第 1 章 観光地としての銀座 田中 萌乃 1、はじめに 国内外から多くの観光実が押し寄せる街、銀座。海外ブランド店の旗艦店をはじめレストラン、 百貨店、歌舞伎座など多くの観光名所が立ち並ぶ魅力あふれる街であり、観光実は絶えることな くやってくる。では、彼らは銀座に何を求めてやってくるのだろうか。旅行情報誌で紹介されて いる銀座を分析し、地方や国外からの銀座イメージについて検証していく。 2、研究方法 国内外で発売されている旅行雑誌や文献の中から「銀座」が特集されているものを選び、その 中で描かれている銀座のイメージを分析する。対象とした文献は東京や日本に特化した情報誌で、 分析期間は入手可能であった 1991 年から現在までのものとする。 3、国内情報誌にみる銀座 東京観光を予定している国内旅行者を対象に作成された情報誌を分析する。 小松田淳編「るるぶ情報版関東⑥ 東京’07」2006 年、JTB パブリッシング (P.114~P.119) <伝統と流行が交差する憧れの街 銀座> 銀座ならでは この街のベスト5 ベスト1 銀座の街を象徴する 銀座ブランドショップ ファッションのメッカ、銀座で胸をときめかせるラグジュアリーブランドショップの質に ふれよう ベスト2 テレビ・雑誌で話題 有名店のお手軽ランチ ベスト3 有名店の味を实食 銀座デパ地下イートイン! ベスト4 味と匠が光る銀座の逸品 手みやげ銀ブラツアー ベスト5 世界の美酒に酔う 銀座のナイトスポット カラーズファクトリー編「まっぷる たびまる 東京」2006 年、昭文社 (P.80) 銀座ブランドショッピング 海外ブランドの旗艦店が続々とオープンしている銀座。商品のお充实ぶりはもちろん、個性豊かな建 物や内装も見応え十分。ウィンドーを眺めながら歩くだけでも楽しいけれど、ちょっぴり背伸びして 憧れの店を訪れてみよう。 内山弘美編「タビリエ 東京」2006 年、JTB パブリッシング (P.4) 「一流」という形容詞をほしいままにする街だが、 「オフィスワーカー、築地市場のトラック野郎など、 多彩な人々が、真っ直ぐに伸びる銀座通りを中心に行き交う。オツにすましていない懐の深さを見せ る街。 63 東京案内 Q&A」2006 年、JTB パブリッシング (P.66~P.67) 小松田淳編「るるぶ情報版関東○ Qおいしい洋食屋さんはどこにあるの? A銀座と洋食は切っても切れない関係です 内山弘美編「タビリエ 東京」2006 年、JTB パブリッシング (P.27) ディナーだと値の張るレストランも、ランチだと意外にお手頃価格で食べられてしまうのです。銀座 エリアの憧れレストランのお得なランチをご紹介します。 【考察】 銀座特集の中で、まず出てくるのは「ブランドショップ」 。銀座を紹介する文の中でも「一流」 や「ちょっぴり背伸びして」など、高級感を印象づける言葉が並び、読み手に「銀座=高級」と いうイメージを刷り込ませ、いつかは訪れてみたい憧れの聖地であるということを存分にアピー ルしている。 また、ブランド店に次いで紹介されることが多いのはレストラン、とりわけ洋食屋だ。かつて いち早く西洋文化を取り入れたという銀座の歴史を軽く紹介しつつ、一流の地である銀座で食事 をとることで「セレブ気分」を高めようと謳う記事が多かった。細かく読んでみると、どの文献 でもディナーではなくランチを推奨していた。その理由は「ディナーは高い」から。予算の都合 上ディナーを食すことはできないが、誰もが羨む一流の地「銀座」で食事をとってみたいという 観光実の欲求を満たすべく特集されているようである。 このように、国内誌において銀座は「高級」な地であり背伸びしなければ訪れることのできな い憧れの街であるというイメージが強い。 3、国外情報誌にみる銀座 続いて、日本や東京への観光を予定している観光実をメイン読者とする国外(主に英語圏)の 情報誌を分析する。 Ebury TimeOut Guides(Tokyo), Time Out Guides Ltd, 2005 Ladies saunter the wide streets dressed head to toe in luxury brands, shopping for more of the same. Politicians and businessmen on bottomless expense accounts quaff over priced drinks in the company of kimono-clad staff. Less affluent types simply come to dream. ボイ・デ・メンテ著「ショッピング・ガイド・トゥー・ジャパン Shopping Guide to Japan」 2007 年、チャールズ・イー・タトル出版 The Ginza is Japan’s best-known shopping and entertainment district and the centerpiece of downtown Tokyo’s chuo word. 上野光一編「英文 日本絵とき辞典 ILLUSTRATED A LOOK INTO TOKYO」2005 年、JTB パブリッシング It is well kwon as a highly exclusive shopping district. Lucy Seligman Kanazawa, ANA’S CITY GUIDE TOKYO, Koudansha America,Inc,1991 During recent years, Ginza’s image as a middle-aged town has tended to leave the young uninterested. But although more contemporary districts have replaced Ginza at the forefront of Tokyo fashion. 【考察】 海外でも国内誌と同様「高級な街」という印象が強く描かれている。高級であるだけでなく、 一流ショップが立ちならぶファッショナブルな街という言及も多い。国内誌では「背伸びしてセ レブ気分を味わおう」というアピールが多かったのに対し、国外誌では予算がなくても楽しめる 観光の仕方を提案している点も特徴的である。 また、銀座以外にも東京にオシャレな街はたくさんあるということや、若者からの関心が薄れ ていることなどマイナスなイメージも描かれていた。 4、国内誌と国外誌の比較 続いて、銀座が紹介されている各雑誌の中から銀座のどこにフォーカスを当てているかを分析 した。誌面の中で写真や細かい説明とともに取り上げられているもの(特集されているもの)を 数えて比較した。 (図1参照) 和光ビルや銀座三越、銀座四丁目など銀座のシンボルの紹介頻度は国内誌、国外誌ともに差は見 られなかった。象徴であり目印であるため、 「路地で迷ったらとりあえず四丁目を目指しましょ う」という記述が国内誌、国外誌ともに多くみられた。 ブランド店、とりわけラグジュアリーブランド店の紹介は圧倒的に国内誌が多かった。