている。今になって、どの歌を即興で歌ったのか 特定はできないが、詩編によって想像をふくらますことができる。 「わたしの魂はおののいています」(6:4)と言った。助けを求めることばをサウ ル王が口にできないとするならば、そのサウルにかわって、ダビデは代弁でき た。「いつまで、主よ わたしを忘れておられるのか。いつまで、わたしの魂は 184 第 9 章 癒しの力 音楽 思い煩い、日々の嘆きが心を去らないのか」(13:2,3)と歌うこともできた。ダ ビデはサウルの心を代弁し、罪を懺悔し、告白した。そのことによってサウロ は、自らのとらわれから解放することができた。さらに祈願をたて、希望を語り、 目標を目指して邁進するように鼓舞することもできた。この意味でダビデの歌 は癒しの力をもっていた。 3. 癒しの力 グレゴリオ聖歌 キリスト教が各地に広まると、讃美歌はその土地の文化と融合し、さまざま な形式と言葉と結びつき、多様なものとなった。そこで、教皇グレゴリウスは 賛美歌を一定の形式に統一するようにした。これが「グレゴリオ聖歌」であり、 カトリック教会でいまも歌い継がれる讃美歌となった。その特徴は、単旋律で、 すべての音を同じ長さで歌う。その中の何曲かを聞いてみよう。シンプルで、 感情的な抑揚もない。聖書の言葉を歌う。ともすれば、単調で面白くないよう におもわれるのである。しかし、歌うものの精神を覚醒し、一つの音となって 魂の深いレベルへと導くものがあるといわれる。修道院の共同生活の中で毎日、 日課として歌われる。神を中心とした一つの心は、歌声をあわせて一つになっ ていく緊張と同時に、一つであることを達成した喜びが、神への畏敬の念と、 また感謝の念となって歌われる。病気を癒すために歌われるのではない。精神 の安定を得るために歌う物でもない。しかし、グレゴリオ聖歌を歌うことによっ て、病気が癒される人があり、魂の安定をえる人たちは多い。またこれを聞いて、 癒しと平安を覚える者が少なくないと言われる。 「癒しとしてのグレゴリオ聖歌」のなかでキャサリン・ル・メは興味深い事例を 紹介している。1960 年代の初頭、カトリック教会はいわゆる開放政策へと方向 を転換していく「第二ヴァチカン公会議」を開催した。この会議で、礼拝で使 われてきたラテン語聖書を廃止し、自国語の聖書を用いることを決めた。それ にしたがって、聖歌もラテン語のものを廃止するかどうか、議論が起こった。 ある修道院は聖歌を日々の聖務日課からはずすことになった。ところが、一日 3 ~ 4 時間の睡眠でも元気だった修道士たちが非常に疲れ、病気にかかりやすく なった。睡眠時間をふやしたり、700 年間続けてきた菜食の掟を破り肉とジャガ イモを中心とした食事に変えたりしたが、効果はみられなかった。状況は悪化 するばかりだった。この問題を相談された内科医で耳の専門家でもあるアルフ レッド・トマティス医者が修道院を訪ねると「90 人の修道士の内 70 人までもが、 独居房の中で濡れぞうきんのように落ち込んでいた」。検査をすると彼らはただ 疲れているだけでなく、聴力が落ちていた。そこで「電子耳」という装置を考 案して、試してみた。これは人工知能研究によって試作されたもので二つの回 185 第 9 章 癒しの力 音楽 路を一つの出力系でまとめ、片側からは音が普通に聞こえ、もう片側からは特 に高い周波数がよりよく聞こえるように、フィルターを通した音が聞こえるよ うにした。回路を切り替えて、内耳の筋肉の運動を促し、聴覚の鋭さ・感度を 取り戻そうとするものである。 それに加えてトマティス博士は、毎日聖歌を歌うことを、修道士たちに勧めた。 その後 9 カ月のうちに、修道士たちは聴力をとりもどし、健康も回復し、全 体的に著しく回復した。彼らのほとんどが長時間の祈りと、短い睡眠、計画に 従った労働という何百年もつづけられてきた修道院の生活にもどることができ た。そこから次のようなことが判明するようになった。耳は脳の活動を刺激する。 