「形」ー『ジェイコブの部屋』 - 名古屋工業大学学術機関リポジトリ

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「視覚」と「形」ー『ジェイコブの部屋』におけるV.ウ
ルフの技法について “Vision”and “Form” ―on V.
Woolf's Technique in Jacob's Room
安藤, 泉
名古屋工業大學學報, 29: 67-75
1978-03-31
http://repo.lib.nitech.ac.jp/handle/123456789/2789
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名古屋工業大学学報 第29巻(1977)
67
「視覚」と「形」一rジェイコブの部屋』における
V.ウルフの技法について
安
藤
泉
外国語教室
(1977年9月9目受理)
“Vision”and「‘Form”一〇n V. Woolf’s Technique in伽。ゐ’31∼oo解
Izumi ANDO
.1)のα7彦〃多θ鋸。∫Fo76読9π聖訓9露86s
(Received September 9ゴ 1977)』
伽。う’3.1∼oo郷written by Virgi亘ia Woolf is the丘rst experimental novel she wrote after
her essay“Modern Fiction”, Based on this novel,111乙ve attempted to analyse some gharac・
teristics of Woolf’s theory conceming modern novels−atheory which greatly in且uenced合ome
’other writers”experimental works after 1920.
力ooう’3 Roo彿is’composed of numerous separate sceaes. As a who16, they make a kind
of harmonious unit一“form”according to the author..“Form”is what strロck her firSt in com.
posing this noveL I focus on the function of artistic eyes−the creative vision between ob・
jects and those that rβpresent them, as the we11spring of her ideas. It can also be compared
with Post−Impressionism, The reselnblancβa且d the difference between them show that the
metamorphosis from“vision”to“form”is a key element inlunderstanding Woolf’s丘ction.
1
小説家の務めである」と彼女は主張する1)。
ヴァ・一ジニア・ウルフは1919年4月に新しい小説のあ
この後,ウルフは幾つかの短篇によって,現代小説に
りかたを論ずる「現代小説論」を発表した。1920年代以
関する自己。理論の実験を試みた。.評論の中の一節を題
降.の実験小説の隆盛に一つの先駆的役割を果したと言え.
にした「月曜日か火曜日」や「書かれざる小説」, 「幽
るこの評論は,ウルフ自身にとってもその後の彼女の小
霊屋敷」等,スケッチ風の短篇がこの時期に書かれた。
説における大胆な手法的試みを正当化するマニフェスト
であった。この中で彼女は当時のイギリス小説界で重き
ウルフがマニフェスト以後実際に小説で初めてその実’
験を試みたのは,彼女にとって三番目の長篇にあたる
を得ていたウェルズ,ベネット,ゴールズワージーの作
『ジェイコブの部屋』においてである。「現代小説論」発
風を,.精神ではなく肉体のみを扱おうとする物質主義で
表の翌年1920年1月26日付けの日記に,ウルフは,新し
あるとして真向から否定しにがかった。ウルフがそれに
い小説のための新しいフォームの着想を得たことを記し
対置したのは, 「普通の日の普通の心」に受けとめられ
ている。その時の彼女の喜びは,誕生日だった前日に優
る「無数の印象」であり, 「これらの印象が無数の原子
る幸福感であると述べられているので,その程度が推測
でできた縢雨となってあらゆる方面からやってきて,月.
される。前年4月の「現代小説論」発表と同時に,世論
曜日とか火曜日とかの生活となる」ときに以前と違った
は湧き上っていた。それによって,ウルフはやむを得ず,
ところに置かれるべき「強調」である。「人生は,意識
評論活動と並行して, .自分自身, 現代小説家として絶
の始まりから終りまで,.我々をとりまぐ半透明の外被で
えず先頭に立つという気負いと緊張の上に立たされるに
.あり,この移り変る未知で無辺の精神を伝達するのが,.
到6た。従って,この新しい小説への着手は,自信と不
1)V.Woolf:“Modern Fiction”,τ加Co御吻。%Rθσ467,1951(1925), Hogarth, p.189
68
Bulletin of Nagoya Institute:qf Technρ10gy Vol.29 (1977)
安の両方に裏打ちされるものだったことが,当時の日記
柄を並べた結果でしかない,つまり,小説を読み終えて
を読むとよくわかるげ・. ・.
以下,・この論文は,ウルフの初めて.の実験的長篇とし
軌跡でしかない。小説は全体.として一応ジェイコブの幼
ジェイコブの人生をふり返った時に辿られる生の流れの
質を,成立過程における作者ウルフの,小説及び芸術全
年時代から死に到る間の時間の流れに従ってはいるもの
フデいくつかの時期に応じて14のセクションに分れ,各
般に対する考え方の中で把え,また特に,見ることと見
々のセクションぷさらにいくつかの小さな部分に分けら
るものを形にすることといった,絵画にも共通する要素
を,小説家ウルフがいかに小説の手法として用いている
れている。この小部分は,大概数人の人々が交錯する生
て1922年に発表された『ジニイコブの部屋』の技法的特
活の中の短い場面であるが,ときには,わずか1行もし
かを,絵画における後期印象三≒義の手法と対照させなが.
くは島 3行で或る状況が語られることもある。母,兄
ら,考えてみようとするものである。そして,ただ小説
弟,‘』母の愛人,その妻,近所の主婦, 汽車に乗り合わ
の中でどのような方法がとられているかということでは
せた婦人,学友,その妹,その家族,その家の居侯,教
なく,その技法が現代小説の行方にどのような意味を持.