店舗の 写真付きで、交通アクセス、外観や内観の詳しい説明まで懇切丁寧に書かれている。国外誌では 「ルイ・ヴィトンなどのブランド店が多数ある」という事实は書かれているものの、具体的どこ にどのようなお店があるという説明は全く載っておらず、海外からの観光実にはブランド街は特 に魅力的ではないことがわかった。 △図 1 国内誌と国外誌の比較(筆者調べ) 国外誌でとりわけ多く取り上げられていたのは歌舞伎座、宝塚劇場、ソニービルの3つである。 歌舞伎座に関しては写真掲載率も高く、着物姿の女性も多くみられるなどいわゆる「日本」のイ メージが浮かぶような描かれ方をしていた。宝塚劇場は、住所としては有楽町(東京都千代田区 有楽町 1-1-3)にあたるのだが、銀座と同じページで扱われていた。また宝塚劇場の写真ではな く舞台女優のコスチューム写真が掲載されており、見た目のインパクトを重視している印象が強 かった。 特集されているものの中で特に驚きだったのが、ソニービルである。国内誌では中央通りのブ ランド街がメインなので、紹介されていたとしいても欄外に小さく掲載されていた。しかし、国 外誌ではソニービルを大々的に特集されているケースが多くみられた。そのうちの一誌を引用す る。 Ebury TimeOut Guides(Tokyo), Time Out Guides Ltd, 2005 The eight-floor building a landmark in Ginza-contains showrooms for Sony’s world-famous products, including the AIBO robot hound, Plat Station2, VAIO, Cyber-shot, Handy cam and others. All the latest Sony models are on display, with staff eager to talk you through them. The sixth floor is a free Play Station arcade where you can try the latest games; it’s packed with kids at weekends, so visit during the week. このように、日本が誇る最先端の電子機器が豊富にそろっており、かつ無料で体験できるという ことが明記されている。また、ソニービル以外にも「キャノンギャラリー」 、 「NEC ショールー ム」 、 「出光美術館」 、 「日産ギャラリー」 、 「京セラコンタックスサロン東京」などが、小さなスペ ースではあるが紹介されていたのは国外誌の特徴である。 全体的に国外誌の方が、様々な観光名所がひしめく魅力的な街であり、東京で、日本で見てお くべきものがたくさんつまった飽きさせない都市であるという印象を受けやすかった。 5、銀座のこれから 銀座に対し、 「高級」な街であるという記述のない雑誌は皆無であった。これは、銀座の高級 イメージを高めている要因であり、銀座の街そのものが求めているイメージでもあるだろう。ま た、観光実自身が銀座に高級感を求めているからこそ旅行誌がこぞって「高級」 、 「一流」だと書 き立てているとも読める。しかし、国内誌に限っていえば銀座のライバルとなる都市が多数出現 している様子も多々描かれている。その代表都市が表参道だ。 63 東京案内 Q&A」2006 年、JTB パブリッシング(P.4) 小松田淳編「るるぶ情報版関東○ Q表参道ヒルズってどんなところなの? A2006 年 2 月オープン! 表参道の新ランドマークです 一流ブランドの旗艦店(特に力を注いでいる店)から新業態店までここでしっかりチェッ クしよう。気になるショップがたくさんあるはず。 63 東京案内 Q&A」2006 年、JTB パブリッシング(P.102) 小松田淳編「るるぶ情報版関東○ Q一流ブランドが集まるエリアはどこ? A銀座と表参道が 2 大ブランドエリアです 銀座が国内観光実に対して最大の売りにしている、一流ブランドの旗艦店の多さも近年の表参 道の発展により特権ではなくなってきている。 しかし、そんな動きに銀座自身が危機感を覚えているのも事实であろう。最近では一流ブラン ド店のみならず 2003 年にアップルストア銀座店が日本初、2008 年にはファストファッション の H&M(へネス・アンド・マウリッツ)の日本 1 号店がオープンするなど「銀座=高級」とい うイメージだけではなく様々な面をアピールしていこうと試みているようである。 れから先、銀座が他の都市とどのような差別化をはかり、人々を引き付け続ける街になってい くのか、とても楽しみである。 <参考文献> ・菊池俊夫編「めぐろシティカレッジ叢書 9 観光を学ぶ―楽しむことからはじまる観光学―」 2008 年、二宮書店 ・内山弘美編「タビリエ 東京」2006 年、JTB パブリッシング ・小野田哲郎編「るるぶ MAP 東京」2006 年、JTB パブリッシング ・カラーズファクトリー編「まっぷる たびまる 東京」2006 年、昭文社 ・小松田淳編「るるぶ情報版関東⑥ 東京’07」2006 年、JTB パブリッシング ・小松田淳編「るるぶ情報版関東⑩ 東京ベストセレクト’07」2006 年、JTB パブリッシング 63 東京案内 Q&A」2006 年、JTB パブリッシング ・小松田淳編「るるぶ情報版関東○ ・小松田淳編「るるぶ情報版関東⑨ 東京舞浜お台場’07」2006 年、JTB パブリッシング ・益子幸子編「るるぶ情報版首都圏⑱ るるぶ東京 都バスで散歩」2008 年、JTB パブリッシ ング ・庄司かおり著「英文ビジュアル版 東京―江戸の息吹 Seeing Tokyo」2005、講談社インター ナショナル ・ジュン・キノシタ、ニコラス・パレフスキー著「最新改訂版 日本旅行ガイト GATEWAY TO JAPAN」1998、堅省堂 ・スーザン・ポンピアン著「タダで楽しむ東京ガイド TOKYO FOR FREE」1998 年、講談社 インターナショナル ・ゴラーズ・ウィルバー、シャルロッテ・アンダーソン著「TOKYO×TOKYO×TOKYO 東 京×東京×東京」2007 年、IBC パブリシング ・ボイ・デ・メンテ著「ショッピング・ガイド・トゥー・ジャパン Shopping Guide to Japan」 2007 年、チャールズ・イー・タトル出版 ・上野光一編「英文 日本絵とき辞典 ILLUSTRATED A LOOK INTO TOKYO」2005 年、 JTB パブリッシング ・アイビー・マエダ、リン・サトウ、キティ・コーベ、シンシア・オゼミ著「東京子連れお出か けガイド Kid’s Trips in Tokyo」1998 年、講談社インターナショナル ・中山昭吉著「TRAVELLING JAPAN 紀行 日本」2007、東方出版 ・Ebury TimeOut Guides(Tokyo), 出版地 Time Out Guides Ltd, 2005 ・Lucy Seligman Kanazawa, ANA’S CITY GUIDE TOKYO, Koudansha America,Inc,1991 ・Kenzo Takada,JAPAN : a pictorial portrait, IBC Publising,Inc,2005 ・ Mikiya Soyama,MINI ENCYCLOPEDIA OF JAPAN, SHOGAKUKANSQUARE INC,2004 ・ Chris Rowthorn,Ray Bartlett,Justin Ellis,Craig McLachlan,Regis St Louis,Simon Sellars,Wendy Yanagihara,JAPAN, Lonely Planet Publication,2005 伝統の街としての銀座 中西沙織 1、はじめに スウェーデン発の人気衣料品専門店「H&M」 (へネス・アンド・マウリッツ)1 号店が 2008 年 9 月 13 日、日本での華々しいデビューを飾った。