第32回井上学術賞授賞理由 2015年12月 公益財団法人井上科学振興財団 第32回(2015 年度)井上学術賞 研究題目 星・惑星形成過程の理論的研究 Theory for the Formation of Stars and Planets い ぬつ かしゆうい ちろ う 受賞者 犬塚 修 一郎 氏 名古屋大学大学院理学研究科・教授 学位 博士(理学) 東京大学 略歴 1989年 東京大学教養学部卒業 1994年 東京大学大学院理学系研究科博士課程修了 1994年 国立天文台理論天文学研究系(日本学術振興会特別研究員 PD) 1994年 国立天文台理論天文学研究系助手 2001年 京都大学大学院理学研究科助教授 2007年 同 准教授 2009年 名古屋大学大学院理学研究科教授 授賞理由 星と惑星がどのようにして作られていくのかを知りたいというのは、人類の長年の夢の ひとつである。現在では、星・惑星は以下に述べるような、いくつかの重要なプロセスを経 て形作られていくものと考えられている。それぞれのプロセスの解明にむけて、犬塚氏は原 子・分子のミクロな反応を考慮した、周到な磁気流体力学シミュレーションを駆使し、顕著 な貢献をした。 (1)希薄で高温の水素原子ガスが、星のゆりかごとも言うべき低温の分子雲(主として水 素分子からなる星雲の一種)に進化する過程。犬塚氏は、分子雲を形成するのに要する時間 が従来想定されていたよりも 10 倍以上長くなるという星形成シナリオを提案し、観測から 示唆されていた星の形成率や、巨大分子雲の質量関数を説明した。 (2)分子雲から、高密度の細長いフィラメント構造(分子雲コア)に沿って、新しい原始 星が生まれる過程。犬塚氏は、星間ガスの動力学的安定性から、分子雲コアが形成されるこ とを示し、その質量関数を予言する理論を構築した。この予言は、ハーシェル宇宙望遠鏡に よる観測で 2015 年に見事に裏付けられている。 (3)原始星の周りに、回転によって支えられた円盤が形成され、それが惑星系に育ってい く過程。犬塚氏らは、自己重力の弱いガス円盤では、原始星から 100 天文単位(1天文単 位=地球の公転半径)ほどの所に、幅 13 天文単位ほどの軸対称リング構造が発生すること を 2014 年に論文上で予言した。そのわずか 1 ヵ月後に、チリのアタカマ砂漠に建設された 大型電波干渉計(ALMA)を用いて、きわめて若い原始星と思われるおうし座 HL 星の観測 が行われ、犬塚氏らの予言が正しいことが証明されている。これはちょうど、新しい惑星が 形成されつつある現場を目撃していることに相当する。 以上のように犬塚氏の理論的な研究成果はきわめて独創性が高く、かつ、その予言が次々 に観測によって裏付けられた画期的なものである。犬塚氏は、今後も理論と観測の緊密な連 携を通じて、天体物理学及び関連分野の発展に大きく貢献するものと期待され、井上学術賞 にふさわしいと判断した。 第32回(2015 年度)井上学術賞 研究題目 蛍光プローブの精密分子設計による新規術中がんイメー ジング技術の開発 Development of novel intraoperative tumor imaging technology based on precise design of fluorescence probes うら の やすてる 受賞者 浦野泰照 氏 東京大学大学院薬学系研究科・教授 学位 博士(薬学) 東京大学 略歴 1990年 東京大学薬学部卒 1995年 東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了 1995年 日本学術振興会特別研究員 PD 1997年 東京大学大学院薬学系研究科助手 2005年 東京大学大学院薬学系研究科助教授 2007年 同准教授 2010年 東京大学大学院医学系研究科教授(現 兼務) 2014年 東京大学大学院薬学系研究科教授 受賞 2002年度 日本フリーラジカル学会学術奨励賞 2004年度 日本薬学会奨励賞 2006年度 文部科学大臣若手科学者賞 2006年度 Invitrogen-Nature バイオテクノロジー賞 2012年度 日本学術振興会賞 2012年度 読売テクノフォーラムゴールドメダル賞 授賞理由 生体内の分子動態を画像として解析するバイオイオイメージングは、生物科学および生 命科学の発展に大きく寄与してきている。中でも、蛍光タンパク質や外から加える色素の蛍 光を用いる蛍光イメージングは、 生きている状態の細胞や動物体内で起こる事象や応答の観 測手法として、現代の生物学研究に必要不可欠の技術となっている。 浦野泰照氏は、観測対象分子や細胞応答を可視化する「蛍光プローブ」と呼ばれる光機 能性分子を、独自の論理的精密設計法を駆使して設計、合成し、従来不可能であった新たな ライブイメージングや細胞機能制御を実現してきた。具体的には、光誘起電子移動の考察か ら生まれた TokyoGreen などの蛍光プローブ、分子内スピロ環化制御による次亜塩素酸応 答蛍光プローブ、 分子内共鳴エネルギー移動を利用したタグ化蛍光プローブなど50種を超 える新規蛍光プローブの開発に成功し、20種以上のプローブは既に市販化され、世界中の 生物系研究者がこれを活用して多くの成果を挙げてきている。 