師,大学の慈善後援者,下宿の前を通る娘,画家,売笑
ちえたのかを把えかえしてみたいと思うものである。従
婦,図書館で見かけた女,等,彼を囲む人の波は無限に
来ウルフの小説の中で,『ジェイコブの部屋』は1その
広がっていく。そして面識の有無を問わずその人々の意
実験性を高く評価されはするものの,次作『ダロウェイ.
D識にジェイコプの影が表われるとき,彼の存在は実体と
夫人』や『灯台へ』において展開されるいわゆる「意識
して把え始められる6また,ジェイコブの存在を示すの
の流れ」の手法を未だ開示し得ぬ習作的段階の作品とい
は人間だけではない。ジェイコブが子どもの頃砂浜で遊
った見方を免れていない。しかし,作者の意図する理論
んでいて見つけた大きな蟹,その近くの肝臓に寝そべる
の端的な表れの幾つかを,作者自身が積極的にそれを実
「巨大な男と女」 (子供から見た恋人たち),そばに落
践しようと臨んだ作品に見い出しうるのはまぎれもない
ちていた牛の頭蓋骨(ジェイコブはそれを家に持ち帰っ
事実であろう。また,新作の着想を得た時のウルフの日「.
て部屋に置くが,これは後年の『灯台へ』に登場するラ
記には「その統一性をどうすべきかをまだこれから発見
ムジー家の海辺の別荘で,少年ジ混イムズの部屋の壁に
せねばならない……ただ先頃思いついた新しい形に無限
かけられているそれにもつながる),あるいは,ヨヅト
の可能性を見る2)」と書かれていたが,完成された『ジ
旅行に出たジェイコブの目に映る真青なシリーの島,シ
ェイコブの平屋』では彩しい登場人物を以下で考察する:
ャツを脱ぎ海に飛び込む一瞬に彼が目にする虹のように
ような一つのフォームに取束させ,緯一性を生み出して
変る波の縞の色,海,カモメ,読みかけのシェイクスピ
いる。このことは実験的同好としての『ジェイコブの部
ア,灯台,晩餐会の豪勢な食べもの,ろうそくに照らし
屋』が,独自に作者の意図を達成しえたことを想定させ
出された「テーブルの上の巨大な手」 (自分の手),飾
るものではないだろうか。
りリボンのついたカツレツ,等,ジェイコブの目に映り
また消えていくものの数は果しない。そしてこのような
2
ジェイゴブの目に映り,一瞬意識に浮び上りジやがて他
この小説は,ジェイコブ・フランダースという一人の‘
のものにとってかわるさまざまなものの影は,一時のは,
イギリス青年が中心である。題名の「ジェイコブの部屋
かなくあるいは鋭く刻み込まれた印象となって彼の心に
残るとき;ありふれた日々の常みが綴織りの如く連なっ
」は,作中で指摘されるように,このジェイコブ青年を.
めぐり,その周りで展開される干しい人間模様をさすも
の,言い換えれば,ジェイコブの存在する空間といった
ていくジェイコブの生の実態を内から照らし出す。
暫しい人々と回しいものの影。これが当初ウルフが「
程度のものである。南イギリスのコンウォールの海岸地.
現代小説論」で語った「普通の日.の普通の心」に「無数
方で,未亡人の母と女中によって育てられたジェイコブ
の原子でできた燦雨となって」受けとめられる「無数の
は三人の男の子の真ん中である。彼はラグビー校からケ
印象」.と重なるだろうということは,およそ言を待たな
ンブリッジ大学に進み,卒業後ロンドンで下宿生活をし
い。つまり,作者ウルフは『ジェイコブの部屋』におい
ながら弁護士修業をする。友達やその家族恋人らとの
て,ありふれた日々のありふれた事象が,自在にしかし
生活の後,パリ経由でギリシャに旅行する。旅先での或
決してでたらめにではなく浮び上るような作品を書こう
る上流婦人との出会い。そして帰国後間もなく,ジェそ
コブは第一次大戦に応召して戦死する6
としたと考えられる。・
野老の日記を参照すると,1919年4月20日,つまり先
ところで,ここに述べたジェイコブの生の過程は,小
の「現代小説論」を発表した時点の日記に参考となる一
説の場面展開を追うなかで,全体として関連性のある事
節が見出される。彼女は「入生というゆるくて定まらな
2)V.Woolf=且防露6〆5.0勿y,1975(1953), Hogarth, p.23
’名古屋工業大学学報 第29巻(1977)「
6a
い素材を小説で用いるのに今までとは別の方法」『として
はみな決して返答のもどってこない呼び声である。 「身
, 「日記が達成しうるような類いのフォーム」を小説に
体中から純粋に,心から純粋に,外に出て行き,孤独で,
適用することを念頭に置いている。それは「何かとても
答えてもらえずに,岩にあたってくだける,そんな響き
ゆるい編み方で,でも決してぞんざいでなく,伸縮自在
をした7)」呼び声である。この呼び声は,ジェイコブが
で,わたしの心に浮ぶものは何でも含んでしまう」よう
人々の間に明らかに存在していたにもかかわらず,その
な「何か合切袋のようなもの」である3)。この一節はま
不在を一貫して読者に意識させるものである。 (ジェイ
だ直接『ジェイコブの部屋』1を意識して書かれたもので
コブの不在は,彼の部屋の描写が,その住人の留守であ
はないが,この小説を着想する前段階で作者の考えてい
る点を暗示してからなされることでも強調されている。〉
たところであり, 『ジ出イコブの部屋』に登場する彩し
また,くり返しの他の例は,入間の普段の行為に見出さ
い人やものの存在と全く無関係ではありえない。
れる言いようのない悲しさである。ジェイコブを呼んで
しかし,ウルフが書こうとしたのは単にジェイコブを
答えられないその声の「この上もない」悲しい響きに始
めぐるさまざまな人々やものの影の羅列ではない。外に
まり,コンウォールの丘に立っている見なれた高い煙突,
百態となって表れるそれらのものの内から自ずと一貫し
海岸の駅や波だつ小さな入江を見て思い出される「圧倒
て浮び出る本質的なるもQ,ウルフ自身これを「人生(
的な」悲しさである。そして,人々を老けさせたり息の
1ife)あるいは精神(spirit), 真実(truth)もしくは現
根をとめたりする大事件ではなく,人々が眺めたり笑っ
実(reality)4)」などとはっきり呼びかねているのだが,
たりバスに乗り込む時に見出される「言いようのない」
この百態をとるものの内参ら浮び出る本質こそ,新しい
悲しさである。
小説からにじみ出されねばならないものである。なぜな
ウルフの言う普通の日の普通の心に降り注ぐ数知れぬ
ら「現代小説論」のなかで,ウルフは「もはや従来の寸
印象の蝶雨が懐胎している本質的なものの顕現を,これ
法の合わなくなった衣服(小説形式のこと一筆者注)
らのくり返しの中に認めようとするのは早計であろうか。
では,この本質的なものははいらなくなってしまった(.