午前11時の開店を前に徹夜組も含め、3000 人以上の行列ができたという1。その H&M が日本デビューの舞台として選んだのが銀座だった。 その出来事は、江戸末期以降外国への窓口として時代を先導してきた銀座という街の存在を、再 度私たちに強く印象付けることとなった。一方で、私たちがフィールドワークで銀座を訪れた 11 月初旬、昼食に立ち寄った店はどこか懐かしい雰囲気を漂わせていた。そして、H&M が象 徴する新しさとそのレストランの懐かしさは、真逆のベクトルを持つにもかかわらず、 「銀座」 という街の中で不思議なほど自然に共存していたのだ。たとえその懐かしさが「演出」であった としても。 本章では、そうした様々な面を持つ「銀座」がメディアの中でどのように描かれているのか、 最近の雑誌、新聞を通じて考察する。 2、研究手法 雑誌、新聞のデータベースを用いて過去の記事を検索し、分析する。対象とした雑誌は『散歩 の達人』 『Hanako』で、新聞は『読売新聞』の文化面である。分析期間は該当メディアのバッ クナンバーが閲覧可能であった 2004 年以降から現在までとする。なお分析対象に含めるはずだ った『東京生活』 『朝日新聞』に関しては、銀座を中心に扱った記事がなかったためここでは扱 えないこととなった。 3、雑誌分析 『散歩の達人』 2004 年 11 月号 巻頭特集●銀座発掘 リニューアル1号目は、銀座特集です。なんだかんだいいながら大人の散歩が最も似合う街とし て白羽の矢をたてました。まずは年代別の地図を手引きに、移りゆく街並を掘り起こしてみまし ょう。そこから先は、雑貨を揃えたり、喫茶でひと休みしたり、バーをのぞいたりもろもろお愉 しみください。孤高の映画館をチェックするのもまた一興。また、寿司部門についてはかなり力 を入れて紹介していますので、ごゆっくりどうぞ。銀座は底なしです。 『Hanako』 2008 年 4 月 10 日 「やっぱりこの街がいちばんおいしい 銀座のごちそう決定版!」 寿司屋の総力特集、贅沢ちらしランチ。 1 『読売新聞』2008 年 9 月 13 日、 (夕刊) 。 下ごしらえに 3 日もかける店から、コース仕立てやコロッケのせの個性派まで。店の威信をかけ た逸品ちらしカタログ。 2008 年 9 月 25 日 「1~8 丁目を完全網羅 銀座案内」 通りごとに、きれいに丁目分けされている銀座の街。こんな街は東京広しといえども、ほかには ない。一丁目の先は京橋、八兆目の先は新橋。 銀座という住所でなくなったばかりで、街の雰囲気はがらりと変わる。それほど、銀座の街の個 性は強いのだ。 2009 年 4 月 9 日 「新しい銀座・丸の内へ 完全網羅 135 軒 銀座・丸ノ内最新マップ」 いつも変化し続ける銀座と丸の内。隣り合うこの一大エリアを縦横無尽に使いこなしてこそ東京 女子です。見逃せないニューオープン、絶対知っておきたいグルメ店、穴場ランチなどに加え、 カジュアルに楽しめるとっておき店も厳選。ラグジャリーに楽しむ銀座&丸ノ内新定番も見逃せ ません。 不景気といえども銀座&丸ノ内のパワーは衰えず。使い勝手のよさそうなニューカマーは、銀ブ ラと丸ノ内散策の拠点として覚えておいて。 2009 年 9 月 24 日 「個性豊かなストリートを散策 銀座 ストリート案内」 東京のどの街よりも、歩くのが楽しい銀座。その理由は一本通りが違うだけで全く雰囲気が違う から。そして小さな道の一つ一つにきちんと名前が付いているのも、ほかの街にはない特徴です。 銀座を知ることは通りを知ること。名もない路地にも銀座らしさを誇る、個性的な名店がありま す。 碁盤の目のように、東西にきれいに並んだ銀座の道。東京ではほかに類を見ない、この街の独特 なつくりは、歴史とともに生まれ、成長し、変化し続けている。さまざまな事实に由来する通り の数々は、その裏に物語を秘め、銀座の魅力に深みを与えている。 【考察】 銀座という街を表現したキーワードとしては「大人の散歩が似合う街」 「歩くのが楽しい銀座」 「個性が強い」街などが挙げられる。そしてその街は「歴史とともに生まれ、成長し、変化し続 けている」とし、銀座の歴史が、銀座に個性を生み出す源泉であるようにとらえられている。そ の銀座の個性とはどのようなものかというと「グルメ」 「映画」 「カフェ・バー」 「カジュアル」 「ラグジャリー」と幅広い。 「東京女子」という文句には銀座は東京を象徴する街であるという 認識が込められている。 「銀ブラ」という言葉がいまだ使われていたのは興味深い。 4、新聞分析 『読売新聞』 2008 年 8 月 21 日 「 [永峰好美2のGINZA通信]ビルの谷間の幽玄」 東京・銀座8丁目の中央通りより一筋北西側の通りを金春(こんぱる)通りという。江戸時代、 幕府直属の能役者、金春太夫が拝領した屋敶があり、今も通りに名を残す。後に屋敶は麹町に移 ったが、跡地には芸者が集まり花街として栄えた。開業1863年の老舗銭湯、金春湯も地域の 人々に長年愛されている。…(中略)…金春屋敶跡周辺からは、明治初めに英国人の設計でつく られた煉瓦(れんが)街の遺構が発見され、金春通り会はその保存にも取り組んでいる。江戸文 化を継承し、明治のモダンを守り抜く――銀座を愛する人々の心意気がまた一つ、伝わってくる。 2008 年 10 月 12 日 「東京の文化発信を考える=特集」 (前略) ◆銀座、混在が生む人間味 銀座2丁目の交差点。高級ブランドの出店・改装が相次ぎ、斬新なデザインの建築が増える最 近の銀座を象徴する一角だ。建築家のピーター・マリノ氏が設計したシャネルなど、海外ブラン ド4店が華やかに個性を競い合う。昨年秋オープンしたブルガリ銀座タワーのショーウインドー を前に、福原さん3は「いいですね、雰囲気があって」 。 その隣を見ると、創業100年を超す文房具店、伊東屋が。流行の先端と伝統がここでは同居 する。 「会社で海外担当をしていたころ、フランスから招いた雑誌の編集幹部は『東京は何と人 間サイズの街なのか』と感嘆していました。事務所の隣に理髪店、さらに書店と飽きさせない。 