ユニクロとしまむらの創業と経営戦略

駒澤大学 小林ゼミ 2007 年度 卒業論文
ユニクロとしまむらの創業と経営戦略
湯本
1
2
裕章 1
序論
ユニクロとしまむらの創業
2.1. ユニクロ・柳井正
2.2. しまむら・藤原秀次郎
3
ユニクロの経営戦略・業態構造と今後の展望
3.1. ユニクロの成長
3.2. ユニクロの経営戦略と業態
3.3. ユニクロの今後
4
しまむらの経営戦略・業態構造と今後の展望
4.1. しまむらの成長
4.2. しまむらの経営戦略と業態
4.3. しまむらの今後
5
結論
文献一覧
1.
序論
日常生活において必ず洋服を着る。日頃からユニクロを利用していて、何故ここまで安く商品
を展開できるのかと思った。一方、しまむらは地方によくあるが、売上がいいというのをネット
で見たことがある。
現在、ユニクロとしまむらは国内アパレル小売業で断トツの勝ち組として君臨している。今で
はユニクロは知らない人はいない企業である。一方のしまむらはローカル出店ながら知名度は低
くない企業である。馴染みのあるユニクロと馴染みの薄いしまむらであるが、国内アパレル企業
では両社とも無類の強さを誇る。そこで、本論では両社の経営戦略について説明していきたい。
2 章では、ユニクロの柳井正、しまむらの藤原秀次郎の 2 人の社長について、創業について説
明していく。
3 章では、ユニクロの経営戦略・業態構造と今後の展望について説明していく。
4 章では、しまむらの経営戦略・業態構造と今後の展望について説明していく。
以上のことから、両社の経営戦略をうまく比較していき、違いをわかりやすく鮮明にしていき
たい。
1
ゆもと
ひろあき
駒澤大学経済学部経済学科 4 年
EK4260
2.
ユニクロとしまむらの創業
2.1.
ユニクロ・柳井正
柳井の持論として、経営はまず結論ありきというものがある。企業として目指すところをまず
決めて、そこから逆算して今出来ることやしなければならないことに全力で取り組むというスタ
イルである。柳井は社員に「高い志を持て」とよく言う。これは、人は安定を求めるようになる
とそこで成長が止まってしまうため、高い目標を掲げて、それに向かって実行努力することこそ
重要である。目標は低すぎてはだめで、到底無理だと思われる目標でも綿密に計画を立てて、そ
れを紙に書き、実行の足跡と常に比較して修正していく。そうすれば大体のことはうまくいく。
大事なことは諦めないことなのである。こういったところから売上 1 兆円を目指しているという
ことが伺える。この売上 1 兆円を目指すために組織改革を行ってきた。
柳井は大学卒業後に父の薦めでジャスコ(現イオン)に入社したが、仕事そのものが面白くな
く、こんなことをしていていいのかと思ったりしていたが、何かやりたいという明確な意思もな
かったため、仕事を真剣にやろうという気が起きなかったのである。わずか 10 ヵ月で退社してし
まった。その後、アメリカに留学をしようと考えていたが父の説得により故郷の宇部に戻り、父
の経営していた小郡商事に入社することを決意した。わずかな間ではあったがジャスコで仕事の
流れや仕組みを実体験しているため、小郡商事の品揃えから仕事の流れなど店全体に効率の悪さ
を感じていた。グレードの高いスーツを売っていても回転が悪すぎる。赤字になっているわけで
はないが儲かってもいないのである。これではだめだと考えて、当時の幹部 6 人に自分の考えを
言った。そのうちに幹部が続々と辞めていき最後は 1 人だけしか残らなかった。このとき父は何
も言わなかったが会社の大事な通帳と実印を渡されたのである。会社を潰す覚悟があるなら俺の
目の黒いうちだったら何とかするということであった。これにより、経営を任されるようになっ
た。紳士服を売っていたのだが、小郡商事は小規模だったため限界を感じていた。このときに郊
外型店でカジュアルショップをやったら面白いのではないかと思い始めていた。年に 1 度アメリ
カやイギリスに行き最新のファッション情報を集めに行っていたのである。そのときアメリカの
大学生協に寄る機会があった。ここでは学生の欲しいものがセルフサービスで置いてあった。ま
た当時は日本でDCブーム 2 が起きていた。これは高価なため 10 代の子供達には手が出せない。そ
こで 10 代の子供達向けに流行に合った低価格のカジュアルウェアをセルフサービスで提供でき
ないかと思い、ユニクロという社名に変えたのである。これが 1 つ目の改革である。
2 つ目の改革は、軌跡の V 字回復とフリースなどによる絶好調の時代である。ここで後に社長
に就任する玉塚氏が中途入社してきている。フリースキャンペーンと原宿店出店でユニクロは完
全に蘇った。テレビ、新聞、雑誌などで広告を掲載したことが功を奏しフリースは爆発的に売れ
た。売り切れも続出した。このとき柳井はこんなに売れる商材はなく、自信を持っている商品を
展開し続けることが大事だから 1200 万枚売りたいと言ってのけたのである。
3 つ目の改革は、柳井社長が辞任して玉塚社長が就任したときである。この頃ユニクロはフリ
ースブームの後に、フリースの相乗効果で他のものも売れるのではないかという勘違いをしてい
た人間が存在していたのと、新鮮味のある商品を投入できなかったことにより業績が落ちていっ
た。このときに柳井は当時副社長だった玉塚氏に社長を引き受けてくれと頼んだのである。新社
2
1980 年代中盤にブームになったデザイナーズブランドとキャラクターズブランドの総称。
2
長を中心に若手の経営チームが下の人たちと一緒になり、お客様志向、現場志向で商売を作らな
ければいけない状況であった。経営者が現場に出て、お客様を見ながら、自ら問題点などを発見