音の中には聞く者を疲れさせる「放電」音があり、また、エネルギーと健康を与え、 聴力を回復させる力をもった「負荷」音、この二つがある。放電音は低周波で、 負荷音は高周波に富んでいる。グレゴリオ聖歌は 70 ~ 9 千ヘルツの周波数をす べて含んでいて、普通の会話とは非常に違った音だという。修道士たちは中音 域(バリトン)の音域で歌うが、音の共鳴により、その声はより高い周波数の 上音をたくさん生み出している。これらの高音の、主に 2 千ヘルツから 4 千ヘ ルツの範囲が脳を活性化する。 モンゴルで歌われる民族音楽「ホーミー」は音の共鳴で高い音をつくりだす。 歌手の松任谷由美がモンゴルを訪ねてホーミーと自分の歌い方との共通点を発 見するというテレビ特集があった。通常では出せない高い周波数の音を聞くと、 人の脳は敏感に反応し、心地よい気持ちになる。音楽の効用といえる。修道士 たちが毎日のエネルギー補給ができなくなったのは、聖歌を歌わなくなったこ とと関係があることが分かった。 グレゴリオ聖歌を歌う効用については上記のとおりであるが、では聞くこと でエネルギーを受けるのはどうだろうか。それは歌っている修道士たちの深く 安らかな息づかいや、落ち着きから、神への畏敬の気持ち、そして一つになっ ていく感謝というものが、感じられて、聞く者がなんらかの共鳴を覚えるとき、 心の癒しと安らぎを感じているといえる。 音と傾聴 音楽に耳を傾け、傾聴すると、そのなかに引き込まれ、苦痛や悲しみや興奮 や混乱を静めることがある。聞くことで精神が統一され、自分のことで混乱し なくなり、身体感覚が改善される。姿勢がまっすぐになり、自分のいる場所に 楽に居れるようになる。音楽と音楽を聴くものとが一体となり、時間が止まり、 過去も未来も一つになって、満足を経験する。聖歌を歌うことで、息をする呼 吸器の働きが刺激され、聞くことでリズムに引き込まれ、少なくない影響をう 186 第 9 章 癒しの力 音楽 ける。では、日本文化のなかで音楽による癒しはどのようにあらわれているだ ろうか。宮沢賢治の「セロひきゴーシェ」には、一種の音楽の癒しの力があら わされている。 日本の文化の中で・セロひきゴーシェ ゴーシェはオーケストラのチェロ演奏家だが、いくら練習してもうまくなら なかった。練習のとき、間違うので、指揮者はそうじゃないといって気分を害し、 仲間たちには迷惑をかけていた。ある晩おそくまでゴーシェが練習していると、 ねずみの親子がやってきた。ゴーシェの家の床下にいると、どういうわけか動 物たちの病気が治るのだという。そして、子ねずみの病気を治してほしいとた のむ。ゴーシェはチェロの中に子ねずみを入れて、チェロを弾くと、子ねずみ の病気がなおる。すると、夜な夜な動物たちがゴーシェのところに来るように なった。猫やかっこうや子狸がやってきて、そこで練習をすると、練習が楽し くなり、動物たちから新しい霊感を受けて、チェロの演奏は上手になっていく。 「セロ弾きゴーシェ」のなかで宮沢賢治は、日本的な音楽の癒しの意味を語っ ているように思われる。音楽療法家になるためには、これまでのべてきたように、 技術的には二つ以上の楽器をこなし、即興で演奏する能力が求められる。また、 治療を受ける人の状態を理解するために医学や心理学などの知識が要求される。 しかしながら、ゴーシェはまず、自分自身が劣等生でこれ以上はうまくなれな いという限界を感じ、コンプレックスをもっている。それだけに必死であるが、 その必死さが、病気に悩むねずみや、猫やかっこうが苦しんでいる必死さと共 鳴し、それが癒しの力となっていく。ゴーシェは音楽療法家の資格をとろうと しても、とれないかもしれない。しかし、病気を治したのだから立派な音楽療 法家であるといえる。 体感音響 別の角度から音楽の癒しを考えてみようとおもう。からだで聞くという角度 である。動物たちがからだで感じて癒されたという振動音響である。 人は、音を聞くとき、音が出す波長を耳できくが、音がだす振動はからだで 聞いて感じる。胎児はおなかの中で母の声を聞いているといわれる。