人間の感情を具体的に見せてくれる街だというのです」 雑然とした面を残し、だからこそ人間的な活気を失わない。東京の個性であり、一つの文化と も言えるだろう。…(中略)… 街の成り立ちは1872年の大火の後、当時の東京府が推進し、英国人技師ウォートルスが設 計したレンガ街にさかのぼる。ただし発展を担ったのは、全国から集まった商人たちだ。福原さ んは「銀座は公設民営のよいモデルですね」と説明する。 「寄り合い所帯ですが、自治の精神と、 入ってくる店舗を快く受け入れる体質を守ってきた。だから時代によって常に姿は変わりながら も、銀座は130年以上続いてきたのです」…(中略)… 「東京に比べると、北京は計画し過ぎていますね」と福原さんは言う。かつて素朴なよさを感じ させた路地は取り壊され、画一化が進んだ。銀座には大通りがあり、裏側に個性的な店舗が広が るから、奥行きや多様性が備わる。 (後略) 2 3 読売新聞社で 20 年以上記者として過ごし、2005 年プランタン銀座取締役に就任した。 福原義春。資生堂名誉会長で、東京芸術文化評議会の会長を務める。 【考察】 二つの記事に共通するのは銀座の持つ「歴史性」と「先進性」というアンビバレントな概念の 同居に、銀座の特殊性を見出している点である。そして、その「歴史性」を残そうとする「銀座 を愛する人々の心意気」が、最先端のものを快く受け入れつつも雑然とした面を残し、銀座をい つまでも「人間味のある街」として存続させているとしている。この同居が生み出す「奥行きや 多様性」に人々はいつの時代も心惹かれ、銀座の街を訪れるのだろう。 5、雑誌・新聞分析の総括 雑誌と新聞では、媒体の特性やターゲットとする読者層が異なるため、雑誌では「新しい」銀 座の個性である「グルメ」 「映画」 「カフェ・バー」 「カジュアル」 「ラグジャリー」というキーワ ードとともにエンターテイメント性の高い要素が強調され、新聞では、銀座に保存された「伝統」 に重きを置く傾向が見られた。 しかし、雑誌、新聞の両媒体ともに「新しさ」と「伝統」の混在した銀座という認識において は共通している。そしてそれが銀座の個性であり、人々を惹きつけてやまないものとされている。 6、 「創られる」銀座 これまで見てきたように銀座はそこにある「新しさ」と「伝統」の共存によってほかの都市と は異なる特殊性を獲得している。そしてメディアもそこに目をつけ、同じ視点からの言説を繰り 返し発信している。しかし、その共存とは自然発生的に生まれうるものなのか。もしそうだとし たら、ほかの都市でも同じような現象が起きているはずではないか。以下の文章を見ていただき たい。これは「銀座コンシェルジュ」と呼ばれる、銀座内の商店主有志がボランティアで運営し ている銀座のオフィシャルポータルサイトからの抜粋である。 ( 「銀座コンシェルジュ」>「銀座学入門」>「特集」>「銀座案内」 ) 街は人が創るものだから 世界中のどこの街でもそうであるように、出来たときからずっと同じ、という街はありません。 人が生きて暮らしていると、街も必ず変化を遂げて姿を変えていきます。でも変わらないものが あります。それは街を創る精神、心意気。銀座には江戸時代から綿々と続いてきた銀座の心意気 があります。自分たちの街は自分たちで創り守る、という精神です。銀座は「安全で清潔、きれ い」と言われます。この安心感を築き上げ維持するために、働いている人たちがいます。掃除を し、路上に落ちているゴミを拾い、打ち水をし、障害物を撤去し、違法な行動を監視し、マナー を守る雰囲気をつくってきた街の人たちです。 「銀座の空気は大人にする」とも言われます。子 どもっぽい振る舞いやわがままは、銀座では異質なものに感じられます。どうぞ言葉や細かな規 則になっていないマナーも、銀座で学んで素敵な大人になってください。 たとえば、銀座通りに大型バスが駐停車することも、本当はマナー違反です。大きな車は銀座通 りを避けて停車して、お実様を乗降させる、というのが永年の言葉になっていないマナーでした。 最近では外国からきた方角の分からないお実さまの便宜のために、しかたがないなあ、と思われ ていますが、銀座を愛する素敵なお実さまなら銀座通りでの乗降は避けていただきたいもので す。 この文章からは銀座に根付く自治の精神の強さが見て取れる。それと同時に、彼らが「創りた い」と考える銀座イメージにそぐわないものは、排除することをいとわないという姿勢も感じら れる。今に残る「伝統」と「新しさ」が同居する銀座は、 「伝統」を保存する努力の一方で、さ まざまな形での排除が繰り返されてきた結果なのだろう。すべての「新しさ」を受け入れる前に 選別を行っているような、周到な「街創り」の一端を見るようである。私たちはやはり、 「創ら れた」銀座に何かを「演じ」に行っているのだろうか。 <参考文献> ・岡本哲志「銀座四百年 都市空間の歴史」 、講談社、2006 年 <参考資料> ・マガジンワールド http://magazineworld.jp/hanako/959/ ・交通新聞社 http://www.kotsu.co.jp/magazine/sanpo/index.html ・読売新聞記事検索サイト「ヨミダス歴史館」 https://database.yomiuri.co.jp.kras1.lib.keio.ac.jp:2443/rekishikan/ ・銀座コンシェルジュ http://www.ginza.jp/index.html 第3章 ブランドマーケットとしての銀座 〜なぜ銀座中央通りに店を出すのか〜 磯田 理奈 1、はじめに 銀座には、独特の雰囲気がある。異国的で新しく、かつ日本の歴史的な趣も感じる。 中央通りは、銀座のメインストリートである。幅広く空間がとられたこの中央通り沿いには、 数多くの店が立ち並んでいる。四丁目交差点の四隅に立つ、三越、和光、三愛、日産ギャラリー に始まり、そこから北側にも南側にも、老舗や名店がずらりと軒を連ねている。 銀座という街は、間違いなく商業集積地区である。中央通りに限らず、銀座に住宅はほとんど 見られない。しかし、ます目状に四角く区切られた街に路面店が立ち並ぶその様子からは、店の ひしめきあう商業激戦区ではなく、不思議と余裕で上品な印象を受ける。 なぜ銀座は高級感をまとった市場であるのか。商業地としての銀座を探っていきたい。 2、銀座のブランドイメージはどこから来たのか 銀座の持つ高級感、ブランドイメージは、何に起因するものなのか。このことを考えるなら、 明治・大正時代にまで遡らなければならないだろう。 そこで、銀座の歴史を明治期から簡単に振り返ってみたい。なお、ここでは銀座のブランドイ メージの確立にのみ注目し、街づくりや文化にはついては深く言及しない。 【煉瓦街の建設】 銀座の近代化が始まる最初の契機となったのは、明治5年に起きた大火で銀座の街が全焼した ことであろう。この事件を受けて、人々は建築物を従来の木造建築から燃えない構造のものに変 える必要性に気づいた。そこで大蔵省御雇外国人であるウォートルスの指導のもとに、西欧式の 煉瓦街建設がすすめられたのである。 