して解決していくのを期待していた。しかし、玉塚社長は堅実な経営をしていたため、2010 年売
上高 1 兆円を目指している柳井にはそれがどうしても我慢ができなかった。その結果、玉塚氏は
更迭されて柳井が社長に復帰した。4 つ目の改革は、持ち株会社制に移行したときである。
柳井は 60~65 歳の間で経営の第一線から引退することを考えている。その後は投資家として
一生を送るつもりでいる。柳井は事業会社のユニクロと、それを監督する持ち株会社のファース
トリテイリングの両方の代表取締役会長兼社長(CEO)を務めている。これがいびつな構図であ
ると本人も認識している。ユニクロの社長交代は急がなければならないのだが、柳井は人選に関
しては念には念をと焦らないようにしているのである。
何故 60~65 歳で引退をしようと考えているのかというと、体力と集中力の衰えと柳井が言って
いることが掛け声だけで終わってしまう恐れがあると感じ始めたからである。経営はスポーツみ
たいなもので、チームリーダーとして先頭に立ち自分の体力で全員を引っ張っていけるうちはい
い。しかし現在 50 代半ばになった。チームの主体が 30 歳代、40 歳代になってきたので、同じよ
うな年代の人達が構成する経営チームが、その仲間全員をこういう企業にしたいと考えてその方
向に引っ張っていく方がいいのではないか。年代が離れれば離れるほど、意思が伝わりづらくな
る。このような思いを持っているため、柳井は自分一代でまだ目が黒いうちに世界一へと駆け上
がりたいと思っている。
2.2.
しまむら・藤原秀次郎
藤原は 1963 年に慶應義塾卒業後、実家のフジワラストアを手伝っていた。その後、1970 年に
島村呉服店(しまむらの旧社名)に入社する。藤原が入社した 2 年後に現在の「しまむら」に社
名が変わった。藤原はしまむらを大きくした経営者ではあるが創業者ではない。入社した当時の
島村呉服店は創業してまだ 2 年の小さな会社であった。呉服から実用衣料へと切り替えている途
中であった。藤原は小さな会社の方が成果がすぐに出て面白いということで経営にのめり込んで
いった。企業拡大を夢見ていた島村社長は若いのに飛びぬけて優秀な藤原の才能に惚れ込んでい
た。その資質を見抜いて早くから会社の実務を任せていった。取締役、専務取締役、代表取締役
専務、社長ととんとん拍子に出世していった。それ以前から実質的な権限を持って事業拡大も行
っていた。
藤原は極めて合理的な考えの持ち主であった。しまむらの高精度な物流システム、店舗運営体
制を単独で作り上げた。また、総合スーパーとの競合を避けて、日用衣料専門チェーンを選んだ。
後発企業では勝負にならないという冷静な発想がそれを可能にしたのである。早くから在庫管理
の重要性も認識していた。そこで藤原はコストがかからないようにするために自分でソフトを作
ってコンピュータによる在庫管理を進めた。
藤原はもう 1 つ考えを持っている。それは自由と公平である。企業として大事にしているもの
を優先順位で従業員、顧客、株主としている。従業員にとって会社は常に働きやすい場所でなけ
ればならないから自由と公平が最低限保障されている。自由と公平が社内に浸透して、しまむら
特有の仕組みが稼動しているのかもしれない。この藤原の考えが同化することによって他社に負
けない独自のパワーとオーラ、企業としての輝きを発し続けてきたのである。
3
3. ユニクロの経営戦略・業態構造と今後の展望
3.1.
ユニクロの成長
ユニクロは顧客志向に立ち、原価低減という利点をできるだけ早く消費者に還元することを企
業としての差別化の基本戦略としていき、勝ち組アパレル企業となった。また、ユニクロが勝ち
組になれたのは完全 SPA 方式(Specialty Store Retailer of Private label Apparel:製造小売業)
によって 100%自社物流にし、問屋を不要にしたことも挙げられる。
ユニクロの成長の要因は、会社を変革する力を持っていたことである。常に過去の成功体験を
否定して、冷静に自社の限界を見定めて、企業構造と状況そのものを根底から作り変える強い意
志とエネルギー、速さが備わっているのである。今までに大きな変革を 4 回行ってきたのである。
1 つ目が、1984 年に父が経営をしていた小郡商事の社長に 35 歳で就任し、普通のメンズショ
ップが当時ではとても珍しかったセルフ方式のカジュアルショップに生まれ変わり、ユニクロの
1 号店をオープンさせた。ユニクロという店名の由来はユニーク・クロージング・ウェアハウス
(無駄を省いた倉庫型店舗)の略称から来ている。2 つ目が、1991 年に社名を小郡商事からファ
ーストリテイリングに変更し、カジュアルショップからカジュアルチェーンへと変えた。ファー
スト(速い)リテイリング(小売業)とはファーストフードのようにいつでもどこでも誰でもす
ぐ着られるアパレル小売業を目指すという意味合いで付けられたのである。3 つ目が、1998 年の
原宿店のオープンと、大々的に行われたフリースのキャンペーン。4 つ目が、2002 年に退任した
柳井が 2005 年に社長に復帰し、ファーストリテイリングを持ち株会社へと移行させた。ここで
世界に通用するユニクロを掲げ、2010 年には売上高 1 兆円を目標とした。このように節目で変革
を行い今までとは違う会社にしていくことにより過去に対しての安泰した姿勢を切り捨てていき、
常に成長していくことを行ってきた。
1994 年には直営店が 100 店舗を超えるなどの初期における成功を収めた。この成長要因は、低
コストで済む中国で調達型の SPA 体制を早くに確立させ、規格が統一された標準型の店舗を郊外
の国道沿いなどに先手先手でいち早くオープンさせて量産を行い、店舗を完全なる本部主導型で
