譲渡制限付株式 - Willis Towers Watson

特集■インセンティブ型役員報酬をめぐる法務と税務
特集 インセンティブ型役員報酬をめぐる法務と税務
日本企業の経営者報酬は,長らく
譲渡制限付株式(日本版
リストリクテッド・ストック)
導入の背景とその意義
「終身雇用」「社内登用」といった日
本企業固有の原則に基づき制度が形
作られ,運用されてきた。コーポレ
ートガバナンスの強化の流れのも
と,株主目線や成長の実現といった
視点を強化するための報酬として株
式報酬に焦点が当てられている。こ
れまで日本における株式報酬のメニ
ューは限られていたが,譲渡制限付
株式が登場することで,企業の選択
ウイリス・タワーズワトソン
経営者報酬部門リーダー/ディレクター
肢が広がり,株式報酬拡充の動きは
森田純夫
さらに加速するだろう。
ウイリス・タワーズワトソン
経営者報酬部門コンサルタント
小川直人
はじめに
2016年は,譲渡制限付株式の導入が実質
的に可能となったという点において,日本
の経営者報酬において大きな節目となるで
あろう。本稿は,その導入に至った背景と
意義について述べるものである。実際の活
びつつ,また,終身雇用の終着点として出
世レースに勝ち残った成功者である「役員」
を象徴するものとして機能していたのであ
る。
具体的には,こうした特性は報酬水準と
業績連動性の2つに表れている。
報酬水準については,役員の報酬水準は,
用の方向性などの具体論については,本特
従業員の人事制度の延長として,従業員の
集別稿「日本版リストリクテッド・ストッ
給与水準と大きくは変わらないものであっ
クと他の株式報酬との制度設計上の比較」
た。平均的な従業員の年間給与に対する役
(26 〜 33頁)で述べることとする。
1 日本の経営者報酬の特徴
員の年間報酬の比率が,日本においては典
型的には10倍から20倍程度であるのに対し
て,欧米先進国では100倍以上がざらであ
ることが,日本の状況を明瞭に示している。
1 日本固有の経営者報酬の位置づけ
つい最近に至るまで(見方によっては現
従業員と大きくは変わらない報酬水準は,
1つの運命共同体たる「カイシャ」として
の一体感を象徴するものであるといえよう。
在も)日本の経営者報酬は,日本における
もう一方の業績連動性については,「役
伝統的な雇用慣行や経営者の役割などに沿
員」という地位そのものが,激しい出世競
った形で運営されてきた。すなわち,従業
争をくぐり抜けた功績に対して報いる処遇
員の「賃金」の延長としての性格を強く帯
であるという色彩を帯びていることから,
8 税務弘報 2016.10
●譲渡制限付株式(日本版リストリクテッド・ストック)導入の背景とその意義
その地位に対する報酬として一定の額を
「保証」するのが自然であった,という背
景がある。激しい業績連動性を持っていて
2 諸外国との比較からみた日本の
経営者報酬の特徴
は,業績不振の場合などの場合に十分な報
そのようにして構築・運営されてきた日
酬の支給がままならないという状況を招き
本の経営者報酬は,諸外国と比べてどのよ
かねず,それでは過去の功績に対する報酬
うな特徴を持っているのだろうか。各国と
と し て は そ ぐ わ な い, と い う こ と で あ
の比較を通じて明らかにしたい。図表1は,
る(注1)。
一兆円企業の大企業について,日本と欧米
主要国の報酬水準を示したグラフである。
【図表1】日米欧CEOの報酬比較(2015年度)
欧米諸国企業の総報酬水準は5億円以上
の性格を決定的に二分している。
に達し,1.3億円程度である日本企業の報
報酬ミックス(構成比率)を示した次頁
酬水準の低さが際立っている。この違いを
のグラフ(図表2)を見ればさらに一目瞭
生み出している主な要因は,年次・長期の
然である。
各インセンティブから構成される業績連動
報酬であり,それが日本と欧米の報酬体系
税務弘報 2016.10 9
特集 インセンティブ型役員報酬をめぐる法務と税務