からだの 中に響く音響振動をからだで感じる。そういう聞き方をしている。そこで、母 親の気持ちが安定していると安定した振動であったり、リズミカルな振動とな り、胎児は安心するという。反対に、母親の気持ちが不安であれば、胎児も不 安な振動を感じていることになる。胎教の大事さが語り伝えられてきた。生ま れたばかりの赤ちゃんは母親の鼓動を感じて安心する。弦楽器の奏者は、自分 187 第 9 章 癒しの力 音楽 の演奏を返って来る音として耳で聞くだけでなく、楽器のなかで振動する音を からだで感じる。体感音響振動という。 打楽器の演奏者エヴェリン・グレーニーは、8 歳のときから聴力を失い、12 歳のときには音が聞こえなくなった。耳が聞こえないので、自分の演奏した音 と伴奏者の演奏する音を確かめる時、自分のからだにつたわる振動で感じ取る という。「 私は演奏するとき、たとえばマリンバの場合、低音は床を通じて下半 身で、中音は胴体で、そして高音は頭部、特に頬骨で感じる 」 と言う。また「女 性バイオリニストが、肩の露出したドレスを好んで着て演奏するのは、あごと 肩で直接、楽器の振動を感じ取りたいからです 」 とも言っている。( 音楽療法 最前線 )。ピアニストは、指先の鍵盤のタッチとベダルの足の先、それに腰から のピアノの振動を聞くという。からだから伝わる振動音が陶酔感を与えている という。野外コンサートに集う若者が強烈な音楽に酔うとき、音の振動を体で 感じているのである。糸川英夫はこの面から「ボーンコンダクション 」 という、 からだで感じる音楽を強調する。それは車が近づく効果音をもつバーチャルリ アリティに応用されたり、自分の好きな音楽を 10 分とか 30 分とか、すわって 体感するボディソニックという椅子などに応用されている。 犠牲・サクリファイス 柳田邦男の場合 わたしはながいこと脳死のことを分かったつもりでいた。ところがこころ の病から自死をはかった 25 歳の次男洋二郎が脳死に陥り、やがて天に翔け るまでの一部始終を見つめるうちに、脳死とは何なのかが分からなくなった。 (「犠牲」) 脳死を人の死と認める法案に対して発言してきた、柳田邦男氏は、ご自分の 次男が自死をはかり、脳死状態となり、11 日後には亡くなっていくという経験 をした。1993 年、洋二郎さん 25 歳の時であった。上に引用した文はその記録の 一節である。生前の洋二郎さんと話したことの流れのなかから、またその死を 意味あるように考えて、臓器提供を決断していく過程が記されている。脳死状 態に陥った息子とその死が分からなくなったというのは親の本当の気持ちであ ろう。その受け入れがたい死を受け入れる、納得をさがし求めてた。犠牲とは、 天才映画詩人タルコフスキーの遺作となった映画「サクリファイス」を見て、 「私 たちの平凡な一日一日が、アレクサンデルがあがなったような「犠牲」によっ て支えられている、と意識することだろう 」 と記した洋二郎さんの批評からと 188 第 9 章 癒しの力 音楽 られている。また、聞くときにはとても感情移入をしていたバッハの 「 マタイ 受難曲」、特にその 47 曲の歌、アリアは十字架につけられるイエスのことを「そ んな人は知らない 」 と裏切るペトロについて、「憐れみたまえ、わが神よ 」 と歌 う悲痛な情感をたたえて繰返す。この受難曲にあらわされているイエス・キリ ストの犠牲の死が洋二郎さんの自死を理解するキーワードとなっている。人工 呼吸器のスイッチが切られ、二つの腎臓が摘出され、遺体は自宅に帰ってきた。 長男がテレビのスイッチを入れると、洋二郎さんが話題にしていたタルコフス キーの映画「サクリファイス」の放映がおわりつつあり、そのシーンにバッハ のマタイ受難曲の 47 曲のアリアが流れていたという。そのあまりの偶然の一致 に驚き、「私は目に見えない大きなもの、すべてを超越したものとして神の存在 への畏怖の念を抱きつつも、全身全霊を投げ出して祈つたことはがなかったが、 この時、私は洋二郎に憐れみをかけ給もうてほしいと心底から祈る気持ちになっ た」といっている。 