オペレーション化とマニュアル化を図り自動販売装置化し、対象とするターゲットを幅広くして
小さな商圏でも成り立つカジュアルコンビニエンスという新しいものを作り出して築き上げ、商
品アイテムを絞り込むことでロットを拡大し品質と価格の価値観を最大限高めたことである。
ここで、ユニクロはカジュアルウェアという概念を変えた。これは従来のものには捉われずに
限られたカジュアル市場に自らを押し込めることなく、そこで解き放たれたところで新しいカジ
ュアルマーケットを自ら作り出し、開拓していき、拡大していった。また、
「いつでも、どこでも、
誰でも着られる、ファッション性のある高品質のベーシックカジュアルを市場最低価格で継続的
に提供する。その為にローコスト経営に徹して最短、最安で生産と販売を直結させる」という常
にぶれない明確な企業理念があった。作業において、細かいことまでマニュアル化し、小売経験
がなくても店舗要員として即戦力化する体制を作った。これらのことが成功の最大の要因である。
しかし、成功は長くは続かなかった。1997 年に店舗数は 300 を超え、波に乗りファミリーカジ
ュアルの「ファミクロ」
、スポーツカジュアルの「スポクロ」と2つの新しい業態を始動させた。
当初、この 2 つは成長の柱として期待されていたが、結果として 2 つとも思うように行かずに 1
年経たずして全店閉店を余儀なくされた。要因として、ユニクロとの商品における差別化ができ
なかったこと、そして両業態の区分が不明確で既存のユニクロを含めて、消費者に混乱と不便を
4
与えたことにある。2002 年には「エフアールフーズ」を立ち上げて「SKIP」というブランドで
食品販売事業も始めたが、こちらも成功せず 2 年で撤退している。これと同時に既存店の売上も
大幅に下落。この 2 つの挫折よりも大きな問題だったのは、既存店の売上が大幅な前年割れをし
たことだった。新規出店は好調に行っているため連続増収増益は確保していた。しかし、既存店
が低迷していたために、収益力に陰りが見えてきてしまったのである。これにより業績の下方修
正を行った。これがユニクロの初めての挫折である。失敗の要因としては、あえてマーケットイ
ンの発想を否定して、長いリードタイムを要する海外からの調達商品を有無を言わさずに店に押
し込んだ。これは、消費者のことを考えずに売り手中心に考えたプロダクトアウト型を強引に押
し付けていたためである。
だが、1999 年 8 月期に一転して奇跡の V 字回復を遂げた。これを実現させたのは矢継ぎ早の
改革であった。
1 つ目は、柳井正社長を含む役員陣を総入れ替えし、外部からのスカウトで集められた 30 代の
エリート達が役員となった。2 つ目は、本部主導からお客様にもっとも近く、お客様の声やニー
ズなどを素早く聞くことができ、それに合わせ商品の補充や売場の見直しを行える店舗主導へと
切り替えた。このような 180 度の方向転換を行うに際して「ABC(オールベターチェンジ)改革」
という抜本的な改革を打ち出した。これは、本部は考える人、店舗は実行する人だったのを、店
舗を含むすべての現場で考えて実行すること。売れるものをどう作るかという顧客ニーズ対応ス
タイルである。
この回復の最大の要因は前述したフリースの歴史的な売上と原宿店のオープンである。フリース
は、1998 年秋冬で 200 万枚もの大ヒットを飛ばした。翌年には 850 万枚を売り、次の 2000 年秋
冬には 2600 万枚を売るという世界の衣料品販売の歴史に残るような大記録を打ち立てた。原宿
進出は、
「郊外店のユニクロが都心のど真ん中に逆進出」とテレビや新聞、各種雑誌への広告出稿
などでマスコミが商品を取り上げた効果もあり飛躍的に知名度も上がった。
2005 年に社長に復帰した柳井は非常事態宣言を出し、大きな改革に乗り出した。
(株)ファー
ストリテイリングを持ち株会社に移行させ、事業会社として(株)ユニクロを分離させた。再ベ
ンチャー化、グローバル化、グループ化の 3 つを実現することを前提に持ち株会社制に移行した
のである。目的として、①グループ企業のコーポレートガバナンスの確立②優秀な経営者人材の
獲得と育成③新規事業や M&A によるグローバル化とグループ化の実現の 3 つが挙げられる。中
核事業会社になったユニクロにおいては、徹底した委任型執行役員制度を敷いている。また、企
画管理部、マーケティング部、生産管理部などと機能別だったのを商品事業部ごとに組織化して
責任の所在を明確にするようにした。東京、ニューヨーク、パリ、ミラノなどの世界の各主要都
市に MD(マーチャンダイジング:商品化計画)の拠点として R&D(Research&Development
=商品開発)センターを設置した。また、海外への店舗展開にも力を入れている。2005 年までに
イギリス、中国(上海・北京・香港)、韓国、アメリカに一気に 10 店舗をオープンさせた。2006
年秋にはニューヨークのソーホー地区に世界の旗艦店をオープンさせた。海外への店舗展開と同
じように積極的に行っているのが M&A と新規事業の開発である。M&A では 2006 年までに子
会社を 6 つ持つほど行ってきた。新規事業は、ジーユーというブランドを開発した。ユニクロよ
りも 3~4 割安いもので、ダイエー既存店を中心に店舗展開を開始した。これらの試みによりユニ
クロは、ユニクロ事業 7000 億円(国内 6000 億円、海外 1000 億円)、他ブランド事業 1200 億円、
ジーユーを含む新規事業 3000 億円、合計 1 兆 1200 億円のグループ売上達成を目指している。こ
5
れはユニクロが本気で世界を取りに行こうとしていると言える。
3.2.
