文部科学省【経済社会の発展を牽引するグローバル人材育成支援】採択事業 2014 年度 春期 国際ボランティア・インターンシッププログラム 活動報告書 法政大学グローバル教育センター事務部 グローバルラーニング課 目 次 国際インターンシッププログラム [FPT 共催] 田中 希帆 国際文化学部 国際文化学科 3年 ベトナム・ハノイ Communication Assistant, FPT Software …1 深田 まい子 社会学部 社会政策科学科 2年 ベトナム・ハノイ Assistant, VnExpress E-Newspaper FPT Corporation …4 DONG VAN ANH 国際文化学部 国際文化学科 2年 ベトナム・ハノイ Marketing assistant, FPT Software …8 見附 真悠子 デザイン工学部 建築学科 3年 ベトナム・ハノイ Project Assistant, Vietnam Green Building Council (VGBC) …10 国際インターンシッププログラム [シャンティ国際ボランティア会(SVA)共催] 竹内 拓海 法学部 国際政治学科 2年 タイ・メーソット 初等教育改善を中心とした教育・文化支援活動 …12 福永 海南美 経済学部 現代ビジネス学科 3年 カンボジア・プノンペン 初等教育改善を中心とした教育・文化支援活動 …16 紀伊國屋書店クアラルンプール店での店舗研修 …18 国際インターンシッププログラム [紀伊國屋書店共催] 板東 祐太朗 社会学部 社会政策学科 4年 マレーシア・クアラルンプール 田中 希帆 国際文化学部 国際文化学科 3 年 きました。自分自身で英語のテストを作る経験は、私の英語力 向上にも必然的に繋がり、部署全体で英語力を伸ばそうと協力 •開始年月日…2015 年 2 月 14 日 し合えたと感じています。部署の皆さんもいつも暖かく優しく •終了年月日…2015 年 3 月 29 日 接してくれて、 「今日行きたくないな」などと思うことは一度も •派遣先団体…FPT University ありませんでした。感謝に尽きります。 •派遣国・地域…べトナム・ハノイ •内容…旧正月期間のホームステイ 2 週間と FPT Software でのイ (2) 特筆すべきエピソード ンターンシップ 1 ヶ月間 •ホームステイ ①旧正月の伝統的な文化 (1) 活動内容 実際にベトナムの正月を経験して、日本の正月と比較できる •ホームステイ 部分をたくさん見つけました。主に3つあります。1 つ目は、食 2 月 15 日から 25 日の 10 日間、現地のホストファミリーと一 事です。ベトナムでは正月の食べ物として、チキンの丸焼き、 緒に過ごしました。ベトナムでは旧暦で 2015 年は 2 月 19 日が タケノコのスー 元旦であり、この 10 日間はベトナムの 1 年間で最も伝統的で大 プ、揚げ春巻き、 切な祝日でした。よって、ベトナムの文化を十二分に学ぶこと バインテー(も ができました。私のホストファミリーは御両親と 24 歳のホスト ち米と肉とグリ シスター、14 歳のホストブラザーがいました。ホストシスター ーンビーンズで は FPT 大学の学生で英語がとても堪能で、家族間のコミュニケ 作る伝統的な食 ーションやその他の日常生活において常に通訳をしてくれまし べ物)などがあ た。ホストファミリーはハノイから 100km 離れたハイフォンと ります。日本の いう市に住んでいます。ハノイより規模は小さいですが、同じ おせちとは全く ように活気がある街です。ステイ期間は 10 日間しかありません 違う食事です。 でしたが、ホストファミリーを初め、たくさんの親戚や古くか 正月付近は常に らの友達に暖かく迎えてもらい、様々なベトナム文化を味わさ それらを食べる せてくれました。ホストシスターと親戚や友人へ新年の挨拶回 ので、最後のほ りに出かけました。伝統的な料理を食べました。またアオザイ うは少し飽きが を着させてもらったり、新年の花火を見に行ったり、映画を見 出てきますが、 に行ったりしました。本当に充実した日々を過ごすことが出来 どれも美味しか ました。卒業するまでにもう一度帰ろうと考えています。その ったです。ベト くらい私にとってもうひとつの大切な家族になりました。 ナムではあまり 魚は食べられて •インターンシップ いません。魚よ 3 月 2 日から 27 日までの 4 週間、FPT Software の Corporate りも肉が好まれ Affaires という部署に配属になりインターンシップを経験しまし ています。2 つ た。私の部署は、社内に向けた全体的な業務を行うもので、15 目は、旧正月の 人で構成されており、 さらに4 つのチームに分かれていました。 伝統的な習慣の 私のチームはEmployment Branding というもので私を含め4 人で 一つである家 構成されており、現在の従業員と今後の未来の従業員(大学生 族・友人への挨 や IT の専門家)に向けて FPT Software で働く価値を広報し会社 拶回りです。ホ の成長に不可欠な素晴らしい人材を確保することが目的のチー ームステイ中はホストシスターがたくさんの親戚と友人に会わ ムです。その中でも特に Event と Video clip の二つの媒体を中心 せてくれました。ベトナムでは、1 日に 3~4 つの家庭にお邪魔 に様々なことに挑戦できました。まずは、プロセスや戦略方法、 し団らんを楽しむ習慣があります。仕事も学校もすべて休みと テンプレートなどを学びレポートにまとめる作業からスタート なり、故郷に帰り家族や多くの親戚・友人との時間を目一杯楽 し、その後実際にイベントに出席する、有名なビデオクリップ しむ文化がありました。私の日本の家族は、祖母と数名の親戚 を分析し FPT Software のビデオクリップと比較し足りない部分 に会うだけなので少しむなしく悲しくなりました。ベトナムは を話し合うなどしました。また、サブのタスクとして英語のエ 何より家族や家庭を大事にする風習があり、日本人は見習うべ クササイズを毎週作成、そして部署メンバーに課題として与え、 きだと思います。最後に 3 つ目は、お年寄りと子供に小さなお 答えを集めて分析し次週の課題に繋げるということも任せて頂 金を渡す習慣です。この習慣は日本でいう「お年玉」ととても 1 似ています。日本の正月の習慣と似ている数少ない習慣の一つ 用ビデオをもっと魅力的にするために、世界中で有名なリーデ です。異なる点は、祖父母に息子や娘、孫からお金を渡すとこ ィングカンパニーのビデオを調べて分析しレポートにまとめま ろです。ベトナムは日本と同じように年齢によって接し方が違 した。そのビデオを主に取り扱っている職場の方から、とても います。お年寄りはみんなから愛されとても大切にされていま 為になったというお言葉を頂き、直接企業に貢献できたのでは す。 ないかと感じ、とても嬉しくなりました。また、日本から来た インターン生としてビデオに実際に出演させてもらい、演じ切 ②伝統衣装アオザイ りました。日本ではなかなか出来ない貴重な体験をさせてもら ステイ期間中 いました。 にホストシスタ ーがアオザイを ②English practice project 着させてくれま 私が配属された部署の 2015 年の目標の一つに、英語力向上と した。ベトナム いうものがあります。そこで私は英語の課題を作り、部署のメ のカラーでもあ ンバー全員にやってもらう仕事を任されました。私自身の英語 る赤と黄色のと 力もまだまだ不十分なので、テストを作るのには少し苦労しま ても伝統的なア した。一方で、これは私自身の英語力向上の為にもなりました。 オザイでした。 どんな内容だったら忙しくても楽しんでやってもらえるか、ど それを着たまま街に繰り出したくさんの写真を撮りました。ホ うしたらもっと効率よく英語力を伸ばせるかなど様々な局面か ストファミリーはその写真を見てベトナム人に見えると口を揃 ら分析しながら取り組みました。 えて言っていました。ベトナムに立つ前からアオザイには憧れ ていたので、念願が叶いとても嬉しかったです。 (3) 苦労したこと ①新しい環境に慣れること •インターンシップ ②タイムマネジメント(仕事においても生活においても) ①Employment Branding ③英語でのコミュニケーション 配属になった 私のチームでは、 (4) 身についたこと 主にイベントマ ①新しい外国人とのコミュニケーション力 ネジメントにつ 常に親切に思いやりを持ちながら接することで人として受け いて取り組みま 入れてもらう した。