出雲ブランド市民委員会【観光・産業グループ】 第1回取材報告 大好き

別紙6−1
出雲ブランド市民委員会【観光・産業グループ】
日
時
第1回取材報告
平成23年7月13日(水)8:30∼12:00
取材場所
神門通り∼出雲大社境内∼命主社∼乙見社
案 内 人
多々納光教さん(神門通り甦りの会事務局長)
松井惠治さん(出雲大社禰宜)
沖津世育さん(出雲大社主典)
参 加 者
市民委員5人 PT4人、事務局3人、マスコミ各社
大好き☆出雲!みーつけた!「出雲大社周辺の観光スポット発掘編」(part1)
出雲大社を参拝された皆さん。
もうちょっこし、おちらと見てごしなさいませ。
おもっせ場所が大社さんの近くにまだまだありますけん♪
★出雲ブランドその1「神門通り」
≪案内人:多々納光教さん(神門通り甦りの会事務局長)≫
神門通りは明治45年(1912)に、国鉄大社駅の開業とともに出雲大社への新しい参詣道と
して発展。大正4年(1915)には、篤志家の小林徳一郎氏から日本一の大鳥居と松280本が
寄進された。
かつては参拝客が通り大変な賑わいだったが、自動車の普及とともに衰退。新出雲市誕生後、
神門通り甦りの会をはじめとした団体の努力により魅力的なお店が次々と出店し賑わいを取り
戻しつつある。
●発掘したおすすめスポット
①通りの風景が来るたびに変わります!
多々納さん一押しが、今後の街並みの変化。神
門通りは来るたびに新しい表情を見せるとのこ
と。新しいお店がこれからも次々とオープンし、
電線の地中化で景観もスッキリする予定。通りの
最終地点から見る景色は絶品で、今なら中国山脈
が
一望できます。
■勢溜から神門通りと中国山脈を望む
②出雲の特産品(ブランド)を満喫!
通りには数々の「出雲ぜんざい」
「出雲そば」をはじめとした特産品のお店が立ち並びま
す。食べくらべて、好みのお店をみつけては!
③「一畑電鉄出雲大社前駅」は国のお宝です!
昭和5年(1930)に建てられた駅で、美しいステンドグラスがあるモダンな造り。このス
テンドグラスからの日差しを二人で一緒に浴びると「結ばれる」そうです。以前、結婚式
も行なわれたとか。国の登録文化財に指定されていて、歴史的にも価値あり!
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④大国さまの石像探しにチャレンジ!
最初4つだった大国さまの石像も、現在は7つに増えました!すべての石像を見つける
ことができるかな?大国さまをすべて見つけて、ステキなご縁にあずかりましょう。
★出雲ブランドその2「出雲大社の参道と御本殿周辺」
≪案内人:松井惠治禰宜さん・沖津世育主典さん(出雲大社神職)≫
平成の大遷宮について、現在御本殿の大屋根を葺き替え。正遷宮は平成25年5月10日。
参拝には、出雲商工会発行の「ご参拝ガイド」が一押し。4つの鳥居をくぐり、祓社を拝ん
でから、大神様の前で「2礼4拍手1礼」という作法のほか、参道周辺の様々なスポットが詳
しく解説されている。
※正しい参拝方法や、周辺の銅像や松並木のいわれなどを取り上げる。
■下り参道
■祓社
■祓社でお参り
境内には野鳥がたくさん生息、出雲大社の「出雲大社境内自然ガイド」を見ながら野鳥を観
察できるのも出雲大社のもう一つの魅力。出雲大社は早朝から参拝できるので、早朝の鳥のさ
えずりは出雲ブランドと言えるのではとの話。
神在月に全国から来られる八百万の神々の宿泊所となる十九社。東十九社と西十九社に分か
れており、東日本の神様と西日本の神様がどこの県を境に分かれるのかが、おもしろい謎。
注連縄について、材料と納めていただいている地域は次のとおり。
(御本殿)菰製、斐川町黒目で作成
(神楽殿)稲藁製、頓原町で作成
(御仮殿)稲藁製、大東町須賀で作成
(境内社と境外社)稲藁製、地元で作成
神楽殿の前には、第八十代出雲国造千家尊福公
(司法大臣、東京都知事など歴任)が作詞した
「一月一日」の歌詞(年の始めのためしとて 終り
なき世のめでたさを・・・)の石碑がある。
今後の本格的建て替えのための植林計画の話も、
興味深い。
■松井禰宜さんの説明を受ける参加者
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★出雲ブランド3「出雲大社ゆかりの神社(境外社)
」
出雲大社の摂社、末社は、境内摂社が8社、境内末社が3社、境外摂社が9社、境外末社が
3社あり、計23社を数える。
摂社とは、おもに本殿主祭神の后神や御子神などゆかりのある神々が祀られている。末社と
は、その他一般的な役割を持った神であることが多い。
●発掘したおすすめスポット
①出雲大社の境外社は魅力たっぷり!