【図表2】日米欧CEOの報酬ミックス(2015年度)
固定報酬として位置付けられる基本報酬
か。業績の達成や成長に対してコミットす
について,日本が全体の半分以上を占める
るものにはなっていないのではないか。こ
のに対し,欧州では3分の1から4分の1
のような見方が支配的である(注2)。株主
程度,米国に至ってはわずか11%にとどま
価値に連動する報酬は長期インセンティブ
っている。すなわち,諸外国では,
(高額
に通常分類されるが,その長期インセンテ
ではあるが)報酬を受け取るためには業績
ィブの比率が低く,株主との利益の共有度
の達成が前提となっているのに対し,日本
が低い点も厳しく指摘されるところである。
においては(低額とはいえ)一定の報酬が
こうしたなか,2015年,政府は日本の成
業績と関係なく保証されていると見ること
長戦略の一環として,コーポレートガバナ
ができる。
ンス・コードを定め,施行した。このコー
また,業績連動報酬のうち株式報酬等を
ドの特徴は,コーポレートガバナンスを不
含む長期インセンティブについては,日本
祥事防止等のコンプライアンス的な側面よ
は全体のうちわずか14%であるが,欧州各
りも,企業の持続的な成長や中長期的な企
国は30%〜 40%,米国は70%近くに達し
業価値の向上を促すものと捉えた,いわば
ている。
「攻めのガバナンス」を強調していること
以上より,日本の経営者報酬は,その報
である。そうした基本理念に基づき,経営
酬水準・業績連動性ともに欧米先進国に比
者報酬についても具体的な言及がなされて
べて低いと総括される。
いる(図表3)。
2 コーポレートガバナンス・
コードが促す経営者報酬改革
このような日本固有の報酬体系に対する
【図表3】コーポレートガバナンス・コードに
おける経営者報酬関連の規定
CG
4-2
機関投資家の視線は厳しい。
日本の経営者報酬は,経営者に変革を促
すものではなく,保身を促すものではない
10 税務弘報 2016.10
4-10
•中長期的な会社の業績や潜在的リスク
の反映
•中長期的な業績と連動する報酬の割合
や現金報酬と自社株報酬との割合の適
切な設定
•取締役会の下に独立社外取締役を主
要な構成員とする任意の(指名・報酬)
諮問委員会の設置
●譲渡制限付株式(日本版リストリクテッド・ストック)導入の背景とその意義
このコーポレートガバナンス・コードの
記述には,先ほど述べたような日本におけ
る経営者報酬に対する認識が前提となって
いることは言うまでもない。
コードの施行に伴い,中長期的な成長を
促すインセンティブ報酬体系を築くこと,
そして,株式報酬を充実化させることが各
3 譲渡制限付株式の登場とその
意義
1 日本と海外の長期インセンティブ
制度
社の対応課題となった。これを素直に解釈
日本と海外の長期インセンティブの現状
し,長期インセンティブの導入や拡充に焦
について確認をしておきたい。図表4は欧
点が当てられたのは自然な流れといえよう。
米各国で用いられている長期インセンティ
ブを示したものである。
【図表4】欧米各国の長期インセンティブ
ドイツを除いては,いずれの地域におい
付株式」と比べて厳しい仕組みと言える。
ても株式報酬が中心となっており,そのな
パフォーマンスシェアも譲渡制限付株式
かでも中心的なのは「パフォーマンスシェ
も,株式を付与する「フルバリュー型」の
ア」である。
仕組みであり,株価の上昇分(のみ)を還
パフォーマンスシェアとは,一定の業績
の達成を条件として株式を支給するもの
で,そのような条件を付さない「譲渡制限
元するストックオプションとは異なるもの
である。
フルバリュー型の株式報酬は,株価が上
税務弘報 2016.10 11
特集 インセンティブ型役員報酬をめぐる法務と税務
昇しても下落しても,株主の利益や損失と
具体的なニーズに基づきビークルを選択す
連動することから,株主価値を意識させる
ることが重要である。ビークルをどれにす