霧しい場面やものの陳述の中にくり返され,自ずと形を
傍点筆者)5)」と宣言したのだったから。そして「こQ変
現わす何かを通して,作者は小説家の務めとして何とか
化する未知で無辺の精神を,それがどのような錯誤や複
「未知で無辺の精神を伝達」しょうとしていると考えら
雑さを見せようと,できるだけ異質のものや外部のも4).
れるのではないだろうか。
を交えずに伝達するのが,小説家の務め(傍点筆者)6)」
日常目にする多く4)ものの姿や場面の中に,外貌の多
であると主張したのだから。
様性は言問わず,確かに連なっていく真実を,ウルフは
この問題は,『ジェイコブの部屋』の中でどのように
新しい小説の「合切袋」に込めようとした。この外貌と
辿られうるのか。たくさんの短い場面設定が続き,はか
内側の真実の関係については,ウルフは作中でジェイコ
なくあるいは鋭く意識に刻みこまれる幸しいものの影が
プを見る周りの人々の目のありかたを通じて語ってい
陳述される中で,読者は幾つかのくり返しがあることに
る。ジェイコブを見かけた多くの人々にとって,彼は「
気付く。例えば,冒頭で,海岸に遊びに出た弟を捜し求
目立つ」青年である。ハンサムで,おもしろいし,体格
めて兄のアーチャーが呼ぶジェイコブの名はその後,何
もよい。世帯つれていない20歳ぐらいの若者なら誰でも
人かの人に心の底からつぶやかれ,あるいは叫ばれる彼
ショックに感じる大人の世界の頑固な卑俗さを人一倍感
の名前に呼応する。ともにいなくなった息子たちを呼ぶ
じている。ルネサンスやエリザベス朝の偉人の作品を愛
母の声。ダラント家に滞在したジェイコブが帰った後で
し,しかも「歴史は偉人の伝記から成るか?」と題する
彼をなつかしんで呼ぶクラターパック氏の声。結局自分
論文も書く。いかにも「初めて彼を見た時,疑いなくそ
を好きになってくれなかった彼の名を秘かに胸の内で叫
の言葉(「目立つ」という言葉一筆者注)がピッタリな
ぶクレァラの声。そしてあたかもすぐに戻ってくるよう
のだ。8)」しかし,とウルフは考える。次の瞬間,その
にそのままにして戦争に出かけたジェイコブの部屋で,
青年について我々は一体何を知っているのか。なぜ彼を
戦死した彼の名を呼ぶ友人ボナミの声。ジェイコブの像’
自分たちにとって最もリアルで,堅固で,よく知ってい
は鎖のように連なって人々の心に浮ぶ。しかし,これら
ると突然思って驚いたりするのか。.結局何も知ってはい.
3) ibid., p,13
4) “珂odern Fiction”, p.189
5) ibid., p.189
6) ibid., p.189
7)V.Woolf:ルooう’εRoo彫,1949(1922), Hogarth, p.7
8) ibid。, p.69
70
Bulletin of Nagoya Institute of Technology VoL 29 (1977)
ないのだ。外面の「目立つ」ことに対して,ジェイコブ
1910年の12月頃,人間の性格は変わった11》。
の存在の真の意味は何だったのかとウルフは考える。「
1910年12月頃とは,同年11月から2ケ月問ロ.ンドンの
人生はものの影の行列でしかない9)」 と彼女は書く。つ
グラフトン・ギャラリーズで開催された第1回後期印象
まり,我々が目にするめは,ものの影である。実在.して
派展と同じ時期を示し,当然この派の影響をさすものど
いると見え(思われ)るものがそのものの影である.とす
される。印象主義絵画が,それまでの対象を忠実に複製
れば,.実在していると見え(思われ)ないもののほうが
化しようとする写実主義に対して,光と色によって物体
そのものの本質であるとも考えられる。アーチャーに,
のイメージを内から映し出そうとする一つの革新的動き
母に,クラターバック氏に,クレァラに,そしてボナミ
であったとすれば,セザンヌ,ゴーガン,ゴッホ等の後
によ』 チて呼びかけられるジェイコブの名前が,彼の不在.