以上の研究成果に加えて、近年、医療への先進的な貢献を目指した化学と医学の接点を 追及する研究を展開してきている。その代表例は、蛍光プローブの精密設計による微小がん の in vivo 蛍光可視化の実現であり、生きている動物個体や患者体内に存在するがん部位 を、その場で迅速に蛍光検出することで、精確な外科・内視鏡治療をめざした技術である。 がん部位がもつ特徴的な酵素活性を可視化する新たな蛍光プローブの開発に成功し、1mm 以下の微小がんであってもこれを目視で十分に見える明るさで蛍光検出することに成功し ている。現在、臨床医師との協同により、国内外20以上の病院との臨床蛍光イメージング ネットワークが形成され、実用化へ向けての検討が始まっている。 以上のように、浦野泰照氏は、論理的分子設計法に関する基礎研究を基に、革新的かつ 実用的な蛍光イメージング技術を新たに開発し、世界のケミカルバイオロジー分野のリーダ ーとして活躍しており、井上学術賞にふさわしいと判断した。 第32回(2015 年度)井上学術賞 研究題目 超伝導体のヒッグスモードの発見 Discovery of Higgs mode in superconductor し まの 受賞者 りよう 島野 亮 氏 東京大学低温センター・教授 学位 博士(工学) 東京大学 略歴 1990年 東京大学工学部卒業 1994年 東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得中途退学 1994年 東京大学大学院工学系研究科助手 2004年 東京大学大学院理学系研究科助教授 2007年 同 准教授 2014年 東京大学低温センター教授 受賞 2015年度 超伝導科学技術賞(未踏科学技術協会) 授賞理由 近年、テラヘルツ周波数帯の光物性物理学の研究が大きく進展している。テラヘルツ波 とは、電波と光の中間の周波数をもつ電磁波であり、半導体、超伝導体、グラフェン、マル チフェロイック物質などの広範な物質群での、光と物質の相互作用解明、量子状態制御、新 規光機能の発見など、物性研究の新しい舞台となっている。 島野亮氏はその中心的推進者として先駆的かつ主導的役割を果たしてきている。その中 でも特筆すべき業績として超伝導体におけるヒッグスモードの発見がある。2012 年に最後 の素粒子と呼ばれたヒッグス粒子が発見され大きな話題となったのは記憶に新しい。この粒 子を生み出すヒッグス機構は、真空の対称性破れという南部理論をもとにしたものである が、その発端には超伝導の相転移理論があった。超伝導においてもヒッグス機構と同様な機 構が理論的に予言されていたが、実際の発見は長い間実現されていなかった。それは、通常 の近赤外レーザーの光子エネルギーは超伝導体ギャップよりはるかに大きくヒッグスモー ドを励起する変化を起こす前に超伝導自身が壊れてしまうためである。この問題を克服する ためには、光子エネルギーが小さなテラヘルツ電磁波の十分強くかつ短いパルスが必要とな る。 島野氏は高強度テラヘルツ波パルス光源の開発と超高速分光技術を世界に先駆けて開発 することにより、超伝導体の秩序変数のヒッグス振動の観測に成功し、さらに強いテラヘル ツ波とヒッグスモードの共鳴によって第三高調波が発生することを見出している。この研究 は、 素粒子としてのヒッグス粒子発見とともにヒッグス機構の普遍性への実験的根拠を与え ており、世界で驚きをもって迎えられた。さらにそれを可能にした精密な実験手法も、量子 凝縮相の非平衡ダイナミクス、光による量子制御、超伝導の新規光機能の観点からも高く評 価されている。 島野氏は、上記の業績の他、半導体でのレーザー励起による高密度電子正孔系での、励 起子分子のラビ分裂、電子正孔液滴の発見、励起子のモット転移の観測、また輸送現象の分 野での光学量子ホール効果と呼ばれる現象の発見など、大きな成果を挙げている。このよう に島野氏の光物性研究への貢献は傑出しており、井上学術賞にふさわしいと判断された。 第32回(2015 年度)井上学術賞 研究題目 匂いやフェロモンを感知する嗅覚に関する研究 Studies on the olfactory system that senses odorants and pheromones とうはらかずしげ 受賞者 東原和成 氏 東京大学大学院農学生命科学研究科・教授 Ph.D. 学位 ニューヨーク州立大学 略歴 1989年 東京大学農学部卒業 1993年 ニューヨーク州立大学 Stony Brook 校化学科博士課程修了 1993年 デューク大学医学部博士研究員 1995年 東京大学医学部脳研究施設助手 1998年 神戸大学バイオシグナル研究センター助手 1999年 東京大学大学院新領域創成科学研究科助教授 2009年 東京大学大学院農学生命科学研究科教授 受賞 2004年度 日本生化学会奨励賞 2006年度 文部科学大臣表彰若手科学者賞受賞 2006年度 RH Wright Award(国際ライト賞) 2009年度 日本学士院学術奨励賞 2009年度 日本学術振興会賞 授賞理由 五感のひとつである嗅覚のメカニズムは、1991 年の Buck と Axel による多数の嗅 覚受容体遺伝子候補の発見により著しくその解明が進んだ。