●人工臓器 ─ 最近の進歩 培養軟骨による軟骨欠損治療の最近の進歩 株式会社ジャパン・ティッシュ・エンジニアリング研究開発部 菅原 桂 Katsura SUGAWARA プロテオグリカンなどからなる豊富な細胞外基質で構成さ はじめに:超高齢社会と関節疾患 1. れている。軟骨は無血管の組織で細胞密度が低いことから, わが国は 2007 年に,65 歳以上の人口が総人口の 21%を 強い外力によって軟骨組織が欠損する外傷性軟骨欠損症で 超える「超高齢社会」を迎えた。高齢者が健康に過ごすこ は,軟骨が自然修復することは非常に困難である。また, とは,本人にとって重要であることはもちろんであるが, 思春期から青年期に多くみられる離断性骨軟骨炎は,ス 医療費や介護費用を抑制する意味で,日本全体における社 ポーツなどによって外力が繰り返し加わることで,軟骨下 会的,経済的な課題でもある。65 歳以上の高齢者について 骨に骨壊死が生じて骨軟骨片が離断し,遊離すると考えら は,健康上の問題で日常生活動作,外出,仕事,家事,学業, れている。若年者で関節軟骨の連続性が保たれている場合 運動などに影響のある者が全体の約 20%であること 1),ま には保存療法が奏功するが,そうでない場合には関節鏡視 た要支援・要介護の原因のうち関節疾患は 10.9%で,近年 下での遊離体の摘出,骨軟骨欠損部の骨穿孔術,骨軟骨柱 増加している要支援者の原因は関節疾患がもっとも多いと 移植術,骨釘や吸収性ピンを用いた遊離体の固定などの手 報告されている 2) 。高齢者に多い変形性膝関節症は,明ら 術療法が行われる。病巣部の関節面が維持されれば予後は かな原因が認められずに膝関節軟骨の変性がみられる一次 良好であるが,大きな欠損が残った場合は軟骨が変性し, 性のものと,外傷など明確な原因に起因する二次性のもの 変形性膝関節症に至るおそれがある。 がある。二次性の変形性膝関節症は,スポーツ外傷や交通 事故などによって軟骨欠損が生じ,時間とともに軟骨組織 の変性が進んで,やがて人工関節置換術の適応となること 3. 軟骨欠損の治療と再生医療 軟骨は無血管の組織で,細胞密度も低いことから,外傷 も多い。変形性膝関節症をはじめとする関節疾患の治療は, 性軟骨欠損症や離断性骨軟骨炎による軟骨欠損は根本的な 高齢者が健やかな生活を送るうえで非常に重要な課題と 治療が難しいと考えられてきたが,ウサギを用いた動物実 なっている。 験において,培養した軟骨細胞を用いて軟骨欠損を修復で きる可能性が示唆された 3) 。この結果を受けて,スウェー 関節軟骨の特徴と疾患 2. デンの Brittberg らは自家培養軟骨細胞移植術を確立して 関節軟骨は可動関節の骨端部を覆うように存在してお 臨 床 応 用 し,1994 年 に 報 告 し た 4) 。 こ の 方 法 は 米 国 り,関節の動きを滑らかにし,外力に対するクッションの Genzyme Tissue Repair 社(現,Sanofi Biosurgery 社)をは 役割を果たしている。関節軟骨は組織学的には硝子軟骨で じめ,欧州や韓国の企業によって商業化されている。この あり,成人の関節軟骨には血管,神経,リンパ管などはない。 方法は,根本的な治療法がなかった軟骨欠損症に再生医療 軟骨は非常に疎に存在する軟骨細胞と,Ⅱ型コラーゲンや を応用した点で非常に画期的であったが,方法論的にはい くつかの欠点が指摘されていた。すなわち,①分離した軟 ■著者連絡先 株式会社ジャパン・ティッシュ・エンジニアリング研究開発部 (〒 443-0022 愛知県蒲郡市三谷北通 6-209-1) E-mail. [email protected] 198 骨細胞を単層(平面)培養で増殖させるため,軟骨細胞がし だいに基質産生能を失う可能性があること,②欠損部への 細胞の投与は,骨膜で欠損部を覆ったのち細胞懸濁液の状 人工臓器 42 巻 3 号 2013 年 態で注入することから,術後に細胞が漏出する可能性があ ること,③注入した軟骨細胞が重力の影響で偏在する可能 性があること,である 5) 。これらの課題に対し,島根医科 大学整形外科の越智教授(現,広島大学)は,既に薬事承認 を受けて形成外科領域で使用され,安全性が明らかになっ ていたアテロコラーゲンをスキャホールドに用いることを 考案した。この方法は,患者自身の軟骨細胞をアテロコ ラーゲンに包埋して 3 次元の培養軟骨を作製し移植するも ので,1996 年に大学の倫理委員会の承認を得て臨床研究 が開始された。本法は外傷性軟骨欠損症,離断性骨軟骨炎, 図 1 自家培養軟骨ジャック ® による治療の概要 変形性関節症に対して施行され,その有用性が報告されて いる 6),7) 。 