銀座は、この明治初期の煉瓦建築による街並みの整備によって、これまでの日本の風景にない 都市空間をつくりだした。また当時横浜の開港場から入ってくる欧米の珍しい商品を売る人々に とって、西欧ストリート風の銀座の大通りは、商品を売り込む絶好の舞台となっていった。こう して銀座の街は、日本における最先端の西欧的な都市風景となったのである。 煉瓦街が建設されてから、銀座の土地はいっきに地価が高騰した。それまでは江戸の武家屋敶 とのつながりの濃い京橋などの橋詰や数寄屋橋などの御門付近の土地のほうが高地価であり、銀 座はさほど目立って高い地価ではなかった。銀座に煉瓦街が建設されてからというもの、江戸以 来の物流拠点である日本橋の周辺商業地区として、銀座は銀座通り (現在の中央通り)を中心に、 商業地・繁華街としての価値を高めていった。 【大規模土地所有者の台頭】 日露戦争と第一次世界大戦によって、日本は好景気を迎えた。土地の価格が高騰し、土地投資 ブームが繰り広げられた。もちろん銀座でも例外ではない。質商や呉服商といった資産を持つ豪 商や商人地主が、こぞって銀座の土地を買い占めた。なかでも吉田嘉平や小林伝次郎は広い土地 を手に入れた。彼らの取得した敶地分布からは、銀座の街が今後どう発展するかを予測した、商 業戦略的な意図が読み取れる。その点で、単に手ごろの土地を手に入れようとした銀座以外の地 主たちと異なっていた。 土地持ち商人たちは、西欧化した銀座を牽引する存在となった。明治45年時点で、大倉組(現 在の大成建設)と富士製紙の大企業2社が、銀座に本社を構えた。また、これら大企業だけでな く、近代的な業種の個人経営の店も多く出てきた。欧米から入ってきた商品を扱う店のほかに、 当時きらびやかなものとされていた時計の専門店が明治から大正にかけて増加し、そういった業 種の専門店が銀座の街の表情を演出するリーダー的役割を担うようになったのである。 【関東大震災後の近代建築ブーム】 大正12年の関東大震災で、またもや銀座は大打撃を受け、煉瓦の構造壁だけを残して銀座全 域が全焼した。 これを機に、下町一帯で欧米化を意識した土地区画整理がおこなわれることになった。これに より、日本橋をはじめとする多くの街が、街の骨格を変化させるだけでなく、江戸時代から培わ れてきた街の仕組みを失うことを余儀なくされた。一方で銀座は、煉瓦街建設においてすでに街 路幅員が確保されていたため、土地区画整理がほとんど实施されず、晴海通りと外堀通りの道路 を拡幅するにとどまった。このことは、従来の地域コミュニティや生活環境を変えずに、街レベ ルの復興ができたことを意味する。震災後の銀座は、混乱に乗じることなく新たな文化を築く基 盤を早々に回復していたのである。 官主導の復興がほとんど必要のなかった銀座では、建物が倒壊した跡地に次々と近代建築が建 ち始めた。ニューヨークで花開いたアール・デコの建築スタイルや、戦後インターナショナルス タイルとしてもてはやされることになる建築様式などを取り入れた、芸術性の高い豊かな表現の 建築物が建てられるようになり、昭和初期の銀座を魅力的なモダン都市空間に仕立て上げた。 【東京大空襲】 昭和20年、米軍機による空襲で、銀座は7丁目と8丁目を除いて全壊した。この爆撃で、モ ダン都市として空間を再生しつつあった銀座は焼き払われた。 戦後、三越や和光など戦前の建物が建て直されたものもあるが、新たな商売も銀座の街に入り 込んできた。こうして銀座は、戦前からの老舗と、戦後新たに台頭した店とが混在する街となっ た。現在建っている新しい店の多くは、かつてモダン建築だった跡地であるということだ。 尐々荒っぽくまとめてしまうと、歴史から読み取れる「銀座のブランドイメージが確立した理 由」は以下の3点といえるだろう。 ① 明治初期にいち早く西洋風の街並みを築いたことで、欧米的なものが集まってきたこと ② 長年安定して銀座の土地を所有し、銀座を守っていこうとする資産家がいたこと(また銀 座の商人や住人も、高い意識をもって銀座のまちづくりに関わっていたこと) ③ 関東大震災後、建築家のデザイン表現の場となったこと こうして、①により異国的、②により信頼できる、③によりオシャレ、という銀座イメージが 歴史の中で安定して形成され、強固なものになっていったのだろう。そしてこのようなイメージ によって銀座の価値・ブランド力が高まり、銀座という街のもつ「高級感」に結びついていった のではないかと考える。 3、中央通りに立ち並ぶ、一流海外ブランド店 銀座中央通りを歩くと、これでもかというほど海外有名ブランド店が軒を並べている。一丁目 から八丁目に向かって、ハリーウィンストン、ティファニー、ブルガリ、カルティエ、ルイ・ヴ ィトン、シャネル、フェンディ、セリーヌ、ミキモト、コーチ、グッチ、プラダ、フェラガモ… といった具合である。四丁目交差点で中央通りと直角に交わる晴海通りに逸れると、ここでもエ ルメスやディオールといった海外高級ブランド店が目に入る。 上に例を挙げた海外ブランド店は、いずれも路面店であり、なかでも多くの店が目立つ角地に 立地している。どのブランド店も独自のデザインセンスが施されたオシャレな建物であり、各々 の店舗が大きな存在感を放っているように感じられる。 海外高級ブランド店の銀座集中の先駆けとなったのは、2000 年にオープンしたルイ・ヴィト ン松屋銀座店である。先に述べたように銀座は明治・大正期からの老舗のある街であり、海外高 級ブランド店が集まり始めたのはこのルイ・ヴィトン進出の年、2000 年が始まりなのである。 にもかかわらず、 ルイ・ヴィトン進出を皮切りに、 海外高級ブランド店が銀座の超一等地に次々 と出店し、わずか4年ほどで銀座は世界に例を見ないブランド集積地区を形成することとなった。 このような特殊なブランドマーケットが、なぜ銀座で形成されたのか。海外ブランドはどうい った意図・経営戦略に基づいて、銀座にこぞって店舗を出そうとするのか。 ブルガリ、ルイ・ヴィトン、シャネル、カルティエが角地に建つ二丁目交差点 【中央通りへの集中】 90 年代後半まで、ブランド店は並木通りを中心に展開されていた。ところが、2000 年代に入 ってから一挙に中央通りに集中することとなった。 その背景にあるのは、銀座の地価の下落である。そこで、並木通りで着々と地歩を固めてきた ブランド店がまず中央通りに進出することとなった。中央通りに初めて店をオープンした海外高 級ブランド店であるルイ・ヴィトンも、並木店が1号店である。 2000 年に中央通りにオープンしたルイ・ヴィトン松屋銀座店は大人気を博し、オープン初日 の売り上げが 6300 万円という驚異の数字をはじき出した。それに続いて、2001 年にエルメス、 2002 年にコーチ、2003 年にプラダ、フェラガモ、2004 年にランバン、ディオール、シャネル が、メインストリートである中央通りもしくは晴海通りに次々とオープンした。 2003 年に3丁目の中央通りにアップルがオープンしたが、このテナントには15社が応募し、 そのうち10社が海外ブランド店だったという。アップル社に決定してからも、アップル社以上 の好条件を提示し、執拗に食い下がってきた海外ブランド店もあったそうだ。