東原氏は、90 年代後半に、 この嗅覚受容体が本当に匂いを認識するという実証実験に世界に先駆けて成功し、200 4 年の Buck と Axel のノーベル賞を後押しした。その後、嗅覚受容体の匂い認識メカニ ズムの基礎学術的知見を次々と報告し、最近では産業界において有用なムスク香の受容 体を発見して特許を通して社会貢献もしている。また、候補者は匂いだけでなくフェロ モンにも研究領域を広げ、1950 年代のカイコのフェロモンの発見以来、長い間不明で あった昆虫の性フェロモン受容体を世界で初めて発見した。そして、昆虫の匂いやフェ ロモンの受容体は、哺乳類の G タンパク質共役型とは違い、7回膜貫通型であるのにも 関わらずリガンド作動性のチャネル複合体であるという驚くべき事実を発表した。 また、哺乳動物のフェロモンの探索研究にも力をいれ、マウスの涙から性行動を制御 するペプチド性のフェロモンを発見するなど、オリジナルな研究成果も発表している。 この成果は、陸棲の生物が使うフェロモンは空気中を飛ぶ揮発性のものだけあるという 定説を覆すものであった。このように、匂いやフェロモンの分子レベルから受容体レベ ル、そして行動レベルまで、化学と生物の境界領域の技術アプローチを使って、多角的 な視点からオリジナルな嗅覚研究を推進してきている。また、東原氏は、専門雑誌のみ ならず、一般雑誌の特集などを通して、そして一般市民向けの講演を多くおこなうなど、 嗅覚の啓蒙活動にも積極的に取り込んできている。現在は、ERATO 東原化学感覚プロジ ェクト研究総括として、領域の活性化に努めると同時に、ヒトの嗅覚研究にも挑戦して いる。この様に、東原氏は嗅覚研究に大きな功績を挙げ、世界的なリーダーとして活躍 している。 第32回(2015 年度)井上学術賞 研究題目 臨床応用可能な腸内細菌種の同定と単離に関する研究 Identification and isolation of therapeutic intestinal commensal bacteria ほ んだ 受賞者 け んや 本田賢也 氏 慶應義塾大学医学部・教授 学位 博士(医学) 略歴 1994年 京都大学 神戸大学医学部卒業 2001年 京都大学大学院医学研究科博士課程修了 2001年 東京大学大学院医学系研究科免疫学講座助手 2007年 大阪大学大学院医学系研究科免疫制御学教室准教授 2009年 東京大学大学院医学系研究科免疫学講座准教授 2013年 理化学研究所統合生命医科学研究センターチームリーダー(兼任) 2014年 慶應義塾大学医学部教授 受賞 2013年 科学技術学術政策研究所ナイスステップな研究者 2013 2014年 ゴットフリードワグネル賞 優秀賞 2014年 野村達次賞 2015年 日本免疫学会賞 授賞理由 現在の微生物学・免疫学において求められている重要課題の一つは、我々が日常的に接 しながら、互いに恒常性を保ちつつ一生涯共存している「常在」微生物との相互作用の理解 である。消化管管腔には 1,000 種類以上と言われる常在細菌が存在し、上皮や免疫細胞と恒 常的に相互作用している。 消化管常在菌叢の構成異常は様々な疾患と強い相関があることが 示唆されているが、その複雑さから詳細なメカニズムは十分明らかになっていなかった。 本田賢也氏は、この複雑な細菌叢の宿主への影響を理解するため、特定の腸内細菌だけ を持つ動物を作成する技術(ノトバイオート技術)と共に、ほとんどの嫌気性菌を培養出来 る技術を導入し、さらに次世代シーケンサーによる腸内細菌の包括的な解析法(マイクロバ イオーム解析法)を組み合わせた統合的なアプローチにより、個々の構成細菌による宿主へ の影響を明確にする新たな方法論を開発してきた。この方法は、あらゆる粘膜面に存在する 常在微生物と宿主の相互作用を、免疫系・代謝系・循環器系・神経系など様々な観点から研 究することが出来る。この新たな方法を用いてこれまでに、免疫恒常性維持に必須の細胞で ある T ヘルパー17(Th17)細胞と制御性 T(Treg)細胞をそれぞれ特異的に誘導する腸内細 菌種の同定に成功している。この一連の成果は、複雑な腸内細菌叢と腸管の免疫システムの 間に成立するバランスがヒトの身体の恒常性を保つ中核を成しているというコンセプトを 確立するものであり、 このバランスが崩れることが自己免疫疾患など様々な疾患と関連して いることを強く示唆するものである。 本田氏が同定単離した菌株は応用展開出来る可能性も高い。実際、Treg 細胞誘導性ヒト 由来クロストリジア 17 菌株を、炎症性腸疾患治療に応用する試みも進んでおり、世界的に も注目されている。今後の更なる発展がおおいに期待できる学際的学問分野を牽引する第一 人者であり、井上学術賞にふさわしいと判断した。
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