海外の状況として,米国では 1997 年に Genzyme Tissue 非盲検試験で膝 30 例,肘 2 例に移植されたが 8),審査の過 Repair 社が Food and Drug Administration(FDA)から承認 程で肘は例数が少ないため適応から除外されたことと,変 を受けた Carticel® があるが,その後上市されている製品は 形性関節症は外傷性軟骨欠損症,離断性骨軟骨炎と病因が な い。 欧 州 で は ベ ル ギ ー の TiGenix 社 が 2009 年 に 異なるという判断で適応から除外された。その結果,24 例 Agency(EMA)から ChondroCelect® が評価の対象とされ 9),適応は「膝関節における外傷性軟 の承認を得ている。これらはいずれも Brittberg らの自家 骨欠損症又は離断性骨軟骨炎(変形性膝関節症を除く)の 培養軟骨細胞移植術を商業化したものである。このほかに, 臨床症状の緩和。ただし,他に治療法がなく,かつ軟骨欠 欧州ではイタリアの Fidia Advanced Biopolymers 社(現 損面積が 4 cm2 以上の軟骨欠損部位に適用する場合に限 Anika Therapeutics 社)の Hyalograft®C が 1999 年に施設承 る」となった。 European Medicines 認 を 取 得 し,ド イ ツ で は BioTissue Technologies 社 の 治験で膝軟骨欠損に移植した 30 例のうち,追跡が可能で BioSeed®-C が 2001 年に,また Arthro-Kinetics 社の CaReS® あった 14 例については,移植後 5 年以上経過した時点での が 2003 年 に 施 設 承 認 を 取 得 し て い る。Hyalograft ® C, 長期追跡調査が行われた 10) 。膝機能評価法の一つである BioSeed ® -C,CaReS ® はいずれも軟骨細胞をスキャホール Lysholm Knee Score は,移植前値に対して移植後 1 年で有 ドに包埋した 3 次元の培養軟骨であるが,EMA による承認 意な改善が認められていたが,5 年以降もその値は維持さ ではなく各国当局による実施施設や症例数が限定された形 れていた。また,Magnetic Resonance Imaging(MRI)画像 での承認となっている。 の評価においては,移植後 1 年と移植後 5 年以降の値がそ 4. れぞれ移植前に比べて有意な改善が認められていること 自家培養軟骨ジャック ® の開発 と,移植後 1 年と移植後 5 年以降の値には有意差がないこ 株 式 会 社 ジ ャ パ ン・ テ ィ ッ シ ュ・ エ ン ジ ニ ア リ ン グ (J-TEC)は再生医療の実用化を目指して 1999 年に設立さ とから,移植後 1 年の状態が維持されているものと考えら れた。 れた企業で,米国ハーバード大学の H. Green 教授が開発し ジャック ® の開発においては細胞組織加工製品に特有の た Green 型培養表皮と,越智教授が開発した自家培養軟骨 課題に多々直面した。自家細胞製品は,患者の個人差によっ についてそれぞれ技術供与を受け,日本で薬事法にもとづ て製品品質にばらつきが生じることが否めないが,薬事法 く製造販売承認を取得すべく開発を行ってきた。自家培養 下での製造においては製品規格を設定する必要があり,こ 軟骨は 2001 年に治験前確認申請を提出し,2004 年にその れを逸脱した場合には出荷することができない。ジャッ 適合の確認を受けて治験を開始した。2007 年に治験を終 ク ® の品質に関する試験では,数多くの軟骨組織を用いて 了した後,2009 年に製造販売承認申請を行って 3 年後の 培養軟骨を作製し,できるだけ個体差の影響を受けないよ 2012 年に日本で初めての培養軟骨(製品名:ジャック ®) う,原材料の選定や製造方法の標準化を行ったうえで治験 として製造販売承認を取得している。2013 年 4 月には保険 を実施し,治験検体の品質と臨床で得られた安全性・有効 収載され治療に用いられている(図 1)。 性のデータを踏まえて規格を設定したが,自家細胞製品に ジャック ® の治験は,膝または肘における外傷性軟骨欠 損症,離断性骨軟骨炎,変形性関節症を対象として非対照 おける適切な規格の設定は非常に難しいことを経験した。 このほかにもジャック ® の開発では,医薬品や医療機器の 人工臓器 42 巻 3 号 2013 年 199 レギュレーションの考えが馴染まないために難渋したこと も多い。今後の法改正の動きともあわせて,わが国におい て細胞組織加工製品に適した開発プロセスが確立されるこ とを望む。 おわりに 5. 2013 年 10 月の時点で,わが国において製造販売承認を 取得した細胞組織加工製品は,J-TEC の自家培養表皮ジェ イス ® と自家培養軟骨ジャック ® の 2 品目のみである。そ のほか,テルモ株式会社のヒト骨格筋芽細胞シートと日本 ケミカルリサーチ株式会社の同種ヒト間葉系幹細胞の治験 が実施されているところである 11) 。