期印象主義ぽ,対象となるものそれぞれを,そのもめの
を暗示するものであるとすれば,人々.の問に実在し,愛
実体が内から自ずととって現れる形を掴むことによって
され,関心を抱いて認められた彼の,不在こそが実は事.
カンバスに再現しようとする更なる革新であった。後期
の本質であり,問題とされているとも考えられよう。
印象派展は,ウルフが開催の前年に知己となったロジ壷
ウルフが試みたのは,普通の目に目にする数知れない
一・
風景,場面,人物,行為,物体,.を,前面から見える外
発を受けたが,第2回が既に1912年10月,フライの周到
形と同時に,向う側に回って,内側から自ずと現れるそ.
な用意とともに,ウルフの夫ぞあるレナード・ウルフを
のものの形を言えることである。再度日記を参照してみ、
幹事として開催されている。ウルフはこの後期印象派展
よう。先述「人生というゆるくて定まらない素材」を扱
開催の経過を,後年伝記『ロジャー・フライ』に詳し.
うための小説のフォームとして「何かとてもゆ.るい編み
書いた。
方で,伸縮自在で,心に浮ぶものは何でも含んでしまう
tライによってイギリスにもたらされ,世論の猛反.
ュ,
絵画におけるこの革薪が,彼女の小説論の革新を醸成
ようなもの」を構想した後に続く部分である。.
するのに影響大であったことは確実である。具体的に;
わたしはその集積が,一年か二年の後見てみると,自.
両者に共通して見出される.点を検討すると,.例えば『ジ
ら区分けし,精練し,合体して,丁度沈澱物がそうす.
ェイコブの部屋』に関して先節で述べたよ.うな1・見る・こ
るように神秘的に,人生と.いう光を映すに足る透明な
ととそれを形として作品に把え直す表現のしかたが問題
一つの形となり,しかも一個月芸術作品の高みを持つ
としてクローズ・アップされてくる。後期印象派の先鋒
た堅固で平静な複合物となっているようにしたい。
.セザンヌの絵画における試みは,現象に対する忠実さに
(傍点筆者)10)
よって,物体をその「生れ出ようとする秩序」のままに
つまりは,.その小説の叙述において,聴しいものの影の
内側から照らし出される形として応え,一それが固有の
行列の中から,人間存在の本質が自ずと整理,抽出され
「固.さ」と「物質性」を所有しているようにすることでし
彷彿と.してくる作品であると言えよ.う。 彼女の言う小
あった12)。そして,固さと物質性を備えた個々の物体が
説のフォームとは,単に小説の形式以上めものであり,
構成する有機体としての全体,完全に充実した全体とし
文字通りものの形,小説が描く事象の本質的形と深く結
ての景色が,彼の唯一つのモチーフであることは一貫し
て変らない。ウルフが小説において試みたのも,それに.
びついたものであると考えられよう。『ジェイコブの部
屋』がウルフの当初の意図をどれだけ伝えているか,.め.
ごく近いように思われる。彼女は,縢雨の如き印象の群
程度の判断は置くとして,その手法が当時の彼女の小説
れを,それが生れようとするままに言葉に表おし,同時
理論を忠実に反映するものであったことは明白である。
に自ずと内から本質として固有の物質性を備えた形が生
じることを,「現代小説論」に続く 『ジェ.イコブの部
3
それでは,ウルフのものの見方,現代小説論は,如何
にして形成されたのカもこの点を考察する時,我々は絵
屋』での実験の狙いとしていたのである。
.この狙いは,後期印象主義絵画のイギリスへの橋渡し
役をしたロジャー・フライの評論の一節からも想定され
画における後期印象主義の存在を抜きにして語ることは
る。 『視覚と意匠』と題された評論集のうち, 「芸術家
できない。ウルフは「ベネット.氏とブラウン夫人」と題
の視覚」の中で,.フライは,人間の見る行為を4つの段
する評論(1924年ケンブリヅジ大学「異端者会」で講演,
階に分けて考察する。第1に,純粋に生物学的な視覚器
同年刊行)の中で,次のように述べている。
管によって見える行為。第2は,意識的に関心を持って
g) ibid., p.70
10) ノ4 恥ゴ’θ〆3Z)ゴα7y,.p.14
11)V.Woolf:“Mr. Bennett and Mrs. Bfown”,σo〃60翅E∬σy∫1,1966, HGgarth,. P..320
12)M.メルロー・ポンティ, 「セザンヌの疑惑」, 『意味と無意味』,永戸多喜雄訳,国文社,
名古屋:工業大学学報 第29巻(1977)
71
眺める好奇心の視覚。第3に,対象の中に形や色のハー
としての一人歩きを始め,モティーフとなった対象と対
モニーを粘い出す審美的な視点。第4は,芸術家が創造
等になる。その際描き出された形は,ある時の瞬時性と
に用いる目である。問題となるのは無論,第4の創造的
か,現実的な物体の偶発的統一性といったものではなく
視覚であり, これがものの外観からの完全な離脱(de−
そのものが継起する年月や日々をとりこんだ, そのも
tachment)を最も必要とするとフライは言う。
のの本質の表われであらねばならない。このことは,後
こういつた創造的視覚においては,ものは姿を消し,
期印象派の肖像画}こ心理描写,苦痛,悲哀,歓喜の表情
遊離した単一性をなくし,同数の小片として全腱のモ
が殆んど見られないことにも呼応する。人間は,一時的
ザイクの中に場を占める。全体的な視野の組成は,き
な表情,風采によるよりも,生の継起を組み入れた,形
め細かく,個々のものの内の色調の一貫性は,他のす
のスケッチで表わされるのである。そしてさらに,セザ
べてのそれと同じ強さである。13)
ンヌの描く物体は往々にして,基本的な幾何学的原形に
その結果,人間の頭とカボチャは,等価値に芸術家の視
まで到達する。円環,球,円錐,立方体,etc.のように。
覚対象となるし, 「すべての個別体は,光と影の活動に
この傾向が, 何年かのちの,キュービズムの如き運動
支醜され,視覚の端切れでできたモザイクとなるエ4)」の
の形成基盤となったことは言を待たないが,ここではそ
である。
こまで論ずる必要はない。ただ,こういつた,セザンヌ
フライの解説はやや総括的な感があるが,絵画と文学
の形が,それまでの表象一再現前という絵画が枠付け
(フライが意図したのは特にイギリス小説)が,見るこ
られてきた機構から脱け出て,さらに,表象自体の独自
と(知覚すること)とそれを形にして表現しなおすこと
の遊戯を狙いとする現代絵画の出現を促す契機となった
について,換言すれぽ,芸術家の視覚の機能について,
ことだけは,セザンヌが意図したかどうかを抜きにして
その後共に検証していくこととなった考え方を説明し,
指摘しておかれねばならない。.