上で有効な仕組みと言われている。
るか,というところから制度を設計する企
翻って日本はどうか。日本では,退職慰
業も多く見られるが,その場合,ビークル
労金の廃止とともに導入された,いわゆる
の制約によって制度が形作られてしまい,
「株式報酬型ストックオプション」が株式
結果として自社が実現したいことができな
報酬の中心であった。この株式報酬型スト
い,ということもあるので注意が必要であ
ックオプションは,行使価格1円のストッ
る。
クオプションで,事実上,譲渡制限付株式
いずれにせよ,このような基盤が構築さ
と同等の機能を果たすものである。日本に
れたことによって,株式報酬を活用する土
おいては,会社法上役員に株式を直接付与
壌が整えられつつある。今後想定される株
することができないとされていたことか
式報酬の一層の普及がもたらす影響とし
ら,このような擬似的な仕組みが用いられ
て,「株主目線の浸透」「グローバル化に向
たという背景がある。
けた基盤の構築」「報酬委員会における審
また,ここ1〜2年で急速に導入が進ん
議の変容」の3つが挙げられる。
でいるのが信託の仕組みを活用したもので
ある。会社が信託に資金を拠出し,信託が
⑴ 株主目線の浸透
株式を購入し,一定条件を満たしたのちに
株式報酬の付与が継続され,持株も増加
役員に対して株式を付与するというその仕
するとともに,経営者の保有資産が株主価
組みも,株式報酬型ストックオプションと
値に連動する状態が強化される。
同様,株式付与の困難さを克服するために
開発されたものと言える。
2 株式報酬の選択肢の拡大と株式
報酬普及の意義
日本では,株式処遇についてこのような
これに伴い,経営者はいわば「株主化」
するわけで,「経営者対株主」といった対
立構造ではなく,経営者と株主が協働して
企業価値の向上を目指すというコーポレー
トガバナンス・コードの目指す姿に近づく
可能性がある。
実務上の努力が積み重ねられてきたところ
であるが,
「会社が役員に株を付与する」
⑵ グローバル化に向けた基盤の構築
という諸外国ではごく一般的で,またシン
昨今,日本本社の役員に外国人が登用さ
プルな手段を活用すべく,日本においても
れるケースが増えてきている。また,海外
譲渡制限付株式の導入が実質的に可能とな
拠点における現地化も進み,現地法人のト
った(注3)。
ップが日本人の駐在員ではなく,現地で採
なお,どのようなビークル(器)を選ん
だとしても,基本的な目的を達することは
おおよそ可能である。検討の手順としては,
実現したいことを明確にした上で,個々の
12 税務弘報 2016.10
用された外国人であるというのも日常茶飯
である。
こうした状況において,グローバル全体
の企業価値等に連動する報酬を支給するこ
●譲渡制限付株式(日本版リストリクテッド・ストック)導入の背景とその意義
とで組織の統合を図る,といった発想が生
多国籍企業がすべからく導入している「グ
まれよう。このとき株式報酬がその主たる
ローバル長期インセンティブ制度」のニー
役割を担うことができる。
ズが,日本企業にも今後一層高まることが
予想される。
⑶ 報酬委員会における審議の変容
これまで日本企業は,外国人(日本非居
株式報酬は,いわば「株主が支給する報
住者)に対しては,キャッシュベースの長
酬」と解釈できる。このような特性から,
期インセンティブを適用してきた。その評
株式報酬の活用については,基本報酬や年
価指標は往々にして現地法人の財務指標と
次インセンティブ以上に,報酬委員会のよ
なっていることから,せっかく本社主導で
うな客観性を有する機関で慎重に審議する
長期インセンティブを付与するにもかかわ
ことが求められる。
らず,グローバル統合とは真逆といえる現
報酬委員会については,構成メンバー等
地最適の視点が期せずして強調されてお
の外形的な要素についてはある程度各社の
り,このことが各社の頭痛の種となってい
対応に目処がつきつつある状況であるが,
た。