出雲大社とあわせて参拝したい魅力たっぷりの境外社を紹介します。
○命主社(いのちぬしのやしろ)
祭神はカミムスビノカミで、天地創造の造化三神の一柱です。大ヤケドで死んでしま
われた大国主神の命を助けるため、キサガイヒメとウムガイヒメを遣わされました。
江戸時代のはじめ、寛文の御造営(1667年)のとき、社殿後方の大岩を切出した
際に銅剣、銅戈、勾玉が出土し、現在伝わる銅戈と勾玉は国の重要文化財に指定されて
います。
(出雲大社の宝物殿で 本物 を見学できます!)
最近修理されたときに、部材から「御向」の墨書が発見され、現在の出雲大社御本殿
よりも前の時代の寛文造営で建てられた御向社が移築された可能性が高いそうで、建物
としても、とても貴重で重要な神社なのです。
この神社のそばに、樹齢1000年のムクの大樹があり市の天然記念物に指定されて
います。スピリチュアルなこの巨木の幹は、人によって動物や顔などさまざまな模様に
見えます。
○乙見社(おとみのやしろ)
祭神はシタテルヒメノミコトで、大国主大神の娘です。この女神様にまつわる話とし
て、天界のアマテラスオオミカミから国譲りの使者として地上界へ使わされたアメノワ
カヒコという神が、シタテルヒメと結婚し、8年間も音沙汰無く、使命を果たさず、二
人で父神の国土経営を助けたというのがありま
す。展開の使者を虜にするほどシタテルヒメは美
しく、そしてアメノワカヒコもイケメンだったの
かもしれませんね。ちなみにシタテルヒメは歌も
詠まれており、まさに才色兼備といえます。
乙見社の建物としては、最近修理されたときに、
「東門神」「脇宮」の墨書が発見され、前の時代
である境内社の部材を使用していて貴重な
建物であることがわかっています。
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■乙見社
②御本殿と境外社までの距離と祭神の関係をたどってみよう!
※絵などで視覚的にまとめたい
出雲大社の御本殿から境外社の距離を見てみると、オオクニヌシノオオカミの命を助け
られた命の恩人「命主社(カミムスビノカミ)
」が最も近くにおられる。御子神(こどもた
ち)は出雲大社の境内ではなく境外にのみ祀られていて、この中で最も近いのは娘神「乙
見社(シタテルヒメノミコト)
」で、息子神の「阿式社(アジスキタカヒコネノカミ)
」、
「三
歳社(コトシロヌシノカミ)
」は前線で神域をお守りされているよう。
ちなみに、境内社では、御本殿に最も近い両サイドにお后が2社「御向社(スセリヒメ
ノミコト)
」
「筑紫社(タギリヒメノミコト)
」で仲良く鎮まられている。そして、そのすぐ
となりに、大ヤケドから命を救われた神様1社「天前社(キサガイヒメノミコト、ウムガ
イヒメノミコト)
」で、とても大事にされているのがわかります。
③境外社のうち5社は県のお宝に!
命主社、乙見社、三歳社、出雲井社、仮宮(上の宮)は平成22年4月に県指定文化財
になったとのこと。
出雲地方に分布する社殿形式「大社造(たいしゃづくり)
」の歴史、形式や変遷を知るう
えで重要でバラエティに富んでいるのが特徴。
また、現在の出雲大社御本殿が建てられた延享造替(1744)と同時期に建替えられ、寛文
造替(1667)の出雲大社境内社殿の部材を使用して建造されていいて、現在の御本殿よりも、
古い時期の社殿の部材が残る形で今に伝わっています。
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