息子の死を自殺といわないで「自死」と言う父柳田邦男は、そこで、愛する ものを失った悲しみを癒すグリーフケアをしている。息子の二つの腎臓が移植 されて他人の中に生きつづけることと引き換えに亡くなった「犠牲」と意味づけ、 そこに一筋の光明を見出している。そこで、バツハのマタイ受難曲にあらわさ れたイエス・キリストの十字架死にふれている。神を信じてはいないが、祈る 気持ちが湧いてきたという。柳田氏は結局、息子の死という断絶と、移植され た腎臓が他人の中に生きる、生という連続の、ことばに言い表せないことがら を思っている。それはイエス・キリストの犠牲の死の意味をかたるバッハのマ タイ受難曲にふれて、意味を獲得しているようにも思われる。私たちは柳田邦 男氏の癒しの作業・グリーフケアに音楽がもつ癒しの内容に触れる思いがする。 4. 音楽療法 アメリカでミュージックセラピーの効用を一番最初に提唱した、ガストン (T.Gaston1901-70) はカンサス大学で音楽教育をしていた。音楽は薬や放射線治 療では不可能な効用を、うつ病患者、自閉症の子ども、また死の近い患者さん に与えることができる。「音楽がこんなに楽々と人の心に通うことを可能にさせ ていることが、言葉でもできるなら、音楽などはなかったし、また音楽を生むニー ドもなかったでしょう。」という言葉を日野原重明氏は「音楽の癒しの力」 (10 頁) で紹介している。 第二次世界大戦の後遺症をもつ帰還兵が軍の病院で治療されていた。ここに 音楽のボランティアが訪問し、音楽療法の効果に気づくようになった。同じよ うに朝鮮戦争の帰還兵の治療にも効果があったとある。1940 年代の終わりには 189 第 9 章 癒しの力 音楽 音楽団体や大学で養成期間が設立され後に記すように二つの全米音楽療法団体 が生まれた。 日野原重明は、次のようの記している。「音楽療法士は、時宜に応じて要求に 対応できるように、二つ以上の楽器をある程度までこなし、即興的に作曲した り編曲できる。また楽譜なしで伴奏できるような訓練を受けている」という。 日本でもやっと音楽科に「音楽療法コース」が備えられるようになった。活水 学院は 2001 年に音楽療法学科をスタートした。 音楽療法はつぎのように定義される。 音楽療法の定義 音楽療法とは、音楽のもつ、生理的、心理的、社会的働きを、心身の障害の回復、 機能の維持改善、生活の向上にむけて、意図的、計画的に活用して行われる治 療技法である (「音楽療法入門」)。 音楽療法は発達障害、精神障害、高齢者、神経障害をもつ人たちの施設で行わ れている。通常週に一日、一時間というような割合で、おこなわれる。 歌:わらべ歌、簡単な手遊び、歌遊び、グループ歌唱などがある。 歌の種類としては。童謡、消化、合唱曲、懐かしのメロディ、歌謡曲、演歌、フォー クソング、ポップス、ロック、民謡など好みに応じる。 楽器:簡単な楽器から即興、合奏、高度なオーケストラまで。カスタネット、鈴、 太鼓、タンバリン、ハンドベル、CD、カセットテープ、ピアノ、ギター、キー ボード アメリカでは 1950 年に National Association for Music Therapy(NATMT) が設立された、また 1971 年には American Association for Music Therapy (AATMT)ができた。NATMT が承認した大学で音楽療法の教育が行われている 4 年 制大学は 80 校あり、修士課程をもつ大学は 16 校、博士課程を持つ大学が五校 ある。 イギリスとでは 1958 年に British Society for Music Therapy という団体 が作られた。カナダでは 1976 年に Canadian Association for Music Therapy が創設された。アルゼンチン、ウルグアイ、オーストラリア、ドイツ、オース トリアでも音楽療法が行われている。