こうしたことから も、海外高級ブランド店が銀座には目がないということが見て取れる。 有力な海外高級ブランドは、豊富な資金力があり、出店余力は十分にある。物件を買って減価 償却でマイナスにさせ、長期で利益を狙う戦略ではないかと、コンサルタントは述べている。中 央通りの多くの海外高級ブランド店が角地を押さえているのは、銀座の一等地のなかでも格別に 高額な土地と思われるが、中央通りの角地は目立つし実が入りやすい立地であることにより、出 店投資を上回る効果が期待できるからだろう。そして、銀座という街でブランドのイメージを上 げ、東京ひいては日本で更なる店舗拡大を目指しているのかもしれない。 シャネルが 2003 年の銀座出店の際に投じた資金は、ダイエーの子会社所有のビル買収に 64 億円、同子会社の負債を肩代わりするのに 107 億円、合わせて 171 億円を投じた。さらに買収 したビルは全面的に建て替えをおこない、ブティックのほか、本社オフィスとパリの三ツ星レス トランまでもを備えたビルを建設したのだから、建設費は並々ならぬ額にのぼるだろう。これだ けの投資をおこなったことから、シャネルの銀座進出への多大な意気込みが感じられる。 【日本人のブランド嗜好】 日本人は、外国に比べてブランドを好む傾向にある。なぜ日本でこんなにブランド商品が売れ るのか。 堺屋太一氏は、著書『ブランド大繁盛』の中で「日本人はちょっと無理すれば誰でもヴィトン が買える」と指摘し、その背景として日本の社会階層が「中の上流」に最も厚く存在しているこ とが大きいと述べている。つまり、経済成長の結果として、それまで高嶺の花だった商品の所有 が可能になったことの表れであるということだ。 エルメス、ルイ・ヴィトンなど多くの高級ブランドは本来、ヨーロッパにおいては貴族財であ り、一般層がこれだけ買いあさるというのは日本だけの現象であるようだ。ルイ・ヴィトン、エ ルメス、シャネルなど主要な海外高級ブランドの日本国内における売り上げは、2002 年の調査 では世界の 30%以上を占めているというデータが出ている。日本人はブランド依存症であり、 それゆえに海外ブランドは、日本市場に大きく依存している。 つまり日本は、海外ブランドの需要が非常に高いため、格好の市場だったのだろう。特に、上 記のデータが出た調査をおこなった 2002 年前後は、若者も含め日本人のブランド志向の強い時 代であったことが分かり、この時期に海外ブランド店が市場を求めて日本になだれ込むように進 出したのも無理はない。そこで日本に進出する際、銀座という街が、前項で記したように長い年 月をかけて高級な街のイメージがすでに定着していたという理由から、最初の店舗を出すに適切 な土地だと判断されたのではないか。銀座にブランド店が次々に集まってきたのも、ちょうど 2000 年から3,4年後までの時期で、上記のデータの時期と一致する。 以上述べてきたことから、2000 年以降の銀座中央通りに海外高級ブランド店がいっせいに集 まった理由は、以下の2点といえる。 ① 当時の日本人がブランド商品を強く嗜好していたこと ② 海外ブランド店が進出する前からすでに高級イメージが確立した街だったため、銀座とい う街が高級ブランド店を出店するのに都合の良い舞台だったこと こうした要因によって、銀座のメインストリートに、世界でも類稀なるブランドマーケットが 築き上げられたのだろうと考える。 4、ZARA、ユニクロ、H&M…ファストファッション業界の銀座進出 ZARA 銀座店 銀座は、高級商店の立ち並ぶブランドマーケットである。しかし最近では、そうではない店も 銀座に進出しはじめている。 1999 年、マツモトキヨシが晴海通りの超一等地に銀座店を構えた。当初、銀座の老舗の多く から「マツモトキヨシのイメージは銀座にそぐわない。出店しないでほしい」と反対されていた ものの、いざオープンすると便利さゆえに実から支持され、大繁盛を期した。 2001 年には、ファストファッションの代表であるユニクロが、5丁目の中央通りに銀座ニュ ーメルサ店をオープンした。マスコミに騒がれるのを避けるため、おおがかりな宠伝をせずにひ っそりとオープンしたにもかかわらず、売り上げは好調で、実足は絶えることがないという。 ユニクロと同じく若者に人気のファストファッションである ZARA や H&M、そして無印良 品も銀座に出店している。リーズナブルな値段で知られるアメリカのファッションブランド H&M が銀座に1号店を構えて話題になったことは、まだ記憶に新しい。 なぜこのような「高級」の部類に入らない店が、銀座に進出するようになったのか。 その大きな理由の1つに、土地の下落が挙げられるだろう。バブル経済の崩壊を境に、銀座の 土地の地価は目に見えて下落した。2000 年以降に海外ブランド店が次々に超一等地である銀座 中央通りに出店できたのもそのためである。 しかし当時はまだ、銀座は高級ブランド店しか出店しようとしなかった。街に根付くイメージ から、高級でない店が出店に乗り出すのをためらっていたのだろう。 ところがマツモトキヨシができ、ユニクロができ、無印良品ができ、实際にそれらの店は繁盛 した。この背景には、いまの日本人のブランド志向が薄れてきていることが原因として挙げられ るのではないか。特に若者は、高級なブランドを手に入れることよりも、値段は安いがオシャレ であったり便利であったりするものを持つことのほうに、より価値をおいているように思う。こ うした日本人の価値感覚の変化によって、超高級海外ブランドと同じくらい、またはそれ以上に、 ファストファッションのような手ごろな値段のブランドが日本人の人気を集めている時代なの ではないか。尐なくとも現在の大学生には、高級海外ブランドよりもファストファッションのほ うが間違いなく売れるだろう。銀座は歴史ある高級な街だが、街の生き残りをかけて、こうした 時代の変化に対応していく必要性があるということを、古くから銀座を守る人々も気づき始めて いるのかもしれない。 このように、高級でない店も銀座に出店できる資金と資格があると推測したうえで、なぜ銀座 を選ぶのか。それはやはり、海外高級ブランド店の進出と同じ理由、すなわち銀座という街のイ メージを利用して自社ブランドの価値を上げようとするからであろう。ZARA にしても、無印良 品にしても、銀座店は他の東京の店舗に比べて落ち着いた、尐しセレブっぽさを意識した内装で あると感じる。時代の風潮が変わっても、銀座の街に根付く高級感は薄れることのないようだ。 いくら安くてよいものが流行る時代になっても、銀座の高級感を利用して商売をしようという店 はこれからも後を絶たないだろうと予想する。 まとめると、ファストファッション業界のような値ごろな産業が銀座に進出した理由は、以下 の3つと考えられる。 ① 銀座の土地の下落 ② 日本人(特に若者)の高級志向の衰退 ③ 銀座イメージの利用により、自社商品のブランド価値を高める目的 最後に、2003 年に中央通りにオープンしたアップルストア銀座の話をしたい。