再生医療の実用化・ 産業化が遅れているといわれるわが国の状況ではあるが, 基礎研究と日本独特の仕組みである臨床研究は非常に活発 に行われており, 「ヒト幹細胞を用いる臨床研究に関する 指針」に適合して臨床研究を実施しているものが 79 件あ る。その中で軟骨欠損治療(椎間板を含む)に関するもの が 11 件 あ り,ほ か に 医 師 主 導 治 験 も 1 件 実 施 さ れ て い る 11) 。このようにわが国には軟骨の再生医療に関するシー ズが数多くあり,わが国の軟骨研究のポテンシャルの高さ を示すものである。世界では培養皮膚についで実用化が進 んでいる培養軟骨であるが,今後はより低侵襲で移植でき る製品や,一次性の変形性膝関節症に適用できる製品など, 多様な製品の登場が望まれる。 本稿の著者には規定された COI はない。 200 文 献 1) 内閣府:平成 24 年度 高齢社会白書(概要版).Available from: http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/index-w. html 2) 厚生労働省大臣官房統計情報部:平成 24 年グラフでみる 世帯の状況 ─国民生活基礎調査(平成 22 年度)の結果か ら─.2010 3) Grande DA, Pitman MI, Peterson L, et al: The repair of experimentally produced defects in rabbit articular cartilage by autologous chondrocyte transplantation. J Orthop Res 7: 208-18, 1989 4) Brittberg M, Lindahl A, Nilsson A, et al: Treatment of deep cartilage defects in the knee with autologous chondrocyte transplantation. N Engl J Med 331: 889-95, 1994 5) Ochi M, Uchio Y, Tobita M, et al: Current Concepts in Tissue Engineering Technique for Repair of Car tilage Defect. Artif Organs 25: 172-9, 2001 6) Ochi M, Uchio Y, Kawasaki K, et al: Transplantation of car tilage-like tissue made by tissue engineering in the treatment of cartilage defects of the knee. J Bone J Surg Br 84: 571-8, 2002 7) Adachi N, Ochi M, Deie M, et al: Implantation of tissueengineered cartilage-like tissue for the treatment for fullthickness cartilage defects of the knee. Knee Surg Sports Traumatol Arthrosc [Epub ahead of print], 2013 8) Tohyama H, Yasuda K, Minami A, et al: Atelocollagenassociated autologous chondrocyte implantation for the repair of chondral defects of the knee: a prospective multicenter clinical trial in Japan. J Orthop Sci 14: 579-88, 2009 9) 自家培養軟骨ジャック ® 添付文書 10) Takazawa K, Adachi N, Deie M, et al: Evaluation of magnetic resonance imaging and clinical outcome after tissue-engineered cartilage implantation: prospective 6-year follow-up study. J Orthop Sci 17: 413-24, 2012 11) 国立医薬品食品衛生研究所遺伝子細胞医薬部第二室:多 能性幹細胞安全情報サイト.Available from: http://www. nihs.go.jp/cgtp/cgtp/sec2/sispsc/html/index.html 人工臓器 42 巻 3 号 2013 年
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