糊と,絵画に比して立ち遅れの目立った小説において,
全く同じことが,ウルフに?いても指摘されるのであ
ウルフらが試みようとしていた新しい実験小説の狙いを
る。『ジェイコブの部屋』における描写の特徴,それは「
語ってくれると考えられよう。
幾つもの物体や場面が,形として表現され,さら.にそれ
4
ここで,見ることとそれを形にして犀き変えることと
いう表現一創作の問題を,もう少し考えてみたい。視
統一性を作っているということである。例えば,何人か
覚の創造的な働きが,後期印象主義絵画,ロジャー・フ
でボナミが呼ぶ声とで完全に一致する。あるいはまた,
らの形が全体として巨大な円環を構成蟻、.一個の全体的
ライ,.
yびヴァージニア・ウルフの創作理論の中にそれ
ぞれはっきりした山鼠を占めていることは,前節で述べ
た。とこでは,視覚の創造的機能によってもたらされた
「形」が呈示する表現上の意味に焦点を当ててみる。
の人々によって呼び継がれた「ジェイーコープ!」とい
う声は,冒頭の場面でアーチャーが呼ぶ声と最後の場面
最後の場面で,母親が,いなくなったジェイコブの部屋
から古靴をみつけ出し, 「これをどうしましょうか」と
ボナミに尋ねる問いの答えは,いかにも「ですから,も
ちろん,それは放つとくしかしょうがなかったんです」
後期歴象派の画家,とりわけセザンヌの提出した表現
という,この小説の書き出しの言葉(母親飛ティの手紙
上の問いかけが,対象・オブジェとその再現前としての
の一節で, rそれ」の内容については書かれていないの
タブローとの間のプロセスに関するちのであったことは
で不明)に一循環してつながるように見える。それは,
よく知られている。セザンヌにとって,眼前にある山,
単に偶然と言いきれないも.めのように思われる。終りが
りんご,女,顔,etc.と,表象であるタ.ブローのそれと
始まりにつなげられ,人聞の営為は循環するということ
は,同じものでありながら,同時に,独立した固有g)存
だ。そしてその間隙を縫うが如く,視覚に把えられるナ
在であらねばならない。そのために,彼は,画面の上の
プジェの描写を,ウルフはくり返す。特に,ジェイコプ
ある確i定的な位置に, 絵具を一つ一つ塗り込んで,不
規則な平面を作り,この平面がそれぞれ物体の形を描き
の住んでいた部屋については,二箇所,完全に同じセン
テンスが数行ずつくり返される15)。そうすること㌍よっ
出すようにした。描き出された物体の形は,周りとのそ
て,場面は,時と所を選ばず,固有の固さと均質性を備
して画面全体との釣り合いの中に位置付けられ,一つの
えた物体の如く,作中に固定されているのである。
全体性を形成する。この一つの全体性が,固有の生命を
セザンヌの場合と同様,『ジェイコブの部屋』にも心
持つ有機的存在となる時,絵が絵としての,作品が作品
理描写はあまり用いられない。あるのは,個々の人間が
.13)Roger Fry:“The Artist’s Vision”,佐5吻απ4 D65ガ9π,1925, Chatto and Windus・P・52
14) ibid., p.52
15)∫σo〃εRoo吻, P.69とP.76及びP.37とP.76
72
Bulletin of Nagoya Institute of Technology Vo1.29 (1977)
互いに存在することに.よって作り出す生の継起としての
場面の展開だけなのである。
さらに,物体や場面についてのウルフの描写は,くり
返されることによって幾つかのパターンとなり,独自の
興味深い音楽的基調効果を生み出ずものとなる。例えば
なれるのである。三7)
ここからわかるのは,ウルフは従来的な小説の形式を打
破することを第一に念頭に置いているということである“
そして,彼女自身の想定する小説は,作家が自分自身の
目を使い,その自の働きによって,今まで形め掴めない
我々は,このくり返されるパターンのうちに,点描派の
でいた思考を豊かにし,・はっきり形にして呈示する作品
画家スーラのパターンを窺うこともでぎよう。.セザンヌ
である。 「絵画」と題して,小説家の絵画との関係を多
と同様に,確実性と建築的秩序を描写法の中に取り入れ
少皮肉を込めかつユーモアを持って書いた評論(1925年.