ユニクロの経営戦略と業態
ユニクロの経営戦略は特徴的である。1 つ目は、完全 SPA である。SPA は他社に対し競合優位
に立つための切り札であると同時に、企画が外れればそのシーズンを棒に振り、下手をすれば企
業イメージのダウンに直結するという大きなリスクと隣り合わせなのである。
ユニクロが SPA に開眼したのは 1986 年に柳井が安い仕入先を探しに香港に行ったときである。
このときに SPA 企業のジョルダーノ社(当時、アメリカ・リミテッド社のサプライヤーとして成
功)のジミー・ライ会長を訪れた。ライ会長の話を聞いているうちに、自分にも同じことができ
るのではないかと思ったのである。これが SPA をやろうとしたきっかけである。1984 年にユニ
クロ 1 号店をオープンさせて、翌年の 1985 年から数店のペースでチェーン出店を始めて完全 SPA
チェーン化に向けて布石作りがスタートした。1988 年には全店に POS(販売時点情報管理)を
導入して、在庫管理システムの構築に着手した。1989 年には、素材段階からの自社企画商品の開
発体制強化のために商品部事務所を開設し、物流業務強化のため配送センターを設置して、将来
の成功を見越した先行投資をして準備を進めていった。このように店舗網、本部管理システム、
オリジナル開発商品の調達体制が整い、曲がりなりにも SPA チェーン化の目途がついた 1991 年
にファーストリテイリングと社名を変更した。ユニクロが SPA にこだわっているのは、マーチャ
ンダイジングの根幹に据える「高品質・低価格なベーシックカジュアル」を提供するためである。
ベーシックカジュアルとは、日常を快適に過ごせて老若男女誰でも着られるしっかりとした普段
着である。
SPA をやるにあたり開発輸入先は中国が主体になっている。このように中国からの直接調達体
制をとる小売業や量販店は多いが、ユニクロはその他の企業とは違い、商品の完成度に対する強
いこだわりと執念を持っている。通常はコストとプライス戦略の面のみから中国などのアジアを
生産基地として利用しているが、ユニクロは違う。クオリティで妥協をしないために、早くから
中国にバイイング事務所を開設し、商社に任せっきりにせず中国の縫製工場と直接折衝、発注体
制を整えている。また、日本からも担当者が現地へと頻繁に足を運び、きめ細かい生産・品質管
理に当たってきた。さらに、欧米巨大小売業の PB(プライベートブランド)や著名ブランドを手
がける中国の一流工場の開拓をいち早く進めてきた。だが、そのような工場は世界的小売業や有
名アパレルメーカーから引っ張りだこのため、取引になかなか応じてくれなかった。そのためア
イテム数を絞り込んで 1 アイテム当たりのロットを数万~数十万枚と拡大して他社よりも有利な
条件で契約を結んでいったのである。ユニクロのアイテム数は色やサイズのバリエーションを別
にすればワンシーズン 350~400 と極端に絞り込まれている。これは通常のカジュアルショップ
に比べて 3 分の 1~5 分の 1 の水準である。この大胆なアイテム絞り込みが SPA の優位性を最大
限引き出す究極の手法である。こうしてフリースやカシミアセーター、チノパン、スキニージー
ンズなどの単品大量 MD による大ヒットを飛ばしてきた。それらの商品の売り逃しを減らすため
にシーズン入り後の追加生産と販売体制を徹底して強化してきた。これが基本的なユニクロの
MD 戦略である。
2 つ目は、店のオペレーションが店舗主導である。ユニクロのように少アイテムでリピートオ
ーダーが主体なら現場の判断が重要なため店舗主導が適している。
ユニクロの営業店舗はエリアで東西 2 部、それぞれ 7 ブロックに分けられ、組織は東西 2 名の営
6
業部長に 7 ブロック×2=14 名のブロックリーダーで構成され、その下に 120 名の SV(スーパ
ーバイザー)がいる。この本部要員が全国に展開している店舗を上意下達方式で管理するイメー
ジがあるが、実際はその逆である。店長が会社やチェーンの問題を発見できないようではダメで、
課題や問題点はあくまで店舗で発見して、店舗の人が考えて、そのことを 1 番効率よく支援し、
店長と相談して効率的な仕組みを作るのが本部の役割なのである。つまり、本部は店舗を支援す
るための存在であるため、本部で考え、店舗で実行はあり得ない。しかし、店長の能力によって
売上が大きくばらつく事態が起こる可能性もある。店舗に一定以上の異常値が出れば自動的に本
部から商品を送り込むセーフティネットシステムを稼動させる。これはお客様に対してはとても
よくないことだが品切れなどで迷惑をかけないために仕方なく行っているのである。本来ならば
店長が現場で 1 番優秀なはずである。少なくとも SV やブロックリーダーとは同等以上にやりあ
っていき、全体の MD やチェーンそのものを進化させなくてはならないのだが、今はまだ店舗主
導体制は道半ばである。
3 つ目は、物流に関しては完全アウトソーシングである。ユニクロは、日本はいつもコストが
高いから自社の物流センターは持たないことにしている。物流加工も海外工場で直接行っている。
物流戦略は、より早くより丁寧、より確実でより安いソーシング先を探し委ねるのである。納入
された商品は関東と関西にそれぞれ 2 ヵ所の賃貸の大型配送センターに送られる。配送も外部に
委託している。物流センターからは主要商品は色、サイズ別に週 3 回の店舗からの注文に応じる
体制が整えられた。色ごと、サイズごとの欠品に素早く対応できるようになっている。
4 つ目は、人材開発に関してはスペシャリスト育成である。店舗主導体制を敷いているので店
長職は最も重要である。この店長というスペシャリストの育成が人材開発で最重視している課題
であり、目的である。柳井社長は「チェーンストア小売業の店長が目指すべき最終型にして最高
の姿は FC(フランチャイズ・チェーン)のオーナー店長のはず」と言っている。この考えを参考
にして行われている人事制度が、SS(スーパースター)店長制と FC オーナー店長制である。SS
店長制は 1999 年からスタートした。在庫調整、陳列や店発注権など多くの自由裁量権を与えて、
店の営業利益目標の達成度をボーナスに直接反映して店長ごとの年収に大きな差が出るようにし
た。ただ現在、SS 店長は全国で 8 名と少ないのが現状。FC オーナー制は審査基準が厳しい。①
ユニクロ在籍 10 年以上②ユニクロの哲学を肌で理解している③店長か SV の経験が 3 年以上④FC
店が立地する土地に本人か家族何らかの所縁がある⑤自己資金(約 1000 万円)の用意ができる、
の 5 点である。ここから役員会の審査を経て、最終的に会長・社長面接(妻帯者は奥さん同伴)
にパスしなければならない。このように、とても難しい狭き門のため少数派なのである。人事制
度も店舗主導同様に道半ばなのである。
3.3.