まず、イ 異文化を理解する ベントマネジメ 相手や相手の国に対して興味を示す ントについて学 ②新しい環境に適応する力 問的に学び、そ 自分自身に責任を持つ(環境のせいにしない) れからプロセス 様々な違いを新しい発見として肯定的に捉える(その違いを新 やテンプレート 鮮なものとして楽しむ) を重ね重ね研究 新しい環境の中で様々なことに積極的に行動する し、レポートを ③ビジネス 作りました。ま 勉強や研究やレポートにまとめることも仕事の一環である た実際にイベン プロセスというのは、 どんなビジネスにおいても必要であり常 トに参加するこ に効率的なプロセスを研究していく必要がある 意見や内なる気持ちを常に共有することでチーム内でより効 とができ、イン プットした知識 率的に仕事を進めることが出来る 実際に顧客向けにサービスを扱っていない部署でも、 会社運営 をアウトプットする絶好の機会となりました。そのイベントは、 ベトナム人を日本に送り、日本語が話せる IT 技術者を養成する のために必要であり、 それぞれの部署が支えあいながら会社は プログラムの出国前ガイダンスでした。イベントマネジメント 成り立っている どのような仕事でも効率的に速いスピード感をもって行う必 を実践的に学ぶ傍ら、FPT Software そしてベトナムという国が日 本と強いコネクションを持っていることを改めて実感すること 要がある が出来ました。また、イベントマネジメントに加えて、企業説 明のためのビデオについても取り組みました。FPT Software の採 2 (5) 「グローバル人材像」とは 受け入れて適応することを意味しています。ベトナムには日 •一緒に働く1人の人として受け入れてもらえる 本に無い良さがたくさん詰まっています。一方で、日本では 国籍やバックグラウンドを取り払って一人の人間として一緒 考えられないショックな文化があることも事実です。そのよ に働けると受け入れてもらうことが最も重要だと思います。ス うなショックな文化でさえもベトナムでは一般的と考えられ キルや知識、能力ではなく人間性が問われるところだと感じま ている大切な文化のひとつです。決してそれらを嫌ったり避 した。例えば、挨拶ができる、積極性がある、人の意見を素直 けたりしないで、寛容に受け入れ文化の違いを新鮮な気持ち に受け止める、真面目に取り組むなどといった姿勢は組織の中 で受け入れてください。私は現地のショックな文化も素敵な で円滑な人間関係を育み、物事を一緒に成し遂げる過程でまず 文化もすべて新しい発見と捉え、常にワクワクしながら生活 一番に必要な要素だと思います。 していました。その異文化に対する理解は、現地での生活に 強く影響し、どれだけ成長できるかにも大きく影響すると思 •文化や言語の壁を肯定的に受け入れ、楽しめる います。 グローバルな環境とは、様々なバックグラウンドの持ち主が たくさんいます。そこには、知らない文化や言語があり、コミ ③たくさんの新しい人と出会ってください。そしてその人たち ュニケーションを図る上で時には妨げになることもあるかもし と様々な感情、そして多くの時間を共有し、親しい人間関係 れません。しかし、その違いを個々の大切なアイデンティティ を築いて下さい。人間関係もまたベトナムでの生活に大きく と受け止め、彼らとのコミュニケーションを楽しむ。そしてそ 影響し、どのような経験ができるかも左右されると思います。 れがより深い異文化理解もしくは相互理解に繋がっていくと思 またそれだけに留まらず、今後の長い人生でその親しい人間 います。 関係が必ず自分自身を強くさせ、また新たな何かにチャレン ジする原動力になるはずです。私はこのプログラムで感謝し •高い英語力を持っている てもし切れない大切な人たちを得ました。現在は遠い海の向 英語力が高ければ高いに越したことはないと痛感しました。 こうで彼らも頑張っていると思うだけで奮い立たされます。 伝えたいことが思うように伝えられないもどかしさが時に外国 人は人との繋がりの中で生きているし、生きていられるとい 人とのコミュニケーションをする際のエネルギーを弱めてしま うことを学びました。ぜひ、現地でたくさんの人と出会い、 うかもしれません。しかし、もっと英語が話せたら更なる相互 交流を交わしてください。また大切な人間関係を得るだけで 理解が生まれると逆の発想をするよう心がけるべきだと感じて なく、人付き合いの力の成長にも繋がります。人に受け入れ います。 てもらうこと、人を大事にすることなどシンプルですが生き ていく中でとても大事なことを学べたと感じています。 (6) 後輩へのメッセージ 皆さんに伝えたいことは 3 つあります。 私は心の底からこのプログラムに参加できてよかったと思っ ①常に目標と目的をもってプログラムに参加してください。こ ています。来年の旧正月にまた帰る計画をしています。グロー のインターンシッププログラムは自分自身でどれだけ行動で バル人材開発支援室の皆様、本当にありがとうございました。 きたかによって得るものが違ってくると思います。なぜなら、 日本でよく行われるインターンシップとは異なり、インター ン生専用の仕事が用意されているわけではなく、現地で働い ている人たちに加わるといったものです。自分自身でなぜこ のインターンシップに参加したのか、何を学びに来たのかを 常に考えて行動することでやるべきことは自ずと見えてくる はずです。このインターンシップを通してどのようになりた いかいう目標となぜこのインターンシップに参加するのかと いう目的を明確にして臨んでほしいと思います。加えて、全 体を通した大きな目標・目的だけでなく1日1日ごとに小さ な目標や目的を設定することでより有意義な濃い時間を過ご すことができると思います。全体の目標にたどり着くために は、過程が必要であり、それは日々の積み重ねから得られる ものだということを忘れないでください。 以 上 ②異文化理解を深め、異文化に対する見識を広げてください。 これは、ただベトナム文化を知ることを意味するのではなく、 3 深田 まい子 社会学部 社会政策科学科 2 年 中国語が話せる者も少なくなかった。私がインターン期間中に 行った課題は主に以下の3つである。 ・現地開始日 2015 年 2 月 14 日 1. 日本の新聞を読み、今日の日本のニュースの要約を作成する。 ・現地終了日 2015 年 3 月 29 日 2. ベトナムと日本(ならびに他国)間の国際的なイベントや記者 ・派遣先団体 FPT 大学 VnExpress 会見に参加し、レポートを書く ・派遣国・地域 ハノイ ベトナム 3. ベトナムで働く日本人についての取材 ・プログラム内容 10 日間のホームステイの異文化交流体験と、 課題は全て英語で行う。 1 か月のインターンシップ体験 1 について。私は毎日出勤すると、インターネット上で日本の新 (1) 活動内容 聞記事を読み、そのうちの幾つかを選んで英語の要約を作成し 45 日間のうち、最初の 10 日間は FPT 大学の学生の家庭でホ た。この時気をつけたことは、日本国内で起きた事件や事故の ームステイを行った。ステイ中の期間は、Ted という旧正月期間 報道は避け、外交ニュースや首相の動向、経済や、世界に展開 にあたり、現地の伝統的な文化を学んだ。残りの一か月期間は、 する日系大手企業のビジネストピックなど、外国人が興味を持 ハノイ大学の寮で生活しながら市内の企業でインターンを行っ ってくれそうなものを選ぶことだ。また、期間中にはちょうど た。私は、FPT グループのオンライン新聞社である VnExpress 東日本大震災が起きた 3 月 11 日が当たったため、日本の記事は でプログラムに参加した。また、休日は、FPT 大学の学生チー 震災関係のものがとても多かった。ベトナム人にとって東日本 ムの案内で様々な観光地に連れて行ってもらった。 大震災はあまり関わりがなく知識もないが、どうすればこの震 私のホストシスターは、FPT 大学でコンピューターを専攻す 災の悲惨さと与えた影響を伝えられるのか、熟考して英訳する る同い年の女の子。エンジニア志望で、日本への留学を目指し 記事を選んだ。 て日本語も勉強している、K-POP アイドルのような美人だった。 ホストファミリーは、小学生の妹と弟が一人ずつ、それから小 2 について、この体験は私にとって 45 日間のベトナム生活で一 学校教師のお母さんと軍隊で教官をしているお父さんの 5 人家 番思い出深いものとなった。部署の皆は、私が理解できるよう 族だ。ハノイからバイクで一時間半ほどの場所に位置する村に にベトナム語だけでなく英語の同時通訳が行われる国際関係の 住んでおり、私はこの村で 10 日間のホームステイ期間を過ごし イベントや記者会見に同行させてくれた。