たいという願望をいだいていたスーラの作品には,曲線
発表)でも,ウィレフはやはり,従来の小説家が決して用
と斜線が,人物や犬,帽子,衣服,足,背中,土手な
いなかった「自分の目」しかも「第三の目」の必要性を「
どの描写のために,幾つかのくり返しのパターンとして
強調した18)。
用いられる。その.くり返しは∫相互の興味深い関係を示’
ものを見ることから,見たものを形にして表わすこと.
し,音楽のモティーフのように使われるのである。 『ジ
への創造的プロセスに,ウルフの新しい小説観の特微を「
ェイコブの部屋』に表われるくり返しと全体としての円
見出すことがでぎる。そして,この創造的プロセスを経,.
環の形が,同じように,描写め確実性と建築的秩序の狙
て表わされた「形」こそ,ウルフの創作活動の狙いであ,
いを読者に感じさせるものであることは明白である。
り,かつウルフの抱く小説像を浮び上らせるものであっ、
ここに到って我々は,ウルフの作品がすでに幾分,も
たと言えよう。
のの描写,表現手段の点で,一人歩き,独自の遊戯をし
始めていることに鮒搾れる・『ジ・イ・ブ郷動
の執筆にとりかかる前,ウルフの.日記に,まず,新しい
5
後期印象主義絵画とウルフの,表出一創作について
少説のための新しいフォーム.を思いついた,.とあり,次
の考え方の類似は,1910年代,20年代にかけての,芸術.
いで,テーマはまだ明らかでない,と記されていたエ6)の
に限らず人間の思考そのものの変化を示す一つの証であ
は,その点で暗示的である。思想よρ弔まず手法が表現
った。事象に対するのに,先入見を完全に排し,都度新.
の対象とされている。さらに突き進んで言えば,『ジェ
たにそれに忠実に立ち向かおうとする姿勢は,今世紀に.
イコブの部屋』における実験は,19世紀までの,描出と
おける現象学的哲学の隆盛によっても実証されていく必・
いう小説の枠付けられてぎた機構から脱け出て,技法の
然の養われであった19)。しかしながら,ウルフは後期印.
遊戯を目的とする現代小説,アンチ・ロマンの出現にも
象派に影響を受け,視覚の創造的プロセスを新しい表現.
直接つながる要素を持っていたと言づても過言ではない
の根底に据えるという点で発想の同一性を大いに見せな
だろう。
がらも,一方,彼女特有の感性の表われにそれとの微妙.
1927年,ウルフは同年にE・.M・ラォースターが刊行
な差異を見せている。セザンヌの試みがあく. ワで「形を
した『小説の諸相』.に寄せて,「小説の技術」と題する
.とろうとしている素材」の「自然発生的な組織によって
評論を発表した。その中で,彼女はフランスやロシアに
生れようとしている秩序」を描くことであるのに比して.
おけるフィクションの手法としての把え方を重視して,
ウルフの感性は意識的にか無意識的にか, 表出された
次のように述べている。
形に一つの芸術としての美を見出そうとするのである。
もし英国の砒評家が人生と呼びたがるものの権利を守
それが彼女の言葉にしぼしぼ「芸術としての厚み」とい
るめに慣れてしまったり熱を入れたりすることがもつ
.と少くなれば,小説家もまた大胆になるだろう。永遠
った表現で現れるものである。これを知的デカダンの選
良集団くブルームズベリー〉の審美的モダニズムと呼ぶ1
に続くお茶のテーブルや,人間の冒険のすべてを表現
ことはあまりに安易である。あるいはまた,それは確か・
すると考えられているも.6ともらしい本末転倒の決ま
に「〈表現〉〈創造〉の次元での文学,哲学,絵画の同
りきった形式から縁を切ることができるだろう。しか
一性上と同時に「世界内存在の自発的意味への接近度に
しその時ストーリーはよろめき,プロヅトは崩れ,人
おける絵画の特権性・優越20)」を認めさせる』つの証拠
物は破壊されるだろう。要するに,小説は芸術作品と
となってしまうのかもしれない。さらにまた,それはウ
16) ノ4 τ77宛6〆5エ)σガ7y, p.23
17)V・Woolf:“The Art of Fiction”, CoJ160渉64 E∬αy3皿, P.55
18)V.Woolf:Tictures”τゐ6躍6喫漉,1952(1947), Hogarth, p.141
19)メルロー・ポンティがセザンヌの企てに自己の現象学思想の前形成を軽い出していることは,
惑」,『知覚の現象学』等に明らかである。
20)木村雄吉,『エピステーメー』特集セ守ンヌ,1977.1月号,朝日出版社,p.146
「セザンヌの疑
名古屋:工業大学学報 第29巻(1977)
73
ルフの精神が自我を排してどこまでものそのものに徹底
していた。彼の死の翌年にウルフは「D・H・ロレンス
して対峠しうるかを測る指標でもある。
覚え書ぎ」と題したエッセイを発表したが,その中で次
だが,表出された形に美を求めるウルフのこの感性は,
のように述べている。
表現のためのあらゆる国安と苦渋にみまわれる中での更
しかし,これらの印象(ロレンスが示した無駄のない
なる希望と自戒の併存から生み出される極限的状態の産
鋭い明晰な筆力のことで,ただしそれ自体は優れた小
物であった。 それは強靱な神経を持ち合せなかった彼
説家の輩出した時代にはさほど稀ではないとウルフは
女にとって,表現活動を続ける上での唯一の自衛手段で
付け加えている一筆者注)は,モレル家(『息子と
あったと言ってもよいだろう。それを,対象の美的印象
恋人』一筆陰口)の生活や,彼らの台所,食べもの,