ユニクロの今後
ユニクロは、売上高 1 兆円を通過点として、さらに成長する世界のメインプレーヤーになる。
また革新的なグローバル企業を作り、世界一のアパレル小売業グループにするというビジョンを
持っている。このビジョンを実現させるためにユニクロは動き出しているのである。
ユニクロの MD は時代やニーズに対応したものを出すようになってきた。単品訴求からトータ
ルコーディネートへと変化した。これまでユニクロは 1 アイテム単独完結型の単品集積売場が特
徴的だった。そのため、テーマ別、スタイル別に分類・編集された商品の展開は革命的なのであ
る。ここから従来のユニクロでは見られなかった商品が出てくる。スキニージーンズに代表され
7
る先端トレンドを取り入れたコア商品や、デザイナーズ・インビテーション・プロジェクトのよ
うな新たな取り組みが開発された。このような革新的な MD 戦略を可能にしたのは R&D 本部の
力が大きい。この R&D 本部が設置されたのは第 3 世代 SPA を実現させるためだった。第 3 世代
SPA とは、情報発信製造小売業である。これはまだ世界になく、いち早く移行したものが勝者に
なる。第 3 世代 SPA は単なる SPA ではなく、ポスト SPA としてお客様にとって買いたい理由の
新しい発見と提示が事業全体を動かす新しい概念となる。ちなみに第 1 世代 SPA は単品を売って
成功した SPA(代表は GAP、リミテッド)、第 2 世代 SPA はファッションとトレンドを売って成
長した SPA(ZARA(スペイン)、H&M(代表はへネス&モーリッツ/スウェーデン)である。第
3 世代 SPA はマーケットイン型 SPA で、現場の情報と反応もシステム的に反映される双方向型
のコンセプトともの作りである。
MD が変わっただけではない。VMD(ビジュアル・マーチャンダイジング)と接客強化にも取
り組んだ。売場では演出と提案、お客様にわかりやすい説明が求められるようになった。マネキ
ンでコーディネートを見せるなどの工夫や、積極的な接客アプローチを行った。既存店の売上を
伸ばしていくためにはこの 2 つが重要になってくる。
また、新規出店にも積極的である。大型店開発をユニクロは今後の成長エンジンとしている。
これは 1 番競争力のある、1 番新しいユニクロを表現する場は大型店しかないと考えているので
ある。大型店だからできるマンスリーコレクション(ウィメンズ)など標準店にはない MD と特
化商品は人気があり、これは大型店ゆえ提案と強化が可能なのである。また、各商品部門別の小
型専門店の開発も行っている。婦人インナー、キッズ、ウィメンズだけを取り扱っている。この
ように 10 坪から 1000 坪までの変幻自在な業態開発による立地、商圏、施設を固定概念で選ばな
いマルチ出店戦略を行ったのである。
そして、国内外問わずに M&A も積極的に行っている。この目的は、事業構築の時間の節約、
世界トップクラスの経営者の獲得、ファーストリテイリンググループに足りない機能、強化すべ
き機能の獲得、海外事業のプラットフォーム化である。しかし、これは 1 兆円構想実現のためで
ある。
4.
しまむらの経営戦略・業態構造と今後の展望
4.1.