日本では長い間待たれていたが、1996 年 から全日本音楽療法連盟ができて、すでに 500 人以上のの音楽療法士が認定さ れている。ただし、これは国家試験による資格ではない。国家資格を得て専門 職としての評価が待たれる。 音楽療法の効果 1. 患者の注意を苦痛からそらして疼痛の緩和に役立つ。 190 第 9 章 癒しの力 音楽 2. 死に直面する緊張やストレス、過剰な恐怖を和らげる。 3. なつかしいメロディは楽しい思い出をよみがえらせ、灰色の闘病生活に暖か な 灯をともす。 4. 過去の人生から持ち越した問題を解決する手がかりを与えてくれる。 5. 対話とコミュニケーションの糸がほぐれて、思いがけない心の交流を生むこ ともある。 6. 音楽のハーモニーは、患者の精神的な動揺を鎮め、内的な調和を取り戻す助 け となる。 7. 音楽は時間を超越しているため、永遠性への希望を与えてくれる。 8. 残される家族の喪失の悲しみを癒し、立ち直りに導く上でも重要な役割を果 た す。 音楽の三つの作用 (「 音 楽 の癒しの力」) 音楽療法の効果について箇条書きにしてみたが、これを整理すると、音楽が 人のこころとからだにもたらす三つの作用があげられる。 その一は、メロディである。懐かしいメロディは頭脳に作用し記憶をよみがえ らせる。第二は、リズムである。リズムは循環器に作用し、呼吸を整え、脈拍 に作用する。手足の運動や血液の循環、物質代謝に作用する。第三はハーモニー である。人の音を聞いたり、リズムに自分を合わせるので、内的な調和を得さ せる。というのは、病気はこの三つの要素の乱れから起こると考えられてきた からである。そこで、もっとも適した楽器を演奏して病人に聞かせる。病人自 身に演奏させることで、乱れた調子を直すことができる。 喘息の患者が呼吸のリズムを乱すとき、息が上手にできなくなる。それと同 時に手足の筋肉が弱くなる。そういう時には、リズミカルな音楽で呼吸のリズ ムを直し、同時に手足を動かせて、筋肉を強くすることができる。呼吸を整え るために、音楽は効果的なのである。乳癌の患者は、呼吸が浅く、体温が低く て、冷たい性格になりやすいが、その患者を治療するのに、二つの竪琴 ( ライア ) を用いて、音楽療法士と患者とがともにライアの上に手をあてながら、手でラ イアをなでる。テンポがだんだん速くなると、呼吸は深くなり、体温は上がり、 患者は温かい性格になってくる。また、うつ病を病む患者は、気持ちがさえず 動作がゆったりしてくる。朝はなかなか起きあがれない。そういう患者には、 メロディとリズムでアクセントをつけて演奏する。そのことによって、病む心 がよい意味で刺激される。そして病人の心が開けて気持ちが明るくなってくる ことがある。 また音楽の麻酔作用も指摘されている。すばらしい演奏を聞くと感動して、か 191 第 9 章 癒しの力 音楽 らだが震え、涙が出てくる。そのとき、脳内物質の一緒であるエンドルフィンが 分泌されるというのだ。人の脳は苦痛の中でエンドルフィンを分泌する。すると、 あっという間に痛みがやんで、幸せな気持ちになり、陶酔するような時を迎える。 モルヒネの 30 倍の鎮痛作用があり、依存性がまったくない。音楽の癒しの作用 の一つは、このエンドルフィンの分泌によるという説もある。先に述べたグレ ゴリオ聖歌やホーミーの音楽が共鳴して人を心地よくし、元気づけるというの もその事例と言える。(http://www.cyoki.com/career/dictionary/30.html) 教育目標 1. 良き音楽療法家として必要な基本的知識と基本的技能を修得し、将来、音楽 療法士、音楽療法研究者、ならびに教育者などの音楽療法関係領域に発展する 素養を身につける。 2. 自ら問題を的確にとらえ、音楽療法の分野のみならず、自然科学的、社会学的、 心理学的方法を統合し、適切に解決する能力を修得する . 3. 知識、技能、態度を自ら評価し、生涯を通じて自学自習を続け、それらを 向上させる態度、習慣を身につける。 