参加したものは以下 た。私達のホームステイ期間中は、現地で Ted と呼ばれる旧正 の通り。 月にあたる。ベトナムでもっとも大事な祝祭らしく、国中のお 店が閉店して皆実家に帰省する。私は、ステイ先の家庭で Ted ・ministry of Vietnam Science and technology(科学技術省)での記者 のための伝統的な料理を作ったり、親戚の家を巡ったり、パゴ 会見 ダ(寺院のようなもの)にお参りに行ったりという現地の文化を これはインターン初日だったため、幾つかの行き違いがあった 体験した。また、年が明けて数日経ってからは、ホストシスタ 結果、参加したものの会見は基本的にベトナム語で行われたた ーとその友人と一緒に、ハノイ市内まで遊びに出かけることも め私には全く理解できなかった。レポートを提出することこそ あった。 できなかったが、今となっては良い思い出である。 10 日間のホーム ・サッカーベトナム A 代表・22 代表のスポンサー就任セレモニ ステイプログラム ー・会見 を終えると、次は サッカーベトナム A 代表と U22 代表の監督は、日本サッカー協 一か月のインター 会から派遣された三浦俊也監督が務めている。その関係もあり、 ンシッププログラ 同代表チームのスポンサーを、日本企業ヤンマーが務めること ムである。私はオンライン となった。このイベントには、三浦監督、同国代表選手、同国 新聞社 Vnexpress の World 協会スタッフ、そしてヤンマーの方の他に日本サッカー協会の news department に配属さ スタッフも出席する大掛かりなものであった。ベトナム国内に れ、reporter assistant として おいてサッカー人気は凄まじく、街を歩けば現地のチーム・AC 働いた。社の発行する記事 ミランやドルトムントといった海外有名クラブチームのレプリ は全てベトナム語であり、 カユニフォームを着ている人を相当数見かけるし、代表戦には 4 社内でもベトナム語が使 万人以上の観客が詰めかけるという。彼らは日本人だと見るや われるが、World news 「ミウラを知ってる?」と話しかけてくるほどで、口を揃えて department のメンバーは皆 言うところによると、ベトナムで最も有名な日本人がミウラな 英語が堪能であり、加えて 4 のだそう。日本でサッカー関係のボランティアやスポーツビジ ープが、毎週末には各国留学生をまとめて観光に連れて行って ネスに携わっていた私にとって、忘れられない経験になった。 くれた。ハノイで一番栄えているホワンキエム湖周辺の見どこ ろや、世界遺産のハロン湾クルーズ、バッチャンという村での ・サッカーベトナム女子代表の監督就任会見 陶芸体験など、多くの観光地を回ることができた。他の空き時 上述した三浦監督の評判の良さもあり、女子のナショナルチー 間には、ナイトマーケットで買い物をしたり、寮の周辺のカフ ムの監督も日本人の乗松隆史氏が就任することになった。また、 ェで TOEIC の勉強やインターンの課題をやったり、ローカルな ひとつ上の件も合わせてこの 2 つのイベントはベトナム語と日 お店でベトナム料理を味わったり、豪華なショッピングセンタ 本語で行われた。三浦監督はスピーチを英語で行ったが、他は、 ーに行ってウィンドウショッピングをしたりと、すっかりベト 出席者個人が通訳を同行させていただけだった。 ナムに馴染んでまるで日本にいるかのような日常生活を送った。 ・ministry of affairs(外務省)定例記者会見 新年最初の定例会見。今年の外交方針についての内容だった。 大臣が話したあと、出席者が交互にマイクの前に立って質問を する。中国との外交方針についてが主要なトピックだった。日 本が関係するところでは、尖閣諸島についての質問が少し交わ された。全てベトナム語で行われたが、英語での同時通訳がさ れた。 ・New Zealand embassy と Vnexpres の共同プロジェクト発足会見 連れて行ってくれた上司の勘違いにより会見場所を間違えて 違うホテルに行ってしまうハプニングがあり、到着した時には 大部分が終わってしまっていた。基本的にベトナム人は日本人 よりもすべてにおいて考え方が緩く詰めが甘い傾向にある。ベ トナム語でスピーチを行う方に対しては、英語の同時通訳が行 (2) 特筆すべきエピソード われた。 私はホームステイ期間 3 日目にホストブラザーの風邪がうつ り、5 日目には高熱を出してしまった。しかも日本から風邪薬を 3 について、ベトナムで働く実業家の取材に行った。大変だった 持ってきていなかったため、自然治癒するしかなかった。ホス ことは、日本人の考え方 トファミリーには多大な心配と迷惑をかけてしまい、とても申 をベトナム人にわかるようにインタビュー内容を記事にするこ し訳なかった。さらにその風邪をこじらせた挙句、ホームステ とだ。また。インタビューの文字起こしをさらに英訳するのが イ期間を終了して寮に戻ってきてから中耳炎にかかり、一時期 とても難しかった。 耳が聞こえなくなってしまう。 FPT 大学の方に付き添って貰い、 海外保険を利用してキャッシュレスで診療が受けられるハノイ フレンチホスピタルという大きな病院に行った。この病院では 日本語が使える筈であったが、なぜか私には通訳が付かず、英 語で診療を受ける羽目になった。 また、インターン 2 週間目には、社からの帰り道に疲れ切っ てバスで寝ていたら財布を盗られてしまった。現地通貨で 1500 円ほどと学生証や健康保険証をなくしてしまったが、ベトナム 語を話せない私には警察に行くこともできなかった。 この二つの出来事は両方とも自己管理の甘さから起きたこと である。幸い大きな出来事には発展しなかったものの、言葉も 通じない異国の地で生活する以上、自分自身で厳しく自己管理 をしなければ思わぬハプニングを招くということを図らずも体 現してしまった。 また、インターンは平日の朝 9 時から午後 5 時半までだったの (3) 苦労したこと で、他の時間は観光や現地の散策に充てることができた。FPT 私はベトナム語が理解できない。しかし、自分のインターン 大学の学生メンバーで組織された「バナナチーム」というグル 先はオンラインニュースを発行する会社であり、業種の特性上、 5 ベトナム語の読み書きをすることが出来ないと、仕事に関わる (4) 身についたこと のが非常に困難であった。ベトナム語を読めないと自社の記事 今回の経験を通して最も身に着いたことは、異文化をフラッ を理解することができないし、ベトナム語を書けないと自ら記 トに受け入れようとする姿勢だ。 「異文化理解」というととても 事を書くことが出来ないからである。また、自分は VnExpress ありきたりな言葉に思えるかもしれないが、これは実はとても にとって初の外国人インターンであったため、会社としても、 難しいことだと今回のプログラムで実感した。当たり前だが、 私にどういった内容を課すべきなのかとても難しかったようだ。 異国に行けば身の回りありとあらゆる全てのことが日本とは違 しかし彼らは、私に、記者としての記事の書き方といった上辺 う。言葉、治安、交通、貨幣、食べ物、考え方、コミュニケー の技術的なものを教えるのではなく、仕事に対する姿勢や熱意 ションの仕方、トイレの使い方からスーパーのレジまで…。 を見せようとしてくれた。社員の方々は常に忙しそうに社内と しかし私達は、無意識のうちに今まで生きてきた環境での固 社外を往復し、一心不乱にパソコンに向かって居たが、機会が 定観念を持っている。たとえば根本的なところでいえば、日本 あるごとに私に仕事の面白さとやり甲斐を熱心に語ってくれた。 は先進国であるという自負かもしれないし、メイドインジャパ また、何より、エキサイティングな記者という仕事を肌で感じ ンへの絶対的信頼かもしれないし、日本人はマナーが良くて外 させるために、様々な記者会見やイベントに連れて行ってくれ 人は悪いという思い込みかもしれない。こうした、無意識に持 た。この経験は私にとってとても刺激的な体験であった。 っている固定観念をとっぱらって異文化を受け入れるのはとて また、日常生活でいえば、当たり前だが、言葉が通じない外国 も難しいと思った。 で生活するということだ。私は、このベトナムインターンに来 これはベトナムで生活する中でたびたび感じた。たとえば、 る以前に外国に行ったことが 3 度しかなかった。しかもその内 私達は初日に寮に到着し、翌日にはステイ先へと向かう手筈に 訳は、幼い頃のハワイ、中学生の時のオーストラリア 2 週間ホ なっていた。