しまむらの成長
しまむらはバブル崩壊後の 1990 年代、特に婦人服において衣料品の単価ダウンによるデフレ
現象が起こったにも関わらず安定的な売上と利益を拡大していった。しまむらには実質的な競合
相手がいない。決して他社を寄せ付けない最強の体質を作りあげたのである。最強の体質とは、
業界一の規模の大型店で低坪効率・低粗利益率にも関わらず高い営業利益を叩き出すシステムの
ことである。これを可能にするのが経費率の低さである。しまむらは 21.7%(ユニクロは 29.0%)
である。これは上場アパレル小売チェーンで最も低い数字である(ユニクロは 2 番目に低い)。こ
の経費率の低さが、価格競争力を含む様々な顧客満足戦略を可能にし、売上の増大に繋がるので
ある。
しまむらは当初はごく普通の総合衣料品店であった。1970 年代半ばからオーナーの島村が会社
を大きくしようと考えた。GMS(総合スーパー)や SM(食品スーパー)をやろうと研究をした
が後発企業のため面白くないし先が見えるからと断念。スーパーは食品で売上を出し、衣料品で
8
儲けを出している。低い坪効率でも利益を出せる仕組みを作り、チェーン化させようと考えたの
である。しまむら 1 号店がオープンしたときからチェーン化を前提にセントラルバイイング(本
部集中仕入れ)を開始した。1975 年には、まだ数店規模ではあったがコンピュータを導入して、
同時に物流の合理化を目指してトラックのチャーター契約で専用便を運行した。店舗数が 30 店近
くになった 1981 年には全店舗をオンラインで結び単品管理を始めた。商品の売れ行きや在庫を
中央で把握するために完全に数値化したのである。このときは手探り状態のシステム化だったが、
多店舗化するにつれての中央コントロールの強化を図っていた。1984 年埼玉県川口市に物流セン
ターを建設した。このとき店舗数は 50 程度に過ぎず一般的には自前の物流センターなどほとんど
必要ではない。だが、このときから多店舗展開と物流網の構築を意識していたのである。川口物
流センターは、単に物流の拠点ではなく物と情報の融合と集中を図り、店舗での検品を自動化す
ることによって仕入れ伝票を廃止し、店舗への夜間定時配送などの改革を断行することで納品検
収業務を大幅に合理化した。この頃から高度な物流システムの原型が築きあげられていた。4 年
後の 1988 年には大宮に商品センターを建設して川口から移転させた。店舗展開よりも早く基盤
となる物流体制を作っているのが特徴的である。その後、1993 年福島、94 年岡山、犬山、99 年
桶川、2000 年北九州、盛岡と全国に商品センターを設置していった。物流網を構築し始めた翌年
の 1985 年にはしまむら独自の制度であるコントローラー制を敷いている。コントローラー制は
全店の在庫管理や店間移動、売場オペレーションなど現場作業全般の指示を出す本部要員のこと
である。
しまむらにも転換期は訪れた。しまむらの客単価が落ちてきたのである。これは競争の激化が
原因である。デイリーファッションをメインにチェーンとして日用衣料を展開していたのはしま
むらだけだが、既存の大手スーパーが同等の商品を同水準の価格で大量に店頭に並べていったの
である。また、商品の数があまりにも多すぎて自分の欲しいものを選ぶのがとても困難である。
要するに目玉商品がないためどれを見たらいいのかと困るのである。順調に店舗展開を行ったと
いうことで飽和状態にもなってしまった。そこで、ポスト・しまむらとも言うべき次の成長へ向
けた業態の構築が求められた。その第 1 弾が 1997 年に始まったヤングカジュアルのアベイルで
ある。アベイルは、男性用と女性用をはっきり打ち出した商品展開を行い、扱う商品はアメリカ
ンカジュアルとヨーロピアンエレガンスの 2 ジャンルとシューズである。これは、あえてしまむ
らから切り離したプロジェクトで、ゼロからの店作り、MD が奏功した。ヤングカジュアルのた
めしまむらのターゲットとする年代とバッティングしなかった。その後、生活雑貨のシャンブル、
ベビー・子供服・子供用品のバースデイ、近年では靴のディバロが登場した。これらは顧客が目
にする商品はまったく別物だが、後方の仕組みは同じである。これがしまむらの強みである。こ
の新しい業態をそれぞれ補完しあって集客力を高められるのがショッピングモールである。かつ
て、しまむらの物流センターがあった大宮にショッピングモールが建設され、そこにファッショ
ンモールを出店させた。その後も全国 125 ヵ所に出店していったのである。
4.2.
しまむらの経営戦略と業態
しまむらの経営戦略もユニクロと同様に特徴的である。1 つ目は、
(集荷)品揃えである。しま
むらはメーカーや問屋から商品を仕入れる品揃え型小売業である。しまむらの商品構成は、多品
種・多アイテム・少量品揃えが基本である。300~350 坪の標準店に 4~5 万アイテムが展開され
ている。婦人服は 1 アイテム 2 着までという方針が徹底されているのである。しまむらの MD 政
9
策は、リピート(追加仕入れ)不要、売り切れ御免という独自のものである。また欠品が発生し
ても発注はしない。そのため、シーズン中の商品追加補充は行わない(自動発注による定番商品
補充等は別)
。アイテムバリエーションを広げ、売れ筋を絞り込まず追いかけないことでリスクの
分散を図る。品切れしたら補充をしない代わりに新製品を投入して売場の鮮度を維持するのであ
る。また変化の訴求が優先されるのである。そのため、品切れしたら売場がどんどん変わってい
く。だが、全店で売り切れるわけではない。この場合、売れ残っている店から売り切れた店に回
すのである。店舗間の商品移動はしまむら独特の手法である。
ユニクロの SPA と逆の集荷型を行っている理由として、日本中の優秀なデザイナーを自由に買う
ことができる。商品を仕入れるように企画・デザイン・開発ノウハウも仕入れればいいという考