必要単位数 音楽専科 40、音楽療法 24、心理系 14、医学系 12、福祉・教育 8、外国語 12、 教養 12、保健体育 2、合計 124 ( 大学卒業のための最低必要単位数 124 単位 ) カリキユラム 音楽専科 (40 単位 ) 音楽理論 : 音楽理論 / 通論、美学 ( 音楽 )、和声学、作曲法、編曲法、鍵盤和声、 対位法、音楽構成論、楽式論、楽曲分析、演奏解釈、芸術社全学、音楽社会学、 音楽音響学、コンピュータ音楽 音楽史 : 西洋音楽史、日本の音楽、西洋音楽史各論、演奏様式論、民族音楽学、 日本歌謡史 演奏 : 専門楽器の演奏、ソルフェージュ、ピアノ、声楽、器楽、合唱、合奏、指揮法、 ギター、リトミック、ムーブメント、 音楽療養分野 : Ⅰ . 概論、音楽療法概論、 Ⅱ . 音楽療法 1( 基礎 )、音楽療法の理論と技法、治療構造論、 Ⅲ . 音楽療法 2( 臨床 )、音楽療法各論 I、昔楽療法各論 II、音楽療法各論Ⅲ Ⅳ . 音楽療法 3( 技法 )、即興演奏・伴奏法、作曲・編曲、器楽・指揮 Ⅴ . 演習、演習・グループ体験、施設実習・社会体験、Ⅵ卒業研究、卒業論文 心理学分野 : 健康科学、心理学概論、臨床心理学 I・II、音楽心理学 192 第 9 章 癒しの力 音楽 医学分野 (12 単位 ) : 医学概論、一般治療学、臨床医学総論、臨床医学各論、関 連医学、福祉・教育分野、教育原理、音楽教育学、障害学、社会福祉概論、地 域福祉論、老人福祉論、児童福祉論 音楽療法士とは 音楽療法士とは、音楽を通して、心のケアを行うスペシャリスト。高齢化が 進むにつれ、ニーズは高まっていくと予想される。 こんな仕事 音楽療法とは、心理療法の一種で音楽を通して、心身障害児、高齢者の心を 癒すスペシャリストである。最近では、ストレスを抱えている人々にも効果が あることが分かってきた。2000 年現在、日本には 433 名の音楽療法士がいると いう。 仕事にするためには? 日本音楽療法学会が「音楽療法士」の資格認定を行っている。書類(音楽療 法の知識、講習会・学会への参加、臨床経験、研究発表、論文、教育指導経験 など)と面接で審査される。昨年らかは教育機関を修了し、筆記試験に合格す れば、資格取得ができるようになった。有資格者を対象とした研究会には、同 じ志を持ったさまざまな人達が集まる。基礎知識を学ぶだけではなく、情報交 換の場として、活用するのも良いだろう。 ひとくちメモ 資格を取得した後も、5年ごとに更新の審査が行われる。というのも、音楽 療法士の質を落とさないためだ。現在、学会では資格が国家認定となるように 運動をしている。 音楽療法を取り入れているところとしては、老人ホームや身障害児施設など がある。しかし、資格を取得したからといって、就職するのは難しいだろう。 まだ未知の分野であるため、ボランティア要素の方が強いのだ。 また、自閉症の児童や痴呆症の老人に対して、効果が出るまで待たなくては ならない。根気のいる仕事なのだ。しかし、その分、手ごたえを感じたときの 喜びはひとしお。得られるものは大きいのだ。 ストレスを抱える人々が増え、また高齢化が進むにつれ、音楽療法士のニー ズは高まっていくと予想。介護福祉士の中にも、音楽療法士の資格を取得した い人がいるそうだ。また、音楽療法の効果を認める自治体も出てきた。これか らの時代、音楽療法士は必要不可欠な存在になるであろう。ぜひとも注目して 欲しい職業である 193 第 9 章 癒しの力 音楽 以下に音楽療法の関係団体をしるす。多いので 5 つを抜粋した。 音楽療法の団体 名称 / 代表者 / 場所 石川音楽療法研究会,田端修,石川県加賀市 九州音楽療法研究会,斉藤雅,福岡県北九州市 財団法人東京ミュージックボランティア協会,東京都新宿区 全日本音楽療法連盟,日野原重明,東京都新宿区 ※新しい情報はインターネットで「音楽療法」を検索して確かめてください。 194 第 9 章 癒しの力 音楽
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