寮の部屋に着いて、FPT のスタッフから、 「明日は ームステイ(外出する時は必ずホストシスターと一緒で、ホス ここに迎えに来てくれたホストシスターと一緒に、モーターバ トファミリー以外とコミュニケーションを取った記憶がないほ イクでステイ先に向かうので、バイクに乗れるように荷物を小 ど) 、高校の中国修学旅行(ツアー形式だったので、ただガイド さくしてください」と言われて、私達はびっくりした。日本で さんの後ろを付いていけば良いだけ) 。つまり、留学はおろか、 バイクに乗ったことさえないのに、このベトナムで(ベトナム 海外で自由に出歩いた経験自体ほぼ皆無だったのである。いざ は交通量がかなり多いにも関わらず信号や横断歩道が殆ど存在 ベトナムに着いて、英語も通じないお店の前で私は困り果てた。 せず、初日の私達にその危険さは信じ難いものだった) 、10 日分 (一体、買い物をするには何をどうすれば良いんだ…?) の着替えと生活用品が入った大荷物を持って二人乗りでバイク しかし、一緒に渡航した海外経験豊かな仲間 3 人は、そんな で移動するなんて‼しかし、現地で生活していく中でわかったこ ことをものともせずごはんや日用品を買いに普通に寮を出て行 とだが、殆どの家庭で自家用車を持たないベトナムでバイクは った。最初は引け目を感じたが、彼女達を見習うことで、すぐ 最もメジャーな交通手段であり、彼らにとっては至って普通の にジェスチャーと笑顔、簡単な英会話を用いてお店で買い物を 判断だったろう。私たちが、 「バイクで移動するなんて!」と驚 したり食事したりすることをマスターした。もし自分ひとりで くのは理解できなかったろうとも思う。我々が双方の持ち合わ の海外インターンだったら、期間中ずっと、スーパーマーケッ せている常識を働かせたところで、そもそも違っているのであ トとフードコートと英語が通じるチェーン店カフェにしか行か る。 なかったかもしれない。45 日間を通して、お互いを見て学び合 だから、より意識的に、自分の中に知らず知らずのうちにあ いながら切磋琢磨できる 3 人の仲間に恵まれたのはとても幸せ る固定観念や常識を排除して、相手の考え方や文化をオープン だった。 に受け入れる姿勢を学んだ。 (5) 今回の経験を経て感じる「グローバル人材」とは 「グローバル」という言葉はとても難しいと思う。その言葉 の使われ方によってはまるで、日本の外側、海の向こうに「グ ローバル」という国が存在しているかのように聞こえることさ えある。海外経験があればグローバル?英語が話せれば? 私が今回の経験を経て感じるグローバル人材とは、どんな相 手に対しても対等に対話ができる人間だと思う。上述した内容 とかぶってしまうが、自分の立ち位置や考え方を理解した上で、 どんな相手とも向き合い、その人の持つ異文化を受け入れ理解 しようとする人だと思う。 6 (6) 後輩へのメッセージ 私は今回のプログラムに参加するまで海外経験はなかったし、 英語力も高卒レベルです。選考に受かるまではベトナムについ てなんてフォーと生春巻きしか知りませんでした。 そのくせ、いつか海外で働いてみたいとぼんやりと憧れていま した。このプログラムの募集を見た瞬間に、まさに自分のため のチャンスだと思ったのを覚えています。このままならなんと なくの憧れで終わるだろう海外勤務を現実的な目標に変える分 岐点だと思いました。もしもあなたが特に語学力に自信がなく、 また海外経験もないなら、異国で生活することは不安や疑問が あるでしょう。 「やらない」理由はいくらでもあると思います。 しかし、人生でチャンスがまわってくるタイミングは多くはあ りません。行ってしまえば、言葉はどうにかなります。電子辞 書も、翻訳アプリも、便利なものが幾らでもありますから。 このプログラムの大きな特徴は、各人の志向に合わせてインタ ーン先をアレンジしてくれることです。そのため、大切なのは むしろ語学力よりも、今までの大学生活で何を学んできたか、 そしてこれからどうなりたいか、という点にあります。 ですから、どれだけ英語が苦手でも海外に行ったことがなくて も―海外でちゃんとコミュニケーションを取ろうと努力し、プ ログラムをエンジョイするのだという強い意志さえあれば―そ れは問題ありません。一番必要なのは、これまであなたが日本 でどんなことをやってきて、自分はどんな人間で、何を目指し たいのか、それを持っていることです。その点に自信があるな らば、是非このチャンスを掴んでください。 日本に帰国して 2 週間経った今、ベトナムでの日常がとても 懐かしく、愛おしく感じます。大学の前のにぎやかな大通り、 満員のバス通勤とピカピカのオフィス、放課後に通い詰めたカ フェ、毎朝買い食いした寮の前の屋台…。全てがプライスレス でかけがえのない経験でした。一人でも多くの後輩が、私達が ベトナムで過ごした素晴らしく刺激溢れる毎日を経験すること を祈っています。 以 上 7 DONG VAN ANH 国際文化学部 国際文化学科 2 年 苦労したこと ・ホームステイ先 ・開始年月日:2015年2月14日 母国語、ベトナム語を使わず、ホストファミリーで、英語で ・終了年月日:2015年3月31日 コミュニケーションをとった事を苦労した。 ・派遣先団体:FPT 大学 ・派遣国:ベトナム(ハノイ) ・インターンシップ ・内容:ホームステイの体験並びに FPT ソフトウェア株式会社 情報技術についての基礎的な知識の理解が十分ではなかった でのインターンシップ ため、仕事がスムーズに進まず、困難なことがたくさんあった。 仕事に関する英語、日本語、母国語(ベトナム語) 活動内容 の理解が十分ではなかったため、できる仕事の範囲が狭かった。 ①ホームステイ体験 マーケティングについての経験や知識などがなかったため、コ 2月14日から2月25日まで FPT 大学の在学生の実家に過 ミュニケーションをとることが困難だった。 ごし、ベトナムの旧正月休みを過ごした。ベトナム語を使わず に英語でホストブラザーとコミュニケーションをとった。 ・その他 ハノイ大学の寮での生活に関しては、たくさんの問題があっ ②FPT ソフトウェア株式会社でのインターンシップ た。田中さん、見付さん、深田さんが初めてベトナムでの生活 FPT ソフトウェア株式会社ビジネス推進部・マーケティング をし、三人が慣れてくるまでの面倒を見たこと。ベトナムでの アシスタントとして、このインターンシッププログラムに参加 食生活、交通安全などに関すること。 した。インターンシップ内容としては、市場のターゲットを分 析し、ビジネス推進に貢献した。会議の準備や、ミーティング などをサポートし、会議に参加する体験もあった。書類を分析 身についたこと し、インターネットなどで情報収取を行った。また、書類を翻 ・情報技術に関する基本知識について 訳する体験などもあった。 IT 企業でインターシップするということで自分自身にも情報 技術を身に付いた。基礎の情報技術に関する語彙、用語が理解 参加した事業: できる用になった。 日本電力自由化と電力小売市場 日本は、2016年から始まり、電力小売の全面自由化へ進 ・マーケティング戦略と経営促進について んでいると考えられる。したがって、電力に関する IT システム マーケティングアシスタントとしてインターンシッププログ の革命も始まっている。このことについて理解し、日本電力市 ラムに参加したことで、マーケティングについての知識、分析 場を分析した。他企業の IT システム、ソリューション、サービ 力、情報収集の実力を向上した。この様な体験で実力を身に付 スの構築、各 IT 企業の提供するサービスやビジネスモデルの分 け、将来の仕事に役立つと考えられる。 析も行い、レポートという形にし、担当者に提出した。主に顧 客情報管理システム、家庭向けから企業・工場・自治体向けの ・その他 電力管理システムに関連する内容だった。 短期間だが、英語でのコミュニケーション力が向上した。そ の他に会議、ミーティングの準備、会議に参加する体験ができ CLOUD サービス た。 他企業の提供する Cloud サービスを中心にし、 そのサービスの 内容や構築などの分析を行い、レポートとして提出し、報告し た。ターゲットとしては日本の市場であり、その他に、日本の 今回の経験を経て感じる「グローバル人材」像 IT 企業が提供しているサービスの比較分析を行った。 「グローバル人材」とは何処にでも、どの様な国と、その国 の環境の中でも仕事ができると考えられる。そのために、どの ③その他の活動 国にでもコミュニケーションをとることができるということが FPT 大学の在学生、ブルネイと日本の信州大学から来た学生 大前提だと思われる。