のみを追求しようとするいわゆる審美的感性と同一に扱
流し,会話の仕方を作り上げた後で, もう一つ別の
う.ことはできないであろう。’ウルフ自身,自己の感性に
より一層稀な,より一層大きな関心に引き継がれるの
埋没して対象としての作品と自分との遊離(detachment)
である。というのは,この彩り豊かで実体鏡的な人生
を失くすことを警戒している。『ジェイコブの部屋』の
の呈示があまりにもっともらしいので(…)いかにも
着想を得た時, ウルフは:自己の経験的感性(経験的直
生きているようだと我々が断言したあとで,ある言い
観)によって表現対象の領域を限定することを戒めて,
ようのない明るさ,暗さ,意味ありげな様子から,そ
次のように書いている。
の部屋には秩序が成り立っていることを感じるからで
危険なのは忌むべき自己中心的自我だ。それがジョイ
ある。(…)ある手,驚くべき透視力と力を持ったあ
スやリチャードソンを損なっているように見える。本
る目,が,速やかに全体を配列したのであり,だから
と自分を隔てる壁を,その本がジョイスやリチャード
我々はそれが,今まで実生活はこうだと考えられてき
ソンみたいに限定的にならないで,作るのに充分な柔
たよりももっとおもしろくて,躍動的で,生にあふれ
軟さと豊かさをちゃんと持ち続けられるだろうか。21)
ているように感じるのである。あたかも画家が葉っぱ
ウルフにとって,創作活動における美というものの認識
やチューリップや壕をそのうしろに緑色のカーテンを
は,理性的かつ早苗的に自己の表現手段を謡い出すこと
引くことによって鮮明に表現するように。23)
と結びついていたと思われる。
この「透視力と力を持ったある目」が作り出した「秩序
.ウルフのこの特異性は,同時代に同じような表現上の
」とは,まさに後期印象主義にとっての,描き出された
問題を呈示した別の作家,例えばD・H・ロレンスとの
物体の形が周りとそして画面全体との釣り合いを保つこ
比較によって一層性格が明らかにされる。ロレンスもウ
とで形成する一つの全体的統一性である。あるいは,セ
ルフと同じくセザンヌに多大な影響を受けていた。.事象
ザンヌが,スーラが,ウルフがゴ描写法の中に取り入れ
への接近とそれによる本質の探求という点で,やはり,’
ようとしていた確実性と建築的秩序,と言い換えてもよ
まさ.に当時の新思潮を作品の中に具現していたのであ
いだろう。とにかく,ウルフは,自らの願望する創作方
る。22)『ジェイコブの部屋』の手法,場面ごとに結晶し
法と密接に関連したものとしてロレンス.のこの力を見抜
た現象の本質の閃きを定着させ配列するといった手法は,
いていた。ロレンスは,この透視力を徹底し,現象の本
ロレンスが『恋する女たち』.を頂点として彼の作品に展
質をさらにその存在のありかたにまで及んで追求する中
開した事象へのアプローチの方法と相通じるものがある。
で現存する世界の存在論的問いかけへと必然的に発展し
プロヅト,人物,ストーリー,といったものよりも,表
ていくのである。しかし,ウルフの繊細な神経は,おそ
現されることによって形をとり目に見えるようになった
らくそこまで事象に徹底しきることを彼女に許さなかっ
事象の本質もしくは精神が,両者にとってはより重大な
た。そして彼女の感性は,作品に表出されたものの形を
のである。ただ,ロレンスが事象に接近しようとすると
存在論として押し進めるかわりに,芸術としての高みを
きの徹底ぶりは,ウルフの場合よりもさらに強かった。
保持することで区切りにしようとする。ウルフには,β
この執着心とまで言えるほどの徹底は,おそらくセザン
レンスのようなもの今の飽くなき徹底が彼の生いたちか
ヌのものに対する徹底により近いものであり,ロレンス
ら来る,現状への不満足と絶えざる未来志向の精神によ
がウルフ以上に「創造的視覚」を駆使し得たことを物語・
って初めて支えられうるもののように思われていた。
るものでもある。ウルフ自身,ロレンスのこの力を認識
ポール(『息子と恋人』の主人公一筆者注)と同じ
21) ∠L 〃7ガ’6〆31)ガσ7y, P.23
22)ロレンス自身の「表現」に対する把握がセザンヌ的であり,現象の本質の探求を彼の創作活動の唯一の命題に
したことについては,試論を企てたことがあるので参照されたい。 (「ロレンスと現象学一『恋する女たち』」,
『あいお一ん』2号,1977)
23)V.Woolf=“Notes on D.H. Lawrence”,σo〃θo♂θ4 E55αy31,P.353
74
Bulletin of Nagoya Institute of Technology VoL 29 (1977)
よ勤こ,彼が坑夫の息子であり,現在の状態を嫌って
かれた営為も空しく,皆悲しいのである。 呼んで答え
いたという事実は,安定した身分を持ち,その環境が
られないジェイコブの名が全篇を流れ, 「不在」そのも
いかなるものであるかを忘れさせてしまうような状態
のがテーマとなるような作品なのである。もっとも,こ
を楽しんでいる(中流階級の)人々とは違った,創作
れは,ジ.エイコブが,ウルフの敬愛し,若くして死んだ
活動へのアブ目一チのしかたを彼に与えたのである24)。
兄トウビーをイメージに潜ませていたこと,あるいは,
これは,逆に,ウルフ自身が, 「前世紀的遺物」として
生命の否定を建前とし,ジェイコブの,兄アーサーの,