え方なのである。そのため、絶対に製造の分野には入らない。メーカーの開発力に全幅の信頼を
置いているのである。商品調達は従来型の卸やメーカーとの取引に徹底している。しまむらの仕
入先は現在 500 社ある。我々は買わせてもらうというスタンスを貫いている。返品をしない、未
取引なし、赤黒(一旦返品して納入価格を下げさせてまた納入すること)は決してやらない。ま
た、棚卸や販売応援の協力要請なども一切ないのである。これはメーカーにとってはありがたい
ことなので、しまむらには優先的に売れる商品が集まる。だが、商品選別、価格、納期にはとて
もシビアである。大手スーパーなどに納入する価格がしまむらでは販売価格になることもしばし
ばある。メーカーにとっては厳しいが、少なくとも返品を絶対にしないということは、資金の回
転が計算できるということであり、小売とメーカー・問屋が対等の立場であると再認識させた。
この関係を作るのにしまむらで 10 年かかったと言われている。このような良好な関係がなければ
高成長は不可能だったはずである。
2 つ目は、店のオペレーションが本部主導である。しまむらは売り切れ御免という考え方のた
め、次に展開する新商品が売れるかどうか判断できるのは現場ではなくバイヤーがするため本部
管理が不可欠である。しまむらにはユニクロのようなブロックリーダーや SV などの専門職がな
い。その代わり、24 の商品部門別に分かれたコントローラーと呼ばれる 50 名の本部要員が全店
舗を営業管理している。コントローラーが各店に日々のオンライン依頼書と月々の売場計画書な
どを作成して店に具体的な指示を与えるのである。そのため、店舗要員はコントローラーの指示
のもとで各店のレジ下に置いてあるマニュアルに従って、合理的で無駄のない効率的な店内作業
を行うことができる。売場での商品の検品、検収、値札付け、品だし、陳列、清掃、値札の貼り
換えの作業がすべて明確かつ具体的にマニュアル化されている。このマニュアルは A4 版のファ
イル 10 冊で積み上げると 1 メートルにも達する膨大なものである。このマニュアルはいつでも追
加や削除が可能なためにバインダー形式になっている。そのうちの「就業規定・規則」
「業務」
「陳
列・演出・売場作り」
「業務チェックリスト」
「教育マニュアル&用語集」の 5 冊が店舗用になる。
これは、誰にでも理解できるように平易な言葉で絵や図も駆使して具体的にまとめられている。
このマニュアルはベテラン社員の作業能率を標準として、それに合わせられるようにと作られて
いるので、マニュアルを理解すれば誰でも明日から店長としての業務ができるということであり、
小売経験がまったくなくても短期間で戦力化することができる。また、現場の店員が改善すべき
点を指摘して、提案をするとマニュアルに受け入れて改善する仕組みを作り上げているのである。
このマニュアルは別業態でも使われており、マニュアルはしまむらの最大の財産とも言えるもの
なのである。
3 つ目は、物流は 100%自前主義である。しまむらは国内ナンバー1 級の高度な自社物流網を築
10
いている。しまむらは頻繁に横の物流の店間移動を行っている。自社物流システムにより、単品
2、3 枚、売価 3000~4000 円程度の小ロットで店間移動のメリットが十分出る仕組みが出来てい
るのである。ちなみに、売れ残った商品を横の物流で処理する方が、新しく仕入れるよりも儲か
るのである。この店間移動が完全買い取り制を行っているしまむらの決め技でもある。そして、
店間移動させる際にはコントローラーがアイテム別、サイズ・色別に単品管理された各店別のデ
ータを把握しており、一定期間店頭に置いて売れない商品を強制的に売れる確率の高い店に移動
する指示を出すのである。また、商品センターは完全トランスファー型である。これは、在庫の
備蓄はせずに納品された商品はジャストインタイム方式で各店舗に振り分けられるのである。各
センターは大型トレーラーによるシャトル便で結ばれ、各店舗とセンターは 4 トントラックの定
時・定店運行で結ばれているシャトル便の体制が取られている。各店舗への輸送は渋滞の心配が
ない夜間行われている。低価格での商品提供を可能にするローコストな運営体制、適時・適品で
鮮度の高い商品補充体制による顧客満足などの高利益は精密な物流が支えているのである。
4 つ目は、人材開発はゼネラリスト育成である。しまむらのパート比率は約 84%に及ぶ。この
ようにパート社員がいなければ経営が成り立たないのである。パート社員が多い理由は人件費削
減という面だけではない。パート社員の主体は家庭の主婦である。これは、しまむらのメインの
顧客である 20 代後半から 40 代にかけての女性客と重なり合う。お客様がどういうサービスを望
んでいるか、どういう接客を望んでいるのか、どういう店の雰囲気がお客様にとってリラックス
できるのか、または逆にお客様の嫌がる過剰サービスはどいうものか、などを身をもって知り尽
くしているので販売の現場の担当としてはこれ以上に有能な社員はいないと言える。パート社員
にも勤続評定とボーナス、退職金制度を適用して正社員との格差を極力なくしているのである。
力のあるパート社員はどんどん店長(正社員)に格上げしている。主婦層には都会での仕事から、
出産したり U ターンしたりで地方に戻ってきている人もいる。その中には都市部で百貨店やスー
パーやアパレルメーカーなどで華やかな仕事を経験している女性が辞めて戻ってきているケース
もあるため、労働力としては宝庫なのである。しまむらの正社員は、通常 2、3 年周期で配置換え、
担当換え、部署換えになる。しまむら特有の高速配転主義である。これは、マニュアルがあれば
すべての業務は最低限こなせるから実行できるのである。まさにゼネラリスト育成のために行わ
れているのである。
4.3.