これら株式報酬の議論などをきっかけとし
この状況を打開する上で,譲渡制限付株
て活発で実のある討議がなされる場となっ
式がグローバル長期インセンティブの受け
ていくことが期待される。
皿となりうるかどうかが注目されるところ
3 譲渡制限付株式がもたらすもの
である。特に外国人経営幹部への譲渡制限
付株式の付与が進むかどうかは,譲渡制限
譲渡制限付株式の詳細については,本特
付株式の各国法制における取扱いの明確化
集の別稿で論じられているが,ここでは,
や,実務面の基盤の整備の進展などに結論
この導入がもたらす影響について述べる。
を委ねざるを得ず,この点については今後
譲渡制限付株式は,付与直後から議決
の関係者の努力に期待したい。
権・配当受領権が発生し,有価証券報告書
とはいえ,制度設計上の柔軟性を有する
等で報告される各役員の保有株式数にも反
譲渡制限付株式の活用が可能になったこと
映されることにも象徴されるように,株式
は,日本企業が国内外において柔軟な形で
を実際に保有することを強く意識づけると
株式報酬を導入するインフラが整いつつあ
いう意味を持つ。
る状況を示唆していることは確かである。
4
4
4
4
4
4
4
本来株式報酬が目指している,経営者に
株主と同様の視点を持たせるという目的を
おわりに
直接的かつ強力に実現することが可能とな
2016年6月株主総会において,譲渡制限
る。先にも触れたように,経営者が「株主
付株式の導入を発表した企業は数社にとど
化」した状態が生み出されることになり,
まっており,おそらくは多くの企業におい
企業価値の向上を促す効果が期待できる。
て実務上の対応が間に合わず,次年度に導
また,日本企業の組織・人事のグローバ
入を延期するか,信託や株式報酬型ストッ
ル化が留まることを知らないなかで,欧米
クオプション等のその他のビークルの採用
税務弘報 2016.10 13
特集 インセンティブ型役員報酬をめぐる法務と税務
に踏み切ったものと推定される。
そ の 本 格 的 な 普 及 の 動 向 に つ い て は,
であるというわけでもないことは明らかである。
(注3)
平成27年7月24日経済産業省「コーポレ
2017年の株主総会の状況を通じて明らかに
ート・ガバナンス・システムの在り方に関する
されよう。
研究会」報告書
いずれにしても,譲渡制限付株式の導入
に伴い,株式報酬型ストックオプションや
信託などとあわせて一通りのラインナップ
が揃ったということには違いない。譲渡制
限付株式の導入は,株式報酬が経営者報酬
の軸となる時代が到来しつつあることを象
徴的に示すものである。
[Profile]
森田 純夫(もりた すみお)
ウイリス・タワーズワトソンの経営者報酬部門リ
ーダー/ディレクター。経営者報酬制度の設計や
報酬委員会の運営支援に長らく従事。特に最近は
日本企業のグローバル化の支援も多数手掛けてお
り,海外経営幹部の報酬やグローバル長期インセ
ンティブ,M&Aなどの案件にも多数関与。東京
大学文学部卒(社会学専攻)。
(注1)
2008年のリーマンショック以降の業績不
振の際は,固定報酬を「自主返上」の上,引き
下げる企業が続出した。日本企業の実質的な固
定報酬はさらに低いということを示すもので,
経営者のモチベーションを高めるという報酬の
本来の目的を果たしているか,という疑問が浮
き彫りにされた。
(注2) 一方で,機関投資家やマスコミなどは欧
米各国の高額報酬に対して激しい批判を行って
いるところであり,欧米各国の報酬体系が万全
14 税務弘報 2016.10
[Profile]
小川 直人(おがわ なおと)
ウイリス・タワーズワトソン 経営者報酬部門コ
ンサルタント。長期インセンティブ制度の設計や
報酬(諮問)委員会への陪席など,経営者報酬に
係るアドバイザリーに従事。日本企業の海外幹部
報酬に係るサポートも広く行っている。東京大学
教養学部卒,CFA協会認定証券アナリスト,公益
社団法人日本証券アナリスト協会検定会員。