したがって、コミュニケーションだけで と交流した。ハノイ都内の観光とハロン湾へのツアーに参加し はなく、社会の一般的な知識、異文化理解が必要である。たく た。 さんの国、地域の文化を理解し、社会の動きや変化に関わると 考えられる。つまり、どこにでも自由に生き、自由に仕事がで きる者は「グローバル人材」である。 8 後輩へのメッセージ 「日本に限らず、海外で仕事をやってみる」 日本だけではなく、海外に出て、仕事をやってみよう。私は このインターンシッププログラムに参加し、様々なことを学ぶ ことができました。難しいことがたくさんありましたが、イン ターンシップに参加して、良かったと、今思っています。学年 が関係なく、みんなさんにも、是非このインターンシッププロ グラムに積極的に参加することを私がおすすめします。自分自 身の将来のために、役に立てることがたくさんあるだろと思っ ています。もちろん、学校で頑張って勉強することが大切だと 思っていますが、それ以外のこと、学校で教えられないことも 学ぶことが我々の大学生として必要です。みんなさんがこのプ ログラムに参加して、 「良かったな!」と思うと、私が信じてい ます。 以 上 9 見附 真悠子 デザイン工学部 建築学科 3 年 に驚き、衛生面や気候の違いなどでは苦労することもあったが、 ベトナムについて深く知ることができ良い経験となった。 ・現地での開始年月日:2015 年 2 月 14 日 ・現地での終了年月日:2015 年 3 月 29 日 後半の 1 ヶ月間は、 ・派遣先団体:Vietnam Green Building Council Vietnam Green Building ・派遣国、地域:ベトナム、ハノイ Council という会社でイ ・内容:ハノイでのホームステイとインターンシップ ンターンシップを行っ た。この会社は NPO、 (1) 活動内容: NGO 団体で、ベトナム 前半2週間はハノイ近郊の村でのホームステイ、後半4週間 におけるグリーンビル は Vietnam Green Building Council でのインターンシップを行った。 ディング(自然環境に配 慮した建築)を促進し、 前半のホームステイプログラムでは、ベトナムの一般家庭の 認知度を高め、その性能 文化を体験する機会となった。今回はちょうど旧正月の期間だ を向上させることを目 ったため、特に旧正月期間中のベトナムの人々の過ごし方や伝 的としている会社であ 統的な料理を体験することができた。 った。そこでは、グリー ンビルディングを促進 するために、講演会や勉 強会を開催したり、 LOTUS Rating Tool とい う建築物の環境性能を 評価し格付けするよう なシステムを開発した りしている。 そこでの私の仕事は まず、Lotus Rating Tool に関するマニュアルを 旧正月の期間中 読み、ベトナムのグリー は主に、ホストフ ンビルディングやサス ァミリーの親戚の テイナブルデザインに 家を何カ所か巡り、 ついての知識を得ると 家族や親戚とゆっ ころから始まった。そし くりと過ごす時間 てその後は、Green Database 作成業務をおこなった。Green が多かった。30 Database とは、環境に配慮したベトナムの建築や製品、サービス 人以上の親戚が一 などを一覧にしたデータベースである。私はこのデータベース 同に介して、一緒 のテンプレートを考えたり、パソコンでロゴマーク、アイコン、 に食事をする機会 バナーなどのデザインを作成したりした。このような Web デザ や、一緒に先祖のお墓参りに行く機会もあり、家族や親戚との インのような仕事は今まであまり経験したことがなく、正直な つながりが強さを感じ、また、先祖や年長者を敬う意識も日本 ところ戸惑いもあったが、職場の他のスタッフと話し合い、さ と比べて大変強いように感じられた。 まざまなアドバイスをもらいながら、どのようなものにすれば また、他にもホストファミリーは様々なベトナム文化を紹介 いいのかアイデアを出していった。4週間という短い期間であ してくれた。例えば旧正月中の伝統的な料理のライスケーキの ったが、その中でいくつかの作品を作り、それに対する評価を 作り方を教えてくれたり、伝統衣装のアオザイを着させてくれ 受けたことで仕事をやり遂げたという達成感を感じることがで たりもした。年末カウントダウンの花火大会、カラオケ、水上 きた。 コンサート、そして農場など、日本人同士の観光旅行ではなか なか行けないような場所に連れて行ってくれ、一層ディープな 毎週末には、FPT のスタッフが観光ツアーを開催してくれハ ベトナム文化を知ることが出来た。最初のうちは日本との違い ノイ近郊の様々な観光名所に行くことが出来た。特に世界遺産 10 のハロン湾は絶 いた。さらに、毎日のようにアメリカやイタリア、ドイツなど 景だった。天候 多様な国籍の人々が会社を訪れていた。このような環境の中で、 はよくなかった 友達とは違う、ビジネスの面で出会う初対面の外国人と上手く ものの自然の作 コミュニケーションをとることの難しさを感じた。 り出す美しく大 一方で、ベトナムの現地の人の中には簡単な英語の挨拶もわ 迫力の景色には からない人も少なくなかった。そのような人たちと出会ったこ 圧倒された。そ とで、ジェスチャーや笑顔、覚えた簡単なベトナム語などを使 こでは、カヤッ って気持ちを伝えることが、コミュニケーションをはかる第一 ク体験を行った 歩だということを実感した。 り、洞窟散策をしたりして存分に楽しんだ。他には、Bad Trang という陶器の村で食器などの陶器作り体験をしたり、ホーチミ ン廟や一柱寺などのハノイ市内の名所を巡ったりもした。 (5) 今回の経験を経て感じる「グローバル人材」像とは: (3) 苦労したこと: 意見をしっかり持ち、物怖じせずにそれを相手にうまく伝える 派遣先の会社 力をもっていることが、グローバル人材として求められるので が、滞在先のハ はないかと考える。単語の選び方や、ジェスチャー、表情など ノイ大学から少 様々な要素を用い、自分の考え相手に伝えることが重要である し離れた場所に と思う。また、馴染みのない海外の文化を積極的に理解しよう あったため、毎 とし、今まで知らなかった新しい世界を恐れずに受け入れよう 朝早起きをし、 とする姿勢もとても大切であると感じた。同時に、日本人とし 長時間バスで通 て日本の文化や慣習について理解し、知識をつけておくことが、 勤しなければな 外国人とコミュニケーションするうえでは重要なことであると らなかったので 痛感した。 ある程度の語学力も必要であるが、それ以上に自分の意志や 苦労した。毎朝7時に寮を出て、1 時間30分ほどかけて会社に 通った。乗り換えも1回あった。長時間通勤が大変なのはさる ことながら、バスの中は大変混雑していて、さらに、道が悪く (6) 後輩へのメッセージ: バスが大きく揺れるため立っているのが大変だった。そして、 海外のインターンシップは仕事面だけでなく、語学面や、慣 少し気を抜くとスリに遭うため、油断できなかった。 れない環境での毎日の生活面でも大変なことが多いです。しか また、大通りを歩いて渡るのも大変だった。歩行者用の信号 しその分毎日が刺激的で、新しい発見にあふれています。そし や横断歩道がないため、次々にくる車やモーターバイクとうま て多くのことを学ぶのと同時に、自分のことや社会のことにつ くタイミングをはかって轢かれないように気をつけて渡る必要 いて深く考える機会にもなります。もし少しでも興味を持って があった。 いるならば、思い切ってチャレンジしてみてください。充実し たかけがえのない経験になることと思います。 またベトナムは、ストリートフードなどの食事も美味しいで すし、文化や建築や豊かな自然など見所がたくさんあるので、 ぜひ観光でも訪れてみてほしいです。 以 上 (4) 身に付いたこと: この6週間では、どのように英語でのコミュニケーションを すればいいのか、そして英語が通じない現地の人とはどうコミ ュニケーショすればいいのか、ということを考え実践する機会 となった。私がインターンシップをしていた期間は、会社には ベトナム人の社員2人とフランス人のボランティアスタッフが 11 竹内 拓海 法学部 国際政治学科 2 年 大体のタイのカレン族は、タイ語とカレン語。移民はビルマ語、 タイ語。それから、難民キャンプのカレン族は、カレン語とビ ・開始:2015 年 2 月 2 日 ルマ語を話すことができていた。また、学習の達成度合いが高 ・終了:2015 年 2 月 27 日 ければ、英語も話すことができた。