アップルスト アが入ったのはサエグサビル本館であるが、 このテナントには 15 社からの入居の申し出があり、 そのうち 10 社が海外の有名ブランドだった。海外の有名ブランドを退けてアップル社に入居を 決定した理由について、サエグサビルのオーナーであり、明治から続く銀座の老舗店を経営する 三枝社長はこう語ったそうだ。 「中央通りに海外のブランド店はもういらないのではと考えたの である。来街者がそれを本当に望んでいるとも思えなかった。銀座のためにも画一化は避けたほ うがよい。 」 ブランドマーケットとしての銀座は、終焉に向かっているのかもしれない。 今後銀座はどのように進化していくのだろう。それを予測することはできないが、どんな形に せよ、ブランド力をもった揺るぎない歴史を基盤にして、新しい時代の流れを取り込みながら、 銀座という街はこれからもますます発展していくのだろう。 <参考文献> ・岡本哲志「銀座 土地と建物が語る街の歴史」 、法政大学出版局、2003 年 ・丸木伊参「銀座マーケティング」 、ダイヤモンド社、2005 年 ・銀实会「銀座ルネッサンス」 、銀实会、1987 年 ・三枝進「銀座 街の物語」 、河出書房新社、2006 年 ・今和次郎「考現学入門」 、筑摩書房、1987 年 ・吉見俊也「都市のドラマトゥルギー」 、河出文庫、1987 年 <参考資料> ・東京建築遺産 銀座和光・服部時計台 http://hix05.com/architect/street/wako.html 第4章 フィールドワークを通しての銀座の現状 関浜 ちひろ 1、はじめに 以上、銀座を訪れる観光実など外界からのイメージとしての銀座と普段銀座を利用する人々の 銀座という違う視点からの銀座を見てきた。また、銀座での企業戦略についても、歴史的視点か ら考察した。ここでは、实際に私たちが銀座へ行き、調査した結果について述べるとともに、私 たちなりの考察も交えていきたいと思う。 まず、私たちがフィールドワークをするに当たり、銀座のフィールドワークの先駆けとして今 和次郎の考現学にある「東京銀座街風俗記録」を手本とすることにした。 「銀座そのものは、東京の風俗カルチュアの一大中心と認められ、それの伝播は、東京の縁辺 へ、またわが国のほとんど全地方へとゆきわたる性質をもっているが、この点で各地区および各 地方の風俗研究をすすめるうえのもっとも重要な資料があげられるわけである。 」とあり、ここ から、当時の銀座は“先端”と言うにふさわしい場所であったことが読み取れる。 この調査が行われたのは、1925 年のことで、今から約 80 年も前のものであるため、記録され ている項目が当てはまらなかったり、新しく項目を作る必要があったりと、比較は困難であった。 よって、今らの調査方法の大まかな枞に倣うが、直接の比較は避けることとする。 (女性の99%が和服という事など現在と比較するにしても当時と比べると、ライフスタイルな どが違いすぎるなど) 調査規定 一、 京橋から新橋までの間を調査区間とする 一、歩道の上だけを調査の舞台とする 一、主として西側を調査する 一、調査区間を二〇分の歩速度で歩くこととし、その途上において前方より歩いてくる人のみを 調査対象とし、立ち止まる人、追越す人その他一切を調査に加えない 一、採集カードには調査事項の分類絵、日時、調査者の歩いた方向(北行あるいは南行)および 調査担当者の名前を記入する となっているが、ほぼこれに倣った。 しかし、調査者が3人と尐なかったこともあり、以下を私たちの調査規定するのが正しい。 一、京橋から新橋までの間を調査区間とする 一、西側の歩道の上だけを調査の舞台とする(ブルガリ前のウィンドウショッピング調査のみ例 外) 一、調査区間を二〇分の歩速度で歩くこととし、その途上において前方より歩いてくる人のみを 調査対象とし、立ち止まる人、追越す人その他一切を調査に加えない 一、人数の関係により、歩道をそれぞれ道路側・中央・建物側と分け3人並んで歩きながら調査 し、その3人の結果を合計し、一回分とする 一、人数の関係により、午前・午後・夕方の3回一方向のみの調査を行う 一、その方向とは、午前と夕方に調査者は1丁目から8丁目(南行)へ、午後は8丁目から1丁 目(北行)へ歩くこととする また以下、服装・ウィンドウショッピングをする人々の考察など、今らの調査の中で私たちが 興味を抱いた項目を調査することにした。服装やウィンドウショッピングをする人々については 歩きながら記すことは困難だと判断し、定点観測とした。場所は、服装が中央通り西側の銀座2 丁目にあるカルティエ前の歩道を、ウィンドウショッピングは、同じくカルティエ前とカルティ エの真向かいあるブルガリの二つの店のショーウィンドウを使用する。 次に調査日であるが、 「調査した日は、大正十四年五月の七日、九日、一一日および一六日の 四日間です。 」とあり、彼らは、季節的には春である時期に4日かけ調査を行った。それに対し、 私たちの調査した日は、11 月1日(日)である。一日しか調査できなかったこと、しかもその 日が休日であったこと、そして季節的な違いがあったため彼らの調査よりも、やや偏った調査結 果となってしまった可能性が考えられることを断わっておくべきだろう。 調査日時は、11 月1日(日)天候 晴れ・午後から曇り、小雨が降る また、私たちが調査した日はちょうど休日であったため、中央通りは歩行者天国となっていた。 これは、今らが調査した時代ではなかったものであり、比較することはできない。しかし、記録 し考察することで現在の銀座がどんな場所であるか知る手掛かりの一つとなると思い、記すこと とする。 2、銀座の現状 (人) 900 800 700 600 500 400 300 200 100 0 830 人 838 人 619 人 午前 午後 夕方 図1 時刻による人出の変化 「図1に書入れた数字は人の数ですが、これは西側歩道(延長約一キロメートル)上における それぞれの時刻における人数の推定です。 」 (p.96) 図1は、午前・午後・夕方の三つの時間帯における人出の変化を表したものである。午前は 11 時半から12時、午後は 13 時 50 分から 14 時 20 分、夕方は 17 時から 17 時半とした。今らに ならい銀座通り(中央通り)の西側の歩道を歩いている人のみを調査対象とした。歩く人びとの 身分・職業構成、特に身分についてはわからないため、対象の分類として、年齢・性別・職業等 とし、年齢を身分の代わりに追加した。職業であるが、服装で判断できるもののみ判断した。 60 50 男 40 女 子 外国人 30 サラリーマン 労働者 20 店員 10 0 午前 午後 夕方 図2 時間による人数構成の変化 図2は男・女・子・外国人・サラリーマン・労働者・店員のそれぞれが時間帯によってどう増 減しているか表したグラフである。これは今らのグラフに倣い「各時刻別のそれぞれを百分比で 示したのですから、ある時刻の各項目の数を全部加えて一〇〇になるような関係になって」おり、 「時刻による相対的な比がみられるようになってい」る。 