しまむらの今後
流行やトレンドは二の次、三の次で、定番商品を主体に低価格の実用ファッション衣料を売り
まくってきたのだが、2000 年代に入ってから商品の売れ行きが目に見えて鈍ってきた。実験的に
入れたトレンドの商品が逆に売れてきたのである。そのような流れを以前から読んでいたようで、
当時急激な成長をしていた H&M などを研究していた。近年ではトレンド路線が充実してきて磨
きがかかりつつある。これを可能にするのが、2001 年頃から組織ぐるみで行っているヨーロッパ
各都市でのトレンド研修である。バイヤーを中心にシーズンごと(年 4~6 回)定例で派遣してい
る。調査都市はパリ、ロンドンが中心だが、商品部門によってミラノ、ニューヨークなどもある。
当初、婦人服が先行していたが、近年は紳士・子供服、服飾雑貨、靴とほぼ全部門へと広がりを
見せている。渡欧する際は、しっかりと国内で事前に次期の MD テーマと仮説を立ててから行く
のである。
MD の進歩によって、しまむらも VMD やコーディネート陳列の技術が必要になってきた。2003
11
年から順次ウインドウディスプレイを導入していき、今では全店で飾られている。また、MD 戦
略で目を引くのが PB の強化と充実である。しまむらの特徴が色濃く出るような商品を PB 化し
ている。その狙いは品質、感度、売価におけるしまむら仕様の徹底にある。しまむらにはデザイ
ナーがいないため、バイヤーが各 PB のコンセプト、仕様、品質と売価をメーカーに明示して、
受けたメーカーが商品の具体案を示して PB 商品が決定して、発注されるという流れである。し
まむらの考え方と主力商品は常にこのレベル、グレードにあるということをメーカーに正確かつ
具体的に提示するために PB を強化しているのである。
5.
結論
ユニクロは、完全 SPA というすべて自分達で商品を作り出す戦略を取っている。これはユニク
ロの基本的な MD 戦略である。1 アイテム当たりのロット数を拡大して、アイテム数を絞り込ん
でいった。これが SPA の優位性を引き出す手法である。この結果、単品大量 MD による大ヒット
を飛ばした。店のオペレーションは、店舗主導である。少アイテム、リピートオーダーが主体の
ため店舗主導が適している。課題や問題点は店舗で発見して、本部はそれを手助けするだけであ
る。物流は、完全アウトソーシングである。日本ではコストが高いため自社の物流センターは持
たないで、早い、丁寧、確実、安いソーシング先に委ねている。人材開発は、スペシャリスト育
成である。店舗主導であるから店長が最重要になってくる。その中で最高峰の店長が SS 店長と
FC 店長である。いずれも厳しい審査によって選び抜かれた店長である。
一方のしまむらは、メーカーや問屋から商品を仕入れる集荷品揃えを戦略としている。商品を
仕入れるのと同じように企画・デザイン・開発ノウハウも仕入れればいいという考え方である。
MD 政策は、リピート(追加仕入れ)不要、売り切れ御免と独自である。商品は多品種・多アイ
テム・少量品揃えが基本で、店舗には 4~5 万アイテムが展開され、1 アイテム 2 着までと徹底さ
れている。店のオペレーションは本部主導である。しまむらの MD 政策ではバイヤーの目利きが
重要なため本部主導になる。店舗の従業員は簡単な言葉や絵で書かれた誰でも理解のできるマニ
ュアルを使って業務を行っている。物流は、100%自前で行っている。国内ナンバー1 級の高度な
自社物流網を築き上げた。人材開発は、ゼネラリスト育成である。しまむらは、パート比率が約
84%に及ぶ。しまむらメイン顧客の年齢と重なり、お客様がどのような要望を持っているか知り
尽くしている。正社員は 2、3 年で配置換え、担当換え、部署換えを行って、マニュアルがあれば
どの仕事もできるということ高速配転を行っている。
以上のように両社の違いを振り返ってみた。ユニクロはユニセックスで男女問わず商品を展開
しており、しまむらは婦人服中心の展開をしている。ターゲットとする層が若干違うものの、同
じ衣料品小売業である。このアパレル小売業の 2 大巨頭がまったく逆の経営戦略を取っている。
ユニクロは単品大量 MD 政策で今も好調を維持している。最新のトレンドをしっかり反映させた
MD 戦略が見事にはまっている。近年のユニクロの商品は一目でそれがユニクロの商品かどうか
わからないほどである。ユニクロはお客様がどういったものを要求しているのかをしっかりと研
究していると思う。常に最新のトレンドを反映させている商品を出していき、それをヒットさせ
ていかなければならない。そうしなければ、柳井社長が掲げている 2010 年売上高 1 兆円の目標
は達成されないということになってしまう。
一方のしまむらは、常に鮮度の高い売場の構成をしていき、トレンドをうまく入れた商品展開
12
が必要になってくると思われる。
両社は、MD 戦略において最新トレンドを採用していくと 2.3.と 3.3.で述べた。今までは少し
違ったフィールドで戦っていた。しかし今後は同じフィールドでの戦いも見ることができる。今
後、都市部での大型店も同じように展開していくと思われる。
ユニクロは売上高 1 兆円へ向けた戦略を、しまむらはトレンドを入れながら徐々に都市部への
進出、高度な物流網を生かした商品展開を行っていくことであろう。両社は今後も自らの目標に
向けて邁進していくことであろう。
文献一覧
1.
近江七実『ユニクロ・急成長の秘密 ひとり勝ちを生む経営革命・販売革命』あっぷる出版社、
2.
岡本広夫『ユニクロ方式 柳井流・常識破りの戦略ノート』ぱる出版、2000 年。
3.
繊研新聞社『UNIQLO異端からの出発』繊研新聞社、2000 年。
4.
月泉博『ユニクロ vs しまむら
5.
梛野順三『ユニクロマーケティング方式
専門店 2 大巨頭圧勝の方程式』日本経済新聞社、2006 年。
大量生産・大量販売の市場独占戦略』ぱる出版、
2001 年。
6.
溝上幸伸『しまむら逆転発想マニュアル 驚異の低価格・高利益のマジック商法』ぱる出版、
2001 年
7.
柳井正『一勝九敗』新潮社 2000 年。
13