現地語を話す華僑や、華人 ・派遣先団体:シャンティ国際ボランティア会(SVA) 二世も多くおり、旧正月には中国語も多く見受けられた。英語 ・派遣先地域:タイ王国 教育を除けば、これらの人々は、高等教育の有無に関係なく、 ・活動概要:ビルマ(ミャンマー)難民事業部(BRC)でのインター 国境地域という特性から、複数言語を話す事ができていたよう ンシップ に感じた。一方、NGO や国連関係者は、コーカソイドを中心に、 英語を共通言語として話していたり、ウエスタンのお店では、 (1) 活動内容 客席から英語を聞いたりすることが多かった。こういった人た 東京事務所内での事前学習会…SVA のことや、ビルマ難民の ちは、弁護士や建築士、医師など高等教育を受けてきた人が多 ことなどを学んだ かった。また、日本語話者は 10 人とおらず、私が意思疎通を図 東京事務所での 1 日ボランティア活動…書き損じはがきや る場合は、英語を使った。私は、英語だけでなく、今回簡単な 切手の仕分けを行った タイ語、ビルマ語、(ポー/スゴー)カレン語を学習し、挨拶や、 研修資料の読み込み…難民キャンプに関する情報などを身 ちょっとした日常会話を試みた。そのおかげで、5 つの言語で「美 につけた 味しい」を言えるようになった。私にとっては、言語の多様さ 難民キャンププロファイルの更新…新しい難民キャンプ情 にも困難があったが、最も大きなチャレンジは、誰にどの言葉 報を収集。資料に反映した を使うかの選択であった。なぜなら国境地域には、多様な人種 オンライン広報活動…Facebook や、ブログの更新を行った が住んでいるだけでなく、互いに交わりあっている。そのため、 オンライン広報活動のリビューやストラテジープランニン 彼らの中にも複雑なアイデンティティーや母語や文化が存在す グ…書類を作成した る。それを予想し、言葉を選ぶのが大変であったからだ。母語 Facebook のリビューやストラテジープランニングのプレゼ に敬意を払うということは、初めての経験だったが、適切な言 ンテーション…英語で行った 葉を使うと、自分も相手も嬉しくなった。 Facebook ガイドラインの作成…日英の両方を作成した Facebook リニューアル作業…カバー写真の作成、タブの変更 ②法的国境線。難民キャンプというタイ国内であって、滞在者 などを行った は国外の人々がいるという場所があった。私が難民キャンプへ Facebook1000 いいね!プリジェクト…達成できた 行くまでには、多数のチェックポイントがあり、銃を持ったタ 写真撮影…難民キャンプなどで撮影した イの兵士がいた。避難民が難民キャンプへ行くまでは、銃を持 ドナーのガイド…訪問してきたドナーの対応や、案内などを ったタイ兵士やミャンマー政府兵士や反政府組織兵士に見つか 行った らないように、法的に無断で越境してくる。国境を越えるには、 移民学校でのワークショップ…折り紙やダンスや歌などを 私のように母国の庇護のもとに入国するか、難民のように命を 教えた かけるかしかない。たとえ、命をかけて、越境したとして、そ 難民キャンプでのインタビュー…難民問題の理解に努めた の先では「難民」として扱われ、国民としての生活は望むこと 図書館事業の配給サポート…物資の運搬を行った ができない。国境とは、線に見えて非常に重い。 図書館事業の出版サポート…絵本の翻訳シール貼り、新企画 また、私は歩いて国境に架かる橋を越え、タイからミャンマー のサポートなどを行った へ入国したが、このときには出入国の手続きをちゃんととった。 この出入国に関わるゲートには、東西経済回廊のアジアン・ハ (2) 印象的だったこと イウェイが貫かれており、ASEAN 諸国を往来する大型トラック 研修自体の話ではないが、活動拠点が国境地域だったことに、 主に 3 つの大きな衝撃を受けた。 を目にすることができた。一方、この橋の下には、船で越境す るミャンマー国民を見受けることができた。不法入国だ。タイ 国民は、このようなことをすれば、逮捕されるのでできないと ①言語。国境地域に住む人は、複数言語を話せる人がほとんど いうが、ミャンマー国民なら暗黙の了解で許されているという。 だった。民族の地理学的分布が複雑だっただけでなく、目に見 タイが移民を必要としているし、ミャンマー国民は高い賃金を えて外国人は多いし、人種の多様さでいったらニューヨークを 求めているからだ。実際に、国境沿いの川は、泳いでもすぐに 彷彿とさせる様相だった。中には、11 言語を話すことができる 渡れてしまいそうだった。ただ、そんなことを日本人がして、 商人もいた。標識や、メニューなどには、複数の文字が使用さ 見つかれば、強制送還は免れないだろうと思う。しかし、越境 れていた。ほとんどの人は、最低でもタイ語、ビルマ語、(ポー が国家に許されようと許されまいと、人類の歴史に立ち返って /スゴー)カレン語、英語のいずれか 2 つを話すことができた。 みれば、国境線ができたのは、つい最近のことで、それまでは 12 人々の自由な往来があったはずだ。その意味では、船で越境す いるわけでもなく、ジャングルのように自給自足しなければな るミャンマー人は、本来的な生き方をしているのかもしれない。 らない所というわけでもない。つまり、やることが少ないし、 このように考えると、国境線を軽く感じる。 自己実現は難しいし、さらに遊べる場所も少ない。だから、暇 がつぶせる図書館へ行くのだ。そこで、子ども達は、母語に触 ③国籍。この国境線が分けたのは、単にタイ国民と、ミャンマ れ、自然と故郷を離れて失われつつあった伝統の守り手になる。 ー国民という分別だけではない。国境地域に住んでいた民族は、 そして、自らに想像力や共感力を育むことで、子どもとしての 国境線によって分断された。例えば、カレン族である。親戚は 力を備える。さらに、老若男女が集まり、イベントを開催した 全てミャンマーにいるのに、自身はタイ側にいるというケース り、歌を教えたりすることは、コミュニティ力の涵養に役立っ をよく聞いた。彼らに国籍を選択する自由はなかったという。 ている。また、大人にとっては、知識の吸収のために図書館へ そして、その決められた国籍のために、親戚には会えなくなっ 行く場合がある。高い教育や、キャリアを積めないなかで、大 てしまったのだ。また、国境地域には、未だに政府に反抗して、 人たちは図書館へ行って、新しい知識を吸収することで、自分 タイの ID を取得していない人々がいた。つまり、無国籍だ。無 を高めるのである。例えば、辞書で英語を勉強している大人が 国籍ということは、教育も、医療も何の保証もないし、土地を いた。子どもたちがカレン語やビルマ語といった母語で絵本を 所有する法的正当性も持っていない脆弱な立場ということだ。 読む一方で、このように英語を学習する人気は高い。募集の多 日本に来たいという女の子は、パスポートを持っていないから、 い英語圏の第三国定住のために習得したり、現地 NGO への就職 国外へ出ることができないという。また、難民は、ミャンマー などを目指したりするためだ。こういった人々の中には、母語 国籍でありながら、ミャンマーから逃げてきた人々である。同 をないがしろにして、将来役に立ちそうな言語を優先させる人 じ国籍でも、その前に民族という分別があって、国籍を受け入 がいる。ただ、だからといって、図書館事業は英語の本を中心 れていない人たちが多くいた。こうした人々をはじめとして、 にすべきかといえば、そうではない。なぜなら、彼らの帰属意 決められた国籍や、国籍を得ることができなかったカレン族は、 識たる母語を忘れてしまうということは、すなわち故郷を忘れ 勝手に引かれた国境線に苦しんでいた。日本において、私の周 ることで、帰還のインセンティブを減らしたり、コミュニティ りはほとんど同じ民族だし、外国へ来るときは簡単に VISA を手 の形成に欠陥を与えたりすることにつながるからである。だか に入れることができるから、日本人であることは感じても、こ ら、図書館事業は母国の文化に根ざす活動であるべきだと思う。 れほど国籍の存在を意識したことはなかった。 例えば、故郷を離れることで、なくなったお祭りなどもあるが、 以上の 3 点をまとめる。かつて訪れた壱岐・対馬や沖縄は、国 その中のいくつかは、キャンプの中で独自に続けられている。 境地域と同じように海外との繋がりを感じることができた。と 同じように、図書館という母語の貯蔵庫は、キャンプの中でも りわけ、壱岐では沿岸から韓国を望むことができたが、今回の 故郷の文化を守るために、大きな役割を果たしているように思 国境地域は、全く違う経験をすることができた。繋がりを感じ う。