ここからわかることとして、相対的に男性よりも女性が多いことが言え、比としては時間帯に 関わらず同じ割合で存在していることがわかる。注目すべきこととしては、サラリーマンが夜に 近づくにつれ増加したことである。やはり、昼間会社にいたサラリーマンが仕事帰りに銀座に現 れたと予想できる。 70代以上 60代 50代 男 女 40代 30代 20代 0 20 40 60 80 70代以上 60代 男 女 50代 40代 30代 20代 0 20 40 60 80 100 120 140 160 70代以上 60代 50代 男 女 40代 30代 20代 0 20 40 60 80 100 120 140 図3 それぞれの時間帯での歩く人(通行人)の年齢構成 3、服装 観察方法として、中央通りに面したカルティエ前の歩道を歩く人々の中から無作為に選び記す ことにした。無作為に選ぶ方法として、歩道の石畳のなかから観察者3人がそれぞれ一つのタイ ルを選び、そのタイルを踏んだ人を記すこととした。観察者3人はそれぞれ、頭部・上半身・下 半身と担当を分け、それぞれ記すこととした。 (1)頭部 頭部は主に髪型について男女別に調査した。結果は以下のようになった。 【男性】 帽子, 3人 白髪, 8人 黒髪 茶髪 白髪 帽子 茶髪, 5人 黒髪、41人 【女性】 白髪, 2人 金髪, 1人 黒髪、24人 黒髪 茶髪 白髪 金髪 茶髪, 66人 ポニーテール 9 ハーフアップ 3 ショート 44 巻き髪 6 ミディアム 7 パーマ 1 ロング 12 アップ 1 ※ミディアムとショートは髪をおろしている人のみ (2)上半身 トップスの種類を男女別に調査した。服の種類と色についてそれぞれ記録した。 【男性】 服の種類(男性) ウィン 着 作業 ス ブラウ スーツ ャツ ポロシ き シャ ツ 襟付 ジャケ ット ガン カーデ ィ パー カー ツ Tシャ 長袖 7分袖 シャツ 14 12 10 8 6 4 2 0 ドブレ ーカー (人) ュ 黒 白+ 柄 黄 黒+ 間 ベージ ュ 紺 水色 青とグ レー の 7 6 5 4 3 2 1 0 ストー ル 服の種類(女性) ピンク 【女性】 コート ー カット ソ 半袖 ー カット ソ 長袖 パー カー セータ ー 半袖 ス ブラウ タート ルネッ ク ジャケ ット グレー 白 8 7 6 5 4 3 2 1 0 ピンク 柄 黒 白+ ベージ 水色 青 紺 カーキ ツ ツ Tシャ 7分袖 Tシャ (人) 紫 茶 赤 グレー 黒 (人) 服の色(男性) 服の色(女性) (人) 6 5 4 3 2 1 0 (人)35 30 25 20 15 10 5 0 ワンピース 上下別 (3)下半身 ボトムス・靴について観察した。ボトムスと靴の種類と色についてそれぞれ記録した。 【男性】 〈ボトムス〉 色別の数 種類別の数 パンツ 1 チノ・パンツ 1 デニム 5 カーゴパンツ 4 スーツ下 3 アイボリー 1 グレー 4 黒 3 デニム 4 モスグリーン 1 ? 1 〈靴〉 種類別の数 靴の色別の数 スニーカー 7 黒 8 革靴 7 白 1 茶 1 ? 4 【女性】 〈ボトムス〉 ボトムスの種類別の数 パンツ 長 12 スキニー 1 14 18 色別の数 チノ・パンツ 1 サブリナ 2 短 2 長(ロン 3 グ) 中 スカート 7 チュチュ 8 1 短(ミニ) 1 ? 2 14 ワンピース 3 着物 1 黒 12 茶 4 デニム 8 グレー 2 柄 2 緑 1 ベージュ系 2 ? 5 〈ソックス・タイツ〉 色別の数 種類別の数 5 黒 ノーマル 7 ベージュ 3 網デザイン 1 グレー 2 レギンス 3 茶 1 トレンカ 1 あずき 1 靴下 1 白 1 足袋 1 カラフル 1 ストッキング タイツ 〈靴〉 種類別の数 スニーカー 2 スニーカーパンプス 4 パンプス 革靴 ブーツ ヒール有 13 ヒール無 4 ヒール有 0 ヒール無 3 長 6 10 色別の数 黒 15 銀 1 金 1 中 1 茶 6 短 2 赤 2 1 黄土色 1 チェック 1 白 2 (4)服装からわかること モスグリーン 1 髪型・トップス・ボトムス・靴を今まで観察してきたわけ ? 6 草履 だが、ここからわかることとして全体的に落ちついた色が多かったという点である。特に数字と して表れていた部分は、 ・男性の 70%以上が黒髪であったこと ・男性の服の色が白やグレー多い ・女性の服の色が黒、グレー、茶が多い ・男女共に靴の色が圧倒的に黒が多かったこと から言える。 やはり、相対的にしっかりとしたおしゃれをして出掛けて行く街という印象を受けた。しかし、 結果からもわかるように、スニーカーやデニムを履いていた人も存在していた。最近では、デニ ムやスニーカーもおしゃれアイテムとして活用されているが、明らかに普段と変わらないスタイ ルだろうと考えられる人々を多々見かけた。そういったことから考えると、しっかりとしたおし ゃれをしなければ出掛けづらいというような印象が銀座から薄れているのかもしれない。 4、ウィンドウショッピング 中央通りに面するカルティエとブルガリのそれぞれの店のショーウィンドウを覗き込む人々の 性別・年齢・服装等を観察した。時間は 16 時5分から 16 時 35 分までの 30 分間。観察対象と しては、一度ショーウィンドウを「横目で見過ぎていくのではなく、五秒なり三〇秒なり、ある いはより以上の時間立止って注意深くのぞいている人」とした。 カルティエ前(西側) 男女カップル 女2人組 女1人 男1人 20 代 7 2 1 0 30 代 2 0 0 0 40 代 0 1 0 0 50 代 0 1 0 0 60 代 0 0 1 0 70 代以上 1 0 1 0 ? 0 0 2 0 ブルガリ前(東側) 男女カップル 女2人組 女1人 男1人 20 代 1 1 2 0 30 代 4 0 0 0 40 代 2 0 1 0 50 代 3 1 1 3 60 代 2 0 1 3 70 代以上 0 0 1 0 ? 0 1 2 0 この結果からわかるように、極めて女性がウィンドウショッピングをする傾向にあることがわか った。 5、歩行者天国 歩行者天国であったため、午後6時まで銀座通りは1丁目から8丁目まで道路に人があふれて いた。ここで見られた光景として特徴的であったものについて触れたいと思う。 調査をしていて良く目についたのは、犬を連れて歩く人々とベビーカーを押す母または父である。 高級感あふれる大人の落ち着いた街という印象があるにも関わらず、ペットや子供を連れて歩く 人々をたくさん見かけたことは意外であった。 一方、多くのカップルの姿を見かけたが、やはり若くても 20 代後半のカップルの姿しか見ら れず、30 代以降のカップルの姿が目立った。この点においては、銀座の高級な大人の街という イメージと重なっているようであった。 全体として、高級だけではない何かを孕んだ街として銀座はにぎわいをみせていたといえるので はないだろうか。 <参考文献> ・今和次郎「考現学入門」 、ちくま文庫、1987 年
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