形骸化した伝統を激しく拒否しながらも,代々受け継が
叔父モウティーの命を持ち去る大戦がその時代に設定さ
れて安定した所持品に一定の満足を呪い出すことを洗練
れていることと切り離すわけにほいかない。
された技と感じるよう.なエドワード朝明知的感性を,や
ともあれ,レナードの言葉に刺激されてかされずか,
はり他のブルームズベリー・グループの人々と同じよう
次作『ダロウェイ夫人』では,ウルフは人物をしぼり,
に分け持っていたことを示すものでもある。
クラリッサ・ダロウェイに視点を集中する。彼女の憤る
一日の言動,所作,心に浮ぶ全ての事柄に注意が向けら
6
れ,他の人々は最終的に何らかの形で彼女の意識のうち
「創造的視覚」という点から,後期印象主i義に大きな
に戻ってくる。『ジェイコブの部屋』のように全く一度
類似性を示したウルフの手法は,さらにそこから対象へ
だけ姿を垣間みせた人聞がヒーローと同じ比重を持って
め存在論的問いかけに向かう気配は少なかった。しかし
語られることはない。ダロウェ. C夫人の意識を辿って描
ながら,この「創造的視覚」は,さらに彼女独自の文学
写がなされることにより,後年「意識の流れ」と呼ばれ
形式につながっていくように思われる。この節は,これ
ることになった手法である。しかし,ここで注意したい
まで述べてきたような『ジェイコブの部屋』において実
のは,その意識の内容である。ダロウェイ夫人の一瞬一
験的に呈示された,ウルフの新しい小説観,表現のしか
瞬の意識が絶えず過去の一点に戻っていくこと,自分を
たが,その後の彼女の創作活動においていかに発展し,
熱愛していたピーター・ウォルシュの求婚を拒否した過
あるいは変革されていくかを見ることで,ζの論文のま
去の人生の「クライマックス」に立ち戻っていくことで
とめにしたい。
ある。彼女の一日のうちのほんの短かいひとときから彼
『ジェイコブの部屋』が出版された時,.予想通り,世
女の人生がすべて凝縮して見透かされろ。ウルフは,対
評は種々の反駁を示した。ウルフの才能は認めるが,小
象を,一瞬の意識のうちにそれまでの生の継起をすべて
説としてはどうも,というのが大方の反応であった。し
包括して費えることができると確信していた。この確信
かし,ウルフにとって反駁は当然予想していたものだっ
は,明らかに,すでに彼女が『ジェイコブの部屋』で見
たし,それよりも彼女はここに到って自分の言葉でもの
せた姿勢,もののある時の瞬時性とか,現実的なその物
を書くことへの確信を得た。日記には次のようにある。
体の偶発的統一性といったものでなく,そのものが継起
L(夫レナードのこ.と一筆者注)が『ジェイコブの
する年月や日々,時聞をとり込んだ,その本質の表われ
部屋』を読み通してくれた。 私の最高作だと言う。
をものの形として表現しようとする姿勢に支えられてい
(…)彼はそれを天才の作品と呼んだ。他のどの小説
るのである。 「創造的視覚」による「目に見える姿」か
にも似ていないと言う。人々が幽霊のようだとも言っ
ら「本質的形」への変質のプロセスを表現の根底に置い
た。これは奇妙で,私には人生の哲学がないと言うの
ていることが,やはり新しい実験形式にも引き続いて全
だ。(…〉次の小説では:私が私の「手法」を一人か二
い出されると言え.よう。
人の人物に使うべきだと言っていた(…)しかし,全
「意識の流れ」は,さらに『灯台へ』,『波』へと継
体として私は喜んだ。私たち二人とも世間がどう考え
承される中で, 「純粋持続」というべルグソン的時間論
.るかは知らない。とにかく私が自分の声でものを言う
を引き合いにして論評されることも多い。ただ,それを
のにどう始めたらいいかを(40歳にして)高い出した
ことは確かなのだ。そしてそれがとてもうれしくて,
論ずる空間的余地はもはや残されていないし,またそれ
がこの論文の直接の目的ではない。
私は自分が称賛なし℃もやってゆけると思うのだ。25)
以上,本論では, 「現代小説論」以後,ウルフが自ら
(傍点筆者)
行った表現上の実験の性格を,『ジェイコブの部屋』の
ここで,レナードの「人々が幽霊のようだ」という言葉
中で,及びその後に発展する形式との関連において,多
に着目しよう。すでに本文の第2節でも多少触れたが,
少眺めてきたつもりである。
確かに『ジェイコブの部屋』に登場する人の群れは,描
24) ibid., p.355
25) ノ4 防露θ〆εZ万σ7y, p.47
名古屋:工業大学学報 第29巻(1977)
参 考 文 献
Quentin Bell:βJoo吻伽7y, Weinden丘eld and Nicolson,
1968
Alice van Buren Kelleyl.蹄θハ励θ!5(ザ y〃g伽勿
肋01∫,Chicago U. P.,1971
N.T. Baz量R: γ玖g勿勿四∂oげαπ4’加ノ1π4708yπo%3
yゴ5’oπ,Rutgers U, P.,1973
A.McLaur1n:跡g勿ゴσ四∂oσ, Cambridge,1973
75
M.E. K:ro且egger:L魏プση勉ρ765εガ。傭彫, College alld
University p.,1973
J.Alexander:丁加 γ碗魏78げ勘7・彿勿訪θNoo61$
ごザy〃g勿宛既。げ,Kennikat,1974
「セザンヌと後期印象派」ファブリ/平凡桂
世界の名画「セザンヌ」,中央公論社
世界の名画「スーラと新印象派」中央公論社