私は、難民になっている間に、母語が絶滅したなんて、と るどころか、繋がりの中にいることができた。国際ではなく、 てもかわいそうだと思うし、NGO が外国語にフューチャーした グローバルをなんとなく感じることができた。これらの衝撃は、 図書館を通じて母語を奪うことは許されないと思う。だから、 島国に住む私に、国境という新しい価値観を教えてくれた。 母語を中心とした図書館が必要なのだ。 しかし、このような難民支援事業に私が直接貢献できたのは、 (3) 苦労したこと 運搬作業などの力仕事や、翻訳シールを絵本に貼り付けること 私は、活動の現地にいながら、ビルマ難民に支援といった支 であった。難民の知識や平和構築の知識がほとんど役に立たな 援はできなかった。したかったが、できなかったという葛藤が、 かったし、図書館事業に関して専門性がない自分にとってそれ 私にとっての最も大きな苦労であった。 ができることであった。だが、私はもっとできることがあるの 私が働いた BRC では、図書館事業が行われていた。難民キャン ではないかと思い、不甲斐なさを感じた。こう思ったのには、 プになぜ図書館が必要なのか。難民キャンプで活動することが、 外的要因もある。それは、難民がのうのう(心配などがなくなっ 第一の目的であった私にとって、まず手段であった図書館事業 て、ゆったりとした気分でいるさま)と暮らしていたので、なに の意義を理解することが、必要であった。滞在中に関連の書籍 が困っているのかわからなかったからだった。彼らは、教育も を 3 冊読み、他にもたくさんの資料を読んだ。おかげで、 「支援 医療も住宅資材も、食糧配給もほとんど無償で受けている。む する側」の理屈は、理解できた。たが、全容がようやく分かっ しろ、話を聞くと無償の教育目当てに難民になった人が多くい てきたのは、実際に利用者になぜ図書館が必要なのか聞いてか た。難民キャンプは恐怖から逃れられる場所でなければならな らだった。そこで、気がついたのは、彼らにとっては、図書館 いから、のうのうと暮らすことは、とても素晴らしいと思う。 は「暇つぶし」ができる場所であり、 「ステップアップ」する場 しかし、自分の中ではこれ以上になにが最低限度の暮らしに必 所だということだ。そして、その「暇つぶし」は、 「文化」と「子 要とされているのかわからなかった。インタビューしてみると、 どもの力」 、そして「コミュニティ力」を育む効果を結果として 彼らの願いは、 「故郷を平和にすること」や、 「教育を高品質に もたらしている。難民キャンプは、東京のように物事で溢れて すること」であった。しかし、その願いをニーズと呼ぶには理 13 想的すぎたように感じた。ちなみに、もともと、私が難民支援 態度が「グローバル人材」には必要だと思う。ただ、彼らが「グ に携わりたいと思ったきっかけが、元ザイール難民に「助けて ローバル人材」かといえばそうではないと思う。帰属意識を持 くれ」と言われたからであった。だから、現地に来てのうのう ちながらも、視点は拡大していかなければならない。その点、 とした難民キャンプの現実を見て、期待していた「助けて」と おそらく難民は、自らのコミュニティのことしか考えていない いう声が、なかなか自分には聞こえてこなくて、なにができる だろう。ただただ内的指向性を持ち続けることは、 「グローバル」 のかわからなくて、苦しんだ。もちろんそれは、コミュニケー の要件でない。私は「グローバル人材」は、自らのコミュニテ ションがうまく取れない自分の責任でもあったから、尚苦しん ィ意識をもっと広げることが要請されると思う。ディアスポラ、 だ。だから、広報の仕事を除いては、終始現地での活動に、不 難民、移民、日本人、グローバル人材。故郷をも失った難民が 甲斐なさを感じた。故郷を平和にしたり、高品質の教育を実現 していたように、誰でも誇りある帰属意識を持てると思う。そ したりできればいいのだが、その貢献への手段が分からなかっ して、誰でも自分のことや、相手のことだけでなく、広く「私 た。彼らのほかのニーズを聞き出すのにも時間と能力が足りな たち」のことを考えられると思う。どんな能力を持っていても かった。だから、一体自分には何ができるのか考えさせられた。 いいが、 「グローバル人材」は、誇りという帰属意識と広い視野 結局貢献できなかったから、現地での活動に関する自分のスキ を持っていてほしい。 ルは、コミュニケーション能力除いて、大きな成長は見られな かったように思う。 ここで、卑屈になってはいけないが、この苦労は忘れずにいた い。最後の 1 週間では、難民キャンプで、難民の「助けて」と いう願いと恐怖体験の話を聞けた。迫害の恐怖の片鱗を直接聞 いて、不公正なミャンマーの実情が許せなかった。そして、そ の話は現在の難民キャンプの必要性を強く感じさせるものだっ た。この経験を生かし、将来、何が必要とされているのか、そ の中で自分ができるのかを見極め、アクションを起こしたいと 思う。 (4) 身についたこと 業務を通して、身についたことは、難民に対する理解や、難 (左)ミャンマー・タイ間の国境に架かる橋 民問題に関する理解、図書館事業の大切さ、外国人との付き合 (右)ASEAN という地域統合体を感じることができる東西経済回廊 い方であった。この経験は、難民キャンプへ行かなければ、絶 対に得られないので、非常に貴重であるように思う。 (5) 今回の経験を経て感じる「グローバル人材」像とは 「人材」ということは、何かのために使われるということ。 その意味では、人に従えられるのだから、地球市民とは違う響 きを感じる。地球へ資する人たちなのか、日本や企業に資する 人たちなのか。私は、今回の経験を通じて、改めて「グローバ ル人材」は、公共に資してほしいと思った。そして、何ができ るという能力ではなく、この人材には精神のあり方がまず重要 だと思う。とりわけ、 「グローバル」という言葉には、精神のあ り方が内包されていると思う。だから、私は、 「グローバル人材」 とは、こだわりではなく誇りという帰属意識を持って、主語を 「私」から「私たち」にして、それを限りなく拡大できる人材 であってほしいと思っている。 UNHCR 職員とハンディキャップを持った人たちとの会合 難民は故郷を失った人々だ。土地や民族や歴史にこだわり続け れば、きっと争いは終わらないだろう。だからと言って、諦め ろというわけではなく、誇りを持ち続けることが大切だと思う。 難民は、故郷を失ったことを知りながら、自分の使う言葉、衣 装、料理を誇っていた。それらを客人に振る舞うことを好んで いたし、一方で、客人の文化にも興味津々であった。そういう 14 比較的裕福な難民の住居内 UNHCR とタイ内務省による所在確認の様子 移民に対して無償の医療提供を行うメータオ・クリニック 図書館の中での読み聞かせの様子 以 上 15 福永 海南美 経済学部 現代ビジネス学科 3 年 います。例えば子どもを大学まで行かせたいが小学校を卒業し たら出稼ぎに行かせることも考えていること、1 日 3 食は難しく ・開始年月日:2015 年 2 月 2 日 2 食で過ごしていること等を聞きました。一般に知られているこ ・終了年月日:2015 年 2 月 28 日 とであっても、その発言を目の前にいる人から実際に聞くと、 ・派遣先団体:SVA 遠い地域の話ではなく、現実的で身近な問題として認識できま ・派遣国・地域:カンボジア(プノンペン、シェムリアップ州、 した。 バッタンバン州) また、日本人は私だけでカンボジア人スタッフと行動する時間 ・内容:初等教育分野で支援活動を行っている NGO での研修 も多くありました。その際にカンボジアのこと、日本のことな ど、それぞれが思っていることを話し合えたことも貴重な経験 (1) 活動内容 となりました。例えば日本は発展していていいね、ということ 主にアジアにおける初等教育分野での活動を行っている、日 をよく言われました。私からすれば日本も貧困問題や国として 本の NGO の現地オフィスにて研修を受けました。小学校建設や の競争力の低下など様ざまな問題を抱えているのですが、カン 学校図書館への支援、地域住民のための学習センターの建設・ ボジアの人にとって先進国の人は全て十分食べていけるし大き 運営、スラムでの図書館建設、仏教学校支援などのプロジェク な問題はない、という認識のようでした。 トが行われています。 私は事務所でのオフィスワークが 2 週間、プロジェクトサイト の見学の機会が 2 週間ありました。オフィスワークでは、学校 建設プロジェクトなどのドナーの方々に提出する報告書の翻訳 や、地域住民向け学習センター事業のための住民アンケート結 果の入力をしました。プロジェクトを実際に見ることができる 機会として、学校建設の支援を行ったドナーの方が建設された 校舎を見学に来る竣工式への同行や、その NGO が主催する読み 聞かせコンテストのお手伝いなどをさせていただきました。 (3) 苦労したこと 朝 7:30 から仕事が始まり、かつ毎週バスで 5 時間程かけ違う 事務所に移動していたので、膨大な量の学びを自分の中で整理 する時間や睡眠時間の確保に苦労しました。振り返りの時間を まとめてとることが難しかったので、気づきや考えたことなど (2) 特筆すべきエピソード をこまめにメモするようにしていました。 エピソードではないですが、スタッフに通訳してもらい、農 英語があまり得意でないスタッフや、発音に強い癖があるス 村やスラムの住民の方々に直接質問できたことは印象に残って タッフとコミュニケーションをとることは難しかったです。簡 16 単な単語でわかりやすく話す、ということに慣れるまで時間が かかりました。 生活面では、初めは清潔さの違いに戸惑いました。しかしこ れくらい平気でないと途上国には住めないと自分に言い聞かせ 徐々に慣れました。 (4) 身に付いたこと 海外の知らない土地でも一人で生活していけるだろうという 自信がつきました。カンボジアでのプログラムに参加するのが 私一人だったため、初めは迷惑をかけないよう健康や安全に過 ごしていけるか、また現地スタッフときちんとコミュニケーシ ョンがとれるか不安でいっぱいでした。しかし長距離バスでの 移動など一人での行動にも慣れ、気を付けるべきことは何かな どがわかり、今後どのような国に行っても何とかなるだろうと 思えるようになりました。 また、現地で働かれている日本人の方々から、途上国で働く難 しさなど多くのことを学びました。このプログラムの最も大き な利点は、現地で働かれている日本人の方と関われることだと 思います。 (5) 今回の経験を経て感じる「グローバル人材」像とは グローバル人材に特別な能力が必要とされているわけではな いと思います。日本と他国では重視される能力や意思決定の方 法、組織の動き方などはもちろん違います。しかしそれは日本 国内においても地域や組織、人が異なれば少なからず違うこと で、それが海外だとより大きく違うために、理解し適応するこ とが難しくなるのだと思います。日本においても相手を尊重し、 自分の言動を工夫している人は、その国の文化や言語を学べば 海外でも働いていく力があるように感じます。文化の違いに対 応することは難しいですが、経験とともに新しい文化に適応す るまでの時間や労力があまりかからなくなった人が、グローバ ル人材なのではないかと思います。つまり、言語や文化を素早 く学ぶ力、場に応じて言動を調節する能力、がある人だと思い ます。 (6) 後輩へのメッセージ 大学の中に留まらず、外の世界と接触することで新たに見え てくることがあると思います。最初は何となく始める、でいい と思います。自分の人生を楽しむために、まずは気になること を試していけばいいのではないでしょうか。何かをしたいと思 ったときに、法政大学にはその機会があるはずです。 以 上 17 板東 祐太朗 社会学部 社会政策科学科 4 年 ●中文書コーナー ・開始年月日:2015 年 3 月 9 日 ・終了年月日:2015 年 3 月 14 日 ・派遣先団体:紀伊国屋書店 ・派遣国・地域:マレーシア・クアラルンプール ・内容:日系企業の海外支店においてグローバルなビジネス・ スキルを学ぶ。 (1) 活動内容 マレーシアの首都、クアラルンプールに位置する紀伊国屋書 店マレーシア店において、店舗運営、カスタマーサービス、物 流管理について学ぶ。 ●日本書コーナー ・店舗運営…紀伊国屋書店マレーシア店は英文書コーナー、中 文書コーナー、日本書コーナーの3セクションで構成されてい る。洋文書コーナーは店舗全体の 60%を占め、中文書、日本書 コーナーは各 20%を占めている。洋文書、中文書、日本書各コ ーナーには専門知識に長けている担当スタッフが配置されてお り、各スタッフは書籍のトレンドや売れ筋商品をチェックしな がら店舗の運営に携わる。 ●洋文書コーナー ・カスタマーサービス…入り口付近にはカスタマーサービスが 配置されている。カスタマーサービススタッフはお客様の案内、 お客様が必要としている本の検索、本の予約・取り置き、ポイ ントカードの発行、お客様の質問対応やクレームの処理などを 行っている。 ●カスタマーサービス ・物流管理…卸売業者との取引を管理する物流管理部門では、 商品の発注・返品登録、インベントリー(在庫確認) 、商品のラ ベル登録、カバー掛けなど書店に本を並べる前に必要な作業を 行っている。 18 (2) 特筆すべきエピソード (6) 後輩へのメッセージ ・文化多様性の考慮と顧客のニーズに基づいた経営戦略 リスクを恐れずに常日頃から能動的に考え、行動してほしい 海外で事業を拡大する上で、その国の文化や民族性、宗教を です。社会構造が絶えず変化する中、私たちの選択肢は増えつ 考慮することは必要不可欠である。他民族国家であるマレーシ つある一方で、将来のキャリア形成は複雑になりつつあります。 アは主にマレー人、中国人、インド人の3つの民族が共存して その中で「グローバルに生きる」という選択肢も今後主流にな 構成されているため、民族によって文化や宗教は大きく異なる。 るのではないかと私は感じています。実際に私自身も、大学を この違いは顧客のニーズにおいても顕在的に現れる。例えば、 卒業後、カナダで就職することを決意しました。新卒で海外へ マレーシアでは多くのイスラム教徒が存在するため、洋文書コ 働くという選択はグローバルに活躍できるさまざまな可能性を ーナーにおいて宗教セクションが占める割合は大きい。また、 持っている一方で、生活面や社会保障の面では非常にリスクの 人間の認知を超えた事象について分析する「New Age」と呼ばれ ある選択です。しかし、海外で働くということはそれらのリス るセクションも存在する。このように、宗教の影響を強く受け クを考慮してでも価値のあることだと感じています。後輩の皆 るイスラム教徒の顧客をターゲットにした書籍を販売すること さんの中からも若いうちから海外へ赴き、グローバルに活躍す によって、売上を伸ばすことが可能となる。 る人材が生まれることを願っています。 (3) 苦労したこと 以 上 特に無いが、強いて挙げるなら現地スタッフの英語が人によ ってはマレーシア訛、イスラム訛であったため、少し聞き取り づらかった。しかし、特に業務に支障を来す程では無かった。 (4) 身に付いたこと 現地のスタッフ、現場責任マネージャー、日本から出向で来 ている駐在員の方々とコミュニケーションを積極的に取り、ア ドバイスを頂くことによって、今まで不安に感じていたことが 解消され、海外で働く上で必要となる心構えが身に付いた。特 に「チーム・ワーク」 、 「企業理念の共有」 、 「時代の変化に伴う お客様の需要への対応」は、どの国でビジネスを行う際にも重 要な役割を果たすということを学べたのは自分の中で大きな発 見であった。また、英語力に関しては、実際にすべて英語で話 されている環境に身を置き業務を行うことによって、ビジネス の場でも通用する英語力が身に付いたと感じた。 (5) 今回の経験を経て感じる「グローバル人材」像 今回このインターンシップに参加する前は、グローバル人材 とは何か特別なスキルを持った華やかな人材であると想像して いた。エンジニアや証券マンなどがその典型的な例である。し かし、もちろん彼らがグローバル人材であることは間違いない が、今私が思い浮かぶグローバル人材は、 「マネジメント力が高 く、さまざまな人員で構成される組織を束ねる中枢の役割を果 たし、より良いチームを作り上げる人間性の高い人材」である。 グローバルな労働環境の下では、文化や宗教に基づき、さまざ まな考え、特性、強みを持った人々が存在する。そのような人 材を総括し、各人の意見を尊重しながらチームの士気を高める ことができる人材マネジメントに長けた人物こそ真の「グロー バル人材」なのではないか。また、海外では予測し難い困難や トラブルなども生じやすいため、あらゆる環境の変化に対して 臨機応変に対応できる能力も必要である。その意味で、 「グロー バル人材」には心身ともにタフであることが求められる。 19 発行 2015 年 5 月 編集 法政大学 グローバル教育センター事務部 グローバルラーニング課 Tel. 03-3264-4088 E-mail [email protected]
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